2011年9月14日

本欄が抱える問題について

 9月2日に本欄を書いたまま2週間ほど更新していないので、私の健康状態を心配してくださっている人がいるかもしれない。が、私は健康なのでご安心願いたい。11日に函館の生長の家講習会から帰って以来、少し疲れが出たことは告白するが、もう回復している。私の本欄への“筆無精”は、だから健康状態によるよりも、別の理由による。実は最近、本欄のような形式の文章に制約と限界を感じるようになったのである。だから、この形式を今後ずっと続けていくべきか、あるいは別の形式のものに変えるべきかを迷っている。そこで今日は、本欄を愛顧してくださってきた読者諸賢のご意見を聞くためにキーボードを叩いている。
 
 函館の講習会の日は、アメリカの同時多発テロ事件の10周年に当たることは、読者もご存知だろう。本欄は、この9・11に先立つ2001年1月13日からスタートした。ということは、本欄も“満10歳”に達したということだ。世の中には「十年一日」という言葉があって、10年も同じことをしていては評価されないのである。もちろん私が本欄に書く内容は、10年前とは相当異なってきているし、書き方や書くジャンルについても“連載モノ”や“祈りの言葉”“短編小説”など多様なものを盛り込んできた。しかし、それにしてもこの「ブログ」という日記的な表現形式は日々の現象を追っていくことが主になるから、どうしても限界があり、例えば沈思黙考した文章というのは書けない。そんな時間がないからである。すると、読者から不満の声が寄せられる。私にとっても不満が残る文章も多いから、そういう読者の気持もよくわかる。だから、反論はしない。
 
 はっきり言わせていただけば、私は一種の“下書き”のつもりで本欄を書くことが多い。あとから月刊誌に掲載したり、単行本に収録するさいに、内容をもっと吟味しなければ……と考えながらも、ブログだから発表することになるのである。実際、そういうブログの内容を編集、編纂して単行本の『日時計主義とは何か?』(2007年)『日々の祈り』(同年)『太陽はいつも輝いている』(2008年)『衝撃から理解へ』(2008年)『目覚むる心地』(2009年)『“森の中”へ行く』(2010年)などは出版された。しかし、本欄の読者は、そんな事情などに関心がない場合がほとんどだから、自分の求めるレベルの文章がないと、不満を漏らすのである。中には、「生長の家総裁には一分のスキも許されない」と言わんばかりの厳しいご意見を述べる人もいる。現象に完全性を求めるのである。
 
 私はもちろん反論することもできるが、この程度のものにいちいち反論することは本欄の程度を下げるし、私の時間を浪費するし、多くの読者の気分を害することにもなりかねない。だから、黙って次の日のブログを書くのである。初めから悪意をもってするコメントもあるが、そういう低レベルのコメントはブログの機能で自動的にシャットアウトできるから、問題ない。いちばん困るのは、こちらの事情をよく理解しないまま、まったくの善意から忠告をくださる読者である。そういう人には、本当の事情を知ってほしいのだが、それを本欄に書いたり、メールで直接本人に伝えるところまでは、私にはできないのである。それほどの時間的余裕はない。私は本欄を継続するだけで、相当のエネルギーを使ってきた。そういう事情もご本人はまったく知らないだろう。私はそれに文句を言わない。一般の信徒は、生長の家総裁の仕事がどういうレベルで、どの程度多忙であるかを知る必要は、まったくない。だから、これまでの本欄のような表現形式を改める以外に方法はない、と私は考えるのである。
 
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 谷口 雅宣

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2011年1月14日

日経新聞が日時計ニュース?

Japancrime2010gc 『日本経済新聞』が今日の社会面トップに、「刑法犯、23年ぶり低水準」という5段抜きの見出しを掲げ、大きく報道した。サブの見出しは「昨年6.9%減、158万件に」だ。つまり、昨年1年間の日本の犯罪件数は、前年より6.9%減り、23年ぶりの低水準になったということだ。私はこの見出しを見て、「エッ、日本の新聞が日時計主義になったの!」と少々驚いた。なぜなら、日本の犯罪件数は昨年だけ減少したのではなく、「8年連続」で減少し続けているのに、これまではそのことが記事として大きく取り上げられなかったからだ。『日経』だけでなく、ほとんどすべての全国紙が無視するか、載せても小さくしか報道しなかった。その理由は多分、従来通りの“ニュース価値”についての判断基準のせいだ。

 それを、私がよく使う表現で言えば--「イヌが人を噛んでもニュースにならないが、人がイヌを噛んだらニュースになる」ということだ。つまり、よく起こることはニュースの価値がなく、めったに起こらない、異常なことがビッグニュースだと考えるのだ。この「異常な」という言葉には、「悪い」という意味が含まれている。だから、英語の表現でも「No news is good news.」(ニュースがないことがいいニュースだ)と言われる。

 私はこのことを生長の家講習会でも、本欄でも、また単行本の中でもよく取り上げ、「もっと明るいニュースを取り上げるべし」と訴え続けてきた。『日経』のこの記事を読んで、私はその訴えがようやく届いたのか……などとも考えたが、『日経』以外の新聞はこの“よいニュース”を取り上げていないので、『日経』には別の理由があったのかもしれない。が、とにかく、日時計主義主唱者の私としては、ひとまず「よくぞやってくださった」とお礼を述べておこう。
 
 ところで、『日経』を購読していない読者もいると思うので、この記事のリード文を引用して、何が事実であるかを確認しよう--
 
「2010年に全国の警察が認知した刑法犯は前年比6.9%減の158万5951件で、8年連続で減少したことが13日、警察庁のまとめ(暫定値)で分かった。1987年(昭和62年)以来、23年ぶりに160万件を下回り、昭和末期の水準まで回復した。ただ、おおむね110万~130万件台だった80年以前とは依然開きがあり、警察庁は“治安回復は道半ば”としている」。

 しかし、この事実は新しくはない。警察庁は昨年の12月16日にも、1~11月末までの統計にもとづいて、これと基本的には同じ意味の発表をしていて、『朝日新聞』は翌日の朝刊で2段組の見出しで「刑法犯 8年連続減少へ」と報じている。だから、『日経』はこの時の警察発表を材料にしたうえ、13日の発表の数字を加え、今日の朝刊の記事を仕上げたのだろう。つまり、この記事は『日経』の特ダネでも何でもなく、各社の担当記者は皆知っている事実だが、従来のニュース価値の基準にもとづき大きく取り上げなかっただけなのだ。
 
 ちなみに『朝日新聞』は、同じ日の紙面で、同じ警察発表のデータを使用していながら、「“ひったくりワースト1”は千葉」という見出しをつけて記事を書いている。記事の冒頭には、犯罪の全体の認知件数が8年連続減であることを書いてはいるが、見出しには「ワースト」が使われているため、読者へのメッセージは混乱する。『産経新聞』は同じデーターをもとにして第3面と社会面(24面)に2本の記事を書いているが、前者の見出しは「殺人容疑者 60代後半 前年比5割増」であり、後者の見出しは「犯罪最多 やっぱり大阪」である。いずれも、膨大な犯罪統計の中から“悪いところ”だけに焦点を当てて記事を作っていることが分かる。だから、全体の“よい傾向”は読者に伝わらない。
 
 では、昨年の158万6千件という日本の犯罪件数は、諸外国に比べてどうなのだろう? この件については、殺人事件に関して、私はすでに『足元から平和を』(2005年刊)に書いている。進化生物学者の長谷川真理子氏の言葉を紹介しているのだが--

「世界保健機関の最新のデータ(99年)によれば、日本の殺人被害者は人口10万人あたり0.6人で、主要国の中では最も少ない。フランス、英国、ドイツよりも少ないし、オランダやスウェーデンの半分にすぎない。米国と比べれば約10分の1だ。一方、殺人者の出現率も1.1人(02年、人口10万人当たり、未遂を含む)で、最低レベルになっている」。(pp.257-258)

『日経』が伝える昨年1年間の統計によると、「殺人事件(未遂を含む)は前年比2.5%減の1067件で2年連続の戦後最小」である。この数字をもとにして、昨年の殺人者の出現率を計算すると、人口10万人当たり「1.06人」ぐらいの数字になるから、2002年のレベルよりも確かに低い。だから、「日本社会はどんどん悪くなっている」などと言う人は、メディアの偏った情報を無批判に信じているか、あるいは政治的意図から発言していると考えた方がいい場合もあるのである。もちろん私は、「日本社会は現状でいい」とは言わない。しかし、よい点はよいと言う勇気と冷静さを失ってはならないと思う。

 谷口 雅宣

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2010年11月15日

最近の日本外交について

 横浜での生長の家講習会で出た“政治的質問”に対しては、前回の本欄に書いた前提のもとで、若干のコメントをしよう。44通の質問のうち3通が、昨今の中国やロシアとの関係についての不安の表明だった。

 川越市から来られた30代の女性は、「このまま民主党政権が続くと、日教組や反日勢力が勢いを増し、中国、韓国、ロシアに日本が侵略されてしまうのではないかと心配です」と、まるで明日にでも日本が侵略されてしまいそう悲観論を表明された。埼玉の川口市から受講された51歳の男性からは、「最近の中国やロシアからの尖閣諸島や北方領土に対する圧力について、政府の弱腰の対応が批判されたりしていますが、生長の家の立場から見た政府の対応へのコメントや良きアドバイスは、ありますでしょうか?」との質問をいただいた。また、81歳の女性は、「近頃、中国、ロシヤの態度が非常に気になっています。国内の政治についても、これでよいのか? と案じられてなりません。しかし、不安な心でいれば、体調を悪くします。こんな時の心構えをご指導くださいませ」と悩みを訴えられている。
 
 私は、これらの人々が国際情勢についてどういう媒体から情報を得ているのかを、まず疑問に思った。かつて私は(例えば、昨年9月24日に)『産経新聞』が民主党政権に明確な反対の意思表示をして、その観点から記事全般を書いていることを指摘し、ジャーナリズムの態度として疑問があると述べた。私が本欄などで疑問を述べても、もちろん『産経』が自らの報道姿勢を改めることはないだろう。しかし、生長の家の読者が、『産経』の報道内容をそのまま事実として信じているとしたら、日本を取り巻く国際問題を誤って理解することにもなるので、「産経はニュートラルではないよ」ということを明確に示したかった。その後、私はついに『産経』を購読することをやめてしまった。かつては『産経』の記者として紙面作成に自ら関与し、その後は30年近くも購読し続けていた人間として、きわめて後味の悪い決断だった。が、記事を読んでいると気分が悪くなるような新聞は、もはや購読する価値はないと思う。
 
 『産経』の購読をやめたからといって、私は『朝日』や『毎日』の報道姿勢がニュートラルだと考えているわけではない。彼らは彼らなりの“姿勢”をもっているが、その姿勢の根拠をきちんと書いていることが多い。根拠が書いてあれば、私はそれを読んで記事の内容の信頼度を推定することができる。それに対して『産経』は根拠を示さずに断定して記事を書くことが多い。記事だけでなく、見出しを独断でつけることも多い。私は、ジャーナリズムは口ゲンカでないと信じているから、それを教えてくれた『産経』が、レベルの落ちた記事を掲載し続けるのを見ていられなかったのだ。
 
 さて、『産経』の問題点を指摘するのはこのくらいにして、質問へのコメントをしよう。川越市の30代の女性の心配は、全くの杞憂である。というよりは、国際関係について、この女性はほとんど間違っている。現在の国際環境下で、中国やロシアが日本を侵略することで得られるものは何もない。民主党政権も日米安保条約の意味を十分理解し、日米関係は日本外交の“基軸”だとしているから、日米安保は存続する。アメリカもアジア外交を重視しているから、日本を手放して中国と組むことはない。だから、中国やロシアが日本を侵略しようとすれば、必然的にアメリカとの戦闘を考えねばならない。両国はいったい何のために、そんなことをするのだろうか? 外交問題に関しては、そういう論理的な筋道でものごとを考えてほしいのである。どこの国でも、実際に外交をしているのは、たいていきちんと高等教育を受けた冷静な頭の人々である。すぐに歯を剥いて襲いかかってくる動物を、我々は相手にしているのではない。

 川口市の51歳男性の質問に対しては、私はこう答える。今回の中国、ロシアとのゴタゴタの原因は、日本の外務省の無策によるところが大きい。また、前原氏が外交のやり方を勉強中であるという残念な事態のおかげである。前半の問題は、自民党政権下でも十分起こりえることだ。なぜなら、役人は当時からそんなに変わっていないからだ。後半の問題は、もちろん民主党の責任だ。が、私は、2大政党制を望む立場から、初めて政権運営をさせようとしている民主党に、ある程度失敗があることは国民として容認すべきだと思う。もちろんこれも程度問題で、日本の“国益”が大きく損なわれる事態に至れば、政権交代はやむを得ないだろう。ただ、今回のゴタゴタから出た“ヒョウタンの駒”もある。それは、アメリカが尖閣諸島の中国からの防衛を名言してくれたことと、北方領土に対する日本の立場を改めて支持してくれたことである。これによって、民主党政権はアメリカに大きな“借り”を作ったから、鳩山時代のような“寝言”はもう言わなくなるに違いない。
 
 さて、81歳の女性の不安についてのお答えだが、私は購読新聞を代えたらいかがかと思う。ロシアのメドベージェフ大統領の国後島訪問に関しては、外交経験の長い東郷和彦氏が11月11日付の『朝日新聞』上で優れた分析を語っている。その記事を読むと、ロシアはいきなり日本との関係を自ら悪化させたのではないことが分かる。日本外務省は、ロシアがここ1年ほど小刻みに投げてきた“警告”のボールを無視しつづけてきたのだ。東郷氏の分析は、こうだ--「ロシア側の最高レベルから、真剣な交渉をやろうというメッセージが出されたときに、2回にわたり、相手の感情をことさら刺激する発言をした。ロシア側は、日本には交渉をまとめる意志がないと受け止めたのだろう」。つまり、国際関係は人間関係と似ていて、どちらか一方だけが悪いという事態は、そう多くないのである。
 
 とにかく、外交に関しては多角的な視点をもつことが必要である。その際、注意してほしいのは、戦後長らく続いたいわゆる“冷戦構造”というものは、現在は存在しないという事実だ。この“冷戦構造”の日本国内での反映が、“右翼”と“左翼”の対立である。今の日本政治の問題は、世界的枠組みである“冷戦構造”が消滅したのに、国内ではいまだに“右”と“左”が対立していることである。この時代遅れの政治家のセンスは、もちろん日本国民のセンスを一部反映しているだろう。だから、最近の日本外交の失敗は、日本国民全体の責任でもあることを認めなければならない、と私は思う。
  
谷口 雅宣

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2010年9月 3日

英語好きは“幸せな奴隷”か?

 3日付の『朝日新聞』に載っていた社会言語学者の津田幸男・筑波大教授のインタビュー記事を興味深く読んだ。内容を簡単に言うと、英語を国際語として重視する考え方は、“幸せな奴隷”の心境だというのである。つまり、支配されている人間がそれを感じない状態で、将来的に日本語が駆逐される恐れがあるというのだ。津田氏は「英語支配」という言葉をつくり、次のように警鐘を鳴らしている--
 
「英語は国際共通語として、ほかの言語に対して突出して強い力を持つようになりました。他言語を圧迫し、国際的な場で使わない、使えなくしてしまった。さらに重要なことは、英語力の優劣によって人々のコミュニケーション能力に差がついてしまうことです」。

「英語支配」とは、「英語と英語以外の言語との不平等な状況」のことだという。さらに具体的に言えば、企業内でも国際的な場でも、英語が上手というだけで、そうでない人に対して有利な立場にたつという現状が、英語支配を表しているという。企業のことをいえば、最近、ユニクロのファーストリテイリングと楽天が、英語を社内公用語にすると決めたことが話題になったが、津田氏は、これに反対する手紙を両社の社長に出したという。理由は、①英語支配の構造が進む、②言語による社内格差が起こる、③日本人が自国で自分の言語を使えなくなる、ということらしい。

 私は、この問題は、子供の教育の段階と社会生活の段階とを分けて考えるべきだと思う。つまり、子供の成長過程では日本語をきちんと学習させ、高等教育や社会生活においては、国際語としての英語の習熟に力を入れるのがいいのではないか。こうすれば、「日本語や日本文化の基礎の上に立って世界とどうつき合うか」という視点や政策が社会に生まれると思う。また、この方法は人間の脳の発達過程から考えても、より自然で、無理のないものと考える。現在は、日本語の基礎ができていない子供に早期から英語を詰め込むだけでなく、高等教育においても、日本語よりも英語を重視するような一種の“英語偏重”が認められるのではないだろうか。また、日本の社会全体が、明治以来の“西洋崇拝”から抜け出せずにいるため、英語などの外国語の発音をそのままカタカナにした言葉がやたらと多い。私は、この面では津田教授の「幸せな奴隷」という批判は当たっていると思う。
 
 多くの読者はご存じと思うが、私は“英語好き”の一人である。しかし、毎日ブログその他の文章を日本語で書き、日本語で講話をするのが仕事である。私の場合、この2つの言語の間に、昔はともかく、今は摩擦や軋轢のようなものを感じたことはない。その理由の1つは、恐らく「日本語が主、英語は従」という原則が私の中で確立しているからだ。私は、完全にバイリンガルの人の心境がどういうものか知らないが、もしかしたらこの主従関係が混乱することがあるのではないかと想像する。というのは、衛星放送などで外国語のニュースが放映される際の同時通訳を聞いていると、ときどき意味不明の日本語が耳に入ることがあるからだ。同時通訳者は必ずしも“完全なバイリンガル”ではないかもしれない。しかし、プロの仕事なのだから、少なくともニュースによく出る時事問題等で使われる日本語については、よく心得ていなければならないはずだ。にもかかわらず、意味不明の日本語が結構多い。今日も、北朝鮮かイランをめぐる海外ニュースの中で、通訳者が「アッパクとホウショウ」(圧迫と報奨?)と言っていた。国際政治の知識が少しでもあれば、ここで使われるべき日本語は直訳的には「圧力と報酬」であろうし、わかりやすく意訳すれば「アメとムチ」が適当である。

 もちろんニュースの同時通訳だから、通訳者の顔は見えない。だから、日本語の上手な外国人通訳者が“妙な日本語”を話した可能性はある。しかし、この女性通訳者の日本語を聞いていたかぎりでは、発音、イントネーションともに流暢な標準日本語だった。もし彼女が私の指摘を聞いて、「いやあの時は適当な日本語が思い浮かばなかったのよ」と答えたとしたら、これは問題だろう。なぜなら、彼女の仕事は、海外のニュースを自分が理解することではなく、日本人の視聴者に分かるように正しく翻訳することだからだ。「正しい日本語」が話せなければ、通訳や翻訳の仕事とは言えないだろう。
 
 谷口 雅宣

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2010年8月 2日

ネット社会の情報力

 生長の家の組織の将来の可能性について最近、考える機会があった。
 その1つの要素は、インターネット社会の拡大である。例えば、7月31日の『産経新聞』は、中国人民解放軍がこのほど「情報保障基地」なるものを総参謀部の直属で発足させ、軍としてのインターネット戦略を統合・指揮することになった、と伝えている。この情報が中国軍の機関紙に発表された--というところがポイントである。つまり、通常は秘密にしていてかまわない性質のものを、あえて公表したのである。その理由は恐らく、これにより、今年1月末に発覚した米グーグル社などへの中国からのサイバー攻撃に関連して、事実上「中国もサイバー部門をきちんと管理する」ことを表明したことになるからだ。(この件について、私は本欄の1月28日から3回書いた。)
 
 これに関連し『産経』は、中国軍による情報発信規制が6月中旬から始まっていることを、香港の英字紙が報じたことを伝えている。その内容は、「230万の全軍人を対象に、休日や一時帰省中を含め、ホームページの開設や、ブログ、チャットの使用を禁止し、海外サイトへのアクセスも原則的に認めない」という厳しいものだ。これらは、中国が国を挙げてインターネットを経由した情報の出入りを規制し、管理する方向に動き始めたことを示しているのだろう。
 
 それと対照的なのが、アメリカの事情である。今日の『朝日新聞』は、最近起こったアフガニスタン戦線での機密情報漏洩の経緯について書いている。漏れた情報の詳細について私は知らないが、『朝日』には「米国のアフガニスタン戦争に関する約9万2千件もの機密情報」だと書いてある。具体的には、「米軍秘密部隊が、誤った攻撃で市民を殺害」したことや、「CIAが軍事活動を拡大し、空爆も実施」したこと、「01~08年にアフガン諜報機関の予算を支出し、事実上の下部組織として利用」したこと、「パキスタンの情報機関がタリバーンに接触し、過激派組織を育成」したことなどだ。これらの機密情報を誰が漏らしたのかが、アメリカでは今後問題になるだろう。しかし、機密情報を掲載したサイトを閉鎖させるという話には、恐らくならない。なぜなら、それはジャーナリズムの存在意義を否定することになるからだ。
 
 上記した1月の事件の際に、ヒラリー・クリントン米国務長官が中国に対して行った演説の中に、次のような件がある--
 
「情報の自由は、世界の進歩の基盤となる平和と安全を支えるものである。歴史的にみると、情報へのアクセスの非対称性は、国家間紛争の主因の一つだ。深刻な見解の相違や物騒な事件に直面したとき、その問題をめぐって対立する立場の人々が、同じひとまとまりの事実と意見を入手する手段を持つのは、決定的に重要なことなのだ」。

 この考えのもとに、中国国民のインターネットへの自由なアクセスを求めたアメリカが、自国に都合の悪い情報を漏洩したという理由で、“情報の自由”を制限することなどできないだろう。もちろん、政府の職員が機密漏洩を行うことは規制できる。しかし、それは別の理由だ。今回の機密情報を掲載したサイトはアメリカ政府とは関係がない、独立した団体だ。そこが、米英などの大手メディアと協力して行った一種の“調査報道”なのである。このような情報伝達のルートが日ごとに強化されつつあるのが、現代のネット社会である。生長の家の組織の内部でも、この流れを止めることなどできないだろう。だから、間違った情報がある程度発信されることは不可避である。その場合、そういうニセ情報を消したり、規制したりするよりも、正しい情報を迅速に、効果的に、かつ大々的に発信することの方が有効になってくるだろう。
 
 組織運動の中での“情報力”の重要性が増大していくのである。
 
 谷口 雅宣

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2010年6月 8日

情報の質について (2)

 前回、本欄でこの題で書いた際は、キツネタケというキノコに関する“情報の質”を問題にした。また、ある対象についての情報には一般に“右脳的”(感覚的・体験的)なものと“左脳的”(意味的・言語的)なものがあるとする私の考えでは、その双方をバランスよく得ることが対象を「よくわかる」必要条件である、とも書いた。さて、それでは、今日の情報社会について考えてみよう。インターネットや大容量高速通信が発達した現今の社会では、私たちは、この2種類の情報のどちらと多く接しているのだろう? この疑問への答えは、案外むずしい。

 1つの答えは、「双方の情報が入手できる」というものだ。なぜなら、インターネットやハイビジョンTVでは、文字情報だけでなく、映像や音声による情報も豊富に入手することができるからだ。しかし、私はこの答えでは不十分だと思う。なぜなら、ネットやHTVを経由して届く情報は、文字も映像も音声も「送り手」側の注意深い選択を経ているからだ。例えば今、アメリカ南方のメキシコ湾で、石油会社のBPが油田開発中に事故を起こし、大量の原油がメキシコ湾に流出する事態になっているが、これを当初、BP社が発表したとき、破損箇所から原油が流出する映像も動画により公開した。その動画を分析して、メキシコ湾岸の各州や関係業界は漁業や観光、環境への被害を推定し、被害を最小限に食い止める様々な対策を講じていたのである。ところが、最近になって、この動画の映像よりも、もっと別の、もっと大量の原油が噴き出している映像があることが判明し、問題になっている。つまり、動画による映像は、確かにある時点の、ある場所の事実を、克明に、詳細に伝えてくれるかもしれないが、別の時点の、別の場所の事実の方が、問題の本質を正確に伝えている可能性が常にある。映像や音声による情報は、受け取る側へのインパクトが大きいために、その事実を逆に覆い隠してしまうのである。
 
 私がよく指摘することだが、もし私たちが「社会は犯罪で満ちている」とか「世界にはテロが蔓延している」という印象をもっているとしたら、それは、社会や世界の現状を知っているのではなく、マスメディアが世界中から集めてくる“悪いニュース”が、私たちの茶の間や、街角や、ネット上や、新聞・雑誌に溢れているからなのだ。そうだとすると、情報社会で私たちが最も多く触れる情報とは、「左脳的判断によって選択された情報の右脳的表現」と言えるだろう。では、こういう種類の情報は、私たちの生活に本当に役立つものだろうか?
 
 この疑問に答える作業を進める前に、読者に、情報社会が成立する以前の人間が、どのような仕方で生きてきたかを確認してもらうために、塩野米松氏の小説『ふたつの川』にの1節を読んでいただきたいのである。この小説の舞台は、昭和12~13年頃の秋田の山中である。人々はまだ貧しく、テレビは発明されていない。そこで、「奥野」という医者と「常次郎」という炭焼き男が会話しているのだが、炭焼きの家にはラジオもなく、新聞は何かに包んできた古いものを読む程度である。だから常次郎は、自分のことを「物知らずで、申し訳ねすな」と奥野に謝るのである。これに対して、奥野が言うことが面白い--

「謝ることはねえんだ。ラジオでしゃべってることがみな本当かどうかわからねえし、本当だとしたってどうできるものでねえ。世の中知った気がするだけだし、なんだか自分も世の中動かす一人だような気になって、『仕方ねえ』とか『そうしねばだめだ』って思うんだ。釣りなら、新しい仕掛け考えたら、試してみて、自分でいいか悪いか判断できるども、世の中の話や政治の話は聞くだけで、試しようがねえからな。」(p.80)

 私は、この「奥野」の言葉は、現代の情報社会にあっても少しも古くない、透徹した知性による的確な分析だと思う。確かに私たちは今、国内政治、国際政治について、溢れるほどの情報に浴しているが、それがすべて「本当」かどうかは疑わしい限りだし、本当だとしても何ができるだろうか? このような“左脳的情報”を元にして金儲けをする産業は発達したが、それが人々の人生を本当の意味で“豊か”にしているかどうかも疑わしい。それよりも、自分で釣りの仕掛けを工夫して、本当に魚が釣れる人がもつ情報の内容の方が、“豊か”なのではないのだろうか? イワナやヤマメの生態を知り、川の中のポイントを知り、魚たちの食べ物や性格を知り、エサの調達方法を知り、毛バリの作り方を知り、魚の料理法を知り、知っているだけでなく、その知識を活用して実際に漁をし、家族を養うことができる--これらのことは、右脳と左脳の密接な連携から生まれた“生きた情報”であり、“本物の情報”と言っていいだろう。

 現代の情報社会は、このような真っ当な情報を私たちにより多く与えてくれているのか……これが、私の感じている問題点なのだ。
 
 谷口 雅宣
 
【参考文献】
○塩野米松著『ふたつの川』(無朋舎出版、2008年)

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2010年6月 7日

永続きする結婚とは…

 前回は、私たちの夫婦ゲンカのことを書いたが、アメリカで今、話題になっていることの1つが、ノーベル平和賞を受賞した元副大統領のアル・ゴア氏(Al Gore)とティッパー夫人(Tipper)との離婚である。アメリカでは離婚が“当り前”の観を呈している中で、この夫婦は仲睦まじいことで有名だったのに、ごく最近、40年間の結婚生活に終止符を打ったのである。だから、「あの2人がなぜ?」という驚きが話題の背景にある。そして、この2人と対照されているのが、ゴア氏が副大統領の時代の“上司”、ビル・クリントン元大統領とヒラリー・ローダム・クリントン氏(現国務長官)のカップルだ。ご存じのように、ビル・クリントン氏は大統領在任中にホワイトハウス研修生と“性的関係”があったというので、テレビの前で謝罪した。ヒラリー夫人はそんな夫を赦して離婚しなかった。この2人が今にいたるまで夫婦であるのに、あのゴア夫妻がなぜ?……というわけだ。
 
『ニューヨークタイムズ』の紙面では、2人の女性ライターが興味ある論評をしている。1つは、人生後期の離婚に関する著書があるディアドル・ベイヤー氏(Deirdre Bair)で、この人の意見をひと言でまとめれば、「離婚は必ずしも悪くはなく、本人の成長の機会になりえるのだから、ショックを受けずに、2人の新しい人生の幸福を祈りつつ、静かにしておいてあげよう」ということだ。もう1人は、コラムニストのタラ・パーカー=ポープ氏(Tara Parker-Pope)で、彼女は、夫婦の心の中の問題は外部の人からは分からないことを強調したあとで、永続きする結婚の“秘密”について、いくつかの研究結果をまとめている。

 まず、ベイヤー氏によると、彼女が結婚後、20~60年以上たって離婚した310人(男126人、女184人)にインタビューして驚いたのは、「結婚」という安全地帯から飛び出す人たちの勇気だったという。別れようとする人たちにとっては、離婚は「失敗」ではなく「機会」だったというのである。人間は結婚生活の中でも変わっていくものだが、それを相手に言うことを忘れる。そして、夫婦間のズレが時とともに拡がっていき、離婚に至ることが多い。つまり、「この古い環境で、この古い相手と一緒にはもう生きていけない」と感じるのだという。離婚者たちは、自分たちの決断は決して一時の感情によるのでなく、また離婚を後悔していないと主張する。彼らの決定に関するキーワードは、「自由」と「コントロール」--つまり、「自分の人生を自分の意思にしたがって生きたい」という強い思いが背景にあるという。もちろん、社会的、経済的条件も離婚の決定の背景にはある。中年以降に離婚する人の多くは、生活の変化に対応できるだけ経済的には自立している。また、寿命も長くなっていて、次の相手も、探せば見つかることが多いという。
 
 パーカー=ポープ氏は、これとは逆に、「離婚しない夫婦」の条件に多く触れている。彼女は、カリフォルニア大学サンタバーバラ校のビアンカ・アセヴェード博士(Bianca Acevedo)の研究から、永い間の夫婦の間でも愛情が冷めずにいる人が予想外に多いことを教えてくれる。具体的には、電話で調査した274人の永年の夫婦のうち40%は、愛情のレベルが高い数値を示したという。また、残りの60%も必ずしも「低い数値」だったのではなく、夫婦関係には満足しており、愛情は継続しているという。ただ、愛情の程度がそれほど“濃密”でないだけだ。では、夫婦関係を良好に保つにはどうしたらいいか? それは、「互いに努力すること」だという。これは、「夫婦の愛も、いつ壊れるかもしれない」と考えてビクビクするという意味ではなく、「関係を新生させる」ための努力をすることだ。ワシントン州オリンピア市にあるエバグリーン州立大学のステファニー・クーンツ教授(Stephanie Coontz)によると、「結婚自体に注意を向けず、互いが別々のことをしていながら結婚が永遠に続くわけがない」という。当り前といえば、当り前のことだ。だから、「2人で何か新しいことを継続してやる」ことをアドバイスする人もいる。
 
 パーカー=ポープ氏はまた、夫婦関係が成長しているかいないかを判定するために、便利な質問を3つ提示している:

 ①あなたの相手は、わくわくするような経験の原因にどの程度なっているか?
 ②相手を知ることが、あなたを人間としてどの程度成長させているか?
 ③過去1カ月間に、あなたはどの程度頻繁に結婚生活を退屈に思ったか?

 これらの質問に対して、自分の希望通りに答えられないならば、さっそく夫婦関係の“向上”と“新生”にむかって努力を始めた方がいいだろう。これは、私からのアドバイスでもある。
 
 谷口 雅宣

『ニューヨークタイムズ』誌=ゴア夫妻の40年の記録(写真14枚)

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2010年3月 3日

『産経』は温暖化懐疑論なのか?

 本欄では過去にも『産経新聞』の報道姿勢に疑問を投げかけたことがある。私は自宅では同紙と『朝日新聞』を購読していて、職場では『日本経済新聞』を読む。こうすると、日本における“保守”と“リベラル”の論調がだいたい分かるだけでなく、いわゆる“経済界”寄りの考えも分かる。すると、経済界にも“保守”と“リベラル”的な思潮があることが分かる。地球温暖化関連の報道では、『産経』は対策に消極的であり、『朝日』と『日経』は積極的である。これらの違いはあって当然だし、自由主義下では違いがある方が健全である。しかし、いやしくも全国紙として、国内の広範囲に数多くの読者をもっている報道機関であるならば、事実を歪曲したり、極端で無責任な言説を弄することは許されないだろう。だから、バランスを欠いた報道が“極端だ”と感じられた場合、私は本欄で異議を唱えてきた。
 
 今回、文句を言いたいのは2日付の『産経』の第一面に載った「地球温暖化論への懐疑」という記事で、ワシントン駐在の古森義久・編集特別委員の署名が入っている。「あめりかノート」というコラム名のようなものがついているから、ワシントンでアメリカ政治を長らく取材してきたジャーナリストが、“現場報告”という意味合いで記事を書いたという意図は分かる。だから、「地球温暖化論への懐疑」という題がついていても、その「懐疑」はアメリカの政界で起こっている現象の1つであるのだろう。日本でもアメリカでも、政治の場ではいくつもの現象が同時に起こっているのが普通である。それをバランスよく伝えるのが報道機関の役割だと思う。それでは、この記事は何を伝えているのだろうか?
 
 はっきり言うと、古森氏の記事は、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が2007年に出した報告書の内容の批判ないしは否定である。古森氏にその意図はないのかもしれないが、記事の書き方から言えば、全体の4分の3がIPCCの報告書に見つかった間違いの指摘と、それによって勢いづいた温暖化否定論者(米共和党に多い)の動きを書いていて、温暖化抑制を訴えてきた元副大統領のアル・ゴア氏の反論は、わずか3行しか紹介していない。問題の報告書に間違いがあったことは事実だから、それを伝えるのに私は反対しない。しかし、だからといって「温暖化論の最大根拠とされた国連報告書が間違いだらけだと判明した」などと書くのは言い過ぎであり、事実とは違う。こんな表現だと、「温暖化論そのものが間違いだ」と言っているのと等しい。そう言うつもりがないのであれば、世界の科学者の圧倒的多数が地球温暖化を認め、その原因が人間の活動であると合意していることについて、記事のどこかで触れるべきである。そうしなければ、『産経』の読者の多くは、「地球温暖化は大ウソ」「温暖化ガス削減努力は無意味」などと考えるだろう。報道機関にはそういう世論操作は許されないし、無責任すぎる。

 この古森氏の記事は、自分の主張に近い人間の動きを選んで取り上げているように見えるから、一種の“感情論”ではないか。『産経』自体は、地球温暖化の存在を認め、その原因が人間の活動によるということも認めている。その証拠に、今日(3日)の「主張」欄では、「問題の多い25%削減ありき」と題して、鳩山政権の「地球温暖化対策基本法案」の内容を批判している。つまり、「25%削減」という数字に反対しているのであり、地球温暖化対策をすること自体には反対していない。いや、むしろ「CO2を出さない原発の増設や稼働率の向上も避けて通れないはずだ」と述べ、また「国内排出量取引制度も国全体の総排出量を減らすことには直結しにくい」と書いて、CO2などの温暖化ガスの排出削減の必要性を説いているのである。
 
 それが社の方針であるならば、古森氏の記事のように、世界の大勢の科学者が時間をかけて積み上げてきた気候変動に関する研究をまとめたIPCCの報告書の内容を、「間違いだらけ」などという乱暴な言葉で一蹴する記事を第1面に掲載する愚をなぜ犯したのだろう……私は理解に苦しむのである。最近の『産経』は、自己主張に執するあまりに、健全なジャーナリズムとしてのバランス感覚を失っている、と私は感じる。
 
 谷口 雅宣

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2010年1月29日

サイバー戦争は始まっている (2)

 27日付の『ヘラルド朝日』紙に載った解説記事には、「アメリカはサイバー攻撃時代の抑止を探究する」(U.S. seeks deterrents in an era of cyberattacks)という題がついている。副題は、「国防総省による詳細な研究は、敵の特定と反撃が抱える複雑な問題を示す」である。この副題の中に、サイバー攻撃を抑止することの難しさが凝縮して表現されていると思う。読者にはまず、現代のサイバー攻撃で何ができるかを知ってほしい。
 
 この記事には、攻撃対象に考えられるものとして、送電システム、通信システム、金融システムの3つが挙げられている。今年1月11日の朝、米国防総省の指導者たちは、これらに対するサイバー攻撃を受けた際の対応を詳しく検討したらしい。その結果わかったことは、サイバー空間では敵を特定することができないため、報復攻撃をすると脅すことで、敵のさらなる攻撃を効果的に抑止する方法はないということだった。さらに悲観的な結論は、敵が特定できなければ、国防総省は報復攻撃を行う法的権限をもたないということだった。サイバー攻撃は、単なる個人による破壊活動なのか、商業上の秘密を盗むためなのか、あるいは米国社会の機能麻痺をねらった国家やテロ集団による攻撃なのかを判別することができないという。だから、国家防衛を任務とする国防総省は報復攻撃の可否を一元的に決定できないのだ。
 
 インターネットは、今や軍事と民間の境界なく、社会のあらゆる部門で使われているため、攻撃を意図する側は、軍事対象や政府機関のコンピューターにまったく“手”を触れずに--例えば、信用取引市場を機能不全に陥れることで--国家機能を麻痺させることができる。ということは、たとえ国防総省にサイバー攻撃やその抑止のための高度な技術が備わっていても、大統領の命令がなければ、軍は動けないし、攻撃があったと知ることもできない可能性があるのである。事実、今回のグーグルへのサイバー攻撃は、グーグル自身がそれを察知し、米政府に報告したことで初めてそれが認知されたという。それができたのは、グーグルがこの分野でトップクラスの技術をもつ企業だからで、そうでない企業のコンピューターが侵入された場合は、被害は比較にならないかもしれない。また、今回の攻撃では、グーグル以外の30を超える企業のコンピューターが何者かに侵入され、その攻撃の軌跡をたどったグーグルの技術者は、攻撃源が台湾に置かれた7つのサーバーであることを突き止め、さらにそれらのサーバーには、中国本土から操作されていたことを暗示する“足跡”が残されていたという。

 この事件が起こったのが、国防総省のシミュレーションとほぼ同時の11~12日であり、それから約1週間後にクリントン国務長官の先の演説が行われた。この中で同長官は、「国家や、テロリストたち、そしてそれらの周辺で行動する者たちが知らなければならないのは、アメリカは自国のネットワークを必ず護るということだ」と断言した。同長官は、中国が攻撃の背後にあるとは言わなかったが、中国政府が「徹底的な調査」を行い、その過程と結果とが「透明性のあるものである」ことを強く望んだ。この演説に関連して、親日家でもあるハーバード大学のジョセフ・ナイ教授(Joseph S. Nye, Jr.)は、上掲の記事の中で「我々は今や、ソ連が核爆弾を持った1950年代初期と同じ段階にある」として、サイバー攻撃の抑止は、「核抑止と同じ形になることはないが、クリントン長官が言っていることを聞けば、攻撃者に対して大きな代償を作り上げようとしていることが分かるだろう」と言っている。

 さて、これらの事実をどう読むかが重要である。アメリカでは私企業のいくつかのコンピューターにハッカーが侵入したため、国務長官が大げさに反応したという見方もできるかもしれない。私も当初、そんな印象をもっていた。しかし、グーグル以外にハッカーの侵入をうけた企業がどこであるのかは、発表されていない。なぜだろうか? それが大手通信会社であったり、金融機関であったり、電力会社だった場合、どう考えたらいいのだろうか? そういう企業を30社以上も同時に攻撃できる者を、単なる個人的マニアだと考えるべきか。それとも、何か大きな、アメリカにとって好ましくない意図をもった団体や組織だと考えるべきか。今回の事件では、アメリカは後者の可能性が大きいと考え、国務長官の厳しく、明確なメッセージを出すべきだと考えたのだ。これに対して、中国政府は大きく反発し、自分たちが関与していないと否定した。しかし、アメリカが要請した「徹底的調査」や「過程の透明性」については沈黙を守っている。そこで、業を煮やしたオバマ政権は、台湾に対してミサイル防衛システムを含む高度な防衛機器を輸出する考えを表明したのではないか。ナイ教授は、このことを「攻撃者に対して大きな代償を作り上げようとしている」と論評している--そういう見方ができるのだ。

 つまり、我々は今、サイバー戦争の始まりを見ていると考えられるのである。
 
 谷口 雅宣

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2010年1月28日

サイバー戦争は始まっている

 ネット情報に詳しい読者は、最近、米検索大手のグーグル社が中国と問題を起こしていることをご存じだろう。それに関して、アメリカのクリントン国務長官が21日に、中国に対して厳しい発言をしたことも報道された。それでは、オバマ政権が台湾に対して、ミサイル防衛システムを含む高度な防衛機器を輸出する考えを表明していることは、ご存じだろうか。私は、この3つの事実のうち、最初の2つが密接に関係していることは知っていたが、3番目の事実との関係を深く考えたことはなかった。しかし、27日付の『ヘラルド朝日』紙に載ったデイビッド・サンガー記者ら3人の手による解説記事を読んで、現代の安全保障の最前線が“テロとの戦争”や核拡散だけでなく、インターネットを経由した“サイバー攻撃”とその抑止問題にあることを改めて知った。そして、今回のグーグルの問題が、単に一私企業の経営問題ではなく、「サイバー攻撃の抑止」という軍事・外交の問題でもあることを知った。

 『 ウォール・ストリート・ジャーナル』などによると、グーグルは1月12日、自社が運営するGメール・システムが中国本土からのサイバー攻撃によって被害を受けていることをブログで明らかにし、「発見された攻撃や監視と、ウェブでの自由な発言への制限を強めるここ1年の動きが相まった結果、中国での事業の存続可能性を見直さなくてはならないとの結論に至った」と発表した。また、同社が中国政府との間で合意していた“自主規制”は、もはや実行しないことを宣言した。13日配信のロイター電によると、この“自主規制”とは、グーグルの中国ウェブサイト「Google.cn」での検索結果に対する検閲のことだ。グーグルの発表は、最悪の場合、巨大な中国市場からの撤退もやむを得ないと考えた同社の重要な決断だ。同社がどんな攻撃に晒されたのかというと、中国からGメール・システムを利用している反体制派の活動家のアカウント2件に、何者かが侵入を試みたということらしい。
 
 これに対し、中国政府は14日、外務省報道官が「中国のネットは開放的で、外国企業が中国で法律に基づき事業を展開することを歓迎する」と述べただけだった。ところが、欧米メディアがこの問題を盛んに報道したことで、中国国内の関心が高まり、中国政府の態度はしだいに硬化した。特に21日、クリントン国務長官がインターネットの自由について行った演説の中で中国の検閲を批判したことで、米中の国際問題に発展しつつある。27日付の『産経新聞』は同長官の演説の該当部分を掲載しているが、その内容が、中国政府の国家統治の考えと大きく異なるため、中国の反発が拡大したと思われる。2、3箇所、引用してみよう--
 
「グーグルが関係する最近の状況は、大きな関心を集めた。そしてわれわれは、グーグルの(中国撤退も辞さないとの)発表にまで至ったサイバー空間上の侵入行為について、中国当局が徹底的な調査を行うことを期待する。また、調査とその結果が透明性のあるものであることを望む」。

「中国では現在、たくさんの人々がインターネットにつながっている。しかし、情報への自由なアクセスを制限したり、ネット利用者の基本的な権利を侵害したりする国々は、次の世紀の進歩から自身を遮断する危険をおかすことになる」。

「情報の自由は、世界の進歩の基盤となる平和と安全を支えるものである。歴史的にみると、情報へのアクセスの非対称性は、国家間紛争の主因の一つだ。深刻な見解の相違や物騒な事件に直面したとき、その問題をめぐって対立する立場の人々が、同じひとまとまりの事実と意見を入手する手段を持つのは、決定的に重要なことなのだ」。

 これらの演説の背後にある個人の自由と民主主義尊重の考え方が、中国共産党の一党独裁を国是とする政治哲学と基本的に異なることは、誰の目にも明らかだろう。そんなことをアメリカ政府が知らないはずがない。にもかかわらず、この時期にそれを国務長官の対中演説として発表することの意味は、どこにあるのか。上記の記事を読むまで、私にはそれが分からなかった。
 
 谷口 雅宣

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