2009年12月20日

古い記録 (10)

 本シリーズはすでに9回にわたって書き継いできたが、補足したいことが出てきたので、いったん私の18歳当時にもどって検証させてほしい。およそ1年前の第6回目では、私が18歳で両親のブラジル講演旅行についていったことに触れた。その際、自分のブラジル行きの動機については不明であると、次のように書いた--
 
「一大学生であった私には、生長の家の公式の役職は何もない。なぜついて行ったか私は憶えていないが、そのとき51歳だった父の方からアクションがなければ、私の同行はあり得なかったに違いない」。

 この父の「アクション」の目的を示すと思われる資料に最近、付き当った。それは当時、父が青年向けの雑誌『理想世界』に連載していた「窓」というコラムの記事で、昭和45(1970)年8月号に載ったものだ。私たちのブラジルへの出発が同じ年の7月20日であるから、原稿はその数カ月前に青年に向けて書いているはずだ。父の息子への思いが投影されていると見ることができるだろう。それは、次のようなものだ--
 
「数多くの動物心理学者の研究によると、全ての動物は、その幼少期に巣や箱や柵の中に閉じこめられていると、成長してからの能力に重大な欠陥が生じて来るのである。幼少期に数多くの体験をつみ、自由に飛びまわることの出来た動物は、非常に力がつき、能力があらわれる。その故、動物は幼少期の『教育』が如何に大切かということが分る訳である。これは人間についても勿論当てはまるのであって、幼少年期に“間違った教育”をされ、『型』にはめられてしまうと、折角の才能が圧殺され、使いものにならなくなってしまうのである。それ故青年諸君は、自分で自分を限定して、自分を小さな『心の柵』の中に閉じ込めるような愚かなことをしてはならない。我々は『自由』の天地で、のびのびと才能をのばそう。それは人間を『神の子・無限力』と認めることであり、思い切って新しい行動に踏み出すことである」。(同誌、p.76)

 人間の18歳が動物の“幼少期”に対応するかどうかは定かでないが、父の気持としては「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という格言にあるように、受験の苦労を知らず、生活にも何の不足も感じずに18歳になった息子に対して、まったく新しい世界を見せ、新しい体験をさせることが必要だとの確信があったに違いない。そういう父の思いを、18歳の私がどのように受け止めたのか……残念ながら今の私には記憶がない。が、ブラジルから帰国して約半年後、同じ『理想世界』誌が行った鼎談で、私がそれに触れている部分がある--
 
谷口 最初行く時は、初めての海外旅行でもあり、写真でも撮ってこようか……と思っていたのです。そういうつもりでいって、いわば一種の利己主義的な気持で行ってみて、向うで誌友の方々と接触しているうちに、それではいかんのじゃないか--と思いました。非常に国全体に活気があって、これからまだまだ発展する可能性が感じられました。それからやっぱり一番大きい感想は、国土が広いということです」。(同誌、p.62)

 最初は、海外旅行気分でブラジルへ行ったが、現地での生長の家の発展ぶりと、ブラジル信徒の真剣さに直接触れて、自分のナマクラな心構えを反省したということだろう。具体的にどんな点に感動したかについては、日伯の青年大会の比較をこう話している--
 
谷口--日本の場合は僕は受講者として受けた訳ですが、ブラジルでは壇上に上がった訳で、全然比較出来ない訳ですが、ブラジルでは会場に入りきれない人達が、窓の外から一所懸命覗き込んでいるんです。父が、『あの人達は何をしているんだ』と聞いたら、日本語が分からない人達が来ていて、会場に入り切れないんだけれども、分からない日本語の講演を一所懸命聴いている……日本では、毎年全国大会があって谷口雅春先生の御話を聴く事が出来るし、遠いといってもブラジルの人達に比べたら知れているわけですね。あちらでは、青年大会に出席する為に、アマゾンの人達など、一週間、車を飛ばし続けて来られているわけですね」。(同誌、p.63)

 それほどの真剣さで、生長の家の教えを学ぼうとしているブラジル人が大勢いることに感動したのである。では、帰国してから、当時の青年会の運動に何を感じたかについて、私は次のようにコメントしている--
 
谷口 僕は、生長の家の青年会員について考えてみた時、青年会というのは誰のことかと言えば、僕のことなんですね。(笑いと頷き)言い辛いことなのですが、その僕自身をじっと振返ってみた時に、生長の家の生活・運動というものと僕自身の生活と二刀流で生きているのですね。僕の知っている方の中にも生長の家の教えを把握しておられて、生長の家の組織のことは全然なさらないで、芸術家としての活動に没頭してられる方もあります。(…中略…)自分が生長の家の信徒である、誌友であるということを胸を張って言える人が、いかに少ないか、という事を痛感します。生長の家の運動と自分の生活とを二つに分けていて、自分の生活に都合の良い時にのみそれを表明し、悪かったらかくしておく--そういうのではいかんのじゃないかと思うのです。そういう点でブラジルの青年会員の人達は見事に一本になっている。そういうところから、本当の情熱が湧いて来ているのだと思いましたね」。(同誌、p.65)

 この発言は、意味が分かりにくい。が、たぶん「信仰と生活が分離している」ということを言いたいのだろう。信仰者であると言いながら、実際の生活は信仰的でない。当時は生長の家でも学生運動が盛んだったから、そういう政治的な言動に信仰者としての疑問を感じるということだろうか。また、生長の家の名前を隠して政治運動をしているグループもあったから、そういう動きを暗に批判しているのかもしれない。また、組織運動が政治に巻き込まれているということを指摘しているのだろうか……とにかく、そういう“二重の生き方”が自分にもある、と認めている点は注目に値する。
 
 谷口 雅宣

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2009年12月 1日

小中高生の“問題行動”

 今日の新聞各紙は、文部科学省が各地の教育委員会を通じて毎年行っている「児童生徒の問題行動調査」の昨年度の結果を大きく取り扱っている。『朝日新聞』の見出しは「小中高生の暴力6万件、08年度3年間で7割増」で、『産経新聞』のそれは「暴走中学生」「暴力行為激増、小学生も最多」であり、これだけを見れば“大事件”のように感じる。

 リード文も、見出しに負けずにセンセーショナルだ。『朝日』は「児童生徒の暴力行為は5万9618件と、前年度比で13%増、7千件増えて過去最多を更新した」と書き、さらに「学校別では小学校で24%増、中学校で16%と著しい。報告件数はこの3年間で1.75倍になった」としている。『産経』のリード文は、「平成20年度は5万9618件で前年度より11.5%増え、小学校、中学校ともに過去最多だった」とし、続けて「特に中学生は初めて4万件を超えるなど増加が目立った」と書いている。

 これだけ読めば、両紙の読者はきっと「ああわかった。全国の小中学校で暴力事件が急増しているのだ」と思うだろう。ところが、記事の隅まで読んでみると、それほど明確な数字ではないことがわかる。『朝日』の解説記事によると、06年度の調査は、05年度とはやり方が違うというのである。それを同紙はこう書いているーー「いじめできめ細かな報告を求めたのにあわせ、文科省が暴力についても行為の軽重を問わず報告を求めたことが背景にある」。これで06年度の数値が前年比で一気に32%も増えた。だから、「3年間で7割増」とか「1.75倍」というのはゲタを履かせた表現なのだ。

 ところで、暴力行為の件数が1年間で「約6万件」というのは、とんでもない数のように聞こえないだろうか? 私も第一印象としては「ずいぶん多い」と感じた。しかし、今回の調査対象となったのが全小中高校「約3万9千校」であると知れば、1校当たり年間に「1.5件」の割合である。もちろん、学校で暴力行為などないに越したことはない。が、私が子供の頃を振り返ってみると、乱暴な生徒はいたし、ケンカもあった。暴力行為とはどこまでを言うかにもよるが、1校年間「1.5件」がとんでもない数字かどうかは、議論の余地があるように思う。 

 では、暴力ではなく、イジメの統計はどうなっているかというと、「8万4648件で、前回から約1万6千件、16%の減」(『朝日』)なのだ。これは、大きな改善と言えないだろうか? 『産経』はこれに加えて、「いじめ件数は減少する一方で、いじめを認知した学校数も同6.9ポイント減って40%」と書いている。つまり、全体の6割の学校ではイジメはなかったということだ。うれしい話ではないだろうか。

 ほかにも“明るいニュース”はある。それは、高校で暴力行為が減ったことだ。これは、前年度比で3%減であり、実数では356件減だ。また、自殺も減った。児童生徒の自殺は、前年度から23人減の136人だった。これは割合にすると14.5%だから「大幅の減少」と言っていいだろう。

 私はここで、「新聞はウソを伝えている」と言いたいのではない。また、「学校教育の現場に問題はない」と言っているのでもない。ただ、「改善している点は、そう伝え」「統計上に比較できない点があれば、そう伝える」のが正しいジャーナリズムの姿勢ではないか、と言いたいのだ。また、学校からは生徒の暴力やイジメをできるだけ減らすべきだ、ともちろん思う。さらに本当に言いたいのは、「よい点を認めて強調することで社会はよい方向へ進む」ということだが、これは恐らく日時計主義を理解する人にしか分からないだろうから、今のマスメディアにはあまり期待していない。

 谷口 雅宣

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2009年1月19日

古い記録 (8)

 本シリーズでは、私が少年のころに書いた文章や、撮った写真をもとにして、当時の私がどんな少年で、それがどう成長していったかを辿ろうとしている。前回(1月13日)は、1970年の夏、私が18歳で初めての海外旅行をした時点まで来た。1カ月半の旅行で36枚撮りフィルムを22本分を写したが、それ以降も、私は大学生が享受する特殊な“自由”を生かして、モノクロ写真を撮り続けたようだ。
 
 撮影の対象は、別に決まっていない。近いものでは自分で作ったプラモデルのスポーツカーをだったり、庭の犬、植物、家族はもちろん、大学のある青山から、渋谷や原宿へカメラを持って歩き、町並みや人などを写した。また当時、青山学院高等部から慶応大学へ進んだ友人がいて、その友人とともに車で鎌倉や横浜などに撮影に出かけることもあった。そのころ父は『アサヒカメラ』や『日本カメラ』などの写真雑誌を購読していて、私はそれらを時々借りて、木村伊兵衛や秋山庄太郎などのプロの写真や、その他アマチュアの入選作品を見て刺激されていたのを憶えている。また、2007年10月28日の本欄にも書いたが、森山大道の型破りの写真にも魅力を感じていた。
 
 71~72年には、モデルを使った人物写真を撮っている。ポートレートのスナップは、ブラジルでも結構撮っているが、そうではなく、1人の人物を様々な角度から、また様々な恰好をさせて撮るのだ。貧乏学生だから、もちろんプロのモデルを使うのではなく、同じ大学の女友達に頼んで、モデルになってもらうのである。そんな“にわかモデル”を子供の国や横浜などへ連れて行き、写真に撮っている。
 
 こんなことを書くと、大学では授業にもロクに出ず遊んでいたように聞こえるかもしれないが、決してそうではない。私は法学部の公法学科に在籍していて、専攻は国際法と国際関係論だった。私は学問が嫌いではなかったから、出るべき授業には出て、必要な単位は取得し、さらに成績も悪くなかった。だから、アメリカの大学院にも入れたのだと思う。アメリカの大学は、入学の条件として日本での成績を重視するからだ。ただ、第二外国語としてフランス語を履修したが、これはなかなか難しく、辛うじて及第点だったと記憶している。何しろ、名詞のすべてを男か女に分けて考えるというのが、どうも不合理に思え、しかも煩雑なので閉口した。大学の授業で印象に残っているのは「スピーチ・クリニック」というので、英語の発音やイントネーションに絞り込んで教えてくれる。当時の青山学院ならではの科目で、そこの先生が「Did you eat?」という英語は、「ディヂューイート?」などと言わないで「ジーート?」でいいんだ、と教えてくれたのを憶えている。
 
 こんなことは、しかし記録には残っていない。残っているのは、大学の課外で文学サークルに所属していたことだ。これは「轍の会」という名前の同好会で、『轍』という同人雑誌を発行していた。こんな書き方をすると、何かきちんとした印刷物のように思えるが、ワラ半紙にガリ版刷りのごく“原始的”な印刷物である。しかも、数回発行しただけで、ほどなく廃刊になってしまった。そんな雑誌に、私は詩や、小説のようなものを発表して、同人と合評会をしていたのである。

 谷口 雅宣

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2008年12月25日

古い記録(4)

 跳び石の休日のおかげで、自宅に保管されていた昔の写真を整理する時間がもてたため、私の高校時代の記録を“発掘”した。本題でこの欄を書くのは、今年の8月以来(7月31日8月1日同4日)だが、読者にもこの発掘作業の続編をお届けする。8月までに書いたのは、私の高校時代のことだった。その頃私は青山学院高等部の出版部に所属していて、「日本国憲法無効論」などで論陣を張っていた。私は当時、生高連(生長の家高校生連盟)にも参加していて、そこの東京の機関誌に文章を書いたりもした。その内容については、前回までにお伝えした通りである。当時の日本社会の状況は今とはまったく異なり、警察の機動隊と学生を中心とした若者との対立が全国で常態化しており、一部では“革命前夜”の様相を呈していたのである。

 当時の若者の多くは、ベトナム戦争をアメリカの帝国主義侵略戦争と考え、その国と安全保障条約を結んで基地を提供している日本は、侵略戦争の片棒をかつぐ“悪政”を敷いているとして、1970年に改定の節目を迎える日米安保条約を“粉砕”すると息まき、警察と激しく衝突していた。私の通っていた青山学院のある青山通りでは、歩道の敷石がほとんどはがされ、機動隊との対立に備えて学校内に持ち込まれた。これを砕いて投石に使うのである。清涼飲料の瓶は“火炎瓶”に使われ、工事現場からは鉄パイプが盗まれて“槍”に加工された。これらの武器は学生会館のどこかに隠され、会館周囲には、教室から持ち込んだ机や椅子やべニア板でバリケードが組み上げられた。つまり、「戦争反対」を叫びながら、彼らは国の治安機関との間では戦争に近い暴力的対立を深めていた。
 
 生長の家はこの中で、「生長の家学生会全国総連合」(生学連)という組織をつくって、各大学の学生会を単位とした伝道と啓蒙活動を行っていたが、日本の大学では上のような“左翼”の側からの言論が大勢を占めることに危機感を覚え、反共、反暴力、安保擁護の立場を鮮明にして“民族派”の運動に参加したのだった。私が高校の新聞紙上に書いた政治的な論説は、この“右側”からの言論の受け売りと焼き直しにすぎない。別の言い方をすれば、大学や社会での“左右の対立”が、高校の新聞紙上にも反映していたということだ。
 
Bw001s  青山学院に限って言えば、ここでは神学部の学生を中心とした反安保の“左側”の運動が盛んだったが、そこへ生長の家の学生による“民族派”の反対運動が起こったことで、厳しい学内対立になったようである。「ようである」と推量して書いたのは、当時高校生だった私には、その様子が詳しく分からないからだ。が、姉2人が青山学院に籍を置いていた関係もあり、高校と同じ敷地内にある大学には出入りすることも多く、私は実際にそこへ行って写真を何枚も撮っている。その写真のうち2枚をここに掲げる。1枚は、青学大構内で集会をする安保反対の学生運動参加者たちだ。ヘルメットをかぶった学生のアジ演説を聴いている。

Bw004s  もう1枚は、大学の建物の柱に書かれた落書きの写真だ。「落書き」ではあるが、内容はかなり“脅し”に近い。文字が一部光っていて読みにくいが、「青学大に巣食う 右翼肉体派 ○○○○ 谷口一家(生長の家天皇万才派 谷口雅春の孫)」と書いてある。実際には固有名詞がきちんと書かれているが、ご本人の名誉のために写真ではボカした。このほかにも「天皇万才派 ○○○○の早セ田大学右翼と結びついた暴力を許さないぞ」「右翼 ○○○○ 谷口(生長の家)一派を殺せ」などという物騒なものもあった。これらの伏せ字の所には、当時の青学大の生長の家学生会の代表者の名前が入っていた。いずれの写真も1969年に撮った。3枚目のBw010s 写真は、これより1年後のもの。生長の家青年会の街頭行進の様子である。日本の国論が二分して対立していた時代には、使われる言葉もずいぶん大変なものだ。それにしても、「右翼肉体派」とか「天皇万才派」というような呼称はオカシナ見当違いである。

 私は、こういう騒然とした雰囲気の中で高校から大学へ進学したのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年10月31日

本は電子化する

 昨日の本欄にも書いたように、今のインターネット技術を使えば、ひと昔前には考えられなかったことがやすやすとできる。大量の情報が瞬時に世界中に送れるというメリットを、宗教が伝道に活かすことができるか否かで、その宗教の成否が決まってしまう時代になりつつある、と私は思う。いや、今回のアメリカ大統領選挙でも、インターネット技術の利用の仕方が候補者の資金力を左右することが明らかになっているのだから、宗教や政治だけでなく、教育も企業経営も環境保全運動も、発明もリクルートも友達づくりも、農業も漁業も宇宙開発も……ということになってくるだろう。もちろん、宗教上の真理の把握や“悟り”、“愛”や“慈悲”の実践までがコンピューターだけでできると言うつもりはない。が、そういう宗教の“神髄”の部分ではなく、“周縁”の技術的方面でこの技術を活用することは、宗教運動も真面目に検討すべき時になっているのである。

 例えば、生長の家は“文書伝道”によって教勢を伸ばしてきた歴史があるが、今日は宗教が本や雑誌を使って伝道することはごく当り前になっている。また、ひと昔前は、森林伐採によって地球が棲みにくくなるなど考えられなかったから、本や雑誌--とりわけ、人々のためになる宗教、倫理、道徳に関するもの--を出版することは“善いこと”だと考えられてきた。しかし今日では、「地球環境を大切にしよう」という内容の本を出しても、「そういう本の出版が、森林や資源の枯渇を招いている」と批判されることがあるのである。生長の家でも、昔は月刊誌を百部とか千部一括して購読する人は尊敬の眼差しで見られたが、今では疑問視されることもある。これらは皆、伝道や運動の「方法」に関するものであり、それによって伝えられる真理の「神髄」や「内容」ではないから、宗教の“周縁”に属することだ。この“周縁”部分は、時代の要請が変化するとともに、必要なものは変えていくべきことは、私が本欄や生長の家の講習会などで繰り返し訴えてきたことである。
 
 今は、読者が本欄を読んで下さっているように、“文書”は電子情報として世界中を常時飛び回っている。電子情報は、伝統的な紙媒体による「書籍」と違い、運搬費も運搬時間もほとんどゼロ、大きさもほとんどゼロであり、複製が簡単にほとんど無限回できる。この特長を正しく利用すれば、書籍は早々に地上から消滅する--と、ずいぶん前から言われてきた。が、ご覧のとおり、書籍(本)は生き続けている。これは多分、我々人間が、一定の大きさと重さのある「モノを所有したい」という願望をもち続けており、また、書籍のような形態の情報媒体を「持ち歩き」「開き」「ページをめくり」「触れ」「飾る」ことから、満足感を得ているからだろう。が、情報機器の小型化と高機能化が進んでいる昨今は、そういう書籍であっても、売上げはどんどん減っている。そんな環境の中で、昔からの書籍を電子化する作業が大規模に行われていることは、出版業界の一大変化を予告するものだ。
 
 30日付の『ヘラルド・トリビューン』紙は、インターネット検索最大手のグーグルが、アメリカの出版協会と作家協会との訴訟で和解合意に達したことで、絶版本のネット上での公開が実現する素地が整ったことを伝えている。その合意によると、グーグルは1億2500万ドルを支払うことで、ネット上で絶版本を公開し、販売する仕組みを構築することができるという。グーグルは2004年以来、アメリカの大学や研究機関と協力して、それらの蔵書のデジタル化を進めてきた。これまでに700万冊のデジタル化が終っており、このうち400万~500万冊は絶版本という。同社は今、本の検索サービスにおいて、これらの本のうち権利者の許可のないものは、ごく一部しか読めないようにしているが、今回の合意により、本の内容の2割までを無料で読めるようにすることができ、有料では本全体が読めるようにできるという。このサービスにおける収入は、同社が37%を得て、残りの63%を出版社と著作権者で分けるらしい。また、同社がこのサービスに広告を載せた場合は、広告収入もこれと同じ割合で三者に分配されるという。
 
 このような仕組みが日本でも実現すれば、「書店にない」という理由で読めなかった本が、ネット上でいつでも読めることになる。そして、読者が紙媒体の「書籍」という形態にこだわらなくなれば、流通本が絶版本になる速度がしだいに速まり、取次店も書店も不要になる事態に至るかもしれない。しかし、この場合の“絶版本”とは「紙媒体での絶版本」にすぎず、本はネット上で永久に生き続けることになるのかもしれない。これに伴い、書籍の形で流通する本の数は大幅に減るのではないだろうか。これは今、音楽のネット販売が増え、CDの売り上げがどんどん減っている事態の再来である。そういう近未来を見越した現代の新しい“文書伝道”方法の開発が今、緊急に求められているのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年10月16日

カボチャをくり抜く

 今日は休日を利用して、カボチャをくり抜いた。例のハローウィンの飾りのためである。最近は、このアメリカ産の秋祭が日本の街にもすっかり定着した感がする。あちこちのショーウィンドーや花屋の店先に、黄色いカボチャが飾られている。私が子どもの頃は、ハローウィンが何であるかを知る人は少なく、知っている人間は、こっそり“舶来製品”を身につけているような、何か妙な特権意識をもっていたものである。

 私がハローウィンのことを初めて知ったのは、恐らく中学の2~3年(15歳)の頃だ。それは、淡い初恋の思い出と重なっている。当時、私が通っていた青山学院中等部では毎年、英語のスピーチコンテストをやっていて、私はそれに出場したことがある。その頃、東京・渋谷の宮益坂に英会話学校があり、私は両親に勧められてそこで英会話を勉強していた。そんな関係で、英語を話すことは苦手でなかったようだ。そのスピーチコンテストに1学年下の部で出場した女の子に、私は好意を寄せていた。その子は、アメリカに短期留学したか、あるいはホームステイをした時のことをコンテストで話し、そこにハローウィンが出てきたのだった。子供たちが仮装をして近所の家を回り、「Trick or treat!」(ごちそうくれなきゃイタズラするゾ!)と言う様子を彼女が楽しげに話したのを、私はドキドキしながら聞いていた。

 ハローウィンの由来については、2005年10月27日の本欄に書いたので繰り返さないが、起源は古代ケルト人のサムハイン(Samhain)祭と言われる。死の神であるサムハインを讃え、新しい年の到来と冬を迎えるための祭で、10月31日の夜には死者の魂が家に帰ると信じられたらしい。今日の日本ではそんなことは問題とされず、2月のバレンタイン・デーに次ぐ商業主義的西洋祭となっている。
 
Mtimg081016  子どもがまだ小さい頃は、私はサッカーボール大の大きな黄色カボチャをくり抜いたものだが、それを面白がってくれる人はもう妻だけになった。そこで今日は、夫婦で渋谷へ買い物に行ったついでに、花屋で売っていた直径9センチほどの黄色カボチャを2個買った。そして、“笑顔”と“怒り顔”の夫婦カボチャに仕立ててみた。作ってみて、気がついた。カボチャを人の顔の形にくり抜くという行動は、対称性論理にもとづいている。生物学的には全く異なる「人間」と「カボチャの実」という2つのものが、これによって対称性を獲得して“似たもの同士”となる。我々夫婦は、これからしばらくの間、このいずれかのカボチャに自分を同一化して生きることになるだろう。

 もう一つ気がついたことは、サムハイン祭も対称性論理にもとづいているということだ。毎年“あの世”から“この世”へ死者の魂が帰ることを宗教行事とすれば、生者と死者は、いくばくかの対称性を獲得する。日本の“お盆”の習慣とも似ているようだ。
 
 谷口 雅宣

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2008年8月 4日

古い記録 (3)

 8月1日の本欄で、私が高校時代に参加した『青山学院高等部新聞』の製作について書いたが、当時の記憶がほとんど残っていないので、周辺情報から推測するに止まった。ところが、古い記録をさらに当ってみたところ、私自身がその頃の事情を書いている文章を発見したので、それを引用しながら、誤った情報を訂正しようと思う。
 
 この文章とは、私が高等部2年の時に書いた「政治と高校新聞」という題のもので、生長の家東京都高校生連盟が発行していた『桃乃実』という小冊子の第9号に載っている。出版部への入部の動機から、新米部員が論説を書くにいたった事情などが、次のように書いてある--

「僕が青山学院高等部の出版部へ入ろうと思ったのには、別に深いわけがあったのではなかった。中等部の3年間は卓球部に入っていて随分一所懸命にやっていたつもりだったが、一向上達しなくて、下級生に負けてしまうこともあった。高等部へ入っても卓球部へ入るつもりで練習には出ていた。クラブ加入の正式登録までには相当期間があった訳である。しかし、卓球の練習に出ているうちに、僕には卓球の他にもっとやるべきものがあるのではないか、と思うようになった。そこで目についたのが出版部である。文章というものは、自分の将来に絶対必要なものだから、今のうちから文でも書いておいた方がいいだろう。と思うようになると、卓球部を退部することの決心がついた」。

 この文章で注目されるのは、文章を書くことが「自分の将来に絶対必要」と断言している点だ。私はこの頃から、祖父や父のように「文章を書く」のが将来の自分の仕事だと考えていたのである。続いてこうある--
 
「出版部へ入っても、初めのうちは小間使や雑役に使われるものだと思っていたが、豈非ず、部員数は正式登録部員3人という少なさである。雑役どころか、2回目の新聞発行の時は“論説”を書かされてしまった。そのときは『大きな心を』という題で、受験地獄の渦の中で我々は決してコセコセした小さな心を持ってはならない、とか偉そうなことを言ったつもりだったが、大したものにはならなかった。その頃からだっただろうか、僕は政治に関心を持ち出したとともに、現行憲法の不当制定、内容に見られる唯物論的国家観・人間観、憲法復元の必要性などに気が付かせて頂いた。そして、第1面の面責(その面の編集責任者)になれた機会をつかんで、『日本国憲法をさぐる』と題して“現行憲法失効論”を書いたはずであったが、今日これを読み返してみると甚だ不完全なものなので済まないと思っている。新聞に書いたものは、後々まで残るので大変である」。

 前回は、出版部員は「7名」と書いたが、ここにあるように「正式登録部員が3人」であれば、新入部員が論説執筆に駆り出されることは理解できる。また、当時の『高等部新聞』が「面責」という制度を採用していたのであれば、それぞれの面が違う主張を展開してもいいことになる。これは、前回書いた私の推測--「高校生だから、思想性などより紙面のバラエティや広告が採れることを優先したのかもしれない」--とは若干ニュアンスが違うのだ。また、上の文章で興味深いのは、「○○の必要性などに気が付かせて頂いた」という部分だけに、敬語が使われている点である。ここに敬語が使われている理由は、その必要性を気づかせてくれたのが、自分より目上の人々--恐らく生高連の上部組織である生長の家青年会であり、ひいては生長の家の総裁であるからだろう。
 
 また、私のような“右翼”的論調がある一方で、なぜ“左翼”的論調も併行して展開されたかについては、次のような事情があった--
 
「しかし、このように新聞発行を続けて行っても、その新聞が以外(ママ)と生徒の間で読まれていないことに気がつくと、僕はもう少し一般生徒と結びついた新聞を作成すべきだと思い、第98号は政治色を抜いた、しかも一般生徒におもしろく読んでもらえるような紙面を作ろうとしたが、これまた甚だ不完全。とか何とかかんとかやっているうちに、何の影響であろうか、出版部に入りたいと言う3年生が4人ばかしやって来て、“ベトナム戦争について書いてみたい”というので、部長は部員が少なかったので大喜び。ところがドッコイ、彼らの書いた記事は、『赤旗』に出してもおかしくない立派なもの」。

 これを読むと、当時の高校の“左右対立”の空気が想像できて面白い。この時代の若者は、高校生の時から大人のマネをして政治論を戦わせていたのである。

谷口 雅宣

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2008年8月 1日

古い記録 (2)

 前回見たように、昭和42(1967)年当時、私が入学した青山学院高等部ではいわゆる“左翼的”言論が普通に行われていたが、その出版部に私が何月に入部したかは、はっきり覚えていない。しかし、新学年は4月始まりで、5月までを“クラブ探し”の期間と考えれば、入部は5月中か6月からと推測していいだろう。その年の『高等部新聞』の7月20日号(第96号)には、文化祭に向けて、クラブ活動の紹介記事が掲載されているが、出版部については、「現在の出版部は1年生男子1名、2年生男子3名女子2名、3年生1名の計7名からなっていて」と書いてある。この「1年生男子」というのが、どうも私らしい。
 
 そう言える理由は、その号の新聞の第4面の編集スタッフとして「谷口(雅)」という文字が見えるだけでなく、その面の下2段通しで書籍広告が掲載されていて、スポンサーは日本教文社だからだ。書籍だけでなく『理想世界』と『理想世界ジュニア版』の月刊2誌の広告も載っている。入部後すぐにこんなことができたのは、恐らく部員が少なかったことと、部長が寛容だったか、もしくはいい加減だったのかもしれない。高校生だから、思想性などより紙面のバラエティや広告が採れることを優先したのかもしれない。

 その次に発行される9月23日号(第97号)では、もっと驚くべきことが起こる。第1面に7段組みで「日本国憲法をさぐる」という論説が掲載されるのだ。これが“左翼的”論説でないことは、書き出しの数行を読めばすぐ分かる--
 
「現行の日本国憲法は正しい憲法ではない。と言ったら、多くの人達は驚くことだろう。それは本当にそうなのである。その理由の一つは、現行憲法の制定の方法に非常な不正と矛盾があるからである。(後略)」

 論説はこれ以降、現憲法が大日本帝国憲法の「改正」という形で制定されたものの、外国軍の占領下であり、かつ改正範囲を逸脱した改正であったから正しくない……などという点を掲げて論陣を張るのである。入部したての一年生部員にすぐに「論説」を書かせるというのも驚きだが、その内容が従来とまったく正反対だというのには、もっと驚かされる。こんなところは、高校生の出す新聞ならではの“自由さ”(あるいはいい加減さ)が表れているのだろう。この号の第一面下には、日本教文社の3段半分の書籍広告が再び掲載されているが、本の題名には我々にとって馴染み深いものがある--
 
 谷口雅春著『青年の書』、同『第二 青年の書』、同『能力と健康の開発』、同『若人のための78章』、谷口清超著『生きる』、林房雄著『日本への直言』
 
 こうは書いたが、私が入部して以来、『高等部新聞』の論調が全く“逆立ち”してしまったわけではない。12月12日号(第99号)では「君のベトナム戦争に対する沈黙は人間的罪悪ではないか?」という大見出しの特集記事が載った。その次に出た2月22日号(第100号)では「70年闘争への展望」という“新左翼”まがいの論説が第2面に掲載されたかと思うと、第4面ではソ連の不正を糾弾する北方領土問題の記事や、国旗掲揚の意義を訴える記事が載っている。
 
 私は、この第100号に「建国記念日について」という論説を書いている。そのサワリの部分を再掲すれば--
 
「米国にしても1776年7月4日の独立宣言の日を“建国の日”としているが、これも単に時間的起源を意味するものではなく、国家誕生の精神、意義、内容を重視しているからである。日本の場合も同じで、たまたま日本の建国が太古の昔であるから何年何月何日と断言できないだけで、日本建国の精神という史実より重要なものは、古事記、日本書紀等の古典によって、厳然として今日に伝えられているのである。」
 
 こうして『青山学院高等部新聞』は記念すべき第100号に近づくにつれて、内容の分裂が際立っていく。それは同時に、私の母校の外で起こっている日本社会全体の国論の分裂と呼応していたことは、言うまでもない。
 
 谷口 雅宣

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2008年5月 9日

電子本『ぱすわあど』を登録

 4月下旬に本欄で連載した童話「ぱすわあど」のスタンドアローン版を作ったので、ここに登録する。IBM互換パソコン専用なので、マックでは動作しない。本のページの上で左右のマウス・クリックをすると、ページをめくるというだけの簡単なものである。プログラム・ファイルをできるだけ小さくしたかったので、最小限の機能にした。使ったソフトは「Neobook」というアメリカ製のオーサリング・ソフトである。興味のある読者は、電子本を使ってみて感想を聞かせてください。(下のリンクでマウスを右クリックすればいい)

電子本『ぱすわあど』をダウンロード
 
 谷口 雅宣

追伸:『ぱすわあど』のβ版をVersion 1.0 にアップグレードし、本のページをめくる音をしこみました。ファイルのサイズはほとんど変わっていません。(5月10日記)

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2007年11月 8日

教育の地域格差は大きくない?

 前回の本欄では、今回の大規模な全国学力調査の結果のうち、基礎的知識の程度は「低下」していないし、むしろ「向上」している、という点を取り上げた。今回は、「教育の地域格差」が大きく、また拡大しつつあるとする問題に対して、この調査結果が何を語るかを調べてみよう。が、その前に、日本の教育問題に関心のある読者は、前回の本欄の末尾に示した文科省のサイトから、調査結果のポイントをまとめた文書をダウンロードしてぜひ読んでほしい。普段、マスメディアの情報を信じて、そこから得た印象を「現実」だと考えている人の中には、きっと“驚くべき発見”が数多くあると思うからだ。

 さて、今回の文科省の発表に関連して、教育の地域格差について新聞各紙は記事のリード文でどう伝えているだろうか?

○都道府県別の平均正答率で一部に開きがあったほか、就学援助を受けている子どもの割合や地域の規模と正答率との相関関係もみられ、「教育の格差」が一部に表れた。(10月25日『朝日』)

○都道府県別で差もみられ、小学校では秋田、中学では福井、富山などの正答率が高く、沖縄や大阪などの成績が悪かった。(同日『産経』)

○都道府県間の正答率には最大23.1ポイントの開きが生じ、学力のばらつきも浮き彫りになった。(同日『日経』)

 これらの文章を素直に読めば、そこから受ける印象は「教育の地域格差は大きい」ということである。しかし、これらのうち『朝日』と『産経』は同じ日の記事の中で、次のようにも書いているのだ--「1960年代の学力調査で格差が問題になった都市部と地方を比較すると、大きな差はなかった」(朝日)。「都道府県別の平均正答率は昭和30年代の調査に比べ、地域間格差が縮小し、教育の格差是正に一定の効果があった」(産経)。一方『日経』は、この日の第3面の記事でも、「国公私立間の成績の格差も新たに判明」とか「入学選抜がある国私立を除く公立校の成績は都道府県間でばらついた」などと、依然として「格差は大きい」と思わせる表現を使っている。
 
 では、実際のところ格差は大きいのか小さいのか? 私は、この判断は純粋に統計学的なものを優先させるべきだと思う。そうしなければ、今回のように78億円とも言われる経費を使い、これまでになく大きなサンプルを採って調査した意味がほとんどなくなってしまう。なぜなら統計の価値は、サンプル数が多ければ多いほど信頼性の高い結果が引き出せるという点にあるからだ。では、統計学的な判断がどうかというと、それは文科省の「平成19年度全国学力・学習状況調査--調査結果のポイント」という発表資料にあるものだと思う。それを下に掲げよう:
 
「小学校調査、中学校調査ともに、平均正答数、平均正答率、中央値、標準偏差を見ると、地域の規模等(公立:大都市、中核市、その他の市、町村、へき地)による大きな差は見られない」。

 そうなのだ。今回の調査で明らかになったことの1つは、「現在の日本の小中学校教育では、統計的には大きな地域格差は認められない」ということなのだ。前回触れた池上彰氏の記事を除き、この重要な事実をきちんと伝えてくれる新聞がなかったことは、現代のジャーナリズムの偏向を示している有力な証拠だ、と私は思う。その偏向とは「悪いもの探し」の傾向である。私はもちろん、この報道をめぐる新聞記事の中に「地域格差は大きくない」という意味の表現がまったくなかったと言うのではない。そうではなく、報道姿勢を示す「見出し」や「リード文」「記事の配置の仕方」などの面で、この重要な事実を過小評価しようとする傾向が見られたと言っているのである。
 
 その証拠をいくつか挙げれば、『朝日』は10月27日の記事で「詳しく結果を見ると、沖縄などを除いて大きな差がない。9割近くが平均正答率の上下5ポイント程度の範囲内に収まっている」と書いているが、その文章に至る相当前の文章には、教育社会学の専門家の言葉を引用して、「この10年間で格差が拡大したのは事実だ。それが表れていないのは、分析の仕方に問題があるのではないか」と言わせている。これでは、「文科省の統計の数字にはウソがある」と言っているに等しい。また、『日経』は10月25日の第3面の記事で「今回のテストは様々な“学力格差”をあぶり出した」と書いた下に、「専門家の見方」という欄を設け、2人の“専門家”の相反する見解を並べている。最初の見解は「都道府県別の平均正答率の“ばらつきが小さい”という文部科学省の説明には問題がある」として統計を否定的にとらえているが、2番目の見解は「1960年代の旧学力テストの結果に比べ大都市とへき地の学力格差がほとんどなくなったのは大きな変化だ」として同じ統計を肯定している。これらを読む読者は、見出しにもなく、地の記事では否定され、さらに1人の専門家の見解で否定されている文科省の統計の意味を、もはや肯定的にとらえることはできないだろう。
 
 私がここで言いたいのは、「文科省の統計分析をそのまま信じろ」ということではない。78億円もの国家予算を使って実施した統計学的調査の結果を、一応はそのまま報道してほしいということである。もちろん専門用語は一般向けに噛み砕いて説明してほしいが、その内容を曲げるような報道は世論操作ではないだろうか。統計結果に不満があるなら、「今回の調査結果はこうなったが、別のデータは別の結果を示している」と簡明に示してほしかった。なぜなら、それが事実というものだからだ。「事実」や「現実」は、多様な人が見れば多様に解釈できる。それを単一の見方に牽引していくのが報道機関の使命だと、私は決して思わないのである。
 
 谷口 雅宣

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