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2012年5月27日 (日)

「観世音菩薩讃歌」について

 私は本年4月から始まった“自然と共に伸びる運動”の「第2次5カ年計画」の出発を前に、今年3月末日の本欄で、私たちの運動の“コトバの力”拡大のために長編詩を書いたことを述べ、新年度の開始に合わせ、その後の本欄で数回にわたり長編詩「大自然讃歌」を発表した。幸いにもこの長編詩は、機関誌『生長の家』の6月号に掲載していただいたので、本欄を読む機会のない信徒の方々も知るところとなった。この詩は、神の下における自然と人間との一体感を深めるために、読者諸賢には今後も引き続き利用していただきたい。

 ところで、私がこの詩を書きながら気づいたのは、現在「聖経」と呼ばれている長編詩の中には、“生長の家の礼拝の本尊”とされている観世音菩薩について、あまり言及がないことだ。「聖経」の中には『聖使命菩薩讃偈』というのはある。しかし、このお経は、真理宣布の使命を感得した信徒が、自ら悟りに至る前に他者を救おうとの菩提心を起こすことの功徳を説いたものである。これは法施の素晴らしさを説いてはいるが、観世音菩薩とは何であり、その救いはなぜ来たり、救いの働きはどうであるかなどについて、一切触れていない。そこで本欄では過去10回にわたり、これらのことを論文形式で書き継いできた。内容的にこれで十分とは決して言えないが、この分野における読者の理解の助けにはなったろうと思う。

 しかし、これまでの説明には専門的で難しい部分も少なくなく、読者によっては「苦手だ」と感じた人もいるに違いない。そこで、これまでの論文方式とは異なる詩の形式を使って--言い換えると、左脳的な言語ではなく右脳的な表現を使って、観世音菩薩について説くものがあってもいいと考えるに至った。それを読むことで、観世音菩薩の何であるかを論理的にではなく、直感的に感得してくださる読者もいるのではないかと期待している。今後数回にわたり、「大自然讃歌」に続く長編詩として本欄で発表させていただこうと思う。この長編詩「観世音菩薩讃歌」も、前回のものと同様に「聖経に取って代わるもの」を意図していない。諸処に聖経から引用しながら、聖経では触れられていない方面への補強を試みている。
 
 谷口 雅宣

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