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2012年8月11日 (土)

聖経について (18)

 ところで当初、「甘露の法雨」の一部ないしは後篇として書かれた自由詩「天使の言葉」は、いつごろそう名づけられ、一つの独立した“経典”として扱われるようになったのだろう。これがよく分からないのだ。分かっているのは、昭和6年7月以降、同9年7月以前のどこかで決まったということだ。同6年6月にはまだ「天使の言葉」と名づけられていなかっと推測できる事実がある。この年の8月号の『生長の家』誌には、同誌の合本(初版革表紙『生命の實相』のこと)の名称を募集する広告が載っており、そこには次のようにある--
 
「本書の名称につき誌友の意見を募集す。例えば、『生長の家聖書』『生命の啓示』『天使の言葉』『光明の真理』等。この名称の中より選んで下さるか、新名称を送られたし。」

 本シリーズのどこかですでに触れたことだが、当時は『生長の家』の創刊号から約1年半分の内容を1冊の合本にまとめて発行する計画が進められていた、。この広告で募集しているのは、その合本の名称のことだ。この合本が、今日いうところの初版革表紙『生命の實相』である。広告を読んで分かることは、当時の雅春先生はここにある4つの案をもっておられたが、さらに良い案がないかを広告によって誌友に尋ねておられるということだ。その先生の案の1つが「天使の言葉」であった。この時、先生は4カ月後に出版予定の革表紙の豪華本に、この題名を使ってもいいと考えておられたのだ。だから、「甘露の法雨」の後篇である自由詩に、すでに同じ題名を付けておられたとは考えにくい。ということは、この自由詩にはこの時点で、まだ「天使の言葉」という題は付けられていなかった--私はこう推測する。では、別の題が付けられていた可能性はあるだろうか? 理論的には、その可能性はある。しかし、雅春先生が、数多くあるご自分の詩作品の題を、発表後に別のものに変更されたという話は聞いたことがない。だからこの時点では、「甘露の法雨」の後篇には題名が付いていなかったと考えていいだろう。
 
 その自由詩に「天使の言葉」という題が付けられたことを現在、推定によってではなく、印刷物で確認できる最古のものは、前回の本欄で触れた単行本『生命の烈風』(昭和9年9月15日発行)である。だから、印刷と製本に要する時間を考慮して、少なくともその2カ月前には「天使の言葉」という題は決まっていなければならない。このように考えて、この自由詩の題名の決定について、私は「昭和6年7月から同9年7月までのどこかの時点」という大ざっぱな推測をしたのである。雅春先生の記述にもとづき詩文の制作が昭和6年1月と仮定すれば、「天使の言葉」の題名決定までには、最短で6カ月、最長で3年余の時間を要したことになる。
 
 ところで、「天使の言葉」を最初に単行本中に収録したと思われる『生命の烈風』だが、この本は大きく第1篇と第2篇に分けられていて、「天使の言葉」はその第1篇「聖霊の言葉」の第1章として収録されている。そして「聖経」という肩書は付されていない。つまり、同書の第1篇は「第1章 天使の言葉」から始まる。そして第2章は「智慧の言葉」である。また、同書の8カ月後に出版された『いのちのはやて』では、『烈風』の第1篇第2章を構成していた「智慧の言葉」が外されたことを、本シリーズの第17回ですでに書いた。しかし、その時書かなかったのは、『はやて』に掲載された「天使の言葉」の肩書である。そこでも「聖経」という表現はなく、「序詩」と書かれていた。つまり、第1篇の「序詩 天使の言葉」である。

 ここまで書くと、ピンと来る読者がいるかもしれない。現在、「天使の言葉」は『生命の實相』全集中の2カ所に収録されている。聖霊篇上(頭注版第5巻)と経典篇二(同第23巻)である。このうち前者では、「序詩 天使の言葉」と表現され、詩文の最後にも「(聖経終)」という表記はない。これらの2点は『いのちのはやて』と同じなのである。また、内容的にも同じ記事がいくつもある。つまり、『はやて』は現在の『生命の實相』聖霊篇の“原型”となった書籍だと言えるのである。

 谷口 雅宣

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