観世音菩薩讃歌 (4)
観世音菩薩
天使かくのたまえば
天の童子声落として問う。
「師よ、四苦を感じ
四苦を恐るる吾は、
神の御国に相応(ふさわ)しからずや」。
天使答え給う――
汝は〝神の子〟として
神に愛されし自己を忘れしか。
神は完全にして、
神の造りたまいしすべての物も完全なり。
天の童子答えて曰く――
「されど吾に完全は見えず、
不備や欠陥
不足・不如意の多き世界のみ見ゆるなり」。
天使説き給う――
それは汝が〝神の子〟たる証(あかし)なり。
汝の内に〝完全〟の宿る証拠なり。
〝完全〟の尺度もちて
自己を測り
他人(ひと)を測り
社会を測るが故に、
足らざることのみ見ゆるなり。
〝完全〟の世界を今見んと焦燥すれば、
不足を想い
不如意を感じ苛立つ心起るなり。
現象の中に完全を求むることなかれ。
現象は時間と空間の制約を通し
実相が展開する過程なり。
過程は常に中途にして完璧ならざること、
楽曲が中途で完結すること能わざるが如し。
汝、人生の楽曲を正しく味わうべし。
曲の最中(さなか)に
完結を急ぎて声上ぐるは愚かなり。
曲は必ず完結するが故に、
心静かに曲の進行と転調を楽しむべし。
世界の実相、必ず完全なるが故に、
創造神(つくりぬし)を信じ
人生の変化と多様な進展を味わうべし。
天の童子再び問う。
「師よ、もし〝完全〟がすでに吾が内に在らば、
他人(ひと)や社会は余分なものに非ざるや」。
天使説き給う――
汝の内なる〝完全〟とは
肉体の汝に非ざるなり。
肉体の汝は
加齢とともに不完全の度増すばかりなり。
肉体の汝は
他人(ひと)より能力優るものあれど、
劣るものも数多(あまた)なり。
肉体の汝は
社会の一個の構成員にすぎず、
影響力小さく
体力弱く
死して消え去ること必定(ひつじょう)なり。
汝、肉体を「吾なり」とする妄想から覚めよ。
「肉体の奥に霊妙きわまりなく完全なる存在あり」
との教えを忘るべからず。
霊妙なる存在は
自他の差別を知らず。
霊妙なる存在は
社会と自己を分別(ぶんべつ)せず。
霊妙なる存在は
他人(ひと)と社会との調和に於いて
汝に〝完全〟を教示せん。
これ観世音菩薩の教えなり。
観世音菩薩は山におらず、
川におらず、
社寺におらず、
市井におらず、
汝の内に在るなり。
されど観世音菩薩は山として、
川として、
寺社・教会の彫像として、
市井の賢者として、
夫として、
妻として、
子や孫として、
時には罪人として、
病人として、
動植物として、
細菌やウイルスとして、
自然現象として、
汝に
内奥の教えを説き給う。
「汝ら億兆の個霊(みたま)も、
悉くこれ唯一神霊の反映(うつし)」なりとの教えを
想い起すべし。
汝らにとり「外界」と見ゆるもの
悉く「内界」の反映(うつし)なり。
外界に映れる不備や欠陥は、
内界の不備や欠陥の反映なり。
されど外界に見えたる神霊や菩薩も、
内界の汝らの「本性」の鏡像と知らざるべからず。
汝ら「肉体即ち人間なり」の迷いから覚めよ。
「肉体即ち吾なり」の自覚から
自他の差別生るるなり。
「肉体即ち吾なり」の迷妄から
内外の境界現ず。
神の世界の実相は
内外無差別(むしゃべつ)
自他一体
神我一体なり。
霊妙なる存在を「吾なり」と悟らば、
内外の境界消え
自他一体
神我一体の実相
霧晴るるがごとく
汝らの前に顕現せん。
――天使かく説き給えば、
天の童子の姿かき消え
虚空高く雁(かり)の一群の飛び行く姿見ゆ。
その時天空より大音声(だいおんじょう)の響きて曰く、
「見よ、雁と虚空と分(わか)つこと能わず。
虚空と山河と分つこと能わず。
山河と海は不可分なり。
すべての生物と地球は一体なり。
汝ら自らを一個の卑小なる肉体と見るべからず。
人間は山河なくして存在せず、
海陸と別に存在せず、
そこに生くるすべての生物と共に在るなり。
即ち、
すべての生物と山河と海陸は
汝の延長なり、
汝の一部なり、
汝の全体なり」
この時、空を行く雁の群
その数を百倍に増し、
さらに一千倍に拡大して天空を覆いたり。
されど稲妻一閃して
雷鳴轟き、
驟雨(しゅうう)は来り、
やがて日の差し来(きた)るを見れば、
虚空に雁の姿無く、
山々に草木萌え出で
海に無数の魚(うお)泳ぎ
陸には動物(けもの)走り
木々には虫たちの羽音満ち、
鳴鳥(めいちょう)の声山々に響き渡れり。
天使の声聴こえて曰く。
「見よ、これ実相世界なり。
すべての存在は一体にして、
しかも各々(おのおの)個性を有し、
互いに与え
互いに誉め
互いに導き
互いに愛す。
観世音菩薩すべてに宿り、
すべてのもの
観世音の教えを説かざるはなし」。
この時、
天空より風花の夥(おびただ)しく舞い散りて
陽光映してきらめく様は、
さながら観世音菩薩を称うる歌
万物こぞって歌うものの如くなりき。
(讃歌終)
【お断り】
本讃歌は、谷口雅春先生の「聖経 甘露の法雨」と「聖経 天使の言葉」から一部引用しています。ブログの機能の制約と読みやすさを考慮して、ページ数などの引用箇所の明示は省略しました。引用元の著作物は、谷口雅春著『四部経』(1966年、日本教文社刊)です。
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コメント
総裁先生,合掌,ありがとうございます。
「観世音菩薩賛歌」拝読いたしました。
まさに,「大自然・観世音菩薩」からのメッセージであると観じました。
大震災の被災地,東北の地でこの賛歌を朗読すると,一層感慨深いものがあります。
再拝
投稿: 佐々木(生教会) | 2012年5月31日 (木) 20時07分
合掌ありがとうございます。「観世音菩薩讚歌」最初から最後まで拝読しました。あまりの素晴らしさに感動して声が出ません。うんその通りと相槌を打ちながら夢中になって読みました。コメントの数が少ないのは、皆さん余韻に浸って見えるのではないでしょうか。「大自然讚歌」と共に早く本になるといいですね。待ち遠しいです。再拝
投稿: 横山啓子 | 2012年5月31日 (木) 21時57分
合掌 ありがとうございます 心が軽くなりました
素晴らしい天界からの交響楽です
投稿: 上田京子 | 2012年6月 1日 (金) 07時40分
総裁先生 「観世音菩薩賛歌」をご教示いただけたことで聖経の良く理解できていなかった面がわかりありがたく思います。合掌
投稿: 赤嶺里子 | 2012年6月 1日 (金) 09時04分
雅宣先生、素晴らしい長編詩をありがとうございます。
是非次回作も期待しております。
投稿: 大隈信康 | 2012年6月 1日 (金) 13時21分
総裁先生 合掌ありがとうございます。
いつも素晴らしいご指導感謝申し上げます。
機関誌6月号の「大自然讃歌」を読まれた白鳩会員のYさんから喜びの声が届きました。
Yさんは白鳩会員になって3年目で、母親教室で学ぶだけで、毎月送られてくる普及誌や機関誌も最近は読まないで積んでいたそうです。
ここ1~2ヶ月前からご近所付き合いのこと等、色々悩んで気持ちがもやもやしていたそんな時、ふと6月号の機関誌を手に取り「大自然讃歌」を読み進むうちに、まるで乾いたスポンジに水がしみ込むように、真理の言葉が流れ入り、心がスッキリされたととても喜んでおられます。
素晴らしい讃歌を発表いただき、感謝申し上げます。有難うございました。
投稿: 大朝節子 | 2012年6月 2日 (土) 20時13分