ツバキが説く観世音菩薩の教え
今日は初夏の日差しを思わせる好天の下、午前10時から長崎県西海市の生長の家総本山で「谷口輝子聖姉二十四年祭」が執り行われた。谷口輝子聖姉を祀る奥津城前の広場には、長寿ホーム練成会の参加者のほか地元・長崎県の信徒など約160人が参集し、生前の輝子先生の御徳を偲んだ。私は御祭の最後に概略以下のような挨拶を行った--
本日は谷口輝子聖姉二十四年祭に大勢ご参加くださり、ありがとうございました。
谷口輝子先生が昇天されてすでに24年が過ぎたということですが、昨年の二十三年祭のひと月前には東日本大震災と原発事故がありました。そこで昨年の年祭では、私は輝子先生のご著書『めざめゆく魂』から引用して「針供養」のことを取り上げました。これは一見、物質と見える縫い針に対しても、昔の日本人はそれをぞんざいに扱わずに、捨てるときには感謝の気持を込めて供養するという習慣のことです。このような精神が大切であるということを輝子先生は本の中で説かれているのですが、今の社会では“消費”が大切であるということで、十分使えるものでもどんどん廃棄してしまう……そういう精神が蔓延して、資源とエネルギーを浪費し、自然破壊を行ってきた。そんな戦後の我々の生き方を根本的に改めて、感謝の気持を忘れずに人や物に接し、できるだけムダを出さない生き方に切り替えていかねばならないということを申し上げました。この話は、私の新刊書『次世代への決断』にも収録されています。お持ちの方は、お帰りになってから読み返してみてください。
谷口輝子先生は人に対して愛が深かっただけでなく、このように物に対しても愛情豊かな生き方をされた人です。今日は、輝子先生の別の著書『こころの安らぎ』(1982年刊)から引用して、ツバキの話をしようと思うのであります。今年の春は遅かったですが、もうツバキの花は終ってしまいました。この植物は『日本書紀』や『万葉集』の昔から多くの日本人に愛されてきたもので、この本には昭和53年4月に書かれた「竹の葉と椿の花と」というご文章が収録されています。昭和53年という年は、11月にこの総本山の落慶大祭があった年です。輝子先生は雅春先生とともに、その3年前(昭和50年)に東京からこの地に移住されています。総本山とツバキとの関係では、この昭和53年当時、境内地の山にツバキを集めて植えるという計画があったようです。また、ツツジやサクラやウメも集めて植えるといい--そんな話もここには書いてあります。さらに、この長崎県と新潟県の県木はツバキだと聞いています。
このご文章の前半は竹の話で、後半にツバキの話が出てきます。そこに、植物学者の牧野富太郎博士の話としてツバキの語源について書かれています。それによると、ツバキの名前は「厚葉木」(アツバキ)「光葉木」(テルバキ)「艶葉木」(ツヤバキ)から来たらしいのです。分厚くて、太陽の光をよく反射して輝く葉をもっているという意味だと思います。ツバキ科ツバキ属の植物、学名は「Camellia japonica」であり、日本原産の常緑樹で、日本の照葉樹林の代表的な樹木です。成長すると樹高は20mに達するとも言われますが、日本ではツバキの大木はほとんど伐採されて残っていない。しかし、木質は固くて緻密で、木目が目立たないため、印材や将棋の駒など工芸品や細工ものに使われます。また、ツバキ油は良質で、燃料だけでなく、整髪用、高級食用油としても使われてきました。
このように人間にとって多くの恵みを与えてくれるだけでなく、ツバキが属する「照葉樹」と呼ばれる樹木からは、人間の生き方としても示唆的な、象徴的な意味を引き出すことができます。これはオークヴィレッジ代表の稲本正さんから教えてもらったことですが、照葉樹とはその名の通り、葉がよく太陽の光を反射するということです。ご存じのように、植物は太陽の光によってCO2と水から炭水化物を作ります。これには葉緑素が必要ですが、これが植物が一般に≪緑≫であることの原因です。この植物の働きによって初めて、動物が生活できます。また、この植物の光合成のおかげで、大気中のCO2の量が一定のレベルに保たれてきました。だから植物は、できるだけ多くの太陽光を吸収して、自分の体内に多くの炭水化物を作ることで成長することが、恐らく進化の上では有利に働いたはずです。ところが、照葉樹は、その大切な太陽光を反射するように進化したのです。つまり、自分で独り占めしないで、他の植物にも光を分け与えるために自分の葉を「鏡のように光らせる」という方向に進化をとげた。
私は、こういう生き方をこれからの人類はしなくてはならないと思うのです。これまでの我々の生き方は、自然界から奪えるものはすべて奪い、それを独り占めして人類ばかり数を殖やしてきた。それを、個人のレベルでも国家のレベルでも行ってきたので、争いや戦争が絶えなかった。そして、自然破壊や地球温暖化を進め、ついに生物全体にとって有害な放射線まで人工的に作り出し、核兵器や原子力発電などの技術を生み出した。そういう考え方や生き方では、もう人類の進歩は望めないどころか、人類の大量犠牲が予想される時代に来ています。そんな時こそ、私たちは日本原産の植物「ツバキ」から、観世音菩薩の教えを学ぶべきではないでしょうか? その教えとは、自然界は、他から奪うのではなく、他に与えることで繁栄する植物があるということです。それも例外的に存在しているのではなく、日本列島には照葉樹に属する植物はツバキ以外にも大変多くあります。ここに、そのリストをもってきました--
「構成樹種として重要なものはシイ、カシ類である。他に、高木層を構成する常緑樹としては、クスノキ科のタブノキ、カゴノキ、シロダモ、ホルトノキ科のホルトノキ、モチノキ科のモチノキ、クロガネモチ、タラヨウ、ナナミノキ、ツバキ科のツバキ、サザンカ、モッコク、モクレン科のオガタマノキ、ヤマモモ科のヤマモモ、マンサク科のイスノキ、ユズリハ科のユズリハ、シキミ科のシキミ、スイカズラ科のサンゴジュ、ハイノキ科のカンザブロウノキやクロバイ、バラ科のバクチノキやリンボク、裸子植物であるマツ科のモミやツガ、マキ科のイヌマキやナギ、イチイ科のカヤ等がある」。
輝子先生は、この照葉樹に属するツバキについて、先ほどのご文章を、次のような言葉で結ばれています--
「椿の林、つつじの山、桜や梅の園ができたなら、老いたる夫婦は足もとも軽々と、大地を踏んで出かけることかと、楽しいその時が待たれてならない」。(p. 27)
私たちは、人類の仲間にこの生長の家の真理をもっともっとお伝えし、人々に対して法施を実践すると共に、自然界に対しても奪うことをできるだけ避け、さらには照葉樹の生き方に倣って自然界の仲間に“与える生活”を推し進めることによって、豊かな自然と共生する社会を建設しなければならないと思うのです。私は輝子先生が今霊界で、そういう社会を実現したときのことを「楽しいその時が待たれてならない」とおっしゃっているような気がするのであります。どうか皆さまのお住まいのそれぞれの地域で、“自然と共に伸びる運動”をさらに強力に進めていってください。
先生の二十四年祭に際して、所感を述べさせていただきました。ご清聴、ありがとうございました。
谷口 雅宣