2009年12月 3日

2つの出来事

 12月3日の新聞の第1面には、オバマ大統領によるアフガニスタンへの米軍増派発表のニュースと、日本画家、平山郁夫氏(79)の死亡記事が並んで掲載された。両者は互いに無関係の事象のようにも思えるが、私は「戦争と平和」というキーワードで結ばれていると感じる。大統領が発表した「米兵3万人の増派」は、混乱を極めるアフガンの治安を外国軍によって確保することにより、2011年7月に米軍が撤退を始めるまでに、同国で不足している治安維持機関の育成を急ぎ、権限委譲を達成するためのものだ。日本との関係では、政府は先月、同国の治安確保に5年間で50億ドル(約4500億円)規模の支援を主として民生面で行うことを発表しているから、それを軍事面から保障する役割を米軍が担うことになる。これに対して、平山画伯は、アフガニスタンを含む東西交流のルートである“シルクロード”の文物を好んで描いてきた人だ。世界の文化財保護に貢献し、同国のバーミアン遺跡の大仏2体がタリバーンによって破壊された際は、その修復に努力した。
 
 私が、アフガニスタンのことを知ったのは、平山画伯の絵によるところが大きい。もちろん、画伯を知る前からそういう名前の国があることは知っていたが、その地理的な詳しい位置と雄大な風景、東西交流に果たした役割、そこにある遺跡の様子、生活する人々の表情……などは、同画伯の絵から多くを学んだ。また、私の絵画そのものに対する強い関心も、画伯の絵によって引き出されたのである。
 
 3日付の『産経新聞』では、平山画伯のシルクロードの旅に同行したことがある記者が、画伯の人間性を示す話を紹介している。その一部を引用すると--
 
「旅の間、わずか2、3分の空白ができると、すぐに消えてしまう。心配して捜すと、何のことはない。現地の人をつかまえ、せっせとスケッチブックに筆を走らせているのである。
 それほど語学が得意なわけでもないのに不思議だったので聞いてみると、“何となく通じるものです”とあっけらかん。根っから砂漠のあるシルクロードが好きだった。
 現地では観光客用の立派なレストランより、地元の人が行く飾り気ない食堂を好んだ。食べたことのない料理を注文し、皿に取ったものはすべて平らげた。同行の若者が腹の具合が悪くなっても、いつも健康だった」
 
 こういう行動ができるのは、「人間」というものを心から信頼している人だけである。また、どんな国の文化に対しても、自国のそれと同等の尊敬をもっている人である。そういう人間である平山郁夫は、実は被爆者である。中学3年のとき、広島で勤労動員の作業中に被爆し、地獄のような惨状を体験した。「そのとき私は生かされたんだ、生かされた人生だからなんとかお返しをしなければ、と思ったのです」と、画伯は後に語っている。戦争での悲惨な体験は、普通は“人間不信”や“人間憎悪”に結びつきやすい。しかし、画伯の場合、それを見事に超越している。私は、画伯の心に確とした宗教心が--それも特定の宗教に縛られない宗教心があったような気がしてならない。
 
 その画伯が亡くなった時に、米軍のアフガン増派が発表された。オバマ氏は、自らをカトリック信者と宣言するが、「フセイン」というイスラームのミドルネームを持ち、子供のころはインドネシアで貧しい人々と生活をともにしている。父親はアフリカのケニア人。高校はハワイの名門を出て、コロンビア大学、ハーバード大学大学院で教育を受けた。アフガンでの戦争は、ブッシュ大統領時代からの“負の遺産”である。その背後には、もちろんあの「9・11」がある。つまり、イスラーム原理主義者のアメリカに対する憎悪と宗教的信念の爆発がこの戦争の引き金となり、9年目になっても収まる気配がない。国家や集団のレベルで一度燃え上がった憎悪は、宗教が絡んでいるほど、宗教自体による収拾が難しいことが分かるのである。

 今日、NHK衛星第一(BS-7)で放映されたイギリスのBBCニュースでは、報道記者が今、アフガンで勢力を盛り立てつつあるタリバーンの上級司令官と会見する様子が映し出された。この司令官は、頭から顔、そして胸のあたりまで白い布を巻きつけて覆い、体全体は茶色の毛布のようなもので包み隠して画面に登場した。目には黒い眼鏡をかけていたから、私はあの昔の日本のヒーロー“月光仮面”を思い出したほどだ。その司令官は、こんなことを言った--
 
Talibanchiefm 「今年は、我々にとって成功続きの年だった。アフガンに米軍が増派されるということは、より多くのアメリカ人が死ぬことだ。我々は、わずかな資源でさらに多くの負傷と死をもたらすことができる」

 記者が、タリバーンの攻撃によって米軍だけでなく、一般市民も数多く犠牲になっていることを指摘すると、司令官はこう言った--
 
「一般市民など殺してない。それをしているのはアメリカ人だ。この国の市民は我々を支持してくれている。彼らの支持がなければ、我々イスラーム運動は拡大しえなかった。私は、外国兵士たちの母親に言いたい。もし子供たちを愛しているならば、自分たちの国の中で国のために尽くさせろ。しかし、我々を侵略して罪のない市民を殺した。その証拠はいくつでも挙げられる」

 記者が、どうしたら戦争はやめられるかと訊くと、司令官はこう言った--
 
「カルザイ(アフガン大統領)は外国兵に出て行ってもらわねばならない。そうすれば、彼と話し合おう。外国兵が国内にいるうちは、話し合うことはできない」

 アメリカは「治安維持」の観点から戦争を考えているのに対し、タリバーンは「反侵略・外国軍排除」の立場である。両者の間には信頼関係がまったくない。重要なのは、アフガンの一般市民の大多数がどちらの立場を選ぶかだが、前者を選ぶためには、現在のカルザイ政権を信じる必要がある。が、その政権が大統領選挙で不正を行い、腐敗が蔓延しているというのだから、前途多難である。日本が民生面で何か協力できるとしたら、それは、カルザイ政権が国民の信頼に足りるようになるための支援ぐらいか。それには時間がかかるし、簡単ではない。金を出せばいいというものでは、もちろんないだろう。
 
 谷口 雅宣

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2009年12月 1日

小中高生の“問題行動”

 今日の新聞各紙は、文部科学省が各地の教育委員会を通じて毎年行っている「児童生徒の問題行動調査」の昨年度の結果を大きく取り扱っている。『朝日新聞』の見出しは「小中高生の暴力6万件、08年度3年間で7割増」で、『産経新聞』のそれは「暴走中学生」「暴力行為激増、小学生も最多」であり、これだけを見れば“大事件”のように感じる。

 リード文も、見出しに負けずにセンセーショナルだ。『朝日』は「児童生徒の暴力行為は5万9618件と、前年度比で13%増、7千件増えて過去最多を更新した」と書き、さらに「学校別では小学校で24%増、中学校で16%と著しい。報告件数はこの3年間で1.75倍になった」としている。『産経』のリード文は、「平成20年度は5万9618件で前年度より11.5%増え、小学校、中学校ともに過去最多だった」とし、続けて「特に中学生は初めて4万件を超えるなど増加が目立った」と書いている。

 これだけ読めば、両紙の読者はきっと「ああわかった。全国の小中学校で暴力事件が急増しているのだ」と思うだろう。ところが、記事の隅まで読んでみると、それほど明確な数字ではないことがわかる。『朝日』の解説記事によると、06年度の調査は、05年度とはやり方が違うというのである。それを同紙はこう書いているーー「いじめできめ細かな報告を求めたのにあわせ、文科省が暴力についても行為の軽重を問わず報告を求めたことが背景にある」。これで06年度の数値が前年比で一気に32%も増えた。だから、「3年間で7割増」とか「1.75倍」というのはゲタを履かせた表現なのだ。

 ところで、暴力行為の件数が1年間で「約6万件」というのは、とんでもない数のように聞こえないだろうか? 私も第一印象としては「ずいぶん多い」と感じた。しかし、今回の調査対象となったのが全小中高校「約3万9千校」であると知れば、1校当たり年間に「1.5件」の割合である。もちろん、学校で暴力行為などないに越したことはない。が、私が子供の頃を振り返ってみると、乱暴な生徒はいたし、ケンカもあった。暴力行為とはどこまでを言うかにもよるが、1校年間「1.5件」がとんでもない数字かどうかは、議論の余地があるように思う。 

 では、暴力ではなく、イジメの統計はどうなっているかというと、「8万4648件で、前回から約1万6千件、16%の減」(『朝日』)なのだ。これは、大きな改善と言えないだろうか? 『産経』はこれに加えて、「いじめ件数は減少する一方で、いじめを認知した学校数も同6.9ポイント減って40%」と書いている。つまり、全体の6割の学校ではイジメはなかったということだ。うれしい話ではないだろうか。

 ほかにも“明るいニュース”はある。それは、高校で暴力行為が減ったことだ。これは、前年度比で3%減であり、実数では356件減だ。また、自殺も減った。児童生徒の自殺は、前年度から23人減の136人だった。これは割合にすると14.5%だから「大幅の減少」と言っていいだろう。

 私はここで、「新聞はウソを伝えている」と言いたいのではない。また、「学校教育の現場に問題はない」と言っているのでもない。ただ、「改善している点は、そう伝え」「統計上に比較できない点があれば、そう伝える」のが正しいジャーナリズムの姿勢ではないか、と言いたいのだ。また、学校からは生徒の暴力やイジメをできるだけ減らすべきだ、ともちろん思う。さらに本当に言いたいのは、「よい点を認めて強調することで社会はよい方向へ進む」ということだが、これは恐らく日時計主義を理解する人にしか分からないだろうから、今のマスメディアにはあまり期待していない。

 谷口 雅宣

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2009年11月 9日

よろこびを表現しよう

 最近マスメディアから流れてくるニュースは、暗いものばかり。特に、凄惨な事件の詳細を繰り返して聞かせる報道姿勢には、「いいかげんにやめてくれ!」と言いたくなる。世の中にはそんなヒドイ人ばかりがいるのではない。何万分の一、何十万分の一の確率で起こることを毎日繰り返し、これでもか、これでもかと報道することで、世の中が良くなると考えるほど、浅はかで愚かなことはない。が、残念ながら、マスメディアはこの壮大な愚行の習慣から抜け出せないでいる。だから、「人生の光明面を見る」生長の家の日時計主義の生き方は、もっともっと多くの人に知られ、実践される必要があると思う。

 というわけで、生長の家ではインターネット上でも光のメッセージを発信しようとウェブ版「日時計日記」を運営してきた。それに加え、このほど喜びを表現するSNS(ソーシャルネットワーキング・サービス)「ポスティングジョイ( PostingJoy=喜びの投稿サイト)」が立ち上がった。SNSとは、共通の興味や関心事、趣味をもつ人たちが、ネット上で集まって意見交換や作品発表をする場だ。誰でも参加できるから、生長の家の会員もそうでない人も、共に集まって“人生の喜び”を共有できる。今のところメンバーは約150人だが、この数がどんどん増えていくことで、ネットを通じた光明化運動が拡大していくことになる。
 
 現在、このSNSに設けられたグループは13ある--①よろこび日記、②絵手紙・絵封筒、③ノーミート料理、④植樹・植林、⑤エコ生活、⑥俳句、⑦短歌、⑧写真、⑨イラスト、⑩書、⑪生花・ガーデニング、⑫動画、⑬PostingJoyを楽しく便利にしよう。私はさっそく、②のグループに入って絵封筒などの発表を始めた。本欄の読者も、それぞれの興味あるグループに参加して、この新しいサイトを盛り上げ、知人にも勧めて、ネット時代の新しい研鑽と、布教活動に参加していただければ有り難い。関心のあるグループがない場合でも、ジョイ(Joy=喜び)の投稿はできるので、『日時計日記』をつけるつもりで本サイトを利用することもできる。

 このサイトのもう1つの特徴は、来年4月号からスタートする生長の家の新しい普及誌と連動していることである。簡単に言えば、このサイトに投稿することで、新しい雑誌にも投稿できるのだ。もちろん雑誌のページ数には限りがあるから、すべての投稿が印刷物になるわけではない。が、ケータイからの投稿もできるから、雑誌と読者との距離は一気に短くなる。その新しい普及誌の“見本誌”も、今はこのサイトで読むことができる。編集部では、読者の感想やご意見を募集しているから、よりよい雑誌にするための助言等もいただけると有り難い。
 
 谷口 雅宣

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2009年9月24日

『産経新聞』は大丈夫か?

 私は若い頃、『産経新聞』のお世話になったことは本欄等に書いたと思う。だから、私は同紙に個人的な恨みなどなく、むしろ感謝している。が、最近の同紙の外交に関する報道姿勢には“疑問符”がつきまとってならない。特に、アメリカに民主党のオバマ政権が誕生し、日本でも民主党への政権交代が起ったころから、思いあまって感情に流されるのか、報道記事が評論記事のようである。事実をそのまま伝えればいいものを、エモーショナルな見出しを付けて、読者が記事を読む前から論評してしまうのである。これは、ジャーナリズムとして邪道であり、まるで新聞が“売らんかな”の週刊誌化しつつあるようで、嘆かわしい現象だ。

 先の総選挙で、『産経』が自民党政権の維持を訴えたことを私はそれほど問題にしていない。同紙はもともと「産業経済新聞」であり、産業界と経済界とのつながりが太く、それらの業界の意見を無視しえない立場にあることは理解できる。が、同時に、新聞は“公器”として国民の考えを重視しなければならない。そして、今回の総選挙での国民の選択は明瞭だった。自公政権に対して「ノー」と言ったのである。それは、必ずしも「民主党にイエス」ではない。が、まだ試運転を始めた真新しい政権に対して、初めから疑いの眼差しをもって報道する姿勢には、一流の報道機関にふさわしくない“やっかみ”が感じられ、好感がもてない。特に、外交政策の分野でそれをやることは、『産経』がこれまで重視してきたと主張する“国益”にも反することになる、と私は思う。
 
 もっと具体的に言おう。最も近い例では、今日(24日)の第1面で鳩山首相とオバマ米大統領の初めての会談を伝える記事に、「気まずい“信頼構築”」という見出しをつけた。いったい何が「気まずい」のかと思って記事の中身を読んでみたが、日米首脳の間に「気まずい」空気が流れたなどということはどこにも書いていない。それどころか、首相は会談後に「全体として温かい雰囲気があった。大統領と私との間に何らかの信頼関係のきずなができたのではないか」と評価している。では、大統領の方から何か不満が表明されたのかというと、そういう言葉はなく、『産経』は第3面でオバマ氏の「同盟関係が20世紀後半において強かったように、21世紀もさらに強くなるチャンスだと確信している」という言葉を引用し、「新政権との協力に期待感を表明した」と自ら書いているのである。もちろん、それらを100%額面通りに受け取る必要はないが、「気まずい」ことが事実として起こったのでなければ、そんな表現を使うべきではない。

『産経』は結局、ここで記者の「憶測」を見出しに取っているのである。何を憶測しているかといえば、「民主党が在日米軍再編の見直しなどを公約にしたことで米側の不信が蓄積されている」(第1面記事)ことであり、日本側は今回、「信頼構築」を最優先に掲げていて「緊迫した場面こそなかった」(同)が、「それは懸案を事実上先送りさせたためで、“忍耐”のオバマ政権がいつ態度を硬化させるかはわからない」(同)ということである。つまり、『産経』が言いたいのは、こういうことだろう--日米新首脳の初顔合わせは大過なくスムーズに行われたが、それはオバマ大統領が民主党政権に不信感をもっていても忍耐の人であり、本当に言いたいことをガマンして言わなかったからだ。だから、2人にとっては気まずい初顔合わせであったに違いない。私は、こういうことを『産経』が言ってはいけないとは思わない。しかし、言うのであれば、事実報道を装って記事の本文に紛れ込ませて言うのではなく、堂々と「主張」などの論説欄で言うべきである。また、あくまでも事実報道として言いたいのであれば、「米側の不信が蓄積されている」ことや、オバマ氏が特別に「忍耐の人」であること、または「言いたいことをガマンしている」ことなどの証拠をきちんと記事中に示すべきである。それをやらずに断定的に書くことは、読者の知性を侮った“世論操作”に近いと思う。
 
『産経』は同じ日の第3面でも、第1面と同様のことをしている。それは「“現実統治”迫る米」という見出しの記事である。この記事は、今回の日米首脳会談の解説記事であるが、見出しだけを見ると、今回の首脳会談でオバマ大統領が鳩山首相に対して「もっと現実的な統治をしろ」と迫ったような印象を与える。が、そんな事実は一切ない。「現実的な統治」を迫っているのは、オバマ氏でもなく、国務長官のクリントン氏でもなく、その部下である国務省の日本担当者でもなく、何とこの記事を書いた『産経』の記者なのだ。アメリカ側はそんな注文を一切していないにもかかわらず、『産経』の記者はアメリカに成りかわって、鳩山首相に「現実統治」を迫っているのだ。ということは、この記者は不思議なほどアメリカ大統領に近く、アメリカの外交政策に通暁しており、オバマ氏の心中も知悉していることになる。ところが、記事の最後尾に書いてある次の文章を読めば、そうでないことがわかるのだ--

「今回や11月の訪日の際の首脳会談を通じ、大統領が鳩山首相に“現実の政治”を迫り説得できるかどうか、手腕が問われている」

 なんのことはない。この記者は鳩山首相の政治は非現実的だから、それを修正するためには、アメリカの大統領が「現実政治をしろ」と日本の首相に迫ることが必要であり、それができれば大統領の手腕を認めるというのだ。一介の日本人記者が、アメリカ大統領の手腕をそんなことで判断するのは失礼だし、第一それをやりたいのなら、他国の大統領の手など借りずに、自分が新聞記者として言論によって自らの紙面を使ってやるべきだ。また、それができないのなら、「できない」という現実の中に自分の力不足の原因を認めるべきである。

 最近の『産経』の見出しの取り方は、このように主観的である。これはほんの一例であり、鳩山首相が日本の温室効果ガス削減の中期目標を国連で発表したときも、同じような手法を使って「一般記事の見出しによる意見表明」を行った。それは23日付の同紙の第1面に載った「高過ぎる公約の呪縛」という見出しだ。「高過ぎる」はすでに意見表明だが、「呪縛」は感情の露出でなくて何であろう? 繰り返しになるが、私はこれは新聞の邪道だと考える。意見表明は論説欄で堂々とやればいい。「それをしたがまだ足りないから、一般記事の見出しで警鐘を鳴らすのだ」では、スポーツ新聞とどこが違うのか。また、戦前・戦中の新聞とも似ている。『産経』が今後もそういう方向へ流れていくのであれば、より客観的な情報を求める多くの読者を失うことになるだろう。
 
 谷口 雅宣

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2009年9月 4日

アメリカは意外と冷静

 前回も触れたように、次期首相の鳩山由紀夫氏の署名入り“寄稿文”が注目されているが、これに対する冷静な見方もアメリカにはある。4日付の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』(IHT)は、鳩山-オバマ電話会談を取り上げ、鳩山氏が「我々は日米同盟が日本の外交政策の基盤(foundation)であることを再確認した」と述べたと伝えた。この記事には、縦15cm、横22.5cmの大きな写真がついていて、そこでは鳩山氏がアメリカのジョン・ルース駐日大使と立った姿勢で語り合っている。2人の間にはアメフト選手が被るヘルメットがあって、その説明には「2人が持つのは両者がともに学んだスタンフォード大学のフットボール用のもの」とある。この会談は鳩山-オバマ電話会談の数時間後に行われたらしく、ここでも鳩山氏は「日米同盟は日本の外交政策の基本(basis)」だと伝えたという。

 また、アメリカの時事週刊誌『Newsweek』は、ウェブサイト限定の記事を2日付で掲載し、それに「恐怖は無用。日米摩擦の可能性は興奮しすぎ」という題をつけて問題の沈静化を図っている。この記事では、「鳩山氏は過激派などでは全くない」とし、騒動のもととなった論文は「もっと長い日本語の論文から大意を無視して引用したもの」だと述べ、論文の目的は「グローバリゼーションの闇部に目を向けさせるためで、その全体を否定することではない」ときちんと解説している。そして、日本語の原文には「今日我々は経済のグローバル化を避けることはできない」と書いてある、と付け加えている。
 
 さらにこの記事は、鳩山氏は決して「反米」ではないとし、同氏が若い頃、学者を目指しながら政治に魅力を感じたのは、スタンフォード大学の学生だった1976年の独立記念日(つまり、独立200年祭)に、アメリカの愛国心の高揚に触れてからだと説明している。また、鳩山氏は1998年に、ある会合で自分は「アメリカの大ファンだ」と言ったとも書いている。そして最近でも、同氏はオバマ氏に早期から注目し、自分の今回の選挙でもオバマ流の「チェンジ!」を強調し、選挙で大勝直後には、オバマ大統領に従って地球規模の「対話と協力」を進めたいと述べた、などと随分詳しく解説している。
 
 また、鳩山氏が「反米」ではなくても、「より対等な」対米関係を目指している点についても、同誌は表現が抽象的で不明確であることから誤解が生じているとする。私もこの件は、『Voice』9月号の鳩山論文をきちんと読めば、同氏のスタンスは明確だと思う。そこには、こう書いてある--
 
「もちろん、日米安保体制は、今後も日本外交の基軸でありつづけるし、それは紛れもなく重要な日本外交の柱である。同時にわれわれは、アジアに位置する国家としてのアイデンティティを忘れてはならないだろう。経済成長の活力に溢れ、ますます緊密に結びつきつつある東アジア地域を、わが国が生きていく基本的な生活空間と捉えて、この地域に安定した経済協力と安全保障の枠組みを創る努力を続けなくてはならない」(p.139)

 『Newsweek』の記事では、これに関して民主党政権の外相候補とされている岡田克也氏の言葉を引用し、この「対等」の意味を次のように解説する--

「通商・経済面での交渉では、日米間では長らく対等の関係が続いていて、双方が率直な意見表明を行ってきた。しかし、安全保障の面では、そうでない」。だから、民主党は日米同盟を重視する点は変わらないが、それと同時に、日本がアメリカの“膝の上の犬”(lapdog)であり続けることを欲しないのだ。

 この“膝の上の犬”が何を意味するかというと、それはイラク戦争の盲目的追認であり、米海兵隊8千人のグァムへの移転に、日本の納税者が60億ドル(5,700億円)を支払う合意などを指す、としている。そして、選挙公約は結局、国内向けだから、北朝鮮の核外交や中国の軍備増強などの厳しい国際関係の現実に直面すれば、民主党政権も“理想”を“現実”に合わせる方針転換を余儀なくされるだろう、と記事を締めくくっている。私も、そうなると思うのだ。
 
 谷口 雅宣

 

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2009年9月 3日

鳩山論文の不思議 (2)

 本欄の読者からの貴重な情報で、表題の問題の“不思議”がかなり解消した。鳩山由紀夫氏はご自分のウェブサイトをもっていて、そこに、『Voice』誌に載った日本語論文と、その英訳文(韓国語訳もある)が掲載されているからだ。この後者の英文と、問題になった『ニューヨークタイムズ』紙への“寄稿文”(ご本人は寄稿を否定)は、長さも内容も違う。私が推測するところ、恐らく作者も違うだろう。鳩山氏のサイトにある英文は、日本語原文を省略せずに英語に翻訳してあるが、問題の“寄稿文”は短縮したものの翻訳である。だから、この英文“寄稿文”に対して鳩山氏が「寄稿した事実はない。中身が一部ゆがめられている」と言ったのであろう。さらに注目されるのは、鳩山氏のサイト上の論文には和文にも英訳文にも「8月10日」という日付が入っている点だ。この日付はサイトへの「発表日」だと考えられるから、問題の“寄稿文”が『ニューヨークタイムズ』(電子版)に載る(日付は8月27日、IHTも同じ)までには2週間以上のへだたりがある。この間、鳩山氏のサイトの英文を切り貼りして短縮したダイジェスト版をつくることは、英語を解する人なら誰でもできる。
 
 今日(3日)の『朝日新聞』は、鳩山氏のこの英文が“寄稿”として掲載されるまでの事情を伝えていて、それを読むと今回の“不思議”の原因が、さらに理解される。その記事から抜粋しよう--
 
 鳩山氏の論文はもともと月刊誌「Voice」9月号へ寄稿、「私の政治哲学」の題で掲載された。
 鳩山事務所によると、それを英訳して鳩山氏個人のホームページに載せていたところ、米ロサンゼルス・タイムズ紙から問い合わせを受け、要約掲載を了承したという。ニューヨークタイムズ紙電子版は、ロサンゼルス・タイムズ紙の親会社系列のトリビューン・メディアサービスから配信を受けたが、鳩山氏を「寄稿者」として掲載した。
 鳩山氏は掲載から4日後の8月31日、記者団に対し「(日本の)雑誌に載ったものをその新聞社が抜粋して載せた。一部だけとらえて書かれている」と強調。内容についても「グローバリゼーションの負の部分だけを言うつもりはなかった。決して反米的な考え方を示したものではない」と、真意が伝えられていないと説明する。
 
 つまり、アメリカのメディアのスタッフが鳩山氏の英訳論文を編集して作った“ダイジェスト版”が、鳩山氏側の内容チェックを受けずに発表されたため、鳩山氏からは「中身の一部がゆがめられている」と判断されるような“寄稿文”となったということだ。まあ、こういう行き違いは、あの忙しい選挙の最中には充分ありえるだろう、と私は思う。となると、この事情は米国務省や、ホワイトハウスのアジア担当者にも伝わっているだろうから、オバマ氏には、問題の“寄稿文”ではなく、鳩山氏のサイトに載っている正式の英訳文が渡っているはずだ。が、この論文にもオバマ政権上層部の気になるような表現は、いくつも出てくる。だから、私は9月1日の本欄で、もし誤解があるようならば、「傷口をひろげぬよう、手を打つべきである」と書いたのだった。
 
 ところが、この“関係修復”の努力は、鳩山氏の側から行われたのではなく、意外にもオバマ大統領側から行われたようである。今日の新聞各紙は、3日の未明に、鳩山氏と大統領との電話会談が行われたことを報じている。その会談は、アメリカ側から申し入れられた、と『朝日』は書く。それによると、会談の長さは12分間で、先の総選挙で鳩山氏率いる民主党の勝利を大統領が「おめでとう」と祝ったのに対し、鳩山氏は「勝利は大統領の(当選)のお陰だ。チェンジには勇気がいるが、日本国民に(政権交代の)勇気を与えたのは米国民であり大統領だ」と答えたそうだ。また、鳩山氏は「日米同盟が基軸だ。建設的な未来志向の日米関係を発展させよう」と呼びかけ、「大統領は気候変動、核廃絶・不拡散にリーダーシップを発揮されている。私たちも同じ気持ちの政党だ」などと表明。そして、大統領に「できるだけ早くお目にかかりたい」と早期の日米首脳会談を希望したという。私はこのことを知って、今回の鳩山論文の問題は、前に触れた“宮沢発言”のときより相当早く、日米双方から修復への動きが出ていると感じる。このことは、鳩山氏がまだ正式には日本の首相ではなく、外務省を使えない立場にあることを考えれば、「なかなか悪くない」と思うのである。

 が、こうなってくると、1日の本欄で触れた『産経』の岡本行夫氏の記事が浮き上がってくる。外交評論家として活躍する岡本氏は、次期首相の鳩山氏が自分のウェブサイトに『Voice』誌9月号の論文を日英両語で掲載していることを、知らなかったのだろうか? 私は知らなかった。だから、岡本氏も知らなかったという可能性はある。が、私は外交の専門家ではないが、岡本氏は専門家で、特に外務省の元北米一課長として日米関係のことは知悉している。総選挙で民主党が大勝すれば、“鳩山首相”が日米関係の一翼を担うことになるから、鳩山氏の言動を選挙前から注目していて当然である。だから、『Voice』誌の鳩山論文も読み、そのちゃんとした英訳文もあることを知っていても当然である。にもかかわらず、『産経』に載った岡本氏の論文には、「ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)が掲載した鳩山さんの論文」のことしか書いてないのである。この“鳩山論文”がオリジナルの日本語論文の抄訳であることも書いてないし、日本語の原文があることも書いてない。そして、英語による抄訳文をわざわざ日本語に翻訳して、それに対して批判しているのである。これはフェアーでない、と私は思う。日本の政治家が日本語で書いた論文を日本人の評論家が批判するなら、英語に訳されたものを元にして批判するのではなく、日本語の原文を引用して批判すべきである。
 
 『産経』も『産経』である。1日付の紙面で、上記の岡本氏の論文を掲載した第2面のすぐ下に、「鳩山論文の要旨」という題の記事を掲げ、「ニューヨーク・タイムズ(電子版)に掲載された鳩山論文の要旨は次の通り」と書いている。つまり、鳩山氏が預かり知らない英語による抄訳の要約を、さも鳩山氏自身の論旨であるかのように書いている。私は、岡本氏が個人として鳩山氏のウェブサイトの中身を知らなかったということはあると思うが、政治部記者を大勢抱えた『産経新聞』が組織として、次期首相と目されている民主党の党首がウェブサイトをもっていることを知らなかったという可能性はないと考える。また、そこに、問題とする論文の忠実な英訳があることを知らなかったとも考えにくい。では、正式な英訳文もあり、日本語原文もある次期首相の重要な論文の別の抄訳を、自紙で論評しようという外交評論家に対して、「実は、もっと正式な翻訳文があって、そこにはこう書かれています」とアドバイスをしなかったのだろうか? もししなかったのなら、その理由は何か? 今回の鳩山論文に感じる私の“不思議”は、こうして別の方向に向かっていくのである。

 谷口 雅宣

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2009年9月 1日

鳩山論文の不思議

 民主党の鳩山由紀夫代表がアメリカの『ニューヨークタイムズ』紙に“寄稿”したという論文が、物議を醸している。私はこの論文を、同紙の世界版である『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙(IHT)の8月27日付の紙面で読んだが、「投票日前のこの時期によくぞ出した」と感じた。次の政権を担う責任者としての自覚があると感じたのだが、内容は結構シビアなので驚いた。新聞の発行地であるアメリカ向けのメッセージではないからである。ハッキリ言って“内向き”である。ところが、9月1日の『産経新聞』によると、鳩山氏は「寄稿した事実はない。中身が一部ゆがめられている。論文の全体をみれば反米的な考えを示したものではないと分かる」と記者団に語ったそうだ。しかし、寄稿しないものが掲載されるというのは、明らかな著作権法違反であり、そんなことがアメリカの一流新聞で行われるとは考えにくい。奇妙な話だ。
 
 この論文は「A new path for Japan」(日本の新たな道)と題され、前回の本欄で触れた『Voice』誌(PHP研究所発行)の本年9月号の同氏の論文「私の政治哲学--祖父・一郎に学んだ“友愛”という戦いの旗印」のダイジェスト版として掲載された。元の日本語の論文は10ページにわたるものだが、英文のダイジェスト版はその三分の一ぐらいの長さだ。だから当然、原文の省略が行われており、しかも英語への翻訳だから、単純な「転載」などではない。
 
『産経』の記事は、このいきさつについて、「PHP研究所とIHTの間ではやり取りがあったようだが、IHTとニューヨーク・タイムズでどうなっているのかは知らない。IHTなどが論文を転載する際、事務所に事前許可を求めることはなかった」という鳩山氏の秘書の話を掲載している。しかし、上に書いたように、これは転載ではなく、「編集」と「英語への翻訳」という2つの段階を経た別の著作物である。その内容は当然、原著作者の鳩山氏が目を通すべきであると私は思うが、『産経』の説明では、鳩山氏は知らなかったらしい。となると、当初の私の印象は間違っていたことになる。つまり、鳩山氏は、投票日前に自らの外交姿勢を同盟国であるアメリカの知識層に伝えようと考えてこれを書いたのではなく、何かの手違いで、「内向きの話が、一部を翻訳されて外へ出た」ということか。

 こういう話を聞くと、私は宮沢喜一氏がかつて首相だった時、マネーゲームで利益を上げるアメリカの一部の人々を槍玉に上げて「アメリカの労働倫理は歪んでいる」などと発言したことをメディアがとらえ、外交問題にまで発展したことを思い出す。確かこれも、内向きの会合での発言だったと思う。とにかく、日本語は修飾語を省略して書かれたり発言されることが多いから、それを英語に直訳すると、とんでもない誤解を招くことがある。そのことを鳩山氏のような経歴をもつ人の周辺が知らなかったとは思えないが、なぜかノーチェックで英語の編集翻訳が出てしまったようだ。あるいは、チェックを担当する人が“外交音痴”だったのかもしれない。新政府の出だしでの失敗は、残念なことである。しかし、出てしまったものは仕方がないから、それが本意でないならば、本人が早期にハッキリと否定し、再び外交問題にならないように対処すべきである。宮沢発言の場合も、その対応が遅れたことで尾を引く結果となったからだ。

 ところで、上記の『産経』では、外交評論家の岡本行夫氏が問題の英文ダイジェスト版を取り上げ、一部を日本語に翻訳している。岡本氏が問題視している所は、次のように訳されている--

①「日本は冷戦後、グローバリゼーションと呼ばれるアメリカ主導の市場原理主義に翻弄され続け……人間の尊厳は失われた」
②「グローバル経済は日本の伝統的経済活動を損傷し、地域社会を破壊した」

 ところが、この2つの文章に該当するような箇所は、『Voice』誌の日本語の原文にはない。あえて近い意味の所を引用すれば--
 
①「冷戦後の今日までの日本社会の変貌を顧みると、グローバルエコノミーが国民経済を破壊し、市場至上主義が社会を破壊してきた過程といっても過言でないだろう」
②「各国の経済秩序(国民経済)は年月をかけて出来上がってきたもので、その国の伝統、慣習、国民生活の実態を反映したものだ。したがって世界各国の国民経済は、歴史、伝統、慣習、経済規模や発展段階など、あまりにも多様なものなのである。グローバリズムは、そうした経済外的諸価値や環境問題や資源制約などをいっさい無視して進行した。小国のなかには、国民経済が大きな打撃を被り、伝統的な産業が壊滅した国さえあった」。

 これらを比較すると、私は原論文の編集の過程で誇張が行われ、それが英文に翻訳されることで際立っていった可能性を指摘したい。が、最大の問題は、やはり鳩山氏本人が問題の英文抄訳を「知らない」という点だろう。もしこれが本当であれば、鳩山氏は早急に外交ブレーンの人選を考え直すべきかもしれない。急がなければ、影響はひろがっていく。今日の『日経』の夕刊によると、ベネズエラのチャベス大統領は、「鳩山氏は米国主導の市場原理主義から距離を置き、人間の尊厳回復を政策に掲げている」として、日本の対米政策の変化を注視する構えを示したという。同大統領は「反米」で有名であり、その人から認められるということは、アメリカからは疑われることを意味する。その証拠に、31日のホワイトハウスの記者会見では、アメリカ人記者がギブス報道官に対して、鳩山政権が「中国やロシアと、より近い関係を望んでいるのではないか?」と質問している。(『朝日』夕刊)

 傷口が広がらぬよう、早く手を打ってほしいものだ。
 
 谷口 雅宣

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2009年7月11日

外交機密の報道姿勢

 6月30日7月3日の本欄に、戦後日本の外交政策の“柱”の1つとされてきた「非核3原則」なるものが、実は「2原則」だったという元外務事務次官の証言について書いた。私の論旨は「施行から30年もたったのだから、いいかげんに本当のことを言おう」というものである。『産経新聞』は、2日の「産経抄」で「外交にウソはつきもので、正直すぎては国が滅びる」という粗雑な議論を展開し、本件を無視しようとしたかに見えた。が、このところ反省もあったのか、“後追い取材”をしてくれている。
 
『産経』は10日付の紙面で、9日に都内で開かれた討論会での自民党の山崎拓氏(外交調査会会長)の発言を、記事にした。同氏は、核搭載の米艦船の日本への寄港について「北朝鮮の核開発を阻止し、朝鮮半島の非核化を実現する上で、米国の核抑止力として、そのような行動は容認されてしかるべきだ」と述べたそうだ。これは、「非核3原則」のうち「持ち込ませず」という(有名無実の)看板をもう降ろそうという意見である。まあ、山崎氏の持論なのだろうが、自民党の外交調査会長としては、むしろ「前からある核持ち込みの密約は、もう大っぴらにされてしかるべきだ」ぐらいの発言をしてほしかった。

 同紙はさらに11日の紙面で、自民党の河野太郎氏(衆院外務委員長)が問題発言をした元外務事務次官(村田良平氏)から聞き取り調査を行ったことを報じている。それによると、河野氏は「村田氏の証言から密約はあったと判断した」という。そして、「外務委員会では今後“密約はない”との答弁の繰り返しは認めない」と、政府の答弁の撤回を求める意向を示したらしい。村田氏の証言の内容は、河野氏が週明けにも詳しく発表するようだが、記事によると、それは『産経』以外の各紙がすでに報道したものと変わらないようだ。この記事を書いたことで、『産経』は本件について事実上、各紙と同一レベルに並んだことになる。『朝日』の“後追い”をするのは、さぞ口惜しかったろう。
 
 一方、本件で先を走る『朝日』は、10日の紙面でさらに衝撃的なことを報じた。それは、問題の核持ち込みの“密約”と関連した文書を、外務省幹部が2001年の情報公開法施行前に廃棄するように指示していた、というのである。この記事の取材源は「複数の元政府高官」と「元外務省幹部」であり、それぞれが匿名を条件に証言したという。ただ、この情報の確度は100%とは言えず、証言のしかたも「……と聞いている」という伝聞の形式であったり、「破棄された可能性が高い」とか「極秘に保管されている可能性は残っていると思う」という表現で証言されている。
 
 さらに『朝日』は11日の社会面と社説でもこの件を取り上げ、これらの外務省幹部の行為は、日本の外交史の検証を不可能にする背信的行為であり、民主主義の基本を無視していると批判している。社説から正確に引用すると--

「国益がからむ外国政府との交渉で密約が必要だったとしても、それは後年、国民に公開し、妥当性について説明するのが政府の責任であるはずだ」
「主権者である国民に対して、政府が重大な事実を隠し、その証拠も処分してしまう。これではとても民主主義とは言えないではないか」

Nonukes  私は、この2点について全く同感である。これらの点で『産経』が政府や外務省に対して何の発言もしないことは、『朝日』に抜かれた口惜しさを考慮しても、ジャーナリズムとしては奇異な態度だと私は思う。
 
 今日は、生長の家の講習会のために鳥取県米子市に来ているが、夕方、宿舎のホテルの近くにある米子市役所付近を散歩した。土曜日だから役所は閉まっており、人影はほとんどなかった。と、静まり返ったその正面広場に高々と立っている看板が目についた。「非核平和宣言都市 米子市」と縦に大きく書いてある。これと似た宣言をしている都市や県が日本にはもっとあるが、今回の“非核2原則の密約”のことを思うと、民主主義は「宣言だけでは守れない」ことを強く感じるのである。
 
 谷口 雅宣

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2009年7月 3日

7月2日の「産経抄」

 6月30日の本欄で、自民党政府の長年の重要政策とされてきた「非核3原則」なるものが、実は「2原則」に過ぎなかったとの新聞各紙の報道を取り上げ、「ウソをつくのはもうやめよう」と書いたが、2日の『産経新聞』は、国家の機密保護のためにはウソもやむを得ないし、「正義は国を滅ぼす」と「産経抄」で述べている。まさか本欄に向かっての発言ではないだろうが、ジャーナリズムに籍を置いたものとしては看過できないので、ひと言述べさせていただく。
 
 外交に機密事項があるのは当り前、と私は書いた。しかし、そのことと、政府が「機密事項はない」と国民に向かってウソをつき続けることとは、まったく性質が違う。今回の問題は、元外務次官が「核持ち込みの密約があった」と認めたこと自体がニュースなのではなく、(これは私の考えだが)現在の内閣官房長官が「密約はないというのが歴代の政府の立場なので、ないというほか仕方がない」などと、バカなウソをつき続けていることなのだ。しかし、「産経抄」はこう書くのだーー
 
▼密約の存在を否定する政府を、「嘘つき」と非難するのはたやすい。しかし、国家の安全保障に関するやむを得ない機密は、どこの国にも存在する。それを一切認めないという姿勢は、山本(夏彦)の代表的な名言につながる。「正義は国を滅ぼす」▼

 何か支離滅裂な論理のように、私には感じられる。自民党政府は、1967年12月に「非核3原則」を方針として発表し、それを“堅持”するのが日本の外交政策だ、と今日まで言い続けているのだ。冷戦時代においては、日本は国家防衛の基本戦略として「アメリカの核の傘に依存する」との方針を掲げ、国民の大半もそれを支持していた。が、冷戦後の現在は、ソ連の後継国であるロシアや、中国の持つ核兵器よりも、北朝鮮やその他のテロ集団がもつ核兵器の方が日本の安全にとってより大きな脅威なのである。そういう大きな時代の変化、国際情勢の変化の中で、大方の専門家がウソだと分かっている「非核3原則」なるものを堅持し続けることは政治家として「愚か」であると同時に、国民に対して「不誠実」であり、「国益」にも反する、と私は思う。
 
 また、上に「産経抄」から引用したような言葉は、政府の高官の発言ならいい。なぜなら、この文は事実上、「核の持ち込みがあるかどうかは機密事項である」と言っているのだから、「機密事項はある」ことを認めているのだ。しかし、官房長官は今回も「機密(密約)はない」と発言し、ウソを重ねた。この場合、「機密がある」というのが真実であり、「機密はない」というのはウソである。これらのことを全く問題にしないで「取るに足らない出来事」と評価するのは、ジャーナリズムとしての役割を忘却した態度ではないだろうか。歴代の政府が採用してきた外交方針を、単に「外交には機密がある」という理由だけで擁護し続けることがジャーナリズムの使命ではあるまい。

 外交や国際政治には、国民の目から一時的に隠さなければならないことはある。が、30年もの間隠すことがあってはならない。そういう隠蔽体質の権力が長く政権の座にあるときに、「真実を言え」というのがジャーナリストであり、言わないときには自ら危険を冒してでも「真実を報道する」のがジャーナリストである。28年前、私にそれを教えてくれた『産経新聞』が、今日まるで“御用新聞”のようなことを書くのが悲しくてならない。
 
 谷口 雅宣

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2009年6月30日

ウソの看板は降ろそう

「非核3原則」は虚構だった--元外務事務次官の村田良平氏(79)が、そういう意味のことを新聞記者に語った、と今朝の新聞は伝えている。私が確かめたところでは、『朝日』と『日経』がこの記事を載せているが『産経』はなぜか無視した。また、掲載した両紙の見出しは私の表現のように“刺激的”ではなく、「米軍の核兵器持ち込み 元次官“密約文書あった”」(朝日)と「60年日米安保で密約 “有事の国内核配備も対象”」(日経)という表現だ。が、『日経』が載せている村田氏との一問一答を読むと、どうも「非核3原則」そのものが日米の合意でないように解釈できる。だから、私はあえて冒頭のように表現した。

「非核3原則」とは、核兵器を「持たず」「作らず」「持ち込ませず」という日本政府の方針で、1967年12月に当時の佐藤栄作首相が国会で表明して以来、歴代の内閣が“堅持する”と言ってきた。このうち時々問題になるのは3番目の「持ち込ませず」という原則で、この「持ち込む」という言葉の意味があいまいなため、米軍の艦船や航空機が日本の領土内に一時的に「立ち寄る」場合、これを「持ち込む」と解釈するかしないのかで、日米間の大きな理解の差が生まれる。アメリカ側ですでに公開されている資料によれば、1960年の安保改定時には、核兵器を積んだ米軍艦船の寄港などは「持ち込み」に含まれないとの“密約”があったとされている。これに対し、池田勇人内閣は、寄港も持ち込みに当たるとの解釈を打ち出して、それ以来、政府はこの見解を維持している。

 改定安保条約には「事前協議条項」というのがあって、在日米軍に核兵器を含む大きな装備の変更が行われる際には、事前協議をすることが定められた。日本政府は、核の持ち込みがあるならば、アメリカはこの取り決めにしたがって事前に日本に協議を求めてくるはずだが、これまでそういう要請は1度もないから、核の持ち込みはなく、したがって非核3原則は守られている--という論法を繰り返してきた。しかし、この事前協議の対象として、核兵器搭載の航空機や艦船の「領海通過」や「寄港」が含まれないとしたら、米軍の核兵器は何十年もの間、日本の領土に入ったり出たりしていた可能性が強い。ということは、「非核3原則」は実質的には「2原則」に過ぎなかったことになる。
 
 私は、1981年の元駐日アメリカ大使のライシャワー氏の発言や、2000年のアメリカ外交文書の公開によって明らかなように、「非核3原則」とは日本の国内向けの政治標語であり、日米の政府間には「非核2原則」しかなかったと考える。外交に機密事項があることは当り前であり、それを「ない」と言い張るのは、あまりにも見え透いたウソである。それに、「核持ち込み」の問題は、冷戦時代には国家存亡の重要さをもつ抑止力の成立にかかわる。もっと分かりやすく言うと、「日本の国土やその周辺に核兵器があるかないかがよく分からない」ということが、潜在敵国に対して抑止力をもつのである。核兵器は、その所在が分からないことが重要なのだ。これは、国の防衛について少し勉強した人なら誰でも知っている事実である。だから、ウソをつくのはもうやめよう。
 
 政府はもう「実は、非核2原則だった」と発表すべきである。北朝鮮の核開発の問題がこじれている現在、これはアメリカの“核の傘”を強化する効力をもつから、日本の国益にもかなうのである。私は、村田元外務次官の今回の発言は、その目的でなされたのではないかと思う。『日経』の記事によると、外相経験者である自民党の町村信孝氏は、村田発言に対して「公務員の守秘義務は死ぬまであるのではないか。そこをどう考えているのか」と不満を漏らしたそうだが、公務員は国民の意思に対しても忠実でなければならない。国民は真実を知るべき時期に来ている。そして、冷戦後の新しい外交・国防政策を選択すべきときは、今なのである。
 
 谷口 雅宣

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