動物の心について (7)
ところが、ジョアン・ローク氏はゴキブリを“不潔”だとする人間の共通認識は誤りだと、次のように述べている--
「じつはこの穏やかな生き物は、咬んだり刺したり、直接人間を傷つけたりする力は持っていないのだが、それよりもゴキブリと汚物、つまり私たちが出す汚物との関連ばかりがことさら注目されるようだ。そんななか、生物学者ロナルド・ルードは、ゴキブリが人間に害をおよぼすことはなく、人間に悪影響を与える細菌を媒介することもめったにないと主張している。
文化が生んだゴキブリへの嫌悪感を正当化しようとするかのように、多くの研究者がゴキブリと特定の病気を結びつけようとしてきた。しかし結果はどれも二義的なものだった。ゴキブリが伝染病の伝播に直接関わったことはなかったのである。事実、大半の科学者はゴキブリが病気を媒介するという噂は不当だと認めている。(中略)ゴキブリには過剰反応する人がとにかく多いので、現在わかっている4000種類のゴキブリのうち、人間の生活圏内だけで生きている4~5種類のために、アメリカ全体の殺虫剤使用量のおよそ25パーセントが費やされているのである」。(前掲書、pp.113-114)
ゴキブリと病原菌やウイルスの関係について、ローク氏はこの虫が「伝染病の伝播に直接関わったことはなかった」と書いているが、これはゴキブリの体が無菌状態だとか清潔だという意味ではない。昆虫学者の朝比奈正二郎氏は『世界大百科事典』(平凡社、1988年刊)のゴキブリの項で、人家に棲むようになった種類について次のように書いているーー
「住家性の種類は食品や汚物を食べるのでその体内には各種のウイルス、バクテリア、カビ類、原虫、寄生蠕虫類などが、実際にもまた実験的にも証明され、またその媒介を行う。(中略)バクテリアでは赤痢、腸チフス、腸カタル、夏下痢、食中毒、発疹チフス、ペスト、癩などが自然状態で発見され、アジアコレラ、脳脊髄炎、肺炎、ジフテリア、波状熱、結核なども証明された。ただし、これらの疾患流行の直接原因にゴキブリがなったという証明はない」。
この引用文の最後のところを、ローク氏は強調しているのだろう。つまり、ゴキブリのいわゆる“光明面”を見ようとしているのだ。それはそれでいい。なぜなら、ゴキブリはあまりにも多くの人間から敵意を向けられているからだ。が、ローム氏が指摘するように、自然界ではゴキブリにもちゃんとした役割がある--「ゴキブリの大半の種類は赤道直下に生き、そこで植物の受粉を助け、ゴミを再生処理し、食べ物を他の生物に分配している」(前掲書、p.135)のである。
とはいうものの、ゴキブリに意識や知性があると考える生物学者は、少数のようだ。ローク氏によると、その中の一人であるウィリアム・ジョーダン氏(William Jordan)は大学院生のときにゴキブリの飼育係をしていた。この虫は、敏感な触角と大きな細胞でできた神経系を備えているので、神経細胞の機能を研究するのに理想的な動物らしい。ジョーダン氏はそういう何種類ものゴキブリを観察しているうちに、彼らが食べ物を探したり、縄張りを主張したり、社会的地位や伴侶を求めたりするのを知り、「ゴキブリには知性があり、人間との共通点もあるのではないかと考えるようになった」(前掲書、p.133)という。ローク氏は、その根拠について詳しく書いていない。が、ローク氏自身がマダガスカルオオゴキブリと接した経験が書いてあり、その内容が興味深い。
このゴキブリは体長が10センチもあり、磨かれた木のような外殻をもち、空気を切り裂くようなシューシューという鳴き声を発するという。ローク氏は、そんなゴキブリに「シーダー」という名前をつけて飼っていたが、ある日、自分が教えている高校の授業に持っていったという。すると、クラスでお調子者のブライアンという生徒がローク氏を横目で見ながら、「踏んづけたら、そいつの体はつぶれるの?」と訊いたという。
ローク氏はその乱暴な言い方をたしなめて授業を続け、生徒たちの手にゴキブリが乗るかどうかの実験をした。飼い主であるローク氏の手には、シーダーは安心して乗るが、その手から生徒の手に乗り移るかどうかを試してみようというわけだ。興味をもった生徒たちが列を作って順番を待ったが、その先頭がブライアンだった。ローク氏は彼に「あなたの手には乗らないかもしれない」と言ったが、彼はその言葉をまるで信じない顔をしていたという。以下は、ローク氏の本から引用する--
「ブライアンは腕を伸ばし、手のひらを上にして私の手の隣に並べた。シーダーは私の開いた手の端に上ってきたが、触角が一瞬ブライアンの手に触れたとたんに後ずさりして向きを変え、離れていってしまった。ブライアンはがっかりしたが、ゴキブリが気づくわけがないという確信が急に崩れたようだった。彼はその場に留まり、つぎつぎと子供たちがやってきては私の隣に手を出すようすを観察した。シーダーはゆっくりと動き、ためらうことなく子供たちの手に乗り移り、くまなく探検している。
しばらくするとブライアンは列にもどり、もう一回やってみたいと言った。私はうなずき、もう一度手を並べた。またシーダーは私の手の縁に上り、触角を動かした。だがブライアンの手に達すると、立ち止まって向きを変え、また歩き去った」。(前掲書、pp.141-142)
このゴキブリの行動が、意識や心をもつ証拠だとは言えないかもしれない。その理由は、このブライアンという生徒の手には、何かゴキブリの嫌いな臭いがついていたかもしれないからだ。しかし、このあとしばらくたって授業が終わりに近づいた時、ブライアンはもう一度だけチャンスがほしいと言い、「本当に真剣に考えて準備ができたのだ」と訴えたという。そしてシーダーは、やっと3度目に彼の手に乗ったのだった。
谷口 雅宣
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コメント
合掌,ありがとうございます。
新ブログに初めてコメントします。
ゴキブリは私も苦手ですが,何億年も前からの「先輩」ですから学ぶべきところもたたあるのでしょうね。私の住む地方は,冬が寒すぎるためか,滅多に遭遇しませんが。
明日のご講習会,楽しみにしております。
再拝 宮城教区より
投稿: 佐々木(生教会) | 2011年10月22日 (土) 07時41分