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2012年5月15日 (火)

観世音菩薩について (6)

 本欄の前々回までの検討で、我々の肉体(脳)には動物と共通する欲望醸成器官(脳幹と視床下部)が備わっていると共に、それを抑制するための巨大な制御器官(大脳)が存在することが分かった。これはほとんど生得的なものであるから、「自然にある」と言える。そうすると、我々の心の中にいわゆる“良心の囁き”が起こることは、きわめて「自然な」ことであり、進化生物学的には「必要な」ことであったと言うことができる。
 
 では、次の段階として、その〝良心の囁き〟が自分より高次の存在である“神の導き”や“観世音菩薩の教え”のように感じられるのはなぜだろう--この理由を考えよう。
 
 これについて今年の全国幹部研鑽会では、私はアメリカの認知科学者、ジャスティン・バーレット氏(Justin L. Barrett, Ph.D.)の新刊書の内容を紹介した。この本の題名は「Born Believers (生まれつきの信仰者)」といい、副題は「the science of children's religious belief (子どもの信仰心を科学する)」である。本欄では、すでに4月12日19日付でこの本の概要を紹介しているから、多くの読者はご存知だ。初耳の人、内容を忘れてしまった人は、どうか読み返していただきたい。以下は、この2つのブログの記述を前提として話を進めていく。
 
 バーレット氏の主張の1つは、我々人間は通常の環境で生まれ育ったならば、幼児期のごく初期の段階で誰もが信仰心をもつようになり、その信仰の内容は普遍的--つまり、世界共通であるというものだ。同氏はこの信仰に「自然宗教(natural religion)」という名前をつけ、その内容を次の7カ条にまとめている--
 
 ①超人間的存在がある。
 ②それが目的をもって自然界の物質や生物を創造した。
 ③それは時間・空間に制約されるが、
 ④人格をもち
 ⑤自由意思で人を裁く。
 ⑥道徳的基準は不変であり、
 ⑦人間は死後も生き続ける。
 
 そして同氏は、この自然宗教の基盤の上に、世界各地の地理的、歴史的、文化的、政治的などの要請に応える形で、現在我々が知る組織的宗教(organized religions)が築き上げられたと考えるのである。そのことを図示したものを、ここに掲げよう。
 
Natlreligionb  この図を見て分かることは、昨今の宗教をめぐる国際情勢から受ける印象がどうであれ、「宗教の根源は1つ」ということだ。これは生長の家が古くから掲げてきた「万教帰一」の考え方を支持する知見と言える。そして、谷口雅春先生の次の言葉が、バーレット氏の著作より40年以上も前に書かれたことを思うとき、先生の卓越した洞察に頭を下げるほかはない--
 
“あらゆる人間の救いの原理は1つでなければならない。それは人間の生命の起源が1つであるから、その救いの原理も1つでなければならないのは当然である。しかるに世界には多くの宗教があり、互いに排擠(はいせい)して、自己のみ真の救いの原理を把握するのだと主張する。それはなぜであろうか。それは各民族に、また各地域に、また各時代にはそれぞれの雰囲気があり、民族精神があり、時代精神があり、それに連関せずに「救いの原理」を説いても、あまり時代や、民族に懸絶(けんぜつ)せるものは理解しえないがために、教えが時代および民族に意識的または無意識に適するように説かれるようになったのである。そこに人類の唯一なる「本源」と「救いの原理」とが幾多の時代的、場所的、民族的粉飾または付加物をもってつつまれ、その粉飾や付加物の方があたかも宗教の神髄のごとく考えられ、その粉飾と付加物との相違によって、互いの宗教は対立しはじめたのである。(中略)今ほど人類が「一」に結合さるべき要請の強い時代はないのである。したがってまた、今ほど、世界の宗教がその個々の粉飾と付加物とを捨て去って裸になって「一」真理とならなければならない時代はないのである。”
                  (『生命の實相』頭注版第39巻仏教篇「はしがき」)
 
 谷口 雅宣

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コメント

総裁先生,合掌,ありがとうございます。
「観世音菩薩」についてのご文章を拝読していて,思い出したのが,児童の「発達障害」についての定義です。『他者の心の動きを類推したり,他者には他者の立場があり,自分とは異なる考えをもっているということを理解したりする機能の発達が困難』具体的には,
・共感性がもてない
・融通がきかない
・字義通りの解釈をする
・感覚の異常(過敏・鈍磨)がある
・予定が決まっていないと不安になる
・他者から見るとつまらないことに拘る
等,人間が生まれつき持ち合わせていて,社会生活に適応するのための必須条件が欠如しているのが,発達障害(主に脳の障害)です。最近この種の発達障害が増えてきていることは,教育に携わる者として気になる事象です。何かのご参考になればと思いましてコメントさせていただきました。
再拝

投稿: 佐々木(生教会) | 2012年5月17日 (木) 21時57分

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