“便利な機器”は国を亡ぼす?
生長の家講習会で高知へ行くために乗った航空機の機内誌に、作家の浅田次郎氏が技術社会に厳しい目を向けた随筆を書いていた。浅田氏はこの雑誌に毎号機知に富んだ随筆を書いていて、中には冗談か本気か分からないものもあるので、私は今回も冗談半分の一文かと最初は疑った。が、この号の内容は真面目で理にかなっているので、私も氏の訴えを真面目に受け止めようと思った。浅田氏は、「民に利器多くして国家滋昏(ますますくらし)」という老子の言葉を引用して、「国民生活に便利な道具が増えれば国は暗くなる」と述べている。そして、「科学は人間の幸福を求めて日々進歩するが、この恩沢を蒙る人間は、利器が幸福とともにもたらす実害や精神の退行について、謙虚に誠実に考え続けねばならない」と説いている。氏は、現代の便利な機器は、人間精神の退行をもたらすという、見落としやすい、しかし重要な問題を提起しているのである。
もっと具体的に言うと、浅田氏は自動車をモデルチェンジなどですぐに買い換えたりせず、1台の愛車を10万キロ走行して使い切り、最近の便利な機器であるETCもカーナビも使わないのだという。そして、その理由が上に述べた“老子の教え”によるらしいのである。私も、自動車をモデルチェンジのたびに買い換えるのは資源の浪費であり、商業主義への敗北だと考えている。で、95年型のホンダ・オデッセイを今でも運転していて、走行距離は10万キロに達する。が、その理由の大きなものは、燃費のいいハイブリッド型のSUV(多目的スポーツ車)が出ないからで、それが発売されればすぐにでも買い換えるつもりだった。また、ETCは早々と導入したが、カーナビは設置していない。カーナビを使わない理由は浅田氏のように哲学的なものではなく、実利的なものた。つまり、私の場合、知らない土地に自動車を運転して行く機会が少ないからである。
では、ETCやカーナビが「国を暗くする」とはどういう意味だろう。浅田氏のETCへの反感は、この装置を取り付けるのが「利用者負担」だという点にあるようだ。ETCの導入を道路会社が勧めるのは経営合理化が目的だが、それはそもそも道路会社自身の努力が前提であるべきなのに、利用者にコストを負担させるのはケシカランというわけだ。カーナビがマズイ点は、それに頼った運転者が増えることで、ドライバーが方向感覚を磨くのをやめるからだという。これらの理由は、確かにそれなりに理解できる。が、それがなぜ「国を暗くする」という大きな問題につながるのだろう。それについて、氏は「この言はわれわれの生きる時代にも、怖いくらい当てはまる。ことに(中略)“利器多くして”は、原発から携帯電話機に至るまで、老子が、二千年後の世界を予見していたとしか思えぬ」と書いてあるだけで、詳しい理由は述べていない。
そこで私は、勝手に考えることにした。原発の問題がここで指摘されているのは、我々が戦後、原発の構造やエネルギー生産の仕組み、危険度等について何も知らないまま、「原発は安全で豊富なエネルギー源だ」という政府や電力会社の宣伝を信用し続け、国民として国のエネルギー政策に無知・無関心のままだったことを指しているに違いない。これは確かに、「国を暗くする」という大変な問題を今、引き起こしている。日本は国家として、エネルギー政策をどう進めればいいのか“真っ暗闇”の中にいるからだ。
では、携帯電話はどのようにして「国を暗くする」のか。私は携帯電話をもっていない。その理由はどこかにも書いたが、第一に「自由を束縛される」と考えるからだ。携帯電話を買う人は、恐らく「自分から相手に連絡する」という“外向き”方向の通信の便利さを重視するのだと思うが、電話は双方向の通信機だから、「相手からかかってくる」という“内向き”の通信を無視できない。「地球上どこにいても誰かから呼び出される」という可能性を、私は排除したいと考えている。第二の理由は、携帯電話によってもたらされる“ながら族”の生き方は、日時計主義に反すると考えるからだ。これについて詳しくは、拙著『日時計主義とは何か?』や『太陽はいつも輝いている』を参照してほしい。
しかし、これらは皆、個人生活に注目した考察で、そういう個人がどんどん増えてくることで、「国が暗くなる」かどうかの問題まで、これまであまり考えたことはなかった--そう書こうとして、「いや、書いたことがある」と思い出した。それは、本欄の前のブログ「小閑雑感」で「情報の質」について考えたときだ。その時、私はアメリカ軍が現在パキスタンなどで多用している無人偵察攻撃機を取り上げ、科学技術の最先端を行くこの兵器が一見、情報収集能力に長けているように見えても、実は本当の意味での“正しい情報”を得ることはできない、という見解を述べたのだった。長い話をごくごく簡単に縮めて言うと、「高性能ビデオカメラによっても、人間の心中は見ることはできない」ということだ。そんな機器によって“敵味方”の判別は正確にはできず、よし判別できたとしても、人間同士の接触による相互理解のような、本当に重要な情報伝達(心の理解)などできないということだった。
携帯電話の利用から一気に現代の軍事戦略にまで話題が飛躍してしまったが、しかし、私は浅田氏が指摘するように、“便利な機器”が抱える問題には国家レベルのものもあると考える。現に昨年来、中東を中心に起こっている“アラブの春”革命は、携帯電話やスマートフォンの利用と密接に関係していると言われているし、日本でも最近、国会議員の電子メールが海外からのアクセスで盗まれた痕跡が発覚した。また、国内の軍事産業に関わるコンピューター内の情報が中国からアクセスされた疑いも出ている。
私は実は“便利な機器”大好き人間であるが、浅田氏の一文を読んで、それらの機器の利便性だけでなく、限界や危険性も十分に理解して、正しく使うこと(あるは使わないこと)が、今後ますます重要になってくると感じたのである。
谷口 雅宣
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コメント
私も、便利な機械類はそんなに好きではありません。カーナビは使いません。それよりも、始めに地図をみて、しっかり道を確認して行くほうが好きです。なぜなら、カーナビだと、どこら辺を走っているのか、把握できないからです。車も、はやく電気自動車などのエコカーに買い替えたいですが、自分にピッタリのエコカーが現れないので、買い換えていません。
ちょうど使いこなせる機械がいいと思います。
私たちは多分、便利な機械に使われると堕落してしまうと思います。上手に選んで使うことが大事だな、とおもいます。
極端な話ですが、便利な機械が全くなくて生活するとき、「生きている」と感じます。
ありがとうございます
投稿: 水野 | 2012年1月23日 (月) 22時08分
総裁先生、
便利なモノは進歩とは異なるのでしょうか?「神は常に働きたまう」というように、人間の知恵の結集のように思っていました。
人間性を伸ばすとか感性を豊かにすることにつながる、新しいモノを考えていくことが必要なのかも知れません。具体的にどうすればいいのかは、考えが及びませんが。
投稿: 近藤静夫 | 2012年1月24日 (火) 20時25分
総裁先生
ありがとうございます。人間の進歩向上は必要なことですが、今日の進歩は本当の意味での向上ではないと思います。人間が便利でありさえすれば それでいい。
今一番 問題となっている 自然界のことは考えず
ただ人間のみの"便利であったり利益であつたり" 二酸化炭素を排出するすべてのものを すっかり使用しなくなっても地球は半世紀時代に甦るでしょうか?と自分に問いかけています。私達が出来ることは小さいことですが日々の生活で自分にもできる自然界に配慮した方策は驚くほど沢山あります。総裁先生のお言葉の中にあります「自然から奪わない方法」とでも申しましょうか・・・肉食はもとより化石も燃料に 纏わる一切を出来る限り最小限に使わせて頂いております。「生長の家環境方針」"基本認識"を毎朝朗誦し自分を律しています。
投稿: 足立 | 2012年1月25日 (水) 17時35分
総裁先生ありがとうございます。
私も今の前に使用していたマイカーは、約10年使用して25万㎞以上走行しました。
この経験に伴い、最近の車は普段の手入れなどを怠らなければ20~30万㎞は走行できる耐久性があることがわかりました。
また実際の話では、タクシーなどは普通に30万㎞を越えるものもあるそうです。
だから私も、今の車も20万㎞以上走行させようと考えています。
(現在のところ、5年4ヶ月ほどで7万5千㎞を越えています。)
この今の車を乗り潰す?間を活用して?、ハイブリッドカーや電気自動車のさらなる発達を待つことにしています。
ただし、目を見張るほどの技術革新が見られた場合には、今の車が20万㎞に達するのを待たずに、電気自動車などに乗り換えるかもしれません…。
カーナビについては、私はフル活用的に利用しています。
カーナビのお蔭で、転勤などにより新天地へ行ってすぐに新しく知り合った地元の方々とともに光明化運動のための家庭訪問へ行くことができたので、大切に利用しています。
これにより、新しく異動した教区の組織会議に参加し、様々な話し合いの直後に家庭訪問へ行くことができました。
(この時、車を持っていたのは私だけでしたので、カーナビは重宝しました。)
現在は独身の借家住まいなので、それでもできるエコ生活とは?を考えながら生活していくよう心がけ、自宅内にある電灯を全てLED化するよう推進中です。
このことを教区で発表しようとしましたら、ある太陽光パネル販売会社の方から、「アパートやマンションに住んでいる方々でも、このように簡単にできることがあるんですよね。」という嬉しいお言葉をいただきました。
発表後の皆様からの反響も少なからずありまして、皆様エコに関心があるものの何をどうしたら良いのかわからないようであることがよくわかりました。
私にとってのエコ生活は、未来の方々への投資であり、私利私欲は考えないで推進していくべきものなので、皆様に代わって小さな先駆者として金銭的に少ない損を先んじてしてみる?的な発想でとりあえず取り組んでます。
(独身で給料が全て自分の好きに遣える…。という利点もあります。)
さらに現在はローンを組んでの買い物ができない身分ですので、これが解消されましたらエコな住環境を主眼(太陽光発電システムの導入と、LED等の積極的な利用による電力低消費生活?)としたマイホームの購入も視野に入れていきたいと思います。
感謝礼拝
投稿: 阿部裕一 | 2012年1月31日 (火) 10時10分
総裁先生
合掌。兵庫の山森です。必要なものだけを厳選して取り入れる生活は、流行りの『断捨離』の考えかたでもあり、中国、台湾へもファン層が広がっているようです。日本人ってほんとに世界をリードするのですね。私も3.11以降、40歳になってようやく、モノの大切さがわかりました。と同時にモノ(原発)の恐さもありますね。便利さにかまけて、執着を離れた厳選を怠ってはいけません。おそらく多くの日本人がこのことに私以上に気づいており、世界をまた変えていく原動力になるのではないでしょうか。日本人ってスゴイと思います。再拝。
投稿: 山森 明 | 2012年2月 1日 (水) 23時34分
合掌ありがとうございます。カーナビが必要かどうかという問題については少し前まで他人事でした。50の手習いで始めた自動車の運転免許取得は、今日本免に合格してようやく免許証を手にしました。夫の乗っていた車にしばらくは乗る予定です。カーナビは、外すつもりです。この理由は、夫を含め、一部の人にだけのマークで通じる事だと思います。行き先をセントレアに合わせたら「そこは海の上です」としつこく言うので、とうとうカーナビを消してしまったという落ちです。思い当たる方も見えるのでは?ハイブリッドカーは自動車学校の教習車としても使われるようになっていて少しずつ広がっていくと思います。安くなったら購入しようと思います。再拝
投稿: 横山啓子 | 2012年2月 2日 (木) 22時37分
合掌有り難うございます。
便利な機器は、どれも大概‘ある不便さ’を何とか工夫して解消しようとする行動の結果生まれたものだと思います。
人間は、その創意工夫するという行為そのものを楽しみたい、また求めて止まない生き物なのではないか?という気がします。
中には『そこまでしなくても‥』と思うようなものも目につくのですが、そこは、目的に合わせて取捨選択して使えば良いことなのだろうと思います。
ちなみについ最近CDラジカセを購入するのにどのタイプのにしようか迷った挙げ句、最新のものでなく、万が一の災害時でも持ち運べそうなラジオつきで、CDは再生機能のみついているのにしました。
投稿: 前川 淳子 | 2012年2月 3日 (金) 22時06分
合掌有難うございます。今日宮崎教区の講習会に参加させて頂きました。運営委員をさせて頂き、雅宣先生、純子先生のお話が聞けませんでしたので、宮崎教区、鹿児島教区の愛念を頂き、参加させて頂きました。ありがとうございます。今、自宅に帰り、私の心に焼き付いているのは、講習会の最後に、雅宣先生が、私達を合掌し拝んで下さっている姿でした。私達を、総裁先生が拝んで下さっているそのお姿に、心が洗われるような、改めて、生長の家を知らされたような、深い感動を覚えました。今日、雅宣先生のお話の中で、私達は、愛というものの落とし穴に気づかせて頂き、神の愛、すべてを神の命として拝み、生かして行く神様の愛、自他一体の愛を、雅宣先生の合掌の姿を通して、心に焼きつかせて頂いた気持ちです。講習会に参加させて頂き、心から感謝で一杯です。有難うございます。雅宣先生の合掌の姿忘れません。有難うございます。私は、この間までは、本当に車を乗り回し、車中心の生活でした。ふと、通りすがりの車の中を見たら、一人で乗っている人がたくさんいて、なんだか勿体無い気持ちになりました。それで、ちょうど、息子のオートバイがありましたので、それを利用するようになりました。最初は面倒くさくて、寒かったり、暑かったり、天候が気になりましたが、利用しているうちに、車を利用する立場から、違う方向の立場で、見られるようになりました。見通しが良く、外の空気、広く景色が見れて嬉しいです。再拝
投稿: 有馬真由美 | 2012年2月 5日 (日) 21時28分
総裁先生 合掌ありがとうございます。沖縄教区のご講習会ではご指導ありがとうございました。聖歌隊の練習の合間に聴いた先生のご講話の中で満月を見る事という図と説明が深く心に染み入りました。現象にはいろいろありますが、満月を見る事というご講話を思い出し、心を浄めて喜んでいます。再拝
投稿: 赤嶺里子 | 2012年2月 9日 (木) 16時00分