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2011年10月16日 (日)

耳学問だけではいけない (2)

 私は前回、「自然を知る」ということに関連して“左脳的情報”と“右脳的情報”の双方の必要性を述べた。が、これと同じことは、知る対象が何であっても言えることだと思う。宗教の世界にも真理や教義を“左脳的”に理解するのが得意な人と、“右脳的”な理解が好きな人がいるが、本当の信仰を得るためには、やはりどちらか一方ではなく双方が必要である。ただ、人には得手不得手があるから、どうしても自分の得意な方面の探求に偏りやすい。そのことを意識して、時には自分の不得手な方面の研鑽や探求に努力することは、正しい信仰の必須条件だろう。

 世界的IT企業「アップル」の創始者、スティーブ・ジョブス氏が亡くなったあと、彼が最後に手がけたアイフォーン4Sが発売され、“追悼効果”もあって世界中で注文が殺到しているらしい。日本では、ソフトバンク社の独占販売体制が崩れ、KDDIとの販売競争が始まった。世の中では、この iPhone や iPad に代表されるタブレット型携帯端末が、今後はパソコン(PC)に取って代わるだろうと言われている。私は仕事や私生活でPCや携帯端末の恩恵を得てきた一人だから、この世界的潮流に反対する気持はない。しかし、その反面、情報のIT化やデジタル化がもたらす弊害に気づき、数年前からブログなどで注意を喚起してきた。前回の本欄でも触れた「情報の質について」というシリーズは、そういう心配を述べた最近のものである。
 
 IT化やデジタル化の問題といっても、それは個人への影響だろう、と読者は思うかもしれない。が、私は国際政治の分野でも深刻な影響が生じると考えている。そのことは、すでに昨年の6月10日11日のブログ--「情報の質について」の3~4回目--で触れている。簡単に言えば、IT技術の発達と際限のないデジタル化の進展は、世界を不安定にすることを危惧している。今年の初めから続いている“アラブの春”という民主革命の動きが、IT技術の普及を背景にして起こっていることは、読者もすでにご存知だろう。また現在、アメリカの大都市等で起こっている若者の“反貧困”“反体制”のデモも、この技術なくしては起こらないタイプの新しい市民運動である。これらは今、既存秩序の間隙をぬう形で行われているが、潜在的には、エジプトやチュニジアでそれが起こったように、既存秩序を転覆する動きになり得ると私は思う。
 
 IT化とデジタル化は、このような秩序転覆を「兵器」の分野にももたらしつつあり、そのことによって国際政治の枠組みの一端が崩れる可能性があるのである。私が昨年6月のブログに書いたのは、アメリカがアフガニスタンやパキスタンで使っている無人攻撃機のことだった。それが、テロリストの動きを追って同盟国であるパキスタン国内に入り、そこで当の同盟国の意思に反してテロリストを攻撃する。このような攻撃方法は、朝鮮戦争でもベトナム戦争でも、さらに最近のボスニア紛争でも考えられなかった新しいものである。「新しい」とは、決して「良い」という意味ではない。前代未聞ということだ。なぜなら、このような戦闘方法は、従来の国際法の枠組みにおいては「違法」である可能性が高いからだ。
 
 アメリカは近年、相手が“テロリスト”であるというだけの理由で、簡単に国際法を無視する行動をとっている。9・11後のアフガニスタンとイラクへの攻撃がそうであり、またキューバのガンタナモ捕虜収容所や、東ヨーロッパでの“テロ容疑者”への拷問であり、さらには、“テロとの戦争”の主犯とされるオサマ・ビンラーデンのパキスタンでの暗殺攻撃である。もっと最近はこの9月、テロ先導容疑者として、アンワール・アルアウラキ氏(Anwar al-Awlaki)とサミール・カーン氏(Samir Khan)の2人のアメリカ人をイェメン国内で無人攻撃機によって殺害した。この事件はアメリカ国内でもさすがに問題になり、以前からある「暗殺禁止」を定めた大統領令、合衆国憲法上の殺人の禁止、国の市民保護の義務、市民の裁判を受ける権利などに違反すると批判されている。
 
 かつては“民主主義の擁護者”として、また“人権擁護の推進者”として世界の憧れを集めてきたアメリカ合衆国が、なぜここまで自らを貶めるにいたったのか? 私は、その原因の一つが、情報のIT化やデジタル化に依存しすぎていることにあると考えている。アメリカが“テロリスト殺害”に多用してきた無人攻撃機は、IT化とデジタル化の最先端を集めた兵器である。それによって、かつては不可能であったいろいろいろなことが可能となった。その1つが、他国の上空での諜報活動と長期の監視・攻撃態勢の維持だ。人命の危険を冒さずにこれができるのは、無人攻撃機のおかげである。しかし、その代わり“左脳的情報”(敵か味方か)が優先され、“右脳的情報”(同じ人間であり、人権がある)が軽視される結果になっている。この辺の説明は分かりにくいかもしれないので、詳しくは昨年6月10~11日のブログ「小閑雑感」を読んでほしい。
 
 しかし、この世界には動反動の法則があり、親和の法則も働いているから、アメリカが他国に対してとった行動は、必ず他国からもアメリカに向けて返されるのである。既存の国際法秩序を破った国は、必ず同じ性質のシッペ返しを食うことになるだろう。
 
 谷口 雅宣

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コメント

総裁先生、ありがとうございます。
われわれがともすれば陥りそうな問題点を教えて下さりまことにありがとうございます。心より御礼申し上げます。
まだ理解ができない点がありますのでお尋ね申し上げます。
ITとアナログとの関係について、「ITとアナログをバランスよく、行き過ぎがないように使うように心がけましょう」というのは頭では理解できるのですが、うまくいきません。
ITとアナログは、互いに反するものですので、ITを行なっているときは、アナログでなく、アナログを行なっているときは、ITでないことになります。しかし、ITとアナログを上手にバランスよく行なわなければならないとなると、ITを行なっている時間数とアナログを行なっている時間数を適度にするということになります。とはいうものの、私の場合、一日の大半はIT機器をつかって仕事をしているため、もっとアナログの時間を取りましょう、ということになると思います。しかし実際は難しいのが現状です。一方、地方の知り合いには、全くITに触れない人もいます。そういう人には、もっとITを使いましょうということになります。しかし、バランスの話をすると、ITをやらなくても良いための理由にしてしまいます。
そこで先ほどの表現を、以下のような形に変えてみることは可能でしょうか。「ITの上にアナログを載せていくように努力しましょう」という形です。そうすれば、どちらかの二者択一にはならず、どちらも延ばしながら行動したり、考えたりできるように思え、私には取り組みやすい気がします。ご教示いただけましたら幸いでございます。長文たいへん失礼致しました。

投稿: 楽多郎 | 2011年10月18日 (火) 20時21分

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