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2011年10月 7日 (金)

動物の心について (5)

 さて、昆虫に意識や心がないとしても、だから昆虫には存在価値がないとは決して言えない。このことは、我々の近くで生活する昆虫のことを思い出してみれば、すぐに納得できるだろう。まず、人間の生活にとって不可欠な昆虫は、ハチやチョウ、ガの仲間である。これらの虫は、果樹や作物を実らせる役割をひたすら果たしてくれている。ここで「ひたすら」という意味は、「ただそれだけ」とか「いちずに」ということだから、あえて擬人化した表現を使えば「私心なく」とか「脇目もふらずに」と言い換えられる。こういう行動をする生物には、意識や思考が働くことはかえって邪魔ではないだろうか。チョウがいつも来るミカンの木に飛んできて、その白い花の蜜を吸おうと思ったけれども、そこで自分の行動を意識して「いつもミカンの蜜だけではつまらない」などと考えて、別の植物の花を捜しにいったとしたら、どうなるだろう。それも1匹や2匹でなく、大規模に多種のチョウがこんな気まぐれな行動をしたら、恐らく自然界の基礎をなす植物の生殖活動が乱れて、生態系の秩序は崩壊するのではないか。
 
 昆虫は、動物の中で最も種類が多い。その数は75万種とも言われ、全動物の種類の4分の3以上を占める。ということは、地球上の多種多様な自然環境に最も適応している生物種である。このことを逆に言えば、彼らの1種に注目すれば、生活が最も固定的で、行動に自由度が少ないということではないだろうか。
 
 例えば、イチジクコバチ(Blastophaga psenes)という昆虫がいるが、この成虫は体長1.8ミリという小ささで、雌は黒色で翅があるが、雄は褐色で翅がない。名前のとおりイチジクの実に寄生して生活し、それ以外の植物とは関係をもたない。この虫のイチジクとの1対1の関係は徹底していて、イチジク属(Ficus)の植物は全世界で900種近くあるのに対し、各種にそれぞれ別種のイチジクコバチ類が寄生し花粉を媒介しているという。この事実から、昆虫の生態が不変で一貫性をもっていることで、植物の多様性も保たれていると考えることができる。これを言い換えれば、昆虫に意識がなく心がないことで、生物界の安定が保たれているということだろう。

 このことに関連して、私は2008年9月29日のブログにダニの生態について書いたことがある。ダニは、哺乳動物の血液を吸うことで子孫を殖やすが、その方法は我々人間の想像を超えている。彼らは、木の繁みの中に隠れていて、その下を通過する動物の上に飛び降りるか、繁みが動物に触れることで目的を達成する。しかし、ダニには視覚がないし、聴覚もない。ということは、動物が近づいて来ても見えないし、その音も聞こえない。その代り、動物の皮膚から漂ってくる汗の成分である「酪酸」を嗅覚で感知して行動を起こすのである。動物行動学者の日高敏隆氏は、その様子を次のように描いている--
 
「運がよければ、ダニはそのけものの上に落ち、皮膚の温かさでそのことを知る。そしてなるべく毛のない場所をみつけ、皮膚に食いこむ。そしてダニはけものの温かい血液をたっぷり飲みこみ、卵を産む。ダニの一生はこれで終わる。ダニには味覚もないので、けものの血液の味はわからない。血の温かさだけがその印なのだ。(中略)茂みの枝から手を放したダニが、うまくけものの上へ落ちなかったとき、ダニはまわりの冷たさでそのことを知り、多大の努力をしてもとの茂みの枝へ這いあがる。そして、またじっと、けものの匂いを待つのである」。(岩波文庫編集部編『読書のすすめ』第12集、p.31)

 ダニは、動物の通過をどれだけ待つか……という話も、人を驚かせる--
 
「ダニのとまっている枝の下を哺乳類が通りかかるという幸運な偶然がめったにないことはいうまでもない。茂みで待ち伏せるダニの数がどんなに多くても、この不利益を十分埋め合わせて種の存続を確保することはできない。ダニが獲物に偶然出合う確率を高めるには、食物なしで長期間生きられる能力もそなえていなければならない。もちろんダニのこの能力は抜群である。ロストックの動物学研究所では、それまですでに18年間絶食をしているダニが生きたまま保存されていた。ダニはわれわれ人間には不可能な18年という歳月を待つことができる」。(ユクスキュル/クリサート著『生物から見た世界』岩波文庫、2005年、p.23)

 哺乳動物の血を吸い子孫を残すためだけに、林の中で獲物の接近を待つ虫のことを想像してほしい。彼らにもし意識や心の働きが存在していたとしたら、18年もの間、別のことを思わず、行動せず、ただひたすら待ち続けることなどできるだろうか? 私には、昆虫に意識や心がないというそのことに、重要な意味があるような気がするのである。
 
 谷口 雅宣

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コメント

谷口雅宣先生

奈良教区の山中優です。「動物の心について」の連載記事を、大変楽しみに読ませていただいています。

私は動植物については全くの素人なので(農業についてもですが…)、自然と共生していくために、これから学んでいかなければと思っております。これからも楽しみに読ませていただきます。

山中優 拝

投稿: 山中優 | 2011年10月10日 (月) 11時01分

雅宣先生有難うございます。「動物の心について」を読ませていただき、本当に知らない事が一杯あると思いました。人間至上主義では無いけれど、でもやっぱりそれに近いかも、と思いました。ダニの事も本当になんといっていいか、とにかく、唖然!驚き、すごい、私たちの知らない、気づかない世界で、動物たちは、いろいろの働きをして地球を支えているのですね。与えられた命を力いっぱい生きているんですね。神はすべてのすべて、一切者の自覚などと、言いますが、人間だけではない、本当に神、自然、人間の大調和の世界の神秘さを思います。もっともっと自然に心を向ける事のたいせつさを思います。雅宣先生のこの連載を読ませていただくのが楽しみです。再拝

投稿: 有馬真由美 | 2011年10月11日 (火) 20時55分

山中さん、
有馬さん、

 ご声援、ありがとうございます。
 私自身、いろいろの本を読みながら勉強しつつ書いています。今後とも、よろしく。

投稿: 谷口 | 2011年10月11日 (火) 23時18分

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