2010年9月 6日

“第一言語”を大切にしよう

 9月3日の本欄で、日本人の早期からの英語教育に関しての私の意見を述べたが、中途半端な日本語を話したり書いたりする日本人になることは、本人にとっても、日本文化の発展にとっても不幸なことだと思う。ところで、ちょうどそんなことを考えていた時に、人が使う言語とその人の思考との関係について書いた記事に遭遇した。我々が考えるときに何語を使うかによって、思考の内容に違いが出てくる--こういう考え方について、マンチェスター大学のギー・ドィシャー氏(Guy Deutscher)が8月29日付の『ニューヨークタイムズ』(電子版)に書いていたのだ。

 この問題は1940年、イェール大学で人類学を教えていたベンジャミン・ウォーフ氏(Benjamin Lee Whorf)が短い論文を発表し、「我々は何を母国語とするかによって、思考の内容が限定される」と主張したことから始まったという。特に注目されたのは、ウォーフ氏がアメリカの原住民の言語を詳しく分析して、彼らは西洋人とは全く異なる世界を見ていると主張した点だ。ウォーフ氏によると、アメリカ原住民は彼らの使用言語の構造に縛られて、時間の流れや、対象とその動きとの区別ができないとしたのだ。その理由は、使用言語の語彙にない対象や概念は、話し手には理解できないというのだった。こういう考えに飛びついた別の人々は、この論法をさらに発展させて、「アメリカ原住民の言語は、アインシュタインの時間の概念を四次元として直感的に把握させる」とか、「ユダヤ教の性質は、古代ヘブライ語の時制体系によって決定された」などという考えを打ち出したという。
 
 しかし、これは常識で考えても論理の飛躍しすぎである。だから、やがて「言語は思考や思想を決定する」という種類の考え方は、学問の世界では人気がなくなり、ウォーフ氏の権威は失墜することになったそうだ。ウォーフ氏の誤りは、母国語というものは我々の心を支配して一定の考えをもつことを「妨げる」と考えた点だ。特に、ある言語に、ある概念を表す単語がない場合、話し手はその概念を「理解できない」と考えた。例えば、ある言語の動詞に未来形がないならば、それを母国語とする人間には「未来」という時間の流れは理解できないと考えた。これはあまりにも単純な考えで、英語でも未来形を使わずに未来を表すことができる--例えば、「Are you coming tomorrow?」--ことを無視していた。
 
 ところが、ウォーフ氏の問題論文から70年ほどたったここ数年、同氏の考えの“修正版”が発表されつつあるという。それによると、言語は、話者の思考や思想を限定したり、決定したりしなくても、それ相応の影響力はもつというのである。「母国語は話者の思考を限定する」のではなく、「話者の思考に影響を与える」--これならば、我々の知っている事実とも矛盾はなく、実験によっても確認できるということだ。こういう話を聞いて思い出すのは、私が大学で第二外国語としてフランス語を履修したときのことだ。フランスを含むヨーロッパ系の言語の多くには、名詞に男女の区別がある。しかし、英語には例外的な場合を除いて、それはない。英語に慣れていた私は、この違いだけでも驚きだった。英語の名詞以外に、新たなもう1つの言語の名詞を憶えるのも大変なのに、それらの1つ1つ--「椅子」や「石」や「山」など--が、男なのか女なのかまで憶えるのは「とてもかなわない」と思い、中途で挫折してしまった。
 
 ドィシャー氏の記事にもそのことが触れられていて、この「男性名詞」「女性名詞」の区別をすることが、その言語を母国語とする人の考え方に微妙な影響を与えることは、事実のようだ。
 
 本来生命をもたない物体についても男性か女性いずれかの“性”を当てはめねばならない言語は、フランス語だけでなく、スペイン語、ドイツ語、ロシア語、ヘブライ語など数多くある。生まれつきそういう言語を使ってきた人は、物体について語るときも、人間の男性か女性に対するのと似た扱いをするようになるという。そして、その言語をマスターすると、そういうクセから離れることは相当むずかしいらしい。

 1990年代に行われた心理学の研究では、母国語をドイツ語とする人と、同じくスペイン語とする人の「物」に対する態度が比較された。不思議なことに、この2つの言語の間には、“性別”がまったく逆になる物の名前がたくさんあるのだ。例えば、ドイツ語の「橋(die Brucke)」は女性名詞であるが、同じ言葉のスペイン語(el puente)は男性名詞だ。同様のことが「時計」「アパート」「(食器の)フォーク」「新聞」「ポケット」「肩」「スタンプ」「切符」「バイオリン」「太陽」「世界」「愛」についても言える。そこで、この2つの言語をそれぞれ母国語とする人に対して、そういう物がもつ特徴を指摘してもらうと、スペイン語を話す人は、「橋」や「時計」や「バイオリン」に、「強さ」などの男性的イメージを感じる一方、ドイツ語を話す人は、それらに対して「繊細」とか「エレガント」などの女性的イメージをもっていることが分かった。
 
 ドィシャー氏の記事には、このほかにも興味ある研究結果が多く紹介されている。それらを見ると、我々が何語を“第一言語”としたかによって、我々の感情や思考が影響を受けることは確かなようだ。これを「国」のレベルに引き上げて考えると、「人々の第一言語は、その国の文化の形成に重要な役割を果たす」ということだから、第一言語をしっかりと身につけていない国民が増えることは、その国の文化の崩壊につながる危険性があるのである。
 
 谷口 雅宣
 

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2010年9月 3日

英語好きは“幸せな奴隷”か?

 3日付の『朝日新聞』に載っていた社会言語学者の津田幸男・筑波大教授のインタビュー記事を興味深く読んだ。内容を簡単に言うと、英語を国際語として重視する考え方は、“幸せな奴隷”の心境だというのである。つまり、支配されている人間がそれを感じない状態で、将来的に日本語が駆逐される恐れがあるというのだ。津田氏は「英語支配」という言葉をつくり、次のように警鐘を鳴らしている--
 
「英語は国際共通語として、ほかの言語に対して突出して強い力を持つようになりました。他言語を圧迫し、国際的な場で使わない、使えなくしてしまった。さらに重要なことは、英語力の優劣によって人々のコミュニケーション能力に差がついてしまうことです」。

「英語支配」とは、「英語と英語以外の言語との不平等な状況」のことだという。さらに具体的に言えば、企業内でも国際的な場でも、英語が上手というだけで、そうでない人に対して有利な立場にたつという現状が、英語支配を表しているという。企業のことをいえば、最近、ユニクロのファーストリテイリングと楽天が、英語を社内公用語にすると決めたことが話題になったが、津田氏は、これに反対する手紙を両社の社長に出したという。理由は、①英語支配の構造が進む、②言語による社内格差が起こる、③日本人が自国で自分の言語を使えなくなる、ということらしい。

 私は、この問題は、子供の教育の段階と社会生活の段階とを分けて考えるべきだと思う。つまり、子供の成長過程では日本語をきちんと学習させ、高等教育や社会生活においては、国際語としての英語の習熟に力を入れるのがいいのではないか。こうすれば、「日本語や日本文化の基礎の上に立って世界とどうつき合うか」という視点や政策が社会に生まれると思う。また、この方法は人間の脳の発達過程から考えても、より自然で、無理のないものと考える。現在は、日本語の基礎ができていない子供に早期から英語を詰め込むだけでなく、高等教育においても、日本語よりも英語を重視するような一種の“英語偏重”が認められるのではないだろうか。また、日本の社会全体が、明治以来の“西洋崇拝”から抜け出せずにいるため、英語などの外国語の発音をそのままカタカナにした言葉がやたらと多い。私は、この面では津田教授の「幸せな奴隷」という批判は当たっていると思う。
 
 多くの読者はご存じと思うが、私は“英語好き”の一人である。しかし、毎日ブログその他の文章を日本語で書き、日本語で講話をするのが仕事である。私の場合、この2つの言語の間に、昔はともかく、今は摩擦や軋轢のようなものを感じたことはない。その理由の1つは、恐らく「日本語が主、英語は従」という原則が私の中で確立しているからだ。私は、完全にバイリンガルの人の心境がどういうものか知らないが、もしかしたらこの主従関係が混乱することがあるのではないかと想像する。というのは、衛星放送などで外国語のニュースが放映される際の同時通訳を聞いていると、ときどき意味不明の日本語が耳に入ることがあるからだ。同時通訳者は必ずしも“完全なバイリンガル”ではないかもしれない。しかし、プロの仕事なのだから、少なくともニュースによく出る時事問題等で使われる日本語については、よく心得ていなければならないはずだ。にもかかわらず、意味不明の日本語が結構多い。今日も、北朝鮮かイランをめぐる海外ニュースの中で、通訳者が「アッパクとホウショウ」(圧迫と報奨?)と言っていた。国際政治の知識が少しでもあれば、ここで使われるべき日本語は直訳的には「圧力と報酬」であろうし、わかりやすく意訳すれば「アメとムチ」が適当である。

 もちろんニュースの同時通訳だから、通訳者の顔は見えない。だから、日本語の上手な外国人通訳者が“妙な日本語”を話した可能性はある。しかし、この女性通訳者の日本語を聞いていたかぎりでは、発音、イントネーションともに流暢な標準日本語だった。もし彼女が私の指摘を聞いて、「いやあの時は適当な日本語が思い浮かばなかったのよ」と答えたとしたら、これは問題だろう。なぜなら、彼女の仕事は、海外のニュースを自分が理解することではなく、日本人の視聴者に分かるように正しく翻訳することだからだ。「正しい日本語」が話せなければ、通訳や翻訳の仕事とは言えないだろう。
 
 谷口 雅宣

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2010年5月17日

電子ブックはどうなる?

 前回の本欄で、近々日本で始まる電子図書館の構想について書いたが、国会図書館がこれとどう関わっていくのか、私は知らない。国会図書館も蔵書の電子化を進めていると聞いているが、私が気になるのは、その電子化された本のファイルフォーマットのことだ。これが大日本印刷と丸善で製作している電子本のフォーマットと異なるとすると、互換性がないため、読む側で2種類の読書用ソフトを使い分けねばならなくなる。かつてビデオがカセットで提供されていた頃、ベータ方式とVHS方式の2種類が併存したため、ユーザーは不便だったが、それと似たような状態になる。また、読書用端末機を使って読む場合、問題はもっと深刻だ。ソフトウェアだけでなく、ハードウエアーまで別々に揃えなければならないだろう。
 
 私は、携帯小説など、日本で発行されている電子ブックをきちんと読んだことがない。だから今、日本の電子本で何種類のフォーマットが存在するか知らなかったが、ウィキペディアを調べてみると、「代表的なPDFやEPUBを含め、日本国内だけでも20種類以上のファイルフォーマットが存在する」とある。しかも、「多くは世界水準として認められているとは言えないもの」というから、この状態では、海外からやってくるキンドルやiTunes、アンドロイドなどの規格と勝負できないだろう。まず、国内で電子本出版を手がけているメーカーが一致して統一フォーマットを作り、それを海外でも採用させる方向で動き出す必要がある。キンドルは日本語に対応すると言っているし、iPadの上陸もすぐ目の前だから、多分、日本の出版各社はその辺のことはすでに行っているのだろう。

 こうして、日本語の電子本のフォーマットが1本化されたとしても、問題はまだ残っている。それは、この分野にはまだ“世界標準”がないということだ。電子本で先行しているアメリカでも、この問題は解決されていない。5月13日付の『ヘラルド朝日』がこの問題を取り上げているが、それによると、アメリカでの電子本の規格は、主なもので4種類あるらしい。それらは、①キンドル用、②コーボー、③バーンズ・アンド・ノーブル、④iPad/iPhone用だ。①と④は、それぞれのハードウエアーに合わせたファイルフォーマットだが、②は、アメリカの大手書店「ボーダーズ(Borders)」の規格で、③は、同名の大手書店チェーンが定めた規格である。これにグーグルが定めたアンドロイドの規格が加わると、どの規格の、どの本を、どの機械で使うかという選択が、はなはだややこしくなる。読者の側から見れば、こういう規格の乱立は、電子本の「買い控え」につながるだろう。

 ということで、今後は、電子本のファイルフォーマットの共通化が大きなテーマになると思う。これが、1バイト文字を基本とする欧米の方向に共通化するのか、それとも日本語のような2バイト文字を取り込んだ共通化に向かうのか? 私は多分、後者ではないかと思う。それは、今後の電子本は、中国のユーザーを無視することができないと思うからだ。インターネット人口の世界一位は中国人であり、今後もどんどん増え続けると考えられる。だから、その中で、日本の規格を早く統一することは、いわゆる“国益”にも合致するだろう。日本の関係業界の努力に期待したい。
 
 谷口 雅宣

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2010年5月16日

間近に迫った電子図書館

 まもなく日本でも電子図書館なるものが登場するらしい。ネット経由で電子化した書籍を読むシステムで、現在流通している電子本や電子ブックとの違いは「無料」である点だ。16日付の『日本経済新聞』が伝えている。それによると、このシステムを開発したのは大日本印刷と丸善で、今夏から図書館向けに電子本の貸し出しサービスを始めるという。両社は現在、50の出版社と書籍の電子化について交渉していて、今夏には専門書や学習書を中心に5千冊分のデータを用意して、このサービスを図書館に売り込むらしい。情報源として書籍を大いに利用させてもらっている私にとっては、大変ありがたい話である。が、これには“次なる目的”もあるらしい。それは恐らく、書籍データの“囲い込み”だ。
 
 多くの読者がご存じのように、アメリカで大ヒット中のアップル社の多機能情報端末「iPad」が、今月末には日本で発売される。これは電子ブックのリーダー(読書端末)としての機能をもっていて、何千冊分もの書籍データをフルカラーのまま保管できる。つまり、“携帯型個人図書館”が原理的には実現するのである。これに先立ち、同じくアメリカの大手ネット通販「アマゾン・ドット・コム」は、すでにモノクロの書籍データを数千冊分保管して読める「キンドル」を世に出していて、書籍の電子化を着々と進めている。急成長するこの分野では、著作権の使用権を押さえることが重要だ。つまり、著作権の一部である電子ブックとしての利用権を数多く押さえたものが、より多くの利益を得ることができる。そのためには、現在、著作権の一部である出版権を多く握っている出版社と、著作物の著者の了解を得て、書籍の電子化をより多く進めることが欠かせない。また、実際の電子本の運用を早期から進めることで、ノウハウをより多く蓄積することが、この新規市場のシェアを獲得することにつながる。

 上記の『日経』の記事によると、今回両者が「図書館向け」を先行させたのは、公共性の高い図書館向けなら出版社や著者の了解を取りやすいからだという。そのこと自体は問題がないどころか、ありがたいことである。特に、市場で流通しない絶版本や再販未定本、また流通量が少ない学術書や専門書のたぐいが電子化されることは、社会の知識ベースを拡大することになる。しかし、よく売れている本の電子化となると、とたんに利害関係が前面に出てくるだろう。これをどのように調整するかで、今後の出版業界の動向が決まっていくだろう。また、今回の電子図書館構想には、妙な点もある。それは、記事に次のように書いてあることだ--
 
「利用者は図書館の窓口やサイトであらかじめ氏名などを登録すれば、蔵書を探して無料で借りられる。ただ“貸し出し中”の本は“返却”が済むまで借りることはできない。本のデータは暗号化し、コピーもできないようにする」。

 この言葉の意味は、必ずしも細部まで明瞭でないが、前半に書いてあることは「電子ブックを物理的な本と同じように扱う」と読める。つまり、例えば、Aという電子図書館に『生命の實相』頭注版第1巻の電子版が1冊分あり、それが誰かに貸し出されている間は、別の誰かは同じ本の電子版をそのサイトから入手できない、ということではないか。これでは、電子ブックの電子ブックたる意味が半減してしまう。電子ブックの長所である「在庫を持つ必要がない」ということは、何人の希望者がいても同じ本のデータが提供できるというのと同義であるはずだ。また、後半にある文章の意味は、電子ブックを借り出した人が、自分の用途のためにそれを複製することも許さない--という意味にとれる。これでは、電子ブックの利便性が減少する。例えば、米アマゾン・ドット・コムのキンドル用の電子ブックは、今でも、パソコン上でも読むことができるが、日本の電子図書館ではそれが不可能になるのだろうか。そうすると、利用者の中には、同じ本を電子図書館からは借りずに、アマゾンから購入する人も出てくるだろう。
 
 生長の家の出版物についても、この大きな流れと無縁ではありえない。現在流通している書籍類の大半は、製作の過程ですでに電子化されているから、技術的な問題は少ないと思う。今後は、それらのデータをどのような形態で、誰が、どう利用するかを大局的見地に立って決めることが重要だ。紙を使わず、在庫がいらず、しかも高速で伝送できるという電子データの特長を生かした、新しい“文書伝道”の道を早期に確立したいものである。
 
 谷口 雅宣

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2010年2月10日

国際平和育英制度が発足

 1月22日の本欄で“森の中のオフィス”について書いたとき、以下のような具体的計画を3つ取り上げた:
 
 ①“自然と共に伸びる”生き方を推進する宗教的基盤の確立
 ②地球環境、生物多様性、生命倫理等の分野での意見表明の拡充と宗教間協力
 ③国際平和信仰運動の後継者の養成

 この3つは、過去80年にわたり生長の家が生み出してきた知的資源を基礎として、宗教や文化や学問の分野で人類が達成した成果を整合性をもって組み上げる試みの中からでき上がるものだろう。人類の知的遺産の中には、「史的唯物論」のように生長の家と整合性のないものもあるから、それらは組み上がらずに振り落とされる。また、スポーツも文化の一部であるが、生長の家と特に関係がないから組み上げの対象にはならないだろう。さらに、学問の中でも数学や工学に属するものと宗教とはあまり関係がないから、これらも我々の検討や研究の対象にならないかもしれない。が、その他の分野は何らかの形で、宗教や“人間の心”に関わっているものが多く、それらの活動や研究から得られた知見と、生長の家の教義--例えば、「唯神実相」「唯心所現」「万教帰一」など--とをきちんと照合し、整合するものの研究を進め、真理の理解を深めていくことは、我々の運動にとっても、人類の知的・精神的進歩にとっても必要なことと思う。また、その過程で、社会が好ましくない方向へ進む兆候が見られたならば、それに対して注意を喚起し、場合によっては警鐘を鳴らしたり反対することも必要だ。そして、長期にわたってこれらの知的活動を続けていくためには、後継者を育てなければならない。

 このような視点に立って、このほど創設されたのが「生長の家国際平和育英制度(Seicho-No-Ie Scholarship for International Peace)」である。その「趣旨」には次のようにある--
 
「本制度は、生長の家が国際平和信仰運動を遂行する人材を養成する目的で、運動に必要な学識・経験を得たいと望む生長の家の若き信仰者のうち、経済的理由によって就学が困難な者を対象にして、世界の優れた高等教育機関で学位を取得するまでの学資を無償で支援するものである」。

 そして、この制度によって養成を目指す資質は、次の3つである--
 
 ①母国語とは別の言語で宗教に関わる業務が遂行できること、
 ②出身国の文化以外に、少なくとも1国あるいは1地域の文化に通暁すること、
 ③地球環境問題などの国際問題に対して、宗教の立場から考えて運動する視点をもつこと。

 読者はこれを“夢物語”と思うだろうか? 私は決してそう思わない。なぜなら、これらの3つの資質をもつ人材は、現在の生長の家の信徒の中にもすでに存在すると思うからである。ただし、それらの人々は、生長の家の運動の“中核”には必ずしもなっていない。むしろ“外郭”にあって、自らの仕事を優先的に遂行している。その理由の1つには、生長の家の側の“受け皿”がまだ整っていないことが挙げられる。しかし、今後は、1月24日の本欄で触れたように、森の中のオフィス”の近隣に後継者養成を目的とした学校が設置されるから、優秀な人材は、そこでの研究や教育活動に従事することで、国際平和信仰運動に貢献してもらえるのではないかと期待している。
 
 私が国際教修会などのために海外へ行って感じることは、母国で生長の家を知った人々が海外で生活し、そこでの伝道活動の中心となっているケースが多いことだ。日系人の生長の家信徒が海外で活躍していることは言うまでもないが、最近は、ブラジル人の生長の家の青年が、ヨーロッパや南北アメリカの地で、伝道活動の先頭に立っている。このような有為な人材をさらに数多く育て、応援するためにも、この育英制度が成功することを願っている。もし読者の近くに、このような信仰と知性による“海外雄飛”の夢を抱く青年がいるならば、ぜひ本制度に応募してくださるようご支援をお願いする。ご参考のため、本制度の概要を記した文書 をここに添付します。

 谷口 雅宣

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2010年1月24日

“森の中のオフィス”について (4)

 前回の本欄では、昨年4月に決まった“森の中のオフィス”の7項目の中・長期的ヴィジョンのうち、運動戦略に当たる3項目について大ざっぱに解説した。その3カ月後(7月)には、これらのヴィジョンをどのように実現していくかを示す、より具体的な方策4項目が決まった。それを示すのが「今後の国際平和信仰運動の展開について」という文書である。その中の主なものだけを拾ってみると--

1.教団内の“炭素ゼロ”の推進
 “森の中のオフィス”は2012年までに一部または全部を設置。設置の時点で“炭素ゼロ”とする。その目的で、温室効果ガスの吸収に必要な森林地をブラジルとの協力で確保するなど、具体的方策を講じる。また、2020年までに、その他の世界の主要拠点で“炭素ゼロ”を実現する。

2.グローバルな対社会アプローチ
 温室効果ガスの排出削減を社会全体で進めるために、世界の生長の家拠点および信徒の生活の場において、生長の家の御教えを伝えるとともに低炭素のライフスタイルを推奨し、自治体等とも連携して地域の低炭素化に貢献する。

3.日本での対社会アプローチ
 環境分野の活動としては、トップランナーの役割をさらに推進する。
 (1) 2010年度から2012年までに、生長の家の教化部、道場などの主要施設で電気自動車および急速充電施設を導入し、地域のインフラとして開放するなど、低炭素化に貢献する。
 (2) 2013年度から、組織の会員に対して、家庭での“炭素ゼロ化”を推進する。また、会員の住む各地域では、可能なところから植林等の低炭素化方策の採用を自治体や農家などへ呼びかける。
 
4.国内施設の活用
 2014年度から、“森の中のオフィス”の近隣に後継者養成を目的とした学校を設置し、活用する。この準備のため、養心女子学園の組織とカリキュラムを見直し、また本部職員を教育して必要な資格を得させるなど、人材確保を計画的に進める。
 オフィスへの移転時には、国際本部、原宿跡地、赤坂跡地、本部練成道場、河口湖練成道場、東京第一教化部、東京第二教化部の7拠点を電気自動車のネットワークで結び、活用する態勢を整える。

 この7月の文書に続いて、9月には「“森の中のオフィス”移転後の運動について」という文書が決定し、本部レベルだけでなく、教区レベルにおいても今後、どのような運動を展開するかの概略が決まった。この文書の内容は専門的すぎるので、ここでは詳しく紹介しない。しかし、第一線の活動に関係する次の部分は、引用しておいた方がいいかもしれない--
 
「大自然への畏敬や感謝の心を育て、自然との一体感を深めるため、平成22年(2010)度から、各教区において、従来の行事の中に大自然に学ぶプログラムを積極的に取り入れて、自然の美に触れたり、自然の仕組みの精妙さなどについて学ぶとともに、自然物(野菜、木材、粘土など自然界にあるもの)を使った物づくりなどを体験する。また、各地の練成会などでも、同種の行事を積極的に取り入れて“自然から奪わない”生活実現のための精神的素地を涵養する。これにより、第一線で行われる新しいタイプの誌友会の講師養成も図る」。

 本欄で20日から4回に分けて書いた説明で、生長の家が“森の中のオフィス”へ国際本部を移転する意味と、それにともなう変化について、読者が大体のイメージを理解してくだされば幸甚である。

 谷口 雅宣

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2009年12月28日

古い記録 (13)

 私は大学時代、生長の家の月刊誌『理想世界』に不定期で文を寄稿していただけでなく、「轍の会」という文学サークルを作って同人誌を発行していた。このことは、今年1月19日の本欄で少し触れた。今回は、そこで何を書いていたかを語ろう。簡単に言えば、『理想世界』誌に書くものは生長の家の教えや運動といくらかでも関係していたのに比べ、『轍』に書いた文章は、少なくとも表面的には「まったく無関係」と言っていい。ただし、これは「宗教の教え」というものを狭く解釈した場合のことである。宗教とは、神仏の教えを学んだり実践したり、それを人々に伝えるための営みだと単純に考えれば、芸術や恋愛は宗教とは分けて考えられる。しかし、宗教を人間の心の深奥にある、崇高なるものへの探究だと考えると、芸術や恋愛も含めた人生全般が宗教と関係してくるだろう。そして、当時の私の興味は、前者から離れて後者へと引き寄せられていたのである。それは、20歳前後の若者の心境としては、むしろ自然のことだと思う。
 
 同人誌『轍』の創刊は、1971(昭和46)年の12月である。そこに書かれた“創刊の辞”には、こうある--
 
「日々、時々、瞬々、我々の心を擦過していく思い、感情、思想のごときものは、それを捕獲しなければ忽ち逃げ去ってしまう蝶のようなものである。我々がそれを原稿用紙の上にとらえ、韻文なり散文なりの形に表現したとき、初めてそれは自分のものと意識され、我々はより明確に我々自身を知ることができる。それが見せるに価しないものであろうとも、我々はかまわない。周囲に色目を使っているうちに、気がついてみると、何もしていない自分を見出すことをこそ我々は恐れる。

 青春の日々は短く、淡く、朧である。我々は今すぐ一台の馬車に乗って出発しなければならない。その車輪は、ある時は晴天の大道を行き、或る時はぬかるんだ山道を喘ぎながら登り、あるときは吹雪の平原を悲鳴をあげて進む。人はそれを笑うかもしれない。しかし我々にできるのは精一杯進むことしかない。その車輪のあとに轍が残る。同人誌『轍』は、そのような我々の青春の足跡である。」
 
 前回の本欄で、私は「ものを見る」ときの2つの見方について、この頃の私が気づいていたことを書いた。『轍』創刊号は、それを書いた『理想世界』誌の記事より1年前に出たものだが、私はここに「薔薇」という題の文章を載せ、赤いバラの一輪を見つめることから生じる様々なイメージの連鎖を描いている。ものの見方を「感覚優先」と「意味優先」に分けるとしたら、この文章は、当時の私が前者を実践した実例として読むことができるだろう。また、「薔薇」を使った一種の“ロールシャッハ・テスト”としてこの文章を読めば、若い私の心に隠された様々な情念を感じ取ることもできるかもしれない。
 
 薔薇

 薔薇が開いていく。
 その長い時間の
 連鎖の中で
 薔薇が開いていく。
 
 天鵞絨(ビロード)の繊細な綿毛。
 朝の光輝の浸透に
 はじらいながら
 静かに開く
 その限りない寛容。
 
 十重 二十重の
 柔らな囲いの奥
 未だ大気の触れぬ
 闇の中
 蜜の池
 その甘美。
 
 朝の太陽の光の中で、私は薔薇を見つめていた。一輪の大きな紅い薔薇。
 「薔薇が咲いた」という瞬間を、私は感じていた。しかし、薔薇はまだ咲いてはいなかった。広い花弁の真赤な絨毯の綿毛の下に、もっと赤い毛細血管がほの見える。そのもとをたどれば、花弁一枚一枚を動かしている真赤な生命に行きつくだろう。重なり合った花弁のやさしい囲いの中には、何か大切なものが隠されているに違いない。
 
 ある光り輝く秋の朝、その宝は一度だけ、この世のものと現われる。しかし、それを見たものは少ない。それは現われたとたんに消える。この世の邪悪な大気が、その存在を許さないからだ。
 
 光と陰に限りなく恵まれた一輪の大きな薔薇は、こうしている間にもなお、その花弁を拡げていた。しかし、まだ咲いてはいなかった。甘美な香気は、久しい以前から私に感じられていた。既に赤い蕾の時代から……
 
 薔薇はたしかに動いている。太陽の仮借なきまでの侵蝕を受けて、薔薇は酔いしいれている。もう、一瞬前の薔薇は存在しなかった。私は薔薇を救ってやりたい。花弁の奥の闇が、光によって次第に侵されていく。あの柔らなひだの奥、小さく佇む赤子の合掌のようなつぼみ。薄い黄色の線が、まだ開かぬ花弁の真中を走っている。あれが最後の蕾だろうか。その尖った先は、もう既にゆるみ、その黒い影の中には…… 私は、その時が来ることを感じた。もうすぐ、今すぐに…… その蕾のかよわい血管が、光の中で苦しんでいる。もがいている。戦っている。
 
 動いた。
 
 確かに、その蕾の中で何かが動いた。かそかなその音は、香気に酔って眠気を催していた私を驚かせた。忍耐の限界を越した光の攻撃は、ついに最後の蕾を、内部からこわそうとしている。箍(たが)がはじけたのだ。蕾はもう蕾ではない。中での戦いは終ったのだ。
 
 真赤な光の中に、おしべの先が垣間見えた。蛹から出たばかりの昆虫のハネのような赤いひだ。つややかな、水気さえ感じさせるその肌。薔薇は咲いてしまったのだ。
 
 薔薇が咲いた
 薔薇が咲いた
 薔薇が咲いた。
 
 私は小さな虫になって、その灼熱の夕焼の平原を走る。大地は砂でなく、土でなく、石でもない。繊毛の絨毯が地の果てまで続いている。息づまるまでの香気、熱気、そしてまっかな霧。私は息をきらせ、苦しい行手に、真赤な大いなる塔を見る。その塔は先が天を指し、底は丸く球形に拡がり、赤い地面の上に静かにとどまっている。私は走る。その塔にむかって。塔は私の接近とともに、静かに揺らぎ、膨張をはじめる。私はその危険な震動を止めねばならない。私は走る。息のつづくかぎり……
 
 私は塔を救うことができたと思った。しかし、塔の肌に手を触れようとしたせつな、塔の内部に小さな音を聞いた。不吉な、しかし甘美な囁きだった。私はそのとき、塔の崩壊を知ったのだった。
 
 薔薇は咲いた
 薔薇は咲いた
 薔薇は咲いた。
 
 谷口 雅宣
 

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2009年12月22日

古い記録 (11)

 前回、この題で書いたとき、当時19歳になっていた私が“二重の生き方”をしていることを認め、それを問題にしている発言を紹介した。その頃の私の表現では、「生長の家の生活・運動と僕自身の生活と二刀流で生きている」と、少し文学的かつ抽象的だが、平たく言ってしまえば「教えの通りには生きていない」ということだろう。この発言は一見、日本の青年会員に対して向けているようであるが、よく読むと自分自身のことなのである。それに比べて、初めての海外旅行で見聞したブラジルの青年会員に対しては「見事に一本になっている」と称賛している。

 この評価は、しかし当時の私の正直な感想であったとしても、事実に即していたかどうかは大いに疑問がある。第一、私のブラジル旅行は「2カ月」にすぎない。この短期間に、現地の青年が信仰と生活とを「見事に一本にしている」かどうかというような心の深部の動きを知ることは、18歳の青年には無理だろう。私は滞伯中に、個人的に親しい関係になったブラジル人が特にいたわけではないのである。だから、まるでブラジルの生長の家の青年全員が、信仰と生活とを矛盾なく共存させていたと断じるのは、いかにも過大な評価であり、ナイーブだと言わねばならない。しかし、この理想化がなぜ起こるのかを考えてみることで、当時の私の心境を推し量ることはできるかもしれない。
 
 その推測のカギとなるのが、鼎談の中で「見事に一本になっている」という称賛をした後に、私が発する言葉である。私はそこで「そういうところから、(運動への)本当の情熱が湧いて来ている」と言っているのだ。つまり、「信仰と生活の一体化」(A)が行われると、「本当の情熱」(B)が出てくるという因果関係(A→B)を考えたのである。しかし、当時の私の思考過程は、その逆の「B→A」であったと私は考える。つまり、ブラジルの青年に「本当の情熱」(B)を感じ感動した私は、その原因を考えたすえに、「信仰と生活が一体化しているからだ」(A)という結論を出したのではないか。私はこの結論がまったく間違っているとは思わないが、別の原因もあると考える。それは「文化の違い」である。ブラジルに行ったことがある人はご存じだが、ブラジル人の陽気さと情熱的な表現は、日本人にはマネができない天賦のものである。海外へ出ることが始めてだった私は、そういう人々が1万人も集まった大会に出席し、あるいは熱烈な歓迎を受けたり、巻舌の力強いポルトガル語で体験談を聞いたりした際にカルチャーショックを受けなかったと言えば、きっとウソになる。当時の私は、これこそが「本当の情熱」だと思い、それが出てくる原因の一端が「文化や民族性」によるとは思わず、何か別の信仰上の違い--例えば、信仰の純粋さの違い--だと考えたのではないか。

 私は今、「信仰と生活の一体化は重要でない」と言おうとしているのではない。そうではなく、ブラジルについてほとんど無知だった私が、自分の経験したカルチャーショックを説明するために、なぜ「信仰と生活の一体化」などという考えを出してきたかに注目しているのである。「信仰と生活の一致」は、宗教を信じる者にとって大変重要な問題である。が、この問題の解決は人間が一生をかけて行うものであり、20歳前後の青年が簡単に“解”を見出せるようなものではない。にもかかわらず、若い私は、ブラジル人青年の多くがこれを解決しているかのごとく考えている。この不自然さの背後には、当時の私の心の問題が投影されていると考えるのである。つまり、私自身が「信仰と生活の一体化」について考えをめぐらせていたからである。そして、生長の家の運動をしていても「本当の情熱が湧いて来ない」と悩んでいた。その悩みを言わば“裏返し”にして、ブラジルの青年を称賛しているのである。
 
 ここで取り上げた鼎談が『理想世界』誌の昭和46(1971)年5月号に載っていることは、すでに述べた。その1年後の同誌5月号から、私は2年間に6本のエッセイを同誌に寄せている。そのほか学内に同人誌グループを作り、そこで文章を発表していたことも、すでに書いた。それらの文章を読むと、大学在学中の私の“悩み”の内容が透けて見えてくるのである。
 
 谷口 雅宣

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2009年12月20日

古い記録 (10)

 本シリーズはすでに9回にわたって書き継いできたが、補足したいことが出てきたので、いったん私の18歳当時にもどって検証させてほしい。およそ1年前の第6回目では、私が18歳で両親のブラジル講演旅行についていったことに触れた。その際、自分のブラジル行きの動機については不明であると、次のように書いた--
 
「一大学生であった私には、生長の家の公式の役職は何もない。なぜついて行ったか私は憶えていないが、そのとき51歳だった父の方からアクションがなければ、私の同行はあり得なかったに違いない」。

 この父の「アクション」の目的を示すと思われる資料に最近、付き当った。それは当時、父が青年向けの雑誌『理想世界』に連載していた「窓」というコラムの記事で、昭和45(1970)年8月号に載ったものだ。私たちのブラジルへの出発が同じ年の7月20日であるから、原稿はその数カ月前に青年に向けて書いているはずだ。父の息子への思いが投影されていると見ることができるだろう。それは、次のようなものだ--
 
「数多くの動物心理学者の研究によると、全ての動物は、その幼少期に巣や箱や柵の中に閉じこめられていると、成長してからの能力に重大な欠陥が生じて来るのである。幼少期に数多くの体験をつみ、自由に飛びまわることの出来た動物は、非常に力がつき、能力があらわれる。その故、動物は幼少期の『教育』が如何に大切かということが分る訳である。これは人間についても勿論当てはまるのであって、幼少年期に“間違った教育”をされ、『型』にはめられてしまうと、折角の才能が圧殺され、使いものにならなくなってしまうのである。それ故青年諸君は、自分で自分を限定して、自分を小さな『心の柵』の中に閉じ込めるような愚かなことをしてはならない。我々は『自由』の天地で、のびのびと才能をのばそう。それは人間を『神の子・無限力』と認めることであり、思い切って新しい行動に踏み出すことである」。(同誌、p.76)

 人間の18歳が動物の“幼少期”に対応するかどうかは定かでないが、父の気持としては「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という格言にあるように、受験の苦労を知らず、生活にも何の不足も感じずに18歳になった息子に対して、まったく新しい世界を見せ、新しい体験をさせることが必要だとの確信があったに違いない。そういう父の思いを、18歳の私がどのように受け止めたのか……残念ながら今の私には記憶がない。が、ブラジルから帰国して約半年後、同じ『理想世界』誌が行った鼎談で、私がそれに触れている部分がある--
 
谷口 最初行く時は、初めての海外旅行でもあり、写真でも撮ってこようか……と思っていたのです。そういうつもりでいって、いわば一種の利己主義的な気持で行ってみて、向うで誌友の方々と接触しているうちに、それではいかんのじゃないか--と思いました。非常に国全体に活気があって、これからまだまだ発展する可能性が感じられました。それからやっぱり一番大きい感想は、国土が広いということです」。(同誌、p.62)

 最初は、海外旅行気分でブラジルへ行ったが、現地での生長の家の発展ぶりと、ブラジル信徒の真剣さに直接触れて、自分のナマクラな心構えを反省したということだろう。具体的にどんな点に感動したかについては、日伯の青年大会の比較をこう話している--
 
谷口--日本の場合は僕は受講者として受けた訳ですが、ブラジルでは壇上に上がった訳で、全然比較出来ない訳ですが、ブラジルでは会場に入りきれない人達が、窓の外から一所懸命覗き込んでいるんです。父が、『あの人達は何をしているんだ』と聞いたら、日本語が分からない人達が来ていて、会場に入り切れないんだけれども、分からない日本語の講演を一所懸命聴いている……日本では、毎年全国大会があって谷口雅春先生の御話を聴く事が出来るし、遠いといってもブラジルの人達に比べたら知れているわけですね。あちらでは、青年大会に出席する為に、アマゾンの人達など、一週間、車を飛ばし続けて来られているわけですね」。(同誌、p.63)

 それほどの真剣さで、生長の家の教えを学ぼうとしているブラジル人が大勢いることに感動したのである。では、帰国してから、当時の青年会の運動に何を感じたかについて、私は次のようにコメントしている--
 
谷口 僕は、生長の家の青年会員について考えてみた時、青年会というのは誰のことかと言えば、僕のことなんですね。(笑いと頷き)言い辛いことなのですが、その僕自身をじっと振返ってみた時に、生長の家の生活・運動というものと僕自身の生活と二刀流で生きているのですね。僕の知っている方の中にも生長の家の教えを把握しておられて、生長の家の組織のことは全然なさらないで、芸術家としての活動に没頭してられる方もあります。(…中略…)自分が生長の家の信徒である、誌友であるということを胸を張って言える人が、いかに少ないか、という事を痛感します。生長の家の運動と自分の生活とを二つに分けていて、自分の生活に都合の良い時にのみそれを表明し、悪かったらかくしておく--そういうのではいかんのじゃないかと思うのです。そういう点でブラジルの青年会員の人達は見事に一本になっている。そういうところから、本当の情熱が湧いて来ているのだと思いましたね」。(同誌、p.65)

 この発言は、意味が分かりにくい。が、たぶん「信仰と生活が分離している」ということを言いたいのだろう。信仰者であると言いながら、実際の生活は信仰的でない。当時は生長の家でも学生運動が盛んだったから、そういう政治的な言動に信仰者としての疑問を感じるということだろうか。また、生長の家の名前を隠して政治運動をしているグループもあったから、そういう動きを暗に批判しているのかもしれない。また、組織運動が政治に巻き込まれているということを指摘しているのだろうか……とにかく、そういう“二重の生き方”が自分にもある、と認めている点は注目に値する。
 
 谷口 雅宣

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2009年12月 1日

小中高生の“問題行動”

 今日の新聞各紙は、文部科学省が各地の教育委員会を通じて毎年行っている「児童生徒の問題行動調査」の昨年度の結果を大きく取り扱っている。『朝日新聞』の見出しは「小中高生の暴力6万件、08年度3年間で7割増」で、『産経新聞』のそれは「暴走中学生」「暴力行為激増、小学生も最多」であり、これだけを見れば“大事件”のように感じる。

 リード文も、見出しに負けずにセンセーショナルだ。『朝日』は「児童生徒の暴力行為は5万9618件と、前年度比で13%増、7千件増えて過去最多を更新した」と書き、さらに「学校別では小学校で24%増、中学校で16%と著しい。報告件数はこの3年間で1.75倍になった」としている。『産経』のリード文は、「平成20年度は5万9618件で前年度より11.5%増え、小学校、中学校ともに過去最多だった」とし、続けて「特に中学生は初めて4万件を超えるなど増加が目立った」と書いている。

 これだけ読めば、両紙の読者はきっと「ああわかった。全国の小中学校で暴力事件が急増しているのだ」と思うだろう。ところが、記事の隅まで読んでみると、それほど明確な数字ではないことがわかる。『朝日』の解説記事によると、06年度の調査は、05年度とはやり方が違うというのである。それを同紙はこう書いているーー「いじめできめ細かな報告を求めたのにあわせ、文科省が暴力についても行為の軽重を問わず報告を求めたことが背景にある」。これで06年度の数値が前年比で一気に32%も増えた。だから、「3年間で7割増」とか「1.75倍」というのはゲタを履かせた表現なのだ。

 ところで、暴力行為の件数が1年間で「約6万件」というのは、とんでもない数のように聞こえないだろうか? 私も第一印象としては「ずいぶん多い」と感じた。しかし、今回の調査対象となったのが全小中高校「約3万9千校」であると知れば、1校当たり年間に「1.5件」の割合である。もちろん、学校で暴力行為などないに越したことはない。が、私が子供の頃を振り返ってみると、乱暴な生徒はいたし、ケンカもあった。暴力行為とはどこまでを言うかにもよるが、1校年間「1.5件」がとんでもない数字かどうかは、議論の余地があるように思う。 

 では、暴力ではなく、イジメの統計はどうなっているかというと、「8万4648件で、前回から約1万6千件、16%の減」(『朝日』)なのだ。これは、大きな改善と言えないだろうか? 『産経』はこれに加えて、「いじめ件数は減少する一方で、いじめを認知した学校数も同6.9ポイント減って40%」と書いている。つまり、全体の6割の学校ではイジメはなかったということだ。うれしい話ではないだろうか。

 ほかにも“明るいニュース”はある。それは、高校で暴力行為が減ったことだ。これは、前年度比で3%減であり、実数では356件減だ。また、自殺も減った。児童生徒の自殺は、前年度から23人減の136人だった。これは割合にすると14.5%だから「大幅の減少」と言っていいだろう。

 私はここで、「新聞はウソを伝えている」と言いたいのではない。また、「学校教育の現場に問題はない」と言っているのでもない。ただ、「改善している点は、そう伝え」「統計上に比較できない点があれば、そう伝える」のが正しいジャーナリズムの姿勢ではないか、と言いたいのだ。また、学校からは生徒の暴力やイジメをできるだけ減らすべきだ、ともちろん思う。さらに本当に言いたいのは、「よい点を認めて強調することで社会はよい方向へ進む」ということだが、これは恐らく日時計主義を理解する人にしか分からないだろうから、今のマスメディアにはあまり期待していない。

 谷口 雅宣

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