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2012年7月23日 (月)

聖経について (14)

 前回の本欄で私は生長の家叢書の奥付にある日付の問題を取り上げ、それが当該叢書の「初版」の日付としても、「この版」の日付としても合理的に説明できないものがあることを示した。私はしかし、そのことをもって谷口雅春先生が奥付表記の原則をご存じなかったとか、ご存じでありながら原則を意図的に無視されたとか言おうとしているのではない。私が前回、画家のいわさきちひろ氏(1918~1974年)の映画の話をしたのは、戦後間もない日本の出版業界での“常識”が現在のそれと大きく異なることを知ったからだが、雅春先生が生長の家叢書を発行されていた時代は、それよりさらに10年ほど前で、日本は中国と戦争中であり、政府による出版物の検閲も厳しい頃だった。きっと現代の我々には想像できないような事情があったかもしれないのである。しかし、前にも述べたように、そういう詳しい時代考証を進めていくことは本シリーズの目的ではないので、ここでは判明した事実で「聖経」の成立と関係ありそうなものを、そのまま記録しておくことにする。
 
 そういう事実の中で、生長の家叢書の奥付表記と関係がありそうなものが、まだある。その1つは、この叢書シリーズを製作した印刷所のことであり、もう一つは印刷方法のことだ。本シリーズの第6回で、私は雅春先生が昭和7年7月末に会社員生活をやめられ、宗教活動に集中されることになった事情を書いた。しかし、その時書かなかったのは、先生が退職金を何に使われたかということだ。これについては、『生長の家三拾年史』の年表の同年7月の欄に明確な記述がある--
 
「ヴァキューム・オイル会社がスタンダード石油会社に合併された結果会社を退職し、その退職金にて小林為兄氏経営の有効社印刷所を買収し、大阪市港区西市岡町1の1に生長の家印刷部を設置す。谷口先生みずから経営されたるも、後、誌友松原太郎氏九州より上阪するに及び同氏に経営を委嘱さる」。

 このように、先生は大阪市の印刷所を買い取られ、そこで『生長の家』誌などの印刷を始められたのである。この有効社という印刷所は、その当時に『生長の家』誌を印刷していた会社であり、同誌昭和6年12月号には、所在地として「大阪市港区音羽町1丁目5番地」と印刷されている。初版革表紙『生命の實相』の奥付にも同じ印刷所が表示されている。しかし、奥付を見るかぎりでは、この後の『生長の家』誌の印刷所は、目まぐるしく所在地が変更するのである。まず、同7年3月号からは、神戸市葺合区磯上通1丁目4番地の光村印刷株式会社に移行し、同年7月号では、『三拾年史』にあったように、大阪市港区西市岡町1丁目1番地を所在地とする「生長の家印刷部」での印刷となっている。ところが同年9月号の奥付では、生長の家印刷部の所在地は谷口雅春先生の住所である「兵庫県武庫郡住吉村字八甲田695ノ2」と同一のものに変わる。そして、翌年2月号で再び「大阪市港区西市岡町」にもどり、ここで初めて「印刷人」として松原太郎氏の名前が出てくる。
 
 このような印刷所の変更の理由は明らかではないが、その事情の一端を示すような記事が、6年12月号には載っている--
 
「在来神戸方面に印刷仕事をもっていて毎日神戸へ来るついでに神戸郊外の『生長の家出版部』と接触のあった印刷所では、其後印刷の主力を主として大阪方面に注ぐようになり神戸へ来られなくなった為め、『生命の實相』の校正刷を直接印刷者に手渡しすることが不可能となり、郵便で大阪住吉間を往復せしめねばならなくなった。(中略)校正刷を大阪住吉間往復するに2日間かかる。三度校正刷を往復しているとそのために6日間かかる。『生命の實相』の印刷専用として新鋳した振仮名活字4万字では百頁を組むだけの字数しかない。で、1千頁の『生命の實相』を仕上げるには多くとも1回百頁宛10回に分けて印刷しなければならない百頁組み上がったものを3往復6日間宛費して校正(なお)して印刷所へ送ると、その印刷を終り活字を解版(ほぐ)し更に活字を選り分けてからでないと、次の頁を組み始める訳には行かない。その間4日間は要する。百頁毎にこれだけの日数が手待ちとなるので、千頁ではこの10倍の日数(中略)が手待ちになる勘定である。色々工夫して校正刷を2往復にし、1回は印刷所で直して貰うことにし、私が会社から夜晩く帰って私自身校正刷を直していると其の日の郵便の間に合わない時には、ほかの人に校正して貰って其の日の郵便に間に合わすことにしたり、印刷所でも夜業して呉れたり、発行日を出来るだけ早くすることに努力した結果、計算上遅れる筈の百日間を切り縮めて、12月中旬を内務省納本日とし、発行日付を昭和7年1月1日とし、諸君の手許には12月中旬に内務省へと同じ頃に届くようにする」。(同誌、pp.79-80)

 谷口 雅宣

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