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2012年6月 6日 (水)

聖経について (1)

 現在、『甘露の法雨』と呼ばれ、生長の家の「聖経」の1つとして尊ばれている長編詩が初めて世に出たのは、『生長の家』誌の昭和5年12月号(第1集第10号、同年12月1日発行)においてである。ただし、すべての内容が一度に掲載されたのではなく、「神」「霊」「物質」の3項だけが先に掲載され、その後に続編があるかどうかの表示もされなかった。また、この長編詩には「甘露の法雨」という題も付けられず、それまで何編も発表されてきた「生長の家の歌」の中の数編であると思えるような体裁をとっていた。
 
 「生長の家の歌」という題は、当時の『生長の家』誌では谷口雅春先生が作られた詩の総称だったと思われる。つまり、同誌の執筆者は事実上、雅春先生お1人であり、「生長の家」の運動の担い手も(輝子先生を除いては)実質的に先生お1人だったから、その運動を詩作の分野で体現した作品も、発祥の当時しばらくは雅春先生お1人のものである以外に選択肢はなかったと考えられるのである。別の言い方をすれば、「生長の家の歌」は『生長の家』誌の詩作欄の名称であり、書き手は雅春先生お1人だったと言える。当時の先生の詩作品は、この欄を使って随時発表されていた。例えば、「生きた生命」と「光明と暗黒」という詩作品は同誌第2号(昭和5年4月号)の「生長の家の歌」欄に発表され、「光明の國」は同第3号の同欄、「或日の生命の國」「太陽の讃歌」「生長の家々」という詩は同第4号の同欄に題名を付して掲載されている。いずれの作品も、現在は『生命の實相』聖詩篇(頭注版では第20巻)に「生長の家の歌」の一部として同じ題名で収録されているのである。
 
 発行第1年目の『生長の家』誌の「生長の家の歌」欄は、しかし第5号から9号までの5カ月間は、休載となっている。その代わり、第6号には14篇の詩作品からなる「生命讃歌集」という欄が設けられ、その中に先生の作品『朝の太陽』『生命の歌』『花園にて』の3篇が収められている。そして、第10号にいたって「神」「霊」「物質」の3篇が掲載された。ただし、「甘露の法雨」の題名は付されておらず、「生長の家の歌」の一部としてである。また、翌月の第11号(昭和6年1月号)にも「生長の家の歌」欄はない。翌第12号(同年2月号)になって「実在」から「人間」までの5篇が掲載される。総ページ数は80ページだった当時の『生長の家』誌のページ半分の3分の1(26ページ分)を占める量だから、まさに「一挙掲載」と言えるだろう。この時初めて、『生長の家』誌上で「甘露の法雨」という題名が使われた。そして、「生長の家の歌」という欄名が「甘露の法雨」の左脇に小さく括弧書きで付されている。また、この詩の簡単な解説文が欄の冒頭に次のように書かれている--
 
「 第1集第10号の『生長の家の歌』3篇『神』『霊』『物質』の続篇にして、この3篇と共に生命の真理を霊感によって書かしめられたものであります。『生長の家』では所依の経典のほかに神仏の祭壇に対(むか)って之を朗読することにしています。病人に対しては、病人自身が繰返し朗読すれば病いが不思議に癒え、障りの霊に対して読誦すれば、障りの霊が悟りを開いて守護の霊にかわる助けとなります。それ故これは誠に生長の家の経典とも云うべきものであります。」

 この時の「甘露の法雨」の詩は、我々がよく知っているように、「天の使ひの説き給へる眞裡をば、さながら称ふるものの如くなりき」という文で終わるのだが、興味あることに、この掲載誌では「終り」とか「聖経終」との表記はなく、その代わり「(つづく)」と表記されているのである。つまり、この部分に続く詩文が、当時はすでに出来上がっていたと推測されるのだ。このことは、谷口雅春先生御自身が別の箇所に書かれているから、ほぼ確実である。
 
 例えば、『生命の實相』経典篇(頭注版第21巻)の「『甘露の法雨』講義」には、次のようにある--
 
「それで、この『甘露の法雨』という経典はわたしがある機会になんと言ってよいか、どうも説明に困るのでありますが、何か書きたくて知れないような気がして書かずにいられなかった時、すらすらと、自然に霊感的に出てきたものであります。この1冊にあるのが全部じゃないのでありまして、この続きにまだ『生命の實相』全集第3巻(頭注版・携帯版では<第5巻>「聖霊篇」上)の巻頭にある『天使の言葉』というのも続いて一緒に一度に書いてしまったのであります。あまり長いのでそれだけ省いてしまって、仏前などでの朗読にはその前篇『甘露の法雨』だけということになっているのであります。」(同書、p.5)

 このような先生の記述から考えると、現在『甘露の法雨』と『天使の言葉』と呼ばれている長編詩2篇は、昭和5年10月ごろまでには、両者が一体のものとしてほぼ完成していたと推測できる。それならば、『甘露の法雨』の月刊誌掲載後、あまり期間をおかずに『天使の言葉』の掲載があるのが自然である。このことは、前者が掲載された記事の最終部に「つづく」と記されていたことを考えると、雅春先生御自身にその意図があったと推測されるのである。しかし、実際に『天使の言葉』が『生長の家』誌に載るのは、『甘露の法雨』の連載が終わってちょうど1年後の昭和7年2月号(第3集第2号)だった。

 谷口 雅宣

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コメント

唐松模様の2012年6月17日 (日)光明一元の人生観を堅持しよう の御文を読み終え、感激しました。あまりのすばらしいお話に、しばらく涙が止まりませんでした。
日時計主義のお話よくわかまりました。また、生長の家に教義に観世音菩薩讃歌を取り入れるのは大賛成です。雅宣先生の御心がよくわかりました。

投稿: 橋本 肇 | 2012年7月 6日 (金) 09時42分

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