2011年7月26日

旅の空から (1)

 今は7月26日(火)の午後4時すぎ。正確な時刻はわからない。というか、今の私にはあまり重要でない。この日、午前12時15分に出発予定の成田発JL407便でフランクフルトに向かっている最中である。30~31日の週末2日間を使って行われる「世界平和のための生長の家国際教修会」と、次の日曜日にロンドンで行われる一般講演会のことで、心に余裕がない。ドイツでの講話原稿が25日の午前中に仕上がったばかりで、ロンドンでの講話原稿はまだ3分の1ぐらいしかできていないのが気がかりである。その下書きを、成田からフランクフルトまでの十数時間で書き上げれば……と思っていたが、そう簡単にはいかないようだ。
 
 機中の人となってすでに6時間ほどたっているが、ドイツでの講話で使う画像の制作をPC上でやり今、一段落したところである。
 
Kanabunbb  成田空港のJALのラウンジで、この朝撮った写真を2枚、フェイスブックの私のページにアップした。1つは朝食のサンドイッチで、もう1つは、自宅の庭にあるブルーベリーにしがみついて朝食をとっているカナブンの写真だ。人間も食事をするのだから、カナブンが食事をするのは一向に構わないはずだが、人間が育てている果樹の実にしがみついているのを見ると、つい「このぉ~」という気持になる。「奪われている」と感じるからだ。しかしこの時は、自分がこの家を2週間空けるのだから、その間に熟するブルーベリーはすべて“彼ら”の食事になるか、地に落ちて別の生物のエネルギー源になると予測できた。となると、小さな1粒や2粒、あるいは10粒や20粒でも、カナブンに食べてもらってもいいじゃないか、という気持になったのである。
 
 考えてみれば、この同じブルーベリーの木から私も妻も、それから何十匹ものカナブンも、毎日果実をいただいているのだから、「我々は皆仲間だ」と言えるのである。食卓こそ共にしないが、同じブルーベリーの栄養をいただき、生きる喜びを味わっている。しかも、そのブルーベリー自身は、ほとんど無償で無数の果実を動物たちに、またバクテリアにも提供している。「取る」ということの裏側にある「与える」という行為に注目すれば、「奪う」ように見えている様々な現象が、違う意味をもって人間の心に映ってくるに違いないのである。

 谷口 雅宣

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2011年6月19日

表参道にキノコ出る

Hitoyotake  今日は朝から新宿へ行った。パスポートを受け取るためである。6月9日の本欄に申請書類を都庁の旅券課に提出したことを書いたが、1週間後には新しいものが発行されると言われていた。夏休み前の日曜日だから、もしや混雑……と思って“朝一番”の時間に行くことにした。日曜日はたいてい講習会があるので、そういう休日の原宿をゆっくりと歩く機会は珍しい。人もまばらで静かな原宿はいいものだ……と思いながら、明治通りと表参道の交差点を新宿方向へ渡り、JR原宿駅に向かった。と、地下鉄の明治神宮前駅への降り口のところに、奇妙な形の白い塊を見つけた。一見して、空気の入った白いレジ袋が捨ててあるのかと思った。が、近づいていくると、卵大の白いツブツブが密集しているように見える。そして、さらに近づくと、それがキノコの幼菌の群生だと分かった。私と妻は、思わず大声を出してしまった。
 
 東京の原宿でキノコが生えるのは、明治神宮か自宅の庭ぐらいだと高をくくっていたが、表参道の地下鉄の駅の入口で、植え込みの中から群生するキノコもあるのだ。一般にキノコが生える環境は自然が豊かだとされるが、この考えは改めなければいけないのか、と思った。しかし反面、キノコはカビの“親戚”だから、条件さえ整えば都会の真ん中で頭をもたげていても不思議はないのかもしれない。その証拠に、松本零士氏の『男おいどん』というマンガのシリーズでは、じめじめした環境の貧しい家の中では、町中であっても「サルマタケ」というキノコが出ることになっている。もちろん、こんな名前のキノコは存在しない。が、松本氏は自分の経験を元にしている可能性は大きい。
 
Awatake  私が今回のキノコ発見に心を動かしたのは、たぶん自宅と長崎・総本山の公邸の庭とで、連続してキノコと出会っているからだ。「また遭いましたね!」という感じだ。自宅でキノコに遭ったのは先月の26日で、勝手口の脇の陽の当たる植え込みの中に出ているのを妻が見つけた。総本山では、雅春先生の二十六年祭で公邸に泊まったとき、これも妻が最初に見つけて私を驚かせた。これらの場所でキノコが出ること自体は、それほど驚くことではない。過去に何度も目撃している。が、私が感動したのは、それらのキノコKoujitake が食用にできる種であるということだった。自然に囲まれている総本山の公邸は、何らかのキノコは生えるだろう。また、自宅の庭にも、カレバタケのような非食用種はいくつも顔を出す。しかし、今回遭遇したのは、アワタケ(写真左)、もしくはコウジタケ(写真右)と思われるイグチ科の食用キノコだった。長崎の公邸はともかく、東京の原宿で天然の食用種が採れるとなれば、自慢していいと思っていた。
 
 そこで問題になるのが、今回の地下鉄駅前で見つけた“天然キノコ”の種類である。パスポートを受け取ってから帰宅し、キノコの本を調べてみると、それは「ヒトヨタケ」だと思われる。「思われる」と書いたのは、キノコの種の同定は専門家でも難しいからだ。しかし、本にある写真と書かれた記述を読み、自分の撮った写真と見比べてみると、この種以外は考えられない。そこで、この本の説明を引用しよう--
 
「ヒトヨタケーー春~秋、畑地、公園、路傍などに束状に発生。傘は初め長卵形、のちに開いて鐘形となり、小~中型。表面は灰色~淡灰褐色、中央部に鱗片をつけ、周辺は溝線がある。ひだは密、成熟するにつれて白色から紫灰色、黒色と変化し、反り返った傘の周縁部から液化してしたたる。(中略)食。ただし、酒類を飲む前や飲んだのちに食べると激しい二日酔い状の中毒にかかる。ヒトヨタケ属のきのこは“一夜茸”の名のとおり、どれも短命である」。

 ということで、このキノコは食べられる可能性が大だが、酒好きの人は要注意である。また、すぐに“液状化”するようだから、採りに行っても、もう姿を消しているかもしれない。(残っていても食べないでください)

 谷口 雅宣

【参考文献】
○本郷次雄監修『きのこ』(山と渓谷社、1994年)

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2011年6月 7日

CO2の“肥育効果”

 前回本欄を書いてから、少し日がたってしまった。長文の原稿を書いていたので、ブログまで手が回らなかった。この世界は、短い期間に本当にいろいろなことが沢山起こる。日本の政治でもゴタゴタが起こったが、触れる価値があまりないので今は何も言わない。国際関係でも重要なことが起こっているが、改めて別の日に書こうと思う。6月5日には生長の家講習会が埼玉教区の4会場であり、これについては妻がすでに書いてくれた。私はこの日の前日に、講習会での午前の講話の構成を少し変えようと思い、使用するパソコンの画像システムに手を加えた。これにも案外、時間がかかった。多くの人は、パソコンによるプレゼンテーションをマイクロソフト社の「パワーポイント」を使って行うが、私はNeosoft社の「NeoBook」というマイナーなソフトを使う。理由は、このソフトをもう10年以上使っていて、乗り換える気がしないからだ。それでもまだ、このソフトのすべての機能を使っていない。なかなか奥深いところが、また好きである。

 埼玉での講習会の午後の講話では、世界の穀物生産量が“頭打ち”になっていることに触れた。世界人口は増え続けているのに、穀物生産が増えないということは、飢餓人口が増えていることを意味する。そんな中で、中国やインドなどの新興国の経済発展が続いている。人間は、経済が豊かになると肉食を増やす傾向がある。実際に中国ではそれが起こっている。ということは、飢餓人口はさらに増え続けることを意味している。なぜなら、現代の食肉生産には穀物飼料が大量に使われるからだ。こうして、家畜を殺して食する行為は、回り回って人間が同胞の食糧を奪う結果になる。仏教が昔から教えている因果応報の原則は、グローバル経済の中でも確実に進行しているのである。
 
 この世界の食糧問題について、6月4~5日付の国際紙『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』(IHT紙)が人類の“運命”を救おうとする科学者の努力について書いていた。温暖化による気候変動や森林伐採により、世界各地で砂漠化が進んでいるが、水分が少なくても育つ穀類の新種を生み出そうという努力は、穀物消費量の増加に追いついていない。つまり、世界の4大穀物--小麦、米、トウモロコシ、大豆--の在庫は減り続けているのだ。これによって、2007年以降、穀物価格の急騰が2回あった。このことは、可処分所得に占める食費の割合が小さい先進諸国では、あまり騒がれていない。しかし、この割合が大きい途上国では、メキシコからウズベキスタン、イエメンにいたるまで大きな問題となり、暴動が起こった国も少なくない。また、今年の初めから続いているエジプトや北アフリカの政情不安も、食糧価格高騰と関係している。このことは1月の本欄(1月7日 同15日同28日)ですでに触れた通りだ。
 
 しかし、今回のIHT紙の記事のポイントは、食糧高騰と政情不安の問題ではない。そうではなく、地球温暖化にともなう気候変動は、食糧生産に予想以上の悪影響を及ぼしているという危機感だ。地球温暖化の影響を評価した多くの科学者たちは、当初の気温上昇は食糧生産にあまり深刻な打撃を与えないだろうと考えていたらしい。なぜなら、大気中のCO2の上昇も気温の上昇も、植物の成長には一般に有利に働くからだ。日本の環境庁(当時)の予測も、温暖化の初期は国内の農産物の収穫量は上がるとしていたのを、私は覚えている。このCO2上昇による植物の成長増加現象を、科学者たちは“CO2による肥育”(CO2 fertilization)と呼び、2007年の国連のIPCC報告書にも楽観的予測を盛り込んでいた。しかし、この予測の元となった研究は、温室などの人工的環境で行われたものが多かったため、実際の自然環境では違う結果が出ているというのだ。どう違うかといえば、CO2による肥育効果はあったとしても、気温上昇によって害虫が増えたり、旱魃や洪水が起こったり、都市化による地下水の減少が作物の生育に不利に働いているため、全体としては温暖化は食糧の生産増につながっていないというのだ。

 このような状況を知ってみると、日本の農業の振興は急務であり、肉食を減らす運動をさらに盛り上げていく必要があると強く感じるのである。
 
 谷口 雅宣

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2011年2月22日

“鯨肉食”はやめる時期

 前回の本欄で日本の“調査捕鯨”なるものについて触れたが、19日の『朝日新聞』が最近の動向についてまとめている。それによると、今季の日本の調査捕鯨は打ち切られることが18日に決まったそうだ。また、「来季以降の見通しも不透明で、80年近い歴史を持つ南極海での捕鯨が岐路に立たされている」という。理由は、①海外からの批判が大きい、②国内消費が減り続けている、③国内在庫が余っている、④近海捕鯨への方針転換、らしい。私は最後の理由が気になるが、今回の中止決定は歓迎する。日本がそれだけ“殺生”の悪業を積むことが減り、CO2削減にも貢献し、在庫管理のコストも減るからだ。
 
Whalecatchesjapan  上の『朝日』の記事によると、日本が南極海まで行って捕鯨をするようになったのは1934年からで、88年までは“商業捕鯨”をしていたという。ところが、捕鯨反対の声が海外で高まってきたため、88年でそれを打ち切り、代わりに「商業捕鯨をするのに十分な鯨が生息しているというデータを得るため」という理由で、調査捕鯨を始めたらしい。何かスゴイ理屈に聞こえるが、まあ、国内の捕鯨関係者を擁護するというのが本当の理由だろう。しかし、ここに掲げたグラフにあるように、鯨肉の国内市場への供給量は1965年以降、急激に減っている。水産庁の統計では、国内消費のピークは1962年で、約40万トンが消費されていたのに対し、近年はその100分の1に当たる4千トン程度なのだ。また、在庫量は経済低迷の影響もあって、昨年12月末の時点で約5千トン。つまり、年間消費量より多い。それならば、需要と供給の関係から、鯨肉の価格が下がってもいいはずなのに、私が調べたように、地元でさえ牛肉並みの値段で売られている。
 
 人気がないのなら、南極まで行って捕獲する必要はないと思うのだが、そこのところは“補助金行政”のおかげなのだろうか、何とも理由(わけ)が分からないのである。記事によると、調査捕鯨で捕獲された鯨肉は、“副産物”という名目で国内市場に出される。そして、その売り上げが次の年の調査捕鯨の経費に充てられるという。そうなると、鯨肉が“値崩れ”すると次期の捕鯨の経費が出ないことになりかねない。そんな配慮が働いて、市場への供給量を減らすのだろうか……。
 
 ところで、水産庁は南極海捕鯨をやめて近海捕鯨を“商業的”にやる方針のようだが、これは再考されたい。理由は、主として2つある--①高等哺乳動物の殺生、②汚染鯨肉の増加。最初の理由は、肉食関連の話の中で本欄で何度も書いたから省く。2番目の理由は、案外知られていない。映画『ザ・コーヴ』を見た読者はご存じだろうが、この映画の主張の1つが、水銀汚染の問題なのである。汚染化学物質は、食物連鎖のピラミッドを下から上の方向へと、濃縮されながら上がっていく--これが原則だ。だから、海洋に棲む大型魚類は、小型の魚よりも化学部質を体内に高濃度に蓄積することになる。しかし、南極海の調査捕鯨の対象であるミンククジラは、ヒゲクジラ類に属していて、小魚ではなくオキアミなどを主な餌としている。これに対して、日本近海にくるマゴンドウなどはハクジラ類に属していて小魚を食べる。ということは、近海物の鯨肉の方が南極海のものよりも汚染濃度が高い可能性が大きいのである。
 
 環境化学研究者の小野塚春吉氏は、『ザ・コーヴ』のパンフレットの中で次のように書いている--
 
「1973年、厚生省(当時)は行政上の指導指針として“総水銀0.4ppm、メチル水銀0.3ppm”の暫定的規制値を定めた。しかし、この暫定的規制値は“魚介類について設定されたもの”であるため、クジラ・イルカには適用されていない。“クジラ類は魚介類、魚類ではない”との解釈からであろう。そのため、暫定的規制値を超えるものが、何ら規制されることなく市場流通している」。

 もしこれが本当ならば、鯨肉を学校給食に出すなどという発想は、恐ろしく無責任である。とにかく、“伝統文化”の旗印があれば何をやってもいいという考えは、改めるべきなのだ。
 
 谷口 雅宣

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2011年2月20日

和歌山でも講習会大成功

 今日は和歌山教区での生長の家講習会だった。同教区では今回、和歌山市内の「和歌山ビッグホエール」に加えて、新宮市の「新宮市民会館」にも会場を設けて、初めての2会場開催となった。これによって教区全体の推進活動が盛り上がり、前回を6.6%(255人)上回る4,111人の受講者が集まってくださった。熱意をもって推進してくださった同教区の幹部・信徒の皆さんに心から感謝申し上げます。
 
 講習会当日の昼休みに私たちは控室で休憩するが、今日はその部屋に絵手紙が飾ってあった。教区の五者のメンバーが自ら筆を執って描いた作品である。それぞれに個性が表現されていて興味深く拝見した。今日、これら5人の幹部の皆さんとは昼食も共にしたが、その時に感じた個性とはまた別の側面が、絵手紙の中には出ているから不思議だ。絵を描くという行為は、「自己表現」と同時に「自己開示」を伴うものだと思った。こういう歓迎をしていただくと、こちらも胸襟を開いた交流をしたくなるものである。
 
 そんなことで、講習会後の幹部会でも活発な発表や発言があり、充実した時間がもてた。その中で印象に残ったのは、ある幹部の人から、今回のような衛星通信の技術やインターネットを利用した伝道には、限界があるのではないかとの質問だった。私は、その通りだと答えた。宗教の世界では“心の触れ合い”が基本であり、それを補う手段として通信手段を使った映像や音声のやりとりがあると思う。この主従の関係を逆転させると、前回の本欄で書いたような“ニセ情報の伝達”となる危険性が大きい。だから、生身の人間同士が交流し、対面する講習会や研修会、練成会、個人指導のような場は、“炭素ゼロ”を目指した今後の運動の中でも欠かせないものである。
 
Whalemeat  ところで、去年の8月16日の本欄で、和歌山県太地町のイルカ漁を扱った映画『ザ・コーヴ』について書いた。私は当地の食生活の中で、クジラやイルカがどのような位置を占めるかよく知らなかったので会食の時に聞いてみると、一種の“高級食材”だとの答えだった。それで、腑に落ちるものがあった。というのは、前日の夕方にJR和歌山駅前デパートの食品売り場で、何種類ものクジラの肉が売られているのを見たからだ。それには「100グラム1000円」という値札がついていて、案外高価だと感じた。この値段のもののWhalebacon ラベルをよく見てみると「ミンククジラ 南極海域産」「鯨ベーコン 南極海域産」の2種類で、それとは別の「ナガスクジラ アイスランド産」というのは100グラムが「283円」と安価なのに驚いた。「南極海域産」というのは、恐らく今問題になっている“調査捕鯨”によって獲られたクジラだ。アイスランドから来る輸入物の4倍以上の値段だから、高級食材には違いない。が、どれだけの人がそれを買うのか疑問に思う。

 クジラやイルカは高等哺乳動物であり、かつ海洋の食物連鎖の頂点にいる。だから色々な意味で、ウシやブタと同様に食材とすることはやめた方がいいのである。
 
 谷口 雅宣

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2011年1月 7日

食糧価格が上がっている

 昨年来、世界の食糧価格が高騰している。2007~2008年には、これが原因でカメルーン、エジプト、ハイチ、ソマリアなど各地で暴動が起こったが、昨年12月には食糧価格がそのレベルに近づいたとして国連の食糧業機関(FAO)は6日、警告を発した。7日付の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』が、これを大きく扱っている。同紙の記事によると、食糧価格高騰の要因には昨年来の天候不順がある。猛暑に襲われたロシアが穀物禁輸をしたことは本欄(8月20日)にも書いたが、大洪水に見舞われたパキスタンに日本も自衛隊のヘリコプター部隊を派遣したことは、まだ記憶に新しい。これらが影響して、昨年1年間で小麦の値段は47%上昇し、アメリカのトウモロコシ価格は50%、ダイズは34%、それぞれ上昇しているという。
 
Foodprices  昨年8月23日の本欄では、世界の食糧事情の悪化についてまとめて書いたが、その後、9月15日には飢餓人口が減少したことを報告し、一見、矛盾した形になった。その際、食糧事情の将来について“楽観論”と“悲観論”を紹介し、私としてはレスター・ブラウン氏などが唱える“悲観論”を支持したのだが、どうやら悪い方の予測が当たってしまったようだ。ただし、前回の食糧危機に比べて、まだよい点もある。その1つは、ここに掲げたグラフにあるように、穀物の値段が2008年のレベルに比べてまだ大分低いことだ。また、アフリカ南部の国々の作物の生育が比較的に良好なこともある。ただし、オーストラリア北東部の洪水の影響はマイナス要因である。また、同紙の記事では、FAOの経済学者、アブドルレザ・アバッシアン氏(Abdolreza Abbassian)が、旱魃になっているアルゼンチンでのトウモロコシとダイズの収穫量を心配している。
 
 天候不順だけでなく、食糧価格の高騰の要因で見逃せないのは、経済発展が進む中国、インド、インドネシアなどでの消費拡大である。日本もこの道を歩いてきたからわかるだろうが、経済状態が向上してくると、人間は肉食を増やすようになる。肉食の弊害はすでに何度も書いたが、食糧価格高騰との関係で改めて言えば、肉食が増えると、家畜の飼料に回される穀物の量が増大することになり、穀物消費全体が増える。そして、この動きは長期にわたって続くもので、簡単には止められない。しかも今、経済成長を続けている国はどこも人口が膨大であり、若年人口も多い。そして、これらの国々での経済成長は、深刻な環境破壊を伴っている--こう考えていくと、従来型の「経済成長」は、問題の解決よりは、問題の増幅に寄与する要素が大きいということがわかるだろう。

 2008年の“食糧危機”で被害が大きかった国のいくつかは、すでにインフレ対策に着手している。中国では、何カ所もの市で食糧価格の統制を始めた。コメ輸出国であるベトナムでは、昨年11月に国内価格安定のために輸出量を制限することを宣言した。インドネシア政府は、1月6日の会議で食糧価格の安定について審議し、貿易相がインフレ抑制のため、国民に自家消費のトウガラシを植えるよう求めた。昨年1年間で食糧価格が18%上昇したインドでは、政府が今月、銀行の貸出金利を上げると見られている。
 
 パキスタンでは政変が起こりそうになった。とは言っても、これは食糧価格の高騰によるのではなく、ガソリンなどの燃料価格との関係である。しかし、バイオ燃料が大量に使われるようになった今日では、燃料価格は食糧価格と連動している。ちなみに世界の原油価格は、1バレル3桁台に上がった2008年のレベルに近づいている。しかし、先進諸国の不況のおかげで在庫量が増え、精製施設の整備や新規油田の発見などもあって、すぐには3桁にはならないというのが、大方の専門家の見方だ。が、パキスタンを含めた途上国の多くは、国内の灯油やガソリン価格を低く抑える統制をしている。この政策のおかげで財政の負担が増しているため、パキスタンのギラニ首相は、昨年暮れにガソリンなどの燃料の小売価格を引き上げる決定をした。ところがこれに反対して、連立を組んでいた民族運動(MQM)が政権から離脱してしまったのだ。そこで同首相は、6日になって値上げ撤回を表明し、MQMとの連立が復活したということだ。

 パキスタンの政権安定は、アメリカのアフガニスタン作戦にとって大変重要であり、それとの関係で日本の外交政策にも影響がある。パキスタンでは最近、イスラーム過激派に批判的なプンジャブ州知事が暗殺されるという事件があり、これを機に国内の対立が増大している。このようなつながりを考えていくと、「気候変動 → 作物の収穫減 → 食糧価格高騰 → インフレ → 政治の不安定化」という関係が見えてくると思う。だから、平和の維持や国の安全保障のためには、軍事力の増強だけでなく、CO2の排出削減や農業の振興も重要な政策なのである。
 
 谷口 雅宣

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2010年10月16日

自然に“触れる”ということ

 13日の本欄でキノコを採った話を書いたが、今年は全国的にキノコの“当たり年”ではないか、と秘かに思っている。というのも、私の山梨の山荘周辺にボコボコと出ていただけでなく、町の市場にも数多くの種が並んでいたし、少し離れた「美しの森」という広い斜面にも多種が出ており、14日の朝のNHKラジオでは「マツタケを6本採った」という岡山県の人の話をしていた。また、東京の自宅の庭のケヤキの根元からもナメコのようなキノコの群生が2回出ただけでなく、つい最近はモクレンの木からも、これまで見たことがない「イチョウタケ」らしい大型のキノコが顔を出していたからだ。これだけのサンプル数で「全国」を語るのは早いかもしれないが、そう考えると納得できる周辺情報もあるのだ。
 
 今日(16日)の『朝日新聞』は来春の樹木からの花粉の飛散量が、今年の10倍になるかもしれないと警告している。その理由は、「今年6~8月の平均気温は統計を取り始めた1898年以降最も高く、スギ、ヒノキの花芽の育ちが良い」からだという。前日に日本気象協会が発表した情報にもとづくらしい。そのこととキノコとの関係は定かではないが、八ヶ岳南麓の清里で夏を過ごしたという人に聞いたら、今夏の山は雨続きで、最近になってようやく青空が出だしたというのだ。この降水量の増大と長期にわたる高温続きが山地の植物を成長させただけでなく、キノコなどの菌類の成長にも一役買ったとは考えられないだろうか。もしそうだとすると、地球温暖化の影響は必ずしも“悪く”はない、との結論に急ぎやすい。
 
 だが、同じ日の『朝日』の「天声人語」には、キノコだけでなく、クマも“当たり年”らしいと書いてある。すでに報道されているように、クマたちは福井のデイケア施設や山形の中学校で人に被害を及ぼしているだけでなく、他の地方でも出没が増えているため、捕獲数は2006年以来の約5千頭に達する可能性を記事は示唆している。クマの出没の原因に関しては「ドングリの不作」説がよく言われるが、今年はそうでないかもしれない。というのは、私の山荘では、夜寝ていても、ドングリが屋根に落ちてコロコロと転がる音が盛んに聞こえたし、地面には落ちたドングリがゴロゴロしていたからだ。また、「天声人語」は、写真家の宮崎学氏の『となりのツキノワグマ』(新樹社)をもとにして、「クマの数は増えている」という説を掲げている。数が増えれば、民家の周辺に現れる確率も増えるということだ。
 
 それによると、宮崎氏はもう35年ほど前から、中央アルプスの獣道などに自動撮影装置をつけたカメラを仕掛けて動物写真を撮ってきたが、1982年からの3年間で1頭しか写らなかったクマが、2005年には1カ月で10頭も写ったというのである。だから、同氏は「人知れず、うんと増えているというのが定点観測の実感です。山で増えれば、里に下りる数も増す」と言っている。同じ日の『福井新聞』にも、福井県大野市が「クマ出没対策本部」なるものを前日に設置して、クマ対策に全庁体制で当たることを決めたことが書いてある。それによると、同市での15日までのクマ出没件数は77件で、この数は、2006年の386件(10月末まで)、2004年の203件(同)に次いで多いという。捕獲数は10頭で、うち2頭は射殺、8頭は放したという。

 こんな話を聞くと、私もそのうち“クマとの遭遇”を経験することを考慮しなければならないかもしれない。山荘周辺では、私はすでにイノシシ、シカ、キツネ、キジに遭っていて、雪の中にノウサギの足跡も発見している。また、だいぶ前のことだが、山荘のデッキ付近にウサギの片耳が落ちていたこともあるから、猛禽類も棲んでいるはずだ。となると、クマとの出遭いも覚悟しておいた方がいいのだろう。自然に“触れる”ということは、人間にとってリラックスできることだけではないのだとつくづく思う。
 
 谷口 雅宣

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2010年10月13日

クリフウセンタケ

 秋のよい気候になってきたので、自然と親しもうと思い、妻と2人で山へ来ている。キノコ採りが目的だが、原稿の締め切り日も間近なので、時間の配分に工夫が必要だと頭を悩ませていた。ところが、朝、様子見で山荘の裏山を少し歩いたところ、いたるところに様々なキノコが出ている。以前から本欄でよく紹介しているジゴボウ(ハナイグチ)も数多く、それ以外の名前のわからない種も多い。

Kurifusens  そして、もう帰ろうと思っていた矢先、南向き斜面の一画に黄褐色の傘をもたげたキノコの群生を見つけたのだ。名前は分からないが、小さなオムスビのように盛り上がった成菌の傘と、土に半分埋もれながら、ボールのような“頭”を覗かせている幼菌とが連なって、何メートも帯状に拡がっている姿に感動した。これまでの経験から、何となく食用キノコのような気がする。種の特定をするために、以前にもキノコの同定で世話になったペンションのご主人のところへ行き、それがクリフウセンタケであることを教えてもらった。初めて採った種なので、2人して喜んだことは言うまでもない。
 
 クリフウセンタケは、「ニセアブラシメジ」というあまり聞こえのよくない異名をもつが、味は本物の食用キノコだ。ものの本によると、「さわやかな香りと多少ぬめりもあり、歯切れも舌ざわりもよい。味には全く癖がなく、うま味のあるよいだしが出るので、どんな料理にも利用できる」という。大量に生えていたので全部採ることはせず、料理のための後処理に懸命だった妻に大いに感謝して、夕食のおかずにいただいた。酢の物もおろし和えも、絶品である。

 谷口 雅宣

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2010年10月 9日

ミツバチはなぜ減少する? (3)

 何年か前に、私はアメリカなどでミツバチが減っているという話を本欄で書いたことがある。2007年の3月2日11月6日だった。この現象は、「群棲崩壊障害」(colony collapse disorder, CCD)と呼ばれていて、最初の正式な報告は2006年だったが、散発的なケースは2004年ごろから起こっていたらしい。原因としては、農薬や遺伝子組み換え食品などが取り沙汰されていたいたが、どうもそうではなく、2007年10月に科学誌『Science』に掲載された論文は、イスラエル産のウイルスの感染によるものと推定したが、確定してはいなかった。ところが、このほど米陸軍とモンタナ大学の研究チームが発表したところでは、菌類とウイルスが協働して及ぼした現象だという。7日付の『ニューヨークタイムズ』(電子版)が伝えている。
 
 CCDが起こる詳しいメカニズムはまだ分かっていない。しかし、“下手人”として疑われているこの菌類とウイルスは2つとも、涼しくて、湿気の多い天候の時に繁殖し、ハチの腹の中で“悪さ”をするという。だから、ハチの体内の栄養素が影響を受けるのかもしれない。CCDの原因究明で難しいのは、ミツバチたちは巣の中などの特定の場所で集団で死ぬのではなく、どこかへ散り散りに飛んでいって、孤立状態で死んでしまうことだ。こういう場合、ハチの死には数多くの原因が考えられるから、いろいろな場所から死骸を集めて調べても、そこから特定の原因を絞り込むことは難しいのである。ところが、モンタナ大学と陸軍のエッジウッド生物・化学センターの研究者たちが調べたところ、CCDの被害に遭ったミツバチのコロニーには、例外なく同じ菌類とウイルスの組み合わせが発見されたというのである。また、この菌類だけ、あるいはウイルス単独では、ミツバチに致命的な影響を与えないが、2つが組み合わさると死は確実になるらしい。
 
 この菌類は「N. ceranae」といい、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の研究で、すでにCCDの原因の一部だろうと言われていた。またウイルスは、何種類もに“嫌疑”がかけられていた。が、軍で開発された生物兵器の探索用のソフトウエアによって今回、それらとは別のウイルスが“犯人”として特定されたという。では、ミツバチたちはなぜ、死ぬ前に巣から飛び立っていくのか?--1つの説明は、菌類とウイルスによってミツバチの記憶が阻害され、巣へ帰還できなくなるというもの。もう1つの説明は、ミツバチの脳が一種の“狂乱状態”を起こすというものだ。いずれにせよ、2006年以降、アメリカではCCDによってミツバチのコロニーの20~60%が消滅してしまったというから、早く原因を確定してほしい。
 
 日本は、食品の原料や動物の餌などとして、アメリカから大量の穀物や果実を輸入しているから、決して“人ごと”ではない。世界の食糧難が予測されている中、植物の授粉に不可欠な役割を果たしているハチのありがたさを、改めて噛みしめる機会としたい。

 谷口 雅宣
 

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2010年9月30日

キノコ採りで考える

 木曜日の休日を利用して大泉町の山荘へ来ている。気候がようやく秋らしくなったため、当面の目的はキノコ採りである。雨が降り続いた合間の、ちょうど晴れた日に来られたのJigobo_1 で、天女山と美しの森を歩いて“獲物”を探した。地元で「ジゴボー」と呼んでいるイグチ科のキノコ「ハナイグチ」(=写真)が多く採れた。このキノコは本欄でもよく紹介したので、憶えている読者も多いだろう。地方によって「リゴボー」とか「カラマツタケ」とか「ラクヨウ」などと呼称が異なる。キノコの同定は難しく、間違うと中毒するとよく言われるが、このキノコは明確な特徴があるから、妻も私も自信をもって採ることができる。まず、①カラマツ林に多く出ること。②軸が黄色く、傘の上面は褐色から赤褐色である。これとは対照的に、③傘の下面は、イグチ科共通の特徴のスポンジ状で黄色い、④湿った環境では傘は粘液で覆われて光っている。⑤独特の香りがある。これだけの特徴があれば、まず間違うことはない。
 
 妻と私の合計で70本以上採れた。このほか、ホコリタケもたくさん出ていたが、こちらは適当に採った。それほど美味とは言えないからだ。そのほか同定できた食用キノコは、キノボリイグチ、ベニハナイグチ、アイシメジ、アカモミタケなどだ。このうちホコリタケだけは、Benitengu ソテーにして食べた。無味無臭で、食感はマッシュルームのようだ。私のこれまでの経験では、ハナイグチは長期間にわたって採れるが、アイシメジとアカモミタケは晩秋のキノコだと思っていた。それが今の時季に出ているのは、気候の変化が影響しているのかもしれない。また、毒キノコではあるが、容姿の美しいベニテングタケ(=写真)を見つけ、感動した。このキノコの毒には幻覚作用があり、古い時代にはそれを利用して宗教行事にも使われたということを、宗教学者の中沢新一氏が著書に詳しく書いている。私も『秘境』という小説の中で、このキノコの毒性を“小道具”に使ったことを思い出した。
 
 日本菌学会会長を永く務めた生物学者の今関六也氏は、生態系の中での菌類の役割について『日本のきのこ』という本の中で興味深い話を書いている。それによると、地球の生態系は、無機物でできた環境界と有機物による生物界から成っているが、キノコを含む菌類は、その中で有機物を無機物に変換する2つの重要な流れの1つを担っているという。もう1つの流れは、動物が担っているが、動物による有機物から無機物への分解能力には限りがあるので、菌類がそれを補っている。これに対して植物は、光合成を使って無機物を有機物に変換するとともに、菌類と動物とによる有機物を分解して無機物に変換する。この双方向の流れがバランスよく働いているために、生物の繁栄に必要な稀少量の無機物が無限に循環する生態系が成り立っているというのである。そして、今関氏は次のように言う--
 
「生物の出現は35億年前といわれるが、35億年の長い生命の歴史は、植物・動物・菌の共同生活によって築かれ、その永い歴史を通して生物は進化に進化を重ね、ついに人類は誕生した。人類が今日あるのは、35億年の生命の歴史のおかげであり、この歴史を築いた三つの生物群の一糸乱れぬ共同生活を続ける限り、人類の永遠?の繁栄も約束されるはずである」。

 つまり、「植物・動物・菌の共同生活」というのが、地球の生態系の本質だということだろう。三者のうちどれか1つだけが栄えたり、どれか1つが犠牲になるような方向へ動くことは、生態系の破壊につながり、したがって人類の破滅へと結びつく--そういう意味だと思う。菌類の中には、キノコのほか、カビや細菌も含まれる。細菌と言えば、いわゆる“善玉”“悪玉”の腸内細菌も、また虫歯菌も含まれる。一見“悪”と見えるものも、「本当は悪ではない」と言っているように聞こえないだろうか。
 
 谷口 雅宣

参考文献】
○今関六也他編著『日本のきのこ』(山と渓谷社、1988年)

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