2011年2月16日

短編小説集『こんなところに……』について

Konnatokoro  私は本欄などで時々、短い創作物を発表してきたが、それらを集めた単行本『こんなところに……』(=写真)が3月の立教記念日に際して生長の家から発刊される。私の短編小説集としては、『神を演じる人々』(2003年発行)についで2冊目となる。全体が4部に分かれていて、収録作品は25編ある。『神を演じる人々』は、科学技術と生命倫理の問題をテーマにしぼった作品17編からなるが、今度の短編集は、「多様なテーマと形式」が特徴と言っていいだろう。普通の短編小説もあれば、ショートショートと呼ばれる極短編作品、名作のパロディー、童話……などだ。4部構成はそれぞれ、第1部「こんなところに……」、第2部「ショートショートでひと休み」、第3部「対話編」、第4部「最後は童話風に……」という題名で、これらの題名を読めば中身が推測できるはずだ。
 
 本全体と第1部の題名が共通して「こんなところに……」となっているが、これは本書の冒頭に収めた短編作品の題名でもある。奇妙な題名をつけた理由は、その作品を読んでもらえば分かるが、それとは別に、本書全体のタイトルにもこれを使った理由がある。それは、私がこれらの短編作品の発想するときの気持を表しているからだ。発想は、予期せずに、思いがけない所で浮かんでくる。いや、「降りてくる」と言ってもいいかもしれない。例えばこの冒頭の作品の発想は、私の仕事場である生長の家本部会館に隣接した東郷神社の境内で得た。いきなり1巻のストーリーが降りたのではなく、記憶に残るいくつもの別々の映画のシーンが、それぞれ断片的で無関係であったものが、いきなり1つの物語にまとまる--そんな感じである。ごく普通の日常生活の場面にドラマが隠れている。それを見つけたときの「こんなところに!」という驚きを表現したかった。
 
 そういう意味で、本書に収録された作品の多くには、私の日常生活の場面や体験が適度にブレンドされている。幼いころや若いころの体験、妻とのやりとりが変形して織り込まれているものもある。また、9・11の同時多発テロなど、世界的大事件の衝撃をどう受け止めるか苦悶しながら書いた作品もある。人生に起こる出来事には、宗教の教義から説明しようとすると「紋切り型」で、「味気」がなかったり、「冷たい」分析になったりで、共感力や説得力が失われるものが少なくない。そんな場合、主人公への感情移入を必要とする小説や戯曲のような表現形式の方が、より深い共感をよぶことがある。本書に収められた作品が、そういう効果を生んでくれれば、作者として喜びこれに勝るものはない。
 
 谷口 雅宣
 
 

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2011年1月17日

言葉は神さま (2)

 言葉を神さまに喩える言い方には、もっと違う真理も含まれている、と聡子は思った。
 この場合の「神さま」とは、聖書に出てくる神さまのように、万物を創造したり、すべての原因となるような強大で万能の神さまではなく、志賀直哉の『小僧の神様』に出てくるような、人間の姿形をした、あるいは人間の中に潜んでいる神さまだった。聡子の考えでは、一人の人間の中にはそんな神さまが何人も棲んでいる。そして、人間の口を利用して、自分の言いたいことを世界に発表することで満足している--こんな自分流の解釈を、今の彼氏に話してみたことがある。そしたら、
「それって解離性障害に近いんじゃない」
 と言われてしまった。
 昔は「二重人格」とか呼ばれた心の病のことだ。だから、それ以来、この話を彼とするのはやめた。でも、自分とは別の力が、自分の口から発言することがあるという実感を、聡子は否定することができなかった。「神さま」という言葉を使うと誰かに怒られるならば、口から出る言葉の“元”となる心の想いは、決して一種類ではないということだ。人の口から出る具体的な言葉は、その複雑な心の想いの一側面の表現にすぎないことが多い、と聡子は思う。チョコレートを見て「大好き」と言う人は、その言葉どおり、100パーセント「大好き」なのではなく、つい食べ過ぎた結果、胸を圧迫する感覚を思い出して、「それは嫌い」と心の中では思っていることもある。
 でも、「大好き」と言葉で言ってしまうと、自分も、それを聞いた人も、本当に大好きなのだと信じてしまう。そして、その「大好き」という方向にむかって人生を歩む--つまり、自他ともに“チョコレート大好き人間”として振る舞うようになる。大げさに言えば、言葉が人生を創造する。だから、「言葉は神さま」なのだった。
(ああ、いけない)
 と聡子は我に返った。
 また、考えの迷路で遊ぶ悪い癖が出ていた、と自分を反省した。窓際の白い空席を見て、ケンカ別れした架空のカップルのことを想像したところから、“迷路”に入ってしまった。この“架空のカップル”は自分と優との亡霊だ、と聡子は思った。そんな過去にしがみついていては、今の彼との関係をしっかり生きることはできない、と聡子は自分を励ました。
 彼女は、改めてその空席のテーブルの方に目をやった。すると、テーブル上に飲み口を下に伏せて置かれた1組のワイングラスの横に、もう1組の空のワイングラスが、飲み口を上に向けて立っているのに気がついた。
(ええ、なぜ?)
 と聡子は思った。
Illusioryglasses_2  よく見ると、上向きのグラスの輪郭はぼやけている。だから、それは実物のグラスではなく、窓に映って見える映像だった。でも、そのテーブルの上に載せられたグラスは、下向きのものが1組あるだけだ。では、上向きのグラスの映像はどこから来るのか? それを確かめようと、聡子は体を巡らせて自分の周囲を見た。正立している空のグラスがいくつか目に入った。いったいそのどれが映っているのか?……彼女はそれを確かめたくなったが、ふと思い直して再び窓際のテーブルを見た。そして、ずっと見続けていた。
 目の前の光景が、何ごとかを見事に象徴している、と聡子は思った。2つの空のワイングラスが、右側には伏せられ、左側には上を向いて並んでいる。伏せられたグラスは、カップルが食事の前であることを示している。上向きの空のグラスは、カップルが食事をすませたことを象徴している。つまり、物語の始めと終わりが、時間の経過なく、同時に1つの空間に存在する。
(これは、私と優のことだわ)
 と聡子は気がついた。そして、美しいと思った。
 二人はある日、ここで出会い、何回も食事をともにし、ワイングラスを傾けながら会話をはずませた。それで互いを理解し、たまには誤解し、短期間だが人生を共有した。でも、食事はいずれ終らなければならない。いや、終るほうがいいこともある。料理の味がすみずみまで満足できなくても、ワインが冷えすぎていても、会話が時に途絶えることがあっても、二人は食事前よりは互いを理解し、食事前よりは経験を豊かにし、食事前よりは満足をして、テーブルから立つことになる。そんな時に言う言葉は、「ごちそうさま」「おいしかった」「ありがとう」以外にはないはずなのだ。それが、どこにも汚れがない、上向きの空のワイングラスの意味に違いなかった。
「ありがとう、優。わたし結婚します」
 聡子の口から、穏やかで確信に満ちた言葉が漏れた。
 
 谷口 雅宣

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2011年1月16日

言葉は神さま

Illusioryglasses  東京のホテルで一人食事をしながら、聡子は窓際のテーブル席がポツンと空いているのが気になっていた。
 寒風が吹く日曜日の夜で、泊まり客は少なかったから、レストランのテーブルがすべて埋まっていないのは、不思議ではない。事実、窓際の席だけでなく、内側の席も、中央に1つ、奥に2つというように、白いクロスだけが見えるテーブルが点々とある。もう夜も8時を回っていたから、これから食べに来る客はいないだろう。
 それなのに、その窓際の席だけに二組のフォークやナイフ、グラスなどがきちんと向かい合って並んでいる。そこには、まるで列車の特等席のように、天井からスポットライトが当てられているため、窓外の闇を背景にして、ナフキンやテーブルクロスが雪のように輝いて見えるのだった。
(予約をしたカップルが、何かの都合で来られなかった……)
 そんな想像が、聡子の脳裏をよぎった。とたんに、次の想像が心の余白を埋めようとする。
(二人とも来れなかったのは、仲違いしたからかしら……)
 すると、仲違いの理由についての、物語が浮かんできた。
(男性側が席の予約をしたとして、予約の取り消しをしなかったのは、彼の方が怒ったからね)
 聡子は、自分がレストランの予約をした場合のことを考えていた。都合が悪くなって食事に行けなくなれば、自分だったら店に取り消しの電話を入れる。でも、男性の場合は、そこまで気を遣わない人が多い。特に、怒りっぽい人は……。
 彼女も、優と電話で言い争いになったことがある。その時、特に彼と会う約束はしていなかったが、電話してきたのは優の方だから、もしかしたら彼がどこかの店を予約していた可能性はある……そんな考えが聡子の頭に浮かんだ。
(そうすると、どこかのレストランの一番いい席に、こんなふうに空きができるんだ……)
 そんな因果関係に初めて気づいて、聡子は何か目が覚めたように感じた。
 それは昔の話だった。今の彼とは、もっと注意深くつき合うようになっていた。優との失敗の原因は、自分だけの責任ではない。しかし、電話口のちょっとした言葉遣いが引き金になって、貴重な人間関係が壊れてしまうような愚かさはもう繰り返すまい、と決めていたのだ。
「言葉は神なり」という格言に出会ったのも、優と別れてからだった。
 最初は「なんて大げさな」と思った。「言葉の遊び」とか「言葉だけ」とか「口先で」「言葉尻」「巧言令色」など、言葉にはあまり価値がないという意味の言い方が多い中で、言葉を神さまに喩えるなんて非常識だと思った。でも、自分の経験を思い返し、またオフィスでの人間関係を観察していると、ちょっとした言い草で、ひと言多いために、またその逆に、そのひと言が言えないために……つまり、ある言葉を言うか言わないかで、人生の進路が変わっていく例を、いくどとなく目の当たりにするのだった。
 その逆のこともある。どんなに言葉を尽くしても、相手に自分の意思が伝わらないこと。同じ言葉を話していても、2人で意味が違うこと……。だから、この言葉さえマスターできれば、きっと神さまのように物事はうまく進む。そういう意味では、「言葉は神なり」という格言は確かに真理だと思った。

 谷口 雅宣 

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2010年12月27日

訪問者 (6)

情報将校--(両手を肩の高さに挙げ、首を左右に振りながら………)わかった、わかった。この地の人々が数多く戦火の犠牲になり、財産や生活の場を失ったことは十分知っている。しかし、その責任はアメリカだけにあるんじゃない。我々にとって、これはテロに対する防衛戦争なんだ。テロがなければ、この戦争はなかった。我々は先に攻撃されたのだ。
導師--“悪の根源”がないというのは、わかるだろうか?
情報将校--悪があるのは確かな事実だ。だから、その原因もある。
導師--原因はあっても、それは“悪の塊”のようなものではない。
情報将校--善から悪が生まれるというのか?
導師--そうではなく、誤解や思い込みが“悪の幻影”をつくることもある。
情報将校--これは幻影なんかじゃない。人が爆弾で足を飛ばされ、肉を切り裂かれるんだ。恋人を失い、家族を失い、約束されていた将来を奪われるんだ。それが幻影だったら、今すぐ失ったものを元へもどしてくれ!
導師--ジョン、そんなに興奮しないでくれ。私が言っているのは、そういう悲惨な出来事の背後には、それらを計画し、共謀した一団の“悪者”が必ずしもいるわけじゃない、ということだ。
情報将校--陰謀はないというのか?
導師--そのとおり。
情報将校--陰謀は、外から見えないから「陰謀」なんだぞ。君には、何でも見えるというのか?
導師--「ない」ということを証明するのは難しい。だから、不安や恐怖をもつ人間は、自分の気持を説明するために「そこに何かがある」と考えがちだ。
情報将校--はははは……アブダル。情報将校の私に向かって心理学の講義などしないでくれ。
導師--心理学は重要だ。もちろん、それだけで国際問題を解決することなどできない。しかし、人間の心が戦争やテロを起こすのだから、それがどこから来るかを知ることは、平和維持にとって必要なことだ。
情報将校--アブダル。私はそういう初歩的なことを言ってるんじゃない。情報将校は心理学のプロでもある。その私に、「妄想を抱くな」と言ってほしくない。
導師--わかった。しかし、サダムが大量破壊兵器をもっていなかったという事実は、ブッシュ政権が妄想を抱いていた証拠じゃないか。それがイラク攻撃の理由の一つだっただろう?
情報将校--当時の彼が、ほかの目的をもっていたとも考えられる。
導師--それは何だ?
情報将校--私には、大統領個人の心を読む仕事はない。しかし、サダムをイラクから追放すことがアメリカの国益だと考えていた可能性はある。
導師--政権転覆のための戦争だというのか?
情報将校--さっきも言ったが、私は想像しているだけだ。情報将校は大統領の政治的判断に関与しないし、してはいけないんだ。

 谷口 雅宣

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2010年12月26日

訪問者 (5)

情報将校--アブダル。「マキャヴェリスト」と「悪者」とは同じ意味じゃない。ほとんどの政治家はマキャヴェリストだと言っていい。政治家がマキャヴェリストであることは普通のことで、必ずしも「特に悪い」わけじゃない。ましてや“悪の根源”なんかじゃない。例えば、サウジアラビアの国王は、国内の原理主義勢力とアメリカとのバランスをうまくとって、これまで上手に政治を進めてきた。彼は、アメリカに軍事基地を提供しながら、国内の原理主義勢力を満足させるために、宗教警察によってリベラルな考えを厳しく弾圧してきた。しかし、アメリカの国益とは、サウジの石油がコンスタントに入手できることと、イスラエルを防衛するための軍事基地が中東に得られることだ。この二つを、サウジの国王は保障してくれている。だから、彼は“よいマキャヴェリスト”だと言ってもいい。
導師--その論法だと、“よいテロリスト”があってもいいのだな?
情報将校--そういうことになる。
導師--君がそれに満足しているなら、悩むことは何もないんじゃないか?
情報将校--アブダル。私の悩みは……今言ったアメリカの中東での国益が、テロリストたちの行動によって、しだいに失われていると同時に、わが国やヨーロッパの同盟国内では、テロリストたちに同情的な勢力が拡大していることだ。武力的にはビンラーデンの相手ではないアメリカが、9・11のようなメチャクチャな攻撃を仕掛けられていて、効果的な報復と処罰ができていない。“テロとの戦争”は負けているように見える……。
導師--ビンラーデンがつかまらないからか?
情報将校--ヤツは年をとってきたが、別の人間が現れてテロを扇動している。
導師--アフリカへ逃げたアメリカ人の指導者のことだな?
情報将校--そうだ。アメリカ人がなぜ、アメリカを破壊しようとするのだ! ヤツラの背後には、何かとんでもない“悪の根源”がいる。だから、ヤツラの手に核兵器が渡れば世界は破滅する。それが分かっているのに、我々はどこを叩いていいのかわからない……。
導師--ジョン、“悪の根源”なんてものはないと私は思うよ。それは、君の心の産物じゃないか?。それから、「9・11の仕返しが効果的でない」という言い方には簡単には賛成できない。アメリカのアフガン攻撃とイラク戦争によって、この地域の人々がどれだけ損害を被ったか……情報将校の君は知ってるだろう! コラテラル・ダメージが大きすぎる。そういう意味では報復は効果的でない。かえって反米感情を燃え上がらせたからだ。しかし、二つの国を破壊され、十年近くも戦火に怯えている人々は、十分に制裁を受けているんだ。

 谷口 雅宣

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2010年12月23日

訪問者 (2)

導師--ジョン。私はアメリカの外交政策を論評するつもりはない。それは、ジャーナリストや政治家がする仕事で、すでにいろいろの立場からたくさんの論評が出ている。でも、アメリカの外交政策を執行する立場にあるあなたのような高官が、善悪の見境がつかなくなるというのは、大変な問題だ。エジプト人を含めた大勢の中東の人間が、君の国の巨大な影響力にさらされているからだ。自分の仕事に疑念があるなら、職を辞すという選択肢はあるのだろう?
情報将校--それは……ある。が、辞めてしまえば、自分が善行だと信じてやった多くの行為の取り返しがつかない。
導師--でも、ジョン、君は上司の命令に従っただけではないのか?
情報将校--ずっと、そう考えてきた。私は情報を上に伝え、彼らが判断を下す。その際、私は将校の立場から意見を付すことをしてきた。その意見が間違っていた場合、責任の一端は私にもある。
導師--それはそうだが、そういう情報の誤りがあっても、政策決定者は最終的な責任を負うはずだ。なぜなら、彼らは、情報が間違う可能性も予期して判断するのが、仕事だからだ。
情報将校--法的には、確かにその通りだ。が、私が悩んでいるのは、人間としての倫理の問題なんだ……。
導師--というと……?
情報将校--「コラテラル・ダメージ」という言葉があるだろう?
導師--ああ、ある。懐かしい言葉……戦略論の授業で習った。軍事攻撃によって一般市民が受ける被害のことだね。
情報将校--そう。それを最小限に収めながら目的を達するのが、我々の目標だ。ところが、市民への被害がどんどん広がっている。
導師--何のことを言っているんだ?
情報将校--我々にとっては、ビンラーデンとサッダームが攻撃目標だった。それ以外は、本当に悪いヤツはいないと考えた。
導師--ジョン、君はイラク戦争の作戦に関わったのか?
情報将校--それを聞かないでくれ。言っただろう、答えられない質問なんだ。
導師--わかった……。
情報将校--ビンラーデンは、信念と財力とカリスマをもった指導者だが、意図が我々とまったく相容れない。アメリカ社会を破壊することが目的だ。サッダームは、中東に覇権を確立して石油を支配し、我々の同盟国・イスラエルの殲滅をねらっていた。
導師--それとは違う評価もあるが……。まあ、先を続けたまえ。

 谷口 雅宣

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2010年12月22日

訪問者 (1)

 エジプトのカイロ市郊外にある小さなコプト寺院に、白いボロ布を頭から被った男がやってくる。実は、この男は米大使館付きの情報将校で、昔友人だったこの寺院の導師に、面会を求めていた。
 
情報将校--ああ、アブダルさん。私をまだ憶えてらっしゃいますか?
導師--はい、もちろん。少佐からメールをいただき、昔の記録を少し調べましたが、すぐに思い出しました。二十年なんて、すぐにたってしまうのですね。ニューヨークにはしばらく行ってませんが、グラウンド・ゼロ付近はだいぶ復興が進んでいるのでしょうか?
情報将校--ここ一年ほど、あそこへは足を運んでいません。でも、ネット情報によると、跡地では塔の建設が進んでいて、破壊のあとはもう残っていません。
導師--人々の心の破壊も消えてくれているといいのですが……。
情報将校--ああ、ほんとにそう思います。
導師--ニューヨークの大学へは、たまには行かれるのですか?
情報将校--前回行ったのは、もう二年前でしょうか……。あなたと一緒に中東史を学んだ教室はまだ残っていて、懐かしかったです。でも、あの古い図書館は壊され、新しい建物がいくつも建ち、キャンパスはすっかり窮屈になりましたよ。
導師--さて、立ち話も何でしょうから、どうぞ私の部屋へ来て下さい。
情報将校--はい、ありがとうございます。

(二人は、寺院内にある導師の狭い執務室でテーブルをはさんで向かい合う。)

導師--メールでのお話では、何か悩みと相談があるということでしたが……。
情報将校--はい。でも、今の私の立場では、お話できることとできないことがあるということを、ご理解いただきたい。
導師--それは、もう当然のことです。私も今は、神に仕える身ですから、二十年前とは変わっているかもしれません。
情報将校--はい。お会いしてから、ずっとそう感じていました。でも、昔のように「アブダル」とファーストネームで呼んでもいいでしょう? その方が、正直な気持になれる気がします。
導師--もちろん結構です。では、私の方も「ジョン」と呼んでいいですね?
情報将校--ああ、それはありがたい。古い友人関係がこの地で復活するのは、大歓迎です。
導師--ではジョン……私にできることは、神との仲介だけだが、何か質問を……?
情報将校--ありがとう、アブダル。大学を出たころ、私は善悪の判断には自信があった。でも最近……特に、9・11のあとに中東へ来てから、それが揺らいでいる。
導師--そうですか。ジョン、情報機関に入っていろんな経験をしたんだね。
情報将校--イラク戦争は、9・11という明確な「悪」に対する宣戦布告だった。それは正しい戦い--つまり、正戦であることは、疑いの余地がなかった。なのに九年たった今、我々がここに--つまり、中東地域にいることが「悪」を拡大させる原因になっている……。時々そういう疑念に襲われるんだ。

 谷口 雅宣

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2010年11月18日

ハナミズキとイチョウ (3)

Leavess  その年は、熱い夏が長く続き、遅い秋が突然やってきました。昼と夜の寒暖の差が大きくなると、木々の葉は急速に色づきはじめます。ハナミズキは、こういう時季が来るのを待っていました。普段の年は、ハナミズキの紅葉とイチョウの黄葉は、少し時季がズレていました。それでも重なる期間はあったので、その数日間、ハナミズキはイチョウとの触れ合いに心を躍らせるのでした。でもその年は、ハナミズキの紅葉が遅れ、イチョウの黄葉が早まったおかげで、2本の木は、アスファルトの道路いっぱいに葉を落として、我を忘れる思いで1週間の逢瀬に没頭したのでした。ハナミズキは、「こんな楽しい日々が続くなら、地球温暖化も悪くない」とさえ思いました。
 
 でも、始まりがあるものには、必ず終わりが来るのでした。12月が近づくと、ハナミズキもイチョウもすっかり葉を落としました。道路に散り敷いた赤と黄の落葉は、イランの宮殿にある華やかなペルシャ絨毯より、なお豪華であった時期も過ぎ、しだいに色褪せて、茶褐色に沈んでいくのでした。イチョウとの楽しい日々はもう終わりだと感じたハナミズキは、今年こそ大切なことを話そうと思いました。
 
ハナミズキ「あのぉ……1つだけ教えてください」
イチョウ「なんだい?」
ハナミズキ「私たち、来年まで会えないのですか?」
イチョウ「すぐそばに立ってるから、会ってるようなものじゃないか」
ハナミズキ「見るだけでは、心が苦しくなります」
イチョウ「確かに……。話ができないのは、ぼくも苦しい」
ハナミズキ「春になって、あなたのために花を咲かせても、あなたの声は聞こえません」
イチョウ「ぼくは緑の葉をいっぱいに広げて、君のために春風のダンスを踊ろう」
ハナミズキ「あぁ、私も紅い花を枝いっぱいにつけて、あなたといっしょに春風のダンスを踊りたい! でも、私たちは動けない。手を取り合い、葉を寄せ合って、二人だけの音楽を奏でたいのに、それはできません」
イチョウ「動物でないぼくたちには、それはできない。仕方がないんだ」
ハナミズキ「でも、秋にはできるじゃないですか。ほら今、こうしているように……」
イチョウ「それは、落葉するから……」
ハナミズキ「春にも、落葉したい!」
イチョウ「それは神さまに禁じられている」
ハナミズキ「神さまにお願いして、春にいっしょに落葉しましょう!」
イチョウ「君、それは……無理だ」
ハナミズキ「なぜ?」
イチョウ「春に葉を落とせば、成長のためのエネルギーが足りなくなる」
ハナミズキ「成長はもう、しなくていいの。私たちは、もう大人です」
イチョウ「大人には、しなくてはならない仕事がある」
ハナミズキ「えっ、それは何?」
イチョウ「種を作って子孫を殖やすことだ」
ハナミズキ「あぁ、そのことです。私が言いたかったのは……」
イチョウ「何を言いたかった?」
ハナミズキ「あなたと私の子供がほしい」
イチョウ「えっ! それは、動物でなければ無理だ」
ハナミズキ「それでは、せめて種でいい。あなたと私で種を作りましょう」
イチョウ「君、ミズキとイチョウでは種類が違う。異種同士では、種は作れない……」
ハナミズキ「でも、私たちがバラバラでなく、いっしょだという証(あかし)がほしい」
イチョウ「…………」
ハナミズキ「神さまにお願いして、何とかしてもらえませんか?」
イチョウ「わかった。二人でお願いしよう。神さまなら、きっと何かしてくださる」
 
 こんな会話があった数日後、この地域に清掃車がやってきて、周りの落葉をきれいに掃除していきました。ハナミズキとイチョウの間には、前と同じように、灰色のアスファルトの道路が横たわっているのでした。2本の木の、距離を置いた生活がまた始まりました。季節は冬となり、やがて空には雪が舞うようになりました。
 
 この話は、ここで終わりです。でも、読者のために、翌年の春に起こった“小さな異変”について書いておいた方がいいかもしれません。それは、ハナミズキとイチョウから再び新芽が伸び出す時季に、今まで見たこともないキノコが、双方の木の根元から頭をもたげていたことです。直径が3~4センチのその傘は、鮮やかな橙色をしていて、まるでハナミズキの赤とイチョウの黄色が混ざったような色でした。学者は、この新種キノコに「イチョウミズキタケ」という名前を与えました。

 谷口 雅宣

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2010年11月17日

ハナミズキとイチョウ (2)

Gingkotree  秋になると、赤くなり黄色くなった木々の葉は、枝からハラハラと落ちていきます。人の目には、葉が落ちるのは、雨や風や乾燥などで、木々がやむを得ずにそうするように見えるでしょう。もっともっと枝に付けておいてほしいのに、寒さや冷たさがむりやりに、葉を木々から奪い取る……でも、本当はそうではないのです。木々は、ちゃんと考えて、適当な時期に適当な数の葉を、枝から放すのです。風に吹かれて飛ばされてしまうのではなく、本当は自分で選んだ葉を、風に乗せて送り出すのです。
 
 何のためだか分かりますか? それは、近くの木とお話するためです。もちろん人間とは違いますから、言葉を使っての話ではありません。色と音と、触覚を使うのです。サクラの葉が紅葉すると、あんなに多くの色を葉の表面に浮き出させるのは、このためです。サクラは、とってもおしゃべりなのです。いろんなことが言いたくて、いろんな色を発色し、その葉が別の木の葉と触れ合うとき、メッセージを伝えます--
 
カサカサ、コソコソ
サクサク、サカサカ
 
 サクラの葉の縁が、どうしてギザギザなのか知ってましたか? あれは、音がよく出るためです。それに、せっかく触れた別の葉と、離れたくないからです。ギザギザを相手のギザギザにひっかけて、もっと話がしたいのです。
 
シキシキ、スクスク
サキサキ、ソコソコ

 幹線道路の入口に立つイチョウが黄葉すると、北風に乗せて葉をサカサカと送ってきます。ハナミズキは、それがイチョウの好意のしるしだと知っていました。でも、扇形のイチョウの葉は、なかなか風に乗りにくいのでした。イチョウの木から5~6メートル飛ぶと、そこに落ちてクルクル回転します。その上を自動車が走ると、湿ったタイヤがイチョウの葉を道路に貼りつけてしまいます。また時々、とんがった女の人のハイヒールが、その葉を裂いていきます。裂かれても、砕かれても、イチョウの葉は風を使って、ハナミズキの立っている場所へ、少しずつ、少しずつ、近づいてくるのでした。
 
 ハナミズキはそれを見ながら、一所懸命に葉を落とすのでした。自分の紅い葉で、傷ついたイチョウの葉を護ってあげたい。砕かれるのを防いであげたい。そうすれば、自分の葉の下で、イチョウはまだ話ができる。自分の葉と触れ合いながら……。
 
シキシキ、シャカシャカ
チチチチ、キキキキ

 木々はこうして自分の“分身”を空に放ち、地に撒布して、互いに話をするのでした。

 谷口 雅宣

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2010年11月16日

ハナミズキとイチョウ

 東京の町のある坂道に、1本のハナミズキの木が立っていました。そこは、幹線道路に続く上り坂の狭い道で、幼稚園の子供たちが、お母さんの手を握ったり、自転車の後部座席にまたがったり、あるいは自動車の助手席から、窓に顔をつけて外をのぞきながら通う道でした。

Amdogwood  ハナミズキの木は苗で植えられてから、もう5年がたっていました。春には、赤いチョウの羽のような愛らしい花をいっぱいつけ、夏には下を行く園児やお母さんに涼しい木陰を提供し、秋には、真っ赤に紅葉して人々の目を楽しませ、冬には銀の綿毛の芽を陽光に輝かせて、元気に育ってきました。そんなハナミズキにも、心躍らせる時が来ていました。それは今、秋だからです。
 
 ハナミズキが立つ坂道を上りつめたところに、幹線道路への出入口がありました。そこに1本のイチョウの木が立っていました。幹線道路の両側には若いイチョウ並木が続いているのですが、その1本のイチョウだけが、ハナミズキの心を奪っていました。その木は、アスファルトの下に拡がる大地にしっかりと根を張り、まっすぐな幹をスックと天に伸ばしていました。樹形が整っているだけでなく、葉のつき具合、幹を覆うゴツゴツとした樹皮の色つやもよく、ハナミズキをほれぼれとさせるのでした。特に秋になると、その木は幹線道路沿いのどのイチョウよりも早く、葉を黄色く変えて、「私はここにいるよ」と全身で誇らしげに語りかけてくるのでした。

 そのイチョウの木が早く黄葉するのには理由がありました。幼稚園から幹線道路に出る上り坂は、ビル風の通り道でした。また、幹線道路への出入口では、背の高いビルが途切れていて、南の空がひらけて見えるのでした。そこにしっかりと根を下ろしたイチョウは、朝夕は冷たいビル風に耐え、日中は暖かな陽射しに照らされて、マラソン選手のように鍛えられてきたのです。厳しい環境にいて、美しく生きる--そんなひたむきな求道者のような姿を見て、ハナミズキは時々熱いため息を漏らすのでした。

「疲れをとってあげたい。心をなぐさめてあげたい……」

 でも、植物である木が、自分の気持を相手に伝えるのは簡単でありません。動物のように動くことができれば、すぐにでもそばへ行って、紅葉した自分の葉をイチョウの全身に振りかけて暖めてあげたい、とハナミズキは思いました。その望みはかなわないのですが、ハナミズキには別の方法がありました。それができるのが、この秋の季節なのでした。

 谷口 雅宣

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