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2011年10月17日 (月)

耳学問だけではいけない (3)

 10月10日付の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙は、「無人機の拡散は新たな地球規模の脅威を生む」(Proliferation of drones poses a fresh global threat)という題の記事を掲載した。これは、アメリカが多用してきた無人攻撃機を他国が自ら開発し、実戦配備しようとしていることを伝えたもので、それによる今後の国際政治の変化を考察している記事だ。

 この記事はまず、昨年11月に中国南東部の町で行われた航空ショーを訪れたアメリカ人が、中国の企業から遠隔操縦できる無人航空機25種と、ミサイル搭載の無人機がアメリカの空母を攻撃するアニメビデオを見せられた話を紹介する。中国の技術レベルは、もうそこまで届いている。そうであればイスラエル、ロシア、インドなどが無人攻撃機を持つまでに、そう時間はたたないし、すでに持っている可能性もある。その記事によると、問題は、アメリカ国内でテロリストが無人攻撃機を使うということ--これに近い事件が、実は最近あったが--よりも、他国が自国内の“反対派”や“分離独立派”を無人機で攻撃した場合、アメリカはどう対応すべきかということだという。
 
 アメリカはすでに、自国民を外国領土において“テロリスト”の名目で無人機により殺害している。となると、中国がカザフスタン国内に無人機を送って、そこを拠点として独立運動をするウイグル人を攻撃した場合、あるいはインドが、カシミール地方の独立運動を同じように攻撃した場合、またはロシアがコーカサス地方にいるチェチェン独立派を同様の理由で攻撃した場合、アメリカは従来のような“人権擁護”の理由で反対声明を出すことはできなくなるだろう。とすると、国家主権の遵守をもとに、領空侵犯を禁ずる国際法の枠組みはくずれていく。無人機が他国の領空へ飛ぶことが許されるならば、領海への侵入も禁止できなくなる。中国や北朝鮮の無人船が日本の領海内に出没する時代も、そう遠くないかもしれない。そんな社会を、我々はつくろうとしているのだろうか?
 
 この新たな“無法社会”を生み出す危険に加え、私が危惧しているのは、無人攻撃機が情報収集能力としては本質的に“左脳的情報”に偏していることだった。これを言い換えれば、この無人機の操縦者は、一種の“耳学問”のみで相手の価値を判断するのだ。彼(女)は、機体から何千キロも離れた安全な地点でビデオゲームとほとんど変わらない画面を見ながら、生身の人間を攻撃するのである。攻撃者は、攻撃にさらされる人間がどんな顔で、どんな人物か知らず、苦しみの叫びも聞こえず、血潮の臭いもかがず、必死の抵抗を受ける恐れが全くないところで、ただ上官の命令により、ミサイルの発射ボタンを押すのである。相手が、自分と同じように、愛する家族をもった人間だと感じないかもしれない。そんな状況で、人が人を殺す行為を続ける世の中が、人権を尊重したり、良心が活かされたり、他者に愛を感じる倫理的な社会であるはずがないのである。
 
 にもかかわらず、無人攻撃機の需要はふえている。なぜなら、これによる偵察が楽であり、攻撃は精確であり、コストは比較的安く、そして操縦者に生命の危険がまったくないからだ。これまでこの種の無人機を攻撃目的に使った国は、アメリカとイスラエル、イギリスの3国しかない。しかし、無人機を製造したり、購入した国は50以上になるという。人間の人間たるゆえんの1つが、他者への共感を覚えるエンパシーの能力にあるという真理を生物学が発見した時代に、国家は、その逆のことを国民に強いようとしているのだろうか。そういう非人間的殺戮手段を最大限に使っている国が、人権保護の市民運動をしてきた人物を軍の最高司令官にもつという事実を、私はどう解釈していいか分からない。
 
 私はオバマ大統領に声を大にして訴えたい。あなたは自国を守る手段として、最悪の兵器を使っている。人間の本性は愛であり、慈悲であり、他者に共感するようにつくられているのに、それを否定することによって世界に平和が来ることは決してない、と。

 谷口 雅宣

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コメント

合掌 ありがとうございます。
先生のご意見全く同感に存じます。大聖師谷口雅春先生が「人類光明化運動発進の宣言」で述べられたとおり、「・・・自分のかざす火は人類の福音の火、生長の火である。自分はこの火によって人類が如何にせば幸福になり得るかを示そうとするのだ。如何にせば境遇の桎梏から抜け出し得るか、如何にせば運命を支配しうるか、如何にせば一切の病気を征服し得るか、また、如何にせば貧困の真因を絶滅し得るか、如何にせば家庭苦の悩みより脱し得るか・・・・等々。
 今人類の悩みは多い。人類は阿鼻地獄のように苦しみ藻掻きあせっている。あらゆる苦難を癒す救いと薬を求めている。しかし彼等は悩みに眼が眩んでいはしないか。方向を過っていはしないか。探しても見出されない方向に救いを求めていはしないか。自分は彼等の行手を照らす火を有って起つ。」の念いをおもいとし、一人でも多くの方に「人間神の子」の真理を伝えてまいりたいと決意しております。再拝

投稿: 藤城 秀夫 | 2011年10月18日 (火) 18時36分

雅宣先生、有難うございます。これを読んでいて、戦時中の天皇陛下の御心を思い出します。日本が勝ったことをお伝えすると、さびしそうな顔をされ、また、日本が負けている事をお伝えすると、また、さびしそうな顔をされた、と言うお話を聞いて、天皇の御心を知りました。人間の本性は愛であり、慈悲だと思い知らされました。私は生長の家で初めて、日本の天皇陛下の事を知りました。私もそのような心でありたいと思います。有難うございます。

投稿: 有馬真由美 | 2011年10月18日 (火) 20時21分

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