2011年6月 9日

“魔法の電球”を買う

 今日は休日を利用して、パスポートの更新のために妻と新宿の都庁ビルまで足を運んだ。昨年の7月に有効期限が切れていたのに気づかなかったのを、今夏、ドイツで行われる国際教修会に間に合わせるためである。夏休み前なので混雑を覚悟して、早めに家を出て地下鉄の駅で顔写真の撮影をすませ、新宿駅で朝食をとり、朝9時の開場前に都の旅券課へ行った。幸い先着は2人しかおらず手続きも簡単にすんだおかげで、午前の時間がポカッと空いた。

Magicbulb1  そこで、普段したくてもできなかったことができた。東急ハンズで“魔法の電球”を見つけて購入したのだ。これは、簡単に言えば「充電式LED電球」である。何が“魔法”かと言えば、ソケットから外しても点灯するからだろう。これは以前、新聞記事で見て知っていたのだが、渋谷の量販店では扱っておらず、ネット経由でしか入手できないと思い、購入をためらっていたのだ。LED電球は安くないので、実物を見て決めたいからだ。が、新宿のハンズ5階に“山積み”されていた。今夏の電力不足を乗り切る手段として売れているに違いない。

 私がこれを求めたのも、似たような理由だ。以前に本欄に書いたようMagicbulb2 に、私は自宅にある太陽光発電装置を利用して、パソコンの使用を“炭素ゼロ”にすることをほぼ達成している。が、さらなるCO2の排出削減をしたいと考えていたので、充電式LED電球の登場はありがたい。この製品が魅力的なのは、普段はLED電球として省エネ効果を発揮するだけでなく、いざ停電という時に懐中電灯に早変わりするからだ。その際、電球本体と螺旋状のソケット接続部との間が伸びて、手で握りやすくなる。わが家では、停電時に備えてロウソクを何本かそろえているが、それ以外は4月27日の本欄で紹介した蓄電池を利用しようと思っていた。しかし、蓄電池を常に満タンにしておく手間は、案外ばかにならない。その点この電球は、普段の使用中に充電しているから、非常時にすぐ使えるし、余分なスペースを必要としない。

この製品は、「Magic Bulb」(MB4W-A)という商品名の充電式バッテリー内蔵のLED電球で、普通の白熱電球でいえば40Wの明るさがある。添付された説明書によると、明るさは240lm、充電時間は4~5時間、自家発光時間は平均で3時間という。東急ハンズ新宿店での価格は、3,900円で1年間の保証書もついている。ただし、不良品の交換の際は「パッケージ類をすべて残してあれば」などの条件がついている。輸入販売元は東京・千代田区にある「ラブロス」という会社で、本体に「made in PRC」と書いてあるから中国製のようだ。「PRC」とは People's Republic of China の略である。

 谷口 雅宣

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2011年5月30日

三段階で技術社会を考える

 イギリスの科学誌『New Scientist』の5月14日号(vol.210, No.2812)に、原子力発電所の事故に関する興味ある考察が掲載されていた。米アリゾナ州立大学工学部のブレーデン・アレンビー教授(Braden R. Allenby)とダニエル・サレウィッツ教授(Daniel Sarewitz)によるもので、「今、我々が住む世界は技術的、社会的にあまりにも複雑化しているので、それらを生み出した近代啓蒙主義的な考え方は、我々の行動指標とするには危険な場合が出てきている」というのである。両教授の論旨を述べよう--
 
 例えば、今回の大地震と福島第一原発の事故をめぐっては、人々は相容れない2つの考えに分かれがちだという。1つは、「これによって原子力発電が抱える異常なほどの危険性が明らかになったから、原子力発電はやめるべきだ」とするもの。もう1つは、「これによって原発の新しい安全設計が進むのだから、地球環境のために、また人類のエネルギー需要に応えるために原発の利用を推進しなければならない」というものだ。しかし、両教授に言わせれば、これらの考えには一貫性がなく、理解困難であり、今日の複雑な技術社会をめぐる決定の指針には全くならないというのである。こういう問題が起こる原因は、それぞれの論者が技術的複雑さのレベルの違いに気づかずに、人間の理性的行動の限界について混乱を来しているからだという。
 
 第一段階では、原発は、人間の造ったシステムとしては、一定の電力を極めて安定的に供給することができる優れもの言える。この場合、原子力発電の技術はシステムの機能として捉えられる。
 
 第二段階では、1つの技術を複雑なネットワークの一部として捉えなければならない。例えば、原子炉は、それを抱える一回り大きな社会というシステムがもつ送電網に連結されていて、人々の生活の安定はこれに依存している。さらに、この送電網自体も、別の複雑なネットワーク--例えば、自動車産業など製造業のネットワーク、運輸や交通のネットワーク、また情報ネットワークにつながっている。
 
 第三段階では、複雑さはさらに拡大し、人間によるものはもちろん、それ以外の自然界にある可変的で、適応的な関係も含むことになるから、我々が正確に理解し、予測できる範囲を超えてしまう。原子力利用の問題は、この段階に至ると、地殻プレートの動きや、人間の文化や社会的変化の力ーー気候変動への恐怖、生活レベル向上の要求など--と組み合わさっている。
 
 科学技術の問題をこのような三段階に分けて捉えてみると、我々の周囲で行われている議論の中心は第一段階の問題であり、副次的に第二段階の問題が議論されていることが分かる。人間は主としてこの2つのレベルにおいて、物や技術を造り、それらを理解し、利用した結果を経験する。我々はこれらの二段階のレベルで、技術の実行可能性や好ましさ、危険度などを評価する。その限りにおいて、問題の複雑さに呑み込まれてしまうことはない。
 
 しかし、第三段階の問題は、これら2つのレベルの問題と同等に「リアル」であることを忘れてはいけない。にもかかわらず、人間はこのレベルの問題に突き当たると、とかく「想定外」だと考えるのである。しかし、これはまさに“人間が生んだ地球”(anthropogenic Earth)の問題であり、技術革新を重ねながら人間社会が生み出した必然的結果として今、我々の目の前にある。だから、我々がこの“人間が生んだ世界”の中で倫理的に、理性的に、そして責任をもって生きるためには、次の基本的な“認知の不協和”を受け入れなければならない。すなわち我々は、自らが最も信頼するものを、最も強く疑わねばならないのだ。
 
 --なかなか強烈な論旨であると思う。が、これと同様のことは、現代の科学技術が抱える問題として、私がこれまで『神を演じる前に』(2001年)や『今こそ自然から学ぼう』(2002年)などの中で何度も訴えてきたことだ。そのことを、日本の原発事故を契機として、海外の科学者が科学誌の中で指摘するようになったことに、私は何か複雑な気持を覚えるのである。
 
 谷口 雅宣
 

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2011年3月19日

原子力発電について

 好天に恵まれた今日の午後、ジョギングに出かけた。前日は全国的にとても冷え込んだが、今朝の予報では東京地方の最高気温が17~19℃になるという話だったから、春の心地よさを味わうことができると思ったのだ。確かに心地はよかった。ジョギングコースである明治神宮外苑には、私以外にも、カラフルなトレーナー姿の多くのジョガ-たちが軽快に走っていた。風もなく、太陽の光はやさしく肌を温め、鳥たちはさえずりながら無邪気に木々の間を飛んでいる。しかし、その心地よさに私は考え込んでしまった。
 
 静かな土曜日の心地よい東京から東北へ約225キロのところでは、この東京都に大量の電気を送っていた原子力発電所が地震と津波で破壊され、人体に危険な強い放射線を吐き出している。その強烈な放射線漏れを制御しようと、大勢の専門家や技師、自衛隊員、警察官、消防官などが生命の危険を冒して努力している。また、放射線被曝の恐怖から逃れようと、ここからさほど遠くない東京武道館(足立区)と味の素スタジアム(調布市)には、原発のある福島県から避難してきた人が収容され、その数は18日午後7時現在、254人になり、さらに増え続けている。日本政府が問題の「原発から半径30キロの圏外は安全」と言うのが信じられずに、東京は安全だというので避難してきたのだろう。

 が、スリーマイル島の原発事故の経験があるアメリカでは、政府が事故現場から「半径80キロ圏内」に住む米国人に避難勧告を出した。また、日本政府よりそちらを信じた韓国、英国、オーストラリア、ニュージーランド、メキシコなどは、同様に自国民に半径80キロ圏外への避難を勧告した。東京さえ危険だと考える国もあり、イラク、バーレーン、アンゴラ、パナマ、クロアチア、コソボ、リベリア、レソトの8カ国は、外務省に対して正式に大使館の一時閉鎖を通告、ドイツやオーストリアなどは大使館の大阪移転を決断したという。これは恐らく“パニック反応”だろうが、それほど恐ろしいものを人類は造ってきたのだ。
 
 この“パニック反応”の背後は、日本政府への不信がある。テレビを見ていても、きちんとした情報を開示したうえで、責任ある立場の政治家が明確な価値判断をしているようには思えない。こんな時には大学教授や現場責任者に話をさせては、いけない。彼らは事後の自分の立場を考えて、できるだけ価値判断を避けて発言する。それは仕方がないことだ。こういう国家の危機の際には、政治家が全責任を負って国民を守るのでなければ、政治家である価値はない。「混乱を避ける」のが理由で情報を開示しないという態度は、ガン患者に告知をしないのと同じで、何の解決にもならない。患者は、医師や家族を疑いながら死んでいくことになる。

 事故現場から約45キロにある福島県三春町に住む作家で僧侶の玄侑宗久氏は、19日の『朝日新聞』にこう書いている--
 
「政府は屋内退避指示の範囲を変えていないが、本当にそれでいいのか。原発から30キロ圏外ならば、このままとどまっていても安全だという根拠は何なのか。いつまでとどまっていていいというのか。
 現場はとにかく情報が交錯している。原発近くにいる我々は、この国の指示を本当に信じていいのかどうかという、自問の渦中にある」。

 原子力発電を国家の基幹産業の一つとして採用したのであれば、その恩恵だけを喧伝するのではなく、リスクを十分に知り、それを国民に隠さずに知らせるべきである。政府の隠蔽体質は自民党時代からの遺産であるが、これは言葉を変えれば「国民不信」ということだ。今回の原発事故では、その国民不信が、逆に国民の政府不信を生んでいると言えるだろう。
 
 谷口 雅宣

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2011年2月18日

都会に本当の情報はない

 今日は午後から東京・原宿の生長の家本部会館ホールで、オークヴィレッジ代表の稲本正氏の講演があった。生長の家の役職員が地球環境問題などを学ぶ「環境教育研修会」に、稲本氏を講師としてお願いしたのだ。巧みな話術と博学な知識、気取らないユーモア、豊富な体験談……2時間の講演が少しも長く感じられない充実した時がもてた。その稲本氏の講演で最も印象に残ったのが、「都会に本当の情報はない」という話だった。これは一見、ウソのように感じられるが、よくよく考えてみると、我々の錯覚を実に端的に指摘した真理である。我々は、都会にこそ大切な情報があると考えがちだが、その「大切」という意味をよく考えずに使っている。そして、考えれば考えるほど、その「大切」の意味は分からなくなるはずだ。
 
 長く、複雑な要素が交じった稲本氏の話をあえてひと言で凝縮すれば、「人間は森なくして生きられない」ということだ。人間だけでなく、動物はみな森があって生きているのだが、特に人間は森から離れた生活が長すぎるため、この基本的な事実を忘れている。そして、それ以外の、生存にとっては枝葉末節的な知識--人間界の出来事の細部などを“大切な情報”だと思っているのだ。森の大切さの詳しい説明は、稲本氏の著書を読めばよく分かる。が、ここでごく基本的で重要なことを挙げれば、我々は呼吸しなければ生きられないということ。酸素がないと生きられないということだ。その酸素を製造するのが「森」で、このほかに地球上に“酸素製造装置”はない。酸素の次に人間に必要なのは「水」であり、人の飲料水のほとんどを「森」が製造し、保管している。また、人間は食物を摂取しなければ生きられないが、この食物の基本も「森」だ。
 
 我々の「食物と森」の関係は、ときどき「食物連鎖」という言葉で表現される。つまり、植物が水と太陽光から光合成で炭素を作って蓄え、これを動物が体内に摂取して生存し、人間はこの植物と動物を摂取して生きながらえる、ということだ。ときどき生命の根源は「海」だと言われることがあるが、これは間違いではないが、人間にとっては「森」の方が、より生存に密着している。なぜなら、人間は水生動物ではないからだ。また、海の生物の多くは、川を通って森から流れてくる栄養素や微生物の恩恵を得ている。だから、森が減れば海中の生物も減少する。ということは、人間にとって本当に大切な情報とは、「森に関する」情報なのである。

 では、我々はどれだけ多く「森」について知ってるだろうか? 日本の森に今生えている木は何であり、どんな外観をし、どんな葉をもち、どんな性質があり、どんな用途があり、どんな花を咲かせ、どんな動物を養い、どんな宿木や下草を生やし、どんなキノコと共生するのか。また、そういう木の生える森は、時間の経過とともにどんな植生に変化するのか……これらの情報を、頭の中の知識としてだけでなく、目で見て、鼻で匂って、手で触れて、口で味わって体験しているかどうか……と聞かれると、私にはまったく自信がない。恐らく多くの読者も、同じ感想ではないだろうか。そんな知識は中学・高校の教科書で読んだぐらいで、役に立たない知識だと思い、テストである程度の点が取れたら、その後は忘れてしまう。こうして我々は、森を忘れて都会に出て、都会での便利な、そして恐ろしくムダの多い生活に慣れ親しんでいるうちに、自分たちの都会生活によって世界中の森がどんどん減少していくことに、何の痛みも感じなくなってしまった。
 
 もちろん稲本氏はそこまでは言っていない。が、私はそう思う。この都市化の流れと消費生活の問題について、私はかつて小説『秘境』(2006年刊)を書きながら鮮明に感じていた。この小説では、都市化や消費生活だけでなく、現代文明そのものを知らない一人の少女を登場させることで、彼女の生活と、我々の都会生活とのどちらに価値があるかを問いかけたものだ。稲本氏の講演を聴いて、私はそのことを懐かしく思い出しながら帰宅したのだった。
 
 谷口 雅宣

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2010年11月26日

来年は“電子書籍元年”

 いよいよ日本語用の電子書籍端末が発売される。ソニーが25日、欧米などで販売していた携帯端末「リーダー」の日本語版を12月10日に販売開始すると発表しただけでなく、NECビッグローブも小型タブレット端末を12月6日発売すると発表したからだ。すでにアップル社の iPad や iPhone 、その他各社の多機能携帯端末でも電子書籍を読むことはできたが、それらで読めるタイトルの種類や数がきわめて限定されていた。しかし、今回の「リーダー」は、ソニーの欧米での電子書籍配信の経験を生かし、電子書籍を取り扱う配信サービス「リーダー・ストア」の開始と同時に発売される。NECビッグローブも、電子書籍を含むソフト配信サービスを同時立ち上げるから、日本語で読める電子書籍の種類と数が一気に増えることになる。この分野で先行していたアマゾン・ドット・コムは、電子書籍端末の「キンドル」をすでに日本語に対応させているから、あとは“中身”の電子書籍の提供をいつ開始するかを決めるだけだ。来年はいよいよ“電子書籍元年”の様相を呈してきた。

 私は9月19日の本欄で、自分が今使っているキンドルのサイズは「縦20cm、横13cm」とし、重さは「275g」と書いた。これは旧型のキンドルだが、新型のキンドルDXを今年2月に買った奈良教区の山中優氏は、サイズを「縦26.5cm、横18cm」、重さ「535g」と教えてくれた。26日付の『日本経済新聞』によると、これに対してソニーのリーダーは、文庫本ほどのサイズで「5型」と「6型」の2種類があり、重さは「155g」と「215g」というから、キンドルより1回り小さい。問題は文字の読みやすさだが、リーダーの文字サイズは6段階に変えられるし、キンドルと同じように「Eインク」によるモノクロ表示だから、多分、問題ないだろう。

 これに対して、NECの小型タブレットは、表示画面のサイズが「7インチ型」で重さが「370g」というから、リーダーより1回り大きく、キンドルよりは小さいと考えていいだろう。さらにケータイから進化した形で「ギャラクシー Tab」という多機能小型端末がNTTドコモから発売されており、シャープも「ガラパゴス」という多機能端末2種を12月に発売すると同時に配信サービスも開始する。こうしてユーザー側の選択肢がふえてきたことで、電子書籍用の端末は一気に普及するかもしれない。
 
 私はすでにキンドルを持っているので、“2台目”の購入には慎重にならざるをえない。ソニーとNECの仕様を比べてみると、両社とも先行するキンドルを強く意識しているのが分かる。つまり、キンドルと似た仕様にならないように注意している。この点、残念といえば残念である。なぜなら、私はキンドルがパソコンを使わずに本を入手できる点を、高く評価しているからだ。リーダーは、この通信機能を省き、パソコンでダウンロードした電子書籍をUSB経由で取り込む方式だ。NECの端末は通信機能付きだが、カラー表示の画面をもち、本のほかゲームやネット検索サービスも提供している。すでにパソコンと iPod touch をもっている私には、不要の仕様だ。価格は、リーダーが2万~2万5千円、NECの端末は4万2800円だ。この値段から考えると、今のところリーダーが私にはいちばん興味あるハードウエアである。
 
 ところで、ハードウエアについて生長の家が今何かを言っても仕方がないが、それに載せるソフト(コンテンツ)については言うべきこと、考えるべきことが多くあると思う。これまでの紙による本や雑誌は、「出版社 → 世界聖典普及協会 → 教化部」または「出版社 → 取次店 → 販売店」というルートで一般信徒の手に渡っていた。電子書籍は、このルートのうち2番目と3番目をまったく必要としないのである。さらには、著者が直接電子書籍を製作する場合は、私が本サイトで電子本を提供しているように、出版社も必要としないことになる。こういう革命的な流通ルートの変化に、生長の家も早急に対応していかなければならない。この対応で重要なのは、本部が“森の中のオフィス”へ移転した後の運動に即した形で行われることだ。本部や日本教文社など、関係各部門の創造力あふれる健闘に期待している。
 
 谷口 雅宣

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2010年10月 4日

iPS細胞と“神の子” (2)

 前回の本欄で書いたことの説明をしよう。
 
 iPS細胞の作製で分かった最も驚異的なこととは、人間の(そして、恐らくすべての多細胞生物の)体内には、最も原初的な“初期状態”にもどる能力のある細胞が多数存在するということである。それまでの研究では、もっとも原初的な“初期状態”にある細胞は、ES細胞(胚性幹細胞)だけだと思われていた。ES細胞とは、受精卵が分裂を始めて1週間から10日たった頃にできる「胚盤胞」と呼ばれる状態の時、その中核部に形成される細胞塊を取り出して増殖可能の状態にしたものである。「胚から取り出した幹細胞」という意味で、この名がある。この細胞の特徴は、身体を構成するどんな種類の細胞にも分化する能力があるという点だ。だから、このES細胞に化学的な刺激を与えて各種の組織や臓器を作製することで、難病の治療や再生医療に役立てようとする研究が行われている。
 
 しかし、ES細胞には大きな問題が2つある。1つは、それを得るためには受精卵を破壊しなければならないということ。もう1つは、それを治療に使うには、拒絶反応をなくすために免疫抑制剤を使わねばならず、これが患者の感染症への抵抗力を弱めるという点だ。この2つの問題点は、しかしiPS細胞にはないのだ。
 
 iPS細胞の「iPS」とは、「induced pluropotent stem cells」という英語の頭文字を取ったもので、日本語では「人工多能性幹細胞」と訳している。「induce」は、外から手を加えるという意味で、「pluropotent」の「pluro」は「plural(複数)」の省略形で、「potent」は「能力」とか「有能」という意味だから、「複数種の細胞に分化する能力がある」ということだ。「stem cells」は「幹細胞」である。
 
「幹細胞」の説明は本欄ですでに何回もしているが、重要な概念なので簡単に繰り返す。幹細胞の「幹」は、そこから枝や葉や花が伸びてくるように、いろいろな特徴をもった部分が分化して出てくるための「元」になる細胞という意味だ。例えば、私たちの皮膚の奥には「真皮」と呼ばれる部分があって、そこにある皮膚の幹細胞から、新しい表皮が作られる。指の爪の元には、爪を作る幹細胞がある。髪の毛にも、皮膚の組織中に埋まった部分に幹細胞があり、そこで新しい髪の毛の細胞が作られるため、髪は伸びるのである。このほか、神経組織を作る神経幹細胞、血液中の様々な細胞を作る造血幹細胞、骨の幹細胞など、たくさんの種類がある。しかし、ほとんどの幹細胞は、単一種か、多くても2~3種の細胞にしか分化できない。これに対して、ES細胞とiPS細胞は、身体のどんな組織や臓器の細胞にも分化する能力をもっていると言われているため、“万能細胞”と呼ばれることもある。

 こういう細胞レベルの活動を念頭に置いたうえで、今度は、人間の体を外側から外観してみよう。人間の体は、60兆個から100兆個の細胞で構成されている。日本人は70兆個ぐらいであるという。私たち人間の「意識」は、これらの夥しい数の細胞が何をしているのか、また何をしていないかについて全く関知しない。にもかかわらず、私たちの体の細胞は、24時間休みなく、それぞれに与えられた役割を忠実に果たしている。心臓は血液を全身に送り、血液中の数多くの免疫細胞は外敵と戦ったり、傷口や故障を修復したりしている。内臓からは栄養素が体内に吸収され、毒物や不要成分は肝臓や腎臓で中和され、膀胱へ送られる。これらの臓器や組織の仕事は、分子レベルでは皆、細胞が行っているのだ。しかも、これらの細胞は、私たちの肉体の死活にかかわる重要な仕事をする中で、役割を果たしたものは死んでいき、また新たに生まれてくる。ごく大雑把に言えば、人間の体内では細胞分裂によって24時間中に約1兆個の細胞が生まれ、それとほぼ同数の古い細胞が死んでいく。これを私たちは「新陳代謝」と呼んでいる。
 
 私は『日々の祈り』の「“肉体なし”の真理を自覚する祈り」の中で、新陳代謝の具体例として、「皮膚は1カ月ごとに、胃の内層は4日ごとに、食物とじかに接する胃の表面は5分ごとに新しくなる」と表現した。また、「肉体を構成する物質原子の98%が、1年前にはそこに存在しなかった」ものだとの見解を紹介した。このように複雑かつ組織的な細胞の入れ替わりが体内で行われていることを、私たちの「意識」は全く知らないし、意識的に制御することもできない。にもかかわらず、体中の数多くの幹細胞がこれを行っているのである。これは一体何者の仕業と考えるべきだろうか?
 
 この幹細胞の中の特殊の種類のものを人工的に取り出して、一定の化学的刺激を与えると「iPS細胞」ができるのである。しかしこれは、人間が人工的に“魔法の細胞”を創り出すのではない。もともと細胞がもつ万能性を人間が少し手を加えて発現させるだけだ。「分化していた細胞の機能をリセットして始原状態にもどす」と言ってもいいかもしれない。そうすることで恩恵を得るのは、神経系の難病などにかかった人たちだ。が、翻って考えてみると、そういう病気にかからずに、毎日を平穏に、健康に生きている圧倒的多数の人間は、この偉大な幹細胞の恩恵に常に、完全に浴しているのである。では、1つ1つの幹細胞が意思をもっていて、私たちに恩恵を与えてくれるのか? そうではあるまい。数多くの幹細胞を有機的に、秩序だてて、統一意思のもとに機能させている“何者か”がどこかにいると考えざるを得ない。それは、人間の意識の能力を超えているから、人間業ではない。だから、「神業」という言葉を使いたくなる。
 
 iPS細胞の登場は、私たちの肉体の当り前の機能の中に、“神の子”のような偉大な働きが隠されていることを改めて教えてくれると思うのである。
 
 谷口 雅宣

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2010年10月 3日

iPS細胞と“神の子”

 今日は佐世保市三浦町にある複合施設「アルカスSASEBO」で長崎北部教区の生長の家講習会が行われた。佐世保地方は朝から「大雨洪水警報」が出されていたから、受講者の足に影響が出ないか心配したが、幸いにも離島からの船も出て、前回より40人多い3,008人の方が参加してくださった。稲田賢三・教化部長を初めとした同教区幹部・信徒の皆さんの熱心な推進活動が実を結び、誠に喜ばしいことである。また当地は、生長の家総本山の“お膝元”であるから、同本山の職員や家族の方々の日ごろの活動が運動の伸展に結びついているのだろう。この場を借りて、心から感謝申し上げます。
 
 ところで、今日の講習会の午前中の講話で「iPS細胞」のことに触れて、この働きが明らかになったことで、“人間・神の子”の素晴らしさが医学的にも示されつつあるという意味のことを話した。すると、さっそくこれについて、佐世保市からの54歳の女性参加者から質問を受けた。次のようなものである--
 
「iPS細胞と人間神の子の真理との考え方について、もう少しくわしく教えて頂きたいと思います。私達真理を知っている者として、iPS細胞をどのように考えればよろしいのでしょうか」

 私がiPS細胞に言及したのは、ちょうどこの前日の2日に、この“万能細胞”の作製者である京都大学の山中伸弥教授が都内で講演会を開いて、現在の研究状況や今後の見通しを話したことをニュースで知ったからだった。今日の『日本経済新聞』によると、同教授は、これを使った治療法の開発時期について、「何らかの病気で10年以内に臨床研究を始める目標を掲げながら研究に取り組んでいる」と語っているが、私は、これをニュースで聞いて、「10年とは案外時間がかかるなぁ」と感じた。また、同教授がこれを使った治療の問題について、「ガン化する危険性を除かなければならない」と言っていたのを憶えている。しかし、この治療法は、ES細胞のような倫理的に問題のある方法よりも優れているから、本欄などを通して、私はこれまでも山中教授の研究を応援してきたのだった。しかしその反面、この技術も、使い方によっては深刻な問題を惹き起す可能性を否定できない。それについては、「万能細胞がもたらす“深い問題”」と題して、過去3回(2008年1月12日同13日同15日)に分けて書いた。
 
 本欄ではこれまで、iPS細胞に関してこのような経緯があったが、それらを振り返りながら、私はこの分野の研究成果から学んだことを、この日の講話で簡単に触れた。すると上記の質問が出されたため、それに答える形で少し詳しく話したのだった。しかし、時間の関係もあり言葉を尽くせなかったので、ここに言いたかったことを書こうと思う。
 
 私はこの“万能細胞”の知識を通して、「細胞」という生物の最小単位がもつ驚異的な潜在能力を知ることができた。そして、その活動が、ヒトのように複雑な多細胞生物の中では、何によって制御されているかを考えると、その背後に、どうしても“超人間的”なコントロール・センターの存在を想定せずにはいられない。別の言葉で言えば、我々の肉体は、まさに“神業”と言うべき複雑、かつ精妙な組織と秩序によって細部まで制御されていて、それを制御する主体は、いわゆる「自分」でないことは明らかなのである。このことを私は、“人間・神の子”の素晴らしさが医学的にも示されつつある、と表現したのだった。

 谷口 雅宣

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2010年9月24日

スーパー・サーモン解禁か?

 遺伝子組み換えによって通常の倍の速さで成長するサケが、まもなく市場に登場するかもしれない。アメリカの食品医薬品管理局(FDA)の諮問委員会が20日に会合を開き、普通以上の成長ホルモンを分泌するように遺伝子を組み替えた大西洋サケ(Atlantic salmon)は、健康にも環境にも安全であるという結論に達したようだ、と22日付の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』が伝えた。ただし、アレルギー反応を起こす可能性については、結論がまだ出ていないようだ。この結論が正式なものとなれば、このサケは、アメリカの食卓に最初に導入される遺伝子組み換え動物になるという。同委員会では、消費者団体や環境団体の代表は組み換えサケは認可すべきでないと証言した。このサケが認可されるならば、環境への害が少ない糞を排泄するブタなど、他の組み換え動物の認可にも道が開かれる可能性があるという。また、このサケと同様、成長期間の短縮を目的とした遺伝子組み換えが研究されている魚は、今世界に18種あるというから、養殖魚類一般への遺伝子組み換えの道が開かれるかもしれない。

 同紙の記事によると、この“スーパー・サーモン”はチヌーク・サーモンのもつ成長ホルモン産生遺伝子と、別の魚(ocean pout)がもつ氷結防止遺伝子を組み込んであるという。これにより、通常のサケは冬季に成長ホルモンを産生しないところを、冬季にも成長を続けるため、通常の倍の速度で大きくなるという。開発したのは、マサチューセッツ州に本拠を置くバイテク企業アクア・バウンティー・テクノロジーズ社(AquaBounty Technologies)で、同社は、このサケが認可されれば、自然の海産資源を破壊することなく世界の食糧需要を満たすことができるとしている。また、このサケをアメリカ内陸部で養殖することにより、チリやノルウェーから空輸するより安価に大西洋サケを提供することができるという。
 
 遺伝子組み換え種の生物がもつ問題の1つは、自然界にある近似種と交雑することで、環境へ予想外の影響を与える危険性だ。これに対して同社は、このサケを内陸部の隔離された施設で養殖し、もしそこから逃げ出した場合も、周囲の環境がサケの生存に適しない塩水や温水であるような地域で育てるとしている。また、養殖を行うほとんどを繁殖力のない雌のサケとするから、自然界で交雑することはないという。同社の株価は、FDAの承認が得られるとの期待から、今年に入って3倍以上になっているらしい。

 この記事を読んで、私はかつて小説に書いた遺伝子組み換えニジマスのことを思い出した。また、このサケにはどんな飼料が与えられるのか、と考えた。穀物飼料が使われるならば、人間の食糧との競合は防げない。さらに考えたのは、「自然界から厳重に隔離して育てなければならないもの」を、人間は食料とすべきかということだ。これは自然観、人間観と深くかかわる問題で、人間を自然の一部と考える私は、肯定的に答えることはできない。アメリカという国は、これまでの遺伝子組み換え作物の利用状況などから考えて人間至上主義的だから、“スーパー・サーモン”の承認は時間の問題のような気がしている。
 
 なお、遺伝子組み換えニジマスを扱った小説は「銀化」と「銀化2」という2本の短篇で、『神を演じる人々』という短編集に収録されている。この機会に興味をもった読者のために、私の電子本サイトに2本を1本にまとめて登録した。
 
 谷口 雅宣

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2010年8月18日

中国の“足長バス”

 お盆も終ったので、帰省先や行楽地から自動車で長時間かけて帰還した読者も多いだろう。私も16日、山梨の山荘から5時間半ほどかけて妻と帰宅した。途中で夕食のために休憩したので、ハンドルを握っていた時間は5時間もなかったが、それにしても長時間の交通渋滞には神経を鍛えられるものである。ところが、そんな交通渋滞にも煩わされずに、道路をスイスイと走る大型バスのような交通機関が中国で実験稼働中だという。しかも、1回に最大1200人を乗せ、動力の一部は太陽光から得るというのだから、どんな乗り物かと頭をひねってしまった。
 
 私はこの話を、携帯端末のアイポッド上で『ニューヨークタイムズ』のアプリによって17日に知ったのだが、その記事には写真がついていなかったので、この交通機関の形をいろいろ想像してみた。しかし、「そんなことがどうやってできるのか?」と頭をかしげ、思いつけずにいたのだった。が、18日付の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙がその記事を写真入りで掲載していたのを見て、アッと驚いた。実に新鮮な発想だと思った。読者は、貿易港の桟橋に設置されているガントリー・クレーンという運搬機械をご存じだろうか? 大きな貨物用コンテナを船に積み込むための機械で、高さは3~4階建てのビルほどもあるだろうか。このクレーンは、巨大な鋼鉄製の「門」のような形をしていて、門の両脚の下端に車輪がついている。だから、桟橋にやってくる大型トラックでも楽々とまたぎながら移動できるのである。そして、トラックの荷台のコンテナを吊り上げて、貨物船の中に吊り下ろす。実験中の新交通機関は、このガントリー・クレーンを“引き延ばした”というか、“いくつもつなげた”というか、そんな形の乗り物だった。
 
Chinatrans2  写真からスケッチした図をここに掲げるが、ちょうど通常の道路の2車線をまたぐ横幅(6m)をもち、2階建てビルほどの高さだろうか。この2階部分に乗客を収容し、天井に張ったソーラーパネルで発電した電気と、通常の電線からの電気を組み合わせたもので走るという。走行スピードは平均40キロで、普通のバス40台分の乗客が収容できる。記事ではこれを「またぎバス」(straddling bus)と呼んでいるが、私は「足長バス」の方が分かりやすいと思う。メーカーの話では、これによってバス40台分の燃料--年間860トン--を節約できるから、CO2に換算して2,640トンの排出削減ができるという。建設コストは、走行機1台と40Km分の設備一式で740万ドル(約6億3千万円)。高価なようだが、地下鉄の建設費に比べると10分の1だそうだ。すでに北京の一部でテストが始まっていて、今年末までには9Kmの設備が完成するという。
 
 私は、炎天下の交通渋滞の中でハンドルを握りながら、「車の天井にソーラーパネルの設置を義務づけたらいいのになぁ……」などと考えていたが、“足長バス”ではこれが見事に実現している。ただ、日本で同様のものを走らせるとしたら、人間や動物が道路を横断しない場所でなければならないだろう。あるいは、現在より高い場所に歩道橋を設置することになるのかもしれない。とにかく、“人間のため”を考えた乗り物のようではあるが、私にはどうも“乗り物優先”のイメージが拭い去れないのである。
 
 谷口 雅宣

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2010年6月11日

情報の質について (4)

 前回の本欄では、遠隔操縦による無人機からの攻撃が、「極めて偏った情報処理」であり、したがって、「戦争で使われる“情報の質”は、平時よりかなり劣っている」と書いたが、この言い方は分かりにくかったかもしれない。そこで、もう少し詳しく説明しよう。私がここで言っている「情報の質」とは、ある対象を「よりよく分かる」ための情報の質である。この場合の「わかる」とは、これまで本欄で何回も書いてきた「“わかる”ということ」で定義した意味で「わかる」ということだ。それは“対象そのもの”を「わかる」という意味であり、そのためには対象についての“右脳的情報”と“左脳的情報”をバランスよく得ることが必要だった。
 
 これに対して、対象を別の目的に利用する場合には、“対象そのもの”をわかる必要はない。利用目的に即した情報だけ得られれば、それでいい。例えば、卵焼きを作るために卵を入手するときは、その卵の種類(ニワトリの卵かどうか)、大きさ、賞味期限、外観……などがざっとわかればいい。これに対して、卵そのものを「よくわかる」ためには、これらの情報に加えて、その卵の由来(産地、親のニワトリの種類、有精卵か無精卵かなど)、卵の物理・化学的構造や性質なども知りたい。また、その卵を絵に描けば、形や色や、殻の表面のザラザラ感などの“右脳的情報”を味わうことができる。さらにまた、生卵や各種の卵料理を食べることでより多くの“右脳的情報”を得ることができるだろう。加えて、当初は白身と黄身しかない有精卵が、どういう経過をへてヒヨコの形になるかを詳しく知ることも、卵を「よくわかる」手助けとなるだろう。

 それでは、今回のような戦争において、遠隔操縦による無人機からの攻撃の目的は何だろう。それは第一に、敵を破壊し、敵の戦闘意志をくじくことである。また、敵に与する可能性のある非戦闘員に対しては、その意志をくじくことが含まれるかもしれない。さらに言えば、非戦闘員を味方につけることも、二次的目的の中に含まれるかもしれない。が、その目的の中には、「敵やその周囲に生活する一般市民(非戦闘員)の心情や信条を理解すること」は含まれない。攻撃対象になる地域の住民や、そこに老人や子供がどのくらいいて、それぞれが攻撃者に対してどんな考えをもっているのか。自分の攻撃によって彼らの人生と生活がどのような影響を受けるのか。それらの人々がどんな名前でどんな顔をしているか。出身地、家族構成、教育程度、年収、仕事の内容はどうか……そういう人間的な情報は、かえって攻撃者の意志をくじくことになるからだ。
 
 戦争においては、“敵”と認定されたとたんに、人は破壊もしくは排除されるべきものと認められ、その目的に即した情報は重用されるが、そうでない情報は無視されるか、無惨に破棄されるのである。これは極めて左脳的考え方であり、“敵”に関する右脳的情報は、この考え方にもとづいて利用されるに過ぎない。だから戦争は、攻撃者を非人間化するだけでなく、情報操作においては、攻撃される人間をも非人間化する。そんな状況が人類にとってよいはずがない。世界平和の実現のためには、もっとを相手を“わかる”努力をすることが必要なのだ。
 
 谷口 雅宣

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