2009年12月 4日

デンマークの電気自動車

 7日からコペンハーゲンで地球温暖化抑制のための気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)が開かれるが、その開催国・デンマークは、温暖化対策に熱心なEUの中でも、先進的な努力をしている国である。昨年12月8日の本欄では、同国に電気自動車を本格導入するための実験が行われていることを伝えたが、3日の『ヘラルド朝日』紙は、COP15を前に、その現状について同国も「苦戦している」という内容の報告をしている。

 デンマークは、米カリフォルニアのベンチャー企業「ベタープレイス」(Better Place)と組んで、電気自動車の普及に必要な充電設備等のインフラ整備を進めている。現在の蓄電技術では、車載用のリチウムイオン電池による1回の充電で「160km」までしか走れない。しかし、ベタープレイスは、この距離制限を克服するために、充電スタンドでの電池交換方式を進めている。つまり、車載の電池とフル充電した電池とをこのスタンドで交換することで、電気自動車の走行距離を短時間で、事実上無限大にまで伸ばそうというわけだ。この試みが困難に面しているというのだ。

 上記の記事によると、デンマーク政府はこのプロジェクトのために、電気自動車にかかる税金を、1台4万ドルまで無税にする措置をとっている。また、コペンハーゲンの中心街では、電気自動車の駐車料金はゼロにしているという。こういう優遇措置があっても、市民の間には懐疑的な意見が多いらしい。というのは、充電スタンドの有無によって、自分の行動が制約されるという心理的不安がまだ大きいからだという。

 デンマークのエネルギーは、すでに2割が風力によって供給されているが、同国政府は、全国に充電スタンドを設置するだけでなく、それらのスタンドに必要な電気を風力で供給することを考えている。これによって、車の使用が少ない夜間に風力で充電するという“炭素ゼロ”の理想的なパターンができ上がる。が、そのスタンドの設置が思うように進んでいない。

 昨年の1月、ベタープレイスのCEO、シャイ・アガシー氏(Shai Agassi)は、2010年には充電スタンドを10万カ所にし、電気自動車は6~7千台になると予測していたが、現時点では同社製の車は1台も走っておらず、スタンドの数は55カ所に止まっているという。主な原因は、スタンドの建設コストらしい。1カ所の建設費は100万ドルに近く、さらに車種ごとに異なる電池を用意しなければならないからだ。つまり、車載用充電地の規格がまだ不統一なのだ。同社の方式に沿った電気自動車を製造するとしているのは、今のところルノー=ニッサン社だけらしい。そして、同国で登録済みの電気自動車の数は、まだ500台に満たないという。

 こういう話を聞いていると、かつてのカセット式ビデオテープの規格不統一を思い出す。ベータ方式とVHS方式をめぐって日本のメーカーが突っ張り合いをしたため、世界中が2つの規格併存となり、やがてVHSが勝利した。ビデオテープならば単なる企業間のシェア争いですむが、地球全体の緊急要請である温暖化抑制のための新技術が、企業間競走によって普及が妨げられることは、決して好ましいことではない。世界の自動車メーカーは何とか努力して、早期に充電池の規格統一をなしとげてほしい。
 
 谷口 雅宣

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2009年11月 4日

キンドルを使う (2)

 10月23日の本欄で、この電子ブック端末の外観と基本的機能について少し書いた。それから約2週間がたったが、私に分かったことは次の3つである:
 
 ①英文を男女の声で読み上げる。
 ②個人用ファイルを保存できる。
 ③購入した電子ブックのコピーが提供される。
 
 この英文の「読み上げ」の機能には驚かされた。画面に表示されている文章を、結構まともな英語で読み上げてくれる。しかも、男性と女性の2種類の声を選ぶことができ、読み上げる速度も3段階ある。何のためにこれがあるのか定かでないが、想像するところ、自動車の運転中とか、目が疲れた時などに利用できるし、目が不自由な人の役に立つかもしれない。キンドルにはイヤフォン・ジャックもついているから、パソコンにつなげば音声ファイルの作成も可能だろう。ただし“完璧な英語”とは言えないから、発音練習には不向きかもしれない。また、アマゾンが提供する電子ブックや雑誌記事には音声による読み上げができるものと、そうでないものがある点、注意が必要だろう。
 
 次に、ここで言う「個人用ファイル」とは、個人がワープロや画像編集ソフトで作ったファイルのことである。だから、自分で書いた文書やインターネット上の情報、お絵描きソフトで作った画像、デジカメの写真などもキンドルの中に収納できる。ただし白黒画面だから、カラー画像はモノクロ表示になる。使えるファイル形式は、ワードの文書ファイル(DOC, DOCX)のほか、 PDF、 HTML、 TXT、 RTF、 JPEG、 GIF、 PNG、 BMP、 PRC、MOBI、などである。ただし、これらの個人用ファイルはキンドルに直接転送できない。使うときには、電子メールに添付して自分のキンドル用のアドレスに送ると、アマゾン側でファイル変換を行ったものを無線で送り返してくる。これには多少、時間の経過を要する。が、数ページ分のワード文書なら、数分でキンドルに収められる。
 
 最後に書いた「電子ブックのコピー」とは、キンドルで注文した電子ブックや電子記事のコピーが、自分のアマゾンのアカウントに残るということだ。 これがなぜ必要かというと、キンドルでは電子ブックを簡単に削除できるからだ。これは便利な機能だが、操作が簡単なため誤って削除する場合も出てくる。すると、通常の方法では(例えば、ウィンドウズ付属の「ごみ箱」機能のような)現状回復は不可能なのだ。これでは安心して使えないから、コピーをアマゾン側で取っておいてくれる。私も実際、買ったばかりの電子ブックを誤って1冊まるごと削ってしまったことがある。しかし、アマゾンが設けた自分のキンドル用のウェブページにアクセスすれば、そこにコピーがあるのでダウンロードして現状回復できた。これはうれしい機能である。
 
 このようにして、キンドルは電子ブックの購入と読書のための端末としては必要な機能をもっているが、なにせ日本語のファイルを表示しない点が、現在ではボトルネックだ。が、アマゾンでは近々世界各国の言語に対応すると言っているので、そうなれば音楽CDの販売減と似たような現象が、出版業界にも起こる可能性は充分あると言えるだろう。

 谷口 雅宣

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2009年10月23日

キンドルを使う

 10月9日の本欄で、米ネット通販最大手のアマゾン・ドット・コムの電子ブック端末「キンドル」が、日本でも(英語のみで)使えるようになることを書いた。その際、私が注文した同製品が昨日届いたので、さっそく使い始めた。
 
 まず外観からいうと、縦20㎝、横13㎝、厚さ9㎜のサイズは、私の想像より小さかった。送られてきた包みは、アマゾンが使ういつもの濃い茶色の段ボールケースだった。それを見てキンドルに違いないとは思ったが、あまりに小さくて軽量だったので、ひょっとしたら別物かと思った。例えば、「注文が多いので発送が遅れる」などと書いた手紙を添えて、簡単な景品を入れてあるだけのものかもしれい……などという思いが一瞬、頭をよぎった。が、中身はキンドルそのものだった。新聞発表の数字では、重さは「約290g」ということになっているが、実際に測ってみると「275g」である。この軽さが、まず気に入った。これなら気軽に持ち運べる。
 
 しかし、画面の大きさが予想より小さかった。正確にいうと「90mm×122mm」だ。このサイズは、文庫本1ページ分の版面と大体同じである。ここに表示される英文はKindle_disp標準で「47文字×20行」だが、文字の大きさは6段階に変えられるから、自分の視力に合った文字の 大きさを設定すればいい。私の場合、標準の設定でまだ大丈夫のようだ。画面は見やすい。艶消しの灰白色の地に黒い文字で明確に表示される。パソコンのように画面の向こう側からバックライトで照らされる方式ではなく、紙に印刷してあるのに近い見え方である。私がよく読む『ヘラルド朝日』の紙面と、キンドル上に表示された『Foreign Affairs』の記事を比べた写真を、ここに掲げる。
 
 さて、問題は文字の入力である。キンドルには、縦長の表示画面の下に超小型のキーボードがついている。これは、携帯端末のブラックベリーに付属したキーボードに似ていて、左右の親指の先でキーを押す。慣れるまでには少し練習が必要だろう。読書用端末機になぜ文字の入力が必要かと、不思議に思う人がいるかもしれない。が、キンドルには通信機能が内蔵されていて、インターネットが使える。これによってアマゾンのサイトに接続し、ほしい書籍等を探し、その場でダウンロードできるのである。このために、キーワード等を打ち込む必要があり、キーボードが役に立つ。また、機能を限定されたウェブブラウザーもついているから、キーボードからサイトのURLを入力し、携帯電話で見るようにサイトを見ることもできる。恐らく、サイトからの書き込みもできるだろうが、まだそこまでやっていない。
 
 アマゾンのサイトから本のサンプルと雑誌をダウンロードした。どちらも、ものの数秒でキンドルの中に収まる。それをワイヤレスで無言で行うので、不思議な印象だ。どこからともなく文書が湧き出てくる感じだ。画面に表題が出て、それにカーソルを合わせてクリックすると、本は表紙から、雑誌は最初のページから表示される。キンドルの表面の両脇に「NEXT PAGE」(次頁)と「PREV PAGE」(前頁)のボタンがついているから、それを押してページを前後にめくる。読書を途中でやめるときは、そのページに「BOOK MARK」(栞)をつければ、次回に読む時はそこから表示される。本や雑誌の記事をキーワードで検索したり、不明の言葉を辞書で調べることも簡単にできる。このために『The New Oxford American Dictionary』(オックスフォード米語辞典)が最初から同梱されていた。このほか同梱されていたのは『Kindle User's Guide, 1st Ed.』(キンドル・ユーザーガイド第1版)である。

 書き忘れていたが、電源は充電池から供給される。これに充電するためには、通常の電灯線、あるいはパソコンのUSB端子から採る。そのためのケーブルがもちろん付属している。充電時間は、未使用の新品の場合は「3時間」と説明書にはあったが、私の場合は2時間ちょっとでフル充電された。ゆっくり使いながら、使い心地や変わった使い方などについて、今後も本欄で紹介していくつもりである。
 
 谷口 雅宣

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2009年10月 9日

紙を使わない出版 (3)

Kindle  本格的な電子ブックが、いよいよ日本でも使えるようになる。米ネット通販最大手のアマゾン・ドット・コムが、アメリカで成功している電子ブック端末「キンドル」(=写真)を日本を含む100カ国以上で発売する、と発表したからだ。いわゆる“電子ブック”は、日本でもかなり前からパソコン用として流通しているが、本の読み方としてはまだまだ一般的でない。それに、持ち運びが不便である。また最近では、携帯電話で読む“ケータイ小説”が若者の間ではずいぶん人気のようだが、それを単行本化して売っているのだから、“本命”は紙の本なのだろう。また、私のような中高年には、ケータイの画面は小さすぎる。そこへ、縦20㎝、横13㎝、厚さ9㎜で、重さ約290gの「キンドル」(約25,000円)が参入することで、日本の電子本環境は大きく変わる、と私は思う。
 
 実は、ソニーも「リーダー」という電子ブック端末を欧米では出していて、2006年以来、累計で40万台を売っている。日本では2004年に販売を開始したがうまくいかず、3年後に撤退した。「キンドル」は2007年の発売から2年間で50万台を売ったとされる。10月8日の『朝日新聞』によると、ソニーは「キンドル」の上陸を機会に「リーダー」の日本での再発売を検討しているそうだ。
 
 今回の「キンドル」では、しかし日本語の本は読めない。8日の『日本経済新聞』によると、アマゾンCEO、ジェフ・ベゾス氏は、「キンドルで日本語を読むための技術開発にも取り組んでいる。端末を各国で普及させることで、現地でのコンテンツ配信が展開しやすくなる」と言っているが、「日本語の電子書籍の配信開始時期などは現時点では言えない」としている。
 
 私にとっては、それでもキンドルは利用価値が充分あると感じる。というのは、私は毎日、『ニューヨークタイムズ』の国際版である『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』(『ヘラルド朝日』)を読み、英語の雑誌や書籍も読むからだ。これらが紙の本や雑誌より安く、早く手に入るだけでなく、すべて1台のキンドルの中に納まってしまうということになると、無関心ではいられない。蔵書スペースの節約と、持ち運びの便利さは紙の「書籍」の比ではない。ちなみに、キンドル1台の中に収納できる情報は、普通の単行本1500冊分という。
 
 本欄には過去2回(2008年1月28日本年3月10日)、「紙を使わない出版」という題で本の電子化の動きについて書いたが、これは“文書伝道”を旗印にしてきた生長の家の布教活動とも大いに関係がある。来年から登場する新しい普及誌では、紙の雑誌の上だけでなく、インターネット上の電子情報と連動した編集と出版が行われる。これによって読者は、紙の雑誌より多くの情報を得られるだけでなく、情報の流れが「一方通行」から「双方向」に変わる。つまり、「読者参加」の編集範囲が拡大するのである。しかしこの場合、読者はパソコンを使えることが大前提だった。キンドルのような電子ブック端末の使い勝手がよく、また日本語に対応すれば、パソコンなしに本や雑誌が手軽に読めることになり、運動の展開にも大きな影響が出るだろう。
 
 電子ブックの最大の特長は、従来のような「送本」や「配本」の必要がなくなることである。これは「電子情報の移動」に置き換わるから、ケータイでメールを受け取るのと同等の速度と気軽さで、各個人に対して情報が移動する。だから、原理的には従来の印刷・製本・流通・在庫管理の手間がすべて省ける。ということは、そういう業務をしてきた会社や団体は不要になってしまう。運動面で言えば、普及誌の配本にともなう繁雑な諸業務がなくなるのはいいとしても、その過程で行われてきた会員同士の密接なコミュニケーションや、運動組織内部の情報伝達のルートが失われるのである。もちろん、今後すぐそうなるのではない。日本ではどのような機種が、どのような形で受け入れられるかによって、変化の速度と方向性は違ってくるだろう。しかし、“文書伝道”の新しいルートが今後、急速に広がっていくことは確実だろうから、そのための準備は「今」から必要である。
 
 谷口 雅宣

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2009年10月 8日

エコカーへの転換を急ごう

 24日から千葉市の幕張メッセで開催される東京モーターショーでは、次世代エコカーの展示が“目玉”になるらしい。今日の新聞各紙が報じている。私はかねてから本欄などで、自分の乗る車として「ハイブリッド式小型SUV」の登場を希望していたが、それはなかなか出なかった。が、今回、やっと希望の車種に近いもの、さらにはその上を行くらしい車種が登場する。地球温暖化は数年前の予想以上に進行しているから、今では、ハイブリッドよりさらにCO2排出が少ない車種に切り替えたいところだ。
 
 民主党政権の減税政策等により、ガソリン・エンジンと電気モーターを兼用するハイブリッド車(HV)は、どんどん売れているらしい。特に、トヨタ自動車のプリウスは今年度の上半期(4~9月)で約11万6300台を売り、軽自動車を含む国内新車販売ランキングで初めて首位に躍り出た(7日付『朝日』)。これはきわめて喜ばしいことだが、すでに公用で何年もプリウスに乗っている私としては、この程度の燃費効率では実質的な“排出削減”にはならないのである。さらに燃費を向上させるためには、新世代のHVであるプラグイン・ハイブリッド車(PHV)か電気自動車(EV)でなければならない。

 6月5日の本欄に書いたが、HVで先行するトヨタはEVの開発に難色を示していたようだが、時代の変化を察知したのか、今度のモーターショーには「FT-EVⅡ」という超小型電気自動車を出品するという。また、同時に展示されるプリウスのPHV版は、リットル当り55キロという驚異的な燃費効率だという。トヨタとは異なる方式のHV「インサイト」を出していたホンダは、来年2月発売予定の「CR-Z」というスポーツHVを出品するという。
 
 これに対して、今年7月に「アイミーブ」を出して電気自動車で先行していた三菱自動車は、長距離走行が可能なPHVのSUV車「PXミーブ」を出すという。これは、電気だけで50km走行でき、それ以上は発電用の補助エンジンを使って走るらしい。また、EVの「プラグイン ステラ」を7月から販売開始した富士重工も、「スバル ハイブリッド ツアラー」というコンセプトHVを出すという。その一方で、EVに力を入れてきた日産自動車については、新聞記事は詳しくない。超小型EVの「ランドグライダー」が展示されるそうだが、市販は未定。2010年後半に「リーフ」というEVを発売するらしいが、これは1回の充電で160kmまでしか走れない。

 私のかねてからの希望の車種にいちばん近いのは、ホンダの「CR-Z」ではないかと思うが、三菱の「PXミーブ」も魅力的である。ただし、双方とも実物を見ていないし、詳しいデータも知らないから、それ以上は何とも言えない。私はモーターショーへは恐らく行けないから、人々の評価を聞いてから買い替えを考えるつもりである。
 
 このように、国内の自動車メーカーがこぞって「燃費重視」の新型車を開発していることは、温暖化抑制が人類的合意になったことの表れだろう。特に、政権交替した日本政府が「1990年比25%削減」という大きな目標を掲げたことで、「待ったなし!」の認識が生まれつつあることが大きい。この方向へどんどん進むことが、さらなる技術革新と新産業育成につながるのだから、国益にもなる。我々もユーザーとして大いに協力したい。
 
 谷口 雅宣

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2009年9月 8日

新産業の育成に歩み出そう

 まもなく首相となる鳩山由紀夫氏が打ち出した「温暖化ガス25%減」という中期目標に対して、予想通り自民党と経済界が「反対!」の合唱を始めたが、これは驚くほどのことではない。産業革命以来の“地下資源文明”から転換して、再生可能の“地上資源文明”に移行するという人類史の長く大きな流れの中では、多少の混乱があるのはいたしかたないだろう。この流れを嫌う自民党と日本経団連が提出してきた温暖化抑制のための“代替コース”は、原子力発電の振興であるが、今回の総選挙で、このコースは国民によって否定されたと私は解釈している。それでもまだ、このコースを追求する合理的理由はもはや存在しない。別の言い方をすれば、原発の増設は、自民党政権下でさえきわめて困難だったのだから、民主党政権下でそれを進めるという選択肢は存在しないということだ。だからこれからは、日本の産業界は再生可能エネルギーの利用技術の開発と、その利用に焦点をさだめて、結束して進んでほしいと思う。

 古い産業から新しい産業への移行時には、「できない」と見えることの方が「できる」と見えることより多いのは当り前だ。だから、この移行期には、「何ができないか」を取り上げて文句を言うのではなく、当初は見つけにくいかもしれないが、「何ができるか」を探して、それを拡大していくのが責任ある正しい態度である。新産業の育成は、子供の教育とこの点で同じである。子供に向かって「お前はこれができない。あれもできない」と文句ばかり言う親は、その子の将来を摘み取ってしまう。少し難しいと思うことでも、「あれができるのだから、これもできるぞ」と言って励ますことで、その子は現状から先に進み、ついに親を超えることもできるのである。我々一般人の地球環境問題への取り組みにも、同様のことが言える。これは、政治の問題というよりも、心理学が取り扱う分野である。
 
 つまり、環境問題への取り組みにも“よい方法”と“悪い方法”があるのだ。イギリスの科学誌『New Scientist』が8月22日号でそのことを伝えている。それによると、「ああしなさい、こうしなさい」という説教方式の取り組みは効果が少ないのに対し、アル・ゴア氏が訴えたような「気候変動の危機も我々の力で解決できる」式の積極的な"can do"の訴えの方が効果的だそうだ。また、人間の本性は、一般に考えられているように強欲でも近視眼的でもなく、やり方さえ工夫すれば、他人や自然界のために行動するのに驚くほど積極的になれるという。

 この“よい方法”を見つけるために、「自然保護心理学」という新しい学問ができている。英語では「conservation psychology」といって、自然と人間との相互供与関係を、自然保護の観点から研究する学問である。社会心理学や生態学、動物行動学、哲学等の知見を総合して、人間と自然環境との調和した関係の実現を追求する分野である。この学問では、自然界に対する人間の保護的態度や情愛ある関係がどのようにして形成されるのか、環境をどう見るか、環境との触れ合いと子供の成長・発達、自然保護の倫理、自然保護の文化、自然の価値と意味、自然保護の行動などについて研究する。今夏、ブラジルのサンパウロ市で開催された「世界平和のための生長の家教修会」では、世界の伝統的宗教と南北アメリカの先住民の信仰の中で、自然がどう扱われているかという「自然観」の研究発表が行われた。こういう分野も、自然保護心理学が扱う領域と重なっている。宗教と科学とが協力できる分野の1つとして興味深い。
 
 「人間は本来、自然を愛する生きものである」というのが、当り前のようであるが、この学問が見つけ出した知見の1つだ。上掲誌の特集記事で、オランダの社会心理学者、マーク・ヴァン・ヴガト氏(Mark van Vugt)は、そのことを次のように記している--「我々は、人工的な環境よりも自然環境の方を好み、人工的な環境の中では、そこに何かの自然物--樹木や水など--があるのを好む。人間はまた、文化の区別なく、アフリカのサバンナのような広大な風景を好む。ヨーロッパでもアメリカでも、毎年動物園を訪れる人の数は、すべてのプロスポーツ競技に集まる人の数より多い。自然は人間の健康にも影響を与える。病室の窓から自然の風景が見える患者の方が、レンガの壁しか見えない患者よりも早く快復する」。
 
 これらは、人間が明らかに自然の一部であることを示している。だから、この分野の今後の取り組みにおいては、地球環境の「問題」を取り上げる段階から一歩進んで、そういう自然と人間との本来ある親しい関係を取りもどすために、産業を「育てる」という積極的な観点が重要と思う。
 
 谷口 雅宣

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2009年6月16日

臓器移植の先に見えるもの (2)

 イギリスの科学誌『New Scientist』は6月6日号(vol.202 No.2711)で、体細胞を利用した再生医療技術の現状を特集している。私がそれを読んで驚いたのは、再生医療研究の先端では、すでに臓器移植を不要とする技術が完成に近づいているということだ。もう1つ新たに知ったのは、ここでは動物の臓器と人間の臓器とを“合体”ないし“融合”させることで、新しい臓器の生産に結びつかせる道筋が有望視されているという点だ。つまり、今流行の言葉を使えば“ハイブリッド臓器”の生産が現実化しつつあるということだ。
 
 臓器提供者の不足を補うための1つの方法は、ブタなどの動物の臓器を人間に移植する「異種移植」(xenotransplant)だった。しかし、この方法は、それだけでは移植患者の免疫系が動物の臓器を激しく拒絶する反応が起こるため、移植後は免疫抑制剤を半永久的に使わねばならない問題があった。また、動物の細胞がもつウイルスに感染するリスクがあった。これらの問題を避けて、必要な臓器を作成する方法がほぼ完成に近づいている。その技術の概要は、次のようなものだ--
 
 ①必要な臓器を入手する
 ②臓器を洗浄して細胞を除去し、コラーゲンでできた“枠組”だけを残す
 ③この“枠組”に幹細胞を流し込む
 ④幹細胞が分化を始め、必要な臓器を形成する
 ⑤できた臓器を患者に移植する

 アメリカのミネソタ大学のドリス・タイラー博士(Doris Taylor)らのグループは、2008年1月、ラットの心臓の枠組に、生れたばかりのラットの心臓の幹細胞を流し込むことで、血管や筋肉も備えた拍動する新しい心臓を生み出した。その後、この心臓を別のラットに移植できれば技術の“完成”となるが、できた心臓はまだ筋肉の量が少ないため、体内で役割を果たすところまで行っていないらしい。タイラー博士のチームは、ラットの次には、この方法を使ってブタの心臓と肝臓を作成する研究を行うことを考えているという。そして、この分野の多くの研究者が最終的に目標としているのは、もちろん人間に使える臓器を患者自身の幹細胞から再生産することだ。これは必ずしも夢物語ではなく、気管のような単純な形状の臓器であれば、イギリスのブリストル大学の研究者が、この技術を使ってすでに人間の気管の再生と移植に成功しているという。また、心臓弁などの小型の組織などでは、ブタの組織の“枠組”を使った“ハイブリッド組織”を体内に移植した患者が、欧米ではすでに多数存在するらしい。

 ということで、見えてきた1つの道筋はこういうものだ--上記の①にある「必要な臓器」は、人間のものでもブタのものでも可となる。また、人間の場合、脳死でも心臓死でも大差ないだろうから、後者の人の臓器の利用が増えるだろう。となると、将来の再生医療の行く先は、脳死段階での臓器移植を増やす方向へではなく、病院や専門ラボで患者の幹細胞を使って再形成された新しい臓器の移植である。これによって、脳死段階での臓器移植がもつ様々な問題は回避できるようだが、その代り“ハイブリッド組織”や“ハイブリッド臓器”を体内にもつ人々が増えていくのだろう。これを人間の「幸福の増進」と言えるかどうかは、また別問題と私は思う。
 
 谷口 雅宣

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2009年6月15日

臓器移植の先に見えるもの

 6月9日同13日の本欄で、臓器移植法の改正をめぐる動きについて少し書いた。この問題は、臓器の提供側と受け手側の利害が必ずしも一致しないところに、基本的な問題がある。提供側が前もって提供の意思と時期(心臓死か脳死か)を示していれば、両者の利害は一致するから、問題は起こりにくい。それでも、提供者本人でなく、家族の感情の問題は残るかもしれない。これに対して、事前に提供者の意思が示されていない場合、家族にそれを決める責任と負担が生じる。家族全員が一致した判断を下せれば、それでも負担は少ない。が、そうでない場合、家族構成員の間に感情的なシコリが残ることも考えられる。

 これが提供側の問題だが、受け手の側では少し種類の違う問題が生まれる。それは「他人の死を待ち望む」という心理状態になることである。倫理感が確立していない子供の場合、この心理状態はさほど負担でないかもしれないが、成人した人間にとっては、個人差はあるにしても倫理的ジレンマは感じられるだろう。これを克服し、幸いにも移植臓器を得た人は、提供者に対して感謝の念を強くもつに違いない。が、感謝しようとしても本人は死亡しているのだから、その思いは、提供者の家族に対して、手術をした医師に対して、あるいは移植を可能とした社会に対して向けられるかもしれない。これはよいことだ。また、他人に助けられたことで、社会への奉仕を志す人も出てくるかもしれない。これも、よいことだろう。しかし、これとは反対に「臓器を得る権利がある」などと考える人も出てくるだろう。

 以上は、臓器移植にかかわる個人の問題だが、社会全体を見るとどうなるだろうか。現在の臓器移植法が扱っている範囲は、死んだ人(心臓死と脳死)の臓器だから、社会全体では一種の「臓器のリサイクル」制度のようなものだ。この言い方が悪ければ、「臓器を使えるうちに他人に回す」制度である。摘出された1個の臓器は、基本的には1個のまま他の人に移植される。そういう「1対1」の関係がある。ところが、提供される臓器が足りないと考える人の間では、臓器の「リサイクル」ではなく、「創出」の技術も開発されつつある。つまり、新しく臓器をつくるのである。これができれば、臓器の提供側の問題はもちろん、受ける側の倫理的ジレンマの問題も軽減するし、移植にかかわるコスト削減につながる可能性もある。

 そんな技術の確立を目指しているのが、いわゆる「再生医療」と呼ばれている分野である。この技術は一見、倫理的な問題が少なく理想的に思えるかもしれないが、そう簡単ではない。本欄で何回も言及してきた「ES細胞(embryonic stem cells)」や「iPS細胞(induced pluropotent stem cells)」の技術が、まさにこの分野の先端である。が、ES細胞には「受精卵を使う」という問題があり、iPS細胞には「ガン化のリスク」があることを書いてきた。本欄では、卵子や精子などの生殖細胞を除く「体細胞」を利用した再生医療の進展に期待を示してきたが、iPS細胞の研究はこの分野に属する。が、それ以外の体性幹細胞(成人幹細胞)を利用した再生医療の研究も進んでいる。次回の本欄では、それを紹介しよう。
 
 谷口 雅宣
 

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2009年6月 5日

環境対応車の行方

 アメリカの“ビッグ3”の凋落を目の前にしている今、ガソリンやLPGなどの化石燃料で走る自動車の将来は見えたと言える。では、次世代の自動車の主力は何か? これに答えるのは難しい。なぜなら、「次世代」という言葉の意味する期間をどうとらえるかで、正解が変わる可能性があるからだ。恐らく「10年先」「20年先」「50年先」で、主力となるテクノロジーは大いに違ってくる。その動向は、科学技術の進展と密接に関係しているから、私のような素人には予測不可能である。そこで本欄では、「次世代」をとりあえず「10年先」と考え、自動車の技術が「どこへ向かうか」ではなく、「どこへ向かうべきか」と考えた場合の“希望的予測”を述べようと思う。
 
 私はこの場合、①電気自動車、②ハイブリッド車、③燃料電池車、というランクづけをしたい。「どこへ向かうか」と考えた場合、①と②は入れ替わると思う。が、私は、「どこへ向かうべきか」という視点から、電気自動車の開発を大いに希望するのである。理由は、電気自動車は、化石燃料を主体とした現在の自動車燃料のインフラを大きく変更する可能性があるため、人類の化石燃料依存からの脱却を加速させるのに対し、ハイブリッド車の蔓延は、化石燃料のインフラ維持を正当化するため、地球温暖化の抑制という点では効果が劣ると思うからである。
 
 むずかしい書き方をしてしまったので、具体的に説明しよう。本欄の読者ならば、現在の自動車ユーザーの好みが、GM車のような大型大馬力のものから日本車のような小型低燃費のものにシフトしている点は、すでにご存じだろう。“石油ピーク説”を支持している私としては、ガソリンの値段が将来急速に下がることはないと考えるので、自動車ユーザーの「小型低燃費志向」も当分変わらないと考える。このことは、現在のハイブリッド車人気が有力に示している。5月12日の『日経』は、軽自動車を除く国内の乗用車販売に占める環境対応車の比率が、今年度にも1割を超すと予測した。実際、ホンダのハイブリッド車の国内販売台数は、今年度は前年度比の5倍もあり、トヨタのハイブリッド車も約5割増が見込まれている。
 
 6月に入ってから、新聞各社はたて続けに“次世代”志向の環境対応車の販売計画を伝えている。まず、トップランナーのトヨタは、本欄では(2006年2月3日6月14日などで)と「充電式ハイブリッド車」呼んできたプラグインハイブリッド車(PHV)を今年末にリース販売すると発表した(4日付『産経』『朝日』など)。これに対し、電気自動車で先行する三菱自動車は、「プラグイン電気自動車(PEV)」と称する車種を、2013年までに国内で発売すると発表した。PHVとPEVの共通点は、ガソリンエンジンと電気モーターを1基ずつ搭載し、家庭用電源から充電できることだが、相違点はPHVがガソリンエンジンを動力として使うのに対し、PEVはこれを発電用に特化している点だ。小さい体躯なのに動力源を2つも搭載する理由は、現在電気容量で最高水準にあるリチウムイオン電池をもってしても、1回の充電で160kmほどしか走れないからだ。その不足分を、PHVはガソリンエンジンで直接補い、PEVはガソリンエンジンで発電することで間接的に補うという戦略である。
 
 これに対して、4日付の『産経』によると、日産自動車が来年から発売するという電気自動車(EV)は、この「充電容量の不足」の問題を画期的な方法でクリアすることを目指している。それは、電気自動車に対して現行のガソリンスタンドの役割をする充電スタンドを各地に設け、電気の残量が少なくなったEVの電池をフル充電のものと交換するシステムである。これだと、ガソリン車の給油に必要な時間と同程度の時間で電池交換ができるという。このシステムについては、昨年12月8日の本欄で少し紹介したが、米カリフォルニア州のベンチャー企業が普及を進めているもので、すでにポルトガルやイスラエルなどで実証実験が行われている。国内では、この4月から横浜市で実証実験が始まっているから、日産は来年からの販売が可能と踏んだようだ。
 
 上に書いたように、ハイブリッド方式の自動車は、PHVもPEVも化石燃料への依存を払拭できない。これらは、1台の車に2系統の動力を積むという技術的な複雑さを伴うから、居住性や運搬重量、コストの点で1系統の動力車より不利である。この点、電気モーターしか使わないEVは、シンプルな構造が保証されるから低コスト化が期待でき、不要な1系統分の容積を居住性と運搬重量に振り向けることができる。しかし、問題は電池交換のためのインフラ整備である。これを「不利」と見るか「有利」と見るかは意見の分かれるところだろう。が、私は、短期的には不利であっても、中・長期的には社会全体にとって有利だと考える。そういう意味で、今回の日産の決断を私は大いに応援したい気持である。

 私が電気自動車の将来性を買う理由は、もう1つある。それは今後、蓄電池の技術が進歩することで、2系統の動力を組み合わせて使うハイブリッド技術は不要になると思うからだ。現在のリチウムイオン電池の性能で、EVは160km走るというが、これは直線距離で東京から静岡市、諏訪市、黒磯市までだ。5月20日の『朝日』によると、日立製作所はこのほど、従来型の1.7倍の出力をもつリチウムイオン電池を開発し、2013年から量産する予定だという。この新型電池だと、単純計算では1回の充電で東京から名古屋、新潟、仙台まで行けそうだから、大抵の用途はこれで済んでしまう。だから、PHVもPEVも、あと4~5年で競争力を失う可能性があるのである。それなら、インフラ整備に多少時間とコストがかかっても、電気自動車の開発に注力するのが得策だと私は思う。
 
 谷口 雅宣

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2009年5月21日

“若者撃退器”を足立区が導入?

 本欄で4年前に紹介したイギリス製の“若者撃退器”が、いよいよ日本の足立区(東京都)で今日から実験的に使われるらしい。20日付の『朝日新聞』が夕刊で伝えている。これは、若者の耳にしか聞こえないとされる18キロヘルツ前後の高い周波数の音を発生させる装置で、昆虫のカを意味する「モスキート(mosquito)」という名前のもの。カが発声する高音が不快であることから、開発者が名付けたらしいが、日本での商品名は記事中にはない。
 
 記事によると、足立区がこの実験に踏み切るのは、夜中に若者たちが北鹿浜公園に集まって騒ぎ、トイレの便器や事務所の窓ガラスを壊したりするほか、周辺住民から「騒音で眠れない」との苦情が後を絶たないためらしい。同区公園管理課で半年間議論を重ねたすえ、実験的導入に踏み切るという。破壊のあった事務所と公衆トイレがならぶ付近に設置して、午後11時以降、翌朝5時まで高周波数音を鳴らす。議論があるのは、やはり「公園」という公共施設の中に、一部の人間(若者)の入場を妨げるような装置を設置するからだろう。が、同公園管理課の増田治行課長は、「憩いの場のはずの公園が、安眠を奪う迷惑施設になってはいけない」(同記事)と考えて導入するという。

 足立区のウェブ上の説明では、北鹿浜公園は足立区内に2箇所ある交通公園の一つで「交通広場」と「公園部分」の領域に分かれ、前者にはミニ列車、自転車、バッテリーカーなどがあるため入場の規制があるが、後者は常時開放されている。ここへ夜間、若者たちが集まって騒ぎたてるのだろう。私は、この機械の効果をよく知らないが、4年前の本欄によると、それを設置したら「若者が耳を押さえながら店内に入って来て、“あの音を止めてくれ”と頼んだ」というから、若者には「耐えがたい音」であることは確かだ。しかし、若者は店内に入ってきたのだから、彼らを「寄せつけない」音ではなさそうだ。ということは、耳栓をしたり、ヘッドフォンを付けた若者には、あまり効果はないのではないか。また、彼らが「自分たちを排除するため」という設置目的を知ったならば、かえって反発して騒ぎを大きくしないか、と心配する。
 
 『朝日』の記事では、この機械は1台20万円もするそうだが、この公園での昨年度の被害額は約70万円という。3台の設置で被害がなくなれば「効果あり」と言えるだろうが、私としては、公園を夜間閉鎖すればすむ話ではないかと思う。そうすれば「若者だけ締め出す」という公共面からの問題も生まれないと思うのだが……。
 
 谷口 雅宣

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