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2012年3月 1日 (木)

“至上階の愛”の実践者となろう

 今日は午前10時から、東京・原宿の生長の家本部会館ホールで「立教83年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」が執り行われた。同式典で、私は本部褒賞の授与式の前に挨拶に立ち、概略以下のようなスピーチを行った:
 
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 今日は生長の家の立教記念日、誠におめでとうございます。この記念日は、今から83年前に生長の家創始者、谷口雅春先生と輝子奥様が月刊誌『生長の家』創刊号を発行された時、その奥付に発行日を「昭和5年3月1日」と記されたことから決まったものであります。創刊号が実際に入庫したのは、その前の年の大晦日ごろだったようであります。この『生長の家』誌創刊号は復刻版が出ているので、今でもその中身を手にとって見ることができます。私は毎年のように、この立教記念日には創刊号の中から引用して、お話をすることにしているのであります。なぜなら、この創刊号には生長の家を始められた当時の両先生の想いと考え方、この運動の基本的精神が大変よく出ているからであります。それをこの日に再確認することで、いつの時代にも我々の運動を立教の精神に沿って展開していきたいと思うのであります。

 今日はまた、この日付で発行された単行本も持ってきました。すでにご存知の人も多いと思いますが、ここにあるのは私がこのたび上梓させていただいた本で、タイトルは『次世代への決断ーー宗教者が"脱原発"を決めた理由』です。この本には、約1年前に起こった東日本大震災と原発事故の後に私が書いた文章と、全国幹部研鑽会での講話などを集めてあります。何を言いたいかは副題にある通りですーー「宗教者が脱原発を決めた」ということであり、その理由は何かということです。生長の家はこれまで原発について曖昧な態度をとっていたし、どちらかというと反対するよりは容認する姿勢でした。これは、ほとんどの日本人が政府や電力会社が主張してきた「原発は絶対安全」という言葉を信じてきたのと同じで、まあナイーブだったのですね。実情をよく知らなかった。しかし今回、実際に地震と津波で原発は破壊されることを目の当たりにして、原発と私たちの生活、ライフスタイルの関係を考えざるを得なくなった。その結果、今日本では大別して2つの考え方が生まれています――1つは、我々のエネルギー無駄遣いのライフスタイルはもう変えられないから、原発の安全性を高めて今後も使い続けていこうというもの。もう1つは、原発の安全生は結局保証されないから、省エネ努力を続けながら代替エネルギーの開発を急ごうというものです。生長の家は、大別すると後者の考えに属すると言えますが、ただし、後者の人たちが言わないことも言っています。

 それは、省エネ努力はもちろんだが、それ以上にライフスタイルを変えなければならないし、それを実行する思想も方法も提示しているということです。それは「日時計主義」の生活であり、「すべては神において一体」という信仰です。そういうことがこの本には具体的に詳しく書いてあるので、皆様にはぜひ読んでいただきたいのです。それで、一体この“脱原発”のことが、生長の家の立教の精神とどんな関係があるかという話を、今日はしたいのであります。

 私はもう数年前から、自然界のものに対しても四無量心を実践しようと皆様方に訴えてきました。四無量心とは、慈(抜苦)・悲(与楽)・喜(喜徳)・捨(捨徳)という仏の無量の心です。谷口雅春先生もこの四無量心が大切であることを色々なご本の中で説かれてきましたが、『生長の家』誌創刊号にも、「四無量心」という言葉は使われていませんが、同じ内容のことがちゃんと書かれているのであります。そこを紹介したいのであります。これは、「三種の愛」という題で書かれたご文章で、28~31ページにあります。ご存じのように、四無量心とは「神の無限の愛」とも呼ばれていますから、この御文章は、愛をどう実践すべきかを教えている。四無量心では4つに分類されているものを、ここで先生は3つに分けて「三種の愛」としているのです。読みます――

「愛せよ。少しも求めずに愛せよ。これが愛の秘訣である。
 こんなに愛してやっているのに相手は斯うだと批難するな。呟くな。
 愛は、その結果がどうなるからとて愛するのであってはならない
 愛すること、そのことが神の道だから愛するのだ。
 愛すること其のことが幸福だから愛するのだ。
 結果をもとめた愛は必ず不幸に終る。
 愛の三つの段階--
 第一階は愛した結果の利益を予想するところの愛である。これは功利的な愛である。利益にならなければ腹が立つ。
 第二階は、相手が喜んでくれるから愛するのである。これは功利的ではないが相手が喜んでくれなかったり、相手が自分の好意に気がついて呉れなかったら腹が立つ。
 第三階は至上階に位する愛である。第一階の愛も、第二階の愛も共に“我”がある。“自分がこうした”“自分がああした”“然るに彼は”と云う風に、“自分”と云うものを脱け切っていない。
 至上階の愛は“自分”を全然脱却している。それは飄々乎として捕えんと欲すれど捉えることが出来ない。“先刻はこんな結構なことをして頂きましてどうも有り難う”と云われても、“ヘエ、わたしが? 何時そんなことをしましたかねえ”と空とぼけるのではないが、心から自分の愛の行為を忘れて了ったような愛である。
 それは自分がしたのではない神と偕なる時、おのずから出来た愛であるから、“自分がした”と云う感じが少しも残ってない。
 これが惟神(かんながら)の愛である。神流れの愛である。神催しの愛である。神と偕なる愛である。大菩薩の愛である。
 生長せんとする家はこの大愛を目標にして進まねばならない。
 家庭の葛藤は、姑と嫁との争いは、夫婦親子間の紛争はすべて“自分が斯うしてやったのに、彼は斯うした”と云う不平から起るのである。
 こうした不平は自分が神から遠ざかったことの証拠である。
 かかる不平起れば他を叱する前に自己を一喝せよ! 喝!」
 
 このように雅春先生は、自我を放下した愛、無償の愛を実践するのが、「生長せんとする家」――つまり、生長の家の信徒――の生き方であると説かれているのです。こういう愛は「仏の四無量心」と同じ意味ですから、今の私たちの運動は創刊号の精神に則っていると同時に、そこから現代の要請に応じて発展していることがお分かりだと思います。では「現代の要請」とは何でしょう? それは、我々の資源やエネルギー浪費の生活によって自然破壊と地球温暖化が進行し、そのために多くの人々が犠牲になっているし、これからの次世代の人々も困難な状況に陥る。これを何とかしなければいけないという問題です。そのことについて、私の新刊書の一節を紹介します。これは、81~82ページにある文章です――

「“天災”が起こることと関連してもう一つ、私が講習会の話で触れたことに“人間の活動”がある。これは、人間の活動によって地球温暖化が起こるという事実を考えれば理解しやすいだろう。今や世界の人口は70億人を超えたという。これだけの数の人々の大多数は河口や海岸近くに集中して住んでおり、都市化と近代化の波に乗って化石燃料を大量に使い、二酸化炭素を大気中に大量に放出しつつある。これによってヒマラヤやアルプスの高山の雪が溶け、氷河は後退し、極地の氷は溶けて海中に流れ出し、全世界で海面上昇が観測されている。言うまでもなく、海面上昇は河口や海岸に住む人々の生活に直接影響する。また、科学者の研究では、地球温暖化は台風やハリケーンを巨大化させ、集中豪雨や旱魃を深刻化させることが指摘されている。こういう事実を踏まえて考えてみると、いったい“災害”とはどこまでが本当の意味で“自然に”起こる現象(天災)であり、どこからを“人間の活動”の結果--つまり、人災--と見なすべきかは、きわめて判断がむずかしくなる。

 そういう状況下で、“人間は神の子である”という信仰をもって生きるということは、どう考え、どう行動することなのだろうか? これは“すべては自己の責任である”という自覚をもって生き、行動することだ。“天災”というような、自分と関係のない“巨大な怪物”が突然、自分を襲うのではなく、自分を含めた人類の過去からの行動が積み重なって生じた結果を(一部は予測できていたにもかかわらず)、我々は不本意にも摘み取りつつあるのである。だから、この種の災難を避けるためには、正しい知識にもとづいて正しく判断し、行動することが大切である。我々の行動の基準を“欲望”に合わせるような生き方は改め、化石燃料を使わない、また生態系を破壊しない生き方へと転換することが求められているのである。」
 
 ここに引用したことは、つまり「欲望優先」の生き方はもうやめて、他の人々や国々、さらには次世代の人々、そして自然界の動植物にも心を遣った「四無量心」を実践することが結局、長期的には人類のため、子孫のため、そして自分の魂の向上のためになるということです。ぜひ、この「生長の火」をさらに高く掲げて、より多くの人々にみ教えを伝え、“至上階の愛”を実践する人々を増やしていこうではありませんか。

 立教記念日に当たって所感を述べさせていただきました。ご静聴、ありがとうございました。

 谷口 雅宣

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コメント

「至上階の愛」
つくづくそう思います。目の前にあるもの、全てが私に、これを使って愛を表現しなさい、と与えられたものであると思います。自分の服、自分の本、自分のお金。全ては私のものではなく、愛を表現するために預かったものである、と。
わかっていても、家族との折り合いがからんで、なかなか素直に愛が出せなかったりしますが、「至上の愛」。最大限に表現していきたいと思います。ありがとうございます。

投稿: 水野奈美 | 2012年3月 1日 (木) 18時52分

合掌  3月1日は 立教記念祝賀式と共に生長の家総裁法燈継承記念と言う信徒にとっては真におめでたい日に"次世代への決断 "御出版感謝申し上げます。松江道場においてはこの佳き日に 信徒たち集いて道場の始まりから谷口雅春先生、清超先生におかれましては松江にご縁深き有難いと言うおもいがありまして皆様と楽しく会話をいたしました。
総裁先生におかれましては「国際世界平和信仰運動」「森の中へ行く」「脱原発」など大きなテーマを掲げられ、信仰者は人を救うばかりでなく、神様が創造された全ての「生きとし生ける」ものへ至上の愛を実践することを説かれ、生活実践に繋がるよう発信いただいております。私も個人的にも 多から奪わない生活を歩みだしております。 再拝

投稿: 足立冨代 | 2012年3月 4日 (日) 21時11分

 総裁先生 合掌ありがとうございます。

聖使命新聞を読ませていただきました。有難うございます。その中で 竣工25年3月31日予定 となっている建物の中に 数時間、1日、2日 入らせていただけるようになるのでしょうか。研修生のほかに。

 明るい希望を心に歩んでいる 山本 順子 の質問です。 すみません。

          再 合掌

投稿: 山本 順子 | 2012年3月 6日 (火) 09時54分

山本さん、

 “森の中のオフィス”のことをお尋ねですね?
 オフィスで仕事が行われる段階になれば、見学者を案内する係も設ける予定です。ですから数時間の見学は問題ないでしょう。ただし、1~2日間、ずっとオフィスを見学できるかどうかは、わかりません。そこは基本的に事務所ですから、どうしても仕事優先ということになると思います。

投稿: 谷口 | 2012年3月 6日 (火) 13時53分

総裁先生 

合掌 ありがとうございます。

 早速のお返事ありがとうございます。
 安心して 至上階の愛 を 実践させていただきます。うれしい限りです。有難うございました。

    

投稿: 山本 順子 | 2012年3月 6日 (火) 17時35分

雅宣先生有難うございます。早速、「次世代への決断」を読ませて頂いています。表紙のこどもの姿を見て、次世代への決断と言う言葉の深い意味と感動を感じました。雅宣先生は自分の書く本は、聖典ではない、と仰いますが、今私たちが知らなければならない事を、やらなければならない事などを解りやすく説いてくだっさていて、本当に有難く思います。一度読んで、それで御終いでわなく、また何度も何度も読むと、そこに深い意味や思いに気づかされて、心動かされます。日時計主義の教えも、私たちに解りやすく、どのようにしたらいいか、手取り、足取りで説明して下さりまして本当に有難く思います。日常の中に聖地を見出す活動ですね。有難うございます。再拝

投稿: 有馬真由美 | 2012年3月 7日 (水) 23時53分

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