2020年8月23日 (日)

縄文人と住居の火

  前回のブログの記述から2週間以上たってしまったが、縄文時代について少しだが勉強する機会があった。そこで何が言えるかと言うと、断定的なことはあまり言えないのである。つまり、考古学者による研究は進んでいるが、それらの研究から“定説”的なものが積み上がり、専門家の

間で一応合意された縄文時代の全体像が見えているのかというと、そうでもないのである。

 例えば、人類にとって大変重要な「火の使用」についてだが、前回引用した岡村道雄氏の『縄文の生活誌』には、縄文初期の人々の生活について、次のようにある--

「炉穴では肉や魚の燻製を作るだけでなく、土器を使っての煮炊きやドングリのアク抜きもした。炉穴は、縄文環境の成立と同時に南九州に普及したが、やがて縄文環境と定住が北上するとともに、早い時期から近畿・中部高地・関東地方まで広がっていった。ただし、竪穴住居内に炉が設(しつら)えられるようになると姿を消し、調理は屋内の炉、燻製は炉の上の火棚で行われるようになった」(p.71)

「縄文土器の基本は、食料を調理する煮炊き用の深鉢土器です。土器で煮炊きができるようになって、人びとはドングリやトチの実、ワラビ、ゼンマイなどの山の幸、貝類などの海の幸を新たに日常食のメニューに加えられただけでなく、さまざまな食材を組み合わせて、味覚や栄養のレパートリーを広げることができました。そして、何よりも衛生的でした。縄文時代は、土器のおかげで食生活を格段に豊かにすることができたのです。」(勅使河原彰著『縄文時代ガイドブック』、p.12)

「縄文時代の竪穴住居には、普通、床の中央か、やや奥寄りに炉が1つ切られている。この炉には、深鉢形の土器がおかれて、食料が煮炊きされるが、暖や明かりをとるなど、一家団欒の場となった。炉の近くの床には、水を入れた深鉢形の土器や加工した食料品を入れた浅鉢形の土器、木の実を入れたカゴ、あるいは木の実を製粉する石皿や磨石などが所狭しと置かれていた。」(前掲書、p.59)

 このような縄文土器の用途の記述を見ると、それが「食料の煮炊き用」であることに異存を唱える人はいないようである。が、この食を得るための調理を縄文人がどこで行っていたのかという話になると、少し様子が変わってくる。上に引用した文章の筆者は、二人とも「室内」での煮炊きを当然としているようだが、「屋外」だと主張する人もいるのである。この主張は、竪穴住居跡に残された炉の底が、多くの場合「加熱によって赤レンガのように固くなっている」ことに注目した小林達雄氏によるものだ。小林氏は、まず炉の「灯りとり用」の用途と「暖房目的だけ」の用途を、理由をつけて「考えにくい」と否定した後で、次のように述べている--

「しかも、誰しもがすぐに思いつき易い、煮炊き料理用であったかと言えば、その可能性も全くないに等しいのだ。このことは極めて重要な問題である。とにかく、いくら室内の炉で煮炊き料理をやっていた証拠を探し出そうにも、手掛りになるものは何一つ残されてはいない。不慮の火災で燃え落ちた、いわゆる焼失家屋に土器が残されていることはあっても、そこには煮炊きに無関係の、しかし呪術や儀礼にかかわるかのような特殊な形態の代物--釣手土器、異形台付土器、有孔鍔付土器--ばかりである。縄文人の食事の支度は、どうも通常、住居の外でなされていたものらしい。」

 小林氏は、現代においても寒冷地に住むイヌイットが、厳寒期や悪天候の時以外はなるべく戸外で食事をする傾向があることを指摘し、気候温和な縄文時代の人が戸外での食事を原則としても不思議でないと述べ、さらには縄文人が竪穴住居で大きく火を燃やすことの問題を、次のように述べている--

「炉で火を燃やせば燃やすほど、煙が立ちこめて、眼を開けていられないほど苦しく、咳が出たり、涙があふれたり、たまらない思いをすることがある。この現実を直視して初めて縄文人に接近し、血を通わすことができるのである。博物館に復元された住居の中で縄文家族がこざっぱりした顔つきで炉を囲んでいる姿は虚像なのだ。そこにはガスや電気の恩恵を身一杯受けた、遥かに縄文放れした現実がそのまま投影されている。」(p.97)

 では、縄文人が家の中にわざわざ炉を構え、そこで火を燃やし続けた目的は何か? 小林氏は、そこに宗教の芽生えを見るのである。



「つまり縄文住居の炉は、灯かりとりでも、暖房用でも、調理用でもなかったのだ。それでも、執拗に炉の火を消さずに守り続けたのは、そうした現実的日常的効果とは別の役割があったとみなくてはならない。火に物理的効果や利便性を期待したのではなく、実は火を焚くこと、火を燃やし続けること、火を消さずに守り抜くこと、とにかく炉の火それ自体にこそ目的があったのではなかったか。その可能性を考えることは決して思考の飛躍でもない。むしろ、視点を変えて見れば、つねに火の現実的効果とは不即不離の関係にある、火に対する象徴的観念に思いが至るのである。火を生活に採り入れた時点から、火の実用的効果とは別に世界各地の集団は、火に対して特別な観念を重ねてきた。その事例は、いまさらながら枚挙にいとまがない。縄文人も例外ではなかった。」(p.94) 

 さて、私自身はどちらの説に賛同するかと問われると、どちらか一方を現時点で選択することを大いに躊躇する。理由は、まだ勉強不足だからだ。しかし、今回のように1万数千年も前の人々の生活を考えるに際して、私たち現代人が注意しなければならないことを学ぶ機会を得た気がする。それは、「現代人の頭だけで考えない」ということと、それでも「同じ人類の一員として考える」ということだ。この2つは一見、矛盾しているように聞こえるかもしれない。が、宗教をなりわいとしている人間にとっては、常に意識しておくべきことだと感じる。詳しい説明のためには、稿を改めたい。

 谷口 雅宣

【参考文献】
〇小林達雄著『縄文の思考』(筑摩書房、2008年)
〇岡村道雄著『縄文の生活誌』(講談社、2008年)
〇勅使河原彰著『ビジュアル版 縄文時代ガイドブック』(新泉社、2013年)

| | コメント (0)

2020年8月 7日 (金)

縄文時代は長かった

 7月27日の本欄では、生長の家の“森の中のオフィス”で先日行われた「石上げ」の行事の解説で、私は「石と人間の関係」の次に、「縄文時代の特殊性」について話した、と書いた。しかし、この話の全体の時間は30分ほどだったので、詳しい話はできず、ごくごく一般論を述べるに留まった。縄文時代の人々の生活の様子や信仰の中身、文化論のようなものを話したわけでは決してない。だいたい私は縄文文化の専門家ではなく、考古学マニアでもなく、ましてや考古学者ではないから、縄文時代の文化について自信をもって話せることはあまりない。が、たった1つ、これまで専門家や研究者のあいだで合意されている事実の中で、私が素人なりに「特筆すべきだ」と感じたことを述べたに過ぎなかった。それは、この時代の「長さ」だった。

 中学や高校の教科書にある縄文時代の記述を読んで、この時代の重要性をすぐに理解できる人は少ないだろう。少なくとも私自身は、高校生の時に、この時代が重要だとはまったく思わなかった。むしろ、「すごい昔だから、今の時代や生活とは関係が薄く、だから重要でない」と感じていた。時代の古さについては、平凡社の『世界大百科事典』の「縄文文化」の項には次のようにある--

「日本列島における旧石器時代文化に後続する狩猟漁労採集経済段階の文化。縄文土器編年に基づいて草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6期に区分される。その開始は、炭素14法の年代測定値や汎世界的な海水準変動の地質学的年代などから前1万年前後と推定する長編年説、相対年代法により約前2500年とする山内清男の短編年説があるが、実際は長編年説にやや近い年代と考えられる。」

 入り組んだ文章でわかりにくいが、これを簡単な日本語に“翻訳”すれば、縄文時代の始まりは「明確には分からないが紀元前1万年前後と推定される」ということだ。私が注目したのは、この時代の始まりと推定される「紀元前1万年」という古さではなく、この時代がいつまで続いたかという「長さ」だった。同じ事典には、炭素14法による測定をもとにして、縄文文化が終る年代を「前300」と書いてある。つまり、約1万年も続いた文化が日本にはあったのだ。

 このような理解は、しかし一時代前には存在しなかった。例えば、1972年に発行された高校用の教科書『新訂 日本史』には、「縄文文化は約1万年前から数千年にわたって、大陸から孤立した日本列島の各地に普及した」と書いてある。(p.11)この教科書が当時の文部省の検定を通ったのは1970年である。また、これより17年後に検定を通った『新詳説日本史』という教科書は、「弥生文化の成立」という項目を次のような書き出しで始めている--

「日本列島で数千年にわたって縄文文化がつづいている間、中国大陸では、紀元前5000~4000年ころ、黄河中流で畑作がおこり、長江(揚子江)下流域でも稲作がはじまり農耕社会が成立した。」(p.14)

 これらの教科書の「数千年」という表現が「約1万年」よりも短いということだけを、私は言っているのではない。縄文文化という言葉を聞いて、「中国大陸から孤立した」とか「農耕を知らない」などという語が頭に浮かんできたのは、昔の話で、1980年代後半からの発掘調査や研究によると、古い縄文時代観は書き換えられつつあるという。

 考古学者の岡村道雄氏によると、技術革新に加え、考古学と自然科学との連携が新しい発見を次々と生んでいるのだ--

「多くの現場を広く深く、しかも確かな発掘技術を持つプロが掘る。そして、現場から出土した遺物を科学の力も借りて微細なレべルまで分析する。その成果の積み重ねが縄文ブーム、縄文観の書き換え、ひいては考古学ブームの根底にあるのである。(…中略)…
 細々と獲物を捕り、貝を拾い、木の実を集めて、竪穴住居にひっそり暮らしてきた二十人から三十人の集団があったという縄文人のイメージは、この十年で完全に塗り替えられたのである」(『縄文の生活誌』、pp.87-88)

 さて、縄文時代への理解の変化についてはこのくらいにして、その文化が「1万年も続いた」という主題にもどろう。
 言うまでもないことだが、今年は西暦の2020年である。つまり、イエスが誕生したと推定される年から2020年たったということだが、このイエス誕生の頃に、日本では弥生時代が始まったとされている。約2000年前である。で、この弥生時代が現代まで続いていたら、どんなだろう? 私たちは、そんな世界を想像できるだろうか? 鉄道はなく、航空機もなく、ビルもなく、自動車もなく、もちろん電話やパソコンやスマホもないし、映画や遊園地、オリンピック、レストラン、金融機関、そして政府もない。これだけでも大変なことだが、1万年はその5倍の長さである。


 この時代の長さは、数字でデジタルに考えるよりも、視覚的にアナログ化することでより明確になる。先日行われた「石上げ」の行事の解説では、私は「縄文スティック」(=写真)と名づけた木の棒を参加者に配り、手に取ってもらった。そして、写真にあるように、赤い色が塗ってある側を左に向け、色の塗っていない部分を右に向けて眺めてみる。これを“時の流れ”として見るのである。もっと具体的には、7ミリの長さを「500年」の時間の経過とすると、赤い色の部分が1万年、青い部分が2000年になる。色のない部分は、これからの未来だ。こうすると縄文時代に比べ、古墳時代以降、現代に至るまでの時の流れがどんなに短いかが、視覚的によく分かるのである。こんな長期にわたって、さほど大きく変化しない生活を人々が延々と続けていたのが縄文時代なのである。

 現代人が考えると、こんなに変化がなくつまらない、退屈な時代はないと考えがちだが、同じことを別の角度から表現すれば、こう言えないだろうか?--「それほど長期にわたって、人々は生活パターンを大きく変えることなく平和に共存してきた」のである。あえて理想化の危険を冒して言えば、この時代には、多少の血が流れるような小競り合いはあったかもしれないが、何万人も、何十万人もの死者が出る戦争はなく、他国や他民族を襲って奴隷とすることもなく、されることもなく、血なまぐさい革命はなく、経済恐慌が起こって大量の失業者が出ることもない。恐らく、大量の死者が出る飢饉や感染症の蔓延もなかっただろう。

 そんな安定した文化が続いた後に、日本人は(そして人類全体も)、その5分の1という極めて短い時間の中で、生活様式を変え、技術を変え、武器を変え、社会制度を変え、ものの考え方を変え、自然を変え、原子爆弾を爆発させ、公害をまき散らし、農薬やプラスチックを全世界に拡大し、多くの生物種を絶滅させてしまった。「縄文人と現代人と、どちらが幸せなのだろう?」などという疑問が湧いてこないだろうか。この疑問は、しかし人類の歴史のマイナス面に注目したものだ。

 生長の家は日時計主義だから、プラス面にも注目すると、また別の設問が浮かび上がる。それは、「弥生時代から現代に至る時の流れの5倍もの長きにわたって続いた縄文文化は、現代人と全く無関係なのか?」ということだ。言い直すと、「縄文人の遺伝子の一部を現代人が共有している可能性はないか?」ということだ。現代の遺伝学の発見によると、ヒトとチンパンジーなどの類人猿との遺伝子は、95%以上が共通しているというのだから、私は、その可能性は十分あると考える。とすると、私たちは今、現代社会が生んだ深刻な問題に対処するに際し、縄文人の生き方から学ぶべきことは多くあるのではないだろうか。そんな問題意識が、今回の「石上げ」の発想と結びついているのである。

谷口 雅宣

【参考文献】
○風間康男他著『新訂 日本史』(東京書籍出版、1972年刊)
○井上光貞他著『新詳説日本史』(山川出版社、1987年刊)
○岡村道雄著『縄文の生活誌』(講談社、2008年刊)
○下中弘編集発行『世界大百科事典』(平凡社、1988年刊)

| | コメント (0)

2020年8月 3日 (月)

石と信仰 (4)

 ところで読者は、「石」という漢字の由来をご存じだろうか。
 私が昔から使っている机上版の『新明解 漢和辞典』を引くと、「字源」の項目にこうある--

 「象形、厂(がけ)の下に口(石)がころがってある形」

 これは「口」と「石」とを同一視した説明である。ところが、同じ辞典で「口」という漢字の字源を見てみると、

 「象形、口の形にかたどる」

 とあるだけで、「石」については何も触れていない。「石という漢字は石の形をまねた」と言っているから、その「石の形」はどんなかと聞くと「口の形」だというのである。人間の口と石と、形がどう似ているのだろう。何だか判然としない。そこで、白川静氏の『字統』を見ると、こうある--

 「石は厂(かん)と口とに従う。厂は崖岸の象。口は□(さい)、祝禱を収める器の形で、石塊の形ではない。」

 さらにこうある--

「九下に〝山石なり。厂の下に在り。口は象形なり〟とするが、口は卜文・金文において祝禱の器とする形にしたがうものが多く、宕(とう)の字形もなおその形である。宕は廟形に従い、■(せき)も祭卓に従うていて、明らかに神事的な儀礼を示す字であるから、石の従う口も、祝禱の儀礼に関する意味をもつものとしなければならない。」

 ここにある「九下」や「卜文・金文」は、漢字研究の古い
資料を指すが、詳しいことは省略する。また、引用文中に「□」と「■」という伏字で示した文字は、現代の漢字表には存在しない文字で、画像で再現したものをここに添付した。白川氏が述べているのは、ある資料には「石の字源は山の崖の下にある石だ」と書いてあるが、古代文字の資料を見ると、これは「小石ではなく祝詞を収める器」を象ったもので、古代においては、「石」は崖の一部を構成するような「大石」や「岩」を意味していたということだ。そういう岩の下で(つまり、岩に直面して)祈りを捧げていたのが古代人だということになる。こうなると、「石」はもともと宗教行事と不可分の扱いを受けていたことになり、「石と信仰」の間はピッタリとつながるのである。

 日本全国の由緒ある岩石をめぐっている磐座(いわくら)研究家、池田清隆氏も、著書『磐座百選』の中で白川氏のこの解釈を引用し、「石の語源が、“巌のもとで祭祀を行う意”であることを知り、もっとも古い祈りの形であったことを理解する」と賛同している。

 この「磐座」という言葉は、前回の本欄でも出てきて「何だろう」と思った読者もいるかもしれない。そこで、同時に出てきた「磐境(いわさか)」と共に、池田氏の定義を紹介しよう--

「ようするに、岩石信仰といえるものを広い意味で磐座と表現するが、そのなかで、石そのものを神として信仰するものを石神とし、石や岩に神が依りつくという信仰を磐座とし、石で区切られた“空間”に神が降臨するという信仰を磐境とするというものだ」。(前掲書、p.10)

 そして池田氏は、この本の中で石神、磐境も含めた広義での「磐座」を表現した神社を百社選んで、写真入りで紹介している。それを見ると、日本人はいかに“大きな石”を宗教心をもって扱ってきたかがよく分かるのである。大体、神社や仏閣の名称自体に「石」や「岩」が多く使われてきたのである。例を挙げれば、次のようになる(括弧内は所在地の県名)ーー

 岩木山・大石神社(青森)、三ツ石神社(岩手)、磐神社・女石神社(岩手)、釣石神社(宮城)、立石寺・元山寺(山形)、石楯尾神社(神奈川)、石山寺(滋賀)、磐船神社(大阪)、石像寺(兵庫)、飯石神社(島根)、天岩戸神社(宮崎)

 では、これらの事実は日本人特有の感性を表しているのかと問うと、そうは言えないのである。このことはすでに本シリーズの2回目で、聖書の石に関する記述などに触れたので、了解されている読者もいるかもしれない。また、先に挙げた白川氏の見解が、日本だけに及ぶのではなく、漢字文化の発祥の地、中国にも適用されることは言うまでもない。このように考えれば、石と信仰とのつながりは地球上の一部の文化圏に限定されずに、人類すべてに及ぶ可能性は否定できないのである。

 そのことを暗示するもう一つの例は、あの有名なイギリスのストーンヘンジである。これは、同国南部のウィルトシャーにある古代遺跡で、講談社の『大事典desk』は次のように説明している--

「中央に祭壇石、その周囲に4重の列石と3重の穴の列があり、さらにその外側に溝がめぐらされてある。環石は北東方向に開いていて、そこにヒールストーンという石柱がおいてある。これは太陽崇拝に関係あるものといわれ、中央の祭壇石とヒールストーンを結んだ線上に当時の夏至の太陽が昇ったと考えられている。」

 フランスのブルターニュ地方にも「カルナック立石群」と呼ばれる新石器時代の大規模な遺跡があり、そこにはメネック、ケルマリオ、ケルレスカンという3群に分かれた5千もの立石が並んでいる。ケルトのデザインなどを研究している美術史家のイアン・ツァイセック氏によると、この立石群の目的は不明であるが、「ケルマリオが“死者の館”を意味するところから、立石群が弔いの儀式に関係があると古来信じられてきたが、現代の考古学はそれらが天文学上の目的と結びついていたのではないかという説に傾いている」という。(山本史郎・山本泰子訳『図説 ケルト神話物語』、p.253)

 谷口 雅宣

【参考文献】
○長澤規矩也編『新明解 漢和辞典』第二版机上版(三省堂、1981年刊)
○白川静著『字統』(平凡社、1994年刊)
○池田清隆著『磐座百選--日本人の「岩石崇拝」再発見の旅』(出窓社、2018年刊)
○イアン・ツァイセック著/山本史郎・山本泰子訳『図説 ケルト神話物語』(原書房、1998年刊)

| | コメント (0)

2020年8月 1日 (土)

石と信仰 (3)

 日本人は自然の営みの中に“八百万の神”を見出して、それらを信仰していたと指摘する人は数多くいるが、「日本人は岩石を信仰していた」と唱える人もいる。それは考古学者の吉川宗明氏で、その著書の中で次のように書いている--

「学校の歴史の授業でもほとんど習うことのない岩石信仰だが、日本列島に1千例以上ある信仰体系であることは揺るぎのない事実だ。その総数がどれほどの数に上るのか、全容については筆者自身もまったく把握できていない。
 ただ、一つはっきりしていることがある。それは、岩石はただ信仰されるだけにとどまらず、祭祀の道具や施設・装置にも使われており、信仰対象と同様に神聖な存在とみなされているということだ。信仰の目的や用途ごとに岩石の役割が使い分けられているため、その幅広さが岩石信仰を奥深く、かつ全貌をつかみにくくしているのである。
 また、岩石信仰は過去行われていただけの信仰ではない。現在も祭祀が続いている事例は多いばかりか、新しく信仰が生まれるケースも見受けられる。昨今盛んなパワースポットブームでも、岩石をパワーストーンや癒しの対象とみなす新たな信仰が続々と生産中だ。岩石信仰は、昔も今も信仰する人々がいる、現在進行形の生きた信仰ということにも注意したい」(『岩石を信仰していた日本人』、p. 12)

 「岩石を信仰する」という表現は、まるで岩石自体を神仏と見なして信仰するように聞こえるが、そうではなく、吉川氏によると、「岩石を使った祭祀行為全般をひっくるめた概念」のことを「岩石祭祀」と呼ぶ。そして、同氏は「その岩石が、人々によってどのような役割を与えられているか」という機能に注目して、次の5分類を提示している--

(1) 信仰対象 (280)
(2) 媒体 (934)
(3) 聖跡 (344)
(4) 痕跡 (8)
(5) 祭祀に至らなかったもの (362)

 同氏は、日本全国の2,187の事例に当たって分類した結果、上記リストの括弧内の数字を得たという。この分類は、神道考古学者の大場磐雄氏が1942年に提唱した「石神」「磐座(いわくら)」「磐境(いわさか)」の3分類を取り込みながら、神道の範囲を超えて普遍化したものとしている。

 この分類結果を見ると、日本で多く見られる岩石に関わる信仰形態は、岩石そのものを信仰するのではなく、それを信仰の「媒体」とするものだということが分かる。具体的には、岩石を神や仏が宿る施設と見なしたり、願いをかなえる道具として岩石を使ったり、岩石を神性な空間の領域を示す道具に使ったり、祭祀を遂行する道具としたりすることである。

 このような学問的なアプローチを採用すれば、生長の家が「石上げ」などの行事を通じて岩石を利用する場合、また自然解説/文化遺産

解説の過程で岩石に言及する場合も、教義との矛盾を起こさずに行えるだろう。言うまでもなく、生長の家は唯一絶対神を信仰する宗教だから、上記の(1)の意味で岩石を使用することはあり得ない。しかし、(2)の観点から利用することに教義上の矛盾はないのである。だから、2011年3月の東日本大震災を契機として、その2年後に、京都府宇治市の生長の家宇治別格本山の敷地内には、「自然災害物故者慰霊塔」が建てられた。この慰霊塔には、兵庫県で産出される安山岩の一種「生野丹波石」という自然石が使われている。また、私が勤める“森の中のオフィス”の敷

地内には、そこを流れる沢に5つの橋がかかっているが、その傍らにはそれぞれの名前を記した石碑(=写真)が立っている。これらも「信仰の対象」ではなく、信仰の内容を言葉で表した「媒体」としての石の利用なのである。

谷口 雅宣

【参考文献】
○吉川宗明著『岩石を信仰していた日本人ーー石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれるものの研究』(遊タイム出版、2011年刊)

| | コメント (4)

2020年7月29日 (水)

石と信仰 (2)

 石上げの自然解説では、私は3つのポイントを話した--①石と人間の関係、②縄文時代の特殊性、③数の「3」と三角形だ。

 石と人間は、生活の手段や道具としてだけでなく、宗教や信仰とも深く関係している。世界の神話をひもとくと、石や岩は、人間の生活や行動の中で重要な位置を占めている。ギリシャ神話の「シーシュポスの岩」や日本神話の「天の岩戸」の話はすぐ思い出すが、そのほかにも数多くの事例がある。東京大学出版会が出した『宗教学辞典』の「石」の項には、次のようにある--

「古代人は、道具・器物として石を用いるかたわら、幸運や力の分与を期待して石を崇拝した。小石、大石、板石、石塊、窪みのある石、穴のあいた石、人獣の姿に似た形の自然石、立石、環状列石(メンヒル)、境界石、墓石(ドルメン)、隕石、フリント、砥石、石斧、水晶、各種宝石、人跡まれな場所で見いだされた石、特定の人間や出来事にかかわる石等々。このような石が、力・毅然・新鮮・豊饒・生命・堅忍・永続・幸運・信頼の象徴として、それぞれの時代や地域における社会や文化に規定された儀礼や伝説・物語の結晶核となった。」(p. 18)

 このような包括的なまとめの後に、同辞典は、石の宗教的機能として①呪術的な力、②神の座・神的表象、③原因譚的・神話的説明を人間に与えるとして、様々な時代、様々な文化圏で石が具体的にどう扱われてきたかを記述している。ここではそれらのごく一部を紹介しようーー

・インドには浄めのため、あるいは潔白の証明として、石の穴や下をくぐりぬける慣行がある。
・南インドのバラモンたちは、家庭での礼拝のために神性を表象する5つの石を使った。
・ギリシャでは、ヘラクレスやエロスなどの神々の名のついた自然石が戸外に置かれている。
・ユダヤでは、神との契約の証として石を立てた。(『ヨシュア記』第24章26ー28節)
・アラブのサヘル族は、自分たちはモアブの地の石から出生したと信じた。
・神のお告げを受けたヤコブは、自分が枕にしていた石を立てて「神の家」とした。(『創世記』第28章18-22節)

 これらに加え興味深いのは、人間が山から切り出した石と自然石に対する見方の違いである。中世のキリスト教芸術に詳しいミシェル・フイエ氏によると、石は神がそこにある(臨在する)しるしであり、したがって「祭壇を築くには、切り出した石を使うことは禁じられ、自然のままの石だけを使わねばならないとされた」という。その理由は、「自然石は天から落ちてきた聖なるものであるのに対して、切り出した石は、人間が作り出したものであるため、けがれていると考えられた」からだという。(『キリスト教シンボル事典』、p.19)

 このように、自然石には「神性が宿る」という考え方があるならば、それより大きい「岩」には、さらに偉大な力があるとの考えが生まれたとしても不思議ではない。同氏の「岩」の意味についての記述には、その通りのことが書いてある。

「①頑丈でびくともしない岩は、権力と永遠性のシンボルである。聖書の数多くの節で、ヤハウェは苦境に陥った人間がすがりつくべき岩にたとえられている。ヤハウェが岩であると言われるのは、彼が--モーセによれば--“正しくてまっすぐな方”だからだ。シナイの荒れ野で、モーセがホレブの岩を杖で叩くと、清水が湧き出した。
 ②この岩は、キリスト教の伝統では、キリストの予示とされる。キリストは霊の飲み物がほとばしり出る岩なのである。」(前掲書、pp. 24-25)

 岩や石が力と永遠性を象徴するという感性は、ユダヤ=キリスト教圏だけにあるのではない。日本神話には、ニニギノミコトが容姿端麗なコノハナノサクヤヒメに一目ぼれし、結婚相手として父神のオオヤマツミノミコトに所望した際のエピソードがあるが、そこには結婚生活は「美しい」とか「華やか」だけではいけないというメッせージが盛り込まれている。世界の神話に詳しい吉田敦彦氏の解説で紹介しよう--

「オオヤマツミは大喜びして、姉娘のイワナガヒメまで付け、たくさんの贈り物を持たせて、姉妹二人を妻に奉った。ところがホノニニギは、石のように醜い姉のほうを嫌って、手をつけずに送り返してしまって、妹のほうだけを妻にした。そうするとオオヤマツミは怒って、『古事記』によれば、“イワナガヒメを妻にされることで、あなたのお命が、石のようにいつまでも堅固であられるように、またコノハナノサクヤヒメを妻にされることで、花のように栄えられるようにと祈願して、二人を奉ったのに、イワナガヒメを返し、コノハナノサクヤヒメだけを妻にされたので、あなたの寿命は花のようにはかなくなるでしょう”と言って、ホノニニギと、その子孫の代々の天皇の命を短くしてしまったといわれている。」(『世界神話事典』、p.113)

 この箇所で私が重要だと思うのは、イワナガヒメとコノハナサクヤヒメの双方が揃うことの意味を、『古事記』(の作者)がどう訴えているかという点である。上記の解説では、美醜の違い、華やかな美と堅固さとの対照が示されているが、原文では、オオヤマツミは、自分の怒りの理由を次のように述べている--

「我が女(むすめ)二たり並べて立奉(たてまつ)りし由は、石長比売(いわながひめ)を使はさば、天つ神の御子の命は、雪零(ふ)り風吹くとも、恒(つね)に石(いわ)の如くに、常(とき)はに堅(かき)はに動かずまさむ。また木花の佐久夜毘売(さくやひめ)を使はさば、木の花の栄ゆるが如(ごと)栄えまさむと誓ひて貢進(たてまつ)りき。かくて石長比売を返さしめて、ひとり木花の佐久夜毘売を留めたまひき。故、天つ神の御子の御寿は、木の花のあまひのみまさむ。」といひき。

 当時の日本は一夫一婦制ではなかったから、二人の妻の一方を拒否する理由は現代人が考えるものとは一致しないだろう。これは個人の嗜好の問題としてではなく、人間が表面的な派手さや短期的な繁栄に目を奪われがちであることへの警告だ、と私は受け取る。また、上述した他の文化圏での「石」や「岩」のシンボリズムを考え合わせると、神や“神性”が表面的な美や短期的栄華の中にはないとする英知が暗示されていると解釈できる。

【参考文献】
○小口偉一/堀一郎監修『宗教学辞典』(東京大学出版会、1973年刊)
○ミシェル・フイエ著/武藤剛史訳『キリスト教シンボル事典』(白水社、2006年刊)
○大林太良、伊藤清司他編『世界神話事典』(角川書店、2005年刊)
○倉野憲司校注『古事記』(岩波書店刊、1963年)

 

 

| | コメント (0)

2020年7月26日 (日)

石と信仰 (1)

 去る7月24日、山梨県北杜市にある生長の家国際本部“森の中のオフィス”では、「天女山への石上げと自然解説」という行事が行われた。これは、標高1300mにあるオフィスから同1529mの天女山の頂上まで、参加者である職員有志が石を背負って自転車でIshiage20201 登るという行事である。(=写真)この日は新しく決まった「スポーツの日」だったから、それに因んでスポーツ行事を行ったわけではない。それどころか、この日は私たちにとっても祝日で、オフィスの職員には出勤する義務はなかったが、約30人が参加してくださったのは大変ありがたかった。

 この行事は私の発案で、それにSNI自転車部とSNIクラフト倶楽部の事務局が計画段階から実行まで協力してくれた。この場を借りて感謝申し上げます。

 「石を背負う」というと、何か苦役を強いるような印象があるかもしれないが、背負う石は片手で持てるほど小型のもので、それを各自が常日頃通勤で使う背負いカバンに入れて登るのである。私の場合、それでもノートパソコンや弁当を入れた普段のカバンよりは重かった。これらの石には、カバンに入れる前に各自がタガネで細工を施した。その内容については後述するが、この細工の前に、私が石についての“自然解説”を行なった。そして、天女山頂に全員が登ってから、石を所定場所に納める儀式を行なった。

 これだけの説明では、何か“奇異な儀式”だと思う読者もいるかもしれない。が、愛知県犬山市では現在も毎夏、これよりずっと大規模な石上げ祭が行われている。この祭では、山頂に上げる石はもっと大型で、それを神輿に括り付けて何人もの成人男性が担ぎ、子どもや女性はその前をロープで引いて上がるという。参加人数もずっと多く、神輿を運ぶ掛け声なども響いて、賑やかな祭である。この行事にはまた、個人が小型の石に願いごとを書いて山頂まで運ぶという選択肢もあるらしい。私たちの今回の行事はそれをマネたのではなく、この計画を聞いたオフィスの職員が、「そういう祭なら自分の故郷で昔からやっている」と、あとから教えてくれた。とにかく、「石を運ぶ」という行為は、宗教行事として昔から成立しているのである。



 それどころか古来、洋の東西を超えて、石は信仰の対象として、また信仰対象の象徴として、あるいは宗教儀式の重要な道具となってきた点は、強調しておきたい。私は、このことを当日、例を挙げて石上げ前の自然解説でも若干言及したが(=写真)、充分な説明にはならなかったので、この場を借りて詳しく説明することにした。また、読者には、これを「自然解説の方法を取り入れた生長の家独自の環境教育」(本年度運動方針前文)の一部として理解していただけるとありがたい。

 さて、「自然解説」については、すでに2018年に、私は生長の家総本山発行の『顕齋』誌上で何回かに分けて説明した。その時にも触れたが、アメリカで成立したこの営みは英語で「interpretation(インタープリテーション)」という。この語を「解説」と和訳したところから、誤解の余地が生まれていると私は思う。何となくスポーツ解説みたいだからだ。が、ここではそのことはさておき、アメリカではこの営みを「nature interpretation(自然解説)」「heritage interpretation(文化遺産解説)」の2つに大別しているようである。前者は、自然の営みと人間との関係に焦点を当てるのに対し、後者は、人間の営みである文化遺産の意味や重要性に焦点を当てる。

 しかし、生長の家では「神・自然・人間は本来一体」と考えるので、私は両者を峻別して考える必要はないと思う。また、アメリカで「文化遺産」と言った場合、ヨーロッパからの移民を基礎にしたものが多いため、歴史的には数百年前までしか対象にしない。これに対し日本では、歴史時代だけで約2000年、縄文時代までを含むと約1万2000年が文化遺産の対象となる。そのような古代や中世においては、自然と人間の関係は現代よりもはるかに密接だったから、人間の営みである文化を自然から分離して考えることはできないと思う。そんな理由で、生長の家が日本で行うインタープリテーションは、自然を対象にしても日本の文化を含み、文化遺産を対象にしても、その背後にある自然の営みを無視して行うことはできない。そこで今回の「天女山への石上げと自然解説」においては、両者を意識的に分けなかった。

 谷口 雅宣 

| | コメント (0)

2020年5月12日 (火)

ボードゲーム「コロナバスターズ」について

 本年4月19日付で、私はフェイスブック上で運営する「生長の家総裁」のページに「コロナバスターズ」というボードゲームを発表した。このゲームは、同じくボードゲームである「オセロ」からヒントを得た対戦ゲームで、相手の円盤(石)を自分の2個の円盤で挟むことで、自分の円盤としてしまう。この「敵であったものが味方になる」というゲームの基本が、私が表現したかったポイントの1つである。

 このゲームは「新型コロナウイルス感染症」という面白くないことから生まれた。それなのに「面白い」ことを目的とするゲームにして遊ぶというのは、不謹慎だと感じられた人もいるだろう。実際、このゲームの発表後、私に対して「ゲームは恐怖心を煽る」とか「日時計主義でない」などという不満を漏らす人もいた。しかし、ゲームの内容を知れば、この種の不満は的外れであることが分かったはずだ。ゲームでは、ウイルスを自分の味方につけることで、感染拡大を防げることになっている。この筋書きが荒唐無稽でないことは、本文の後半で述べる通りだ。

 しかし、その前にひと言――
 この病気により、世界中でたいへん多くの方々が亡くなっていることに、私は心が傷む。それだけでなく、経済活動は中断し、失業者は増加を続け、一部の途上国では、国内の政治的対立も加わって貧困がさらに深刻化し、国家の存続にかかわる非常事態にいたっている。そして医療現場では、医療従事者の方々が文字通り「命がけ」の努力を続けられている。このような深刻な事態になる前に、人類は何か予防措置を講じられたはずだ。しかし、実際はできなかった。その原因は何か? この疑問に答えることが、今後の私たち人類全体の行方の吉凶を決めるだろう。

 多くの人々は、こんな悲惨な事態をひき起こす「ウイルス」のことを、とんでもなく“悪い”ものだと考え、恐怖に駆られたり、憎しみに燃えたりするかもしれない。しかし、ウイルスによる感染症の歴史を振り返ってみると、エイズや狂牛病、鳥インフルエンザ、ジカ熱、デング熱、SARS、MERS……など、その原因を作っているのは、実は人間の方であるという事実に突き当たるのである。今回の感染症も同様の起源があることは、各方面から指摘されているし、私もすで本欄などで述べた。

 ウイルス感染症の誕生と人間との関係をひと言でいえば、人間は自然界のすみずみに、そして自然の奥深くにまで手を伸ばし、自己本位の目的でそれを改変し、また無秩序に利用してきたことで、永年安定していた自然界のバランスを崩しているということだ。このアンバランスの状態から、自然がバランスを取り戻そうとする過程で、人間に致命的な毒性をもつウイルスや細菌が生まれ、あるいはもともと存在していても、人間と関係しなかったウイルスや細菌が、人間の生活圏に飛び込んでくるのである。語弊を恐れずに言えば、人間は自然を壊しながら自然に近づきすぎている結果、人間に致命的な影響を与えるウイルスの産生に大きく関与しているのである。

 こんな書き方をすると、読者は、ウイルスはもっぱら人間に有害であるとの印象をもつかもしれない。しかし、それは誤りである。人間の遺伝子全体のことを意味する「ヒトゲノム」という言葉があるが、このヒトゲノムの8%以上は、人間が進化の過程で関係してきたウイルスゲノム、またはその残骸からできていると考えられている。つまり、ウイルスは人類の生存と発展に有益に働いてきた証拠が、私たちの遺伝子の中にきちんと残っているのだ。例えば、人間を含む哺乳動物は、母親とは遺伝子が異なる胎児を、拒絶反応を起こさずに長期にわたって母体内で育てる能力をもっている。これには先に述べた“内在性ウイルス”の働きが関与しているとされている。

 ウイルスが感染すれば、感染した人(宿主)はすぐに病気になるという考え方も、多くの場合、間違っている。そうではなく、大抵は感染自体は無症状に終わる。しかし、ウイルスがまだ新しい宿主(ヒト)に適応しきれていない今回のような場合に、重篤な症状が起こるのである。この激しい症状は、感染したウイルスに対する宿主側の免疫反応であることが多い。つまり、私たち人間の側が新しい“異物”に対して激しい拒絶反応を起こすのである。ウイルス学の知見によると、特定のウイルスが人間と接触する時間が長くなると、双方が相手に適応する形で症状の激しさを減らしていく傾向があるという。そして、病気の症状を引き起こしにくくして、しばしば長期間の(無症状の)感染を続けるという。つまり、ウイルスと宿主とは一種の“平和共存”を達成するのだ。

 ウイルスと宿主とのこのような関係を考え合わせると、私たちは今回の新型コロナウイルスの登場を“悪魔の仕業”だとか“神の処罰”だなどと考えて恐怖し、あるいはウイルス全般に対して憎悪の感情を振り向けることは見当違いであることが分かる。人類を集合的に「私たち」と呼ぶ場合、この新型コロナウイルスは、私たちが自然破壊とグローバル化の過程で作り出したものである。また、その誕生の原因としては、宿主となる野生動物(コウモリやセンザンコウの名が挙がっている)と人間との必要以上の濃厚で密接な接触が挙げられるのだ。

 オーストラリアのABCテレビは、今回の新型コロナウイルスによる大規模な感染症拡大は、「人間の地球規模の自然と動物軽視」が原因だというジェーン・グドオール博士(Jane Goodall)とのインタビューを、今年4月11日付でウェブサイト上に公開した。グドオール博士はアフリカでのチンパンジーの研究で有名で、自然保護の必要を説き続けてきた環境運動家でもある。記事の中でグドオール博士は、ウイルスが動物から人間に感染する原因の一つは、動物の生息地の減少と大規模農法にともなう森林伐採だと述べ、これにより動物同士の、また動物と人間との接触が深まり、異種間での感染に結びついていると語っている。

 また、同国のチャールズ・スタート大学(Charles Sturt University)の生物学者、アンドリュー・ピーターズ博士(Andrew Peters)は、今回のコロナウイルス感染症のほかにも、同国ではいくつかの感染症の危険が拡がっていると指摘している。その1つは、ヘンドラウイルス(Hendra virus)による感染症で、このウイルスはコウモリから人と馬に感染して宿主を死に至らせるといい、「この感染症は、オーストラリアの海岸地域から森林が失われ、冬場のコウモリの生息地が減少していることが原因だと言われている」と語っている。

 「コロナバスターズ」のゲームでは、ウイルスは取扱い次第で人間の敵にも味方にもなる。私たちは、科学的にも正しいこのウイルスの特徴を知りながらゲームを行なうことで、感情に流されず、理性的な判断と方法で、この問題の解決に取り組む――そういう精神を広めていきたいものである。

 谷口 雅宣 

【参考文献】
〇西條政幸著『グローバル時代のウイルス感染症』(日本医事新報社、2019年)
〇デービッド・R・ハーパー著/下遠野邦忠、瀬谷司監訳『生命科学のためのウイルス学――感染と宿主応答のしくみ、医療への応用』(南江堂、2015年

 

| | コメント (3)

2020年4月11日 (土)

コロナウイルスは何を教える (2)

 生長の家は、山梨県北杜市にある国際本部“森の中のオフィス”と、同本部の広報・制作/編集部門がある別棟のメディアセンターの2つの施設を明日、4月12日から同21日まで閉鎖することにした。これは、同メディアセンターに勤務する男性職員が4月初旬から発熱や倦怠感などを覚えて体調が優れず、4月7日からは休務していることを重く見たもの。同職員はPCR検査をまだ受けていないが、検査を実施して結果が出るまで対応を長引かせるよりは、新型コロナウイルスの感染拡大防止を最優先に考え、迅速な対応を行なうことにしたもの。2施設の閉鎖中の業務は、基本的に職員が「在宅」で行うことになる。

 今回の新型コロナウイルスによる感染症の世界的蔓延は、かつて例のない規模と速度を伴いつつ、人命や社会の経済活動に甚大な影響を及ぼしている。私は前回のブログで、この感染症によって現代社会が甚大な被害を受ける理由の1つとして、「過剰なスペシャリゼーション(専門化、特殊化)」を挙げた。この表現は、社会のあり方のマイナス面を強調したものだが、プラス面を強調して言い直せば、今の社会の営みは細部まで分業が進行しているため、物事が正常に進んでいれば“便利で効率がいい”ということなのだ。

 しかし、21世紀の世界での一番の問題は、「物事が正常に進んでいる」という最も基本的で、重要な前提が崩れつつあることである。戦後の日本は、9年前の3月11日までは、「原発が正常に動いている」という基本的な前提が存在した。しかし、東日本大震災と東京電力の業務上の判断ミスなどが重なって、未曾有の原発事故が起こった。戦後の世界の経済発展は一見、「物事が正常に進んでいる」という認識を私たちに与えたが、その陰で自然破壊や温室効果ガスの大量排出の影響が無視され続けてきたため、今や地球規模の気候変動が不可逆的に起こっていて、その影響として、台風やハリケーンは巨大化・凶暴化し、豪雨が河川を決壊させ、人家を押し流し、旱魃が肥沃の地を不毛化し、人間の手に負えない山火事が都市部まで広がり、そして、これまでにない新種のウイルスや細菌による感染症が世界に拡がっているのである。これらの一連の“マイナスの変化”は、人間の活動から生まれているという事実を、私たちはこれ以上無視してはならないのである。

 人間が原因を作っているために起こる現象のことを、「自然現象」とか「自然災害」と呼んではならない。それらはすべて「人為現象」「人為災害」と呼び、人間に改めるべきところがあれば、改めなければなくならない。「自然が相手だから仕方がない」という言葉は、一時代前には妥当だったとしても、現在ではあまり物を考えない人のゴマカシの弁でしかない。私は2012年に出版した『次世代への決断』(生長の家刊)という本の中で、「人間が生んだ地球」(the anthropogenic Earth)という言葉を紹介したが、この言葉の通り、現在私たちが足を踏みしめている地球は、そこに生える植物、空を飛ぶ鳥、動き回る虫や獣、そして目に見えない細菌やウイルスを含めて、人間の影響を受けているものの方が、受けていないものよりも圧倒的に多いのである。

 地球環境を含む自然界の秩序を無視または軽視して、“便利で効率がいい”という方向にのみ社会を発展させてきたことが、今ある「人間が生んだ地球」の原因である。この表現を“裏返し”にすれば、「過剰なスペシャリゼーション(専門化、特殊化)」の結果を、私たちは今目の前にしていると言えるだろう。だから、現在の社会で私たちが“便利”と“効率”を考えるときには、それらの裏側にある「過剰なスペシャリゼーション」の問題を思い出してほしい。「過剰なスペシャリゼーション」とは、自分の力や努力によらず、他人や他者(社会制度やインフラ)に生活の多くのものを依存しているということである。自立のための知恵や技術の習得、自律心・独立心を放棄して、金銭によって何でも得られると考えることである。そういう考え方の誤りを、新型コロナウイルスは私たちに教えている、と私は思う。

 今、世界の多くの人々ーーとりわけ都市で生きる大勢の人々が、自宅や自室から外に出られず、出ても自由に歩き回れず、買い物に制限を加えられ、娯楽や遊興が白眼視される風潮を感じていることだろう。そんな時、他に依存せず、他から求めず、慣れないことも自ら行い、自ら学び、自ら製作し、他に与える生き方をしてみるのはどうだろう? そう、これが「メンドー臭い生き方」である。しかし、これが「過剰なスペシャリゼーション」から自由になる唯一の方法だと私は思う。物事が正常に進んでいたときには、すべて省略していたことでも、この機会に自分で頭を使い、手を使ってやってみるのである。きっと「不自由」と思っていた領域が減り、内心の「自由」が拡がっていくことを体験されることと思う。

谷口 雅宣 拝

| | コメント (2)

2020年3月22日 (日)

コロナウイルスは何を教える

 本年3月1日の生長の家春季記念日でも、それに続く3月11日の「神・自然・人間大調和祈念祭」でも述べたように、今回の新型コロナウイルスの地球規模の拡大が教えていることは、数多くある。そのうち、前記の2回の機会で強調したのは、「人間中心主義の弊害」ということだった。それを別の言葉で表現すれば、私たちは『生長の家』誌創刊号にあった「生長の家の宣言」の第1項が目指していた「生命を礼拝する」ことも「生命の法則に随順する」こともせずに、人間の物質的、肉体的欲望を満足させることを至上目的として、長期にわたって自然破壊を進めてきたという事実を指している。このことが、かえって人類社会の脆弱性(ぜいじゃくせい)を増幅しているのである。

 宇宙広しといえども、この「地球」という小惑星にしかない生命与え合いのシステムを、「人間だけがよければいい」という人類エゴが破壊している。私はすでに9年前に発表した「自然と人間の大調和を観ずる祈り」の中で、このことを次のように述べている――

 「多くの生物を絶滅させ、自然の与え合い、支え合いの仕組みを破壊しておいて、人間だけが永遠に繁栄することはありえない。生物種は互いに助け合い、補い合い、与え合っていて初めて繁栄するのが、大調和の世界の構図である。それを認めず、他の生物種を“道具”と見、あるいは道具と見、さらには“邪魔者”と見てきた人間が、本来安定的な世界を不安定に改変しているのである。その“失敗作品”から学ぶことが必要である。」

 今、肉眼には見えない極小の半生物・ウイルスのおかげで、世界中の株式が暴落し、交通機関は停止し、経済活動は極端に縮小し、多くの産業が経営危機や倒産のリスクに直面している。パリのルーブル博物館やニューヨークの公立図書館のような文化施設も次々と閉鎖され、大相撲春場所のような大規模スポーツイベントは軒並みに中止となるか、“観客ゼロ”という珍妙な方式で一見“通常どおり”を維持する努力を続けている。このあとに来るはずだった東京オリンピックが延期されるなどということは、今年初めには誰も予測しなかっただろう。

 このような人類社会の脆弱性は、いったいどこから来るのだろうか? それは、私が先の祈念祭でも紹介したイギリスの科学誌の記事に、分かりやすく説明されている――

「人間以外の動物に棲(す)むほとんどすべてのウイルスや細菌は、人間に全く無害である。しかし、そのうちのごく僅かな割合のものは、いわゆる“動物由来ウイルス病”を惹き起こす。そのような病気は、私たちにとって大問題だ。2012年の推計では、そういう病気は毎年25五億人の人を傷つけ、270万人を死に至らせている。動物由来ウイルス病のすべてが、人間に深刻な症状を起こさせるのではないが、例えば、エボラウイルスは、感染したほとんど全員を死に至らせる。

 このウイルス病の致死率がこれほど高い理由の1つは、そのウイルスに対する先天的な免疫を人間がもっていないからだ。もう1つの理由は、これらのウイルスが人間に適応していないからだ。人間同士の間で循環するウイルスは、時間が経つうちに人間に合わせて致死率を下げる。そうすれば、自分たちの勢力拡大がしやすいからだ。」

 

 ここにあるように、地球上の生物種と生物種の関係は、何億年、何十億年もの進化の過程で“天敵”と共存してきた。この“天敵”という用語は誤解を招きやすい。これは、「相手の絶滅を期して死闘する相手」ではない。前掲の文章にあるように、「時間が経つうちに相手に合わせて致死率を下げる」などして共存してきた捕食ないし寄生関係にある他の生物種のことだ。ところが人類だけが、多くの生物種を文字通り絶滅に追いやっている。そのことがかえって「自然の側から“敵”として扱われるような事態」(前掲の祈り)を現出しているのだ。

 もう一つ、今回の新型コロナウイルスの世界的伝播が教えているのは、過剰なスペシャリゼーション(専門化、特殊化)の弊害である。

 今の世界経済は、専門化による地球規模の分業が極端なレベルにまで進んでいる。ある製品を製造するためには、自前で部品を作るのではなく、外国の特定の会社からAという部品を、また別の国の特定の会社からBという部品を……というように、技術力と効率と価格の点で最も優れている会社に部品の供給を依存する傾向が強い。そうしなければ、他社との競争に勝てない場合が多いからだ。こういう相互依存関係が、網の目のように張り巡らされている。すると、災害などでこの網の目が突然切れると、製品全体の生産がストップしてしまうことになる。それが、今回のウイルス伝播でも起こっている。

 アメリカの外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』は本年3月16日の記事で、このことを「脆弱な効率性(fragile efficiency)」と呼び、実例を挙げて警告を発している。例えば、西ヨーロッパの自動車メーカーが生産する車の小型電子部品は、すべてを1社が担当しているので、その社のイタリアにある工場の1つが今回のウイルス感染で操業停止になると、西ヨーロッパで生産されるすべての自動車の生産がストップしたというのだ。また、ムダを省くために「できるだけ在庫を抱えない」という生産方式も、経済が順調であれば問題ないが、いったん災害や伝染病が発生すると、機能マヒに陥る可能性を生む。“ムダ”とされた製品在庫や部品在庫、生産能力の余剰が、非常時には一種の“安全装置”として働くのに、それが欠落しているからだ。

 このような効率優先、コスト優先の文明の弱点が今、明らかになっているのである。

谷口 雅宣 拝

| | コメント (2)

2020年3月11日 (水)

「生命の法則に随順する」とは?

 今日は午前10時から、山梨県北杜市の生長の家国際本部“森の中のオフィス”において「神・自然・人間の大調和祈念祭」が行われ、その様子はインターネットを通じて全世界に放映された。以下は、同祈念祭での私のスピーチの概略である--

 皆さん、本日は「神・自然・人間の大調和祈念祭」にお集まりくださり、ありがとうございます。今「お集まりくださり」とは申しましたが、ご存じのように、現在、新型コロナウイルスの拡大抑止を目的として、大勢の人間による集会やイベントは行わないようにとの政府の方針に協力しているので、今回のこの祈念祭では、ほとんどの参加者はインターネットを経由して、お祭を間接的に視聴するという方式を採っています。にもかかわらず、恐らく大勢の方がここまでの祈念祭の様子に合わせて黙祷を捧げたり、神想観を実修されたと考え、心から御礼申し上げる次第です。ありがとうございます。

 さて、私は去る3月1日の立教記念日に、『生長の家』誌創刊号の裏表紙にある「生長の家の宣言」という歴史的文章を引用して、「生命を礼拝し生命の法則に随順して生活せんことを期す」という言葉の意味をお話したのであります。その時、この「生命の法則」とは「生命顕現の法則」であって、それは決して「優勝劣敗」とか「弱肉強食」という言葉が示すように、他の生命--他の生物種を駆逐したり、絶滅させたりして、力まかせにいわゆる“ひとり勝ち”をすることではないということを述べました。また、「生命を礼拝する」という意味は、「人間だけを尊重するのではなく、人間を含めたすべての生命を尊重する」ということだとお話しました。しかし、人間はまさにその「人間だけを尊重する」人間至上主義的な生き方を長年、続けてきたために、今日、地球環境問題を含む深刻な問題に直面しているのですね。そのことを私は、『今こそ自然から学ぼう』というこの本から引用して、「自然への拷問が人間への拷問となっている」という言い方もしたのであります。

 私たちは現在「自然と共に伸びる」運動というのをしています。この「自然と共に伸びる」という意味は、これまでの“古い文明”のように、人間の幸福のためだけに自然を破壊する--例えば、生長の家の過去の運動を振り返ってみると、月刊誌の購読数や購読者を増やすために、その原料である紙パルプの消費を増大させ、森林伐採を促進し、あまつさえ大量の月刊誌が配布されずに多くの会員宅に積まれてあっても構わない--そんな考えではいけないということですね。こんな人間至上主義に陥らずに、運動が進展することと自然界が繁栄することを共に実現しようという運動であります。

 今日はその目的を念頭に置きながら、人類は今後、自然とどう付き合っていくべきかを考えたいのです。「生長の家の宣言」の第1項にあった「生命を礼拝する」とは、また「生命の法則に随順する」とは、具体的にどんなことをするのかということです。

 私たちは今、新型コロナウイルス(COVID-19)による感染症の拡大によって、多くの重要な教育を受けていると感じます。これを生長の家では“観世音菩薩の教え”とも言いますね。先ほど、白鳩会総裁が読まれた、「自然と人間の大調和を観ずる祈り」の中にも、この言葉は出てきました。「大地震は“神の怒り”にあらず、“観世音菩薩の教え”である」とありましたね。そこで、この教えの1つとして、私が立教記念日の時に申し上げたのは、この感染症の原因は、ウイルスとか動物の側にあるのではなく、人間の側にあるということでした。

 その時は、センザンコウという動物が、ワシントン条約で交易が禁止されているにもかかわらず、大量に取引きされているという話をしました。しかし、その際も申し上げましたが、今回のコロナウイルスの感染源ーー正確には「中間宿主」と言いますが、それはまだ確定されていません。また、センザンコウは単にウイルスを仲介しただけで、コロナウイルスはもともとコウモリと共生しているという学者もいるようです。そうです。コウモリはコロナウイルスを体内にもっていても、平和共存していて病気にはならないということですね。自然界には、そういう野生動物はたくさんいるし、私たち人間の体内にも沢山の細菌が棲んでいて、人体との間にギブアンドテイクの関係が成立しているのです。

 ところが、このような自然界のバランスを壊すと、生物同士が互いに傷つけ合う現象が起こるようになる。私がセンザンコウの例を挙げたのは、センザンコウが“悪い動物”だという意味ではなく、それを扱う人間の側に問題があるということでした。人間は、食用や医療の用途にするために、多くの動物を自然状態から引き離して、動けないほどの狭い場所に囲い込み、そこで残虐な方法で大量に屠殺するのです。

 この方法は、センザンコウだけでなく、ブタもウシもニワトリもヒツジも何もかも、現在、世界中で大々的に行われていることです。そういう食肉産業を発達させてきたのが、私たちの中にある人間至上主義の考え方です。本来動き回るのが自然の生き方だった動物たちを、狭い空間に閉じ込めながら、無理やりに不自然な食事を与え、彼等の苦しみや悲しみを全く無視して殺戮する。動物を殺せば当然、血や体液が周囲に飛散して、人間がそれを浴びることになります。人間に近い家畜の扱いがこれですから、野生動物を扱うにも、それとほとんど変わらない、いやそれ以上に残酷な方法を使うのです。

 このような屠殺によって、人間と動物の肉体の一部が混じることになります。そこで皆さんは、これを「自然と人間が一体」になったと考えますか? あるいは、ブタやウシの筋肉や内臓を人間が食することで、「自然と人間は一体だ」という自覚が生まれると思いますか? 私は断じて、そう思いません。これは動物たちの感情や意思をまったく無視して、人間本位の役割を強制する「自然侮蔑」の心、「生命功利論」の表現だと思います。生長の家の目的は、先に触れたように、「生命を礼拝し生命の法則に随順して生活する」ことですから、私たちは、その考えと反対の立場にある肉食の習慣をやめるという決断をしたのであります。

 では、ウシやブタのような家畜を食べることと、今回疑われているような野生動物を殺して人間の薬用や食用にすることの違いはどこにあるのでしょう? これに答えるには、質問を言い換えた方がいいかもしれません。私たちは家畜を屠殺して食することを長年やってきましたが、では、なぜ家畜の身体に棲んでいるウイルスや細菌が人間に感染して、病気を発症しないのでしょうか? また、発症してもそれが世界中に拡大して経済活動を阻害する、今回のような大被害を起こさないのでしょうか? 

Ns020820   この疑問に答えてくれる記事を、私はイギリスの科学誌『ニューサイエンティスト』の中に見つけました。ここにあるのは、今年2月8日付の同誌の表紙で、ご覧のように「コロナウイルス」の特集をしています。そして、「Viruses from animals」(動物からくるウイルスたち)という題の記事には、こうあります:

「人間以外の動物に棲むほとんどすべてのウイルスや細菌は、人間に全く無害である。しかし、そのうちのごく僅かな割合のものは、いわゆる zoonotic disease (人間に感染する動物病)を惹き起こす。そのような病気は、私たちにとって大問題だ。2012年の推計では、そういう病気は毎年25億人の人を傷つけ、270万人を死に至らせている。人間に感染する動物病のすべてが、人間に深刻な症状を起こさせるのではないが、例えば、エボラウイルスは、感染したほとんど全員を死に至らせる。

 この動物病の致死率がこれほど高い理由の1つは、そのウイルスに対する先天的な免疫を人間がもっていないからだ。もう1つの理由は、これらのウイルスが人間に適応していないからだ。人間同士の間で循環するウイルスは、時間が経つうちに人間に合わせて致死率を下げる。そうすれば、自分たちの勢力拡大がしやすいからだ。感染後の1日以内に人間が死んでしまうと、ウイルスはそれ以上繁殖できない。動物の体内にいるウイルスがヒトに感染するためには、そのウイルスに感染している動物と人間が接触しなければならない」

 ということで、動物のウイルスや細菌が人間に感染するためには、人間と動物との距離が接近する必要があることが分かります。現在の文明が進む方向で、それが起こっているのです。人間が自然を破壊して動物に近づいている。別の言い方をすれば、人間が不自然に近く、自然に近づいているということです。これは肉食の習慣が世界的に拡がっていることも指せば、それだけでなくて、人口爆発によって、都市が拡大し、森林がなくなり、動物の住処がなくなり、あるいは動物の食べ物が減って、生きるために動物たちが人家や民家の近くまで来ることも含んでいます。私が申し上げたいのは、生長の家がいう「神・自然・人間は本来一体」という教えは、人間が他の生物と物理的に一体になるという意味ではないということです。

 自然界を観察すれば、それぞれの生物種の個体と個体との間には、自然な距離があります。それを「縄張り」と呼ぶこともあります。同一種の生物だから、いつも互いに密着して生きているわけではない。子供と親は当初は密着していても、成長すると互いに距離をもつようになる。子供がまだ密着していたいという素振りを見せると、親の方が自分の子を攻撃することもありますね。私たちはそういう生き方も全部含めて「自然」と呼ぶのです。そう考えると、異種の生物間に物理的な距離があり、それが守られているということが「自然」なのであります。また、それが「生命の法則」だと考えることができます。すると、「生命の法則に随順する」ということは、人間があらゆる生物を物理的に近くに引き寄せて、自分たちの用途に供しようとすることは、「生命の法則に随順しない」ということになる。

 私は、今回の新型ウイルスによる感染症の拡大は、私たちが人間至上主義によって、動物たちとの間にあった自然な距離を撤廃し、不自然な距離にまで近づいていることに対する“警鐘”だと感じるのであります。自然を自然のままにしておかずに、欲望をもって引き寄せ、徹底的に利用する、あるいは利用しない部分は粗末にかなぐり棄てる。そういう“古い文明”が進めてきた生き方をやめ、「生命を礼拝し生命の法則に随順して生活する」必要がある。人間以外の生物と私たちとの間には“適切な距離”があるのが自然であり、生命の法則に随順することである--今回の感染症が教えていることの1つは、これだと思います。また、それが私たちが目指す“新しい文明”の方向であることを、ここで確認したいのであります。

 それでは、これをもって今回の「神・自然・人間の大調和祈念祭」での所感といたします。ご清聴、ありがとうございました。

 谷口 雅宣 拝

| | コメント (2)

«すべての生物を礼拝・尊重する