2011年7月 6日

太陽光で生活する (3)

 前回、この題で本欄を書いたときは、小型の太陽光パネルを入手して、それをPC以外の生活に必要な電力にも使おうとしていることを報告した。このパネルの最大出力は30.5Wだから、その際のテストでは、フル充電状態で72Wの液晶テレビが使えた時間は「約20分」と報告した。もちろん、これでは実用的とは言えない。また、私が昼間使っている扇風機--エアコンはもう何年も使っていない--は40W台だから、「長くて1時間か」と予測した。実際に使ってみると、45分から50分だったので、これも夏期の実用には適さない。
 
 そして東京ではいよいよ電力制限が始まる7月に入ったので、省エネ型の扇風機を購入して、来るべき猛暑に備えることにした。ところが、扇風機が入手できないという報告を受けた。渋谷や新宿周辺の家電量販店やデパートは軒並みに品切れ状態で、「札幌店にはある」という話だった。しかし、そんな遠方から取り寄せるのでは“炭素ゼロ”の運動が泣く。というので、秋葉原を探してもらったら、やっと1軒に省エネ型は1種だけが9台ほどあるというのだ。名前を聞いたことのないメーカーのものだったので、少しためらった。が、間近に梅雨明けが予想される現在、扇風機なしの執務は問題だ。ということで、その“新メーカー”に賭けることにした。
 
Electricfan  このメーカーは「ツインバード」(Twinbird)といい、扇風機の製品名は「コアンダエア EF-D945W」である。電源はAC100Vから使えるが、12V用のアダプターを経由するという点で抵抗があった。なぜなら、私の使っている蓄電池のアウトプットが12Vだからだ。これを100Vに変換した後に再び12Vに変換すれば、ロスが生じる。が、これを購入後に解決する手段がないわけではなかろうと考え、思い切って買った。本機の消費電力は、カタログには「3~20W」とあるから、晴天時には太陽光パネルの発電で連続運転が十分可能なはずだ。ついでに本機の仕様について付言すれば、首振り角度は約60度、電源コードの長さは約1.8m、重量は約4.9kg,外寸は 約W 330 × D 325 × H 925mm である。気になるのは、コードがやや短いこと、高さの調節が2段階だけのこと、また、首振り角度が小さいことだ。リモコンはないが、私の用途では不要なので気にならない。価格は約2万円だった。
 
 こうして私の執務室には省エネ扇風機が入り、今日、太陽光による試運転をした。好天だったこともあり、問題なく動いてくれた。運転時間は昼休みの1時間と、夕方の1時間半ぐらいだ。あとの時間は会議で別の部屋にいたため本機は使用せず、その間、太陽光による充電が行われていたことになる。雨天時に問題が起こる可能性はあるが、とにかく使い続けてみようと思っている。「誰からも奪わない風だ……」と思うと、前の扇風機よりも何か涼しい気持がし、風もピュアだと感じる。もちろんこれは、心理的な印象だ。でも、心理的なものが重要であることは、言をまたない。
 
 谷口 雅宣

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2011年6月13日

太陽光で生活する (2)

Solarpanel_s  前回この題で本欄を書いてから、早いものでもう1カ月たった。その間、昨日までの段階では、この方面での進歩はLED電球を買い増したぐらいだった。が、今日は“飛躍的進歩”があった。注文していた太陽光発電パネルが届いたからだ。と言っても、屋根に搭載するあの大型のパネルではなく、ポータブル式の軽量パネルである。私が自宅屋根の太陽光パネルから“自立モード”で電気を取り出し、それを保存しておくための蓄電池を買ったことは、「太陽光でパソコンを使う」というシリーズの中ですでに書いた。この電池にためた電気は、私の主要な仕事の道具であるPCを、すべて“炭素ゼロ”化するのが当初の目的だった。そして、この目的はほぼ達成している。その上に太陽光発電パネルを買った理由は、次の2つである:
 
 ①今夏の電力不足に対応する、
 ②山荘での省エネ
 
 福島第1原発の事故の影響で、今夏首都圏では電力の15%使用削減が求められている。私の家では、夏場のエアコン使用をやめてすでに久しい。本部の私の執務室でも、来客時などを除いてエアコンはほとんど使用せず、もっぱら扇風機の世話になってきた。だから、電力の使用を削減する余地はあまり残っていない。そこで考えたのは、太陽エネルギーで扇風機を回すことだった。また、ポータブル式の太陽光パネルならば、大泉町の山荘へ行った際にも使える。山荘の日照条件は大変よいから、太陽光パネルを持ち込めば、パソコンを動かすためだけでなく、いろいろの用途に使えると考えたのである。
 
 そこで、以前紹介した蓄電池を入手した後の5月8日に、同じ注文先である太陽工房にパネルを発注した。それが、今ごろ届いたのだ。その理由は、大震災の被災地からの注文が多く、そちらを優先するというメーカー側の意図に従ったからだ。同社からは、「被災地の皆様より、弊社の生産能力を上回るご注文をお受けしたうえ、増産に伴う部品納品の遅れにより発送が遅くなり、ご不便、ご迷惑をおかけしまして申し訳ありません」というメールが届いた。被災地支援は望むところだから、この程度の遅延は問題ではない。
 
 さて、使用状況を報告しよう。まずパネルの大きさや重さだが、段ボール箱に入って届けられたものは、片手でつかんで楽々と持ち上げられる。重さは約2kg。思っていたより軽量だった。外寸は 420mm×594mmで、厚さはパネル部分が約5mm だから、結構コンパクトである。これに長さ3mの防水、防塵の電気出力用のケーブルがついている。その先端を、蓄電池の箱から出ている外部端子に差し込めばすぐに使える。最大出力は、30.5Wである。このパネルの値段は、消費税込みで39,800円。
 
 今日は一日中曇り空だったが、執務室のベランダの芝生の上にパネルを置いて充電した。充電中に、畜電池の100V用端子に電気スタンドを差し込んで使ってみたが、問題なく使える。しかし、さらにテレビを併用しようとしたら、それはできなかった。スタンドの21W程度の蛍光形の電球は光っているが、テレビは映像が映らない。電力不足である。テレビ単独の使用は問題ない。フル充電後に、テレビが電池だけでどのくらい使えるかを調べてみた。約20分は見られたが、その後は画面が点いたり消えたりの状態になった。執務室のテレビは、2008年製のシャープのAQUOSの「LC-20D30」で、定格消費電力は「72W」とある。自宅のテレビは「55W」だから電池だけで30分は見られるだろう。扇風機は40W台だから、長くて1時間か。しかし、昼間は発電しながらの使用だから、使用時間はもっと伸びるだろう。正確なデータは、もっと暑くなってから実際に使ってみて報告しよう。
 
 谷口 雅宣

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2011年4月22日

太陽光でパソコンを使う

 依然として続く福島第一原発の事故と、「今夏に首都圏は電力不足!」というマスメディアの大合唱を聞き、また昨日見た映画の内容に刺激されたことも手伝って、自分の生活の中で、もっと積極的に“炭素ゼロ”を実現できないかを考え始めた。

 私はすでに10年ぐらい前から太陽光発電装置を自宅屋根につけてCO2の削減をしている。また、仕事ではグリーン電力や排出権制度を使い、さらに公用車は最近、ハイブリッド車から電気自動車に乗り換えて、少しでも“炭素ゼロ”に近づこうと心がけている。しかし、グリーン電力や排出権の購入というのは、主としてお金の受け取り先を変更するだけだから、「CO2を削減している」という実感があまり湧いて来ないのである。これに加え、東京電力という会社の仕事がどれほどヒドかったかが明らかになってくるにつれて、そこから毎日電力を買い、また太陽光による電力を売っている自分が、何か情けなく感じられるのである。

 そんな時、今回の震災で停電になっても、太陽光発電装置のおかげで昼間は電気が使えた人の話を聞いた。そうなると、私も自宅の屋根の上の装置をもっと有効に利用したい、と考えるようになったのである。
 
 そこでまず、その発電装置を設置したときにもらった取扱説明書を探し出して調べてみた。すると、わが家の装置にも「自立発電」のモードがあるだけでなく、すでに壁に100Vの端子が設置されていて、そこから発電した電気を直接利用できることを確認した。自立モードへの切り替え方法もごく簡単で、スイッチを2箇所操作するだけだった。そうなると、次にはどの程度の電気製品が使えるかを調べたくなった。

Owllamp  今日はあいにく薄曇りの天気で、発電状況はよくなかった。午前8時ごろにメーターを見たら「0.3」と出ていたから、恐らく「0.3Kw/h」の発電量だ。普通の電気スタンドを端子に差し込んでみたが、電球は反応しない。が、夜間の足元照明などに使うフクロウの形の小さなランプ(1/4W)を試してみると、幸いにもボーッと点灯した。これに励まされた私は次に、毎日使っているノートパソコンをACアダプター経由で繋いでみた。ダメかなと思っていたが、充電中を示す橙色のランプがちゃんと点いたではないか。これで「一気に可能性が開けた」と思った。
 
Mypc_2011  何の可能性かというと、「自分で使うパソコンの電力の100%を、太陽光から得る」という可能性だ。それができたら、私は仕事の中で、自分と最も密接に関わる部分を“炭素ゼロ化”--つまり、電力会社の世話にならずに行えるかもしれないのである。「エネルギー自給」からはほど遠いが、少なくとも「情けない」という気持からは解放されそうだと考えたのである。
 
 ということで、実際にどこまでこれができるかの実験をした。まず今日は、朝の数時間を使ってパソコンへの“太陽光充電”をした。私のパソコンはパナソニック製のレッツノートの「CF-J9」という機種で、バッテリーのもちが長い。カタログデータでは、通常の使用で「7.5時間」ということになっている。私は仕事場では1日7時間ぐらいパソコンを使っていて、帰宅してからも2時間使うことは珍しくない。この時間を工夫して短縮すれば、朝1回の“太陽光充電”だけでパソコンの使用電力のすべてがまかなえるかもしれない。今、そのための方法を考えている。
 
 谷口 雅宣

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2011年3月11日

東北地方太平洋沖地震

 日本の観測史上最大といわれるM8・8の大地震が東北地方中心に起こり、最高7メートルもある大津波が列島の太平洋岸を襲った。まだ被害状況の詳細はわからないが、テレビ等で伝えられる揺れの大きさや津波のすさまじさから考えると、阪神淡路大震災なみの相当数の被災者と、甚大な被害が出ているものと思う。被害に遭われた大勢の方々に心からお見舞い申し上げるとともに、被災者の救助と救援活動に尽力されている政府各機関を初め関係者、ボランティアの皆々さまに、心から感謝申し上げます。また、海外からもたくさんのお見舞いのメッセージと祈りの念をいただいています。感動するとともに、“神の子”の同志との一体感を感じます。
 
 1回目の地震が起こった午後3時前、私は東京・原宿の本部会館にある執務室で原稿書きの最中だった。ゆらゆらと揺れが始まったときは「また地震だな~」と思ったが、揺れはすぐ止まるとたかをくくっていた。ところが揺れは収まるどころか次第に大きくなり、棚の上の本や置物が落ち始めたので、私は自分のデスクの下へもぐり込んだ。階下へ降りるのは手遅れだと思ったからだ。本部の建物は古くて、今の耐震基準を満たしていない。だから、もしかしたら崩壊するかもしれないと思った。その時、頭の中にあったのは、ニュージーランドのクライストチャーチ市を襲った地震で、日本人が多く学んでいた英語学校の建物のことだった。が、幸いなことに揺れはだんだん収束していった。
 
 午後3時から執務室で人と会う約束があったから、揺れが収まると隣室の秘書たちに頼んで、床に落ちた本や書類を片付けてもらった。そして、予定通り来訪したその人と面談を始めた。そうこうしている間に、2回目の揺れが来た。今度は明確な縦揺れだった。面談の相手と顔を見合わせ、「下へ降りたほうがいい」と合意した。そして、階段を伝って1階まで降り、隣接する東郷神社のピーターハウスの前で、揺れが収まるのを待った。そこには、同じように危険を感じて外を出た本部職員が何人もいて、その数はだんだん増えていった。
 
Eq11008  2回目の揺れが収まると、私は面談相手とともに再び執務室へもどり、そこで手短に用事をすませてからテレビを見た。いつも落ち着いた態度でニュースを報じているキャスターが、声を震わせていた。そこに映し出された映像は尋常でなかった。特に津波の大きさに舌を巻き、早く帰宅しようと決めた。残った仕事は家でもできるものばかりだったからだ。こうして帰宅できた私は、幸運だった。東京の鉄道は地下鉄を含めてすべて止まっていたから、多くの職員が長時間かけて、バスや徒歩を使って帰宅し、あるいは地下鉄などの運行再開を待って帰宅したのだろう。
 
Eq11009  自宅の被害はなかった。ただ、高い場所にあった多くの物が落ち、一部の花瓶やコップなどが壊れた。私が帰宅したとき、妻はそれらの片付けをほとんど終わっていたが、私の書斎では本が散乱していた。大きなもので壊れたのは、庭にあった石灯籠ぐらいである。また、ガスが止まっていた。が、これも夕食前には出るようになっていたので、食事も普通にいただけたのは本当にありがたかった。

 私は、7年前に新潟中越地震を長岡駅で経験しているので、揺れに対する恐怖はそれほどではなかった。あの時は、立っていられないほどの揺れで、駅の床に這いつくばって恐怖に耐えたのだった。それと比べて、「まだ大丈夫」という気持がずっとあった。しかし、今回の地震の激甚さはその比較ではないだろう。被災地の一刻も早い復興を心からお祈り申し上げます。
 
 谷口 雅宣
 

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2011年2月26日

ある日、デンマークを超えて (2)

 私は本欄で、これまで何回も「神話」について書いてきた。最近では、日本の「天照大御神」の神話について書いたが、それだけでなく、『創世記』の神話や神武天皇の建国神話、レヴィ=ストロースや中沢新一氏の神話学の一部も紹介した。神話とは、ほとんどすべての民族の内部で、太古の昔から語り継がれてきた神に関する物語である。多くの場合、それらの神々の行動は、天地の始まりや、国・民族・物事の起源の説明、あるいは人間の行動原理を表現している。そして、これらの神話は、宗教や信仰と深く関わっているため、現代人の生活とも大いに関係している。

 つまり、簡単に言うと、人間はいつの時代にも「神」の観念から逃れられない。人格的な「神」を否定する唯物論者でさえ、「法則」や「原理」のような不可視の偉大な力を認め、その発見や賞賛のためには努力を惜しまない。そのような「神」や「法則」や「原理」が支配する領域では、安定や調和、平和が実現すると考えてきた。そして、それを絵画や音楽、詩歌、建築物などを通して表現し、表現物は人々の賞賛を受けてきたのだ。そういう「人を超えた不可視の存在」がなぜ人間に理解され、表現され得るのか? この疑問に、その時の妻の言動が雄弁に答えているような気がしたのだ。
 
「すでに知り、体験されたものだけが表現され得る」--それが答えだと思った。デンマークを体験した者だけが、デンマークの良さを表現し得る。それと同じように、すでに神や法則を知り体験している者だけが、神を讃え、法則を発見し、あるいは人(自分)を超えようと努力するのである。

 そもそも我々人間が「自分を超えよう」と努力することは一見、不合理でありながら、最も真実なことではないか? 私はかつてオリンピック選手についてこの努力を取り上げ、次のように本欄に書いた。が、同じことは、芸術家や実業家、学者、技術者、農業者……にも言えるのだ--
 
「なぜ人間は、あのように“上へ、上へ”と自分を駆り立てるのか? 他人より1秒速く走れたとて、1メートル遠くへ飛べたとて、半回転よけいに体が回ったとて、その人の生存が他人より有利になるわけではない。少なくとも、そうしなければ生きられないわけではない。にもかかわらず、そういう“完全”に近づくために、人々は大きな犠牲を払い、莫大なエネルギーを費やす。それを世界中の人々が見て、興奮し、共感し、感動する。これは、人間が内部の完全性を表現しようとしている姿ではないか」。

 内部ですでに“体験”していることを、人間は努力しつつ表現する。それが本当ならば、宗教や信仰の存在そのものが、人間の本質が神性・仏性であることを証明しているのだ。
 
 --こんな想いが脳裏からこぼれ落ちてしまわないように、私はこの晩、注意深く妻のエスコートを続けていた。

 谷口 雅宣

【参考文献】
○谷口雅宣著『小閑雑感 Part 3』(世界聖典普及協会、2003年)

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2011年2月25日

ある日、デンマークを超えて

Nighttree  水曜日は、我々夫婦にとって“ウィークエンド”に当たる。前回のウィークエンドは、代官山でゆっくり過ごした。そこに中庭から立派なケヤキが聳えるヨーロッパ風のレストランがあり、「一度夕食を一緒に……」などと話していたのだった。道路側が軽食レストラン、ケヤキを挟んだ奥の方が高級レストランになっている。後者は、1万円以上のディナーしかないので我々の性分に合わない。で、手前の道路側の店の窓際に席を取って、ゆっくり食事をした。そして食後には、その立派なケヤキの写真を撮った後に、周辺を散歩した。

 沿道の建物の何軒か先に、デンマーク大使館がある。「Royal Denmark Embassy」という文字を読まなければ、そこが大使館だと気づかないほど、ものものしくなく、明るい色の普通の建物である。
 
 その前を通ったとき、妻がこう言った。

「ああ、デンマークに行きたい!」

 私は、そんな気持にはならなかった。デンマークがどんなところだか、よく知らないからだ。もちろん“情報”としての知識はある程度ある。その国が北欧の一国であり、北海をはさんでノルウェーやフィンランドと向かい合っている……という地理は頭に上ってくる。また、「ダニッシュ・ペーストリー」という艶やかな菓子パン、そして有名な海辺の人魚像……それくらいは知っているが、しかし「ああ、行きたい」とは思わなかった。

 ところが妻は、そう行った後に、
「チボリ庭園」
「ディアガルテン」
「オーデンセ」
「ダンスク」
「トラファルゲ」
「……」
 などと、私の知らない横文字を連発するのである。

 彼女が「ああ、行きたい」と思うのは、もちろん彼女がデンマークに行ったことがあるからだ。航空会社の客室乗務員だったから、何も不思議な気持ではない。それに彼女は料理好きで、食器にも造詣が深い。かの国には「ロイヤル・コペンハーゲン」という高級食器のブランドがあり、それを現地調達していたほどだ。聞いてみると、約10年の仕事の中で5~6回当地に滞在しているという。だから、彼女の「行きたい」という思いは、私がもし「行きたい」と思ったとしても、それとは全く質が違うのだ。いろいろな体験をした思い出がまだ生き生きと残っているから、彼女はそう言うのである。
 
 私はその時、この2人の違いから得た、まったく別のことを考えていた。それは、人間が古くからもつ不思議な性向についてである。

 谷口 雅宣

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2010年12月 9日

八ヶ岳は雪景色

Snowy_ohizumi2  妻がブログに書いているように、私たちは休日を利用して山梨県の大泉町に来た。2年半後には、こちらで生活することになるのに、冬場をしっかり経験していない。そんな一種の“負い目”を感じていたので、今回、短期間ではあるが“冬体験”のつもりで来た。そんな私たちの意図を待ち構えていたように、見事に初日から雪が降った。現地の人に聞いてみると「まとまった雪は今年初めて」とか。山荘まで行くには、高低差の大きい未舗装の山道を上がったり下がったりしなければならないので、そこに雪が積もっていたら、私たちの車(四駆でない旧式オデッセー)では立ち往生する可能性があった。が、幸いにも、快晴の八ヶ岳南麓は積雪を早く溶かしてくれていた。
 
Snowy_ohizumi1  寒さは格別だ。しかし、山荘は高断熱になっているうえ、薪ストーブが威力を発揮する。車には、東京の家から薪を積んで来た。これらは、公邸の庭で枯れたサワラと倒れたサクラの木を、前もって薪にして乾燥させておいたものだ。これを燃やすと、山荘全体が暖まる。そして、一度暖まるとなかなか冷めないのがありがたい。外は氷点下になっても、山荘の中は23~25℃で安定している。だから、外へ出ないかぎり、山荘内は東京の自宅よりよほど心地がいいのである。が、山へ来て、雪の戸外を歩かないのでは意味がない。ということで、昼前に妻と2人で山荘周辺の山歩きをした。

Snowy_ohizumi3  積雪の山道を歩いて面白いのは、「足跡」を見つけることだ。近くには私たちだけしかいないはずの山道で、新しいトレッキング・シューズの足跡と、大型犬の足跡が並んでついていた。朝、誰かが犬の散歩に来ていたのだ。その足跡の方向を見ると、どこから来たのかが大体わかる。しばらく行って人の足跡のないところに、シカの足跡を見つける。1頭だけのようだ。しばらく行くと、もっと小さい足跡……これはノウサギのものだろう。そんなことを考えながら、雪道を行く動物たちの姿を想像する。人間の痕跡が残る場所へやってくる彼らの目的を想像する……。都会では考えないことを考え、感じないことを感じている自分を、肌を切るような寒さと、白銀の森の中で見出す。
 
 木曜日は、この地域のソバ屋の多くは休んでいる。が、開いている店を知っていたので、昼はそこへ行って、新ソバの手打ちをおいしくいただいた。この店にも大型の薪ストーブがあり、中は暖かだった。
 
 谷口 雅宣

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2010年10月13日

クリフウセンタケ

 秋のよい気候になってきたので、自然と親しもうと思い、妻と2人で山へ来ている。キノコ採りが目的だが、原稿の締め切り日も間近なので、時間の配分に工夫が必要だと頭を悩ませていた。ところが、朝、様子見で山荘の裏山を少し歩いたところ、いたるところに様々なキノコが出ている。以前から本欄でよく紹介しているジゴボウ(ハナイグチ)も数多く、それ以外の名前のわからない種も多い。

Kurifusens  そして、もう帰ろうと思っていた矢先、南向き斜面の一画に黄褐色の傘をもたげたキノコの群生を見つけたのだ。名前は分からないが、小さなオムスビのように盛り上がった成菌の傘と、土に半分埋もれながら、ボールのような“頭”を覗かせている幼菌とが連なって、何メートも帯状に拡がっている姿に感動した。これまでの経験から、何となく食用キノコのような気がする。種の特定をするために、以前にもキノコの同定で世話になったペンションのご主人のところへ行き、それがクリフウセンタケであることを教えてもらった。初めて採った種なので、2人して喜んだことは言うまでもない。
 
 クリフウセンタケは、「ニセアブラシメジ」というあまり聞こえのよくない異名をもつが、味は本物の食用キノコだ。ものの本によると、「さわやかな香りと多少ぬめりもあり、歯切れも舌ざわりもよい。味には全く癖がなく、うま味のあるよいだしが出るので、どんな料理にも利用できる」という。大量に生えていたので全部採ることはせず、料理のための後処理に懸命だった妻に大いに感謝して、夕食のおかずにいただいた。酢の物もおろし和えも、絶品である。

 谷口 雅宣

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2010年9月30日

キノコ採りで考える

 木曜日の休日を利用して大泉町の山荘へ来ている。気候がようやく秋らしくなったため、当面の目的はキノコ採りである。雨が降り続いた合間の、ちょうど晴れた日に来られたのJigobo_1 で、天女山と美しの森を歩いて“獲物”を探した。地元で「ジゴボー」と呼んでいるイグチ科のキノコ「ハナイグチ」(=写真)が多く採れた。このキノコは本欄でもよく紹介したので、憶えている読者も多いだろう。地方によって「リゴボー」とか「カラマツタケ」とか「ラクヨウ」などと呼称が異なる。キノコの同定は難しく、間違うと中毒するとよく言われるが、このキノコは明確な特徴があるから、妻も私も自信をもって採ることができる。まず、①カラマツ林に多く出ること。②軸が黄色く、傘の上面は褐色から赤褐色である。これとは対照的に、③傘の下面は、イグチ科共通の特徴のスポンジ状で黄色い、④湿った環境では傘は粘液で覆われて光っている。⑤独特の香りがある。これだけの特徴があれば、まず間違うことはない。
 
 妻と私の合計で70本以上採れた。このほか、ホコリタケもたくさん出ていたが、こちらは適当に採った。それほど美味とは言えないからだ。そのほか同定できた食用キノコは、キノボリイグチ、ベニハナイグチ、アイシメジ、アカモミタケなどだ。このうちホコリタケだけは、Benitengu ソテーにして食べた。無味無臭で、食感はマッシュルームのようだ。私のこれまでの経験では、ハナイグチは長期間にわたって採れるが、アイシメジとアカモミタケは晩秋のキノコだと思っていた。それが今の時季に出ているのは、気候の変化が影響しているのかもしれない。また、毒キノコではあるが、容姿の美しいベニテングタケ(=写真)を見つけ、感動した。このキノコの毒には幻覚作用があり、古い時代にはそれを利用して宗教行事にも使われたということを、宗教学者の中沢新一氏が著書に詳しく書いている。私も『秘境』という小説の中で、このキノコの毒性を“小道具”に使ったことを思い出した。
 
 日本菌学会会長を永く務めた生物学者の今関六也氏は、生態系の中での菌類の役割について『日本のきのこ』という本の中で興味深い話を書いている。それによると、地球の生態系は、無機物でできた環境界と有機物による生物界から成っているが、キノコを含む菌類は、その中で有機物を無機物に変換する2つの重要な流れの1つを担っているという。もう1つの流れは、動物が担っているが、動物による有機物から無機物への分解能力には限りがあるので、菌類がそれを補っている。これに対して植物は、光合成を使って無機物を有機物に変換するとともに、菌類と動物とによる有機物を分解して無機物に変換する。この双方向の流れがバランスよく働いているために、生物の繁栄に必要な稀少量の無機物が無限に循環する生態系が成り立っているというのである。そして、今関氏は次のように言う--
 
「生物の出現は35億年前といわれるが、35億年の長い生命の歴史は、植物・動物・菌の共同生活によって築かれ、その永い歴史を通して生物は進化に進化を重ね、ついに人類は誕生した。人類が今日あるのは、35億年の生命の歴史のおかげであり、この歴史を築いた三つの生物群の一糸乱れぬ共同生活を続ける限り、人類の永遠?の繁栄も約束されるはずである」。

 つまり、「植物・動物・菌の共同生活」というのが、地球の生態系の本質だということだろう。三者のうちどれか1つだけが栄えたり、どれか1つが犠牲になるような方向へ動くことは、生態系の破壊につながり、したがって人類の破滅へと結びつく--そういう意味だと思う。菌類の中には、キノコのほか、カビや細菌も含まれる。細菌と言えば、いわゆる“善玉”“悪玉”の腸内細菌も、また虫歯菌も含まれる。一見“悪”と見えるものも、「本当は悪ではない」と言っているように聞こえないだろうか。
 
 谷口 雅宣

参考文献】
○今関六也他編著『日本のきのこ』(山と渓谷社、1988年)

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2010年9月11日

二つの祭

 生長の家の本部に近い鳩森八幡神社で秋季例大祭があるというので、夕食後に妻と連れ立って行った。神社の大祭は一般の参加者の都合を考えて、たいてい土曜、日曜に行われるが、私たちはこの両日に講習会で出張することが多い。ということで、自宅近くの産土神社にも、これまでは祭礼の日に参拝する機会がほとんどなかった。ところが幸いにも、この日は出張がなかったので、よい機会と思って足を延ばしたのである。

 鳩森神社には立派な能舞台があって、そこで日本舞踊の奉納をやっていた。ほかには、普段は見かけない屋台の店が2~3店出ていただけだ。舞台前の神社の庭にはパイプ椅子を並べた100人ほどの観客席が設けられていたが、半分も埋まっていなかった。私たちが行った時には、この「氏子奉納舞踊プログラム」は半分以上終っていたから、舞踊家や観客のすべてを見たわけではない。しかし、浴衣姿の3~4人の小学生を除いては、若者の姿はそこにはなかった。それでも観客の中には40代とおぼしき人がポツポツといた。が、舞台上で踊る人は、30代後半の女性1人を除いては、60代、70代という様子だった。そういう人々が1人ずつ舞台に上り、録音された謡曲に合わせて、普段からの練習の成果を発表する場--そんな感じのつましい集いだった。

 小一時間で奉納舞踊は終り、それがその晩の祭の終りでもあった。私たちが神社を出ると、「ハチ公バス」という名のコミュニティバスがちょうどそこへ来たので、急いで乗り込んだ。次にどこへ行くということではなく、そのバスが家の近くの表参道へ行くことを知っていたからである。ところが、そのバスが青山通りから表参道へ入った頃、外を見ていた私たちは驚いた。普段から見慣れた街ではあったが、人々の数が多いのである。土曜日の夜だからと考えてみたが、若者を中心とした人出がいつもより相当多く、しかも彼らはパーティーに出席するかのように着飾っているのだった。その理由は、私たちがバスから降りて、いくつかの店の様子を見てから判明した。

 この日は、表参道商店街のお祭だったのだ。もっと正確に言うと、この日は、青山通りと表参道の商業施設が中心になって企画した「Fashion's Night Out」(ファッションの夜に繰り出そう)という一大商業イベントをやっていたのだ。中心会場は表参道ヒルズで、ここで午後5半からファッション・ショーや種々のパーフォーマンスを含んだオープニング・セレモニー(開会式)が行われ、午後11時から30分続くクロージング・セレモニー(閉会式)まで、人々はショッピングなどを楽しむことになっていた。街は、それに参加する若者たちで溢れていたのだ。

 私は、この2つの“祭”の違いに驚いていた。一方は、50人に満たない観客の前で、音質があまりよくない録音ずみの謡曲に合わせ、若くはない人々がつましく踊る日本舞踊を奉納する会である。もう一方は、一流デザイナーズ・ブランド店が外国のモデルやタレントを動員して、派手なファッションショーや景品の抽選会をするイベントである。この2つが、文字通り「隣り合わせ」に存在していたのだった。

 商業主義のことを「祭」と呼ぶのに抵抗がある人はいるかもしれない。しかし、「祭」という日本語には、宗教的な「祭祀」という意味以外にも、「大勢で浮かれ騒ぐこと」とか「派手な催し物」という意味がある。この後者の意味ならば、表参道の商業イベントは立派な“祭”である。宗教的祭祀が廃れつつある中、商業イベントに大勢の若者が群がる現代日本を強く感じながら、私はこの日が、アメリカの同時多発テロ事件の9周年であることを、いったい彼らの何人が気づいているのかと思った。平和が続くことは誠に喜ばしいことだ。しかし、その平和を守るために欧米では大勢の若者が戦場に行き、ついに帰還しなかった者もたくさんいるという事実を、この国の若者たちがどう理解しているのか、私は知りたい。

谷口 雅宣

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