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2012年3月31日 (土)

新年度の始まりに寄せて

 私は、5年前に上梓させていただいた『日々の祈り』の副題を「神・自然・人間の大調和を祈る」とした。その理由は当時のブログにも書き、またこのたびの新刊『次世代への決断--宗教者が“脱原発”を決めた理由』の序章でも、ブログの文章を引用して説明した。それをごく簡単に言えば、ヨーロッパ中世以前の世界では「神→自然→人間」の階層秩序が厳然として続いていたのに対し、産業革命以降は、この関係が急速に崩れ、今では「人間→(神)→自然」の関係に逆転してしまった。「神」の文字が括弧に入っているのは、多くの人間にとって、神はもはや存在価値がないと思われているからだ。つまり、彼らにとって「神は死んだ」のであり、だから何の恐れもなく、自然を手なずけて自分の道具や消費の対象とし、徹底的に利用する。それが、幸福を得る方法だと考えるのである。そういう人間中心主義的で、物質偏重の考え方が現代文明の基底にはある。だから現代は、神・自然・人間の三者の関係は大方が対立的であり、敵対的でさえある。
 
 2001年にアメリカで起こった同時多発テロ事件は、“神”(宗教)の名の下に現代文明の経済と政治の中心地を破壊しようとした信仰者の行動として見ることができる。もちろん「正しい」という意味ではなく、犯行者の世界観がそうだったということだ。また、その後に起こったアメリカを主体としたアフガニスタン、イラクへの報復攻撃は、“人間”(世俗主義)の側の“神権政治”への戦いとして捉えることができる。さらに、とどまることを知らない人口爆発と、経済発展の名のもとに進行している地球温暖化などの自然破壊は、人間の自然界への攻撃であり、その結果、人類が体験しつつある洪水、旱魃、大雪、大嵐などの異常気象や気候変動は、自然の側からの人間への報復とも見て取れる。そして、昨年3月11日に起こった東日本大震災とその後の原発事故は、自然と人間との衝突を最も劇的に、衝撃的に、そして象徴的に示した出来事だったと感じられるのである。
 
 私はこのことを、大震災後に発表した「自然と人間の大調和を観ずる祈り」の中で、次のように述べた--
 
「人間が自然を敵視すれば、その迷い心の反映として、自然の側から“敵”として扱われるような事態が現れてくるのである。人間が山を削り、森を切り倒し、川を堰き止め、湖や海を埋め立てて、人間だけの繁栄を画策しても、それは神の御心ではない。それは神が“はなはだ良い”と宣言された実相世界とは似ても似つかない“失敗作品”である。実相でないものは、必ず破壊と滅亡を迎える時が来る。それは偽象の崩壊であり、業の自壊である」。

 このような事態に到っている原因は、何だろうか? 私は、その原因の1つは、人間が自然から略奪したり、自然を敵視して破壊することが人間の幸福につながるとする迷妄があると感じる。また、人類の集合的無意識の中に、自然に対する愛と憎悪のコンプレックス(欲望)が渦巻いているのではないか。これらを解消し、あるいは昇華するためには、私たちが日常的に「神-自然-人間」の大調和を心に強く描くことが必要だと考える。実相においては、自然と人間は神において一体である。そのことを心に強く印象づけるために、私はすでに祈りの言葉を書き、『日々の祈り』に収録した。恐らく多くの読者は、それらの祈りを日常的に実践してくださっているだろう。

“自然と共に伸びる運動”を進めている私たちは、今後もこの方向にさらに努力を重ねていくべきだろう。明日から始まる「第二次5カ年計画」では、国際本部の“森の中のオフィス”への移転を契機として、「自然と人間の大調和」実現の方向に運動全体の焦点を合わせていくことになる。私は、今後その方向に“コトバの力”をさらに拡大していくために、これまでの「祈りの言葉」とはやや形式が異なる長編詩を書いたので、何回かに分けて本欄で発表させていただきたい。

 生長の家の詩としては、谷口雅春先生の『生命の實相』第20巻(頭注版)聖詩篇に「生きた生命」や「光明の国」「夢を描け」など十数篇が「生長の家の歌」として収録されている。その筆頭は、現在「甘露の法雨」と呼ばれている有名な長編詩だ。これの後篇が「天使の言葉」であり、これらは生長の家の真理を凝縮した「聖経」として取り扱われている。私の長編詩は、形式としてはこれら聖経に似てはいるが、それに取って代わるものでは決してない。そうではなく、むしろ聖経で説かれた真理を引用しながら、聖経では強調されていなかった方面の教義--例えば自然と人間との関係など--について補強を試みている。読者諸賢からの感想をお待ちしている。
 
 谷口 雅宣

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コメント

先生、ありがとうございます!! 長編詩のご発表を楽しみにしております!!!!!

投稿: 小林光子 | 2012年4月 1日 (日) 10時24分

総裁先生、ご発表を心待ちしております。ありがとうございます。

投稿: 伊藤啓子 | 2012年4月 1日 (日) 20時19分

私は物心ついた頃より、自然の中で、地球の息づかいを感じて生きるのが好きでした。自然を壊す開発を、泣き叫んで見て来ました。まだ子供でしたから、見てるしかありませんでした。大人になってからは、なんの肩書きも持たない一市民の意見が簡単に受け入れられない現実を見ました。地球環境問題は、地球の声を聞くことのできない一部の権力を持った人間のしたことで、私のような人間は地球とともに被害者のように思っていました。でも、最近、それは違うな、と思うようになりました。雅宣先生が「原因は何だろう」とおっしゃられているように、私も、「もっと深い原因があるな」と考えます。
長編詩、楽しみにしてます。合掌。

投稿: 水野奈美 | 2012年4月 1日 (日) 20時37分

合掌 総裁先生!いつも進むべき道を的確にご指導ありがとうございます。ご文章の中にある 「明日から始まる「第二次5カ年計画」では、国際本部“森の中のオフィス”への移転を契機として、「自然と人間の大調和」実現の方向に運動全体の焦点を合わせていくことになる」・・・というご文章を指標にしなければならないと思わせていただきました。一直線には行かないかも知れませんが、方向性を見失わないようにしなければと思わせていただきました。再合掌 島根教区 石田 盛喜代

投稿: 石田 | 2012年4月 2日 (月) 22時55分

合掌有り難うございます。

先日、地球イチバンというNHKの番組で、世界でイチバン幸せな国としてブータンが紹介されていました。私は見終わって「ああ、ここに神-自然-人間が調和した世界がすでに現れている!」と思いました。本当に衝撃を受けました。信仰に根付いた政策が展開されていて、そこが日本と違うところだな、と感じました。

日本の政治家の中に正しい信仰を持っている方がどの位いるのだろう‥と思ってしまいます。‘第一のことを第一にする’を信条にして政策を行ってもらいたい‥と求めても仕方ないことなのでしょうか。

投稿: 前川 淳子 | 2012年4月 2日 (月) 23時33分

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