« 観世音菩薩について (4) | トップページ | 電子版『今こそ自然から学ぼう』が発刊 »

2012年5月12日 (土)

観世音菩薩について (5)

 谷口雅春先生が前掲の文章に「吾は素直に外の導きにも内の導きにも従うのである」と書かれたからといって、それを読んだ人が「だから自分は悪友からの誘いにも、自分の欲望の求めにも素直に従うことにした」と言ったならば、その人はそもそも宗教の基本を知らない愚者である。人間の心中に起こる様々な欲望の中には、従うべきものもあれば拒否すべきものもあるくらいのことは、小学生でも知っている。先生もそのことを後続の「5月10日法語」の中できちんと説かれているから、それを次に引用しよう--
 
「人間は神の造りたまえる最後の最高の自己実現であるから、人間以下のあらゆる動物の段階の各要素を自己の内に含んでいる。最後の最高の神的実現にまで生活を高めることも出来れば、あらゆる種類の動物的状態を実現することも出来るのである。肉慾食慾のみに快感を求めるものは、人間でありながら動物の状態に退歩することである。仏典にも人間の内部には、地獄、餓鬼、畜生、人間、天人の各要素を自己の内部に包蔵すると説かれている。その要素の中(うち)のどれを発揮するかは人間の自由である。」(前掲書、pp.133-134)

 さて、脳科学の分野では、人間の心にいわゆる“動物的欲望”が起こる現象をどのように説明するのだろうか? それを理解するためには、まず人間の脳の基本的構造について知らなければならない。脳はきわめて複雑な器官であるから、その細部を知る前に基本構造を頭に入れておく必要がある。しかし、一口に「基本構造」と言っても、前脳、中脳、後脳というように発生過程に即して見る方法もあれば、右脳、左脳というように機能・解剖学的に見る場合もあれば、前頭葉、頭頂葉、側頭葉、後頭葉というように、大脳だけを外側から見て分類する方法もある。私が生長の家の講習会などでよく使う構造図は、そのいずれでもなく、脳全体を正面から見て、それを頭頂部から脊髄にかけて上下に“輪切り”にしたときの物理的な構造を単純化したものである。(図参照)
 
Brainmap3  この図を使う理由は、これが人間の心の多層性、あるいは重層性をよく示していると思うからだ。多層とか重層などという表現を使うとむずかしく聞こえるかもしれないが、これは「人は悩む」という簡単明白な事実を指しているだけだ。つまり、人間の心には欲望が生まれる一方で、それを抑える葛藤が生まれること、感情が昂ぶっても理性が働くこと、害意が生まれても良心がそれを止めようとすること……そういう二律背反的な動きが生じることを意味する。私は、この心の中の葛藤が宗教や芸術を生み出す“元”だと考えるから、それを構造的に分かりやすく示すこの図を好むのである。

 図を見ると、中央の下から上に向かって「脊髄」「脳幹」と続いて「視床下部」に至る。これは、我々の脳が脊髄(背骨)の上に載っていて、脳幹を介して視床下部に連結していることを示している。脳幹と視床下部は、発生学的に髄脳、後脳、中脳、間脳に分けられ、これらの脳はあらゆる脊椎動物が共通してもっている。つまり、これらの脳内で起こる反応は、人間だけでなく、イヌやネコなどの哺乳動物はもちろん、魚類、両棲類、爬虫類の脳の中でも起こるのである。脳科学者の山本健一氏によると、両棲類や魚類では、間脳は行動の内的要因(欲望)の中枢であり、終脳、中脳(視床下部と脳幹の一部)は外的要因(感覚入力)のうちのそれぞれ嗅覚、視覚の中枢であり、後脳、髄脳は聴覚、平衡感覚を含めた機械的感覚と運動の中枢であるという。
 
 人間の脳では、この脳中心部の共通構造を大脳が覆うように包んでいる。大脳とは、図にある辺縁皮質(古皮質と旧皮質)と新皮質を加えたものである。この大脳の発達の仕方は、動物の種類によって特徴的だ。爬虫類では嗅覚と運動能力を反映して大脳核の発達が顕著であるが、空を飛ぶ能力を獲得した鳥類はさらに大脳核が発達している。哺乳類の脳では、「大脳皮質の異常な発達がみられる」と山本氏は言う。それも大脳核というよりは「嗅覚の分析を司る旧皮質の両側に付け加わった古皮質(海馬)と新皮質の発達」が著しいという。海馬は、記憶に関する重要な役割を果たしており、人間の記憶の量は他の動物に比べて圧倒的に多いという。また、視床下部について山本氏は、これは「“欲望の中枢”ともいわれ、内的要因のセンターである。この部分の電気刺激により、攻撃行動や摂食行動などあらゆる完了行為を誘発できる」(p.66)と書いている。
 
 これらのことから分かるのは、我々人間の内部には、あらゆる脊椎動物に共通する本能的な欲望を起こす機能が備わっているが、それを覆い包むように発達した大脳が、それら欲望の発現を規制しているということだ。だから「人間らしく生きる」ということは、「本能のままに生きる」ことでは決してないのである。
 
 谷口 雅宣
 
【参考文献】
○山本健一著『脳とこころ--内なる宇宙の不思議』(講談社選書メチエ、1996年)
○渡辺茂著『ヒト型脳とハト型脳』(文春新書、2001年)

|

« 観世音菩薩について (4) | トップページ | 電子版『今こそ自然から学ぼう』が発刊 »

宗教・哲学」カテゴリの記事

生物学」カテゴリの記事

認知科学・心理学」カテゴリの記事

コメント

合掌ありがとうございます。

最後の「人間らしく生きる」とは、大自然讃歌の中のお言葉をお借りしますと、「欲望を正しく制御し、神性表現の目的に従属させて生きる」ということになりますでしょうか?

ご説明頂きました脳の構造を見ましても、本能(=欲望)の部分が、大脳にがっちり覆われてそれに従属したような形になっていることからも、そう考えるのが“自然”なのかなと感じました。

今大自然讃歌を朗唱することが日課になりつつあります。機関誌6月号で特別掲載して頂き、感謝の気持ちで一杯です。

新鮮な感動とともに、どんなに時間がかかったとしても、やはり正しい信仰を人々に伝えることは必要なことなのだという確信を得ることができました。

また、縦書きにして頂いたのでスラスラ読めます。
ありがとうございます。

投稿: 前川淳子 | 2012年5月14日 (月) 12時45分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 観世音菩薩について (4) | トップページ | 電子版『今こそ自然から学ぼう』が発刊 »