2009年11月 5日

ミカンを採る

 今日は休日を利用して、自宅の庭のミカンを収穫した。今年はミカンの実のつきが良く、その重みで枝が垂れ下がっているのが何か可哀そうだし、そろそろ鳥につつかれるようになってきたので、黄色に色づいてきたものから採ることにした。大小さまざまな大きさがあるのを、まず園芸用の鋏で伐る。低い位置のものから採っていったが、高い位置にあるもMikan2009 のの方が色づきがよいのである。アルミ製の梯子を出してきてそれらを採ることは採ったが、ミカンの樹は斜面に生えていて、しかもきちんと剪定していないので、梯子でも採れないものが多く残った。すると妻が、「高枝伐りを使えば採れる」と言ってそれを持ってきてくれた。これはなかなか便利な道具で、3mぐらいの高さにあるものも採ることができた。こうして採ったミカンを数えると、150個くらいあった。そして樹上には、黄緑色の状態のものや、高くて採れないものなどが、同じ数ほど残った。なかなかの豊作である。

 今年は、ミカンの隣にあるユズもいっぱい実をつけているし、粒が例年より大きい。しかし、冷夏の影響もあってブルーベリーは少なく、ビワも数えるほどで、イチジクときたらほとんど実をつけなかった。同じ環境にあっても、果樹の種類によってこれだけ結果が違うから、不思議である。多様な種があることで、何かが不作でも別のものが不足を補ってくれるのが「自然」の状態なのである。このことは、安定的な組織運動の発展にも必要な、重要な要素だろう。

 谷口 雅宣

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2009年10月22日

キノコ採りと柴刈り

Jigobo09f  休日を利用して大泉町の山荘へ妻と行った。好天のおかげで紅葉はすばらしかったが、逆に山は乾燥していて、キノコは期待していたほど採れなかった。それでもハナイグチ(=写真)とチャナメツムタケを2人で2食分ほど収穫できた。妻はさっそく酢の物と佃煮にしてくれた。

 10月初めに生長の家講習会で小樽へ行ったとき、寿司に添えられてこのハナイグチに似たキノコの酢の物が出てきたのを思い出す。それを見て、2人で驚いたのだった。この種類のキノコは栽培できないと思っていたからだ。そこでキノコの名前を店の人に聞いてみると、「ラクヨウ(落葉)」だという。聞いたことのない名前だった。その店は、キノコを八百屋さんで買ったというが、その八百屋さんは山から採ってくる人から仕入れるそうだ。別のキノコかとも思ったが、後で調べてみると、北海道ではハナイグチをそう呼ぶらしい。我々はもっぱら、山梨風に「ジゴボー」と呼ぶ。何となく親しみが湧く発音だからだ。
 
Jigobo09f2  わが家では、ジゴボーはもっぱら味噌汁に入れて食べていたが、今回は小樽風に酢の物を所望した。独特の香りが引き立つが、これには好き嫌いがあるかもしれない。さらに大根おろしで食べると、香りも柔らかになって美味しかった。チャナメツムタケの方は、佃煮がいい。私はナメコより美味しいと思っている。今回のキノコ採りは、特にジゴボーの収穫は妻の手柄だ。私の方は、ジゴボーをさっぱり見つけられず、古くなりかかったチャナメの“巣”を見つけただけだった。それでも、食べられるのが5~6本あったから嬉しい。

 キノコ採りのほかに、山荘の建つ土地の南側斜面の柴刈りと剪定をやった。山荘はできてから9年目になるから、建った当時にそこにあった木々の中には、8年間で3メートル以上に伸びたものもある。それらが、南の空に見える南アルプスの山影を隠しそうになっていた。直径が10~15センチの立木2本を伐り倒し、枝をはらって片づけた。これが案外の大仕事だった。その他の灌木も、不要なものは伐ってスッキリさせた。普段あまりしない力仕事で、快い汗をいっぱいかいた。妻は、『理想世界』用の原稿を書き上げたのち、山荘北側の林の中で、未生からいつの間にか伸びたクリの木を何本も伐ったという。

 谷口 雅宣

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2009年10月16日

シイタケを収穫

Shiitake101609 「秋にはキノコが出る」というのは言わば当り前である。が、わが家の庭に寝かせておいたホダ木からは、もう出ないものと思っていた。なぜなら、古い木だし、朽ちて崩れてしまったものもあったからだ。が、今朝、様子を見たらシイタケが出ているではないか。小躍りしたい気分になった。実は、箱根に行く前に、小さな白っぽい“芽”が2~3粒出ているのに気づいていた。が、こんな速く成長するとは予想していなかった。多分、雨と雷のおかげだろう。
 
 雷のことを書くと、「迷信くさい」と思う読者がいるかもしれない。私も最初、そう思った。この話を最初にしてくれたのが、大泉町の山荘にホダ木を収めに来た業者の人だった。いわゆる“刺激法”で芽を出させる話を聞かせてくれて、「雷が鳴っても出る」と言ったのだ。口にこそ出さなかったが、私は「ご冗談を…」と思ったものだ。ところが、何年もホダ木とつき合っていると、雷鳴と“発芽”との関係を思わせることが確かにあった。「偶然の一致」の可能性はもちろんある。が、菌類の習性について全く無知な私だから、「雷鳴と発芽は無関係」と断定するわけにもいかない。それに、「関係がある」と思っている方が何となくロマンチックな気分である。

 過去の記録を調べてみると、2005年の10月5日の本欄に、ホダ木からシイタケの芽が出たとある。その年の春に“種”を撃ち込んだホダ木を7本買ったらしい。ということは、もう5年目のホダ木なのだ。中身の栄養をほとんど吸い取られているから、購入時よりずっと軽い。そして、うち3本ほどはもう崩れてしまった。だから、その木は疑いもなく「老木」であり、朽ち果てる前に“花”を咲かせてくれたのだ。「よくぞ頑張った」という気がする。傘が適度に開いていた4個を収穫し、あと数個は翌朝に回すことにした。
 
 谷口 雅宣

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2009年8月25日

幸福の方程式 (4)

 前回の本欄で使った「分厚い米国産のビーフ・ステーキ」の喩え話は、少し難解だったかもしれない。単に食品として味わい、また栄養のことを考えれば足りるような例を使えば、説明は大幅に単純化できた。例えば、代りにこれが「鮭フレークが入った握り飯」であり、それを「友人宅に行ったとき手料理として出された」のであれば、ほとんど手放しで喜び、感謝することに問題はないだろう。食べている時にも、味のこと、食感のことに心を集中することができるから、単純においしくいただけるに違いない。では、なぜ「分厚い米国産のビーフ・ステーキ」ではそれをするのが難しいのだろう?

 答えは、簡単である。その理由は、「食べる」という行為以外のことを、いろいろ考えるからである。では、前回、思考実験で行ったような複雑でややこしいことを、我々は考えるべきではないのだろうか? 答えは「否」である。そういうことを考えながら「自他一体感」を得ること(あるいは失うこと)を問題にするのが、人間が人間としてある意味だ。そんなことを全く問題にせずに、どんな場合にも、目の前の牛肉にかぶりついて満足している姿は、あまり人間的だと思えない。そんなことは、イヌやネコがいつもやっていることだ。

 が、ここに1つ、彼ら(イヌやネコ)にも学ぶべきことがある、と私は考える。それは、前回扱ったような複雑でややこしい人間社会の種々の問題を考えてばかりいると、“せっかくのご馳走”もマズくて食べられなくなる、という事実である。このことは、食事だけでなく、我々の生活のあらゆる面で言える。最近は「マルチタスク」などというようだが、アイポッドで音楽を聴きながら通勤する人、ケータイで話しながら街を行く人、携帯ゲーム機に熱中しながら観光バスに揺られる人……これらの人々は、機械によって結ばれているバーチャルな場所に注意を引かれるから、自分が物理的に置かれているリアルな場所との関係が希薄になる。すると、前回の例と同じように、“せっかくのご馳走”が目の前にあっても気づかず、感じられない、という状況が生まれてしまうのである。
 
 本欄の読者ならば、私がここで言っていることは“初耳”でないはずだ。すでに本欄で何回も扱ったし、単行本でも説明したこと--「意味優先」対「感覚優先」、あるいは「左脳的見方」対「右脳的感じ方」のこと--を、私は別の角度から書いている。ブラジルの全国大会でも、私は「幸福とは何か」を論じる際に、右脳と左脳の役割分担の違いについて簡単に触れた。つまり、「左脳」はたいていの人では「言葉による思考」を担当し、「右脳」は感覚器官を通じて物事を感じる際によく使われる。ということは、我々人間は、論理性と感覚認識とを統合させることで、人間らしい生き方ができるように造られているということだ。それが、神が我々に与えた"地上生活の青写真"であろう。言い換えれば、我々は、この双方の脳を十分使ったときに、本当の意味での幸福や生き甲斐を感じるのである。

 この幸福論は、脳科学の言葉で表したが、これと同じことを宗教的に表現すれば、「もっと神の恵みに感謝しよう」ということだ。我々現代人の生活は、“意味過剰”で“左脳偏重”に陥っていることが多い。もちろん「左脳」も神からの恩恵だから、感謝して使わなければならない。しかし、左右の脳のどちらかに偏重した生活は、神の御心ではない。言い換えれば、何でも論理的に理解してすますのでは、人間は満足できないのだ。もっと直接的に、感覚を通して“他者”との一体感を得るところに、我々の幸福のカギが隠されていることもある。そういう意味で、“すでに与えられた神の恵み”を右脳を通して再発見し、感謝し、心に留めるだけでなく、押し広げて他者とそれを共有する「日時計主義」の生き方こそ、幸福生活への道だと言えるのである。

 谷口 雅宣

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2009年8月19日

神は偉大でないか? (4)

 ヒッチェンズ氏の『God is Not Great』は、第3章で「ブタ」の問題を取り上げている。この章は「ちょっと脇道に反れ、ブタについて」という題がついていることから分かるように、短くて5ページしかない。が、中身はとても“濃厚”である。ここで言う「濃厚」の意味は、「内容が充実している」というよりは、「味が濃くて口に合わない」というニュアンスがある。2006年の生長の家の教修会では、宗教がもつ「食物規程」について学んだが、この中でも、ユダヤ教とイスラームがブタについての禁忌をもつことが話題となった(本欄では2006年7月5日参照)。ヒッチェンズ氏はこの章で、ユダヤ教とイスラームの厳しい“ブタへの禁忌”は、実は“ブタへの偏愛”の裏返しであるとの説を展開する。
 
 心理学を学んだ人ならば、人間の心中にある「愛」と「憎」とは、実は同じコインの表と裏であるとの説明を聞いたはずだ。それと同じように、宗教の教えにある“禁忌”も、それが度を超えている場合は、逆に対象がもつ“魅力”を示しているとするのである。で、イスラーム世界でブタへの禁忌が「度を超えている」と言えるのは、ジョージ・オーウェルの『動物農場』(Animal Farm)1945年8月17日に刊行されたジョージ・オーウェルの小説。 を子供が読むことを禁じているし、ヨーロッパのイスラーム主義者は、『3匹の子ブタ』や『ミス・ピギー』『クマのプーさんのピグレット』など、昔からある童話やキャラクターを子供の目から隠せと要求しているからだという。まあ、私としては、昔から特にブタとのつき合いはなかったし、ブタ肉も食べることはないから、この件についての判断は差し控えたい。
 
 が、ヒッチェンズ氏の指摘の中で1つだけもっともだと思うことを言おう。それは、“ブタへの禁忌”を宗教のドグマとして異常なまでに強調しなくても、ブタの生態や屠殺場での彼らの恐怖と苦しみの様子を知り、我々人間とDNA構成がきわめて近いこと、さらに人間への移植用の臓器としてブタのものが使われている事実等を冷静に考えてみれば、ブタを人間と無関係の「蔑むべき動物」と考えるよりは、地球生命を構成する仲間のうちでは、サルに次いで“近種”であると考える方が正しいという点だ。著者はこのことを宗教で強制しなくても、「理性と思いやりの感情から明らか」(in the plain light of reason and compassion)だというのである。私も同感である。

 谷口 雅宣

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2009年6月25日

天女山を歩く

 今日は、午後から天女山へ行った。この山は、八ヶ岳のうちの編笠山へ上る登山道の入口にある山で、標高は1,529メートル。とは言っても、頂上まで舗装道路がついている。天女山へ行った理由は、妻が午前中、草茫々の山荘の庭を片づけている時、ジゴボウとKaimentake いうキノコを見つけたからだ。このキノコは、本欄に何回も登場しているが、カラマツタケともいって、カラマツ林によく出るイグチ科の食用キノコだ。正式には「ハナイグチ」と呼ぶ。シーズンは秋で、こんな時期に出るのは珍しいが、山荘近くで出るときは、天女山ではもっと多く出ていることが多いので、「ひょっとしたら」と思ったのである。が、カラマツ林の急坂を30分ほど歩いて、収穫はゼロだった。食用にならないドクササコの類、腐食菌のカイメンタケ(=写真)のようなものしか見つからず、わずかに妻が、古くなったベニハナイグチを1株見つけただけだった。キノコは出ない時にはまったくないので、諦めるほかはない。
 
 ここ1年ぐらい前から、天女山の植生が変わってしまった。恐らく間伐の影響だと思う。密生していたカラマツ林の間伐してくれるのはいいが、伐った木が倒れたままで放置されているのだ。今日もキノコを探すときに、ゴロゴロとした倒木の間を注意して歩かなくてはならなかった。これでは、キノコのシロは破壊されたままだろう。天女山山頂の木には、山梨県県有林課の貼紙が掲げてあり、「FSCの森林管理認証を取得し、環境に配慮しながら管理経営しています」と書いてある。FSCとは「Forest Stewardship Council」(森林管理協議会)という国際非営利組織で、森林管理の専門機関なのだろうが、伐った樹木を何年も放置しておいて、キノコがあまり生えない森にしておくのがよいことだとは、私には思えない。秋になってもキノコが出ないのであれば、一度県に尋ねてみようと思う。
 
Mtimg090625  山荘に帰ってから、ジゴボウをスケッチした。茶色と黄色の組み合わせが美しいと思った。ミソ汁や酢の物によく合う。
 
 谷口 雅宣
 

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2009年6月 4日

妻のブログ・デビュー

 妻がこっそり作成していたブログが、ようやく公開する運びとなった。名づけて「恵味(めぐみ)な日々」。彼女の得意分野の1つである料理を写真に撮り、短文を添えたもの。文章は料理のレシピーの場合もあれば、写真とまったく関係ないこともある。わが家の“内幕”が暴露されないかと、こちらはヒヤヒヤしているが、彼女の良識を信じることにした。「当り前の日常をワクワクと楽しく生きる」というのがテーマらしい。私のブログにとっつきにくい読者は、彼女のブログにコメントしてあげてほしい。コメントは、彼女が見てから公開される方式である。
 
 出だしは去年の3月に1本、その後は8月にいくつか、それからブランクがあって、今年の4月から“本格的”に書きはじめた。まだ操作に慣れない面があるので、また間が空いたり、コメントにナシのつぶてであってもご容赦いただき、暖かく見守ってほしい。

 谷口 雅宣

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2009年5月26日

特大シュークリーム

 昨日は夕食時の私たち夫婦の会話を紹介したが、今日は、夕食のデザートのことである。今朝、妻が銀座に行くというので、私は「何かおいしいものを……」と言って、土産を所望した。それで買ってくれたものがシュークリームだった。

 妻は、初めからそれを買うつもりだったわけではない。が、昼前に、ある洋菓子店の前を通りかかったら短い人の列ができていて、「12時から限定販売いたします」というアナウンスがあったとかで、興味をもって並んだという。本を読みながら待っていたら、彼女の後ろにはいつの間にか長い列。そのうちに店員が注文を聞きにきたので、“最小単位”はいくつかを尋ねたら、「3個セットで630円」だったそうだ。だから、それを買って帰ってきたのだそうだ。
 
Etegm090526  夕食後、焦げ茶色の直方体の紙箱から出てきたそれは、楕円形の長径が10㎝、短径が8㎝もある大きなシュークリームだった。皮の表面にはクランベリーの小片と粉砂糖が振りかけられていて豪華だ。また、皮の一部から中身のカスタードクリームが少し見えているところが、またおいしそうだ。丸ごと1個は大きすぎるので、私たちはそれを半分に分けた。かじってみると「甘い!」と思いきや、クリームは案外薄味で上品な甘さだったのがまた良かった。ごちそうさまでした。
 
 谷口 雅宣

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2009年4月12日

家族で夕食会

 日曜日の今日は、久しぶりに家族5人が集まって夕食会をした。たいていの場合、日曜日は日本のどこかで生長の家の講習会があるから、妻と私は東京にいないことが多い。一方、3人の子供たちは、普通に月曜から金曜までが仕事の生活をしている。家族が集合するのは、だから今日のような“普通でない”日曜日になってしまう。特に何かの記念日というわけではないが、新年度も始まった好天の日に集まって楽しいひと時をすごした。
 
 夕食会は「母さんの手料理」を望んだ長男の要望にこたえて、わが家でやった。彼は仕事上、人との付き合いが多いので、外食主体の食生活だから、たまにはということだろう。私は「母さん」だけでは“男の名折れ”とばかりに、にわか“寿司職人”を名乗り出た。本欄では何年も前に私の寿司をご披露したことがあるが、最近は台所に立つ機会がめっきり減ったので、あれから特に進歩しているわけではない。ただ親の気持を表現したかったのである。
 
Sushi0409  もう1つ、したいことがあった。それは、旬のタケノコとシイタケを使った“野菜寿司”なるものに挑戦したかったのである。これは、妻が持っている弁当作りの本の中に写真入りで載っていたものだ。料理研究家の中村成子さんの本で、中村さんの母親が「田舎の姑から教わった」という野菜ばかりの祭り寿司がいかにも美味しそうだった。中村さんによると、当時はシイタケ、ニンジン、レンコン、サトイモ、ゴボウなどの煮しめを作った“残り物”を使ったという。しかし私の場合、“残り物”をまず作るというわけにもいかないので、庭で掘ったタケノコと妻の父が原木栽培で作ったシイタケを使おうと思ったのである。妻は、その他の具として、タイ、ハマチ、カツオ、ホタルイカ、ウニを用意してくれた。

Sushi04092  ところで“野菜寿司”の出来栄えだが、正直「成功」とは言いがたかった。煮しめと酢飯の合わさった味はおいしいのだが、ご飯と具とがくっつかずに分離してしまう。それでもシイタケの場合、肉詰め式にキノコの傘でご飯を包めばうまくいく。が、タケノコはご飯の上に載せたまま、落ちないように注意して食べるほかなかった。しかし、これらは“愛嬌”ということで、誰も文句を言わないで食べてくれるところは、家族のありがたさである。
 
 谷口 雅宣
 
【参考文献】
○中村成子著『お弁当絵日記1000日』(文化出版局、1987年)
 

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2009年4月11日

タケノコを掘る

 サクラが散るころはタケノコの収穫期--わが家の春の言い伝えにしたがって、今朝はタケノコを掘った。今年は全国的に桜の満開が例年より1~2週間遅れたとテレビなどで言っていたから、本当にタケノコが出るのも遅れたと思った。にもかかわらず、結構太いのがあったので安心した。実は、6日にも“初物”を3~4本掘ったが、この時はそれほど太いものではなかったのだ。妻は、私の所望に応えて、さっそく「孟宗汁」を作ってくれていた。
 
 読者のご記憶にまだあると思うが、「孟宗汁」は昨年の本欄で映像によって作り方を紹介した。もし見逃した方は動画サイトにある「原宿のタケノコ」をご覧あれ。ところで、このムービーの登録の日付は、今から約1週間後の「4月18日」になっている。ということは、昨年のその頃の様子がそこに映っているのである。それを見て今日の様子と比べてみると、今年のタケノコの出が特に遅いわけでもなさそうだ。人間の記憶は、あまり頼りにならないものである。
 
Bambooshoots  写真を見るとお分かりと思うが、今日採ったタケノコは全部で6本。ミニが1つあるが、その他は直径が10~15センチある。わが家の竹林は、竹が結構密に生えているので、地中に這う地下茎も高密度になってきた。するとタケノコは、張り廻らされた地下茎の間から無理に出ようとするので、形がいびつに曲がったり、茎が扁平になったりする場合もある。また、私の場合、中型のスコップを使って掘り出すから、周囲に太い地下茎があると歯が立たない。そういう“障害物”がない方向からタケノコの根元にスコップを入れ、できるだけ深いところから掘る。この作業に没頭していると、体は熱くなり、時間を忘れてしまう。
 
 採ったタケノコは、夫婦2人に6本は多いので、隣家に何本か寄贈した。
 
 谷口 雅宣

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2009年3月 7日

リンゴとミカン

 英語の表現に「リンゴとミカンは比べられない」という言い方がある。どちらも収穫の時季が違うし、味も違うし、それにともなって用途も違ってくる。リンゴは料理やパイなどのお菓子に使うのに対し、ミカンはジュースが主体だ。だから、「どちらが好きか?」と聞いて選択を迫ると、「どちらも好きだ。両方ともほしい」という意味合いを込めて、この表現が使われる場合が多い。双方の違いを強調し、どちらの存在も価値ありと認める考え方だ。
 
Mtimg090303  これに対して、ここでは共通点を認めるものの見方を提案してみた。リンゴもミカンも丸い、色も共通なものが含まれるし、大きさもわざわざ同程度に描いた。また、味わってみると、どちらにも酸味と甘味が含まれる。それに、双方とも植物の果実である点は同じだし、フルーツコンポートにも一緒に載っているではないか!……という具合にだ。このように考えていくと、「なるほど似ているなぁ~」という気がしてくる。
 
 それでは、「どちらか選べ」と言われたらどうするだろう? たぶん、違いを強調した場合よりも選びやすいのだ。
 
 谷口 雅宣

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2009年3月 6日

リンゴをどう切る?

Mtimg090302  リンゴの切り方には無数の方法がある。縦に切る……水平に切る……斜めに切る。切る位置によって、切り口の形が変わる……切り口の模様が変わる……大きさが変わる。でも、ほとんどの場合、そんないろんな切り方はせずに、大人しく、真ん中から縦に半分に切り、それをさらに半分に切り、そしてさらに半分に切る。できるだけ等分に切ろうとする律儀さは、驚くばかりだ。多分、相手がいるときは、そうする。
 
 でも今度、リンゴを1人で食べるときは、思い切って冒険してみよう。そこから新しい展開が始まるに違いない。人生の何気ない習慣も、リンゴのようなものなのだ。
 
 谷口 雅宣

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2009年3月 4日

日本海裂頭条虫は絶滅か?

 最近は「腸内細菌」という言葉を広告などでもよく目にするから、微生物が人間の体内で“よい働き”をしていることは知られるようになった。私も毎朝、ヨーグルトを食べるようになって久しい。しかし、「寄生虫が体にいい」という話は聞いたことがなかった。そう言っているのは人間総合科学大学の藤田紘一郎教授で、“寄生虫博士”の異名をもつ人だ。藤田教授は、3月1日付の『日本経済新聞』に寄稿した記事で、「日本海裂頭(れっとう)条虫はヒトを終宿主にする寄生虫で、ヒトの体内でしか卵を産めないからヒトを大切にする」と書いている。また、1月26日の『産経新聞』では「寄生虫がいると花粉症などの過敏なアレルギー反応を抑える作用が期待できる」としている。で、この日本海裂頭条虫とは何かといえば、体長が10mにもなるあの「サナダムシ」のことなのだ。驚くのはそれだけでなく、藤田教授は2年前まで、サナダムシを自分の体内で飼っていたというのだ。

 何のためか!……というと、「寄生虫をはじめ細菌・ウイルスなどの微生物に対する日本人の間違った考えを是正したい思いがあったからだ。清潔志向に偏りすぎた現代日本人の生活と精神構造に、警鐘を鳴らす目的もあった」(『日経』)と同教授は言う。清潔志向の何がいけないかというと、人間の体内に棲む微生物は、太古の昔から“縄張り”である人間を守ることで人間と共存してきたのに、現代人はこれらの微生物を抗生物質や防腐剤、そして添加物の多い食品を摂取することで「ひたすら攻撃している」からという。同教授が特に問題にするのは、私が冒頭で書いた「腸内細菌」のことで、これらは100種類、100兆個も腸内にいて、我々の免疫力をつけ、ビタミンを合成しているのに、我々はそのことをあまり認めなかったからだ。が、まぁ最近は、腸内細菌については、だいぶ理解が進んでいるのではないか。
 
 ところが同教授が最近心配しているのは、サナダムシが日本からいなくなっていることだ。「それはいいことだ」と我々は考えがちだが、これは地球温暖化と関係している一大事らしい。それを説明するためには、サナダムシの壮大な一生を知らねばならない。この虫の幼虫は、体長2㎝前後のときは魚のサケの肉の中に潜んで日本海を回遊している。これを寿司などとして日本人が生で食べると、我々の体内に入る。人間の腸内では、彼らは1日に20㎝も伸びる。1カ月では6mになり、2カ月で10m前後になったところで成長が落ち着くという。彼らは雌雄同体なので“伴侶”を探す必要がまったくなく、どんどん産卵する。その量たるや1匹で1日200万個も産む。従来ならば、この卵は人糞と一緒に川に流れてミジンコの餌となり、その後は食物連鎖をたどってサケ類の体内に摂取される。ところが、衛生環境が整備されてくると、彼らの卵は川に出られずに死滅してしまうことになる。
 
 それでも藤田教授のところには、サナダムシ発見の知らせが全国から届いていたという。10年前までは毎月1回は連絡があったが、最近はほとんどない。同教授自身、サケを何匹も入手して、体内の幼虫を見つけると、それを飲んでいたそうだ。それが可能だったのは、日本海側の日本より北の国から来たサケ類のおかげだった、と同教授は考える。が、2007年2月以降、幼虫は見つからなくなったという。その理由は「温暖化でサケの産卵回遊に変化が生じた」からだ、と同教授は推測する。もちろん、外国での衛生環境の整備も関係しているだろうが、同教授は「サケの南下が少なくなるとサナダムシはミジンコから稚魚に移行できなくなる」と考えるのである。
 
 目に見えないほど小さいサナダムシの卵が毎朝、200万個もトイレに排出され、それが食物連鎖に乗って何千キロの距離を旅し、そのうちのたった数匹がやがて、どこかの国の人の体内に収まる。すると、待っていましたとばかりにスゴイ勢いで成長し、宿主の身長をはるかに超える大きさになって卵を産む。クリストファー・コロンブスも顔負けの、壮大な生き方ではないだろうか。が、やはり、私は腹の中で何mもの寄生虫を飼うのは勘弁してほしい。その代り、ヨーグルトやチーズ、納豆などをおいしくいただこうと思う、腸内細菌群に大いに感謝しながら……。
 
 谷口 雅宣

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2009年3月 3日

雛祭り

 今日は雛祭りということで、わが家では“女性軍”が活躍した。とは言っても、女性は当初は妻一人だ。彼女は2週間前ぐらいから、妻の実家から贈られた雛人形を箱から出して来て床の間に飾り、それでは足りないのか、小さい置物の男女雛を2セット、どこからか出してきて、玄関のカウンターと居間のテレビの上に飾っていた。例年のことなので、私は驚かず騒がず、「もう3月だなぁ~」という感慨に浸るだけだ。が、今晩は恒例の雛祭り料理に娘を呼ぶというので、多少影響を考えた。彼女は仕事の帰りにわが家に寄って、食後に帰宅する。それだけだ。が、仕事が終わる時間が分からないので、我々夫婦は先に食事をして彼女を待つことになった。

 食事は、豪華なちらし寿司、海老とホタテのフライ、青菜の白和え、雛カマボコHinaryoriにハマグリの吸い物である。これに加えて、長崎へ行ったときにいただいた「桃カステラ」というデザートがあったから、フルコースの食事である。これら全部を用意するために、せっせと立ち働く妻のエネルギーには、男の私には計り知れないものがある。男の祭りである「端午の節句」の方は、わが家ではもうとっくに有名無実化しているというのに……「桃の節句」ではこうして伝統が守り続けられる。この辺は“男女の違い”でしか説明できそうもない。
 
 やがて仕事帰りの娘が来て、食事が始まる。私は、食卓に出され小皿が雛人形を象っているのに気づき、それを絵に描き始める。女二人は、にぎやかに会話を楽しんでいる。私はそれを聞きながら、娘が家族をもてば母親と同様に雛祭りの伝統を守っていくのだろう、などと考える。妻は、伝統行事を大切にするタイプの人間だから、「桃カステラ」のこともウィキペディアでちゃんと調べていた。長崎はカステラの本場だから、桃の実を模したカステラを焼くのだそうだ。長崎の人たちは、県外でも当然そうすると思っているらしいが、長崎にしかない習慣だという。

 もっと興味あることが、妻の持っている本に載っていた。雛祭りは「上巳(じょうし)の節句」といって、もともとは中国伝来のものだ。「上巳」とは3月の最初の巳(み)の日のことで、古代中国では「忌み日」で、川で身を浄める習慣があったそうだ。この考えを受けた日本では、この日に紙で人形を作り、これで体をなでてから、川や海に人形を流して穢れを祓う行事が行われていたという。これを「上巳の祓え」とか「雛送り」といい、雛人形の原型になったという。現代でも地方によっては、この日に「流し雛」をする習慣が残っているそうだ。しかし、この“原型”の背後にある考え方と、現在の豪華な段飾りの雛人形の考え方とはずいぶん違う。一方は忌み事、他方はお祝事だ。「伝統行事」といえども、歴史の流れの中では大きく変遷するものだと改めて感じた。
 
 谷口 雅宣
 
【参考文献】
○大泉書店編集部編『和ごよみの暮らし』(2007年、大泉書店)

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2009年2月12日

カキフライを食べる

 今日は木曜日で休日だったので、妻と連れ立って絵の展覧会を見に京橋へ行った。妻が単行本の製作で世話になったデザイナーの作品が展示してあるというのである。その展示をしっかりと見てから会場を出ると、同じビルの階下では水彩画展をやっているというので、せっかくなのでそれも見た。水彩用紙の白い地肌を存分に生かした、明るく、透明感のある風景画が数多く展示されていて、妻と2人で「ああ、いいなぁ~」と言いながら鑑賞した。気がついてみると、私は近ごろきちんとした風景画を描いていない。これらの絵を見ていると、そのことが、何か大切なものを粗末に扱ってきたような反省の気持を、私に起させるのだった。

Img_3335s  画廊を出た時は、まだ11時半になっていなかった。昼食をどこで食べるかの見当はつけてあったが、時間がまだ早いので近所を散歩するともなく2人で歩いていたら、1軒の店の前に15~16人ほどの人の列ができている。どうやらレストランらしい。こんな時間に人が並ぶほどの店があるのかと思いながら、私はどんなメニューがあるのか、入口のディスプレイを覗いてみた。ミンチカツ・ランチ、ハンバーグ・ランチ、カキフライ、鶏肉のコンフィ……など、それほど珍しいものではない。いわゆる“日本の洋食”かと思って妻の方を振り返ると、彼女は人の列の中にいて、その後ろにもう4人ほど若い女性が並んでいるのである。「そうか、ここで食べるつもりか」と私は思い、彼女のそばへ行くと、妻は自分もメニューを見たいと言うのだった。
 
 最初は、2人とも冗談半分で列に入ったのである。ところが、我々の後にも次々と人が来て列が延びていくのを見ると、当初の計画を変更して、この店で食べるのも面白いかもしれない、と考えが変わってきた。で、結局、11時半の開店まで5分以上待って、他の客とともにゾロゾロと店へ入っていった。入口脇のカウンターには、その店のことを記事にした雑誌が数冊、カラーグラビアを見せて広げてある。「そうか、雑誌で有名な店なんだ……」と了解して、期待に胸を膨らませた。しばらくして席へ案内され、私は予定通りカキフライを注文した。
 
Mtimg090212  最初に、コーヒーカップのような容器に入った、キャベツのスープが出された。外で待っていて冷えた体を、それを飲んで温める。次に、白い大皿に盛ったカキフライが出てきた。トンカツに添えられるような、付け合わせの千切りキャベツが山盛りになっている。その脇に、丸々と太ったカキのフライが4個並んでいる。フライの下にはタルタルソースが敷かれ、そのほか半切りのトマト、ポテトサラダ、レモン2切れが、同じ皿に盛りつけてあった。妻の料理が来るのを待って、私はレモンを絞ってフライにかけ、食べはじめた。カキフライは、1口で食べられないほど大きかった。そんな場合、安い店では“衣”を分厚くしてあるのだが、この店の“衣”は薄く、ジューシーなカキの味が口の中に広がった。「なるほど、人が並ぶはずだ」と私は思った。
 
 旬の食材を使ったボリュームのある昼食をいただいて、2人は満足して店を出た。難を言えば、店の混雑と忙しさが気になった。また、我々の年齢では、昼食としてはボリュームがありすぎる。しかし、若いビジネスマンや女性にはピッタリの内容なのだろう。「もう一度来るか?」と訊かれたら、多分、昼にはもう来ないだろう。休日のアドベンチャーとしては、味だけでなく、スリルも十分楽しめた。
 
 谷口 雅宣

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2009年2月 4日

牛は名前で呼ぼう

 ロンドンに住む生長の家の信徒、ジョン・フラッドさん(John Flood)から興味ある情報が舞い込んだ。乳牛についての研究結果で、「牛は名前で呼ぶ方が、そうでない場合より乳の出が多い」のだそうだ。ニューキャッスル大学の農業食糧地域開発学部(School of Agriculture, Food and Rural Development)がイギリス各地の農業者516人を対象にして行った研究で、人間と動物との関係を研究する専門誌『アンスロズース』(Anthrozoos)誌に発表された。

 それによると、牛に名前をつけて呼んでいる農家(46%)では、名前をつけていない54%の農家よりも1頭当たりの牛乳の収量が相当多いという。この研究の中心となったキャサリン・ダグラス博士(Catherine Douglas)に言わせると、その増加量は「250リットル」になり、平均的な大きさの牛では1日「2パイント」(1.14リットル)の増量になるらしい。同博士は、「この研究によって、牛に優しくて面倒見のいい多くの農家の人たちが昔から信じていたことが、証明された」という。さらに同博士は、「この研究で分かったことは、牛という動物は、複雑な感情を体験できる知性をもった存在だと、イギリスの農業者は大体において考えているということ。また、個々の牛をよく理解し、それぞれに名前をつけて呼ぶだけで、牛乳の生産量を相当増やすことができるということです」と言っている。
 
 ところで、なぜそうなるかという理由だが、BBCのニュースの説明では、名前をつけて飼われている牛は、飼い主から愛され、自分の価値を認められていると感じるから、そうでない牛よりもストレス・ホルモンであるコーチゾルの分泌が少ない。これによって安心して牛乳を生成することができる--というのである。このニュースに登場する牧畜家、デニス・ギッブ氏(Dennis Gibb)は、個々の牛を“個性をもった存在”として扱うことが非常に大切だと言い、自分の飼っている牛たちを「娘たち(girls)」とか「レディーたち(ladys)」と呼ぶだけでなく、個々の牛に「サラ」とか「ウェンディー」「ハイライト」などと名前をつけて呼んでいる。

 私にこの研究を教えてくれたフラッド氏は、「この話は、牛乳生産にとどまらず、あらゆる生物にとって調和が大切であることを教えてくれます。ロンドンの生長の家では、生長の家の哲学と環境を敬うことの大切さについて語ることが多いので、このニュースについて皆に伝えました」と報告してくださった。彼の妻であるソニアさんも、「このニュースを見たとき、これは生長の家の教えと同じことを言っていると思いました。つまり、“コトバの力=愛”ということです。こういう方法で、もしイギリス中の農家の人々や乳牛生産者が動物愛護を実践すれば、人工的な方法で、例えば、牛乳生産のためにだけに妊娠を強要したりする必要はなくなります」と感想を述べている。
 
 家畜と飼い主との心の交流については、日本でもいろいろ美しい話を聞くことがある。だから、今回の話にはそれほど驚かないが、科学的な研究成果としてイギリスで認められたということは評価したい。というのは、イギリスの人々は牛肉をたくさん消費するからだ。かつて狂牛病がイギリス全土に不安を引き起こしたことで、イギリスの食肉消費量は一時下がった。その後、また上向いているだろう。乳牛に愛を与える人は、肉牛にも愛を与えるに違いないから、肉食の減少に結びつくことを私は願っている。
 
 谷口 雅宣

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2009年2月 3日

早くも節分

 このあいだ新年になったばかりと思っていたら、もう節分だそうだ。日本の伝統を重んじる妻には、「忙しいから…」という理由で節分を省略することは許してもらえない。夕方に帰宅したら、食堂のテーブルの上にはきちんと料理が整えられている。それを見て、私は思わず、
「わぁー、きれい!」
 と言ってしまった。
Setsushi  関西方面では、節分に豆まきをするだけでなく、お寿司を食べるのだという。ごらんのように、太巻きに酢蓮根、金目鯛の澄まし汁、菜花の白和えの並んだ食卓を、妻は用意しておいてくれた。ここまでしてもらったので、私は豆まきで“鬼役”を演じようと心に決めたのである。
 
 食事の話題は、季節のめぐりの速さである。妻は、庭の紅梅の花のついた枝を、隣家の母宅へ持っていったことを話し、私は今日、街でフキノトウを見つけたことと、庭の池の周りにまたヒキガエルが出て、コロコロと鳴いていたこと、門を入った暗がりで1匹を踏んでしまったことなどを話した。
 
 夕食の後は、古式にのっとり豆まきの儀式--ということになるところ。しかし、何せものの本によると、豆まきの起源である宮中の追難式(ついなしき)では、殿上人が鬼に扮した舎人(とねり)を追い回し、桃の弓に蘆(あし)の矢をつがえて射るという大がかりなもの。とてもそこまでできない我々は、妻が殿上人、私が鬼になって、ごくごく簡単に、奇妙な豆まき遊びをしたのだった。

 節分や豆から逃れ蟇を踏む

 谷口 雅宣

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2009年1月15日

休日のモーニングサービス

 休日を利用して、自動車運転免許証の更新をした。更新場所は、家からいちばん近い「新宿センター」という所へ行くことにした。公安委員会から来た案内葉書によると、都庁の第二本庁舎2階にあるという。5年前も確かそこで更新したはずだが、記憶が定かでない。ただ、大勢の人が列をつくっていて、手続きに時間がかかったという印象があったから、朝一番で行って午前中にすませられれば幸いと思った。受付は午前8時半から始まるというので、それなら朝食を新宿駅周辺でとり、その足で更新場所へ行くのが効率的だと考えた。同行してくれるという妻に「待ち時間は長いかもしれないよ」と警告すると、「読みたい本を持っていくから大丈夫」という答えだった。
 
 平日の朝の新宿駅は大混雑だと覚悟して行ったが、まだ7時半すぎだったので、案外楽に歩けた。妻は月2回、西口の住友ビルへ古典文学の講義を聞きにいっているので、土地勘がある。それにひきかえ私は、新宿駅の混雑が苦手で、特に迷路のような地下街は敬遠してきた。そこで、朝食場所探しを彼女に任せると、妻はすぐにコーヒーショップやレストランのある場所へ私を連れて行ってくれた。
 
Mtimg090115  喫茶店でモーニングサービスを食べるなど、何年ぶりかと思う。前回、モーニングサービスを食べた時の記憶はまったくない。ひょっとしたら記者時代以来かもしれない。何かわくわくした気持で妻の見つけた店に入り、それをメニューから注文する。出てきたのは、側面が波を打った楕円形のグラタン皿のようなものの中に、サラダとオムレツとトーストを盛り上げた“豪華版”だった。名古屋の喫茶店のモーニングサービスはスゴイと聞いているが、それほどではなくても、私には十分な量だった。

「時間がかかる」と思っていた免許証更新は、流れ作業のような手続きによってテキパキと進み、9時半すぎには終ってしまった。交付された新しい免許証にはICチップが埋め込まれていて、そこに個人データが記録されているという。その代り、免許証の表面にある「本籍地」の欄が空欄である。説明によると、本籍地の情報はICチップには記録されていても、表示されないのだという。今回は本籍地が空欄だが、次回以降の更新で「住所」も「氏名」も順次表示されなくなるとか。個人情報保護のための措置だというが、何となく奇妙な感じだ。最終的には、「普通」とか「中型」などという免許の種類と、顔写真だけが表示されるようになるらしい。

 都庁から新宿駅へもどる途中で、発売されたばかりの小型ノートパソコンのデモをやっていた。ソニーのVAIO「タイプP」という製品で、“ポケットスタイルPC”と銘打ち、「ズボンのポケットに突っ込んで持ち運べる」という触れ込みだ。私はこの類の小型パソコンを待望していたから、さっそくキーボードのテストをしてみた。ソフトなタッチで打ちやすいことは打ちやすい。が、使いなれている現有のレノボ製品のような“指応え”がなくて、頼りないといえばいえる。また、小型化しているだけあって、キーの配置がやや不自然だ。特に、頻繁に使う[Enter]キーの位置が現有のものと若干ズレているのが気になった。が、これらは慣れの問題かもしれない。気に入ったのは、重さが「640g」と軽い点。ただ、問題はその価格が「約10万円」と高いことだ。他社の動きを見てから、また考えようと思った。

谷口 雅宣

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2009年1月11日

ジャガイモ2色

Mtimg090110  妻の実家からジャガイモが送られてきていたのを見て、その形と色に惹かれた。特に赤皮のジャガイモはあまり見たことがなかったので、「サツマイモみたいだなぁ~」などと思いながら絵に描いた。

 ものの本を調べてみると、ジャガイモは日本には明治以降、もっぱら欧米から導入されたものの、最初の栽培は西暦500年ころの中央アンデス中南部の高地だったという。ジャガイモの名称は、「ジャカトラ(現在のジャカルタ)港からオランダ船によって来たイモ」という説があり、これによるとわが国への伝来は江戸初期になるが、その頃の著作には名前が出て来ないらしい。栽培記録として最古のものは、宝永3(1706)年に北海道の瀬棚で植えたというものがあり、本州では明和年間(1764~72年)に甲斐(山梨県)の代官が栽培を奨励したというのがあるらしい。とにかく、寒冷地でもよく育つので、昔から食糧として世界中の人々から愛されてきたものだ。

 どこかにも書いたと思うが、妻はサツマイモ党であるのに対し、私はどちらかというとジャガイモ党だ。別にサツマイモが嫌いというのではないが、子供の頃から煮っ転がしやポテトサラダを食べていたからかもしれない。
 
 ところで、この赤皮の品種を特定しようと思ってネットで調べたが、写真を見てもなかなか分からない。赤い皮のジャガイモは珍しいと思っていたが、「ジャガイモ品種解説」のサイトを覗いたら、紅丸、ベニアカリ、花標津、スタールビー、レッドムーン、アイノアカなど、結構たくさんあることを知った。家にあるのは赤皮で黄肉だから「スタールビー」ではないかと思うが、自信がない。博学の読者からの御教示を待つ。
 
谷口 雅宣

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2008年12月21日

柿とハエ

 最近、自宅1階の北側のトイレの窓に、ハエが2匹いるのを見かける。正確に言うと、窓ガラスの内側に張った網戸にとまっているのだ。体長1センチほどで、イエバエやキンバエのように胴は丸くなく、全体がほっそりしているので、「スマートなハエだな」と何となく好感がもてる。冬のハエらしく、飛び回らないで静かにそこにいるだけである。トイレで見つける前に、実は居間にも数匹が飛んでいるのを妻が見つけ、「どうしてこんな所にいるの!」と言いながら追いかける姿を私は見ていた。だから、そのときのハエがトイレに避難してきたのだと解釈する。ハエは、「うるさい」という言葉の漢字表記に「五月蠅」を使うくらいだから、春は人間の迷惑になるが、静かにしていればどうということはない。それに、食堂や居間ではなく、トイレにいるのだから「所を得ている」ように思われ、そっと放置している。
 
 私がこの2匹のハエに妙な慈悲心を向けるのには、もう一つ理由がある。それは、わが家の軒先に下がっている干し柿と関係がある。この干し柿は、数カ月前、皮を剥いてまだ干してない“ナマ”の状態のものを信徒の人からいただき、それを干しているところだ。当初、美しい橙色をして丸かった実は、もうしぼんでシワも深くなり、黒っぽくなっている。つまり、干し柿は完成間近なのだ。が、送ってくださった人には申し訳ないのだが、吊るしている間にいくつかにカビが発生し、またハエが来てなめていた。それを見て私も妻も恐れをなしたが、まだ吊るしている。途中で投げ出したくないからだ。ハエが半ナマの柿にとまってしばらくたってから、家の中にハエがいくつか侵入したのである。わが家の窓にはすべて網戸がしてあるから、普通はハエは入らず、入っても1~2匹だから、すぐ追い出されるか退治される。が、侵入バエは少し小型で、なかなかつかまらない。私の想像は、侵入バエは柿から生まれた“柿太郎”ではないかというものだ。
 
 歌人の小池光さんが、今日の『日本経済新聞』に「蠅--立ち向かう世の悪意の象徴」という題で一文を書いている。その中で、ハエの“二面性”を鮮やかに対比しているのが面白い--①人間にとって撲滅するよりない運命を負わされている生き物の典型にして永遠の代表、②動物の遺骸をすみやかに処理、消滅せしめる……途方もない生命力、繁殖力そして飛行能力も、きわめて優秀な昆虫マシーン。私は、この中間の見方をすることもできると思うのだ。それは、一茶の「やれ打つな……」の句にあるような見方である。小池さんは歌人だから、もちろんそれを知っているのだが、あえて言葉にしないのだろう。
 
 8月11日の本欄でも触れたが、私は庭で生ゴミからコンポストを作っている関係から、ハエ(の幼虫)にはずいぶん世話になっている。そんなわけで、冬のハエからも静かに立ち去る気持になれるのかもしれない。因みに、「冬の蠅」は冬の季語である。
 
 少し動きおのれ確かむ冬の蠅 (川端麟太)
 冬の蠅網戸に映る柿黒し
 
 谷口 雅宣

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2008年12月19日

3色サンドイッチ

 今日は午後1時半から東京の多磨霊園で納骨があるため、妻と私は早昼を食べることになった。諸準備が混むこんな日には、妻はよくサンドイッチを作ってくれる。朝食時に作ってしまい、タッパウェアに詰めて冷蔵庫に入れておく。あとは時間が許すかぎり2人とも仕事や準備をして、食べるときには皿に盛りつけるだけ。すこぶる簡単だ。食後も、洗いものは最小限ですむ。私は、料理は妻にまかせ、時間ぎりぎりまで机の前にすわっていたが、妻が中皿に盛りつけたサンドイッチを見て、その配色のよさに感心した。
 
 普通の白い食パンのほかに、カボチャを練り込んだ黄色い四角いパンと、ゴマやナッツ、穀類の入った黒っぽい楕円形のパンをそれぞれ薄切りにしたものの間に、いろいろの具が挟んである。レタス、マッシュポテト、トマト、キウリ、サーモン、コエビなどだ。パンも“耳”を切り落とさずに使ってあるので、その茶色がアクセントになっている。サンドイッチはもちろん食べるためにあるのだが、食べてしまえばせっかくの“配色”もなくなる。何かすごく惜しい気がしたので、3個を残しておいた。妻が「どうするの?」と訊くので、「いいことを思いついた」と答えた。これで多分、妻も察したと思う。
 
Mtimg081219s  納骨を終り帰宅した夕方、食べ残した3個のサンドイッチを絵に描いた。初号にも満たない小さい正方形のカンバスを使おうと思っていたので、妻が普及誌のために原稿を書いている間に、さっさと完成させるつもりだった。が、予想外に時間がかかった。暖房した部屋で描くから、サンドイッチはしだいに乾燥してパンが反り返ってくる。まあ、それでもいいと思いながら、夜の10時ごろに完成した。妙な趣味と思われるかもしれないが、見るためのサンドイッチがあってもいいと思うのだ。

 谷口 雅宣

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2008年12月12日

木魚文旦

 果物がおいしい季節である。8月22日の本欄でも触れたが、わが家は東京のド真ん中にありながら、案外多くの果物ができる。名前を挙げると--ビワ、イチジク、ブルーベリー、ミカン、ポンカン、ユズ、キーウィーというところだ。この中で今、食べられるのはミカンだが、今年はことのほか実のつき方がよかった。私はグレープフルーツの実がなっているところを見たことはないが、一説によると、この名の由来は、あの大きい実が、ブドウの房のように密集して生るところから来たという。今年の庭のミカンはちょうどそんな感じで、枝の先のところに密集して生った。ところが、同じ柑橘類でもユズとポンカンは、今年はすこぶる実の付きが悪いのである。果物は、豊作と不作の年が交互に来ると聞くが、それが理由かもしれない。

 生長の家の信徒の方からも、カキやリンゴなど、立派でおいしい果物をいただく。誠にありがたい。カキは、少し前、干し柿用に皮を剥いて、白いビニールの紐で結わいたものまでいただいた。それは今、軒先に吊るしてある。ところが、ちょうど季節外れに暖かい時期に吊るし始めたため、中身が固まらずに融け出したり、虫に食われるものが続出した。講習会で徳島へ行ったとき、「吊るした柿は家の中へ入れてはいけない」と言われたが、わが家では雨に濡れるのを恐れて、室内に入れたり出したりしていたら、一部カビが生えてしまった。なかなか難しいものである。

Mtimg081212  美しい果物を見ると、私は絵を描きたくなる。昨日の休日には、緑色のリンゴを描いた。今日は大きな黄色い柑橘類の実を描いた。恐らく文旦かと思うが、縦に潰れたような形が面白く、どこか木魚を思わせる。皮のフトンは厚く、中の実は濃いピンク色で、ルビーのグレープフルーツのようである。私は勝手に“木魚文旦”という名前をつけた。
 
 谷口 雅宣

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2008年8月 5日

石油高騰に“光”を見る

 石油の値段の騰勢が一服している。アメリカの原油先物価格は、7月11日に史上最高値の1バレル147.27ドルを記録したあと値下がりが続き、一時は最高値から18%も下がってから、再び上昇している。8月5日付の『日本経済新聞』によると、この主な原因は、世界最大の石油消費国・アメリカでの需要減退らしい。自動車はアメリカでは必需品だから、ガソリン需要はこの国では減りにくいと考えられていた。が、7月25日までの4週平均で、ガソリン需要は前年同期を「3.2%」下回る日量938万バレルとなった。つまり、アメリカ国民は昨年より自動車に乗らなくなっているのだ。公共交通機関が発達している日本では、すでにこの動きは顕著だが、そうでないアメリカでガソリン消費が減ってきたことが、先物価格の値下がりを呼んでいる。しかし、中国などの新興国ではガソリンや灯油を低く抑える政策を続けているため、需要は衰えず、今後の石油の値段を下支えすると見られている。
 
 私も、自動車に乗る機会がめっきり減った。その1つの理由は、近所に地下鉄の路線が新設されたためだが、ガソリン価格が高いことも理由の1つだ。仕事で燃料を使わなければならない業種への、打撃は大きいだろう。漁船の休漁やトラック運転手の苦境が報道されているが、政府が補助金を出すよりは、サービスや商品の末端価格にコストを転嫁すべきだと思う。自由主義経済では、基本的にはこの価格の変化によってサービスや商品の動向が変わり、産業構造の変化を通して次の時代に適応していくのが、もっとも自然であるからだ。
 
 このことは、国際貿易の分野ではすでに起こりつつあるらしい。4日付の『ヘラルド・トリビューン』紙は、昨今のグローバリゼーションの“行き過ぎ”と見なされていた現象の一部が、石油の値段の高騰によって是正されつつあることを伝えている。この“行き過ぎ”現象とは、私がかつて『足元から平和を』(2005年、生長の家刊)で紹介したような「経済活動のムダ」のことだ。イギリスで缶入りコーラを生産するためには、アルミ缶の原料のボーキサイトをオーストラリアから北欧の国へ運び、そこでアルミ板に加工し、さらにイギリスに渡ってそこで成形されて缶となり、飲料の原料はアメリカやフランスから輸入され……というように、地理的距離を無視してコストを下げることが横行していた。ところが、燃料費が高騰すれば当然、輸送費にはね返り、地理的距離は無視できなくなる。そこで、「需要地の近くでの生産」へと切り替えねばならなくなっているという。

 同紙が挙げている例に、電気自動車を生産するテスラ・モーター社がある。同社は当初、アメリカ向け高級乗用車を生産するのに、タイで製造した蓄電池をイギリスへ送って組み立て、ほぼ完成した製品をアメリカへ輸送する計画だった。ところが、燃料費が高騰したためこれを変更し、今年の春に生産開始した時には、蓄電池をカリフォルニアで生産して、自動車も同地で組み立て、そこで売るという方式に変更した。これによって同社は、車1台の生産に必要な輸送費を8千キロ分減らすことができたという。また、スウェーデンの家具メーカー「イケア」は、アメリカ向けの家具を造るために、今年5月、最初の工場をアメリカ国内に建設したという。また、いくつかの電子機器メーカーは、メキシコにあった工場を賃金の安い中国へ移転していたものの、輸送費の高騰により、もともとあったメキシコの工場で生産した方が、輸送費を含めたコスト全体が安くつくことが分かり、生産拠点を移し始めているらしい。

 この動きは、工業製品だけでなく農産品にも及びつつある。つまり、“地産地消”の動きが石油の高騰によって加速されているのだ。これは、食品の“フードマイレージ”を減らす動きと軌を一にしているから、歓迎すべき動向である。私は、生長の家の講習会で日本各地へ行くが、ホテルでの食事の際にいつも不思議に思うことがある。それは、朝食に出る果物や野菜がどこへ行っても、どんな時季でも変わらないことである。特に果物はパイナップル、オレンジ、グレープフルーツ、バナナなど、一見して国産品でないものだけが用意されている。私としては、秋から冬に奈良へ行ったらカキを食べたいし、四国へ行ったら豊富な柑橘類が味わいたい。山梨や長野で産地のブドウやモモを期待しても、それが出ることはまずない。恐らく輸入品の方が安く手に入るからである。これが是正されて、「産地で旬のものが安く食べられる」という当り前の経済にもどるとしたら、石油高騰にも“光”は見えるのである。
 
 谷口 雅宣
 

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2008年7月 6日

福井での快汗

 今日は、福井県鯖江市の「サンドーム福井」で生長の家講習会が行われた。妻と私は前日から福井入りして講習会に備えたが、東京と同様に30℃を超える暑さが急に来たことから、改めて「ああ、夏だなぁ」と感じた。今回利用した宿舎は鯖江市に隣接する越前市のホテルで、武生駅の並びにある。チェックイン後、例のごとく周辺を歩いてみたが、いわゆる“シャッター通り”が続いている。「銀座通り」というのもあって、そこなら有名な越前ソバを食べられるかと思った。確かに老舗らしいソバ屋さんがあり、「営業中」という看板が出してあったから、メニューを見せてもらおうと思って中に入ると、薄暗い中でステテコ姿の店の主人がおっとり刀で奥から出て来た。それを見て、私たちは勇気を失った。この辺の状況も、北見市の駅前とあまり変わらないのだと思い、駅へと引き返した。
 
 北見市と同じように、駅前に大型スーパーがあった。そこへ行くと、老若男女のお客さんがいたので安心した。それに店内はエアコンが効いているので、単に涼みに来てUriuriいると思われる人もいた。こういう場所が現在、この町ではコミュニティーになっているのだ、と納得した。このスーパーの中を散策しながら、売られているものを眺めた。地元のものがど れほど売られているか調べたが、生鮮食品を除いて、あまり多くはない。が、その中でも瓜類が深緑色の棚に並べられているのが目を惹いた。また、出入口の近くに「福井産」と書いた黄色の中型のスイカが売られていた。1個980円で、安いとは言えない。が、これを半分に切った「500円」のものもあったから、こちらなら2人で食べられる量かもしれないと思い、二人で「安い」「高い」と言い合っていると、店の人が来て「150円引き」と書いたラベルを貼ってくれた。これで、買わない理由がなくなってしまった。

 今日の講習会には、前回を上回る2,169人の受講者が集まってくださった。北見市に続いての受講者増で、喜ばしいことだ。体が暑さに慣れないうちに急に気温が上昇し、たっぷり汗をかいた1日だったが、報われた気持である。地方では「過疎化」が問題になり、上記のような“シャッター通り”現象がある中で、福井県全体では人口が増えているし、経済的にも豊かな県だ。幹部・会員の皆さんの地道な努力に心から感謝申し上げるとともに、今後のますますの発展を期待するものである。

 谷口 雅宣

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2008年5月31日

マイ箸優遇の店

 生長の家の講習会のために青森市に来ている。今朝の天気情報では東京と青森の最高気温が同じで「15℃」と表示されていたから、寒さは覚悟していた。空港から市内に至る道路上の表示は「13℃」だったから、だいたい当たっている。それにしても、近ごろの日本はアップ・ダウンの激しい気候である。青森の人に聞いたところでは、今年は例年になく雪解けが早く、春の到来が急だったので、リンゴの花が早く咲くという番狂わせがあったという。その後、また寒くなったらしい。
 
 2年前、青森の講習会は7月だった。今回来て、その時と違うと感じたことがある。それは、我々が宿泊した「ホテル青森」の日本料理屋で、“マイ箸優遇”が行われていたことだ。つまり、マイ箸持参で食事に来た客の飲食代を5%引いてくれるのである。割り箸の代金やその廃棄にかかる費用を計算しても、食事代の5%にはなるまい。だから、これはコスト削減のためではなく、環境意識向上のためのサービスである。こういうサービスにお目にかかったのは、今回が初めてだ。それに、レジの前ではマイ箸を売るといる徹底ぶりだ。この店のオーナーは生長の家ではないか、と疑いたくなった。そういえば、7月の北海道洞爺湖サミットに至る前の、G8のエネルギー相による会合が、まもなく青森市で開催されるという。そのために、市を挙げて省エネ、エコ意識振興を図っているのかもしれない。
 
Honeytoast  ところで、夕食前に市内を散歩していて、ハニートーストと再び遭遇した。読者は覚えているだろうか? 4月に福知山へ行ったとき、宿泊したホテル近くのパン屋兼レストランへ寄った際に目撃した、パン反斤に蜜をかけて食べる料理である。それが、青森港に近いパン屋兼菓子屋で売っていた。京都と青森間はずいぶん離れているが、両方の場所で同じ名前で売っていたということは、偶然ではないだろう。4月5日の本欄では、これを文字だけで紹介したのでよく分からなかったかもしれないので、今回は青森版のハニートーストを写真で紹介する。今回も、その大きさに恐れをなして、買うことはしなかった。

 日本が議長国である洞爺湖サミットでは、昨今の食糧価格高騰に関する特別声明を出す方向で、関係各国との調整が進んでいるらしい。今日の『東奥日報』が夕刊で伝えている。当初の予定では、サミットの議題は①世界経済、②気候変動、③アフリカ開発、④核拡散問題の4つだったが、急きょ食糧問題が深刻化してきたからだ。ただし、これをG8の場で進めるには、難しい問題があるらしい。それは、日本が食糧輸入国であるのに対し、欧米の先進国は食糧輸出国である点だ。利害が必ずしも一致しないのである。同紙の記事には、「政府には、この機会に世界の農業生産拡大を訴え、日本国内の農業振興を図ったり、生産国の食料輸出規制に歯止めをかけるといった思惑もある」という解説がある。米の国際価格も急騰する中、日本はまだ減反政策を継続するのだろうか。これを廃止して、米を飼料やバイオ燃料に使うことを検討中という話も聞く。とにかく、様々な面で、社会や制度が大きく変わらなければならない現状が、目の前にあるのである。

 そんな深刻な事態など全く感じさせない、青森市の午後のパン屋の平和な光景が、私の前にあった。

 谷口 雅宣

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2008年5月22日

赤坂ビズタワー

 初夏の陽気となった今日、休日の余裕もあり、妻と2人で赤坂の「ビズタワー」という所まで足を延ばした。初めからそこを目指したのではなく、広告で見かけたマクロビオテックのレストランを覗いてみたかったのである。ところが、広告にはその店が「ビズタワー」という知らないビルにあると書いてあるので、「どこだろう?」と首をかしげた。その時、地下鉄千代田線の「赤坂」駅前にあったTBSが、建物を新築中だったことを思い出した。そこがこの聞きなれないビルだろう、と見当をつけて行ったのである。
 
 結果は、「当たらずとも遠からず」だった。TBSは別の新築ビルにあったが、赤坂駅から徒歩0分の近さにビズタワーがあることを知った。マクロビの朝食を食べる予定だったが、朝早くから食事をやっている店が同じフロアーに3店あった。メニューを見比べてみると、マクロビの店が一番値段が高い。そのこと自体は不思議でない。なせなら、マクロビ料理は食材を吟味してあり、無農薬、有機栽培が基本だと言われているからだ。が、ここはレストランと言うよりはデリショップで、背の高いテーブルと椅子はあっても、ゆったりと落ち着ける席がない。加えて、棚に並んでいるものを見ると、シリアル類は明らかに海外(多分アメリカ)からの輸入品である。私は妻と顔を見合わせた。マクロビの考え方のもう1つの基本は「身土不二」であり、「体(身)と環境(土)は一つ」であるはずだ。つまり、その土地で、その季節にとれたものを食べるのが原則だ。そういう基本に無頓着な店は……と疑念が湧いてきた。これに加えて“フード・マイレージ”のことも考えた。

 が、せっかくここまで来たのだから、と1品だけ買い、スペースにもう少し余裕がある別の店で食事した。マクロビも流行すると“精神”は薄まってしまうのだ、と何となく寂しい気持だった。妻の持っているマクロビの本には、こう書いてある--「環境と身体がマッチする食べ物とは、季節に採れるその土地のもの。つまり、国産品で旬のものを食べていれば、自然に反することがないというわけです」。

 とは言うものの、“最先端”とされる場所にこういう店が入るほど、自然志向や環境意識が高まってきていることは喜ぶべきである。私たちはおいしく朝食をいただき、ついでに「ビズタワー」の周辺を見学して帰宅した。全体の印象は、東京ミッドタウンや六本木ヒルズとあまり変わらない。が、“感覚優先”の右脳を働かせ、面白い映像を狙って、今日の体験を動画にまとめてみた。興味のある読者は参照されたい。
 
 なお、赤坂ビズタワーの公式サイトによると、この施設は、地上39階、地下3階で、高さ約180mの高層タワー。地下1階から地上3階までが、買い物と食事のスペース。4~38階がオフィス・スペースになっていて、地下駐車場には約400台が収容可能。今年1月末に竣工し、所有者は三井不動産だ。

 谷口 雅宣

【参考文献】
○長澤池早子監修『はじめてのマクロビオティック』(成美堂出版、2006年)

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2008年5月19日

東京のムギ

 最近、私は東京の仕事場近くの公園にムギらしきものが生えているのを見つけた。1本や10本ではない。公園の縁に設置された植え込みの中の幅3メートル、長さ20メートルもの場所に生えている。誰かが栽培しているわけでもないようだ。というのは、その付近はタクシーの運転手の休憩場所となっており、また高校生の通学路にもなっていて、人々は平気でその中を歩いて通り、ムギらしきものを踏みつけていくのである。

Efuto080519b 2~3本抜いて家に持って帰り、妻に見せると「それ、ムギじゃない!」(ムギではないの!)と即座に反応した。そこで私は「これはムギだ」と結論したわけだ。私は都会生まれの都会育ちで、ムギのことはよく知らない。しかし、妻は田舎で、田んぼや麦畑を見て育った。彼女の判断を信用するほかはない。ものの本で調べてみても、今はちょうどムギの穂がでそろう時期で、初夏に黄金色になって収穫するとある。で、公園に茂る植物も今、大部分は青々とした穂を天に向けているが、一部は白っぽい黄色に変わっている。しかし、なぜここに……という疑問の答えを、私は見出せずにいる。
 
 世界中で穀物の値段が高騰しているという現状を思い出してみると、東京の都心の公園に“野生のムギ”が育っていて、誰も注目せずに踏んでいくというのは、「不思議」を通り越して「シュール」な感じさえする。私の想像するところ、誰かが昨年の秋、イタズラ心を起こしてムギの種を蒔いたのだろう。しかし、ムギの種など、そこらの園芸店で売っているわけでもない。また、買ったものをわざわざ公園に蒔く人もいるまい。だから、不要になった種を捨てるつもりで、そこら一帯に蒔いたのかもしれない。あるいは、この公園には“家なき人”が何人も住んでいるから、その場所は彼らの“畑”になっているのか? が、いくら彼らでも、ムギを生で食べるわけでもあるまいし、また、道具もないのだから、小麦粉を作ってパンを焼くこともあるまい……とにかく、ナゾは深まるばかりだ。
 
 ナゾ解きはあきらめて、今日は、ジョギングの帰途、その“野生のムギ”をまた何本か拝借して持って帰り、絵封筒を描いた。春らしく青々としたムギの穂と葉は、見ているだけでも人を幸せな気分にさせてくれる。読者にもそんな気分を味わっていただけたら、私の目的は達成するのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年5月 7日

シイタケと野鳥

Mtimg080505  5月4日の本欄に書いたように、今回の山荘行きでは思いがけず森の中でシイタケを沢山収穫できた。これらのシイタケは、すでに消費されて影も形もないが、食べる前にスケッチしておいたので、その際の感動や経験を後から想起できるのはありがたい。読者の皆さんには、シイタケなど“当り前”すぎるかもしれないが、私にとっては“当り前の奇蹟”的経験だった。また、山荘滞在時に聴いた野鳥の声の録音(1分31秒)もあるので、ここにご披露する。小型のボイスレコーダーによる録音だから、雑音(主として風の音)など混じっている点はご容赦いただきたい。
 
 谷口 雅宣





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2008年4月17日

原宿のタケノコ

 タケノコがおいしい季節である。このところの長雨のおかげで、わが家の庭の孟宗竹林からも三角形の黒い頭がニョキニョキと出て、日ごとに成長している。というわけで、休日を利用してタケノコ掘りをした。食べる分だけ採るのが原則だが、時に2つ並んで頭を出したり、とんでもない場所に出たタケノコは、掘られることになる。タケノコは、今年出た所から地下茎が伸びて来年新しく出るから、どのタケノコを掘るかは、竹林の全体の形を考えながら決めなければならない。面倒臭そうに聞こえるかもしれないが、クイズを解くつもりでやれば面白いものである。あの柔らかい口当りを保つために、掘ったタケノコはすぐに煮るのが原則。だから流れ作業のように、私が掘り、妻が料理した。
 
 小説『秘境』を書いたとき、取材のために山形県の鶴岡に何度か行ったが、そこでタケノコ料理の絶品とも言える「孟宗汁」に出会った。酒粕と味噌で味付けをした煮物で、「汁」とは呼ぶが水分はそう多くないから「煮つけ」に似ている。妻に所望して、採りたてのタケノコの「孟宗汁」をいただいた。山形県は孟宗竹の北限と言われているが、そこで生えるタケノコはアクがなく、刺身にできるそうだ。しかし、東京産の場合はアク抜きをした。その点、“本物”の孟宗汁とは違うかもしれない。

 谷口 雅宣

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2008年4月12日

食糧危機が近づいている? (2)

 本欄ではここひと月ほど、石油高騰と食糧問題との関係について何回か書いてきた。具体的には、3月8日「食品の値段はまだ上がる」、同22日「食糧危機が近づいている?」、同29日「“農地から燃料”ではいけない」、4月7日「コメの値段が上がっている」の4回である。しかし、日本で生活している限り、この問題はさほど深刻でないような印象を受ける。恐らく読者の多くも、食糧危機など“遠い未来”か“遠い国”の話だと感じているのではないだろうか。しかし、世界の実情を知ると、貧しい途上国での食糧問題が政情不安を惹き起こす理由がよく分かる。4月11日付の『ヘラルド・トリビューン』紙に掲載された論説が参考になる。

 それによると、1世帯の収入に対する食費の割合は、日本を含む先進国では2割に満たないのがほとんどだが、貧しい途上国では5割以上になることが珍しくないという。具体的に言うと、アメリカの世帯を収入に応じて5段階に分類した場合、最貧層の世帯でも、収入に対する食費の割合は16%にすぎない。ところが、同じ数字は、ナイジェリアでは73%、ベトナムでは65%、インドネシアでは50%になるという。こういう状況の中で、途上国が輸入した食糧は、昨年のうちに平均で25%値上がりした。トウモロコシの値段は2年間で2倍になり、小麦の値段は28年ぶりの高値圏にある。先週、世界銀行のロバート・ズーリック総裁(Robert Zoellick)は声明を発表し、このような世界的な食品の値上がりの中、33カ国で暴動などの社会不安が起こる危険があると警告した。なぜなら、「1世帯の消費の半分から4分の3を食費が占める国々では、生存のための余裕がないから」だそうだ。

 4月7日の本欄では、香港でのコメの買いだめ騒動について書いたが、フィリピンの首都・マニラでも米穀販売店を兵士が警備する事態が起こった(4月7日付『日本経済新聞』)。エジプトでは8日に地方選挙の投票があったが、ムバラク政権に反対する野党勢力が食糧高騰を材料にして選挙をボイコットし、デモ隊が暴徒化して機動隊と衝突した地域もあった(10日付『朝日新聞』)。ハイチの首都、ポルト・オー・プリンスでは10日、大統領の退陣と食糧を求める民衆が商店や倉庫を略奪し、資産家は財産を守るために銃を発砲する中で、9千人の国連の平和維持軍はなすすべもなかったという(11日付『ヘラルド・トリビューン』)。そして、隣国の北朝鮮も、昨年の洪水や韓国との関係悪化によって食糧不足が深刻だとして、国連に援助を求めているという(12~13日付『ヘラルド・トリビューン』)。
 
 こんな中で、沖縄県の南西石油を買収したブラジルの国営石油会社ペトロブラスは、ブラジル産のバイオエタノールを2010年にも日本に輸出すると発表した。8日付の『日経』によると、ペトロブラスのガブリエリ総裁は、南西石油を日本市場への供給拠点にするだけでなく、アジア諸国への輸出拠点として重視する方針を発表した。同社の事業には三井物産が協力しているから、2010年以降、日本のドライバーはブラジル産のバイオエタノールを使って自動車を走らせるという選択肢をもつことになる。ブラジル産のバイオ燃料の増産は、同国のセラードやアマゾンの森林伐採につながる可能性が高い。また、農地をめぐって食糧と燃料が競合する関係を深刻化し、さらなる食糧値上がりにつながるだろう。今年3月の時点で“バイオエタノール信仰”を捨てた私としては、この選択肢を読者にお勧めするわけにはいかない。
 
 谷口 雅宣

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2008年4月 7日

コメの値段が上がっている

 食糧の世界的値上がりが、日本人の“主食”であるコメにも波及してきた。とは言っても、国産米の価格にすぐに影響を与えるほどではない。しかし、コメはアジア・アフリカの多くの国々で主食となっているから、収入の少ない途上国の貧困層にとっては大きな影響を与える恐れがある。また、多くの国々で主食とされているということは、生産量が多くても国内での消費量も多いわけで、したがって国際取引の量は少なく、よって価格の変動幅も大きい。そうなると、主たるコメの生産/消費国は、国内のコメ価格防衛のためにも輸出を控えることとなり、このことがさらに国際価格の上昇につながる。そんなことが今、実際に起こっているようだ。
 
 7月付の『日本経済新聞』によると、国際取引価格の参考指標となるタイ産のコメは、長粒種1級(100%精米)の平均輸出価格が2日、1トン当たり827ドル(約8万4千円)となり、1週間前の672ドルから一気に2割強値上がりした。今年初めの価格に比べて倍の値段だ。日本のコメ価格は、農水省の2月の調査で、ブレンド精米の卸売価格の平均が1トン当たり約30万円と、タイ米より4倍近くする。だから、国産米がすぐに価格競争力をもつわけではない。
 
 同紙によると、コメの急騰の直接原因は、ベトナムやインドなどが自国内の流通を確保するために輸出規制をしたこと。ベトナムは3月25日、年間輸出量の上限を定め、インドは4月1日に、高級種を除くコメの輸出を全面的に禁止した。3月末にはエジプトも10月までの輸出停止を決めているから、タイ産米に買いが集中しているという。世界のコメの生産量は約4億2千万トンと多いが、各国内部での消費も多いため、国際取引の対象は約7%の3千万トンほどしかない。この中で、気象変動による長雨や洪水などがあると今年の収穫量の減少も予想される。このため、輸出業者の間では、コメ価格が年内に1500ドルを超える可能性もささやかれているという。

 短期的な値上がり原因は上に書いたとおりだが、この背景には、原油高騰による肥料など生産コストの増大、ヤシ油などのバイオ燃料増産のためのコメの作付面積の減少などがある。2月の香港のコメ価格は、前年同月比で23.4%上昇したため、さらなる値上がりを心配した消費者が3月下旬、コメの買いだめに走る騒動も起こっている。中国の温家宝首相は31日、国民の不安沈静化のために、「香港へのコメの供給は保証する」と訪問先のラオスで声明を出すはめになったという。
 
 コメの輸入量が多い国は、インドネシア、フィリピン、ナイジェリア、EU、イラクなどで、コメの国際価格の値上がりは、これらの国々でのインフレ要因になる。フィリピンは消費量の約15%に相当する180万トンを輸入するというが、3月下旬、ベトナムから年150万トンの供給を3年間受ける覚書を締結し、アロヨ大統領はコメ生産者への緊急支援(総額50億ドル)を命じたという。また、7日付の『ヘラルド・トリビューン』紙によると、同国政府は、コメの買いだめは“経済破壊行為”として取り締まるとの声明を出した。この罪での最大の罰は、終身刑という。
 
 アメリカではバイオエタノール・ブームで農家が大いに儲かっているが、アジアの米作農家は、零細なものがほとんどで倉庫をもたないから、自家用以上に収穫があった場合は、収穫の時点(値段が最も安い時)にほとんどを売ってしまうという。国連の食糧農業機関(FAO)では、コメの値段は今後、ブラジル、ウルグワイ、バングラデッシュ、インド、インドネシア、ベトナムでの収穫が始まれば少し落ち着くと見ているが、その場合でも気候の良し悪しが重要な要素になるだろう。
 
 谷口 雅宣
 
 

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2008年4月 5日

ハニートースト

 生長の家の講習会のため京都府福知山市に飛んだ。といっても、実際に空を飛んだのは羽田から大阪の伊丹空港までで、そこから自動車で約80分走って福知山市に入った。道中、自動車専用道路の両脇を、時々ボーッと明るい白桃色のものが高速で前から後ろへ移動する。その華やかな明るさは--満開の花をつけたサクラの木だ。自動車の騒音防止か目隠しのためか、道路の両脇には結構高い塀が続いていて、その上から覗いた花しか見ることができない。残念は残念だが、その分、到着地での花見の期待が膨らんだ。
 
Fukuchiyamcherry  宿舎である「ホテル・ロヤルヒル福知山」に着いてから、妻と2人で早速散歩に出た。近所のサクラを眺めながら、前回来たときに寄ったパン屋兼レストランへ行くためである。2006年4月1日の本欄にその時のことを書いたが、おいしい自家製パンをいただいて英気を養おうというわけだ。「プロバンス」というその店は、前回のとき同様にはやっていた。客がひっきりなしに車で来る。パンを買っていく者もいれば、店で食べる人、あるいはパン以外のものを注文する人もいる。我々は「となりのトトロ」の形をした菓子パンを1つ買い、コーヒーと紅茶を注文して店内で憩いのひと時を過ごした。

Totorobread  そんな2人の近くに、若い女性2人が席をとった。やや時間がたってから注文の品が来た。テーブルに置かれたそれを見て、我々は首をひねった。見たこともないような組み合わせだったからだ。切り口を上にしたパン半斤とサラダ、蜂蜜のようなものを入れたガラス器、それにソフトクリームの入ったグラスである。これが1人分だ。2人とも同じものを注文して、半斤のパンの内側にスプーンを突き立てては、さもおいしそうに食べ始めた。「これはいったい何だ?」と思ってメニューを確かめると、添付された写真から判断してどうも「ハニートースト」という品物らしい。この店の人気商品だそうだ。半斤のパンは全体がトーストされていて、“皮”から“中身”をくり抜いたように包丁で切り分けてあるらしい。客はその“皮”の内側に蜂蜜(あるいはメープルシロップ?)をかけ、さらにソフトクリームを載せてスプーンで食べる。すると、温かいパリパリのトーストと冷たいクリームの組み合わさった不思議な美味を体験できる--そんな仕組みのようだった。

 実際には食べていないので、確かなことは言えない。が、妻と2人で観察した結果、そういう結論に落ち着いた。次回来たときにはぜひ……と思いながら、我々はつかの間のひと時にけりをつけ、席を立った。店の窓からは、畑の脇に勢いよく伸びている菜の花の黄色が鮮やかに見えた。
 
 菜花見て楽しきパンの旅路かな
 
 谷口 雅宣

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2008年3月29日

「農地から燃料」ではいけない

 22日の本欄で「食糧危機」の可能性について触れ、現在この可能性に向かって相互連動して動いている4つの要素を挙げた--①中進国の経済発展に伴う動物食の増加、②気候変動による農業生産の不安定化、③石油の高騰、④バイオエタノール・ブーム、がそれだ。この順番に私はこだわらない。が、④について、やや楽観していたところがあった。それは、自動車の燃料にバイオエタノールやバイオディーゼルを使うことは、ガソリンを使うよりも温暖化を推進しないと考えていたのである。しかし、4月7日号のアメリカの時事週刊誌『Time』の記事を読んで、その楽観論が揺らいできた。

 もっとも本欄では、バイオ燃料の環境への貢献度に疑義をはさむ記事を何回も書いてきた。それらの疑問点は、①同じ農地を自動車と人とが奪い合う関係におく、②森林破壊を促進する要素がある、③食糧の値上げを招く、④気候変動を招く、などだった。にもかかわらず、私が頭からこの技術を否定しなかったのは、「地上で育てた植物を燃料にすることは、植物の成長過程で吸収した炭素を放出するのだから、大気中にCO2を新たに排出することにはならない」という議論に納得していたからである。ところが、上記の記事は、その議論は部分的には正しくても「木を見て森を見ていない」とし、「燃料用に植物を育てることは、現状ではまだ非効率的な土地の使用法であり、奇妙に聞こえるかもしれないが、食料を地上で育て、石油は地下から掘る方が我々にとってよい結果が得られる」と書いている。そして、地球温暖化問題に関して、「現状では、バイオ燃料は解決策の1つなどでは全くなく、解決すべき問題の一部なのだ」と結論している。
 
 記事が問題にしているのは、ブラジルのアマゾンやセラードなど、大気中のCO2の吸収に絶大な役割を果たしてきた世界中の森林が、昨今のバイオ燃料ブームによって急速に減少しつつあることだ。それがどうやって起こるかを図式的に示そう--「アメリカのバイオエタノール・ブーム」→「原料であるトウモロコシの大増産」→「ダイズの作付面積の大幅な減少」→「ダイズの値段の高騰」→「ブラジルでのダイズ作付面積の拡大」→「ブラジルの土地の価格高騰」→「アマゾンやセラードの違法または合法の伐採」。これと似たパターンが、インドネシアなどの東南アジアにおけるヤシ油の増産と熱帯雨林の伐採の関係にあるという。そして--これが一番問題なのだが--アメリカでもブラジルでも東南アジアでも、森林伐採やバイオ燃料の栽培、精製、販売に関わっている人々は大抵、経済的繁栄を大いに享受しているのである。
 
 超大国の中心者である政治家の決定が、地球全体にどれほど重大な結果をもたらすか、と思い知らされる。アメリカでのバイオエタノールの大幅増産は、ブッシュ大統領が昨年の一般教書演説で打ち出した政策である。この政策にもとづいて今、大いなる資金が世界中に投入されている。上記の記事によると、バイオ燃料への投資額は、1995年に世界全体で50億ドルだったのが、2005年には380億ドルに達し、2010年には1千億ドルに上ると予測されている。これは、イギリスのバージン・グループのリチャード・ブランソン(Richard Branson)氏や投資家のジョージ・ソローズ氏(George Soros)のほか、GE、BP、フォード、シェルなどの世界的大企業が参加しているからだ。今行われているアメリカの大統領選挙でも、民主党の2人の候補者はバイオエタノールの利用をさらに促進すると公約している。だから、動き始めたこの大きな潮流の方向は、早期に変えなければならない。

「農地から燃料を採る」のではいけないのだ。バイオ燃料は、農地以外から、CO2を極力出さずに、しかも森林を破壊せずに得るのでなければならない。

 谷口 雅宣
 

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2008年3月22日

食糧危機が近づいている?

 3月8日の本欄でも取り上げているが、このところ食品の値上がりが続いている。これは日本だけのことではなく、世界的な現象だ。原因もわかっているが、効果的な対策が講じられているとは思えない。原因は、①中進国の経済発展に伴う動物食の増加、②気候変動による農業生産の不安定化、③石油の高騰、④バイオエタノール・ブーム、などだ。この4つの要素は、相互に密接に関連している。肉食が増えれば農地が減り、農地を得るために森林伐採が進み、気候変動が深刻化する。人口の多い中進国(中国、インドなど)の経済発展は温暖化を促進し、石油や資源の需要を増大させ、石油の値上がりはバイオエタノール・ブームを生む。エタノール生産を増やせば、食糧用農地が不足し、農地拡大が森林伐採を進める……という具合だ。世界は今結束して、この悪循環を止めなければならない。
 
 アメリカの時事週刊誌『Time』は最新号(3月31日付)で、この世界的な食品の値上がりを取り上げ、途上国の貧困層への影響が深刻化していると伝えている。それらの国では、2年間に値段が倍になった食品もあり、多くの国々で市民の不満が爆発して、中にはメキシコやパキスタンのように、暴動に発展している国もある。また、西アフリカのブルキナ・ファッソでは先月、暴徒が3都市を破壊し、政府の建物を焼いたり、商店を略奪したという。昨年後半には、セネガルやモーリタニアでも、同じような暴動が起こっている。昨年10月、インドの西ベンガル地方でも、何百もの食品店が焼き討ちにあったそうだ。それらの店が、政府からの配給用食品を闇市に流しているという理由だ。
 
 ワシントンにある国際食糧政策研究所(International Food Policy Research Institute, IFPRI)の分析では、このような食品の高騰は少なくとも10年は続くという。理由は、上に挙げたような状況がそう簡単には変わらないからだ。そして、アースポリシー研究所のレスター・ブラウン氏(Lester R. Brown)は、3月20付けのニュースレターで、このような食糧危機の背後には、地球温暖化による世界の氷河の融解がある、と警鐘を鳴らしている。
 
 それによると、今後の大きな問題は、ヒマラヤ山脈にある氷河が急速に融け出していることだ。ここはガンジス川、黄河、長江などへ水を送る重要な役割をもっていて、氷河が凍っていれば、乾期にもこれらの大河に水を送り、中国やインドの内陸部に水を供給することができる。しかし、温暖化で早期に氷河が融け出すと、灌漑用の水を供給できなくなる恐れがあるという。中国とインドは、小麦と米の大生産地だ。中国の小麦の生産量は世界一で、アメリカの倍近くある。インドの小麦生産量は世界第2位だ。これにコメの生産を加えると、中印2国で世界の穀物生産の半分以上を占めることになる。だから、この地での水不足は、世界の食糧事情に重大な影響を与えることになる。

 では、どうすればいいのか。ブラウン氏の提案はこうだ--国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告では、ヒマラヤの氷河の多くは、2035年までに完全に融けてしまうと予測されている。だから、温室効果ガスの排出量の削減は、現在考えられているようなペース(2050年までに80%削減)では不十分であり、同じ量の削減を2020年までに達成すべきである、という。このように急速な排出削減ができない場合、世界の穀物生産に深刻な影響が出て、現在をはるかに上回る食糧危機が到来する危険性がある、ということだろう。

 日本の食糧自給率の低さは有名で、日本の農業は衰退している。この流れを逆転させ、農業を活性化し、さらには将来の食糧危機を乗り越えられるだけの農業の抜本的振興策を真剣に考える時期に来ているのではないか。

谷口 雅宣 

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2008年3月 8日

食品の値段はまだ上がる

 立て込んでいた仕事が一段落したので、本欄に向かうことができた。5月初めの生長の家の運動組織の全国大会を期して単行本を上梓させていただく予定で、その準備でしばらく根を詰めていたため「小閑」を見出す余裕がなかった。最後は、木曜日のほぼ1日を原稿書きに使い、金曜日の深夜までかけて仕上げた原稿をメールで送信して、やっと一息つけた。ありがたいことだ。
 
 今日は、生長の家の講習会のために大阪へ出発。昼過ぎに発つ新幹線に乗るために早めに東京駅へ着き、妻と2人で“キッチン・ストリート”に向かった。和食か中華を念頭においていたが、油の臭いに遭遇したため、うどん屋に入ることを決めた。近ごろは、昼食に脂っこいものをあまり食べたくない。妻も同じだ。「すぎのこ」という店に入り、妻は日替わりセット、私はゴマだれ薬味うどんを注文した。二人でうどんを食べながら、私は前回ここで食べた時よりうどんの量が少ないかなぁ……などと思った。気のせいかもしれない。しかし、それを口に出しても、妻は否定しなかったので、続けてこう言った--「小麦の値段がずいぶん上がっているからね」。
 
 ちょうど今日の『日本経済新聞』に「小麦粉1~2割値上げ」という見出しの記事が載っている。製粉大手3社が4月下旬から業務用の小麦粉を1~2割値上げするそうだ。理由は、政府が引き渡し価格を4月から3割も上げるからだ。業務用小麦粉は、昨年5月に24年ぶりに値上げされ、それ以降これが3回目となり、上げ幅は最大だという。これによって、小麦を使った製品--パン、麺類、菓子など--のさらなる値上げはほぼ確実である。『日経』は、「昨年来の食品値上げは第2波を迎え、一段と家計を圧迫する」と書いている。
 
 本欄でもしばしば書いてきたように、昨年来の食糧の値上がりは“地球温暖化”と大いに関係している。気候変動による干ばつや洪水が続き、世界の食糧の在庫が減少している。そこへもってきて温暖化抑制策として、アメリカなどがバイエタノールの大増産を進めている。これによって、世界最大の穀倉地帯であるアメリカで生産されるトウモロコシがどんどんエタノールに変わる。これが大いに利益を生むので、アメリカの農家は小麦の生産を減らしてトウモロコシを増産している。この中で、石油の生産量が頭打ちである。つい先日も、OPECが生産量の据え置きを決めた。そして、ドルベースでの石油の値段はどんどん上がっている。
 
 私は読者に、世界の石油の生産量がこれ以上増えないという“石油ピーク”がすでに来ていると考えることをお勧めする。これは、私がプロ並みの情報を集めて、専門的に分析した結果、そう結論するにいたった、というのではない。私は宗教家だから、そんなことはしない。では、“神のお告げ”かというと、もちろん違う。私が“石油ピーク説”をお勧めするのは、それが今年来なくても、近々来ることは大いに考えられ、また来なかったとしても、温暖化抑制のためには“脱石油”が喫緊に必要だからだ。もう“石油ピーク”が来たと結論して、世界各国が「これ以上のエネルギーは石油等の化石燃料から得るのはやめる」という合意に達すべきだと考えるからだ。が、近い将来、世界中がこの合意に達することはないだろうから、合意できる我々一人ひとりが、“脱石油”の行動を起こし始めるのがいい。いっぺんに“脱石油”はできないから、少しずつ、できるところから、である。
 
 そういう意味では、石油の高騰はありがたいと言える。おかげでガソリンの消費量が減っており、自動車の燃費は向上している。人類は、化石燃料を基礎とした“炭素文明”から脱しようとしているのだから、炭素ベースの古い産業が衰退するのは仕方がない。その代りに新しい“水素産業”をどんどん育てるべきである。この切り替えができないと、日本経済は相当困難な状況になると思う。今の政府の考えを推測すると、政治資金を多く提供してくれる炭素ベースの産業自体に、水素ベースの技術を導入させるか、利用させるつもりだ。これにより、資金供給を継続させながら産業構造を変えようとしている--そんな気がする。しかしこれでは、一つの産業内部で利益相反行為をさせることになり、切り替えは難しく、できてもスピードは遅い。欧米との競争に負ける気がする。

 まぁ、放言はこのくらいにして、筆を収めよう。食品の値上がりにも“光明面”はあるのだが、その話は別の機会にする。
 
 谷口 雅宣

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2008年2月29日

新しいタイプの誌友会

 2月28~29日の2日間、生長の家では日本のみならず、ブラジル等の海外からも幹部の代表が集まって「生長の家代表者会議」という会合が開催された。ここでは、4月から始まる新年度の運動をどう進めるかを描いた運動方針の説明と、それに対する質疑応答などが行われた。新年度の運動方針には、新しい方策がいくつも盛り込まれているので、それに対する質問も多く出て、時間が足りないほどだった。私は2日目である今日の最後に、参加者全体への包括的なメッセージを語る役割をもっていたが、会場の真剣な雰囲気に影響されたのか、予定していた話とは少し違う内容のことを話している自分に気がついた。が、方向転換はせずに話を続けた。おかげで、あまりまとまりのない抽象的な内容になってしまったことが悔やまれる。そこで、この場を借りて、本来予定していたもっと具体性のある話をさせてもらおうと思う。
 
 新年度の運動方針では、従来のものに加えて、新しいタイプの誌友会を開くことが謳われている。誌友会とは、家庭単位で行われる生長の家の真理勉強会のようなものだ。この誌友会は、開催者の技能や芸術的感覚を生かし、真理を生活に活かす具体的な実践を盛り込んだものだ。ここで言う「技能や芸術的感覚」とは、少し努力すれば、誰でもある程度のことが可能となるもので、例えば、料理、写経、絵手紙、書、俳句、短歌、写真、動画、植樹・植林、エコ生活の工夫、パソコン(インターネット)などを指す。誌友会を開催する人が、こういう分野の技能や芸術的感覚をもっていた場合、それらの実践を通して真理を生活に活かすことをここで学ぶのである。

 拙著『日時計主義とは何か?』の66頁以降で、私は「感覚と意味」について書いている。これは、私たちが物事を見たり考えるときに、その物事自体がもつ感覚的味わいを優先的に感じる場合と、その物事が自分に対してどういう意味をもっているのかを優先して考える場合とがある、という分析にもとづく。前者が“感覚優先”のものの見方であり、後者は“意味優先”の認識である。そして私は、この本で「“意味優先”のものの見方をする場合、私たちは目の前にあるものを自分の現在との関係でとらえ、価値判断する傾向がある」と書いている。自分の現在の目的に対して利益があるものを“善”とし、不利益なものは“悪”と見なし、無関係なものには“無感覚”になる傾向がある、ということだ。こういう単純で、自分勝手なものの見方をしていては、そこにある物事そのものをよく見ていないし、感じていないと言える。

 私たちが生活の喜びを感じないときは、この“意味優先”のものの見方をしている場合が多い。そこで日時計主義では、神からいただいた優秀な感覚器官を備えたこの肉体に感謝する意味からも、“感覚優先”のものの見方、感じ方の復権を訴える。これは感覚主義や快楽主義になれというのではなく、自分中心の先入見によって世界を見るのをやめ、自分の周囲に与えられたすべてのものを虚心になって見、感じるところからやり直そうというのである。これを別の言葉で表せば、現象の中にあっても、実相の反映であるところの“真象”を正しく感じ、しっかりと受け止めようということだ。『日時計主義とは…』の本では、こう書いている--本書で提唱する「日時計主義」も結局、そのような真象をより多く見るための考え方であり、真象を感じるための実践である。
 
 こういう観点を理解していただくと、私たちがこれから行おうとしている「技能や芸術的感覚を生かし、真理を生活に活かす具体的な実践を盛り込んだ誌友会」の目的は「真象をより多く見、感じ、共有するため」であり、「すでに与えられている神の恵みを認め、感謝するため」であることが分かる。読者にはどうか、この観点を忘れないでいただきたい。私たちは今、料理教室やカルチャー・スクールを開設しようとしているのではない。今日の会議では、料理と絵手紙を取り入れた誌友会のデモ・ビデオが上映されたが、それは料理が上手くなり、絵手紙が上手に描けるようになるための誌友会ではない。そうではなく、「料理」や「絵手紙」を通して真象をより多く見、感じ、それを参加者全員で共有するための誌友会である。

 今、なぜこのような活動が必要かと言えば、それは地球環境問題の背後には、人々の不足や不満に焦点を当て、欲望を喚起することで物やサービスを売ろうとする大きな動きがあるからである。このような迷妄は、「人間・神の子」と「天地一切の物への感謝」の教えによって消滅するが、それを実践するのが日時計主義の生き方である。

 谷口 雅宣

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2008年2月11日

ウソをつかない生き方

 建国記念の日である今日は、午前10時から東京・原宿の生長の家本部会館で「建国記念の日祝賀式」が執り行われた。私は、この祝賀式で大略以下のような言葉を述べた:

 皆さん、本日は日本の建国記念の日、おめでとうございます。
 日本列島はこのところ、各地で雪が降るなど寒い日が続いていましたが、今日は幸いにも比較的暖かな日となり、こうして皆さんと元気で日本国の誕生日を祝うことができることを心から感謝申し上げます。ありがとうございます。
 
 さて、建国記念日の由来については、皆さんはすでによくご存じのことと思います。『日本書紀』などの日本の神話によると、この2月11日の日が、初代の天皇であられた神武天皇が日本の国を統一し、即位した日に当たるということで、昭和42年(1967)2月11日から「国民の祝日」として適用されている日です。戦前は「紀元節」として祝われていたことも、ご存じの通りであります。また、これは昨年もお話ししましたが、現在、存在している世界各国の中で、国の始まりを神話の時代にまで遡って定めている国は大変珍しく、日本とお隣の韓国ぐらいです。その他の大多数の国では、欧米諸国の場合は近代の民主主義革命が起こった日、アジア=アフリカ諸国では第2次大戦後に欧米各国からの独立した独立記念日が、建国記念日として祝われているのです。
 
 このように、世界の多くの国の誕生は比較的最近のことですから、その際の“建国の精神”とか“建国の理想”というものは、独立宣言や憲法関連の文書の中に明確に定められています。だから、それらの公的文書を学ぶことで建国の精神は理解されます。ところが、日本のように“神話”という一種の文学作品に物語の形で描かれている場合は、解釈の余地がある。言いかえれば、解釈の違いによって、「A」が建国の精神だという人もいれば、そうではなく「B」の方が本当の建国の精神だという人。あるいは、神話など昔の人の作り話だから、そんなあやふやなものを現代の指針とすべきでなく、もっと最近の分かりやすい文書--例えば、日本国憲法の前文--に書かれていることを日本国の精神とすべきだというような、いろいろな意見が出ているのが現状です。
 
 そこで私はここ数年の建国記念日では、日本の神話にある建国物語の一節を紹介して、そこにある何をもって日本の国の“建国の理想”とすべきかについてお話しています。このことは今年の1月1日付で発行させていただいた『小閑雑感 Part 9』(世界聖典普及協会刊)の中にもありますので、それを紹介したいと思います:
 
 (同書、pp.265-266 を朗読)
 
 ここで私が最後に書いた「神意に聴き、正しいことを素直に実行する」という精神は、今の日本にいちばん欠けていることではないでしょうか。「神意」とは「真理」であり、「神意に聴く」とは「真理に従う」ということです。これは即ち「本当のことを言う」ことでもあります。にもかかわらず、伊勢神宮のお膝元で、賞味期限の切れた餡を再利用したお菓子を売っていた老舗の和菓子屋がありました。それ以前にも、北海道の牛乳やチョコレートでも「表示」と「実際」をゴマカス操作が行われていました。最近になっては、製紙会社が永年にわたって古紙の含有率を偽って表示や納品をしていたことが発覚しましたし、同じようなリサイクル率のゴマカシは、プラスチックを製造する石油化学会社でも行われていたことが分かりました。簡単に言えば、「ウソをつかない」という倫理が廃れているのが現代日本ではないでしょうか。
 
 この「ウソをつく」ということについて、哲学者の梅原猛さんが『日本の深層』という本の中で興味あることを書いています。それは、日本人の先祖である縄文人と弥生人の間には、「ウソをつく」ことに関する倫理感に違いがあるというのです。言葉には神が宿るという言霊信仰をもっていた縄文人は「ウソはつけない」という倫理感をもっていたのに対し、言霊信仰をもたない弥生人には「ウソも方便」という考え方があった、というのです。ことの真相は私には分かりませんが、少なくとも日本建国の神話の中には、「正直に還り、神意にしたがって事を成すべし」という教えが説かれていることは明白です。(その箇所を再び指摘)
 
 生長の家では「コトバは神なり」と教わっています。コトバには大いなる創造力がある、ということです。コトバとは「身・口・意」の三業のことです。神意を正しく知り、それをコトバの力によって現していくのが我々の運動ですから、これは日本建国の理想とも合致した正しい生き方である。このことが忘れ去られているために、今日の日本社会の乱れがあることを知り、今後とも大いに真理宣布の活動に邁進し、ウソをつかない生き方を実践していきたい。建国記念の日にあたり、そのような思いを改めて強くもったしだいであります。
 
 皆さまと共に、神様の光を背に受けた、明るい、ウソのない運動を展開してまいりましょう。

 谷口 雅宣
 
【参考文献】
○梅原猛著『日本の深層--縄文・蝦夷文化を探る』(集英社文庫、1994年)

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2008年2月 7日

コンポストの土

 好天に恵まれた今日は、午後から庭の植物たちに施肥をした。「寒いうちに……」と思いながらも、忙しさにかまけて延び延びになっていた。すでに立春も過ぎてしまったから“寒肥(かんごえ)”とは言えないが、数日の差は植物も許してくれるだろうと願いながら、土を掘った。「植物」とは書いたが、庭のすべての植物に施肥することはできない。当然、特定の種をエコヒイキすることになる。私の場合、果樹を優遇する。理由はきわめて単純--美味しい果実を期待するからだ。というわけで、キーウィー、ブルーベリー、イチジク、スモモの樹の下にスコップを入れることになった。日陰には、先日降った雪の名残りもある。軟らかい土に、スコップは面白いほどよく入った。
 
 スコップが簡単に入りすぎるのが、気になった。実は寒肥は、寒中を逃してはあまり効果がないと言われているからだ。土が柔らかいのは、土中の微生物がもう活動を始めているからで、植物の根も伸び始めているのだろう。土を掘ると、その柔らかい根を伐ってしまう危険がある。特に気になるのはキーウィーの樹で、昨年は勢いがなく、実がほとんどできなかった。雌雄2本の木のうち1本は今、枯れたような状態である。これに立ち直ってほしいのである。
 
 肥料は、家の生ゴミで作ったコンポストだ。2つあるコンポストの容器が、ちょうどいっぱいになりつつあった。そこで、半年前にいっぱいになった方の容器から中身を取り出し、樹下に細長く掘った穴を埋めていく。コンポストの中身は半年たてば、ほとんど黒い土になっていて、臭いもあまりしない。それでも卵の殻、貝殻、パッション・フルーツの外殻、鶏の骨などがまだ外形を残していて、何となく懐かしい気持にさせる。それらが、土中へと新たな旅立ちをするのである。“彼ら”はいずれ分子をはがされて、土中から植物の根に吸収され、再び果実となって、妻か私の口に入るか、昆虫に食べられるか、あるいは海を渡って飛んできた鳥の胃袋に入る。そんなことを考えながらスコップを振るっていると、時間がたつのを忘れてしまう。

 私がこの作業に没頭しているのを横目で見ながら、三毛と黒の2匹の野良ネコが日向ぼっこをしていた。私との距離は、最短で5~6メートルだっただろうか。私が、バケツに入れたコンポストの土を運んでスモモの樹のそばへ行くときに、彼らとの距離は最も縮まる。すると、2匹はそわそわと腰を上げて、縁の下へ逃れるのである。しかし、そのまま別の場所へは行くわけでもなく、私の姿が見えなくなると、再び同じ場所にもどってきて陽だまりの中に横たわる。ネコごっこならぬ、こんなイタチごっこを3~4回繰り返した後に、2匹はどこかへ姿を消してしまった。
 
 施肥のあと、家の北側にブルーベリーの小株を移植した。これは、挿木したのがついて、植木鉢で育てていたものだ。移植した場所には、もともとシャクナゲがあったのだが、昨年、なぜか枯れてしまった。ブルーベリーの成長には陽光が必要だから、家の北側でうまく育つか自信がない。が、若い株の枝の勢いに期待して、これにも旅立ちをさせた。

 谷口 雅宣

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2008年2月 5日

ギョーザ被害はノーシーボ? (2)

 昨日の本欄では、厚生労働省が発表した「中国産冷凍ギョウザ等が原因と疑われる健康被害事例の発生報告数」(2月3日時点)という統計表の数字にもとづき、都道府県別の“健康被害”の数字のバラツキに、何か意味のあるパターンが潜んでいないかを考えた。結果は不成功だったが、その原因がわかった。この統計表の数値の採り方は、かなりいいかげんであることが判明したからだ。もとの数値が精確に把握できていなければ、その数値から統計的に意味のある結論を引き出すことはできない。読者には、私の“ひとり相撲”を観戦させることになり、誠に申し訳なく思う。
 
 わが国のお役所は、実に様々な統計を数多くとっていて、それが容易に入手できるという点では、世界でも珍しい方の部類に属する--という話を、私はアメリカに留学中に聞いていたので、役所の数字を過信していたきらいがある。今回の統計でマズイ部分は、厚労省の側がとても抽象的な表現のカテゴリーを作り、そのカテゴリーに当てはまる数値を、傘下にある全国の各保健所に報告させるという方式をとったことだ。もっと具体的に言うと、抽象的なカテゴリーとは、「当該製品等による健康被害が疑われる事例」と「当該製品等による健康被害が明らかでない事例」の2つである。この2つの言葉には、意味の違いはほとんどない。また、「当該製品等」という表現の解釈の幅は、とても広い。この中に、新聞に名前が出ている中国の会社の製品をすべて含むのか、それともギョーザだけを意味するのか、また「等」という言葉には、ロールキャベツは含むのか、あるいは日本製のギョーザも含むのか、含まないのか、……などの解釈は、もっぱら個々の保健所の判断に委ねた、というのが厚労省の担当者の答えだった。
 
 例えば、上述の表にある「当該製品等による健康被害が明らかでない事例」の中では、静岡県の事例が「132」と他より抜きん出て多い。その理由を同県厚生部食品衛生室に訊くと、この中には実際には健康被害がなくても、ギョーザを食べたので不安だという程度の「健康相談」も含めてしまったという。また、茨城県は同じカテゴリーの数字が「0」になっているが、これは兵庫県と千葉県で問題となった特定の製品だけを対象にして、健康被害が疑われる数字を集計した、というのが同県保健福祉部生活衛生課の答えだった。
 
 そんなこんなで、全国の自治体の保健担当部門はまだ混乱している。厚労省もそういう問題を自覚して、2月4日15時現在の集計では、同じ表の項目名をより厳密な表現に変更した。新しい集計では、上に書いた「当該製品等……」という表現は消え、代わりに「有機リン中毒が疑われ、現在調査を行っている事例数」と「有機リン中毒が否定された事例数」の2つになっている。そして、静岡県の欄では後者の事例数が「132」から「15」に減り、茨城県では「0」が「45」に増えている。また、ギョーザの消費量が多い栃木県は、「29」から「41」に増加している。
 
 私も、現時点での混乱した数字をもとに何か意味のあることを言おうとはしまい。
 
 谷口 雅宣

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2008年2月 4日

ギョーザ被害はノーシーボ?

 中国で作られたギョーザをめぐる中毒事件が複雑な展開を見せているが、4日付の『産経新聞』に興味ある表が載った。3日午後3時までに厚労省がまとめた「健康被害の発生報告数」という都道府県別の数表である。この表は、厚生労働省のウェブサイトにも掲載されている。それを解説した『産経』記事には、「集計した健康被害の相談件数は46都道府県2117人(被害が確定した10人を含む)に上った」が、この10人以外には問題の殺虫剤「メタミドホス」の中毒が疑われるケースは出ていない、とある。これを読むと、実際の中毒は10人でも、「自分も中毒ではないか」と心配して保健所などに相談した人は、その「200倍」以上の数に及んだ、と解釈できる。多くの日本人がこの件で神経質になっていることがうかがえ、記事も「食べ物による体調不良について、多くの人が敏感になっているようだ」との厚労省の見方を紹介している。
 
 この「200倍」の反応をした人の中には、実際に医療機関を訪れ、医師の診断を受けて入院した人が9人、入院しなかった人が379人いたほか、保健所に相談したが医療機関で受診しなかった人が844人、そして、「その他」の分類の中に875人が含まれる。この「その他」の欄は、厚労省の数表では「当該製品等による健康被害が明らかでない事例」という項目になっている。新聞記事では、そこには「日本産ギョーザを食べて体調を崩した」とか「何を食べたか分からないが、1カ月ほど前に体調不良になった」などという、今回の事件とは「関連性がないと判断された事例」もあるという。これは一種の“パニック反応”のようにも思えるし、また、この期間にギョーザを食べた人が、殺虫剤の成分が含まれていなかったにもかかわらず、実際に病気になったケースがある可能性も否定できない。つまり、一部には「ノーシーボ効果」(nocebo effect)と呼ばれるものに該当する反応が起こったのではないか、と私は推測する。
 
 「ノーシーボ効果」については拙著『心でつくる世界』(1997年)にも書いたが、「医学的な要因によらず、信念や恐怖などの心理的原因で病人の症状が悪化したり、時には死に至るような現象」(p.250)のことである。この逆の反応である「プラシーボ効果(placebo effect)」--医学的要因によらず、信念などで病気が快方に向かったり、治ってしまうこと--は有名だから、多くの読者はご存じだろう。では、実際にどれだけの人がノーシーボ効果で病気になったのだろうか? これを推定することは難しいし多分、正確な推定は不可能だ。しかし、あえて推定してみることはできないか?
 
 そこで私が思いついたのは、各都道府県の人口と、今回の“健康被害”の報告数との関係である。上述の数表を見ると、健康被害は福井県を除くほぼすべての都道府県で報告されている。また、今回の事件はマスメディアが集中的に報道しているから、ほぼすべての日本人が知り、関心をもっていると考えられる。このような状況下でノーシーボ効果が起こる場合、それは人口の多いところは多く、少ないところは少ないと考えていいだろう。もちろん、この関係が成立するためには、「ギョーザを食べる」人が日本全国に平均して散らばっていることと、問題があるとされる銘柄のギョーザが、日本全国に平均して売られていたという前提が必要だ。が、これを調べることは今できない。そこで、これらの前提条件が満たされていると仮定したうえで、健康被害の報告数を人口の多寡との関係で眺めてみた。すると、「人口が少ないのに報告数が多い」ところや「人口が多いのに報告数が少ない」ところなどが分かった。一例を示してみると……

[人口に比べて被害が多い県]
 青森県3.68%(1.14)、群馬県3.02%(1.59)、千葉県6.19%(4.77)、静岡県7.89%(2.97)、滋賀県2.93%(1.1)、奈良県4.11%(1.12)、大分県3.12%(0.96)、沖縄県4.06%(1.09)
 
[人口に比べて被害が少ない県]
 埼玉県0.90%(5.54)、東京都5.34%(9.73)、神奈川県4.30%(6.88)、長野県0.52%(1.72)、長崎県0.28%(1.17)、
 
 上の数字の説明をすると、例えば、青森県には日本の人口の「1.14%」が居住しているが、今回の被害の報告は、全体の報告数の「3.68%」と比較的多く報告されている、ということだ。また、埼玉県には日本全体の5.54%の人が住んでいるが、今回の被害報告のうち同県からの報告は、全体のわずか0.90%だった、ということである。今回の事件で、殺虫剤「メタミドホス」が原因だと確定されたのは、千葉市稲毛区の家族2人、千葉県市川市の家族5人、兵庫県高砂市の家族3人だ。だから、千葉県が「人口に比べて被害が多い県」の中に入っているのは不思議でない。しかし、被害の割合(6.19%)と人口の割合(4.77%)のズレは、青森その他の7県よりも「少ない」ことに気がついてほしい。ということは、今回の健康被害の報告数を「ノーシーボ効果」だけで説明することはできないことになる。
 
 では、ほかにどんな要素が加わってこのようなバラツキが生まれたのだろうか? まず思いつくことは、ギョーザの消費量に地域的な偏りがある可能性だ。これは、ある程度統計的に分かっている。総務省統計局の「家計調査から見た品目別支出金額及び購入数量の県別ランキング」を見ると、ギョーザについて、一世帯当たりの年間の支出金額(平成16~18年平均)が主な県庁所在地別に載っている。これによると、ベスト10は、①宇都宮市(4886円)、②京都市(2855円)、③宮崎市(2737円)、④静岡市(2693円)、⑤さいたま市(2557円)、⑥東京区部(2544円)、⑦新潟市(2520円)、⑧大津市(2503円)、⑨金沢市(2471円)、⑨大阪市(2471円)である。宇都宮市がダントツだが、全国平均は2295円だから、それ以下はドングリの背比べだ。上掲の[人口に比べて被害が多い県]の中には、④と⑧を含む県があるものの、[被害が少ない県]の中にも、⑤⑥を含む県がある。また、栃木県が[多い県]の中に含まれず、青森県や沖縄県で被害が比較的多く出ていることの説明が、これではできない。
 
 ということで結局、今回の中国製ギョーザの日本における被害報告件数のバラツキの原因は、よく分からない。歯切れの悪い報告になってしまったが、賢明な読者の頭に何かヒラメキがあれば、ぜひご教示願いたい。
 
 谷口 雅宣

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2008年1月27日

竹皮の弁当箱

 奈良県で行われた生長の家講習会は、好天のなか、県立橿原公苑体育館となら100年会館の2会場で合計7,343人の受講者が参加して下さった。2年前より132人多く、この教区での幹部・信徒の皆さんの日頃の活動と、熱心な推進努力が推し測れるすばらしい会となった。私の講話に対する質問も19枚と多く出て、受講者の宗教への関心が深いことが分かった。時間の関係で、そのうちの半分も答えられなかったことが心残りである。

 講習会後、近鉄の橿原神宮前駅から京都へ出て、新幹線で東京へ向かった。京都駅で夕食の駅弁を買ったのだが、その際、「21世紀出陣弁当」というのを選んだ。名前が面白いのと、竹皮を使った容器に惹かれた。また、名前の横に印刷された「駅弁コンテスト大人の部グランプリ受賞」という宣伝文句も気になった。「グランプリとはどれほどの味か?」と思ったのだ。

 京都駅の新幹線ホーム側の弁当売り場には、実に多くの種類の弁当が並んでいて、選ぶ側も戸惑うほどだ。それぞれの弁当の脇には、中身を示すためのプラスチック製のイミテーションの食材を詰めた弁当もある。が、それらを見ていると、「中身はみな同じ」という印象を受けるのである。恐らくその理由は、イミテーションの食材の色と形が同じだからだ。違うのは、それらの食材をどんな形の箱に、どのような配列で並べ、それにどのような名前をつけるかという点だけ……そんな印象を受けた。もちろん仔細に調べれば、野菜が多いものや、揚げ物や練り製品が多いものなど、細かい違いはあるに違いない。が、いずれにしても「大量生産品だなぁ~」という印象は拭えない。
 
 私は、京都駅の弁当に文句を言っているのではない。むしろ、その逆である。これだけ多様なものが、これだけ大量にある日本は、きわめて恵まれた国である。中東のパレスチナのガザ地方とエジプトの国境線上に建っていた、鋼鉄製の壁が爆破された話を思い出した。理由は、パレスチナの過激派の攻撃に業を煮やしたイスラエルが、イスラエル側の境界線の通行を制限したからである。一種の経済封鎖だ。そこで、食料や水や日用品に窮乏したパレスチナの住民たちが、エジプト側に物資を求めてなだれ込んだのだ。爆破自体は、過激派によるものと思われる。エジプトは軍隊を派遣したが、殺到するパレスチナ人を無理に止める行動はしなかったという。

 そんなことを思い出しながら、私は数分間隔で精確に運行される新幹線に乗り込み、豊かな食材を詰めた「21世紀出陣弁当」を開いたのである。日本での「出陣」とは、もちろん戦いに行くことではない。何か未来への“夢”を秘めた「21世紀」に向かって、栄養を補給するためのおいしい弁当、という程度の意味だろう。出陣でなく、「出発」でも「出帆」でも「出航」でもいいのだろうが、かつての戦国時代を思わせるような勇ましい言葉を使った方が、働き盛りのビジネスマンには魅力がある……そんなマーケティング戦略が透けて見える。
 
Bentobox  弁当はおいしくいただいた。食べ終わってから、竹皮を編んだその容器をしげしげと眺めた。大変よくできているのである。竹皮を幅1.5センチほどのテープ状に切ったものを編んで、箱全体を作っている。手触りが軟らかく、弾力もある。弁当箱の端の型枠部分には、強度をつけるために薄い竹材が鶯色の糸でしっかり結わえつけてある。普通の駅弁の箱に使われるような厚紙は、一切使われていない。これだけの容器を使っていて、通常の駅弁と同じ価格(1000円)で販売できるとしたら、弁当箱の製造は国内ではありえない。だから弁当箱は中国製、というのが私の結論である。では、弁当の中身は? と次に考えたくなる。
 
 今の日本の“豊かな生活”は、その多くを人件費の安い中国などの外国の労働者に頼ることで実現されているのである。それによって「粗悪品が出回る」とか「衛生基準が満たされない」などのマイナスな面も出ているが、全体的には国内の物価を下げ、若年労働者の不足を補っているのだろう。竹皮編みの弁当箱から、今日のグローバル社会の側面を見たような気がした。

 谷口 雅宣

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2007年12月29日

2007年を振り返って

 まもなく幕を閉じようとしている今年を、ここで振り返ってみよう。まず言えることは、今年は地球温暖化問題において“世界的合意”が達成された年ということだ。すなわち、人間の活動によって地球温暖化が進行しつつあり、人類が今後温室効果ガスの排出を削減しない限り、温暖化による被害が経済発展を“帳消し”するどころか、経済にマイナスの効果を及ぼすことがほぼ確実である、との認識で一致した。今年2月から次々に出されたIPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)による4次の報告書が“科学者の総意”を明確に示しただけでなく、その内容に沿った危機意識をアル・ゴア氏が映画『不都合な真実』(An Inconvinient Truth)や同名の著書で一般人の間にも広め、アカデミー賞だけでなく、IPCCと共にノーベル平和賞まで受賞してしまった。それ以降、温暖化懐疑論は鳴りをひそめ、アメリカのブッシュ大統領まで温暖化抑制を口にするようになった。これは、世界の“良心”が“迷妄”に勝利した証左と言えるだろう。
 
 これによって、地球温暖化問題は抑制のための「政策」論議に焦点が移っている。が、まだその方向性は定まっていない。昨年の同じ時期、本欄で1年を振り返ったとき、国際政治の現状では、今後の世界は「原子力エネルギーの重視と、二酸化炭素の地下固定の技術を大幅に取り入れることによって、当面の温暖化の流れを最小限に食い止めながら、BRICs諸国を初めとした途上国は、“先進国型”の工業・技術社会を目指して進む」と予測した。この予測は、今の時点でもそれほど外れていないと思う。ただし、「地下固定」には「海底固定」が含まれる可能性が増してきており、“京都後”の枠組みを決める今後の国際交渉で画期的な制度が実現すれば、温暖化対策の中心は原子力から他の方向へ移っていく可能性はある。私は、化石燃料や原子力の利用よりも、再生可能の自然エネルギーの利用を促進することが、長期的に考えて、人類にとって最勝の方策であると考えている。
 
 ところで、温暖化問題が21世紀の人類最大の長期的課題だとしても、短期的、中期的には、イスラーム原理主義が関わるテロリズムや政治的問題の深刻さは、看過できない段階にある。地球温暖化問題に対する“合意”に加えて、今年もう1つ世界で合意されたことは、イラクを含むアメリカの中東政策が失敗だったということだろう。アメリカの自動車社会・消費社会を支えるために、文化・思想・信仰において大いに異なる産油国と同盟関係を結ぶと同時に、それらの国と敵対関係にあるイスラエルと密接な関係を保つという“二重基準”は、宗教的原理主義の台頭の前では認められなくなりつつある。これに加えて、原子力の利用技術が拡大し、兵器への転用の危険が増すにつれて、中東問題は地域的制約を超えてグローバルな核戦略にも影響を及ぼしつつある。つまり、アメリカが“イランの核”に備えて東欧にミサイルを配備することが、ロシアの核戦略に変更をもたらしつつあるのである。これに加えて、パキスタンでのブット元首相の暗殺が起こり、この地域の情勢はきわめて流動的であり、予測は困難だ。
 
 中東問題はエネルギー問題と密接に関係しているが、今年に入って世界のエネルギー利用において大きく変化したのは、バイオエタノールなどのバイオ燃料の利用が急速に進んでいることだ。石油や天然ガスの利用が地球温暖化を促進するだけでなく、不安定な海外の政治状況に左右されるという点を反省したアメリカが、自国産のトウモロコシを大量にエタノールに転換して利用する政策を実行している。これによって穀物が高騰しているだけでなく、食品全般の値上がりを招いていることは、本欄でも何回も書いてきた通りである。バイオ燃料の利用が進むもう1つの原因は、世界全体で石油の生産量が上がらず、値段が高値に張りついたままだからだ。これが産油国の政策的配慮なのか、それとも“石油ピーク”の到来なのかは、はっきりしていない。もし後者である場合は、バイオ燃料の需要は今後ますます伸びていくから、食料と競合しないバイオ燃料が開発されない限り、世界の貧困層の犠牲が増大するだろう。それは、気候変動とも相まって、政情不安を引き起こす要因になるのである。
 
 このように考えてくると、人類が今後、化石燃料にたよらず、核拡散ともつながらず、しかも食料とも競合しない方法でエネルギーを得ることは、世界の平和と密接に結びついていることが分かる。別の言い方をすれば、そのようなエネルギーの利用技術を開発することが、世界平和に貢献するのである。私は、日本こそまさにそういう技術と資本力と人的資源をもった国と考えるから、自然エネルギー利用技術を国策として大いに振興すべしと訴えてきたのである。
 
 谷口 雅宣

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2007年12月22日

バイオ燃料の“光明面”

 本欄では、これまでしばしばバイオエタノールやヤシ油の急速な利用に伴うデメリットを語ってきたので、読者の中には「バイオ燃料は悪い」との誤解が生じているかもしれない。そこで今回は、この燃料の“善い面”に焦点を当てて考えてみたい。

「バイオ燃料」(biofuels)などとカタカナ混じりの言葉で呼ぶと、まるで何か最先端の科学研究の成果のような印象を与えるかもしれないが、この燃料は、人類が太古から使ってきたごく普通の燃料--薪、藁、柴、炭--などと密接な関係をもった概念である。つまり、生物由来の燃料で、化石化していないものをバイオマス(biomass)と呼ぶが、そこから抽出される液体燃料と混合ガスのことを指す。昔、日本では、石油禁輸中にサツマイモを原料としたバイオエタノールを使ったことを忘れてはならない。

「バイオ燃料.com」によれば、「バイオ燃料は、生物体(バイオマス)の持つエネルギーを利用したアルコール燃料やその他合成ガスのこと」である。また、米エネルギー省傘下の研究機関であるアメリカ再生可能エネルギー研究所(National Renewable Energy Laboratory, NREL)の説明には、「バイオマスは他の再生可能エネルギーとは異なり、“バイオ燃料”という液体燃料に直接変換することができる」とある。また、ワールドウォッチ研究所の『地球環境データブック』の定義は「植物などのバイオマス由来の液体燃料」である。とすると、「混合ガス」を含むか含まないかで、日米間の考え方にまだ若干の差があるようだ。

 代表的なバイオ燃料は、エタノールとバイオディーゼルである。エタノールは現在、サトウキビ、トウモロコシ、小麦、大麦などの穀物を主原料としているが、これをトウモロコシの茎、稲や麦の藁、竹、スイッチグラスと呼ばれる雑草などから抽出する研究が進んでいる。一方、バイオディーゼルは、植物性油と動物性油脂を原料として作られており、上記のNRELによると、アルコール(普通はメタノール)と植物油、動物の脂、廃油などを加えて精製する。いずれのバイオ燃料も、原料の元をたどれば植物による光合成に行き着くから、太陽エネルギーを液化したものと見なされる。

 地球温暖化抑制の観点から見て重要なのは、これらのバイオ燃料のエネルギー量と、それを製造するために使われる化石燃料のエネルギー量との比較である。前者が後者に比べて大きければ大きいほど、温暖化抑制に役立つことになる。この差が大きい--つまり、温暖化抑制効果が大きい--ものから並べると、①雑草などの植物繊維由来のエタノール、②ヤシ油由来のバイオディーゼル、③サトウキビ由来のエタノール、④植物性の廃油からのバイオディーゼル、⑤ダイズ由来のバイオディーゼル、⑥ナタネ由来のバイオディーゼル、⑦小麦、テンサイ由来のエタノール、⑧トウモロコシ由来のエタノール、の順となる。ただし、この順位は、現在の製造工程にもとづいているから、新しい省エネの製造法が開発されれば当然、変化する。
 
 この順位を見ればわかるように、同じバイオエタノールでも、米国産(トウモロコシ由来)のものとブラジル産(サトウキビ由来)のものとでは温暖化抑制効果は違うのである。日本で現在使われているバイオエタノールは、フランス産の小麦を原料としたものだから、ちょうどその中間的位置にある。日本政府は現在、沖縄産のサトウキビを原料としたエタノールの生産に力を入れているが、その判断は合理的と言える。しかし、サトウキビは食品の原料でもある。だから、本命は何と言っても、食料と競合しない雑草などの植物繊維由来のものだ。したがって私は、この分野の技術開発に是非、官民挙げて全力で取り組んでほしいと思うのである。
 
 谷口 雅宣
 
【参考文献】
○クリストファー・フレイヴィン編著/福岡克也監訳『地球環境データブック 2006-07』(2007年、ワールドウォッチジャパン刊)
○「バイオ燃料.com」、(http://バイオ燃料.com/)

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2007年12月20日

“石油難”の前に食糧難?

 アメリカで32年ぶりに、自動車の燃費基準を大幅に厳しくする法律が成立した。地球温暖化抑制の観点からは、このことは大いに歓迎しよう。ところが、この法律には“行き過ぎ”とも言うべき別の規定が含まれていて、これが来年以降の世界を食糧難をもたらす可能性が指摘されている。「エネルギー独立・安全保障法」(Energy Independence and Security Act)というその名前から分かるように、この法律は9・11を初めとするテロによる脅威と、中東などの外国にエネルギーを依存するアメリカの現状とをリンクさせて考えている。つまり、イスラーム原理主義によるテロの脅威は、アメリカが無理をして中東からエネルギーを輸入しなければならないという海外依存体質が大きな原因になっている、との認識がある。だから、①国内のエネルギー効率を飛躍的に向上させ、かつ、②可能な限りエネルギーを自給することで国家の安全保障に寄与しよう、というのだろう。この①の目的で定められたのが、自動車の燃費基準の大幅な厳格化だ。
 
 19日の『日本経済新聞』夕刊によると、新法が定めているのは、乗用車の燃費基準は、現行の1ガロン当たり「27.5マイル」から最終的に「35マイル」に、SUVを含む小型トラックは、現行の「22.2マイル」から同じく「35マイル」まで引き上げることだ。これを日本式表現になおすと、前者は1リットル当たり「11.7キロ」の現行基準を「15キロ」まで、後者は「9.4キロ」のものを同じく「15キロ」まで引き上げることになる。この程度の燃費基準ならば、現在でも多くの日本車は基準を満たしているから、新法が2011年以降に段階的に基準を厳しくして2020年までに「15キロ」へもっていくというのは、技術的に大きな問題はないだろう。

 問題があるのは、②の目的のために、バイオ燃料を2022年までに年間360億ガロン(1330億リットル)利用することを義務づけている点だ。19日付の『ヘラルド・トリビューン』紙によると、現行の目標値は2012年までに75億ガロン(278億リットル)だから、その10年後にはバイオ燃料の利用量は約5倍にまで膨れ上がることになる。このバイオ燃料には、食料として使わないトウモロコシの茎や、麦わらなどを原料とするものも含まれるが、同法にはトウモロコシなどの穀物そのものから作るバイオエタノールの量を「150億ガロン」に増やすことも定められているという。このことが、同じ土地を食糧とエタノールが奪い合うという問題を深刻化することが懸念されているのだ。

 多くの読者は、現在のエタノール・ブームによっても、食品全般の値上がりが起こっていることをすでにご存じだろう(今年9月7日3月23日の本欄参照 )。11日の本欄では“物価の優等生”と言われてきた日本の牛乳の値段が、来春から30年ぶりに上がることを書いた。これは“氷山の一角”にすぎず、砂糖やダイズや小麦も、このところ急ピッチな値上りが続いている。例えば、19日の『日経』は、穀物の国際価格が歴史的な高値圏にあることを受けて、全国農業協同組合連合会(全農)が家畜向けの配合飼料を1月から値上げすると発表した、と伝えている。配合飼料の原料には、トウモロコシのほかダイズも含まれている。また、シカゴ商品取引所での小麦の国際価格も、過去最高値を更新したと伝えている。
 
 こういう穀物や食品の値上がりの1つの原因が、バイオ燃料の需要増大である。つまり、地球上の耕作地の面積はほぼ一定だから、そこで栽培される作物が自動車用のバイオ燃料の生産に回されれば、人間や家畜が食べる分はそれだけ減ってしまう。すると、需要と供給の関係で当然、穀物や食品の値段が上がるから、貧しい国では食料不足が起こるのである。この食料不足をなくそうとするならば、単位面積当たりの収量を増やすか、あるいは耕作地の面積を増やさねばならない。現在、採られている方策は後者が主体であり、その方向には「森林破壊」がある。インドネシアやブラジルの森林で焼畑や、違法伐採が続いているのも、そういう理由が大きい。
 
 しかし、バイオ燃料活用の効果には“善い面”もあり、そのことは別の機会に書くことにする。
 
 谷口 雅宣

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2007年12月18日

ブルーベリーを楽しもう

 “収穫の秋”も終わって、収穫物を食べる冬になった。私は生長の家の講習会などで、11月に群馬、小樽、長崎、千葉へ行き、12月は高知、鹿児島、沖縄へ行った。こうして日本各地へ行くと、「今年は果物が豊作だ」という話をいろいろのところで聞いた。実はわが家の庭でも今、温州ミカン、柚子、ポンカンといった柑橘類が豊富に実っている。ただし、キーウィーはカナブンにやられた。地球温暖化にも“善い面”があるということだ。家にあるブルーベリーの木にも、今年は豊富に実が成った。昨年もカナブンが大発生して、実をさんざん食い荒らしたのだが、今年はそのカナブンの勢いにも負けずにどんどん実をつけてくれたので、私たちは生食で楽しんだ後にも、ジャムを作って冬場にも楽しみを引き延ばしている。
 
 この間、採りためて冷凍してあったブルーベリーの実を、妻がジャムに加工してくれた。その様子を動画にまとめたので、ここに掲載する。
 
 谷口 雅宣

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2007年12月16日

沖縄陶器を買う

 宜野湾市で行われた生長の家の沖縄教区の講習会が終わってから、沖縄の伝統的焼物を見ようと「壷屋やちむん通り」という所へ寄った。「やちむん」とは焼物のことである。このレンガ敷きの通りは、那覇市の中心を東西に走る国際通りから南へ入る、平和通りを行った先にある。車が1台だけ通れる狭い露地の両脇に、焼物を売る店が点々と続き、中へ入れば食器、花器、酒器、置物など様々な焼物を手に取って眺められる。各店の前には、家の守り神であるシーサーが番犬のように通りを睨んでいるのも、面白い。

 緩く曲がった上り坂の中途にあった1軒の店の脇には、高さ1mもある赤茶色のシーサーが立っていて、その鼻先が店の窓辺に向いていた。よく見ると、その窓の、少し張り出した窓枠の上に、白黒模様のネコがシーサーの方に頭を向けてうたた寝をしている。シーサーの大きな頭と、ネコの小さな頭とがくっつきそうな距離にあるのが、とてもユーモラスに見えた。お互いに「気の許せる仲間」という感じなのである。
 
 私は、妻を誘ってその店に入った。店の奥に50代と思われる女主人がいて、目が合ったので「今日は」と挨拶を交わした。と、後から入ってきた妻が、私の後ろで「まぁ、なつかしい~」と声を上げた。何事かと思って振り返ると、店の棚に並んでいる食器の模様に見覚えがあるのである。というよりは、私たちが毎日家でお茶を飲むのに使っている茶碗と同一のデザインの食器が、その棚に所狭しと並べられていたのだ。ご飯茶碗や、ぐい飲み、徳利、マグカップなどもあっただろうか……。家にある湯呑茶碗は、2年前に同じ講習会で沖縄を訪問した際に買ったものだ。その時は、国際通り沿いの那覇市伝統工芸館で買った。それ以降、湯呑茶碗はほとんど毎日使ってきたから、同じデザインの食器群を見ると、なぜか愛着を感じる。毎日使う食器には“情が移る”のだ、と実感した。
 
Tsuboyaki  この「懐かしさ」は何かの縁だと思った私は、この馴染みのデザインのご飯茶碗を2つ買った。2年前に買った湯呑茶碗は、実は帰宅後にすぐスケッチしてあったので、その絵をここに掲げよう。このデザインと食器は「國場一」という54歳の伝統工芸士の制作になるものという。
 
 壺屋やちむん通りでは、こことは別の店でも箸置きを2つ買った。1個300円と手ごろであったのと、魚の形をしたその箸置きの色形が気に入ったからだ。沖縄の陶器のデザインには魚が多く使われるが、この地方の人々がそれだけ魚と身近な生活を営んできた証拠だろう。そして、それらの魚のデザインは、本州に住む私たちの知っている魚のデザインとは、色合いや形が少し違うのである。自然環境が違えば、生息する動物の色や形が違うのは“当たり前”--そう言われればそれまでだが、13日の本欄にも書いたように、そういう微妙な違いに気がついて「目覚むる心地」を体験することは、旅の醍醐味の1つでもある。
 
 ところで、この通りは那覇市の「壷屋」という場所にあり、この地で制作される焼物を「壷屋焼」と呼ぶ。ここは今から315年前の天和2年に、当時の琉球王府が那覇周辺にあったいくつかの窯場をここへ移して統合し、以来、沖縄陶器の中心となってきた。明治の廃藩置県によって沖縄が日本に統合されると、技法や用途などの面で本土の陶磁器との交流が盛んになり、多様性のある沖縄陶器が生み出されるようになったという。壷屋焼は、大別すると釉薬をほとんどかけないで焼く荒焼(あらやち)と、本土から伝わった釉薬を導入した上焼(じょうやち)に分かれる。前者は、赤土色の素朴な色合いと温かな手触りが特徴で、後者は色と模様を工夫して華やかさが出せる。私が購入したものは、だから上焼の茶碗ということになる。詳しくは、このサイトを参照されたい。
 
 谷口 雅宣

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2007年11月29日

外来魚とのつき合い方

 11月12日の本欄で、天皇陛下がアメリカからブルーギルを持ち帰られ、そのことを大津市で開かれた「全国豊かな海づくり大会びわ湖大会」で話されたことを書いたが、これが話題になっているらしく、28日の『朝日新聞』が夕刊で、琵琶湖のブルーギルについて“続報”を書いている。本欄の私の文章に対しても、読者の1人がコメントをつけて、ブラックバス(オオクチバス)とブルーギルの料理法について教えてくださった。「南アジア系のお料理に合う」らしく、滋賀女子短期大学の小島朝子氏は、「スパゲッティー・ブラックバスソース」と「ブルーギルのレイクチキンサラダ」というレシピを発表しておられるのだ。

 上記の『朝日』の記事によると、ブルーギルは「ビワコダイ」という商品名でなれ寿司として売られているらしい。地元ではニゴロブナを使った鮒寿司(ふなずし)が有名だが、これにあやかり似たような味を出しているという。また、ブラックバスも「ビワスズキ」という商品名で同じなれ寿司として売っているらしい。さらに、琵琶湖畔にある滋賀県立琵琶湖博物館のレストランでは、「バス天丼」というメニューもあり、取材記者は「白身でくせのない味だ」と書いている。しかし、ブルーギルについては、「皮に独特の臭みもあり、浸透はいま一つ」だそうだ。
 
 アメリカでは両種とも食用にされているのだから、いずれ日本人の口に合うような料理法が開発されるだろう。が、私が気になるのは、「タイ」とか「スズキ」などの全く別の魚の名を冠する呼称である。食品の呼称や表示については今、さまざまな偽装や偽名が使われて問題になっているところだから、“中身”とは違う“名”を付すことで商売をする方法は社会に受け入れられない方向に進んでいる。どんな名前をつけようが、いずれ中身はわかってしまうし、分からなければならないのだから、原材料名をきちんと表示するのがいいと思う。それとも、カタカナの名前では日本では受け入れられにくいとの考えなのだろうか?
 
 それで1つ提案なのだが、魚好きの中国人・日本人は魚偏の漢字をいくつも考案してきたのだから、この際、この2種の外来魚にも漢字名を与えてあげるのはどうだろうか? 鮨屋で出される茶碗に描かれている「鯛、鱒、鮭、鰯、鰤、鱈、鰻……」のような漢字を作って、それを滋賀県がトレードマークのようにして売り出せば、「日本の魚」というイメージが生まれるのではないだろうか。
 

Gillbass

 ということで、私は勝手にブルーギルとブラックバス(オオクチバス)のための漢字を作ってみた。少々の皮肉もまじえて……。上段がブルーギル、下段がブラックバスである。私自身は、双方とも左端のものが何となくピッタリくるような気がする。
 

 谷口 雅宣 

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2007年11月23日

カキとムベ

Mtimg071120m  秋季大祭が行われた生長の家総本山では、久し振りにペンと絵の具でスケッチをする機会を得た。というのも、“稔りの秋”さながらの果実や花々が宿舎の部屋に飾られていたからである。その中からカキとムベとミカンを並べて、絵に描いてみた。
 
 カキとミカンは説明の必要はないが、ムベについて少し……。これは別名、「トキワアケビ」とか「ウベ」とも言う。アケビ科の常緑蔓性の果樹。実はアケビに似ているが、アケビの実は熟すと中央線から自然に割れるのに対し、ムベは割れない。大きさもアケビより1回り小さく、色はアケビより濃い紫紅色。果実は食用のほか、生け花の材料とする。10月18日の本欄にアケビを描いた絵を掲げたので、これと比較されたい。
 
 谷口 雅宣

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2007年11月12日

天皇陛下とブルーギル

 ブラックバスとともに琵琶湖の生態系を壊した外来魚として知られるブルーギルが、天皇陛下がアメリカで寄贈されたのを持ち帰ったものだということを、陛下ご自身が初めて言及された。12日の『朝日新聞』夕刊などによると、天皇陛下は11日に大津市で開かれた「全国豊かな海づくり大会びわ湖大会」に出席された際、「ブルーギルは50年近く前、私が米国より持ち帰り、水産庁の研究所に寄贈したものであり、当初、食用魚としての期待が大きく養殖が開始されましたが、今このような結果になったことに心を痛めています」と述べられたという。

 これはもちろん、陛下が持ち帰られた魚が直接自然界に放たれて、今日の生態系の破壊を起こしたということではない。この記事には、宮内庁の情報として、陛下は皇太子時代の1960年に訪米されたとき、シカゴ市長から寄贈されたブルーギルを、食用や釣りの対象になればと思われ、水産庁の研究所に寄贈された、とある。それが1963~64年ごろ、国から滋賀県の水産試験場に分与されてから、何らかの原因で60年代末までに一般の水域で見られるようになったという。また陛下は、ブルーギルについて「おいしい魚なので釣った人は持ち帰って食べてくれれば」と側近に話されていた、とも書いてある。

 こういう話がもっと前に人々に知られていれば、ブルーギル料理やそれを材料とした佃煮などが琵琶湖などの各地の名産になりえたのではないか、と思う。それとも、知らなかったのは私だけなのだろうか? そう思って、ネット上の辞書を調べてみると:
 
『大辞泉』--サンフィッシュ科の淡水魚。全長約20センチ。体形はタイに似て、灰褐色で、えらぶた後端が黒っぽい。北アメリカ原産で、日本には昭和35年(1960)渡来。原産地では40センチに達する。ルアー釣りの対象。

『大辞林』--スズキ目の淡水魚。全長 25cm ほど。体は卵円形で側扁する。背は緑褐色で腹部は淡い。雄の鰓(えら)の後端が青黒く見える。北アメリカ原産で、1960 年に湖沼に移入された。その後分布が全国に広がり、在来種への影響が懸念されている。釣りの対象魚。

 とあるだけで、陛下のことに何も言及がない。自宅にある平凡社の『世界大百科事典』(1988年)にも、日本への移入については年代も経緯もはっきり書かれていない。 わずかに講談社の『大辞典 desk』(1983年)に、「1960年、皇太子が渡米の際、シカゴ水族館から贈呈され、一部を静岡県一碧湖に放流」とあった。

 当時の日本は食糧難で、繁殖力の旺盛な淡水魚を日本に移植することで、国が問題の解決を図ろうとすることは理解できる。しかし、その後、生態系のバランスの微妙さや複雑さが知られ、生物多様性の重要性が認められるようになったことで、外来種の移植は今では“禁じ手”となった。天皇陛下は、生物学者としてそのことを痛いほど感じておられるだろうから、今回のようなお言葉になったのだろう。このように率直に、過去の過ちを認められる陛下に、私は大きな感銘を覚えるのである。
 
 前回の本欄で、シカの被害を緩和する方策として「シカ肉を食べる」という手段を考えてみたが、今回は「ブルーギル料理」が選択肢に上がってきたようだ。この魚を、私はまだ見たことも口にしたこともないが、この辺の事情に詳しい読者からご意見をいただけると幸甚である。
 
 なお、上記の陛下のお言葉については宮内庁のサイトで全文が読める。

 谷口 雅宣

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2007年11月11日

人間と動物との共存

 北海道に来て考えさせられたことがある。それは、人間が野生の動物と共存するためには、人間自身も“野性的”にならねばならないのか、ということである。この場合の“野性的”の意味は、「動物的」と言ってもいいかもしれない。例えば、シカの肉を食らい、銃を持ってクマを追いかけるような生活をすることである。
 
 野生のシカが増えて農産物や山林に被害を与えているのは、北海道に限ったことではない。が、北海道は広大な農林業地域だから被害額も大きく、年間で30億円におよぶという。東京でも奥多摩町などでその被害が深刻であることは、昨年5月30日の本欄でも触れた。ここでは、シカ肉料理を特産品として売り込むことを考えているようだが、北海道の場合も、札幌、江別両市では市民がシカの味に親しんでもらうための「エゾシカ料理まつり」が今、行われているという。10日の『北海道新聞』が夕刊で伝えている。シカ肉料理を特産として定着させることで、増え続けるエゾシカの被害の緩和に役立たせようとしているらしい。

 人間の嗜好は、習慣によって作られる面が確かにある。だから、多くの人々がシカ肉を味わう機会が増えれば増えるほど、日本全体で食品としてのシカ肉の需要がふえる可能性がある。そうなれば、シカの捕獲量が増える一方で、“競合食品”と思われる牛肉、羊肉、ブタ肉、鶏肉などの需要が減るから、自然破壊の程度が和らぐ可能性はあるかもしれない。しかし……と、私は考え込んでしまう。元来の北海道の自然では、シカは天敵であるヒグマやオオカミによって生息数を制限されてきた。そういう天敵が減った今、人間が代わりに天敵になるべきである--その考え方は理解できる。よく考えれば、人間はすでに太古の昔からシカの天敵なのだから、“害獣”を駆除するのに今さらためらうのはオカシイ。が、それと同時に、「シカを殺すのはかわいそう!」と叫ぶ動物愛好家がいるし、子供たちがいる。この矛盾撞着の中で考え出されたのが「シカ肉料理」なのだろう。
 
 シカ肉料理の普及により、日本全国の食肉販売店の店先に占める牛肉、ブタ肉、鶏肉の割合が、肉類全体に対して少し減少する。それにともなって「シカを殺すのはかわいそう!」と叫ぶ人の声も小さくなっていくに違いない。なぜなら、今、牛やブタ、ニワトリを殺して食べることを「かわいそう!」と言う人はきわめて少ないからだ。これらの家畜、家禽なみにシカが扱われることで、狩猟家の仕事がしやすくなり、農産物被害が減り、自然破壊も若干減る--いいことばかりだから、文句を言うのはオカシイ。

 上に書いた論理は、細部にいくつか“穴”があるが、それは問題にしないことにして、“大きな穴”を指摘すると、それは「感情」や「文化」の問題が考慮されていないことだろう。また、家畜の肉を食することと、自然界の象徴であるような動物(シカ)を殺して食することの違いも、考えるべきだと思う。これらのことは、また別の機会に述べてみたい。
 
 ところで、千歳から羽田までのAIR DO機の機内誌『ラポラ』11月号の中に、知床財団の山中正実氏が「ヒグマとつき合うために」と題した文章を書いていた。それをひと言でまとめれば、今は「銃の発砲でヒグマを威嚇する」ことが人間とヒグマの共存に必要だというのである。世界遺産に指定された知床には、ヒグマが高密度で生息している。近年、観光客が増加しているから、人間とヒグマが接触する機会もふえていて、山中氏によると、クマがのんきに道路を歩いていたり、川でサケを獲っている様子を「たくさんの人たちが大喜びで観察している」という。しかし、餌を投げ与えたり、近づきすぎてクマをいらつかせたりする人もいて、これが「危険と隣り合わせ」だと気がつかないので、山中氏らは、人の近くにいるクマを見つけると、殺傷力のない威嚇用の弾を込めて銃を発射する以外に仕方がないのだそうだ。すると、観光客からは、せっかく見つけたクマを追い払ってしまうイジワルなオッサンということで、ブーイングを受けることになるという。
 
「増えすぎたシカ」と「人に脅威を与えるクマ」--この2つの問題を解決する道は、どこにあるだろうか? 読者はすでに気づいていると思うが、これら2つの問題の原因は共通している。だから、解決の1つの道は、その共通の原因を除くことである。しかし、それができないところが、きわめて現代的で、人間的な問題なのである。

 谷口 雅宣

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2007年11月 6日

ミツバチはなぜ減少する? (2)

 今年3月2日の本欄では、アメリカでミツバチが大量に減少していることを報告したが、その原因についての研究結果が出たようだ。確定的ではないようだが、ウイルスの感染によるらしい。10月12日付の科学誌『Science』に論文が掲載されている。
 
 広大な国土のアメリカでは大規模農法によって小麦、トウモロコシ、ダイズなどの穀物や野菜、果実が生産されていることはよく知られている。そして、それら農産物の多くは日本に輸出されている。こうした植物の授粉には、養蜂家が大きく貢献しているのだ。上記の本欄で書いたように、「彼らは大型トラックに巣箱を満載して、アメリカ各地を回り、農家の依頼によって、場所を定めてハチを放つ」という活動をしている。ところが今回の大量減少では、出て行ったハチの多くが帰ってこなかったのである。そして、巣箱の中にも、放った場所の周辺にも、ミツバチの死骸は見つからない。そこで、方向感覚の喪失、寒さによる死、ウイルスや細菌の感染、栄養不足、殺虫剤の影響、ストレスのかかりすぎ、ダニの寄生などが、その原因として考えられていた。
 
 この現象は群棲崩壊障害(colony collapse disorder, CCD)と呼ばれていて、2006年に初めて正式に報告されたが、散発的なケースは2004年ごろから知られていたという。深刻な被害を出した2006年から2007年の冬のCCDでは、アメリカの養蜂業の23%が影響を受け、影響を受けた養蜂家では平均して45%のミツバチが失われた。1980年代以降、ミツバチの群棲にはダニの寄生による被害が増加傾向にあるが、その場合は、巣箱の中に死骸が残り、働きバチが段階的に減少するなどの兆候が見られた。そこで今回のCCDは、これまでに知られていない感染源によるものではないかと疑われた。その証拠に、CCDの起きた群棲で使われていた器具を再使用すると、似たような現象が再び起こり、その逆に、放射線による殺菌を行った器具ではそれを未然に防止することができたという。
 
 CCDの原因を追究するため、ペンシルバニア州立大学のダイアナ・コックス=フォスター博士(Diana L. Cox-Foster)らの研究チームは、CCDの起こった州から群棲を4つ、起こらなかった州から2つ、さらにオーストラリアから輸入されたハチと、中国から輸入されたローヤル・ゼリー4種を選び、それらのサンプルの遺伝子(RNA)を解析してウイルスの有無を調べたという。その後、発見された数種類のウイルスとCCDの有無を統計的に解析したところ、CCDの発生パターンと最も一致するのが「IAPV」と呼ばれるウイルスだったそうだ。
 
 IAPVとは、2004年にイスラエルで発見された Israeli acute paralysis virus (イスラエル急性麻痺ウイルス)の略称である。これに感染したミツバチは、羽を小刻みに震わせながら、しだいに麻痺状態に陥り、巣箱の外へ出て死ぬという。CCDが起こった研究対象の群棲では、オーストラリアから輸入されたミツバチを使っていたか、あるいはそういうミツバチと混じり合って生活していた。このオーストラリア産のミツバチは2004年から輸入が始まっているが、この年から群棲が異常に減る現象が報告されているという。そんな理由で、この研究グループはIAPVがCCDの発生に重要な役割を果たした、と結論している。
 
 外来種のミツバチを大量に導入したことで、予想外のウイルスの被害に遭ったということだろうか。このウイルスは、人間の動きに載って「イスラエル→オーストラリア→アメリカ」と、地球を半周しているのである。原因は確定的でないとは言え、グローバリゼーションがもたらすリスクの一端を示しているように思う。
 
 谷口 雅宣

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2007年11月 2日

キノコ採りしませんか (3)

 10月31日の本欄を読んだ読者から、「キノコを採りたくても、近くに生えてないから……」という不満気な声が聞こえてきたので、ここで“裏ワザ”を公開する。それは「自分で栽培してしまう」のである。風通しのいい日陰があれば、シイタケはほぼ間違いなく栽培できる。だから、都会でもキノコ採りは楽しめる。JマートなどのDIY店で売っているホダ木を買ってきて、風通しいい日陰に立てかけておく。乾燥しすぎないように注意する。朝夕の寒暖の差が大きくなる春と秋の2回、シイタケは出てくる。自然に出るのを待つ方法と、ホダ木に刺激を与えて驚かせ、“芽”を出す方法がある。
 
 好きな時期にまとめて食べたいときは、“刺激法”がいい。わが家ではこのあいだ、刺激法で出したシイタケをおいしくいただいた。“芽”が出てから傘が成長する様子を動画にしたので、興味のある人はご覧あれ。

 谷口 雅宣

 

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2007年10月31日

キノコ採りしませんか (2)

 10月25日の本欄で「なかなか行く機会がない」と書いた山梨の山荘へ、やっとやってきた。幸いにも紅葉はまだ終っておらず、鮮やかな赤や黄に染まった広葉樹の葉が、大手を拡げて私たちを迎えてくれた。「キノコも……」と期待に胸を膨らませて裏山の森の中を探索したが、ほとんど何もなかった。古くなって乾燥しかかったチャナメツムタケとドクベニタケが、ポツポツと出ているだけだ。飯盛山に近い美し森まで車で行き、1時間近く森の中を歩いたが、結果は大差なかった。もうキノコの季節は終わってしまったようだ。
 
Shimejim  ところが、道路沿いに出ている野菜販売所に立ち寄ると、クリタケやホンシメジ、ナメコが並んでいる。「あるところにはあるものだなぁ」と思いながら、それらのキノコのパックを見ると、生産者名を書いたラベルが貼ってあるではないか。店の人に訊くと「栽培したキノコです」という。なぁんだと思ったが、白いシメジは直径10㎝ほどもあり、鼻を近づけると独特のよい香りがする。妻を促して買ってもらい、夕食の味噌汁の具にしていただいた。ごちそうさま。
 
 谷口 雅宣

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2007年10月30日

ピーマンとショウガ

 稔りの秋は今たけなわ--ということで、ピーマンとショウガを描いた。どちらも必ずしも「秋の作物」ではないが、入り組んだ曲線と肌の輝きが魅力的なピーマンと、瑞々しい赤紫とピンク、緑の調和が美しいショウガを組み合わせてみた。
 
Peamanm  妻は今年、パプリカの苗を買ってきて植木鉢に植えかえ、家の東側の庭に置いた。オレンジや黄色の鮮やかなパプリカの実は私も好きで、食べる前に何回か絵に描いたことがある。が、この苗はぐんぐん育ったのはいいが、実ができてもなかなか色づかない。やっと1つ赤くなったのを最近採ったが、そのほかのいくつかは、緑のまま収穫した。この絵にあるのはそのパプリカではないが、外観はそっくりである。

 また、妻は最近、伊勢の実父から立派な新ショウガを4株ほどもらい、よく料理に使う。今日の私の弁当の中にも、香の物として入っていたので、おいしくいただいた。妻の父は、有機農法による野菜栽培に凝っている。それも素人の趣味の範囲を超えて、市場に出すほどになっている。私たちもそのおかげで、ときどき“産地直送”の新鮮な野菜をいただくのである。今回のショウガも単独でもらったのではなく、ジネンジョ、サツマイモ、サトイモ、ナス、キュウリ、ムカゴなどと一緒に、ダンボール箱に入って送られてきた。ありがたいことである。

 谷口 雅宣

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2007年10月27日

二○加煎餅

 生長の家の講習会のために福岡市に来た。駅前のホテルが宿舎だが、夕食の前に例のごとく妻と2人で周辺を散歩した。そこで見つけた「二○加煎餅」(にわかせんぺい)というのを買った。赤い半面の表情が奇妙、かつ面白かったからだ。郷土芸能である「博多仁和加」で使われる半面をデザインした素朴な煎餅である。明治39年から続いている東雲堂の菓子で、去年創業100周年を迎えたそうだ。
 
「にわか」の漢字表記は「二○加」のほか、「俄」「仁和加」「仁輪加」「庭神楽」などが使われるそうだ。言い伝えによると、博多仁和加の起源は約300年前の寛永年間という。「にわか」は「にわか狂言」の略で、昔は複数の人が演じる即興劇の「段物」や、2人でやる「掛合い仁和加」、1人で演じる「一人仁和加」が主体であったようだが、現在ではそれらの「落ち」の部分が独立した「一口仁和加」が主流になっているそうだ。「博多仁和加振興Niwakam」によると、即興笑劇を「にわか」であると考えると現在、全国の20ヶ所で「にわか」が継承されているという。このうち文化財に指定されたものは「佐喜浜にわか」(高知県室戸市佐喜浜町)、「美濃流しにわか」(岐阜県美濃市)、「名振のおめつき」(宮城県雄勝町)、「だんじり仁輪加狂言」(広島県世羅郡甲山町)の4件があるという。
 
 とまぁ、難しい話はこのくらいにして、楽しい半面のデザインを絵に描いてみることにした。例によって、PCの画面をペンでこすりながら……。
 
 谷口 雅宣

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2007年10月25日

キノコ採りしませんか

 秋はキノコ採りの季節だが、最近はなかなか山へ行く時間がない。標高が高い地域では季節が早く過ぎていくから、もうキノコの季節も終わり、紅葉さえも終わろうとしているだろう--などと考えているうちに、わが家の庭に置いてあるシイタケのホダ木から“芽”が出てきてくれた。うれしいものである。キノコ採りは、都会の真ん中でもできるのだ。

 先月は山へ行く機会があり、キノコ採りをした。幸いにもタマゴタケという食用キノコに遭遇できた。タマゴタケは夏場のキノコだから、今ごろはもうない。有毒のベニテングタケと似ているので注意が必要だが、軸の根元に卵の殻のようなものがついているのと、味自体が卵に似ているところから、この名がついたのだろう。バターによく合い、洋風の味がする。その時に撮映したものを今回、1本の動画にまとめた。料理の様子も収めてあるで、興味のある人はご覧あれ。

  谷口 雅宣

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2007年10月10日

パソコンで絵を描く (2)

 10月6日の本欄で紹介したが、最近乗り換えた新しい“タブレットPC”を使って、さらに絵を描いてみた。今回は、ウィンドウズ付属の「ペイント」ではなく、旧PCで使っていた「NeoPaint」を移植した後に、それを動かして画面にペンで描いてみた。新PCはまだ使い慣れてはいないものの、今度のソフトは「ペイント」よりは機能も豊富だから、より奥の深い表現ができそうである。ここに2点を掲げる:
 
1.ティーカップ

Teacup01  自宅で普段から使っているティーカップを描いた。紙にペンで線を引くときのように、フリーハンドで画面に輪郭を一気に描いた後、カップの模様や陰影を描きこんだ。手元が不安定な感じの線になったが、できるだけオリジナルの線描を修正せずに、歪みの面白さを生かそうとした。皿の部分が、ボール紙のように波打ってしまったのは失敗だが、これも修正しなかった。白バックの上に描かなかったのは、カップの白とハイライトを浮かび上がらせるためである。
 

2.カワムラフウセンタケ

Kawam  休日に山へ行った時、森の中で採ったキノコをスケッチした。図鑑で調べると「カワムラフウセンタケ」のようである。キノコの同定は専門家でもむずかしいというが、絵は食べるわけではないので、「お前のおかげで中毒した」と怒られることもないと思い、一応それを絵の題とした。このキノコは、モミ林の中で布団のように堆積した枯葉から頭を出していた。柄の基部が塊茎状に膨らんでしっかりしているのは、フウセンタケ科のキノコに共通する。特徴は、柄と傘の裏側が紫色をしていること。食用になるというが、同定に自信がないので食べるのはやめた。
 
 
 谷口 雅宣

 

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2007年10月 2日

天才の心

 前回の本欄では、宮沢賢治の作品を流れる「人間と動物との一体感」などと書いたが、これは通常の“ペット好き”というような意味ではない。賢治の家は敬虔な浄土真宗で、賢治自身すでに4歳で『正信偈』や『白骨の御文章(おふみ)』を暗唱していたという。賢治はその後、日蓮宗に改宗するが、生涯一貫して動物の肉を食わないベジタリアンたろうとしていた。前回引用した彼の手紙の一部は、そういう信念と努力の中でも魚を食べたことがあり、それを悔やんで親友に告白していると解釈すべきだろう。梅原猛氏の『宮沢賢治研究』(筑摩書房)の中に、次のような一節がある:
 
「賢治は小説が書けなくて、詩や童話を書いたのではない。彼は自己の世界観の必然から詩と童話を書いたのである。彼にとって明らかに、動物も植物も山川も人間と同じ永遠の生命をもっているはずであった。その生命の真相を語るのに、どうして、人間世界のみを語る小説という形をとる必要があろう。(中略)そこでは動物は人間と対等な意味をもっているのである。そして、そこでえがかれるのは、動物と人間が共通にもっている生命の運命である。賢治は、童話によって人を風刺して、人間社会を改良しようとしたのではない。むしろ、人間が動物をはじめとする天地自然の生命と、いかにして親愛関係に立つべきかを示したのである」

 精神科医の福島章氏は、さらに一歩踏み込んで、賢治が「鳥の顔をした人」あるいは「人の顔をした鳥」の幻覚を実際に見ていたと指摘している。これは、福島氏が著書『不思議の国の宮沢賢治』(日本教文社)の中で多くの例を挙げて説明しているのだが、ここに2~3例を引用すると--
 
 ひとびとは
 鳥のかたちに
 よそほいて
 ひそかに
 秋の丘を
 のぼりぬ    (1911年秋の詩)
 
 さまよへるたそがれ鳥に似たらずや青仮面つけて踊る若者
 (短歌「原体剣舞連」中の1首)
 
 いつか雁がみな空を飛ぶ人の形に変って居りました。
 (童話「雁の童子」)

 このほかにも、賢治の文学には自然の人格化や無機物の有情化などの特異なイメージが頻繁に出現することを指摘して、福島氏は賢治が精神病理学的に「特異な感覚をもち、いちじるしくアニミズム的な自然観をもっていた」と書いている。より具体的には、「カリスマ症状群」という概念を挙げ、「精神分裂病者と同じように通常の三次元的な時空間を超越した体験構造をもつ」が、「その体験の仕方が精神分裂病者の受動性とちょうど反対の能動性をそなえて、予知、念力、テレパシーなどの超能力を発揮する」種類の人だった可能性があるとしている。
 
 私はここで「宮沢賢治は精神病を病んでいた」と言いたいのではない。むしろ、その逆である。上に挙げた「カリスマ症状群」を示したと見られる人には、南方熊楠、芥川龍之介、ユングなどの天才がいる。また、福島氏は、空海と賢治の間の類似性を次のよう書いている:
 
「二人とも、自然にしたしみ、その中に深く分け行って、自己の生命と宇宙の生命とを融合・一体化させた。さらに、大日経と法華経の違いはあるが、動的で生命的な世界観をいだいていて、それを幻視的なまでの鮮明さでまざまざと描きだそうとした。二人とも、青白い理論家というよりは行動的な実践家であった。また、ひとつの専門にとらわれずに多方面に才能を発揮した万能型の天才であった」(上掲書、pp.58-59)

 私はこのような精神病理学的現象と芸術性との関係を知って、拙著『神を演じる前に』に書いた人々のことを思い出した。そこには現在は「統合失調症」と呼ばれる精神分裂病であった可能性が大きい芸術家の名前として、バスラフ・ニジンスキー(舞踊家)、アントニ・アルトー(劇作家)、ヤコブ・アドルフ・ハーグ(作曲家)、ヨハン・フリードリッヒ・ヘルダーリン(詩人)、イボール・ガーニー(詩人/作曲家)、アウグスト・ストリンドベルク(作家)、ヴィンセント・ファン・ゴッホ(画家)、ジェームズ・ジョイスが挙げられている。これに躁鬱病を加えれば、ヘンデル、ベルリオーズ、シューマン、ベートーベン、バイロン、コールリッジ、バルザック、ヘミングウェイ、バージニア・ウルフなどが挙げられる。福島氏によると、宮沢賢治は躁鬱病と分裂病の双方の兆候を示していたそうだ。
 
 再び言うが、私はここで芸術家を貶めようとしているのではない。このような現象は、逆に人間本来の素晴らしさを示していると思う。ハードルが高いほど、人間は高く飛翔するのだ。それこそ鳥になって……。
 
谷口 雅宣

【参考文献】
○福島章著『不思議の国の宮沢賢治--天才の見た世界』(1996年、日本教文社)

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2007年9月29日

食品表示の“怪”

 食品に関する表示というのは、何が本当で何がウソなのかよく分からないところがある。日本の食糧自給率がきわめて低いことは、新聞やテレビ等の報道で繰り返し言われている。だからダイズ、トウモロコシ、小麦などは日本で売られているものの大半は輸入品である。ということは、それらを原料として作られる醤油も味噌も、シリアルも、パンも、饂飩も、スパゲッティーも、輸入によって支えられている。そして、輸入品の大半はアメリカから来ていて、アメリカではダイズやトウモロコシの大半は遺伝子組み換えである。ところが、これらを原料とした食品で日本のスーパーなどで売られているものを見ると、ほとんどの食品は「国産大豆使用」とか「国産小麦使用」とか「遺伝子組み換えでない」と表示されている。その圧倒的量からすると、どうしてもどこかにウソが隠されていると考えざるを得ないのである。
 
 これは悪い例だが、いい例も指摘しておこう。日本で都会を離れた観光地へ行こうとすると、野菜や果物が豊富に育っている畑や果樹園を通り抜ける。そして、そういう土地の「物産店」へ入ると、当然のことながら農産物の加工食品がたくさん売られている。ブルーベリー、プラム、イチジク、ウメ、アンズ、山菜、キノコ、ニンニク……。これこそ本物の「産地直売」「地産地消」だと普通は思う。それにパッケージには、いかにもその土地の産物であるかのような印刷がしてある。ところが、その裏側に貼った原産地表示のラベルを見ると、アメリカ、トルコ、中国、フィリピン……などの外国名が印刷されているのである。これは一応、ウソはついていないから“正直”の部類に入るのだろう。が、複雑な心境になる……日本の農業はそれほど衰退しているのか、と。

 この種の「看板に偽りあり」の問題としては最近、中国が槍玉に上がっている。アメリカの企業が中国で製造して輸入したものの中に、品質管理がズサンなものが次々と見つかっているからだ。単にズサンなだけでなく、コストを下げるために意図的に有害物質の残る製造法を採用していた例もあったようだ。そんな場合、「だから中国はダメだ」という話になりがちだ。しかしこれは中国だけの問題ではなく、輸入する側の“コスト削減”の要請にも問題があることを忘れてはいけない。“コスト削減”の裏側には、もちろん“利潤追求”の意図がある。

 中国との関係で原産地表示の不思議なものは、いくつもある。その1つはウナギだ。つい最近まで、スーパーやデパートで売られる安価なウナギのほとんどには「中国産」と表示してあった。ところが、中国産の食品の問題が指摘されるようになってから突然、日本中の食料品店から中国産のウナギが消えた、との印象を読者はおもちでないだろうか? 「消えた」という表現が大げさならば、「中国産」という表示がほとんどなくなってしまったと言っていい。にもかかわらず、ウナギは売られ続けていて、値段もさほど上がっていない。需要と供給との関係を考えればあり得ないことだが、現実にはある。
 
 その疑問を一部解消してくれる事件があった。宮崎県のウナギ業者の産地偽装である。29日の『産経新聞』によると、宮崎市のH商店は昨年の11月から今年7月にかけて、台湾から輸入したウナギの成魚約500トンのうち400トンを国産と偽装し、また同市のI社はその1年前から今年7月にかけて台湾や中国から輸入したウナギ約1280トンのうち900トン余を「宮崎県産」と偽って販売していたそうだ。さらにこの記事は、こういう例は“氷山の一角”だと言わんばかりに、次のように書いている:
 
「業界では外国産を国産にして輸入する“里帰り偽装”のほか、中国で養殖・加工された冷凍かば焼きの完成品を国産商品の大箱に詰め替えた“リパック”などの不正のうわさや指摘が相次いでいる」

「相次いでいる」のに、当局は取締りにはあまり熱心でないようだ。今回の事件でも、宮崎県は28日、H商店とI社に対して「厳重注意の行政指導を行った」とあるだけである。国産品として高く売れた場合、中国産の評判が落ちることで日本の輸入・販売業者が原産地偽装をすれば儲かるという奇妙な関係になる。そういう意図をもった日本の業者こそ、本当は責められるべきではないだろうか?

 谷口 雅宣
 

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2007年9月13日

迷いはどこから来る? (5)

 前回、本題を扱った際の結論は、「迷いとは、欲望追求のために自由を行使せんとするところから来る」だった。ところで私は昨夜、妻と渋谷で『厨房で逢いましょう』というドイツとスイス合作の映画を観た。これは、世界で有数のウデをもつ料理人が人妻に恋をし、彼女を惹きつけておくために極上の料理を提供しつづけるという筋の映画だ。私は、この映画の邦題の軽さから考えて、「気楽に楽しもう」程度の気持で観はじめたが、どうしてどうして内容はヘヴィーな“欲望追求”を扱った映画だった。原題は「Eden」--『創世記』の昔に人間が失った楽園の名前である、と同時に主人公の恋人の名前でもある。

 主人公の極上料理のシェフは、職業病ともいえる肥満のために男性としての機能に障害があるという設定だが、そのことがかえって、美人の人妻の安心感と自己正当化をもたらすことになる。つまり、「自分は料理を味わいに彼のもとに通うのであって、浮気の目的ではない」という正当化だ。一方、主人公の料理人は、自分の作る料理を陶然として食べる彼女を眺めることに喜びを感じ、さらに料理のウデを上げていく。2人は互いを「お友だち」だと主張し、実際にそう信じているようだが、第三者の目からは尋常な関係に見えない。やがて、人妻の夫が2人の関係に気づき……というように、物語は危うい方向に進んでいく。

 食事とセックスとの間に深い関係があることは、フロイトの説明をまつまでもない。だから、食べることの快楽を求めて男のもとへ通う人妻は、夫にとって明らかに“浮気妻”なのである。しかし、妻本人はそれを認めようとしない。なぜなら、夫との性生活はむしろ料理人の登場以降、“改善”しているからだ。食事を快楽追求という観点から見直してみると、我々の現在の食生活の“罪深さ”や“迷いの濃さ”が浮き彫りになってくる。映画の中には、主人公の料理人がカモの羽毛をひたすらむしり取っていくシーンや、ブタの皮を一気にはぐシーンがあったりするから、「映画制作者はカトリック教徒ではないか」などと想像してしまう。まさにこの映画は、「欲望追求のために自由を行使する」男女の迷いの深さを描いている、と私は感じた。

 この文脈の中で、『無門関』の「趙州勘婆」の公案を思い出そう。9月10日の本欄で触れた「O氏」が、迷いの問題に対する“雅春先生の回答”だとしている公案である。今回、この公案を語ることができるのはO氏の手紙のおかげだから、その機会を与えてくださったことに大いに感謝するものである。

 かの国の五台山の麓に老婆が住んでいるが、その家の前で道が2つに分かれているという。そこで旅人はどちらの道を行けば五台山に達するかに迷い、よく老婆に尋ねるのである。すると老婆は、「真っ直ぐに行け」と答える。「真っ直ぐとはどちらか?」と訊いても、答えは変わらず、やはり「真っ直ぐに行け」である。そこで旅人は、自分で選んだ道の方へと3歩、5歩……と歩き出す。すると、老婆は「足もとが危ういぞ、あんな恰好で行きよる」と言って嘲笑うのである。では、「真っ直ぐに行く」とは、どう行くことなのだろう?(公案はこの後も続くが、今はここで留める)。

 この映画の主人公の“迷い”はどこから来たのか? また、それを去るためにはどうすればいいか? 主人公が「真っ直ぐ行く」とはどうすることなのか? 等々について、読者からのフィードバックをいただけたら幸甚である。
 
 谷口 雅宣

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2007年9月 7日

人と車が“食品”を奪い合う

 明日の8日からオーストラリアのシドニーで開かれるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の首脳会談では、地球温暖化問題が主要議題になるとされているが、議長国のオーストラリアなどが域内の諸国が数値目標を掲げることをねらっているが、中国を初めとした発展途上国がそれに反対の意向を示していて、なかなか身のある成果を期待できない状況だ。その一方で、長期化している原油価格の高止まりにより、農産物からエタノールやヤシ油などの燃料を取り出すことが利益を生むようになっているため、小麦や大豆などからトウモロコシやヤシの生産に切り替える農家が増えている。その結果、食品全体の価格上昇が始まっている。本欄で何回も書いてきたが、このような状況が長く続けば、農地を「人」と「自動車」が奪い合うという新たな倫理問題が生まれることになる。

 6日付の『日本経済新聞』は、バイオエタノール需要のおかげで作付けの減った小麦や大豆の価格が高騰し、それが加工食品や外食の値段の上昇につながり始めたことを伝えている。日清食品は、来年1月から即席麺など製品の9割を最大で11%値上げする。小麦はバイオ燃料ブームのほかに、産地であるオーストラリアやヨーロッパの天候不順で生産量が落ち込む見通しとなったために価格が高騰している。このため、製粉各社は業務用小麦を値上げする動きに出ており、それが小売り段階でのパンの値上げにつながる可能性があるという。食用油やカカオ豆も値上がりしているため、菓子メーカーは、内容量を減らして売る実質値上げをすでに実施しているらしい。例えば、江崎グリコの「ポッキー」、森永製菓の「チョコフレーク」、おやつカンパニーの「ベビースターラーメン」などが、これに該当する。
 
 外食産業では、すかいらーくがこの6日から、全体の75%に当たる2400店で、ほぼ全メニューを一律10円値上げするそうだ。また、日本マクドナルドでは6月から、人件費上昇を理由に9割の店舗で値上げをしているほか、スターバックスも11月からカフェラテなどを20~40円値上げする予定という。穀物の値上がりは、穀物飼料の値上がりにつながるから、それによって肥育される牛や養殖魚類の価格にも反映する。そこからさらに乳製品の値上がりにもつながっている。昨年チーズを値上げした雪印乳業と明治乳業は、乳原料の値上がりが続いていることから、再値上げも検討中という。

 食品の値上がりは、日本のような豊かな国ではさほど痛手にならなくても、世界の多くの貧しい国々にとっては、人命の問題になることを忘れてはいけない。そんな理由もあって、私は日本で一部販売されている自動車用のバイオ燃料をまだ買っていないのである。バイオエタノールなどのバイオ燃料は、現在のようなトウモロコシやサトウキビ、ヤシ、小麦などから作らずに、できるだけ食品と競合しない原料から作るべきである。農家や企業家にはぜひ、そういう観点から生産品を選んでほしいと思う。

 この方面での“明るい話題”がないわけではない。トヨタ自動車は、私が期待している家庭電源からの充電式ハイブリッド車(プラグイン・ハイブリッド)を7月に公開し、すでに公道走行試験を始めている。また、6日の『日経』によると、同社は海外では、電気自動車で実績のあるフランス電力と提携して、フランスに200箇所ある街頭の充電システムを活用して走行試験を行うという。この型の自動車は、電気代の安い夜間に充電できるから、燃料の消費を大幅に抑えることができる。また、食品の値上がりを抑えながらバイオ燃料を使うためには、生産効率を上げることが重要だ。7日の『日経』によると、三井造船は、バイオエタノールの生産性を従来の4倍にまで高める技術を開発した。
 
 最近、汎用プラスチックであるポリプロピレンを、石油からでなく、雑草から合成する技術を開発した企業もある。地球環境産業技術研究機構と本田技術研究所による技術で、“脱石油”という意味で大いに期待できる。7日付の『日経』が伝えるところでは、この技術は、植物に含まれるセルロース(繊維)を糖に分解したあと、遺伝子を組み換えた大腸菌などの微生物を使って「プロパノール」というアルコールの1種を作り、これからポリプロピレンを合成するらしい。重さ2~3kgの雑草から1kgのポリプロピレンを作れるという。このプラスチックは、フィルムや容器、自動車部品としても利用できるし、雑草は農産物と競合しないから、「食料を奪う」という倫理問題も惹き起こしにくいだろう。日本の企業は、こういう分野でどんどん世界をリードしていってほしいものだ。

谷口 雅宣

 

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2007年8月11日

ニューヨークの印象 (3)

 8月4~5日の国際教修会が終ったあと、少し“羽”を休めるためにマンハッタンへもどり数日、本探しや観光をした。8月9日の本欄にもこの街の印象を少し書き、映像も紹介したが、日本の大都市にも様々な側面があるように、それだけで描き尽くせる場所ではない。今回は、アップタウン(街の北部)にある広大なセントラル・パークや母校のコロンビア大学へは行かず、もっぱらダウンタウン(街の南部)で過ごした。その辺のスケッチを映像でまとめたものを2本、下に掲載する。1本にまとめたかったのだが、私のパソコンのソフトでは長いビデオは作れないようなので、半分にせざるを得なかった。悪しからず……。
 
谷口 雅宣

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2007年7月29日

迷いはどこから来る? (2)

 1週間以上、本欄の執筆が途絶えていたので、不審に思った読者がいるかもしれない。8月の初旬にニューヨークで行われる「世界平和のための生長の家教修会」の準備に忙殺されていたためである。この教修会については、折にふれて本欄でも書きたいと思うが、今日は「迷いはどこから来る」かについて、読者がいろいろ書いてくださったことに応えようと思い、キーボードを叩いている。
 
 去る26日に、私は本題についての読者のコメントに対して次のように書いた:
 
①北朝鮮の食堂のメニュー
  ご飯、小魚、味噌汁、香物

②日本の食堂のメニュー
 [和食]麺類、丼物、焼魚定食、鍋物、寿司、懐石料理他……。
 [洋食]アメリカ、イタリヤ、地中海、ロシア、フランス他……。
 [中華]上海、広東、四川、台湾他……。
 [その他]韓国、インド、中東、アフリカ、東南アジア他……。

 ①は②に比べて「迷い」が少ない。したがって、神の意思に近い。
 → [正・誤]
 ②は①に比べて自由が大きい。したがって、神の意思に近い。
 → [正・誤]
 ①は②に比べて「欲望」を引き出さない。したがって、神の意思に近い → [正・誤]
 ②は①に比べて「欲望」を多く引き出す。したがって、神の意思に遠い → [正・誤]

【問い】人間の欲望をより多く実現する環境の方が、そうでない環境よりも神の意思に近いのか、それとも遠いのか?

 この問いに対して、3人の方が「神の意思に近い」と答えられた。しかし、中には「何かオカシイ……」と感じられた人もいたようだ。私が期待していたのは、実はこの「何かオカシイ」という反応だった。私の上記の問いは、正しく記述されていない言わば“ひっかけ問題”である。どこが正しくないかというと、「日本の食堂」で何が食べられるかということと「神の意思」との間に、因果関係があるかのように書いているからである。日本のレストランの店長は、はたして神の意思に従ってメニューを考えるのだろうか、それとも自分の意思にしたがってだろうか? もちろん後者である。では、その店長の心の背後に神がいるのだろうか、それとも何か別の動機があるのだろうか? 多分、ほとんどの場合は後者である。

 だいたい神は人間の嗜好や食欲を満足させるために、この現象界の事物をいろいろ操作するだろうか? 否、それをするのは人間である。世界のすべての料理は、すでに世界に存在する。そして、それらはすべて人間の作品である。それらを、東アジアの端に位置する1国の中の誰かの店に「集める」必要を感じるのは、神だろうか人間だろうか? もちろん人間である。では、一体何のために? 「お客さまに世界各地の味と食感を楽しんでもらうために」などと、その店の店長は広告に書くだろう。それはそれでいい。しかし、店を訪れる客は、それによって本当に「自由」を得るのだろうか、それとも「欲望の高揚」を得るのだろうか? 「欲望の高揚」を「自由」と呼んでいいのだろうか?
 
 こういう点について、読者からコメントをいただけたら幸甚である。
 
 谷口 雅宣

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2007年6月29日

暑中に水を飲む

 今年も暑い夏がやってきた……との実感がする1日だった。朝の天気情報では東京の最高気温は28℃だったが、原宿にある私の事務所の温度計はずっと30℃近くを指していた。それでいて曇り空だったから、梅雨が明ければ連日の“真夏日”は確実だろう。しかし、日本は恵まれた国だ。この梅雨のおかげで植物が育ち、湖沼の水位が上がる。この時期に、ヨーロッパでは40℃を超す熱波に襲われて、人が死んでいるというニュースが流れていた。アフリカでは、旱魃による水不足が深刻だと聞く。
 
 気象庁の25日の発表では、今年は5月ごろからペルー沖の海水温が例年より低くなる「ラニーニャ」現象が発生していて、異常気象が起こる可能性があるという。26日付の『日本経済新聞』はこのことに触れ、「1970年代以降の主な穀物高騰の局面は、エルニーニョよりラニーニャ現象が発生した時に重なる」と分析し、アメリカの穀倉地帯では「春の降雨で作付けが遅れ、夏場は高温乾燥となる傾向が強い」という丸紅経済研究所の見解を紹介している。今年は特に、アメリカがバイオエタノールの生産ブームの渦中にあるため、ラニーニャ現象が起こる前から穀物市場は記録的な高値圏にある。穀物の価格高騰は、途上国の貧困層にとっては死活問題につながる。「どうか穏便に……」と祈りたい気持だ。
 
 地球温暖化にともなう自然災害でよく言われるのは、海面水位の上昇や洪水の頻発だが、これと“正反対”の印象がある「水不足」も覚悟しなければならない。水不足の原因の1つは、気温上昇によって高山から雪が減ることだ。春から夏にかけて高山に雪があれば、雪解け水はゆっくりと山を降りる。しかし、雪がなくなってしまうと、山に降った雨は斜面を猛スピードで駆け下りるから、洪水になりやすい。川の水はいったん海へ入れば、灌漑や飲料水としての利用は困難となる。だから人々は、川と湖沼の水を使い、さらに地下水を汲み上げて不足分の水を補う。こうして地下水位が下がり、土地の一部は砂漠化していく。
 
 この「砂漠化」の危険を訴える報告書が国連の機関から出た。29日付の『ヘラルド・トリビューン』紙によると、ドイツのボンにある国連大学が28日に発表した報告書は、温暖化の傾向がこのまま続けば、アフリカと中央アジアの砂漠化により大量の環境難民が出て、一部の国では政治不安が広がり、地球規模の環境危機をもたらすと警告している。この報告書によると、「すでに現在の時点でも、数百万、数千万の人々が水を求めて移動し、国内での住居放棄や国際的な人口移動が起こっている。それには様々な理由があるが、サハラ以南のアフリカと中央アジアの国々の場合は大抵、土地の劣化が原因である」という。

 同紙によると、これらの国々では水の過剰使用が顕著だという。その理由は、貧困国ではそれ以外に生きる手段がないかららしい。この報告書の筆者の1人であるヤノス・ボガルディ氏(Janos Bogardi)は、「今日では、乾燥地帯から逃れてくる人々は、ほとんどが経済発展地域からまだ離れている。しかし、船に乗ってヨーロッパを目指す人々が増えつつある現象は、氷山のほんの一角です」という。同じ新聞の論説欄には、アメリカの評論家、ニコラス・クリストフ氏(Nicholas D. Kristof)がアフリカの最貧国、ブルンジから書いた文章が載っている。それによると、この国の国民1人当たりの平均収入は年間約100ドル、平均寿命は45歳だ。この国にあるタンガニーカ湖は、ここ4年間で湖岸が1.5メートル後退し、多くの船が港に着けなくなった。アフリカ最大のヴィクトリア湖は昨年、湖面が毎日1.5センチの割合で低下したし、アフリカ北部の、かつて巨大だったチャド湖は、今ではほとんど消滅しかかっているという。
 
 こういう国々の指導者が、温暖化の原因である先進諸国をどう見ているか? クリストフ氏は、気候変動は先進諸国によるアフリカへの「最新型侵略行為」だというウガンダのヨウェリ・ムセヴェニ大統領(Yoweri Museveni)の言葉を引用している。また、ケニアにいる国際援助組織ケア(Care)の一員は、先進国によるCO2排出によって、同じ先進国によるアフリカ支援の効果は無に帰していると嘆いているそうだ。

 これから来る暑い夏の只中で、読者がもしペットボトル入りの市販飲料水を飲む時には、水不足に喘いでいる人々のことを思い出してほしい。今、本当に「その水」を必要としているのは、我々ではないのである。

 谷口 雅宣

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2007年4月26日

“炭素ゼロ”の旅行

 今年も大型連休が近づいてきた。私は、5月1~3日に生長の家の組織の全国大会が日本武道館で行われるので、連休前半は動けない。しかし、この東京での大会に全国から参加する人々は、いろいろ工夫して上京してくださるのだ。今年、この連休中の旅行に、例年と少し違う傾向が出ているらしい。それは、近年の環境意識の向上にともない、旅行で排出するCO2を相殺するサービスが登場したことだ。このサービスは「カーボン・オフセット」(carbon offset)と呼ばれるが、生長の家で“炭素ゼロ”と言っているのと同じ考え。詳しくは4月5日の本欄に書いたが、植林や再生可能エネルギーなどに出資することで、CO2の排出分をゼロにする方法だ。22日の『朝日新聞』が伝えている。

 それによると、さいたま市にあるJTB関東は「CO2ゼロ旅行」と銘打った団体旅行を発売している。旅行代金の中に旅行中に排出されるCO2を相殺する費用を含み、参加者にはグリーン電力証書が発行される。記事中にある一覧表によると、“炭素ゼロ”のための費用(片道)は、東京から航空機で旅行する場合、札幌までが180円、那覇が350円、ソウル280円、ハワイ1360円、パリ2200円だそうだ。もっと近距離では、1人が100キロ移動する場合、鉄道が3.8円(1.9kg)、バスが10.6円(5.3kg)、乗用車35円(17.5kg)、航空機22.2円(11.1kg)になるそうだ。これは、CO2の値段を1kg当たり2円と仮定した計算で、実際の値段は、ヨーロッパなどで毎日変動する。

 記事では、日本でこの活動を行っている団体として「カボーボン・トゥ・フォレスト」(CTF)を紹介しているほか、海外では「クライメート・ケア」や「カーボン・ニュートラル」、「テラパス」を挙げている。

 上に書いた交通手段別の1人当たりCO2排出量を見ると、自動車が航空機を上回っているので驚く。これを“ゼロ”にはできなくとも、「3%」だけ減らす新しい方法が、明日(27日)から首都圏でスタートする。バイオエタノールを3%混ぜた「バイオガソリン」が首都圏の50カ所のガソリンスタンドで発売されるからだ。26日付の『朝日新聞』夕刊によると、これは日本の大手石油メーカーなどでつくる石油連盟の試みで、「バイオガソリン」とは、フランスで小麦から作ったバイオエタノールをETBEという物質に変換してガソリンに混ぜたもの。普通のレギュラーガソリンで走る車ならば、そのまま使えるという。販売スタンドは東京が15カ所、神奈川15カ所、埼玉11カ所、千葉9カ所で、詳しい一覧は石油連盟のウェブサイトで見れる。
 
 また近い将来には、航空燃料自体が“炭素ゼロ”になるかもしれない。というのは、イギリスのヴァージン・アトランティック航空が、バイオ燃料を使った旅客機の試験飛行を2008年から始めると発表したからだ。25日付の『日本経済新聞』夕刊によると、同社はアメリカの航空機エンジンメーカーであるゼネラル・エレクトリック社(GE)と共同して、ヴァージンが所有するジャンボ機をバイオ燃料で飛ばすためにエンジンの改良などを行うらしい。

 3月17日の本欄に書いたように、航空機と温暖化の間には深い関係がある。その関係をできるだけ減らしたいというヴァージン社の気持は分かる。また、イギリスでは“ブレア後”をねらう保守党が航空燃料に課税する計画をもっていることを、3月14日の本欄で書いた。だから、課税されないような燃料の利用を考えてのことだろう。しかし、この「バイオ燃料」がトウモロコシやサトウキビのように食料と競合するものであれば、食品全般の値上がりにもつながるから、別の問題が深刻化する可能性もある。世界はなかなか複雑である。
 
谷口 雅宣

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2007年4月21日

アメリカの温暖化防止努力

 前回の本欄では、地球温暖化が国の安全保障の視点からも重大な脅威になりえるとの認識が世界に拡がりつつあることを書いた。ブッシュ政権下のアメリカは、国レベルでは温暖化対策は遅れているが、州レベルでは様々な取り組みが始まっている。今回は、その一部を紹介しよう。

 最近の注目すべき出来事は、4月2日に連邦最高裁判所がCO2などの温室効果ガスを「大気汚染物質」と認定する歴史的決定をしたことだ。これにより、連邦政府の環境保護局には温室効果ガスの排出削減を行う権限があることになり、これまで「そんな権限はない」として温暖化対策を行わなかった理由がなくなってしまった。また、カリフォルニア州では2002年に、すでに温室効果ガスを「大気汚染物質」をみなす独自の規正法(パブリー法)を定め、2009年の新車から排出規制を実施しようとしてきた。ところが、ビッグ3やトヨタなどの自動車メーカーがこれに反対し、「CO2は大気汚染物質ではないから、州に規制の権限はない」として提訴していた。この問題も、今回の最高裁判決で結論が出たことになる。

 アメリカでは、全国レベルでも温室効果ガスの排出削減を義務づける法案がいくつも出てきた。20日付の『朝日新聞』夕刊によると、2004年の同国の温室効果ガス排出量は90年比で15.8%も増えている。これに対して危機感をもった議員が長期にわたる大幅な削減目標を定める法案を提出している。2050年に90年比で「60%削減」するリバーマン=マケイン法案や、同じく「80%削減」をねらうサンダース=ボクサー法案などだ。これらは、短期的には温室効果ガスの排出増を不可避としながらも、化石燃料から代替燃料へ移行することなどによって長期的に大幅な削減を目指すものだ。すでにカリフォルニア州などがCO2の排出権取引に参加する意思を示しているから、削減目標の達成をこれによって行うことになるかもしれない。
 
 このほかアメリカでは、コロラド州のボルダー市が環境対策で先進的な試みを進めている。18日付の『朝日新聞』によると、この4月1日から、同市は全米で初めてCO2の排出量に応じて全市民に課税する炭素税の実施に踏み切った。この地は市民の環境保全の意識が高く、1967年には全米で例のない「環境保全のための消費税」を導入、その税収で市が必要な土地を買い上げて大自然を開発から守る取り組みを実施している。今回の炭素税導入は、連邦政府が京都議定書を離脱したことに反発し、同議定書に定められた通り、2012年までに温暖化ガスを90年比で7%削減することを狙ったもの。同市のマーク・ラザン市長は、「連邦政府が何もしないのなら、我々が草の根的な手法で地球温暖化に対処する必要がある」としているという。

 アメリカのモータースポーツ界でも、環境意識が形になりつつあるようだ。21日付の『産経新聞』によると、インディ・レーシング・リーグ(IRL)では、一昨年まで車の燃料は石油系のメタノール100%だったが、昨年はメタノール90%、バイオエタノール10%の混合燃料となり、今年はほぼ100%がエタノールになるという。IRLはエタノールの製造・販売企業と無償供給契約を結んでいるが、企業側はレース車へのエタノールの使用によって一般車への普及を一気に図る戦略らしい。シリーズ第5戦のインディ500では、1日の観客が40万人と言われるから、そういう宣伝効果をねらっているのだ。また、F1レースを統括する国際自動車連盟(FIA)は、2009年にハイブリッド技術を導入する方針という。

 アメリカ以外で注目されるのは、ノルウェーが2050年までに“炭素ゼロ”を達成するとの計画を発表したことだ。20日の『朝日』夕刊が伝えている。それによると、同国のストルテンベルグ首相は19日、温室効果ガスの排出量を2050年までにゼロにする考えを表明した。これまで“炭素ゼロ”を方針とした国はなく、温暖化問題がテーマとなる6月の主要国首脳会議(G8サミット)を明確に意識した発表である。自国内での省エネ努力のほか、中国やインドなどで自然エネルギーの導入を拡大することで排出権を獲得し、それで足りない分は他国で余った排出権を買い取るなどの方法を使うらしい。これによって2020年には90年比で30%削減し、50年までにゼロにするという。

 日本ではこの27日から、首都圏の50カ所でフランスから輸入したバイオエタノールを混合したガソリンが試験販売されるらしい。バイオエタノールの抱える問題については本欄で何回も書いてきたから、私としては、それを使うかどうか判断に迷っているところだ。

谷口 雅宣

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2007年3月31日

日本の環境技術に期待 (2)

 前日の本欄で触れたアメリカ農務省の今年のトウモロコシ作付面積の予想が、今日発表された。『日本経済新聞』の31日付夕刊によると、2007年の予想作付面積は、前年より15%増えて、63年ぶりの広さとなる「9045万4000エーカー」(約36万6千平方km)となった。これは日本の国土面積(約37万8千平方km)にほぼ匹敵し、ドイツ全体の面積(約35万7千平方km)を上回る。昨年に比べて213万エーカー(約4万9千平方km)増加したことになり、増加分だけでも東京都の22倍の広さだ。上記の記事には、この発表を受けて30日のシカゴ穀物市場でトウモロコシの値段はストップ安になったと書いてあるが、今後はトウモロコシへの転作でアメリカでの生産量が減るダイズ、米、綿花などの価格上昇が予想される。
 
 トウモロコシは食用のほか、最近では植物性プラスチックの原料として利用されるようになり、生長の家でも講習会や教区大会での弁当箱などとしてなじみが出てきた。この場合は、植物のもつ「生分解性」(土の中で腐る性質)を生かした使い方であるが、それとは違い、長期に硬度を保つ植物性プラスチックも開発され、自動車部品などで利用されている。この分野で面白いのは、ノートを綴じるのに使われるリング状のワイヤに植物性プラスチックを使った例だ。3月27日の『朝日新聞』夕刊にはそのワイヤの開発苦労話が載っている。開発したのは三菱樹脂で、文具メーカーのアピカが昨年7月に発売した「オフィシャルエコリングノート」にこれが採用されている。
 
 この記事によると、今は文房具の環境志向も進んでいて、ノートの場合、再生紙100%の製品では新味がないため、それに加えて、リングに植物性ワイヤを使用し、印刷にはダイズのインクを使うという“完全植物性”のノートが登場したわけだ。従来のノート用ワイヤは金属製で、使っているとリングの端が衣服に引っかかったり、ノートの左ページを記入する際に右手の平がリングに当たるのが気になるなどの問題があった。植物性プラスチックの採用でこれらの問題がすべて解消するわけではないが、従来型よりも柔軟な性質と感触、そして環境性能とでユーザーを増やそうという戦略だろう。この場合の「環境性能」とは、ノートを使用後に廃棄する際、従来型ではワイヤとリングを分別する必要があるが、植物性リングではその必要がないという点だろうか。
 
 実は私は、社会人になって以来、リング式のノートを使ったことがないから、今回の新製品をすぐ使おうとは思わない。しかし、使っているスケッチブックにはリング式のものが多いから、これに植物性プラスチックが採用されることになれば、使用を考えることになるだろう。その際に重要なのは、リングの強度がどの程度の年数維持されるかという点だ。この「強度」と「生分解性」をうまく調整することは、なかなか難しいかもしれない。

谷口 雅宣

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2007年3月30日

日本の環境技術に期待

 わが国の環境技術の優秀さは誰も認めるところだが、最近もそれを証明する様々な成果が発表されている。本欄ではバイオエタノールの問題を継続的に取り上げているが、今日深刻化しつつあるのは「食料と燃料の競合」の問題だ。例えばアメリカでは、ブッシュ大統領が26日、“ビッグスリー”の首脳をホワイトハウスに呼んで、今後10年でガソリン消費量を20%減らすという大統領の目標に理解を求めたという。(27日『日経』夕刊)メーカー首脳もそれに協力するとして、2012年までにアメリカで生産する自動車の半数をエタノールを含む代替燃料で走る車にする考えを示したそうだ。こういうトップレベルでの環境志向の表明は、日本ではあまり見られない。しかし、この種の動きは、トウモロコシを原料とするアメリカのバイオエタノールの生産動向や、穀物の値段、さらにはそれを生み出す土地の値段にまで波及する。
 
 3月初めにアメリカ農務省が発表したトウモロコシの作付予想面積は、昨年の春に比べて11%増の「8700万エーカー」という過去最大規模だったそうだ。(同上紙)これから計算すると、2007~2008穀物年度(07年9月~08年8月)のトウモロコシ生産量は前年比16%増の122億ブッシェルになるという。このうちエタノール生産に使われる量は32億ブッシェルと予想されるから、食料分は90ブッシェルだ。ところが、前年の生産量は約105億ブッシェルだ。これでは食料分が前年より少なくなるから在庫が減り、値段は上がるだろう。だから実際には、値上がりを見込んだ生産者は農務省の予想を上回る作付けをする可能性が大きく、穀物商社などは最大で「9000万エーカー」の作付けを見込んでいるという。前にも書いたが、トウモロコシの作付けが増えれば当然、ダイズの作付けは減り、ダイズ製品の値上がりへと続く。
 
 今日(30日)の『日経』は、こういう動きと連動した穀物価格の上昇によって、日本国内でも加工用食用油や家畜のエサなどのトウモロコシやダイズ製品の値上がりが拡がっていることを伝えている。製油大手と大口需要家との間の取引では、今年1~3月の価格は昨年10~12月期より7%上がり、4~6月期にも値上げが予想されている。このうちマーガリンやマヨネーズ・メーカー向けの値上げは、昨年7~9月期から3期連続という。家畜用の配合飼料については、値上げの影響を和らげるために畜産農家向けの補填用基金が設けられているが、この適用期間は1年と決まっているため、来年4~6月期からは食肉用の家畜の卸売価格が「10%」程度値上がりする可能性があるという。
 
 甘味料の値上げも始まっている。29日の『日経』は、糖化製品(甘味料)メーカーは1月出荷分の値上げに続いて、4月出荷分の異性化糖などを再値上げすることを決めて、飲料メーカーや製菓メーカーとの交渉を始めたと伝えている。理由は、「トウモロコシが高値で推移しており、コスト高を転嫁する」ためだという。「異性化糖」とは、ブドウ糖に酵素を作用させて果糖に変化させたもので、デンプンから作ることができ、砂糖より安く甘味が強い。清涼飲料水や菓子類に使われている人工甘味料だ。こうして、食物・穀物を原料とするバイオエタノールの生産は、食品全体の値上がりへとつながっていくのである。
 
 だから、こういう動きの中で「食品と競合しない」方法でバイオ燃料を生産する技術が開発されれば、地球全体にとってよい結果をもたらすに違いない。それを日本企業がすでに実現しつつあると知って、私はうれしくなった。28日付の『日経』には、岡山県と三井造船が、ワラや籾殻からバイオエタノールを生産する実証試験を4月から始めることを報じており、今日の同紙には地球環境産業技術研究機構(RITE)と本田技術研究所が木くずや雑草の繊維の全成分を短時間でエタノールに変える技術を開発したとある。この2件の新技術に関しては、本欄は2006年の5月13日6月26日9月15日にも書いているが、今回はその技術が拡大したということだろう。
 
 岡山県と三井造船の実証実験は、同県の北部地域で稲ワラや籾殻、トウモロコシの茎や葉、ソルガムなどのうち生産に最適の作物を調べて、生産効率や採算性を検証するのが目的という。三井造船は、すでに一昨年の6月から、エタノール製造のための実験工場を稼動させていて、岡山県北部の真庭地区から採れるヒノキの木屑を原料として使っていた。今回は、エタノールの原料の範囲を広げて実証実験を行うことになる。籾殻を原料にしたエタノールの生産は、東大生産技術研究所などのグループも手がけている。また、ホンダとRITEは、すでに稲ワラなどからバイオエタノールを製造する基礎技術を開発しているから、今回は木屑や雑草などの植物繊維一般にその技術を広げたことになる。

 ただし、ホンダとRITEの技術には、1つだけ気になる点がある。それは、植物繊維の分解に使うバクテリア「コリネ菌」に遺伝子組み換えが行われていることだ。これにより、これまで選択的だったこの菌による糖の分解をすべての糖に及ぼすことができるため、エタノールの生産効率が従来の2~3倍に向上するという。生産の方法としては、「雑草や木くずなどを集め、そこに含まれる繊維セルロースを酸や酵素で分解して糖をつくり、反応タンクでコリネ菌を混ぜればエタノールができる」と記事には書いてある。遺伝子組み換え菌が自然界に放たれた際の、影響評価を事前に充分に行ってほしいものである。

谷口 雅宣

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2007年3月23日

バイオエタノールの悩ましさ

 私は全く知らなかったが、読者は日本がバイオエタノールの“先進国”だったのをご存じだろうか。『朝日新聞』の編集委員、竹内敬二さんが20日の夕刊のコラムに書いているところによると、日本は戦時中の1945年ごろには石油が底をつき始めたため、サツマイモの大増産を行ってアルコールを生産し、それによって戦闘機を飛ばしていたそうだ。そして、終戦になると、その大量のサツマイモは食糧に回されたという。だから、わが国にはバイオエタノールの生産技術はあるし、材料もあるのである。そして、バイオエタノールに内在する問題も経験している。それは、すなわち「食糧と燃料の競合」の問題だ。

 このことは、本欄ではすでに何回も(最近では1月6日昨年11月6日)書いてきたから、読者は理論的には理解していただいているだろう。しかし、実際に我々の食卓に影響が及んぶようになるのは、これからである。まず、トウモロコシの値上がりだ。これは世界最大の生産国アメリカで、トウモロコシがエタノールの原料としてどんどん売れていることによる。アメリカの農民は、エタノール需要を見越して今年のトウモロコシの作付け面積を増やしている。だから値段は上がらないはずだが、実際には上がっている。これは、いわゆる“投機”と“供給不安”による。22日の『日本経済新聞』夕刊は「東京のトウモロコシが高い。前日のシカゴ相場が上昇した流れを受け、買いが広がった。エタノールなどの需要増加見通しも引き続き材料視されている」と書いている。
 
 これに連動して、ダイズの値段も上がるようだ。というのは、アメリカの農民は自分の土地にトウモロコシを植えれば、ダイズは植えられないからだ。すると、ダイズの供給が減って値段が上がる。トウモロコシとダイズの値段が上がれば、それを材料として作られる製品の値上がりにつながる。また、「肉類」も値上がりすることを覚悟しておいた方がいい。なぜなら現在、食肉用に育てられる家畜や養殖魚には、トウモロコシやダイズなどを使った穀物飼料が与えられているからだ。ということは、牛乳や乳製品にも値上げ圧力が働くことになる。こうして、食品全体の値上がりが始まる。これは、大方の日本人にとっては「仕方がない」ですむことだろう。しかし、1日1~2ドルの収入しかない世界中の何十億人の貧困層の人々にとっては、致命的な問題になるのである。
 
 そういう動きに警鐘を鳴らしたニュースレターが、3月21日付でアースポリシー研究所(レスター・ブラウン所長)から発行された。題は「アメリカ産穀物の自動車燃料への大量転換が世界の食費を押し上げている」(Massive Diversion of U.S. Grain to Fuel Cars is Raising World Food Prices)だ。食費の値上がりはすでに始まっている、というのだ。それによると、トウモロコシの値段は昨年2倍になり、小麦の先物は現在、10年来の高値で取引されている。そして、ダイズの先物も50%上がり、コメも値上がりしているという。

 エタノール生産によって最初に影響を受けるのは、トウモロコシを主食にする20余の国々だ。メキシコではすでにトルティーアの値段が6割も上がり、怒った国民が7万5千人の抗議デモを行って政府に価格統制を迫った。中国、インド、アメリカでも食品の値上がりが始まっているらしい。これらの国では直接トウモロコシを食べることは少ないが、その代わり、食肉、牛乳、鶏卵などの値上がりが起こっている。この1月、中国では1年前に比べてブタ肉が20%、卵は16%、牛肉が6%値上がりした。アメリカ農務省は、鶏肉の卸売り価格は前年より10%、タマゴ1ダースが21%、牛乳は14%値上がりするとの予測を出した。

 2006年にアメリカで収獲された穀物の16%は、エタノールの生産に使われたという。そして、アメリカ国内では現在、約80のエタノール蒸留所が建設中だから、完成後にはその生産能力は倍増し、2008収獲年度のアメリカ産穀物の3分の1近くは、エタノール生産に回される可能性があるという。そうなればアメリカの穀物輸出量は減り、穀物の国際価格は上昇せざるを得ない。こうなると、世界の8億人の自動車所有者と20億人の極貧層の人々との間で、穀物の取り合いが起こることになる。どちらが勝つかは容易に想像できるだろう。ニュースレターはさらに続けてこう言う--今年の2月、世界食糧プログラムの所長、ジェームズ・モリス氏(James T. Morris)は、世界では毎日、1万8千人の子どもが飢餓と栄養失調のため亡くなっていると報告した。この数は、過去4年のイラク戦争におけるアメリカ軍の1日平均戦死者数の6倍に該当するという。

 ところで、22日の『日経』によると、三井物産はこのほどブラジル国営石油会社のペトロブラスと共同で、自動車用バイオエタノールの生産と輸出に乗り出すことを決めたという。2011年までに年間350万klを生産する計画で、そこから日本向けエタノールを輸出するらしい。日本ではガソリンへのエタノールの混合率を10%にした場合、年間600万klが必要になるとされるが、その半分以上をまかなえる量になる。ブラジル産エタノールはサトウキビが原料だが、それを育てるために広大な畑が必要な点はトウモロコシと変わらない。我々はブラジルの土地を使って、自動車用燃料を生産するのだ。ブラジルの最下層の人々から食糧を奪わないのか? あるいは、森林伐採を促進することにならないのか? なかなか悩ましい問題である。
 
谷口 雅宣

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2007年3月20日

マイ箸運動に、企業が参加

Chopsticks_1  昨年10月5日の本欄で「モバイル箸」というのを手に入れたことを書いたが、その後、外食や旅行などで大いに利用している。「モバイル箸」というのはメーカーが作った呼称で、私はこれを「ポケット箸」とか「分解式箸」と呼ぶべきだと思う。今日は妻が、この箸用に布製の袋(=写真)を作ってくれた。大きさを普通の箸(写真下)と比べてほしい。箸の真ん中からネジで外して2つに分解できるようになっているから、ワイシャツの胸ポケットにも楽々と収まり、持ち運びの便はすこぶる良い。あまり良すぎて、レストランに置き忘れたこともあった。世の中では「マイ箸」と呼ぶ人もいるが、その場合は、別に分解できなくても「自分専用」であればいいようだ。私たちは当初、人目を気にして使っていたが、最近では意外にも“尊敬の眼差し”を感じる場合も少なくなく、しだいに堂々と使うようになった。

 この「マイ箸」を、コンビニエンス・ストアーが扱う決定をしたという。大いに歓迎したい。17日付の『日本経済新聞』によると、コンビニチェーンのミニストップは全国に約1800店あるチェーン店で箸と箸袋をセットにした「どこでもマイ箸セット」を480円で売り出したという。これに対し大手のローソンは、4月からマイ箸の携帯を促す運動を開始するとか。20日の『産経新聞』によると、このキャンペーンは、会員カードの利用者が一定のポイントをためた際にマイ箸を提供する方式で、将来的には店頭販売も考えるという。いずれのチェーンも、箸の素材にこだわっているようだ。ミニストップは三重県産の尾鷲のヒノキ材に布製の袋を付ける一方、ローソンは高級野球バットの原料であるアオダモを使う。後者の場合、バットに不適格として廃棄されていた材を利用するというから、よく考えてある。ローソンでは、年間5億膳の割り箸が消費されるそうだが、このポイント制への組み入れで20%削減を狙うという。
 
 昨年6月19日の本欄に書いたが、割り箸は国内で年間約250億膳が消費されていて、そのほとんどが中国からの輸入だった。ところが、一昨年12月に中国産の割り箸が3割値上げされ、昨年はさらに2割の値上げとなった。日本での大口需要は、コンビニチェーン、持ち帰り弁当チェーン、牛丼チェーンなどだから、今回のコンビニ2社の動きは、割り箸の有料化、ないしは廃止の動きにつながるかもしれない。ミニストップは、すでに昨秋から国産割り箸を1膳5円で販売しているし、一部のファミリーレストラン・チェーンでは樹脂製の箸への切り替えを進めているという。これは国産材の利用の増大だから、日本の林業の活性化にもつながると私は期待している。

「使い捨て」や「無料」の文化は、「すべてのものに神が宿る」とする神道の精神に反するし、とりわけ今日の地球温暖化時代にはふさわしくない。私の家は東京のファッション街のど真ん中にあるが時々、立派な紙箱や手の切れそうな包装紙が門前の路地に棄てられている。服や帽子や靴などを買った人が、かさばる梱包材を外して商品だけを持ち帰るのだ。こんなとき、どうしたらいいのかホトホト困るのである。そのままゴミ箱へ棄てるのは簡単だが、「もったいない」という思いが湧き出てきて、何かに再利用するために収容したくなる。が、それも結局、年末の整理の際に廃棄されるに違いない。だから私は、割り箸の有料化に加えて、レジ袋の有料化や過剰包装の廃止がさらに進むことを願っている。

谷口 雅宣

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2007年3月 4日

環境に配慮した講習会 (2)

 春らしい陽気となった今日は、東京・有楽町駅前の東京国際フォーラムと明治神宮会館の2会場を使って、東京第一教区での生長の家講習会が行われた。一昨年の講習会も同じ2会場で開催されたが、そのときの受講者を700人近く上回る大勢の方々が受講してくださったことは、誠にありがたかった。今回の講習会で少し驚いたのは、午後の最初の時間に行われた聖歌隊による発表で、大勢の子どもの“合唱隊”が大人に混じって元気な歌声を披露してくれたことだ。「使命行進曲」が講習会で歌われたのも、珍しいことである。
 
 質疑応答の時間も、質問が30ぐらい出たため、充実したものとなった。「充実」という意味は、多角的で内容のある質問が多くあったということである。しかし、私の答える時間には制限があるので、質問者は恐らく不満を感じた人もいただろうと思う。その中で印象に残ったのは、地球環境がこれだけ危機的な状況になっているのだから、生長の家も祈っているだけでは十分でなく、もっと実質的な環境保全活動をすべきではないか、という意味の質問--というよりは意見具申があったことだ。これまでの講習会では、「宗教なのだから環境問題などより、ほかにすべきことがあるだろう」という種類の質問がたまにあったことを思い出せば、隔世の感がする。質問は誤解にもとづくものと思ったので、ISO14001の取得を初めとした生長の家のこれまでの実質的な環境保全活動について、説明させてもらった。
 
 また、最近の生長の家講習会では、受講者用の昼食の弁当を工夫して、ゴミを減らしたり、CO2など環境に有害な物質をできるだけ出さない努力をしているが、今回の講習会でも生分解性プラスチックの容器等が採用されていた。東京第一教区の三浦晃太郎・教化部長は、弁当について次のように述べている。
 
「弁当箱は、非木材紙である葦を原料に作られており、生分解性の容器です。この容器は、財団法人日本食品分析センターで分析されており、PCB、蛍光物質他、有害物質は検出されず、食品の容器としても問題ないと思われます。弁当を入れる手提げ袋は、生分解性プラスチックと米を原料としており、土中で2~3ヵ月でほとんど消滅すると言われています。佐世保市はこれと同じものをゴミ袋(厚さは手提げ袋より厚い)として採用しており、このゴミ袋の表面には“土中の微生物で消滅します!!”と明記されています。またこの袋は、野菜などをくるんで冷蔵庫に保管すると、従来のビニール袋より日持ちがよいとのことです。弁当の箸は、森林伐採にならない竹箸を採用しました」--なかなかの徹底ぶりである。

 ところで今日は、全国で気温が上がった。東京は18.6℃止まりだったようだが、大分県の日田で26.5℃を記録するなど、九州の一部で25℃を越す“夏日”となったほか、滋賀県と九州4県の計11カ所で、3月としては最高気温が過去最高を記録したそうだ。このほか、兵庫県豊岡市(24.6℃)、鳥取(23.3℃)、名古屋(22.5℃)、大阪(22.2℃)、福井(20.8℃)、長野県飯田(20.4℃)、前橋(20.0℃)などで20℃以上となった。気象庁によると、3月下旬から4月並みの暖かさという。

 妻と私は講習会終了後に帰宅し、夕食のために外出した。用心してコートを着て出たが、原宿を歩く人の中にはコートなしの人が多く、反袖のTシャツ姿の若者さえいた。青山通りまで歩き、通りを渡った先にあるイタリア料理店でゆっくり食事をした。この店へ入ったのは初めてだが、夜も全店禁煙という珍しく進んだ店で、タバコの煙が嫌いな私たちは大いに気に入った。味も上々で、客層は国際的だった。

Mtimg070304  食事を終え、コートを片手に抱えて家の門をくぐった私だったが、なぜかくぐり戸がうまく閉まらない。暗い中で目を凝らすと、戸の下の隙間に何か柔らかいものが挟まっている。戸を動かして調べてみると、ヒキガエルが腹を見せて転がった。気がつくと、家の庭には陽気に誘われて穴から出てきたヒキガエルが、あちこちで身構えている。庭は注意して歩いたのだが、玄関に着くまでにあと2匹、足で踏んでしまった。私たちは無事帰ったが、カエルたちには迷惑をかけたかもしれない。

谷口 雅宣

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2007年2月28日

映画『ダーウィンの悪夢』(Darwin's Nightmare)

 生長の家代表者会議も終ったので、ひと息入れようと思い、妻を誘って渋谷の映画館へ行った。目当ては、2004年のヴェネツィア国際映画祭の受賞作である表題の映画だ。しかし、上映館が少なく、新聞には新宿にある1カ所しか出ていなかったので、インターネットで検索したら、渋谷にもう1カ所あった。渋谷には多くの映画館があり、そこに住む私たちはこれまでいろいろな所で映画を見たが、その映画館は聞いたことがなかった。地図では東急本店の向い側ということなので、「それでは……」と出かけることにした。

 その映画館は目立たないビルの3階にあって、チケット売場から奥へ入ると“穴倉”のような小さな部屋に、背の低いソファーや椅子が並んでいた。観客の入りは7割ほど。昔あった「ジャズ喫茶」の一方の壁面にスクリーンがかかっている……そんな感じだ。映画館だと思わなければ、芝居小屋にも見える。映写機も、液晶プロジェクターのようなものが天井に1つ付いているだけだ。これでクリアーな映像が見えるのかどうか心配したが、いざ上映が始まると、そんな心配は無用だった。

 この映画は、生物多様性と南北問題の双方を含んだ真面目なドキュメンタリーである。映像は、決して美しくない……というよりは、恐ろしくヒドイ状態の場面もある。が、そのことが却って、どうしても悪条件下で撮らねばならなかったというリアリティーを表現していた。同じドキュメンタリーでも、前回紹介した『不都合な真実』は、確かなカメラワークと見事な編集、美しい音楽で鑑賞者を惹きつけたが、この映画はBGMも効果音もほとんどない。撮影者は、被写体の人の前でカメラを回し、脇で質問する声が聞こえ、画面の人はそれに答えるのに困惑したり、嫌がったり、得意になったり、あるいは敵意を示す。そんな人々のナマの映像が、鑑賞者の前に突きつけられる。だから、「映画の世界に浸って楽しもう」などと思っていくと、とんでもないシッペ返しを食らう。そこには、豊かで平和な国・日本とはまるで別の、残酷なほど貧しく、神経が疲れるほど危険な社会が展開する。

 この映画は、タンザニア、ケニア、ウガンダの3国に囲まれたアフリカ最大の湖、ヴィクトリア湖の、タンザニア側の1部落の生活に焦点を当てている。この湖は、琵琶湖の100倍、九州の2倍の広さで、多種多様の生物を育み、生物の進化を目の当たりにすることができるというので、「ダーウィンの箱庭」と呼ばれていた。ところが、1954年と1962年に、そこに棲息していなかったナイルパーチという大型淡水魚を誰かが放流した。漁獲量を増やすためとの善意でやったことらしいが、ナイルパーチは肉食もするため在来種を駆逐してどんどん殖えていった。日本の湖に放たれたブラックバスや、ブルーギルのことを思い出してほしい。これに工場廃水の流入や森林伐採も加わって、ヴィクトリア湖の生態系が破壊された。が、その一方で、タンザニアにはナイルパーチを加工してヨーロッパや日本へ輸出する産業が発達して、それによって仕事が創出され、豊かになる人々も一部現れた。
 
 映画では、EU政府の役人らしき人が現地へやってきて、自分たちの援助で新しい産業のインフラづくりに成功したと満足気に発言するシーンが映し出される。しかし、彼らが設置した高価な解体処理施設、冷凍・冷蔵設備を通って出てくる魚は、現地の人々の経済力をはるかに上回るのだ。つまり、大勢のタンザニア人が参加して漁獲される1日500トン(!)ものナイルパーチは、現地の人々には買えず、豊かなヨーロッパ人、日本人の食卓に載るのである。否、もっと正確に言おう。タンザニアの普通の貧しい人々は、ナイルパーチからフィレ肉を取った後の残骸を拾い集めて、それをフライにしたものを食することで、かろうじて飢えをしのいでいる。人々の間にはエイズなどの病気が蔓延し、親を失った子どもたちは「ストリート・チルドレン」となって、盗みやケンカや毒物汚染の中で生きている……。
 
 ナイルパーチとは、日本ではかつて「白スズキ」の名で流通していた魚で、2003年の法改正により、現在ではそのままの名を表示して売っている。わが国は、年3千トン前後をタンザニア、ケニア、ウガンダから輸入していて、2004年にはその量が4千トンになったという。レストランや給食などで白身魚フライとして使われるほか、スーパーで味噌漬けや西京漬けとしても売られているという。読者は今度、レストランやスーパーへ行った際、この魚をじっくり観察し、そして考えてみてほしい。我々はアフリカの人々を助けているのか、それとも搾取しているのか……?。また、どうすることが、彼らの生活を助けることになるのかと。
 
谷口 雅宣

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2007年2月14日

愛の交換日

 バレンタインデーだというので、街にはチョコレートが溢れている。我々夫婦もこの日にあやかり、休日前の夜を静かに過ごさせてもらった。とは言っても、家の中にこもったのではなく、外出して夕食を六本木のホテルのレストランでゆっくりいただいた。こんな日の夜だから混雑しているに違いないと思ったが、意外にもガラガラに空いていた。窓際の席に案内され、つましくカレーとピッツァとサラダをメニューから選んだ。2人とも近年は、油こいものや食後の満腹感を避けるようになってきた。「腹八分目」の健康法である。外は小雨模様で、傘を差したコート姿の人々が通り過ぎる。朝の天気予報では、西から来る低気圧が夕刻には発達して、夜は大荒れになると言っていたが、今回も当たらなかった。

 バレンタインデーについては、本欄の前身で、ブログを始める前の2002年の「小閑雑感」に書いた(世界聖典普及協会発行『小閑雑感 Part 3』に収録)ので、言うことはあまりない。が、この国の“チョコレート騒ぎ”には食傷気味だ。「○○の日には○○をしなければならない」というのは、一種の社会的強迫観念だ。それでも、クリスマスや正月などは、その意義が十分あるから、自分なりのやり方で積極的に参加できる。しかし、「チョコレートをあげる」というのは、見え透いたコマーシャリズムが背後にある。それを知りながら、多くの人々がどうして熱意をもって参加するのか、不思議に思う。本家本元の欧米では、この日は一般に「愛情を表現する日」だから、男女双方から自分たちのやり方で愛を表現すればいいのである。また男女でなくても、親子や友人間の愛の表現でもいいのである。「この日は女から男へ」「あの日は男から女へ」などと決め、しかもチョコレートの色まで「黒はいつ」「白はいつ」と規定するなど、学習指導要領みたいで息がつまりそうだ。

Mtimg070214  とはいうものの、もらってみると決して悪い気持はしない。今年は2人の女性からいただいた。1人は妻だが、もう1人はあえて公開しない。妻はイタリア産のワイン、もう1人はフランス製のチョコレート。舶来の習慣には舶来の製品がいいということだろう。私は双方に素直に謝意を表した。チョコレートとワインの組み合わせも、なかなかいい。「味がマッチする」という意味ではなく、並べてみると絵になるのである。もともとは、カカオとブドウの実という自然食材である。が、双方とも原形をとどめないほど加工され、高度な技術を通して嗜好品に生れ変わっている。また、こういう食品としての“内側”に劣らず、容器や包装などの“外側”にも手をかけている。このような手の込んだ品であるために、「愛情」や「友情」の表現である贈物に使われるのだろう。

 ところで、人間の愛の交換日に合わせたわけではないだろうが、今夜は家の庭で、冬を越したヒキガエルたちが大いに活躍していた。彼らは、すでに先週の金曜日(9日)から出没しはじめていたが、今日の雨で一斉に出たのかもしれない。池の周囲、石段の途中に、体長12~13センチの茶色の丸っこい塊が、いくつもうずくまり、近づいていくと、次々に腰を上げて逃げる。コロコロという鳴き声は、彼らの見かけとは裏腹に、人間の耳にも案外快く響く。それが、輪唱のように微妙にズレながら、四方八方から聞こえてくる。
 
 2001年の『小閑雑感』では、2月28日にヒキガエルが出たと書いた。5年後の昨年は、2月16日に書いた「春の兆」という文の中でヒキガエルが出たことに触れている。そして、今年は2月9日で、だんだん早くなる。そう言えば、先週の月曜日(12日)に、庭の東側斜面でフキノトウをいくつも摘んだ。昨年の本欄では2月16日に「ちょうどよい大きさのものがいくつも頭を出していた」と書いている。自然界の生物たちは、地球温暖化に呼応して生き急ごうとしているようだ。

谷口 雅宣

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2007年2月 7日

映画『不都合な真実』

 元アメリカ副大統領のアル・ゴア氏(Al Gore)が主演する映画『不都合な真実』(An Inconvinient Truth)を見に、妻と2人で日比谷へ行った。この映画については、試写会の招待状をもらっていたが、時間の都合がつかずに他の人に行ってもらい、その人から大体の内容を聞いていた。地球温暖化の危機を訴える真面目なマルチメディア・プレゼンテーションだという話だったから、あまり期待していなかった。私が生長の家の講習会でやっているのと大差ないだろう、くらいに思っていたからだ。しかし、彼のプレゼンテーションは、私のものより数段上だった。画面が大きく、しかも動くというだけでなく、複雑な現象を視覚化し、手短に分かりやすく提示する手法は、どんなテーマにも応用できる第1級のもので、さすが千回以上も続けてやっているだけあると思わせる。

 ゴア氏は、2000年の大統領選挙で現ブッシュ大統領と大接戦を演じ惜敗した後、アメリカ全土のみならず、世界各地を巡って、このプレゼンテーションを繰り返しながら、技を磨き上げてきた。そんな感じがした。そういう「聴衆を納得させ、説得する」方法の1つの模範として、生長の家の講師は一見する価値があると思う。もちろん、地球温暖化のメカニズムや、その影響がどんなに広範囲で劇的でありえるかという科学的知識を学ぶうえでも、よい参考になる。が、この側面では、私が知らなかったこと、講習会等で話さなかったことは、そう多くなかった。また、残念に思ったのは、ゴア氏が「肉食」が地球環境に及ぼす影響についてまったく触れなかったことだ。彼はビーフ・ステーキが好物なのか、などとつい思ってしまった。

 私が知らなかったことの中に、北極海の氷の厚さのことがある。この氷の厚さを測定することは、アメリカ海軍の必須の仕事だったというのである。それは、原子力潜水艦の行動の自由と直接関係している。原潜の軍事上の特徴は、何カ月もの長期にわたって海中に潜行したまま作戦行動ができるという点である。このことと、原潜が核ミサイルを搭載しているという事実を併せて考えると、「潜在敵国に居場所を知られずにどこからでも攻撃できる」という核抑止力の大きさが理解できる。しかし、この核抑止力が保証されるためには、海面が分厚い氷で覆われていてはいけないのである。アメリカの潜在敵国とは長い間、ソ連であり、今はその後継国、ロシアである。ロシアへの攻撃がしやすいのは北極海だろう。そしてこれと同じことは、ロシア側にも言える。つまり、ロシアがアメリカを攻撃する場合、北極海は重要な拠点である。ということは、そこの氷の状態がどうであるかは、米ロ双方にとって国家安全保障上の重要事項なのだ。
 
 ゴア氏が映画で指摘しているのは、彼が原潜に乗って北極海へ行った際(それがいつかは明らかでないが)、北極海の氷が年々薄くなっている事実を知らされたということだ。一方、私が講習会でもたびたび触れるように、アメリカ航空宇宙局は、人工衛星から定期的に北極海の氷の状態を写真撮影している。これによって北極海の氷の「面積」の推移が正確にわかる。その面積が年々縮小していることは、私が本欄でも紹介した通りである。だから、アメリカ政府高官にとっては、北極海の氷が年々縮小し、その「厚さ」も年々減少していること--つまり、地球温暖化が進んでいること--はよく知られた事実であったのだ。にもかかわらず、その原因が人間の活動であることを米大統領が長い間認めようとしなかったことは、驚くべきことではないだろうか。
 
 この映画と、昨年7月6日の本欄で紹介した『ホワイト・プラネット』の2本を見れば、地球温暖化の深刻さを知識として理論的に理解するだけでなく、失われつつある地球環境や生態系の壮大で繊細な美しさを感情的に納得できるはずである。両作品が早くDVD化されることを私は期待している。
 
谷口 雅宣

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2007年2月 2日

バイオ燃料に黄信号

 バイオ燃料の使用拡大を謳ったブッシュ米大統領の一般教書演説から10日ほどしかたっていないのに、この新燃料の問題点が具体的に浮き彫りになってきた。

 1つは、本欄でも何回も(最近では1月6日)触れた「食料との競合」の問題である。今日(2月2日)の『日本経済新聞』夕刊によると、トウモロコシを原料とするメキシコの伝統的主食、トルティーヤの値段が急騰していて、同国各地で抗議デモなどが相次いでいるという。昨年までのトルティーヤの小売価格は1キロ当り6ペソ(約11円)だったが、今年に入って12~15ペソに上がったという。31日に首都・メキシコシティーで野党や労働組合が主催した抗議デモには4万人の市民が参加し、就任したばかりのカルデロン大統領は(地元紙の表現によると)“トルティーヤ危機”に見舞われているという。同国経済省は緊急に65万トンのトウモロコシをアメリカなどから輸入する決定をしたが、その程度の量では値は大きく下がらないと同紙は見ている。
 
 もう1つは、ヤシ油の生産方法の問題だ。これはインドネシアの名産品だが、旧宗主国のオランダを初めとしたヨーロッパ諸国の需要が急速に拡大しているため、それに応えようとする農民が環境破壊的な方法を使って生産しているというのである。2月1日付の『ヘラルド・トリビューン』紙が伝えている。それによると、インドネシアやマレーシアではヤシ農園を開発するために広大な面積の熱帯雨林が伐採され、ヤシの成長を急がせようと必要以上の化学肥料を使ったり、湿地を構成するピートモスを乾かすために水を抜き取ったり、ピートモスを焼き払ったりする方法が使われているという。昨年12月に発表されたオランダの研究者の調査によるもの。これによってインドネシアは、今や世界で3番目の温暖化ガス排出国になっているらしい。1位はもちろんアメリカで、2位は中国である。
 
 オランダはここ数年、ヤシ油の輸入を倍々ゲームで増やしており、昨年の輸入量は150万トンに達したという。輸入の相手国はインドネシアだけではない。環境保護団体のフレンズ・オヴ・ジ・アース(Friends of the Earth)の推定では、1985年から2000年までのマレーシアにおける森林伐採のうち87%は、ヤシ農園開拓のためという。インドネシアでは、ヤシの栽培に使われる土地は過去8年間で118%増加した。そして今回、ピートモスの乾燥や焼却処理が問題視されている。ピートモスは植物性のスポンジ状の土壌で、大量の炭素を吸収できるから温暖化防止に役立ってきた。ピートモスの土壌は90%が水だが、水分を抜き取ると内部に吸収されていた炭酸ガスが大気中に放散されるという。だから、ヤシ油を生産するためにピートモスを破壊し、焼却することは、かえって地球温暖化を促進することになるのである。
 
 ヨーロッパでは、EU域内のすべての国が、交通に使う燃料の5.75%を2010年までにバイオ燃料にするという方針(the 2003 European Union Biofuels Directive)が定められている。しかし、バイオ燃料の生産過程で大量の温暖化ガスが出ている現状では、この方針の見直しが検討されているという。オランダは、再生可能エネルギーの分野ではEU域内で模範的と見られてきたが、ヤシ油への政府の助成を中止し、今後どのようにして、バイオ燃料の輸入元の生産方法を捉えるかの対策を練っているらしい。
 
 読者の中には、インドネシアの問題がなぜEUに波及するのかと不審に思う人がいるかもしれない。が今、我々が直面しているのは、「インドネシア温暖化」や「東南アジア温暖化」ではなく、「地球温暖化」である。つまり、インドネシアの農民が誤った方法でヤシを育てれば、ヨーロッパ・アルプスの降雪量に影響するかもしれないし、その逆に、ヨーロッパの自動車から出るCO2が増えれば、インドネシアの島の面積が減るかもしれない--そういう地球全体の気候変動の問題だからである。上記の記事によれば、イギリスの環境保護団体、バイオフューエルズ・ウォッチ(Biofuelswatch)は、「バイオ燃料は、もはや再生可能エネルギーとして自動的に認めるべきではない」と言っている。生産方法が環境保護に貢献しているかどうかを事前に審査し、そうでない場合は、生産過程で排出される温暖化ガスを輸入元の排出量として算入する方法が望ましい、と考えているようだ。

谷口 雅宣

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2007年1月18日

スパゲッティーは日本食?

 休日だったので1日ゆっくりと過ごした。と言っても、1日中家にいたわけではなく、昼から妻と2人で原宿・青山方面へ散歩に出かけた。直接の目的は昼食だが、帰りがけにブラブラするつもりだった。比較的暖かな日で、マフラーなしで快適に歩けただけでなく、昼休みでオフィスから出てきた人の中には、コートを着ない人も多かった。明治通りから狭い路地を入って青山通りの方向へ行く道は、どれも上り坂になっている。そのうちの1本を選び、カーブをたどりながらゆっくり歩く。周囲の家並みや庭木、街路樹、店のディスプレイ、家の造りなどを、旅人のような気分で眺めながら歩くと、普段は見えないものがいろいろと見えてくるから不思議だ。
 
 国連大学に隣接するオーバル(楕円)ビルの地下に、生めんのスパゲティー専門店がある。1週間ほど前に見つけて、機会を見て行こうと思っていた所だ。そこへ入り、和・洋・中の3種類のメニューから2人で好きなものを選んだ。店内がはっきりと“分煙”されているのがうれしい。やがて出てきた注文の品は、いずれも新しく複雑な味。妻は和風のソースを頼んだが、バター入りだったので和洋ミックスの味。私は洋風ピリ辛ソースだったが味噌が混じっていたので、これまた和洋ミックスである。いずれもコクがあっておいしい。それらを互いに取り分けて食べながら、日本文化談義になった。

 日本人は昔から、海外の文物を自分の生活に取り入れるのに熱心で、それらをいつのまにか“日本的”なものに変えて使っている。古くは仏教や中国の律令制度に始まり、朝鮮の文化、キリスト教、欧米の法制度、行事・習慣、野球、その他のスポーツ、学問、芸術、技術、そして料理……。この柔軟性が2千年の昔から続いてきたおかげで、幕末の未曾有の危機にも対応することができた。それでいて“日本的”なものが消えてしまったかというと、そうではなく、“日本的仏教”“日本的キリスト教”“日本的法制度”“日本的野球”“日本的学問”“日本的技術”……などがちゃんと残っている。無原則、無方針などと批判されることもあるが、翻ってみれば、「外からの刺激を内に取り込んで自己の一部にする」という原則や方針がある、と考えることもできるのである。云々……。
 
 そんな談義の場であるこの店にしてから、「靴を脱いで上がる」形式は和式であるが、私たちが案内された禁煙室にはテーブルと椅子が並ぶ。ところが喫煙者用には、掘り炬燵式の畳席が用意されている。食べ物であるスパゲッティー自体は洋式。しかし、ソースは和・洋・中のいずれもある。それを食べる食器は和食器であり、塗物の木製スプーンと割り箸がついている。ああ、これを何と表現したらいいのだろうか! 「こういう形式や様式にこだわらないのが日本式である」とさえ言いたくなる。形にこだわらず、「良い」と感じるものを積極的に取り入れてきたのが日本社会だから、それが今日の日本の繁栄をもたらしたと同時に、様々な問題ももたらしている--そんな感想をもった。
 
 ところで、様式が自由すぎるということにも、問題はある。私たちはこの日、家を出る時からスパゲッティーを食べるつもりだったので、携帯用の箸を持って来なかった。西洋麺をスプーンと箸で食べることなど、まったく思いつかなかった。しかし、ここでひるんではならないと思い、私は意を決して店の配膳人にフォークを所望してみた。配膳人は一瞬、不思議そうな顔をしたが、すぐに対応してくれた。しかし、なぜ割り箸なのか? 私たちが行き着いた結論は……塗物のスプーンを左手で持ち、スパゲッティーを右手のフォークで取ってスプーンの上でグルグル巻くと、しだいに塗物がはげてくるから……。しかし、そうまでして和食器にこだわるスパゲッティーは、もはや日本食ではないか?
 
谷口 雅宣

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2006年12月31日

2006年を振り返って (2)

 地球規模の問題についてでなく、生長の家の運動や私的な方面で今年を振り返ろう。
 
 今年は、1月のブラジルでの「世界平和のための生長の家国際教修会」が最初の“山場”だった。その準備で正月から忙しく、時間ぎりぎりで何とか勤めを果たせたようだ。今回、新しい経験として、ブラジル国内の20のテレビ局で放映される番組の録画をした。日本語での収録だったから緊張は少ないと思っていたが、どうしてどうしてカメラが回っていると思うと言葉も体も固くなるものである。また、9カ国から集まった生長の家の幹部の人々と懇談会をもった際、10人の同時通訳者を動員してのやりとりは、なかなか刺激的で壮観だった。
 
 教修会では「肉食」の抱える様々な問題について検討した。これを、肉食を主体とした食事を伝統とするブラジルやアメリカの人々の前でやったのである。当初は、参加者から反発されたり、「文化の違い」で一蹴されてしまうことを危惧していたが、大半の人々の反応は肯定的だったことはありがたかった。7月4~5日には日本で、これと同じテーマで教修会を行い、世界の宗教がもつ「食物規定」の検討を通して、これまた有意義な研鑽が行われた。この中で重要な点を1つ挙げれば、それらの食物規定は、宗教の教えの“神髄”とか“本質”に当たる中心部分ではなく、時代や環境の変化に応じて定められた周縁部分に当り、したがって「変遷する」ことが明らかになったことだ。

 生長の家は、このような宗教的理由のみならず、環境保全や資源の有効利用のためからも「肉食を減らす」運動を進めているが、この種の具体的な実践の新たな取り組みとして、「生分解性プラスチックの利用」が今年から本格化した。人が多く集まる生長の家講習会等では、食器や弁当箱に何を使うかで二酸化炭素の排出量に結構な違いが出る。このため、7月9日の青森市での講習会を皮切りに、この種の“エコ食器”の利用が進められていることは特筆に値する。これはまた、参加者の環境意識を高めるだけでなく、まだ揺籃期にあるエコ関連産業を育てることにもつながるだろう。そして、従来から全国で進めているISO-14001の活動と、教団施設や信徒宅等への太陽光発電の設置、ハイブリッド車の導入も着々と進んでいる。

 少し私的なことに触れよう。今年、私の単行本は3点が出版された。本欄をまとめた『小閑雑感 Part 5』と同『Part 6』のほかに、かつて月刊『光の泉』誌に連載していた長編小説『秘境』が1冊の本として11月に上梓されたことは、私にとって特にうれしい出来事だった。私は学生時代、同人誌に属して小説家になりたいと思っていた時期もあったから、そんな淡い希望が形の上では実現したことになる。もっとも、私は2003年にすでに短篇小説集『神を演じる人々』を出している。しかし、長編が本になることの手ごたえは、やはり違う。そんな思い入れもあって、本のカバー用に自分で絵を描いてしまった。こんなことも初めてだ。

 最後に、今年は生長の家が発祥当時から推奨し、推進してきた「日時計主義」実践のための道具立てが整った年である。まず、“よいニュース”のみを集めて発信するインターネット・サイト「日時計ニュース.com」が7月31日にスタートした。それから書籍版『日時計日記』(生長の家刊)が10月半ばに産声を上げた。この日記帳は好評で、12月27日の時点で3万1千部が頒布されている。さらに、Web版『日時計日記』が12月20日に始動した。これは、日時計日記をネット上に作って、全世界から書き込もうという野心的な試みである。これに、ノーミートの献立とレストランを紹介する「ノーミート・ブログ」(9月1日スタート)を加えると、生長の家のネット上の活動の場は飛躍的に増加したと言えるだろう。来年はこれらを大いに活用し、内容を充実させていくことだろう。

 今年1年、本欄を応援してくださった世界中の読者の皆さん、2007年が皆さんにとって輝かしい進歩と発展の年でありますように。来年もまたよろしくお願いいたします。
 
谷口 雅宣

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2006年12月26日

野菜の大量廃棄

 暖冬の影響か、日本の“重要な野菜”とされるハクサイ、ダイコン、キャベツが今年は豊作となり、11月下旬から12月上旬にかけて値崩れを防ぐために大量に廃棄処分された。その量たるや、ハクサイが8830トン、ダイコンは2775トンという。コストは半分が国費でまかなわれ、残りは生産者の積立金から出るという。12月26日の『日本経済新聞』が伝えている。路地物野菜の成育は天候に大きく左右されるので、不作もあれば豊作もある。それは分かる。しかし、農家で丹精して立派に成長した作物が、ブルドーザーで押しつぶされて畑にすきこまれていくのを見て、気持がいいという人はいないだろう。ましてや、それを作った農家の人々の心境はどんなものか……。
 
 記事によると、11月中旬のハクサイの卸値は、東京中央卸売市場で1キロ21円と、平年の55%安、ダイコンは1キロ36円で49%安だったのが、廃棄後にはハクサイが34円、ダイコンが44円に上がったものの、平年よりそれぞれ15%、35%安という。私は11~12月、生長の家の講習会で地方へ行った際、ダイコンが畑から収獲されずにギュウギュウ犇めいているのを何回か見たが、その理由がこれで分かった。しかし、何とかならないものかと思う。
 
 今年は隣の中国でも似たような事情で、キャベツが豊作だったという。しかし中国では日本の対処とは違い、高齢の貧しい人々に分け与えたということが、20日付の『ヘラルド・トリビューン』紙に載っている。北京の高級ホテルの近くで開く朝市には、午前4時ごろから主として高齢の人々が集まり、8時半からの“キャベツ配り”を待つのだという。1人1個のキャベツしかもらえないが、会話を楽しみながら何時間も待つ。列はどんどん長くなり、高級ホテルの玄関前を横切ってさらに伸びる。それが宣伝になって、翌日にはさらに人が集まる。列を作る人には年金で過ごす高齢者が多く、ここへ来るのは経済的理由というよりは、習慣として、退屈しのぎに、また仲間との交流を求めて来るのだという。この北京の朝市での“キャベツ配り”は、11月の恒例行事になっているようだ。
 
 せっかく成長した農産物を廃棄するよりは、ほしい人にあげる方がいいに決まっている。が、日本の場合、もしかしたら「ほしい人」がいないのか、あるいは「配る人」がいないのかもしれない。それよりは廃棄して補助金をもらう方がいいのだろうか?
 
 ところで23~25日付の『ヘラルド・トリビューン』紙には、中国政府が最近、バイオエタノール工場の建設を許可制にすると発表した、と書いてある。石油価格の高止まりと自動車ブームのおかげで、石油会社が次々とバイオエタノールやバイオディーゼルの生産を始めているため、人間の食用となる農産物を確保する必要があると判断したのだ。ねらいは、国内に食用作物が十分あるものについてはバイオ燃料への転用を許し、そうでないものは許可しないということらしい。6月12日の本欄でも触れたことだが、これは農地をめぐって人間と自動車の競合が起こっていることを示している。
 
 そこで考えるのだが、「競合」の意味は、人間と自動車の“食糧”が共通しているということだから、野菜ができすぎたならば、それを廃棄せずに自動車に与えることはできないだろうか? そう、廃棄処分に回す野菜をエタノール工場やバイオディーゼル工場へ回すことができれば、稀少な農地をムダにせずに済むのではないか。あるいは、動物の飼料や堆肥に転換する手もあると思う。26日の『朝日新聞』には、農水省と環境省が食品廃棄物のリサイクル促進のために、食の循環利用制度を創設する方針を決めた、と報じている。コンビニや外食店から出た残飯をブタの飼料にし、そのブタ肉を弁当や料理に使うというようなループ(循環の輪)を作ろうというのである。これでムダが省けるなら、大いに賛成である。
 
 自然界はきわめて複雑で、何重にもなるループで構成されているが、全体としてはムダのない循環を行っている。そこから学び循環型社会へしだいに近づいていくことが今、人類には求められていると思う。
 
谷口 雅宣

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2006年12月17日

環境意識は向上している

 岡山市で行われた生長の家講習会では、1万人近くの受講者が集まってくださり、静かな雰囲気の中で講話ができたことは大変ありがたかった。これだけ多くの人が一堂に集まる講習会では、とかく場内のざわつきが気になることがあるが、そういうことがなかったのは受講者の方々の意識の高さを示していると思う。午後の講話の最後で、私は現代人の肉食の習慣が貧しい国々の飢餓の問題を深刻化させていることを述べ、宗教的にも問題の多いこの習慣を、生長の家では「廃止しろ」とは言わないまでも、「減らすことを勧めている」と述べた。時間の関係で、肉食が環境を破壊しつつあることに言及することができなかったのは、多少心残りだった。しかしその問題は、今では世界的にも広く認知されつつあることを知った。

 イギリスの科学誌『New Scientist』のニュースサービスが12月12日に伝えたところによると、国連の食糧農業機関(Food and Agricultural Organization)が最近出した報告書には、畜産業が土壌を悪化させ、地球温暖化を促進し、水資源を汚染し、生物多様性を破壊しつつあることが書かれ、この産業が「どんな意味に於いても最も深刻な環境問題を生み出している上位2~3番目の原因」だと書かれている。この報告書の中の驚くべき事実は、畜産部門が生み出す温室効果ガスは、運輸部門が排出する割合(全体の13.5%)を上回る「18%」に達するということである。
 
 この報告書は『Livestock's Long Shadow(家畜の長い影)』と題するもので、ヘニング・スタインフェルド氏(Henning Steinfeld)らの執筆によるもの。「18%」という上記の数字はFAOによる前回の報告書よりも増えているが、その理由は、家畜の生産過程から出るすべての温室効果ガスを計算したからという。その中には、化学肥料や餌の製造過程からの排出分、牧養地開拓のための森林伐採、糞の処理過程、家畜自体が出すメタンガス、家畜とその飼料の運搬過程からの排出量などが含まれるという。家畜の生産には広大な土地が必要で、現在、地球上の凍らない土地全体の26%を占める。また、アマゾン河流域の森林伐採地のうち70%は放牧地であり、家畜の飼料は、世界の農地の3分の1で生産されている。したがって、地上に生きる家畜全体の量は生物全体の20%を占めると考えられ、生物多様性を破壊する主要な原因になっているという。

 これらの数字を以下のように並べてみると、我々人間の「肉食」に対する執着の大きさが歴然としてくる:
 
  8%----人間が使う水のうち家畜生産に使われる割合
  18%----家畜産業から排出される温室効果ガスの割合
  20%----地上の生物全体量に対する家畜の割合
  20%----家畜によって汚染される農地や放牧地の割合
  26%----地上の凍らない土地のうち家畜生産に使われる土地の割合
  30%----野生生物の生息地のうち家畜に奪われた土地の割合
  33%----家畜の飼料生産に使われる農地の割合
  37%----人間が排出するメタンのうち家畜産業から出る割合
  37%----人間が使う殺虫剤のうち家畜生産で使われる割合
  50%----人間が使う抗生物質のうち家畜生産で使われる割合
  65%----人間の活動で排出される窒素酸化物のうち畜産業から出る割合
  70%----世界の農地のうち家畜生産に使われる割合
  70%----世界の森林伐採地のうち家畜生産に使われている割合

 家畜の肉に対する需要は、中国やインドなどの経済発展にともなって増大しつつあり、FAOの予測では2050年までに倍増するという。我々はまさに今、食生活を「環境」の観点から見直さねばならないし、さらに進んで「殺生」の問題として再考すべき時期に来ているのである。

谷口 雅宣

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2006年11月26日

個人生活と地球環境

 昨日の本欄で、私は日本政府に対して、もっと長期的で明確な環境政策を策定してほしいと注文したが、今日、東京・調布市など3カ所で行われた東京第2教区の生長の家講習会では、“エコ容器”を使った弁当が出されたと聞いて勇気づけられた。政府がかけ声をかけなくても、民間レベルでの環境意識の向上は(困難であっても)期待できるからである。

 この容器は、7月9日の本欄で紹介した青森教区の講習会で使われたのと同じもので、植物のアシ(葦)を原料にした生分解性プラスチック製だ。今日の講習会には3会場合計で6千人以上の人が参加してくださったから、きっとCO2の排出削減に役立ったに違いない。また帰宅後、家に届いていた『七宝の塔』(生長の家栄える会会報)を読んだら、10月22日に開催された第33回生長の家繁栄特別ゼミナールでも、昼食の弁当に同じ“エコ容器”が使われたと書いてあった。こちらの参加者は2,259人というから、CO2排出削減の効果は徐々に生まれているはずだ。

 私は、この地球温暖化時代にあっては、生分解性プラスチックはもっとふんだんに利用されるべきだと考える。石油を原料とするプラスチックは、製造時と廃棄物として処理されたときにCO2を排出する。結果的に、地中深く埋まっていた炭素を大気中に放出することになる。それに対し、アシなどの地上に生えている植物を原料としたプラスチックは、植物が成長する際に大気中のCO2を体内に取り込み、さらにプラスチックを土に埋めてゆっくり分解させれば、水とCO2になる。そしてCO2は、再び植物に固定されたり、バイオマスに吸収される。つまり、使えば使うほど大気中のCO2は減ることになる。石油が原料のプラスチックとは、まさに対の働きだ。
 
 温暖化防止の観点からはこんなによい働きをする生分解性プラスチックだが、有害なプラスチックよりも値段の高い点が、普及が進まない大きな原因になっている。別の言葉で言えば、温暖化を促進するプラスチックが、それを防止するプラスチックよりも「安い」のが現状だから、経済発展をすればするほど温暖化が進む傾向になる。だから、人類が温暖化をはっきりと“コスト”として認め、それを製品の値段の中に含めるのが経済的には「正しい」と言えるだろう。そういう考え方を含めて提案されているのが「環境税」とか「炭素税」と言われるもので、これを早急に導入することで「経済発展と環境保全が両立する社会」が実現するのである。日本の経済団体は、環境税導入に反対する理由として「経済発展を阻害するから」と言っているが、この論法は短期的には正しくても、中・長期的には正しくない。先に紹介した『スターン報告書』は、そのことを有力に語っている。環境問題と真面目に取り組まない現行制度下の経済発展では、50年後には世界のGDPを5~20%減らすような被害が生じるのである。

 しかし、政府が動かなければ我々は何もできないわけではない。環境税が施行されていない現在、我々は化石燃料を使うよりも値段が高い、より“クリーン”な製品やサービスを利用することで、実質的に環境税を支払うことになる。だから生長の家では、ハイブリッド車やグリーン電力、生分解性プラスチック等の“エコ商品”等の使用を推奨しているのである。

 さて、今日の講習会では「肉食」のことも話題にした。肉食が増えれば増えるほど地球温暖化が進み、土地や資源の奪い合いが深刻化するという話だ。今年の1月には、このことを、肉食盛んなブラジルでの生長の家教修会で取り上げて、意外に良好な反応を得た。世界的にも、肉食と環境悪化の関係が理解されるようになってきているのだろう。

 11月25~26日付の『ヘラルド・トリビューン』紙には、アメリカのウッズホール研究所(The Woods Hole Research Center)の科学者、ダニエル・ネプスタッド氏(Daniel Nepstad)が「熱い惑星のための食事」(Diet for a hot planet)という題の論説を寄稿している。それによると、すでに35年前、フランセス・M・ラッペ(Frances Moore Lappe)という人は『小さな惑星のための食事』(Diet for a Small Planet)という料理本の中で「動物性蛋白質を摂取することは、植物性蛋白質の摂取に比べて16倍も農地を必要とする」と訴えて、警鐘を鳴らしたそうだ。今や地球のどこにも新たな農地はなくなり、その一方で、急速な経済発展を続ける中国などの国々の何億という人々が、肉食の割合を増やしつつある。そのため、熱帯雨林が伐採されて農地に転換されている。経済発展はエネルギー需要を増大させるから、石油の値段が上昇し、農産物をエタノール燃料に転換することで利益が生じるようになった。すると、人間と自動車とが食料(燃料)をめぐって農地を奪い合う関係になる。そして、森林はさらに減り温暖化がさらに進行する……。
 
 この悪循環を断つためにネプスタッド氏が提案している方策の1つが、「肉食の削減」なのである。曰く--「もしアメリカ人が、食事と地球(環境)の間にあるこの関係を断つために肉食を減らすならば、彼らは温暖化の速度を下げる動きの中で、珍しく指導的な役割を果たすことになるだろう」。

 個人の力は小さくても、理性や良心に訴えて協力者を増やし、団結して行動すれば、我々は地球規模の問題解決にも一定の役割を果たせると思う。

谷口 雅宣

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2006年11月12日

日本の政策はオカシクないか?

 今朝、横浜市で行なわれる生長の家講習会の会場へ向う車中、『朝日新聞』の第1面に載っていた記事を読んで、私は驚いた。1993年以来、最低輸入義務にもとづいて輸入してきた外国産米が貯まる一方なので、農水省はそれをバイオエタノールに転換して活用する方針を固めたというのである。売れ残って処分できない外国産米の保管費用が毎年200億円かかるから、それを燃料化して売れば費用削減になるという考えのようだが、記事には「売却価格は買い入れ価格を下回り、損失が出るのは確実とみられる」と書いてある。私がオカシイと感じるのは、余剰米をバイオエタノールに転換することに加え、この余剰米の量の多さだ。
 
『朝日』の記事によると、最低輸入義務にもとづき海外から輸入された米の在庫は、今年3月末の時点で203万トン(玄米換算)に上るという。この量たるや、日本人が主食として消費する国産米の量の4分の1にも達するそうだ。輸入先はアメリカ、オーストラリア、中国、タイなどで、年間約77万トンが義務として輸入されている。これがそのまま市場に出れば、我々消費者は米をもっと安価に味わうことができるのだが、それでは国産米を作っている農家に打撃を与えるというので、主食用は約10万トンしか市場に出さず、加工用と途上国の援助用にそれぞれ約20万トンを出し、残りの約27万トンが毎年、倉庫に貯まっていく計算になる。今回は、この余剰分を燃料に回す方針を固めたというわけだ。

 11月6日の本欄で、私はバイオエタノールの生産が抱える基本的な問題について述べたが、この農水省の計画では、まさにこの問題--農地を人間と自動車が奪い合う--を地で行くようなものではないか。『朝日』によると、政府が買い入れる輸入義務米の値段は、毎年300億円余になるという。1キロ当りの購入価格は30~60円となる計算だ。一方、バイオエタノールの値段をガソリン並みに抑えるためには、原料米の価格を15~20円にとどめる必要があるらしい。ということは、米1キロ当り15~40円の損失を出しながらバイオエタノールを作り、この損失分を税金で補うことになる。農水省は5年後までに、国内でのバイオエタノールの生産量を年間5万キロリットルにする方針で、このために工場建設にも補助金を出す考えという。ということは、これまた税金を注ぎ込んで外国産米を--人にではなく自動車に--消費させるということだ。

 上に書いたことを言い直してみよう。日本という国は、国内で農地を遊ばせ、海外から不要の米を輸入し、それを倉庫で眠らせて米の価格統制を行い、今後はあまった米を補助金を使って自動車に消費させようとしている。この過程で行われる「休耕田対策」「外国産米の輸入」「外国産米の保管」「エタノール工場の建設補助」「エタノール化の際の価格補助」のすべてが税金で賄われる。しかし、何のためにそうまでするのか? 農家を守るための税金の大量投入か? しかし、私はそれによって農家が発展するとはとても思えない。国産米の価格を人工的に高く維持することによって、現に農地は荒れている。また、外国産米を燃料に転換することは、世界の食糧の絶対量を減らすことになる。だからこれは、世界の米の値段を高く支える政策でもある。貧しい国の人々は、さらに厳しい環境におかれるだろう。つまり、この政策では、「日本は海外の貧しい人々から米を奪い、豊かな国民の税金を注ぎ込んで自動車に与える」ということにならないのか。
 
 バイオエタノールの生産と利用は、もちろん地球温暖化防止のためのものだ。しかし、「余剰外国産米の燃料化」はその目的に対する正しい手段とは思わない。外国産米の維持費が負担だというならば、もっと多くを海外への食糧援助に回し、あるいは国内市場に放出して消費者の便に供し、さらに税金のムダ遣いを減らすべきだ。バイオエタノールは、穀物から作らなくてもできることは、本欄でも度々書いてきた(今年5月13日6月13日同26日)。「車と人」あるいは「貧しい人と豊かな人」とを対立させる行政は、悪政としか言いようがないと思う。
 
谷口 雅宣
 

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2006年11月 9日

オーストラリアは今、

 アメリカの中間選挙でブッシュ大統領の共和党が大敗したことで、世界に新しい動きが出る可能性が生まれている。私は本欄などを通して、イラク戦争を含むブッシュ氏の対テロ戦争や地球環境問題の軽視などに苦言を呈してきたが、これほどハッキリ勝敗が決するとは予想しなかった。何か、かわいそうな気さえする。アメリカのイラク侵攻を支持してきたイギリスのブレア政権も今、国内からの猛烈な批判の矢面に立っている。それに引きかえ、日本ではブッシュ氏を全面的に応援した小泉政権が交替したことや、北朝鮮の核実験のおかげで、与党の責任問題はウヤムヤになってしまった。政治とは不思議なものである。

 ブッシュ氏を積極的に応援したもう1つの国は、オーストラリアである。この国は、かつてインドネシアのバリ島で起きた外国人対象のテロで、最も大きな被害を受けた国だから、対テロ戦争に協力する気持はよく分かる。しかし、京都議定書に参加しないなど、地球環境問題への消極的な姿勢の理由は、よく分からなかった。ところがその国で今、環境政策を見直そうとする機運が盛り上がりつつあるようだ。その最大の理由は、旱魃による被害らしい。この国はこれから夏を迎えるが、4年目の旱魃は国の経済に深刻な影響を与えている。

 11月8日付の『ヘラルド・トリビューン』紙によると、最近出された同国農業資源経済局(Bureau of Agricultural and Resource Economics)の報告書は、この国の農地の半分以上は「旱魃被害地」に指定されており、同国の3大作物である小麦、大麦、トウモロコシの収獲量は、今年は60%以上減少する見込みだというのである。このため、同国政府は110万豪ドル(約1億円)を農家に支援することをすでに発表しており、これで4年間の農家への補助金総額は2,700億円に達するという。補助金の増加よりさらに明らかな変化は、豪政府の地球温暖化に対する考え方だという。

 この件についての豪政府の従来の態度は、ブッシュ氏と同様に「人間の活動が温暖化を引き起こしているかどうか疑わしい」というものだった。また、中国やインドに排出削減の義務がない議定書には実効性がないとして、署名を拒否してきた。これに加えて、同国は化石燃料--特に石炭--の大口消費国であると同時に大口輸出国でもあるから、議定書への署名は経済発展を阻害すると考えていたのである。
 
 ところが、シドニーに本部を置くローウィー国際政策研究所(Lowy Institute for International Policy)の最近の調査では、豪国民は、今日の重要な脅威の第3位(1位はテロ、2位は核拡散)に地球温暖化を挙げており、調査に回答した人の68%は、この問題に対して「相当なコストが見込まれても、直ちに問題解決に取り組むべきだ」との考えをもっていることが明らかになっている。これに押されて、豪政府も従来の立場から温暖化対策へのシフトを始め、風力発電施設の認可や太陽光発電所の増設に力を入れるようになり、炭素の排出権取引にも関心をもちだしたという。

 オーストラリアの旱魃は、世界経済にも間接的な影響を与えている。世界の小麦の価格は最近、10年ぶりの高値をつけ、トウモロコシの値段も上がり続けている。これは、6日の本欄で書いたように、世界のトウモロコシの7割を生産しているアメリカ国内で、バイオ燃料への転換需要が続いているからだ。ちょうどその時期に、オーストラリア産のトウモロコシの半分以上が旱魃の被害で失われることが予測されているのである。穀物価格の上昇は、途上国の貧しい人々にとって残酷な影響を与えるのはもちろんだが、先進国の経済にとっても物価上昇による実質所得の減少を引き起こしかねない。穀物はパンや米の形で消費されるだけでなく、家畜や養殖魚の生産にも大量に使われる。コーンフレーク、牛乳、チーズ、ハム、牛肉、豚肉、ひき肉、魚肉、アイスクリーム、ヨーグルトなど、家庭の冷蔵庫に納められた食品のほとんどは、間接的に穀物から作られているのだ。

 地球温暖化による経済的損失は、すでに無視できない段階に達しているのである。
 
谷口 雅宣

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2006年11月 6日

バイオエタノールに問題あり

 10月31日の本欄で、イギリス政府の地球温暖化に対する深刻な予測について書いたが、日本ではこの話はあまり話題にならず、とても残念だ。安倍新政権は、北朝鮮のことばかり気にしているようで、“国益”を超えた問題については対応の仕方が分からないようにも思える。バイオエタノールの利用には意欲を示したそうだが、どれだけ本気か不明である。11月2日の『産経新聞』によると、安倍首相は1日、松岡農水相に対してバイオエタノールの生産目標「を600万 kl」として、増産に必要な態勢の整備を指示したという。この量は、国内の年間ガソリン消費量の1割に相当するらしい。が、現在の生産量はわずか「30 kl」で、農水省の平成2007年度予算の概算要求には、2010年度の生産目標を「5万 kl以上」として計算した額(106億円)しか含まれていない。これを一挙に120倍に引き上げようとしているのだろうか?

 自動車業界では、しかしその準備はすでに整っているらしい。6日付の『日本経済新聞』は、トヨタ自動車がエタノール対応の小型トラックを2008年に北米で生産・販売することを伝えているが、この記事には「トヨタはすでに全ガソリンエンジンで、エタノールの混合比率が10%までの燃料を使える体制を整えた」と書いてある。つまり、トヨタの新車は日本で販売しているものも皆、すでに「E-10」対応だということだろう。だから、安倍首相の今回の指示は業界の対応を見てから行なわれたのであって、“政治指導型”とは言いがたい。まあ、それでも当面の温暖化対策としては歓迎したい。

 しかし、本欄で何回も書いているように、現在考えられているバイオエタノールは、トウモロコシやサトウキビなどの作物(人間の食用)を主原料とするのだから、中・長期的には食糧問題を深刻化させる危険性があることを忘れてはならない。つまり、「自動車と人間とが農地を奪い合う」という関係が生じるのである。
 
 このことは、レスター・ブラウン氏が主宰するアースポリシー研究所(Earth Policy Institute)が3日付で発表したニュースレターに、「現在の問題」として書かれている。それによると、今年の世界の穀物の収穫量は19億6700万トンと推定されるが、今後1年間に世界で消費される穀物の推定量は20億4000万トンであり、7300万トン(4%弱)不足するそうだ。また、過去7年間のうち6年間、世界の穀物生産量は消費量に比べて“赤字”だったため、世界の穀物在庫は減少しつづけており、現在は57日分しか残っていないという。この数字は、過去34年間で最低だそうだ。
 
 その中で、トウモロコシなどの穀物が急速に燃料へと転換されている。2000年以来、世界の穀物消費は平均して毎年3100万トンずつ増えており、このうち燃料として消費される穀物の量は毎年2400万トン近く増えている。自動車燃料用のエタノール生産に使われる穀物は、アメリカ1国だけで毎年平均700万トン近く増え続けている。その内訳を見ると、2001年には200万トンだったものが2006年は1400万トンと、最近の急増ぶりが目立つ。
 
 ブラウン氏によると、このアメリカ国内の“エタノール・ブーム”は、政府の政策転換の効果ではなくて、石油の高騰によってバイオエタノールの価格競争力がついたからだという。これにより現在、トウモロコシを燃料に転換する工場の新設・増設が続いている。『The World Ethanol and Biofuels reports』(世界エタノール、バイオ燃料レポート)によると、アメリカ国内では、昨年10月下旬から1年間で、54ものバイオエタノール製造所の建設が着工された。完成までには大体14カ月が見込まれるから、来年末までにはこれらのほとんどが操業を開始する。そうなると、アメリカのエタノール生産力は40億ガロンとなり、毎年3900万トンの穀物--そのほとんどがトウモロコシ--が燃料生産に回されることになる。

 ブラウン氏は、これらのデータや今後のエタノール製造所の新設を含めて考慮すると、世界の穀物在庫を減少させずに来年の穀物需要に応えるためには、世界全体で「1億3600万トン」の穀物の増産が必要であるとしている。ところが、世界の穀物生産量は2000年以降、毎年2000万トンぐらいしか増えていないのである。昨今のような異常気象が続く中で、急激な穀物の増産はほとんど考えられない。したがって来年以降、世界の穀物価格の高騰が予測されるのである。

 穀物価格の上昇は、途上国の貧しい人々の生活に直接影響する。先進国の我々の乗る車が彼らの食糧を奪う、という関係は決して好ましいものではない。温暖化対策にはそういう視点が欠かせないと思う。
 
谷口 雅宣

【参考文献】

詳しいデータは、ここにある。

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2006年10月28日

ラーメンとパン

 政府の地域振興策の一環として、地域名と商品やサービスの名前を組み合わせた商標の認定が初めて出された。「高崎だるま」「小田原かまぼこ」「京人形」「関さば」「長崎カステラ」など52件だが、これは申請された計374件のごく一部で今後、特許庁の審査に合格したものから発表されるらしい。今日(28日)付の『朝日新聞』が伝えている。考えてみれば、これまでそういう形の商標が認められなかったというのが不思議なくらいだ。関東産の「秋田こまち」や山梨産の「だだちゃ豆」が売られていたら、オリジナルの産地の人々には迷惑なことと思う。東南アジアで「HANDA」というブランド名を付けたバイクが走っているのにも似ている。「シャンパン」の名は、仏シャンパーニュ地方で生産されたものだけに許されるように、原産地表示をきちんとすることは「正直さ」と「品質」の証であるから、消費者の信頼を克ちえるのである。
 
 上記の記事によると、今回の登録認定が最も多かったのは京都の8件で、京人形のほかに「京あられ」「京おかき」「京仏壇」も認められたが、「京野菜」は認定リストにはなかった。2番目に認定が多かったのは和歌山県の7件で、「紀州うすい」「紀州備長炭」「紀州みなべの南高梅」「しもつみかん」「有田みかん」など。また、認定リストの中に「和歌山ラーメン」があったが、私には不思議に思えた。ラーメンと関係の深い地名としては札幌、旭川、喜多方、博多、熊本などが思いつくのだが、私は恥ずかしながら「和歌山ラーメン」を知らなかった。今日は生長の家講習会でちょうど和歌山市へ来たから、現地の人に和歌山ラーメンの特徴を訊いてみたが、「いつも当たり前に食べているから、改めて訊かれてもよく分からない」との答えだった。
 
 そこで和歌山駅前のホテルにチェックインしてから、インターネットで調べてみた。すると、和歌山では「ラーメン」よりは「中華そば」と呼ぶのが普通で、とんこつベースの醤油味のものが主流だという。「和歌山のラーメン」というサイトを運営する床井浩平氏によると、和歌山市内には中華そば屋の専門店が数多くあるが、中でも評価が高いのが和歌山駅近くにある「井出商店」で、ここから発した“井出系”の店は、スープにこってり感があるのに対し、車庫前から発した“車庫前系”の店のスープは、若干醤油が立っているという。そして、「主だった店の中華そばの具は、どこも醤油で煮込んだチャーシュー、メンマ、蒲鉾、それにネギあるいはモヤシ程度と非常にシンプルな構成」なのだという。
 
Breadcutting  夕方、和歌山市内は小雨だったので、駅周辺を少し歩いた。近鉄デパートの地下食品売場へ行ったとき、パン屋の前に人の行列ができていた。何ごとかと思っていたら、すぐにアナウンスがあって「パンが焼けた」と言う。そこへ長さ1.5メートルもある大型フランスパンを抱えた白服の販売員が現れ、行列の前でザックザックとパンを包丁で切っては売り始めた。その何とも豪快な切り方に感動して、私も妻もカメラを構えてシャッターを何回も押した。焼きたてのパンの匂いが辺りにたちこめ、売り手も買い手も幸せそうだった。翌日の予定がなければ、30センチほどもあるそのパンの一切れを、私たちはきっと買ってしまっていただろう。和歌山市は食通の多い、活気に溢れた町だとの印象をもったのである。

 同じデパートの5階で、俳優の榎木孝明氏の絵画展をやっていた。榎木氏は、知る人ぞ知る“マルチ人間”である。芝居やロケで海外や国内各地へ行くたびにスケッチをし、画集や画文集を数多く出し、美術館まである。その明るく、伸びやかなスケッチ画を旅先で堪能できたことは有難かった。

谷口 雅宣

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2006年10月19日

リンゴの季節

 休日を利用して、妻と2人で渋谷のデパートに買い物に行った。半袖のシャツの上に夏物のジャケットを着て行ったが、渋谷の駅前につく頃には、背中がわずかに汗ばんできた。しかし日陰は涼しく、オープン・カフェでくつろぐ人々は皆、満足そうな顔で談笑していた。そう思う私も、日陰に入らなくても十分秋の空気を満喫できる。今は一年で最も爽やかな季節なのだ。

 いろいろと細々とした買い物をしながら、果物店にリンゴが並ぶようになったことを思い出した私は、「タルト・タタンを買おう」と妻に提案した。この季節になると、菓子店などに出るフランス風の変種アップルパイのことだ。言い伝えによると、タタンという姉妹がアップルパイを作ろうとしていた時、普通は底の浅いパイ皮の上にリンゴの実を載せて焼くのだが、これを上下を逆さにして焼いてしまった。完全な失敗と思いきや、「えいっ」とひっくり返してみると、できた菓子は底の部分がじっくりと焦げて飴色となり、意外においしい出来ばえだったとか。
 
『西洋料理メニュー事典』によると、タルト・タタン(tarte Tatin)は、正式には tarte des demoiselles Tatin (タタン姉妹のタルト)という。作り方は--リンゴを切ってシナモンと砂糖をたっぷりまぶしたものを鍋に載せ、その上に砂糖、バター、リンゴと交互に積み重ね、最後に薄く延ばしたパイ生地を上からかぶせて、砂糖がカラメル化するまでじっくり焼く。焼き上がったらひっくり返して、パイ皮を下にして皿に載せる。

Tartetatan  東急本店の向い側にあるパン屋兼レストランで数年前、これを食べたことがある。ただし、1階のパン売場では買えず、2階のレストランだけで出していた。行ってみると案の定、持ち帰り用は売っていない。そこで、パン屋では朝食用のパンを買って、東急本店まで足を伸ばした。地階のパン売場にあるのを知っていたからだ。そこで2切れ買って帰ろうとしたが、すぐ後ろは果物売場だったから「リンゴも……」ということになった。妻は普通のリンゴを掴んだが、私はその隣にあるピンポン玉大の赤いリンゴの山を見て「ヒメリンゴがある!」と言った。驚いたのである。そして、売場の人に「これ食べられるんですか?」と訊いた。馬鹿な質問である。果物屋が食用でないものを売っているはずがない。売場の人は笑いながら「普通に食べられますよ」と答えた。妻は気をきかせて、それを買った。
 
 私の愚問には理由がある。昨年11月3日の本欄でヒメリンゴのことを書いた。そのとき参考にした百科事典には、「盆栽」「花木」の文字はあったが「食用」とは書いてなかった。明治神宮外苑の近くにある公団住宅の公園で見つけたヒメリンゴの実も、リンゴのような香りがしたので、採って皮をむいて口に入れてみたが、酸っぱくてだめだった。だから私はてっきり「ヒメリンゴは食べられない」と思っていたのだ。しかし、家に帰って別の本を調べてみると、ヒメリンゴはリンゴとズミの交配種で、果実が大きく食べられるものと、小粒で食べられないものの2種があると書いてあった。売っていたのが前者で、私が公園で見つけたのは後者か、あるいはズミだったかもしれない。

 帰宅後に、私たちがタルト・タタンとヒメリンゴを食べたことは、言うまでもない。

谷口 雅宣

【参考文献】
○見田盛夫編『西洋料理メニュー事典』(1988年、アートダイジェスト刊)
○那須浩編『家庭の園芸百科』(1990年、主婦と生活社刊)

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2006年10月 5日

モバイル箸

「モバイル箸」という呼称の箸を手に入れた。天然木に漆塗装をした国産の丸箸である。普通の箸とどこが違うかと言えば、真ん中から2つに分かれていて、ネジ式に回して1本につなげる点である。「モバイル」の呼称は、恐らく英語としては正しくない。なぜなら、この語は「動きやすい」とか「可動性の」という意味の「mobile」から転用したものだからだ。箸は動かして使うものだから、もともとモバイルである。モバイルでない箸で、どうやってタクアンや魚肉をつまむことができるだろうか? 「まぁまぁ、固いこと言わずに……」と言われそうだが、いわゆる“和製英語”にはもっとヒドイものもあるから、この程度のものは大目にみてあげるべきかもしれない。

 しかし、この箸の発想自体は大いに誉められるべきだ。妻と私が生長の家の講習会などで旅行する際、箸を持参するようになってから、半年ほどたつ。いわゆる「マイ箸」(これもスゴイ英語!)である。が、箸だけを裸で運ぶわけにいかないから、箸箱の中に入れて持ち運ぶ。これが案外かさばるのである。そこである日、講習会出発前の空き時間を利用して、東京駅の大丸デパートの食器売場を探したが、中年の女性店員に「それはインターネットでしか買えません」と言われた。言外に「そんな妙なものは……」というニュアンスを感じたので、少し心外だった。
 
 6月19日の本欄でも触れたように、東アジアの“割り箸文化”が森林破壊を助長しているから、中国では割り箸に課税し、その結果、中国産の割り箸を大量に輸入してきた日本では、割り箸の有料化が始まっている。そういう動きの中で、分解して携帯に便利な箸を考案した人は、環境意識の高い人に違いない。デパートがそういうものを扱うことで、イメージの向上に貢献すると私は思うのだが、まぁ、いろいろ事情があるのかもしれない。その後、私はインターネットで「マイ箸」をキーワードに検索すると、すぐに分解式箸を販売しているサイトが見つかった。土曜日に注文し、木曜日の今日商品が届いた。

Chopsticks  使い心地は、普通の箸とほとんど変わらない。違う点を強いて挙げれば、中心部に金属製のネジが通っているので、手元の部分が若干太く、また若干重い感じだ。が、スーツのポケットに2膳分が楽々と入る点は、ハンドバックに入らなかった従来型に比べ、大いに助かる。感謝して使わせてもらおうと思う。
 
谷口 雅宣

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2006年8月21日

GM植物は拡散するか?

 日本では遺伝子組み換え作物(GM作物)が不人気なことはご存じの通りだが、これを野外で栽培することを国とは別に自治体が規制する動きが広がっているらしい。8月19日の『朝日新聞』が1面と2面を使って詳しく伝えている。

 それによると、GM作物の野外栽培は、既成の作物との交雑や混入を防ぐことが主な目的として現在、10の都道府県が条例やガイドラインを設けている。野外栽培では、花粉の飛散や虫による伝播でGM種が在来種と交雑する可能性があるため、交雑が起こった場合、作物のブランド・イメージが打撃を受けるとの判断があるようだ。また、GM反対派の農家や消費者とのトラブルを恐れているという。規制の内容は、GM種と在来種の栽培地間の距離を定めたり、住民への説明会を義務づけたり、交雑が起きたときの対応を求めるもの。こういう規制もあって、国内でのGM作物の商業栽培はまだ行われていないという。
 
 GM作物は、アメリカ、中国、インドなどで大々的に栽培されているが、日本やヨーロッパではきわめて評判がよくない。私自身、『今こそ自然から学ぼう』(2002年、生長の家刊)などで懐疑論を展開しているし、本欄でも何回か(例えば8月1日4月13日)問題点を指摘してきた。問題の基盤には、「生物は人間が好きなように改変してよい」という人間至上主義の考え方がある。また、人間に都合のいい種だけを大量に栽培することによる生物多様性の破壊も、大きな問題だ。8月12日付のイギリスの科学誌『New Scientist』は、GM種の植物に関して示唆的な事実を伝えている。

 それは、悪名高い「ラウンドアップ」という除草剤への耐性をもった芝が、オレゴン州の片田舎で発見され、合衆国農務省(USDA)を慌てさせているという話だ。これは、アメリカ国内でGM種の植物の“野生化”が発見された最初の例で、しかも農務省が野外での栽培認可をする前にそれが起こったという点が、衝撃的だった。問題の芝はクリーピング・ベントグラス(creeping bentgrass)と呼ばれていて、学名は Agrostis stolonifera である。日本語の呼称はよく分からないが、辞書を引くと「コヌカグサ」「ヌカボ」などとあり、イネ科のコヌカグサ属かカヤツリ科の雑草という。想像するに、いわゆる「野芝」や「西洋芝」の一種だろう。この芝の遺伝子を組み換えて、グリフォサートという除草剤への耐性をもたせたのがGM芝だ。だから、これをゴルフコースに植えれば、あとはグリフォサートを散布することで、均一で、見た目の美しいゴルフ場の造成とメンテナンスが容易にできる--というのが開発側の意図である。「ラウンドアップ」とはグリフォサートを主成分とする除草剤の商品名だ。

 このほどアメリカの環境保護局が、このGM芝が栽培されている場所から半径4.8kmの植物を調べたところ、2万400種のうち9種が、GM種と同一の除草剤耐性をもっていた。そして、このGM種の伝播は、最長で3.8kmの地点でも確認されたという。伝播の方法は、花粉によって在来種と交雑したものと、種の拡散によるものとの双方が確認されたという。

 GM芝の“野生化”は、2つの点で問題を抱えている。それは、①多年草植物であることと、②農作物でないこと、だ。従来から栽培されていたGM作物のほとんどは、ダイズ、トウモロコシ、アブラナなどの1年草である。つまり、従来のGM種の多くは収獲が終れば枯れてしまうから、次世代を残しにくく、したがって野生化の可能性は小さい。これに対し多年草は、冬を越して翌年再び成長するから、交雑と種による伝播の可能性が大きい。さらに問題なのは、農作物は人間が手をかけねば自然界では生き残るのが難しいのに対し、芝は自然界に数多くの近種をもつほとんど“雑草”と言っていい植物である。だから、GM種のもっている除草剤耐性が近種間の交雑によって自然界に広がっていく可能性があるのである。
 
 それにしても、日本とアメリカのGM植物に対する態度は対照的である。日本では「食品」と「遺伝子組み換え」の2語をつなげることに拒否感を示す人が多いのに対し、アメリカではGM作物は普通に栽培されている。そのことに対して、アメリカ人のほとんどは拒否感を示さない。私は、それでいいのだと思う。「自然は人間のために改変すべきだ」と考えて西部開拓をした人々と、「人間は自然の一部だ」との価値観で生きてきた人々の双方があっていい。地球温暖化時代にどちらの生き方が有効であるかは(あるいは双方の知恵が合わさる必要があるのかは)、今世紀の人類の経験によって証明されるに違いない。

谷口 雅宣

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2006年7月29日

遺伝子組み換えアイスが登場

 梅雨明け宣言を待たずに、関東地方は一気に真夏の気温になった。冷たいものが美味しい季節である。ちょうど今日の『日本経済新聞』は、別冊の「NIKKEI プラス1」で日本の“ご当地アイス”の品評会をやっていた。“アイスクリームの専門家”という10人に、各地の特産品を材料に使ったアイスクリームの中から美味しいものを10位まで挙げてもらい、ランクを決めたそうだ。

 その結果は、①吟果膳 清水白桃(岡山県)、②夕張メロンアイス(北海道)、③だだちゃ豆アイス(山形県)、④本生わさびアイス(静岡県)、⑤黒豆アイス(兵庫県)、⑥サトウキビアイス(沖縄県)、⑦ドラキュラ・ザ・プレミアム(青森県)、⑧いもアイス(埼玉県)、⑨トマトアイス(熊本県)、⑩焼きなすアイス(高知県)、になったという。選にはもれたが、珍しいものでは牛タン(宮城県)、カニ(北海道)、ウナギ(静岡県)を原料に使ったアイスクリームもあり、合計するとご当地アイスは千種類を超えるというから驚きだ。

 これは日本人が特別アイスクリーム好きということか?……と思ったら、そういうことでもないようだ。7月27日付の『ヘラルド・トリビューン』紙は、先進国における昨今の健康志向とアイスクリーム好きを両立させるために、ついに遺伝子組み換え技術を使ったアイスクリームが登場した、と伝えている。「バターのように官能的でありながら、ブロッコリのように健康的」であろうとして探し当てたのが、北極海の魚がもつ特殊な蛋白質なのだそうだ。これを利用して、こってりとクリーミーで密度が濃いにもかかわらず、ローファットで、添加物も少ないアイスクリームができるらしい。

 今年の6月、ユニリーバ社(Unilever)は、氷菓類に新しい原料を入れる許可申請をイギリスの食品基準局(Food Standards Agency)に提出した。その原料とは、北極海に棲むウナギのような魚が産生する蛋白質である。この蛋白質は、凍てつく極地の水から魚を護るために、氷の結晶の成長を妨げる機能があるという。アイスクリーム中の水分が凍らずに、クリームのような食感が得られるわけだ。これを魚から直接取り出すのではなく、この蛋白質を作る遺伝子をイースト菌の中に組み込んで、発酵の過程でそれを産生させるようにしたという。この蛋白質-氷組織化蛋白質(ice-structuring protein)--は、アメリカの食品医薬品局(Food and Drug Administration)の認可もすでに下りていて、一部の製品に使われているという。

 果物や野菜、動物の肉をアイスクリーム中に錬りこむ方法と、魚由来の蛋白質を混ぜる方法では、背後にある考え方が少し違うような気がする。前者は、新奇の香りと味を楽しむためだろうが、後者はクリーミーさと脂肪分削減の両立が目的だ。脂肪分を摂り過ぎないためには、アイスクリームを食べ過ぎなければいいのだ。そういう当たり前の論理は、メーカーの利益にならない。メーカーとしては、どんどん食べてほしい。だから、“ローファット”とか“ヘルシー”などの種類を作り、「食べ過ぎても太らない」という印象を作り出して数を売ろうとする。何となく、“ライト”とか“マイルド”などの言葉をつけたタバコと似ているではないか。
 
 アイスクリームはすでに過剰生産なのだろう。それを、さらに売るための新手の方法だ。そういう点が、いかにも欲望満足を優先させる現代の価値観を表していると思う。そんな目的のために、遺伝子組み換え技術が使われていることも憶えておこう。
 
 谷口 雅宣

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2006年7月15日

肉食を考える (5)

「人間は他人(ひと)の身になって考えることができる」とよく言われる。また、それができない人のことを「ジコチュー」(自己中心的)など言って非難することがある。また、「隣人を愛せよ」とか「自分にしてほしくないことを他人にもするな」という教えは、キリスト教を含む多くの宗教にある。いずれの場合も、人間には「自己を相手に同一化して相手の感情を推し量る」能力があることが前提になっている。この能力を「感情移入」(empathy)といい、人間の人間たるべき特徴の1つだと考えられてきた。また我々は、この感情移入ができるために、演劇や映画を楽しんだり、スポーツを観戦したり、小説に熱中したり、講演や漫才に出かけるのだ。

 ワールドカップのサッカーの試合で、フランス・チームのキャプテンであるジダン選手が、対戦相手のイタリア選手に頭突きを食らわしたことが、世界中の耳目を集めた。これは観戦者が同選手に感情移入して、「ベテラン中のベテラン選手が有終の美を遂げるべき試合でわざと反則するのだから、よほどの侮辱を受けたに違いない」と考え、その理由に関心が集まったからだ。これに比較して、ブタやウシやヒツジやウマ……つまり、家畜のような動物は、同種の仲間に対して感情移入することはない、というのが常識だった。ところが最近、アメリカの科学誌『Science』(vol 312, 30 June 2006)に発表された研究では、ネズミが仲間に対して感情移入する可能性が指摘されている。

 この研究は、カナダのモントリオール市にあるマクギル大学の心理学者、ジェフリー・モーギル(Jeffrey Mogil)教授らによるもので、マウスは、よく知っている仲間のマウスが痛みを感じているとき、自分自身も痛みを感じやすくなる、との実験結果を得た。これを「感情移入」と呼べるかどうか判然としないが、仲間のマウスの様子を見て自分の反応を変えるという点は、何となくそんな気もする。
 
 この研究では、モーギル教授はマウスの腹に酢酸の薄い水溶液を注射した。単独で飼われていたマウスは、この注射後、予想通り身をよじって苦しむ反応を示した。しかし、最低1週間、別のマウスと一緒に飼われていたマウスは、同じ濃度の酢酸水溶液を2匹同時に注射されても、苦悩を示す時間が単独で飼われていたマウスよりも長くなったという。これに対し、一度も一緒にいたことがない2匹のマウスで同じ実験をすると、苦悩を示す時間が有意に長くなることはなかった。また、モーギル教授は、マウスが足に熱を感じて引っこめるまでの時間を測定する実験もした。この場合、仲間が目の前で酢酸水溶液を注入されて苦しむのを見ているマウスの方が、単独で熱を感じたマウスよりも速く足を引っ込めることが分かった。同教授によると、この実験が重要なのは、マウスは単に仲間の動作をマネているのではなく、自分は酢酸など注入されていないのに、仲間の苦しみを見ることで自分の痛覚が敏感になったと考えられるからだという。
 
 モーギル教授らは、これがマウスの感情移入の証拠だとしているが、反対意見もある。しかし、「感情の感染」(emotional contagion)が起こった証拠だと解釈する人は多い。この感情の感染とは、例えば、病院の新生児室で一人の新生児が泣き出すと、それにつられて多くの赤ちゃんが一緒に泣く現象だそうだ。この場合、一人ひとりの赤ちゃんは、最初の赤ちゃんがオムツが濡れたために泣いたと理解できなくても起こる。多くの研究者は、この感情の感染は、もっと複雑な感情移入が成立するための過程で起こると考えているらしい。だから、マウスは、親しい仲間の感情を自ら直感的に感じる、ということではないか。
 
 マウスは、同じ哺乳動物であるブタやウシより優れた脳をもつわけではない。マウスが感じることは、恐らくブタやウシも感じている。だから、屠殺場へ曳かれていくウシは直感的に脚を止めて抵抗し、恐怖で小便を漏らすのだろう。我々人間の多くは、この事実を見てはいない。しかし、感情移入というものがすぐれて人間的な心の特徴であるならば、我々は殺される家畜たちの恐怖や苦しみを「無視する」のではなく、感情移入によって「追体験する」ことが人間らしい生き方と言えるのではないか。だから、肉食は人間的にも問題なのだ。
 
谷口 雅宣

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2006年7月14日

肉食を考える (4)

 現代の食肉生産は工業製品の生産方式に倣っている、とはしばしば言われてきたことである。すなわち、単位面積当たりの生産効率と人件費の節減をねらい、生産単価を下げることで市場でのシェアー拡大をめざすのが当たり前になっている。ここに大きな問題がある。それは、「生き物を生き物として扱わない」からだ。どんな生物にも、生存に適する一定の“広さ”がある。それは“縄張り”などと呼ばれることもあり、一定範囲内に同種の生物がいくつも入り込むと“争い”の原因になる。植物でも、狭い土地に近接して植えれば、日光や栄養の取り合いになることは誰でも知っている。

 しかし、食肉生産の現場では、効率化をねらって狭い場所でできるだけ多くの動物を、できるだけ短期間で飼育する。ブロイラーの生産などでは、身動きができないほどの狭い籠にニワトリたちを閉じ込める。そして、互いに傷つけ合うことがないようにクチバシの先を切り取ることさえする。ブタの場合も似たような状況で、狭い“箱”のような枠内に詰め込むから、互いにシッポを噛み合う現象も出る。そして、短期間に大きく育てるために成長ホルモンを投与することは珍しくない。また、自然界と著しく異なる環境で育てられるストレスから、動物たちが病気になるのを防ぐために、抗生物質を与える。

 こういうことは私も前から聞いていたが、教修会の発表で初めて知ったのは、柔らかい子ウシの肉(ヴィール)を採るためにどんなことが行われるかである。寺川昌志講師の発表から引用しよう:
 
 「乳離れ前の子牛をやっと入る位の木枠の囲い(56㎝×1