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2011年10月 3日 (月)

動物の心について (4)

 経験則に従った動物の自動的行動が、一見すると思考の結果のように見える例として、ドーキンズ氏はアンリ・ファーブル(Jean Henri Fabre)のジガバチの研究を紹介している。それによると、雌のジガバチは産卵の時期になると砂に穴を掘り、それから生まれてくる自分の幼虫の餌として、生きたまま麻痺状態にした別の昆虫(コオロギなど)を穴まで引いてくる。そして獲物をいったん穴の入口すれすれの位置に置いてから、穴の中に調べに入っていき、それから地表に出てきて獲物を中に運び込むという。なかなか複雑な行動だから、ジガバチは「考えて」行動しているように見える。ところがファーブルは、このジガバチが穴の中に調べに入った隙に、獲物を穴から数センチ離してみた。その結果はこう書かれている--
 
「ファーブルが手出しをした後に穴から出てきたジガバチは、獲物のコオロギが自分が最初に置いた場所になくなっているのを発見し、コオロギを元の場所まで運ぶ。だがすぐ穴の中に埋めないで、穴近くの地表にそのコオロギを残したまま、穴を調べに潜ってしまう。ファーブルがまたそのコオロギを動かすと、ジガバチはまたそれを元の位置に戻して、穴を再度調べに潜る。ファーブルは同じジガバチに対して40回以上も同じことをし、そのたびにジガバチはただコオロギを元の位置に戻しただけで、穴に戻ってしまった。ファーブルが手出しをやめてコオロギをそのままにしておくまで、このジガバチは一度もコオロギを穴の中に引きこまなかったが、コオロギをそのままにしておいたら、すぐに埋めにいった。」(p.135)

 この研究によってわかることは、人間以外の動物の行動の中にもし複雑なものがあったとしても、それは必ずしも「心」や「意識」の働きによるのではないということだ。特に昆虫について、ドーキンズ氏は「いままで行なわれた昆虫研究はすべて、昆虫は経験則を大いに取り入れているものの、真の思考をする能力がないことを示唆している」(p.134)と述べている。この点は、記憶に留めておいていいかもしれない。
 
 それでは、心の存在を暗示する意識的行動と、単に経験則に従った行動との違いはどこにあるのだろうか。この問題について、ドーキンズ氏は「思考」という概念を導入する。「思考」はもちろん「意識」と同じではない。私たちは無意識のうちに考え込んでいることもあれば、意識はあっても考えていない時もある。が、与えられた経験則に自動的に従うのと比べれば、「思考する」という行動は、意識している状態により近いといえるだろう。ということで、彼女は「思考とは何か」というドナルド・グリフィン氏(Donald Griffin)の定義を紹介する。それによると、「思考とは対象または出来事の内部映像または表出に気づく過程である」という。「考える」という過程は、「自分の向き合う外的状況に対してある種の内部表出をもつこと、または記憶や将来の状況への予想を持つこと」だという。だから、「思考によって、2つまたはそれ以上の表出が比較され、また起こりそうな結果の評価にもとづいて、次に何をなすべきかの選択がなされる」という。
 
 この引用部分は翻訳書の表現のままなので、なかなか難解である。それを私なりに理解した範囲で、次に説明してみよう。

 グリフィン氏が言う「対象または出来事の内部映像または表出」の意味は、恐らくこういうことだ。私たち人間の前にリンゴが一つあったとする。それを「見ている」だけでは、人間は何も思考していない。その人の目には、リンゴの皮の表面の1点が見えているだけだ。網膜上にはリンゴの映像(内部映像)が写っているが、それを「○○である」と気づかないかぎり、その人の思考は始まらない。この気づきは、必ずしも「リンゴである」というものでなくてもいい。リンゴの表面の1点に黒ずんだ穴があるのを認めて「穴がある」と気づく場合も、思考の始まりと言えるだろう。この気づきから、次に「なぜ穴があるのか?」とか「なぜ黒ずんでいるのか?」とか「実の中に虫が入っているのか……」「どんな形の虫か……」「リンゴを食べたら虫が出てくるのか……」「リンゴの味は大丈夫か……」などという様々な考えが、その人の心に染み出てくる。それが「思考」だ--と言っているのだろう。
 
「記憶や将来の状況への予想を持つ」という意味は、過去にその人がリンゴの中に虫がいるのを見た記憶とか、自分では実際に見なくても、写真の中、図鑑の中、テレビ番組などでリンゴを食べる虫を見ていた場合は、それを記憶の中から呼び出して、「リンゴを食べたら虫が出てくるのか……」と考えることを指すのだろう。こういう心の動きを通して、「2つまたはそれ以上の表出が比較され、また起こりそうな結果の評価にもとづいて、次に何をなすべきかの選択がなされる」のである。

 このグリフィン氏の思考の定義を採用すれば、ファーブルが観察したジガバチは、自分が置いた場所から獲物が40回以上も動かされても、その記憶にもとづいて将来を予測することなく、同じ行動を繰り返し続けた。だから、ジガバチは思考しているのではなく、経験則に従った行動をしているだけだということになる。
 
 谷口 雅宣

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コメント

合掌ありがとうございます。コメントがゼロなのは、ファーブル昆虫記を読んでいる人が少ないからでしょうか?アンリ・ファーブルの名前を聞いて子供の時に夢中になって読んでいた事を思い出し、懐かしくなりました。ジバチの話も知っています。ファーブルが研究に没頭していたという話も伝記で知っています。ジバチの根気の良さは人間も見習うべきだと父親に言われ、私もそう感じています。谷口先生、ブログの中で返事を下さった事ありがとうございます。又自分の考えを纏め次第コメントします。再拝

投稿: 横山啓子 | 2011年10月 5日 (水) 12時56分

総裁先生 合掌ありがとうございます。先日の先生からコメント頂いた事柄について自分なりの意見が纏まりました。実家の近くの小川で発見されましたオオサンショウウオは水族館にて保護されていると聞いて会いに行って来ました。岐阜県の川島町には“世界淡水魚園〔通称アクアトトぎふ〕”と呼ばれる施設が有ります。絶滅危惧種に指定されている淡水魚を保護している所です。木曽三川で保護された可愛い動物達が出迎えてくれました。何となく感動しました。オオサンショウウオのコーナーには揖斐川町で保護された旨が書いてありました。 実家の母にとって猿や猪は作物を荒らす害獣にしか過ぎませんが、それは人間が勝手にそう思っているだけなんですね。彼らにとっては生きて行く上ではやむを得ない事ですね。これからの時期は、冬眠に備えて熊が人里近くまで出てくるそうです。人間との共存共栄というのですか野生動物にとっては大変な事なんだなと思いました。私は町の中に住んでいますのであまり深く考えた事はなかったので、総裁先生の気に入るような答えが出来なくてすみません。愛知県や岐阜県の講習会に見えた時はぜひ時間を作って、アクアトトぎふに行ってみて下さい。幹部一同お待ちしています。再拝

投稿: 横山啓子 | 2011年10月 7日 (金) 02時49分

横山さん、

 私が気に入るような答えを言う必要はまったくありません。あなた自身が納得する答えを出すことが大切と思います。私はオオサンショウウオというのに詳しくないのですが、見ためがかわいいのでしょうか? 自然界には、しかし「見ため」が異様な生物も結構いますから、そういう生物を人間がどう考え、どう扱うかは重要だと思います。

 テレビで、札幌の市街地にヒグマが出て大騒ぎになったというニュースを放映していました。この秋と冬には、きっと各地で似たような事件が起こるのでしょう。

投稿: 谷口 | 2011年10月 7日 (金) 17時40分

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