2009年11月 4日

キンドルを使う (2)

 10月23日の本欄で、この電子ブック端末の外観と基本的機能について少し書いた。それから約2週間がたったが、私に分かったことは次の3つである:
 
 ①英文を男女の声で読み上げる。
 ②個人用ファイルを保存できる。
 ③購入した電子ブックのコピーが提供される。
 
 この英文の「読み上げ」の機能には驚かされた。画面に表示されている文章を、結構まともな英語で読み上げてくれる。しかも、男性と女性の2種類の声を選ぶことができ、読み上げる速度も3段階ある。何のためにこれがあるのか定かでないが、想像するところ、自動車の運転中とか、目が疲れた時などに利用できるし、目が不自由な人の役に立つかもしれない。キンドルにはイヤフォン・ジャックもついているから、パソコンにつなげば音声ファイルの作成も可能だろう。ただし“完璧な英語”とは言えないから、発音練習には不向きかもしれない。また、アマゾンが提供する電子ブックや雑誌記事には音声による読み上げができるものと、そうでないものがある点、注意が必要だろう。
 
 次に、ここで言う「個人用ファイル」とは、個人がワープロや画像編集ソフトで作ったファイルのことである。だから、自分で書いた文書やインターネット上の情報、お絵描きソフトで作った画像、デジカメの写真などもキンドルの中に収納できる。ただし白黒画面だから、カラー画像はモノクロ表示になる。使えるファイル形式は、ワードの文書ファイル(DOC, DOCX)のほか、 PDF、 HTML、 TXT、 RTF、 JPEG、 GIF、 PNG、 BMP、 PRC、MOBI、などである。ただし、これらの個人用ファイルはキンドルに直接転送できない。使うときには、電子メールに添付して自分のキンドル用のアドレスに送ると、アマゾン側でファイル変換を行ったものを無線で送り返してくる。これには多少、時間の経過を要する。が、数ページ分のワード文書なら、数分でキンドルに収められる。
 
 最後に書いた「電子ブックのコピー」とは、キンドルで注文した電子ブックや電子記事のコピーが、自分のアマゾンのアカウントに残るということだ。 これがなぜ必要かというと、キンドルでは電子ブックを簡単に削除できるからだ。これは便利な機能だが、操作が簡単なため誤って削除する場合も出てくる。すると、通常の方法では(例えば、ウィンドウズ付属の「ごみ箱」機能のような)現状回復は不可能なのだ。これでは安心して使えないから、コピーをアマゾン側で取っておいてくれる。私も実際、買ったばかりの電子ブックを誤って1冊まるごと削ってしまったことがある。しかし、アマゾンが設けた自分のキンドル用のウェブページにアクセスすれば、そこにコピーがあるのでダウンロードして現状回復できた。これはうれしい機能である。
 
 このようにして、キンドルは電子ブックの購入と読書のための端末としては必要な機能をもっているが、なにせ日本語のファイルを表示しない点が、現在ではボトルネックだ。が、アマゾンでは近々世界各国の言語に対応すると言っているので、そうなれば音楽CDの販売減と似たような現象が、出版業界にも起こる可能性は充分あると言えるだろう。

 谷口 雅宣

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2009年10月23日

キンドルを使う

 10月9日の本欄で、米ネット通販最大手のアマゾン・ドット・コムの電子ブック端末「キンドル」が、日本でも(英語のみで)使えるようになることを書いた。その際、私が注文した同製品が昨日届いたので、さっそく使い始めた。
 
 まず外観からいうと、縦20㎝、横13㎝、厚さ9㎜のサイズは、私の想像より小さかった。送られてきた包みは、アマゾンが使ういつもの濃い茶色の段ボールケースだった。それを見てキンドルに違いないとは思ったが、あまりに小さくて軽量だったので、ひょっとしたら別物かと思った。例えば、「注文が多いので発送が遅れる」などと書いた手紙を添えて、簡単な景品を入れてあるだけのものかもしれい……などという思いが一瞬、頭をよぎった。が、中身はキンドルそのものだった。新聞発表の数字では、重さは「約290g」ということになっているが、実際に測ってみると「275g」である。この軽さが、まず気に入った。これなら気軽に持ち運べる。
 
 しかし、画面の大きさが予想より小さかった。正確にいうと「90mm×122mm」だ。このサイズは、文庫本1ページ分の版面と大体同じである。ここに表示される英文はKindle_disp標準で「47文字×20行」だが、文字の大きさは6段階に変えられるから、自分の視力に合った文字の 大きさを設定すればいい。私の場合、標準の設定でまだ大丈夫のようだ。画面は見やすい。艶消しの灰白色の地に黒い文字で明確に表示される。パソコンのように画面の向こう側からバックライトで照らされる方式ではなく、紙に印刷してあるのに近い見え方である。私がよく読む『ヘラルド朝日』の紙面と、キンドル上に表示された『Foreign Affairs』の記事を比べた写真を、ここに掲げる。
 
 さて、問題は文字の入力である。キンドルには、縦長の表示画面の下に超小型のキーボードがついている。これは、携帯端末のブラックベリーに付属したキーボードに似ていて、左右の親指の先でキーを押す。慣れるまでには少し練習が必要だろう。読書用端末機になぜ文字の入力が必要かと、不思議に思う人がいるかもしれない。が、キンドルには通信機能が内蔵されていて、インターネットが使える。これによってアマゾンのサイトに接続し、ほしい書籍等を探し、その場でダウンロードできるのである。このために、キーワード等を打ち込む必要があり、キーボードが役に立つ。また、機能を限定されたウェブブラウザーもついているから、キーボードからサイトのURLを入力し、携帯電話で見るようにサイトを見ることもできる。恐らく、サイトからの書き込みもできるだろうが、まだそこまでやっていない。
 
 アマゾンのサイトから本のサンプルと雑誌をダウンロードした。どちらも、ものの数秒でキンドルの中に収まる。それをワイヤレスで無言で行うので、不思議な印象だ。どこからともなく文書が湧き出てくる感じだ。画面に表題が出て、それにカーソルを合わせてクリックすると、本は表紙から、雑誌は最初のページから表示される。キンドルの表面の両脇に「NEXT PAGE」(次頁)と「PREV PAGE」(前頁)のボタンがついているから、それを押してページを前後にめくる。読書を途中でやめるときは、そのページに「BOOK MARK」(栞)をつければ、次回に読む時はそこから表示される。本や雑誌の記事をキーワードで検索したり、不明の言葉を辞書で調べることも簡単にできる。このために『The New Oxford American Dictionary』(オックスフォード米語辞典)が最初から同梱されていた。このほか同梱されていたのは『Kindle User's Guide, 1st Ed.』(キンドル・ユーザーガイド第1版)である。

 書き忘れていたが、電源は充電池から供給される。これに充電するためには、通常の電灯線、あるいはパソコンのUSB端子から採る。そのためのケーブルがもちろん付属している。充電時間は、未使用の新品の場合は「3時間」と説明書にはあったが、私の場合は2時間ちょっとでフル充電された。ゆっくり使いながら、使い心地や変わった使い方などについて、今後も本欄で紹介していくつもりである。
 
 谷口 雅宣

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2009年10月 9日

紙を使わない出版 (3)

Kindle  本格的な電子ブックが、いよいよ日本でも使えるようになる。米ネット通販最大手のアマゾン・ドット・コムが、アメリカで成功している電子ブック端末「キンドル」(=写真)を日本を含む100カ国以上で発売する、と発表したからだ。いわゆる“電子ブック”は、日本でもかなり前からパソコン用として流通しているが、本の読み方としてはまだまだ一般的でない。それに、持ち運びが不便である。また最近では、携帯電話で読む“ケータイ小説”が若者の間ではずいぶん人気のようだが、それを単行本化して売っているのだから、“本命”は紙の本なのだろう。また、私のような中高年には、ケータイの画面は小さすぎる。そこへ、縦20㎝、横13㎝、厚さ9㎜で、重さ約290gの「キンドル」(約25,000円)が参入することで、日本の電子本環境は大きく変わる、と私は思う。
 
 実は、ソニーも「リーダー」という電子ブック端末を欧米では出していて、2006年以来、累計で40万台を売っている。日本では2004年に販売を開始したがうまくいかず、3年後に撤退した。「キンドル」は2007年の発売から2年間で50万台を売ったとされる。10月8日の『朝日新聞』によると、ソニーは「キンドル」の上陸を機会に「リーダー」の日本での再発売を検討しているそうだ。
 
 今回の「キンドル」では、しかし日本語の本は読めない。8日の『日本経済新聞』によると、アマゾンCEO、ジェフ・ベゾス氏は、「キンドルで日本語を読むための技術開発にも取り組んでいる。端末を各国で普及させることで、現地でのコンテンツ配信が展開しやすくなる」と言っているが、「日本語の電子書籍の配信開始時期などは現時点では言えない」としている。
 
 私にとっては、それでもキンドルは利用価値が充分あると感じる。というのは、私は毎日、『ニューヨークタイムズ』の国際版である『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』(『ヘラルド朝日』)を読み、英語の雑誌や書籍も読むからだ。これらが紙の本や雑誌より安く、早く手に入るだけでなく、すべて1台のキンドルの中に納まってしまうということになると、無関心ではいられない。蔵書スペースの節約と、持ち運びの便利さは紙の「書籍」の比ではない。ちなみに、キンドル1台の中に収納できる情報は、普通の単行本1500冊分という。
 
 本欄には過去2回(2008年1月28日本年3月10日)、「紙を使わない出版」という題で本の電子化の動きについて書いたが、これは“文書伝道”を旗印にしてきた生長の家の布教活動とも大いに関係がある。来年から登場する新しい普及誌では、紙の雑誌の上だけでなく、インターネット上の電子情報と連動した編集と出版が行われる。これによって読者は、紙の雑誌より多くの情報を得られるだけでなく、情報の流れが「一方通行」から「双方向」に変わる。つまり、「読者参加」の編集範囲が拡大するのである。しかしこの場合、読者はパソコンを使えることが大前提だった。キンドルのような電子ブック端末の使い勝手がよく、また日本語に対応すれば、パソコンなしに本や雑誌が手軽に読めることになり、運動の展開にも大きな影響が出るだろう。
 
 電子ブックの最大の特長は、従来のような「送本」や「配本」の必要がなくなることである。これは「電子情報の移動」に置き換わるから、ケータイでメールを受け取るのと同等の速度と気軽さで、各個人に対して情報が移動する。だから、原理的には従来の印刷・製本・流通・在庫管理の手間がすべて省ける。ということは、そういう業務をしてきた会社や団体は不要になってしまう。運動面で言えば、普及誌の配本にともなう繁雑な諸業務がなくなるのはいいとしても、その過程で行われてきた会員同士の密接なコミュニケーションや、運動組織内部の情報伝達のルートが失われるのである。もちろん、今後すぐそうなるのではない。日本ではどのような機種が、どのような形で受け入れられるかによって、変化の速度と方向性は違ってくるだろう。しかし、“文書伝道”の新しいルートが今後、急速に広がっていくことは確実だろうから、そのための準備は「今」から必要である。
 
 谷口 雅宣

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2009年10月 8日

エコカーへの転換を急ごう

 24日から千葉市の幕張メッセで開催される東京モーターショーでは、次世代エコカーの展示が“目玉”になるらしい。今日の新聞各紙が報じている。私はかねてから本欄などで、自分の乗る車として「ハイブリッド式小型SUV」の登場を希望していたが、それはなかなか出なかった。が、今回、やっと希望の車種に近いもの、さらにはその上を行くらしい車種が登場する。地球温暖化は数年前の予想以上に進行しているから、今では、ハイブリッドよりさらにCO2排出が少ない車種に切り替えたいところだ。
 
 民主党政権の減税政策等により、ガソリン・エンジンと電気モーターを兼用するハイブリッド車(HV)は、どんどん売れているらしい。特に、トヨタ自動車のプリウスは今年度の上半期(4~9月)で約11万6300台を売り、軽自動車を含む国内新車販売ランキングで初めて首位に躍り出た(7日付『朝日』)。これはきわめて喜ばしいことだが、すでに公用で何年もプリウスに乗っている私としては、この程度の燃費効率では実質的な“排出削減”にはならないのである。さらに燃費を向上させるためには、新世代のHVであるプラグイン・ハイブリッド車(PHV)か電気自動車(EV)でなければならない。

 6月5日の本欄に書いたが、HVで先行するトヨタはEVの開発に難色を示していたようだが、時代の変化を察知したのか、今度のモーターショーには「FT-EVⅡ」という超小型電気自動車を出品するという。また、同時に展示されるプリウスのPHV版は、リットル当り55キロという驚異的な燃費効率だという。トヨタとは異なる方式のHV「インサイト」を出していたホンダは、来年2月発売予定の「CR-Z」というスポーツHVを出品するという。
 
 これに対して、今年7月に「アイミーブ」を出して電気自動車で先行していた三菱自動車は、長距離走行が可能なPHVのSUV車「PXミーブ」を出すという。これは、電気だけで50km走行でき、それ以上は発電用の補助エンジンを使って走るらしい。また、EVの「プラグイン ステラ」を7月から販売開始した富士重工も、「スバル ハイブリッド ツアラー」というコンセプトHVを出すという。その一方で、EVに力を入れてきた日産自動車については、新聞記事は詳しくない。超小型EVの「ランドグライダー」が展示されるそうだが、市販は未定。2010年後半に「リーフ」というEVを発売するらしいが、これは1回の充電で160kmまでしか走れない。

 私のかねてからの希望の車種にいちばん近いのは、ホンダの「CR-Z」ではないかと思うが、三菱の「PXミーブ」も魅力的である。ただし、双方とも実物を見ていないし、詳しいデータも知らないから、それ以上は何とも言えない。私はモーターショーへは恐らく行けないから、人々の評価を聞いてから買い替えを考えるつもりである。
 
 このように、国内の自動車メーカーがこぞって「燃費重視」の新型車を開発していることは、温暖化抑制が人類的合意になったことの表れだろう。特に、政権交替した日本政府が「1990年比25%削減」という大きな目標を掲げたことで、「待ったなし!」の認識が生まれつつあることが大きい。この方向へどんどん進むことが、さらなる技術革新と新産業育成につながるのだから、国益にもなる。我々もユーザーとして大いに協力したい。
 
 谷口 雅宣

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2009年9月 8日

新産業の育成に歩み出そう

 まもなく首相となる鳩山由紀夫氏が打ち出した「温暖化ガス25%減」という中期目標に対して、予想通り自民党と経済界が「反対!」の合唱を始めたが、これは驚くほどのことではない。産業革命以来の“地下資源文明”から転換して、再生可能の“地上資源文明”に移行するという人類史の長く大きな流れの中では、多少の混乱があるのはいたしかたないだろう。この流れを嫌う自民党と日本経団連が提出してきた温暖化抑制のための“代替コース”は、原子力発電の振興であるが、今回の総選挙で、このコースは国民によって否定されたと私は解釈している。それでもまだ、このコースを追求する合理的理由はもはや存在しない。別の言い方をすれば、原発の増設は、自民党政権下でさえきわめて困難だったのだから、民主党政権下でそれを進めるという選択肢は存在しないということだ。だからこれからは、日本の産業界は再生可能エネルギーの利用技術の開発と、その利用に焦点をさだめて、結束して進んでほしいと思う。

 古い産業から新しい産業への移行時には、「できない」と見えることの方が「できる」と見えることより多いのは当り前だ。だから、この移行期には、「何ができないか」を取り上げて文句を言うのではなく、当初は見つけにくいかもしれないが、「何ができるか」を探して、それを拡大していくのが責任ある正しい態度である。新産業の育成は、子供の教育とこの点で同じである。子供に向かって「お前はこれができない。あれもできない」と文句ばかり言う親は、その子の将来を摘み取ってしまう。少し難しいと思うことでも、「あれができるのだから、これもできるぞ」と言って励ますことで、その子は現状から先に進み、ついに親を超えることもできるのである。我々一般人の地球環境問題への取り組みにも、同様のことが言える。これは、政治の問題というよりも、心理学が取り扱う分野である。
 
 つまり、環境問題への取り組みにも“よい方法”と“悪い方法”があるのだ。イギリスの科学誌『New Scientist』が8月22日号でそのことを伝えている。それによると、「ああしなさい、こうしなさい」という説教方式の取り組みは効果が少ないのに対し、アル・ゴア氏が訴えたような「気候変動の危機も我々の力で解決できる」式の積極的な"can do"の訴えの方が効果的だそうだ。また、人間の本性は、一般に考えられているように強欲でも近視眼的でもなく、やり方さえ工夫すれば、他人や自然界のために行動するのに驚くほど積極的になれるという。

 この“よい方法”を見つけるために、「自然保護心理学」という新しい学問ができている。英語では「conservation psychology」といって、自然と人間との相互供与関係を、自然保護の観点から研究する学問である。社会心理学や生態学、動物行動学、哲学等の知見を総合して、人間と自然環境との調和した関係の実現を追求する分野である。この学問では、自然界に対する人間の保護的態度や情愛ある関係がどのようにして形成されるのか、環境をどう見るか、環境との触れ合いと子供の成長・発達、自然保護の倫理、自然保護の文化、自然の価値と意味、自然保護の行動などについて研究する。今夏、ブラジルのサンパウロ市で開催された「世界平和のための生長の家教修会」では、世界の伝統的宗教と南北アメリカの先住民の信仰の中で、自然がどう扱われているかという「自然観」の研究発表が行われた。こういう分野も、自然保護心理学が扱う領域と重なっている。宗教と科学とが協力できる分野の1つとして興味深い。
 
 「人間は本来、自然を愛する生きものである」というのが、当り前のようであるが、この学問が見つけ出した知見の1つだ。上掲誌の特集記事で、オランダの社会心理学者、マーク・ヴァン・ヴガト氏(Mark van Vugt)は、そのことを次のように記している--「我々は、人工的な環境よりも自然環境の方を好み、人工的な環境の中では、そこに何かの自然物--樹木や水など--があるのを好む。人間はまた、文化の区別なく、アフリカのサバンナのような広大な風景を好む。ヨーロッパでもアメリカでも、毎年動物園を訪れる人の数は、すべてのプロスポーツ競技に集まる人の数より多い。自然は人間の健康にも影響を与える。病室の窓から自然の風景が見える患者の方が、レンガの壁しか見えない患者よりも早く快復する」。
 
 これらは、人間が明らかに自然の一部であることを示している。だから、この分野の今後の取り組みにおいては、地球環境の「問題」を取り上げる段階から一歩進んで、そういう自然と人間との本来ある親しい関係を取りもどすために、産業を「育てる」という積極的な観点が重要と思う。
 
 谷口 雅宣

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2009年6月16日

臓器移植の先に見えるもの (2)

 イギリスの科学誌『New Scientist』は6月6日号(vol.202 No.2711)で、体細胞を利用した再生医療技術の現状を特集している。私がそれを読んで驚いたのは、再生医療研究の先端では、すでに臓器移植を不要とする技術が完成に近づいているということだ。もう1つ新たに知ったのは、ここでは動物の臓器と人間の臓器とを“合体”ないし“融合”させることで、新しい臓器の生産に結びつかせる道筋が有望視されているという点だ。つまり、今流行の言葉を使えば“ハイブリッド臓器”の生産が現実化しつつあるということだ。
 
 臓器提供者の不足を補うための1つの方法は、ブタなどの動物の臓器を人間に移植する「異種移植」(xenotransplant)だった。しかし、この方法は、それだけでは移植患者の免疫系が動物の臓器を激しく拒絶する反応が起こるため、移植後は免疫抑制剤を半永久的に使わねばならない問題があった。また、動物の細胞がもつウイルスに感染するリスクがあった。これらの問題を避けて、必要な臓器を作成する方法がほぼ完成に近づいている。その技術の概要は、次のようなものだ--
 
 ①必要な臓器を入手する
 ②臓器を洗浄して細胞を除去し、コラーゲンでできた“枠組”だけを残す
 ③この“枠組”に幹細胞を流し込む
 ④幹細胞が分化を始め、必要な臓器を形成する
 ⑤できた臓器を患者に移植する

 アメリカのミネソタ大学のドリス・タイラー博士(Doris Taylor)らのグループは、2008年1月、ラットの心臓の枠組に、生れたばかりのラットの心臓の幹細胞を流し込むことで、血管や筋肉も備えた拍動する新しい心臓を生み出した。その後、この心臓を別のラットに移植できれば技術の“完成”となるが、できた心臓はまだ筋肉の量が少ないため、体内で役割を果たすところまで行っていないらしい。タイラー博士のチームは、ラットの次には、この方法を使ってブタの心臓と肝臓を作成する研究を行うことを考えているという。そして、この分野の多くの研究者が最終的に目標としているのは、もちろん人間に使える臓器を患者自身の幹細胞から再生産することだ。これは必ずしも夢物語ではなく、気管のような単純な形状の臓器であれば、イギリスのブリストル大学の研究者が、この技術を使ってすでに人間の気管の再生と移植に成功しているという。また、心臓弁などの小型の組織などでは、ブタの組織の“枠組”を使った“ハイブリッド組織”を体内に移植した患者が、欧米ではすでに多数存在するらしい。

 ということで、見えてきた1つの道筋はこういうものだ--上記の①にある「必要な臓器」は、人間のものでもブタのものでも可となる。また、人間の場合、脳死でも心臓死でも大差ないだろうから、後者の人の臓器の利用が増えるだろう。となると、将来の再生医療の行く先は、脳死段階での臓器移植を増やす方向へではなく、病院や専門ラボで患者の幹細胞を使って再形成された新しい臓器の移植である。これによって、脳死段階での臓器移植がもつ様々な問題は回避できるようだが、その代り“ハイブリッド組織”や“ハイブリッド臓器”を体内にもつ人々が増えていくのだろう。これを人間の「幸福の増進」と言えるかどうかは、また別問題と私は思う。
 
 谷口 雅宣

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2009年6月15日

臓器移植の先に見えるもの

 6月9日同13日の本欄で、臓器移植法の改正をめぐる動きについて少し書いた。この問題は、臓器の提供側と受け手側の利害が必ずしも一致しないところに、基本的な問題がある。提供側が前もって提供の意思と時期(心臓死か脳死か)を示していれば、両者の利害は一致するから、問題は起こりにくい。それでも、提供者本人でなく、家族の感情の問題は残るかもしれない。これに対して、事前に提供者の意思が示されていない場合、家族にそれを決める責任と負担が生じる。家族全員が一致した判断を下せれば、それでも負担は少ない。が、そうでない場合、家族構成員の間に感情的なシコリが残ることも考えられる。

 これが提供側の問題だが、受け手の側では少し種類の違う問題が生まれる。それは「他人の死を待ち望む」という心理状態になることである。倫理感が確立していない子供の場合、この心理状態はさほど負担でないかもしれないが、成人した人間にとっては、個人差はあるにしても倫理的ジレンマは感じられるだろう。これを克服し、幸いにも移植臓器を得た人は、提供者に対して感謝の念を強くもつに違いない。が、感謝しようとしても本人は死亡しているのだから、その思いは、提供者の家族に対して、手術をした医師に対して、あるいは移植を可能とした社会に対して向けられるかもしれない。これはよいことだ。また、他人に助けられたことで、社会への奉仕を志す人も出てくるかもしれない。これも、よいことだろう。しかし、これとは反対に「臓器を得る権利がある」などと考える人も出てくるだろう。

 以上は、臓器移植にかかわる個人の問題だが、社会全体を見るとどうなるだろうか。現在の臓器移植法が扱っている範囲は、死んだ人(心臓死と脳死)の臓器だから、社会全体では一種の「臓器のリサイクル」制度のようなものだ。この言い方が悪ければ、「臓器を使えるうちに他人に回す」制度である。摘出された1個の臓器は、基本的には1個のまま他の人に移植される。そういう「1対1」の関係がある。ところが、提供される臓器が足りないと考える人の間では、臓器の「リサイクル」ではなく、「創出」の技術も開発されつつある。つまり、新しく臓器をつくるのである。これができれば、臓器の提供側の問題はもちろん、受ける側の倫理的ジレンマの問題も軽減するし、移植にかかわるコスト削減につながる可能性もある。

 そんな技術の確立を目指しているのが、いわゆる「再生医療」と呼ばれている分野である。この技術は一見、倫理的な問題が少なく理想的に思えるかもしれないが、そう簡単ではない。本欄で何回も言及してきた「ES細胞(embryonic stem cells)」や「iPS細胞(induced pluropotent stem cells)」の技術が、まさにこの分野の先端である。が、ES細胞には「受精卵を使う」という問題があり、iPS細胞には「ガン化のリスク」があることを書いてきた。本欄では、卵子や精子などの生殖細胞を除く「体細胞」を利用した再生医療の進展に期待を示してきたが、iPS細胞の研究はこの分野に属する。が、それ以外の体性幹細胞(成人幹細胞)を利用した再生医療の研究も進んでいる。次回の本欄では、それを紹介しよう。
 
 谷口 雅宣
 

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2009年6月 5日

環境対応車の行方

 アメリカの“ビッグ3”の凋落を目の前にしている今、ガソリンやLPGなどの化石燃料で走る自動車の将来は見えたと言える。では、次世代の自動車の主力は何か? これに答えるのは難しい。なぜなら、「次世代」という言葉の意味する期間をどうとらえるかで、正解が変わる可能性があるからだ。恐らく「10年先」「20年先」「50年先」で、主力となるテクノロジーは大いに違ってくる。その動向は、科学技術の進展と密接に関係しているから、私のような素人には予測不可能である。そこで本欄では、「次世代」をとりあえず「10年先」と考え、自動車の技術が「どこへ向かうか」ではなく、「どこへ向かうべきか」と考えた場合の“希望的予測”を述べようと思う。
 
 私はこの場合、①電気自動車、②ハイブリッド車、③燃料電池車、というランクづけをしたい。「どこへ向かうか」と考えた場合、①と②は入れ替わると思う。が、私は、「どこへ向かうべきか」という視点から、電気自動車の開発を大いに希望するのである。理由は、電気自動車は、化石燃料を主体とした現在の自動車燃料のインフラを大きく変更する可能性があるため、人類の化石燃料依存からの脱却を加速させるのに対し、ハイブリッド車の蔓延は、化石燃料のインフラ維持を正当化するため、地球温暖化の抑制という点では効果が劣ると思うからである。
 
 むずかしい書き方をしてしまったので、具体的に説明しよう。本欄の読者ならば、現在の自動車ユーザーの好みが、GM車のような大型大馬力のものから日本車のような小型低燃費のものにシフトしている点は、すでにご存じだろう。“石油ピーク説”を支持している私としては、ガソリンの値段が将来急速に下がることはないと考えるので、自動車ユーザーの「小型低燃費志向」も当分変わらないと考える。このことは、現在のハイブリッド車人気が有力に示している。5月12日の『日経』は、軽自動車を除く国内の乗用車販売に占める環境対応車の比率が、今年度にも1割を超すと予測した。実際、ホンダのハイブリッド車の国内販売台数は、今年度は前年度比の5倍もあり、トヨタのハイブリッド車も約5割増が見込まれている。
 
 6月に入ってから、新聞各社はたて続けに“次世代”志向の環境対応車の販売計画を伝えている。まず、トップランナーのトヨタは、本欄では(2006年2月3日6月14日などで)と「充電式ハイブリッド車」呼んできたプラグインハイブリッド車(PHV)を今年末にリース販売すると発表した(4日付『産経』『朝日』など)。これに対し、電気自動車で先行する三菱自動車は、「プラグイン電気自動車(PEV)」と称する車種を、2013年までに国内で発売すると発表した。PHVとPEVの共通点は、ガソリンエンジンと電気モーターを1基ずつ搭載し、家庭用電源から充電できることだが、相違点はPHVがガソリンエンジンを動力として使うのに対し、PEVはこれを発電用に特化している点だ。小さい体躯なのに動力源を2つも搭載する理由は、現在電気容量で最高水準にあるリチウムイオン電池をもってしても、1回の充電で160kmほどしか走れないからだ。その不足分を、PHVはガソリンエンジンで直接補い、PEVはガソリンエンジンで発電することで間接的に補うという戦略である。
 
 これに対して、4日付の『産経』によると、日産自動車が来年から発売するという電気自動車(EV)は、この「充電容量の不足」の問題を画期的な方法でクリアすることを目指している。それは、電気自動車に対して現行のガソリンスタンドの役割をする充電スタンドを各地に設け、電気の残量が少なくなったEVの電池をフル充電のものと交換するシステムである。これだと、ガソリン車の給油に必要な時間と同程度の時間で電池交換ができるという。このシステムについては、昨年12月8日の本欄で少し紹介したが、米カリフォルニア州のベンチャー企業が普及を進めているもので、すでにポルトガルやイスラエルなどで実証実験が行われている。国内では、この4月から横浜市で実証実験が始まっているから、日産は来年からの販売が可能と踏んだようだ。
 
 上に書いたように、ハイブリッド方式の自動車は、PHVもPEVも化石燃料への依存を払拭できない。これらは、1台の車に2系統の動力を積むという技術的な複雑さを伴うから、居住性や運搬重量、コストの点で1系統の動力車より不利である。この点、電気モーターしか使わないEVは、シンプルな構造が保証されるから低コスト化が期待でき、不要な1系統分の容積を居住性と運搬重量に振り向けることができる。しかし、問題は電池交換のためのインフラ整備である。これを「不利」と見るか「有利」と見るかは意見の分かれるところだろう。が、私は、短期的には不利であっても、中・長期的には社会全体にとって有利だと考える。そういう意味で、今回の日産の決断を私は大いに応援したい気持である。

 私が電気自動車の将来性を買う理由は、もう1つある。それは今後、蓄電池の技術が進歩することで、2系統の動力を組み合わせて使うハイブリッド技術は不要になると思うからだ。現在のリチウムイオン電池の性能で、EVは160km走るというが、これは直線距離で東京から静岡市、諏訪市、黒磯市までだ。5月20日の『朝日』によると、日立製作所はこのほど、従来型の1.7倍の出力をもつリチウムイオン電池を開発し、2013年から量産する予定だという。この新型電池だと、単純計算では1回の充電で東京から名古屋、新潟、仙台まで行けそうだから、大抵の用途はこれで済んでしまう。だから、PHVもPEVも、あと4~5年で競争力を失う可能性があるのである。それなら、インフラ整備に多少時間とコストがかかっても、電気自動車の開発に注力するのが得策だと私は思う。
 
 谷口 雅宣

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2009年5月21日

“若者撃退器”を足立区が導入?

 本欄で4年前に紹介したイギリス製の“若者撃退器”が、いよいよ日本の足立区(東京都)で今日から実験的に使われるらしい。20日付の『朝日新聞』が夕刊で伝えている。これは、若者の耳にしか聞こえないとされる18キロヘルツ前後の高い周波数の音を発生させる装置で、昆虫のカを意味する「モスキート(mosquito)」という名前のもの。カが発声する高音が不快であることから、開発者が名付けたらしいが、日本での商品名は記事中にはない。
 
 記事によると、足立区がこの実験に踏み切るのは、夜中に若者たちが北鹿浜公園に集まって騒ぎ、トイレの便器や事務所の窓ガラスを壊したりするほか、周辺住民から「騒音で眠れない」との苦情が後を絶たないためらしい。同区公園管理課で半年間議論を重ねたすえ、実験的導入に踏み切るという。破壊のあった事務所と公衆トイレがならぶ付近に設置して、午後11時以降、翌朝5時まで高周波数音を鳴らす。議論があるのは、やはり「公園」という公共施設の中に、一部の人間(若者)の入場を妨げるような装置を設置するからだろう。が、同公園管理課の増田治行課長は、「憩いの場のはずの公園が、安眠を奪う迷惑施設になってはいけない」(同記事)と考えて導入するという。

 足立区のウェブ上の説明では、北鹿浜公園は足立区内に2箇所ある交通公園の一つで「交通広場」と「公園部分」の領域に分かれ、前者にはミニ列車、自転車、バッテリーカーなどがあるため入場の規制があるが、後者は常時開放されている。ここへ夜間、若者たちが集まって騒ぎたてるのだろう。私は、この機械の効果をよく知らないが、4年前の本欄によると、それを設置したら「若者が耳を押さえながら店内に入って来て、“あの音を止めてくれ”と頼んだ」というから、若者には「耐えがたい音」であることは確かだ。しかし、若者は店内に入ってきたのだから、彼らを「寄せつけない」音ではなさそうだ。ということは、耳栓をしたり、ヘッドフォンを付けた若者には、あまり効果はないのではないか。また、彼らが「自分たちを排除するため」という設置目的を知ったならば、かえって反発して騒ぎを大きくしないか、と心配する。
 
 『朝日』の記事では、この機械は1台20万円もするそうだが、この公園での昨年度の被害額は約70万円という。3台の設置で被害がなくなれば「効果あり」と言えるだろうが、私としては、公園を夜間閉鎖すればすむ話ではないかと思う。そうすれば「若者だけ締め出す」という公共面からの問題も生まれないと思うのだが……。
 
 谷口 雅宣

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2009年5月20日

自動車は“環境性能”重視へ

 アメリカにオバマ政権が生まれたことで、同国内はもちろん世界各地で様々な変化が起こっているが、今後の自動車の開発競争は“環境性能”をめぐるという方向に決まったようだ。本欄等で何年も前からそれを訴えてきた私としては、うれしい限りだ。この分野で世界をリードしてきた日本の自動車産業にとっても、歓迎すべきことだろう。これはアメリカ時間の19日、米政府が発表した自動車の燃費規制の強化策によるもので、19~20日付の新聞各紙が伝えている。
 
 それによると、今回の規制強化策は、すでに決定していた米政府の燃費基準強化策の実施を、当初予定の2020年から2016年に4年繰り上げるというもの。この燃費強化により、2016年以降、同国で販売される自動車は、1リットル当り「15.1km」以上でなければならないことになる。現行は「10.6km」以上だから、業界にはかなり大幅な燃費向上が求められることになる。また、20日の『日本経済新聞』の説明によると、新政策では、この“最低基準”とは別に“目標値”として「16.5km」が求められているが、この数字は、現在のホンダの新型ハイブリッド車「インサイト」の燃費に相当するという。つまり、日本の先端的自動車の環境性能は、アメリカより7年も進んでいるということだ。
 
 しかし、同じ『日経』の別の記事では、トヨタとホンダのハイブリッド車の燃費が比較されていて、そこではトヨタの「旧型プリウス」の最高燃費が「35.5km」、「新型プリウス」が「38km」、ホンダの「インサイト」は「30km」になっている。ということは、アメリカでの燃費基準は「最高燃費」ではなく、別の数字(平均燃費?)によるものらしい。また、この新規制は2016年に突然始まるのではなく、2012年から現行の基準を毎年5%ずつ引き上げることで実施するというから、アメリカの自動車業界は、“待ったなし”の厳しい転換を迫られることになる。
 
 20日付の『ヘラルド・トリビューン』紙によると、米政府のこのような厳しい規制に対して、自動車業界は猛然と反発していると思いきや、「これは我々が求めてきた全国一律の基準であり、実施への時間的余裕も製品開発計画上、無理がないものだ」と歓迎しているというから、驚いた。同記事の分析では、米業界のこのような方針転換は、政治的状況の変化と業界の脆弱な経済体質によるものらしい。つまり、業界寄りの共和党政権が倒れたうえ、老舗のクライスラーの破産に加え、最大手のGMも、政府から大量の資金援助を受けてなお合理化を進めなければならない状況だから、“牙”を抜かれてしまったのだ。

 このような経緯を考えてみると、今回の経済危機は必ずしも“悪い結果”だけを生み出しているのではないことが分かる。困難は時として人間を苦しめることがあるが、その困難を乗り越えることで、新しい可能性に向かって飛躍するものもいる。私は、日本の自動車メーカーがさらに優れた環境性能を実現してほしいと願っているが、それと同時に、アメリカの自動車業界の中から、そのような“ヒーロー”が必ず頭をもたげてくると期待している。
 
 谷口 雅宣

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2009年5月 1日

第1回生長の家白鳩会全国幹部研鑽会終わる

 初めての生長の家白鳩会の全国幹部研鑽会が、無事終った。午前10時から午後3時半までの5時間半が、アッというまに過ぎ去ったような印象だ。しかし、会場で感じた参加者の熱気は、まだ私の脳裡に鮮明に残っている。この研鑽会では、さいたま市の大宮ソニックシティホールをメイン会場とし、京都府宇治市の生長の家宇治別格本山と福岡県太宰府市の生長の家福岡県教化部の2会場を光回線で結んで、映像・音声の同時中継が行われた。白鳩会中央部の報告では、入場者数はメイン会場が2,300人、宇治会場が2,790人、福岡会場は1,074人の合計6,164人で、参加目安だった6,260人にほぼ達した。これまでの「全国大会」とは違い、今回から参加資格が白鳩会の「支部長以上」の組織役員ということになったため、体験談をはじめとした会のプログラムも、幹部向けの“濃い”内容のものとなったと思う。

 私は、午後1時から1時間の講話を行った。日時計主義には“観”と“行動”の両面があるという話をしたが、時間配分を誤って予定時間を5分ほどオーバーしてしまった。光回線を使った映像と音声の中継は、生長の家講習会ではすでに利用しているが、私自身はいつも映像や音声を「送る側」にいたから、「受ける側」として中継映像を見たのはFowersw今回が初めてだった。案外きれいに映っていたので驚いた。この程度の映像と音声ならば、この種の会合で「双方向のやりとり」をもっと多く取り入れることが可能だと感じた。
 
 今回は、新型インフルエンザの世界的流行の危険が警告され、横浜市の高校生への感染が疑われていた最中の開催だったので、大人数の会合をもつことの不安はあった。しかし幸いにも、問題の高校生のインフルエンザは従来型のものと判明し、胸をなで下ろしたしだいである。研鑽会の開催準備や参加促進に尽力くださった多くの方々に、この場を借りて心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

 帰宅してから、研鑽会でいただいた花束の花をスケッチした。皆さまへの感謝の気持を込めて、ここに掲げます。
 
 谷口 雅宣

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2009年4月22日

日本を“資源大国”と呼ぶべきか?

 アメリカの経済誌『Forbes』の日本版が、6月号で「“資源大国ニッポン”のポテンシャル」という題の特集記事を組んでいる。私はすでに昨年の8月20日9月5日の本欄で、21世紀の今は、日本を「資源小国」と呼ぶ古い発想を切り替えるべしと提言し、地熱発電に加え、「太陽エネルギーや風力、潮力などの“地上資源”に注目すれば、まったく違う可能性が展開してくる」と述べた。この特集記事は、それと全く同じアイディアを述べているのではないが、“言葉の力”を使って人々の発想の転換を図るという意味では、大いに好感がもてる。

 しかし、特集の内容を細かく読むと、日本周辺の海底資源には大きな可能性があるから、その開発に注力せよという主旨だ。特に、メタンハイドレートとレアメタル、レアアースの開発を進めろという内容だから、地球温暖化の問題を真剣に考えているとは思えない。メタンハイドレートとは、メタンと水が低温高圧下で結晶化したもので、東海・近畿の南方にある「東部南海トラフ」と呼ばれる海域などで鉱床が確認されている。これを堀り出してメタンガスを抽出し、エネルギー源にしようという構想である。これが混じる砂層は、水深1千メートルほどの海底からさらに300~400メートル下にあるらしい。そういう「深層」に多くあることが分かっているのに加え、海底や湖底の「表層」にもあるらしい。これまでの調査によると、日本で1年間で消費する天然ガスの量に換算して、100年分のメタンハイドレートが日本周辺の海域には存在しているという。
 
 読者はすでにお気づきと思うが、これは一種の化石燃料である。だから、石油や天然ガスをエネルギー源として使うのと同じ問題--温室効果ガスの排出--がある。その点にこの特集記事は何も言及していない。また、ここでは自民党の中川秀直・衆議院議員がインタビューに答えて、こんな発言もしている--
 
「南海トラフに相当量あると予測されるメタンハイドレートと、銅・鉛・亜鉛・金・銀の重金属やゲルマニウム、ガリウムなどのレアメタルを含む海底熱水鉱床が期待されるのは当然ですが、今まであまり期待感のなかった石油・天然ガスについても、探査・開発が海洋政策の柱の一つに位置づけられた点に注目しています」

 この言い方だと、海洋資源の開発と利用の仕組みが整ってきたから、日本は周辺海域の資源をどんどん開発し、エネルギー源やハイテク機器の材料として利用するのがいい、と言っているように聞こえる。中川氏だけでなく、この特集全体が、なぜ地球温暖化の問題に触れないのか、私は不思議に思うのである。中川氏は、自民党の政調会長だったときから海洋基本法の制定に尽力してきた人だが、今後の展望を次のように評価する--
 
「昨年3月に閣議決定された海洋基本計画では、当面の探査・開発の対象として、石油・天然ガス、メタンハイドレート、海底熱水鉱床が挙げられています。そのうち、メタンハイドレートと海底熱水鉱床については、今後10年間で商業化を実現する目標が立てられています」

 私は、日本としては地球温暖化の原因となる化石燃料のようなエネルギー資源の開発はやめて、今後は風力、潮力、波力等の再生可能エネルギーの開発に全力投球すべきと考えるのだが、同氏によると「波や潮流による自然再生エネルギーも可能性の高いところですが、今いちばん注目されているのがエネルギー・鉱物資源です」ということになるらしい。だから、ここでいう「資源大国」という言葉の背後には、あまり新しい発想はないようである。
 
 谷口 雅宣

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2009年4月 4日

公衆電話という存在

Telephones  多くの子どもが携帯電話を持ち歩くようになった今日、公衆電話はほとんど使われない。しかし、何かの緊急の用事で使わなければならない人のために、今は“公衆”が集まる場所にわずかに残されている。その姿は、いつ来るとも知れない利用者を「ただ待つ」という奉仕の精神を体現しているようだ。その一方で、電話を置けば暗がりでは不都合だということで、照明をつけねばならず、子どもの利用も考えて、低い位置に1台は設置しよう、などという配慮が必要になる。
 
 電話は人間の道具である。もっと具体的に言えば、それは我々の“口”と“耳”の延長である。それが、誰にでも利用できる形に開放されているのが公衆電話だった。その公衆電話がなくなっていき、代りに我々は、頭部についている温かいものに加えて、もう1セットの冷たい“口”と“耳”を懐に忍ばせるようになった。ケータイはどんどん進化して、今では我々に“目”も与えてくれるし、“脳”も使わせてくれる。つまり我々は、自分の“分身”を懐やハンドバッグに入れて持ち歩くようになった。ケータイはもはや、“道具”の領域を超えたと言える。

 そんな時代に、古く良き道具である公衆電話を街角で見かけると、何かホッとした気分にならないだろうか。“彼ら”は、他人と共用される「道具」としての本質を持ちつづけているために、万人の心に「懐かしい」思いを起こさせてくれるのだろう。しかし、我々の持つケータイは誰とも共用できず、したがって他人の目には“異物”のように映るか、あるいは“悪用”の対象になる。

 公衆電話のガッシリとした体躯を見ていると、フワフワとしたケータイの軽さが、現代人の心の拠り所を象徴しているように感じられた。
 
 谷口 雅宣

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2009年3月24日

なぜ今「地球環境工学」か? (3)

「地球環境工学」を語りながら、私はここまで肝腎なことを1つ書かなかった。それは、この新しい科学技術が「具体的に何をするか」ということである。前回紹介した『NewScientist』誌は、この技術について「地球の自動温度調節装置を調整すること」と表現し、具体的手法として、太陽光を拡散させて弱めるために「大気中に微細な塵をばらまく」ことや、「宇宙空間に鏡を大量に打ち上げる」ことなどを挙げている。しかし、その一方で「植林」も地球環境工学の“原始的方法”だとしているところを見ると、若干、概念の混乱があるのかもしれない。が、読者にこの概念のイメージを理解してもらうために、同誌の挙げている例をすべて列挙してみる:

(1) 宇宙鏡の設置(space mirrors)--上述の通り。

(2) 植 林(foresting)--省略。

(3) エーロゾル散布(aerosols)--成層圏に煙霧質の粒子を散布する。

(4) 人工雲の作製(cloud seeding)--海水を粒子にして大気中に散布する。

(5) 人工木の埋設(artificial trees)--炭素を固定した人工木を地中に埋める。

(6) 反射性作物の栽培(reflective crops)--太陽光の反射効率が高い作物を植える。

(7) 生物炭化法(biochar)--農業廃棄物を炭化させて土中に埋める。(2月9日の本欄参照)

(8) 海洋肥沃化(ocean fertilization)--海中への鉄分付加でプランクトンを活性化。

(9) 海洋への炭酸注入(carbonate addition)--粉末の石灰岩を海中に投入する。

 これらの具体策を見て気がつくことは、ほとんどのものが比較的安価に実行できることだ。「安価」という意味は、現在考えられている温暖化抑制のための諸方策--省エネ、省資源、リサイクル、炭素税、排出権取引、自然エネルギー開発など--に比べて、コストが安く見えるということだ。また、一国の決断で実行できるという点も見逃すことができない。この2つの要素は、しかし地球環境工学の長所であると同時に問題点でもある。なぜなら、安価で実行しやすい方策は、国際的な取り決めなしに、また環境への影響評価を軽視して実行されやすいからである。
 
 『NewScientist』誌によると、この危険性は実際、2005年11月にあったという。当時、国連のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の副議長で、ロシアの地球気象環境研究所の所長であったユーリ・イズラエル氏(Yuri Izrael)は、プーチン大統領に対して、ロシアは今すぐ大気圏に60万トンの硫酸塩エーロゾルを散布すべきだと提言したのだ。この方法は、上記のリストの3番目にあるものだが、2007年に行った実験によって、硫酸塩による太陽光の遮蔽は、地球のある箇所に深刻な旱魃をもたらす危険があることが分かったのだ。

 だから、このような危険性を無視して地球環境工学を実施することは、国際紛争の原因になるのである。事実、アメリカはベトナム戦争時代、敵のホーチミン・ルートの補給路を断つ目的で人工雨を降らせる実験をしたことがある。つまり、この技術は戦争目的に使用できるし、実際にそうされたことがあるのだ。これによって「国連環境変容技術の敵対使用禁止協定」(UN Convention on the Prohibition of Military or Any Other Hostile Use of Environmental Modification Techniques, ENMOD)が作られ、今日までにアメリカを含む70カ国が批准していることは重要である。この技術の“悪用”が、人類全体にとって、さらには地球全体の生態系にとって深刻な問題を投げかける可能性を忘れてはならないだろう。
 
 谷口 雅宣
 

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2009年3月23日

なぜ今「地球環境工学」か? (2)

 地球の平均気温に「4℃の上昇」が起こった場合の科学者のシミュレーションを、3月21日の本欄で紹介した『New Scientist』の記事から拾って紹介しよう。

 同誌は、それが起こった時の地球環境を「人類がかつて経験したことのない変わり果てた地球」だと表現する。が、人類が登場する前の地球には、そういう“温暖時代”があったらしい。それは今から5500万年前で、海底深くに凍結し化学的に封印されていたメタンが、地上に噴き出したことで始まったと言われる。これによって5ギガトンの炭素が大気中に放出され、地球の平均気温は5~6℃も上昇し、極地に熱帯林が出現したという。また、海には二酸化炭素が融け出して酸化したため、海洋生物の大量死が起こった。加えて、氷の融解によって、海面は現在より100メートルも高い位置まで上昇し、南アフリカからヨーロッパあたりまで砂漠になった。「4℃の上昇」が起こると、これと似た現象が起こると予測されている。
 
 これは理論上の想定で、実際に何がどう起こるかは、気温上昇のスピードと、極地の氷がどれだけ融けるかによって変わってくるらしい。が、この“温暖時代”の大きな特徴の1つは、現在の地球で人間の居住と食糧生産に適した場所の多くが、居住にも農業にも適さなくなることだ。また、水温の上昇による海水の膨張や、氷河の融解、高波などで、当初は海面が2メートル上昇し、さらにグリーンランドや南極の氷が融け出せば、さらなる海面上昇が起こるという。NASAのゴッダード宇宙科学研究所のジェームズ・ハンセン所長(James Hansen)によると、大気中のCO2の濃度が現在の「385ppm」から「550ppm」になれば、地球上から氷は完全に消え、海面上昇は80mに達するという。

 人類が居住地と農地を失う理由は、熱帯地域の砂漠化によるらしい。現在、地球上の土地の半分は北緯30度から南緯30度の熱帯に位置していて、この地域が特に気候変動に対して脆弱であるという。平均気温が4℃も上がると、例えば、インド、バングラデッシュ、パキスタンなどでは、短期間に激しい熱帯モンスーンが訪れる。これが、現在より洪水の被害を拡大する一方で、地表の熱は上がっているから、蒸発も速く起こる。そこで、アジア地域では旱魃が悪化するという。これらの影響で、バングラデッシュでは土地の3分の1が失われると予測されている。
 
 アフリカのモンスーンも激化するという。モンスーンが運ぶ雨により、サハラ砂漠から南方の地域は恐らく一度は緑化すると予測する人がいる。その一方で、アフリカ大陸全土を、深刻な旱魃が襲うとする予想もある。また、地表の温度が上がることで水分が減少するから、中国大陸、アメリカ合衆国南西部、中米地域、南米のほとんどと、オーストラリアで得られる淡水の量は減少する。サハラ砂漠は北上しながら拡大して、中央ヨーロッパに達する。さらに、温暖時代には氷河は消えてしまうから、ヨーロッパ・アルプス、ヒマラヤ、南米のアンデスなどからの水量は激減し、その結果、アフガニスタン、パキスタン、中国、ブータン、インド、ベトナムなどで水不足が深刻化するという。

 このように見てくると、地球上で人類が生活できる地域は、北極と南極に近いごく限られた土地ということになる。ガイア理論の提唱者であるジェームズ・ラブロック博士(James Lovelock)によると、極地付近の地域以外には人が住めなくなるため、「人類は極めて困難な状況に置かれるし、私は、こういう困難を切り抜けられるほど人類が利口とは思わない。人類は生物種としては生き残るだろう。しかし、今世紀中に出る犠牲者の数はとてつもなく大きくなる」という。
 
 地球環境の将来について、このように深刻な予測が、名の通った科学者や一流の研究機関の間にあることを知ってみると、そんな事態を防ぐためには「あらゆる手段を使うべし」という意見が出ることも頷ける。「今、地球環境工学の実地研究に乗り出すべきだ」という考えは、こういう文脈で表明されているのである。
 
 谷口 雅宣

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2009年3月13日

米でES細胞の研究が拡大

 1月24日の本欄で、発足したばかりの米オバマ政権がES細胞の利用規制を緩和するとの観測を紹介した。また、2月6日には、ES細胞とiPS細胞の2つを比べながら研究を進める方法を、再生医療研究者は求めているらしいと書いた。その理由は、前者は“本物”だが後者は一種の“代用品”だから、代用品の優秀さは本物なくしては分からないというものだった。そして、3月10日の『ヘラルド・トリビューン』紙は、オバマ大統領がブッシュ時代に禁止されていたES細胞研究への連邦予算の支出をついに解禁する、と伝えた。その記事を読むと、アメリカのES細胞研究は、今回の大統領の決定だけでは“一挙進展”とはいかないようだ。その理由を述べよう。
 
 ブッシュ政権下のアメリカでは、人間の受精卵を使った研究を禁止するための法律改正が議会によって行われていたから、研究範囲が実際に大幅に拡大されるためには、議会がオバマ氏の方針に賛成して法改正を行わねばならないのである。この法律による禁止条項は、通称“ディッキー=ウィッカー改正条項”と呼ばれるもので、1996年に成立して以来、議会によって今日まで毎年、延長され続けてきた。そこでは、具体的には、国民の税金を使って人の受精卵を作成することと、受精卵を壊したり廃棄すること、さらに受精卵が傷つく可能性を知りながら、その危険を冒すことが禁じられている。これらの法の縛りがなくなるまでは、“全面解禁”とは言えない。

 しかし、今回の大統領令によって、すでに作成されたES細胞株を使った研究には、連邦政府の予算がつくことになる。だから、アメリカにおけるこの分野の研究は今後、大幅に伸びることが予想されるのである。『朝日新聞』もそう考え、今日(13日)の社説で「オバマ大統領は、政治や宗教にゆがめられない健全な科学政策を目指している。今回の発表もその大きな一歩といえる」と大いに持ち上げている。

 が、宗教が科学を「ゆがめる」という考え方はおかしい。科学は「善悪の価値判断をしない」ことで発達してきたことは認めるが、そのことによって生物化学兵器や核兵器の製造が行われてきたことも事実である。宗教が科学の使い方に関与することは、必ずしも「ゆがめる」ことにはならず、「正す」場合もあるはずである。にもかかわらず、宗教が関与しないことが「健全」だとするのは、大いなる偏見である。また、オバマ政権自身は、科学政策について「政治や宗教にゆがめられない」という表現は使っておらず、「科学と政治を分離するという公約の一環として」(as part of a pledge to separate science and politics)この政策を実行したと言っている。『朝日』の記事では、この「政治」(politics)という言葉が、いつのまにか「宗教」にすり替わっているのである。

 ところで、私のES細胞研究についての見解は、1月24日の本欄などですでに何回も述べたので、ここでは繰り返さない。日本は何でも「アメリカの右に倣え」をする癖があるから、今後、iPS細胞の研究だけでなく、ES細胞研究の規制緩和への圧力が強まることが予想される。私は、受精卵を使わない前者の研究は条件付きで支持するが、ES細胞研究には反対の立場を崩すつもりはない。
 
 谷口 雅宣

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2009年3月10日

紙を使わない出版 (2)

 昨年の1月28日の本欄で「紙を使わない出版」と題して、アメリカで発売された電子本専用機のことに触れた。あれから1年数カ月たったが、3月16日号のアメリカの時事週刊誌『TIME』は、その後の電子本の“進化”について3ページの記事を載せている。それを読むと、最も有望なのは前回触れたアマゾンの「キンドル(Kindle)」の後継機である「Kindle 2」という専用機のようだ。詳しい仕様は、このサイトで見ることができる。私は早くそれを試してみたいのだが、日本への上陸はまだ先のようだ。
 
『TIME』誌の記事によると、359ドルの初代のキンドルはアメリカで約50万台売れたといい、品切れ気味の状態がまだ続いている。後継機は、初代より画面のコントラストと表示速度が向上し、電子本の収納容量が7倍に増えたため、一般的な書籍では1500冊以上が1台に収まるとか。初代同様に汎用ブラウザーがついているからインターネットが使え、テキストを読み上げる機能が新たに加わった。これで重さは約290gだ。1回の充電で2週間使えるというから、海外旅行にも持っていけそうである。こんなものが日本に上陸したら、紙製の本の売り上げはますます落ち、中小の書店は相当打撃を受けるだろう。

 すでにご存じの読者も多いと思うが、キンドルの最大の特徴は、インターネット書店のアマゾンから直接無線で、電子本のデータが入手できる点だ。つまり、電波が通じるところならどこからでも、高速で、廉価な本がほとんど無制限(1500冊)で買える。読書家の悩みである「本の置場」など心配する必要はないし、インターネットで本を探し、即注文して読めるという時代になる。それはもうアメリカでは始まっており、日本でも1年か2年先にはそうなるのだ。こうなると、“文書伝道”の方法はまったく違ってくるのではないだろうか。
 
 もちろん、紙製の本が数年先になくなるとは思わない。しかし現在、「文庫」や「新書」の形で提供されている情報のほとんどは、電子本に移行するような気がする。なぜなら、それらは手軽に1~2回読んで廃棄される種類のものだからだ。これからの我々は、この種の本は電子情報で取っておく一方、紙の手触りや手ごたえを楽しみ、あるいは美的な満足を得たいものは紙製の本として部屋に置いておく……というような使い分けをするのではないだろうか。では、現在、普及誌や機関誌のような雑誌の形で提供している情報は、いったいどうなるのだろう? この点をよく検討し、早い時期に次代に対応できる出版体制を整えておく必要を感じるのである。
 
 谷口 雅宣

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2009年2月20日

受精卵の声

 不妊治療で他人の受精卵を誤って移植され、妊娠が確認されてから9週目に人工中絶されるという医療ミスが発生した。過去にも、別の患者の受精卵の移植や夫以外の精子の注入などの事故はあったというが、妊娠にいたり、さらに中絶が発覚したのは初めてのケースらしい。今朝の新聞各紙が伝えている。『朝日新聞』によると、日本での体外受精は、2006年に約3万2千人の女性に実施され、それに顕微授精(約3万4千人)を加えると約6万6千人の女性が同様の治療を受けていることになる。決して少ない数ではない。

 体外受精の方法で受精卵を得るまでには、依頼主である夫婦にとって経済的にはもちろん、心身の負担も大きい。それでも「子がほしい」との強い願いからこれが行われる。今回の場合、受精卵の取り違えだから、4人の大人の意思が無に帰し、少なくとも2個の幼い生命が犠牲となった。誠に残念で、悲しいことである。この治療の担当医師(61)は、勤続約20年のベテランで、不妊治療では、これまでに体外受精を約1千例も手掛けてきた専門家だという。本来の受精卵と別の受精卵を同じ作業台に置いていたことから、取り違えが起こったらしい。ちょっとした気の緩みから、深刻な問題が発生してしまった。
 
 私はこの場合、どうしても妊娠中絶しか方法はなかったのかと考える。現在の状況では、多分そうだろう。が、「代理母」の制度が認められた後には、関係している母親2人が互いの代理母になることによって、せっかく得られた2つの受精卵を殺さずに、2人の子供を得る方法があるかもしれない、と想像する。もちろん私は、本欄などで代理母の制度には反対してきた。その大きな理由は、これは自分の「子を得る」という幸福目的のために、他人の心身を利用する制度だからだ。そして大抵、「子を得る」側は経済的に豊かであり、「子宮を提供する」側はそうでない。つまり、「経済的に豊かな人間がそうでない人間の心身を利用して子を得る」という構図になりがちだ。大げさに聞こえるかもしれないが、これは一種の“奴隷制度”のようだ。
 
 これに対して、今回のようなケースでは、2組のカップルは同じ病院で同じ治療を受けている人たちだから、経済的にはほぼ同等ではないか、と想像する。そして、自分の子をもうけるためには、心身の負担を喜んで受け入れるという決意をした人たちだ。そうして得た貴重な受精卵は、まぎれもなくカップルの命の結晶である。ただ問題なのは、本来移植すべき子宮にではなく、別の子宮に移植されたということである。しかし、その後、9~10カ月たてば、それぞれのカップルの遺伝子をきちんと引き継いだ子が産まれるはずである。もちろん、「別の人の腹から産まれる」というのが問題である。しかしこの場合は、代理母と違って、一方のカップルが他方のカップルを一方的に利用する関係ではなく、むしろ相互が対等の関係で、互いの子を子宮の中で育て合う。だから、双方の合意さえ成立すれば、受精卵を犠牲にせずに子をもつことは、少なくとも理論的には可能だと思う。
 
 この案は、「受精卵の命を最大限尊重する」という立場から考えたものだ。現在の法制度はそういう立場から作られていないから、この案の実施は実際には無理だろう。戸籍上の問題もある。が、今後、不妊治療への国の援助が増えるならば、体外受精の件数も増えるだろうから、今回のような事故が再び起こる可能性もある。そんな時、受精卵の声なき声として記憶に留めておいてもらえたら、幸いである。
 
 谷口 雅宣
 

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2009年2月16日

バイテクで子供に投資する

 ニューヨーク在住の安藤比叡・本部講師が、最近の子供の遺伝子解析に関する興味あるニュース記事を送ってくださった。昨年11月30日付の『ニューヨークタイムズ』に載った記事で、昨今のアメリカの“教育ママ”の中には、子供が小さい頃に遺伝子解析をしてその子の運動能力についての“適性”を知り、適性があると思われるスポーツを習わせる人がいるらしいのである。その方が、早期から練習に取り組め、どのスポーツをすべきかと迷うロスを防げ、一点集中による効率化がはかれるというわけである。

 これは、コロラド州ボールドーからのレポートである。この町は特にスポーツ熱が盛んらしく、それに目をつけた企業が、遺伝子解析によるスポーツの適性診断サービスを始めたのだ。やり方は簡単で、8歳までの小さい子の口の裏側の粘膜からDNAを採取し、それをラボに送って「ACTN3」と呼ばれる遺伝子を解析するだけである。1回の診断が「149ドル」(約1万3千円)である。この遺伝子は、2003年に行われた1つの研究で、体の「瞬発力」と「持久力」に関係があるとされたそうだ。この企業は、「ACTN3」の解析によって、子供が陸上の短距離走やアメフットのような筋肉の瞬発力を必要とするものか、長距離走のような持久力を要するものか、あるいは双方を組み合わせた種目を顧客に“推薦”するらしい。
 
 しかし、専門家の中にはこの種の診断の確実性を疑問視する人もいる。例えば、カリフォルニア大学サンディエゴ校医療センターのセオドール・フリードマン博士(Theodore Friedmann)に言わせると、「ACTN3」の研究はまだ緒についたばかりだから、これを診断の材料にする商売は「いかがわしい薬を売る」ようなものだという。また、「ACTN3」を研究したメリーランド大学のスティーブン・ロス博士(Stephen M. Roth)は、「マイケル・フェルプスのような世界的選手の成功を生んだのが1つや2つの遺伝子だと考えるのは短見である」と言う。そして、人間の運動能力に影響を与えることが分かっている遺伝子は、少なくとも200はあるとしている。ロス博士によると、この遺伝子が意味をもつのは、一流のスポーツ選手が自分のトレーニングの方法を考えるなど、限られた特定の場合であり、普通の小学生が学校でするスポーツの成績にはほとんど影響がないという。
 
 同紙の記事によると、この遺伝子解析は、ジェネティック・テクノロジー社によって2004年からオーストラリアで始まり、その後、ヨーロッパや日本でも提供されているという。
 
 こういう話を聞くと、私は近未来を描いた短編小説集『神を演じる人々』(日本教文社、2003年刊)に出てくる「本川瑛美」の話を思い出す。この人物は「飛翔」という作品の主人公で、並はずれた跳躍力をもっているために一流のバレリーナとしての将来が約束されていた。だが、この跳躍力は遺伝子改変によって人為的にもたらされたものだったため、両親は娘が世間から差別を受けることを恐れ、秘密の練習に娘を通わせていたのである。そのことが一つの原因となり、主人公は練習中、取り返しのつかない事故に遭う--そういう筋書きである。今回の技術は遺伝子の「解析」だけであり、「改変」のレベルにはまだ達していないが、自分の子供をスポーツの分野で成功させるために、親がどれほどの“熱意”を示すかを、小説ではなく、実例によって示している。

 我々は今、1回の遺伝子解析が1万円ちょっとでできる時代にいるのだ。それに加えて遺伝子の「改変」もできることになれば、安全性の問題さえ解決すれば、出費を惜しまない親は案外多いのではないかと思う。が、その場合の親の気持は、本当の「親」というよりは「投資家」の気持に近いと思う。
 
 谷口 雅宣

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2008年12月18日

ホンダの戦略転換を歓迎する

 アメリカの自動車産業の窮状については、13日の本欄ですでに触れたが、今やビッグ3を凌駕しようとしている日本の自動車業界も大きな転換期を経験しているようだ。ホンダは17日に記者会見して、昨今の世界的な経済不況や大幅な円高に伴い、国内での投資戦略を大幅に変更することを発表した。F1(フォーミュラー1)の世界選手権からの撤退はすでに報道されているが、これに加えてスーパーカー「NSX」の後継者の開発を中止し、アメリカでの高級車ブランド「アキュラ」の国内導入を白紙にもどし、日米での販売を予定していた次世代ディーゼル車の来年投入を延期し、国内で大幅減産するなど、化石燃料を多く消費する車種の開発を抑えるという方向転換が明らかである。今日付の新聞各紙が伝えている。

 旧型のオデッセイに乗り続けている私は、ホンダのハイブリッド版小型SUVを待ち望んできた。だから私は、この決定を大いに歓迎する。しかしこれは、私個人の問題である以上に、地球環境全体にとって“脱化石燃料”が緊急に要求されているからである。私は、ハイブリッドの技術で一歩先を行くトヨタが、プリウスの次に、大型のレクサスを出すと発表した時、失望のあまり「拝啓 トヨタ自動車殿」と題する一文を本欄に書いた。あれから3年5カ月ほどたつが、私の望む車種は、まだどこのメーカーからも出ていない。今回のホンダの方針変更に際し、同社の福井威夫社長は「今後は、中大型車へもハイブリッドを導入する」と宣言したそうだから、私は2000ccクラスのものが近々出てくれることを望む。しかし、世の中の動きは速いので、別のメーカーから電気自動車(EV)で同等のものが出れば、そちらの方が環境への害が少なくなる可能性はある。
 
 この戦略転換と同時に発表された同社の来年3月期の業績予想では、下半期(10~3月)の営業損益が約1900億円の赤字に転落する。以前に出された同期の営業損益の予想が約1800億円の黒字だったことから比べると、実に3700億円もの下方修正だ。福井社長は、これを「かつて経験したことがない危機」と判断し、世界の自動車市場縮小の中で環境対応車の開発を強化する方向へと戦略転換を決意したようだ。『朝日新聞』(18日付)によると、「ホンダはこの日、リストラ策の一方、環境対応で生き残る施策を発表、ハイブリッド車(HV)開発に投資を重点化する姿勢を鮮明にした」という。そして、F1レースに投入していた技術者約400人も、今後は環境技術開発に投じる予定らしい。
 
 ホンダが他社より環境対応車の分野で遅れていたのは、HVに搭載する電池の分野だ。同社はこれまで、中型車以上の環境対策は“ディーゼル化”で十分と考えていたフシがあるが、今回の方針転換で、ディーゼル車投入が延期された。HVでは次世代のリチウムイオン電池の開発が進んでおり、トヨタはパナソニックと、ニッサンはNECとすでに共同出資会社を立ち上げている。しかし、ホンダは電機メーカー任せだった。それを今回、電池メーカー大手のジーエス・ユアサコーポレーションと共同出資で新会社を設立する決定をした。開発から製造・販売までを新会社で行うというから、同社はEVを開発する可能性も選択肢に入れているのではないだろうか。

 私は、人間の自動車に対する考え方が今後は変わっていく必要があると思う。自動車はこれまで、個人が確保した一定の狭い閉鎖的な空間内で、できるだけ贅沢な装置に囲まれながら、高速で安全に移動できることが“理想”と考えられてきたと思う。ドライバーが、自分を言わば“王様”だと感じられるような閉鎖空間を、高速で快適に移動させることを追究してきたのではないか。しかし、燃料が上がり、都市化が進み、車の台数が幾何級数的に増えてきた今日、さらに「温暖化ガスを出さない」という条件を加えるならば、自動車は、大出力のエンジンと様々な装備をもち、だから重い--というわけにいかなくなる。軽くて頑丈で、閉鎖性が緩い(半ば開放的な)空間が、中距離を中低速度で移動するのでいい--と割り切って考え、長距離を高速で移動したいときは、そのために開発された公共交通機関を利用すべきだと思う。つまり、移動の際は、個人が独占する空間をできるだけ狭くすべきなのだ。そういう意味で、これからは乗用車の小型化、軽量化、装備の簡素化、カーシェアリング等による共有化を進めていくのがいいと思う。
 
 谷口 雅宣

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2008年12月13日

変化への対応

 今年を象徴する漢字1文字は「変」--と決まったそうだ。これを「変化」という意味にとれば、まさにその通りだと思う。日本の首相がコロコロ変わるのは常としても、この年のうちに石油の値段、穀物の値段、株価が乱高下した。また、13年4カ月ぶりの1ドル=88円台の円高であり、オバマ米大統領の登場だ。そして今、世界が固唾を呑んで見守っているのが、アメリカ経済の“屋台骨”・ビッグ3の行く末……この大きな変化に対応できるかできないかで、人や企業や団体の“命運”が決せられる。私たちは、そんな環境にあることを感じるのである。

 アメリカ上院は、GMとクライスラーに最大で140億ドル(約1兆3千億円)をつなぎ融資する救済法案(下院で合意済み)を事実上否決し、危機感を覚えたホワイトハウスは「金融安定化法を含め、他の選択肢を検討する」と発表して、経済不安の沈静化に躍起となっている。この金融安定化法では、最大で7千億ドル(約63兆円)の公的資金を金融安定化に投入することができるが、原則は金融機関の救済である。それを今後の成長が不透明な自動車産業に投入できるかどうかは、難しい判断だろう。

 13~14日付の『ヘラルド・トリビューン』紙によると、今回の救済法案の挫折は、全米自動車労働組合(UAW)との賃金引き下げ交渉が決裂したことが主な原因だ。上院共和党は、下院民主党とホワイトハウスが合意した救済法案では不十分だと考えた。なぜなら、140億ドルもの税金を2社につぎ込んでも、従業員の賃金体系に手を加えなければ本当の改革にはならず、結果的に税金のムダ遣いになると考えたからだ。そこで、賃金体系にまで手をつけなければ守れない条件を、2社側に逆提案した。それは、来年の3月末までに2社の抱える負債を3分の1に減らすという条件だった。GM1社だけでも、現在の負債額は600億ドルあるという。これに対して、そんな急な変化はできないとする労働側に、上院共和党は「2009年中の一定の日」までに減らすところまで譲ったが、民主党とUAWは、現在の労働契約が終了する「2011年中」まで期限を延ばすように主張したため、交渉は決裂したという。

 つまり、この問題の背後には、トヨタやホンダなど在米日本メーカーの労働者よりも賃金や福利厚生面で従業員を優遇しているビッグ3が、思い切った賃金カット等をしないでいて今後の開発・販売競争に勝ち残れるかどうかという、米自動車産業の“将来の展望”が深く関わっている。どうせ勝ち残れないのならば、多額の国民の税金をつぎ込む必要はないというのが上院共和党の考え方であり、それなりの合理性をもっていると思う。結局、アメリカの自動車産業は、地球温暖化時代を前にして、自動車という道具が今後どう使われるべきかという明確なヴィジョンを打ち出せないでいたのである。

 これには、ブッシュ政権下で京都議定書が否定され、「温暖化問題は存在しない」という説がもてはやされ、ビッグ3が燃費の悪い大型車やSUV(スポーツ多目的車)を重視して製作していたことにも責任がある。また、UAWという巨大な労働組合にも“先見の明”がなかったと言わねばならない。しかし、“勝ち組”であるはずの日本メーカーもライバルの崩壊を望んではいない。なぜなら、ビッグ3が倒産すれば、そこに納品していた全米の部品業者も連鎖的に倒産し、米国内で部品を調達することができなくなるからだ。

 地球温暖化時代には、ガソリンがぶ呑みの大型車は不要であるだけでなく、有害である。また、(私を含めた)一部で“石油ピーク”が来ていると言われる時代には、化石燃料を自動車の動力に使おうとする試みは、破綻するほかはない。この変化を的確に読んで先行投資を行い、新しい技術や制度を開発してきた人や会社が、今後の世界の乗り物を製造していくことが許されるだろう。私は、8日の本欄に書いた電気自動車(EV)と自然エネルギーによる発電・蓄電システムの組み合わせが、少なくとも中期的には、最も現実的で、有望な選択肢だと思うのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年12月 8日

小国での電気自動車

 前回の本欄でポルトガルのことに触れたが、この国の面積は9万2082平方キロで、北海道(8万3516平方キロ)より少し大きいくらいだ。そんな国がかつての大航海時代の先鞭をつけ、日本に西洋文化を届け、ブラジルのような大国を形成した。だから、国土の大きさは世界における影響力の大きさを必ずしも意味しない。そんなポルトガルで、日本の技術による野心的なグリーンカー戦略が練られているらしい。8日付の『ヘラルド・トリビューン』紙が伝えている。

 それによると、ニッサンとルノーは、ポルトガルを1つの拠点として、2010年から電気自動車(EV)を全世界へ普及させるための市場実験を進めている。ポルトガルが選ばれた理由は、比較的コンパクトな国だからで、同国のほかに、デンマークやイスラエルでの実験も検討されているという。EVの普及のためには充電施設の整備が不可欠だが、これはポルトガル政府の監督により来年から始まるという。当初は、20分でフル充電可能の高速充電施設網を首都・リスボンとポルト、それに周辺道路に設置し、家庭では普通の電源を使った充電(6時間)で対応する考えだ。問題は、2011年の本格販売までに、これらのインフラ整備が間に合うかどうかだが、同国政府は、主要な電力会社や小売業者の連合を組織して、同国がこれによって“近代的で環境に配慮した国”と認められることをねらっているという。

 EVの普及に必要な条件は、このインフラ整備(①)に加えて、②電池性能の向上、と③価格の低下だという。インフラの問題では、電力会社が積極的な姿勢で取り組んでいる。というのは、どの電力会社も昼間と夜間との電力需要の差が大きな課題だが、EVが普及すれば、夜間には各家庭でのEVへの充電需要が生まれることで、効率的な電力供給が可能となるからだ。また、ガソリンの値上がりで客足が減った小売業界や、駐車場経営会社も、駐車中の充電によってEVの利便性が向上する点に注目している。というのも、現在のEVでは、連続走行距離がフル充電時で「160キロ」のレベルにあるからだ。これが伸びない限り、現在のガソリン車やハイブリッド車との差は歴然としている。が、ガソリン代よりも電気代の方が安いため、小まめに充電できる環境が整えば、EVの価格競争力は向上することになる。
 
 EVのもう1つの魅力は、自然エネルギーとの組み合わせによって“炭素ゼロ”のドライブが可能になることだ。例えば、工場や大規模小売店などに設置された太陽光発電装置からEVに充電すれば、それは簡単にできる。実際、今年10月に埼玉県越谷市にオープンした「イオンレイクタウン」には、この充電装置がある。また、日照時間が長いイスラエルでは太陽光発電とEVとの組み合わせで、石油から解放された交通システムの構築をねらっているし、風の多いデンマークでは風力発電との連携を目指しているという。
 
 このイスラエルやデンマークの構想に一役買っているのが、米カリフォルニアのベンチャー企業「ベタープレイス」(Better Place)である。もともとソフトウェアー会社をやっていたシャイ・アガッシ氏(Shai Agassi)が創立した企業で、イスラエルやデンマークのような大きさの国であれば、どこでもEVに充電できる環境(ubiquity of charge)を提供すれば、現在の電池の性能のままでも交通需要の95%は満たされると考えて、充電設備等の普及を進めている。彼らの考えでは、残りの5%の需要も、EVから電池を切り離せば十分満たされるという。つまり、EVで使う電池を「車の一部」として考えずに、「インフラの一部」と考えるのである。そして、各所に充電と電池交換ができる“給電所”を整備すれば、EVの連続走行距離は実質的に無限大に延長できるというわけだ。

 世界は、あと数年でEVの普及時代に入る。日本政府はそういう潮流を見定めて、しっかりとした環境政策と技術革新を全力で推進すべきである。あるべき方向を見れば、日本経済は停滞している暇はない、と私は思うのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年7月 3日

小型ビデオカメラの可能性

 6月13日の本欄では、小型ビデオカメラを帽子に装着して撮影した原宿駅周辺の映像をご披露したが、このカメラはどうやら海外でも大いに活躍しているようだ。7月1日に放送されたABCニュースでは、ジンバブエの大統領が反対勢力を暴力で抑えつけて行った選挙の取材のために、旅行者に扮して同国に潜入したジム・シュウット記者(Jim Sciutto)のレポートを流していた。その映像を見ながら私が感じたのは、撮影に使われたのは私が購入したのと似たような小型ビデオカメラだということだ。2人1組の取材のようで、記者がしゃべる横顔をもう1人が撮っている。続いて放映されたイギリスからのレポートによると、同国のいくつかの町の警察では、「装着型カメラ」(wearable camera)が犯罪捜査に大いに役立っているというのである。
 
 そのカメラは、制服の警官の帽子に装着されていて、犯罪の現場に駆けつける際にはすでに撮影モードになっている。そして、警官の見る方向にあるすべてを記録していくのである。だから、事後に文字で書かかねばならない報告書に代わってこの映像と音声が使え、手続きにかかる時間が大幅に短縮される。それと同時に、これらは犯罪現場の証拠にもなるという。こうして、小型ビデオカメラは、今や“革命的に新しい犯罪摘発手段”(revolutionary new crime-fighting tool)になりつつあるという。このカメラのさらに良い点は、カメラをつけた警官が近づいてくると、そのカメラが回っていなくても、問題行動をとっていた人物はすぐにそれをやめるという。また、警官の側も話す言葉や行動が記録されるから、規則違反のことはできない、とニュースは伝えていた。その際、画面に映し出された小型カメラを見て、私は驚いた。大きさといい、形といい、私の使っているものと見紛うばかりなのだ。多分、同一機種だが、仕様が若干違うようだった。
 
 話は変わるが、私は今日、休日を利用して、このカメラを前とは違う方法で使ってみた。前回の歩行中の撮映では、上下動が意外に大きく、見にくい映像になった。だから、今回は車に装着して東京を走ってみた。前回よりもスッキリした映像になっていると思う。洞爺湖サミットが近いため、都内は警備が大幅に強化されている。そんな様子も垣間見ることができる。
 
 谷口 雅宣

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2008年6月10日

“福田ビジョン”は遅れている (2)

 5月21日の本欄でこれと同じ題で書いたが、その時には“福田ビジョン”なるものが正式発表されていなかった。一部報道されていた情報をもとに論評したので、正確さを欠いた点は否めない。が、今日の新聞各紙は、この“福田ビジョン”を大きく、詳しく報道してくれた。9日、福田首相は日本記者クラブで「“低炭素社会・日本”をめざして」という題の講演を行い、それが首相の地球温暖化対策のための包括提案だというのである。『朝日新聞』は、その骨子を次の6項目にまとめている--
 
①温室効果ガス削減の長期目標は、2050年までに現状から60~80%減。
②2020年までに2005年比で14%の削減が可能。来年、日本の国別総量目標を発表。
③途上国支援の日米英基金に12億ドルを拠出。
④太陽光発電を2020年までに現状の10倍、30年には40倍に拡大。
⑤今秋、排出量取引の国内市場を試行。
⑥今秋、環境税を含め、税制全般を横断的に見直す。

 ①の長期目標は、すでに安倍前首相が発表した「クール・アース構想」にもとづき、温暖化に責任のある先進国の負担分を上乗せした数字だ。ただ、長期目標というのは現在の政権運営との関係が薄く、責任問題が生じないから“アドバルーン”としての意味しかない。重要なのは「中期目標」だが、それは②にあるように、発表できなかった。「2005年比で14%減」という数値は、経産省がはじいた楽観的な試算値であり、すでに発表ずみのものだ。③は、温暖化による被害救済のための基金のことだから、温暖化対策それ自体ではない。④は、今回新たに出てきた数値で歓迎できる。(後述)⑤も、新政策として歓迎しよう。しかし⑥は、「実施」ではなく「見直し」だから、やるのかやらないのか分からない。ということで、私としては「もっと言ってほしかった」と不満が残る。

 10日付の『日本経済新聞』には、やや詳しく“福田ビジョン”の要旨が載っている。それを読むと、首相の温暖化対策の重点手法が分かる。それは、「技術力」によって温室効果ガスの排出を極力抑えることを第1に考えている。2番目は、制度改革で排出権取引と環境税の実施だが、これには何か“様子見”のニュアンスが残っている。前者については「効果的なルールを提案するくらいの積極姿勢に転じるべきだ」と書いてあり、一体誰に向かって言っているのかと考えさせられる。一国の首相が本当にやる気ならば、「効果的なルールを提案する」だけでいいはずだ。業界の意向が気になるということか。後者については、上に書いたように、「見直し」にとどまっている。首相の重点手法の3番目と4番目は、全国から10程度の環境モデル都市を選び、支援することと、国民運動による意識改革だが、これらの効果は限定される。
 
 さて、問題は「技術力」の内容だが、これには新技術と従来技術が言及されていて、前者は「まだこの世に存在していない、温暖化ガスを生み出さない革新技術の開発」とあるから、何となく“夢物語”だ。そこで後者が重要になるのだが、ここには「太陽電池」「CO2の地下貯留」「原子力」「風力」「水力」「バイオマス」など、見なれた言葉が並んでいる。そして、これらをカバーする概念として「ゼロ・エミッション電源」という言葉を使い、これの国内での使用比率を50%以上に引き上げる、としている。何を「ゼロ・エミッション」と称するかは必ずしも明らかでないが、原発の増設も考えているようだから、にわかには賛成できない。
 
 実は、10日付の『産経』には、青森市で行われていたG8に中国、インド、韓国を加えたエネルギー相の会合で「青森宣言」なるものが採択され、そこには原発について「多くの国が気候変動緩和とエネルギー安全保障の達成手段として、関心を表明している」と明記され、集まった11カ国が「場合によっては国別推進目標や行動計画を策定することで合意した」と報じられている。何のことはない。原発の増設目標を各国で設定して推進することに、日本が音頭を取った形になっているのだ。また、CO2の地下貯留については、「G8が2010年までに20件の大規模案件に着手することでも合意した」のだそうだ。CO2の地下貯留とは、化石燃料(石炭や天然ガスが考えられている)を使って発電した後に、排出されたCO2を地下深くに埋め込む技術だ。原発が、放射性廃棄物を地下深くに埋め込むことで“クリーン・エネルギー”と称しているのと同じ発想だ。ここのところが、どうしても自民党の限界だと感じる。
 
 ただ、「太陽光発電世界一」の地位を奪還するとの表現には、大いに勇気づけられる。上記した「2020年までに現状の10倍、30年には40倍に拡大」するという目標は歓迎するが、首相の支持基盤の1つである電力会社との調整をどうやっていくのかが、気になるところだ。ドイツでは「1家庭あたり毎月500円のコストを負担している」ことをわざわざ書いているところを見ると、電力料金の一律値上げということなのだろうか。私は、それでもいいと思う。

 谷口 雅宣

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2008年1月29日

文科省、iPS細胞で素早い対応

 私は1月12日13日15日の本欄で、昨年末に日米ほぼ同時に大きな成果が発表された万能細胞(iPS細胞)の研究について考え、これを使った再生医療の延長線上に“深い問題”があることを指摘した。それは、「受精」という過程を経ずに人間が生まれる可能性が出現したということだった。宗教的側面から言えば、これは、神の関与がなく、人間の意思のみによって人間が作られるという事態が生じることである。神と人間は断絶していると考える宗教の教義から見れば、神のみが人間を創造するのだから、これは教義の破綻でなければ、大幅な見直しを迫られる大事件である。にもかかわらず、ローマ法王庁は、この万能細胞の研究成果を歓迎したのだった。また、この研究によって開かれた道は、男性から卵子、女性から精子を得ることにより、同性愛者間で遺伝上の子を設けることである。このように大きな可能性を秘めた強力な技術を、今後人類がどのように制御しながら使っていくかが、私の感じる“深い問題”である。
 
 これについて、文部科学省は卵子や精子などの生殖細胞を万能細胞から作ることを当面禁止する方針を固めたらしい。生殖補助医療をめぐる倫理指針策定では、「対応が遅い」と不評をかってきた文科省としては、異例に速い態度表明である。29日の『朝日新聞』が伝えている。それによると、文科省は2月1日に開かれる科学技術・学術審議会の生命倫理・安全部会に提出する案として、iPS細胞の研究の規制とES(胚性幹)細胞のそれとを対応一致させることが当面は必要との方針を固めたという。これは、iPS細胞の最大の特徴が「ES細胞と同等の能力をもつ」という点にあるからだろう。現在、ES細胞の研究では、そこから①精子や卵子をつくる、②つくった精子や卵子を受精させる、③受精卵を子宮など胎内に移植する、という3段階がすべて禁止されている。iPS細胞についても、同様の規制をするという考え方だ。
 
 しかし、今回の決定では、「当面禁止」という点が気になる。これは「時期が来たら解禁」という意味にも読めるからだ。ES細胞の研究については現在、不妊治療との関係で①と②までは認めるべきとの議論もある。今回の方針の決め方では、ES細胞の側で①と②が認められれば、iPS細胞の研究でも、ほぼ自動的に①と②が許されることになる。私は、世代間倫理を尊重する立場から、iPS細胞の研究では、生殖細胞の作成を禁じること--つまり、①~③のすべてを規制するのがいいと考える。

 iPS細胞の最大の長所は、「自らの細胞を自らの肉体から再生する」という点だ。これは我々の肉体においてごく普通に行われていることで、“自然の過程”と言ってもいいほどだ。白血球や赤血球は造血幹細胞から再生され、皮膚は表皮の下層にある幹細胞から再生され、髪の毛などの体毛も毛根の根本にある幹細胞から再生される。“自然の過程”だから免疫系による拒絶反応もないのである。iPS細胞は、これらの幹細胞のさらに元の細胞の段階へまで、自己の細胞を“後もどり”させたものだ。だから、本質的に自己の肉体の“内側”にとどまる生命現象である。これに対し、生殖活動は、(単為生殖を除き)自己が他を生むための働きで、“外側”へ向かった生命現象である。換言すれば、「他へ影響を与える行為」である。自らの行為が他に影響を及ぼす場合、他の同意を得ることが倫理的である。そうでなく、他の意思を無視した行為--例えば、いきなり抱きついたり、タバコの煙を吹きかけたり、クラクションを鳴らすこと等--は倫理的とは言えない。
 
 このように考えれば、生殖細胞をつくることは、それ自体が次世代へ影響を与えることである。だから、できるだけ“自然な”状態がいいと思う。精子をつくれない男性がiPS細胞によって精子を得ることは、許されていいと思う。しかし、その男性が卵子を得て自ら懐妊したり、あるいは代理母に懐妊させることや、その逆に、女性が自らのiPS細胞から精子を得て、他の女性を懐妊させたりすることは、その結果生まれてくる子にとって普通でない、不自然な状況を強制することになる。同意なくしてこれを行うことは倫理的でない。子が生まれる前に、その子から同意を得ることは不可能だから、そういう行為はしないと決めればいい、と私は考える。
 
 谷口 雅宣

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2008年1月28日

紙を使わない出版

 1月18日の本欄で、製紙会社による古紙配合率の“偽装”について書いたとき、そのほとんど“業界ぐるみ”の不誠実さにアゴを落として、「我々はそろそろ、紙を使わない出版活動を本気で考える時期に来ているのではないだろうか?」などと言った。これを読んだ出版関係者が、後日、「まさか本気でそう考えているのでは……」と私の真意を尋ねた。改めてそう訊かれてみて気づいたことがある。それは、私が「紙を使わない出版活動」をすでに行っているということである。このブログが、それである。また、本サイトにある「日々の祈り」もそれだし、「動画メッセージ」もそれである。さらに言えば、私がすでに単行本として出版した二十数冊の中に含まれる文章の大半は、単行本の用紙にインクで印刷される相当前に、インターネット上で世界中に公開されていた。だから、私が18日の本欄に書いたことは決して“過激な発言”などではなく、“抑えた表現”だとも言えるのである。

 それでも、インターネット上の電子出版は、これまでは書店での本の売れ方に比べると影響力が小さかった。その理由の第一は、「本」という物理的な情報媒体の“魅力”が電子情報媒体のそれに勝っていたからだろう。つまり、手に取ってどこへでも持って行け、「開いてページを繰る」という簡単な操作だけで情報を得られること。さらに言えば、造本・装丁などで美的欲求を満たしてくれる点も無視できない。しかし、本には、電子情報に比べて劣る面もある。それは、①情報量が少ない、②木材資源を多く消費する、③場所をとる、④運搬にコストと時間がかかる、⑤製造と運搬、消費の過程で温暖化ガスを排出する、などだ。最後の⑤については、本が電子情報に比べて格段に多いかどうか定かでない。が、電子情報の記録媒体の容量が飛躍的に拡大しつつある今日、この点でも本の劣勢は否定できないだろう。

 読者は、音楽CDの売り上げがどんどん減っているのをご存じだろう。理由は、アップル社のアイポッドに代表されるMP3プレイヤーというデジタル音楽プレイヤーの急速な普及である。さらに、アイポッドへ音楽データを送り込むパソコンの普及と、パソコンから無数の音楽を素早くダウンロードできるアップル社のサービスサイトの登場だ。これにより、CDを買うよりも安価に、素早く、好みの音楽が、ほとんど無制限に自分のポケットに入る。ハードウエアの小型化と大容量化、それにデータを送受する通信環境とソフトウエアの整備が実現して、ここ数年間でMP3プレイヤーによる音楽が、音楽CDを駆逐する勢いに転じた。これと同じことが、紙による本や雑誌と電子出版との間に起こることは十分考えられるのである。
 
 1月28日付の『ヘラルド・トリビューン』は、音楽産業におけるMP3プレイヤーに該当するような革命的変化を起こす“候補”として、昨年11月にアメリカで発売された「キンドル」(Kindle)という電子ブック・リーダーを大きく取り上げている。価格は399ドル(約4万3千円)とやや高価だが、重量約300グラムのハードウエアの中に、単行本200冊分のデータが収納でき、新聞や雑誌、ブログのデータも表示できる。白い画面に灰色4段階で文字を鮮明に表示し、しかもどこからでも無線通信でデータをダウンロードできるという。発売元は、本のネット販売を始めたあのアマゾン・ドット・コム社である。キンドルは発売後6時間で売り切れた後、製造が注文に追いつかない状態が今日まで続いているという。このキンドルの日本語対応版の発売は、もうまもなくだ。

 日本では、通信機能付き小型ゲーム機に対応した電子ブックがすでに発売されている。私は、そのゲーム機上で電子ブックをほんの数ページ読んだことがあるが、遠視が始まっている私の目には、画面と文字が小さすぎた。キンドルの画面はこれより大きいので、見え具合がよければ使えるのでは、と期待している。今後の技術の進歩により、この機種でなくても、電子ブック・リーダーの普及はもう目の前にある。とすると、出版社と流通業者を通さない電子出版が可能となるのである。このことの及ぼす影響は、生長の家を含めた出版業界にとって、はかり知れないものではないだろうか。
 
谷口 雅宣

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2008年1月16日

万能細胞がもたらす“深い問題” (4)

 本シリーズの最後に、「万能細胞」ほどの分化能力はないが、いくつかの組織への分化が実験的に確認されている多分化幹細胞をめぐって最近、話題になっている展開について触れよう。これは、死んだラットの心臓を取り出し、そこに付着した軟かい細胞を薬剤で洗い流し、残った硬い細胞でできた“型枠”に、生まれてまもない複数のラットの子の心臓から採った細胞を流し込んだところ、2週間たたないうちに、新しい心臓が形成されて鼓動を始めた--という実験である。14日付の『日本経済新聞』、15日付の『ヘラルド・トリビューン』紙などが伝えている。この研究は、14日付のアメリカの医学誌『Nature Medicine』電子版に発表さたもので、ミネソタ大学のドリス・テイラー博士(Doris Taylor)らの研究チームによる。
 
 上記の『トリビューン』紙の記事によると、この研究が重要な理由は、心臓移植を現在のような脳死段階で行わなくても、心臓死の後で臓器が得られれば、患者自身の骨髄の幹細胞を、死者の心臓の“型枠”に注入することによって、拒絶反応が少ない心臓を新たに作成する可能性が見えるからだ。そして、このようにして心臓が作成できれば、腎臓も、肝臓も、肺も、膵臓も……ほとんどすべての臓器が同じような方法で、比較的簡単に作成できる可能性があるという。さらに言えば、このような臓器の再構築には、必ずしも人間の臓器を使わなくて済むかもしない。ブタの臓器は、人間のものと形や大きさが似ているため、現在でも臓器移植に使われている。これなら入手は容易であり、医学的には拒絶反応の問題が残っていても、法的、倫理的問題は少ない。
 
 というわけで、テイラー博士らは、上と同じような心臓の再構築の研究を、ブタを使ってすでに開始しているという。
 
 お気づきの読者もいると思うが、この研究と、山中伸弥教授らの研究とは“合体”させることができるのである。テイラー博士らは、臓器作成のための“型枠”の作り方を発見した。山中教授は、あらゆる組織や臓器に分化する能力のある幹細胞を効率よく作成する方法を発見した。前者の中に後者を入れれば、患者自身の細胞で構成された新しい臓器が構築できる--そう考えることはできないか?
 
 上のような考えは、専門家から見れば恐らく“穴”だらけだろう。このような道筋が拓けるまでには、私のような素人の考えが及ばない関門が、いくつもあるかもしれない。いや、きっとそうだろう。しかし、この分野の研究者が向かっている大きな「方向性」は、上の予測と大きく違わないと思う。つまり我々は、肉体の「不死」と「再生」を求めて、鋭意努力し、かつ莫大なエネルギーと予算をかけて突き進んでいるのである。その努力の中で、万能細胞が作られ、臓器再構築の方法が発見されつつある。しかし、この目的自体の是非については、誰も何も発言しないようだ。

 我々人間は皆、不死を求め、再生を願っている。だから、皆が求めることは正しく、かつ善である。そのために研究に努力し、大量の時間と資金を投入することは素晴らしい--そう言う声が聞こえるような気がする。しかし、人間が皆、不死となり、死人はことごとく再生する世界がどんな世界であるかを、考えた人がどれだけいるだろうか? それが善である理由は、どこにあるだろうか? 私がいう“深い問題”とは、こういうことなのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年1月15日

万能細胞がもたらす“深い問題” (3)

 私は前回の本欄で、万能細胞の可能性を論じるのに「孫悟空」の物語を比喩として使った。それを読んだ読者の中には、「想像力を働かせすぎだ」と感じた人がいるかもしれない。iPS細胞の開発により、拒絶反応の危険が少ない移植用組織や臓器が利用できるのだから、医療技術は確実に進歩するのであり、人々の幸福も増進する。それに、ES細胞のように人の受精卵や生殖細胞を使うという倫理問題もない。したがって、今回の研究成果は素直に喜ぶべきである--そう言う人の声が聞こえてくるような気がする。私も半分はそう思う。しかし、他の半分で別の可能性を考えることは許されていいと思う。
 
 どこかの本にも書いたが、技術は本質的に道具であるから“善”でも“悪”でもないが、それを使う人の心が“善”や“悪”をもたらすのである。武器や兵器は自衛のためにも使えるが、強盗や殺戮のためにも使える。ES細胞の技術は、アルツハイマーの治療にも使えるし、クローン人間の作製にも使える。では、この万能細胞の技術は、治療目的以外にいったい何に使えるか? この技術はきわめて強力であるから、さまざまな目的に利用できるだろう。例えば、以前も書いたように、同性愛者間で遺伝上の子をもうけることができる。性行為によらずに遺伝上の子をもてるのだから、異性愛者であっても、パートナーなしで遺伝上の子がもてるだろう。また、ES細胞と同等の能力をもった細胞だから、クローン人間が作れるだろう。さらに、前もって自分のスペアパーツを作っておくこともできるだろう。体細胞を“リセット”して受精卵と同等の能力をもたせる技術だから、もしかしたら“若返り”の手段に使えるかもしれない……これらは皆、倫理問題を含んでいる。
 
 が、ここで私はこれらの倫理問題には触れずに、宗教的な問題を1つ提示したい。私が言う“深い問題”とは、実はこのことなのだ。

「人の生命がいつ始まるか」についてローマ法王庁の伝統的見解は、「受精の瞬間から」である。だから、日本政府が「ヒト胚の取扱いに関する基本的考え方」(中間報告書)に対して意見募集を行った際も、日本のカトリック教会は、ヒトES細胞の再生医療への利用のために、①ヒト受精胚(ヒト胚)の研究目的の作成と利用、②人クローン胚の研究目的の作成、のいずれにも「反対」の意見表明をしている(2004年2月20日、内閣府政策統括官宛文書,)。ところが、バチカンは今回のiPS細胞の研究発表の直後に、これを「歴史的な成果」として歓迎するコメントを出した。アメリカのカトリック司教協議会も歓迎の声明を出したという。(1月13日『朝日新聞』)これは、ES細胞の研究には強硬に反対していたのとは、大違いだ。

 私はその理由を、こうではないかと想像する--今回のiPS細胞は皮膚などの体細胞から作成できる。体細胞には「受精」など起こらないから、それを利用して作ったiPS細胞の医療への利用は問題ない。--しかし、本当にそうだろうか?

 山中教授らが開発したiPS細胞が世界から注目されている大きな理由は、それが「ES細胞と同等の分化能力をもつ」という点--つまり、「人体を構成するすべての組織や臓器に分化する能力がある」という点にある。そもそもES細胞は、受精卵から成長した「胚盤胞」の中身を吸い出し、培養して作られる。iPS細胞にそれと同等の分化能力があるならば、ES細胞と同じように、子宮に移植すれば人体を形成するはずだ。この方法で、iPS細胞を使えば、クローン人間を比較的容易に作れるかもしれない。そういう事例を、カトリック教会は「受精を経ないからいい」とは言えないだろう。これまで同教会が出してきた人の誕生に関わるいろいろの見解から考えて、首尾一貫しないからだ。カトリック中央協議会によると、日本のカトリック司教団も、「生殖を目的とする胚細胞クローン」と、「生殖以外の目的(治療等)で行われる体細胞クローン」の両方について、研究のための利用は許されないと表明してきた。

 問題は、「受精」という過程を経ずに子が生まれる可能性が生まれていることだ。しかも、その過程は明確な人間の意思、人間だけの意思によって開始され、材料は皮膚の細胞で足りるのである。人間が生まれるのに、「神の意思」が関与する余地がなくなってしまうのである。神と人間とをまったく別次元の存在として考える教義においては、この可能性が生まれることはきわめて“重大な問題”ではないだろうか? 生長の家では「人間は神の子」と教えており、神と人間とを全然別の存在とは考えない。が、それにしても、ここには“深い問題”が秘められていると感じるのである。
 
 谷口 雅宣。

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2008年1月13日

万能細胞がもたらす“深い問題” (2)

 昨年11月21の本欄にも書いたが、「iPS細胞」とは「induced pluripotent stem cells」という英語の頭文字を取った造語だ。日本語では「人工多能性幹細胞」という訳が使われている。平たく言えば「人工的に多能性を与えた幹細胞」で、多能性とは、人体の各組織--神経、筋肉、血液、骨格…etc.に分化する能力のことだ。「幹細胞」とは、樹木の「幹」から枝葉が分かれて伸びるように、人体を構成する各種組織や臓器に分化する前の細胞である。赤血球、白血球などの血液の細胞は造血幹細胞から生まれ、脳を形成する神経細胞は神経幹細胞から生まれる。

 2006年7月27日の本欄に書いたように、これまでの研究では、このような幹細胞は人体の様々な場所--脳、骨髄、髪、皮膚、脂肪、歯胚、臍帯血、生殖器など--に存在することが分かっている。だから、ケガで出血しても、皮膚や神経を切断しても、また脳梗塞で脳の細胞の一部が破壊されても、我々の体の組織はリハビリなどを通して、ある程度再生し、復元するのである。これらの幹細胞は、我々の体の中に現に存在するものだから、「体性幹細胞」あるいは「成人幹細胞」と呼ばれる。これらはしかし、「万能細胞」とは言えない。なぜなら、これらは分化の方向性が一定していて、あらゆる組織に変化するわけではないからだ。例えば、造血幹細胞は通常、血液の細胞にしか分化せず、神経幹細胞は神経系の細胞にしか変化せず、歯胚幹細胞は歯の組織にしかならない。
 
 これに対して、受精卵の時代には存在したが、誕生後は消えてしまったと思われる幹細胞がある。これが「ES細胞」(embryonic stem cells、胚性幹細胞)である。この細胞は、人が母胎中で生き始めたごく初期の、受精から1週間から10日ごろの「胚盤胞」と呼ばれる段階のときに、胚の内部を満たしていると考えられている。これは、体内の幹細胞の“大元締め”であり、あらゆる組織や臓器に分化する能力があるから、「万能細胞」と呼ばれるのである。
 
 山中教授らのグループが作成した「iPS細胞」は、上記の2つの種類の幹細胞--体性幹細胞と胚性幹細胞--のいずれにも属さない。別の言い方をすれば、2種の幹細胞の性質を併せもった幹細胞である。このことを治療面から表現すれば、こうなる--体性幹細胞は患者本人から取り出すから拒絶反応の心配がないが、万能性がない。これに対し胚性幹細胞は、患者以外(受精卵)から取り出すから拒絶反応が危惧されるが、万能性がある。そして、この両者の性質を兼ね備えたiPS細胞は、患者自身から作成されるから安全性が高く、しかも万能性がある。そうなると、世界の研究者の目は、この安全性の高い新しい万能細胞(iPS細胞)の上に注がれるのは当然と言わねばならない。
 
 山中教授らが昨年11月に発表した研究では、成人の顔の皮膚細胞と関節にある滑膜の細胞に4つの遺伝子を組み込んでiPS細胞を作った。が、4つの遺伝子のうち1つは、ガン遺伝子として知られていたため、人への応用ではガン化の危険があった。その後、同教授らはガン遺伝子を使わないでiPS細胞を作ることに成功(12月1日報道)。さらに肝臓と胃の粘膜の細胞からもiPS細胞を得ることに成功した。(12月12日報道)

 今年に入っても、iPS細胞に関連した研究は急速な発展を見せている。1月7日付の『日経』によると、山中教授と同じ京都大学の杉山弘教授らの研究チームは、iPS細胞を「安全につくる基本技術を開発した」という。内容の詳細は明らかでないが、この技術によると、「ガンの遺伝子やウイルスを使う代わりに化学物質でiPS細胞を作れる」のだそうだ。この化学物質は「ポリアミド」の一種で、細胞内のDNAに結びつき、「成長をつかさどる遺伝子の機能を調節する」から、「大人の細胞を生まれたての新型万能細胞に後戻りさせたり、万能細胞を神経細胞などに効率良く生まれ変わらせたりする」能力があると見られている。
 
 こうなってくると、当初の研究で使われた「皮膚」だけでなく、人体の様々な場所にある普通の細胞から、万能細胞と同等のものが比較的簡単に作成できる可能性が見えてくる。私が昨日の本欄で「ツメや髪の毛から自己の複製を作る」と書いたのも、だから必ずしも“絵空事”ではないのである。「孫悟空」の物語の中には、サルの悟空が自分の体毛を抜いてフッと息を吹きかけると、たちまち抜いた毛の数ほどの自分の複製が現れる話が出てくる。私は、最近の万能細胞の研究の成果を知るにつけ、この物語を“絵空事”だと笑えない気持になるのである。

 谷口 雅宣

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2008年1月12日

万能細胞がもたらす“深い問題” (1)

 京都大学の山中伸弥教授らのグループの研究により、一気に再生医療の“スターダム”に躍り出た「iPS細胞」に関しては、国を含めた研究支援の輪が広がりつつあることは喜ばしいことだ。アメリカの研究グループも山中教授らの研究と肩を並べて成果を競っているから、人間の治療に使えるような安全性の高い技術をどちらが先に確立できるかは予断を許さない。
 
 11日付の『日本経済新聞』によると、この研究に関する国の主な支援策は、文科省、厚労省、経産省、特許庁の合計で33億円が2008年度に投入される予定。この中で最も高額なのは文科省の計画で、iPS細胞関連の研究に今年度当初予算の約7倍に当たる約22億円を充て、今月内にも発足する京大のiPS細胞研究センターの整備・支援をするという。また、厚労省では、臨床試験のための施設整備を希望する研究・医療機関を公募し、2~3カ所を対象に約4億円を支援する計画という。
 
 この研究については、門外漢の私は技術面での今後の予測はまったくできない。しかし、強力な技術としてのiPS細胞には、何か哲学的・宗教的問題が潜んでいるような気がしてならないのである。昨年11月25日の本欄では、私は山中教授の言葉を引用して、「iPS技術を使えば男性から卵子、女性から精子を作るのも可能」であるから、使い方によっては社会倫理、生命倫理に触れる問題が起こる可能性があることを指摘した。が、私がここで「深い問題」というのは、それよりもさらに“深い影響”をもたらす可能性である。
 
 この技術をある側面から形容すると、これは「皮膚から自己の複製を作る技術」である。この場合の“自己”とは、もちろん肉体的自己--つまり、自分と同一の遺伝子情報もつ肉体のことである。普通、我々の肉体の細胞はみな、同一の遺伝子情報をもっているから、細胞レベルで同じ遺伝子情報をもつものが我々の肉体の外部にあっても、別に驚くことはない。我々のツメ、髪の毛、皮膚、血液を構成する細胞は、すべて同一の遺伝子情報をもつ。それらが我々の体から離れて床の上に落ちても、我々は何も驚かない。しかし、それらの細胞を拾って培養液に入れ、ある条件下で育てていると、受精卵と実質的に同じものが成長してくるとすると、問題は別である。

 iPS細胞の技術は、(まだ実用化していないが)これを可能にするものと言える。もちろんツメや髪の毛自体がたちまち受精卵になるのでないが、ツメや髪の毛と同じように入手が容易な皮膚の細胞で、これができるのである。このようにしてできた受精卵と同等の生命体を、我々は何と呼ぶべきだろうか? 「受精」もせず「卵」でもないのだから「受精卵」ではない。母胎の中にいないのだから「胎児」ではない。自分と同一の遺伝子情報をもつ生命体だから「子」でもない。自分の体外にあって、一定の条件下で自分から独立して生きているのだから「自分」でもない。それでは「他人」か? 遺伝子情報がまったく同一の生命体を、普通は「他人」とは呼ばない。それは普通「一卵性の双子」と呼ぶ。しかし、一方は成人した人間で、他方は未熟の生命だから、「一卵性」でも「双子」でもない。つまり、人類は未だかつてこのような生命体を、一部の例外を除いては目にしたことがない。その一部の例外が「ES細胞」である。

 谷口 雅宣

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2008年1月11日

動画サイトをどう使うか?

 本欄の読者の中には、ユーチューブなどの動画サイトに自分の個人チャンネルをお持ちの人もすでにいるだろうが、宗教が団体としてこの新しい媒体をどう使うかについては、恐らくまだ“手探り状態”なのが実情だろう。私も昨年来、本欄に時々動画を公開しているが、それは生長の家という宗教団体としてやっているのではなく、個人としての実験的公開である。その証拠に、宗教とは直接関係のない「旅行記」や「キノコ採り」「料理法」の類の動画も含まれているのを、読者はお気づきだろう。宗教団体として公開している動画は、生長の家公式サイトの「電脳紙芝居」のページにある数本だけである。
 
 しかし、ネット全体では、この動画サイトの成長ぶりは目覚ましく、そこに登録されている動画の質もどんどん向上している。今日(11日)付の『産経新聞』によると、フジテレビは日本のテレビ放送では初めて、音楽番組の一部をアップルが運営する「iTunesストア」のサイトで有料配信すると発表した。番組の収録は18日に東京・銀座のアップル直営店で公開で行い、電波による放映は3月29日に行うが、それに先駆けて3月12日からネット配信するという。これなどは、ネットで番組を宣伝するのに動画サイトを利用する試みだろう。ただし有料というから、動画のダウンロード自体も一部目的としているようだ。

 また、9日付の『フジサンケイ・ビジネスアイ』によると、松下電器産業は7日、グーグル傘下のユーチューブと提携し、同サイトの動画を簡単に視聴できるネット対応テレビを今春に米国で発売すると発表した。ユーチューブでは、海外のテレビ局などはすでに番組を提供しているから、ネット対応テレビができれば、視聴者は放送時間に拘束されずに、好きなテレビ番組を含む多様なコンテンツを自由に選び、家庭や職場で手軽に視聴できるようになる。しかも、国境を越えてこれを行うことができる点が画期的だろう。

 このようにインターネットを経由した動画環境が整ってくることで、宗教のメッセージを世界に向かって迅速に、しかも安価に伝える可能性が飛躍的に増大するだろう。「世界に伝わる」ということは、もちろん国内にも伝わることだから、国内の教団内部の情報伝達も、従来のような手紙や電話、ビデオテープ、DVDなどを使ったものよりも、効率的で、大量の情報を扱う手段が整うことになる。それを利用しないで、光明化運動を語るのはおかしい。
 
 そんなことを考えていたところへ、生長の家のアメリカ合衆国教化総長をしている勅使川原淑子氏から、自分もユーチューブのチャンネルを開設したという話を聞いた。パソコンの技術面で特に強いとは聞いていない人だから、「よくぞやった!」と思った。で、彼女のサイトを見てみると、「なるほど……」と肯かされた。広大なアメリカの地に散在する生長の家の幹部・信徒に対して、自分の意図したメッセージを正確に伝えるには、自分の声と映像を録画した動画に勝る手段は、今のところないのである。その点に着目した“勇気ある第1歩”と言うべきだろう。今後の健闘をお祈りする。

 谷口 雅宣 

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2007年11月25日

“パンドラの箱”は開いたか?

 21日の本欄で、京都大学の山中伸弥教授らのグループによる“万能細胞”の研究成果を紹介したとき、私はこの研究が「他人の受精卵や卵子を使わず、患者本人の細胞を利用することで、移植医療の最大の関門である拒絶反応の問題をクリアできる可能性が飛躍的に増大した」と高く評価した。この考えは今も変わらないが、科学技術の進歩については、原子力の利用が示しているような“諸刃の剣”的な側面があることを忘れてはいけない。つまり、技術そのものに善悪はないが、その利用の仕方いかんでは、優れた技術、強力な技術ほど悪い結果をもたらす危険が大きいという点である。
 
 今回の研究は、比較的容易に誰からも入手できる皮膚の細胞から“万能細胞”を得られる道を切り拓いたわけだから、文句なく“善い”研究だと考える人が多いかもしれない。しかし、このような技術の進歩は素晴らしいことに変わりはないが、その影響が大きいがゆえに、使い方によっては“善い”結果だけが生じるわけではない。私がこのことに気づいたのは、23日付の『日本経済新聞』紙上に載った山中教授のインタビュー記事を読んだときだった。同教授は、インタビューアーの「倫理面の規制についてはどう考えるか」という質問に対して、次のように答えている--
 
「国で適正なルール作りを早急に検討すべきだ。iPS技術を使えば男性から卵子、女性から精子を作るのも可能。しかし非常に複雑な話になるので一定の枠をはめた方がよいだろう。ただ、iPS細胞は医療現場に役立てるためにわざわざ人工的に作ったものなので、臨床に生かさないと意味がない。過度の規制はよくないと考えている」

 私はこの記事を読むまで、今回開発された技術がそこまでできるなど想像していなかったから、少なからず驚いた。そして、これを読んで真っ先に頭に浮かんだのは、同性愛者による子の誕生である。山中教授のこの発言だけでは、同教授が同性愛者の子づくりをどう考えているか明確にはわからないが、何となく「規制すべきだ」との考えのように思える。その理由は、「家族や親子関係が複雑になりすぎる」からなのだろう。しかし、かつては“社会の目”から隠れていたこれらの人々も、今日では普通に市民生活を営み、同棲生活はもちろん、一部では結婚も許されるようになっている。異性愛の人間と差別することなく、すべての権利を保障すべきであるというのが、今日の要請である。そういう状況下では、「子をつくることだけは許されない」と定めることは不可能ではないだろうか。

 そうすると、今後どうなるか。ここから先は、あくまでも「仮定」の話として聞いてほしい。ここにAという同性のカップルがいるとする。愛し合っている2人は、お互いの遺伝子を半分ずつもった子を得たいと熱望しているが、これまではその願望を実現する方法がなかったから諦めていた。ところが、新技術によってそれが可能となれば、「そうしてはいけない」と言う理由はあまりない。現在でも、遺伝子の問題にこだわらなければ、同性のカップルは子をもつ手立てがないわけでもない。それは養子の制度を利用したり、他人から卵子や精子の提供を受けることによって(少なくとも技術的には)可能である。そして、すでにこの時点において、生まれて来る子にとって、家族や親子関係は十分複雑である。この複雑さに、遺伝子の問題が加わることが、このカップルの「子を得たい」という熱望を否定するに値するほど「複雑すぎる」かどうかは、大いに議論の余地があるだろう。
 
 ということで、カップルAは新技術によって、法的にも生物学的にも子をもてることになった--そう仮定しよう。このカップルが女性同士であれば、一方のパートナーの皮膚細胞から新技術によって精子をつくり、それを人工授精をへて、もう一方のパートナーが妊娠すれば子が生まれる。これに対し、カップルが男性同士の場合は、もう少し複雑になる。この場合は、一方のパートナーの皮膚細胞から卵子を作り、人工授精によって作った受精卵を代理母に依頼して妊娠・出産してもらうことになるだろう。法的、倫理的な問題を考慮に入れず、純粋に技術的に考えれば、これらは可能だ。が、その結果、生まれた子どもは一体どのような人生を送ることになるのか--この点が、私には最も心配である。
 
 成人した男女が、自らの責任においてパートナーを選ぶ場合、その相手が同性であるか否かについて、他人や法律が関与すべきでないという主張は理解できる。しかし、そのカップルから生まれる子どもに、半ば強制的に“特殊”な環境を押しつけることに問題はないのだろうか。成人カップルの決定は自由意思にもとづくのに対し、そこから生まれる子には自由意思が認められないのだ。それは、異性のカップルから生まれる子にも言えることだから、無視していいと考えるべきなのか。それとも、男親が2人いたり、女親が2人いるような家庭を“特殊”と呼ぶのは間違いで、それらをもっと“一般化”すべしというのが新時代の要請なのだろうか。人類の目の前には今、このような未踏の道が口を開けているように見える。この新技術は、はたして“パンドラの箱”を開けてしまったのだろうか?
 
 谷口 雅宣
 

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2007年11月17日

サルのクローン胚からES細胞

 最近、幹細胞の研究で画期的な進展があったようだ。「ようだ」という語を付け加えるのは、韓国でかつて人間のES細胞をめぐる似たような進展が「あった」と大々的に発表された後に、それが虚偽だと判断された例を思い出すからである。(本欄2005年5月22日同年11月14日同22日など参照)今回の研究は、生獣のアカゲザルの皮膚細胞の核を除核卵子に組み込んでクローン胚とし、さらにそこからES細胞を作成した、というものだ。これは、すでにネズミを使った研究では達成されていたが、他の動物--とりわけ人間に近いサルで成功したことから、人間への応用の可能性が一気に増大したと評価されている。米オレゴン州にあるオレゴン健康科学大学(Oregon Health and Science University)などの研究チームによるもので、14日付のイギリスの科学誌『Nature』の電子版に発表した。
 
 メディアの報道にも慎重さが見られる。英字紙の『ヘラルド・トリビューン』は15日付で記事にし、「オレゴンの研究者らは、サルの胚の作成にクローン技術を使い、そこから幹細胞を抽出したと報告している」という書き方で、この研究成果を「事実」としてではなく「伝聞」として伝えた。『朝日新聞』も15日の紙面で「……に成功したとの論文を、○○に発表した」と書き、『産経』も同日に同様な書き方で伝え、『日経』は17日の夕刊でこれを伝え、3紙とも2004年の韓国の研究者の発表が後日、捏造だったことにも触れている。注意深い態度と言えよう。
 
 とはいえ、この発表は注目に値する。上記メディアの伝えるところによると、研究チームは、アカゲザルの皮下組織にある繊維芽細胞から核を取り出し、これを除核未受精卵(受精していない卵子から細胞核を除いたもの)の中に注入し、電気ショックを与えて融合させることでクローン胚を作り出した。そして、この胚が分化を始めて100個程度の細胞塊になった「胚盤胞」の段階で、細胞の内部組織を取り出してES(胚性幹)細胞を得たという。さらに『ヘラルド』紙は、この後に研究チームはES細胞から心臓の細胞と神経細胞を分化させることに成功し、ネズミに移植した場合は、体内でその他の様々な細胞にも分化した、と伝えている。
 
 もしこの研究が別の研究者によっても再現できることが確認されれば、どういうことになるだろうか? --サルで成功した研究は、同じ霊長類である人間にも応用できる可能性が大きいから、当然、人間への応用が次のステップとなる。この研究の主任をしたシュークラト・ミタリポフ博士(Shoukhrat Mitalipov)自身、メディアの取材に対して「この方法は人間にも使えることは確かです」と言っている。この場合、考えられる用途は、患者本人の皮膚細胞を使ってクローン胚を作り、そこからES細胞を抽出することで、理論的には体の各部の再生治療が拒絶反応の心配なくできる、ということだろう。これは一見、大いなる医療の進歩である。
 
 しかし、この研究で見えにくいのは「卵子」が大量に使われ、その大部分はむだになっている点である。数字で言うと、14匹のメスザルから「304個」の卵子が取り出された。その結果、得られたES細胞はわずか2株、成功率は0.7%だ。この状態では、人への応用は難しい。韓国のES細胞捏造事件の際も、多くの卵子提供者が協力し、一部に謝礼が支払われたことが問題になった。卵子の売買と区別がつかなくなるからである。このことは「代理母」についても言えるが、「人は、他人の健康の危険を冒してまで自己目的を追究できるか?」という倫理的問題がここにはある。代理母の場合、最低1人の他人が危険を冒す。この研究を人間に及ぼす場合、現段階ではそれ以上の他人を利用することになる。
 
 この効率の問題が解決しても、「クローン胚」の問題が残る。つまり、この胚を子宮に移植すれば「クローン人間」になるからである。昨年6月20の本欄でも触れたが、日本政府はクローン胚作成を条件づきで認める方針のようだが、私にとってあまり賛成できる話ではない。

 谷口 雅宣
 

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2007年6月11日

新しい再生医療が日本から?

 本欄でときどき取り上げてきたES細胞の研究に代わるような、画期的な再生医療の技術が日本から生まれるかもしれない。「画期的」である理由は、ES細胞が卵子や受精卵などの“新しい生命”を破壊する点で倫理性が問われているのに対し、この技術は皮膚の細胞を利用するためその問題がなく、さらに患者本人のものを使うため拒絶反応の心配もないからだ。6月7日付の『日本経済新聞』などが京都大学と科学技術振興機構の成果として伝えている。
 
 この研究は、京大の山中伸弥教授らによるもので、7日付のイギリスの科学誌『Nature』の電子版に発表された。山中教授の同種の研究は、昨年7月17日の本欄でも紹介したが、4種類の遺伝子を使ってマウスの胎児の皮膚細胞からES細胞に近い多分化能をもつ幹細胞をつくるもの。前回の研究では遺伝子の種類がES細胞と3割程度異なっていたのに対し、今回の方法によれば約9割が一致するという。ただし、マウスを使った研究だから、人間に応用できるかどうかは今後の課題だ。
 
 8日付の『ヘラルド・トリビューン』紙には、この成果に対するアメリカの研究者の讃辞が並んでいる。幹細胞研究では先端をいくスタンフォード大学のアーヴィン・ワイスマン教授(Irving Weissman)は、「生命科学と再生医療の進展にとって、この研究は考えられるうちで最大のものだ」と言い、ハーバード医学校のデビッド・スキャデン教授(David Scadden)は、細胞が簡単な方法で未分化状態にもどせるということは「誠にすばらしく、ほとんどの研究者が10年先の話だと考えていた」と手放しで誉めている。また、幹細胞研究に関してアメリカのカトリック教会のスポークスマンを務めるリチャード・ドゥーアフリンガー氏(Richard Doerflinger)は、この研究は「どの段階においても人間の生命を傷つけたり、破壊したりせずにES細胞に近い能力のものをつくるのだから、深刻な道徳問題はない」としており、ダートマス大学の倫理学者、ロナルド・グリーン氏(Ronald Green)も、「これによってつくられるのは、保護されるべき初期の人間の生命だと言うのは非常に困難だ。人間に適用できれば、この議論を終らせる1つの方法になるだろう」と言う。
 
 上記の『ヘラルド』紙によると、山中教授らの昨年の研究以来、マサチューセッツ州のホワイトヘッド研究所とカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)など他の2つの研究チームによって“再現”のための実験が行われたという。その結果、いずれの場合でも、山中教授が示した4つの遺伝子を挿入することで、マウスの皮膚細胞がES細胞と酷似した状態にもどることが分ったという。ただし問題もある。その1つは、この4遺伝子のうち2つは、細胞をガン化する能力があることだ。実際、山中教授が研究に使ったマウスの20%は、ガンを発症して死んだという。
 
 一般の新聞や雑誌ではあまり語られないことだが、ES細胞を含む幹細胞をめぐる問題の1つに、「ガン化」の可能性がある。このことは、昨年12月16日の本欄でやや詳しく触れたが、ガンが発症する原因はガン細胞の元になる「ガン幹細胞」だという考え方が、専門家の間では知られている。そして、ES細胞などの幹細胞とガン幹細胞との違いは、まだよく分かっていないのである。山中教授らの研究は、倫理問題のある受精卵や生殖細胞の利用を避け、入手が容易な「皮膚」を材料として“万能細胞”を得ようとする点で、倫理性と合理性に優れている。このように、医師や研究者が倫理性を重んじながら科学の可能性を広げる努力を続けていることを知ると、信仰者として大いに勇気づけられるのである。

谷口 雅宣

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2007年5月25日

安倍提案は“掛け声”だけ?

 今日のニュースでは安倍首相の“美しい星”提案が話題になっているが、有効な具体策に乏しく“ムード先行”の感が否めない。日本経済新聞社主催の第13回国際交流会議「アジアの未来」での演説で同首相は、「2050年までに地球全体の温暖化ガス排出量を半減」することを世界共通の目標として採択することを提案した。2012年で終る京都議定書の後を見越した“世界全体の目標”を明確に打ち出したという点では評価できる。が、肝腎のその議定書の目標を日本自身が達成できるかどうか危ぶまれている現状では、もっと斬新で具体的な方策を伴った提案をしてほしかった。ただ、この分野での政府のヤル気を疑っていた私にとっては、「ヤル気はあるよ」と言ってもらった気がして、ありがたい。

 もちろん、安倍提案には具体策が全くないわけではない。しかし、数少ない具体策の中にあるのが「先進的な原子力発電技術の開発」というのだから恐れ入る。首相の考えでは、原発をどんどん更新することが“美しい星”実現への道なのだ。また、日本国民に向けては、「1日1キロ温暖化ガス削減」の運動を提唱している。このスローガンの意味は分りにくい。「国民1人が年間に1キロの温暖化ガスを削減する」のか、それともその削減を1年間(365日)継続することで、1人が年間365キロを削減するのか? 『日経』の説明を読むと、どうやら前者のようであるが、それならスローガン中の「1日」という言葉は不要である。また、この削減運動の具体例を見ると、「エコドライブ」「マイバッグ」「節水」「家電の省エネ化」「ゴミ分別の徹底」など、環境意識のある国民ならすでに実行済みのものばかりだ。

 問題は、「みんなで半減しましょう」と提案しながら、「自分はどうするか」を言わないところにある。EUは先ごろ、「2020年に1990年比で20%削減」というEU自身の削減目標を決定したが、安倍首相は日本の削減目標を言わなかった。『日経』はその理由を「日本独自の目標設定を避けたのは、現状計画の達成が厳しい事情の反映でもある」と分析している。つまり、京都議定書の目標達成が難しいからだ。これについて首相は、「日本が約束した6%の削減目標を達成するため総力を挙げて国民全体で取り組む」と強調したという。「1キロ削減」の国民運動を展開すれば議定書の目標達成にいたると考えているのだとしたら、大変甘い見方だと思う。

 本欄で何回も触れてきたが、私は温暖化抑制のためには、この種の“小手先”の方策や、“掛け声”だけでは足りないと考える。地球温暖化の原因は、化石燃料の大量使用からくる大気中の温暖化ガスの上昇なのだから、この原因を除かなければ問題の解決はない。安部案は、これを原子力エネルギーの増加と二酸化炭素の地下固定、家電製品の買い替えを含めた国民の省エネ努力で達成しようというようだ。自民党の経済基盤である大企業の利益にならないことはしないとの明確な意図が読み取れる。それを「環境保全と経済発展の両立」という言葉で表現しているのだとしたら、ピントがズレていると思う。先ごろのIPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)の報告書にあるように、「今、本気でクリーン・エネルギーへの転換を図れば、比較的安いコストで温暖化の進行を防げるが、対策を遅らせば将来のコストは耐え難いものになる」のである。そういう意味で、環境保全と経済発展は両立するのであって、大企業の利益増進のために環境保全対策を考えるのは主客転倒である。
 
「化石燃料を燃やす」という現在の我々の活動自体が、地球環境へのコストを現実に生んでいるのである。そのコストを商品やサービスの値段に正しく反映させることが、本当の意味で「環境保全と経済発展の両立」につながる。これには「炭素税」や「環境税」を課すのが最も分りやすく、シンプルである。が、経済界は「CO2をタダで排出できる」という既得権を失うので、猛反対している。これに対して考案されたのが、企業や事業所ごとに温暖化ガスの削減義務を負わせる「キャップ方式」と「排出権取引」である。EUはこの方式をすでに実施しているが、安倍提案にはこのいずれの方式も言及されていない。そういう意味で、今回の提案は具体的制度の提案というよりは、“掛け声”の要素が大きいのが残念だ。

谷口 雅宣

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2007年5月18日

最近のいいニュース

 日本の男の喫煙率が4割を切ったという。春の爽やかさを引き立ててくれるよいニュースではないだろうか。厚生労働省が発表した「2005年国民健康・栄養調査」の結果の1つとして17日付の『日本経済新聞』が伝えている。それによると、2005年に習慣的に喫煙をしていた成人男性の割合は「39.3%」で、この調査開始の1986年以降初めて4割を切り、2003年(46.8%)の割合からは7.5ポント減少した。これに比べ、女性の喫煙率は「11.3%」で2年前と同率じで、30代の女性の喫煙率(19.4%)は逆に前年より1.4ポイント増加したという。

 これらの数字の背景にどんな動きがあるのか、詳しいデータを知らない私には想像するほかはない。が、男--それも中高年が、喫煙をやめる努力をしているのだと素直に考えたい。というのは、私が職場との往復をする道すがらも、煙草の臭いをさせている中高年の男性はあまりおらず、その代わり若い男女が無遠慮に歩行喫煙をしているのに出会うからである。「無遠慮に」と書いたのは、私の住む渋谷区では歩行喫煙は条例違反だからだ。
 
 環境保全の関連でも、いいニュースがある。植物を原料とするバイオプラスチックの改良が進んでいて、これまでの弱点だった耐熱性が向上している。18日の『日経』によると、東レはトウモロコシからつくるバイオプラスチックの原料である「ポリ乳酸」を溶かし、これに植物繊維を均質に混ぜることで、従来より強度と耐熱性に優れたプラスチックの開発に成功した。従来型は55℃で変形するが新型は150℃に耐えられるという。また、帝人と武蔵野化学研究所は共同で、熱に強い特殊な結晶構造のポリ乳酸を開発し、来年にも実用化を考えているらしい。この素材を衣服などの繊維として使えば、アイロンをかけても破れる心配はないという。バイオプラスチックはこのほか、食品容器、携帯電話やパソコンの外枠、自動車の内装、機械や電子部品などへの利用が進んでいくだろう。
 
 また、17日の『日経』によると、4月に改正施行された容器包装リサイクル法のおかげで、レジ袋削減の動きが活発化している。スーパー各社はレジ袋の有料化を進めていて、東急ストアでは横浜市の金沢シーサイド店で4月1日からレジ袋を1枚5円で販売し始めたところ、レジ袋の辞退率が18%から85%に増えたという。イオンは京都市内などでレジ袋の有料化を始めており、イトーヨーカドーとユニーも6月から、横浜市内の1店で有料化を始める。また、コンビニチェーンのミニストップも6月1日から、レジ袋を使わない客の購入金額から1円を引く実験を千葉市内の直営店で始めるという。

 さて、トヨタの最高級乗用車「レクサス」にハイブリッド版が出たようだが、これは“いいニュース”か“悪いニュース”か判断が難しい。1台が千五百万円もする車を買う人は、地球環境を気遣う人かどうか……と考えてしまうからだ。本欄を愛読してくださっている方ならご存じのように、私は2005年7月に「拝啓 トヨタ自動車 殿」という文章を書いて、アメリカで成功したレクサスの日本への導入よりも、国内でのハイブリッド車の拡充を要望した。それが2年後に実現したのだから、感謝すべきかとも思うが、私が当時から要望している小型SUV車のハイブリッド版はまだない。同じものはホンダ車にもないことから考えると、このクラスの車は“売れ筋”のために、利幅に余裕がなく、これにさらにコスト高となハイブリッド・システムを加えることは利益の拡大に逆行する、と両社とも判断しているのかもしれない。
 
「地球温暖化の緩和」と「企業の利益拡大」のいずれを選ぶかとなると、営利企業は後者を選ぶというのは当たり前のことなのだろうか。自動車メーカーでは「世界一」への道を驀進するトヨタなのだから、CO2の排出責任も世界一になると考えてほしい。だから、こんな少数の金持ちの趣味的な車に力を入れるよりは、高騰中の燃料代を半減できる充電式ハイブリッド車(本欄の昨年2月3日6月14日参照)を早く実現してほしいのである。

谷口 雅宣

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2007年5月 7日

焦点となる原子力発電

 国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第3作業部会がまとめた報告書の内容が話題になっている。大部の報告書のどこを取り出して強調するかで、同じ報告書を違うように読むことができる。この文書は、大勢の科学者が関与しているとはいえ、科学者たちが書いた原案を、各国の政治家がそれぞれの立場で書き直すことができる。だから、“科学的文書”というよりは“政治的文書”であることを忘れてはいけない。しかし、科学を無視してはいない点は強調していいだろう。IPCCは、2月に第1作業部会が「温暖化予測」の報告書を出し、4月には第2作業部会が「被害予測」を出したのに続いて、今回、温暖化の「緩和策」についての報告書を出した。今後は、いくつもある緩和策のうち政治家や国民がどれを選択するかが焦点となるだろう。
 
 各紙の論調を記事からさぐると、『産経』は5日の紙面で「適切な温暖化防止策をとった場合、世界の温室効果ガス排出量が2050年に現状より半減し、産業革命からの気温上昇を2.4度に抑えることができる」と書き、かなり“楽観的”に伝えている。が、主張(社説)では「適切な温暖化防止策」の具体的内容には言及せず、「まずは議定書の目標達成が必要だ」と抽象的である。これに対し『朝日』は同じ5日の紙面で、「気温上昇を影響の少ない2度程度に食い止めるには、遅くとも2020年までに世界の温室効果ガスの排出量を減少に転じさせ、50年には00年より半減させる必要がある」と指摘している。両紙は同じことを言っているのだろうが、書き方の違いから、読む者の受け取る印象は大きく違う。私は『朝日』の書き方のほうが、現状から考えて正直だと思う。

『日経』(5日付)は経済紙らしく、温暖化の緩和策の中で経済的効果もリスクも多い原子力発電について、作業部会で「評価を巡り議論が紛糾した」ことを明確に書いている。より具体的には、「原発を推進する米国が温暖化ガスの排出の少なさを示す記述を盛り込むよう提案。これに対し、安全性の問題から脱原発に動く欧州の一部が反発した」ため、報告書には「安全性や核拡散、放射性廃棄物の問題が存在する」との表現が盛り込まれたことを伝えている。(『朝日』は5日の社説に明記)また、本欄でたびたび触れた排出権取引についても、『日経』は作業部会が「排出権取引が温暖化ガスの削減に効果があることを明記」していることを伝えている。
 
 英字紙である『ヘラルド・トリビューン』(ニューヨークタイムズ発行)は、5~6日の紙面で作業部会が「クリーンエネルギーへの移行」を勧めている点を強調している。それによると、大気中のCO2の量を安定させるために早期の対策が必要であることを述べた後、「この目的達成に向かって今後25年、既知の技術を用いて政策転換を行っていけば、気候変動を起こさないエネルギー源への転換を目指した何世紀にもわたる道程へと歩み出すことになるだろう」というのが、報告書の結論だと紹介している。また、同紙の7日の社説は、「今、本気でクリーン・エネルギーへの転換を図れば、比較的安いコストで温暖化の進行を防げるが、対策を遅らせば将来のコストは耐え難いものになるだろう」として、今回の報告書の結論を歓迎している。

 アメリカの場合、「クリーン・エネルギー」の中に原子力発電を含めているのだろう。EUは、これを含むべきとする勢力と、除くべきだという勢力が拮抗している。これに対して日本では、政府が先頭に立って“原子力立国”などと唱えている。国民の電力会社に対する不信感がどうであっても、これを推進しようという意欲に燃えているようだ。このことは、この連休中、甘利経済産業相が原子力関連企業の社長らを含む官民一体の大使節団(約150人)を引き連れてカザフスタンを訪問したことから考えて、明らかである。これによってわが国は、ウラン燃料の年間の国内需要(9500トン)の3割強の権益を獲得し、共同声明を出して相互が「戦略的パートナー」だと位置づけた。(5月1日『朝日』)

 私は原子力を「クリーン」だと思わないことは、以前にも書いた。放射性廃棄物は処置方法が分らない危険物であるから、頑丈な容器に詰めて地下深く埋めたとしても、処理を次世代、次々世代に先送りしただけであり、世代間倫理の問題を抱えている。核拡散の問題も、隣国を見れば深刻であることは明らかだ。そういう視点から、早期に“自然エネルギー立国”へと全力で転換することを強く望むものである。
 
谷口 雅宣

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2007年4月23日

原子力利用は縮小しよう

 第16回統一地方選挙の後半戦で、高知県の東洋町長に沢山保太郎氏(63)が大差で初当選したことにより、日本のこれまでの原子力政策に一定の国民の評価が出されたと見るべきだろう。沢山氏は、原子力発電所から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場の候補地として初めて名乗りを上げた前町長、田嶋裕起氏(64)に反対して立候補し、投票率89.26%の中、田嶋氏の得票(761票)の2倍を超える1821票を獲得して当選した。田嶋氏はこの問題で「民意を問う」として辞任し、4選を目指した結果がこれである。最終処分場のための調査にともない得られる国の多額の交付金で、堤防整備などを考えていたが、住民は明確に「ノー」の答えを出した。これによって、原子力発電環境整備機構(原環機構)は同町での調査実施を断念することになる。
 
 日本の総発電量のうち原子力が占める割合は、2005年度で31%だ。この割合は、石油、石炭、液化天然ガス(LNG)、水力などどのエネルギー源から得られる電力量よりも大きい。だから、今後も原発を主要手段として電力を得るためには、核燃料サイクルの最後に出てくる高レベル放射性廃棄物の処理をどうするかを、具体的に決める必要がある。現在は、日本のどこかの地下300メートル以上の安定した地層まで穴を掘って、そこへ頑丈な容器に密封した放射性廃棄物を埋めることが計画されている。しかし、具体的にどこへ埋めるかが決まっていない。そこで2002年から、全国の自治体を対象に最終処分場の候補地を募っていて、今回初めて、これに応えて東洋町が名乗りを上げたのである。対価として得られる国からの交付金が、毎年数十億円もあることに魅力を感じたのだろう。

 ところがその反面、2002年に発覚した東京電力の原発のトラブル隠しに端を発し、最近も次々と明るみに出ている原発関連の事故やトラブルにともなう不正処理によって、電力会社とその監督行政に対する国民の不信感は強まるばかりだ。自治体の側でも、国からの交付金で地元の経済の活性化や資本の充実を図ろうとしていたのが、原発の事故やトラブル隠しが“普通に”行われていたということになれば、その不正を行ってきた会社が廃棄物処理を正しく実行するとの言い分には当然、信憑性が欠けてくる。国民の立場から言えば、信頼を裏切った会社とその商品やサービスを使用しないのは当たり前だし、自由主義社会ではそうでなくてはならない。しかし、本欄の昨年6月24日同12月11日にも書いたように、国としては「原子力立国」を今後の政策として打ち出している以上、簡単に後へ引くわけにはいかないだろう。こうして、国民の意識と国の政策の間の乖離が、今後さらに拡大していくことが予見されるのである。

 これが決して好ましい傾向でないことは、言うまでもない。しかし、日本の環境政策の策定過程を見ていると、残念ながら、政治や行政は自民党の支持基盤である大企業の不利益にならない範囲でしか物事を決められないようだ。「原子力立国」の考え方自体が、独占的大企業である電力会社に有利である。また、環境省がこのほど決めた「戦略的環境アセスメント(Strategic Environmental Assessment)」の指針においても、3月28日の本欄に書いたように、発電所だけを特別扱いにして、事業をやりやすくする動きがある。なぜ発電所だけが優遇されるのか、誰もどこでも説明していない。また、政府は本格的な温暖化対策としては、新型の石炭火力発電所の建設と、そこから排出されるCO2の地下固定を主要な手段とする方針のようだ。

 このことは、4月22日の『日本経済新聞』が特ダネとして伝えている。それによると、わが国と米・中・韓・印を加えた5カ国は、次世代型の石炭火力発電所を共同開発する方向で調整を進めており、今月末にホノルルで開かれる非公式会合で共同文書の内容などを話し合う予定という。この発電所は、酸素を使って石炭をガス化して発電するもので、排出されるCO2は液化した後に地下貯蔵庫に密閉するシステムも同時に建設するらしい。したがって、CO2の排出量はほぼゼロとなるという。有害物質を発生させても、それを地下深くに密封してしまえば問題ないという考え方で、放射性廃棄物の処理とまったく同じ思想である。しかしこれは、問題の根本的解決ではなく、問題を深刻化させながら次世代へ先送りするにすぎない。つまり、現世代の経済的利益を重視するあまり、世代間倫理への配慮が欠けている。
 
 このあたりが現代民主主義の構造的限界なのかもしれない。このことについて、私は4月9日の本欄ですでに書いたが、この限界を突破して、我々が未来世代に損害を与えずに生きるためには、どうしても世代間倫理、環境倫理の視点が必要なのである。日本にはそういう視点をもつ人が全くいないわけではないが、まだ趨勢になっていない。例えば、東京大学の小宮山宏総長は、このほど座長を務めた日中韓賢人会議において、こんな発言をしている--「環境を考える上で、原子力の議論は重要だ。放射性物質を人類がコントロールすることはできないと考えている。一方、現在の電力需要を考えると不可欠だ。だから太陽光発電などが需要を賄うことができるまでの過渡的な技術と思っている。(4月23日『日経』)
 
 私は日本政府に対して、世代間倫理を今後の政策決定の基本指針の1つとすることをぜひお願いしたい。世代間倫理を重視すれば、小宮山総長が言っているように、放射性廃棄物の扱いは人類の能力を超えているのだから、原子力の利用は漸次減らしていくとともに、再生可能の自然エネルギーの利用技術を確立する努力を国として全力で遂行してほしいのである。

谷口 雅宣

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2007年4月15日

夫の死後に妊娠する (4)

 4月12日の本欄では、「デジタル」と「アナログ」という概念を使って宗教と科学の関係や違いについて論じた。相当抽象的な議論だったので、読者の中には「何のことか分からない」と不満をもった人もおられるだろう。そんなところに、幸いにもこれと関係する“例題”のようなものが現れた。日本産婦人科学会が夫の「死後生殖」を禁止する会告を決めたという報道が、それだ。今日(15日)付の『産経新聞』によると、同学会は14日に京都市で開いた総会で、凍結保存していた精子を使い、夫の死後に妊娠・出産することは、死亡した夫の意思が確認できないという理由で禁じる会告を決めたという。私は、この決定を歓迎する。
 
 この決定によると、凍結した精子の保存期間は「提供者の生存中」に限定され、提供者が死んだ後は凍結精子は廃棄することを定めている。これによって、凍結した精子を解凍して体外受精などで子を得ることは禁止される。同学会の会告では、凍結受精卵や凍結卵子の死後利用がすでに禁じられているから、これですべての「死後生殖」は学会の方針としては禁止されたことになる。ただし、会告は法的拘束力をもたないので、学会の意向を受け入れない医師や、学会に所属しない医師が「死後生殖」を行うことを止めることはできない。

 さて、これが科学の“デジタル”と宗教の“アナログ”にどう関係するのか? デジタルなものの考え方は、物事を狭い範囲に限定して、その中で白黒をはっきりさせようとする。だから、この場合は、純粋に遺伝子レベルで考え、親の意志だけを判断基準にする方法が“デジタル”な考え方の1つと言えよう。その方法を採用したとすれば、凍結精子は遺伝子的には夫のものであることに疑いの余地はない。そして、夫が生前に精子の凍結に同意したことも事実であろうから、その時点で夫が凍結した精子を後に利用することに同意したこともあまり疑問はない。そして、その夫の精子と妻の卵子を使って子をもうけるのだから、その子が、死んだ夫とその妻との子であることも遺伝的には疑問の余地がない。すると、生前の夫の意志が推定され、遺伝的にも夫婦の子であることを考え、さらに子をもちたいという妻の希望に応えるのだから、死後生殖を行うことに何も問題はない--そういう結論が導き出されるのではないだろうか。

 しかし、純粋に遺伝子レベルで見ることには問題がある。これについては、夫婦のうち妻が妊娠不可能のため、妻の実母に代理母を依頼したという実例が思い出される。この場合も、①夫の同意があり、②遺伝的に夫婦の子であり、③妻が子をもちたいと熱望しているという3条件は、上と同じである。しかし、閉経後の母親に、危険を承知でホルモン剤の投与や受精卵の移植を行なったことが問題になったのである。つまり、「自分の願望実現のために他人を危険に晒す」ことには大きな問題がある。私は、この場合、たとえ母親が代理妊娠を買って出たとしても、その行為には倫理性はないと考える。このことは3月24日の本欄ですでに述べた通りだ。
 
 今回の場合も、「他人を自己目的に利用する」という要素がある。その「他人」とは少なくとも2人いるだろう。1人は死んだ夫であり、もう1人は生まれてくる子である。「死んだ夫を利用する」という言い方は分かりにくいかもしれないが、仮にこの夫が妻の妊娠の3年前に死んでいたとすると、どういう状況が生れる可能性があるか想像しやすいだろう。大体、なぜ半年や1年後でなく、3年後に妊娠しようとするのか。この3年の間に何かが起こったからに違いない。例えば、遺産相続、再婚、あるいは恋人の出現があったとする。とたんに、死んだ夫の子を妊娠し生もうとする行為の目的に、打算の臭いが感じられてくる。つまり、夫の死後の時間が長ければ長いほど、死後妊娠には、夫への愛以外に、自己目的が含まれてくると考えていいだろう。
 
 そういう意味で、死後妊娠を認めるとしたら、そこには厳密な条件をつける必要性が生じてくる。私はだから、昨年9月13日の本欄には次のように書いた--私は現在、個人的にはイギリスのように「夫の同意書があれば認められる」とすることがいいように感じている。ただし、夫の死後いつでもいいとするのは問題なので、スペインのように「半年以内」とかイスラエルのように「1年以内」などと、期限を切って認めるのはどうだろうか。

 こういう考え方がなぜ“アナログ”かというと、上述した“デジタル”な考え方が、夫の死後妊娠に関わる人の数を最小限に絞って考えるのに対し、ここでは夫の家で遺産相続があった場合とか、妻の3年後の再婚相手のこととか、さらに、生れてくる子が成長後に自分の遺伝子を調べる可能性を考慮するなど、連続した広範囲の人間関係の中で行為の倫理性を検証するからである。簡単に言えば、行為の倫理性を「少数の個人」の間で考えるのではなく、社会の中で考えるところが、アナログ的なのである。妊娠や出産はきわめて個人的な行為ではあるが、そこに医療技術が関与したとたんに社会性が生れると言えるだろう。

 なお私は、2005年10月3日2006年9月5日の本欄でも、死後妊娠の問題に触れているので、興味のある読者は参照されたい。

谷口 雅宣

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2007年4月 1日

日本の環境技術に期待 (3)

 科学技術の進歩は「日進月歩」とはよく言われる。環境技術も例外ではないので希望がもてるのはいいのだが、自分がいざそれを利用しようとすると、どの時点でどの技術を選択するかで悩むことにもなる。私の住む家の屋根に太陽光発電装置が設置されて、もう9年近くになるが、当時の発電効率に比べると、現在の装置のそれはかなり改善されていると聞いている。しかし、数百万円の元手がかかっているから、すぐに新製品に替えるわけにもいかない。そんな理由もあり、私は今、山梨県北杜市にある山荘に新しく太陽光発電装置を設置することを考えている。しかし、新製品でさらにいいものが出るかも……などと考えていると導入へのふんぎりがつかないのである。

 30日付の『日本経済新聞』には、そんな私の悩みを深めるような記事が載っていた。大日本印刷が、フィルム状の太陽電池で世界最高の発電効率をもつ装置の実用化にメドをつけたというのである。同社はまだ太陽光発電装置の販売実績がないが、得意の印刷技術を応用したフィルム状太陽電池を市場に投入することで、2008年から新規参入をねらっているという。フィルム状の発電装置は薄くて軽く、丸めれば持ち運びができる。家屋の屋根への設置はもちろん、自動車にも簡単に取り付けられ、空気抵抗の増加も最小限に抑えられる。価格も現在のシリコン型装置の半分以下になるとされているから、同じ値段を出すなら従来型の装置よりもメリットが大きいように思えるのだ。

 記事によると、この型の装置は「色素増感型太陽電池」と呼ばれ、シリコンを基板に使わない。シリコンは現在、コンピューター関係の需要増大のため品薄で値段がなかなか下がらない。それに対しこの色素増感型は、大日本印刷の場合はプラスチック製フィルムを基板として使うが、シャープやアイシンなどの先行メーカーはガラス基板を使うタイプを開発中だ。これだとシリコン型に比べて原料が安く、製造も簡単らしい。この技術の基本特許が2008年に切れるので、各メーカーはそれ以後の商品化を目指しているという。こんな状況から考えると、来年すぐに家庭用の製品が発売されるとは思えないが、期待できる技術には違いない。
 
 太陽光発電装置は風力発電装置とともに今後ますます普及が進むだろうが、この双方の難点は、発電量が天候に左右されて安定しないことだ。とりわけ太陽光の場合、夜間はまったく役に立たない。そんな難点を補うのが昼間作った電気を貯めておく蓄電の技術だ。蓄電池の進歩はまた、次世代ハイブリッド車の進歩には必須である。つまり、蓄電容量が大きければ大きいほど、ガソリンを使わずに電気のみで(CO2を出さずに)走る距離が増える。だから、30日付の『日経』で報じられた新タイプの蓄電池の開発は、朗報と言えるだろう。

 それによると、この新蓄電池は大阪市立大学の小槻勉教授が開発し、電極の材料にマンガンとチタンを使ったもの。従来の鉛蓄電池に比べて3~5倍の電力を充放電できるという。IT危機を多く使う次世代車用蓄電池、風力や太陽光発電用の蓄電池への利用も考えられる。自動車に使った場合、鉛蓄電池より軽量となるため、燃費向上にも貢献する。ただし、実用化までには5年ほどかかるらしい。
 
 こうして、日本の技術が具体的な形で温暖化ガスの排出削減に役立ちつつある様子を知ってみると、わが国はトラブル隠しを続けてきた原発などに過度の期待をせず、新しい自然エネルギー利用技術の育成に、官民一体で全力を挙げてほしいと思うのである。
 
谷口 雅宣

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2007年3月24日

代理出産で母子関係は認めず

 今日の新聞各紙は、タレントの向井亜紀さんと元プロレスラーの高田延彦さんがアメリカで代理出産によって得た子どもを、日本の民法上の実子として認めるかどうかの最高裁判決を第1面で伝えている。ご存じのように結果は、向井さんとその子(双子)の間に「母子関係の成立を認めることはできない」という判決である。つまり、日本の法律上の親子関係はないということだ。その最大の理由は、現行の民法の規定では「出生した子を懐胎し出産した女性をその子の母と解さざるを得ない」から--換言すれば、向井さんではなく、実際に双子を産んだアメリカの女性をその子たちの母親と認定せざるを得ないからだ。生殖補助医療が法律の想定外の状況を生み出していて、そのために遺伝的には母子であっても、法的にはそれが認められないという事態が発生している。だから、判決文も「立法による速やかな対応が強く望まれる」と国会へ異例の注文を突きつけた。
 
 私はこの問題に関して、昨年10月3日同16日の本欄ですでに「代理出産には反対」という見解を書いている。その理由もその時書いているので、詳しくはそちらを参照してほしい。が、ごく簡単にまとめると、この方法は自分の幸福追求のために他人を手段として利用するから、倫理的に好ましくないのである。この「他人」とは、①生れてくる子、に加えて、②代理母となる人間、の最低2人はいる。上記の例では、生れたのは双子だから3人が利用されたことになる。さらに、夫以外の精子提供者がいれば、その数はもう1人増えるだろう。また、アメリカでの代理出産はすべての州で許されているわけではないし、多くの国では禁止されている。さらに言えば、向井さんはアメリカの斡旋業者を利用していて、そこでの依頼人の負担は平均1500万円だという。
 
『朝日新聞』(24日付)によると、日本人夫婦がアメリカで代理出産を依頼する場合は、子が誕生したあとアメリカで依頼人夫婦を親とする出生証明書を得てから帰国する例がほとんどという。この場合、代理出産であることを告げずに日本で実子としての届出をすれば、役所には知られずに実子登録が行われる。そういう子がすでに「少なくとも100人を超える」ほどいるという。向井さん夫婦の場合は、出生地のネバダ州で出生証明書をもらっていたが、事前に代理出産を公表していたため、東京・品川区での出生届が不受理となったのだ。ただ、同夫妻には、特別養子制度を利用する道があり、それが認められれば、子どもの戸籍には実の親子と同様に父母欄には氏名がきちんと記載されることになる。私は、その方法を採れば、同夫妻にも2人の子どもにも現段階で不都合なことはないと思うのだ。

 ところで、代理出産についての専門家の見解は、かなりまとまっていることを指摘しておこう。日本産科婦人科学会は、第三者に多大な危険と負担をかけ、生れてくる子の福祉にも反するとしてこれを禁止している。厚生労働省の部会は平成15年4月、法制化に当たっては罰則付きでこれを禁止する方針を決定ずみだ。また、日本弁護士連合会も今年1月、「生れてくる子供の福祉や“人間の尊厳”自体を侵害する危険性が高い」として代理出産を禁止する法律の整備を求めている。(24日付『産経』)だから、最高裁が注文した「立法による速やかな対応」までの距離は、それほど遠くないと思うのだ。日本学術会議での審議は、今年1月からすでに始まっており「約1年」で結論をまとめる予定という。この問題は生殖医療に止まらず、再生医療や遺伝子治療、ガン治療などとも、「ES細胞」や「クローニング」などの技術を通して互いに密接に関連している。私は、本件を1つの“突破口”にして、わが国の生命倫理の原則を確立することはできないものか、と思う。
 
谷口 雅宣

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2007年2月24日

温暖化対策、日豪の違い

 アメリカとともに京都議定書から抜けていたオーストラリアが、温暖化ガスの排出削減に真面目に取り組む姿勢を見せてきた。これは、喜ばしいことだ。白熱灯に替えて蛍光灯の使用を推進していく方針を20日、連邦環境大臣のマルコルム・ターンブル氏(Malcolm Turnbull)が発表した、と21日付の『ヘラルド・トリビューン』紙が伝えている。州政府と相談して、2009年か2010年には白熱灯を全廃したいとしている。
 
 発表の席上、ターンブル氏は、世界中で白熱灯をやめて蛍光灯にすれば、2030年までにオーストラリアの電力使用量の5年分が節約できるという国際エネルギー機関(IEA)の試算を引き合いに出したり、全世界の電気照明から排出される温暖化ガスの量は、地球上の全乗用車から排出される量の70%に達するなどのデータを示して、この方針の有効性を説明したという。
 
 同国には、電機製品などに適用される「最少ネルギー消費基準」(minimum energy performance standards)という省エネ基準があり、これを一部の例外を除いて電球に適用することで、白熱灯を事実上販売できなくすることが可能という。一部の例外とは、医療用の照明やオーブンなど。同国では、これと似た方法で、すでにトイレ用の大型水槽や風呂場で使う高圧シャワー・ヘッドの使用を段階的に廃止してきた。白熱灯の廃止を表明したのは、同国が始めてという。

 これに比べて、わが国の環境省は20日、二酸化炭素の地下固定の技術を国内に導入するための海洋汚染防止法の改正案をまとめた、と21日の『朝日新聞』が伝えている。この2つの方針の違いは際立っている。オーストラリアの方法は実質的にCO2の排出削減を行うものだが、日本の方法は、いったん出されたCO2を地下深くに封入するものだ。この話は2月4日の本欄でも触れたが、『朝日』の記事には「発電所や工場など大規模な排出源からパイプラインなどを通して、海面下約1千メートルの地層に閉じ込める」とある。問題は、封入したCO2が将来的に漏れ出す可能性が否定できないことで、この点を見越して、今回の改正案では、海底下へのCO2の投棄を環境相の許可事業とし、漏出の有無を長期的に監視する義務を事業者にもたせるものという。排出削減はもう諦めてしまったのか、と疑いたくなる。

 CO2の地下固定については、ハーバード大学の地球宇宙科学部のダニエル・シュラグ教授(Daniel P. Schrag)が2月9日号の『Science』(vol 315, pp.812-813)に書いているが、地球温暖化防止の緊急性から見て有望な技術であっても、まだまだ確かなことは分かっておらず、技術も確立していないのである。シュラグ博士によると、海洋には大気中に含まれる量の50倍ものCO2が主に深海部に存在しているという。海藻や魚介類が吸収したCO2が、海底にゆっくりと沈殿していくらしい。だから、千年から2千年の時間をかければ、人間の活動で排出されたCO2の9割を、ここに吸収するだけの容量はあるという。しかし、このような海底の沈殿物や、地下の地質にCO2を注入した場合の“漏出”の正確な割合などについては、あまり研究が行われていないという。

 現在、CO2の地下固定の場所として考えられているのは、地下深くの帯水層や、古い油田やガス田であるが、そこには液化したCO2が、密度の高い岩盤に囲まれたり、毛管現象によって滞留しているという。そして、シュラグ博士によると、それらは「もし亀裂や断層や古いドリル穴によって沈殿状態が乱されれば、漏れ出すことがある」のである。世界にはCO2の地下固定のための実験場がいくつかあり、それぞれが年間約100万トンのCO2を地下に注入しているそうだが、この量は、今世紀半ばに毎年排出されると予測される「10億トン」に比べれば、わずかである。このような大量のCO2を地下に注入した場合、漏出する量はどうなるかの研究データなどまだ存在しない。

 そんな中で、日本は法律を改正してすぐにでもCO2の地下固定をしようとしているのである。実験データ蓄積のための法改正なら、私ば反対しない。が、次世代や次々世代の人々に危険を負わせるような方策は、放射性廃棄物の地下投棄と同様に、世代間倫理の無視であり賛成できないのである。
 
谷口 雅宣

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2007年2月23日

環境問題の裏に金属問題

 2月20日のニュースで、火の見やぐらに設置されている半鐘の盗難が茨城県で相次いでいると報じていた。骨董専門の泥棒かと思ったが、さにあらず、最近世界中で金属泥棒が多発しているというのだ。それもプラチナや金銀などの貴金属を盗むのではなく、銅や亜鉛、ニッケル、アルミニウム、ステンレスなどの普通の金属を盗むのだそうだ。しかも、それらの金属を積載したトラックを丸ごと盗むというような“大泥棒”ではなく、教会の亜鉛板の屋根をはぎ取ったり、アルミニウム製のビール樽や鋼鉄製のマンホールの蓋、ゴミ収集に使うリアカーのステンレスの蓋といった“小泥棒”が多発しているという。その原因は、中国やインド、ブラジルの経済発展だというのだから、世界の動きが私たちのすぐ隣にも反映していることがわかる。

 つまり、世界的に金属の値上がりが起こっているらしい。値が上がるということは、必要とする金属がなかなか手に入らない状況が起きているというわけだ。金属関連の商社を経営している中村繁夫氏の著作『レアメタル・パニック』(2007年、光文社刊)を読んで、世界中で金属泥棒が発生している一方で、簡単には盗めないが、レアメタルと呼ばれる希少金属を得るために、世界中で争奪戦が繰り広げられていることを知った。この本の副題は「“石油ショック”を超える日本の危機」というのだから、なかなか穏やかでない。

 レアメタルとは、ニッケル、コバルトなど比較的よく知られた金属から、インジウム、タンタルといった生産量のきわめて少ないものまで含み、計31種類である。希土類元素(レアアース)もレアメタルに含まれ、まとめてレアメタル1鉱種と数える。これらは、電子情報産業(コンデンサ、小型モーター)、光産業(ディスプレイ、発光ダイオード等)、環境産業(自動車触媒等)等の日本経済を支えるハイテク産業に使用されているため、大変重要な資源と言える。用途の中でも特に気になったのが、クリーンエネルギーや大気汚染、水質汚染、土壌の廃棄物汚染の防止に必要であるという点だ。例えば、太陽電池、電気自動車の蓄電池や発電装置、自動車排気ガスの浄化、石油、灯油、ガソリン、軽油の低硫黄化(SOx低減)、有機化合物、窒素酸化物の除去、ダイオキシンの分解等にもレアメタルが使用されている。そのため、地球環境問題の解決のために、今後、益々需要が増えることが予想される。

 日本は、環境産業も含め最先端の製品を多数生産しており、世界中のレアメタルの約25%を消費する世界最大のレアメタル消費国である。しかし、国土からレアメタルは産出せず、国内市場からはなくなっているそうだ。その理由は、需要が増えていることはもちろん、価格が暴騰しているため、各国、各企業が買い占めを始めているからだ。ちなみに、排ガス制御の触媒として使われているロジウムとういうレアメタルは、金の10倍もの価格(1g:2万円以上)で取引されているので、人々が群がるのも頷ける。売買交渉の現場では、一流企業の社員が土下座し、涙を流して懇願している様子も見られるというのである。

 私は金属問題の一端に触れ、資源・環境問題の奥深さを再び感じるとともに、政治家でもなく、商社マンでもない自分に何ができるのか考えた。でも、思いついたのは、今使っている電子機器を大切に使うことぐらいである。実は、今夏のボーナスあたりで液晶テレビの購入を考えていた。液晶テレビは従来のブラウン管テレビより省エネであり、耐久年数も長いと思ったからだ。しかし、金属問題を知った今、使える限りこのテレビを使おうと思う。液晶テレビとブラウン管テレビの消費電力の差は、暖房の温度をもう1度下げることで賄おうと今、“武者震い”しているのである。
 
(飯田雅俊)

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2007年2月21日

好奇心の肥大化の先に

 人間の好奇心は、科学を発達させてきた大きな要因であり、哲学や宗教を支えてきた基礎的な力である。しかし、それが“欲”と結びつくと、人を危険な結果へと導くことがある。このことは多くの神話や文学にも取り上げられてきた。『創世記』の失楽園の物語には、ヘビにそそのかさえたイブの好奇心が描かれ、日本の国生みの神話にも、「見てはいけない」との妻の警告を守らないイザナギノミコトが描かれている。生物の遺伝子の研究も、最初は好奇心から始まったものだろうが、現在では家畜や作物の遺伝子を解明することで莫大な利益が生まれ、それが国家間の利害関係や人類の運命にも関わるほどになってきた。

 2006年現在、地球上で遺伝子組み換え作物(GM作物)が栽培されている面積は、1億200万ヘクタールほどだそうだ。前年比で13%増え、初めて1億ヘクタールを超えたという。21日付の『朝日新聞』が伝えている。GM作物に関する情報をまとめている国際アグリバイオ事業団(ISAAA)の調査によるもので、栽培国は22カ国、食料や飼料として輸入が認められているのは、日本を含めて51カ国。栽培面積はすでに日本国土の2.7倍に達しているという。栽培面積の国別順位は、①アメリカ(5460万ha)、②アルゼンチン(1800万ha)、③ブラジル(1150万ha)、④カナダ(610万ha)、⑤インド(380万ha)。6位は中国で、日本は栽培国に含まれていないが、実際は小規模な実験栽培が行われている。インドは、害虫抵抗性のワタの作付けが前年の3倍近くとなったため、中国を抜いて5位に入ったという。
 
 ところで、同じ21日付の『日本経済新聞』には、慶応大学先端生命科学研究所が、バクテリアの遺伝子にデータを保存する技術を開発したことが報じられている。枯草菌(こうそうきん)のDNA配列の複数箇所に、フロッピーディスク1枚分のデータを収納することが可能になったというのである。枯草菌は、空気中や枯れ草・土壌中など自然界に広く分布する細菌で、味噌・醤油のもろみにも多数存在する(『大辞林』)という。納豆菌もこの一種だ。しかし、いったい何のために細菌にデータを収納するのだろ? 記事には、「CD-ROMなど既存の記録媒体より格段に小さく何100年も長持ちする“生物メモリー”が将来登場するかもしれない」と書いてある。
 
 科学者が「特定の生物に自分の痕跡を残しておきたい」という気持は理解できなくもない。実際、新しい彗星や新種の生物に、発見者の名前を冠したりする話は聞いている。しかし、名前を冠したからといって、その彗星や生物を発見者が「所有」するわけではない。私が言うのは、「拾ってきた捨てネコに名前をつけて飼う」というような、特定の個体の話ではなく、「イリオモテヤマネコ」という新種のネコを発見した人が、その種に属するすべての個体を所有することなどない、という話である。しかし「生物のDNAに個人や法人独自のデータを収納する」という考え方には、この「種としての所有」の概念が含まれていないか、と私は危惧するのである。

 上記の記事には、枯草菌は約30分で世代交代するから、そのたびにDNAの配列がわずかずつ変化する点を改善するため、DNAの複数箇所に同じ情報を組み入れて、データの修復を可能にした、と書いてある。だから、これは「数限りない世代を通して同一データを所有する」ための研究である。ということは、遺伝子の一部を改変した生物種全体を所有したり、利用することにつながらないだろうか? 現に、上述した莫大な量の遺伝子組み換え作物は、それを開発した製薬会社や種苗会社の所有ということになっており、栽培のためには莫大な金額のライセンス料が支払われているはずだ。開発企業としては、そういう収入がなければ開発費を回収できないからだ。

 バクテリアをデータ保存の媒体に使うことと、遺伝子組み換え作物の利用とは必ずしも同じではないかもしれない。しかし、科学技術の発達に際して常に出てくる問題が、ここにも存在する。それは、新しい便利さは新しい不便さを生むということだ。人間が他の生物のDNAを利用することは、そのことを生物界全体に広げることにならないだろうか。

谷口 雅宣

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2007年1月24日

世界はバイオ燃料へ急傾斜?

 今日行われたブッシュ米大統領の年頭教書演説では、バイオエタノールなど再生可能燃料や代替燃料の使用を増やし、2017年までに年間350億ガロンとすること、また自動車の燃費基準を強化してガソリン消費量を同年までに85億ガロン減らすなど、今後10年間でガソリン消費量を20%減らす方針が発表されたらしい。私は全文をまだ読んでいないが、今日(24日)付の『日本経済新聞』夕刊がそう伝えている。ブッシュ氏が1年前の年頭教書で「アメリカは石油中毒だ」とブチ上げて以来、同国のバイオ燃料は急速に伸びた。今後はさらに、その勢いが増すと思われるから、地球温暖化防止の意味では大いに歓迎すべきことだろう。しかし、1月6日の本欄でも書いたように、今後、トウモロコシなど燃料と競合する食料の値上がりを初め、食品全般の値上がりも予想されるから、手放しでは喜べない。

 今回のブッシュ演説の内容は、事前にある程度発表されていたが、バイオ燃料へこれほど力を入れるとは予想外だった。2005年に成立したエネルギー政策法では、再生可能燃料の使用量を2012年までに年間75億ガロン(284億リットル)に引き上げることを求めているが、今回の方針では、その量を同年以降5年間で5倍に引き上げることになる。これによって現在、エタノール精製関連企業やトウモロコシ農家などが享受している“特需”は、当面続くことになる。

 また、世界の自動車メーカーは、こぞってエタノール対応車やバイオディーゼル対応車の開発に力を注ぐことになるだろう。主な自動車メーカーは、すでにその方向へ走っている。例えば、三菱自動車は22日、エタノール100%対応車(E100)を今年中にブラジルで発売することを発表したし、ホンダは昨年エタノール対応車を同国で発売、トヨタも今春に同タイプ車を同国に投入する予定だ。
 
 これに平行して、CO2排出削減を目指してハイブリッド車や電気自動車の開発も進むだろう。この分野で中心的役割をはたすのは「電池」の性能であり、日本企業も次々にリチウムイオン電池などの高性能電池の開発を進めている。23日付の『日経』によると、三菱重工は自動車向けリチウムイオン電池を2010年をめどに発売する計画で、そのほかNEC、三洋電機、日立製作所、GSユアサの電機各社も、2010年を目標に量産体制を整えているという。また、ハイブリッド車では本家本元のトヨタは、家庭用電源から充電できる次世代ハイブリッド車向けのリチウムイオン電池を自社開発中という。

 これら企業の歩調を合わせた動きの背景には、地球温暖化への危機感があるのは確かだろうが、欧州連合(EU)がCO2の排出削減へ積極的に動いていることも大きな要素だろう。つまり、政治の側からの排出規制が経済界を動かしている。23日付の『日経』は、EUが域内で販売する自動車メーカーに対して、2012年までに業界全体の平均で1995年比「35%」の排出削減を義務づける法案を、今年後半に提出する構えだと伝えている。この「35%」削減により、域内で販売される新車全体で、1キロ当りのCO2排出量が平均で「120グラム」を達成しなければならなくなるという。業界はこれまで、この削減値を自主目標として進めてきたが、進展がはかばかしくないため、政治が法律によって義務づけようとしているわけだ。

 このような欧米の動きを見ていると、地球温暖化対策は政治や行政が指導力を発揮していかなければ効果が少ないことがわかる。これまでの日本政府の方策は、業界の自主的努力に頼る側面が強くあまり効果がなかった。化石燃料依存国であり、高度技術国であり、京都議定書の議長国でもあるわが国が、欧米の動きに引きずられて温暖化対策を行うというこれまでのやり方を見ていると、実に歯がゆい思いがする。“美しい日本”などという抽象的でよく分からない言葉をもてあそぶのではなく、具体的で喫緊の課題である温暖化対策に、わが国がもっと真剣に取り組むことを切に望むものである。

谷口 雅宣

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2007年1月13日

羊水から幹細胞を得る

 私は本欄や著書などで、受精卵や卵子を使ってES(胚性)細胞を得ることにたびたび反対し、その代りに宗教的、倫理的問題が少ない成人(体性)幹細胞の研究を推進すべきことを述べてきた。医学的に言っても、後者は患者本人の細胞を使えるため、拒絶反応の心配が少なく安全であるからだ。しかしその反面、成人幹細胞は、ES細胞のように一度にまとまった量を得ることが難しく、分化能力についてもES細胞の“万能性”には劣るとされてきた。ところが最近、人間の子宮中の羊水からES細胞に似た幹細胞を取り出して、組織や臓器に分化させることにアメリカの研究グループが成功した。羊水中の幹細胞は、分化の方向が決まっている幹細胞とES細胞の中間的な性質をもっていると見られ、再生医療の分野で宗教的・倫理的問題をクリアできる可能性があるとして注目されている。

 1月8日付の共同電9日付の『ヘラルド・トリビューン』紙などによると、この研究はアメリカの科学誌『Nature Biotechnology』(電子版)に7日付で発表されたウェーク・フォーレスト大学とハーバード大学の研究者の論文で明らかになった。研究者らは、妊娠した女性の子宮の羊水から幹細胞を抽出し、培養した後、神経、肝臓、血管、脂肪、骨の細胞に分化させることに成功した。主任研究者のアンソニー・アターラ博士(Anthony Atala)によると、この幹細胞の特定には約7年を要したが、分化能力は優れていて、今後さらに何種類の細胞に分化できるかわかっていないという。また、ハーバード大学のジョージ・デイリー博士(George Daley)は、将来、妊娠中の女性が羊水を取って凍結することにより、その子の成長後に拒絶反応のない治療ができる可能性があるとしている。

 羊水の採取は、胎児の異常などを調べる羊水検査でごく普通に行われているため、母胎への危険も少ない。難点は、この幹細胞の割合が羊水中の細胞全体の1%と少ないことだが、36時間で倍増する高い増殖能力をもっているという。
 
 この研究については、ローマ法王庁も歓迎しているようだ。9日付のロイター電によると、ヴァチカンのジャヴィエル・ロザーノ・バラガン枢機卿(Javier Lozano Barragan)は8日、地元の日刊紙のインタビューに答え、この研究を「とても重要で、倫理的にも容認できる進展だ」と評価し「教会は反啓蒙主義ではなく、命の源泉を脅威にさらしたり、操作したりしない科学の進歩については、いつでも歓迎する用意がある」と述べたという。

 ところで、アメリカの連邦議会下院は11日の本会議で、ES細胞研究への予算の使用制限を緩和する法案を253対174票の賛成多数で可決した。この法案は、不妊治療でつくられた“凍結余剰胚”から抽出されたES細胞の研究に、連邦予算の使用を許そうとするもので、同様の内容の法案は昨年も可決されたが、ブッシュ大統領の拒否権行使で成立しなかった(昨年7月20日の本欄参照)。ホワイトハウスは11日に声明文を出し、「この法案は、人間の受精卵を意図的に破壊することで可能となる研究のために、すべてのアメリカ人に納税を強いるものだ」として、大統領は今回も拒否権を発動するだろうと宣言した。
 
 13~14日付の『ヘラルド・トリビューン』紙によると、この法案に反対した何人かの共和党議員は、上記の羊水から得る幹細胞や成人幹細胞の可能性について触れた。例えば、テキサス州選出のジェブ・ヘンサーリン議員(Jeb Hensarling)は、「私は、多くのアメリカ人が道徳的に抵抗のある研究に資金を供与するのでない、倫理的な幹細胞の研究には賛成だ」と言ったという。これはヴァチカンの立場と同じであり、私の考えとも一致するものだ。

谷口 雅宣

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2007年1月 6日

トウモロコシが不足する?

 世界最大のトウモロコシ生産国アメリカで、2年後、食用のトウモロコシが足りなくなる危険性がある--環境問題で権威のあるアースポリシー研究所(レスター・R・ブラウン所長)が最新版のニュースレターで警告を発し、論争を呼んでいる。その理由は、アメリカ国内でバイオエタノール工場の建設が早すぎるペースで進んでいるからだという。6~7日の『ヘラルド・トリビューン』紙が伝えている。

 アースポリシー研究所は1月4日付のニュースレターに、「自動車用穀物燃料の需要はきわめて過少評価されている」(Distillery Demand for Grain To Fuel Cars Vastly Understated)という題の記事を掲載した。これによると、アメリカ農務省の予測では、2008年に収獲されるトウモロコシからエタノール用として使われるのは6000万トンとされているが、同研究所の概算では、その2倍以上の1億3900万トンの需要が見込まれるという。そしてこの予測が正しければ、収獲されたトウモロコシをめぐって自動車用と人間の食用の需要が競い合うことになり、世界の穀物はかつてないほど値上がりすることになるという。

 同研究所が問題にしているのは、農務省の予測が2006年2月という早い時期に出されていることだ。この時点では、石油価格は高騰していても、その影響でバイオエタノール工場の増設が本格化するにはまだいたっていなかった。さらに言えるのは、農務省の数字は業界団体である再生可能燃料協会(Renewable Fuels Association, RFA)の数字を元にしているが、RFAはこの業界の急速な動きについていけていないというのである。
 
 同研究所の調査では、昨年末の時点で稼働中のエタノール工場はアメリカ全土で116カ所あり、年間5300万トンの穀物がエタノールに転換されている。同じ時点で建設中のエタノール工場は79カ所で、稼動すれば5100万トンの新規需要が生まれる。また、現在稼働中の工場でも11カ所が設備拡大を行っていて、これが完成すればさらに800万トンの穀物需要が生まれることになる。さらに、昨年末の時点で建設が検討されている工場は優に200カ所あるという。これらの新工場の建設が今年前半に着工したとすれば、2008年9月までにさらに2700万トンの穀物需要が生まれるという。そして、これらすべてのエタノール関係の穀物需要を足し上げると、2008年の収穫期にはトウモロコシの量にして1億3900万トンとなる。この量は、その年の全米のトウモロコシ生産予測の半分に達するという。

 アメリカは世界のトウモロコシ生産の4割を占めており、輸出入で取引されるトウモロコシ全体の7割がアメリカ産という。これだけのものの半分が自動車用として使われることになれば、トウモロコシの値段だけでなく、他の穀物やダイズ等の代替作物の値段にも大きな影響を与えることになる。また、ダイズの大部分は家畜の飼料となっているため、食肉や乳製品の値上がりにもつながる。だから同研究所は今後、エタノール工場の建設に際しては政府の規制が必要だとしている。

 私は、昨年の本欄でバイオエタノールの抱えるこの「食用との競合」の問題について何回も(6月12日同13日同26日9月15日11月6日)触れた。農産物を燃料に転換する方法は、緊急避難的な意味はあっても、温暖化防止の根本的対策にはならない。日本が進めようとしているサトウキビからのエタノール生産も同じである。これは結局、自動車を運転できるような比較的富裕層の需要を、食糧の入手も難しい貧困層の需要より優先することになる。日本は国民全体が(世界水準では)“富裕層”に属するから、農産物を原料としたエタノールを使って自動車を走らせることはできるだろう。しかし、その方法では肉食と同じように、世界の貧しい人々から間接的に食糧を奪うことになる。それよりは、農地以外の土地に生えている雑草や潅木、山林や竹林から燃料を採ることが望ましく、また自動車の燃費を劇的に改善することが必要である。

 この2つの方法に必要な技術は、すでに日本に存在する。このことを考えれば、日本人が世界のために大きな貢献をする道が目の前にあることが分かる。あとは、その道を進む人の数が増えることだ。心ある読者諸賢よ、どうかその道を示す“道標”となり、またその道を進む1人となってほしい。
 
谷口 雅宣

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2006年12月27日

ながら族へ転向?

 私がまだ中高生時代に「ながら族」という言葉があった。何かをしながら、別のことを同時にする人のことを指す言葉だが、主として、ラジオやステレオから流れてくる軽音楽やDJを聴きながら勉強をする学生のことを、親が批判的に指摘するときに使われていたと思う。今では勉強中に音楽を聴くことは当たり前で、ソニーがウォークマンを発売して以来、歩きながらの音楽も、ジョギング中やスポーツジムでの運動中の音楽も、とりたてて問題にする人はいない。携帯電話の普及後は、この傾向がさらにエスカレートしていて、歩きながら、デートしながら、トイレにいながら、食事しながらの、遠くにいる人との会話は当たり前になった。だから「ながら族」という言葉は死んだのだろう。

 私はこの「~しながら」の行動が昔から苦手だった。中高生時代に「ながら族」の勉強をしなかったという意味ではない。多分したことはあるが、それが集中力を分散させてしまうことを意識していたから、試験勉強中は避けていた。ウォークマンが出ても買わず、ディスクマンも買わず、MDプレイヤーも、携帯電話も買っていない。その代わり、パソコンはかなり早く始めた方で、最初に買ったのは、今の小型ゲーム機ほどの大きさで「ポケット・コンピューター」と呼ばれたシャープのPC-1500だ。それ以来、ラップトップからノートブックへと移行するなど、パソコンの持ち歩きは私にとって「当たり前」になっている。しかし、パソコンは「ながら族」的な使い方はできない。つまり、歩きながらパソコンをしたり、食事中のパソコンは無理だ。その点、私の機械の使い方は“一点集中型”なのだろう。

 ところが、機械の小型化の流れは止まることを知らず、かつては畳1畳分の空間を占めたハイファイ・ステレオセットが、今ではワイシャツの胸ポケットに入るまで小さくなった。しかも、レコードのオートチェンジャー付きだ。そんなものを手に入れた場合、さすがの一点集中型人間も、宗旨替えをして「ながら族」に転向したくなる。そうなのである。私の誕生祝いに、アップル社の携帯プレーヤー「アイポッド」をくれた人(々)がいるのだ。機械が嫌いでない私はすぐ夢中になり、ここ2~3日、新しい玩具をもらった少年のようにそれをいじりながら、しだいに魅力にとりつかれていく自分を感じている。

Ipod00  アイポッドは、パソコンの付属品として使う。別の言い方をすると、パソコンを“母艦”に喩えると、アイポッドはそれを基地として音楽や映像を搭載して飛び立つ“航空機”のような関係にある。パソコンは、どんなに小型のノートパソコンでも、ハンドバッグやポケットには入らない。しかし、そこから音楽と映像だけをアイポッドに転送すれば、軽々と町を歩きながら、ショッピングをしながら、食事をしながらでも音楽や映像を楽しめる、ということで、これは恐るべき「ながら族」の発想だ。この発想に対して、私が“一点集中”の自分のポリシーをどこまで守りとおせるかは、予断を許さない。が、使ってみなければ何事も始まらないので、私はとりあえず、持ち運び用の音楽を入れてみることにした。

 とは言っても、私のノートパソコンに予め音楽が入っていたわけではない。かつて作ってあった自作のCDから、映画のサウンドトラックを転送した。そのCDにはBBCニュースの音声ファイルも入っていたから、それも転送した。そして聴いてみると、自分が透明な音の世界に包まれていくのがよく分かる。「透明な」というのは「音に透明感がある」という意味ではなく、私の周囲に“二重映しの世界”ができるという意味だ。私の体を包み込む至近距離に「音だけの世界」が広がり、これまで「現実」と思っていた世界が、その外側に後退していった。こうして弱まった“現実感”の中で、妻が私に何かを語りかけている。幸福感に満ちた私は、彼女に笑顔で答えるが、相手の言葉など聞いていないから、きっとトンチンカンな返事をしたのだろう。目の前の妻はあきれたような顔をする。コミュニケーションが、とたんに希薄化してしまったのだ。

 --ああ、これが現代の“ながら族”の棲む世界なのだ、と私は納得し、イヤフォンを耳から外した。

谷口 雅宣

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2006年12月18日

環境意識は向上している (2)

 前回、本欄では国連の食糧農業機関(FAO)が肉食を環境破壊の主要原因だと指摘したことを伝えたが、世界最大の温室効果ガス排出国であるアメリカでも、環境保全への取り組みを予感させる研究が政府レベルでも行われているようだ。その1つは、アメリカのエネルギー省が「次世代ハイブリッド車」の省エネ効果を試算し、発表したことだ。それによると、アメリカ国内を走る2億2千万台の車すべてがこの新型車に置き換わった場合、同国の現在の発電・送電能力のままで84%の車が普通に走れるというのである。同省の太平洋北西部国立研究所(Pacific Northwest National Laboratory)が12月11日付で発表した。
 
 次世代ハイブリッド車については本欄で何回も紹介してきた(例えば今年2月3日6月14日同25日)が、簡単に言うと、現在のガソリンと電気で動くハイブリッド車に2台目の蓄電池を搭載し、家庭の電源から充電可能にしたものである。この新型車の燃費効率はガソリン「1リットル当たり40km以上」などとも言われるように、非常によい。英語で plug-in hybrid electric vehicles (PHEV、充電式ハイブリッド車) と呼ばれ、アメリカでは「プリウス+」などというトヨタ車を改造した試作品がすでに走っている。

 ハイブリッド車に家庭用電源からの充電機能を付加しただけで燃費効率が飛躍的に伸びるのは、夜間の電力を充電に使うと想定しているからだ。現在の発電方式では、電気は需要のピークを想定した量だけつくられている。この想定ピークは非常時を考えて実際の需要より多く見積もられるから、通常は余剰電力が発生し、その分は使われないまま消えていく。つまり、一種の“垂れ流し”方式だ。それでも、夜間の電力需要は昼間の需要より相当少ないため、安価である。次世代ハイブリッド車が登場すれば、ほとんどのユーザーは電力の安い夜間に車を充電するだろうから、「全国の車がすべて充電する」ときが夜間の需要の想定ピークとなる。その需要に応えられるだけの電力設備がすでに存在しているかどうかを、今回の研究では検証したのである。

 その結果、中西部と東部の州では、すべての車の充電が可能な発電能力と送電設備がすでに存在するが、西部の、特に太平洋北東部に面した州(オレゴン、ワシントン州など)では、水力発電所の容量が限界に近く、雨や雪は人工的に降らせることができないため、供給能力に不安が残るという結果が出た。しかし、それでも現有の設備で84%の車の充電が可能という試算が出たのである。このことは、輸入された石油の73%をガソリンとして使っているアメリカでは、大きな意味をもっている。なぜなら、現在の自動車が次世代ハイブリッド車にすべて入れ替わった暁には、アメリカ経済は中東からの石油の輸入なしに、国内の石炭火力発電所と天然ガス発電所などでやっていけることになるからだ。この場合、大気汚染が短期的には進んでも、長期的には自動車はほとんど電気で走ることになり、旧式発電所は効率のよい新型に入れ替わっていくので、温室効果ガスの排出量も減少する、と報告書は結論している。

 環境運動家のレスター・ブラウン氏(Lester R. Brown)は、今年初めに出した『Plan B 2.0: Rescuing a Planet Under Stress and a Civilization in Trouble』(New York: Earth Policy Institute, 2006)の中で、すでにこのことを訴えているが、今回、アメリカ政府自身の研究が、ブラウン氏の主張の正しさを確認したことになる。
 
 ところで、わが国ではなぜこのような前向きの取り組みや研究が話題にならないのだろう? アメリカでこのように話題になり、改造車まで作られ、今回のような政府の研究対象になっているハイブリッド車の技術は、日本の技術である。最近のトヨタ自動車は、ハイブリッド車を含めた新型車を真っ先にアメリカで発表する。環境技術はアメリカで成功させてから日本へ持ってくるつもりなのか、と疑いたくなる。海外の化石燃料に依存する経済が、環境面だけでなく安全保障面からも望ましくないことは、日本もアメリカも同じである。この方面での日本政府や大企業の取り組みが消極的な理由が、私にはよく理解できない。

谷口 雅宣

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2006年12月10日

風力発電所を訪ねて

Windfarm_aso  熊本県で行われた生長の家講習会の帰途、阿蘇山まで足を延ばして「阿蘇にしはらウインドファーム」を見学した。阿蘇郡西原村俵山地区の山の上に3枚羽根の風力発電機が10基並んで立っている風景は、なかなか壮観である。一直線に並んでいるわけではなく、高低の差がある丘の上にそれぞれがしっかりと立ち、直径66メートルの翼をゆっくりと回している。支柱の高さは60メートルというから、近くから見上げると“巨人”の一団が山々の上に足を踏んばりながら、腕をブンブン回している姿を連想してしまう。地上の私は風の動きをほとんど感じないのに、翼は低い音を発しながらゆっくりと回り続けていて、その音が巨人の鼻歌のようにも聞こえる。デンマークのヴェスタス社製の風車で、1基の出力は1,750kW。10基で年間2,510万kWhを発電し、7,100世帯分の電力を生み出すという。
 
 風力発電機の環境に及ぼす影響として、鳥の飛行路に設置された場合、風車と接触して衝突死するという話を聞いたことがある。が、私の見ている目の前で、ハトより一回り小さな鳥の群れがさえずりながら、回転翼の間をくぐりぬけるのを見た。回転速度が遅いので、見ている側も「危ない」という気はしなかった。この風車のデータによると、回転数は毎分10.5~24.4回転の範囲だ。これだと1秒に1~2回、回転翼が空を切る計算になる。鳥は大変運動能力に優れているから、この程度の速度で回転翼に衝突すことはないと思うのだが、実際はそういうケースもあるらしい。

 ところで、風力発電や太陽光発電などの自然エネルギーの導入方式には、構造的な問題がある。それは、独占企業である電力会社に対して自然エネルギーの供給会社から一定量を導入させることを法律で義務づける方式をとっている点だ。この法律が2003年に施行された「新エネルギー等電気利用法(RPS法)」で、これによって現在、電力会社は2010年度までに日本全体の年間電力供給量の1.35%に当る122億kWhを、自然エネルギーを使って供給する義務をもつ。これに対して、2003~2005年度の実際の供給実績は義務量を大きく上回り、2005年度の自然エネルギー由来の電力量は前年度比14%増の約56億kWhに達した。経産省は、この分でいけば2010年度目標は達成できると見ており、それ以降の2014年度までの目標を1.5~2%へ引き上げる考えで電力会社との調整を進めている。(10月27日『日経』)
 
 これに対して電力会社側は、コスト増を理由に自然エネルギー由来の電力の割合を引き上げることに反対している。11月18日付の『産経新聞』によると、電気事業連合会では、目標達成までのコスト負担を930億円と試算して、同連合会の勝俣恒久会長(東京電力社長)は、2010年度までの目標も「相当努力しないと実現できない」と主張し、目標値の引き上げには「反対だ」と明言した。自然エネルギーは、既存のエネルギーに比べて出力の安定性や効率、コストなどの面で劣るという考え方にもとづいている。しかし、海外の例を見ると、1国の全電力量に占める風力と太陽光発電の割合は、ドイツが2003年度で3.2%、デンマークも同年度で12%に達している。日本が2010年度に「1.35%」というのは、いかにも消極的である。これは、日本の自然エネルギー導入が、「利害関係のある業界との合意」という初めから矛盾した方式で行われているからと言わねばならない。
 
 もう一つの構造的な矛盾は、電力生産に際しての「コスト」が地球環境へのコストを含んでいないという事実だ。電力業界が自然エネルギーの利用を「コスト増になる」という時、そこには火力発電所が大量の温暖化ガスを排出したり、原子力発電所が放射性廃棄物を生み出したり、水力発電所が自然環境を破壊することの「コスト」は含まれていないのである。また、政治的に不安定な地域から原油や天然ガスを輸入する際の「コスト」もすべて含まれているとは思えない。これらのコストを既存のエネルギーによる発電に含ませるためには、最低限「炭素税」や「環境税」が必要なのである。逆に言えば、現在の電力会社による自然エネルギー利用義務は、「炭素税」や「環境税」に代わるものと見ることができる。それをある程度負担してもらうことは、この業界の社会的責任として受け入れてほしいものだ。

谷口 雅宣

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2006年12月 5日

「燃費2割改善策」は官民合作?

 12月1日の本欄で、私は「国家が(短期的な)国益を追求していくだけの現状では、人類は結局、地球環境問題で自分自身の首を絞めることになる」という意味の悲観的な予測をしたが、今日の『日本経済新聞』の第1面を見て、「待てよ……」と思った。国家にもまだ“良心”のようなものがあるかもしれない、と感じたのである。その記事には、経産省と国交省が2015年までに、自動車の燃費を今より約2割改善する新基準をメーカーに義務づける方針だと書いてあった。「8年間で2割」はさほど大幅とは言えないが、関連業界の技術開発の方向性を決定させる効果はあると思う。また、この新しい燃費規制が施行されれば、世界で最も厳しいものになるという。

 この記事によると、現行の燃費規制はガソリン車の平均でリットル当たり約15kmだが、2015年度にはそれを18km強にまで強める方針。ただし、この規制案を両省が今月内にも開かれる合同審議会で「まとめる」と書いてあるから、まだ“正式決定”ではないようだ。現行の基準は全車種を9段階に分けているが、新規制ではそれを15~20段階に細分化するそうだから、役所側の裁量の幅は以前より広がることになるのだろう。これらの規制は、京都議定書の目標に対して、運輸部門の温暖化ガス削減が特に遅れており、2005年度のCO2排出量が基準年(1990年)より18%も増えていることと関係があるかもしれない。「政府が危機感をもって規制に乗り出した」という感じがする。
 
 しかし、自動車業界の準備はある程度できているようだ。というのは、同じ日の『日経』には、いすず自動車が、提携先のトヨタと共同でディーゼル・エンジンの新工場を建設する構想を発表していたし、ホンダもガソリン車並の清浄度のディーゼル車を3年以内にアメリカへ投入することを、すでに今年5月に発表している。ディーゼル車は、同じ排気量でガソリン車よりも2~3割燃費がよく、したがってCO2排出量も少ない。日本では窒素酸化物(NOx)の排出が多いという悪いイメージがあったが、その除去技術も進んでいる。だから、単純に考えれば、現在のガソリン車をディーゼル車に替えるだけで2015年の燃費規制をクリアすることができる。さらに、これにハイブリッド技術を加えれば、燃費はさらに改善できる。ということは、政府は、業界の態勢が整ったのを見計らって今回、燃費の2割改善策に踏み切ったと見ることもできる。

 問題は、こういう“官民一体”になった環境対策と環境技術の開発が、実際の地球温暖化の緩和や防止に役立つかどうかである。

 これに関連して、4日付の『朝日新聞』に興味あるニュースが載っていた。今年の1~10月の国内のガソリン販売量が前年を約1%下回り、残る2カ月間で前年を上回るのが難しい情勢だというのである。ガソリン販売量が前年割れすれば、実に32年ぶりの出来事になるのだそうだ。石油業界にとっては“悪いニュース”かもしれないが、環境保全派にとってはもちろん“よいニュース”だ。それだけCO2排出量が減っているからだ。主な原因は、日本の消費者が燃費のいい軽自動車や小型車を選ぶようになったからで、その背景には昨年来の石油の高騰に続く、ガソリン価格の急騰がある。今後は、欧米や日本などの先進国よりも、中国やインドなどのBRICs諸国で自動車が急増すると予想されるから、そういう国で走る自動車の燃費が向上しなければならない。日本の技術支援が重要な所以である。

 私は、依然として燃費のいいRV車の登場を待っているのだが、どこのメーカーも適当なものを出してくれない。当初はハイブリッドのRV車でリッター20km前後のものを望んでいたのだが、もしかしたらディーゼル車でそれに近い燃費のものが先に出るのかもしれない。あるいは、中国やインド向けのものが優先されるのだろうか。昨今、日本市場は、大手メーカーにとって重要度が薄れつつあるのか……と寂しく思う。

谷口 雅宣

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2006年11月30日

宙のネズミ (5)

 Tからのメールは、次のようなものだった。

 --田村先生には、これまで当社への数多くの御指導を賜り誠にありがたく、何と言ってお礼を申し上げていいかわかりません。ここ1カ月ほどの研究で、毛母細胞に関する貴重なデータを蓄積することができ、マウスを使わない発毛と頭皮育成が可能となる一歩手前まで来たとの感触をもっていました。ところが2日前、当社の研究棟に落雷があり、一時停電したことが原因で、田村先生の検体を移植したマウスに異常が起き、昨夜半までに死亡しました。その間、田村先生のK大の研究室には何度かお電話したのですが、お留守でした。在室の方に伝言をお願いすることも考えましたが、当方の身分を明かすことで先生にご迷惑がかかると思い、差し控えました。
 先生と当社との合意では、当社の過失の有無にかかわらず、実験動物が死んだ場合には、それを先生にお返しすることになっております。つきましては、火急速やかに当社の営業担当に連絡いただきますよう、お願い申し上げます。
 
 田村は急いでメールを閉じると、パソコンをシャットダウンさせながら、今後の自分の行動について目まぐるしく思いを巡らせていた。チュー子が移転先で死ぬ可能性について、彼は考えなかったわけではない。しかし、一部上場の企業の無菌室に入るのだから、自分の研究室の片隅に隠されているよりも、チュー子の衛生環境は良好であるはずだった。だから、マウスの通常の寿命である3年とは言わないまでも、1年半ぐらいは生きて、自分の髪を育て、かつ有用な実験データを提供してくれると思っていた。それが、わずか3ヵ月ほどで死んでしまうなど……。

 田村の頭には「損害賠償」の4文字が浮かんだ。しかし、訴訟することで自分が学内の倫理規定に違反したことが公になることを思い出し、唇を噛んだ。絶対的価値である真理発見のためには、相対的価値である倫理を犠牲にすることはやむを得ないという、自分の論理を法廷で認めさせることができるならば、それも1つの選択だろう。しかし田村には、この論理を裁判官の前で展開することに、何か気が引けるのだった。自分に言い聞かせて納得している論理なのに、裁判の中で維持できるかどうか自信がないのだった。

 2日後の午後、田村はT製薬の営業担当と渋谷で合った。チュー子を渡した時の若者向けのカフェだった。営業担当者は、しじゅう平身低頭の姿勢を崩さずに謝るばかりで、田村はその男がチュー子の死に直接関係がないことを知っているだけに、そんな彼を責める気持が起こらなかった。それより、今後のT製薬との付き合いも考えて、「今回の失敗の埋め合わせをしてくださいよ」などと揶揄する自分を発見して、逆に驚いていた。
「それはもう、精一杯のことは……」
 と、担当者は這いつくばるような恰好で頭を下げた。
 そして、
「お荷物になりますが……」と言いながら、田村の前に包みを1つ差し出し、「実験動物と、先生の使われた運搬用のケースです」と言った。茶色の包装紙に覆われている包みの、中は見えない。
 田村は、
「そうですか」と言って、無造作にそれを受け取った。

 帰宅後も、田村はその包みを開ける気になれなかった。彼にとって、実験動物の死骸を見ることは、自分の犯した罪の証拠を突きつけられるようで、心苦しいのだった。だから大学では、死骸の処理は助手にやらせる。しかし、チュー子に限ってはそれができないので、車の冷蔵装置の中に入れておいた。その気になった時に、土中に葬ってやるつもりだった。
 
 翌日、昼休みに銀行へ寄った田村は、自分の口座にT製薬からの入金があるのを確認した。「12」のあとに「0」が6つ並んでいる。「まさか」と思いながら何度も確認したが、やはりゼロの数は6つだった。毎月100万円の入金があったが、今回は1桁多いのである。担当者の言った「精一杯のことは……」という言葉が田村の頭をかすめた。
--そんなつもりじゃなかったのに……。
 と、彼は不本意の思いを募らせたが、その一方で、科学者としての論理的思考がもどってきた。企業が大金を払うということは、それなりの成果があったからである。また、事後に訴訟されないためかもしれない。万一訴訟されたとしても、成果に見合う対価を支払っているのといないのでは、企業イメージに大きな違いが出てくるだろう。ということは、あの実験は彼らにとって失敗ではなかったのだ。そうだ、チュー子の現状をきちんと確認しておかなければならない--田村はそう考え、家路を急いだ。

 冷蔵装置の中の包みからは、茶色の包装紙をむくと2つ折りにしたメモ用紙が出てきた。中には、走り書きでこうあった。
 
「実験動物は、当社開発の培養液に浸かっています。死後も髪の毛は伸び続けているようなので、そのままの形でお返しします」

 田村は、恐るおそるプラスチック・ケースを目の高さに差し上げて、中を見つめた。暗くてよく見えないので、西日の当る玄関先へ持っていった。それでも中は黒々としている。思い切って中を開けてみた。すると、ケースの蓋を押し上げるようにして、髪の毛の束が盛り上がった。田村はそれを指先でつまみ、上へゆっくりと引き上げる。すると、液体を滴らせながら、拳大ほどの黒い髪の毛の塊が現れた。田村は思わず、その黒い塊を玄関先の石の上に置き、後ずさりした。

 これがチュー子の変わりはてた姿なのだった。人間の頭皮を移植され、懸命に毛を伸ばし続け、マウスとしての姿形が見えなくなっている。チュー子の栄養を吸い取りながら成長しているのは、ほかならぬこの自分の髪の毛なのだ。T製薬の培養液が、それを可能にしているに違いない。これで自分は、黒い毛が豊かに生えた頭に変貌することができるだろう。
 
 田村は立ち上がって、ビルの並ぶ凸凹の地平線に今まさに沈もうとしている太陽を見つめた。
「オレは悪魔だ。オレは悪魔だ!」という声が、心中から湧き上ってくるのを抑えることができなかった。
(了)

谷口 雅宣

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2006年11月14日

宙のネズミ (4)

 チュー子のT製薬への引き渡しは、あっけなく終った。渋谷の裏通りにある若者向けのカフェで、田村は大学に出入りしている担当者と会い、その男と一緒だった50代の男と名刺を交換した。新薬開発部の「部長」という肩書きがついていた。その部長が、チュー子の入ったプラスチックケースをうやうやしく推し戴いて、担当者とともに夜の渋谷の雑踏の中へ消えていった。
 
 その翌日に、部長の名前で田村の銀行口座に500万円が振り込まれた。それは頭金で、その後の研究の進展にともなって「顧問料」が支払われる合意ができていた。T製薬への情報提供はすべて電子メールで行われ、電話や郵便は使わないことになっていた。メールの相手は新薬開発部の「T」という仮名の研究者だ。だから田村は、相手がどんな人物でどこにいるのか、皆目見当がつかなかった。
 
 チュー子を引き渡してから1カ月間は、Tからの問い合わせのメールが頻繁に来た。その内容から、田村はチュー子の様子と研究の進行具合が推測できた。写真も同時に送られてきたので、チュー子の腹に移植された“黒い帯”が胴全体にだんだんと広がっていく様子もよくわかった。T製薬は、チュー子から採った田村の頭皮をシャーレの中で培養し、増殖した分をチュー子の皮膚と入れ替えることで、白いマウスを黒いマウスへと作り変えつつあった。田村がTに指示した計画では、チュー子の全身が黒い毛で覆われた後に、その皮をはいで田村の頭に移植することになっていた。これによって、拒絶反応もなく黒々とした頭髪が再現できるはずだった。

 田村は、最終的にはマウスを使わずに、培養器の中だけで頭皮と頭髪を増やすことを目指していた。そうしないと、高価な実験動物の値段と、その世話に必要な人件費や無菌室の維持管理費など様々なコストが発生し、男性型脱毛症の治療としては一般人の手が届かないものになってしまうからだ。もう1つの問題は、「動物に移植した頭皮を人間にもどす」という方法が、一般の人から治療法として受け入れられるかという問題だった。すでに海外では、ブタの心臓や胃を患者に移植するという異種間移植は行われていたが、日本では評判がよくなく、実施例は少なかった。自分の体内に動物の臓器を入れるということを、感覚的に拒否する人が日本には多いのかもしれない。それなら、動物の体内で培養した皮膚に対しても、それがたとえ自分の皮膚であっても抵抗を感じる人が多い可能性があった。しかし現段階では、頭皮の増殖はマウスを使わずにうまくできる。が、そこからなかなか髪が伸びてこないのである。そして、チュー子の体に田村の頭皮を移植すると、不思議にも髪は伸びてくるのだった。

 この現象は、さほど驚くべきことではない、と田村は考えていた。それは、マウスの体内の化学物質の中に毛包を刺激して、髪を伸ばす働きをもつ成分があるからで、これが何であるかを探り当てれば、今回の研究目的はほぼ達成するはずだった。あとはその成分を人工的に合成し、培養器内でシート状に増殖させた頭皮の上に適量を垂らす。すると、髪の毛は一斉に伸び始めるに違いない。もしかしたら、この成分こそ“究極の毛生え薬”かもしれない。そうとなれば、もうチュー子を実験で痛めつけることも、自分の頭皮を剥ぎ取ることも、金輪際不要になるのだ--田村は、自分が記者発表の席上、被っていた帽子を脱いで黒々とした頭を見せ、それを昔の自分の写真と比較する様子を想像して、笑いを隠すことができなかった。
 
 そんなこんなで8月はたちまち過ぎ、9月も半ばに入った。K大のキャンパスには学生たちがもどって来ていた。そんなある日、田村はTから届いた電子メールを読んで衝撃を受けた。(つづく)

谷口 雅宣

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2006年11月 1日

宙のネズミ (3)

 K大では、実験動物を研究室の外へ持ち出す場合は、届出が義務づけられていた。ましてや大学の外部へ移動させるとなると、特別の許可が必要だった。にもかかわらず、この夜の田村の行動である。彼は、大学関係者に知られないように、わざわざ夏休みの夜を選んだのだ。
 
 この日が来るまで、彼は何度も迷った。T製薬の誘いに乗らず、学内の規則どおりに実験を続ける選択肢はあったが、その場合、チュー子の生存は諦めねばならなかった。チュー子を使った幹細胞の研究は、田村にとって言わば“裏の仕事”だった。本業に対する趣味と言ってもいいかもしれない。ただし、少し後ろめたい趣味だった。問題は、本業の研究が重要な段階にさしかかっていて、手が抜けなくなっていることだった。“表の仕事”である癌の研究が多忙になってくれば当然、“裏”は後回しになる。

 しかし、動物を使う研究は目が離せないのだ。誰かがそばにいて動物に餌を与え、飲み水を取り替えたり、温度や湿度調節もしなければならない。大体の実験環境はコンピューターで制御されてはいたが、「餌やり」や「観察」までは機械にできない。通常、そういう仕事は大学院の学生にさせるのだが、“裏の仕事”を他人には任せられなかった。大体、腹にだけ黒い毛が生えているマウスは、目立ちすぎる。好奇心にあふれた学生は何の研究か質問するだろうし、きっと「腹の毛だけをどうやって黒くするか?」などと細かいことも訊かれる。相手が大学院生ともなれば、いい加減な答えではすまされないだろう。

 実験動物は、栽培種の植物のようなもので、人間が世話をしなければすぐ弱ってしまう。特にこのマウスは、自然の抵抗力である免疫系の機能が取り除かれている。田村が目を離せば、チュー子が衰弱して死んでいくのは時間の問題と思われた。チュー子を手放すことはつらかった。それは、超免疫不全マウスという希少価値のある実験動物であるというだけでなく、自分の研究成果の一部を体現した一種の“作品”であり、さらに言えば、自分の肉体の小さな“延長”でもあったからだ。
 
 田村にとって、学内の倫理規定や研究上のルールは尊重すべきものであっても、絶対的な規範ではなかった。それは、違反しても法律で罰せられないという意味だけではない。倫理や道徳は結局、相対的な判断基準で、人や環境や時代によって変わっていく。これに対して、学問が解き明かそうとしている真理は、時代や環境や個人の判断を超えて常に正しい。いや、正しくなければならなかった。それは言わば、絶対的な正当性をもっているのだ。だから、絶対的正当性を得るために相対的正当性である倫理や道徳に従わねばならないとするのは、本当は不合理なのである。しかし、人間社会は、価値観の異なる個人の集合体だから、法律以外にも各種のルールを設けて各人の行動を規制しないと、無秩序となり大混乱する。そんな混乱を未然に防ぐという便宜上の要請から作られたのが倫理や道徳である。それらは、社会の混乱防止のためには守らなければならないが、混乱しない程度の不倫理や不道徳は、真理発見のためには容認されるべきなのだった。
 
 そういう考え方からすれば、チュー子を学外へ持ち出し、製薬会社に引き渡したうえで自分の研究を実質的に継続させることは、真理発見のためには許容されるべきだろう--と田村は考えた。つまり彼は、自分のノウハウと引き換えに、T製薬に自分の毛髪の培養を継続してもらうつもりだった。ただ問題なのは、学内の規定に違反していることだった。チュー子の外部持ち出しを大学に正式に要請しても、倫理委員会では承認されないことが十分予測された。しかし倫理とは相対的なものである。絶対的な真理を探究するてめには、知らなくてもいい人にその方法を知らせる必要はないのだ、と彼は考えた。
 
 田村は構内の駐車場へ着くと、チュー子の入ったプラスチック・ケースをトランク内の冷蔵装置の中に収め、T製薬社員との約束の場所へと向った。 (つづく)
 
谷口 雅宣

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2006年10月27日

宙のネズミ (2)

 田村宙は、K大医学部の若手の癌研究者としては、新分野である生命機能の研究に関する論文も多く、注目されていた。30歳で結婚して生活も安定し、仕事に打ち込める環境にあったが、1つだけ悩みがあった。現在33歳でありながら、髪の毛が薄いのである。普段は帽子を被ることで目立たないようにしていたが、夏場の帽子はやはり暑い。いっそのこと残りの頭髪も剃り落して坊主頭にする方が見栄えがいいかと何回も考えた。しかし、「眉が薄くて細い目のあなたには似合わない」と妻に言われると、髪を剃る決心ができないのだった。髪の毛の薄さはインテリジェンスとは関係ないと分かっていても、外貌は社会生活に重要である。形成外科の技術がこれだけ進んでいる現在、発毛や育毛の問題を医学が解決できないはずはない。田村はそういう信念のもとに、皮膚にある幹細胞の研究にも取り組んでいたのである。
 
 幹細胞とは、体の各部でそれぞれの役割をになう細胞になる前の“素の細胞”のことである。血液が作られるとき、骨髄中の造血幹細胞が分化して赤血球や白血球ができるように、体の表面を覆う皮膚ができるためには、その素となる幹細胞が表皮の奥から分化して、皮膚の細胞になって表面に押し出される。毛髪や体毛の場合も、これと同じ仕組みがある。それは「毛球」と呼ばれる髪の付け根部分にある幹細胞だ。専門的には「毛母細胞」と言う。新しい毛球は普通、3~4カ月の休止期間の後、2~6年間活動を続けて髪の毛を伸ばす。このあと退行期に入り、やがて脱毛する。髪が薄くなるのは、この毛球の成長期が数カ月から1年と短く、髪が十分成長しないうちに毛球の退縮が始まり、脱毛してしまうからだ。
 
 この脱毛部分にはDHT(ジヒドロテストステロン)という物質が高濃度に存在するため、これが髪の成長期を短くする原因物質と考えられていた。DHTは男性ホルモンのテストステロンから作られるから、男性ホルモンの多い人は髪が薄いと言われるのである。しかし、そういう人でも、頭皮には毛母細胞を含む毛球が残っていることがほとんどだ。だから、うぶ毛(毛包)は生えている。そのうぶ毛の毛球の活動を盛んにすることができれば、髪は再び成長する可能性が十分あるのだった。

 田村が持つ箱の中のマウスには、彼自身の数少ない髪が移植されて生えている。それは植毛のように1本ずつを植えるのではなく、頭皮の小片を毛根ごと剥いでマウスの腹部に移植したのだ。背中は目立つので避けた。同僚の医師が彼の頭皮を切り取り、それを洗浄して培養液の中に浸けるところまでをした。幹細胞の研究に毛包を使うことは珍しくないから、不審な点はなかった。その後、別の日に田村自身がマウスの腹への移植を行なった。こうして白いマウスは、腹にだけ黒い毛を帯状に生やすことになったのである。
 
 田村はこれに「チュー子」という名前をつけた。自分の名前を混ぜたのだ。マウスには文字通り自分の体の一部が混ぜてあるだけでなく、自分の願いを托しているからでもある。「チュー太」や「チュー吉」でないのは、雌のマウスだからだ。男性ホルモンの影響を受けにくい実験環境が必要だった。

 田村は、超免疫不全マウスであるチュー子の体を培養器として使うことで毛母細胞の増殖を行い、最終的には自分の頭髪の問題を解決できればと考えていた。そのことが、公私混同になるとは少しも思わなかった。なぜなら、日本では1260万人もが、この男性ホルモンによる男性型脱毛症(androgenetic alopecia)で、そのうち800万人は田村と同じようにそれを悩んでいて、うち600万人は何らかの治療法を試みたことがある、と言われているからである。マウスを使って確かな治療法が確立すれば、多くの人がこの忸怩(じくじ)たる悩みから解放されることは明らかだった。 (つづく)

谷口 雅宣
 

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2006年10月24日

宙のネズミ

 なまあたたかい夜だった。

 田村宙は、K大の研究室から白い上衣のポケットを押さえながら出てきた。上衣はボタンをかけていないから、一歩踏み出すたびに長い裾が風に揺れる。上衣の下はTシャツとジーンズというラフな恰好だったが、歩き方は爪先から前に出るような摺り足で、体の上下動を極力抑えている様子だった。

 大学構内には電燈は多く点いていなかったが、隣接する10階建ての白い建物から反射する街の光が、構内のアスファルトの道をぼんやりと浮かび上がらせていた。田村は、歩きながらゆっくりと体を回転させて、周りの様子を確かめると、自分の車のある駐車場へと向った。

「誰もいない……」という安心感が、彼の歩く速度を緩めていた。

 ポケットの中の右手で胴体に押しつけて保持していた箱を、田村はそろそろと引き出してみた。透明プラスチックに囲まれた狭い空間の中で、白い小動物は何ごともなかったように動きながら、鼻をひくひくさせている。彼は立ち止まり、箱を目の高さに差し上げてその動物を見つめた。

「おまえにはすまんけど、医学の発展のために一肌脱いでくれや」

 田村はそう呼びかけてから、箱をゆっくりと地面に置き、自分の白い上衣を脱いだ。エアコンのきいた研究室内は涼しかったが、8月の夜はやはり暑い。そう言えば、今晩も熱帯夜だとラジオが言っていた。2週間続けてでは、このか弱いマウスでなくても体が弱ってしまう、と田村は思った。この暑さの中に動物を長居させてはいけないのだった。彼は再び箱を手に取ると、冷蔵装置のある自分の車へと向った。

 田村の車にある冷蔵装置は、理工学部の友人に頼んで特別に作ってもらったもので、トランクに収納されている。通常の冷蔵庫と違って密閉されていないから、中に生き物を入れられる。生物学者の田村にとっては、なかなか重宝していた。とは言っても、釣った魚などを入れるのではない。実験用の動植物を収納して運ぶのだ。その場合、外気やトランク内にいる細菌と触れないように、換気口の構造とフィルターに工夫が凝らしてあった。

 今回のマウスの運搬に際しては、しかし特別な注意が必要だった。このマウスは「超免疫不全マウス」と言って、免疫機能が全く働かない。だから、大学でも無菌室で育てられ、直接外気には当らない。田村が手にしている透明プラスチックのケースも、二重構造になっていて、極細のフィルターを通して空気が中に入る。しかし、フィルターではすべての細菌を遮断できないから、早く無菌状態の場所に移す必要があった。

 人間のガン細胞の研究には、昔は「ヌードマウス」という毛のない、裸状態のマウスが使われた。このマウスは、免疫系の一部が働かないように遺伝子操作がされているから、人間の腫瘍を移植しても拒絶反応を起こさず、マウスの体内で腫瘍が増殖する。その腫瘍に対して抗癌剤を処方することで、人体に処方する場合の適性や適量が判断しやすくなるのだった。

 ヌードマウスの後に登場したのが、免疫機能をさらに阻害された「SCIDマウス」だった。これはT細胞とB細胞の双方が欠損しているので、人間の皮膚や頭髪を移植することができるだけでなく、人間の免疫系の一部であるリンパ球も移すことができた。田村が今手にしているマウスは、それよりさらに免疫不全が進み、NK細胞その他も機能しない「NOGマウス」という種類だった。ここまで来ると、マウスの体には腫瘍だけでなく、ほとんどすべての人間の細胞を移植して、分化や増殖をさせることができるのだ。

 例えば、人間の血液は骨髄内にある造血幹細胞が分化して、T細胞、B細胞、NK細胞、顆粒球、血小板などになるのだが、この超免疫不全マウスに人間の造血幹細胞を移植すると、マウスの体内ですべての血液の細胞が分化して、完全な人間の血液となるのである。それと同様に、人間の臓器や組織の移植も可能だ。つまり、外形はマウスであっても、内部が実質的に人間である動物が、少なくとも理論上は作成できるのである。

 そして今、田村が手にしているマウスは、彼自身の髪の毛にある幹細胞が移植されているのだった。 (つづく)

谷口 雅宣

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2006年10月16日

代理母をどう考えるか? (2)

 10月3日の本欄で、タレントの向井亜紀さんと高田延彦さん夫妻がアメリカでの代理出産で得た子どもの件を書いた。品川区が出生届を受理しなかったのを、東京高裁が受理を命じ、それに対して同区が抗告の申し立てをしている最中だが、今度は、日本では実質的に禁じられている代理出産を国内で敢えて実行したと、長野県の産婦人科医が発表した。それも、30代の女性の卵子を使い、その母親の50代後半の女性が妊娠・出産したというのだ。『読売新聞』が特ダネとして15日の紙面で報道し、翌日の朝刊で各紙が一斉に伝えている。『読売』の記事によると、これを行った医師は、「代理母が産んだ子を手放すのを拒むなどのトラブルを回避でき、代理出産のモデルケースになりうる」と言ったそうだが、「祖母が孫を産む」という前代未聞の技術を、そんな簡単に誉めるべきではないだろう。
 
 各紙の報道によると、この代理出産を実施したのは、長野県下諏訪町の諏訪マタニティークリニックの根津八紘院長である。同院長は、日本産科婦人科学会が禁じる代理出産を過去にも行っているので有名な人だ。同院長は、結婚後に子宮摘出手術を受けた30代の妻と、その実母の申し出を受けて、2004年に妻の卵子と夫の精子を体外受精させ、それによって得られた受精卵を妻の実母の子宮に移植した結果、昨年春に体重2400グラムの子が無事生まれたという。そして妻の実母は、生まれた子を戸籍上実子として届け出た後に、養子縁組によって遺伝上の夫婦の子とした。

 根津医師は、2001年5月、子宮を切除した女性の卵子を使い、その女性の実姉を代理母として国内で初めての代理出産を行ったが、そのケースと比べて今回のケースの方がいい、と次のように『読売新聞』に語っている--「女性の姉妹を代理母とすると、年若い姉妹の家庭が10カ月間も不自由を強いられるし、最悪の場合、お産で亡くなるかもしれない。一般論だが、もし姉妹と母親がともに代理母になると申し出た場合、私は母親を選ぶ」。また、この時期に過去の例を公表する理由については、向井さんらの子どもの出生届の受理命令に対して、「品川区が不服として抗告したことに憤りを感じた。国民にこの問題を議論してほしいと考えた」(『読売』)と述べている。
 
 議論という点では、私の立場は10月3日の本欄で確認した通りである。それは「親の立場」を最優先するのではなく、「子を親の幸福追求の手段とするべきでない」ということである。特に代理出産は、「生まれてくる子」に加えて、「代理母となる人間」を自分の手段として利用するのだから、「倫理性はさらに疑わしい」とも書いた。根津医師は、新聞のインタビューに対して、「母が娘のために危険性を認識していながら産む意思を、誰が止められるのか」(『読売』)と言っている。しかし、代理母が遺伝上の母の実母であるという今回のようなケースでは、高齢出産が原則であるから、妊娠にともなう母体へのリスクは飛躍的に高まる。それを「実母だからこそ危険負担を申し出たのだ」と言わんばかりに美談化するのは、患者の健康と生命を第一に考えるべき医師の発言としては疑問が残る。

 根津医師は、50代は普通でも脳血管などに問題が出てくるのに、妊娠・出産というストレスがこれに加わること、閉経後だから女性ホルモンの投与が必要なこと、出産後に更年期障害が起こり得ること、海外を含めて10数例しかないことなどを知っていた。また、今回の代理出産では、多胎妊娠の可能性があったことを忘れてはいけない。『朝日』の記事には、50代後半の母親の子宮に移植された受精卵の数は「2~3個」と書いてある。仮に多胎妊娠が起こって、すべての子を出産できない事情があれば“子の選別”が行われるのである。また、高齢出産から障害のある子が生まれる可能性があることは、周知の事実である。こういう様々な危険を知りながら、同医師は「それでも危険を冒す」方を選んだ。その選択の根拠とはいったい何だろう? それを考えると、私は、同医師が「子をほしい」という女性の立場に余りにも寄りすぎてしまい、医師として、科学者としての中立性を見失っているように感じられるのである。

 同医師は、16日付の『産経新聞』のインタビュー記事の中で、「子供を産みたい娘の気持ちを親の協力で解決できる。むしろ今後、実の母親による代理出産が定着し『親が子供の子を産まないのは愛がないこと』というような話にならないか心配だ」と言っている。これは無責任な発言だ。だいたい閉経後の親の代理出産は「親の協力」などという簡単なものではなく、「親の決死の覚悟」と言うべきだ。臓器提供や卵子提供でも問題になるのは、患者の近親者や利害関係者に対して心理的な圧力が加わることだ。自分の行為によって、親に「決死の覚悟」をさせる状況が生まれることを知りながら、それを「心配だ」というのはおかしい。心配ならば、そんな行為を初めからしなければいいのである。
 
 今回の事例でも、「子の立場」があまり考えられていないように思う。子の実母は、戸籍上は祖母である。その子を遺伝上の両親が“養子”としてもらっている。この事実を、成長した子が知る日が来るが、そのことの説明をどうするのかを聞かれて、根津医師はこう言っている--「(30代の)女性には『おばあちゃんのおかげで生まれた』と、子供にその意味がわからない段階でも説明するように言っているし、両親も了解している。最後は親子の関係で決まる」(『産経』)。あまりにも簡単な答えだと思う。これに対し、養親による「つぎき家族の会」の野口佳矢子氏は、「子どもが大きくなって真実を知ったとき、どう受け止めるだろうか。段階を追って告知するにしても、将来の子どもの気持を考えたら、祖母が代理母になる選択はできないと思う」(『朝日』)と言っている。
 
 以上のことを総合して言えば、私は今回の根津医師の行為に対して賛成することはできないのである。
 
谷口 雅宣

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2006年9月13日

夫の死後に妊娠する (3)

 9月5日の本欄で、夫の凍結精子を使って夫の死後に妊娠した子を夫の子として認知する訴えについて、初めての最高裁判決が出たことを書いた。その後、9月8日以降、同様の趣旨の2件の訴えについて最高裁判決がたて続けに出た。3例すべてが認知を認めない判決であり、これで最高裁に係属中の同趣旨の請求訴訟はすべて終結したことになる。
 
 『朝日新聞』は12日付の紙面の「ニュースがわからん」というQ&A形式の欄でこの判決を取り上げて、解説している。それによると、現在の日本の民法は、夫の死後300日より後に生まれた子には父子関係を認めていない。だから、このようなケースでは戸籍も父の欄は空欄となり、結婚や就職の際に不都合が生まれる可能性がある。また、扶養も相続も受けられず、祖父の財産を代襲相続する権利も発生しない。つまり、夫の死後に凍結精子を使って妊娠・出産しても、その子に父親から得られる法的なメリットは何もない。したがって、裁判所は父子関係を認める意味がないと判断した、というのだ。
 
 問題の核心には、科学技術の発達が法律の想定外の事態を生み出しているという現実がある。つまり、「凍結精子は半永久的に保存できる」という事実があり、この技術を利用して実際に凍結精子が保存され、それを使った夫の死後妊娠を医師が妻に行っているのである。9月5日に書いた例では、夫は白血病の治療のための放射線照射で無精子症になる危険を考えて精子を凍結したが、病状が悪化して死亡、妻が夫の死後、妊娠を希望したのだろう。この時、医師は妻の要望を拒否することもできた。なぜなら、政府の審議会の提言や日本生殖医学会の見解では、「凍結精子は死亡後に廃棄する」ことになっているからだ。担当の医師がそのことを知らないはずはない。が恐らく、妻の要望に同情したのだろう。あるいは、妻は夫が死亡したことを言わずに、医師に妊娠を希望したのだろうか。仔細はわからないが、凍結精子による懐妊について、医師と妻(患者)との間に情報の行き違いがあったような気がする。

 この3例の子は結局、法的には“父のいない子”としての人生を歩むことになる。これを母親の責任とするか社会の責任とするかは、見解が分かれるだろう。私は、この件を含む生殖補助医療全般についての法整備を早く進めるべきと思う。このことは、もう何年も前から諸方面から指摘されてきたことだが、社会的な合意形成が進んでいない。全般的な法整備が難しいのなら、この件のような「夫の死後の凍結精子による妊娠」に限って立法化できないものだろうか。上述した9月5日の本欄で外国の立法例に触れているが、私は現在、個人的にはイギリスのように「夫の同意書があれば認められる」とすることがいいように感じている。ただし、夫の死後いつでもいいとするのは問題なので、スペインのように「半年以内」とかイスラエルのように「1年以内」などと、期限を切って認めるのはどうだろうか。

 ところで、9月9日の『朝日』には昨年、40歳以上の女性が産んだ子供の数が47年ぶりに2万人を超えたことが報じられていた。47年前にも2万人を超えていたということは、当時は出生数全体が多かったのだろう。割合で言うと、昨年の新生児の約50人に1人は40歳以上の女性から生まれたことになるという。同じ数値が、1995年には「約90人に1人」だったというから晩婚・晩産化は急速に進んでいる。このことが何を意味するかを考えてみると、今回のようなケースを含む生殖補助医療全般への需要が拡大しているということだろう。凍結精子による妊娠が可能ならば、卵子の凍結保存による妊娠も可能である。特に卵子は、加齢とともに妊娠の確率が下がっていくから、晩婚・晩産を考える女性は、若い未婚時に自分の卵子を凍結保存し、結婚後にそれを使って妊娠することも選択肢に入ってくる。男も同じことを考えれば、セックスレスで子をつくる夫婦が増えることになる。技術の一人歩きを、いつまでも放任しておけないと思う。

谷口 雅宣

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2006年9月11日

受精卵を壊さないES細胞の道 (3)

 8月24日の本欄で、アメリカのバイオ企業が初期の受精卵から細胞1個を取り出して培養し、これをES細胞にする実験に成功した話を伝えた。これは“受精卵を壊さないES細胞”としてメディアに大々的に報道されたが、実は「受精卵を壊していた」ことが分かった。9月12日付のイギリスの科学誌『New Scientist』が伝えている。
 
 この研究はイギリスの科学誌『Nature』の8月21日号に発表されたものだが、その際、これを発表したアドバンスド・セル・テクノロジー社(Advanced Cell Technology)のボブ・ランザ氏(Bob Lanza)らは、ES細胞を得る一方で「受精卵には傷をつけなかった」と説明した。ところが、発表された論文を細かく読んで分かったことは、この研究では、着床前遺伝子診断(PGD, preimplantation genetic diagnosis)と同様に、8分割の状態になった受精卵から細胞を取り出すのだが、PGDが細胞を1個だけ取り出すのに対して、この研究では、同じ受精卵から何回も細胞を取り出していて、その結果、受精卵は死んでしまっていたことだ。ランザ氏の言い分は、「PGDは普通に行われている手法であり、受精卵は死ぬことはない。我々は、それと全く同じ方法で細胞を取り出しているから問題はない」というものらしい。
 
 だからこの研究では、厳密には、受精卵を壊さないでES細胞を得たとは言えない。『Nature』誌も報道発表を2回も訂正することになり、不名誉な結果となったらしい。受精卵の利用に反対するカトリックの側からは、「この研究で分かったことは結局、受精卵はより早期に殺すことができるということだけだ」と手厳しく批判されたそうだ。
 
 同じ『New Scientist』は、成人(体性)幹細胞を使った興味ある研究結果を伝えている。これまでの研究では、幹細胞を分化させるには化学物質を加えることが考えられていた。ところが、最近の『Cell』誌(vol 126, p.677)に載ったペンシルバニア大学のアダム・エングラー博士(Adam Engler)らの論文によると、骨髄から採った幹細胞は、それが置かれた環境の物理的な硬さの違いによって、柔らかい環境では神経細胞に、中間的硬度の環境では筋肉細胞に、そして骨と似た硬さの環境では骨の細胞に分化したという。骨髄の幹細胞は、軟骨、骨、筋肉、腱、靭帯(じんたい)、脂肪、そして一部の神経に分化することが分かっているが、今後の研究ではポリマーなどの硬度を工夫し、その環境下に幹細胞を置くことで、様々な細胞を作り出せる可能性が出てきたようだ。
 
 これらのことから分かるように、ES細胞の研究では「受精卵を壊す」あるいは「受精卵を傷つける」という倫理問題がまだ完全に解決していないのに対し、成人幹細胞の研究では、すでに様々な細胞に分化させる方法が確立しつつある。また、ES細胞から種々の細胞を分化したとしても、それを患者に移植する際には拒絶反応の問題が残っている。これを解決するために人クローン胚の作成が数年前から試みられているが、いまだに成功例はない。再生医療の分野では、倫理的、医学的問題の多いES細胞の研究より、それらが少ない成人幹細胞の研究を集中して行うことを提言する所以である。

谷口 雅宣
 

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2006年8月24日

受精卵を壊さないES細胞の道 (2)

 24日の新聞各紙は「受精卵壊さずES細胞」という見出しで、人間の初期胚の一細胞からES細胞を育てる技術を、アメリカのバイオ企業が開発したことを伝えている。前回の本欄の最後で、「科学技術の研究からは、本当に何が飛び出すか分からない」と書いたばかりなのに、またまた新しい展開である。この研究は、昨年10月17日の本欄で「受精卵を壊さないES細胞の道」と題して書いたマウスの実験を、人間で成功させたものだ。マウスで開発した技術を、10ヵ月後に人間で成功させたことは特筆に値する。
 
 この技術を開発したのは、アドバンスド・セル・テクノロジー社の研究者たちで、人間の受精卵を数回分裂させ、ちょうど8個の細胞塊になった時点で1個を分離して採取、これを既存の人間のES細胞やマウスの繊維芽細胞などと一緒に培養することで、ES細胞株を作り出した。使用した受精卵は、不妊治療のために凍結保存されていたものという。この凍結受精卵16個を使い、そこから合計91個の細胞を取り出して培養処理したのちに、2つのES細胞株を樹立したという。

『ヘラルド・トリビューン』(25日付)紙は、第1面で大きな図解と写真入りでこれを“大成果”(breakthrough)として報じているところが、『朝日』や『産経』(いずれも中面3段見出し)と少し違う。“大成果”という言葉を使ったのは、受精卵を壊さないでES細胞が樹立できれば、「他人のために人の命を犠牲にする」というこの技術が抱えていた基本的倫理問題が解消するか、少なくとも相当緩和すると考えたからだろう。これによって、ブッシュ大統領が拒否したこの分野への連邦政府の資金援助が、実現する可能性を見ているのかもしれない。その一方で、同紙の記事はホワイトハウスのエミリー・ローリモア報道官(Emily Lawrimore)が「人間の受精卵を研究目的に使うことは、どんな方法であっても深刻な倫理問題を生み出す。この技術もそういう心配を解消していない」と言ったと書いている。大統領の心中はなかなか穏やかでないのだろう。
 
 ところで、受精卵が8分割した状態の時に細胞1個を取り出す技術は、ダウン症の有無などを妊娠前に調べる着床前遺伝子診断(PGD, preimplantation genetic diagnosis)によってすでに確立している。ただし、まったくリスクがないわけではない。採取時の技術的リスクと、残りの7個の細胞が胎児に成長し、生まれて大人になっても、まったく異常がないとは断言できない。PGDは過去10年ほど前から使われているが、それを経て生まれた子供たちに今のところ異常は出ていないという。しかし、肉体の発病は中年以降が多いのである。

『朝日』の記事には、京都大学再生医科学研究所の中辻憲夫所長の談話が付いていて興味深い。曰く--「今回の成果はこうした宗教的問題を解消できる可能性があるが、逆に、受精卵に余計なリスクとストレスを負わせることになる。ES細胞株を子供の誕生時に作っておく、ビジネスにつなげたい考えもあるのではないか」。昨年10月の本欄でも触れたことだが、これは人工授精で受精卵を作った後、8分割時に細胞1個を取り出して、これから子と全く同じ遺伝子情報をもつES細胞株をつくることができることに言及しているのだ。なぜこれがビジネスになるかは、ES細胞の性質を考えれば分かる。この子が成長してから肉体的な故障が出ても、自分のES細胞から組織や臓器を作り出して拒絶反応のない、安全な治療が理論的には可能になるからである。
 
 さて、今回の技術への私の感想だが、溜息……ばかりである。昨年10月にも述べたが、こんな高度技術を利用できるのは高額所得者に決まっている。そういう人々が“優良な子”をもつためにPGDを行ない、さらにES細胞まで作っておく時代を、私は「素敵だ」とか「美しい」とは感じない。感覚的な表現で申し訳ないが、そういう自己本位の社会実現のために科学は進歩すべきなのか、と疑問に思う。私には、どうしても成人(体性)幹細胞の研究の方が価値ありと思えるのである。
 
谷口 雅宣

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2006年8月22日

生物多様性の価値とは?

 前回は、遺伝子組み換え種の芝がアメリカで“野生化”する兆しを見せていることを書いたが、「除草剤耐性」という遺伝子は自然界で有利に働くことはないから“野生化”は起こらない、とする楽観論もある。これについては、私は『今こそ自然から学ぼう』の中で反論しているので参考にしてほしい。自然界はきわめて複雑にできているから、アメリカでこのGM芝の商業栽培が行われるとどうなるかは、実際のところ「やってみなければ分からない」という面が確かにある。しかし、「やってみたら悪い予想通りになった」というのでは、いかにも愚かな話だ。だからこんな場合は、「人間の欲望に従う」のではなく「自然の知恵に従う」方を選ぶのが賢明な判断だと思う。つまり、生物多様性をできるだけ損なわない選択をすべきなのである。
 
 この「生物多様性」の価値については、すぐには理解できない面がある。それは「多様」というだけでは「善い」ものも「悪い」ものも両方あるという意味に捉えられがちだからだ。「善悪ともにそろっている」ことが「多様」の意味だと単純に考えると、「悪を除いて善のみにした方がいい」という結論に陥りやすく、「多様は善に劣る」というニュアンスが生まれてしまう。昆虫を例にとれば、美しいチョウ、よい鳴き声のスズムシ、子供が大好きなカブトムシ……というように、人間が好きなものだけがいるのは「自然」ではない。そうではなく、ゴキブリも毒虫もムカデもスズメバチも含んでいるのが自然界だ。人間は自分勝手の視点から“益虫”(善い虫)と“害虫”(悪い虫)を区別しているが、自然界には本来そんなものはなく、すべての昆虫が複雑な関係の中でそれぞれの場と役割をもって共存している。この状態が「多様性」である。

 この多様な状態の方が“益虫”だけがいる状態よりも優れている理由は、人間の善悪の判断は、その人の立場や状況や時代によってたやすく変わるものだからだ。チョウは好きだが、ガは気味が悪いと感じる人は多いだろうが、だからと言ってガをすべて絶滅させれば、夜間に受粉する植物の多くも絶滅に向うだろう。そういう意味で、私は感覚的にゴキブリは確かに嫌いだが、家中のゴキブリを絶滅させるべきだとは思わない。自然界の複雑多様なシステムの中では、彼らも何か重要な役割を担っているのだと想像する。しかし、その一方で、ゴキブリホイホイを家の隅々に置く妻の行動を、何ら問題にしたことはない。

 さて、話が少し脱線したが、多様な種があることで結局、人間にも恩恵が回ってくる例を挙げよう。これも、前回引用した『New Scientist』誌の8月12日号に掲載されていた例である。イネなどの穀物は、1つの株に、できるだけ多くの実をつける方が人間にとって「善い種」であると思われる。だから、好条件の気候時に最も多く実をつける種が、長年にわたり世界各地で開発されてきた。しかし私が最近、日本の各地でイネを見て気がついたのは、茎が短い種が増えてきたということである。その理由をどこかで聞いたら、台風などの強い風が吹いても倒れない品種が好まれるようになってきた、という説明だった。こうして、「最高の気候条件で最多の実をつける」という考え方から、人間の価値観が多少変化してきていることが分かる。
 
 そしてご存じのように、最近は予期しない異常気象が続く。すると未来を見る研究者にとっては、旱魃や洪水にも強い品種や、塩分を含む土壌でも育つ品種を開発することが重要になる。人口爆発と農地の不足が、そういう悪条件下でも育つ品種を要求するのである。言い換えれば、同じイネでも、かつては「不要」だった性質が今日では「必要」に変化してきている。そこで彼らが考えたのが、かつて自然界に自生してしたイネの原種の中から、例えば水に浸かっても腐らない品種を探し出し、その遺伝子を現代の多収型の品種に導入する、という方法だった。

 上記の記事によると、フィリピンにある国際イネ研究所(International Rice Research Institute)のデビッド・マッキル氏(David Mackill)のグループは、同研究所に保存してあったイネの中から、「FR13A」という、もう相手にされなくなったインド原産の古い品種の「水の中でも生きる」性質の遺伝子を同定し、それを現在アメリカで広く栽培されている「M202」という品種に導入した。これによって生まれた新しいイネは、水に完全に浸かった状態でも最長で2週間もつようになったという。この遺伝子は、現在までに6種のイネに導入されているそうだ。
 
 こんなことが可能なのは、イネの中の「善い」品種だけが残っていたからではなく、「多様な」品種が今日まで保存されていたからである。かつては人間が「善い」と思わなかった性質が、今日では「善い」とされていることに気づいてほしい。人間の価値判断とは、そんなものである。だから、自然界の生物多様性は、人間の下す善悪の判断より重要だと言えるのである。

谷口 雅宣

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2006年8月21日

GM植物は拡散するか?

 日本では遺伝子組み換え作物(GM作物)が不人気なことはご存じの通りだが、これを野外で栽培することを国とは別に自治体が規制する動きが広がっているらしい。8月19日の『朝日新聞』が1面と2面を使って詳しく伝えている。

 それによると、GM作物の野外栽培は、既成の作物との交雑や混入を防ぐことが主な目的として現在、10の都道府県が条例やガイドラインを設けている。野外栽培では、花粉の飛散や虫による伝播でGM種が在来種と交雑する可能性があるため、交雑が起こった場合、作物のブランド・イメージが打撃を受けるとの判断があるようだ。また、GM反対派の農家や消費者とのトラブルを恐れているという。規制の内容は、GM種と在来種の栽培地間の距離を定めたり、住民への説明会を義務づけたり、交雑が起きたときの対応を求めるもの。こういう規制もあって、国内でのGM作物の商業栽培はまだ行われていないという。
 
 GM作物は、アメリカ、中国、インドなどで大々的に栽培されているが、日本やヨーロッパではきわめて評判がよくない。私自身、『今こそ自然から学ぼう』(2002年、生長の家刊)などで懐疑論を展開しているし、本欄でも何回か(例えば8月1日4月13日)問題点を指摘してきた。問題の基盤には、「生物は人間が好きなように改変してよい」という人間至上主義の考え方がある。また、人間に都合のいい種だけを大量に栽培することによる生物多様性の破壊も、大きな問題だ。8月12日付のイギリスの科学誌『New Scientist』は、GM種の植物に関して示唆的な事実を伝えている。

 それは、悪名高い「ラウンドアップ」という除草剤への耐性をもった芝が、オレゴン州の片田舎で発見され、合衆国農務省(USDA)を慌てさせているという話だ。これは、アメリカ国内でGM種の植物の“野生化”が発見された最初の例で、しかも農務省が野外での栽培認可をする前にそれが起こったという点が、衝撃的だった。問題の芝はクリーピング・ベントグラス(creeping bentgrass)と呼ばれていて、学名は Agrostis stolonifera である。日本語の呼称はよく分からないが、辞書を引くと「コヌカグサ」「ヌカボ」などとあり、イネ科のコヌカグサ属かカヤツリ科の雑草という。想像するに、いわゆる「野芝」や「西洋芝」の一種だろう。この芝の遺伝子を組み換えて、グリフォサートという除草剤への耐性をもたせたのがGM芝だ。だから、これをゴルフコースに植えれば、あとはグリフォサートを散布することで、均一で、見た目の美しいゴルフ場の造成とメンテナンスが容易にできる--というのが開発側の意図である。「ラウンドアップ」とはグリフォサートを主成分とする除草剤の商品名だ。

 このほどアメリカの環境保護局が、このGM芝が栽培されている場所から半径4.8kmの植物を調べたところ、2万400種のうち9種が、GM種と同一の除草剤耐性をもっていた。そして、このGM種の伝播は、最長で3.8kmの地点でも確認されたという。伝播の方法は、花粉によって在来種と交雑したものと、種の拡散によるものとの双方が確認されたという。

 GM芝の“野生化”は、2つの点で問題を抱えている。それは、①多年草植物であることと、②農作物でないこと、だ。従来から栽培されていたGM作物のほとんどは、ダイズ、トウモロコシ、アブラナなどの1年草である。つまり、従来のGM種の多くは収獲が終れば枯れてしまうから、次世代を残しにくく、したがって野生化の可能性は小さい。これに対し多年草は、冬を越して翌年再び成長するから、交雑と種による伝播の可能性が大きい。さらに問題なのは、農作物は人間が手をかけねば自然界では生き残るのが難しいのに対し、芝は自然界に数多くの近種をもつほとんど“雑草”と言っていい植物である。だから、GM種のもっている除草剤耐性が近種間の交雑によって自然界に広がっていく可能性があるのである。
 
 それにしても、日本とアメリカのGM植物に対する態度は対照的である。日本では「食品」と「遺伝子組み換え」の2語をつなげることに拒否感を示す人が多いのに対し、アメリカではGM作物は普通に栽培されている。そのことに対して、アメリカ人のほとんどは拒否感を示さない。私は、それでいいのだと思う。「自然は人間のために改変すべきだ」と考えて西部開拓をした人々と、「人間は自然の一部だ」との価値観で生きてきた人々の双方があっていい。地球温暖化時代にどちらの生き方が有効であるかは(あるいは双方の知恵が合わさる必要があるのかは)、今世紀の人類の経験によって証明されるに違いない。

谷口 雅宣

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2006年8月 1日

GM作物に“二次害虫”が発生

 遺伝子組み換え作物(GM作物)に対する抵抗は日本ではまだ大きいが、お隣の中国は唯物論が“国是”のためか、抵抗が少ないと聞いていた。4月13日の本欄では、中国やインドでGM種の栽培が成功していることに触れたが、このたび米コーネル大学の研究者が行った調査では、中国でのGM種の綿花栽培は必ずしも成功していないとの結果が出た。その理由は、GM種が想定した“害虫”は激減したものの、想定外の他の虫が発生したため、それに対処するための費用が増加して、GM種栽培のメリットの大部分が失われているというのだ。科学ニュースを扱うサイト「Newswise」と7月25日付の『New Scientist』誌が伝えている。
 
 GM作物の抱える問題については、『今こそ自然から学ぼう』(2002年)や『神を演じる前に』(2000年)でやや詳しく扱ったが、“二次害虫”の問題は私としても予想外だった。
 
 この研究は、7月25日にアメリカのロングビーチ市で行われた米農業経済連合(American Agricultural Economics Association, AAEA)の年次総会で報告されたもの。今回、研究対象となったGM作物は「害虫抵抗性」を組み込んだ綿の木で、土中のバクテリアの名前の頭文字を取って「Bt綿花」と呼ばれている。つまり、このバクテリアが産生する殺虫毒素を綿の木がもつように、遺伝子組み換えが行われている。ところが、この毒素は葉を食べるオオタバコガの幼虫(bollworm)にだけ効く。Bt綿花の栽培を始めて7年もたつと、この害虫以外の虫(例えば、メクラカメムシ)が相当増加した。そこで農家の人たちはそれらを駆除するために、植物の成長期にはかつての20倍もの殺虫剤を散布しなければならなくなったという。これは、5つの省にまたがる481の農家を調べた結果だ。
 
 この研究は、Bt綿花を栽培することによる経済的変化を長期的に調べた最初のもの。短期的には、この綿の栽培を始めてから3年までは、Bt綿花を植えた農家では殺虫剤の使用量が劇的(7割も!)に減り、通常の綿花を栽培した農家に比べて36%高い収入を得たという。しかし、2004年までには、それらの農家では通常の綿栽培農家と同じくらい多く農薬散布をするようになったという。その結果、GM種の綿を栽培した農家は、通常種の農家よりも8%少ない収入しか得られなかった。というのは、GM種の綿は通常種の3倍の値段だからだ。研究者たちは、このような“第二の害虫”出現の問題は、Bt綿花の栽培が長い国ほど深刻になりえると警鐘を鳴らしている。

 調査に当った世界銀行のシェンフイ・ワング博士(Shenghui Wang)によると、Bt綿花は、開発後すぐに4大綿花生産国であるアメリカ、中国、インド、アルゼンチンで栽培が始まり、今や世界の綿花生産量の35%を占めるに至った。中国では、500万人以上の農民がこれを育て、メキシコや南アメリカでも栽培されている。アメリカでは、Bt綿花の栽培の際には、オオタバコガの幼虫を死滅させないために“緩衝地帯”を設けることが義務づけられているという。この緩衝地帯では普通種の綿を栽培しなければならず、そのためにこの幼虫は生き続け、GM種に対する抵抗性は生まれないと考えられていた。中国では、この緩衝地帯を設置する義務はない。今回の研究は、GM作物の栽培には、長期的には「二次害虫の出現」という新しい問題があることが分かったのである。自然界の複雑さと、人間の予測の限界をよく示していると思う。

谷口 雅宣
 

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2006年7月31日

水で車が走る?!

 科学によって何が可能となるかについては、門外漢の私はしばしば目を見張らされる。昨年10月31日の本欄では、「鉄を自動車の燃料に使う」という科学者の構想を紹介したが、今度は「水を自動車の燃料にする」話があるそうだ。もっと正確に言うと、自動車に水タンクを積み、そこから水素を取り出しながら燃料電池を動かす。すると排出されるのは水だけだから、その水をリサイクルして再び水素の原料にすれば、文字通りのゼロ・エミッション(廃棄物ゼロ)の社会が実現する。こんな夢のような計画と真面目に取り組んでいる科学者がいる。イギリスの科学誌『NewScientist』が7月29日号で伝えている。

 現在、開発されている燃料電池車がなかなか普及しない理由の中には、①水素の生産にエネルギーを要するので非効率的、②水素の運搬や貯蔵が困難、の2つがある。また、現在のガソリンと同様の「中央集中的」な生産と流通方式が考えられていて、大量の化石燃料から大量の水素を取り出し、それを圧縮・液化して各地の需要先に運搬しようとしている。これだとインフラの整備に大きなコストがかかるし、水素は引火性なので危険だ。しかし、地上に最も豊富にある「水」の化学式はH2Oだから、これから酸素(O)さえ除けば純粋な水素(H2)が入手できる。この過程を自動車の外でなく内部で実現できれば、インフラ整備など不要になってしまう。

 それを狙う科学者たちは、ホウ素(原子記号=B)に目をつけたという。これを水と反応させることで水素が取り出せ、酸化ホウ素が残る。ミネソタ大学のタレク・アブハメド氏(Tareq Abu-Hamed)とイスラエルのワイズマン研究所の研究チームの計算によると、この方式だと、自動車1台に積むホウ素は18kgですみ、これに45リットルの水を反応させると水素が5kgできる。これだけの水素があれば、燃料電池車は、40リットルのガソリンを積んだ普通車と同様の距離を走れるという。現在、あるイスラエルの会社がエンジンを設計中だが、韓国のサムスン社は、これと似た考えにもとづいたスクータの実験モデルをすでに製作ずみという。

 ナトリウムやカリウムを水と混ぜると激しく反応し、水から水素を引き剥がすことはよく知られていた。ホウ素も同様のことをするが、反応はもっと緩やかなため、特別の防護容器はいらないそうだ。この種の研究は上記のイスラエルの研究者が始めたわけではなく、すでにダイムラー=クライスラー社が「ナトリアム」という名のコンセプト・カーを造っている。この車は水をそのまま使わずに、水素を多く含む液体化合物を使い、触媒によって水素を取り出して燃料電池に供給する。これによって時速130kmのスピードと500kmの走行距離を達成したのだが、2003年に計画をやめてしまった。現在は、ワイズマン研究所出身の科学者が経営する「エンジニュイティ」(Engineuity)というイスラエルのベンチャー企業が、水を使った燃料電池車を開発中で、「あと数年のうちに」商業化ができると言っているそうだ。
 
 最後に、水から水素を取った残りの酸化ホウ素の処理だが、アブハメド氏はマグネシウムを使ってこれをホウ素に還元することを考えていて、その工程で使用するエネルギーは太陽光から得ればいいとしている。だから、今のところ「全く水だけ」では車は動かない。しかし、触媒であるホウ素もリサイクルできるから、温暖化防止には大いに役立つと考えられる。こういう新技術の開発には、しかし時間と費用がかかる。有望な技術を国が積極的に支援していく態勢が必要だ。時間はあまりないのだから……。
 
谷口 雅宣

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2006年7月29日

遺伝子組み換えアイスが登場

 梅雨明け宣言を待たずに、関東地方は一気に真夏の気温になった。冷たいものが美味しい季節である。ちょうど今日の『日本経済新聞』は、別冊の「NIKKEI プラス1」で日本の“ご当地アイス”の品評会をやっていた。“アイスクリームの専門家”という10人に、各地の特産品を材料に使ったアイスクリームの中から美味しいものを10位まで挙げてもらい、ランクを決めたそうだ。

 その結果は、①吟果膳 清水白桃(岡山県)、②夕張メロンアイス(北海道)、③だだちゃ豆アイス(山形県)、④本生わさびアイス(静岡県)、⑤黒豆アイス(兵庫県)、⑥サトウキビアイス(沖縄県)、⑦ドラキュラ・ザ・プレミアム(青森県)、⑧いもアイス(埼玉県)、⑨トマトアイス(熊本県)、⑩焼きなすアイス(高知県)、になったという。選にはもれたが、珍しいものでは牛タン(宮城県)、カニ(北海道)、ウナギ(静岡県)を原料に使ったアイスクリームもあり、合計するとご当地アイスは千種類を超えるというから驚きだ。

 これは日本人が特別アイスクリーム好きということか?……と思ったら、そういうことでもないようだ。7月27日付の『ヘラルド・トリビューン』紙は、先進国における昨今の健康志向とアイスクリーム好きを両立させるために、ついに遺伝子組み換え技術を使ったアイスクリームが登場した、と伝えている。「バターのように官能的でありながら、ブロッコリのように健康的」であろうとして探し当てたのが、北極海の魚がもつ特殊な蛋白質なのだそうだ。これを利用して、こってりとクリーミーで密度が濃いにもかかわらず、ローファットで、添加物も少ないアイスクリームができるらしい。

 今年の6月、ユニリーバ社(Unilever)は、氷菓類に新しい原料を入れる許可申請をイギリスの食品基準局(Food Standards Agency)に提出した。その原料とは、北極海に棲むウナギのような魚が産生する蛋白質である。この蛋白質は、凍てつく極地の水から魚を護るために、氷の結晶の成長を妨げる機能があるという。アイスクリーム中の水分が凍らずに、クリームのような食感が得られるわけだ。これを魚から直接取り出すのではなく、この蛋白質を作る遺伝子をイースト菌の中に組み込んで、発酵の過程でそれを産生させるようにしたという。この蛋白質-氷組織化蛋白質(ice-structuring protein)--は、アメリカの食品医薬品局(Food and Drug Administration)の認可もすでに下りていて、一部の製品に使われているという。

 果物や野菜、動物の肉をアイスクリーム中に錬りこむ方法と、魚由来の蛋白質を混ぜる方法では、背後にある考え方が少し違うような気がする。前者は、新奇の香りと味を楽しむためだろうが、後者はクリーミーさと脂肪分削減の両立が目的だ。脂肪分を摂り過ぎないためには、アイスクリームを食べ過ぎなければいいのだ。そういう当たり前の論理は、メーカーの利益にならない。メーカーとしては、どんどん食べてほしい。だから、“ローファット”とか“ヘルシー”などの種類を作り、「食べ過ぎても太らない」という印象を作り出して数を売ろうとする。何となく、“ライト”とか“マイルド”などの言葉をつけたタバコと似ているではないか。
 
 アイスクリームはすでに過剰生産なのだろう。それを、さらに売るための新手の方法だ。そういう点が、いかにも欲望満足を優先させる現代の価値観を表していると思う。そんな目的のために、遺伝子組み換え技術が使われていることも憶えておこう。
 
 谷口 雅宣

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2006年7月27日

幹細胞は体中にある

 本欄では、受精卵や卵子を使うES細胞(胚性幹細胞)の研究に反対し、患者本人の体にある成人幹細胞を治療に利用する研究を「より倫理的」と考えて推奨してきた。そして、7月17~18日にかけて、成人幹細胞の研究例を振り返ってみた。そういう有望な幹細胞が存在することが分かっている体の部位を列挙すると、脳、骨髄、髪、皮膚、脂肪、歯胚、臍帯血,生殖器……など相当の種類に及ぶ。最近では、「間葉系幹細胞」と呼ばれる幹細胞が注目されているようで、これは骨髄だけでなく子宮内膜にもあることが分かり、研究が進んでいるらしい。成人幹細胞は、だから「全身に散在している」と表現してもいいだろう。

 7月25日付の『朝日新聞』の夕刊によると、国立成育医療センター研究所などは、難病の筋ジストロフィーの治療に子宮内膜の細胞に含まれる幹細胞が効果的であることを、マウスの実験によって証明したという。また、同24日に『日本経済新聞』が伝えたところでは、京大の研究グループは、急性心筋梗塞のために、骨髄中の幹細胞移植に遺伝子治療を組み合わせた効果的な治療法を開発したそうだ。また、今年3月に発表された例では、独立行政法人の産業技術総合研究所で、抜歯した親知らずにある歯胚から取り出した幹細胞から、骨、肝臓、神経の細胞を分化させることに成功している。同研究所では、2001年から患者の骨髄内の幹細胞を使って骨や関節疾患、心疾患の患者の治療を行ってきた。しかし、骨髄液の採取は患者への負担が大きいため、歯科で抜歯され廃棄された親知らずに注目し、幹細胞の利用技術を開発したという。

 さらに25日付の『日経』には、神戸のベンチャー企業「ステムセルサイエンス社」が、フランスのニース大学と国立科学研究センター(CNRS)から人の幹細胞を培養し、独占販売する権利を取得したと書いてある。この幹細胞は「ヒト脂肪細胞由来多能性幹細胞」(hMADS細胞)というらしい。同社によると、これは人間の脂肪組織中に存在する細胞で、試験管内で容易に培養でき、医薬品の開発に有効な研究材料として価値があるそうだ。具体的には、脂肪や骨に効率よく分化することが確認されていて、糖尿病や肥満や骨粗鬆症等の疾患に対する治療薬の研究に適しているという。こういう成人幹細胞が、すでに国際的取引の対象になっているのだ。同社は、昨年11月にニース大からこの幹細胞を筋ジストロフィーの治療に使う権利を得ていて、この研究をさらに進める過程で高品質の細胞を得られるため、その細胞自体を外部に販売することにしたという。2年後には5千万円の売り上げを目指すというから、将来の需要を見込んだビジネスと言えよう。

 私がここで強調したいのは、人間のES細胞を使った再生医療の成功例はまだ存在しないのに対し、成人幹細胞を使った治療はすでに普通に行われており、成功例も数多いということだ。前者では卵子や受精卵を入手する際に倫理問題が多く、その影響もあって提供数が絶対的に少ない。これに対し後者では倫理問題はそれほどなく、患者自身の細胞を使う点でより安全であり、また臍帯血や皮膚、歯胚など、提供者の負担が少なく入手が簡単である。これだけ有利な方法が現に存在し、成果を出しつつあるのに、問題の多いES細胞の研究に力を注ぐ意義が、私にはよく分からない。医学はかつて「医道」とも呼ばれ、倫理性が前提となっていたのだから、21世紀の医療も倫理を尊ぶ伝統を堅持してほしいものだ。

谷口 雅宣

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2006年7月20日

ブッシュ氏、ES細胞研究支援にノー

 米大統領のブッシュ氏が、胚性幹細胞(ES細胞)の研究に対する国の財政支援拡充法案に拒否権を発動した。この法案は昨年5月に連邦下院で可決しており、上院では18日(現地時間)に「63対37」で可決した。ブッシュ氏は少数意見に与し、しかも就任以来初めての拒否権発動といことだから、実に明確な「ノー」の意思表明である。ブッシュ氏は、イラク戦争などで“単独行動”を批判され、最近は態度軟化が言われてきたが、「正しい」と思うことは多少の反対を押し切って強引にやるところは、まだ変わっていないようだ。私は、ブッシュ氏の環境問題やテロに対する態度には批判的だが、ことES細胞に関しては、氏の決断を声を大にして讃えたい。

 ブッシュ大統領の拒否権発動について、新聞などは「11月の中間選挙を前に、支持基盤の宗教右派へ配慮した」(19日『朝日』)などと分析しているが、本欄でも書いたように、宗教右派の一部は環境問題への取り組みでブッシュ氏を批判しているし、共和党も、19人がこの法案に賛成するなど分裂している。だから、この問題で内部分裂した自派への“配慮”というよりは、彼の“信仰心”が法案拒否の最大の動機ではないだろうか。
 
 今日(20日)に放映されたABCニュースでは、大統領は拒否権発動の理由をこう説明した--「この法案は、他の人々の医療上の利益を見つけるために無辜の人命を奪うことを支援することになります。それは、健全なアメリカ社会が敬うべき道徳的境界を越えるものだから、私は拒否しました」(This bill would support the taking of innocent human life in the hope of finding medical benefits for others. It crosses a moral boundary that our decent society needs to respect, so I vetoed it.)
 
 この法案の内容を私は詳しく知らないが、大統領は「受精卵を破壊してES細胞を作る」ことを指して「無辜の人命を奪う」と言っているのだろう。ES細胞の“出所”としてよく候補に上がるのは「不妊治療で作られた受精卵のうち、不要になったもの」(凍結余剰胚)だから、「どうせ廃棄されるものなら、人助けに使ってもいいだろう」と考える人が多いのである。ところが大統領は、この日、そういう凍結余剰胚を“養子”として引き取り、妊娠後に健康な赤ちゃんとして産まれた子供と、その親たちを会見場に招待して、次のように言った:
 
「ここにいる子供たちは皆、人工授精による凍結受精卵として人生を始めました。この凍結受精卵は皆、不妊治療が終ったあと使われなかったものです。この子たちは皆、受精卵である時に養子となり、愛に満ちた家庭で育つ幸せに恵まれました。この子たちは、予備の部品なんかじゃありません。この子たちを見れば、研究目的で受精卵が破壊される時に何が失われるかが分かります。この子たちを見れば、我々は皆、最初は小さな細胞の塊として命を始めることが分かります。そして、この子たちを見れば、我々が新しい治療法を探すことに熱心なあまり、わが国全体が根本的な道徳を放棄してはいけないということが分かります。」

 大統領はこの日、別の一団の人々も会場に招いていた。それは、受精卵を破壊しなくても利用できる成人幹細胞(adult stem cells)や、ヘソの緒中にある臍帯血幹細胞による治療で健康になった人々である。そして、「この人たちは、効果的な医療は倫理的でありえると教える生きた証人です」と紹介した。続いて大統領は、成人幹細胞がES細胞と同様に効果的な治療法を生む可能性に触れ、「科学者たちが研究中のある治療法では、通常の体細胞をプログラムしなおす」技術があるとし、その例として、「皮膚の細胞がES細胞と似たように機能する」ことを挙げた。これはまさに、18日の本欄で扱った「人工幹細胞」のことである。
 
 このように、国の中心者が倫理基準を明確にしたうえで政策決定をするという点を、わが国も見習うべきだと思う。特に生命倫理の分野での国の対応の「あいまいさ」と「遅さ」は、早急に改善してほしいものだ。
 
 谷口 雅宣

【参考資料】
○"President Discusses Stem Cell Research Policy," http://www.whitehouse.gov/news/releases/2006/07/20060719-3.html

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2006年7月18日

人工幹細胞と毛包細胞

 前回の本欄では、京都大学の山中伸弥教授が、マウスの皮膚細胞の遺伝子を操作することで、ES細胞に酷似した状態を実現した話を書いた。このことと、同大再生医科学研究所の中辻憲夫所長がヒトクローン胚研究を中止したことが、何か関係があるように書いたが、これはあくまでも私の勝手な憶測である。しかし、中辻所長の発表を伝える『京都新聞』の記事には、研究中止の理由として、「ヒトクローン胚を使わないで移植治療の拒絶反応を回避する方法にも可能性がある」ことが挙げられており、その方法の例として「体細胞の遺伝情報を初期化・再プログラム化して作成する人工幹細胞」と書かれているのが、私の目に留まったのである。この「人工幹細胞」という言葉は、私には初耳だった。

 そこでインターネットを調べてみると、上記の山中教授の所属する再生医科学研究所が行っている「再生誘導研究」についての説明を見つけた。これがまさに「人工幹細胞」を作る研究で、前回触れた『Science』誌の記事は、そのマウスでの成功を取り上げていたのだった。これはビッグニュースであるはずだが、日本のテレビや新聞は報道しなかったようだ。(少なくとも、私の目には留まらなかった。)
 
 京大再生医科学研究所のウェッブサイトによると、山中教授はES細胞がヒト胚(受精卵)を破壊するという倫理問題を抱えているうえ、患者に移植すると拒絶反応を起こすという問題があるため、「患者自身の体細胞をES細胞に変える」研究に取り組んでいるようだ。山中教授自身の言では、「患者自身の細胞からES細胞に類似した多能性と増殖能を有し、腫瘍形成能は持たない幹細胞を樹立することを目標に研究を行って」いるという。「腫瘍形成能」というのは「ガン化する」という意味だ。培養すればどんどん増殖し、様々な細胞に分化する能力があるが、ガン化しないものを遺伝子操作によって人工的に作るということだろう。素人の私から見れば「魔法」のように見える研究だが、それが決して魔法でないことは、前回触れたマウスでの実績が証明している。

 このように、ある研究が「有望だ」とか「可能性が大きい」という理由だけで跳びつくのではなく、倫理問題を起こさないように配慮して研究領域を選び、多少困難であっても新しい可能性に挑戦することは、素晴らしいと思う。そういう研究者が日本にもいて、一定の成果を挙げていることを知り、心強く思った。
 
 ところで、同じ幹細胞の研究では、髪の毛の付け根にある「毛包」から、各種の細胞を分化させるという、これまた(素人目には)“魔法”のような可能性も見えてきている。これは7月12日付で科学ニュースを扱う Newswise が発表したもので、ペンシルバニア大学医科学校の研究者グループは、毛包にある成人幹細胞を培養して神経細胞、平滑筋細胞、皮膚の色素細胞など、何種類もの細胞に分化させることに成功したという。研究成果は、最新号の American Journal of Pathology (アメリカ病理学雑誌)に発表された。
 
 髪の毛包から成人幹細胞が採れることは、専門家の間ではよく知られているらしい。髪の毛包には2~5年間の活動期と3~4ヵ月の休止期が交互にあって、活動期には、髪はここから毎日平均で0.3~0.5ミリ伸びるというから、細胞分裂が盛んな場所であることが分かる。これを、人のES細胞を培養するのと同様の条件下に置くことで、研究グループは様々の細胞に分化させることに成功した。
 
 ここで紹介した人工幹細胞も毛包幹細胞も、いずれも「皮膚」の細胞である。採取は簡単であり、生命の破壊につながらない。こういう“倫理的”な技術を、医学がもっと積極的に採用するようになれば、社会の医療への信頼感はさらに深まっていくと思うのだが……。
 
谷口 雅宣

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2006年7月17日

クローニングはもう不要?

 1996年7月5日、イギリスで生まれた1頭の雌羊が世界を揺るがした。人類が初めて、体細胞クローニングの技術によって哺乳動物のコピーを誕生させたからだ。この「ドリー」の誕生10年を記念して、イギリスの科学誌『New Scientist』は7月1日号で特集を組んだ。「クローニングの夢は潰(つい)えたか?」という題だから、あまり楽観的な評価ではない。私としては人間のクローン作成など反対だし、ES細胞の研究にも反対しているから、「潰えた」と断定してほしいところだが、治療目的のクローニング(therapeutic cloning)を夢見る人はまだ数が多いから、「潰えた」との断定は非情なのかもしれない。

 体細胞クローン技術を使った再生医療の動向については、本欄で何回も取り上げてきた。しかし、ヒツジに続いてマウス(1998年12月)、ヤギ(1999年4月)、ブタ(2000年3月)、ネコ(2001年12月)、ウマ(2003年5月)、シカ(同)、ラバ(同)のクローンは誕生したが、同じ技術によって「ヒトクローン胚」という人間の胚を作成する技術は、あまり進歩していないようだ。「大進歩があった」として昨年5月に騒がれた韓国の研究では、データが捏造され、ヒトクローン胚からはES細胞自体が作成されなかったことが判明した。だから、この技術の人への応用がいかに難しいかがわかる。

 ドリーの研究では、277個の乳腺細胞から核を取り出し、それを除核卵細胞に注入した。そのうち、代理母の胎内に移植できるまでに成長したのは29個であり、そこからわずか1頭のヒツジが誕生している。その後の動物では多少、効率が向上したものの、本質的にはこの技術の成功率の悪さは変わっていない。これを人間で行おうとすると、何百もの新鮮な卵子の入手をどうするかが大きな問題となり、この点でも、韓国の研究は深刻な倫理問題を抱えていた。だから、体細胞クローン技術を使ったES細胞の研究は、大きな“壁”に突き当たっていると言えるだろう。

 これに対し、ES細胞その他の幹細胞から、神経細胞や皮膚細胞などの各種の細胞を分化させる技術は進歩してきている。ES細胞からは、インシュリンを産生する細胞、心筋細胞、神経細胞、筋肉細胞などがすでに生まれている。昨年6月20日の本欄では、アメリカでマウスの脳にある成人幹細胞から神経細胞を分化させたことを報告した。また、8月29日の本欄では、埼玉医大が患者本人の骨髄中の幹細胞を使って心筋梗塞の治療に成功したことと、既存のES細胞から患者に合致する多種の細胞を効率よく分化させる方法が開発されたことを書いた。また、今年4月6日の本欄では、ドイツの研究グループが、マウスの精原細胞からES細胞に似た多分化能のある幹細胞を作成したというニュースを報告した。さらに6月6日には、人間のES細胞から効率よく神経細胞を作り出す技術を、理化学研究所と京都府立医科大学の研究グループが開発したと伝えた。
 
 ところで、7月7日付の『Science』(vol.313, p.27)には、今年6月29日から7月1日までカナダのトロントで行われた第4回国際幹細胞研究協会(International Society for Stem Cell Research)の年次会議で、京都大学の山中伸弥教授が、マウスの皮膚細胞の4つの遺伝子を操作することで、ES細胞に酷似した状態を実現することができると発表した、と書いてある。これが事実ならば、驚くべきことだ。もちろん、人間の細胞がマウスと同じように操作できるとは限らないが、人で同じことができるようになれば、事態は一変する。なぜなら、ES細胞(に等しい細胞)を入手するためには、もはや卵子はいらず、成人幹細胞もいらず、普通の皮膚細胞があればいいからだ。こうなれば、治療目的のクローニング--つまり、ヒトクローン胚の研究--は全く不要となるのではないか。
 
 6月20日の本欄では、文部科学省の専門家作業部会が決定したヒトクローン胚研究の指針案の内容について報告したが、この指針案が厳しすぎるとして体細胞クローンからES細胞を作る研究を断念する研究者も出てきている。京都大学再生医科学研究所の中辻憲夫所長は、日本でのES細胞研究の第一人者だが、7月14日の『京都新聞』によると、ヒトクローン胚を使った再生医療研究には、研究グループとして当面取り組まないことを、13日に明らかにした。中辻所長は山中教授と同じ京都大学で、研究分野も同じだから、ひょっとしたら別の方法に注目し、クローニングの研究自体には見切りをつけたのかもしれない。
 
谷口 雅宣

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2006年7月 2日

海と陸の環境技術

 早くも7月に入った。2006年、平成18年が「半分過ぎ去った」と考えると何となくソワソワした気分になるが、「まだ180日、4320時間ある」と考えると、いろいろな計画を立てる気分にもなるから不思議なものだ。佐賀市で行われた生長の家講習会を終えて、福岡空港へ向う車中でこれを書いているが、昨今の報道の中に、環境技術の進歩が感じられるのはうれしい。

 火力発電所は、今や地球温暖化の“元凶”のように見られているが、ここから出る廃棄物の利用によって二酸化炭素(CO2)の排出削減ができるらしい。ただし、石油ではなく、石炭を燃やした場合だ。その石炭の灰を加工してブロックを造り、それを海底に積み上げて“人工海底山脈”を建設したところ、魚が殖え、プランクトンも増殖して海底へのCO2の固定量が大幅に増加したそうだ。6月29日の『朝日新聞』夕刊が伝えている。この人工構造物は、高さ12メートル、幅60メートル、長さ120メートルだから、“山脈”と呼ぶのはいかにも大袈裟だが、国と長崎県と企業とが共同して2000年、同県平戸市の生月(いきづき)島沖5キロの海底に8億9千万円をかけて建設したもの。

 同紙によると、CO2固定のメカニズムは次のようなものだ。海流が“山脈”にぶつかると海底の栄養分を海面方向に押し上げるので、海面近くでは植物性プランクトンが発生する。すると、それを食べる動物性プランクトンや魚介類がそこへ集まり、建設後3年で周辺のアジやサバの漁獲量が上がったという。また、海面近くの植物性プランクトンは、光合成によって体内にCO2を取り込み、それを食する動物性プランクトンや魚介類は、糞や死骸の形でCO2を海底に沈める。それらは対馬海流によって水深800~1000メートルの日本海北部へ運ばれるので、数百年は表層にもどることはないのだという。この“海底山脈”の建設は当初、漁獲量の向上を目的としたものだったそうだが、CO2固定の機能が判明したことで、維持費のかからない半永久的温暖化防止策法として有望視されている。  

 また今日(7月2日)の『佐賀新聞』には、日立造船と姫路市のベンチャー企業「C.P.R」が、東南アジアなどで食されているキャッサバを使った生分解性プラスチックの生産計画を発表した、と書いてあった。生分解性プラスチックについては本欄でも何回か(最近では5月24日6月9日に)書いたが、1つの問題は、石油を原料としたプラスチックよりも製造コストが高いことだった。それは、トウモロコシを原料としているためだが、その代りにキャッサバを原料に使えば値段は半分ほどになることが分かったという。発表された計画では、キャッサバの生産はベトナムで行ない、2008年から年間3000~5000トンのプラスチック素材を製造、翌年には10万トンを目指すという。

 生分解プラスチックは、土中で腐るために処理費が少なくてすみ、また処理時にCO2を排出しない--つまり、原料の植物の成長過程で吸収したCO2を大気中にもどすだけ--と考えられている。だから、もっともっと盛んに利用されるべきなのだが、日常生活の場でお目にかかることはまだまだ少ない。この使用を飛躍的に増加させるには、従来の石油を使ったプラスチックの値段が上がることが必要だ。現状では、石油の値上がりによってそれが徐々に実現しつつあるのだが、速度が遅すぎる。だから、私は「炭素税」や「環境税」の早期導入を待ち望むのである。

谷口 雅宣

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2006年6月26日

山林からアルコールができる

 6月12日13日の本欄で日米のバイオエタノールの生産計画について触れ、サトウキビから作る日本の方式に「65点」をつける一方、トウモロコシのほか木屑や雑草を使うアメリカの方式を「有望」と持ち上げた。日本の計画が消極的なのに対し、アメリカの積極性が対照的だったからだ。しかし、日米に共通の問題点がある。それは「農産物から燃料を作る」という考え方だ。同じ農地を人間と機械(自動車)が競争して奪い合う方式は、有限な資源の有効活用とは言えず、貧富の差の大きい社会では“搾取”の問題も生じるだろう。「車や機械を動かすために食糧を使う」ことになるからだ。
 
 6月24日の『朝日新聞』で発言している農林中金総合研究所の阮蔚(ルアンウェイ)主任研究員によると、アメリカでは2005穀物年度に全国生産量の14%に当る4060万トンのトウモロコシが、エタノール生産のために使われたという。同国で稼働中の101箇所のエタノール工場に建設中の33箇所を加えると、生産能力は69億ガロンに達し、これに必要なトウモロコシは全国生産量の23%、6300万トンにもなる。これだけの量の食糧を人から車に回すことには、倫理的な問題が生じる場合もあるだろう。因みに同研究員によると、日本は米国産トウモロコシの最大の輸入国で、国内需要の94%、年間約1600万トンをアメリカに頼っている。アメリカのエタノール生産が増えれば、日本へのトウモロコシ輸出が減るという関係が充分成り立つのである。
 
 この「食糧との競合」の問題を解決するためには、アメリカが木屑や雑草から燃料を作ろうとしているように、農地以外で育つ植物から燃料を作るのがいい。また、トウモロコシやサトウキビでも、食糧にしない部分から燃料を生産する方法が有望である。実際、アメリカのデュポンと英国BPは、共同でサトウキビの茎からバイオ燃料を開発・製造する方針を発表しており(6月21日『日経』夕刊)、シェルは、カナダのイノゲン社の技術を使い、トウモロコシの茎などを燃料に転換して、自社向けに燃料を調達する計画があるという(6月24日同紙)。
 
 日本のバイオ燃料は、今のところ沖縄産のサトウキビだけというのでは、何とも寂しい。日本は国土の大部分が山地である点を考慮すると、農産物から燃料を採るよりは、森林そのものを維持しながらバイオ燃料として利用する方法が有望ではないだろうか。それに目をつけて、昨年6月、三井造船は木屑からエタノールを製造する実験工場をすでに稼動させた。場所は、国内有数の林産資源生産地として知られる岡山県北部(真庭地区)で、真庭市の未利用林産資源を原料としてエタノールを生産している。6月25日の『日経』によると、この工場ではヒノキの木屑を硫酸で処理したものを、酵素で分解し、それを発酵させてアルコールに変えるという。乾燥時の重量で1トンの木屑が、4日間で230キロのエタノールに変わるので、それをガソリンに混ぜて自動車を走らせているらしい。

 同社のプレスリリース(5月9日)によると、木材から燃料用エタノールを製造するには、①粉砕、②前処理、③発酵、④回収の4工程が必要で、①で木材を粉砕して選別し、②で木材に含まれるセルロースなどを希硫酸で分解し、さらに酵素で分解して糖分に変え、③で糖分を発酵させ、④で蒸留等により高濃度エタノールを回収する。同社では、木質材料の前処理・糖化条件と発酵条件の最適化に向けて、現在検証を進めているという。
 
 5月13日の本欄では、イネの籾殻からバイオエタノールを製造する技術を紹介したが、このような技術がどんどん開発され、農地や山林からエタノールが生産できるようになれば、林業の再生、地方の復権は決して夢ではないし、それを行うことが温暖化防止、エネルギー自給、食糧安保をもにらんだ“一石三鳥”の中長期的国家戦略になると思うのだが……。
 
谷口 雅宣

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2006年6月25日

GM、来年にも充電式ハイブリッド車?

 2台目の蓄電池を積んだ“本命”の充電式ハイブリッド車を、GMが出すらしい。今日(6月24~25日)付の『ヘラルド・トリビューン』紙はロサンゼルス発のブルーンバーグ・ニュースの記事を再掲して、「GMの本計画に詳しい複数の役員」の情報として、同社が「普通の電源から充電できるハイブリッド電気自動車を開発中である」と報じた。CNNは、23日付のニューヨーク発の経済記事で、GMは外部充電のできる新方式の車を「検討中」だと伝えている。また、GMのブライアン・コルベット氏(Brian Corbett)は、CNNの取材に対し、自社の製品計画については発言しないとしたうえで、「将来に向けて検討する対象として、外部充電式ハイブリッド車がわが社のレーダー画面上にあることは明白だ」と言っている。
 
 CNNによると、GMは1996年以来、限定的に「EV1」という電気自動車を販売してきたが、2000年までにわずか411台を売って、生産を打ち切った。この車種の不評の原因の1つは、外部から充電するための特別のメカニズムにあった(コルベット氏)といい、今後は、誰でも標準的な電源から充電できるようにすることが商業化には欠かせないとしている。コルベット氏は、「現在のハイブリッド車はガソリン車とまったく同じ使い方ができるが、外部充電式ハイブリッド車は、消費者の日常行動を変えることになるから、できるだけ操作を簡略化しなければならない」としている。

 6月14日の本欄で、期待の“充電式ハイブリッド車”の構想をトヨタが発表したことを書いたが、その際、同社の構想が当初の「2台目の蓄電池を積む」という方式ではなく、制動時に充電する現在の複雑な方式をやめて、外部電源から直接充電する単純な方式に変更することで、「ヴィッツ」級の小型車もハイブリッド化するらしい、と推測した。この推測が当っているかどうか不明だが、今回のGMの動きによって、トヨタが計画を変更する可能性もある。

 GMはすでに、シボレー・シルベラードやGMCシエラなどにハイブリッド方式を採用しており、この秋にはSUVのサターン・ヴューのハイブリッド版を出す予定という。『トリビューン』紙の記事には、GMの次世代ハイブリッド車は「100キロ走るのにガソリンが3.92リットル」と書いてあるから、日本式の表現になおすと1リットル当たり25~26キロの燃費となる。現在、私が公用で乗るプリウスの実際の燃費がリットル当たり20キロ前後だから、それより若干いい。そのぐらいのシステムならば、来年初頭のデトロイトでの発表に間に合うかもしれない。つまりGMは、現在のシステムを若干改良した程度のものに2台目の蓄電池を加えたシステムを、来年1月に発表するかもしれない。しかし、これはあくまでもプロトタイプの発表で、市販車登場まではあと1~2年かかるだろう。

 まぁ、いろいろ勝手な憶測をしたが、要するに、私はトヨタでもGMでも、早く次世代ハイブリッド車を発売してほしいのである。自宅の電源からマイカーに充電できるようになれば、自前の発電機を設置するメリットが飛躍的に上がり、自然エネルギーを利用した分散型エネルギー社会が到来する時期が早まる。そしてもちろん、二酸化炭素の大幅な排出抑制へと向うだろう。
 
谷口 雅宣

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2006年6月20日

人間のクローン胚研究へ道

 ES(胚性)細胞の研究は、韓国のファン・ウー・ソク元教授による研究データ捏造事件の影響でこのところ下火になっていたが、日本では行政がその“後押し”に動き出した。文部科学省は今日(20日)、専門家作業部会を開いて、人間のクローン胚を作成する研究の“解禁”に向けた指針案をまとめた。これまでの指針は、人のクローン胚は“クローン人間”作成につながるとして研究を禁じていたが、韓国の事件の教訓を取り入れて厳しい条件を付けたうえで、不妊治療などで不要となった卵子を使うES細胞作成に道を開こうとしている。『日本経済新聞』が夕刊で報じた。

「クローン胚」とは、特定の人間の遺伝子情報をもった胚(胎児の初期のもの)のことである。現在の主流的な方法では、これを作成するには、ある人の体細胞(皮膚の細胞など)の細胞核を抜き取り、卵子から核を除いたものの中にそれを注入し、電気ショックなどを与えて両者を融合させる。これによって、融合した細胞は稀に分裂を始めるが、それが「胚盤胞」と呼ばれる段階にまで達したものを「クローン胚」と呼ぶ。この特殊な胚の中身を取り出したものが「ES細胞」だ。クローン胚を壊さずに女性の胎内に移植し、そこで成長が始まれば“クローン人間”が誕生すると考えられている。

 6月6日の本欄では、理化学研究所などがES細胞から効率よく神経細胞を取り出す技術を開発したことを書いたが、クローン胚の研究は、卵子を使ってES細胞を作成するためのものだ。「体細胞+卵子 → クローン胚 → ES細胞 → 神経細胞」という技術が完成すれば、アルツハイマー病やパーキンソン病などの脳神経系の病気の治療に画期的な進歩をもたらす、と考えられている。しかし、その一方で、上記の韓国の事件にあったように、成果を急ぐあまり、大量の卵子提供を受けたり、それに対して金銭的対価が支払われたり、研究データが捏造されたりした。今回の指針案では、卵子の入手方法に厳しい条件をつけながら、これまで禁止されてきた人のクローン胚作成への道を開き、ES細胞研究にはずみをつけようとするものだ。
 
『日経』の記事によると、その条件とは、①卵子提供の場にはコーディネーター(相談役)を置くこと、②ボランティアからの卵子提供の禁止、③研究チームに所属する女性や研究者の家族などからの卵子提供の禁止、④サルのクローン胚作成に成功している場合、⑤サルのクローン胚からES細胞を作成した経験が豊富な場合、など。ES細胞の研究促進を求める立場の人々からは「条件が厳しすぎる」との批判があるようだが、医療目的のために、他人の生殖細胞の操作や改変を行うことは、倫理的にあまり好ましいとは言えない。宗教的な観点から言えば、拙著『今こそ自然から学ぼう』(2002年、生長の家刊)で述べたように、クローン胚は、肉体製造装置としての能力を発揮しはじめた時点から「霊魂」の関与が始まったと見られるから、「それ自身が生きる」という生命本来の目的以外の目的で、他人が利用するのは間違いである。(詳しくは、同書pp.266-274参照)
 
 同書にも書いたように、私は再生医療の研究にすべて反対しているのではなく、「倫理的、宗教的に問題の多い方法」に反対しているのだ。今は、患者本人の体内にある「成人幹細胞」を利用することで、遺伝子の操作をせずに、他人の心身を傷つけることもなく、各種の細胞が再生できることが分かってきている。技術はまだ発展途上にあるが、ES細胞の研究にしても、同様に発展途上にある。3月9日の『日経』(夕刊)は、この分野での研究成果を伝えていて、関西医科大では臍帯(さいたい)血--ヘソの緒の中の血液--中の細胞でマウスの網膜の一部を再生させており、理化学研究所や名古屋大学などが参加する厚生労働省研究班は、驚くことに「尿」の中の細胞を腎臓の一部に変化させることに成功している。

 ES細胞の研究ではなく、このような研究に人材と資金とを集中させる方が、生命の犠牲が少なく、かつ社会の反対も少なく、さらに“倫理的社会”の成立に貢献することになるのではないか。

谷口 雅宣

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2006年6月14日

トヨタの“新世代ハイブリッド車”構想

 トヨタがついに「充電式ハイブリッド車」の構想を発表したようだ。また、バイオエタノール100%のエコカー(E100)を2007年春にブラジルで発売すると宣言した。前者は遅きに失した感があるが、後者の早さには驚いた。多分、ホンダが先行して、今年9月にE100の発売を発表したことに対抗したのだろう。いずれにせよ、自動車産業で地球温暖化防止の動きが本格化してきたことを意味するので、大いに歓迎したい。今日付の新聞各紙が伝えている。

 私が注目するのは、「充電式ハイブリッド車」の方だ。というのは、本欄でも何回か書いたように、こちらの方が自然エネルギーとの組み合わせで発展性があるからである。トヨタのプレスリリースでは「プラグインハイブリッドカー(plug-in hybrid car)」という名前がつけられ、注釈として「外部充電や電力供給が可能なハイブリッドカー」と書かれている。さらに「外部の電源からの充電ができ、バッテリー電源によるモーターでの走行領域の拡大を可能とし、CO2削減と大気汚染防止効果が期待できる新世代自動車」という説明が付されている。
 
 2月3日の本欄でこの“新世代ハイブリッド車”の構想に触れたとき、ホワイトハウスのウェッブサイトに掲示された次のような文章を紹介した(拙訳):

[より効率的な車の開発]現在走っているハイブリッド車は、エネルギー省で開発された電池を使っています。大統領の計画により、ハイブリッド車と充電式ハイブリッド車のために次世代の電池技術の研究が加速されるでしょう。現在のハイブリッド車では、搭載した電池への充電はガソリンエンジンからしかできません。充電式のハイブリッド車は、電気でもガソリンでも走れ、夜間に家庭の電源に差し込んで充電することもできます。この型の車ができれば、都会の通勤時にはガソリンほとんど不要になります。高度な電池技術は、短期間に石油の消費を相当に減らす可能性を秘めています。
 
 読者に気づいてもらいたいのは、ホワイトハウスの発表が先で、トヨタ自身の発表が4ヵ月半も後ということだ。これが何を意味しているのか、私は考え込んでしまう。トヨタという会社は、すでに“日本の企業”という枠組みを超えて、世界一の超大国の政策決定に関与するほどになっている。また、1月31日の本欄に書いたように、今年1月に発売された環境活動家のレスター・ブラウン氏(Lester R. Brown)の新刊にも、この車のことが書いてあることを思えば、世界の環境政策を引っ張っているのは、少数のトップクラスの人間だということが分かる。

 ところで、トヨタのプレスリリースでは明らかでないことが1つある。それは、「外部充電」をするための蓄電池が、当初のブラウン氏の構想のように「2台目」の電池であるのかないのか、である。この点について、『朝日新聞』の記事はこう書いている--「従来型は、減速する時に余ったエネルギーを電気に変えて充電する仕組み。そのための部品は大きく、システムも複雑で原価も高くついていたため、小型車には搭載していなかった。新型HVでは自己充電はせず家庭で充電するため、これまでの複雑なシステムは不要で、軽量化できる」。もし、これが事実だとすると、トヨタの考えはブラウン氏の構想とはやや異なることになる。つまり、蓄電池は1台に限定し、その性能を上げることで電気自動車としての走行距離を10キロ程度(現在は2キロ)まで延ばすという戦略だ。

 また、これによって小型車のハイブリッド化が可能となるため、中国やインド市場での需要も見込んでいるに違いない。レスポンスの記事によると、「トヨタは、ハイブリッド車の年間販売台数を2010年代の早期に100万台に拡大させる方針であり、モデル数の倍増もその時期までに実現を図る。今後の車種展開では『ヴィッツ』級のコンパクトカーなども含まれる見通し」とあるが、これも「2台目」の蓄電池は搭載しないことを意味しているのだろう。自然エネルギーとの組み合わせは、しばらく“足踏み”することになるのかもしれない。

谷口 雅宣

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2006年6月13日

米のバイオエタノールは有望

 前回の本欄で、「バイオエタノールの利用は温暖化防止策としては決定的ではなく、“中継ぎ”的な意味しかない」と書いたが、これは日本のように山がちで人口密度の高い国でのことであり、また途上国に温室効果ガスの削減義務が課せられていない現行制度の下でのことである。アメリカのように広大な土地をもち、農産物の自給ができるだけでなく、“雑草”や潅木の生える草原が延々と続いているところでは、また別の話がある。

 2月2日の本欄でブッシュ大統領の一般教書演説に触れたとき、その中に次のような一節があったのを覚えているだろうか--「トウモロコシからだけでなく、木屑や雑草などからもエタノールを作れる革新的な技術研究を進め、2025年までに中東から輸入される石油の75%を代替できるようにしたい」

 この文章で重要なのは「木屑や雑草」という言葉である。これは「そのへんに生えている潅木や草」という意味だ。とても野心的な数字に驚かされるではないか。が、大統領はできないことをできるように言ったのではないようだ。アメリカの科学誌『Science』の6月2日号(vol 312, p.1277)にスタンフォード大学の植物細胞学・分子生物学者のクリス・ソマヴィル博士(Chris Somerville)が、この数字の“謎解き”をしてくれた。

 同博士は、「化石燃料と競争できるコストで交通用燃料として利用できるのは、光合成によって蓄えられたバイオマス・エネルギーしかない」と断言する。ブラジルは現在、陸上交通に使う燃料の四分の一を、サトウキビから採ったバイオエタノールでまかなっている。アメリカでは、約90箇所の精製所で、トウモロコシを原料としたバイオエタノールを毎年45億ガロン(1,710 kl)ほど生産している。これを2012年までに75億ガロン(2,850 kl)にまで増やす計画である。現在のアメリカは、毎年1400億ガロン(53,200 kl)の燃料を陸上交通に使っている。最近、エネルギー省が発表した計画では、このうち30%をエタノールに転換するそうだが、これだと約600億ガロン(22,800 kl)のエタノールが毎年必要になる。これは相当な量だと言わねばならない。
 
 ところが、最近出たエネルギー省の試算では、アメリカは現在の農地を全く使わずに、国全体で毎年13億トンのバイオマスを生産できるそうだ。ソマヴィル博士によると、1トンの植物性バイオマスから、理論的には約100ガロン(380 l)のエタノールが生産できるため、アメリカ全体では、毎年1300億ガロン(49,400 kl)のエタノールを持続可能なやり方で生産できる計算になるのだという。つまり、現在陸上交通に使っている燃料の約93%は、バイオエタノールに置き換えることができることになる。これに加えて、ハイブリッド車の普及で車の燃費が倍に伸び、さらに風力発電設備が飛躍的に増設されれば、アメリカは現在の陸上交通用燃料のすべてと、航空燃料用の相当部分をバイオマスによって自給することができるかもしれないのだ。そして、温室効果ガスの排出量は劇的に減少するのである。
 
 何か夢のような話だが、問題は「理論的にこうなる」ではなく、「実際にどう実現するか」という政策の立案である。日本の場合も、現在の国内のエネルギー需要のすべてを太陽光発電でまかなう場合、太陽光発電パネルの大きさは(理論的には)「四国の三分の一」という計算がある。これはもう7年前の試算(桑野幸徳著『新・太陽電池を使いこなす』p.148)で、その後、太陽光発電の効率はずいぶん向上している。だから、今は右顧左眄をやめて、真っ直ぐに前を見た政策立案と実践の時期なのだ。

谷口 雅宣

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2006年6月 6日

ES細胞から神経を効率よく得る

 韓国での研究データ捏造事件で一時退潮ぎみだったES(胚性幹)細胞の研究で、大きな進展があったようだ。「ようだ」と推量形で書くのは、韓国での事件も、当初は“鳴り物入り”で大成果であるかのような発表があったので、私としても注意深くならざるを得ないからだ。人間のES細胞から効率よく神経細胞を作り出す技術を、理化学研究所と京都府立医科大学の研究グループが開発したらしい。6月6日付の新聞各紙が伝えている。
 
 韓国で問題になった研究は、若者から高齢者にいたるまでの「特定の人間の遺伝子を組み込んだES細胞を効率よく作成した」ということだった。しかし、この発表はデタラメで、ES細胞の作成は依然として極めて効率が悪く、したがって多くの卵子や受精卵を犠牲にする点で倫理的にも問題が多い技術であることに変わりない。今回の研究は、すでに存在するES細胞から神経細胞を作成する技術の向上である。私はES細胞の利用には反対の立場だから、この進歩を「人類への朗報」とかアルツハイマー病やパーキンソン病などの「治療法の確実な進歩」などとは言えない。しかし、卵子や受精卵を犠牲にすることをあまり問題にしない人々の口からは、そういう誉め言葉が発せられるかもしれない。
 
 4月6日の本欄では、ドイツの研究グループが、マウスの精原細胞からES細胞に似た多分化能のある幹細胞を作成することに成功したというニュースを報告したが、私としてはこちらの研究の人間への応用の方が、倫理的にはまだ優れていると思う。
 
 人間のES細胞から神経や心筋、皮膚等の種々の細胞を分化させるためには、従来はネズミの骨髄由来の細胞の上に人間のES細胞を載せて培養することが行われていたらしいが、これだと異種細胞間に感染の問題があった。が、今回の研究では、人間の羊膜(胎児を包む膜)の上に載せて培養することで、この問題をクリアし、そこから9割以上の確率(従来は約6割)で神経細胞のもととなる神経幹細胞を育てることに成功したという。また、この神経幹細胞をさらに培養することで、ドーパミンという物質を作る特殊な神経細胞や、運動神経細胞などの作成にも成功したらしい。パーキンソン病は、このドーパミンが失われることで起こるから、研究グループは、この研究で作った神経細胞を、まずパーキンソン病のサルに移植して治療の実験を進める計画という。

 ES細胞を含む「ヒト胚」の研究や利用をめぐっては、「人間の尊厳」と「人間の幸福」という2つの価値が天秤にかけられる、と東京大学の島薗進教授は指摘している。「人間の尊厳」とは、人間の存在を何かの目的の手段とはしないとする価値で、奴隷制度や人体実験、強制労働などはこの価値を犯すと考えられる。普通は、ある人の幸福のために他人の尊厳を犯すことは許されない。しかし、この「他人」が胎児や受精卵、あるいは卵子である場合には、一部(例えば妊娠中絶)でこれが許されてきた事実がある。今回の研究でも、ES細胞の作成の過程でそれが行われている。

 もう1つの問題は、世代間倫理の側面にある。普通、親は自分を犠牲にしてでも子の幸福を望む。社会全体で考えてみても、親世代は自分たち以上の富や環境を子世代や孫世代に残そうとして努力する。これが普遍的な世代間倫理であるとするならば、ES細胞の研究や利用は価値観がまったく逆転している。なぜなら、この技術は親世代の幸福のために、子世代として生まれてくるはずの生命を抹殺するからだ。そうすることが「親世代の幸福」だと考えること自体、はたして倫理的と言えるかどうか疑わしい。私は、そういう社会を作ることに反対しているのである。

谷口 雅宣

【参考文献】
○島薗進著『いのちの始まりの生命倫理--受精卵・クローン胚の作成・利用は認められるか』(2006年、春秋社刊)

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