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2012年4月12日 (木)

科学雑誌の“神特集”

 イギリスの科学誌『New Scientist』が今年3月17日号(vol.213 No.2856)で“神特集”(The God Issue)を組んでいたので、私は興味深く読んだ。人間が抱く宗教心の謎を科学で解明しようというのだが、もちろん完全な解明にはいたっていない。が、科学による宗教の研究は、宗教を必ずしも否定せず、逆に洞察と肯定的評価を与えてくれるものが少なくないことが分かった。その1つは、人間は生まれつき信仰心をもちやすい傾向があり、そのことが進化に有利に働いてきたらしいということだ。別の言い方をすれば、“天使”や“神”を信じる人間の性向は、生来のものだということである。無神論者の中には、“神”の概念は支配者によって「上から押しつけられた」ものだと主張する人がいるが、事実はそれほど単純でなく、信仰心は人間の本性に根差していて、文明発展の原動力にもなっているらしい。

 カリフォルニア州パサデナ市にあるフーラー神学校のジャスティン・バーレット氏(Justin L. Barrett)によると、子供にとって宗教心は「教え込まれる」というよりも、むしろ言語の習得のようにごく「自然に生まれる」という。子供は生まれてまもなくの早い時期から、興味の対象や考える傾向に特別の好みがあるらしい。その中で特に重要なのは、生命のない「物体」と「行為の主体」(agent)とを判別する能力であるという。簡単に言うと、ボールや本はそれ自身では動かないが、人や動物は自分で動けるということを、赤ちゃんは早くから知っているというのだ。人間は高度な社会性をもっているから、環境の中の様々なものの中から「行為の主体者」に注目するという。そして、何かが起こった場合--特に、通常の因果関係によって説明しにくいとき--それが偶然起こったと考えるよりも、何ものかが目的をもって行った行為の結果だと考える傾向が強いというのだ。
 
 つまり、「行為者がどこかにいて、そのために何かが起きる」と考えるのである。「行為者は何かの目的のために行為する」と考え、しかも目に見えている必要はない。適者生存の原則が働く世界では捕食者を避け、獲物を捕えるためには、こういう考え方が必要なのだという。なぜなら、人間は地上の動物の中でも体は割合いに大きい方だが、武器を持たない場合は他の動物と比較して無力である。例えば、丸腰の人間が森の中でサルに遭った場合、1対1で戦えば、たぶんその人は負ける。ニホンザルは小学生より体が小さくても、鋭い歯や身軽さ、強い四肢の力などを総合すれば、人間より強いと言える。人がネコやイヌと丸腰で戦う場合も、同じことが言えるだろう。また、森の中で出遭う相手が猛獣であれば、その姿が見えた時はもう遅いかもしれない。姿が見えないうちに、相手の痕跡を素早く見つけて行動を起こす必要がある。何らかの“異常”を察知したら、それは偶然起こったと考えるのでなく、何ものかの行為によると考える方が、その逆だと考えるよりも生存に有利に働く--こう考えたとき、「物体」と「行為者」とを瞬時に、正確に判別する心の動きの必要性が分かるだろう。

 この心の動きの一種の“派生効果”として、様々な現象の背後にそれを起こした主体者がいると考える傾向が生まれるのだという。例えば、4~5歳の子供は、トラが動物園にいるのを見ると、「トラという生き物は小動物を食べたり、歩き回ったり、動物園で人間に見られるためにつくられた」と考える方が、「トラは確かにそういうことができたとしても、そんな目的のために作られてはいない」と考えるよりも“賢い”と思うという。これと同様に、一般に子供は、動物や植物は無目的にそこにいるのではなく、何らかの理由があって創造されたと考える方が“頭がいい”と思うらしい。この傾向は、何も子供だけがもっているのではなく、大人も同様だという。例えば、我々大人も、周囲の世界に一見して秩序があり、構図やデザインがあると思うと、それを持ち来した主体者がどこかにいると直感的に感じるのである。こういう考え方、感じ方が創造主である「神」への信仰に結びつくのだという。

 これは進化心理学的な興味ある分析で、この理論から導き出されるものの中には、子供の心理に関する従来の“定説”--子供の心はもともと空っぽで“白紙”であるという考え方--をくつがえすものがある。
 
 谷口 雅宣

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コメント

総裁先生,合掌ありがとうございます。

『一般に子供は、動物や植物は無目的にそこにいるのではなく、何らかの理由があって創造されたと考える方が“頭がいい”と思うらしい。』
この考え方よく分かります。特に子供が自然と接しているときに,教科書にはない「気づき」に驚かされます。
昨年はたんぽぽの葉の形(ロゼット)を説明しているときに,「太陽光発電みたいですね。」と言われて驚嘆しました。
再拝

投稿: 佐々木(生教会) | 2012年4月24日 (火) 20時06分

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