2009年10月29日

映画『私の中のあなた』

 水曜日の夕方、久しぶりに映画を見た。生命倫理を扱う真面目な映画だと子供から聞かされたからだ。キャメロン・ディアス扮する母親が、自分の娘(アビゲイル・ブレスリン)の骨髄性白血病を治すために、遺伝子操作の技術を使って骨髄型が一致する妹を産む--という想定だ。つまり、姉の病気治療のために妹を生み育て、妹の肉体が医療に利用されるという状況の中で、家族はどうあるべきか? こういう重い問いかけが背後にある、と私は思いながらこの映画を見た。しかし、この生命倫理の問題は「背後にある」ままで物語は終ってしまう。正面に出てくるのは、3人の子供のうち、死にかけている1人だけに全力集中して愛を注ぎ込む母親と、その周囲の家族の“愛の葛藤”である。こう書くと、この映画は“暗い作品”との印象が生まれるかもしれないが、驚くほど明るい。それは多分、家族全員が、白血病の姉娘(ソフィア・ヴァジリーヴァ)を愛し、彼女のために尽くす気持を共通してもっているからだろう。
 
 原作は、大ベストセラーになったジョディ・ピコー(Jodi Picoult)の小説『私の中のあなた』(My Sister's Keeper)ということだが、私はその小説を知らなかった。また、映画は原作と重要な点でいくつか違うらしい。だから、もしかしたら原作は生命倫理の問題にもっと突っ込んだ考察をしているかもしれない。が、映画を見たかぎりでは、これは親子の愛、家族の愛の物語である。そういう作品になった理由を、ニック・アサヴェテス監督(Nick Cassavetes)は、インタビューの中でこう語っている--
 
「映画のもとになった小説を読んだらとても感動的だったけど、スタジオが映画化したいと言った時はまだ迷いがあったんだ。でも、家族が子供の死とどう向き合うかというシンプルなストーリーなんだと考え始めて、これなら出来ると思ったんだよ」。

 つまり、監督自身が、この作品を生命倫理の問題として描かなかったのだ。その理由について、同監督は詳しく話していない。が、アメリカでの幹細胞の研究について同監督が考えを述べているのを読むと、人間の判断力に相当の信頼をおいているのが分かる--
 
「これはあくまでもぼくの個人的な意見だけど、幹細胞のリサーチは進めるべきだと思う。ホルモンと幹細胞は医療の未来だよ。すごく多くの倫理的問題や道徳的問題を生み出すことになるだろうけどね。人間として自分たちが正しい選択をする能力があると信じるべきだよ。もし文明が進んで、人がもっと長く生きることになり、今の人類が変化していくことになってもそれを怖れるべきじゃない。それは子供たちの、孫たちの世界であって、ぼくたちは少なくともよりよいところにしようとするべきだよ」。

 この人間への信頼と楽観主義とが、重い主題をもったこの映画を、明るく、救いのある作品に仕上げているのだろう。その点で、私は読者にこの作品をお薦めする。ただし、私の不満を言わせてもらえば、これはきっと“理想的な家族像”だということだ。自分自身が生きるためにではなく、兄弟の生命維持のために生まれたと知った子供が皆、この物語のように素直に、愛深く生きるかどうか……それは近い将来、小説ではなく、現実が語ることになるに違いない。

 谷口 雅宣

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2009年8月20日

神は偉大でないか? (5)

 『God is Not Great』の第5章は、“病気治し”をめぐる宗教の問題である。ここには、生長の家の信仰者にも無縁でないことが書かれていて、興味深い。簡単に言えば、「信仰で治すか、医学で治すか?」の問題だ。特に、病気の原因が医学的にハッキリしている場合、宗教がそれを否定すると、信仰者に悲惨な結果を招く可能性が大きくなる。だから、宗教(あるいは信仰)は有害である、というのが著者、ヒッチェンズ氏の主張である。

 具体的な事例を読むと、世の中にはずいぶん極端な主張をする宗教もあるものだと驚く。もちろん、生長の家では医学を否定しない。が、医学だけでは健康は回復しない、と考える。投薬や手術が健康をもたらすのではなく、人間の内部にある自然治癒力が発揮される必要があり、そのためには「心」の要素が非常に大きい。このことは医学でも認めているから、我々の信仰では「医者を取るか信仰を取るか?」という二者択一の問題は発生しないことが多い。ただし、一度「医者」を選択すると、最近では検査、検査、投薬、投薬……という事態になりかねない状況でもあるから、「できることなら、信仰だけで治したい」という患者の気持も充分理解できるのである。
 
 さて、ヒッチェンズ氏が示す事例をいくつか掲げよう。

 インド北東部のベンガル地方で、著者の友人のカメラマンがユニセフの仕事の一環として子供たちのために小児麻痺のワクチン接種を進めていた時のことだ。どこからともなく妙な噂がひろがってきたという。それは、この薬は西洋の諸国の謀略であって、ワクチンを飲めば生殖機能が不能となり、下痢が続くというのである。その噂の出どころが、イスラーム主義者なのだった。小児麻痺のワクチンは同一人に2回接種しなければならないが、この噂のおかげで、心配した多くの親たちが接種をためらうこととなり、その地方からこの病気を排除することができなくなるのだった。この例は「信仰で治せ」というものではないが、「西洋医学を疑う」という点で、その効果は似ている。
 
 ナイジェリアでは、もっとヒドイことがあった。同じ小児麻痺予防のワクチンの接種について、イスラーム法学者の一団がそれを「イスラームに対するアメリカと国連の陰謀である」というファトワ(イスラーム法にもとづく見解)を出したのだ。ワクチンは、真の信仰者の胤を絶やすためのものだというのである。この法的見解のおかげで、小児麻痺が一時消えていた同国に、数カ月後にはこれが復活した。そればかりでなく、旅行者やメッカへの巡礼者が感染したまま外国へ行ったため、この病気がすでに撲滅されていた他の国--アフリカ3国と遠くイェメンまで--へと小児麻痺は広がったのだ。
 
 これと似たことが、コンドームとエイズとの関係で世界各地で起こったという。それをいちいち書くことは控えるが、問題のポイントだけを言えば、エイズウイルスの感染防止のためにコンドームは有効だという医学的見解に、医学不信と避妊禁制を盾に取って、イスラーム法学者のみでなく、カトリック教会までが声をそろえて反対したのである。その反対理由はばかげている--「すべてのコンドームには、密かに目に見えない細かい穴が開けてあるから」というのである。つまり、コンドームはエイズを感染させるために作られた、と信じているようなのである。しかし、コンドームは避妊具の1つであるから、穴が開いていれば欠陥商品であり、場合によっては訴訟の原因にもなる。だから、「すべてのコンドーム」に穴が開いているはずはない。
 
 アフリカなどでのエイズの蔓延は、こうした宗教的見解の愚かさにも原因がある。
だから、ヒッチェンズ氏は「宗教は、公衆衛生に対する緊急な脅威であり続けている」と手厳しい。また、この章では、ユダヤ教の「割礼」の習慣についての批判もあるが、その詳細は本欄で取り上げるのに相応しくないと考えるので、割愛する。

 谷口 雅宣

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2009年6月16日

臓器移植の先に見えるもの (2)

 イギリスの科学誌『New Scientist』は6月6日号(vol.202 No.2711)で、体細胞を利用した再生医療技術の現状を特集している。私がそれを読んで驚いたのは、再生医療研究の先端では、すでに臓器移植を不要とする技術が完成に近づいているということだ。もう1つ新たに知ったのは、ここでは動物の臓器と人間の臓器とを“合体”ないし“融合”させることで、新しい臓器の生産に結びつかせる道筋が有望視されているという点だ。つまり、今流行の言葉を使えば“ハイブリッド臓器”の生産が現実化しつつあるということだ。
 
 臓器提供者の不足を補うための1つの方法は、ブタなどの動物の臓器を人間に移植する「異種移植」(xenotransplant)だった。しかし、この方法は、それだけでは移植患者の免疫系が動物の臓器を激しく拒絶する反応が起こるため、移植後は免疫抑制剤を半永久的に使わねばならない問題があった。また、動物の細胞がもつウイルスに感染するリスクがあった。これらの問題を避けて、必要な臓器を作成する方法がほぼ完成に近づいている。その技術の概要は、次のようなものだ--
 
 ①必要な臓器を入手する
 ②臓器を洗浄して細胞を除去し、コラーゲンでできた“枠組”だけを残す
 ③この“枠組”に幹細胞を流し込む
 ④幹細胞が分化を始め、必要な臓器を形成する
 ⑤できた臓器を患者に移植する

 アメリカのミネソタ大学のドリス・タイラー博士(Doris Taylor)らのグループは、2008年1月、ラットの心臓の枠組に、生れたばかりのラットの心臓の幹細胞を流し込むことで、血管や筋肉も備えた拍動する新しい心臓を生み出した。その後、この心臓を別のラットに移植できれば技術の“完成”となるが、できた心臓はまだ筋肉の量が少ないため、体内で役割を果たすところまで行っていないらしい。タイラー博士のチームは、ラットの次には、この方法を使ってブタの心臓と肝臓を作成する研究を行うことを考えているという。そして、この分野の多くの研究者が最終的に目標としているのは、もちろん人間に使える臓器を患者自身の幹細胞から再生産することだ。これは必ずしも夢物語ではなく、気管のような単純な形状の臓器であれば、イギリスのブリストル大学の研究者が、この技術を使ってすでに人間の気管の再生と移植に成功しているという。また、心臓弁などの小型の組織などでは、ブタの組織の“枠組”を使った“ハイブリッド組織”を体内に移植した患者が、欧米ではすでに多数存在するらしい。

 ということで、見えてきた1つの道筋はこういうものだ--上記の①にある「必要な臓器」は、人間のものでもブタのものでも可となる。また、人間の場合、脳死でも心臓死でも大差ないだろうから、後者の人の臓器の利用が増えるだろう。となると、将来の再生医療の行く先は、脳死段階での臓器移植を増やす方向へではなく、病院や専門ラボで患者の幹細胞を使って再形成された新しい臓器の移植である。これによって、脳死段階での臓器移植がもつ様々な問題は回避できるようだが、その代り“ハイブリッド組織”や“ハイブリッド臓器”を体内にもつ人々が増えていくのだろう。これを人間の「幸福の増進」と言えるかどうかは、また別問題と私は思う。
 
 谷口 雅宣

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2009年6月15日

臓器移植の先に見えるもの

 6月9日同13日の本欄で、臓器移植法の改正をめぐる動きについて少し書いた。この問題は、臓器の提供側と受け手側の利害が必ずしも一致しないところに、基本的な問題がある。提供側が前もって提供の意思と時期(心臓死か脳死か)を示していれば、両者の利害は一致するから、問題は起こりにくい。それでも、提供者本人でなく、家族の感情の問題は残るかもしれない。これに対して、事前に提供者の意思が示されていない場合、家族にそれを決める責任と負担が生じる。家族全員が一致した判断を下せれば、それでも負担は少ない。が、そうでない場合、家族構成員の間に感情的なシコリが残ることも考えられる。

 これが提供側の問題だが、受け手の側では少し種類の違う問題が生まれる。それは「他人の死を待ち望む」という心理状態になることである。倫理感が確立していない子供の場合、この心理状態はさほど負担でないかもしれないが、成人した人間にとっては、個人差はあるにしても倫理的ジレンマは感じられるだろう。これを克服し、幸いにも移植臓器を得た人は、提供者に対して感謝の念を強くもつに違いない。が、感謝しようとしても本人は死亡しているのだから、その思いは、提供者の家族に対して、手術をした医師に対して、あるいは移植を可能とした社会に対して向けられるかもしれない。これはよいことだ。また、他人に助けられたことで、社会への奉仕を志す人も出てくるかもしれない。これも、よいことだろう。しかし、これとは反対に「臓器を得る権利がある」などと考える人も出てくるだろう。

 以上は、臓器移植にかかわる個人の問題だが、社会全体を見るとどうなるだろうか。現在の臓器移植法が扱っている範囲は、死んだ人(心臓死と脳死)の臓器だから、社会全体では一種の「臓器のリサイクル」制度のようなものだ。この言い方が悪ければ、「臓器を使えるうちに他人に回す」制度である。摘出された1個の臓器は、基本的には1個のまま他の人に移植される。そういう「1対1」の関係がある。ところが、提供される臓器が足りないと考える人の間では、臓器の「リサイクル」ではなく、「創出」の技術も開発されつつある。つまり、新しく臓器をつくるのである。これができれば、臓器の提供側の問題はもちろん、受ける側の倫理的ジレンマの問題も軽減するし、移植にかかわるコスト削減につながる可能性もある。

 そんな技術の確立を目指しているのが、いわゆる「再生医療」と呼ばれている分野である。この技術は一見、倫理的な問題が少なく理想的に思えるかもしれないが、そう簡単ではない。本欄で何回も言及してきた「ES細胞(embryonic stem cells)」や「iPS細胞(induced pluropotent stem cells)」の技術が、まさにこの分野の先端である。が、ES細胞には「受精卵を使う」という問題があり、iPS細胞には「ガン化のリスク」があることを書いてきた。本欄では、卵子や精子などの生殖細胞を除く「体細胞」を利用した再生医療の進展に期待を示してきたが、iPS細胞の研究はこの分野に属する。が、それ以外の体性幹細胞(成人幹細胞)を利用した再生医療の研究も進んでいる。次回の本欄では、それを紹介しよう。
 
 谷口 雅宣
 

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2009年6月13日

臓器移植法改正は不要である (2)

 9日の本欄で、国民の間に合意が存在しない中で、臓器移植法改正を急ぐ現政権のやり方に対して疑問を呈したが、今日(13日)の『朝日新聞』は「見切り採決に“訳あり”」という見出しで、法改正を急ぐ側の“事情”を説明している。これを読むと、現在の政治というものが、民意の汲み上げや、国民の将来、倫理観などの大所高所を見据えた立場から行われるよりも、国会対策とか政治家個人の特殊事情などを優先して行われている様子がよく分かる。実に嘆かわしいことだ。

 その中でもきわめつけは、いわゆる“A案”を提出した富岡勉・衆議院議員が法改正を急ぐ理由として、「選挙後にはたくさん法案が出て、2、3年先になってしまう」とコメントしている点だ。1997年施行の現行の同法に、3年をめどとした見直し規定があるのに、一度も見直しをしていないことに良心の呵責を感じているらしいのだが、前述したように、WHOが渡航移植を規制する動きを示したことで、見直しには「絶好の機会」と感じたようだ。ところが、改正案の審議時間は97年には26時間かけたのに対し、今回は8時間で打ち切られ、自民党のある国会対策幹部は、「採決は中間報告から間を置かない方がよい。(議員が)地元に帰る回数が増えれば意見を言われて判断が揺らぎ、棄権が増える」などと発言したそうだ。つまり、国民の意見をよく聞くと議員の考えがグラつくから、衆院厚生労働委員会からの中間報告が出た時点で、法案はすぐ採決してしまった方がいいというお考えのようなのだ。これが、自民党政治家が考えている“民主主義”の実態である。
 
 また、少し信じられないのは、息子から生体肝移植を受けた河野洋平・衆院議長が、この法案の通過を引退の“手土産”にしたいとの熱意に燃えているからだという話だ。その動きに、与党側も「唯一首相になれなかった“元自民党総裁”へのはなむけにしたい」と合意したというのだ。この話がもし本当なら、今の与党政治は「公私混同もはなはだしい」と言わねばならない。その上で『朝日』はこう書いている--「与党はすべてが廃案になることも覚悟し本会議での採決に突っ込む構え」。これらの情報を総合すれば結局、こうなるだろう--現在の政権と与党は、現行の臓器移植法に定められた「3年後の見直し」を先延ばしにしてきた怠慢を糊塗するために、「人の死」という重要な問題に関して国民の間に合意ができていないにもかかわらず、かっこうだけ「国会で見直した」形を作って総選挙に入ろうしている。その方が、いろいろな意味で(政治家の私的な都合も含めて)好ましいと考えている。
 
 私は、こんな解釈は間違いであってほしいと思う。臓器移植法改正案の見切り採決について“正しい解釈”があれば、どなたか教えてください。
 
 谷口 雅宣

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2009年6月 6日

恐るべし、ノーシーボ効果

 本欄では、医学でいう「プラシーボ効果」について何回か(最近では2009年2月15日2006年4月3日など)書いたことがある。これは医学的に何の効果もないものを服用しても、それを服用者が「効果がある」と信じた場合に治病的効果が生じることを言う。「服用」と書いたが、必ずしも体内に物質を摂取しなくてもよく、身体に一定の刺激を与えたり、何かの儀式をした場合でも、同様の効果が生じるものもプラシーボ効果と呼ばれることがある。このような健康回復の効果とは逆に、医学的には無害なものでも、それを「有害だ」と信じた場合に、病気になったり、苦しんだり、あるいは死に至るものを「ノーシーボ効果」と呼ぶ。

Ns051609  これら2つの現象は、人間の「信念」や「信仰」と肉体の健不健が密接に関係していることを有力に示しているから、宗教の世界とも関係が深く、その原因やメカニズムについて興味がつきない。ただし、医学が発達した現代においても、これらの詳しいメカニズムはまだ分かっていないようだ。イギリスの科学誌『New Scientist』は、5月16日号の表紙(=写真)に、何カ所にも針を刺された縫いぐるみの人形を描いて、「How beliefs can harm you」(信念はどうやってあなたを傷つけるか)という特集記事を載せている。この絵は、医学的には何の効果もないはずなのに、人形に擬せられた人が苦しみ傷つく……日本では「藁人形に五寸釘を刺す」のと同じイメージだ。
 
 この記事で紹介されていた実例を2つ、以下に掲げる--
 
①ガールフレンドと別れたデレク・アダムズは、人生に希望を失ったために、手元にあった抗鬱病剤を全部服用したという……が、薬を飲んでしまってから、「しまった!」と後悔した。彼は死にたくなくなって、隣に住む人に頼んで病院へ連れていってもらった。が、病院についたとたんに倒れてしまった。体はガタガタ震え、顔面蒼白となり、意識は朦朧とした。血圧は下がり、息は速くなった。しかし、病院でいくら検査しても異常はなかった。体内から毒物も発見されなかった。入院後4時間にわたって、アダムズは生理食塩水を体内に入れる洗浄を行ったが、体調はほとんど改善しなかった。

 そんなところへ、一人の医師がやってきた。アダムズが参加していた抗鬱病剤の臨床試験の担当医だった。アダムズは約1週間前から、この試験のために薬を飲んでいた。飲み始めた当初、彼は気分がウキウキした。が、別れたガールフレンドとの言い争いのために、彼は残っていたその錠剤29個を全部飲んでしまったのだ。臨床試験の担当医の話によると、アダムズは照査実験のグループの中にいた。このグループは、実際の薬の効果を試すグループと比較するために、ダミーの薬を服用させるためのものだ。つまり、彼が飲み過ぎたと思った薬はニセモノで、医学的には無害なものだったのだ。その話を聞いて、アダムズは驚いて涙ながら安心したという。それから15分もたたないうちに、彼の体調はしっかりとし、血圧も心拍数も平常にもどった。
 
②1998年の11月、アメリカのテネシー州の高校で、ある教師がガソリンのような異臭がするのに気がついた。やがて頭痛を覚え、吐き気がし、息苦しさと目まいを感じるようになった。そこで学校は閉鎖され、その後1週間のうちに100人以上の職員や学生が、最初の教師と同様の症状を訴えて、病院で受診することになった。ところが、いくら検査しても、それらの症状の医学的な原因は分からなかった。その1カ月後、アンケート調査を行って分かったことは、症状を訴えた人はほとんどが女性で、クラスメートが同じ症状を覚えたことを見ていたか、知っていたという。英ハル大学(University of Hull)の心理学者、アーヴィン・カーシ博士によると、「我々が知るかぎり、学校の環境には有害物質は一切なかったのに、人々は苦痛を訴え出した」。だから、これは大規模な「ノーシーボ効果」だという。

 カーシ博士の考えでは、クラスメートが症状を訴える様子を見ることで、他の学生の心の中に「病気の予感」が起こり、それが心因性の病気に発展して大規模に広がったのだという。こういう突発的な病気の流行は、世界のどこでも起こる。1998年にはヨルダンでワクチンの集団接種をしたとき、800人が副作用のようなもので苦しみ、そのうち122人は入院治療をした。が、そのワクチンには何も問題がなかったという。

 --このような例を知ってみると、人生の明るい面に注目して生きる「日時計主義」が健康にもいいことが了解できるだろう。
 
 谷口 雅宣

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2009年3月13日

米でES細胞の研究が拡大

 1月24日の本欄で、発足したばかりの米オバマ政権がES細胞の利用規制を緩和するとの観測を紹介した。また、2月6日には、ES細胞とiPS細胞の2つを比べながら研究を進める方法を、再生医療研究者は求めているらしいと書いた。その理由は、前者は“本物”だが後者は一種の“代用品”だから、代用品の優秀さは本物なくしては分からないというものだった。そして、3月10日の『ヘラルド・トリビューン』紙は、オバマ大統領がブッシュ時代に禁止されていたES細胞研究への連邦予算の支出をついに解禁する、と伝えた。その記事を読むと、アメリカのES細胞研究は、今回の大統領の決定だけでは“一挙進展”とはいかないようだ。その理由を述べよう。
 
 ブッシュ政権下のアメリカでは、人間の受精卵を使った研究を禁止するための法律改正が議会によって行われていたから、研究範囲が実際に大幅に拡大されるためには、議会がオバマ氏の方針に賛成して法改正を行わねばならないのである。この法律による禁止条項は、通称“ディッキー=ウィッカー改正条項”と呼ばれるもので、1996年に成立して以来、議会によって今日まで毎年、延長され続けてきた。そこでは、具体的には、国民の税金を使って人の受精卵を作成することと、受精卵を壊したり廃棄すること、さらに受精卵が傷つく可能性を知りながら、その危険を冒すことが禁じられている。これらの法の縛りがなくなるまでは、“全面解禁”とは言えない。

 しかし、今回の大統領令によって、すでに作成されたES細胞株を使った研究には、連邦政府の予算がつくことになる。だから、アメリカにおけるこの分野の研究は今後、大幅に伸びることが予想されるのである。『朝日新聞』もそう考え、今日(13日)の社説で「オバマ大統領は、政治や宗教にゆがめられない健全な科学政策を目指している。今回の発表もその大きな一歩といえる」と大いに持ち上げている。

 が、宗教が科学を「ゆがめる」という考え方はおかしい。科学は「善悪の価値判断をしない」ことで発達してきたことは認めるが、そのことによって生物化学兵器や核兵器の製造が行われてきたことも事実である。宗教が科学の使い方に関与することは、必ずしも「ゆがめる」ことにはならず、「正す」場合もあるはずである。にもかかわらず、宗教が関与しないことが「健全」だとするのは、大いなる偏見である。また、オバマ政権自身は、科学政策について「政治や宗教にゆがめられない」という表現は使っておらず、「科学と政治を分離するという公約の一環として」(as part of a pledge to separate science and politics)この政策を実行したと言っている。『朝日』の記事では、この「政治」(politics)という言葉が、いつのまにか「宗教」にすり替わっているのである。

 ところで、私のES細胞研究についての見解は、1月24日の本欄などですでに何回も述べたので、ここでは繰り返さない。日本は何でも「アメリカの右に倣え」をする癖があるから、今後、iPS細胞の研究だけでなく、ES細胞研究の規制緩和への圧力が強まることが予想される。私は、受精卵を使わない前者の研究は条件付きで支持するが、ES細胞研究には反対の立場を崩すつもりはない。
 
 谷口 雅宣

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2009年3月 4日

日本海裂頭条虫は絶滅か?

 最近は「腸内細菌」という言葉を広告などでもよく目にするから、微生物が人間の体内で“よい働き”をしていることは知られるようになった。私も毎朝、ヨーグルトを食べるようになって久しい。しかし、「寄生虫が体にいい」という話は聞いたことがなかった。そう言っているのは人間総合科学大学の藤田紘一郎教授で、“寄生虫博士”の異名をもつ人だ。藤田教授は、3月1日付の『日本経済新聞』に寄稿した記事で、「日本海裂頭(れっとう)条虫はヒトを終宿主にする寄生虫で、ヒトの体内でしか卵を産めないからヒトを大切にする」と書いている。また、1月26日の『産経新聞』では「寄生虫がいると花粉症などの過敏なアレルギー反応を抑える作用が期待できる」としている。で、この日本海裂頭条虫とは何かといえば、体長が10mにもなるあの「サナダムシ」のことなのだ。驚くのはそれだけでなく、藤田教授は2年前まで、サナダムシを自分の体内で飼っていたというのだ。

 何のためか!……というと、「寄生虫をはじめ細菌・ウイルスなどの微生物に対する日本人の間違った考えを是正したい思いがあったからだ。清潔志向に偏りすぎた現代日本人の生活と精神構造に、警鐘を鳴らす目的もあった」(『日経』)と同教授は言う。清潔志向の何がいけないかというと、人間の体内に棲む微生物は、太古の昔から“縄張り”である人間を守ることで人間と共存してきたのに、現代人はこれらの微生物を抗生物質や防腐剤、そして添加物の多い食品を摂取することで「ひたすら攻撃している」からという。同教授が特に問題にするのは、私が冒頭で書いた「腸内細菌」のことで、これらは100種類、100兆個も腸内にいて、我々の免疫力をつけ、ビタミンを合成しているのに、我々はそのことをあまり認めなかったからだ。が、まぁ最近は、腸内細菌については、だいぶ理解が進んでいるのではないか。
 
 ところが同教授が最近心配しているのは、サナダムシが日本からいなくなっていることだ。「それはいいことだ」と我々は考えがちだが、これは地球温暖化と関係している一大事らしい。それを説明するためには、サナダムシの壮大な一生を知らねばならない。この虫の幼虫は、体長2㎝前後のときは魚のサケの肉の中に潜んで日本海を回遊している。これを寿司などとして日本人が生で食べると、我々の体内に入る。人間の腸内では、彼らは1日に20㎝も伸びる。1カ月では6mになり、2カ月で10m前後になったところで成長が落ち着くという。彼らは雌雄同体なので“伴侶”を探す必要がまったくなく、どんどん産卵する。その量たるや1匹で1日200万個も産む。従来ならば、この卵は人糞と一緒に川に流れてミジンコの餌となり、その後は食物連鎖をたどってサケ類の体内に摂取される。ところが、衛生環境が整備されてくると、彼らの卵は川に出られずに死滅してしまうことになる。
 
 それでも藤田教授のところには、サナダムシ発見の知らせが全国から届いていたという。10年前までは毎月1回は連絡があったが、最近はほとんどない。同教授自身、サケを何匹も入手して、体内の幼虫を見つけると、それを飲んでいたそうだ。それが可能だったのは、日本海側の日本より北の国から来たサケ類のおかげだった、と同教授は考える。が、2007年2月以降、幼虫は見つからなくなったという。その理由は「温暖化でサケの産卵回遊に変化が生じた」からだ、と同教授は推測する。もちろん、外国での衛生環境の整備も関係しているだろうが、同教授は「サケの南下が少なくなるとサナダムシはミジンコから稚魚に移行できなくなる」と考えるのである。
 
 目に見えないほど小さいサナダムシの卵が毎朝、200万個もトイレに排出され、それが食物連鎖に乗って何千キロの距離を旅し、そのうちのたった数匹がやがて、どこかの国の人の体内に収まる。すると、待っていましたとばかりにスゴイ勢いで成長し、宿主の身長をはるかに超える大きさになって卵を産む。クリストファー・コロンブスも顔負けの、壮大な生き方ではないだろうか。が、やはり、私は腹の中で何mもの寄生虫を飼うのは勘弁してほしい。その代り、ヨーグルトやチーズ、納豆などをおいしくいただこうと思う、腸内細菌群に大いに感謝しながら……。
 
 谷口 雅宣

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2009年2月23日

受精卵の声 (2)

 2月20日の本欄に書いた香川県立中央病院の受精卵取り違えミスは、時間の経過とともに、大きな問題がその背後にあることを浮き彫りにさせている。それは、「受精卵に対する価値感」の問題である。これまでの報道による限り、ミスを犯した産婦人科のK医師(61)は、受精卵を人間の命と同等のものとして評価しているとはとても思えないのである。

 20日付の『日本経済新聞』夕刊の記事では、K医師は昨年9月、受精卵が入った複数の容器を作業台に並べて発育状況を確認した際、台上にあった別の女性患者の容器と取り違えたとし、別の患者の容器が台上にあったことは「たまたま1個だけ置いてあった」と釈明した。ところが同じ『日経』の22日の記事では、この時、台上にあった受精卵は、「廃棄しようと作業台に放置されていたものだった」と記述が変わっている。この記事は、さらに次のように当時の状況を説明している。(括弧付きのA・Bの表現は、私がつけた)--
 
「9月18日、別の患者(B)の受精卵が入った複数のシャーレを台上に出して作業。うち1つは不要と判断し、ふたを捨て、台の上に置いたままにしていた。次に女性(A)の受精卵が入った複数のシャーレを出し、作業するうちに混在し、すべてを女性(A)のシャーレとして保管した」。

 この記述が事実だとすると、K医師の当初の「たまたま1個だけあった」という釈明はウソである。また、この記述からは、複数の人間の受精卵を厳密に区別するという配慮--言い換えると、複数の家庭の間に子の取り違えが起こらないようにする配慮--が、まったく感じられない。このことは、23日付の『朝日新聞』がK医師の作業について「受精卵の廃棄数を記録していなかった」と伝えていることからも分かる。この記事の状況説明は、こうである--
 
「別の患者Bさんの廃棄用の受精卵を入れたシャーレを作業台に置き忘れたまま、女性患者Aさんの受精卵の入ったシャーレを並べて生育状況をチェックした。当時、患者を識別するシールは、シャーレのふただけに貼られていたが、先に置いてあったBさんのふたは廃棄されていたため、BさんのシャーレをAさんのものと思いこんだという」。

 こちらの記事の方が、『日経』より具体的で分かりやすい。が、いずれの記事でも、K医師が複数の受精卵をズサンに扱っていることが分かる。『朝日』はさらに23日の夕刊で、作業台には当時、「Bさんのシャーレを含む4つ以上のシャーレが置かれていたことが分かった」と伝えている。記事には、それらをどう扱ったかも詳しく書いているが、ここでは省略する。

 それよりも、私が読者の注意を喚起したいのは、ここにあるような受精卵へのズサンな扱いがなぜ起こるか、ということである。私は、K医師は例外的にズサンであり、その他の産婦人科医は受精卵を「人間の命」と同等に扱ってくれていると信じたい。が、受精卵については、どんな人間にも否定しがたい事実が一つある。それは、受精卵が大変小さいということだ。成長を観察するにも、顕微鏡なしでは不可能である。「それは当り前」といえばその通りだが、私はこの「小さい」という事実が、「価値を小さく見る」ことにつながっていると思うのだ。

 サイズが小さいものは大きいものより価値が低いと考えるのは、我々人間が一般にもっている心理的傾向だろう。「小さい人間(小人)」「小さい心(小心)」という言葉は、そういう価値判断を含んでいる。また、野菜や果物、車や土地、人や国家でも、大きいものは小さいものより価値があると考える。「大は小を兼ねる」という言葉も、同じ価値感を表している。この判断は、我々の無意識の領域にまで忍び込んでいるだろう。進化心理学的に考えても、このことには合理性がある。もっと別な言い方をすれば、受精卵を顕微鏡で眺めながら、「こんな小さな命にも自分と同じ価値がある」と感じるに至るまでには、相当程度の理性の働きが必要だと思うのである。

 いや、理性は本当に「小も大も等価」と認めるだろうか? 私には一抹の不安が残る。では、何があれば「受精卵も人も等価」という認識に至るのだろう? 私は、それは「神への信仰」だと思う。創造主(つくりぬし)としての神が、すべての生命を価値あるものとして創造されたと考える時、その神を介して、「大」なる命も、「小」なる命も等価であるとの認識が生まれるのである。
 
 谷口 雅宣

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2009年2月20日

受精卵の声

 不妊治療で他人の受精卵を誤って移植され、妊娠が確認されてから9週目に人工中絶されるという医療ミスが発生した。過去にも、別の患者の受精卵の移植や夫以外の精子の注入などの事故はあったというが、妊娠にいたり、さらに中絶が発覚したのは初めてのケースらしい。今朝の新聞各紙が伝えている。『朝日新聞』によると、日本での体外受精は、2006年に約3万2千人の女性に実施され、それに顕微授精(約3万4千人)を加えると約6万6千人の女性が同様の治療を受けていることになる。決して少ない数ではない。

 体外受精の方法で受精卵を得るまでには、依頼主である夫婦にとって経済的にはもちろん、心身の負担も大きい。それでも「子がほしい」との強い願いからこれが行われる。今回の場合、受精卵の取り違えだから、4人の大人の意思が無に帰し、少なくとも2個の幼い生命が犠牲となった。誠に残念で、悲しいことである。この治療の担当医師(61)は、勤続約20年のベテランで、不妊治療では、これまでに体外受精を約1千例も手掛けてきた専門家だという。本来の受精卵と別の受精卵を同じ作業台に置いていたことから、取り違えが起こったらしい。ちょっとした気の緩みから、深刻な問題が発生してしまった。
 
 私はこの場合、どうしても妊娠中絶しか方法はなかったのかと考える。現在の状況では、多分そうだろう。が、「代理母」の制度が認められた後には、関係している母親2人が互いの代理母になることによって、せっかく得られた2つの受精卵を殺さずに、2人の子供を得る方法があるかもしれない、と想像する。もちろん私は、本欄などで代理母の制度には反対してきた。その大きな理由は、これは自分の「子を得る」という幸福目的のために、他人の心身を利用する制度だからだ。そして大抵、「子を得る」側は経済的に豊かであり、「子宮を提供する」側はそうでない。つまり、「経済的に豊かな人間がそうでない人間の心身を利用して子を得る」という構図になりがちだ。大げさに聞こえるかもしれないが、これは一種の“奴隷制度”のようだ。
 
 これに対して、今回のようなケースでは、2組のカップルは同じ病院で同じ治療を受けている人たちだから、経済的にはほぼ同等ではないか、と想像する。そして、自分の子をもうけるためには、心身の負担を喜んで受け入れるという決意をした人たちだ。そうして得た貴重な受精卵は、まぎれもなくカップルの命の結晶である。ただ問題なのは、本来移植すべき子宮にではなく、別の子宮に移植されたということである。しかし、その後、9~10カ月たてば、それぞれのカップルの遺伝子をきちんと引き継いだ子が産まれるはずである。もちろん、「別の人の腹から産まれる」というのが問題である。しかしこの場合は、代理母と違って、一方のカップルが他方のカップルを一方的に利用する関係ではなく、むしろ相互が対等の関係で、互いの子を子宮の中で育て合う。だから、双方の合意さえ成立すれば、受精卵を犠牲にせずに子をもつことは、少なくとも理論的には可能だと思う。
 
 この案は、「受精卵の命を最大限尊重する」という立場から考えたものだ。現在の法制度はそういう立場から作られていないから、この案の実施は実際には無理だろう。戸籍上の問題もある。が、今後、不妊治療への国の援助が増えるならば、体外受精の件数も増えるだろうから、今回のような事故が再び起こる可能性もある。そんな時、受精卵の声なき声として記憶に留めておいてもらえたら、幸いである。
 
 谷口 雅宣
 

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2009年2月16日

バイテクで子供に投資する

 ニューヨーク在住の安藤比叡・本部講師が、最近の子供の遺伝子解析に関する興味あるニュース記事を送ってくださった。昨年11月30日付の『ニューヨークタイムズ』に載った記事で、昨今のアメリカの“教育ママ”の中には、子供が小さい頃に遺伝子解析をしてその子の運動能力についての“適性”を知り、適性があると思われるスポーツを習わせる人がいるらしいのである。その方が、早期から練習に取り組め、どのスポーツをすべきかと迷うロスを防げ、一点集中による効率化がはかれるというわけである。

 これは、コロラド州ボールドーからのレポートである。この町は特にスポーツ熱が盛んらしく、それに目をつけた企業が、遺伝子解析によるスポーツの適性診断サービスを始めたのだ。やり方は簡単で、8歳までの小さい子の口の裏側の粘膜からDNAを採取し、それをラボに送って「ACTN3」と呼ばれる遺伝子を解析するだけである。1回の診断が「149ドル」(約1万3千円)である。この遺伝子は、2003年に行われた1つの研究で、体の「瞬発力」と「持久力」に関係があるとされたそうだ。この企業は、「ACTN3」の解析によって、子供が陸上の短距離走やアメフットのような筋肉の瞬発力を必要とするものか、長距離走のような持久力を要するものか、あるいは双方を組み合わせた種目を顧客に“推薦”するらしい。
 
 しかし、専門家の中にはこの種の診断の確実性を疑問視する人もいる。例えば、カリフォルニア大学サンディエゴ校医療センターのセオドール・フリードマン博士(Theodore Friedmann)に言わせると、「ACTN3」の研究はまだ緒についたばかりだから、これを診断の材料にする商売は「いかがわしい薬を売る」ようなものだという。また、「ACTN3」を研究したメリーランド大学のスティーブン・ロス博士(Stephen M. Roth)は、「マイケル・フェルプスのような世界的選手の成功を生んだのが1つや2つの遺伝子だと考えるのは短見である」と言う。そして、人間の運動能力に影響を与えることが分かっている遺伝子は、少なくとも200はあるとしている。ロス博士によると、この遺伝子が意味をもつのは、一流のスポーツ選手が自分のトレーニングの方法を考えるなど、限られた特定の場合であり、普通の小学生が学校でするスポーツの成績にはほとんど影響がないという。
 
 同紙の記事によると、この遺伝子解析は、ジェネティック・テクノロジー社によって2004年からオーストラリアで始まり、その後、ヨーロッパや日本でも提供されているという。
 
 こういう話を聞くと、私は近未来を描いた短編小説集『神を演じる人々』(日本教文社、2003年刊)に出てくる「本川瑛美」の話を思い出す。この人物は「飛翔」という作品の主人公で、並はずれた跳躍力をもっているために一流のバレリーナとしての将来が約束されていた。だが、この跳躍力は遺伝子改変によって人為的にもたらされたものだったため、両親は娘が世間から差別を受けることを恐れ、秘密の練習に娘を通わせていたのである。そのことが一つの原因となり、主人公は練習中、取り返しのつかない事故に遭う--そういう筋書きである。今回の技術は遺伝子の「解析」だけであり、「改変」のレベルにはまだ達していないが、自分の子供をスポーツの分野で成功させるために、親がどれほどの“熱意”を示すかを、小説ではなく、実例によって示している。

 我々は今、1回の遺伝子解析が1万円ちょっとでできる時代にいるのだ。それに加えて遺伝子の「改変」もできることになれば、安全性の問題さえ解決すれば、出費を惜しまない親は案外多いのではないかと思う。が、その場合の親の気持は、本当の「親」というよりは「投資家」の気持に近いと思う。
 
 谷口 雅宣

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2009年2月15日

信仰は健康によい

Time090223  アメリカの時事週刊誌『TIME』が、2月23日号で「信仰はどう癒すか」(How Faith Can Heal)と題し、健康をめぐる心と体の相互関係について特集記事を載せている。簡単に言ってしまえば「信仰をもつことは健康にいい」というのが、その記事の結論だ。この種の“心身相関”の話を、私はここ数年、本欄に書く機会がなかった。目立った発表に遭遇しなかったからだ。しかし、この特集記事は最近の医学的知見をまとめているので、大いに参考になる。

 私が前回この問題に触れたのは2006年4月3日の本欄で、その時は「祈りには治病効果がない」という研究結果を紹介した。この研究は、プラシーボ効果について詳しい心臓外科医、ハーバート・ベンソン博士(Herbert Benson)が主任となって行われた信頼性のあるものだったので、その結論に私は少なからずショックを受けた。が、今回の記事で紹介されているコロンビア大学のリチャード・スローン博士(Rchard Sloan)の見解では、祈りの効果を科学的に立証することは“愚者の夢”(fool's errand)だといい、ベンソン氏の研究方法そのものに疑問を呈している。その理由は、祈りの受け手がどれだけ祈られたかは知ることができないし、それが分からなければ祈りの効果は測定できないからだという。
 
 ベンソン氏の研究の詳しい内容は上記の本欄を参照してほしいが、スローン博士のポイントは、患者にとって重要なのは、その人が実際に祈りの対象になったかならなかったではなく、患者本人が、自分が祈りの対象にされたと「思う」か「思わない」かだというのである。もし自分が祈られていると思うならば、そこからプラシーボ効果を起こすメカニズムが患者の心身で働き出し、ある時には“奇蹟的”と思われる効果も発揮するというのである。
 
 プラシーボ効果とは「偽薬効果」とも訳されるが、医学的には1780年代から知られている現象で、砂糖の丸薬など、医学的には全く治療効果のないものでも、それを服用する人が「効果がある」と信じて飲めば、実際に効果が生じることをいう。このことは拙著『心でつくる世界』(1997年)にもやや詳しく書いたが、「信仰によって病気が治る」という場合でも、相当数はこのプラシーボ効果によると思われるのである。が、このことからは、「だから宗教はインチキだ」という結論へ向かうべきではなく、「だから、人間の自然治癒力は驚嘆に値する」とか「人間の心の力は偉大だ」という方向に進むべきだろう。

 この特集記事も、その方向に論を進めている。もし、“砂糖の丸薬”によっても奇蹟的治癒が起こるならば、神への信仰や宗教の教義のように、人々の心を深く動かすものに治病効果がないと考える方が不自然なのだ。こうなると、定期的に教会へ通う人々とそうでない人々との健康状態を統計的に比較する研究が意味をもってくる。テキサス大学の社会人口統計学者、ロバート・ハマー氏(Robert Hummer)が1992年から続けているこの分野の研究成果には、動かし難いものがある。それをまとめると、次の2つに集約される--
 
 ①教会など宗教行事にまったく行かない人は、毎週教会へ行く人に比べて、8年後までに死ぬ確率は2倍である。
 ②まったく教会へ行かない人と毎週行く人との中間段階にある人々の寿命は、両者の中間的位置にある。
 
 このような統計結果が出る理由には、様々なものが考えられる。例えば、教会は一種の社交場であり、コミュニティーを形成するから、そこに集まる人々の間には親しく近い関係が生じるだろう。すると、普段の互いのコミュニケーションも密接になるだろうから、心臓発作や脳梗塞で倒れたときも、教会メンバーの方がそうでない人よりも速く病院に連れて行ってもらえるかもしれない。そうなれば、医学的理由ではなく、社会的理由でも平均寿命は長くなる--という具合にだ。しかし、その一方で、宗教が肉体の一部である脳に影響を与えることで、ストレスに対する心身の反応自体が、宗教を信じる人とそうでない人との間で違ってくることも考えられるのである。
 
 神経科学の発達により、宗教的体験や感性が脳の頭頂葉や前頭葉でのニューロンの活動に関係していることが明らかになってきた。これに、脳の可塑性(変形する性質)を加味して考えると、祈りや瞑想を定期的に行う人と、そうでない人との間には、長い間のうちに脳に構造的な差異が生れるとしても、不思議でない。そして、この記事によると、実際にその通りになるらしいのだ。
 
 ペンシルバニア大学のアンドリュー・ニューバーグ博士(Andrew Newberg)の研究では、100人以上の人が様々な方法の瞑想や祈りを行う中で脳をスキャンして調べたところ、前頭葉が主体となって活動していることが分かったという。そして、祈りや瞑想が深まってくると、頭頂葉がしだいに静かになる--この状態のときに、人は地上的なことから解放された気分になるという。また、称名を唱え続けたり、誦行をしていると前頭葉の活動が静まり、自分が唱えている言葉が、自分とは別の力によって発せられているような気持になるという。そして、このような瞑想を15年以上続けている人の前頭葉は、そうでない人よりも分厚くなっていることが分かったそうだ。また、自分は宗教性が高いと考える人の脳の視床は、非対称的である傾向があるが、対称的な視床をもつ普通の人も、瞑想を8週間実修すると、視床に非対称性が現れることがあるという。
 
 このような研究と、ここには書かなかった様々な研究や発見により、「信仰は健康によい」というのが、今や医学者と宗教者の1つの合意点であるらしい。
 
 谷口 雅宣

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2009年2月 6日

八つ子の誕生が教えるもの

 バラク・オバマ氏が米大統領に就任した直後(1月24日)の本欄で、私は新大統領が生命倫理の分野でも、前任者のブッシュ氏から方針を転換し、ES細胞の研究に連邦政府の援助をひろげる決定を「来週にも表明する」らしいと書いた。これは、ABCニュースが「早ければ」という言葉を添えてそう伝えたからだ。しかし、あれから2週間たった今、まだその発表はない。恐らく、もっと緊急性のある経済対策の方に時間を取られているからだろう。しかし、オバマ政権下では、人の幹細胞を使った再生医療の研究が今後、加速度的に進むとの期待感が広がっていて、アメリカの時事週刊誌『TIME』は2月9日号で、幹細胞研究を特集として大きく取り上げている。
 
 それを読んで印象に残ったのは、現在の再生医療研究では、ES細胞(胚性幹細胞)の研究とiPS細胞(人工多能性細胞)の研究が併行して行われているということだ。ES細胞の万能性をiPS細胞で実現するためには、ES細胞を研究して、それが体の各組織や臓器に分化していく仕組みをよく理解する一方で、iPS細胞を使ってそれとの違いを確認することが重要だと考えているようだ。つまり、ES細胞は実際の受精卵から得た細胞だから、再生医療や発達医療に必要な“本当の”または“自然の”情報をもっているが、倫理的、技術的、社会的な問題を抱えているので、その代用として、人工的に得られるiPS細胞を使っていく--そんな意図が感じられるのである。
 
 しかし、技術というものは、人間の意図とは無関係に発達するという側面がある。だから、強力な技術の開発は、強力な“善”の効果を発揮し得ると同時に、その逆の効果も発揮し得ることを忘れてはいけない。特に、ES細胞のような(生物学的な意味での)「人間の発生」に深く関わる重大な技術は、誤用や悪用の道を開かないように、できるだけ早期から倫理規定を整えておく必要がある。が、その一方で、このような強力な技術は、正しく使えば人道的にも経済的にも大きな利益をもたらすから、早期に倫理規定を整えることに抵抗を感じる人も出る。特にアメリカのような自由と自己決定を重んじる社会では、このような倫理規定への抵抗が強い。両者のバランスをとることは容易でないから、技術の乱用から“犠牲者”が出ることで、初めて倫理的配慮の重大さを思い知るというパターンが繰り返される傾向がある。
 
 最近、報道されたアメリカにおける「八つ子」の誕生も、このパターンに一致している。これは今年の1月26日に、ロサンゼルス郊外で不妊治療によって八つ子が生れたという話だ。が、さらに世間を驚かせたのは、八つ子を生んだ母親にはすでに6人の子供がいて、その子らの誕生にも不妊治療が用いられたということだ。5日付の『ヘラルド・トリビューン』紙が伝えるところによると、この八つ子を生んだ女性は、33歳のナディア・スールマンさん(Nadya Suleman)で、すでに2~7歳の子6人(男4人、女2人)がいる。新たに生まれた八つ子は、男6人と女2人だ。ナディアさんの母親の話によると、ナディアさんの最初の6人の子は人工受精で生まれたといい、その時に作られた凍結受精卵から八つ子が生まれたらしい。

 この母親の言では、ナディアさんは十代の頃から子をもつことに執着していて、子育ては上手であるけれども、今回は「明らかにやりすぎた」(obviously she overdid herself)という。ナディアさんは昨年1月に離婚しているが、彼女の14人の子供はどれも前夫の子ではないというのだから、夫婦間には複雑な問題があったのだろう。ナディアさん自身は、カリフォルニア州立大学で青少年向けカウンセリングの学位をとり、昨年春までは大学院に通っていたという。最近はある病院で精神科の技師をしていたが、出産を控えて退職した。母親は100万ドルの負債を抱えて破産手続きを申請中というから、この家庭には14人の子供育てる経済力はないと考えていいだろう。
 
 そんな中で八つ子を生んだことが、社会的な批判を浴びているようだ。「八つ子」という珍しさから、いくつかのメディアから仕事の話が来ていて、そういう経済的報酬を目的に“子だくさん”を選んだという疑いがかけられているらしい。ペンシルバニア大学の生命倫理学者、アーサー・カプラン氏(Arthur Caplan)は、すでに6人の子がいるにもかかわらず、本人の経済力を考えても、そもそも医師が彼女に不妊治療をする必要があったかどうかなど、このケースは倫理的に大きな疑問があると指摘している。
 
『TIME』誌は上掲号に続く2月16日号でこれを取り上げ、アメリカでの生命倫理規定との関係を説明している。それによると、昨年の6月、ちょうどスールマンさんの胎内で受精卵が成長を始めたころ、アメリカ生殖医療協会(ASRM, American Society for Reproductive Medicine)は、不妊治療の目的で子宮に移植する受精卵の数に関するガイドラインを改訂した。そして、34歳以下の女性の場合は、1998年に定めた「3個以内」という数を「2個以内」に減らしたところだったという。もちろん、今回の「8個」の受精卵は、いずれの規定からも大きく外れている。が、この規定はあくまでも「ガイドライン」だから、法的拘束力も罰則もない。また、八つ子が生まれたのは、受精卵の移植数が8だったからか、あるいは8以下の受精卵から同一遺伝子情報をもつ受精卵が分離した結果、8になったのかは、現段階では不明である。
 
 私がこの八つ子の件をやや詳しく書いたのは、多様な価値観が認められる自由な社会においては、強力な技術の誕生は、当初まったく予想できなかった用途にも、その技術が使われる可能性があるという点を実例をもって示すためである。しかし、それでは法規制によって問題は解決するだろうか? 同誌の記事の中で、南カリフォルニア大学の不妊治療専門家、リチャード・ポールソン教授(Richard Paulson)は、こんな疑問を提示している:
 
 ①我々は、1家族のメンバーを(例えば)6人に限定する法律を制定するのか?
 ②我々は、多胎妊娠時に子を選択する義務を法律に規定すべきなのか?

 谷口 雅宣

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2008年12月11日

タバコ増税は腰くだけ

 タバコ税の引き上げが、見送られるようだ。今日の新聞各紙が一斉に報じているが、私が期待していた“当り前の政治”がまたも挫折した。喫煙が健康に悪いということは、科学的にも常識的にももはや疑う余地はない。駅や空港などの公共の施設が続々と禁煙となり、歩きタバコも他人への危害を及ぼすという理由で“違法”となりつつある中で、先進国の基準では低い税率が維持されてきた日本のタバコを、今後も放置しておくという決定が下されたのだ。さらに不思議なことは、その決定を下したのが「タバコ増税」を唱えてきた麻生首相自身らしいということだ。
 
 健康上の理由だけでも、喫煙を減らす努力をすべきなのに、今回は、高齢化にともなう社会保障費の伸びを2200億円抑えるという小泉時代の閣議決定を反故にしそうなだけでなく、景気後退によって税収が6兆円減ると見込まれている中で、タバコへの増税が見送られたのである。今日の『産経新聞』によると、麻生首相は周囲に「2個パック1000円でいいじゃないか」と漏らし、「1箱500円」を考えていたらしい。また、12月2日には「タバコ税をやればいいじゃないか」と言っていたのに、腰くだけもはなはだしい。

 民主政治の“最悪”の側面が出てきたのではないか。今回の増税見送りの理由について、『産経』は「葉タバコ生産農家や小売業者をバックにした議員の強い抵抗を受け、自民党税調幹部が頑として譲らなかったためだ」と書いている。さらに、「公明党が次期衆院選をにらみ“大衆増税になる”と難色を示した」かららしい。これでは、圧力団体や支持母体の短期的な利益に奉仕する政治でしかない。ほとんど衆愚政治と言っていいだろう。
 
 タバコ増税反対派の反対理由が、またふるっている--「増税しても税収が増えるとは限らない」というのだ。この意味は、タバコ税を値上げすれば、喫煙者が吸う本数を減らすからタバコの消費量が減り、タバコ税トータルで増収につながるとは限らないということだろう。私は、それならそれで益々いいと言いたい。喫煙者が吸う本数を減らし、禁煙に踏み込む人も出ることは、日本の将来にとって大変いいことだ。中・長期的には、これによって気管支系の疾患やガンが減るから、医療費が抑制されるのである。世代間倫理の立場から考えても、高齢化時代の医療費抑制は必要なのである。そういうことを考えるのが、政治家の本来の仕事なのではないか。
 
 今の自民党は、解散・総選挙になったときに如何に票を減らさないかに汲々としているだけで、国の将来など考えていないように見える。が、国民はバカではないから、そういう“票集め”に走る政治家にはますます愛想をつかせるのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年12月 2日

ガンの自然治癒

 ガンの自然治癒が案外多いのではないかという論議が、医学者の間で行われている。医学関係の記事を書いてきたニューヨーク・タイムズのジーナ・コラータ記者(Gina Kolata)が11月26日付の『ヘラルド・トリビューン』紙で報じている。それによると、ガンの自然治癒は昔から医学界では知られているが、それは皮膚ガンや腎臓ガン、それから小児ガンのごく一部で起こるとされていた。しかし、自然治癒がどれだけの頻度で起こるかの研究はされていなかったという。その理由は、ガンは早期治療が原則だから、発見されたものは必ずといっていいほど治療の対象にされ、放置したケースはあまりなかったからだ。

 ところが、このほど The Archives of Internal Medicine (内科学紀要)に発表された研究では、ノルウェーでの乳ガンの治療では、自然治癒が起こった頻度は、これまで考えられていた以上に多いらしいというのである。この研究は、50~64歳の女性の2つのグループの乳ガンの罹患率を6年間にわたって比較したもので、1つのグループは10万9784人の女性が対象で、1992年から6年間が調べられた。ノルウェーでマモグラフィー(乳房X線検査)による乳ガン検査が始まったのは1996年からで、これらの女性はほとんどすべてが96~97年にこの検査を受けたという。これに対してもう1つのグループは11万9472人の女性で、1996年から6年間が調べられた。これらの女性はほとんどすべてが定期検査を受けていたという。2つのグループの違いは、前者が6年間に1~2回検査したのに対し、後者はほぼ毎年検査したということだ。
 
 普通に考えれば、この2つのグループの中で6年間で乳癌が発見される比率はほぼ同じであるはすだ。ところが、実際に調べてみると、定期的に乳ガン検査を受けている人の方がそうでない人よりも22%も多くガンが発見されていたのである。具体的にいうと、定期検査を6年間受けていた10万人のうち1909人から進行性の乳ガンが発見されたのに比べ、定期検査を受けなかった人の場合、乳ガンが発見されたのは10万人のうち1564人だったという。この違いがなぜ生まれたかで論争が起こっているのである。
 
 この研究を行った1人のダートマス大学医学校のギルバート・ウェルチ博士(Gilbert Welch)は、「最もありそうな説明は、これらの女性のうちある人は、一度はガンが見つかったが、別の時には見つからなかったということでしょう」と言う。米国立健康研究所(NIH)の疾病予防所所長、バーネット・クレーマー博士(Barnett Kramer)は、「様々なガンの習性について広い知識のある人は、自然治癒があることは知っています。しかし、これほど頻繁だとは衝撃的です」と語る。
 
 自然治癒以外の説明もできるという。その1つは、ガンの定期検査を受けた人は、更年期障害の治療のためにホルモン投与も受けていたと考えた場合だ。が、ホルモン投与がガンの発症に関わる割合は3%以下だという。もう1つ説明は、マモグラフィーの精度が最近向上したためガンを見つけやすくなったとするものだが、ウェルチ博士らの考えでは、そういう事実はないようだ。また、別の説明では、定期検査を受けた人々には、もともとガンに罹りやすい要因があったとするものだが、2つのグループの女性の間にはガンの危険という点で違いはなく、驚くほど似通っているという。さらにもう1つの説明では、マモグラフィーの検査は完璧でないから、1回の検査では発見が漏れるケースがあるとするもの。定期的な検査では、そういう漏れがなくなるから、ガンの発見率も上昇するというのである。しかし、この場合、第1のグループの女性の発症率は、この研究で比較した6年間以降に上昇するはずであるのに、そういう事実はないという。
 
 そんなこんなで論争に決着はついていないのだが、ここから明らかになっているのは、ガンの問題は「早期発見」だけでは解決しないということだ。つまり、機器の精度が向上して早期発見が行われても、発見されたガンのすべてを治療することの“コスト”が正当化されるかということだ。もし、ガンの中に自然治癒が起こるものがもともと相当数あるならば、「様子を見る」だけで治療をしない選択肢の方が、患者にとっては金銭と心理の両面においてコストが小さいと言えるだろう。問題は、現在の医学では“治るガン”と“治らないガン”の区別がまだできないということだ。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月16日

人獣混合で問題は解決しない

 胚性幹細胞(ES細胞)と共に、人のあらゆる細胞や組織に変化する能力があるとされるiPS細胞(人工多能性幹細胞)の研究の成果が最近、矢継ぎ早に報道されている。が、その中で、倫理的に問題があると思われる種類の胚の研究についても、規制のタガが緩みつつあるように見えるのが気になる。人のES細胞を使う研究について、政府の総合科学技術会議の生命倫理専門調査会は、先月末、規制緩和の方針を決めた。(10月31日『朝日新聞』)これまでは「作成」と「使用」の双方について研究機関と国とで二重の審査が義務づけられていたものを、使用については審査を簡略化するか、国の審査を廃止して報告だけにするなどが考えられている。
 
 また、10月22日にイギリスの下院を通過した法律は、2001年に制定された細胞の核移植に関する法律やその他の生殖補助医療についての規制を塗り替え、同国の胚研究許可庁(Human Fertilisation and Embryology Authority, HFEA)が監督する研究の種類を従来よりかなり拡大することになった。この法律は今後、上院の承認を得て成立する見込みだ。10月31日付のアメリカの科学誌『サイエンス』が伝えている。

 それによると、今回解禁となる研究の中には、動物の除核卵細胞にヒトの細胞を混ぜる異種間の核移植が含まれている。科学者の中には、これによって人のES細胞を動物から得ることができると考えている人がいて、HEFAはすでに3つのライセンスをこの種の研究に認めているらしい。しかし、反対派の人々は、同庁にはそれを認める法的権限がないとして裁判を起こしている。今回の法律が成立すれば、この問題は規制緩和の方向に決着する。この法律はまた、ヒトと動物の遺伝子をもつ胚や、ヒトと動物の細胞が混合した胚を作成するための研究も認めているという。反対派は、この種の研究はヒトとサルが混合した“ヒューマンジー”を作ると非難しているが、法律は、ヒトと動物が混じった胚を2週間を超えて成長させることと、ヒトや動物の子宮に移植することを禁じているから、“ヒューマンジー”は生まれない、と賛成派は言う。

 この種の研究のメリットについて、専門家はこう語る--例えば、ヒトの精子とヒトの遺伝子をもつマウスの卵子を混合させれば、受精の過程を詳しく知ることができる。また、ヒトの精子の保存法や避妊薬の研究にも役立つという。が、法改正の主要な目的の1つは、どうやらES細胞の量産にあるようだ。
 
 私は本欄などを通じて、ES細胞の研究には一貫して反対してきた。理由は、それがヒトの受精卵を破壊して作るからである。宗教的には、受精卵の段階から人間の霊が関与して肉体の形成が始まっていると考えられる。それを他人の一存で、本来の目的である肉体の形成以外の用途に強引に利用しようとするのは倫理的でない。これに対して、未受精卵の核を除いたものに、体細胞の核を挿入することで受精卵と同等のもの(クローン胚)を作り出す方法がある。が、この場合も、胚が自律的に細胞分裂を行いながら肉体の形成を開始した時点で、霊魂の関与が始まったと考えられるから、それを他の目的に利用することは正しくない。今回“解禁”される研究では、動物の卵子の核を除いたものの中に人間の細胞の核移植を行うことで、人間の卵子を扱う際の様々な倫理的、社会的問題を回避しようとしているのだが、逆に動物と人間の遺伝子が混合する危険性を生んでいる。

 最近の分子生物学などの研究学で、人間と他の生物の遺伝子情報はよく似ていることが明らかになっている。が、どんなに似ているからといって、両者を混じり合わせることで何かの問題が解決するという発想に私は与しない。これは、遺伝子組み換え作物の問題でも言えることだ。人間を含めた生物は、「個体」として在る前に、現象的には何十万年もの進化の過程を経た生態系の一部として--つまり「種」として--存在する。それぞれの生物種は、生態系の中では別々の系として進化し、機能してきたものであり、他の系と混合することはあり得なかった。それを人間が強引に行うことで、自然界を“改善”したり“改良”することができると考えるのは、人間の思い上がりだろう。人間だけが、自然界から離れて生きていけると考える科学者が多いことを、私は不思議に思うのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年3月31日

命はどこにある?

 我々人間には「命がある」というほど明確な実感はないのではないか。デカルトの有名な言葉--「我思う、ゆえに我有り」は、「我思う、ゆえに我に命あり」と言い直すことができる。なぜなら、命のない死体は、そこに確かに存在していても、「我思う」という意識をもたないから、「ゆえに我有り」の結論を出せないからだ。言い換えると、自分が存在するかどうかを判断する意識をもたないものは、それ自身「我有り」と結論できない。だから、「我有り」という否定しがたいデカルトの実感は、意識の有無と深く関係している。では、命があっても意識をもたない者の存在は、どうやったら確認できるだろうか。この点、デカルトは必ずしも明確でない。

 生物学では、「自己意識」--自己を他とは異なる独特の存在であると思う意識--をもつものは、人間と高等な哺乳動物の一部だけだと考える。それを証明するために、動物に鏡を見せて、その行動を細かく観察する実験などをしてきた。では、意識が生まれる元である命の有無は、どのようにして「有り」と結論できるのか。例えば、アメフラシの命の有無は、どうやって判断するのだろうか。生物学者は、アメフラシの神経系を研究し、そこに微弱な電流が起こるか起こらないか、あるいは神経伝達物質が流れるか流れないかを測定するのかもしれない。では、神経系をもたない植物や菌類の命は、どのようにして有る無しを判断するのか。私はその答えを知らない。
 
 しかし、植物の種(たね)が古い地層の中から発見され、それを適切な環境に置いて光や熱を与えると、発芽して成長したという話は珍しくない。そういう“太古のハス”の花が咲いたと、新聞やテレビで報道されたこともある。だから、命の有無は、現代の科学技術においても直接測定することはできないと考えるべきだろう。我々が大病院の治療室で目撃する様々な機械装置は、「命そのもの」を測定しているのではなく、「命の働き」で生じた電流や磁気、物質成分の変化を測定していると考えるべきなのだ。「命そのもの」はそこにあっても、それが動いて作用を生じる場合とそうでない場合があると考えると、古代エジプト人がミイラを保存することにも、キリスト教で土葬を行うことにも、それなりの合理性があるといえる。が、現代の科学ではこれを一般に不合理だと考えている。

 そんなところへ、植物だけでなく、動物も一種の“ミイラ状態”から甦ることを示した研究成果が報告された。アフリカに棲む「ネムリユスリカ」という蚊に似た昆虫の幼虫は、完全に干からびた状態で10年以上たった後にも甦る例があるという。3月25日の『日本経済新聞』が夕刊で伝えている。それによると、この幼虫が乾期の間に完全に干からびても、雨期になると生き返ることは以前から知られていて、その仕組みをこのほど、東京工業大学と農業生物資源研究所のグループが解明したという。その仕組みとは、体中に行き渡らせた糖類をガラスのように固めることで、体の組織を保護するらしい。この研究を参考にすれば、「ヒトの組織を長期間保存したり、乾燥に強い植物を作ったりする」ことが可能になるかもしれない、と記事は書いている。
 
 この例をみても、「命はどこにあるか」という疑問への答えは、科学の力によってもそう簡単に出てこないことが分かる。私たちは今、「命萌え出づる春」を目の前にして、それがどこにあり、どこから来るかをじっくり考えてみるのはどうだろうか? 
 
 聖経に曰く--
 空間の上に投影されたる
 生命の放射せる観念の紋、
 これを称して物質と云う。
 
 谷口 雅宣

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2008年2月 6日

代理出産は原則禁止へ

 最近、代理出産をめぐる国の方針策定をめぐって新しい動きがあった。首相直轄の特別機関である日本学術会議の「生殖補助医療の在り方検討委員会」が先月30日に政府に提出する報告書案の大筋をまとめ、その中に、代理出産で生まれた子を、依頼した夫婦の実子として認める特例が盛り込まれたというのである。これまでは、「分娩した女性が産んだ子の母」という民法の原則が貫かれていたため、子宮切除などで妻が妊娠・出産ができない場合、代理出産で生まれた子は、遺伝的には夫婦の子であっても代理母の実子とされた。ところが、これを“かわいそう”とする世論の流れがあって、今回の動きにつながったと推測される。
 
 1月31日の『日本経済新聞』によると、30日に行われた検討委員会では、代理出産を法律で原則禁止し、営利目的の違反者には刑事罰を科すという点では合意されたが、例外的にそれを認める際の条件をめぐって議論が紛糾し、最終的な結論は今月予定されている会合に持ち越されたという。しかし、同じ『日経』の2月5日の夕刊では、この報告書案を「厳密な管理の下で“試行”は認めるとする」内容だと書き、事実上、31日の記事を訂正している。
 
 この“試行”が、どのような条件下で認められるかという情報は、新聞記事にも日本学術会議のウェブサイトにもない。ということは、この点は本当にはまだ合意に至っていないと見るべきなのだろう。このウェブサイトには、検討委員会の委員長である鴨下重彦・東大名誉教授のパワーポイントの資料が掲載されていて、そこには「代理懐胎による親子関係問題の結論」として、次の4点が列挙されている:
 
1.代理懐胎の場合も、「分娩者=母ルール」が適用されるべきである。
2.養子縁組または特別養子縁組によって、生まれた子と依頼夫婦との間に親子関係を定立することは認めるべきである。
3.外国で行われた代理懐胎についても、1、2、と同様に考えるべきである。
4.代理懐胎の試行が考慮される場合であっても、1、2、を原則とすべきである。
 
 検討委員会は、今年3月末までが任期のようだから、結論はまもなく出るはずだ。今後のポイントは上記の4にある“試行”が、どのような条件下で認められるかに絞られてくるのだろう。

 私は代理出産の問題に関しては、すでに「反対」との見解を本欄などで表明している。その理由は、2006年10月3日同16日の本欄で述べているので、詳しくはそちらを参照してほしい。が、ごく簡単に言うと、この方法は自分の幸福追求のために他人を手段として利用するから、倫理的に好ましくないということだ。この「他人」とは、「生れてくる子」と「代理母」の最低2人はいて、双子が生まれれば3人となり、夫以外に精子提供者が参加すれば、4人に増える。そういう人々が、100%の善意によって代理出産に協力するとは考えにくい。だから、上記の鴨下氏の「結論」の1~3については、基本的に異議はない。4にある“試行”とは何であるかを、ぜひ知りたいと思う。
 
 谷口 雅宣

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2008年2月 4日

ギョーザ被害はノーシーボ?

 中国で作られたギョーザをめぐる中毒事件が複雑な展開を見せているが、4日付の『産経新聞』に興味ある表が載った。3日午後3時までに厚労省がまとめた「健康被害の発生報告数」という都道府県別の数表である。この表は、厚生労働省のウェブサイトにも掲載されている。それを解説した『産経』記事には、「集計した健康被害の相談件数は46都道府県2117人(被害が確定した10人を含む)に上った」が、この10人以外には問題の殺虫剤「メタミドホス」の中毒が疑われるケースは出ていない、とある。これを読むと、実際の中毒は10人でも、「自分も中毒ではないか」と心配して保健所などに相談した人は、その「200倍」以上の数に及んだ、と解釈できる。多くの日本人がこの件で神経質になっていることがうかがえ、記事も「食べ物による体調不良について、多くの人が敏感になっているようだ」との厚労省の見方を紹介している。
 
 この「200倍」の反応をした人の中には、実際に医療機関を訪れ、医師の診断を受けて入院した人が9人、入院しなかった人が379人いたほか、保健所に相談したが医療機関で受診しなかった人が844人、そして、「その他」の分類の中に875人が含まれる。この「その他」の欄は、厚労省の数表では「当該製品等による健康被害が明らかでない事例」という項目になっている。新聞記事では、そこには「日本産ギョーザを食べて体調を崩した」とか「何を食べたか分からないが、1カ月ほど前に体調不良になった」などという、今回の事件とは「関連性がないと判断された事例」もあるという。これは一種の“パニック反応”のようにも思えるし、また、この期間にギョーザを食べた人が、殺虫剤の成分が含まれていなかったにもかかわらず、実際に病気になったケースがある可能性も否定できない。つまり、一部には「ノーシーボ効果」(nocebo effect)と呼ばれるものに該当する反応が起こったのではないか、と私は推測する。
 
 「ノーシーボ効果」については拙著『心でつくる世界』(1997年)にも書いたが、「医学的な要因によらず、信念や恐怖などの心理的原因で病人の症状が悪化したり、時には死に至るような現象」(p.250)のことである。この逆の反応である「プラシーボ効果(placebo effect)」--医学的要因によらず、信念などで病気が快方に向かったり、治ってしまうこと--は有名だから、多くの読者はご存じだろう。では、実際にどれだけの人がノーシーボ効果で病気になったのだろうか? これを推定することは難しいし多分、正確な推定は不可能だ。しかし、あえて推定してみることはできないか?
 
 そこで私が思いついたのは、各都道府県の人口と、今回の“健康被害”の報告数との関係である。上述の数表を見ると、健康被害は福井県を除くほぼすべての都道府県で報告されている。また、今回の事件はマスメディアが集中的に報道しているから、ほぼすべての日本人が知り、関心をもっていると考えられる。このような状況下でノーシーボ効果が起こる場合、それは人口の多いところは多く、少ないところは少ないと考えていいだろう。もちろん、この関係が成立するためには、「ギョーザを食べる」人が日本全国に平均して散らばっていることと、問題があるとされる銘柄のギョーザが、日本全国に平均して売られていたという前提が必要だ。が、これを調べることは今できない。そこで、これらの前提条件が満たされていると仮定したうえで、健康被害の報告数を人口の多寡との関係で眺めてみた。すると、「人口が少ないのに報告数が多い」ところや「人口が多いのに報告数が少ない」ところなどが分かった。一例を示してみると……

[人口に比べて被害が多い県]
 青森県3.68%(1.14)、群馬県3.02%(1.59)、千葉県6.19%(4.77)、静岡県7.89%(2.97)、滋賀県2.93%(1.1)、奈良県4.11%(1.12)、大分県3.12%(0.96)、沖縄県4.06%(1.09)
 
[人口に比べて被害が少ない県]
 埼玉県0.90%(5.54)、東京都5.34%(9.73)、神奈川県4.30%(6.88)、長野県0.52%(1.72)、長崎県0.28%(1.17)、
 
 上の数字の説明をすると、例えば、青森県には日本の人口の「1.14%」が居住しているが、今回の被害の報告は、全体の報告数の「3.68%」と比較的多く報告されている、ということだ。また、埼玉県には日本全体の5.54%の人が住んでいるが、今回の被害報告のうち同県からの報告は、全体のわずか0.90%だった、ということである。今回の事件で、殺虫剤「メタミドホス」が原因だと確定されたのは、千葉市稲毛区の家族2人、千葉県市川市の家族5人、兵庫県高砂市の家族3人だ。だから、千葉県が「人口に比べて被害が多い県」の中に入っているのは不思議でない。しかし、被害の割合(6.19%)と人口の割合(4.77%)のズレは、青森その他の7県よりも「少ない」ことに気がついてほしい。ということは、今回の健康被害の報告数を「ノーシーボ効果」だけで説明することはできないことになる。
 
 では、ほかにどんな要素が加わってこのようなバラツキが生まれたのだろうか? まず思いつくことは、ギョーザの消費量に地域的な偏りがある可能性だ。これは、ある程度統計的に分かっている。総務省統計局の「家計調査から見た品目別支出金額及び購入数量の県別ランキング」を見ると、ギョーザについて、一世帯当たりの年間の支出金額(平成16~18年平均)が主な県庁所在地別に載っている。これによると、ベスト10は、①宇都宮市(4886円)、②京都市(2855円)、③宮崎市(2737円)、④静岡市(2693円)、⑤さいたま市(2557円)、⑥東京区部(2544円)、⑦新潟市(2520円)、⑧大津市(2503円)、⑨金沢市(2471円)、⑨大阪市(2471円)である。宇都宮市がダントツだが、全国平均は2295円だから、それ以下はドングリの背比べだ。上掲の[人口に比べて被害が多い県]の中には、④と⑧を含む県があるものの、[被害が少ない県]の中にも、⑤⑥を含む県がある。また、栃木県が[多い県]の中に含まれず、青森県や沖縄県で被害が比較的多く出ていることの説明が、これではできない。
 
 ということで結局、今回の中国製ギョーザの日本における被害報告件数のバラツキの原因は、よく分からない。歯切れの悪い報告になってしまったが、賢明な読者の頭に何かヒラメキがあれば、ぜひご教示願いたい。
 
 谷口 雅宣

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2008年1月29日

文科省、iPS細胞で素早い対応

 私は1月12日13日15日の本欄で、昨年末に日米ほぼ同時に大きな成果が発表された万能細胞(iPS細胞)の研究について考え、これを使った再生医療の延長線上に“深い問題”があることを指摘した。それは、「受精」という過程を経ずに人間が生まれる可能性が出現したということだった。宗教的側面から言えば、これは、神の関与がなく、人間の意思のみによって人間が作られるという事態が生じることである。神と人間は断絶していると考える宗教の教義から見れば、神のみが人間を創造するのだから、これは教義の破綻でなければ、大幅な見直しを迫られる大事件である。にもかかわらず、ローマ法王庁は、この万能細胞の研究成果を歓迎したのだった。また、この研究によって開かれた道は、男性から卵子、女性から精子を得ることにより、同性愛者間で遺伝上の子を設けることである。このように大きな可能性を秘めた強力な技術を、今後人類がどのように制御しながら使っていくかが、私の感じる“深い問題”である。
 
 これについて、文部科学省は卵子や精子などの生殖細胞を万能細胞から作ることを当面禁止する方針を固めたらしい。生殖補助医療をめぐる倫理指針策定では、「対応が遅い」と不評をかってきた文科省としては、異例に速い態度表明である。29日の『朝日新聞』が伝えている。それによると、文科省は2月1日に開かれる科学技術・学術審議会の生命倫理・安全部会に提出する案として、iPS細胞の研究の規制とES(胚性幹)細胞のそれとを対応一致させることが当面は必要との方針を固めたという。これは、iPS細胞の最大の特徴が「ES細胞と同等の能力をもつ」という点にあるからだろう。現在、ES細胞の研究では、そこから①精子や卵子をつくる、②つくった精子や卵子を受精させる、③受精卵を子宮など胎内に移植する、という3段階がすべて禁止されている。iPS細胞についても、同様の規制をするという考え方だ。
 
 しかし、今回の決定では、「当面禁止」という点が気になる。これは「時期が来たら解禁」という意味にも読めるからだ。ES細胞の研究については現在、不妊治療との関係で①と②までは認めるべきとの議論もある。今回の方針の決め方では、ES細胞の側で①と②が認められれば、iPS細胞の研究でも、ほぼ自動的に①と②が許されることになる。私は、世代間倫理を尊重する立場から、iPS細胞の研究では、生殖細胞の作成を禁じること--つまり、①~③のすべてを規制するのがいいと考える。

 iPS細胞の最大の長所は、「自らの細胞を自らの肉体から再生する」という点だ。これは我々の肉体においてごく普通に行われていることで、“自然の過程”と言ってもいいほどだ。白血球や赤血球は造血幹細胞から再生され、皮膚は表皮の下層にある幹細胞から再生され、髪の毛などの体毛も毛根の根本にある幹細胞から再生される。“自然の過程”だから免疫系による拒絶反応もないのである。iPS細胞は、これらの幹細胞のさらに元の細胞の段階へまで、自己の細胞を“後もどり”させたものだ。だから、本質的に自己の肉体の“内側”にとどまる生命現象である。これに対し、生殖活動は、(単為生殖を除き)自己が他を生むための働きで、“外側”へ向かった生命現象である。換言すれば、「他へ影響を与える行為」である。自らの行為が他に影響を及ぼす場合、他の同意を得ることが倫理的である。そうでなく、他の意思を無視した行為--例えば、いきなり抱きついたり、タバコの煙を吹きかけたり、クラクションを鳴らすこと等--は倫理的とは言えない。
 
 このように考えれば、生殖細胞をつくることは、それ自体が次世代へ影響を与えることである。だから、できるだけ“自然な”状態がいいと思う。精子をつくれない男性がiPS細胞によって精子を得ることは、許されていいと思う。しかし、その男性が卵子を得て自ら懐妊したり、あるいは代理母に懐妊させることや、その逆に、女性が自らのiPS細胞から精子を得て、他の女性を懐妊させたりすることは、その結果生まれてくる子にとって普通でない、不自然な状況を強制することになる。同意なくしてこれを行うことは倫理的でない。子が生まれる前に、その子から同意を得ることは不可能だから、そういう行為はしないと決めればいい、と私は考える。
 
 谷口 雅宣

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2008年1月16日

万能細胞がもたらす“深い問題” (4)

 本シリーズの最後に、「万能細胞」ほどの分化能力はないが、いくつかの組織への分化が実験的に確認されている多分化幹細胞をめぐって最近、話題になっている展開について触れよう。これは、死んだラットの心臓を取り出し、そこに付着した軟かい細胞を薬剤で洗い流し、残った硬い細胞でできた“型枠”に、生まれてまもない複数のラットの子の心臓から採った細胞を流し込んだところ、2週間たたないうちに、新しい心臓が形成されて鼓動を始めた--という実験である。14日付の『日本経済新聞』、15日付の『ヘラルド・トリビューン』紙などが伝えている。この研究は、14日付のアメリカの医学誌『Nature Medicine』電子版に発表さたもので、ミネソタ大学のドリス・テイラー博士(Doris Taylor)らの研究チームによる。
 
 上記の『トリビューン』紙の記事によると、この研究が重要な理由は、心臓移植を現在のような脳死段階で行わなくても、心臓死の後で臓器が得られれば、患者自身の骨髄の幹細胞を、死者の心臓の“型枠”に注入することによって、拒絶反応が少ない心臓を新たに作成する可能性が見えるからだ。そして、このようにして心臓が作成できれば、腎臓も、肝臓も、肺も、膵臓も……ほとんどすべての臓器が同じような方法で、比較的簡単に作成できる可能性があるという。さらに言えば、このような臓器の再構築には、必ずしも人間の臓器を使わなくて済むかもしない。ブタの臓器は、人間のものと形や大きさが似ているため、現在でも臓器移植に使われている。これなら入手は容易であり、医学的には拒絶反応の問題が残っていても、法的、倫理的問題は少ない。
 
 というわけで、テイラー博士らは、上と同じような心臓の再構築の研究を、ブタを使ってすでに開始しているという。
 
 お気づきの読者もいると思うが、この研究と、山中伸弥教授らの研究とは“合体”させることができるのである。テイラー博士らは、臓器作成のための“型枠”の作り方を発見した。山中教授は、あらゆる組織や臓器に分化する能力のある幹細胞を効率よく作成する方法を発見した。前者の中に後者を入れれば、患者自身の細胞で構成された新しい臓器が構築できる--そう考えることはできないか?
 
 上のような考えは、専門家から見れば恐らく“穴”だらけだろう。このような道筋が拓けるまでには、私のような素人の考えが及ばない関門が、いくつもあるかもしれない。いや、きっとそうだろう。しかし、この分野の研究者が向かっている大きな「方向性」は、上の予測と大きく違わないと思う。つまり我々は、肉体の「不死」と「再生」を求めて、鋭意努力し、かつ莫大なエネルギーと予算をかけて突き進んでいるのである。その努力の中で、万能細胞が作られ、臓器再構築の方法が発見されつつある。しかし、この目的自体の是非については、誰も何も発言しないようだ。

 我々人間は皆、不死を求め、再生を願っている。だから、皆が求めることは正しく、かつ善である。そのために研究に努力し、大量の時間と資金を投入することは素晴らしい--そう言う声が聞こえるような気がする。しかし、人間が皆、不死となり、死人はことごとく再生する世界がどんな世界であるかを、考えた人がどれだけいるだろうか? それが善である理由は、どこにあるだろうか? 私がいう“深い問題”とは、こういうことなのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年1月15日

万能細胞がもたらす“深い問題” (3)

 私は前回の本欄で、万能細胞の可能性を論じるのに「孫悟空」の物語を比喩として使った。それを読んだ読者の中には、「想像力を働かせすぎだ」と感じた人がいるかもしれない。iPS細胞の開発により、拒絶反応の危険が少ない移植用組織や臓器が利用できるのだから、医療技術は確実に進歩するのであり、人々の幸福も増進する。それに、ES細胞のように人の受精卵や生殖細胞を使うという倫理問題もない。したがって、今回の研究成果は素直に喜ぶべきである--そう言う人の声が聞こえてくるような気がする。私も半分はそう思う。しかし、他の半分で別の可能性を考えることは許されていいと思う。
 
 どこかの本にも書いたが、技術は本質的に道具であるから“善”でも“悪”でもないが、それを使う人の心が“善”や“悪”をもたらすのである。武器や兵器は自衛のためにも使えるが、強盗や殺戮のためにも使える。ES細胞の技術は、アルツハイマーの治療にも使えるし、クローン人間の作製にも使える。では、この万能細胞の技術は、治療目的以外にいったい何に使えるか? この技術はきわめて強力であるから、さまざまな目的に利用できるだろう。例えば、以前も書いたように、同性愛者間で遺伝上の子をもうけることができる。性行為によらずに遺伝上の子をもてるのだから、異性愛者であっても、パートナーなしで遺伝上の子がもてるだろう。また、ES細胞と同等の能力をもった細胞だから、クローン人間が作れるだろう。さらに、前もって自分のスペアパーツを作っておくこともできるだろう。体細胞を“リセット”して受精卵と同等の能力をもたせる技術だから、もしかしたら“若返り”の手段に使えるかもしれない……これらは皆、倫理問題を含んでいる。
 
 が、ここで私はこれらの倫理問題には触れずに、宗教的な問題を1つ提示したい。私が言う“深い問題”とは、実はこのことなのだ。

「人の生命がいつ始まるか」についてローマ法王庁の伝統的見解は、「受精の瞬間から」である。だから、日本政府が「ヒト胚の取扱いに関する基本的考え方」(中間報告書)に対して意見募集を行った際も、日本のカトリック教会は、ヒトES細胞の再生医療への利用のために、①ヒト受精胚(ヒト胚)の研究目的の作成と利用、②人クローン胚の研究目的の作成、のいずれにも「反対」の意見表明をしている(2004年2月20日、内閣府政策統括官宛文書,)。ところが、バチカンは今回のiPS細胞の研究発表の直後に、これを「歴史的な成果」として歓迎するコメントを出した。アメリカのカトリック司教協議会も歓迎の声明を出したという。(1月13日『朝日新聞』)これは、ES細胞の研究には強硬に反対していたのとは、大違いだ。

 私はその理由を、こうではないかと想像する--今回のiPS細胞は皮膚などの体細胞から作成できる。体細胞には「受精」など起こらないから、それを利用して作ったiPS細胞の医療への利用は問題ない。--しかし、本当にそうだろうか?

 山中教授らが開発したiPS細胞が世界から注目されている大きな理由は、それが「ES細胞と同等の分化能力をもつ」という点--つまり、「人体を構成するすべての組織や臓器に分化する能力がある」という点にある。そもそもES細胞は、受精卵から成長した「胚盤胞」の中身を吸い出し、培養して作られる。iPS細胞にそれと同等の分化能力があるならば、ES細胞と同じように、子宮に移植すれば人体を形成するはずだ。この方法で、iPS細胞を使えば、クローン人間を比較的容易に作れるかもしれない。そういう事例を、カトリック教会は「受精を経ないからいい」とは言えないだろう。これまで同教会が出してきた人の誕生に関わるいろいろの見解から考えて、首尾一貫しないからだ。カトリック中央協議会によると、日本のカトリック司教団も、「生殖を目的とする胚細胞クローン」と、「生殖以外の目的(治療等)で行われる体細胞クローン」の両方について、研究のための利用は許されないと表明してきた。

 問題は、「受精」という過程を経ずに子が生まれる可能性が生まれていることだ。しかも、その過程は明確な人間の意思、人間だけの意思によって開始され、材料は皮膚の細胞で足りるのである。人間が生まれるのに、「神の意思」が関与する余地がなくなってしまうのである。神と人間とをまったく別次元の存在として考える教義においては、この可能性が生まれることはきわめて“重大な問題”ではないだろうか? 生長の家では「人間は神の子」と教えており、神と人間とを全然別の存在とは考えない。が、それにしても、ここには“深い問題”が秘められていると感じるのである。
 
 谷口 雅宣。

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2008年1月13日

万能細胞がもたらす“深い問題” (2)

 昨年11月21の本欄にも書いたが、「iPS細胞」とは「induced pluripotent stem cells」という英語の頭文字を取った造語だ。日本語では「人工多能性幹細胞」という訳が使われている。平たく言えば「人工的に多能性を与えた幹細胞」で、多能性とは、人体の各組織--神経、筋肉、血液、骨格…etc.に分化する能力のことだ。「幹細胞」とは、樹木の「幹」から枝葉が分かれて伸びるように、人体を構成する各種組織や臓器に分化する前の細胞である。赤血球、白血球などの血液の細胞は造血幹細胞から生まれ、脳を形成する神経細胞は神経幹細胞から生まれる。

 2006年7月27日の本欄に書いたように、これまでの研究では、このような幹細胞は人体の様々な場所--脳、骨髄、髪、皮膚、脂肪、歯胚、臍帯血、生殖器など--に存在することが分かっている。だから、ケガで出血しても、皮膚や神経を切断しても、また脳梗塞で脳の細胞の一部が破壊されても、我々の体の組織はリハビリなどを通して、ある程度再生し、復元するのである。これらの幹細胞は、我々の体の中に現に存在するものだから、「体性幹細胞」あるいは「成人幹細胞」と呼ばれる。これらはしかし、「万能細胞」とは言えない。なぜなら、これらは分化の方向性が一定していて、あらゆる組織に変化するわけではないからだ。例えば、造血幹細胞は通常、血液の細胞にしか分化せず、神経幹細胞は神経系の細胞にしか変化せず、歯胚幹細胞は歯の組織にしかならない。
 
 これに対して、受精卵の時代には存在したが、誕生後は消えてしまったと思われる幹細胞がある。これが「ES細胞」(embryonic stem cells、胚性幹細胞)である。この細胞は、人が母胎中で生き始めたごく初期の、受精から1週間から10日ごろの「胚盤胞」と呼ばれる段階のときに、胚の内部を満たしていると考えられている。これは、体内の幹細胞の“大元締め”であり、あらゆる組織や臓器に分化する能力があるから、「万能細胞」と呼ばれるのである。
 
 山中教授らのグループが作成した「iPS細胞」は、上記の2つの種類の幹細胞--体性幹細胞と胚性幹細胞--のいずれにも属さない。別の言い方をすれば、2種の幹細胞の性質を併せもった幹細胞である。このことを治療面から表現すれば、こうなる--体性幹細胞は患者本人から取り出すから拒絶反応の心配がないが、万能性がない。これに対し胚性幹細胞は、患者以外(受精卵)から取り出すから拒絶反応が危惧されるが、万能性がある。そして、この両者の性質を兼ね備えたiPS細胞は、患者自身から作成されるから安全性が高く、しかも万能性がある。そうなると、世界の研究者の目は、この安全性の高い新しい万能細胞(iPS細胞)の上に注がれるのは当然と言わねばならない。
 
 山中教授らが昨年11月に発表した研究では、成人の顔の皮膚細胞と関節にある滑膜の細胞に4つの遺伝子を組み込んでiPS細胞を作った。が、4つの遺伝子のうち1つは、ガン遺伝子として知られていたため、人への応用ではガン化の危険があった。その後、同教授らはガン遺伝子を使わないでiPS細胞を作ることに成功(12月1日報道)。さらに肝臓と胃の粘膜の細胞からもiPS細胞を得ることに成功した。(12月12日報道)

 今年に入っても、iPS細胞に関連した研究は急速な発展を見せている。1月7日付の『日経』によると、山中教授と同じ京都大学の杉山弘教授らの研究チームは、iPS細胞を「安全につくる基本技術を開発した」という。内容の詳細は明らかでないが、この技術によると、「ガンの遺伝子やウイルスを使う代わりに化学物質でiPS細胞を作れる」のだそうだ。この化学物質は「ポリアミド」の一種で、細胞内のDNAに結びつき、「成長をつかさどる遺伝子の機能を調節する」から、「大人の細胞を生まれたての新型万能細胞に後戻りさせたり、万能細胞を神経細胞などに効率良く生まれ変わらせたりする」能力があると見られている。
 
 こうなってくると、当初の研究で使われた「皮膚」だけでなく、人体の様々な場所にある普通の細胞から、万能細胞と同等のものが比較的簡単に作成できる可能性が見えてくる。私が昨日の本欄で「ツメや髪の毛から自己の複製を作る」と書いたのも、だから必ずしも“絵空事”ではないのである。「孫悟空」の物語の中には、サルの悟空が自分の体毛を抜いてフッと息を吹きかけると、たちまち抜いた毛の数ほどの自分の複製が現れる話が出てくる。私は、最近の万能細胞の研究の成果を知るにつけ、この物語を“絵空事”だと笑えない気持になるのである。

 谷口 雅宣

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2008年1月12日

万能細胞がもたらす“深い問題” (1)

 京都大学の山中伸弥教授らのグループの研究により、一気に再生医療の“スターダム”に躍り出た「iPS細胞」に関しては、国を含めた研究支援の輪が広がりつつあることは喜ばしいことだ。アメリカの研究グループも山中教授らの研究と肩を並べて成果を競っているから、人間の治療に使えるような安全性の高い技術をどちらが先に確立できるかは予断を許さない。
 
 11日付の『日本経済新聞』によると、この研究に関する国の主な支援策は、文科省、厚労省、経産省、特許庁の合計で33億円が2008年度に投入される予定。この中で最も高額なのは文科省の計画で、iPS細胞関連の研究に今年度当初予算の約7倍に当たる約22億円を充て、今月内にも発足する京大のiPS細胞研究センターの整備・支援をするという。また、厚労省では、臨床試験のための施設整備を希望する研究・医療機関を公募し、2~3カ所を対象に約4億円を支援する計画という。
 
 この研究については、門外漢の私は技術面での今後の予測はまったくできない。しかし、強力な技術としてのiPS細胞には、何か哲学的・宗教的問題が潜んでいるような気がしてならないのである。昨年11月25日の本欄では、私は山中教授の言葉を引用して、「iPS技術を使えば男性から卵子、女性から精子を作るのも可能」であるから、使い方によっては社会倫理、生命倫理に触れる問題が起こる可能性があることを指摘した。が、私がここで「深い問題」というのは、それよりもさらに“深い影響”をもたらす可能性である。
 
 この技術をある側面から形容すると、これは「皮膚から自己の複製を作る技術」である。この場合の“自己”とは、もちろん肉体的自己--つまり、自分と同一の遺伝子情報もつ肉体のことである。普通、我々の肉体の細胞はみな、同一の遺伝子情報をもっているから、細胞レベルで同じ遺伝子情報をもつものが我々の肉体の外部にあっても、別に驚くことはない。我々のツメ、髪の毛、皮膚、血液を構成する細胞は、すべて同一の遺伝子情報をもつ。それらが我々の体から離れて床の上に落ちても、我々は何も驚かない。しかし、それらの細胞を拾って培養液に入れ、ある条件下で育てていると、受精卵と実質的に同じものが成長してくるとすると、問題は別である。

 iPS細胞の技術は、(まだ実用化していないが)これを可能にするものと言える。もちろんツメや髪の毛自体がたちまち受精卵になるのでないが、ツメや髪の毛と同じように入手が容易な皮膚の細胞で、これができるのである。このようにしてできた受精卵と同等の生命体を、我々は何と呼ぶべきだろうか? 「受精」もせず「卵」でもないのだから「受精卵」ではない。母胎の中にいないのだから「胎児」ではない。自分と同一の遺伝子情報をもつ生命体だから「子」でもない。自分の体外にあって、一定の条件下で自分から独立して生きているのだから「自分」でもない。それでは「他人」か? 遺伝子情報がまったく同一の生命体を、普通は「他人」とは呼ばない。それは普通「一卵性の双子」と呼ぶ。しかし、一方は成人した人間で、他方は未熟の生命だから、「一卵性」でも「双子」でもない。つまり、人類は未だかつてこのような生命体を、一部の例外を除いては目にしたことがない。その一部の例外が「ES細胞」である。

 谷口 雅宣

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2007年11月25日

“パンドラの箱”は開いたか?

 21日の本欄で、京都大学の山中伸弥教授らのグループによる“万能細胞”の研究成果を紹介したとき、私はこの研究が「他人の受精卵や卵子を使わず、患者本人の細胞を利用することで、移植医療の最大の関門である拒絶反応の問題をクリアできる可能性が飛躍的に増大した」と高く評価した。この考えは今も変わらないが、科学技術の進歩については、原子力の利用が示しているような“諸刃の剣”的な側面があることを忘れてはいけない。つまり、技術そのものに善悪はないが、その利用の仕方いかんでは、優れた技術、強力な技術ほど悪い結果をもたらす危険が大きいという点である。
 
 今回の研究は、比較的容易に誰からも入手できる皮膚の細胞から“万能細胞”を得られる道を切り拓いたわけだから、文句なく“善い”研究だと考える人が多いかもしれない。しかし、このような技術の進歩は素晴らしいことに変わりはないが、その影響が大きいがゆえに、使い方によっては“善い”結果だけが生じるわけではない。私がこのことに気づいたのは、23日付の『日本経済新聞』紙上に載った山中教授のインタビュー記事を読んだときだった。同教授は、インタビューアーの「倫理面の規制についてはどう考えるか」という質問に対して、次のように答えている--
 
「国で適正なルール作りを早急に検討すべきだ。iPS技術を使えば男性から卵子、女性から精子を作るのも可能。しかし非常に複雑な話になるので一定の枠をはめた方がよいだろう。ただ、iPS細胞は医療現場に役立てるためにわざわざ人工的に作ったものなので、臨床に生かさないと意味がない。過度の規制はよくないと考えている」

 私はこの記事を読むまで、今回開発された技術がそこまでできるなど想像していなかったから、少なからず驚いた。そして、これを読んで真っ先に頭に浮かんだのは、同性愛者による子の誕生である。山中教授のこの発言だけでは、同教授が同性愛者の子づくりをどう考えているか明確にはわからないが、何となく「規制すべきだ」との考えのように思える。その理由は、「家族や親子関係が複雑になりすぎる」からなのだろう。しかし、かつては“社会の目”から隠れていたこれらの人々も、今日では普通に市民生活を営み、同棲生活はもちろん、一部では結婚も許されるようになっている。異性愛の人間と差別することなく、すべての権利を保障すべきであるというのが、今日の要請である。そういう状況下では、「子をつくることだけは許されない」と定めることは不可能ではないだろうか。

 そうすると、今後どうなるか。ここから先は、あくまでも「仮定」の話として聞いてほしい。ここにAという同性のカップルがいるとする。愛し合っている2人は、お互いの遺伝子を半分ずつもった子を得たいと熱望しているが、これまではその願望を実現する方法がなかったから諦めていた。ところが、新技術によってそれが可能となれば、「そうしてはいけない」と言う理由はあまりない。現在でも、遺伝子の問題にこだわらなければ、同性のカップルは子をもつ手立てがないわけでもない。それは養子の制度を利用したり、他人から卵子や精子の提供を受けることによって(少なくとも技術的には)可能である。そして、すでにこの時点において、生まれて来る子にとって、家族や親子関係は十分複雑である。この複雑さに、遺伝子の問題が加わることが、このカップルの「子を得たい」という熱望を否定するに値するほど「複雑すぎる」かどうかは、大いに議論の余地があるだろう。
 
 ということで、カップルAは新技術によって、法的にも生物学的にも子をもてることになった--そう仮定しよう。このカップルが女性同士であれば、一方のパートナーの皮膚細胞から新技術によって精子をつくり、それを人工授精をへて、もう一方のパートナーが妊娠すれば子が生まれる。これに対し、カップルが男性同士の場合は、もう少し複雑になる。この場合は、一方のパートナーの皮膚細胞から卵子を作り、人工授精によって作った受精卵を代理母に依頼して妊娠・出産してもらうことになるだろう。法的、倫理的な問題を考慮に入れず、純粋に技術的に考えれば、これらは可能だ。が、その結果、生まれた子どもは一体どのような人生を送ることになるのか--この点が、私には最も心配である。
 
 成人した男女が、自らの責任においてパートナーを選ぶ場合、その相手が同性であるか否かについて、他人や法律が関与すべきでないという主張は理解できる。しかし、そのカップルから生まれる子どもに、半ば強制的に“特殊”な環境を押しつけることに問題はないのだろうか。成人カップルの決定は自由意思にもとづくのに対し、そこから生まれる子には自由意思が認められないのだ。それは、異性のカップルから生まれる子にも言えることだから、無視していいと考えるべきなのか。それとも、男親が2人いたり、女親が2人いるような家庭を“特殊”と呼ぶのは間違いで、それらをもっと“一般化”すべしというのが新時代の要請なのだろうか。人類の目の前には今、このような未踏の道が口を開けているように見える。この新技術は、はたして“パンドラの箱”を開けてしまったのだろうか?
 
 谷口 雅宣
 

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2007年11月21日

新しい再生医療が日本から? (2)

 生長の家の秋季大祭と記念式典のために長崎県西海市の生長の家総本山に来ているが、今朝の新聞に“よいニュース”を見つけて嬉しくなった。京都大学の山中伸弥教授らの研究チームと科学技術振興機構が、生殖細胞を使わず、拒絶反応の心配もない“万能細胞”の作成に人間において初めて成功したというのである。この細胞は「iPS細胞」と称し、「induced pluripotent stem cells(人工多能性幹細胞)」という意味。私は、山中教授の研究に前から注目していて、本欄では昨年7月17日同18日8月23日12月16日などで書いているが、同教授は、自分の研究テーマを選ぶに当たって「倫理問題がない」という条件を自らに課されたそうで、研究者の態度として尊敬に値する。

 その教授らのグループが、人間の皮膚の細胞などに遺伝子を組み込むことで一種の“初期化”を行い、受精卵のように各種の細胞に分化できる状態にもどすことに成功したのである。そして、この細胞が神経細胞や心筋細胞、軟骨の細胞などに分化することを確認したという。この研究が、ES細胞など他の万能細胞の研究よりも優れている点は、他人の受精卵や卵子を使わず、患者本人の細胞を利用することで、移植医療の最大の関門である拒絶反応の問題をクリアできる可能性が飛躍的に増大したことだ。21日付の『日本経済新聞』は、この研究の成功により「次世代医療として期待される再生医療を実現するうえで不可欠な医療材料の本命にiPS細胞がなる可能性がでてきた」と書き、『読売新聞』も「今後、万能細胞を用いる再生医療は、iPS細胞を中心に展開していく可能性が高い」としている。
 
 私は今年6月11日の本欄に「新しい再生医療が日本から?」という題をつけ、山中教授がマウスの研究で今回と同様の成果を挙げたことに言及し、「人間に応用できるかどうかは今後の課題だ」と書いたが、同教授は、あれからわずか半年もたたないうちに人間への応用のメドをつけたことになる。今日夕方のNHKニュースは、この研究成果のおかげで、山中教授のもとには世界中からメールの問い合わせやインタビューの申し込みが殺到し、ブッシュ大統領も歓迎の意向を表明したと報じていた。また、ある日本人のES細胞研究者は、この研究は「間違いなくノーベル賞に値する」とコメントし、クローン羊・ドリーの生みの親であるイギリスのイアン・ウィルムット博士(Ian Wilmut)は「自分の研究の方向を断念した」とまで言った、と伝えた。
 
 新聞報道によると、「iPS細胞」の研究は、山中教授のグループだけでなく、米ウィスコンシン大学のジェームズ・トムソン教授(James A. Thomson)のチームも同様に成功しており、前者の研究は科学誌『Cell(細胞)』の電子版(21日)に発表されたが、後者は『Science』の電子版にほぼ同時期に発表されるという。山中教授の研究では、36歳の白人女性の顔から採取した皮膚細胞に4個の遺伝子を組み込み、約1カ月培養したところ、ES細胞と同等の幹細胞が出現したという。この新しい細胞(iPS細胞)は実験により、神経や筋肉、肝臓など約10種類の細胞に分化することが確認された。その作成効率は、皮膚細胞5千個につき1個で、この割合なら臨床応用に充分だという。(21日『読売』)

 山中教授とトムソン教授の双方が注意を喚起している点がある。1つは、iPS細胞が、受精卵から得られたES細胞と全く同じであるかどうかは、まだ確認が終っていないということ。もう1点は、今回作成されたiPS細胞からは「ガン化」の危険が完全に排除されていないということだ。幹細胞とガン細胞とは関係があるようだが、2006年12月16日(リンクは上記)や今年6月11日の本欄(同)でも触れたように、まだ詳しいことが分かっていない。実際今回、山中教授が使った遺伝子の1つは、発ガン性のものだったという。現在の遺伝子組み換えでは、レトロウイルスというウイルスに目的の遺伝子を組み込み、これを細胞に送り込む。するとレトロウイルスは細胞内のDNAの中にランダムに目的遺伝子を組み込むのだが、その際、組み込まれる場所によってはガン化が起る可能性もあるという。
 
 これらの問題は、今後1つずつ解決されていくに違いない。そしてこの研究によって、世界の再生医療の研究の方向が、受精卵や卵子を使うES細胞から、iPS細胞や成人幹細胞の研究へと大きく転換することを、私は期待している。

 谷口 雅宣
 

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2007年11月17日

サルのクローン胚からES細胞

 最近、幹細胞の研究で画期的な進展があったようだ。「ようだ」という語を付け加えるのは、韓国でかつて人間のES細胞をめぐる似たような進展が「あった」と大々的に発表された後に、それが虚偽だと判断された例を思い出すからである。(本欄2005年5月22日同年11月14日同22日など参照)今回の研究は、生獣のアカゲザルの皮膚細胞の核を除核卵子に組み込んでクローン胚とし、さらにそこからES細胞を作成した、というものだ。これは、すでにネズミを使った研究では達成されていたが、他の動物--とりわけ人間に近いサルで成功したことから、人間への応用の可能性が一気に増大したと評価されている。米オレゴン州にあるオレゴン健康科学大学(Oregon Health and Science University)などの研究チームによるもので、14日付のイギリスの科学誌『Nature』の電子版に発表した。
 
 メディアの報道にも慎重さが見られる。英字紙の『ヘラルド・トリビューン』は15日付で記事にし、「オレゴンの研究者らは、サルの胚の作成にクローン技術を使い、そこから幹細胞を抽出したと報告している」という書き方で、この研究成果を「事実」としてではなく「伝聞」として伝えた。『朝日新聞』も15日の紙面で「……に成功したとの論文を、○○に発表した」と書き、『産経』も同日に同様な書き方で伝え、『日経』は17日の夕刊でこれを伝え、3紙とも2004年の韓国の研究者の発表が後日、捏造だったことにも触れている。注意深い態度と言えよう。
 
 とはいえ、この発表は注目に値する。上記メディアの伝えるところによると、研究チームは、アカゲザルの皮下組織にある繊維芽細胞から核を取り出し、これを除核未受精卵(受精していない卵子から細胞核を除いたもの)の中に注入し、電気ショックを与えて融合させることでクローン胚を作り出した。そして、この胚が分化を始めて100個程度の細胞塊になった「胚盤胞」の段階で、細胞の内部組織を取り出してES(胚性幹)細胞を得たという。さらに『ヘラルド』紙は、この後に研究チームはES細胞から心臓の細胞と神経細胞を分化させることに成功し、ネズミに移植した場合は、体内でその他の様々な細胞にも分化した、と伝えている。
 
 もしこの研究が別の研究者によっても再現できることが確認されれば、どういうことになるだろうか? --サルで成功した研究は、同じ霊長類である人間にも応用できる可能性が大きいから、当然、人間への応用が次のステップとなる。この研究の主任をしたシュークラト・ミタリポフ博士(Shoukhrat Mitalipov)自身、メディアの取材に対して「この方法は人間にも使えることは確かです」と言っている。この場合、考えられる用途は、患者本人の皮膚細胞を使ってクローン胚を作り、そこからES細胞を抽出することで、理論的には体の各部の再生治療が拒絶反応の心配なくできる、ということだろう。これは一見、大いなる医療の進歩である。
 
 しかし、この研究で見えにくいのは「卵子」が大量に使われ、その大部分はむだになっている点である。数字で言うと、14匹のメスザルから「304個」の卵子が取り出された。その結果、得られたES細胞はわずか2株、成功率は0.7%だ。この状態では、人への応用は難しい。韓国のES細胞捏造事件の際も、多くの卵子提供者が協力し、一部に謝礼が支払われたことが問題になった。卵子の売買と区別がつかなくなるからである。このことは「代理母」についても言えるが、「人は、他人の健康の危険を冒してまで自己目的を追究できるか?」という倫理的問題がここにはある。代理母の場合、最低1人の他人が危険を冒す。この研究を人間に及ぼす場合、現段階ではそれ以上の他人を利用することになる。
 
 この効率の問題が解決しても、「クローン胚」の問題が残る。つまり、この胚を子宮に移植すれば「クローン人間」になるからである。昨年6月20の本欄でも触れたが、日本政府はクローン胚作成を条件づきで認める方針のようだが、私にとってあまり賛成できる話ではない。

 谷口 雅宣
 

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2007年11月 5日

肉体は“炎”である (2)

 前回の本欄では、「川」と「肉体」のアナロジーを使って、「肉体はナイ」という考え方の説明をしたが、肉体の「炎」としての側面については十分触れなかったので、ここでそれを述べよう。肉体の生理機能の一つである「呼吸」や「消化・吸収」について考えるとき、「炎」の比喩はより説得力を増すだろう。呼吸とは、「生物体が、酸素をとって細胞内で有機物を酸化し、炭酸ガスを体内に吐き出す働き」(『新潮国語辞典』)である。人間が属する哺乳動物では、この呼吸によって体温を一定に保っている。ということは、人間の肉体は外界から酸素を吸って体内で燃やしているのだから、その点がローソクの炎と似ている。が、ローソクの炎は「軸」の可燃成分を吸い上げて燃やす(酸化する)だけのことしかしないのに比べ、人間は体外から酸素を得て燃やした後に、そのエネルギーを使って大変多くのことを行う点が違っている。それら多くの仕事の中の1つは、内臓に溜められた食物や水分から栄養素を取り出し、さらにそれらの栄養素を分子のレベルにまで細分化して、全身の細胞の中へ送り込むことだ。これを「消化・吸収」と呼ぶことは、読者もご存じのとおりである。
 
 この「消化・吸収」の過程は、実に神秘的だ。私たちは普通、胃袋は胃酸を出して食物の一部を消化・吸収し、大腸・小腸は膵液、腸液などを分泌して消化・吸収を継続する、と考える。その際、胃や腸などの消化器官そのものには変化が起こらないと思うだろう。つまり、胃や腸などの消化器官は一種の“袋”であり、消化された食物はその“袋”の内側に開いた微細な“穴”から吸収されて、どこか別の所へ運ばれていき、袋そのものにはすぐには影響しない、と思わないだろうか? が、実際は、この吸収の過程は私たちの想像以上に高速で、物質分子が入れ替わる程度は驚くほど徹底しているらしいのである。
 
 分子生物学者の福岡伸一氏が書いた『生物と無生物のあいだ』(講談社刊)がベストセラーになっているが、この中にルドルフ・シェーンハイマー(Rudolf Schoenheimer)というユダヤ系アメリカ人の医学者が1930年代後半に行った実験が、「生命観を転換する」画期的なものとして紹介されている。それによると、シェーンハイマーは、外から食事として入ってきた物質分子がどれほどの速度で体内の分子と置き換わるかを、ネズミを使って調べようとした。そのため、タンパク質を構成するアミノ酸に含まれる窒素原子を、重窒素に置き換えた餌をネズミに与えた。この「重窒素」というのは窒素の同位体(アイソトープ)で、それを含む餌(タンパク質)は外部から計器によって特定することができるという。つまり、重窒素を含む餌をネズミに与えた後、ネズミを解剖して体の各所を計器によって調べると、どこの部位に餌の成分がゆきわたっているかが測定できるのである。その実験の結果を、福岡氏は次のように書いている:
 
「重窒素で標識されたアミノ酸は3日間与えられた。この間、尿中に排泄されたのは投与量の27.4%、約3分の1弱だった。糞中に排泄されたのはわずかに2.2%だから、ほとんどのアミノ酸はネズミの体内のどこかにとどまったことになる。では、残りの重窒素は一体どこへ行ったのか。答えはタンパク質だった。与えられた重窒素のうちなんと半分以上の56.5%が、身体を構成するタンパク質の中に取り込まれていた。しかも、その取り込み場所を探ると、身体のありとあらゆる部位に分散されていたのである。特に、取り込み率が高いのは腸壁、腎臓、脾臓、肝臓などの臓器、血清(血液中のタンパク質)であった」。(上掲書、p.158)
 
 そして、これらの実験結果を総合して、福岡氏は次のように述べる:
 
「肉体というものについて、私たちは自らの感覚として、外界と隔てられた個物としての実体があるように感じている。しかし、分子のレベルではその実感がまったく担保されていない。私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい“淀み”でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が“生きている”ということであり、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支が合わなくなる」。(同書、p.163)

 ここまで読んできた読者には、「肉体」と「炎」との類似性はもう明らかであるに違いない。「炎」というものが、高速で酸化しつつある可燃性物質の通過する痕跡の一部であるのと同じように、私たちの「肉体」は、高速で生化学反応をする物質分子が通過する痕跡の一部である。「川」という名前の実体は存在せず、そこには水の分子の流れがあるだけだと前回書いたが、これと同じように、「肉体」という実体は存在せず、そこには物質分子の流れがあるのみである。だから、「肉体はナイ」のである。
 
 谷口 雅宣
 
【参考文献】
○福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書、2007年)

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2007年11月 4日

肉体は“炎”である

 今日、伊勢崎市で行われた生長の家講習会には、群馬県内を中心に約千四百人の受講者が参集し、熱心に講話を聴いてくださった。その午前中の講話で、私は人間の肉体をロウソクの「炎」に喩えて「肉体はナイ」という生長の家の考え方を説明した。ところが昼休みの時間に、妻がこの話は「結構難解でした」と言った。考えてみれば、確かにこの話は「耳から聴く」だけの講話形式によるよりも、読み直しが可能な「文章による論理的説明」に向いていたかもしれない。そう反省して、この場で“難解”な部分の説明を補足してみたい。

Flamee  まず、ロウソクの「炎」について考えてみよう。「炎」とは、燃焼が起こっている空間に生じる現象である。もっと詳しく言えば、ロウソクの成分であるパラフィン等が熱によって気化し、それが空気中の酸素と結びつく酸化反応を起こしている状態にあるとき、その一部が人間の目に「光」として映ったものをこう呼ぶのである。三省堂の『大辞林』は、これを次のように定義している:
 
「気体、または液体や固体からの蒸気が燃焼し高温となって光を発している部分。ろうそくの炎などのように酸素の供給が外側の空気からの拡散による場合は、酸素が十分で酸化性である外炎(酸化炎)と、不十分で還元性の内炎(還元炎)に分けられる」

 ここでの第1のポイントは、「炎」という物質の塊が存在するのではないということだ。人間が目で見たときに、ある温度以上に達した空間の化学反応が、それ以下の温度の空間と区別されて「光」として認識されるのである。「炎」というものが存在するのではなく、人間の目が一定の高温状態の空気の領域を、他の領域と区別して「光」として捉えた部分の呼称である。だから、ここでの第2のポイントは、(当たり前のことだが)「人間の視覚」が介在して初めて「炎」があるということである。

 さらに第3のポイントを挙げると、「炎」とは一種の「流れ」であるということだ。それは川の流れのように、1つのものが現れたらたちまち流れ去り、次の瞬間には別のものが現れ、それがすぐに流れ去り……というように、一定の物質が一定の場所を占めてそこに「在る」のではなく、パラフィン等の成分である可燃性の物質の分子が、高速で酸化反応を起こしながら常住流転しているものの通り道が、人間の目で見ると一つの“塊”のように見えるのを、「炎」と呼ぶのである。それは、「川」という物質が存在するのではなく、一定の量以上の水の流れを、人間が「川」と呼ぶのと同じことである。

 このことが、「肉体はナイ」ということと、どう関係するのか? それは、人間の肉体は本質的に「川」と同じであるから、川が存在しないならば、肉体は存在しないと言えるからである。この理由の詳細を述べよう。
 
 まず言えることは、肉体は物質であるから、分子の集合体であるということだ。分子はもちろん、原子と電子からなるし、それらは素粒子から構成されている。肉体を構成する物質分子は、常に入れ替わっている。このことを、生理学では「新陳代謝」と呼ぶ。この新陳代謝によって、肉体の物質分子が入れ替わる速度は普通、私たちが考えるよりもはるかに速い。ある医学者は、その様子を次のように描いている:
 
「体を本当の姿で見ることができたとしたら、同じものは2度と見られないでしょう。体内の原子の98パーセントが1年前にはなかったものです。ひじょうに堅固なように見える骨格も3カ月前のものとは違います。骨細胞の外形は変わりませんが、あらゆる原子が細胞壁を自由に行き来しており、それによって骨格は3カ月ごとに更新されるのです。(中略)皮膚は1カ月ごとに、胃の内層は4日ごとに、食物とじかに接する胃の表面は5分ごとに新しくなっています。肝臓の細胞はひじょうにゆっくりと更新されますが、細胞の中では川を流れる水のように新しい原子がどんどん流れているので、肝臓は6週間ごとに新しいものに作り替えられています。脳細胞は一度死ぬと補填されることはありませんが、そんな脳でさえ、含まれている炭素や窒素、酸素等は1年前のものとまったく違っているのです」(ディーパック・チョプラ著『クォンタム・ヒーリング--心身医学の最前線を探る』、p.60)

 私たちの肉体の新陳代謝がこのように行われ、さらに物質だけが存在するとするならば、肉体は存在するのではなく、川のようにそこに見えている(現れている)だけの“仮の存在”である。川は水の流れの一つの「呼称」にすぎないのであり、「川」という実体はない。それと同じように、肉体は物質分子の流れの一つの「呼称」にすぎないのであって、「肉体」という実体はない。すなわち「肉体はナイ」のである。
 

 谷口 雅宣

【参考文献】
○ディーパック・チョプラ著/上野圭一監訳、秘田凉子訳『クォンタム・ヒーリング--心身医学の最前線を探る』(春秋社、1990年)

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2007年10月19日

最近の“よいニュース”

 今日は新聞で久しぶりに「よいニュース」をいくつか見つけて、嬉しくなった。1つは、日本の成人の喫煙率が12年連続で減少して「26%」になったという話だ。もう1つは、南極上空のオゾンホールが昨年より30%小さくなったという話だ。

 喫煙率のデータは日本たばこ産業(JT)の調査というのが気になるが、成人男女3万2千人を対象にして、今年5月に行った調査による。回答率は60%だ。18日の『日本経済新聞』が伝えている。それによると、男性の喫煙率は40.2%で前年より1.1ポイント減少したが、女性は12.7%で前年より逆に0.3ポイント上昇した。男女合計では、前年より0.3ポイントの減少という。喫煙率の減少は、国民の意識の向上とともに、社会の高齢化と関係があると思う。喫煙とガンや心臓病の発生率には明らかな因果関係があるから、喫煙を減らすことは個人としても社会全体としても医療費の増大を防ぎ、人生の質(quality of life)を向上させることになる。そういう意識を多くの国民がもちつつあることは嬉しい。また、高齢者は一般的に若者よりも自分の健康に気を遣うから、高齢になれば喫煙者も煙草をやめようとするだろう。では、女性の喫煙率の増加はなぜだろうか? これは、若い女性の喫煙が増えているからだと、私は想像する。街中で会う若い女性が、指先に煙草を挟んでいる姿によく出食わすからだ。これは、彼女たちの無知と、社会での摩擦の増大と関係していると思う。
 
 オゾンホールの縮小は、欧州宇宙機関(ESA)が10月3日に発表したものを、19日付の『朝日新聞』が伝えている。それによると、南極上空のオゾンホールの面積は、昨年9月22日に比べて今年の同じ日の面積が30%小さくなったそうだ。オゾン破壊量という別の単位で比べても、昨年は4千万トンだったのものが今年は2770万トンになったそうだ。しかし、この減少は一時的なものらしく、欧州の専門家は「オゾン層が回復に向かっているわけではない」と、この記事は付け加えている。

 地球温暖化の問題で、今朝のNHKは来日中の国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の議長、ラジェンドラ・パチャウリ氏の日本への“注文”を伝えた。13日の本欄に書いたように、IPCCは今年のノーベル平和賞を前アメリカ副大統領、ゴア氏とともに受賞した団体だ。NHKは、パチャウリ氏が環境税も排出権取引もしていない日本の現状に不満を表明したと報じていた。今日の『産経新聞』もそれを取り上げ、同氏が「日本の産業界に向けても“世界は確実に低炭素社会に向かっている。現実を見据えなければ世界から取り残される”として、環境税や排出権取引を容認すべきだとの考えを示した」と書いている。『産経』自身がこれまで産業界寄りで、この2つの環境対策に消極的だったことを考えれば、これも“よいニュース”と言えるかもしれない。

 排出権取引については、産業界が消極的なのに対し、東京都の環境審議会が16日、一定の規模以上の事業所に対してCO2の排出削減を義務化する報告書案を固めた、と17日付の『日経』が報じている。「一定の規模」とは「燃料や熱、電力の使用量が原油換算で年1500キロリットル以上」という。2010年度からの実施で、削減努力の足りない分は、第三者機関が認証した排出権を取引して義務達成に使える制度を考えているらしい。国がグズグズしている所を都が先導していくかたちになれば、これも“よいニュース”かもしれない。
 
 産業界は環境税やCO2の排出権取引に消極的であると書いたが、これは業界全体がすべてそうではなく、日本経団連の姿勢らしい。17日付の『朝日』によると、経済同友会の桜井正光代表幹事は16日、京都議定書後の温暖化対策について「義務的な温室効果ガスの削減目標にすべきだ」と述べ、環境税や排出権取引制度の導入にも賛成したという。同会は今、内部でこの件を議論していて、年末には2013年以降の同会の提言を発表するという。国としての温暖化対策の面では、日本はアメリカにも遅れをとりそうな情勢だが、今後、急速な意識変革が生まれることを期待したいものである。
 
 谷口 雅宣

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2007年6月28日

紫陽花の色を愛でる

 梅雨時に音もたてずに降る雨には、紫陽花(あじさい)がよく似合う。わが家の庭には昔から紫陽花があって、ちょうどこの頃に、ハンドボール大の紫、ピンク、青などの“花”をいっぱいにつけ、見る人の心を慰めてくれる。今“花”という言葉を使ったが、植物学的には、紫陽花の花のように見える部分はガクである。色のついたガクに囲まれて、米粒大の白っぽい花が中央部についている。私は、子どもの頃は、紫陽花をあまり好きでなかった。花らしい香りがせず、ただ大きいだけだから、空間をムダに占有していると思っていた。ところが結婚してみて、妻がこの花を好いているのを知った。そして、彼女が花屋や庭から紫陽花を室内に持ち込み、花瓶に差して誉めるのを聞きながら、その花の見方をゆっくり学んだ。

 紫陽花の花は「七変化」するという。どんな土壌に生えているかで変わるだけでなく、同じ1つの株についた紫の花同士でも、赤に近いものと青に近いものがあったりする。また、同じ1つの花の塊が、気候条件で色が違って見えることもある。そういう微妙な色の変化を楽しむことができるようになると、いつのまにか、私の心の「好きな花」という箱の中に、紫陽花がドンと座っていることに気がついた。

 雨に濡れた紫陽花の花を見ていると、心が安らぐ理由がある。紫陽花のもつ「青」「紫」「赤」の色の連続には、何か不思議な作用があるらしい。光や色彩と治療効果の研究をしているジェイコブ・リバーマン博士(Jacob Liberman)が書いた『光の医学--光と色がもたらす癒しのメカニズム』(飯村大助訳、日本教文社刊)によると、青い光は新生児の黄疸の治療に効き、リューマチ患者の痛みを和らげるという。色のスペクトルでは青の反対側にある赤い光は、偏頭痛の治療に効果があり、青と赤が混ざったピンクの色--いわゆるバブルガム・ピンク--は、アメリカの刑務所の部屋の色として使ったところ、神経の苛立ちを鎮め、暴力行為の減少に貢献したという。赤い光を短時間見ると、運動選手の瞬発力が高まり、青い光を見ると持久力が高まるらしい。
 
 そんなことを知らなくても、緑色の葉を背景にした紫陽花の色は、見るだけで我々を充分元気づけてくれると思うのだが……。
 
 谷口 雅宣

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2007年6月11日

新しい再生医療が日本から?

 本欄でときどき取り上げてきたES細胞の研究に代わるような、画期的な再生医療の技術が日本から生まれるかもしれない。「画期的」である理由は、ES細胞が卵子や受精卵などの“新しい生命”を破壊する点で倫理性が問われているのに対し、この技術は皮膚の細胞を利用するためその問題がなく、さらに患者本人のものを使うため拒絶反応の心配もないからだ。6月7日付の『日本経済新聞』などが京都大学と科学技術振興機構の成果として伝えている。
 
 この研究は、京大の山中伸弥教授らによるもので、7日付のイギリスの科学誌『Nature』の電子版に発表された。山中教授の同種の研究は、昨年7月17日の本欄でも紹介したが、4種類の遺伝子を使ってマウスの胎児の皮膚細胞からES細胞に近い多分化能をもつ幹細胞をつくるもの。前回の研究では遺伝子の種類がES細胞と3割程度異なっていたのに対し、今回の方法によれば約9割が一致するという。ただし、マウスを使った研究だから、人間に応用できるかどうかは今後の課題だ。
 
 8日付の『ヘラルド・トリビューン』紙には、この成果に対するアメリカの研究者の讃辞が並んでいる。幹細胞研究では先端をいくスタンフォード大学のアーヴィン・ワイスマン教授(Irving Weissman)は、「生命科学と再生医療の進展にとって、この研究は考えられるうちで最大のものだ」と言い、ハーバード医学校のデビッド・スキャデン教授(David Scadden)は、細胞が簡単な方法で未分化状態にもどせるということは「誠にすばらしく、ほとんどの研究者が10年先の話だと考えていた」と手放しで誉めている。また、幹細胞研究に関してアメリカのカトリック教会のスポークスマンを務めるリチャード・ドゥーアフリンガー氏(Richard Doerflinger)は、この研究は「どの段階においても人間の生命を傷つけたり、破壊したりせずにES細胞に近い能力のものをつくるのだから、深刻な道徳問題はない」としており、ダートマス大学の倫理学者、ロナルド・グリーン氏(Ronald Green)も、「これによってつくられるのは、保護されるべき初期の人間の生命だと言うのは非常に困難だ。人間に適用できれば、この議論を終らせる1つの方法になるだろう」と言う。
 
 上記の『ヘラルド』紙によると、山中教授らの昨年の研究以来、マサチューセッツ州のホワイトヘッド研究所とカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)など他の2つの研究チームによって“再現”のための実験が行われたという。その結果、いずれの場合でも、山中教授が示した4つの遺伝子を挿入することで、マウスの皮膚細胞がES細胞と酷似した状態にもどることが分ったという。ただし問題もある。その1つは、この4遺伝子のうち2つは、細胞をガン化する能力があることだ。実際、山中教授が研究に使ったマウスの20%は、ガンを発症して死んだという。
 
 一般の新聞や雑誌ではあまり語られないことだが、ES細胞を含む幹細胞をめぐる問題の1つに、「ガン化」の可能性がある。このことは、昨年12月16日の本欄でやや詳しく触れたが、ガンが発症する原因はガン細胞の元になる「ガン幹細胞」だという考え方が、専門家の間では知られている。そして、ES細胞などの幹細胞とガン幹細胞との違いは、まだよく分かっていないのである。山中教授らの研究は、倫理問題のある受精卵や生殖細胞の利用を避け、入手が容易な「皮膚」を材料として“万能細胞”を得ようとする点で、倫理性と合理性に優れている。このように、医師や研究者が倫理性を重んじながら科学の可能性を広げる努力を続けていることを知ると、信仰者として大いに勇気づけられるのである。

谷口 雅宣

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2007年4月15日

夫の死後に妊娠する (4)

 4月12日の本欄では、「デジタル」と「アナログ」という概念を使って宗教と科学の関係や違いについて論じた。相当抽象的な議論だったので、読者の中には「何のことか分からない」と不満をもった人もおられるだろう。そんなところに、幸いにもこれと関係する“例題”のようなものが現れた。日本産婦人科学会が夫の「死後生殖」を禁止する会告を決めたという報道が、それだ。今日(15日)付の『産経新聞』によると、同学会は14日に京都市で開いた総会で、凍結保存していた精子を使い、夫の死後に妊娠・出産することは、死亡した夫の意思が確認できないという理由で禁じる会告を決めたという。私は、この決定を歓迎する。
 
 この決定によると、凍結した精子の保存期間は「提供者の生存中」に限定され、提供者が死んだ後は凍結精子は廃棄することを定めている。これによって、凍結した精子を解凍して体外受精などで子を得ることは禁止される。同学会の会告では、凍結受精卵や凍結卵子の死後利用がすでに禁じられているから、これですべての「死後生殖」は学会の方針としては禁止されたことになる。ただし、会告は法的拘束力をもたないので、学会の意向を受け入れない医師や、学会に所属しない医師が「死後生殖」を行うことを止めることはできない。

 さて、これが科学の“デジタル”と宗教の“アナログ”にどう関係するのか? デジタルなものの考え方は、物事を狭い範囲に限定して、その中で白黒をはっきりさせようとする。だから、この場合は、純粋に遺伝子レベルで考え、親の意志だけを判断基準にする方法が“デジタル”な考え方の1つと言えよう。その方法を採用したとすれば、凍結精子は遺伝子的には夫のものであることに疑いの余地はない。そして、夫が生前に精子の凍結に同意したことも事実であろうから、その時点で夫が凍結した精子を後に利用することに同意したこともあまり疑問はない。そして、その夫の精子と妻の卵子を使って子をもうけるのだから、その子が、死んだ夫とその妻との子であることも遺伝的には疑問の余地がない。すると、生前の夫の意志が推定され、遺伝的にも夫婦の子であることを考え、さらに子をもちたいという妻の希望に応えるのだから、死後生殖を行うことに何も問題はない--そういう結論が導き出されるのではないだろうか。

 しかし、純粋に遺伝子レベルで見ることには問題がある。これについては、夫婦のうち妻が妊娠不可能のため、妻の実母に代理母を依頼したという実例が思い出される。この場合も、①夫の同意があり、②遺伝的に夫婦の子であり、③妻が子をもちたいと熱望しているという3条件は、上と同じである。しかし、閉経後の母親に、危険を承知でホルモン剤の投与や受精卵の移植を行なったことが問題になったのである。つまり、「自分の願望実現のために他人を危険に晒す」ことには大きな問題がある。私は、この場合、たとえ母親が代理妊娠を買って出たとしても、その行為には倫理性はないと考える。このことは3月24日の本欄ですでに述べた通りだ。
 
 今回の場合も、「他人を自己目的に利用する」という要素がある。その「他人」とは少なくとも2人いるだろう。1人は死んだ夫であり、もう1人は生まれてくる子である。「死んだ夫を利用する」という言い方は分かりにくいかもしれないが、仮にこの夫が妻の妊娠の3年前に死んでいたとすると、どういう状況が生れる可能性があるか想像しやすいだろう。大体、なぜ半年や1年後でなく、3年後に妊娠しようとするのか。この3年の間に何かが起こったからに違いない。例えば、遺産相続、再婚、あるいは恋人の出現があったとする。とたんに、死んだ夫の子を妊娠し生もうとする行為の目的に、打算の臭いが感じられてくる。つまり、夫の死後の時間が長ければ長いほど、死後妊娠には、夫への愛以外に、自己目的が含まれてくると考えていいだろう。
 
 そういう意味で、死後妊娠を認めるとしたら、そこには厳密な条件をつける必要性が生じてくる。私はだから、昨年9月13日の本欄には次のように書いた--私は現在、個人的にはイギリスのように「夫の同意書があれば認められる」とすることがいいように感じている。ただし、夫の死後いつでもいいとするのは問題なので、スペインのように「半年以内」とかイスラエルのように「1年以内」などと、期限を切って認めるのはどうだろうか。

 こういう考え方がなぜ“アナログ”かというと、上述した“デジタル”な考え方が、夫の死後妊娠に関わる人の数を最小限に絞って考えるのに対し、ここでは夫の家で遺産相続があった場合とか、妻の3年後の再婚相手のこととか、さらに、生れてくる子が成長後に自分の遺伝子を調べる可能性を考慮するなど、連続した広範囲の人間関係の中で行為の倫理性を検証するからである。簡単に言えば、行為の倫理性を「少数の個人」の間で考えるのではなく、社会の中で考えるところが、アナログ的なのである。妊娠や出産はきわめて個人的な行為ではあるが、そこに医療技術が関与したとたんに社会性が生れると言えるだろう。

 なお私は、2005年10月3日2006年9月5日の本欄でも、死後妊娠の問題に触れているので、興味のある読者は参照されたい。

谷口 雅宣

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2007年4月12日

デジタルからアナログへ

 前回の本欄では、科学が基礎としている唯物的生命観と宗教が前提としてきた生命観を比較してみたが、これらをひと言で表現すれば、前者を“デジタルな生命観”、後者を“アナログな生命観”ということができよう。科学では、ある時点を境にしてそれより前の生命は人間ではないが、それより後の生命は人間と見なすというように、「イェスかノーか」、「1か0か」という考え方をすることがある。その方が、ものごとが分かりやすく、また整理しやすいからだ。宗教はこれに対し、そういう人工的な境界線を引くことはせずに、受精から誕生までの過程は、初めから生命であるものが徐々に肉体を獲得して(この世の)人間となるまでの過程として考える。これは、黄色い絵具(魂)に青い絵具(物質)を徐々に混ぜていくとやがて緑色(肉体)になるように、どこまでが黄色でどこからが緑であるかは問題にしない。それよりも重要なのは、両方の色には共通部分が存在し、それが継続していると見るのだ。

 私は、後者の考え方をする方が、21世紀の人類と地球生命にとって良い結果をもたらすのではないかと思う。デジタルな考え方は物事を狭い範囲に限定して考えるため、その範囲内で「他を打ち負かし」たり、「他より抜きん出る」場合には優れている。また、簡単で分かりやすく、したがって同一グループ内での結束を図るには有利である。しかし、物事をより広い視点から考え、他との共通点を見出し、他と共存するという、より高度な--そして、地球温暖化時代に必要な--生き方には不適当である。

 多くの生物はデジタルな戦略に則って生存をはたしてきたと思われる。そのことを最も有力に示すのは、我々の体内にある免疫系の働き方とその役割である。免疫系は、我々の体を“外敵”の侵入から防ぎ、“外敵”と戦い、破損した組織を補修する重要な役割をしている。これを行う細胞の最も重要な働きは、体内にあるものを「自己」と「他者」とに区別することである。そして、「自己」に属する細胞には手を出さずに、「他者」と判別された細胞や物に総攻撃をしかける。これは、きわめてデジタルな機能と言わねばならない。
 
 私はかつて『心でつくる世界』(1997年、生長の家刊)の中で「視覚の中のプログラム」について書いた。我々の視覚には、一連の“自動判定プログラム”が組み込まれていて、目で見た瞬間に、理性的な判断を経ずに結論を出すことが案外ある。その中の一つに私が同書で「対照化の原則」と呼んだものがある。それは「互いに矛盾した要素が一つの図形の中にある」場合、「矛盾のない白黒のはっきりした世界を無意識のうちに見ようとする」(p.74)傾向のことだ。これは我々の視覚の中に一種の“デジタル回路”が存在する証拠である。どんな図形がそのことを証明しているかは同書を参照してほしい。この回路はいわゆる“本能的”なもので、人類が進化の過程で獲得したと考えられる。ということは、他の動物や植物にも程度の差こそあれ、似たような“自動判定プログラム”が存在すると類推できる。

 だから科学が、生物としてのヒトの発生過程のある時点を境にして、「それ以前は非人間」「それ以降は人間」というデジタルな判断を下す方法を採用したとしても、あながち責められないかもしれない。しかし、そのことは、この方法が特に科学的であったり、客観的であったり、優れていることを意味しない。もっと直裁に言えば、科学が提出している“デジタルな生命観”は、科学的というよりは本能的であり、暫定的であり、完全とは言いがたいのである。私はそれよりも、宗教が伝統的に把持してきた“アナログな生命観”の方が、より広範囲の物事を視野に入れているという意味で包括的であり、分かりにくくても、より正確に対象を見ているという意味で客観的だと思う。

 例によってこれを示そう。①人間の誕生も死も、時間の流れの中で段階的に進行する現象だからアナログ的である。にもかかわらず、科学はこれを、ある1点を境にして起こるデジタルな現象として捉えている。②人間と他の動物の違いはアナログ的であることが、DNAの解析や動物行動学等によって分かってきているが、科学(生物学や医学)が動物を人間と峻別する考え方や扱い方はデジタルである。③地球上の生物や鉱物も含めた生態系は、互いに密接に関連し合って(アナログ的に)秩序を形成していることが明らかになりつつあるが、科学は遺伝子組み換えや卵子の凍結保存、キメラ作成などによって、そのアナログ的な秩序をデジタル(人間至上主義的)に破る行為を行っている。
 
 また、世代間倫理の問題は、親世代 → 子世代 → 孫世代 というように前世代の人間の行為が後世代の人間に危害を与える場合に発生する。つまり、複数の世代間のアナログ(連続的)な問題である。これに対して現代民主主義が尊重する自己決定権の考え方は、「他人や社会に危害を与えない限り、個人の選択には最大限の自由が許されるべし」というのだから、自己完結的なデジタルな思想であると言える。

 こうやって考えていくと、現代の主要な問題の背後には、本来アナログな現象をデジタルに解決しようとしているという矛盾が見えてくる。だから私は、現代にアナログな思想や信仰を再構築することで、人類はよりスムーズに問題解決へと進んでいけると思うのである。

谷口 雅宣

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2007年3月24日

代理出産で母子関係は認めず

 今日の新聞各紙は、タレントの向井亜紀さんと元プロレスラーの高田延彦さんがアメリカで代理出産によって得た子どもを、日本の民法上の実子として認めるかどうかの最高裁判決を第1面で伝えている。ご存じのように結果は、向井さんとその子(双子)の間に「母子関係の成立を認めることはできない」という判決である。つまり、日本の法律上の親子関係はないということだ。その最大の理由は、現行の民法の規定では「出生した子を懐胎し出産した女性をその子の母と解さざるを得ない」から--換言すれば、向井さんではなく、実際に双子を産んだアメリカの女性をその子たちの母親と認定せざるを得ないからだ。生殖補助医療が法律の想定外の状況を生み出していて、そのために遺伝的には母子であっても、法的にはそれが認められないという事態が発生している。だから、判決文も「立法による速やかな対応が強く望まれる」と国会へ異例の注文を突きつけた。
 
 私はこの問題に関して、昨年10月3日同16日の本欄ですでに「代理出産には反対」という見解を書いている。その理由もその時書いているので、詳しくはそちらを参照してほしい。が、ごく簡単にまとめると、この方法は自分の幸福追求のために他人を手段として利用するから、倫理的に好ましくないのである。この「他人」とは、①生れてくる子、に加えて、②代理母となる人間、の最低2人はいる。上記の例では、生れたのは双子だから3人が利用されたことになる。さらに、夫以外の精子提供者がいれば、その数はもう1人増えるだろう。また、アメリカでの代理出産はすべての州で許されているわけではないし、多くの国では禁止されている。さらに言えば、向井さんはアメリカの斡旋業者を利用していて、そこでの依頼人の負担は平均1500万円だという。
 
『朝日新聞』(24日付)によると、日本人夫婦がアメリカで代理出産を依頼する場合は、子が誕生したあとアメリカで依頼人夫婦を親とする出生証明書を得てから帰国する例がほとんどという。この場合、代理出産であることを告げずに日本で実子としての届出をすれば、役所には知られずに実子登録が行われる。そういう子がすでに「少なくとも100人を超える」ほどいるという。向井さん夫婦の場合は、出生地のネバダ州で出生証明書をもらっていたが、事前に代理出産を公表していたため、東京・品川区での出生届が不受理となったのだ。ただ、同夫妻には、特別養子制度を利用する道があり、それが認められれば、子どもの戸籍には実の親子と同様に父母欄には氏名がきちんと記載されることになる。私は、その方法を採れば、同夫妻にも2人の子どもにも現段階で不都合なことはないと思うのだ。

 ところで、代理出産についての専門家の見解は、かなりまとまっていることを指摘しておこう。日本産科婦人科学会は、第三者に多大な危険と負担をかけ、生れてくる子の福祉にも反するとしてこれを禁止している。厚生労働省の部会は平成15年4月、法制化に当たっては罰則付きでこれを禁止する方針を決定ずみだ。また、日本弁護士連合会も今年1月、「生れてくる子供の福祉や“人間の尊厳”自体を侵害する危険性が高い」として代理出産を禁止する法律の整備を求めている。(24日付『産経』)だから、最高裁が注文した「立法による速やかな対応」までの距離は、それほど遠くないと思うのだ。日本学術会議での審議は、今年1月からすでに始まっており「約1年」で結論をまとめる予定という。この問題は生殖医療に止まらず、再生医療や遺伝子治療、ガン治療などとも、「ES細胞」や「クローニング」などの技術を通して互いに密接に関連している。私は、本件を1つの“突破口”にして、わが国の生命倫理の原則を確立することはできないものか、と思う。
 
谷口 雅宣

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2007年2月19日

病気腎移植は“白”から“黒”へ?

 愛媛県宇和島市の宇和島徳洲会病院の万波誠医師(66)の行っていた病気腎移植の問題で、同病院が設置した外部医師らによる専門委員会の調査結果が明らかになったとして、18~19日の新聞各社が一斉に報道した。その内容は、万波医師が実施した11件の病気腎移植のほとんどが、摘出は医学的に適切でなく、別の患者への移植もすべきでなかったというものである。これでは、病気腎移植のほぼ全面否定と言えるだろう。

 この問題については、昨年12月3日の本欄で、岡山大学大学院教授の粟屋剛氏と、東京女子医大名誉教授の太田和夫氏の両名が、期せずして肯定的にとらえていたことを書いた。粟屋氏は、社会への情報開示と、患者へのインフォームド・コンセントが行われていれば問題ないとし、太田氏は、自身が病気腎を移植に使った経験があると述べ、病気腎の患部を完全に切除して行う「部分腎移植」の技術を開発すべきだと述べていた。今回の調査報告との違いは歴然としている。いったい何が起こったのだろう。

 新聞各紙の報道は、しかしこの疑問に答えてくれない。また、各紙の報道は微妙に違った部分もある。私がこの調査結果関連の記事を最初に読んだのは18日付の『静岡新聞』紙上だったが、ここでは冒頭に書いた通りの内容で、さらに付け加えて「18日に大阪市で開かれる同病院の調査委員会と合同会議で報告される」とあった。同じ日付の『日本経済新聞』も『静岡新聞』とほぼ同文だが、それよりも長い記事を載せていたから、この記事は通信社が配信したものだろう。これに対し19日の『産経新聞』は、18日の合同委員会(会議)の内容を伝える形でこの件を報じた。それによると、合同委員会では「専門委員からほとんどが医学的に“不適切”との報告があったが、結論を先送りにし、来月3日に万波部長に直接意見を聞いた上で、結論をまとめたいとしている」となっている。
 
 ところが19日の『朝日新聞』は、宇和島徳洲会病院内の委員会の見解ではなく、「日本移植学会など関係5学会」が打ち出す方針を中心に記事にした。こちらの方がより大きな影響力をもつからだろう。それによると、関係5学会では、万波医師らによるような病気腎移植は「原則禁止」となるという。また、ガン患者とネフローゼ症候群の患者から病気腎を移植すると、移植後の免疫抑制剤の投与によって、患者の体内でガンが再発したり、急速に進行する恐れがあるため「絶対禁止」にする方針という。何のことはない。私が昨年12月3日の本欄で“素人考え”として書いたことと、同じ結論なのだ。
 
 臓器移植をめぐる現在の医療は、いったいどうなっているのかと思う。“専門家”とされる医師たちが、数カ月の間に180度異なる見解を新聞紙上で述べるということは、医学はこの分野ではまだ信頼性がないということなのだろう。あるいは、医師は本当のことを言わずに、自分の利益を守るために専門用語を煙幕にして発言しているのか--私はそう思いたくないのだが、どう思えばいいのかよく分からない。

 こういう疑問に対して、何らかの回答を与えてくれるように見えるのは、19日の『産経』に載った木村良一編集委員の「一筆多論・岐路に立つ移植医療」だ。木村氏は、移植医療の取材を始めて10年以上になると前置きしてから、この問題の背後に何があるかをまとめている。それは「この病腎移植を支持する医師が『移植する腎臓が不足しているから病腎移植を進めるべきだ』と主張している」ということだ。つまり、脳死段階を含めた死体からの臓器移植の代用として、安全性に多少疑問があっても生体から取り出した病気腎を使いたい医師のグループがいるということだろう。この方法で助かった患者もおり、また亡くなった人もいる。医療の現場では、臓器不足を理由にさまざまな“実験的治療”が行われていることが、今回の出来事から推測できるのである。
 
谷口 雅宣

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2007年2月 5日

ネコ好きの人に注意!

 徳島県での生長の家講習会を終えたばかりの今日、『日本経済新聞』の夕刊を見たら、国と徳島県は、鳥インフルエンザから変異した新型インフルエンザが発生したとの想定で「対応総合訓練」をやったという記事が載っていた。それによると、新型インフルエンザは、発生すると短期間に一気に世界中に広まるので、日本でも水際で食い止めるのは難しい。だからこの訓練は、国内で患者が発生することを前提に、早期に被害を最小限に食い止めることで新型ウイルスを封じ込めるためのものだという。なぜ徳島県が訓練の場に選ばれたのかはよく分からないが、「阿波尾鶏(あわおどり)」などのニワトリを多く飼育しているからかもしれない。
 
 訓練開始に当たり、いま“渦中”にある柳沢厚生労働大臣が、「いつ新型インフルエンザが発生するか予断を許さない。関係省庁は発生時に適切な対応を講じられるよう、(訓練で)問題点を確認していただきたい」と述べたという。これは今年に入り、宮崎県や岡山県で高病原性の鳥インフルエンザ(H5N1型)が相次いで発生したことから来る、危機感を表明したものだろう。上の記事によると、この新型インフルエンザは海外では人間への感染も散発的に確認されており、世界保健機関(WHO)の2月3日現在のまとめでは、すでに「165人」が亡くなっている。感染者の致死率は60%というから、危機感を抱いて当然だろう。

 この問題では、鳥から人への感染に続いて、感染した人から他の人への感染が起こることが恐れられている。H5N1型のウイルスが「人→人」の感染が容易な形に変異した場合、大流行すると考えられているのだ。上記の記事では、「新型インフルエンザが国内で大流行し、人口の25%が病気になると想定した場合、医療機関の受診者は最大で約2500万人、入院患者は約200万人、死者は約64万人に上ると推定される」などと書いてある。これは“最悪”の事態を想定しているのだろうが、何とも悩ましい数字である。
 
 ところで、日本ではあまり話題にならないようだが、「鳥→ネコ」の感染がすでに起こっていることを読者はご存じだろうか? 1月半ばに分かったことだが、インドネシアの鳥インフルエンザが流行している地域では、ネコにもH5N1型のウイルスが感染していた。1月27日付の『New Scientist』が詳しく伝えている。それによると、インドネシアのスラバヤにあるアイルランガ大学(Airlangga University)のチャイラル・アンワー・ニドム博士(Chairul Anwar Nidom)の調査では、鳥や人への感染が広まった地域のネコから、5匹のうち1匹の確率でH5N1型ウイルスの抗体が発見されたという。

 より具体的には、ニドム博士はジャワ島の4カ所のニワトリ市場近くにいたノラネコと、スマトラ島の1カ所のノラネコの合計500匹から血液のサンプルを採取したという。これら5カ所は、いずれも最近ニワトリまたは人間がH5N1型ウイルスに感染したことが確認された場所という。検査の結果、20%のネコから同ウイルスの抗体が検出されたのである。ネコへの感染は、感染したニワトリを食べたからだろう。ニドム博士は生きているネコを調べたのだから、ウイルスに感染して死んでしまったネコを考慮すれば、感染率は20%を上回るということになる。

 このことから考えると、問題のウイルスはネコの体内で適応する機会を得ているから、同じ哺乳動物である人間への感染の危険が増大しているかもしれない。このウイルスは、「鳥→人」のルートでは感染力が弱いことが分かっているが、「鳥→ネコ→人」という別のルートで感染が起これば、人への感染力が増すかもしれないのである。上記の記事では、ニドム博士はこの2月に来日し、東京大学で検体の調査をするらしい。だから、日本のノラネコの危険性についても、まもなく分かるだろう。

 実は最近、家の庭にハトの羽が散らばっているのを妻が発見した。私の家ではハトもネコも飼っていないから、野生のハトがノラネコに襲われたに違いない。私はしばらく、ノラネコとかかわるのをやめようと思う。ネコ好きの読者は、くれぐれもご注意あれ。

谷口 雅宣

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2007年1月22日

幹細胞に潜む「ガン化」の危険

 受精卵や卵子などの生殖細胞から作り出されるES(胚性幹)細胞の研究と利用について、私は本欄や著書を通じて一貫して反対を表明してきた。主たる理由は、これが他者の犠牲の上に成り立つ技術であるからで、そのほか移植時の拒絶反応など安全性の問題、クローン人間誕生の危険などいろいろある。しかし、私はすべての再生医療の研究に反対しているのではなく、患者の体内にもともとある成人(体性)幹細胞を使ったものについては、積極的にその研究に賛成してきた。しかし、後者については、これまでどれほどの治療実績があるのかよく知らなかった。今日(1月22日)の『日本経済新聞』には、その点をまとめた記事が掲載されていて、興味深く読んだ。

 記事には「ES細胞を使わぬ再生医療」という題がついており、これを実施または計画中の医療機関として、京大、札幌医大、山口大、国立循環器センター、大阪医大、埼玉医大、信州大、関西医大、自治医大、京都府立大、岡山大、久留米大など多くの機関名が挙げられている。使用される幹細胞は、骨髄液、足の筋肉、脂肪、心臓、腕や足の血液などから採取し、それを人工増殖して患部に投与したり、接合させる。これによって、血行障害や角膜再生、乳癌切除後の乳房再建、脳梗塞など、国内ですでに100件を超す臨床研究が実施されているという。
 
 これに対して、ES細胞を使った臨床研究が国内で行われたという事実を私は知らない。これは、ES細胞の入手が困難であり、安全性にも問題が残っているということを示しているのだろう。それなのに医学会がES細胞の研究・利用に熱心なのは、これが他の体性幹細胞に比べて“万能性”に優れていると考えられているからだ。この場合の“万能性”とは、ES細胞から分化して成長する細胞の種類が、他の体性幹細胞のそれよりもずっと多いとされていることを意味する。しかし、この“万能性”の中に危険性が潜んでいるという専門家の見解もあるのだ。ES細胞のことがメディアで報道される際、この危険性のことには全く触れられないことが多い。
 
 昨年12月16日の本欄で、私は「ガン幹細胞」の存在について書いた。これは「ガン細胞を生み出す幹細胞」のことで、白血病、乳ガン、脳腫瘍、卵巣ガン、肺ガン、皮膚ガンに、これが存在することがすでに確認されている。1月8日付で Newswise 上に概要が発表された南カリフォルニア大学などの研究によると、「ガンは少数の幹細胞から生じる」という仮説を裏づける結果が乳ガン、結腸ガン、肺ガン、卵巣ガンで確認されたという。

 幹細胞は、後に他の細胞に分化する際に働く遺伝子が“オフ”状態になっていると考えられている。正常の幹細胞では、この“オフ”状態が“オン”状態へもどり、必要な細胞へと分化する。しかしガン細胞では、この“オン”のための遺伝子が「DNAメチル化」(DNA methylation)という遺伝によらない過程によって変異し“オン”状態にもどらなくなっているらしい。上記の研究論文では、「可逆的な遺伝子抑制は恒久的な遺伝子抑制に取って代わり、その細胞を永久的な自己更新の状態に置くことで、後に続く悪性変異の素因をつくることになる」と表現している。これはつまり、幹細胞自体にガン細胞へ変異する可能性が含まれているということだろう。

 ここで問題になるのは、ES細胞と体性幹細胞のどちらがガン化の可能性が高いかだが、この点について論文は何も触れていない。この点の研究が進めば、同じ幹細胞であっても、ガンとの関係でES細胞と体性幹細胞のどちらがより安全であるかという医学的な判断ができるようになるだろう。そうなれば、再生医療の方向性にも大きな影響が出てくるに違いない。

 ところで、私がここで指摘しておきたいのは、人間の肉体の生と死は、「ガン」という病気において併存しているという点である。限りなく自己更新を行う幹細胞は、「生きたい」という意志の体現者である。しかし、その「生きたい」意志が止まらなくなると、細胞はガン化して結局、生体全体の死を招くことになる。ここに、再生医療が抱える基本的な問題があるように感じられる。
 
谷口 雅宣

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2006年12月16日

ガンをつくる幹細胞

 本欄では、これまでES(胚性幹)細胞や成人(体性)幹細胞を治療目的に研究する問題を取り上げ、宗教や倫理面などから前者よりも後者の研究を推奨してきた。このことは、2002年に上梓した『今こそ自然から学ぼう』(生長の家刊)から一貫して述べてきたことだが、これら幹細胞の中には「ガン幹細胞(cancer stem cells)」というのがあることを、最近知った。ガン幹細胞とは、ガン細胞を生み出す元の細胞のことである。

 イギリスの科学誌『New Scientist』は11月25日号で「The traitors within (内なる裏切り者)」と題する4ページの記事を掲載し、このガン幹細胞のことを詳しく伝えている。幹細胞は、古い細胞を入れ替え、様々な種類の新しい細胞になって体を補修する点が注目され、長い間“いい者”として取り扱われてきた。ところが、この幹細胞にも“悪者”がいることが分かってきたというのだ。それは、乳ガンを含むいくつかのガン細胞を生み出す幹細胞のことだ。放射線治療などで周囲にある多くのガン細胞が死んでも、その幹細胞は生きていて新しいガン細胞を次々に生み出すらしい。ガン幹細胞は、DNAのダメージを自ら修復する能力があり、しかも、他の幹細胞との違いはまだよく分っていないという。
 
 ガン幹細胞の存在が証明されたのは1994年、カナダのトロント大学のジョン・ディック博士(John Dick)らのチームが急性白血病の患者を治療していたときで、ガン細胞表面の蛋白質をもとにしてガン細胞を2種類に分離した。それらを、免疫機能を抑えたマウス2匹に別々に移植したところ、同じガン細胞でありながら一方はガンとなり、他方はガンにならなかった。だから、ガンを生み出した方の細胞がガン幹細胞ということになる。この幹細胞の数はきわめて少なく、血液中の細胞では数百万個に1つほどだという。当初、ガン幹細胞は白血病に特有の細胞だと考えられていたが、その後、乳ガンと脳腫瘍の細胞からも発見され、さらに卵巣ガン、肺ガン、皮膚ガンの細胞からも発見されている。
 
 ガンにも幹細胞があると分かったことで、これまでのガン治療は根本的な見直しを迫られているという。なぜなら、これまでのガン治療では、「ガン細胞がガンの拡大や再発につながる」と考え、ガン細胞自体を対象にして切除したり、放射線や化学療法で殺したりしてきたからだ。しかし、ガン細胞はガン幹細胞から生まれるのであれば、このガン幹細胞を取り除かなければガンはなくならないことになる。ガンの研究者は今、その方法の開発に取り組んでいるというのだ。

 語呂合わせではないが、「ガン細胞」と「幹細胞」は性格が似ているということを覚えておいた方がいいようだ。7月18日の本欄で、京大再生医科学研究所の山中伸弥教授の開発した「人工幹細胞」のことに触れた際、同研究所の研究目標をウェッブサイトから引用した。そこには「患者自身の細胞からES細胞に類似した多能性と増殖能を有し、腫瘍形成能は持たない幹細胞を樹立することを目標に研究を行って」いると書いてあった。「腫瘍形成能」とは「ガン化する」という意味だから、幹細胞にはガン化の可能性があることは、専門家には以前からよく知られていたことなのだろう。
 
 ところで、話はアメリカへ飛ぶが、今同国の中年女性の間で騒がれているガンの話がある。それは、更年期障害の症状を和らげるために服用されてきたホルモン剤が、乳ガンの発症と強い相関関係があることを示す研究結果が発表されたことだ。もっと正確に言うと、アメリカでは2002年の7月、乳ガンとエストロゲンを含むホルモン剤との“弱い関係”が指摘されたのだが、これに驚いた医師や女性がこの薬の使用を控えたため、半年後には薬の売り上げが半減したそうだ。今回の研究は、その年の8月から翌年の12月までの乳ガンの発症率を調べたものだが、それは「15%」も減ったというのである。
 
 更年期に達した女性が、分泌の減ったエストロゲンを薬として外から服用することで、若さの維持や骨粗しょう症の予防ができると考えられてきたのだが、見えないところに“伏兵”が潜んでいたようだ。幹細胞は、自らを次々に複製するとともに他の細胞を生み出すから、「若さ」の象徴とも言える。しかし、“永遠の若さ”を求めることは、同時にガン細胞の発生を助けることにもつながる。ガン幹細胞の存在は、我々にそんな警告を発しているような気がする。
 
谷口 雅宣

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2006年12月 7日

豪が人クローン胚研究へ

 人クローン胚の作成や研究に関して、私は人間の命を宿す受精卵を道具として使うという倫理問題があるため、『今こそ自然から学ぼう』(2002年、生長の家刊)や本欄(最近では9月11日)などを通して何度も反対してきた。宗教法人「生長の家」もこの9月に、文部科学省に対して「反対」の見解を提出した。幸いアメリカのブッシュ大統領も、宗教的見地からこれに明確に反対の意思を表明してきていたので、私はブッシュ氏とはイラク戦争では見解が異なるものの、心強く感じてきたのだった。ところがこのほど、イラク戦争でアメリカに賛成したオーストラリアが、人クローン胚の研究と利用にゴーサインを出す決定をした。12月7日付の『ヘラルド・トリビューン』が伝えている。
 
 それによると、オーストラリア下院は6日、ハワード首相ら指導者の反対にもかかわらず、人クローン胚を幹細胞の研究に利用する法律を82対62で可決した。上院はすでに11月7日に、同法を34対32で可決している。下院の採決では、すべての政党が党議拘束を外し、各自の“良心にしたがって”投票することになったという。ハワード首相は議会で、「私はこの法案に反対する。その理由は、我々はこの社会で最終的に、ある絶対的価値を守らなければならないからだ」と発言。「ここで問題なのは、道徳的な絶対価値だ。それが、この法案を支持することができない理由だ」と述べたという。
 
 オーストラリアは2002年に、不妊治療のために作られた余剰胚(受精卵)からES細胞をつくることを認めたが、人クローン胚の作成は認めなかった。今後は、皮膚などの体細胞と卵子の細胞を接合させてつくる人クローン胚が、治療目的であれば許されることになる。しかし、人クローン胚の輸出入や、人間や動物への移植は禁じられている。同国国民の意識は治療目的の人クローン胚にはきわめて好意的で、この6月に公表された世論調査では80%が賛成しているという。
 
 ところで私は、人クローン胚やES細胞のように、人間の生殖細胞を材料にする再生医療よりも、患者の体にもともとある各種の成人(体性)幹細胞の研究を促進すべきだと訴えてきた。成人幹細胞は、これまで脳、骨髄、髪、皮膚、脂肪、歯胚、臍帯血,生殖器……など、ほとんど全身に存在することがわかっている。(詳しくは、7月27日の本欄参照)こちらの研究は、造血幹細胞などで人を対象にした治療が実際に進められているのに対し、人クローン胚やES細胞を使った具体的な治療例はまだないのである。効果が実際の臨床例で確認されていない治療法の方が、脚光を浴びているのは奇妙な現象である。

谷口 雅宣

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2006年12月 3日

人体は医療資源か?

 生長の家講習会のために山口県周南市に来ているが、3日付の『中國新聞』に病気腎移植の問題について2人の専門家の意見が載っていたので、興味深く読んだ。この問題は、愛媛県宇和島市の宇和島徳洲会病院や広島県呉市の呉共済病院の「瀬戸内グループ」と呼ばれる医師たちが、病気のある腎臓を移植に使ってきたことが表面化したものだ。私はES細胞の研究等について意見を表明してはきたが、医学の専門家ではない。本件に関しては、渦中にある万波誠医師(66)のインタビューを聞いてみても、背後には素人に分からない事情があるようでもあり、また高度に専門的、臨床的な問題でもあるため、発言を差し控えてきた。今回、医師の側からの意見を知ることができたのはよかったと思う。
 
 本件に関して、メディアは“素人の直感”からオカシイと感じて書いてきたのだろう。その論理はきわめて分かりやすい。すなわち、病気の腎臓は患者本人に有害だから摘出するはずで、その病気腎を他の患者に移植することは“有害物”の移植だから加害行為にならないか?--そういう疑問である。これを裏返しに言えば、他人に有用な腎臓ならば本人にも有用であるはずで、それを摘出する行為は傷害罪に当らないか?--ということになる。こういう論法には、しかし医学的な知識が一切含まれていない。私はその点が気になっていたのである。
 
 記事で発言していたのは、岡山大学大学院教授の粟屋剛氏と、東京女子医大名誉教授の太田和夫氏である。期せずして両名とも病気腎移植自体については、肯定的にとらえていた。粟屋教授は、社会への情報開示と、移植のリスクについていわゆる「インフォームド・コンセント」(十分な説明にもとづく患者の同意)が行われていれば問題ないとし、太田氏は、自身が病気腎を移植に使った経験があると言い、病気腎の患部を完全に切除して行う「部分腎移植」の技術を開発すべきだと述べていた。両氏の意見の背後には、移植に使う腎臓の絶対数が不足しているという事情があるようだ。脳死にともなって摘出される健康な腎臓が得がたいという現状にあっては、多少リスクがある腎臓でも、リスク要因をできるだけ減らし、患者の同意があるならば利用すべしということだろう。
 
 太田氏の意見の中で興味あることは、患者の腎臓を一度摘出したら、それを元の場所にもどすことは容易でないという話だ。「出血や合併症が起きた場合、再手術も難しくなるので、本人に戻す時は安全を考えて別の場所に植える」という形にした方が手術はやりやすいのだそうだ。こういうことは専門家でなければ分からない。素人は臓器を“部品”のように考えて、「外したところへ戻すのは容易だし当然」と考えがちだが、生体はそれほど単純にできていないようだ。またガンのある腎臓についても、「ガンの部分をきちんと切除して、ガン細胞が残存しないようにすれば、まず大丈夫」とし、さらに「免疫抑制剤を使うことで(ガンが)抑えられる可能性も考えられる」と述べている。私のような素人は、免疫系の機能を抑制すればガンの発生率が上がると考えがちだが、そうでないらしいのである。
 
 粟屋氏の発言には、しかし気になることが1つあった。それは、移植医療を「人体を医療資源としてみる発想」から生まれたと捉え、「もはや人体の有効利用・資源化が避けられない時代になっているとしたら、建て前でなく、それを前提にした議論をすべきだろう」と述べている点だ。これは、粟屋氏が「人体の資源化」を是とし、その流れを前に進めるように推奨しているように聞こえる。私は、そのような社会的合意が日本で成立しているとは思えない。アメリカはともかく、この国で脳死段階での臓器移植が進まないのは、その証拠だと思う。一見“物質”と見えるものの背後にも、目に見えない“魂”や“命”のようなものを認めてきた日本人の感性が、「人体の資源化」への動きに抵抗しているように私には思えるのだ。病気腎移植に対するメディアの直感的反発も、そういう感性にもとづいているのかもしれない。

谷口 雅宣

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2006年11月14日

宙のネズミ (4)

 チュー子のT製薬への引き渡しは、あっけなく終った。渋谷の裏通りにある若者向けのカフェで、田村は大学に出入りしている担当者と会い、その男と一緒だった50代の男と名刺を交換した。新薬開発部の「部長」という肩書きがついていた。その部長が、チュー子の入ったプラスチックケースをうやうやしく推し戴いて、担当者とともに夜の渋谷の雑踏の中へ消えていった。
 
 その翌日に、部長の名前で田村の銀行口座に500万円が振り込まれた。それは頭金で、その後の研究の進展にともなって「顧問料」が支払われる合意ができていた。T製薬への情報提供はすべて電子メールで行われ、電話や郵便は使わないことになっていた。メールの相手は新薬開発部の「T」という仮名の研究者だ。だから田村は、相手がどんな人物でどこにいるのか、皆目見当がつかなかった。
 
 チュー子を引き渡してから1カ月間は、Tからの問い合わせのメールが頻繁に来た。その内容から、田村はチュー子の様子と研究の進行具合が推測できた。写真も同時に送られてきたので、チュー子の腹に移植された“黒い帯”が胴全体にだんだんと広がっていく様子もよくわかった。T製薬は、チュー子から採った田村の頭皮をシャーレの中で培養し、増殖した分をチュー子の皮膚と入れ替えることで、白いマウスを黒いマウスへと作り変えつつあった。田村がTに指示した計画では、チュー子の全身が黒い毛で覆われた後に、その皮をはいで田村の頭に移植することになっていた。これによって、拒絶反応もなく黒々とした頭髪が再現できるはずだった。

 田村は、最終的にはマウスを使わずに、培養器の中だけで頭皮と頭髪を増やすことを目指していた。そうしないと、高価な実験動物の値段と、その世話に必要な人件費や無菌室の維持管理費など様々なコストが発生し、男性型脱毛症の治療としては一般人の手が届かないものになってしまうからだ。もう1つの問題は、「動物に移植した頭皮を人間にもどす」という方法が、一般の人から治療法として受け入れられるかという問題だった。すでに海外では、ブタの心臓や胃を患者に移植するという異種間移植は行われていたが、日本では評判がよくなく、実施例は少なかった。自分の体内に動物の臓器を入れるということを、感覚的に拒否する人が日本には多いのかもしれない。それなら、動物の体内で培養した皮膚に対しても、それがたとえ自分の皮膚であっても抵抗を感じる人が多い可能性があった。しかし現段階では、頭皮の増殖はマウスを使わずにうまくできる。が、そこからなかなか髪が伸びてこないのである。そして、チュー子の体に田村の頭皮を移植すると、不思議にも髪は伸びてくるのだった。

 この現象は、さほど驚くべきことではない、と田村は考えていた。それは、マウスの体内の化学物質の中に毛包を刺激して、髪を伸ばす働きをもつ成分があるからで、これが何であるかを探り当てれば、今回の研究目的はほぼ達成するはずだった。あとはその成分を人工的に合成し、培養器内でシート状に増殖させた頭皮の上に適量を垂らす。すると、髪の毛は一斉に伸び始めるに違いない。もしかしたら、この成分こそ“究極の毛生え薬”かもしれない。そうとなれば、もうチュー子を実験で痛めつけることも、自分の頭皮を剥ぎ取ることも、金輪際不要になるのだ--田村は、自分が記者発表の席上、被っていた帽子を脱いで黒々とした頭を見せ、それを昔の自分の写真と比較する様子を想像して、笑いを隠すことができなかった。
 
 そんなこんなで8月はたちまち過ぎ、9月も半ばに入った。K大のキャンパスには学生たちがもどって来ていた。そんなある日、田村はTから届いた電子メールを読んで衝撃を受けた。(つづく)

谷口 雅宣

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2006年11月 1日

宙のネズミ (3)

 K大では、実験動物を研究室の外へ持ち出す場合は、届出が義務づけられていた。ましてや大学の外部へ移動させるとなると、特別の許可が必要だった。にもかかわらず、この夜の田村の行動である。彼は、大学関係者に知られないように、わざわざ夏休みの夜を選んだのだ。
 
 この日が来るまで、彼は何度も迷った。T製薬の誘いに乗らず、学内の規則どおりに実験を続ける選択肢はあったが、その場合、チュー子の生存は諦めねばならなかった。チュー子を使った幹細胞の研究は、田村にとって言わば“裏の仕事”だった。本業に対する趣味と言ってもいいかもしれない。ただし、少し後ろめたい趣味だった。問題は、本業の研究が重要な段階にさしかかっていて、手が抜けなくなっていることだった。“表の仕事”である癌の研究が多忙になってくれば当然、“裏”は後回しになる。

 しかし、動物を使う研究は目が離せないのだ。誰かがそばにいて動物に餌を与え、飲み水を取り替えたり、温度や湿度調節もしなければならない。大体の実験環境はコンピューターで制御されてはいたが、「餌やり」や「観察」までは機械にできない。通常、そういう仕事は大学院の学生にさせるのだが、“裏の仕事”を他人には任せられなかった。大体、腹にだけ黒い毛が生えているマウスは、目立ちすぎる。好奇心にあふれた学生は何の研究か質問するだろうし、きっと「腹の毛だけをどうやって黒くするか?」などと細かいことも訊かれる。相手が大学院生ともなれば、いい加減な答えではすまされないだろう。

 実験動物は、栽培種の植物のようなもので、人間が世話をしなければすぐ弱ってしまう。特にこのマウスは、自然の抵抗力である免疫系の機能が取り除かれている。田村が目を離せば、チュー子が衰弱して死んでいくのは時間の問題と思われた。チュー子を手放すことはつらかった。それは、超免疫不全マウスという希少価値のある実験動物であるというだけでなく、自分の研究成果の一部を体現した一種の“作品”であり、さらに言えば、自分の肉体の小さな“延長”でもあったからだ。
 
 田村にとって、学内の倫理規定や研究上のルールは尊重すべきものであっても、絶対的な規範ではなかった。それは、違反しても法律で罰せられないという意味だけではない。倫理や道徳は結局、相対的な判断基準で、人や環境や時代によって変わっていく。これに対して、学問が解き明かそうとしている真理は、時代や環境や個人の判断を超えて常に正しい。いや、正しくなければならなかった。それは言わば、絶対的な正当性をもっているのだ。だから、絶対的正当性を得るために相対的正当性である倫理や道徳に従わねばならないとするのは、本当は不合理なのである。しかし、人間社会は、価値観の異なる個人の集合体だから、法律以外にも各種のルールを設けて各人の行動を規制しないと、無秩序となり大混乱する。そんな混乱を未然に防ぐという便宜上の要請から作られたのが倫理や道徳である。それらは、社会の混乱防止のためには守らなければならないが、混乱しない程度の不倫理や不道徳は、真理発見のためには容認されるべきなのだった。
 
 そういう考え方からすれば、チュー子を学外へ持ち出し、製薬会社に引き渡したうえで自分の研究を実質的に継続させることは、真理発見のためには許容されるべきだろう--と田村は考えた。つまり彼は、自分のノウハウと引き換えに、T製薬に自分の毛髪の培養を継続してもらうつもりだった。ただ問題なのは、学内の規定に違反していることだった。チュー子の外部持ち出しを大学に正式に要請しても、倫理委員会では承認されないことが十分予測された。しかし倫理とは相対的なものである。絶対的な真理を探究するてめには、知らなくてもいい人にその方法を知らせる必要はないのだ、と彼は考えた。
 
 田村は構内の駐車場へ着くと、チュー子の入ったプラスチック・ケースをトランク内の冷蔵装置の中に収め、T製薬社員との約束の場所へと向った。 (つづく)
 
谷口 雅宣

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2006年10月27日

宙のネズミ (2)

 田村宙は、K大医学部の若手の癌研究者としては、新分野である生命機能の研究に関する論文も多く、注目されていた。30歳で結婚して生活も安定し、仕事に打ち込める環境にあったが、1つだけ悩みがあった。現在33歳でありながら、髪の毛が薄いのである。普段は帽子を被ることで目立たないようにしていたが、夏場の帽子はやはり暑い。いっそのこと残りの頭髪も剃り落して坊主頭にする方が見栄えがいいかと何回も考えた。しかし、「眉が薄くて細い目のあなたには似合わない」と妻に言われると、髪を剃る決心ができないのだった。髪の毛の薄さはインテリジェンスとは関係ないと分かっていても、外貌は社会生活に重要である。形成外科の技術がこれだけ進んでいる現在、発毛や育毛の問題を医学が解決できないはずはない。田村はそういう信念のもとに、皮膚にある幹細胞の研究にも取り組んでいたのである。
 
 幹細胞とは、体の各部でそれぞれの役割をになう細胞になる前の“素の細胞”のことである。血液が作られるとき、骨髄中の造血幹細胞が分化して赤血球や白血球ができるように、体の表面を覆う皮膚ができるためには、その素となる幹細胞が表皮の奥から分化して、皮膚の細胞になって表面に押し出される。毛髪や体毛の場合も、これと同じ仕組みがある。それは「毛球」と呼ばれる髪の付け根部分にある幹細胞だ。専門的には「毛母細胞」と言う。新しい毛球は普通、3~4カ月の休止期間の後、2~6年間活動を続けて髪の毛を伸ばす。このあと退行期に入り、やがて脱毛する。髪が薄くなるのは、この毛球の成長期が数カ月から1年と短く、髪が十分成長しないうちに毛球の退縮が始まり、脱毛してしまうからだ。
 
 この脱毛部分にはDHT(ジヒドロテストステロン)という物質が高濃度に存在するため、これが髪の成長期を短くする原因物質と考えられていた。DHTは男性ホルモンのテストステロンから作られるから、男性ホルモンの多い人は髪が薄いと言われるのである。しかし、そういう人でも、頭皮には毛母細胞を含む毛球が残っていることがほとんどだ。だから、うぶ毛(毛包)は生えている。そのうぶ毛の毛球の活動を盛んにすることができれば、髪は再び成長する可能性が十分あるのだった。

 田村が持つ箱の中のマウスには、彼自身の数少ない髪が移植されて生えている。それは植毛のように1本ずつを植えるのではなく、頭皮の小片を毛根ごと剥いでマウスの腹部に移植したのだ。背中は目立つので避けた。同僚の医師が彼の頭皮を切り取り、それを洗浄して培養液の中に浸けるところまでをした。幹細胞の研究に毛包を使うことは珍しくないから、不審な点はなかった。その後、別の日に田村自身がマウスの腹への移植を行なった。こうして白いマウスは、腹にだけ黒い毛を帯状に生やすことになったのである。
 
 田村はこれに「チュー子」という名前をつけた。自分の名前を混ぜたのだ。マウスには文字通り自分の体の一部が混ぜてあるだけでなく、自分の願いを托しているからでもある。「チュー太」や「チュー吉」でないのは、雌のマウスだからだ。男性ホルモンの影響を受けにくい実験環境が必要だった。

 田村は、超免疫不全マウスであるチュー子の体を培養器として使うことで毛母細胞の増殖を行い、最終的には自分の頭髪の問題を解決できればと考えていた。そのことが、公私混同になるとは少しも思わなかった。なぜなら、日本では1260万人もが、この男性ホルモンによる男性型脱毛症(androgenetic alopecia)で、そのうち800万人は田村と同じようにそれを悩んでいて、うち600万人は何らかの治療法を試みたことがある、と言われているからである。マウスを使って確かな治療法が確立すれば、多くの人がこの忸怩(じくじ)たる悩みから解放されることは明らかだった。 (つづく)

谷口 雅宣
 

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2006年10月16日

代理母をどう考えるか? (2)

 10月3日の本欄で、タレントの向井亜紀さんと高田延彦さん夫妻がアメリカでの代理出産で得た子どもの件を書いた。品川区が出生届を受理しなかったのを、東京高裁が受理を命じ、それに対して同区が抗告の申し立てをしている最中だが、今度は、日本では実質的に禁じられている代理出産を国内で敢えて実行したと、長野県の産婦人科医が発表した。それも、30代の女性の卵子を使い、その母親の50代後半の女性が妊娠・出産したというのだ。『読売新聞』が特ダネとして15日の紙面で報道し、翌日の朝刊で各紙が一斉に伝えている。『読売』の記事によると、これを行った医師は、「代理母が産んだ子を手放すのを拒むなどのトラブルを回避でき、代理出産のモデルケースになりうる」と言ったそうだが、「祖母が孫を産む」という前代未聞の技術を、そんな簡単に誉めるべきではないだろう。
 
 各紙の報道によると、この代理出産を実施したのは、長野県下諏訪町の諏訪マタニティークリニックの根津八紘院長である。同院長は、日本産科婦人科学会が禁じる代理出産を過去にも行っているので有名な人だ。同院長は、結婚後に子宮摘出手術を受けた30代の妻と、その実母の申し出を受けて、2004年に妻の卵子と夫の精子を体外受精させ、それによって得られた受精卵を妻の実母の子宮に移植した結果、昨年春に体重2400グラムの子が無事生まれたという。そして妻の実母は、生まれた子を戸籍上実子として届け出た後に、養子縁組によって遺伝上の夫婦の子とした。

 根津医師は、2001年5月、子宮を切除した女性の卵子を使い、その女性の実姉を代理母として国内で初めての代理出産を行ったが、そのケースと比べて今回のケースの方がいい、と次のように『読売新聞』に語っている--「女性の姉妹を代理母とすると、年若い姉妹の家庭が10カ月間も不自由を強いられるし、最悪の場合、お産で亡くなるかもしれない。一般論だが、もし姉妹と母親がともに代理母になると申し出た場合、私は母親を選ぶ」。また、この時期に過去の例を公表する理由については、向井さんらの子どもの出生届の受理命令に対して、「品川区が不服として抗告したことに憤りを感じた。国民にこの問題を議論してほしいと考えた」(『読売』)と述べている。
 
 議論という点では、私の立場は10月3日の本欄で確認した通りである。それは「親の立場」を最優先するのではなく、「子を親の幸福追求の手段とするべきでない」ということである。特に代理出産は、「生まれてくる子」に加えて、「代理母となる人間」を自分の手段として利用するのだから、「倫理性はさらに疑わしい」とも書いた。根津医師は、新聞のインタビューに対して、「母が娘のために危険性を認識していながら産む意思を、誰が止められるのか」(『読売』)と言っている。しかし、代理母が遺伝上の母の実母であるという今回のようなケースでは、高齢出産が原則であるから、妊娠にともなう母体へのリスクは飛躍的に高まる。それを「実母だからこそ危険負担を申し出たのだ」と言わんばかりに美談化するのは、患者の健康と生命を第一に考えるべき医師の発言としては疑問が残る。

 根津医師は、50代は普通でも脳血管などに問題が出てくるのに、妊娠・出産というストレスがこれに加わること、閉経後だから女性ホルモンの投与が必要なこと、出産後に更年期障害が起こり得ること、海外を含めて10数例しかないことなどを知っていた。また、今回の代理出産では、多胎妊娠の可能性があったことを忘れてはいけない。『朝日』の記事には、50代後半の母親の子宮に移植された受精卵の数は「2~3個」と書いてある。仮に多胎妊娠が起こって、すべての子を出産できない事情があれば“子の選別”が行われるのである。また、高齢出産から障害のある子が生まれる可能性があることは、周知の事実である。こういう様々な危険を知りながら、同医師は「それでも危険を冒す」方を選んだ。その選択の根拠とはいったい何だろう? それを考えると、私は、同医師が「子をほしい」という女性の立場に余りにも寄りすぎてしまい、医師として、科学者としての中立性を見失っているように感じられるのである。

 同医師は、16日付の『産経新聞』のインタビュー記事の中で、「子供を産みたい娘の気持ちを親の協力で解決できる。むしろ今後、実の母親による代理出産が定着し『親が子供の子を産まないのは愛がないこと』というような話にならないか心配だ」と言っている。これは無責任な発言だ。だいたい閉経後の親の代理出産は「親の協力」などという簡単なものではなく、「親の決死の覚悟」と言うべきだ。臓器提供や卵子提供でも問題になるのは、患者の近親者や利害関係者に対して心理的な圧力が加わることだ。自分の行為によって、親に「決死の覚悟」をさせる状況が生まれることを知りながら、それを「心配だ」というのはおかしい。心配ならば、そんな行為を初めからしなければいいのである。
 
 今回の事例でも、「子の立場」があまり考えられていないように思う。子の実母は、戸籍上は祖母である。その子を遺伝上の両親が“養子”としてもらっている。この事実を、成長した子が知る日が来るが、そのことの説明をどうするのかを聞かれて、根津医師はこう言っている--「(30代の)女性には『おばあちゃんのおかげで生まれた』と、子供にその意味がわからない段階でも説明するように言っているし、両親も了解している。最後は親子の関係で決まる」(『産経』)。あまりにも簡単な答えだと思う。これに対し、養親による「つぎき家族の会」の野口佳矢子氏は、「子どもが大きくなって真実を知ったとき、どう受け止めるだろうか。段階を追って告知するにしても、将来の子どもの気持を考えたら、祖母が代理母になる選択はできないと思う」(『朝日』)と言っている。
 
 以上のことを総合して言えば、私は今回の根津医師の行為に対して賛成することはできないのである。
 
谷口 雅宣

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2006年10月 6日

飼いネコをどうする?

 ネコなどペットと人間の関係については、本欄でも何回も触れてきた。例えば、5月26日にはノラネコに餌をやるべきかの話、8月25日には飼いネコに避妊手術をするより、生まれた子ネコを殺すという人の話などだ。人口の多い都会などでは、人間との関係が近いペットとのつき合い方が社会問題になる場合もある。また、人間のペットへの愛着が“ペット市場”や“ペット産業”を成立させ、ついにはペットの“不死”を夢見て、クローンを得たいと望む人も登場している。そんな中で、カリフォルニア州サンディエゴ市のバイテク企業が最近、人間にアレルギー反応を起こさない種類のネコを提供すると発表して話題を呼んでいる。10月6日付の『ヘラルド・トリビューン』紙が伝えている。

 それによると、この企業は「アラーカ(Allerca)」という名前で、この計画を10月初めに発表して以来、85カ国から問い合わせが殺到した。1匹の値段は4千ドル(約47万円)もするが注文が多く、入手までの期間は米国内で12~15カ月、ヨーロッパでは15~18カ月という。購入も簡単ではない。事前に同社の社員からインタビューを受けて、ネコを飼う動機、ネコへの態度、家族の状態、家の構造から敷物にいたるまで、飼い主の側の“適合度”がテストされるそうだ。ネコ好きの人はアメリカにも多く、推定で3千万匹のネコが飼われている。しかし、家に出入りする親戚や友人の中にネコ・アレルギーの人もいるから、飼いネコに薬を与えたり、空気清浄機を設置したりする出費がばかにならないという。だから、アレルギーを起こさないネコに4千ドルを支払うことは、さほど不合理ではないらしい。

 ネコが起こすアレルギー反応のほとんどは、ネコが体内で産生する「fel d 1」という蛋白質が原因だという。アラーカの科学者は、ごく少数のネコがこれを生み出す遺伝子に変異があることを発見し、その場合、変異遺伝子が生み出す蛋白質に対しては、人間がアレルギー反応を起こしにくいことを突き止めた。アラーカでは、多くの種類のネコの遺伝子を調べて、変異遺伝子をもつ種を特定して、その繁殖を行った。この変異種のネコを通常のネコと掛け合せると、子ネコはアレルギーを起こしにくいことも分かった。そこで、ここ数カ月間というもの、アラーカ社のネコたちは、秘密の場所で子孫の繁殖のために忙しい毎日を送っている。生まれた子ネコたちは、10~12週で去勢手術をされたうえで、注文先へ送られるという。

 ところで、9月23日付の『New Scientist』誌に、ペットと子どもの健康について興味ある話が載っていた。ネコやイヌを飼っている家の子どもは、そうでない家の子よりも健康状態がいいという結果が出ているのである。ウエスタン・オーストラリア大学(University of Western Australia)の研究によるもので、『Epidemiology and Infection』という医学誌(vol 134, p.926)に発表された。研究者らは、オーストラリア南部の4~6歳の子ども1千人近くにインタビューして、吐き気、下痢、嘔吐がないかどうかをを6週間にわたって調べたという。その結果、ペットのいる家の子はそうでない子に比べて、こういう症状が30%も少ないことが分かった。また、これより先に行われた研究(New Scientist, 7 September 2002, p. 24)では、最低2匹の動物を飼っている家の子どもは、そうでない子よりも最高で77%もアレルギー症状を示す確率が少ない、という結果が出ているらしい。

 アレルギー源であるはずのペットを飼っている家の子どもの方が、健康状態もよく、アレルギー反応も少ないという研究結果と、アレルギー源となる蛋白質を産生しないネコを売る商売は、矛盾しているように思える。イヌやネコは人間の胃腸炎の原因になるとの一般的な見方があるが、上記の研究をした科学者の解釈では、ペットのいる環境で育った子どもは、幼い頃から低レベルの細菌と接触してきたことで、免疫系が強化された可能性があるという。読者だったら、どちらの対策を講じるだろうか? (イヌ・ネコを飼わない私にとっては、興味本位の質問で申し訳ないが……)

谷口 雅宣

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2006年10月 3日

代理母をどう考えるか?

 タレントの向井亜紀さんと高田延彦さん夫妻が渡米して代理出産した子どもをめぐり、出生届の受理を命じた東京高裁の決定が話題になっている。向井さんを「母として認めろ」という決定である。日本では実質的に禁じられている代理出産をあえて海外で行ない、帰国して子どもを認知しろと裁判所に訴えるというのは、かなり強引な方法である。もし、国内法の中で代理出産が明確に禁じられていたならば、ありえない決定だ。裁判所は“法律の番人”であるはずだからだ。ということは、今回の決定(まだ最終とは言えないが)は、生殖補助医療をめぐる法律の未整備の間隙を突いて成り立った、かなり変則的な例と言える。
 
 9月30日の『朝日新聞』夕刊によると、今回の決定をした裁判長は、生まれてきた子どもの福祉を最優先に考え、出生届が受理されない状態では「子らは法律的に受け入れるところがない状態が続く」と指摘し、「子にとっては、(向井さん夫妻を)法律的な親と認めることを優先するべき状況で、(夫妻に)養育されることがもっとも福祉にかなう」と結論したらしい。このケースでは、代理母に移植した受精卵は向井さん夫婦のものであり、病気治療のために子宮摘出したという事情があり、さらに代理母に対する謝礼も高額でないことなどが考慮され、判決のような結論になったようだ。
 
 ところで、すでに報道されているように、日本の法務省の見解は「実際に出産した女性が母親」だというものであり、今回の高裁の決定とは正面から対立する。3日付の『産経新聞』によると、向井さんの出生届を受理しなかった品川区の担当者は、2日午後から法務局を訪れて、高裁の決定を不服として特別抗告するかどうかの協議を始めたという。この特別抗告の期限は10月10日だが、現在同区では前区長の死去に伴う区長選挙の真っ最中で、区長が不在だ。特別抗告をするかどうかの最終判断は法務省ではなく、区にあるそうだから、なかなか微妙な情勢にあると言える。
 
 私は、数年前に出した『今こそ自然から学ぼう』(2002年、生長の家刊)の中では、代理出産に関してあまり書いていない。しかし、精子や卵子の提供、受精卵の提供、卵子の遺伝子融合などの生殖補助医療技術を含めて、倫理的にどう考えるべきかの基準を1つ示した。それは、「子を親の幸福追求の手段とする」べきでないということである。これは、すでに現在いる自分の子が、多少なりとも自分の幸福追求の手段となっているとの現実があったとしても、それ以上に“罪”を重ねるなという意味である。代理出産の場合は、生まれてくる子に加えて、代理母となる人間を自分の手段として利用するという側面があるから、倫理性はさらに疑わしい。

 私は男だから自分で子を産んだ経験はないが、妻の体験を聞き、想像力を駆使して考えてみる限りでは、次のように言えると思う。「腹をいためる」という経験が、その後に来る「子育て」から切り離されて、一種の“労働”として他人に提供されることの影響は、予測できない。これは主として、代理母の心に及ぼす影響のことだが、子を得る側の女性についても、心理的な問題が生じる可能性は否定できない。そのことは当然、育てられる「子」の心理にも反映されるだろう。生物学的に言えば、人間が属する哺乳動物は、「哺乳」という子育ての過程と「妊娠・出産」とは切り離せない。それを「一連の過程」として何十万年も繰り返しながら進化したという事実の背後には、人間としての必然性があると思うのである。もっと簡単に言えば、人間には他の哺乳動物と共通した肉体的、心理的に密接な母子関係が必要であるということだ。

 授乳に母乳を使うか牛乳を使うかで、医学的にも心理的にも母子双方に違いが出るのである。だから、妊娠・出産から哺乳へと続く、もっと大きな自然の一連の過程を切り離す行為が、母子双方に予測できない影響を与えると考えない方がおかしいと思う。代理出産は、「私の子がほしい」という欲望のために、そんな行為を他人に求める技術である。技術があり、金があれば、どんな欲望も実現されるべきだというのは、倫理でも宗教でもないだろう。
 
谷口 雅宣

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2006年9月11日

受精卵を壊さないES細胞の道 (3)

 8月24日の本欄で、アメリカのバイオ企業が初期の受精卵から細胞1個を取り出して培養し、これをES細胞にする実験に成功した話を伝えた。これは“受精卵を壊さないES細胞”としてメディアに大々的に報道されたが、実は「受精卵を壊していた」ことが分かった。9月12日付のイギリスの科学誌『New Scientist』が伝えている。
 
 この研究はイギリスの科学誌『Nature』の8月21日号に発表されたものだが、その際、これを発表したアドバンスド・セル・テクノロジー社(Advanced Cell Technology)のボブ・ランザ氏(Bob Lanza)らは、ES細胞を得る一方で「受精卵には傷をつけなかった」と説明した。ところが、発表された論文を細かく読んで分かったことは、この研究では、着床前遺伝子診断(PGD, preimplantation genetic diagnosis)と同様に、8分割の状態になった受精卵から細胞を取り出すのだが、PGDが細胞を1個だけ取り出すのに対して、この研究では、同じ受精卵から何回も細胞を取り出していて、その結果、受精卵は死んでしまっていたことだ。ランザ氏の言い分は、「PGDは普通に行われている手法であり、受精卵は死ぬことはない。我々は、それと全く同じ方法で細胞を取り出しているから問題はない」というものらしい。
 
 だからこの研究では、厳密には、受精卵を壊さないでES細胞を得たとは言えない。『Nature』誌も報道発表を2回も訂正することになり、不名誉な結果となったらしい。受精卵の利用に反対するカトリックの側からは、「この研究で分かったことは結局、受精卵はより早期に殺すことができるということだけだ」と手厳しく批判されたそうだ。
 
 同じ『New Scientist』は、成人(体性)幹細胞を使った興味ある研究結果を伝えている。これまでの研究では、幹細胞を分化させるには化学物質を加えることが考えられていた。ところが、最近の『Cell』誌(vol 126, p.677)に載ったペンシルバニア大学のアダム・エングラー博士(Adam Engler)らの論文によると、骨髄から採った幹細胞は、それが置かれた環境の物理的な硬さの違いによって、柔らかい環境では神経細胞に、中間的硬度の環境では筋肉細胞に、そして骨と似た硬さの環境では骨の細胞に分化したという。骨髄の幹細胞は、軟骨、骨、筋肉、腱、靭帯(じんたい)、脂肪、そして一部の神経に分化することが分かっているが、今後の研究ではポリマーなどの硬度を工夫し、その環境下に幹細胞を置くことで、様々な細胞を作り出せる可能性が出てきたようだ。
 
 これらのことから分かるように、ES細胞の研究では「受精卵を壊す」あるいは「受精卵を傷つける」という倫理問題がまだ完全に解決していないのに対し、成人幹細胞の研究では、すでに様々な細胞に分化させる方法が確立しつつある。また、ES細胞から種々の細胞を分化したとしても、それを患者に移植する際には拒絶反応の問題が残っている。これを解決するために人クローン胚の作成が数年前から試みられているが、いまだに成功例はない。再生医療の分野では、倫理的、医学的問題の多いES細胞の研究より、それらが少ない成人幹細胞の研究を集中して行うことを提言する所以である。

谷口 雅宣
 

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2006年8月23日

脳細胞はどんどん再生する?

 今年に入って再生医療の分野での新しい研究成果が相次いで発表されている。本欄でも、それらを発表のつど報告するようにしているが、きっと漏れているものもあるだろう。以下、本欄で扱ったものを古いものから順に列挙すると……

①ドイツの研究グループが、マウスの精原細胞からES細胞に似た多分化能のある幹細胞を作成することに成功--4月6日。
②ヒトES細胞から効率よく神経細胞を得る方法を理化学研究所と京都府立医科大学の研究グループが開発。人間の羊膜上で培養することで、9割以上の確率で神経幹細胞を育てることに成功。--6月6日。
③日本政府は従来、“クローン人間”作成につながるとして人のクローン胚研究を禁じていたが、厳しい条件を付けたうえで、不要となった卵子を使うES細胞作成に道を開こうとしている--6月20日。
④京都大学の山中伸弥教授が、マウスの皮膚細胞の遺伝子を操作することで、ES細胞に酷似した状態(人工幹細胞)を実現--7月17日。
⑤体細胞の遺伝情報を初期化・再プログラム化して作成する人工幹細胞と毛包細胞は、再生医療に有望--7月18日。
⑥ブッシュ大統領、ES細胞研究の財政支援拡充法案に初めての拒否権を行使--7月20日。
⑦再生医療に使える幹細胞は脳、骨髄、髪、皮膚、脂肪、歯胚、臍帯血,生殖器……など相当の種類に及ぶ--7月27日。

 この流れを見ると、受精卵や卵子を使ったES細胞の研究と併行して、体中にある幹細胞を利用した再生医療、さらに最近では普通の体細胞(この場合は皮膚)の遺伝子操作で人工的に幹細胞をつくる方法も開発されつつあることが分かる。ただし、最後の例はネズミでの成功例で、人間への応用はまだこれからだ。また、再生医療の目指す方向の1つに「神経細胞の再生」があることは強調されていい。というのは、神経細胞の欠損による半身不随や痴呆などの障害は永く「治らない」とされてきたからだ。これが再生可能になれば、多くの人々に光明を与える。アメリカのレーガン元大統領、俳優のクリストファー・リーブやマイケル・J・フォックスがES細胞の研究推進派の“広告塔”のようになってきたのも、彼らが「神経系」の障害をもっていたことが大きな理由である。
 
 とすると、「神経細胞を再生させる」方法が見つかれば、卵子や受精卵を使うES細胞研究の意味の大半は失われてしまうのではないか。特に卵子や受精卵を使う場合、患者の遺伝子に適合性させるためのクローン胚作成の過程は、非常に効率が悪い。ここから様々な倫理的問題も過去には生まれている。そう考えると、患者の神経細胞を直接操作して再生を促す方法に活路を見出そうとする人がいても、おかしくない。8月16日付の Newswise と同18日付の『New Scientist』のニュースは、まさにそんな研究で驚くべき成果が出ていることを報じている。

 しかし……この方法は「人間の脳細胞をマウスの脳の中に入れる」というのだから、私は考え込んでしまう。またこの方法は、卵子や受精卵などの生殖細胞を一切使わず、大人の患者の脳をそのまま使うのだから、拒絶反応の問題も生じないようだ。上記の報道によると、フロリダ大学のマックナイト脳研究所(McKnight Brain Institute)のデニス・スタインドラー博士(Dennis Steindler)らの研究グループは、人間の大人の脳細胞をマウスの脳に入れると、人間の脳は新しい神経細胞を生み出し、ネズミの脳の様々な部分に適合するように分化したという。また、この研究グループは、1個の人間の大人の神経細胞を培養操作することで、何百万もの新しい神経細胞が生成されることも確認した。このことから、同博士らは、普通の人間の脳細胞には幹細胞と同等の自己再生力と分化能力がある、と結論している。これは、神経細胞についてのこれまでの医学の常識を覆す研究と言えるかもしれない。
 
 この方法によって、体外で脳細胞を大量に増殖できることになれば、アルツハイマー病やパーキンソン病で欠損した脳の治療に、患者自身の脳が利用できる可能性がある。そうなれば、前述したES細胞研究に与える影響も少なくないだろう。科学技術の研究からは、本当に何が飛び出すか分からないとつくづく思うのである。
 
谷口 雅宣

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2006年7月27日

幹細胞は体中にある

 本欄では、受精卵や卵子を使うES細胞(胚性幹細胞)の研究に反対し、患者本人の体にある成人幹細胞を治療に利用する研究を「より倫理的」と考えて推奨してきた。そして、7月17~18日にかけて、成人幹細胞の研究例を振り返ってみた。そういう有望な幹細胞が存在することが分かっている体の部位を列挙すると、脳、骨髄、髪、皮膚、脂肪、歯胚、臍帯血,生殖器……など相当の種類に及ぶ。最近では、「間葉系幹細胞」と呼ばれる幹細胞が注目されているようで、これは骨髄だけでなく子宮内膜にもあることが分かり、研究が進んでいるらしい。成人幹細胞は、だから「全身に散在している」と表現してもいいだろう。

 7月25日付の『朝日新聞』の夕刊によると、国立成育医療センター研究所などは、難病の筋ジストロフィーの治療に子宮内膜の細胞に含まれる幹細胞が効果的であることを、マウスの実験によって証明したという。また、同24日に『日本経済新聞』が伝えたところでは、京大の研究グループは、急性心筋梗塞のために、骨髄中の幹細胞移植に遺伝子治療を組み合わせた効果的な治療法を開発したそうだ。また、今年3月に発表された例では、独立行政法人の産業技術総合研究所で、抜歯した親知らずにある歯胚から取り出した幹細胞から、骨、肝臓、神経の細胞を分化させることに成功している。同研究所では、2001年から患者の骨髄内の幹細胞を使って骨や関節疾患、心疾患の患者の治療を行ってきた。しかし、骨髄液の採取は患者への負担が大きいため、歯科で抜歯され廃棄された親知らずに注目し、幹細胞の利用技術を開発したという。

 さらに25日付の『日経』には、神戸のベンチャー企業「ステムセルサイエンス社」が、フランスのニース大学と国立科学研究センター(CNRS)から人の幹細胞を培養し、独占販売する権利を取得したと書いてある。この幹細胞は「ヒト脂肪細胞由来多能性幹細胞」(hMADS細胞)というらしい。同社によると、これは人間の脂肪組織中に存在する細胞で、試験管内で容易に培養でき、医薬品の開発に有効な研究材料として価値があるそうだ。具体的には、脂肪や骨に効率よく分化することが確認されていて、糖尿病や肥満や骨粗鬆症等の疾患に対する治療薬の研究に適しているという。こういう成人幹細胞が、すでに国際的取引の対象になっているのだ。同社は、昨年11月にニース大からこの幹細胞を筋ジストロフィーの治療に使う権利を得ていて、この研究をさらに進める過程で高品質の細胞を得られるため、その細胞自体を外部に販売することにしたという。2年後には5千万円の売り上げを目指すというから、将来の需要を見込んだビジネスと言えよう。

 私がここで強調したいのは、人間のES細胞を使った再生医療の成功例はまだ存在しないのに対し、成人幹細胞を使った治療はすでに普通に行われており、成功例も数多いということだ。前者では卵子や受精卵を入手する際に倫理問題が多く、その影響もあって提供数が絶対的に少ない。これに対し後者では倫理問題はそれほどなく、患者自身の細胞を使う点でより安全であり、また臍帯血や皮膚、歯胚など、提供者の負担が少なく入手が簡単である。これだけ有利な方法が現に存在し、成果を出しつつあるのに、問題の多いES細胞の研究に力を注ぐ意義が、私にはよく分からない。医学はかつて「医道」とも呼ばれ、倫理性が前提となっていたのだから、21世紀の医療も倫理を尊ぶ伝統を堅持してほしいものだ。

谷口 雅宣

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2006年7月20日

ブッシュ氏、ES細胞研究支援にノー

 米大統領のブッシュ氏が、胚性幹細胞(ES細胞)の研究に対する国の財政支援拡充法案に拒否権を発動した。この法案は昨年5月に連邦下院で可決しており、上院では18日(現地時間)に「63対37」で可決した。ブッシュ氏は少数意見に与し、しかも就任以来初めての拒否権発動といことだから、実に明確な「ノー」の意思表明である。ブッシュ氏は、イラク戦争などで“単独行動”を批判され、最近は態度軟化が言われてきたが、「正しい」と思うことは多少の反対を押し切って強引にやるところは、まだ変わっていないようだ。私は、ブッシュ氏の環境問題やテロに対する態度には批判的だが、ことES細胞に関しては、氏の決断を声を大にして讃えたい。

 ブッシュ大統領の拒否権発動について、新聞などは「11月の中間選挙を前に、支持基盤の宗教右派へ配慮した」(19日『朝日』)などと分析しているが、本欄でも書いたように、宗教右派の一部は環境問題への取り組みでブッシュ氏を批判しているし、共和党も、19人がこの法案に賛成するなど分裂している。だから、この問題で内部分裂した自派への“配慮”というよりは、彼の“信仰心”が法案拒否の最大の動機ではないだろうか。
 
 今日(20日)に放映されたABCニュースでは、大統領は拒否権発動の理由をこう説明した--「この法案は、他の人々の医療上の利益を見つけるために無辜の人命を奪うことを支援することになります。それは、健全なアメリカ社会が敬うべき道徳的境界を越えるものだから、私は拒否しました」(This bill would support the taking of innocent human life in the hope of finding medical benefits for others. It crosses a moral boundary that our decent society needs to respect, so I vetoed it.)
 
 この法案の内容を私は詳しく知らないが、大統領は「受精卵を破壊してES細胞を作る」ことを指して「無辜の人命を奪う」と言っているのだろう。ES細胞の“出所”としてよく候補に上がるのは「不妊治療で作られた受精卵のうち、不要になったもの」(凍結余剰胚)だから、「どうせ廃棄されるものなら、人助けに使ってもいいだろう」と考える人が多いのである。ところが大統領は、この日、そういう凍結余剰胚を“養子”として引き取り、妊娠後に健康な赤ちゃんとして産まれた子供と、その親たちを会見場に招待して、次のように言った:
 
「ここにいる子供たちは皆、人工授精による凍結受精卵として人生を始めました。この凍結受精卵は皆、不妊治療が終ったあと使われなかったものです。この子たちは皆、受精卵である時に養子となり、愛に満ちた家庭で育つ幸せに恵まれました。この子たちは、予備の部品なんかじゃありません。この子たちを見れば、研究目的で受精卵が破壊される時に何が失われるかが分かります。この子たちを見れば、我々は皆、最初は小さな細胞の塊として命を始めることが分かります。そして、この子たちを見れば、我々が新しい治療法を探すことに熱心なあまり、わが国全体が根本的な道徳を放棄してはいけないということが分かります。」

 大統領はこの日、別の一団の人々も会場に招いていた。それは、受精卵を破壊しなくても利用できる成人幹細胞(adult stem cells)や、ヘソの緒中にある臍帯血幹細胞による治療で健康になった人々である。そして、「この人たちは、効果的な医療は倫理的でありえると教える生きた証人です」と紹介した。続いて大統領は、成人幹細胞がES細胞と同様に効果的な治療法を生む可能性に触れ、「科学者たちが研究中のある治療法では、通常の体細胞をプログラムしなおす」技術があるとし、その例として、「皮膚の細胞がES細胞と似たように機能する」ことを挙げた。これはまさに、18日の本欄で扱った「人工幹細胞」のことである。
 
 このように、国の中心者が倫理基準を明確にしたうえで政策決定をするという点を、わが国も見習うべきだと思う。特に生命倫理の分野での国の対応の「あいまいさ」と「遅さ」は、早急に改善してほしいものだ。
 
 谷口 雅宣

【参考資料】
○"President Discusses Stem Cell Research Policy," http://www.whitehouse.gov/news/releases/2006/07/20060719-3.html

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2006年7月18日

人工幹細胞と毛包細胞

 前回の本欄では、京都大学の山中伸弥教授が、マウスの皮膚細胞の遺伝子を操作することで、ES細胞に酷似した状態を実現した話を書いた。このことと、同大再生医科学研究所の中辻憲夫所長がヒトクローン胚研究を中止したことが、何か関係があるように書いたが、これはあくまでも私の勝手な憶測である。しかし、中辻所長の発表を伝える『京都新聞』の記事には、研究中止の理由として、「ヒトクローン胚を使わないで移植治療の拒絶反応を回避する方法にも可能性がある」ことが挙げられており、その方法の例として「体細胞の遺伝情報を初期化・再プログラム化して作成する人工幹細胞」と書かれているのが、私の目に留まったのである。この「人工幹細胞」という言葉は、私には初耳だった。

 そこでインターネットを調べてみると、上記の山中教授の所属する再生医科学研究所が行っている「再生誘導研究」についての説明を見つけた。これがまさに「人工幹細胞」を作る研究で、前回触れた『Science』誌の記事は、そのマウスでの成功を取り上げていたのだった。これはビッグニュースであるはずだが、日本のテレビや新聞は報道しなかったようだ。(少なくとも、私の目には留まらなかった。)
 
 京大再生医科学研究所のウェッブサイトによると、山中教授はES細胞がヒト胚(受精卵)を破壊するという倫理問題を抱えているうえ、患者に移植すると拒絶反応を起こすという問題があるため、「患者自身の体細胞をES細胞に変える」研究に取り組んでいるようだ。山中教授自身の言では、「患者自身の細胞からES細胞に類似した多能性と増殖能を有し、腫瘍形成能は持たない幹細胞を樹立することを目標に研究を行って」いるという。「腫瘍形成能」というのは「ガン化する」という意味だ。培養すればどんどん増殖し、様々な細胞に分化する能力があるが、ガン化しないものを遺伝子操作によって人工的に作るということだろう。素人の私から見れば「魔法」のように見える研究だが、それが決して魔法でないことは、前回触れたマウスでの実績が証明している。

 このように、ある研究が「有望だ」とか「可能性が大きい」という理由だけで跳びつくのではなく、倫理問題を起こさないように配慮して研究領域を選び、多少困難であっても新しい可能性に挑戦することは、素晴らしいと思う。そういう研究者が日本にもいて、一定の成果を挙げていることを知り、心強く思った。
 
 ところで、同じ幹細胞の研究では、髪の毛の付け根にある「毛包」から、各種の細胞を分化させるという、これまた(素人目には)“魔法”のような可能性も見えてきている。これは7月12日付で科学ニュースを扱う Newswise が発表したもので、ペンシルバニア大学医科学校の研究者グループは、毛包にある成人幹細胞を培養して神経細胞、平滑筋細胞、皮膚の色素細胞など、何種類もの細胞に分化させることに成功したという。研究成果は、最新号の American Journal of Pathology (アメリカ病理学雑誌)に発表された。
 
 髪の毛包から成人幹細胞が採れることは、専門家の間ではよく知られているらしい。髪の毛包には2~5年間の活動期と3~4ヵ月の休止期が交互にあって、活動期には、髪はここから毎日平均で0.3~0.5ミリ伸びるというから、細胞分裂が盛んな場所であることが分かる。これを、人のES細胞を培養するのと同様の条件下に置くことで、研究グループは様々の細胞に分化させることに成功した。
 
 ここで紹介した人工幹細胞も毛包幹細胞も、いずれも「皮膚」の細胞である。採取は簡単であり、生命の破壊につながらない。こういう“倫理的”な技術を、医学がもっと積極的に採用するようになれば、社会の医療への信頼感はさらに深まっていくと思うのだが……。
 
谷口 雅宣

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2006年7月17日

クローニングはもう不要?

 1996年7月5日、イギリスで生まれた1頭の雌羊が世界を揺るがした。人類が初めて、体細胞クローニングの技術によって哺乳動物のコピーを誕生させたからだ。この「ドリー」の誕生10年を記念して、イギリスの科学誌『New Scientist』は7月1日号で特集を組んだ。「クローニングの夢は潰(つい)えたか?」という題だから、あまり楽観的な評価ではない。私としては人間のクローン作成など反対だし、ES細胞の研究にも反対しているから、「潰えた」と断定してほしいところだが、治療目的のクローニング(therapeutic cloning)を夢見る人はまだ数が多いから、「潰えた」との断定は非情なのかもしれない。

 体細胞クローン技術を使った再生医療の動向については、本欄で何回も取り上げてきた。しかし、ヒツジに続いてマウス(1998年12月)、ヤギ(1999年4月)、ブタ(2000年3月)、ネコ(2001年12月)、ウマ(2003年5月)、シカ(同)、ラバ(同)のクローンは誕生したが、同じ技術によって「ヒトクローン胚」という人間の胚を作成する技術は、あまり進歩していないようだ。「大進歩があった」として昨年5月に騒がれた韓国の研究では、データが捏造され、ヒトクローン胚からはES細胞自体が作成されなかったことが判明した。だから、この技術の人への応用がいかに難しいかがわかる。

 ドリーの研究では、277個の乳腺細胞から核を取り出し、それを除核卵細胞に注入した。そのうち、代理母の胎内に移植できるまでに成長したのは29個であり、そこからわずか1頭のヒツジが誕生している。その後の動物では多少、効率が向上したものの、本質的にはこの技術の成功率の悪さは変わっていない。これを人間で行おうとすると、何百もの新鮮な卵子の入手をどうするかが大きな問題となり、この点でも、韓国の研究は深刻な倫理問題を抱えていた。だから、体細胞クローン技術を使ったES細胞の研究は、大きな“壁”に突き当たっていると言えるだろう。

 これに対し、ES細胞その他の幹細胞から、神経細胞や皮膚細胞などの各種の細胞を分化させる技術は進歩してきている。ES細胞からは、インシュリンを産生する細胞、心筋細胞、神経細胞、筋肉細胞などがすでに生まれている。昨年6月20日の本欄では、アメリカでマウスの脳にある成人幹細胞から神経細胞を分化させたことを報告した。また、8月29日の本欄では、埼玉医大が患者本人の骨髄中の幹細胞を使って心筋梗塞の治療に成功したことと、既存のES細胞から患者に合致する多種の細胞を効率よく分化させる方法が開発されたことを書いた。また、今年4月6日の本欄では、ドイツの研究グループが、マウスの精原細胞からES細胞に似た多分化能のある幹細胞を作成したというニュースを報告した。さらに6月6日には、人間のES細胞から効率よく神経細胞を作り出す技術を、理化学研究所と京都府立医科大学の研究グループが開発したと伝えた。
 
 ところで、7月7日付の『Science』(vol.313, p.27)には、今年6月29日から7月1日までカナダのトロントで行われた第4回国際幹細胞研究協会(International Society for Stem Cell Research)の年次会議で、京都大学の山中伸弥教授が、マウスの皮膚細胞の4つの遺伝子を操作することで、ES細胞に酷似した状態を実現することができると発表した、と書いてある。これが事実ならば、驚くべきことだ。もちろん、人間の細胞がマウスと同じように操作できるとは限らないが、人で同じことができるようになれば、事態は一変する。なぜなら、ES細胞(に等しい細胞)を入手するためには、もはや卵子はいらず、成人幹細胞もいらず、普通の皮膚細胞があればいいからだ。こうなれば、治療目的のクローニング--つまり、ヒトクローン胚の研究--は全く不要となるのではないか。
 
 6月20日の本欄では、文部科学省の専門家作業部会が決定したヒトクローン胚研究の指針案の内容について報告したが、この指針案が厳しすぎるとして体細胞クローンからES細胞を作る研究を断念する研究者も出てきている。京都大学再生医科学研究所の中辻憲夫所長は、日本でのES細胞研究の第一人者だが、7月14日の『京都新聞』によると、ヒトクローン胚を使った再生医療研究には、研究グループとして当面取り組まないことを、13日に明らかにした。中辻所長は山中教授と同じ京都大学で、研究分野も同じだから、ひょっとしたら別の方法に注目し、クローニングの研究自体には見切りをつけたのかもしれない。
 
谷口 雅宣

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2006年6月20日

人間のクローン胚研究へ道

 ES(胚性)細胞の研究は、韓国のファン・ウー・ソク元教授による研究データ捏造事件の影響でこのところ下火になっていたが、日本では行政がその“後押し”に動き出した。文部科学省は今日(20日)、専門家作業部会を開いて、人間のクローン胚を作成する研究の“解禁”に向けた指針案をまとめた。これまでの指針は、人のクローン胚は“クローン人間”作成につながるとして研究を禁じていたが、韓国の事件の教訓を取り入れて厳しい条件を付けたうえで、不妊治療などで不要となった卵子を使うES細胞作成に道を開こうとしている。『日本経済新聞』が夕刊で報じた。

「クローン胚」とは、特定の人間の遺伝子情報をもった胚(胎児の初期のもの)のことである。現在の主流的な方法では、これを作成するには、ある人の体細胞(皮膚の細胞など)の細胞核を抜き取り、卵子から核を除いたものの中にそれを注入し、電気ショックなどを与えて両者を融合させる。これによって、融合した細胞は稀に分裂を始めるが、それが「胚盤胞」と呼ばれる段階にまで達したものを「クローン胚」と呼ぶ。この特殊な胚の中身を取り出したものが「ES細胞」だ。クローン胚を壊さずに女性の胎内に移植し、そこで成長が始まれば“クローン人間”が誕生すると考えられている。

 6月6日の本欄では、理化学研究所などがES細胞から効率よく神経細胞を取り出す技術を開発したことを書いたが、クローン胚の研究は、卵子を使ってES細胞を作成するためのものだ。「体細胞+卵子 → クローン胚 → ES細胞 → 神経細胞」という技術が完成すれば、アルツハイマー病やパーキンソン病などの脳神経系の病気の治療に画期的な進歩をもたらす、と考えられている。しかし、その一方で、上記の韓国の事件にあったように、成果を急ぐあまり、大量の卵子提供を受けたり、それに対して金銭的対価が支払われたり、研究データが捏造されたりした。今回の指針案では、卵子の入手方法に厳しい条件をつけながら、これまで禁止されてきた人のクローン胚作成への道を開き、ES細胞研究にはずみをつけようとするものだ。
 
『日経』の記事によると、その条件とは、①卵子提供の場にはコーディネーター(相談役)を置くこと、②ボランティアからの卵子提供の禁止、③研究チームに所属する女性や研究者の家族などからの卵子提供の禁止、④サルのクローン胚作成に成功している場合、⑤サルのクローン胚からES細胞を作成した経験が豊富な場合、など。ES細胞の研究促進を求める立場の人々からは「条件が厳しすぎる」との批判があるようだが、医療目的のために、他人の生殖細胞の操作や改変を行うことは、倫理的にあまり好ましいとは言えない。宗教的な観点から言えば、拙著『今こそ自然から学ぼう』(2002年、生長の家刊)で述べたように、クローン胚は、肉体製造装置としての能力を発揮しはじめた時点から「霊魂」の関与が始まったと見られるから、「それ自身が生きる」という生命本来の目的以外の目的で、他人が利用するのは間違いである。(詳しくは、同書pp.266-274参照)
 
 同書にも書いたように、私は再生医療の研究にすべて反対しているのではなく、「倫理的、宗教的に問題の多い方法」に反対しているのだ。今は、患者本人の体内にある「成人幹細胞」を利用することで、遺伝子の操作をせずに、他人の心身を傷つけることもなく、各種の細胞が再生できることが分かってきている。技術はまだ発展途上にあるが、ES細胞の研究にしても、同様に発展途上にある。3月9日の『日経』(夕刊)は、この分野での研究成果を伝えていて、関西医科大では臍帯(さいたい)血--ヘソの緒の中の血液--中の細胞でマウスの網膜の一部を再生させており、理化学研究所や名古屋大学などが参加する厚生労働省研究班は、驚くことに「尿」の中の細胞を腎臓の一部に変化させることに成功している。

 ES細胞の研究ではなく、このような研究に人材と資金とを集中させる方が、生命の犠牲が少なく、かつ社会の反対も少なく、さらに“倫理的社会”の成立に貢献することになるのではないか。

谷口 雅宣

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2006年5月17日

不妊治療の進歩の陰に

 不妊治療に「胚盤胞移植」というのがあることを、初めて知った。「胚盤胞」とは、卵子が受精後5~6日たったとき、受精卵の内壁に将来、胎児に育つ細胞群が固まって形成された状態のものを言う。この細胞群を取り出して培養できる状態になったものが有名な「ES(胚性幹)細胞」である。胚盤胞移植というのは、体外受精後、胚盤胞の状態にまで育った受精卵を子宮に移植することである。これによって子宮への着床率が向上するというのが、メリットとして挙げられている。5月16日の『日本経済新聞』(夕刊)によると、通常の体外受精--2~3日の培養で子宮へ移植--では妊娠率が20%なのに対し、胚盤胞移植だと30%に向上するらしい。そして、平成15年に生まれた新生児の65人に1人は、その他の方法を含めた体外受精によって生まれているという。
 
 私は現代の日本で、これだけ多くの子が不妊治療を経て生まれているのを知らなかった。日本産科婦人科学会の報告書によると、平成15年に各種不妊治療で誕生した出生児の数は、以下の通りである:
 
 ①新鮮胚(卵)によるもの
  (顕微授精を含まない)        6,608
 ②顕微授精(新鮮卵)による     5,994
 ③凍結胚(受精卵)による
  (顕微授精を含む)            4,793
 ④未受精凍結卵による
  (顕微授精による)               5
                     (合計) 17,400

 ところで、胚盤胞移植の妊娠率をさらに向上させるためには、「凍結融解胚盤胞移植」という方法があるそうだ。これは、胚盤胞まで育った受精卵を一度凍結保存しておき、月経の周期に合わせて(またはホルモン投与によって)最も妊娠しやすい時期に解凍し、移植する方法である。生きた受精卵を凍結するからリスクが増えると思いきや、2~3日の受精卵よりも胚盤胞の段階での凍結の方が、解凍時に胚の質の確認がしやすいので着床率が向上するらしい。最近では、体外受精で1人目の子の出産に成功した人が、そのときの“余剰胚”を凍結保存しておき、数年後にそれを移植して2人目を得るケースも珍しくないという。特に、1人目と2人目の子の間が離れている場合--例えば、1人目を早く生んだ後、仕事のため妊娠を避けていた場合--35歳以上の女性の卵は急速に老化するため、若い頃の凍結受精卵を使う方が有効だという。
 
 こういう技術の進展によって、一昔前には妊娠を諦めねばならなかった女性たちが、自らの子をもてることは喜ばしいことかもしれない。が、その一方で、昔は“ブラック・ボックス”で人の介入ができなかった受精・妊娠・出産の過程がより明らかとなり、それへの人為的介入の機会が増えてきたことで、「どこまで介入し、どこから介入できないか」という新たな倫理的問題が生まれている。例えば、上記の凍結受精卵の問題では、1組のカップルが若い頃に受精卵を凍結した後、数年後に別れたり、離婚したり、あるいは一方が病気や事故で死亡した場合、受精卵の扱いはどうなるのか。一方に無断で妊娠できるのか。廃棄には双方の承認が必要か。受精卵に遺言で財産分与ができるのか……等々、倫理的、法的問題の解決が求められるだろう。
 
 実際、同学会の「平成16年度事業報告」にも書かれているが、香川県高松市の産婦人科医は、死亡した夫の凍結保存精子を用いた体外受精・胚移植を実施していたことで、同学会の会告に違反したとして厳重注意されている。この場合、妻と相手の男性は結婚していなかったことが問題になったが、さらに調査の結果、体外受精と胚移植の時点で、夫の死亡を知らなかったという事実が判明したという。社会の複雑化とともに、生殖医療についての倫理問題もますます複雑化する。不妊治療の進歩の陰には「人間の命を手段として操作する」という倫理問題がある。また、「受精卵や胎児に人権はあるか?」という宗教とも深く関連した問題が横たわっているのである。
 
谷口 雅宣

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2006年5月 6日

現代の“象男”の悲劇

 5月1日の生長の家白鳩会全国大会の講話で、「エレファントマン」のことに触れた。象のような顔をした人のことで、1980年に制作された同名の映画で一躍有名になった。ヴィクトリア時代の実在の人物がモデルである。その醜い容姿のために、旅芸人一座の見世物として動物同様にに扱われていたところを、心ある医師に救い出され、やがてその醜悪な容姿の奥に隠された尊い“人間性”が明らかになってくる……そんなストーリーだ。肉体の外観と、内在する本性との対照が印象的で、同大会のテキストに使われた『新版 叡智の断片』(谷口雅春著、日本教文社刊)の中の「膿滴々地」の公案と好一対をなすと感じたため、そのことに触れたのだった。
 
 唐の時代にいた禅僧、玄沙(げんさ)が誤って薬を服したところ、全身が赤く爛(ただ)れてしまったという。それを見た僧が、「いつも先生が説いている堅固法身(けんごほっしん)はどうなってしまったのですか?」と問う。すると玄沙和尚は、「それは膿滴々地(のうてきてきじ)だ」と答える--その意味を考えよ、という公案である。「膿滴々地」とは、体から出る膿(うみ)がポタポタと滴っている様子を指す。そのことと、壊れない堅固身である人間の本性とは、一体どんな関係があるか、という問いかけである。

 ところで、現代にもエレファントマンが生まれたという話を、そのときした。これは、新薬の試験のための実験台を申し出たボランティアの中に、薬の成分に過剰反応をした人が出て、集中治療室に担ぎ込まれるなど大騒ぎになった話だ。今年の3月半ばに、イギリスで実際に起こったことだ。
 
 CNNの3月16日の報道によると、実験台を申し出たボランティアのうち6人が、ロンドンのノースウィック・パーク病院(Northwick Park Hospital)から別の病院の集中治療室に13日の夜に担ぎ込まれ、そのうちの1人は、面会した友人の言葉によると「エレファントマンに似た状態」になっていたという。つまり、頭と首が通常の大きさの3倍に膨れ上がっていたというのである。被害に遭ったのは、ボストンに本社のあるパレクセル・インターナショナル(Parexel International)という医療研究機関が行っていた新薬実験に参加していた人々で、この新薬は慢性的炎症と白血病の治療薬としてドイツのテジェネロ社(TeGenero)が開発した「TGN1412」という抗体だったそうだ。
 
 実験台になる人々は、事前に健康診断をしており、健康体であることは確認されていた。実験する側の医師も、新薬に対して人間の体がこれほど激烈な反応を示すことなど全く予想できなかったという。しかし、現実にこのような不幸なことが起こっているのだから、現代の発達した医学といえども、人間の体の内部のことはまだまだ分かっていないのだと思い知らされる。
 
 本欄では、過去何回か「プラシーボ効果」のことを扱ったが、今回のケースは「心」の問題はあまり関係していないようだ。というのは、この新薬の実験には8人のボランティアが参加し、そのうち2人にプラシーボ(偽薬)が処方されたが、この2人は全く無事だったからだ。実験側の医師の言ったことが本当なら、彼らも新薬の危険性を知らず、ボランティアもそれを予想しなかった(予想したら薬を服用しないはずだから)のだから、心によって激烈な反応が起こったという可能性は考えられない。心の力の関与がなく、薬品の化学的性質のみによって、人間の体が大きく影響されるということは実際にあるのだと思う。

谷口 雅宣

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2006年4月 6日

男にも再生の道?

 ES(胚性幹)細胞の研究については、韓国のファン・ウー・ソク教授が関わった“捏造論文”の影響が尾を引いているのか、最近はあまり話題にならないようだ。その代わり、別の方法でES細胞に似た能力をもつ細胞をオスの生殖器から作成する方法が開発されたらしい。ただし、まだ人間の細胞を扱うのではなく、マウスの段階での研究である。しかし、これが人間に応用できるようになれば、従来のES細胞のような倫理問題を起こさずに、再生医療に役立つ可能性がある。

 ES細胞や体細胞クローンの作成にあたっては、これまでは受精卵や卵子が使われ、精子は使われなかったことはご存じだろう。私は、このことをかねてから不思議に思っていた。人間も動物も、生殖器官を除いては、オスとメスは基本的に同じ体の構造であり、遺伝子もXY染色体を除いては同じである。“下等”と言われる動物の中には、オスとメスが容易に入れ替るものもあり、植物には雌雄同体は珍しくない。一つの生物種の中では、オスとメスは単にバリエーションの違いであり、本質的な差異ではない。人間の体内にある成人幹細胞も、男のものも女のものも、多種類の組織や臓器に分化する脳力を等しくもっている。だから、オス(男)の生殖細胞からもES細胞に似たものができて不思議はないはずだ--こんな疑問である。
 
 そんなところへ、ドイツの研究チームがマウスの精原細胞(spermatogonial cells)からES細胞に似た幹細胞を得ることに成功した、という話が飛び込んできた。3月24日の『New Scientist』のニュースが伝えている。もしこれと同じ方法が人間で可能ならば、男性の患者は、自分の体のスペアを自分自身から比較的簡単に得る道が開かれることになる。また、ES細胞作成に当っては、これまでは受精卵や卵を破壊することが不可避だったため倫理問題を起こしてきたが、この方法が確立すれば、そういう問題がかなり軽減すると思われる。
 
 この研究は、ゲオルグ-アウグスト大学のゲルド・ハッセンファス教授(Gerd Hasenfuss)らのチームの手になるもの。彼らは、マウスの睾丸から精原細胞を取り出し、それを成長ホルモンや栄養素の中で培養することで、精子に分化させずにES細胞のような多分化型の幹細胞(multipotent adult germline stem cells)を作ることに成功した。ハッセンファス教授によると、その幹細胞は心筋細胞、血管細胞、神経細胞、皮膚細胞、そして肝細胞など、あらゆる種類の細胞に変化させることができるという。精原細胞は、精子になる前の段階の細胞で、これを取り出すことは、ガン治療の際や不妊治療等で普通に行われているというから、特に難しい技術ではないという。
 
 しかし……と私は考え込んでしまう。自分の生殖器から取り出した細胞を培養して、自分の体内の別の場所の補修に使うことが本当にできるのだろうか? もしそれが可能なら、自然状態でなぜそれが起こらないのだろう? 言い換えると、そういうメカニズムが何十万年という人類の進化の過程で、どうして体内に整備されてこなかったのだろう、と思う。肉体内部の諸組織や諸器官相互の精緻で複雑極まりないオーケストレーションを考えると、そういう内在のメカニズムよりも、人間が外から器具や機械を使って操作する方法の方が優れていると、どうして言えるのだろう? 医学の世界は、わからないことだらけである。
 
谷口 雅宣

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2006年4月 4日

鳥インフルエンザは恐くない? (2)

 3月28日の本欄で、現在世界各地で流行中の強毒性の鳥インフルエンザの人間への感染について“楽観論”を紹介した。つまり、これまでの経緯を見ると、鳥から人間への感染率は極めて小さいので、このウイルスが人から人へ感染するタイプに変異するのはきわめて難しい、という考え方である。この楽観論は、主として統計的な見地から導き出されたものだろうが、同じような結論を医学的見地から導き出した研究グループが、それをイギリスの科学誌『Nature』の3月23日号に発表した。研究の要約も入手できる。
 
 この研究グループは、ウィスコンシン-マディソン大学獣医学校のウイルス学者、河岡義裕教授が率いるグループで、強毒性のH5N1型鳥インフルエンザ・ウイルスが感染するためのレセプター(ウイルスの入口)は、人間の場合は呼吸器系の深奥部に多いが、上層部にはめったにないことを、人間の細胞を使った実験によって証明した。インフルエンザ・ウイルスが人から人へ感染するためには、鼻や喉など呼吸器系の上層部の細胞に取りついて増殖し、咳やくしゃみを介して空中に飛散することが効果的だ。しかし現在の鳥インフルエンザ・ウイルスは、呼吸器系の上層部には感染しないから、低い感染率にとどまっているというのだ。したがって、この型のウイルスが人に感染するものとなるためには、相当大きな遺伝的変異が起こらなければならない、と河岡教授は言う。

 もし河岡教授の説が正しければ、動物のインフルエンザ・ウイルスがどのような遺伝子型に変異することが人間にとって危険であるかの知識が得られたことになる。また現在、「タミフル」を大量備蓄するなどして強毒性鳥インフルエンザの感染防止を急いでいる人類には、まだ多少の時間が残されていると言える。さらに、前回紹介したジェレミー・ファラー博士の予測が正しければ、今後の変異で、このウイルスの人から人への感染が容易になったとしても、毒性の減少によって人類への脅威度は大幅に減るかもしれない。
 
 今回は、楽観論中の楽観論を紹介した。
 
 谷口 雅宣

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2006年4月 3日

祈りは治病に効果なし?

 4月1日付の新聞各紙に、病気治癒のための祈りの効果を科学的に検証した結果を伝える記事が載った。それによると「祈りは無効果」だそうだ。『朝日新聞』の見出しは「“祈り”の効果なし?」と疑問符入りだが、『京都新聞』は「祈りは病気回復に効果なし」と断定する。宗教に携わる者にとって、こんな書き方をされては身も蓋もない。実際に「効果あり」との礼状や報告を毎日のように受け取っているのだから、このニュースによる“認知の不協和”は深刻である。いったいどう考えたらいいのか--それを考えてみよう。
 
 私は『京都新聞』に載った共同電と『朝日新聞』、そして『ヘラルド・トリビューン』に載った記事を読んだが、研究の内容についてそれぞれの説明が微妙に違う。そこで、最も詳しく書かれた『トリビューン』紙の記事をもとに、この研究がどう行われたかを記述してみよう。

 まず、記事の結論部分にはこうある--「見知らぬ人に祈ってもらっても、心臓手術を受けた患者の回復には何の効果もなかった、ということが、長期にわたる大規模な研究によって明らかになった。そして、自分が祈りの対象であると知っていた患者の方が、そうでない患者よりも、不整脈などの術後の合併症に罹る率が高かった」--こういう書き方だと、「祈りは無効果」という単純な断定とは、少し印象が違ってくる。ポイントは「見知らぬ人に祈ってもらう」というところにあるようだ。記事の紹介を続けよう--
 
 この研究は、心臓バイパス手術を受けるために6つの病院に入院していた1802人を対象にして行われた。これらの患者は3つのグループに分けられ、このうち2つのグループは祈りの対象となったが、残りの1グループの患者は祈りの対象にならなかった。祈りの対象となった患者のうちの半数には、自分たちが祈られていることを知らせたが、他の半数の患者には、祈られているかいないかは分からないと告げたという。実際の祈りは3つの教会に所属する信者が行い、対象となった患者の名前と姓の頭文字(例えば、ジョージ・B)を祈りの言葉の中に入れて行われた。祈りの仕方については、各教会の自由にさせたが、祈りの中に「手術が成功して早く回復し、合併症が起きないように」という言葉を入れることを条件にした。
 
 そして、手術後30日たってから、対象者の病状を調べたところ、祈られた患者とそうでない患者の間には、統計的に有意な差はなかったという。また、自分が祈られたことを知っていた患者(59%)の方が、よく知らなかった患者(51%)よりも合併症を生じる率が高かったという。この違い(51%と59%)について、論文の執筆者はそれが偶然起こる可能性を否定していない。しかし、自分が見知らぬ人に祈ってもらっていると知ることが、自分の病状に不安を抱く原因になるかもしれないとも言っている。つまり、「自分はそんなに悪いのか……」と不安に思うということだ。このことは、自分が祈られていることを知っていた患者の方が、そうでない患者よりも術後の状態が悪い場合が多かったこととも、関係があるかもしれない。前者では18%、後者では13%の患者が、手術後に心臓発作や脳血管障害を起こしたという。
 
 この研究が注目されていた理由は、それが「長期にわたる大規模な研究」であるだけでなく、研究の主任者が心と体の問題に詳しい心臓外科医、ハーバート・ベンソン博士(Herbert Benson)だったからだ。ベンソン博士の研究は、私が『心でつくる世界』(1997年、生長の家刊)でも取り上げている(p.256-257)ように、“偽薬効果”(プラシーボ効果)がなぜ起こるかを究明しようとするもので、研究の背後には「心の働きが肉体に影響する」という仮定が当然存在していたはずだ。にもかかわらず、「祈りは無効果」という結果が出たとすると、同博士にとっては衝撃かもしれない。
 
 しかし、生長の家での祈りの仕方についてご存知の読者は、この研究で使われた祈りの言葉に問題がある可能性に気づかれただろう。実際の論文を読んでいないので確かなことは言えないが、新聞記事の伝える限りでは、祈りの言葉は「手術」と「合併症」を心に深く印象づけるもののように思われる。また、この研究では、患者本人が祈ってくれる“見知らぬ人”を信頼しているかどうか、あるいは神を信じているかどうか、はたまた何教の信者なのか等の問題をあまり重視していないと思われる点に、不満が残る。病人が他人に快癒を祈ってもらう場合は、自分の信じる特定の宗教の、場合によっては特定の人に依頼するのが普通だろう。この研究に、そういう細かい配慮がなされているかどうかは不明である。

谷口 雅宣

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2006年3月28日

鳥インフルエンザは恐くない?

 本欄では昨年10月8日と11月20日に、鳥インフルエンザの問題を少し書いた。問題の焦点は、鳥をバタバタと死なす強毒性のウイルスが突然変異して、人から人へ感染するタイプになった時の影響だ。世界で2千万~5千万人もの死者が出たと言われる1910年代末のスペイン風邪が引き合いに出され、医療技術が進歩した現代でも「何百万人」もの犠牲者が出るとの予想が世界中を飛び交った。そして、「タミフル」というインフルエンザ治療薬が“有望”とされ、世界中から注文され、製薬会社はフル生産している--そういう話だった。その後、鳥インフルエンザは、鳥に運ばれて東アジアから中央アジアを渡り、ヨーロッパや西アフリカへまで到達した。その途上で、様々な種の鳥に感染しただけでなく、イタチやネコにまでとりついて殺した。人間の犠牲は3月27日現在で「97人」という。

 専門家の間では、この「97」という数字を多いと見るか少ないと見るかで、「悲観論」と「楽観論」に分かれるらしい。悲観論についてはすでに書いたので、今回は楽観論を紹介しよう。

 28日付の『ヘラルド・トリビューン』紙には、これまで鳥インフルエンザによる犠牲者が最も多かったベトナムで患者の治療にあたっているジェレミー・ファラー博士(Jeremy Farrar)の見解が紹介されている。ファラー博士によると、97人という犠牲者数は最近のものだが、1997年以降の犠牲者数を合計すると「186人」だという。博士をこれを「たった186人」と表現する。なぜならこの数字は、アジアの何十億羽もの鳥が何百万人もの人間と接触したすえに出た感染者の数だからだ。この確率を考えると、今回のウイルスが“種の垣根”を越えて人間同士の間に広がる可能性は極めて小さいという。つまり、ファラー博士は、この鳥インフルエンザのウイルスが、人間に感染する形に変異することは大変むずかしいと見るのだ。また、もし仮にこの困難な“種の壁”をウイルスが超えることができたとしても、その変異によって、人に対する毒性は弱まっている可能性があるというのだ。

 今回の強毒性の鳥インフルエンザによる犠牲者は、「鳥のインフルエンザ」が人へ感染したもので、人から人へ感染する「人のインフルエンザ」に変異したウイルスはまだ見つかっていない。そして、「鳥のインフルエンザ」の人に対する致死率は、高く見積もっても「100万分の97」--つまり、0.01%未満である。だから、「鳥のインフルエンザ」に留まっているかぎりは、このウイルスはエイズやマラリヤより恐ろしいわけではない。問題はひとえにウイルスの「変異」の可能性による。ファラー博士が言うには、過去において大量の人がインフルエンザの犠牲になったケースは、先に触れた1918年のスペイン風邪だけであり、これは人類の歴史上きわめて特異な1回きりの出来事だったかもしれない、というのである。

 読者の不安は、これで少しは薄まっただろうか? 今のところは、交通事故に遭わないように気を配ることの方が重要かもしれない。
 
谷口 雅宣

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