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2011年9月30日 (金)

動物の心について (3)

 私は、この2つの主張の“中間点”のどこかに真実があるような気がする。第一の主張は、科学で言う「擬人化(anthropomorphism)」に陥る危険が大いにある。この主張は、自分の目の前にいる動物が人間と同等の感覚や心をもっているとの認識である。これが極端に走ると、イソップ童話の中に出てくるような世界が本当の世界だとする誤謬に近づいていく。私はそういう擬人的視点に与しないが、さりとてどんな動物の行動も、学習や条件反射のような、刺激に対する自動的反応にすぎないとは考えない。それは、あまりにも単純なものの見方だと思う。私は、高校生のころに柴犬を飼っていたことがあり、家族をもつようになってからはブンチョウを飼ったこともある。また、現在も自宅の庭では池にコイが泳いでいるし、野良ネコと遭遇することも案外多い。そんな時、彼らと少しばかり“交流”するのだが、彼らの人間に対する反応が、まったく条件反射的であり機械的であると考えることには、かなり無理を感じるのである。
 
 次の文章を読んでほしい--
 
「私たちは皮膚の内側での自分の経験は分かるけれど、他の身体の中での経験について知ることは厳格に制限されている。従って他の動物の意識を研究しようとしても必ず失敗の運命にあるように見えてしまうのだ。」

 --この言葉は、動物行動学者のマリアン・S・ドーキンズ氏(Marian S. Dawkins)の著書『動物たちの心の世界』(長野敬他訳、青土社、1995年)の一節である。ドーキンズ氏は、頭痛を訴える人を目の前にした自分を想像し、相手の感じている痛みを自分が感じられないという事実を指して、「他の身体の中での経験について知ることは厳格に制限されている」と言っているのだ。もちろん、相手の表情や仕草を見て、その人が味わっている苦しみを想像することはできる。また、自分がかつて経験した頭痛を思い起こして、痛みを追体験しようと努力することも可能だ。しかし、その想像上の痛みと、相手が現に感じている痛みがまるで別ものであるという可能性は常にある。この「痛みを意識する」という一見単純な行為ひとつを取り上げてみても、人間同士の間でも、すでにこれほどの“知の断絶”がある。だから、人間以外の生物の意識について我々が知ることは、ほとんど不可能と思われる--そうドーキンズ氏は言っているのである。
 
 が、ここで「不可能である」と断定すれば動物行動学は成り立たない。だから彼女は、人間が他人の心を理解するための想像力の活用や感情移入を援用して、動物の“立場”や“状況”を詳しく知る努力をすれば、動物の心--もしそういうものがあるとすれば--の状態を類推することは可能だと考えるのである。これに対し、人間とは異なる動物の事情を考慮することなく、単なる“直感”に頼って動物の心を仮定する擬人化は、人を誤った判断に導く、とドーキンズ氏は警告する。
 
「他人を真に理解することは、その人の視野からものを見、何が起こったのかを見つける労を惜しまないことによって、はじめて実現する。同様に、他の生物を理解するはるかにむずかしい仕事は、その生物が私たちとすっかり同じであると考えたくなる誘惑を抑えるために、その生物の生物学と生活様式の事実について知り得るすべてを用いて、同じ労を厭わずに行なってはじめて可能になる。他の生物を人間とそのまま同じように見る“擬人化”は、人間と動物の類似をまったく認めないのと同じくらい誤りである。」(前掲書、pp.30-31) 

 ここで強調しておきたいのは、ドーキンズ氏が「その生物が私たちとすっかり同じであると考えたくなる誘惑」と呼んでいる力が、我々人間にとっては相当強力であるという点だ。それは例えば、人間は何の因果関係がないところにも、因果関係があると「思いたい」という理由で因果関係を見ることが多い。これは占いやオミクジの類いが、未だに人気があることからも明らかである。Aという出来事の後にBという出来事が起これば、AはBの原因であると考えやすい。しかし、本当はCという別の出来事が原因でAとBが起こった場合でも、「Aの後にBが起こる」ことはあり得るし、Cという共通の原因などなくても、「Aの後にBが起こる」ことは確率的にはあり得るのである。
 
 我々人間が因果関係のないところにも因果関係を見る傾向について、ドーキンズ氏はこう言っている--「私たちの頭脳はパターンを検出するように進化してきた。パターンがない場合にも検出しようとする。(中略)このことは、秩序や予測性が存在しない場合にも、それを見いだそうとする私たちの性向を証明している。」(p.115)
 
 このことが、学習や経験則に従ったほぼ自動的、反射的な動物の行動と、「考える」ことから生まれる行動との区別を難しくしている。そして、動物が物事を考えて行動しているような--したがって動物に心があるような--“直感”を我々に与えることが多いのだ。しかし事実は、動物は「考えて」いるのではなく、学習によって得た行動を単純に繰り返している場合が多いのである。そういう区別を考えながら、ドーキンズ氏は様々な動物が示す一見複雑な行動の背後に、「心」の動きがあると判断すべきかすべきでないかを、この本の中でていねいに確認していくのである。
 
 谷口 雅宣

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