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2012年2月18日 (土)

『次世代への決断--宗教者が“脱原発”を決めた理由』

Nextgen2 昨日、表題の私の新刊書を受け取った。昨年3月の東日本大震災の後、私がブログ「小閑雑感」などに発表してきた震災や原発関連の文章をまとめ、さらに最近の生長の家全国幹部研鑽会などでの講話を加え、最後に「序章」を書き下ろして1冊にしたものだ。386ページと分厚い本になってしまったが、信仰をもつ者が大震災後の日本と原発事故後の世界を考える際、ぜひ参考にしていただきたいメッセージを含んでいる。本欄の読者の皆さまには、とりわけご一読をお願いします。
 
 谷口 雅宣
 
 以下、本書の「はしがき」を転載するーー
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はしがき

 2011年も終わろうとしている師走の朝に、本書の締めくくりとしてこの文章を書いている。この年は、とてつもなく大きな出来事が続けざまに起こったとの感想をもった人は、私だけではあるまい。

 1月早々から、大方の専門家の想像を超えて、中東と北アフリカの諸国で“アラブの春”と呼ばれる“民主革命”が次々と起こり、それが現在も続いている。「民主革命」と書くと聞こえはいいが、長期独裁政権が倒れた後に民主主義にスムーズに移行することは、歴史的にもごく稀だ。だから、エジプトを始め“アラブの春”を経験した国々では、政情不安や流血が今もなお続いている。三月には東日本大震災が起こり、大津波で破壊された原子力発電所は9カ月後の今、やっと応急処置をすませたところで、最終的な修復と無害化には最長四十年かかるとされている。7月には紀伊半島を台風12号が襲い、山々の斜面で「深層崩壊」と呼ばれる深い山肌の崩壊が起こるなど、深刻な洪水被害が出た。これらの大地震や洪水など“自然災害”によるこの年の犠牲者数は、日本の近代史の記録を塗り替えるものだった。

 このあと、東南アジアのタイでも長い大雨により大洪水が発生し、多くの人命が失われたのはもちろん、世界の製品供給が大きく混乱した。12月に入ってからも、台風21号の大雨によってフィリピンが甚大な被害をこうむっている。このほか、経済の分野では、ヨーロッパの金融危機が世界の投資家を震撼させており、国際政治では北朝鮮の金正日総書記の急死で、日本を含む東アジア情勢は緊迫している。

 地震や台風などによる大きな災害は、毎年のように起こる。だから、これらを“自然災害”と考え、半ば諦めて生きることもできるかもしれない。しかし、世界人口が70億人を超え、人類のエネルギー消費量が膨大になっている現在、地球温暖化など人間の活動による自然への影響は決して無視できない。このため、世界の指導者は人間の活動に一定の制限を加えることで、将来の気候の激変とそれにともなう食糧生産への悪影響を最小限に抑える必要性には気づいているだろう。
 
 しかし、必要に気づくことと、その必要に応じた対策を実行することとは別のことである。この12月に京都議定書に続く温暖化対策を話し合った国際会議においても、恐らくすべての参加国の代表者たちは対策の「必要性」を知っていたはずだ。にもかかわらず、今後の対策をどう実施するかについて、ほとんど実質的な合意ができなかった。温室効果ガスの排出削減が必要なことを全員が認めていても、それをどう実行するかの段階で、自国の利益に固執して合意に至らなかったのである。
 
 私はここに、喫煙家がタバコをやめる必要があることを知りながら、禁煙できないでいるのと似た関係を想起する。我々はよくこれを「中毒現象」と呼ぶが、仏教では「業」という言葉で説明される。ひと言でいえば、人間は“習慣の力”に強く影響されるということだ。繰り返して行われてきたことは、将来に向かっても同一方向に繰り返される力をもつのである。特に、その方向が自分の目先の利益にかなっているように見える時、習慣の力は我々の理性を曇らせ、問題の全体像を見えなくさせてしまう。
 
 この“習慣の力”がどんなに強力であるかを、私は最近の地球温暖化交渉の報道の中で感じただけでなく、各国のエネルギー政策、とりわけ原子力発電をめぐる態度に感じている。東日本大震災による東京電力福島第1原子力発電所の事故で、早々と“脱原発”を決めた国がいくつも出たが、その一方で、原発を新たに導入したり、原発への依存度を高める動きをしている国々もある。私は本書ではっきりと「脱原発」を訴えている。これは何も日本に限定したことではなく、人類の選択として原発の利用は間違いだと考えるからだ。ところが、原発を国策として推進してきた日本政府の態度は、事故後もきわめて曖昧である。国民に向かっては“脱原発”を志向するような言い方をしていても、産業界に対しては原発の輸出を奨励するような態度を示している。これでは二重基準(ダブルスタンダード)を使っていると言われても仕方がない。

 原子力発電が抱える問題には、国境はない。このことは、福島第1原発の事故で我々は充分に知ったことではなかったか。大気も海も世界の共有物であり、それが放射能で汚染すれば人類すべてが、否、生物界全体が被害を受けるのである。そういう可能性を含むものを海外へ輸出することで、日本国民の健康や日本の国土の安全が向上するはずがないのである。しかし、12月25日付の『日本経済新聞』は次のように報じている――

「日立製作所など原子力発電プラント大手が新設計画の相次ぐ海外での事業を拡大する。日立は東南アジアで原発専門家の育成を本格化する。東芝は子会社の米ウエスチングハウス(WH)と組みブラジル進出を検討、米国には2012年初めから技術者を派遣する。福島第1原発事故の影響で国内での原発新設は当面見込めない。各社は海外シフトを加速し、事業の継続と拡大につなげる。」

 ここに名前が出ている日本企業は、もちろん政府の一部門ではない。しかし、三菱重工とともに、これらの企業は自民党の長期政権下で、国策振興のために国内で先頭に立って原発の建設を進めてきた企業であり、かつ有力な経済団体の主要メンバーである。もちろん、行政機関との関係も深い。それらの巨大企業が国内の仕事場を失ったからといって、海外へ建設をシフトしても、原発の問題が消えるはずはないのである。否、技術力や政治の安定性、国際関係の影響などから考えても、原発の問題は輸出先でより深刻化する可能性が大きい。にもかかわらず、原発推進の動きが継続しているのは、人類全体の中での“習慣の力”すなわち「業力」の強さを表している。

 業力は一種盲目的な力であるが、人間には天与の宝である「理性」というものが存在する。喫煙には中毒症状をともなうが、それを理性によって振り払い、禁煙に成功した人の数は限りがない。私は、本書の読者が、人類のいま置かれている状況を理性によって正しく理解され、原発に依存する“エネルギー中毒”の生活から遠ざかる道へと、決然として歩み出されることを願ってやまない。それが、私たちの子や孫世代のための責任ある決断だと考える。そのような道の一つとして、本書では宗教的な立場から「自然の背後に人間以上の価値を認め、自然物に四無量心を行じる生き方」を提案している。

                            2011年12月26日    著者記す

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宗教・哲学」カテゴリの記事

コメント

合掌ありがとうございます。新刊本が発行されたとの事ですが。いつかは出版されるのではないかと思っていました。去年の12月にこのブログに載っていた“ダーバン合意”の記事を読み返して見ました。その時のコメントで浜岡原発の事を語り、薪ストーブの事で論議に花が咲きました。その後、もし浜岡原発がメルトダウンを起こしたら実家に避難しようと考えていました。2月16日付けの新聞に原発に関するニュースが載っていました。福井県の美浜原発と静岡県の浜岡原発がメルトダウンを起こしたらという想定でした。30キロ圏内になる為、岐阜県内にいる限り、駄目だという事でした。新刊必ず購入して読みます。又、読みましたら、感想を書きます。再拝

投稿: 横山啓子 | 2012年2月18日 (土) 15時51分

総裁先生、新刊本楽しみにしています。

フェイスブックで電子本について述べられていますが、電子本での発行も予定されているのでしょうか?

投稿: 近藤静夫 | 2012年2月19日 (日) 08時50分

横山さん、
ご声援ありがとうございます。1度に2箇所の原発が事故を起こすことは考えにくいですが、ミサイルで攻撃されればそうなるかもしれません。そんな事態にならぬよう外交をきちんとしてもらいたいです。

近藤さん、
この本の電子化については、今のところ予定はありません。が、別の本の電子化は実現しそうです。

投稿: 谷口 | 2012年2月19日 (日) 21時52分

合掌 ありがとうございます。
数年前に点検中の原子力発電所を見学する機会がありました。一般の方々より奥まで見学いたしました。一人一人が競馬場の馬が通るゲートのような所を通って入り、肌を出さない服装で、靴を履き替え、手袋をはめて奥へ進み、説明を受けても、チンプンカンプンでしたが、大きな機械と見た事のない装置?にびっくりしていました。作業員の方は潜水服に似た作業服を着ていて、脱ぐところを見ましたら汗びっしょりでした。

帰りは借りた手袋と靴と上着を返し、放射能を検査するやはりゲート(一人が通れる)に入り、頭上から検査の機械が降りて来て数十秒だと思いますが、大丈夫なら外へ出る扉が開きます。
こんなにしているから安全だと言う訳ですが、こんなにまでしなければならない物が安全だろうか?という疑問を持ったまま見学を終えました。

その疑問は昨年の災害で、原発はだめだ、という結論になりました。そして平井憲夫さんの記事をネットで知り、読みました。ますます原発はいけないとの思いを深くしています。
原発に関する署名運動にも少し加担しました。

雅宣先生の新刊書が発刊されると知り、早く読ませていただきたいと思っています。
下手な説明と文章で申し訳ありません。
恵美子先生の聖歌のような平和な地球の実現を祈っています。

投稿: 小澤悦子 | 2012年2月19日 (日) 22時18分

合掌 ありがとうございます

参加国の代表者たちは対策の「必要性」を知っていたはずだ。にもかかわらず、今後の対策をどう実施するかについて、ほとんど実質的な合意ができなかった

←おそらく多くの人々が地球環境問題について同じ思いをもたれていたとおもいます。2011年は地球は私達に本当に多くの問題をなげかけてくれました。そしてそれは、必要性を知っていて動けなかった人々に、動き出す力を与えてくれました。先日の、京都地球環境の殿堂表彰式の時の記念講演も、「黙ってみてないで、やるぞ!」といった話でした。
雅宣先生の新刊書「次世代への決断」も、そういった内容であるように思いました。さっそく買って読んでみたいと思います。再拝

投稿: 水野奈美 | 2012年2月20日 (月) 19時18分

吉沢さん、
“左翼"という呼称は、もう時代遅れではないでしょうか? ソ連は崩壊して久しいし、中国は資本主義の亜流を追求しています。それに、日本ではもう誰も北朝鮮を理想国家だと思う人はいないでしょう。かつての“左”はもう消えかかっているのです。

投稿: 谷口 | 2012年2月20日 (月) 23時21分

私も吉沢さんの意見に賛成です。小学校でも中学校でも卒業式では当たり前のように君が代斉唱の時間がありました。高校と短大はプロテスタントのミッションスクールでしたので、国旗の掲揚はするがそれを拝んだり君が代斉唱したりはなかったので不思議に思ったりしました。現在、卒業式で君が代斉唱するのは生命学園で学んだ子供達と生長の家の信者だけだそうです。嘆かわしい事だと思いました。前にこういう意見をしましたら「お前はアカか?」と言われました。その時は意味が分かりませんでしたが、左翼的な考えの持ち主と思われた事が後で分かりショックでした。日本人に生まれた以上当たり前ではないですか。裁判になる事はおかしいと思います。精神と肉体に異常をきたす事自体既に異常だと思います。発言がおかしかったらごめんなさい。削減してもらってもいいです。再拝

投稿: 横山啓子 | 2012年2月23日 (木) 07時17分

総裁 谷口雅宣先生                脱原発は万人の願いになってほしいと思います。「皆神の子ですばらしい」という清超先生のお心の中に左翼、右翼と思われる類の方々は入っていないのでしょうか。かって、白鳩中央部の副会長であられた小関忍先生が共産党の家に嫁ぎ信仰の力で小関家に日の丸を掲げることができたというお話を思い出しました。小関先生の体験と脱原発は違う次元の事でしょうか。私には、よくわかりません。ご教示いただけるとありがたいと思います。  

投稿: 赤嶺里子 | 2012年2月23日 (木) 11時41分

赤嶺さん、

>> 「皆神の子ですばらしい」という清超先生のお心の中に左翼、右翼と思われる方々は入ってないのでしょうか<<

質問の意味がいま一つ分からないのですが、清超先生の本の題名にある「皆」は「人間は皆」という意味ですから、左翼も右翼も入っているに違いありません。

投稿: 谷口 | 2012年2月23日 (木) 22時20分

総裁先生ありがとうございます。

「右翼と左翼」という概念については、互いに対立している政治的関係があった上で用いられる言葉でありつつも、その概要(中味?)は国や地域によって異なるため、それらを明確に説明することは難しいと思います。
(例として、かつてのソ連や中国の国家的視点からは、社会党や共産党は右翼に該当する。)

また、かつて自衛官であった頃の私の公安という立場から見た場合は、「右翼=日本の国家にとって良い存在」というものではないため、なおさら判断が難しくなります。
(「国民の生命と財産を守る」ならびに「市民の安全を守る」立場としては、思想的左右よりも国民の安全性を確保できるかどうか?が判断基準になるため、この基準から外れる(可能性も含む。)思想や団体などは、国家の公安的見地からマークされる対象になりうるということです。)

そして、これら「右翼と左翼」という概念は現象世界におけるものなので、〝人間は神の子である〟という実相世界における普遍的法則の中では〝右も左もなく相互に共存していて平和で素晴らしい〟というのが清超先生がお説きくださっている真意だと思います。

さて、脱原発についてですが、思想的左右の如何に関わらず人類の光明化を推進する上で、世界的見地とグローバルな発想から考えれば、当然の如く〝脱原発〟を実現可能な大きな目標として掲げるべきだと思いますので、最新刊を読める日が待ち遠しいです。

ちなみに余談ですが、「右翼=青色」や「左翼=赤色」という発想の原点は、航空機の左右を夜間でも識別できるように定めた規定の中で〝航空機の左右の主翼の端に『翼端灯』を設けること〟が定められており、「右側が青色の灯火」で「左側が赤色の灯火」という規定があるところに由来しているようです。(これは世界共通の規定です。)

感謝再拝

投稿: 阿部裕一 | 2012年2月27日 (月) 15時27分

ありがとうございます。
私は公立学校の教員ですが,私の知っている限りでは,卒業式に「日の丸」を掲げ,「君が代」を歌うのは当たり前のようにしています。私の勤務校では始業式・終了式(通信簿を渡す日)にも「君が代」を歌っていますが,異論を唱える職員は1人もいません。何より,子供たちは純粋に「君が代」を喜んで歌います。1年生の音楽では「日の丸」という唱歌が必修になっています。これも1年生は「日本の旗の歌だよ!」といって喜んで歌います。これは当たり前のこととしてそのままで尊いのではないでしょうか。寧ろ,一部の学校の異常な現象をことさらに取り立てて騒ぐマスコミに問題ありと感じます。
原発に関しても,もともと大量破壊兵器の原料である物質を発電に使うこと自体が異常であるわけで,あの大震災をきっかけに世界中の人々がそのことに目を向けはじめたことは,大きな前進だと思います。
              再拝

投稿: 佐々木(生教会) | 2012年2月27日 (月) 20時21分

皆さんへ、

 明日から本部会館で生長の家代表者会議がありますが、それに合わせて『次世代への決断』が相当部数、入庫するそうです。本部の聖典頒布所でお求めください。また、私のサイン入りのものも50部ほどあるはずです。

投稿: 谷口 | 2012年2月27日 (月) 21時57分

 左翼思想、右翼思想と云った議論が起こっていますね。僕は団塊の世代ですが、僕達が学生時代によくマスメディアを賑わした言葉ですね。
 まだ生きた言葉なのですね。

 僕達の世代には確かにまだ「右より」「左より」といった感覚が残っています。

 僕達の感覚で云いますと、例えば憲法25条に「すべて国民は健康で文化的な生活を営む権利を有する」とありますが、誰かが健康で文化的な生活をしたいと努力しているとき、誰もこの努力を妨げないことを国が保証する、と考えるのが普通の考えであって、国は国民が健康で文化的な生活をすること自体を保証すべきだ、つまり国は税金で最低限度の生活費を至急すべきだ、と考えるのが「左より」と言った感覚です。

 僕達は神の子であって、本来無限力を持っているのだから、国に何をしてもらうかと言うことより、国のために何が出来るかを考えるのが、僕達の立場だと思います。

 原発の問題も、自分達が快適な生活を持続するためにどうするかと言うことより、この国の為にまたこの国の将来の為にどうするか、ということを考えて行こうではありませんか。

投稿: 高階 哲夫 | 2012年3月 3日 (土) 17時07分

合掌有り難うございます。
今日来店されたお客様で原発問題に強い関心を持っていろんな活動をされている方と話しする中で、脱原発、反原発に声を挙げないのは推進派と同じだという意見があることを知りました。私も、雅宣先生のこのブログでのお話を引用し自分の考えをその方にお話しました。すると大変共感して下さり、明日海外のメディアから一般庶民としてこの問題をどう考えるかと取材を受けることになっているので、今の話を参考にさせていただきます、と喜んで帰って行かれました。

国や自治体任せにせず、自分の問題として真剣に取り組まなければいけないことなのだと改めて感じた次第です。

投稿: 前川 淳子 | 2012年3月 6日 (火) 21時16分

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