2009年10月29日

映画『私の中のあなた』

 水曜日の夕方、久しぶりに映画を見た。生命倫理を扱う真面目な映画だと子供から聞かされたからだ。キャメロン・ディアス扮する母親が、自分の娘(アビゲイル・ブレスリン)の骨髄性白血病を治すために、遺伝子操作の技術を使って骨髄型が一致する妹を産む--という想定だ。つまり、姉の病気治療のために妹を生み育て、妹の肉体が医療に利用されるという状況の中で、家族はどうあるべきか? こういう重い問いかけが背後にある、と私は思いながらこの映画を見た。しかし、この生命倫理の問題は「背後にある」ままで物語は終ってしまう。正面に出てくるのは、3人の子供のうち、死にかけている1人だけに全力集中して愛を注ぎ込む母親と、その周囲の家族の“愛の葛藤”である。こう書くと、この映画は“暗い作品”との印象が生まれるかもしれないが、驚くほど明るい。それは多分、家族全員が、白血病の姉娘(ソフィア・ヴァジリーヴァ)を愛し、彼女のために尽くす気持を共通してもっているからだろう。
 
 原作は、大ベストセラーになったジョディ・ピコー(Jodi Picoult)の小説『私の中のあなた』(My Sister's Keeper)ということだが、私はその小説を知らなかった。また、映画は原作と重要な点でいくつか違うらしい。だから、もしかしたら原作は生命倫理の問題にもっと突っ込んだ考察をしているかもしれない。が、映画を見たかぎりでは、これは親子の愛、家族の愛の物語である。そういう作品になった理由を、ニック・アサヴェテス監督(Nick Cassavetes)は、インタビューの中でこう語っている--
 
「映画のもとになった小説を読んだらとても感動的だったけど、スタジオが映画化したいと言った時はまだ迷いがあったんだ。でも、家族が子供の死とどう向き合うかというシンプルなストーリーなんだと考え始めて、これなら出来ると思ったんだよ」。

 つまり、監督自身が、この作品を生命倫理の問題として描かなかったのだ。その理由について、同監督は詳しく話していない。が、アメリカでの幹細胞の研究について同監督が考えを述べているのを読むと、人間の判断力に相当の信頼をおいているのが分かる--
 
「これはあくまでもぼくの個人的な意見だけど、幹細胞のリサーチは進めるべきだと思う。ホルモンと幹細胞は医療の未来だよ。すごく多くの倫理的問題や道徳的問題を生み出すことになるだろうけどね。人間として自分たちが正しい選択をする能力があると信じるべきだよ。もし文明が進んで、人がもっと長く生きることになり、今の人類が変化していくことになってもそれを怖れるべきじゃない。それは子供たちの、孫たちの世界であって、ぼくたちは少なくともよりよいところにしようとするべきだよ」。

 この人間への信頼と楽観主義とが、重い主題をもったこの映画を、明るく、救いのある作品に仕上げているのだろう。その点で、私は読者にこの作品をお薦めする。ただし、私の不満を言わせてもらえば、これはきっと“理想的な家族像”だということだ。自分自身が生きるためにではなく、兄弟の生命維持のために生まれたと知った子供が皆、この物語のように素直に、愛深く生きるかどうか……それは近い将来、小説ではなく、現実が語ることになるに違いない。

 谷口 雅宣

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2009年6月16日

臓器移植の先に見えるもの (2)

 イギリスの科学誌『New Scientist』は6月6日号(vol.202 No.2711)で、体細胞を利用した再生医療技術の現状を特集している。私がそれを読んで驚いたのは、再生医療研究の先端では、すでに臓器移植を不要とする技術が完成に近づいているということだ。もう1つ新たに知ったのは、ここでは動物の臓器と人間の臓器とを“合体”ないし“融合”させることで、新しい臓器の生産に結びつかせる道筋が有望視されているという点だ。つまり、今流行の言葉を使えば“ハイブリッド臓器”の生産が現実化しつつあるということだ。
 
 臓器提供者の不足を補うための1つの方法は、ブタなどの動物の臓器を人間に移植する「異種移植」(xenotransplant)だった。しかし、この方法は、それだけでは移植患者の免疫系が動物の臓器を激しく拒絶する反応が起こるため、移植後は免疫抑制剤を半永久的に使わねばならない問題があった。また、動物の細胞がもつウイルスに感染するリスクがあった。これらの問題を避けて、必要な臓器を作成する方法がほぼ完成に近づいている。その技術の概要は、次のようなものだ--
 
 ①必要な臓器を入手する
 ②臓器を洗浄して細胞を除去し、コラーゲンでできた“枠組”だけを残す
 ③この“枠組”に幹細胞を流し込む
 ④幹細胞が分化を始め、必要な臓器を形成する
 ⑤できた臓器を患者に移植する

 アメリカのミネソタ大学のドリス・タイラー博士(Doris Taylor)らのグループは、2008年1月、ラットの心臓の枠組に、生れたばかりのラットの心臓の幹細胞を流し込むことで、血管や筋肉も備えた拍動する新しい心臓を生み出した。その後、この心臓を別のラットに移植できれば技術の“完成”となるが、できた心臓はまだ筋肉の量が少ないため、体内で役割を果たすところまで行っていないらしい。タイラー博士のチームは、ラットの次には、この方法を使ってブタの心臓と肝臓を作成する研究を行うことを考えているという。そして、この分野の多くの研究者が最終的に目標としているのは、もちろん人間に使える臓器を患者自身の幹細胞から再生産することだ。これは必ずしも夢物語ではなく、気管のような単純な形状の臓器であれば、イギリスのブリストル大学の研究者が、この技術を使ってすでに人間の気管の再生と移植に成功しているという。また、心臓弁などの小型の組織などでは、ブタの組織の“枠組”を使った“ハイブリッド組織”を体内に移植した患者が、欧米ではすでに多数存在するらしい。

 ということで、見えてきた1つの道筋はこういうものだ--上記の①にある「必要な臓器」は、人間のものでもブタのものでも可となる。また、人間の場合、脳死でも心臓死でも大差ないだろうから、後者の人の臓器の利用が増えるだろう。となると、将来の再生医療の行く先は、脳死段階での臓器移植を増やす方向へではなく、病院や専門ラボで患者の幹細胞を使って再形成された新しい臓器の移植である。これによって、脳死段階での臓器移植がもつ様々な問題は回避できるようだが、その代り“ハイブリッド組織”や“ハイブリッド臓器”を体内にもつ人々が増えていくのだろう。これを人間の「幸福の増進」と言えるかどうかは、また別問題と私は思う。
 
 谷口 雅宣

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2009年6月15日

臓器移植の先に見えるもの

 6月9日同13日の本欄で、臓器移植法の改正をめぐる動きについて少し書いた。この問題は、臓器の提供側と受け手側の利害が必ずしも一致しないところに、基本的な問題がある。提供側が前もって提供の意思と時期(心臓死か脳死か)を示していれば、両者の利害は一致するから、問題は起こりにくい。それでも、提供者本人でなく、家族の感情の問題は残るかもしれない。これに対して、事前に提供者の意思が示されていない場合、家族にそれを決める責任と負担が生じる。家族全員が一致した判断を下せれば、それでも負担は少ない。が、そうでない場合、家族構成員の間に感情的なシコリが残ることも考えられる。

 これが提供側の問題だが、受け手の側では少し種類の違う問題が生まれる。それは「他人の死を待ち望む」という心理状態になることである。倫理感が確立していない子供の場合、この心理状態はさほど負担でないかもしれないが、成人した人間にとっては、個人差はあるにしても倫理的ジレンマは感じられるだろう。これを克服し、幸いにも移植臓器を得た人は、提供者に対して感謝の念を強くもつに違いない。が、感謝しようとしても本人は死亡しているのだから、その思いは、提供者の家族に対して、手術をした医師に対して、あるいは移植を可能とした社会に対して向けられるかもしれない。これはよいことだ。また、他人に助けられたことで、社会への奉仕を志す人も出てくるかもしれない。これも、よいことだろう。しかし、これとは反対に「臓器を得る権利がある」などと考える人も出てくるだろう。

 以上は、臓器移植にかかわる個人の問題だが、社会全体を見るとどうなるだろうか。現在の臓器移植法が扱っている範囲は、死んだ人(心臓死と脳死)の臓器だから、社会全体では一種の「臓器のリサイクル」制度のようなものだ。この言い方が悪ければ、「臓器を使えるうちに他人に回す」制度である。摘出された1個の臓器は、基本的には1個のまま他の人に移植される。そういう「1対1」の関係がある。ところが、提供される臓器が足りないと考える人の間では、臓器の「リサイクル」ではなく、「創出」の技術も開発されつつある。つまり、新しく臓器をつくるのである。これができれば、臓器の提供側の問題はもちろん、受ける側の倫理的ジレンマの問題も軽減するし、移植にかかわるコスト削減につながる可能性もある。

 そんな技術の確立を目指しているのが、いわゆる「再生医療」と呼ばれている分野である。この技術は一見、倫理的な問題が少なく理想的に思えるかもしれないが、そう簡単ではない。本欄で何回も言及してきた「ES細胞(embryonic stem cells)」や「iPS細胞(induced pluropotent stem cells)」の技術が、まさにこの分野の先端である。が、ES細胞には「受精卵を使う」という問題があり、iPS細胞には「ガン化のリスク」があることを書いてきた。本欄では、卵子や精子などの生殖細胞を除く「体細胞」を利用した再生医療の進展に期待を示してきたが、iPS細胞の研究はこの分野に属する。が、それ以外の体性幹細胞(成人幹細胞)を利用した再生医療の研究も進んでいる。次回の本欄では、それを紹介しよう。
 
 谷口 雅宣
 

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2009年6月 9日

臓器移植法改正は不要である

 臓器移植法改正の案づくりが混迷をきわめている。法案の提案順にA案からD案までの4つの案が国会に提出されていること自体が、この問題に対する国民の意見がバラバラであることを有力に示している。にもかかわらず、今の時点で同法を改正しなければならない理由は何か? それは、最初の改正案(A案)が出された経緯を見ればわかる。この法案を推しているのは日本移植学会や臓器提供を求めている人々など、移植手術の件数を増やすことで利益を得る(と考えている)人々だと思われる。6月6日の『朝日新聞』の表現では、「今回の改正論議が、世界保健機関(WHO)が渡航移植の規制に乗り出す見通しに加え、移植経験者の河野洋平衆院議長の勇退が迫っていることでにわかに盛り上がった」のである。渡航移植とは、脳死段階での臓器移植が難しい日本人などが、アメリカや中国などの海外へ行って臓器提供を受けることだ。これが規制されると、移植手術への道が閉ざされるとの危機感がA案提出の背後にある。しかし、このWHOの規制のための決議は、最近の新型インフルエンザへの対応の影響などで延期されたことから、雲行きは怪しくなっている。
 
 A案の骨子は、「脳死は人の死である」と一律に定める改正で、さらに、現行法では臓器提供者の年齢を「15歳以上」に限定しているものを撤廃して「0歳」からの提供を可能とする改正である。つまり、制限を最大限に撤廃して移植手術を増やすという意図が明白だ。これに対して、それはやりすぎだから「12歳以上」に限定しようというのがB案、その逆に、脳死の定義を厳格にしようというのがC案、それらの中間的規制がD案、と言えるだろう。現行法の特徴は、一般的な人の死については心臓死のままにしておき、本人が臓器提供の意思を明確にしている場合に限って「脳死を人の死」と認める点だ。これは論理的には矛盾している。が、この考えは、医学の進歩によって出現した「脳死」という新しいタイプの死を、“本当の死”だと認める合意が日本人の間にできていない中で、臓器提供を表明した人の意志を尊重し、それを待ち望む患者や家族の希望もかなえようとした“苦肉の折衷策”である。
 
 私は、現時点での現行法の改正の必要を認めない。特にA案は、改悪ではないかと思う。心臓が拍動し、体がまだ温かい肉親を前にして、そこから「臓器を摘出して他人に提供する」という気持になる日本人は、まだ少ないに違いない。4歳の子供の場合、急性脳症で脳死になった女の子は、人工呼吸器を着け、見た目は眠っているような状態の中で、身長は伸び、体重も増え、涙を流し、排泄もするから、45歳の母親は「脳死は人の死では絶対ありえない」と『産経新聞』に訴えている。(6月8日付)さらに、A案で明確でないのは、この改正で「脳死は人の死」とした場合、大人を含めて、こういう状態の患者の治療が法改正後も継続されるのかどうかという点だ。継続されないのであれば、これは日本人の死生観に反する法改正と言わざるをえない。臓器を“取られる側”も“得る側”も同じ日本人(が多いの)だから、両者が対立するような法改正は“悪法”と言わざるをえない。
 
 ところで、あらためて書く必要はないかもしれないが、生長の家では「脳死は人の死」とは認めないどころか、「心臓死は人の死」とも認めない。「人間は不死である」というのが生長の家の教えであり、多くの宗教もそのように説いている。つまり、「肉体の死」は「人間の死」を意味しない。ということは、臓器提供の意思がある人は、そのことを明確に示しておけば、移植手術への協力はできるし、そのような愛他精神は称賛に価すると言える。しかし、そうでない場合、後に残される親族の気持を無視して脳死者の肉体を傷つけることは、宗教や信仰以前の問題だと思う。刑法に死体遺棄罪や損壊罪があるのは、死者の遺族のそういう気持を慮っているからではないだろうか。
 
 谷口 雅宣

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2009年3月13日

米でES細胞の研究が拡大

 1月24日の本欄で、発足したばかりの米オバマ政権がES細胞の利用規制を緩和するとの観測を紹介した。また、2月6日には、ES細胞とiPS細胞の2つを比べながら研究を進める方法を、再生医療研究者は求めているらしいと書いた。その理由は、前者は“本物”だが後者は一種の“代用品”だから、代用品の優秀さは本物なくしては分からないというものだった。そして、3月10日の『ヘラルド・トリビューン』紙は、オバマ大統領がブッシュ時代に禁止されていたES細胞研究への連邦予算の支出をついに解禁する、と伝えた。その記事を読むと、アメリカのES細胞研究は、今回の大統領の決定だけでは“一挙進展”とはいかないようだ。その理由を述べよう。
 
 ブッシュ政権下のアメリカでは、人間の受精卵を使った研究を禁止するための法律改正が議会によって行われていたから、研究範囲が実際に大幅に拡大されるためには、議会がオバマ氏の方針に賛成して法改正を行わねばならないのである。この法律による禁止条項は、通称“ディッキー=ウィッカー改正条項”と呼ばれるもので、1996年に成立して以来、議会によって今日まで毎年、延長され続けてきた。そこでは、具体的には、国民の税金を使って人の受精卵を作成することと、受精卵を壊したり廃棄すること、さらに受精卵が傷つく可能性を知りながら、その危険を冒すことが禁じられている。これらの法の縛りがなくなるまでは、“全面解禁”とは言えない。

 しかし、今回の大統領令によって、すでに作成されたES細胞株を使った研究には、連邦政府の予算がつくことになる。だから、アメリカにおけるこの分野の研究は今後、大幅に伸びることが予想されるのである。『朝日新聞』もそう考え、今日(13日)の社説で「オバマ大統領は、政治や宗教にゆがめられない健全な科学政策を目指している。今回の発表もその大きな一歩といえる」と大いに持ち上げている。

 が、宗教が科学を「ゆがめる」という考え方はおかしい。科学は「善悪の価値判断をしない」ことで発達してきたことは認めるが、そのことによって生物化学兵器や核兵器の製造が行われてきたことも事実である。宗教が科学の使い方に関与することは、必ずしも「ゆがめる」ことにはならず、「正す」場合もあるはずである。にもかかわらず、宗教が関与しないことが「健全」だとするのは、大いなる偏見である。また、オバマ政権自身は、科学政策について「政治や宗教にゆがめられない」という表現は使っておらず、「科学と政治を分離するという公約の一環として」(as part of a pledge to separate science and politics)この政策を実行したと言っている。『朝日』の記事では、この「政治」(politics)という言葉が、いつのまにか「宗教」にすり替わっているのである。

 ところで、私のES細胞研究についての見解は、1月24日の本欄などですでに何回も述べたので、ここでは繰り返さない。日本は何でも「アメリカの右に倣え」をする癖があるから、今後、iPS細胞の研究だけでなく、ES細胞研究の規制緩和への圧力が強まることが予想される。私は、受精卵を使わない前者の研究は条件付きで支持するが、ES細胞研究には反対の立場を崩すつもりはない。
 
 谷口 雅宣

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2009年2月23日

受精卵の声 (2)

 2月20日の本欄に書いた香川県立中央病院の受精卵取り違えミスは、時間の経過とともに、大きな問題がその背後にあることを浮き彫りにさせている。それは、「受精卵に対する価値感」の問題である。これまでの報道による限り、ミスを犯した産婦人科のK医師(61)は、受精卵を人間の命と同等のものとして評価しているとはとても思えないのである。

 20日付の『日本経済新聞』夕刊の記事では、K医師は昨年9月、受精卵が入った複数の容器を作業台に並べて発育状況を確認した際、台上にあった別の女性患者の容器と取り違えたとし、別の患者の容器が台上にあったことは「たまたま1個だけ置いてあった」と釈明した。ところが同じ『日経』の22日の記事では、この時、台上にあった受精卵は、「廃棄しようと作業台に放置されていたものだった」と記述が変わっている。この記事は、さらに次のように当時の状況を説明している。(括弧付きのA・Bの表現は、私がつけた)--
 
「9月18日、別の患者(B)の受精卵が入った複数のシャーレを台上に出して作業。うち1つは不要と判断し、ふたを捨て、台の上に置いたままにしていた。次に女性(A)の受精卵が入った複数のシャーレを出し、作業するうちに混在し、すべてを女性(A)のシャーレとして保管した」。

 この記述が事実だとすると、K医師の当初の「たまたま1個だけあった」という釈明はウソである。また、この記述からは、複数の人間の受精卵を厳密に区別するという配慮--言い換えると、複数の家庭の間に子の取り違えが起こらないようにする配慮--が、まったく感じられない。このことは、23日付の『朝日新聞』がK医師の作業について「受精卵の廃棄数を記録していなかった」と伝えていることからも分かる。この記事の状況説明は、こうである--
 
「別の患者Bさんの廃棄用の受精卵を入れたシャーレを作業台に置き忘れたまま、女性患者Aさんの受精卵の入ったシャーレを並べて生育状況をチェックした。当時、患者を識別するシールは、シャーレのふただけに貼られていたが、先に置いてあったBさんのふたは廃棄されていたため、BさんのシャーレをAさんのものと思いこんだという」。

 こちらの記事の方が、『日経』より具体的で分かりやすい。が、いずれの記事でも、K医師が複数の受精卵をズサンに扱っていることが分かる。『朝日』はさらに23日の夕刊で、作業台には当時、「Bさんのシャーレを含む4つ以上のシャーレが置かれていたことが分かった」と伝えている。記事には、それらをどう扱ったかも詳しく書いているが、ここでは省略する。

 それよりも、私が読者の注意を喚起したいのは、ここにあるような受精卵へのズサンな扱いがなぜ起こるか、ということである。私は、K医師は例外的にズサンであり、その他の産婦人科医は受精卵を「人間の命」と同等に扱ってくれていると信じたい。が、受精卵については、どんな人間にも否定しがたい事実が一つある。それは、受精卵が大変小さいということだ。成長を観察するにも、顕微鏡なしでは不可能である。「それは当り前」といえばその通りだが、私はこの「小さい」という事実が、「価値を小さく見る」ことにつながっていると思うのだ。

 サイズが小さいものは大きいものより価値が低いと考えるのは、我々人間が一般にもっている心理的傾向だろう。「小さい人間(小人)」「小さい心(小心)」という言葉は、そういう価値判断を含んでいる。また、野菜や果物、車や土地、人や国家でも、大きいものは小さいものより価値があると考える。「大は小を兼ねる」という言葉も、同じ価値感を表している。この判断は、我々の無意識の領域にまで忍び込んでいるだろう。進化心理学的に考えても、このことには合理性がある。もっと別な言い方をすれば、受精卵を顕微鏡で眺めながら、「こんな小さな命にも自分と同じ価値がある」と感じるに至るまでには、相当程度の理性の働きが必要だと思うのである。

 いや、理性は本当に「小も大も等価」と認めるだろうか? 私には一抹の不安が残る。では、何があれば「受精卵も人も等価」という認識に至るのだろう? 私は、それは「神への信仰」だと思う。創造主(つくりぬし)としての神が、すべての生命を価値あるものとして創造されたと考える時、その神を介して、「大」なる命も、「小」なる命も等価であるとの認識が生まれるのである。
 
 谷口 雅宣

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2009年2月20日

受精卵の声

 不妊治療で他人の受精卵を誤って移植され、妊娠が確認されてから9週目に人工中絶されるという医療ミスが発生した。過去にも、別の患者の受精卵の移植や夫以外の精子の注入などの事故はあったというが、妊娠にいたり、さらに中絶が発覚したのは初めてのケースらしい。今朝の新聞各紙が伝えている。『朝日新聞』によると、日本での体外受精は、2006年に約3万2千人の女性に実施され、それに顕微授精(約3万4千人)を加えると約6万6千人の女性が同様の治療を受けていることになる。決して少ない数ではない。

 体外受精の方法で受精卵を得るまでには、依頼主である夫婦にとって経済的にはもちろん、心身の負担も大きい。それでも「子がほしい」との強い願いからこれが行われる。今回の場合、受精卵の取り違えだから、4人の大人の意思が無に帰し、少なくとも2個の幼い生命が犠牲となった。誠に残念で、悲しいことである。この治療の担当医師(61)は、勤続約20年のベテランで、不妊治療では、これまでに体外受精を約1千例も手掛けてきた専門家だという。本来の受精卵と別の受精卵を同じ作業台に置いていたことから、取り違えが起こったらしい。ちょっとした気の緩みから、深刻な問題が発生してしまった。
 
 私はこの場合、どうしても妊娠中絶しか方法はなかったのかと考える。現在の状況では、多分そうだろう。が、「代理母」の制度が認められた後には、関係している母親2人が互いの代理母になることによって、せっかく得られた2つの受精卵を殺さずに、2人の子供を得る方法があるかもしれない、と想像する。もちろん私は、本欄などで代理母の制度には反対してきた。その大きな理由は、これは自分の「子を得る」という幸福目的のために、他人の心身を利用する制度だからだ。そして大抵、「子を得る」側は経済的に豊かであり、「子宮を提供する」側はそうでない。つまり、「経済的に豊かな人間がそうでない人間の心身を利用して子を得る」という構図になりがちだ。大げさに聞こえるかもしれないが、これは一種の“奴隷制度”のようだ。
 
 これに対して、今回のようなケースでは、2組のカップルは同じ病院で同じ治療を受けている人たちだから、経済的にはほぼ同等ではないか、と想像する。そして、自分の子をもうけるためには、心身の負担を喜んで受け入れるという決意をした人たちだ。そうして得た貴重な受精卵は、まぎれもなくカップルの命の結晶である。ただ問題なのは、本来移植すべき子宮にではなく、別の子宮に移植されたということである。しかし、その後、9~10カ月たてば、それぞれのカップルの遺伝子をきちんと引き継いだ子が産まれるはずである。もちろん、「別の人の腹から産まれる」というのが問題である。しかしこの場合は、代理母と違って、一方のカップルが他方のカップルを一方的に利用する関係ではなく、むしろ相互が対等の関係で、互いの子を子宮の中で育て合う。だから、双方の合意さえ成立すれば、受精卵を犠牲にせずに子をもつことは、少なくとも理論的には可能だと思う。
 
 この案は、「受精卵の命を最大限尊重する」という立場から考えたものだ。現在の法制度はそういう立場から作られていないから、この案の実施は実際には無理だろう。戸籍上の問題もある。が、今後、不妊治療への国の援助が増えるならば、体外受精の件数も増えるだろうから、今回のような事故が再び起こる可能性もある。そんな時、受精卵の声なき声として記憶に留めておいてもらえたら、幸いである。
 
 谷口 雅宣
 

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2009年2月16日

バイテクで子供に投資する

 ニューヨーク在住の安藤比叡・本部講師が、最近の子供の遺伝子解析に関する興味あるニュース記事を送ってくださった。昨年11月30日付の『ニューヨークタイムズ』に載った記事で、昨今のアメリカの“教育ママ”の中には、子供が小さい頃に遺伝子解析をしてその子の運動能力についての“適性”を知り、適性があると思われるスポーツを習わせる人がいるらしいのである。その方が、早期から練習に取り組め、どのスポーツをすべきかと迷うロスを防げ、一点集中による効率化がはかれるというわけである。

 これは、コロラド州ボールドーからのレポートである。この町は特にスポーツ熱が盛んらしく、それに目をつけた企業が、遺伝子解析によるスポーツの適性診断サービスを始めたのだ。やり方は簡単で、8歳までの小さい子の口の裏側の粘膜からDNAを採取し、それをラボに送って「ACTN3」と呼ばれる遺伝子を解析するだけである。1回の診断が「149ドル」(約1万3千円)である。この遺伝子は、2003年に行われた1つの研究で、体の「瞬発力」と「持久力」に関係があるとされたそうだ。この企業は、「ACTN3」の解析によって、子供が陸上の短距離走やアメフットのような筋肉の瞬発力を必要とするものか、長距離走のような持久力を要するものか、あるいは双方を組み合わせた種目を顧客に“推薦”するらしい。
 
 しかし、専門家の中にはこの種の診断の確実性を疑問視する人もいる。例えば、カリフォルニア大学サンディエゴ校医療センターのセオドール・フリードマン博士(Theodore Friedmann)に言わせると、「ACTN3」の研究はまだ緒についたばかりだから、これを診断の材料にする商売は「いかがわしい薬を売る」ようなものだという。また、「ACTN3」を研究したメリーランド大学のスティーブン・ロス博士(Stephen M. Roth)は、「マイケル・フェルプスのような世界的選手の成功を生んだのが1つや2つの遺伝子だと考えるのは短見である」と言う。そして、人間の運動能力に影響を与えることが分かっている遺伝子は、少なくとも200はあるとしている。ロス博士によると、この遺伝子が意味をもつのは、一流のスポーツ選手が自分のトレーニングの方法を考えるなど、限られた特定の場合であり、普通の小学生が学校でするスポーツの成績にはほとんど影響がないという。
 
 同紙の記事によると、この遺伝子解析は、ジェネティック・テクノロジー社によって2004年からオーストラリアで始まり、その後、ヨーロッパや日本でも提供されているという。
 
 こういう話を聞くと、私は近未来を描いた短編小説集『神を演じる人々』(日本教文社、2003年刊)に出てくる「本川瑛美」の話を思い出す。この人物は「飛翔」という作品の主人公で、並はずれた跳躍力をもっているために一流のバレリーナとしての将来が約束されていた。だが、この跳躍力は遺伝子改変によって人為的にもたらされたものだったため、両親は娘が世間から差別を受けることを恐れ、秘密の練習に娘を通わせていたのである。そのことが一つの原因となり、主人公は練習中、取り返しのつかない事故に遭う--そういう筋書きである。今回の技術は遺伝子の「解析」だけであり、「改変」のレベルにはまだ達していないが、自分の子供をスポーツの分野で成功させるために、親がどれほどの“熱意”を示すかを、小説ではなく、実例によって示している。

 我々は今、1回の遺伝子解析が1万円ちょっとでできる時代にいるのだ。それに加えて遺伝子の「改変」もできることになれば、安全性の問題さえ解決すれば、出費を惜しまない親は案外多いのではないかと思う。が、その場合の親の気持は、本当の「親」というよりは「投資家」の気持に近いと思う。
 
 谷口 雅宣

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2009年2月 6日

八つ子の誕生が教えるもの

 バラク・オバマ氏が米大統領に就任した直後(1月24日)の本欄で、私は新大統領が生命倫理の分野でも、前任者のブッシュ氏から方針を転換し、ES細胞の研究に連邦政府の援助をひろげる決定を「来週にも表明する」らしいと書いた。これは、ABCニュースが「早ければ」という言葉を添えてそう伝えたからだ。しかし、あれから2週間たった今、まだその発表はない。恐らく、もっと緊急性のある経済対策の方に時間を取られているからだろう。しかし、オバマ政権下では、人の幹細胞を使った再生医療の研究が今後、加速度的に進むとの期待感が広がっていて、アメリカの時事週刊誌『TIME』は2月9日号で、幹細胞研究を特集として大きく取り上げている。
 
 それを読んで印象に残ったのは、現在の再生医療研究では、ES細胞(胚性幹細胞)の研究とiPS細胞(人工多能性細胞)の研究が併行して行われているということだ。ES細胞の万能性をiPS細胞で実現するためには、ES細胞を研究して、それが体の各組織や臓器に分化していく仕組みをよく理解する一方で、iPS細胞を使ってそれとの違いを確認することが重要だと考えているようだ。つまり、ES細胞は実際の受精卵から得た細胞だから、再生医療や発達医療に必要な“本当の”または“自然の”情報をもっているが、倫理的、技術的、社会的な問題を抱えているので、その代用として、人工的に得られるiPS細胞を使っていく--そんな意図が感じられるのである。
 
 しかし、技術というものは、人間の意図とは無関係に発達するという側面がある。だから、強力な技術の開発は、強力な“善”の効果を発揮し得ると同時に、その逆の効果も発揮し得ることを忘れてはいけない。特に、ES細胞のような(生物学的な意味での)「人間の発生」に深く関わる重大な技術は、誤用や悪用の道を開かないように、できるだけ早期から倫理規定を整えておく必要がある。が、その一方で、このような強力な技術は、正しく使えば人道的にも経済的にも大きな利益をもたらすから、早期に倫理規定を整えることに抵抗を感じる人も出る。特にアメリカのような自由と自己決定を重んじる社会では、このような倫理規定への抵抗が強い。両者のバランスをとることは容易でないから、技術の乱用から“犠牲者”が出ることで、初めて倫理的配慮の重大さを思い知るというパターンが繰り返される傾向がある。
 
 最近、報道されたアメリカにおける「八つ子」の誕生も、このパターンに一致している。これは今年の1月26日に、ロサンゼルス郊外で不妊治療によって八つ子が生れたという話だ。が、さらに世間を驚かせたのは、八つ子を生んだ母親にはすでに6人の子供がいて、その子らの誕生にも不妊治療が用いられたということだ。5日付の『ヘラルド・トリビューン』紙が伝えるところによると、この八つ子を生んだ女性は、33歳のナディア・スールマンさん(Nadya Suleman)で、すでに2~7歳の子6人(男4人、女2人)がいる。新たに生まれた八つ子は、男6人と女2人だ。ナディアさんの母親の話によると、ナディアさんの最初の6人の子は人工受精で生まれたといい、その時に作られた凍結受精卵から八つ子が生まれたらしい。

 この母親の言では、ナディアさんは十代の頃から子をもつことに執着していて、子育ては上手であるけれども、今回は「明らかにやりすぎた」(obviously she overdid herself)という。ナディアさんは昨年1月に離婚しているが、彼女の14人の子供はどれも前夫の子ではないというのだから、夫婦間には複雑な問題があったのだろう。ナディアさん自身は、カリフォルニア州立大学で青少年向けカウンセリングの学位をとり、昨年春までは大学院に通っていたという。最近はある病院で精神科の技師をしていたが、出産を控えて退職した。母親は100万ドルの負債を抱えて破産手続きを申請中というから、この家庭には14人の子供育てる経済力はないと考えていいだろう。
 
 そんな中で八つ子を生んだことが、社会的な批判を浴びているようだ。「八つ子」という珍しさから、いくつかのメディアから仕事の話が来ていて、そういう経済的報酬を目的に“子だくさん”を選んだという疑いがかけられているらしい。ペンシルバニア大学の生命倫理学者、アーサー・カプラン氏(Arthur Caplan)は、すでに6人の子がいるにもかかわらず、本人の経済力を考えても、そもそも医師が彼女に不妊治療をする必要があったかどうかなど、このケースは倫理的に大きな疑問があると指摘している。
 
『TIME』誌は上掲号に続く2月16日号でこれを取り上げ、アメリカでの生命倫理規定との関係を説明している。それによると、昨年の6月、ちょうどスールマンさんの胎内で受精卵が成長を始めたころ、アメリカ生殖医療協会(ASRM, American Society for Reproductive Medicine)は、不妊治療の目的で子宮に移植する受精卵の数に関するガイドラインを改訂した。そして、34歳以下の女性の場合は、1998年に定めた「3個以内」という数を「2個以内」に減らしたところだったという。もちろん、今回の「8個」の受精卵は、いずれの規定からも大きく外れている。が、この規定はあくまでも「ガイドライン」だから、法的拘束力も罰則もない。また、八つ子が生まれたのは、受精卵の移植数が8だったからか、あるいは8以下の受精卵から同一遺伝子情報をもつ受精卵が分離した結果、8になったのかは、現段階では不明である。
 
 私がこの八つ子の件をやや詳しく書いたのは、多様な価値観が認められる自由な社会においては、強力な技術の誕生は、当初まったく予想できなかった用途にも、その技術が使われる可能性があるという点を実例をもって示すためである。しかし、それでは法規制によって問題は解決するだろうか? 同誌の記事の中で、南カリフォルニア大学の不妊治療専門家、リチャード・ポールソン教授(Richard Paulson)は、こんな疑問を提示している:
 
 ①我々は、1家族のメンバーを(例えば)6人に限定する法律を制定するのか?
 ②我々は、多胎妊娠時に子を選択する義務を法律に規定すべきなのか?

 谷口 雅宣

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2009年1月24日

オバマ政権と生命倫理

 「アメリカ初の黒人大統領」という鳴り物入りで発足したオバマ政権の動きに今、世界が注目している。アメリカにも責任がある現下の深刻な経済問題に、緊急に対処しはじめたことは当然ながら、それ以外にも矢継ぎ早に新しい政策を打ち出している。その中で、宗教とも関係が深い生命倫理に触れる重要な決定が早期になされたことを、私は驚いている。その決定とは、次の2つである--①人工妊娠中絶への制限措置の撤廃、②人のES細胞の利用規制の緩和。これらは、共和党のブッシュ政権下では“宗教的理由”による反対派の声を考慮して、抑制されてきたものだ。私は、ブッシュ氏の地球温暖化対策の軽視や“テロとの戦争”など多くの政策に反対してきたが、「中絶反対」と「ES細胞の利用規制」については大いに評価していただけに、オバマ氏の今回の決定は残念に思う。

 今日の新聞各紙によると、オバマ大統領は23日、人工妊娠中絶を支援する団体などへの資金援助の規制を撤回する大統領令に署名した。これによって、ブッシュ政権下で中止されていた国連人口基金への予算拠出も再開される見通しだ。これに先立ち、オバマ氏は「私は女性の選択する権利を擁護する」という声明を出す一方、「我々は立場は違っても、中絶の削減に向けて結束する」とも述べた。中絶を容認しつつ、避妊の拡大などで中絶数の削減を目指す考えらしい。また、オバマ氏は23日の声明では、アメリカの国論を二分しているこの問題について、「政治問題化に終始符を打つ時だ」とし、「家族計画に関する新鮮な議論をして、世界の女性のためになる一致点を見出す」考えを示したという。
 
 ES細胞の利用促進に関しては、オバマ氏の直接の声明の形ではなく、政府の食品医薬品局(FDA)の判断として政策が実行された。23日の『朝日新聞』夕刊によると、FDAは、カリフォルニア州のバイオベンチャー「ジェロン」が申請していた、ES細胞を使った臨床試験を認可した。この試験を受けるのは、脊髄損傷で歩けなくなった患者8~10人で、神経細胞を保護する機能をもつ細胞を人のES細胞から分化させて、損傷部分に注入する治療を行うという。同社は昨年、この試験実施の申請を出したが、FDAは実施の留保を指示していた。実施されれば、世界初のES細胞の人への医療応用になるらしい。
 
 今朝放映されたABCニュースによると、オバマ大統領は来週にもES細胞の研究を促進する意図を表明し、ブッシュ政権下で禁止されていたES細胞研究に対する連邦政府の資金援助を開始するという。このニュースの中でインタビューを受けていたハーバード大学の幹細胞研究所(Harvard Stem Cell Institute)のデビッド・スキャデン博士(David Scadden)は、「これによって、人々には将来の仕事の方向性が見えてくるので、大いなる変化が訪れるでしょう」と言っていた。
 
 これらの件についての私の考えは、本欄をはじめ『神を演じる前に』や『今こそ自然から学ぼう』などの著書で繰り返し表明してきたが、ブッシュ氏の考えに近い。その理由をここで詳しく述べないが、簡単に言うと、妊娠中絶への反対は、この世での人間生命の開始を受精後まもなくだと考えるからであり、ES細胞の利用に反対する理由は、まさにその「受精後まもなく」の時期に破壊された受精卵から、ES細胞は作られるからである。今の医学の主流では、人間が苦痛を感じるのは神経細胞によると考えるから、その神経細胞が未発達の段階である受精卵は、破壊しても苦痛はないという結論になる。しかし、そのようにして、未来世代の人間である受精卵や胎児を、現世代の人間の幸福増進の手段にしたり、また研究材料に使うこと自体が、世代間倫理の観点から間違っている、と私は思う。別の言葉を使えば、我々は、未来の人間になるはずの生命を自己目的に利用しようとしているのである。自己実現の障害になるとして幼い命を抹殺するのが人工妊娠中絶であり、自己実現や延命のためにそれを利用するのがES細胞の医療応用である。

 私は、オバマ氏の大統領就任演説を聞いて感動した一人だが、その演説の最後に、子孫の自由と幸福のために今の困難を耐え抜こうと呼びかける言葉があった。それは、次のようなくだりである--
 
「子々孫々が今を振り返った時に、我々が試練の時に旅を続ける意志を貫き、引き返すことも、たじろぐこともなかったということを語り継がせようではないか。地平線に視線を定め、神の慈悲を身に浴びて、我々は自由という偉大な贈り物を運び、将来の世代に安全に送り届けたということを」。

 成長過程にある幼い生命の発生過程を中断することは、その生命の「自由」を最も根源的に奪い去る。だから、彼の今回の決定は、就任演説の最後のこの決意に反する結果になることを、オバマ氏は気がついていない。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月16日

人獣混合で問題は解決しない

 胚性幹細胞(ES細胞)と共に、人のあらゆる細胞や組織に変化する能力があるとされるiPS細胞(人工多能性幹細胞)の研究の成果が最近、矢継ぎ早に報道されている。が、その中で、倫理的に問題があると思われる種類の胚の研究についても、規制のタガが緩みつつあるように見えるのが気になる。人のES細胞を使う研究について、政府の総合科学技術会議の生命倫理専門調査会は、先月末、規制緩和の方針を決めた。(10月31日『朝日新聞』)これまでは「作成」と「使用」の双方について研究機関と国とで二重の審査が義務づけられていたものを、使用については審査を簡略化するか、国の審査を廃止して報告だけにするなどが考えられている。
 
 また、10月22日にイギリスの下院を通過した法律は、2001年に制定された細胞の核移植に関する法律やその他の生殖補助医療についての規制を塗り替え、同国の胚研究許可庁(Human Fertilisation and Embryology Authority, HFEA)が監督する研究の種類を従来よりかなり拡大することになった。この法律は今後、上院の承認を得て成立する見込みだ。10月31日付のアメリカの科学誌『サイエンス』が伝えている。

 それによると、今回解禁となる研究の中には、動物の除核卵細胞にヒトの細胞を混ぜる異種間の核移植が含まれている。科学者の中には、これによって人のES細胞を動物から得ることができると考えている人がいて、HEFAはすでに3つのライセンスをこの種の研究に認めているらしい。しかし、反対派の人々は、同庁にはそれを認める法的権限がないとして裁判を起こしている。今回の法律が成立すれば、この問題は規制緩和の方向に決着する。この法律はまた、ヒトと動物の遺伝子をもつ胚や、ヒトと動物の細胞が混合した胚を作成するための研究も認めているという。反対派は、この種の研究はヒトとサルが混合した“ヒューマンジー”を作ると非難しているが、法律は、ヒトと動物が混じった胚を2週間を超えて成長させることと、ヒトや動物の子宮に移植することを禁じているから、“ヒューマンジー”は生まれない、と賛成派は言う。

 この種の研究のメリットについて、専門家はこう語る--例えば、ヒトの精子とヒトの遺伝子をもつマウスの卵子を混合させれば、受精の過程を詳しく知ることができる。また、ヒトの精子の保存法や避妊薬の研究にも役立つという。が、法改正の主要な目的の1つは、どうやらES細胞の量産にあるようだ。
 
 私は本欄などを通じて、ES細胞の研究には一貫して反対してきた。理由は、それがヒトの受精卵を破壊して作るからである。宗教的には、受精卵の段階から人間の霊が関与して肉体の形成が始まっていると考えられる。それを他人の一存で、本来の目的である肉体の形成以外の用途に強引に利用しようとするのは倫理的でない。これに対して、未受精卵の核を除いたものに、体細胞の核を挿入することで受精卵と同等のもの(クローン胚)を作り出す方法がある。が、この場合も、胚が自律的に細胞分裂を行いながら肉体の形成を開始した時点で、霊魂の関与が始まったと考えられるから、それを他の目的に利用することは正しくない。今回“解禁”される研究では、動物の卵子の核を除いたものの中に人間の細胞の核移植を行うことで、人間の卵子を扱う際の様々な倫理的、社会的問題を回避しようとしているのだが、逆に動物と人間の遺伝子が混合する危険性を生んでいる。

 最近の分子生物学などの研究学で、人間と他の生物の遺伝子情報はよく似ていることが明らかになっている。が、どんなに似ているからといって、両者を混じり合わせることで何かの問題が解決するという発想に私は与しない。これは、遺伝子組み換え作物の問題でも言えることだ。人間を含めた生物は、「個体」として在る前に、現象的には何十万年もの進化の過程を経た生態系の一部として--つまり「種」として--存在する。それぞれの生物種は、生態系の中では別々の系として進化し、機能してきたものであり、他の系と混合することはあり得なかった。それを人間が強引に行うことで、自然界を“改善”したり“改良”することができると考えるのは、人間の思い上がりだろう。人間だけが、自然界から離れて生きていけると考える科学者が多いことを、私は不思議に思うのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年3月31日

命はどこにある?

 我々人間には「命がある」というほど明確な実感はないのではないか。デカルトの有名な言葉--「我思う、ゆえに我有り」は、「我思う、ゆえに我に命あり」と言い直すことができる。なぜなら、命のない死体は、そこに確かに存在していても、「我思う」という意識をもたないから、「ゆえに我有り」の結論を出せないからだ。言い換えると、自分が存在するかどうかを判断する意識をもたないものは、それ自身「我有り」と結論できない。だから、「我有り」という否定しがたいデカルトの実感は、意識の有無と深く関係している。では、命があっても意識をもたない者の存在は、どうやったら確認できるだろうか。この点、デカルトは必ずしも明確でない。

 生物学では、「自己意識」--自己を他とは異なる独特の存在であると思う意識--をもつものは、人間と高等な哺乳動物の一部だけだと考える。それを証明するために、動物に鏡を見せて、その行動を細かく観察する実験などをしてきた。では、意識が生まれる元である命の有無は、どのようにして「有り」と結論できるのか。例えば、アメフラシの命の有無は、どうやって判断するのだろうか。生物学者は、アメフラシの神経系を研究し、そこに微弱な電流が起こるか起こらないか、あるいは神経伝達物質が流れるか流れないかを測定するのかもしれない。では、神経系をもたない植物や菌類の命は、どのようにして有る無しを判断するのか。私はその答えを知らない。
 
 しかし、植物の種(たね)が古い地層の中から発見され、それを適切な環境に置いて光や熱を与えると、発芽して成長したという話は珍しくない。そういう“太古のハス”の花が咲いたと、新聞やテレビで報道されたこともある。だから、命の有無は、現代の科学技術においても直接測定することはできないと考えるべきだろう。我々が大病院の治療室で目撃する様々な機械装置は、「命そのもの」を測定しているのではなく、「命の働き」で生じた電流や磁気、物質成分の変化を測定していると考えるべきなのだ。「命そのもの」はそこにあっても、それが動いて作用を生じる場合とそうでない場合があると考えると、古代エジプト人がミイラを保存することにも、キリスト教で土葬を行うことにも、それなりの合理性があるといえる。が、現代の科学ではこれを一般に不合理だと考えている。

 そんなところへ、植物だけでなく、動物も一種の“ミイラ状態”から甦ることを示した研究成果が報告された。アフリカに棲む「ネムリユスリカ」という蚊に似た昆虫の幼虫は、完全に干からびた状態で10年以上たった後にも甦る例があるという。3月25日の『日本経済新聞』が夕刊で伝えている。それによると、この幼虫が乾期の間に完全に干からびても、雨期になると生き返ることは以前から知られていて、その仕組みをこのほど、東京工業大学と農業生物資源研究所のグループが解明したという。その仕組みとは、体中に行き渡らせた糖類をガラスのように固めることで、体の組織を保護するらしい。この研究を参考にすれば、「ヒトの組織を長期間保存したり、乾燥に強い植物を作ったりする」ことが可能になるかもしれない、と記事は書いている。
 
 この例をみても、「命はどこにあるか」という疑問への答えは、科学の力によってもそう簡単に出てこないことが分かる。私たちは今、「命萌え出づる春」を目の前にして、それがどこにあり、どこから来るかをじっくり考えてみるのはどうだろうか? 
 
 聖経に曰く--
 空間の上に投影されたる
 生命の放射せる観念の紋、
 これを称して物質と云う。
 
 谷口 雅宣

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2008年3月20日

生命の不死を想う

 春分の日の今日は、午前10時から、東京・原宿の生長の家本部会館で「布教功労物故者追悼春季慰霊祭」がしめやかに執り行われた。私はこの御祭の斎主として奏上の詞を奉げ、概略次のような言葉を述べた:

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 皆さん、本日はこの慰霊祭にお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。このお祭りは、生長の家の運動に功績のあった人で霊界へ旅立たれた方々の御霊をお招きし、生前のご活躍への感謝と霊界でのさらなる幸福と、我らの運動へのご加護をお願いする大変有意義なものであります。今回は、243柱という多くの御霊様をお祀りすることになりました。
 
 この中で筆頭にお名前を読んだのが生長の家の長老であった清都松夫さんでした。この方は、多くの方はご存じの通り、谷口輝子先生のお姉さまの清都桂さんの息子さんですから、私にとっても親戚に当ります。清都長老とは、ちょうど1年前の3月22日の思い出があるのです。その日は木曜日で休日だったので、私は妻と2人で渋谷の映画館にデンゼル・ワシントン主演の『デジャヴー』という映画を見に行ったのです。私たちは早めに入館して映画の始まりを待っていたら、上映間際になって、白髪の老人が1人でスーッと入って来て、私たちよりかなり前の席に座ったのです。その後姿は、どう見ても清都長老だったので、私たちは驚きました。なぜなら、この映画はミステリー・アクション物で、ストーリーは複雑で、派手な仕掛けがいろいろある映画だったからです。あの静かで、温厚な清都長老が好むような映画とは思えなかったのでした。

 後でご本人から聞いたところ、清都長老はミステリー物の映画が好きで、一人でもよく見に行っていたそうです。また、これは別の人から聞いた話ですが、長老は本部退職後も定期券を買い、世田谷のご自宅から渋谷の行きつけの喫茶店へ通い、そこで本を読んでおられたそうです。私はこういう話を聞いて、一人の人間には他人には分からない、いろいろな側面があるのだなぁとつくづく思いました。人間はこのように、内部に多様性をもち、様々な可能性を秘めていて、たかだか100年くらいの一生の間は、すべての側面を開花させることはできないし、またそうする必要もない。なぜなら、人間には“次の生”があるからです。別の言葉で言えば、人間は再生しながら、多様な側面を表現していくのです。きっと清都長老も、次の生でやりたいことの準備をしていたのだと思います。
 
 私は昨年のこの日にも、慰霊祭を春分の日にするということは、大変時宜を得た習慣だと申しあげました。その理由は、自然界では、これから植物も動物も生命力をどんどん発揮し、花咲き、実を結び、発展するという「成長」の初めにあるのが、今の時季であるからです。空気はまだ寒く、外を歩くにはコートがいる時期ではありますが、辺りには春を知らせる植物の新芽、花、香り、鳥の声や昆虫の羽音などが聞こえます。このように、春は“生命再生”の時期ですから、慰霊祭をするのにふさわしいのです。皆さんも、年をとってきたらやることがないなどと考えずに、新しいことでも何でも積極的にやってみてください。それが次の生への準備になるからです。
 
 ご存じのように、生長の家では「人間の生命は不死なり」と説きます。生長の家だけでなく、多くの信仰でもそのように説いてきました。しかし、これまたご存じのように、人間の肉体は死にます。ここにいる私たちすべても、時期が来ればやがて必ず肉体を失います。しかし、それが本当の人間の死ではないことを、私たちは教わっています。先ほど読んだ聖経『甘露の法雨』には、人間の肉体の死のことを、カイコが繭を食い破って羽化登仙することになぞらえて、「人間もまた肉体の繭を食い破って霊界に昇天せん」と書かれています。「人間は生命なるがゆえに、常に死を知らず」とも説かれています。
 
 私たちの周りに、カイコを見る機会はもう少なくなってきましたが、しかしモンシロチョウは飛んでいます。今、飛んでいなくても、やがて飛んできます。ガも飛んできます。また、ハエやハチやゴキブリには、すでにお目にかかっている人がいるでしょう。春という季節は、このように生命が本来の“不死”の姿を表す時季ですから、霊界への転生を想う慰霊祭にふさわしいと言わなければなりません。
 
 スイスで生まれ、アメリカで活躍した精神科医で、終末医療の先駆けとなった人に、エリザベス・キューブラ=ロスという人がいます。臨死体験を扱った『死ぬ瞬間』などの本が世界的なベストセラーになったので、ご存じの方も多いと思います。この人も、人間の死のことを「蝶がサナギから出る」ことになぞらえています。日本で1995年に出た『死後の真実』(日本教文社刊)の中には、次のような箇所があります:
 
「何年も死にゆく患者さんたちと共に働き、彼らから人生とは何なのか、もう今となっては遅い最期となって何を悔やむのかなど教えてもらっているうちに、私は一体死とは何なのかと考えるようになりました。
 私の教室で、幽体離脱の体験を一番最初に話してくれたのはシュワルツ夫人という患者さんで、これが世界中からのケースを集めるきっかけとなりました。今では、オーストラリアからカリフォルニアまで、何百ものケースが手元にあります。その全てに共通している特徴があります。それは、誰もが皆、自分の肉体を脱ぐのをはっきりと感じており、私たちが科学的用語を使って理解しているような死は、存在しないことにも気づいている、ということです。死とはただ、チョウがマユを脱ぐのと同じで、肉体を脱ぐだけに過ぎません。より高い意識への移行であり、そこでは再び、知覚し、理解し、笑い、成長し続けることができるようになります。唯一失うものと言えば、もう必要のなくなった肉体のみです。要するに、春になると冬のコートはもうぼろぼろになって必要ないから、捨ててしまうことと同じなのです。死とは、つまりそういうことなのです。」(pp. 56-57)

 キューブラ=ロス博士がこのような考えに至った背景には、2万件以上の実際の体験者のデータがあるそうです。また、この本の中で、博士は「人間が死なないということは死んでみれば分かる」ということを何度も書いています。だから、私たちも運動の先達や諸先輩がたとい肉体を失われたとしても、今のこの春の季節のように、霊界での新しい境涯に於いて、新たな生命の息吹とともに活動を始められていることを知らなければなりません。そして、これらの御霊さまは皆、今生において人類光明化の善行を積まれた方々ですから、霊界においても私たちと同じ目的で、神の国、仏の浄土実現の活動を進めてくださっているに違いない。と同時に、私たち家族や運動の同志を導いて下さることに感謝し、これからの日々を明るく、愛深く生き、「人間の生命は不死である」という真理宣布に益々邁進していきたいと思うのであります。

 春の慰霊祭に当たってご挨拶を申し上げました。ありがとうございます。

谷口 雅宣

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2008年2月 6日

代理出産は原則禁止へ

 最近、代理出産をめぐる国の方針策定をめぐって新しい動きがあった。首相直轄の特別機関である日本学術会議の「生殖補助医療の在り方検討委員会」が先月30日に政府に提出する報告書案の大筋をまとめ、その中に、代理出産で生まれた子を、依頼した夫婦の実子として認める特例が盛り込まれたというのである。これまでは、「分娩した女性が産んだ子の母」という民法の原則が貫かれていたため、子宮切除などで妻が妊娠・出産ができない場合、代理出産で生まれた子は、遺伝的には夫婦の子であっても代理母の実子とされた。ところが、これを“かわいそう”とする世論の流れがあって、今回の動きにつながったと推測される。
 
 1月31日の『日本経済新聞』によると、30日に行われた検討委員会では、代理出産を法律で原則禁止し、営利目的の違反者には刑事罰を科すという点では合意されたが、例外的にそれを認める際の条件をめぐって議論が紛糾し、最終的な結論は今月予定されている会合に持ち越されたという。しかし、同じ『日経』の2月5日の夕刊では、この報告書案を「厳密な管理の下で“試行”は認めるとする」内容だと書き、事実上、31日の記事を訂正している。
 
 この“試行”が、どのような条件下で認められるかという情報は、新聞記事にも日本学術会議のウェブサイトにもない。ということは、この点は本当にはまだ合意に至っていないと見るべきなのだろう。このウェブサイトには、検討委員会の委員長である鴨下重彦・東大名誉教授のパワーポイントの資料が掲載されていて、そこには「代理懐胎による親子関係問題の結論」として、次の4点が列挙されている:
 
1.代理懐胎の場合も、「分娩者=母ルール」が適用されるべきである。
2.養子縁組または特別養子縁組によって、生まれた子と依頼夫婦との間に親子関係を定立することは認めるべきである。
3.外国で行われた代理懐胎についても、1、2、と同様に考えるべきである。
4.代理懐胎の試行が考慮される場合であっても、1、2、を原則とすべきである。
 
 検討委員会は、今年3月末までが任期のようだから、結論はまもなく出るはずだ。今後のポイントは上記の4にある“試行”が、どのような条件下で認められるかに絞られてくるのだろう。

 私は代理出産の問題に関しては、すでに「反対」との見解を本欄などで表明している。その理由は、2006年10月3日同16日の本欄で述べているので、詳しくはそちらを参照してほしい。が、ごく簡単に言うと、この方法は自分の幸福追求のために他人を手段として利用するから、倫理的に好ましくないということだ。この「他人」とは、「生れてくる子」と「代理母」の最低2人はいて、双子が生まれれば3人となり、夫以外に精子提供者が参加すれば、4人に増える。そういう人々が、100%の善意によって代理出産に協力するとは考えにくい。だから、上記の鴨下氏の「結論」の1~3については、基本的に異議はない。4にある“試行”とは何であるかを、ぜひ知りたいと思う。
 
 谷口 雅宣

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2008年1月29日

文科省、iPS細胞で素早い対応

 私は1月12日13日15日の本欄で、昨年末に日米ほぼ同時に大きな成果が発表された万能細胞(iPS細胞)の研究について考え、これを使った再生医療の延長線上に“深い問題”があることを指摘した。それは、「受精」という過程を経ずに人間が生まれる可能性が出現したということだった。宗教的側面から言えば、これは、神の関与がなく、人間の意思のみによって人間が作られるという事態が生じることである。神と人間は断絶していると考える宗教の教義から見れば、神のみが人間を創造するのだから、これは教義の破綻でなければ、大幅な見直しを迫られる大事件である。にもかかわらず、ローマ法王庁は、この万能細胞の研究成果を歓迎したのだった。また、この研究によって開かれた道は、男性から卵子、女性から精子を得ることにより、同性愛者間で遺伝上の子を設けることである。このように大きな可能性を秘めた強力な技術を、今後人類がどのように制御しながら使っていくかが、私の感じる“深い問題”である。
 
 これについて、文部科学省は卵子や精子などの生殖細胞を万能細胞から作ることを当面禁止する方針を固めたらしい。生殖補助医療をめぐる倫理指針策定では、「対応が遅い」と不評をかってきた文科省としては、異例に速い態度表明である。29日の『朝日新聞』が伝えている。それによると、文科省は2月1日に開かれる科学技術・学術審議会の生命倫理・安全部会に提出する案として、iPS細胞の研究の規制とES(胚性幹)細胞のそれとを対応一致させることが当面は必要との方針を固めたという。これは、iPS細胞の最大の特徴が「ES細胞と同等の能力をもつ」という点にあるからだろう。現在、ES細胞の研究では、そこから①精子や卵子をつくる、②つくった精子や卵子を受精させる、③受精卵を子宮など胎内に移植する、という3段階がすべて禁止されている。iPS細胞についても、同様の規制をするという考え方だ。
 
 しかし、今回の決定では、「当面禁止」という点が気になる。これは「時期が来たら解禁」という意味にも読めるからだ。ES細胞の研究については現在、不妊治療との関係で①と②までは認めるべきとの議論もある。今回の方針の決め方では、ES細胞の側で①と②が認められれば、iPS細胞の研究でも、ほぼ自動的に①と②が許されることになる。私は、世代間倫理を尊重する立場から、iPS細胞の研究では、生殖細胞の作成を禁じること--つまり、①~③のすべてを規制するのがいいと考える。

 iPS細胞の最大の長所は、「自らの細胞を自らの肉体から再生する」という点だ。これは我々の肉体においてごく普通に行われていることで、“自然の過程”と言ってもいいほどだ。白血球や赤血球は造血幹細胞から再生され、皮膚は表皮の下層にある幹細胞から再生され、髪の毛などの体毛も毛根の根本にある幹細胞から再生される。“自然の過程”だから免疫系による拒絶反応もないのである。iPS細胞は、これらの幹細胞のさらに元の細胞の段階へまで、自己の細胞を“後もどり”させたものだ。だから、本質的に自己の肉体の“内側”にとどまる生命現象である。これに対し、生殖活動は、(単為生殖を除き)自己が他を生むための働きで、“外側”へ向かった生命現象である。換言すれば、「他へ影響を与える行為」である。自らの行為が他に影響を及ぼす場合、他の同意を得ることが倫理的である。そうでなく、他の意思を無視した行為--例えば、いきなり抱きついたり、タバコの煙を吹きかけたり、クラクションを鳴らすこと等--は倫理的とは言えない。
 
 このように考えれば、生殖細胞をつくることは、それ自体が次世代へ影響を与えることである。だから、できるだけ“自然な”状態がいいと思う。精子をつくれない男性がiPS細胞によって精子を得ることは、許されていいと思う。しかし、その男性が卵子を得て自ら懐妊したり、あるいは代理母に懐妊させることや、その逆に、女性が自らのiPS細胞から精子を得て、他の女性を懐妊させたりすることは、その結果生まれてくる子にとって普通でない、不自然な状況を強制することになる。同意なくしてこれを行うことは倫理的でない。子が生まれる前に、その子から同意を得ることは不可能だから、そういう行為はしないと決めればいい、と私は考える。
 
 谷口 雅宣

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2008年1月16日

万能細胞がもたらす“深い問題” (4)

 本シリーズの最後に、「万能細胞」ほどの分化能力はないが、いくつかの組織への分化が実験的に確認されている多分化幹細胞をめぐって最近、話題になっている展開について触れよう。これは、死んだラットの心臓を取り出し、そこに付着した軟かい細胞を薬剤で洗い流し、残った硬い細胞でできた“型枠”に、生まれてまもない複数のラットの子の心臓から採った細胞を流し込んだところ、2週間たたないうちに、新しい心臓が形成されて鼓動を始めた--という実験である。14日付の『日本経済新聞』、15日付の『ヘラルド・トリビューン』紙などが伝えている。この研究は、14日付のアメリカの医学誌『Nature Medicine』電子版に発表さたもので、ミネソタ大学のドリス・テイラー博士(Doris Taylor)らの研究チームによる。
 
 上記の『トリビューン』紙の記事によると、この研究が重要な理由は、心臓移植を現在のような脳死段階で行わなくても、心臓死の後で臓器が得られれば、患者自身の骨髄の幹細胞を、死者の心臓の“型枠”に注入することによって、拒絶反応が少ない心臓を新たに作成する可能性が見えるからだ。そして、このようにして心臓が作成できれば、腎臓も、肝臓も、肺も、膵臓も……ほとんどすべての臓器が同じような方法で、比較的簡単に作成できる可能性があるという。さらに言えば、このような臓器の再構築には、必ずしも人間の臓器を使わなくて済むかもしない。ブタの臓器は、人間のものと形や大きさが似ているため、現在でも臓器移植に使われている。これなら入手は容易であり、医学的には拒絶反応の問題が残っていても、法的、倫理的問題は少ない。
 
 というわけで、テイラー博士らは、上と同じような心臓の再構築の研究を、ブタを使ってすでに開始しているという。
 
 お気づきの読者もいると思うが、この研究と、山中伸弥教授らの研究とは“合体”させることができるのである。テイラー博士らは、臓器作成のための“型枠”の作り方を発見した。山中教授は、あらゆる組織や臓器に分化する能力のある幹細胞を効率よく作成する方法を発見した。前者の中に後者を入れれば、患者自身の細胞で構成された新しい臓器が構築できる--そう考えることはできないか?
 
 上のような考えは、専門家から見れば恐らく“穴”だらけだろう。このような道筋が拓けるまでには、私のような素人の考えが及ばない関門が、いくつもあるかもしれない。いや、きっとそうだろう。しかし、この分野の研究者が向かっている大きな「方向性」は、上の予測と大きく違わないと思う。つまり我々は、肉体の「不死」と「再生」を求めて、鋭意努力し、かつ莫大なエネルギーと予算をかけて突き進んでいるのである。その努力の中で、万能細胞が作られ、臓器再構築の方法が発見されつつある。しかし、この目的自体の是非については、誰も何も発言しないようだ。

 我々人間は皆、不死を求め、再生を願っている。だから、皆が求めることは正しく、かつ善である。そのために研究に努力し、大量の時間と資金を投入することは素晴らしい--そう言う声が聞こえるような気がする。しかし、人間が皆、不死となり、死人はことごとく再生する世界がどんな世界であるかを、考えた人がどれだけいるだろうか? それが善である理由は、どこにあるだろうか? 私がいう“深い問題”とは、こういうことなのである。
 
 谷口 雅宣

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2007年11月25日

“パンドラの箱”は開いたか?

 21日の本欄で、京都大学の山中伸弥教授らのグループによる“万能細胞”の研究成果を紹介したとき、私はこの研究が「他人の受精卵や卵子を使わず、患者本人の細胞を利用することで、移植医療の最大の関門である拒絶反応の問題をクリアできる可能性が飛躍的に増大した」と高く評価した。この考えは今も変わらないが、科学技術の進歩については、原子力の利用が示しているような“諸刃の剣”的な側面があることを忘れてはいけない。つまり、技術そのものに善悪はないが、その利用の仕方いかんでは、優れた技術、強力な技術ほど悪い結果をもたらす危険が大きいという点である。
 
 今回の研究は、比較的容易に誰からも入手できる皮膚の細胞から“万能細胞”を得られる道を切り拓いたわけだから、文句なく“善い”研究だと考える人が多いかもしれない。しかし、このような技術の進歩は素晴らしいことに変わりはないが、その影響が大きいがゆえに、使い方によっては“善い”結果だけが生じるわけではない。私がこのことに気づいたのは、23日付の『日本経済新聞』紙上に載った山中教授のインタビュー記事を読んだときだった。同教授は、インタビューアーの「倫理面の規制についてはどう考えるか」という質問に対して、次のように答えている--
 
「国で適正なルール作りを早急に検討すべきだ。iPS技術を使えば男性から卵子、女性から精子を作るのも可能。しかし非常に複雑な話になるので一定の枠をはめた方がよいだろう。ただ、iPS細胞は医療現場に役立てるためにわざわざ人工的に作ったものなので、臨床に生かさないと意味がない。過度の規制はよくないと考えている」

 私はこの記事を読むまで、今回開発された技術がそこまでできるなど想像していなかったから、少なからず驚いた。そして、これを読んで真っ先に頭に浮かんだのは、同性愛者による子の誕生である。山中教授のこの発言だけでは、同教授が同性愛者の子づくりをどう考えているか明確にはわからないが、何となく「規制すべきだ」との考えのように思える。その理由は、「家族や親子関係が複雑になりすぎる」からなのだろう。しかし、かつては“社会の目”から隠れていたこれらの人々も、今日では普通に市民生活を営み、同棲生活はもちろん、一部では結婚も許されるようになっている。異性愛の人間と差別することなく、すべての権利を保障すべきであるというのが、今日の要請である。そういう状況下では、「子をつくることだけは許されない」と定めることは不可能ではないだろうか。

 そうすると、今後どうなるか。ここから先は、あくまでも「仮定」の話として聞いてほしい。ここにAという同性のカップルがいるとする。愛し合っている2人は、お互いの遺伝子を半分ずつもった子を得たいと熱望しているが、これまではその願望を実現する方法がなかったから諦めていた。ところが、新技術によってそれが可能となれば、「そうしてはいけない」と言う理由はあまりない。現在でも、遺伝子の問題にこだわらなければ、同性のカップルは子をもつ手立てがないわけでもない。それは養子の制度を利用したり、他人から卵子や精子の提供を受けることによって(少なくとも技術的には)可能である。そして、すでにこの時点において、生まれて来る子にとって、家族や親子関係は十分複雑である。この複雑さに、遺伝子の問題が加わることが、このカップルの「子を得たい」という熱望を否定するに値するほど「複雑すぎる」かどうかは、大いに議論の余地があるだろう。
 
 ということで、カップルAは新技術によって、法的にも生物学的にも子をもてることになった--そう仮定しよう。このカップルが女性同士であれば、一方のパートナーの皮膚細胞から新技術によって精子をつくり、それを人工授精をへて、もう一方のパートナーが妊娠すれば子が生まれる。これに対し、カップルが男性同士の場合は、もう少し複雑になる。この場合は、一方のパートナーの皮膚細胞から卵子を作り、人工授精によって作った受精卵を代理母に依頼して妊娠・出産してもらうことになるだろう。法的、倫理的な問題を考慮に入れず、純粋に技術的に考えれば、これらは可能だ。が、その結果、生まれた子どもは一体どのような人生を送ることになるのか--この点が、私には最も心配である。
 
 成人した男女が、自らの責任においてパートナーを選ぶ場合、その相手が同性であるか否かについて、他人や法律が関与すべきでないという主張は理解できる。しかし、そのカップルから生まれる子どもに、半ば強制的に“特殊”な環境を押しつけることに問題はないのだろうか。成人カップルの決定は自由意思にもとづくのに対し、そこから生まれる子には自由意思が認められないのだ。それは、異性のカップルから生まれる子にも言えることだから、無視していいと考えるべきなのか。それとも、男親が2人いたり、女親が2人いるような家庭を“特殊”と呼ぶのは間違いで、それらをもっと“一般化”すべしというのが新時代の要請なのだろうか。人類の目の前には今、このような未踏の道が口を開けているように見える。この新技術は、はたして“パンドラの箱”を開けてしまったのだろうか?
 
 谷口 雅宣
 

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2007年11月21日

新しい再生医療が日本から? (2)

 生長の家の秋季大祭と記念式典のために長崎県西海市の生長の家総本山に来ているが、今朝の新聞に“よいニュース”を見つけて嬉しくなった。京都大学の山中伸弥教授らの研究チームと科学技術振興機構が、生殖細胞を使わず、拒絶反応の心配もない“万能細胞”の作成に人間において初めて成功したというのである。この細胞は「iPS細胞」と称し、「induced pluripotent stem cells(人工多能性幹細胞)」という意味。私は、山中教授の研究に前から注目していて、本欄では昨年7月17日同18日8月23日12月16日などで書いているが、同教授は、自分の研究テーマを選ぶに当たって「倫理問題がない」という条件を自らに課されたそうで、研究者の態度として尊敬に値する。

 その教授らのグループが、人間の皮膚の細胞などに遺伝子を組み込むことで一種の“初期化”を行い、受精卵のように各種の細胞に分化できる状態にもどすことに成功したのである。そして、この細胞が神経細胞や心筋細胞、軟骨の細胞などに分化することを確認したという。この研究が、ES細胞など他の万能細胞の研究よりも優れている点は、他人の受精卵や卵子を使わず、患者本人の細胞を利用することで、移植医療の最大の関門である拒絶反応の問題をクリアできる可能性が飛躍的に増大したことだ。21日付の『日本経済新聞』は、この研究の成功により「次世代医療として期待される再生医療を実現するうえで不可欠な医療材料の本命にiPS細胞がなる可能性がでてきた」と書き、『読売新聞』も「今後、万能細胞を用いる再生医療は、iPS細胞を中心に展開していく可能性が高い」としている。
 
 私は今年6月11日の本欄に「新しい再生医療が日本から?」という題をつけ、山中教授がマウスの研究で今回と同様の成果を挙げたことに言及し、「人間に応用できるかどうかは今後の課題だ」と書いたが、同教授は、あれからわずか半年もたたないうちに人間への応用のメドをつけたことになる。今日夕方のNHKニュースは、この研究成果のおかげで、山中教授のもとには世界中からメールの問い合わせやインタビューの申し込みが殺到し、ブッシュ大統領も歓迎の意向を表明したと報じていた。また、ある日本人のES細胞研究者は、この研究は「間違いなくノーベル賞に値する」とコメントし、クローン羊・ドリーの生みの親であるイギリスのイアン・ウィルムット博士(Ian Wilmut)は「自分の研究の方向を断念した」とまで言った、と伝えた。
 
 新聞報道によると、「iPS細胞」の研究は、山中教授のグループだけでなく、米ウィスコンシン大学のジェームズ・トムソン教授(James A. Thomson)のチームも同様に成功しており、前者の研究は科学誌『Cell(細胞)』の電子版(21日)に発表されたが、後者は『Science』の電子版にほぼ同時期に発表されるという。山中教授の研究では、36歳の白人女性の顔から採取した皮膚細胞に4個の遺伝子を組み込み、約1カ月培養したところ、ES細胞と同等の幹細胞が出現したという。この新しい細胞(iPS細胞)は実験により、神経や筋肉、肝臓など約10種類の細胞に分化することが確認された。その作成効率は、皮膚細胞5千個につき1個で、この割合なら臨床応用に充分だという。(21日『読売』)

 山中教授とトムソン教授の双方が注意を喚起している点がある。1つは、iPS細胞が、受精卵から得られたES細胞と全く同じであるかどうかは、まだ確認が終っていないということ。もう1点は、今回作成されたiPS細胞からは「ガン化」の危険が完全に排除されていないということだ。幹細胞とガン細胞とは関係があるようだが、2006年12月16日(リンクは上記)や今年6月11日の本欄(同)でも触れたように、まだ詳しいことが分かっていない。実際今回、山中教授が使った遺伝子の1つは、発ガン性のものだったという。現在の遺伝子組み換えでは、レトロウイルスというウイルスに目的の遺伝子を組み込み、これを細胞に送り込む。するとレトロウイルスは細胞内のDNAの中にランダムに目的遺伝子を組み込むのだが、その際、組み込まれる場所によってはガン化が起る可能性もあるという。
 
 これらの問題は、今後1つずつ解決されていくに違いない。そしてこの研究によって、世界の再生医療の研究の方向が、受精卵や卵子を使うES細胞から、iPS細胞や成人幹細胞の研究へと大きく転換することを、私は期待している。

 谷口 雅宣
 

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2007年11月17日

サルのクローン胚からES細胞

 最近、幹細胞の研究で画期的な進展があったようだ。「ようだ」という語を付け加えるのは、韓国でかつて人間のES細胞をめぐる似たような進展が「あった」と大々的に発表された後に、それが虚偽だと判断された例を思い出すからである。(本欄2005年5月22日同年11月14日同22日など参照)今回の研究は、生獣のアカゲザルの皮膚細胞の核を除核卵子に組み込んでクローン胚とし、さらにそこからES細胞を作成した、というものだ。これは、すでにネズミを使った研究では達成されていたが、他の動物--とりわけ人間に近いサルで成功したことから、人間への応用の可能性が一気に増大したと評価されている。米オレゴン州にあるオレゴン健康科学大学(Oregon Health and Science University)などの研究チームによるもので、14日付のイギリスの科学誌『Nature』の電子版に発表した。
 
 メディアの報道にも慎重さが見られる。英字紙の『ヘラルド・トリビューン』は15日付で記事にし、「オレゴンの研究者らは、サルの胚の作成にクローン技術を使い、そこから幹細胞を抽出したと報告している」という書き方で、この研究成果を「事実」としてではなく「伝聞」として伝えた。『朝日新聞』も15日の紙面で「……に成功したとの論文を、○○に発表した」と書き、『産経』も同日に同様な書き方で伝え、『日経』は17日の夕刊でこれを伝え、3紙とも2004年の韓国の研究者の発表が後日、捏造だったことにも触れている。注意深い態度と言えよう。
 
 とはいえ、この発表は注目に値する。上記メディアの伝えるところによると、研究チームは、アカゲザルの皮下組織にある繊維芽細胞から核を取り出し、これを除核未受精卵(受精していない卵子から細胞核を除いたもの)の中に注入し、電気ショックを与えて融合させることでクローン胚を作り出した。そして、この胚が分化を始めて100個程度の細胞塊になった「胚盤胞」の段階で、細胞の内部組織を取り出してES(胚性幹)細胞を得たという。さらに『ヘラルド』紙は、この後に研究チームはES細胞から心臓の細胞と神経細胞を分化させることに成功し、ネズミに移植した場合は、体内でその他の様々な細胞にも分化した、と伝えている。
 
 もしこの研究が別の研究者によっても再現できることが確認されれば、どういうことになるだろうか? --サルで成功した研究は、同じ霊長類である人間にも応用できる可能性が大きいから、当然、人間への応用が次のステップとなる。この研究の主任をしたシュークラト・ミタリポフ博士(Shoukhrat Mitalipov)自身、メディアの取材に対して「この方法は人間にも使えることは確かです」と言っている。この場合、考えられる用途は、患者本人の皮膚細胞を使ってクローン胚を作り、そこからES細胞を抽出することで、理論的には体の各部の再生治療が拒絶反応の心配なくできる、ということだろう。これは一見、大いなる医療の進歩である。
 
 しかし、この研究で見えにくいのは「卵子」が大量に使われ、その大部分はむだになっている点である。数字で言うと、14匹のメスザルから「304個」の卵子が取り出された。その結果、得られたES細胞はわずか2株、成功率は0.7%だ。この状態では、人への応用は難しい。韓国のES細胞捏造事件の際も、多くの卵子提供者が協力し、一部に謝礼が支払われたことが問題になった。卵子の売買と区別がつかなくなるからである。このことは「代理母」についても言えるが、「人は、他人の健康の危険を冒してまで自己目的を追究できるか?」という倫理的問題がここにはある。代理母の場合、最低1人の他人が危険を冒す。この研究を人間に及ぼす場合、現段階ではそれ以上の他人を利用することになる。
 
 この効率の問題が解決しても、「クローン胚」の問題が残る。つまり、この胚を子宮に移植すれば「クローン人間」になるからである。昨年6月20の本欄でも触れたが、日本政府はクローン胚作成を条件づきで認める方針のようだが、私にとってあまり賛成できる話ではない。

 谷口 雅宣
 

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2007年9月23日

地球の生命の一体感を広げよう

 彼岸の中日に当たる今日は午前10時から、東京・原宿にある生長の家本部会館ホールで「布教功労物故者追悼秋季慰霊祭」が行われた。私はこの祭の斎主を務めさせていただき、挨拶の言葉を述べた。以下は、その概略である:

 皆さま本日は、秋の慰霊祭に大勢お集まりくださり誠にありがとうございます。このお祭は、私たちの運動の先輩であり、また同志でもある方々で、現世の務めを終えられて霊界へ行かれた人たちとの魂の交流の場であります。生前のご活躍を偲び、感謝申し上げ、今後の顕幽両界での光明化運動の発展を誓い合う場として、誠に意義のあるお祭をもてたことを心から感謝申し上げます。
 
 実はこの慰霊祭で、私には1つ心配していたことがありました。それは、昨日まで気温がとても高く、異常に暑い日が続いていたことです。猛暑の中のお祭となっては、参列者の皆さまにも御霊さまにも申しわけないと考えました。今年の夏は6~7月が冷夏で、8月が猛暑つづき、そして9月に入ってもその暑さが長く続いています。「暑さ寒さも彼岸まで」という昔からの諺も実情に合わなくなってきています。関東地方はそれでも今日は、さすがに涼しくなりましたが、昨日までは真夏日でした。ちなみに、9月22日の東京の最高気温は32.3℃で平年より6.9℃も高く、山形では平年比+7.9℃の31.3℃だったそうです。そのほか仙台は+8.2℃の31.2℃、福島+9.8℃の33.6℃、宇都宮+8.5℃の32.8℃、熊谷+8.7℃の33.8℃、富山+6.8℃の31.5℃、大阪+7.8℃の35.1℃、鳥取+5.6℃の31.3℃など、全国的に暑いのです。

 気候が変わってきていることは、皆さんも--特に農業に関係しておられる方は、肌で感じていることと思います。最近は、1年ごとに気候が変わっています。私が昨年の秋の慰霊祭のときに話したことが『小閑雑感 Part 8』という本に載っていますが、そこには、こう書いてあります。

「このお彼岸の季節は、秋の到来がひとしお明らかに感じられます。“猛烈な”という枕詞がついた台風14号が日本に近づいていますが、幸い本土上陸はないとの予報です。私の家の庭にあるヒガンバナも白い花、赤い花が咲き乱れて実に美しいし、キンモクセイの香りがどこからともなく流れてきます。これからは日増しに秋が深まってきて、作物も、紅葉も、運動会も、遠足も、文化祭も……というように、自然界・人間界の活動は“収穫期”を迎えるわけで、私は個人的にはこういう“秋”が大好きです」
 
 これを読むと、台風はこの間、12号が中国大陸の方へ行きましたから、今年の発生数はわずかに減っているようです。またキンモクセイですが、この花の香りを私は今年まだきいたことがありません。実は、私の家の庭にもキンモクセイはあるのですが、まだ花をつけていないのです。ヒガンバナは白い花が咲いていますが、赤い花はまだ蕾の状態です。これから日増しに秋が深まることは事実でしょうが、彼岸の20日すぎにも気温が30℃を超える“真夏日”が続いているのですから、温暖化の進行は否めないと感じます。
 
 このお盆の時期は、私たちが親や先祖とのつながりを心に深く感じるときであります。また、先に霊界に旅立たれた魂の先輩の業績を偲び、将来に向けて決意を固めるときでもあります。つまり、現世の人間社会の中での“横のつながり”ではなく、霊界との“縦のつながり”を意識し、その大切さを確認するときであります。私たち日本人は、子は親の心を受け継ぎ、親は先祖や先人の心を受け継ぐという形でこの命の“縦のつながり”を大切にしてきました。命の流れを「川」に喩えれば、これは川上方向へ我々のルーツを「遡る」働きです。しかし、今日では、私たちはこの“縦のつながり”の中でも上流ばかりを見ていては足りなくなってきた。つまり、地球温暖化が進んでいる現代では、それを抑制することが私たちの「子」や「孫」のために必要であるという意識が生まれてきています。しかし、その意識はまだまだ不足しているのではないでしょうか? 私たちは21世紀の今、“下流”の命のこともしっかりと考えることが求められています。このことを難しい言葉で「世代間倫理」と言っています。私たちの現在の生き方によって、子や孫の世代の人間に損害を与えてはいけないのです。
 
 さて今日、新合祀者としてお名前を呼んだ238人の御霊様の中にはカタカナの名前も多かったことに皆さまは気づかれたでしょう。全部で38人の方が外国に住んでおられた私たちの運動の先輩であり、また同志であります。割合で言えば16%の人が海外で幹部活動をされていた人たちです。この割合は、今後も次第に増えてくることが予想されます。つまり、それだけ私たちの運動も国際化してきており、海外に於いても重要性が増してきているのです。先ほど、魂の“縦のつながり”の話をしましたが、こうして“横のつながり”も幅広く拡大してきている理由は、地球社会が成立しつつあるからです。私たちの運動が「国」や「地域」の範囲を超えて展開されつつあるのも、そういう理由によります。また、そうしなければ、地球規模の問題を解決することはできません。
 
 地球環境問題が深刻化しつつある中で、これを解決し、後世の人類や生類全体に棲みやすい地球環境を残すための取り組みは、幸いにも世界的にひろがっています。しかし、現在のところ、この取り組みは主として技術的なものであり、また、小規模な制度的改善運動に止まっています。私は、宗教がもしこの取り組みに何か貢献することができるとしたならば、それは“魂の一体感”を人々の心に拡大することだと思います。また、このことが科学や技術や制度改革では難しい点です。「人間は一個の肉体である」という唯物論の考え方からは、生命の“上流”や“下流”のことを思いやり、自らの行動を規制する態度は出てきません。また、地球に棲む生命相互間の関係を重んじる態度も生まれません。
 
 私たちはこれからも、人間は皆、神の子として魂の兄弟姉妹であり、地球上の存在は鉱物も生物も含めて「すべては一体」であるという教えを多くの人々に伝えることで、地球の生命間の一体感を広め、深めていく活動に邁進していきたいと思います。慰霊祭に当たり所感を述べさせていただきました。本日はお参りくださり、誠にありがとうございました。
 
 谷口 雅宣

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2007年9月14日

オウムのアレックス、死す

 12日の本欄で、最近の脳科学の発見について触れたが、そういう科学的研究によってもよく理解できないことは、自然界には多くあるようだ。鳥は、状況に応じて複雑な鳴き声を発することはよく知られているが、そういう鳴き声が人間の言語のように複雑なメッセージを伝えているかどうかについては、科学者の間ではまだ論争がある。たいていは「言語」ではなく「ものまね」か「単純な要求」程度の意味しかないと考えられてきたようだ。ところが、アメリカの心理学者、ペッパーバーグ博士(Irene M. Pepperberg)が育てたアレックスというオウムは、100を超える英語を覚えて話すことで有名になり、テレビ番組などに出ていたという。そのアレックスの死亡記事が12日付の『ヘラルド・トリビューン』紙に載った。
 
 同紙の記事によると、このオウムは先週まで、飼い主のペッパーバーグ博士と一緒に合成語や、発音が難しい単語の練習を続けていたそうだ。そして6日の夜、自分のカゴにもどる際に博士の方を見て、「You be good, see you tomorrow. I love you.」(いい子でね、また明日。愛してるよ)と言ったそうだ。その翌朝、博士はアレックスがカゴの中で死んでいるのを見つけたという。この鳥は31歳だった。記事の見出しは「A thinking parrot's loving good-bye」(考える鳥の愛を込めた別れ)である。まぁ、本当に「愛」まで込められていたかどうかは定かでないが、人間の言語を操る鳥がいることを科学はまだ説明できていない。

 アレックスが話した英語が人間の言語と本質的に同じであるかについては、否定論もある。オウム類は基本的な表現手段として人間の音声を真似ることはできても、そのことは、人間がすでに幼児期に得る論理性や、物事を一般化する能力をオウムがもっていることを示すわけではない、と考える科学者もいる。しかし、この記事によると、アレックスは紙製の青い三角形を見ると、紙の色、その形、そして(三角形に触れたあとで)それが何でできているかを言葉で話すことができたという。この種の実験を実際に観察した心理学者の渡辺茂氏は、『ヒト型脳とハト型脳』という本の中で、その様子を次のように描いている:
 
「このオウムは英語の質問に英語で答えることができる。このオウムに黄色い紙の五角形と灰色の木の五角形、緑の木の三角形と青い木の三角形など、色や形、材質のどれかが同じである2つの物を見せる。そして“何が同じか?”“何が違うか?”と質問する。この問題は見本合わせよりはるかに難しい。なぜなら、オウムは見せられた物を色、形、材質といった様々な性質に分解してから、何が“同じ”で何が“違うか”を判断しなくてはならない。三角形という形が同じだった場合の正しい答えは“三角形”ではなく“形”である。つまり、どの属性が同じだったのかを答えなくてはならない。オウムがよく知っている物を用いたテストで、正答率は約77%だった。さらに、はじめて見る物のテストでの正答率反応率は85%だった」。(p.21)

 アレックスという鳥は、何かの突然変異で人間の言語を獲得した特殊中の特殊のケースなのだろうか。それとも鳥類は一般に、言語を操る能力を備えているが、アレックスのような特殊の訓練を受けないのでしゃべらないのだろうか。もし鳥類が言語能力を潜在的にもっているとしたら、類人猿やサルはどうか。イルカやゾウなどの高等哺乳動物はどうか……など、疑問が次々に湧いてくる。そんな時、「ヤマメにニジマスを産ませる」実験に東京海洋大学の研究グループが成功したというニュースが飛び込んできた。今日の新聞各紙が報道している。ニジマスの精原細胞(精子の元細胞)をヤマメの稚魚に移植すると、ニジマスの精子と卵子をもつ雌雄のヤマメができるそうだが、その雌雄からニジマスを誕生させたのだという。こんなアクロバットまがいの研究をする理由は、この技術を利用して「5年後にはマグロを産むサバをつくりたい」からだという。管理しやすい小さな魚から、大きな魚を得るためらしい。
 
 私はこのような科学者の動機には倫理性が欠けていると思うし、人間至上主義が透けて見える。魚類で得た技術が一気に哺乳類に応用されることはないだろうが、人間のために動物を利用することに何も問題がないのであれば、現在の技術をもってすれば、サルや類人猿、あるいはブタを代理母として、人間の子を産ませることもできるに違いない。精子や卵子を物質と同等に考えれば、それらの遺伝子を操作して、人間の“親”が望む形質のデザイナー・ベビーを動物に産ませる。そうすれば“優秀人間”の増産ができ、不妊治療の負担が軽減され、少子化対策にもなるだろう--こんな怖ろしい考えに結びつかないように、科学研究における倫理規定を早急に整えることが必要である。

 谷口 雅宣

【参考文献】
○渡辺茂著『ヒト型脳とハト型脳』(文春新書、2001年)

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2007年6月11日

新しい再生医療が日本から?

 本欄でときどき取り上げてきたES細胞の研究に代わるような、画期的な再生医療の技術が日本から生まれるかもしれない。「画期的」である理由は、ES細胞が卵子や受精卵などの“新しい生命”を破壊する点で倫理性が問われているのに対し、この技術は皮膚の細胞を利用するためその問題がなく、さらに患者本人のものを使うため拒絶反応の心配もないからだ。6月7日付の『日本経済新聞』などが京都大学と科学技術振興機構の成果として伝えている。
 
 この研究は、京大の山中伸弥教授らによるもので、7日付のイギリスの科学誌『Nature』の電子版に発表された。山中教授の同種の研究は、昨年7月17日の本欄でも紹介したが、4種類の遺伝子を使ってマウスの胎児の皮膚細胞からES細胞に近い多分化能をもつ幹細胞をつくるもの。前回の研究では遺伝子の種類がES細胞と3割程度異なっていたのに対し、今回の方法によれば約9割が一致するという。ただし、マウスを使った研究だから、人間に応用できるかどうかは今後の課題だ。
 
 8日付の『ヘラルド・トリビューン』紙には、この成果に対するアメリカの研究者の讃辞が並んでいる。幹細胞研究では先端をいくスタンフォード大学のアーヴィン・ワイスマン教授(Irving Weissman)は、「生命科学と再生医療の進展にとって、この研究は考えられるうちで最大のものだ」と言い、ハーバード医学校のデビッド・スキャデン教授(David Scadden)は、細胞が簡単な方法で未分化状態にもどせるということは「誠にすばらしく、ほとんどの研究者が10年先の話だと考えていた」と手放しで誉めている。また、幹細胞研究に関してアメリカのカトリック教会のスポークスマンを務めるリチャード・ドゥーアフリンガー氏(Richard Doerflinger)は、この研究は「どの段階においても人間の生命を傷つけたり、破壊したりせずにES細胞に近い能力のものをつくるのだから、深刻な道徳問題はない」としており、ダートマス大学の倫理学者、ロナルド・グリーン氏(Ronald Green)も、「これによってつくられるのは、保護されるべき初期の人間の生命だと言うのは非常に困難だ。人間に適用できれば、この議論を終らせる1つの方法になるだろう」と言う。
 
 上記の『ヘラルド』紙によると、山中教授らの昨年の研究以来、マサチューセッツ州のホワイトヘッド研究所とカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)など他の2つの研究チームによって“再現”のための実験が行われたという。その結果、いずれの場合でも、山中教授が示した4つの遺伝子を挿入することで、マウスの皮膚細胞がES細胞と酷似した状態にもどることが分ったという。ただし問題もある。その1つは、この4遺伝子のうち2つは、細胞をガン化する能力があることだ。実際、山中教授が研究に使ったマウスの20%は、ガンを発症して死んだという。
 
 一般の新聞や雑誌ではあまり語られないことだが、ES細胞を含む幹細胞をめぐる問題の1つに、「ガン化」の可能性がある。このことは、昨年12月16日の本欄でやや詳しく触れたが、ガンが発症する原因はガン細胞の元になる「ガン幹細胞」だという考え方が、専門家の間では知られている。そして、ES細胞などの幹細胞とガン幹細胞との違いは、まだよく分かっていないのである。山中教授らの研究は、倫理問題のある受精卵や生殖細胞の利用を避け、入手が容易な「皮膚」を材料として“万能細胞”を得ようとする点で、倫理性と合理性に優れている。このように、医師や研究者が倫理性を重んじながら科学の可能性を広げる努力を続けていることを知ると、信仰者として大いに勇気づけられるのである。

谷口 雅宣

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2007年4月15日

夫の死後に妊娠する (4)

 4月12日の本欄では、「デジタル」と「アナログ」という概念を使って宗教と科学の関係や違いについて論じた。相当抽象的な議論だったので、読者の中には「何のことか分からない」と不満をもった人もおられるだろう。そんなところに、幸いにもこれと関係する“例題”のようなものが現れた。日本産婦人科学会が夫の「死後生殖」を禁止する会告を決めたという報道が、それだ。今日(15日)付の『産経新聞』によると、同学会は14日に京都市で開いた総会で、凍結保存していた精子を使い、夫の死後に妊娠・出産することは、死亡した夫の意思が確認できないという理由で禁じる会告を決めたという。私は、この決定を歓迎する。
 
 この決定によると、凍結した精子の保存期間は「提供者の生存中」に限定され、提供者が死んだ後は凍結精子は廃棄することを定めている。これによって、凍結した精子を解凍して体外受精などで子を得ることは禁止される。同学会の会告では、凍結受精卵や凍結卵子の死後利用がすでに禁じられているから、これですべての「死後生殖」は学会の方針としては禁止されたことになる。ただし、会告は法的拘束力をもたないので、学会の意向を受け入れない医師や、学会に所属しない医師が「死後生殖」を行うことを止めることはできない。

 さて、これが科学の“デジタル”と宗教の“アナログ”にどう関係するのか? デジタルなものの考え方は、物事を狭い範囲に限定して、その中で白黒をはっきりさせようとする。だから、この場合は、純粋に遺伝子レベルで考え、親の意志だけを判断基準にする方法が“デジタル”な考え方の1つと言えよう。その方法を採用したとすれば、凍結精子は遺伝子的には夫のものであることに疑いの余地はない。そして、夫が生前に精子の凍結に同意したことも事実であろうから、その時点で夫が凍結した精子を後に利用することに同意したこともあまり疑問はない。そして、その夫の精子と妻の卵子を使って子をもうけるのだから、その子が、死んだ夫とその妻との子であることも遺伝的には疑問の余地がない。すると、生前の夫の意志が推定され、遺伝的にも夫婦の子であることを考え、さらに子をもちたいという妻の希望に応えるのだから、死後生殖を行うことに何も問題はない--そういう結論が導き出されるのではないだろうか。

 しかし、純粋に遺伝子レベルで見ることには問題がある。これについては、夫婦のうち妻が妊娠不可能のため、妻の実母に代理母を依頼したという実例が思い出される。この場合も、①夫の同意があり、②遺伝的に夫婦の子であり、③妻が子をもちたいと熱望しているという3条件は、上と同じである。しかし、閉経後の母親に、危険を承知でホルモン剤の投与や受精卵の移植を行なったことが問題になったのである。つまり、「自分の願望実現のために他人を危険に晒す」ことには大きな問題がある。私は、この場合、たとえ母親が代理妊娠を買って出たとしても、その行為には倫理性はないと考える。このことは3月24日の本欄ですでに述べた通りだ。
 
 今回の場合も、「他人を自己目的に利用する」という要素がある。その「他人」とは少なくとも2人いるだろう。1人は死んだ夫であり、もう1人は生まれてくる子である。「死んだ夫を利用する」という言い方は分かりにくいかもしれないが、仮にこの夫が妻の妊娠の3年前に死んでいたとすると、どういう状況が生れる可能性があるか想像しやすいだろう。大体、なぜ半年や1年後でなく、3年後に妊娠しようとするのか。この3年の間に何かが起こったからに違いない。例えば、遺産相続、再婚、あるいは恋人の出現があったとする。とたんに、死んだ夫の子を妊娠し生もうとする行為の目的に、打算の臭いが感じられてくる。つまり、夫の死後の時間が長ければ長いほど、死後妊娠には、夫への愛以外に、自己目的が含まれてくると考えていいだろう。
 
 そういう意味で、死後妊娠を認めるとしたら、そこには厳密な条件をつける必要性が生じてくる。私はだから、昨年9月13日の本欄には次のように書いた--私は現在、個人的にはイギリスのように「夫の同意書があれば認められる」とすることがいいように感じている。ただし、夫の死後いつでもいいとするのは問題なので、スペインのように「半年以内」とかイスラエルのように「1年以内」などと、期限を切って認めるのはどうだろうか。

 こういう考え方がなぜ“アナログ”かというと、上述した“デジタル”な考え方が、夫の死後妊娠に関わる人の数を最小限に絞って考えるのに対し、ここでは夫の家で遺産相続があった場合とか、妻の3年後の再婚相手のこととか、さらに、生れてくる子が成長後に自分の遺伝子を調べる可能性を考慮するなど、連続した広範囲の人間関係の中で行為の倫理性を検証するからである。簡単に言えば、行為の倫理性を「少数の個人」の間で考えるのではなく、社会の中で考えるところが、アナログ的なのである。妊娠や出産はきわめて個人的な行為ではあるが、そこに医療技術が関与したとたんに社会性が生れると言えるだろう。

 なお私は、2005年10月3日2006年9月5日の本欄でも、死後妊娠の問題に触れているので、興味のある読者は参照されたい。

谷口 雅宣

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2007年4月12日

デジタルからアナログへ

 前回の本欄では、科学が基礎としている唯物的生命観と宗教が前提としてきた生命観を比較してみたが、これらをひと言で表現すれば、前者を“デジタルな生命観”、後者を“アナログな生命観”ということができよう。科学では、ある時点を境にしてそれより前の生命は人間ではないが、それより後の生命は人間と見なすというように、「イェスかノーか」、「1か0か」という考え方をすることがある。その方が、ものごとが分かりやすく、また整理しやすいからだ。宗教はこれに対し、そういう人工的な境界線を引くことはせずに、受精から誕生までの過程は、初めから生命であるものが徐々に肉体を獲得して(この世の)人間となるまでの過程として考える。これは、黄色い絵具(魂)に青い絵具(物質)を徐々に混ぜていくとやがて緑色(肉体)になるように、どこまでが黄色でどこからが緑であるかは問題にしない。それよりも重要なのは、両方の色には共通部分が存在し、それが継続していると見るのだ。

 私は、後者の考え方をする方が、21世紀の人類と地球生命にとって良い結果をもたらすのではないかと思う。デジタルな考え方は物事を狭い範囲に限定して考えるため、その範囲内で「他を打ち負かし」たり、「他より抜きん出る」場合には優れている。また、簡単で分かりやすく、したがって同一グループ内での結束を図るには有利である。しかし、物事をより広い視点から考え、他との共通点を見出し、他と共存するという、より高度な--そして、地球温暖化時代に必要な--生き方には不適当である。

 多くの生物はデジタルな戦略に則って生存をはたしてきたと思われる。そのことを最も有力に示すのは、我々の体内にある免疫系の働き方とその役割である。免疫系は、我々の体を“外敵”の侵入から防ぎ、“外敵”と戦い、破損した組織を補修する重要な役割をしている。これを行う細胞の最も重要な働きは、体内にあるものを「自己」と「他者」とに区別することである。そして、「自己」に属する細胞には手を出さずに、「他者」と判別された細胞や物に総攻撃をしかける。これは、きわめてデジタルな機能と言わねばならない。
 
 私はかつて『心でつくる世界』(1997年、生長の家刊)の中で「視覚の中のプログラム」について書いた。我々の視覚には、一連の“自動判定プログラム”が組み込まれていて、目で見た瞬間に、理性的な判断を経ずに結論を出すことが案外ある。その中の一つに私が同書で「対照化の原則」と呼んだものがある。それは「互いに矛盾した要素が一つの図形の中にある」場合、「矛盾のない白黒のはっきりした世界を無意識のうちに見ようとする」(p.74)傾向のことだ。これは我々の視覚の中に一種の“デジタル回路”が存在する証拠である。どんな図形がそのことを証明しているかは同書を参照してほしい。この回路はいわゆる“本能的”なもので、人類が進化の過程で獲得したと考えられる。ということは、他の動物や植物にも程度の差こそあれ、似たような“自動判定プログラム”が存在すると類推できる。

 だから科学が、生物としてのヒトの発生過程のある時点を境にして、「それ以前は非人間」「それ以降は人間」というデジタルな判断を下す方法を採用したとしても、あながち責められないかもしれない。しかし、そのことは、この方法が特に科学的であったり、客観的であったり、優れていることを意味しない。もっと直裁に言えば、科学が提出している“デジタルな生命観”は、科学的というよりは本能的であり、暫定的であり、完全とは言いがたいのである。私はそれよりも、宗教が伝統的に把持してきた“アナログな生命観”の方が、より広範囲の物事を視野に入れているという意味で包括的であり、分かりにくくても、より正確に対象を見ているという意味で客観的だと思う。

 例によってこれを示そう。①人間の誕生も死も、時間の流れの中で段階的に進行する現象だからアナログ的である。にもかかわらず、科学はこれを、ある1点を境にして起こるデジタルな現象として捉えている。②人間と他の動物の違いはアナログ的であることが、DNAの解析や動物行動学等によって分かってきているが、科学(生物学や医学)が動物を人間と峻別する考え方や扱い方はデジタルである。③地球上の生物や鉱物も含めた生態系は、互いに密接に関連し合って(アナログ的に)秩序を形成していることが明らかになりつつあるが、科学は遺伝子組み換えや卵子の凍結保存、キメラ作成などによって、そのアナログ的な秩序をデジタル(人間至上主義的)に破る行為を行っている。
 
 また、世代間倫理の問題は、親世代 → 子世代 → 孫世代 というように前世代の人間の行為が後世代の人間に危害を与える場合に発生する。つまり、複数の世代間のアナログ(連続的)な問題である。これに対して現代民主主義が尊重する自己決定権の考え方は、「他人や社会に危害を与えない限り、個人の選択には最大限の自由が許されるべし」というのだから、自己完結的なデジタルな思想であると言える。

 こうやって考えていくと、現代の主要な問題の背後には、本来アナログな現象をデジタルに解決しようとしているという矛盾が見えてくる。だから私は、現代にアナログな思想や信仰を再構築することで、人類はよりスムーズに問題解決へと進んでいけると思うのである。

谷口 雅宣

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2007年4月10日

唯物論と世代間倫理

 前回の本欄で世代間倫理のことに触れたとき、私は「親世代が子世代や孫世代に危害を与えないための制度的枠組みが必要である」などと書いた。これを読んで驚いた読者もいたのではないだろうか。親というものは本来、子の幸せをこそ願って、自らつらい環境にあっても努力を重ねて子を育て、教育し、あまつさえ我が子のために遺産を残そうとするものだ。それにもかかわらず、「親が子に危害を与える」などということが、数多く起こるはずはない。たといそんな事件があったとしても、それはごく少数の、ごく例外的な、親の名に値しないような人の犯罪行為だから、日本のように警察や裁判所がきちんと機能していれば、特別な「制度的枠組み」など不要ではないか?……そんな疑問が浮かんだかもしれない。

 しかし、私が心配しているのは、血のつながった親子関係のことではなく、親世代と子世代、ないしは親世代と孫世代などの「世代間倫理」のことなのだ。前回の例では、AIDをして子をもうけた親世代と、それによって生れた子世代の間には直接的な親子関係があるが、2回目の東京五輪を実行する世代の人間と、そのために排出される温暖化ガスで不利益を被る次世代の人間との間には、直接的な親子関係は不要である。それどころか、国や民族が違っていても世代間倫理は適用される。もっと具体的に言えば、五輪の開催で関東近辺の企業家や消費者が経済的利益を享受しても、その子世代や孫世代に当たるツバルやモルディブ共和国の人々が海面上昇によって国土を失うことになれば、五輪開催は世代間倫理を破ったことになるのである。

 再生医療の分野でも、世代間倫理の観点から見て疑問のあるものが多くある。それは胎児の組織を利用したり、生殖細胞や受精卵、ES細胞を利用する治療である。これらの治療では、パーキンソン病やアルツハイマー病などの治療のために、生命力あふれる生殖細胞や受精卵、または胎児の組織の一部を移植して、現世代の人間の健康を回復させようとする試みだ。これから人間としての能力を発揮しようとしている生命から、本来の生き方を奪い、現に生きている(そして多くの場合、人生の半分以上をすでに生きた)人間の福祉と延命のために利用する。これが現代の“最先端医療”としてもてはやされているのを、多くの人々はあまり疑問に思わないらしい。ここには明らかに「親世代が子世代や孫世代に危害を与える」状況、あるいは「子世代が親世代の道具になる」状況が生れている、と私は思う。

 さて、これまでの議論で不問に付してきたことが1つある。それは、生物としてのヒトは、卵子や精子などの生殖細胞の段階から、受精卵となり、やがて胎児としての肉体をもった後にこの世に誕生するが、そのいずれの段階から「人間」として尊重されなければならないか、という問題である。この問題への回答は、生物学、認知科学、医学、法学、倫理、宗教……などの側面から何種類も考えられる。私は当然、宗教の立場から回答することになるが、宗教は社会的な倫理の問題とも深く関わっているため、倫理の立場と無縁な答えにはならないだろう。
 
 上のように細分化せずに大ざっぱに言えば、「人間」としての生がいつから始まるかは、科学と宗教の間で大きな違いが出てくると思う。科学は、「測定できないものは存在しない」という純粋科学の伝統を色濃く残しているため、どうしても唯物論的な考え方をする。この場合は、「人間」としての生は「脳が何かを感じることで始まる」と考えるのである。受精卵は生物としては生きていても、脳の元である神経細胞が未分化の状態だったり、神経細胞ができていても痛覚が発達せず、あるいは「人間」としての意識が生じていないと思われる段階では、人間ではないと考える。もしくは生物学的には人間であっても、人格的存在ではないから、人間より劣ると考える。ここから、「人間より劣るものを人間が利用することは許されるべきだ」という論理が生れてくるのである。

 ところが大抵の宗教は、生命の不滅を前提としてきた。この場合の生命とは、物質的、肉体的生命ではなく、「魂」とか「霊」などと呼ばれてきた非物質的、霊的生命である。この生命が肉体に宿って、あるいは肉体を形作って、物質的、肉体的形態をもった人間が生れると考えてきた。そして、その物資的、肉体的形態が故障したり、機能しなくなると、生命はそこから抜け出して別の“体”に宿るか、あるいは別の“体”を自ら形成して生き続けると考えるのである。このような前提に立てば、生殖細胞 → 受精卵 → 胎児 → 人間 という変化は、生命が肉体を形成していく過程であって、どの段階にも切れ目なく生命が関与しているから、ある時点で「人間としての生が始まる」などということはない。初めから人間の生命がそこにあるのである。したがって、上記のいずれの段階にあっても、一人の人間の肉体を他の人間の道具として利用し、あまつさえ利用後の肉体の存続を断つような行為は、非倫理的な加害行為であり、悪業を積むことになるのである。
 
 宗教が前提としてきた生命観は、このように個生命内部において連続的である。それだけでなく、仏教などでは「因果の法則」を説くことで、個生命間でも連続した関係を想定している。例えば、AがBに対して危害を加えればそれが悪因となり、あとでAはCから危害を加えられるという形で悪果を得ることになる、などと説くのである。また、これらABCの関係は同世代の人間に適用されるのみでなく、世代間でも適用される。だから、宗教的な生命観は世代間の倫理の維持に貢献してきたと言えるのである。
 
谷口 雅宣

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2007年4月 7日

人間至上主義について

 地球環境問題がようやく国際政治の前面に取り上げられるようになってきたが、この21世紀最大の問題が人類に投げかけているメッセージをどう理解するかを、人類はまだ合意するに至っていないようだ。私は5年前に上梓した『今こそ自然から学ぼう』(生長の家刊)に「人間至上主義を超えて」という副題をつけて、この現代の思潮が地球環境問題の根底にあることを指摘したが、どれだけ説得力があったか分からない。人間至上主義とは、人間にとっては何よりも人間が大切であり、したがって人間は人類の増殖と発展を至上価値として追求すべきとする考え方だ。「至上価値」という意味は、どんな犠牲を払っても擁護し、あるいは実現すべき価値ということだ。このような考え方にもとづいて、私たちは自然を人間の目的のために改変し、改造し、破壊してきた。今日の地球温暖化は、その結果であると言わねばならない。

 もしこの点で--すなわち、人間至上主義を問題視する点で--人類が合意に達することができれば、地球温暖化や自然破壊の問題の解決は比較的容易だと思う。そのためには人間至上主義的考え方を棄て、それに代る--例えば自然至上主義的な--思想や信条を採用し、拡大していけばいいだろう。そして、そういう思想・信条にもとづいた社会制度や技術、ライフスタイルを構築していくことで、ゆっくりではあるが人類の進む方向に変化が生じていくだろう。ただし、もしそんなことが可能であれば、の話である。

 私がこの点に疑念をもつ理由を話そう。それは、地球環境問題の解決をまだ「技術」(テクノロジー)のレベルで論じる人々が多いからである。曰く、自動車はすべてハイブリッドないしは燃料電池車に変え、エネルギーは原子力を利用し、それでも排出される温暖化ガスは地下に高圧密閉し……等々。こういう議論は、それらの技術がどういう動機で開発されるかをあまり問題にしていない。技術は人間にとって一種の“道具”であるから、“優れた道具”さえ手に入れれば、人間はそれを“優れた目的”に使うと考えているようだ。しかし、1945年の広島や長崎で、また2001年のニューヨークやワシントンで、その期待はドラマチックに裏切られた。しかも、さらに皮肉なことに、この2例とも、それぞれの“優れた技術”の使い手たちは、その技術を“優れた目的”に使ったと信じていたのである。

 私がここで指摘したいのは、“人間の心”が技術を生み出し、技術を使うということである。そして、“人間の心”は常に正しいとは言えないのである。人間至上主義的考え方の最大の欠陥は、この事実を真正面からとらえないことである。人間が科学技術によって力を得て、増殖し、自然と対峙する際には、人間は正しい判断のもとにその力を行使するから、常によい結果が出て、人間はさらに進歩する……そんな楽観論を背後に感じるのは、私の思い過ごしだろうか。私はもちろん、人間罪悪甚重凡夫説者ではない。しかし、現象の人間は食事のメニューを見ても迷うことを知っている。その“人間の心”の問題を無視した人間至上主義には与しえないのである。
 
 私は上に「人間は科学技術によって自然と対峙する」と書いた。それは、そうすべきだという意味ではない。人間至上主義者はそういう態度をとりがちなことを示したかったのである。私は逆に、「自然と対峙しない人間」の生き方を提案したい。それは、人間至上主義ではなく、人間自然主義、あるいは自然中心主義とも呼ぶべき態度である。このような態度や考え方は、人類にとって特に新しいものではない。古来、ほとんどの民族がそれを「宗教」との結びつきの中で信奉し、実践していた。ところが、中世の“暗黒時代”を経験し、さらに20世紀になって多くの先進国で科学的考え方のもとに神仏の存在が否定されるようになると、自然からは神仏の“影”が消え去り、人間は自然を利用し搾取することに心理的抵抗を感じなくなってきた。すなわち、人間の欲望の暴発である。
 
 私はだから、今日の地球環境問題の解決のためには、技術論だけでなく、新しい種類の宗教的自然観が必要だと考える。この場合の「宗教的」という意味は、古い時代の神や仏の概念の復活ではない。「人間の欲望を超えた価値が自然の中に存在する」ことを認め、その価値のために人類全体が、また個人が、自らの欲望を制御・制限することを普遍的倫理として受け入れることである。そのための価値体系の構築が喫緊の課題となっている。

谷口 雅宣

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2007年3月24日

代理出産で母子関係は認めず

 今日の新聞各紙は、タレントの向井亜紀さんと元プロレスラーの高田延彦さんがアメリカで代理出産によって得た子どもを、日本の民法上の実子として認めるかどうかの最高裁判決を第1面で伝えている。ご存じのように結果は、向井さんとその子(双子)の間に「母子関係の成立を認めることはできない」という判決である。つまり、日本の法律上の親子関係はないということだ。その最大の理由は、現行の民法の規定では「出生した子を懐胎し出産した女性をその子の母と解さざるを得ない」から--換言すれば、向井さんではなく、実際に双子を産んだアメリカの女性をその子たちの母親と認定せざるを得ないからだ。生殖補助医療が法律の想定外の状況を生み出していて、そのために遺伝的には母子であっても、法的にはそれが認められないという事態が発生している。だから、判決文も「立法による速やかな対応が強く望まれる」と国会へ異例の注文を突きつけた。
 
 私はこの問題に関して、昨年10月3日同16日の本欄ですでに「代理出産には反対」という見解を書いている。その理由もその時書いているので、詳しくはそちらを参照してほしい。が、ごく簡単にまとめると、この方法は自分の幸福追求のために他人を手段として利用するから、倫理的に好ましくないのである。この「他人」とは、①生れてくる子、に加えて、②代理母となる人間、の最低2人はいる。上記の例では、生れたのは双子だから3人が利用されたことになる。さらに、夫以外の精子提供者がいれば、その数はもう1人増えるだろう。また、アメリカでの代理出産はすべての州で許されているわけではないし、多くの国では禁止されている。さらに言えば、向井さんはアメリカの斡旋業者を利用していて、そこでの依頼人の負担は平均1500万円だという。
 
『朝日新聞』(24日付)によると、日本人夫婦がアメリカで代理出産を依頼する場合は、子が誕生したあとアメリカで依頼人夫婦を親とする出生証明書を得てから帰国する例がほとんどという。この場合、代理出産であることを告げずに日本で実子としての届出をすれば、役所には知られずに実子登録が行われる。そういう子がすでに「少なくとも100人を超える」ほどいるという。向井さん夫婦の場合は、出生地のネバダ州で出生証明書をもらっていたが、事前に代理出産を公表していたため、東京・品川区での出生届が不受理となったのだ。ただ、同夫妻には、特別養子制度を利用する道があり、それが認められれば、子どもの戸籍には実の親子と同様に父母欄には氏名がきちんと記載されることになる。私は、その方法を採れば、同夫妻にも2人の子どもにも現段階で不都合なことはないと思うのだ。

 ところで、代理出産についての専門家の見解は、かなりまとまっていることを指摘しておこう。日本産科婦人科学会は、第三者に多大な危険と負担をかけ、生れてくる子の福祉にも反するとしてこれを禁止している。厚生労働省の部会は平成15年4月、法制化に当たっては罰則付きでこれを禁止する方針を決定ずみだ。また、日本弁護士連合会も今年1月、「生れてくる子供の福祉や“人間の尊厳”自体を侵害する危険性が高い」として代理出産を禁止する法律の整備を求めている。(24日付『産経』)だから、最高裁が注文した「立法による速やかな対応」までの距離は、それほど遠くないと思うのだ。日本学術会議での審議は、今年1月からすでに始まっており「約1年」で結論をまとめる予定という。この問題は生殖医療に止まらず、再生医療や遺伝子治療、ガン治療などとも、「ES細胞」や「クローニング」などの技術を通して互いに密接に関連している。私は、本件を1つの“突破口”にして、わが国の生命倫理の原則を確立することはできないものか、と思う。
 
谷口 雅宣

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2007年2月21日

好奇心の肥大化の先に

 人間の好奇心は、科学を発達させてきた大きな要因であり、哲学や宗教を支えてきた基礎的な力である。しかし、それが“欲”と結びつくと、人を危険な結果へと導くことがある。このことは多くの神話や文学にも取り上げられてきた。『創世記』の失楽園の物語には、ヘビにそそのかさえたイブの好奇心が描かれ、日本の国生みの神話にも、「見てはいけない」との妻の警告を守らないイザナギノミコトが描かれている。生物の遺伝子の研究も、最初は好奇心から始まったものだろうが、現在では家畜や作物の遺伝子を解明することで莫大な利益が生まれ、それが国家間の利害関係や人類の運命にも関わるほどになってきた。

 2006年現在、地球上で遺伝子組み換え作物(GM作物)が栽培されている面積は、1億200万ヘクタールほどだそうだ。前年比で13%増え、初めて1億ヘクタールを超えたという。21日付の『朝日新聞』が伝えている。GM作物に関する情報をまとめている国際アグリバイオ事業団(ISAAA)の調査によるもので、栽培国は22カ国、食料や飼料として輸入が認められているのは、日本を含めて51カ国。栽培面積はすでに日本国土の2.7倍に達しているという。栽培面積の国別順位は、①アメリカ(5460万ha)、②アルゼンチン(1800万ha)、③ブラジル(1150万ha)、④カナダ(610万ha)、⑤インド(380万ha)。6位は中国で、日本は栽培国に含まれていないが、実際は小規模な実験栽培が行われている。インドは、害虫抵抗性のワタの作付けが前年の3倍近くとなったため、中国を抜いて5位に入ったという。
 
 ところで、同じ21日付の『日本経済新聞』には、慶応大学先端生命科学研究所が、バクテリアの遺伝子にデータを保存する技術を開発したことが報じられている。枯草菌(こうそうきん)のDNA配列の複数箇所に、フロッピーディスク1枚分のデータを収納することが可能になったというのである。枯草菌は、空気中や枯れ草・土壌中など自然界に広く分布する細菌で、味噌・醤油のもろみにも多数存在する(『大辞林』)という。納豆菌もこの一種だ。しかし、いったい何のために細菌にデータを収納するのだろ? 記事には、「CD-ROMなど既存の記録媒体より格段に小さく何100年も長持ちする“生物メモリー”が将来登場するかもしれない」と書いてある。
 
 科学者が「特定の生物に自分の痕跡を残しておきたい」という気持は理解できなくもない。実際、新しい彗星や新種の生物に、発見者の名前を冠したりする話は聞いている。しかし、名前を冠したからといって、その彗星や生物を発見者が「所有」するわけではない。私が言うのは、「拾ってきた捨てネコに名前をつけて飼う」というような、特定の個体の話ではなく、「イリオモテヤマネコ」という新種のネコを発見した人が、その種に属するすべての個体を所有することなどない、という話である。しかし「生物のDNAに個人や法人独自のデータを収納する」という考え方には、この「種としての所有」の概念が含まれていないか、と私は危惧するのである。

 上記の記事には、枯草菌は約30分で世代交代するから、そのたびにDNAの配列がわずかずつ変化する点を改善するため、DNAの複数箇所に同じ情報を組み入れて、データの修復を可能にした、と書いてある。だから、これは「数限りない世代を通して同一データを所有する」ための研究である。ということは、遺伝子の一部を改変した生物種全体を所有したり、利用することにつながらないだろうか? 現に、上述した莫大な量の遺伝子組み換え作物は、それを開発した製薬会社や種苗会社の所有ということになっており、栽培のためには莫大な金額のライセンス料が支払われているはずだ。開発企業としては、そういう収入がなければ開発費を回収できないからだ。

 バクテリアをデータ保存の媒体に使うことと、遺伝子組み換え作物の利用とは必ずしも同じではないかもしれない。しかし、科学技術の発達に際して常に出てくる問題が、ここにも存在する。それは、新しい便利さは新しい不便さを生むということだ。人間が他の生物のDNAを利用することは、そのことを生物界全体に広げることにならないだろうか。

谷口 雅宣

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2007年2月16日

『日々の祈り』について

Dailyprayers  本サイトに掲載した祈りの言葉をまとめた『日々の祈り--神・自然・人間の大調和を祈る』(=写真)が、宗教法人生長の家から発行された。今日、私の手元に見本が届けられたから、月末には全国で入手できるようになるはずだ。本書には「日々の祈り」欄に発表した49の祈りが収録され、新書判上製で258ページになっている。収益金の一部は、森林再生のために寄付される予定だ。
 
 49の祈りの言葉は、「神を深く観ずるために」「自然を深く観ずるために」「人間を深く観ずるために」「明るい人生観をもつために」「人生のすばらしさを観ずるために」「“病気本来なし”を自覚するために」の6種類に分類されている。しかし、人間は古来、自然を通して神を観ずることをしてきたし、神を観ずるときに自然を観ずることも多く、また、人間を観ずることは神を観ずることにもつながる。さらに、「明るい人生観」と「人生のすばらしさ」もニワトリと卵の関係にあるから、これらの分類は、読者が祈る言葉を選ぶ際の便宜上のものだと考えてもらっていい。
 
 本書の副題を「神・自然・人間の大調和を祈る」とした理由を少し書こう。

 現象としての現在の地球世界は、この三者が必ずしも調和していないし、場合によっては深刻に対立している。このことは、しかし今に始まったことではない。『創世記』の第1章には、天地創造をした神が自分の創造物を見て「はなはだよい」と讃嘆したことが書いてある。ところがそれ以降の記述を読むと、はなはだよかったはずの被造物のうち、まずヘビと人間が神の言いつけに従わなかったため、神は怒って人間をエデンの楽園から追放する。これ以降も、バベルの塔をつくることも含め、旧約聖書全体を通して、人間は繰り返して神の意思に反する行為をする。これに対し、神は洪水や疫病などの自然の力を使って人間を罰し、正しい道にもどそうとする。

 このような過去の三者の関係が、現代はだいぶ変化してきているようだ。過去において神と自然は人間を圧倒していたが、その関係が逆転しつつある。人間は科学によって自然を研究し、その内部の法則を次々と発見した。そして、自然法則を利用して技術を開発し、それを人間の目的に使ってきた。当初は、生命のない物理科学的な自然の利用を進めていたが、次第に生物の利用を進め、現在は遺伝子操作によって、かつて存在しなかった生物を誕生させたり、人間自身の誕生の時期や可能性さえ操作できる技術を身につけた。また、極微の世界の原子を破壊したり、原子や分子の1つ1つを操作する技術も手に入れただけでなく、これら諸々の活動によって地球の大気の組成まで変化させ、気候変動を起こしつつある。これらすべては「神のため」ではなく、「人間のため」として行われているのだ。

 しかし、こういう人間の活動は、本当に「人間のために」なっているのだろうか? 人間は「神は死んだ」と宣言し、伝統的な宗教的価値を次々に否定し、生殖医療や、人間と動物が混ざり合ったキメラを開発して自然を“神”に対抗させている。が、これらに反対する人々の一部は、逆に「神のため」と称して大勢の人間の無差別殺戮を行う。これは一種の“神と人との戦い”ではないか? それは「人間のため」であるはずなのに、当の人間は一向に幸福に近づいていないように見えるし、“テロとの戦争”の最中に、地球温暖化の進行による被害はどんどん拡大している--こんな見方ができるほど、三者の関係は不調和に見えるのだ。

 しかし、これらの悪現象は、人間の心が仮構した一種の“幻影”にすぎないのである。生長の家は、神の創造になる実相世界では、神・自然・人間の三者は本来、大調和していると説いている。ところが、我々の目の前に展開する現象世界は、人間の心の“迷い”を映し出しているために、歪んだり曇ったりして見える。その“迷い”とは、人間の神に対する不信・不信仰であり、自然に対する不信、人間に対する不信である。読者が本書中の祈りの言葉を日々朗読することにより、それらの迷いが“コトバの力”によって取り除かれ、本来大調和の神・自然・人間のすがたが多くの人々に自覚されることで、現象界の諸問題が解決される一助となることができれば幸いである。

谷口 雅宣 (京都議定書の発効日にあたって)

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2007年1月22日

幹細胞に潜む「ガン化」の危険

 受精卵や卵子などの生殖細胞から作り出されるES(胚性幹)細胞の研究と利用について、私は本欄や著書を通じて一貫して反対を表明してきた。主たる理由は、これが他者の犠牲の上に成り立つ技術であるからで、そのほか移植時の拒絶反応など安全性の問題、クローン人間誕生の危険などいろいろある。しかし、私はすべての再生医療の研究に反対しているのではなく、患者の体内にもともとある成人(体性)幹細胞を使ったものについては、積極的にその研究に賛成してきた。しかし、後者については、これまでどれほどの治療実績があるのかよく知らなかった。今日(1月22日)の『日本経済新聞』には、その点をまとめた記事が掲載されていて、興味深く読んだ。

 記事には「ES細胞を使わぬ再生医療」という題がついており、これを実施または計画中の医療機関として、京大、札幌医大、山口大、国立循環器センター、大阪医大、埼玉医大、信州大、関西医大、自治医大、京都府立大、岡山大、久留米大など多くの機関名が挙げられている。使用される幹細胞は、骨髄液、足の筋肉、脂肪、心臓、腕や足の血液などから採取し、それを人工増殖して患部に投与したり、接合させる。これによって、血行障害や角膜再生、乳癌切除後の乳房再建、脳梗塞など、国内ですでに100件を超す臨床研究が実施されているという。
 
 これに対して、ES細胞を使った臨床研究が国内で行われたという事実を私は知らない。これは、ES細胞の入手が困難であり、安全性にも問題が残っているということを示しているのだろう。それなのに医学会がES細胞の研究・利用に熱心なのは、これが他の体性幹細胞に比べて“万能性”に優れていると考えられているからだ。この場合の“万能性”とは、ES細胞から分化して成長する細胞の種類が、他の体性幹細胞のそれよりもずっと多いとされていることを意味する。しかし、この“万能性”の中に危険性が潜んでいるという専門家の見解もあるのだ。ES細胞のことがメディアで報道される際、この危険性のことには全く触れられないことが多い。
 
 昨年12月16日の本欄で、私は「ガン幹細胞」の存在について書いた。これは「ガン細胞を生み出す幹細胞」のことで、白血病、乳ガン、脳腫瘍、卵巣ガン、肺ガン、皮膚ガンに、これが存在することがすでに確認されている。1月8日付で Newswise 上に概要が発表された南カリフォルニア大学などの研究によると、「ガンは少数の幹細胞から生じる」という仮説を裏づける結果が乳ガン、結腸ガン、肺ガン、卵巣ガンで確認されたという。

 幹細胞は、後に他の細胞に分化する際に働く遺伝子が“オフ”状態になっていると考えられている。正常の幹細胞では、この“オフ”状態が“オン”状態へもどり、必要な細胞へと分化する。しかしガン細胞では、この“オン”のための遺伝子が「DNAメチル化」(DNA methylation)という遺伝によらない過程によって変異し“オン”状態にもどらなくなっているらしい。上記の研究論文では、「可逆的な遺伝子抑制は恒久的な遺伝子抑制に取って代わり、その細胞を永久的な自己更新の状態に置くことで、後に続く悪性変異の素因をつくることになる」と表現している。これはつまり、幹細胞自体にガン細胞へ変異する可能性が含まれているということだろう。

 ここで問題になるのは、ES細胞と体性幹細胞のどちらがガン化の可能性が高いかだが、この点について論文は何も触れていない。この点の研究が進めば、同じ幹細胞であっても、ガンとの関係でES細胞と体性幹細胞のどちらがより安全であるかという医学的な判断ができるようになるだろう。そうなれば、再生医療の方向性にも大きな影響が出てくるに違いない。

 ところで、私がここで指摘しておきたいのは、人間の肉体の生と死は、「ガン」という病気において併存しているという点である。限りなく自己更新を行う幹細胞は、「生きたい」という意志の体現者である。しかし、その「生きたい」意志が止まらなくなると、細胞はガン化して結局、生体全体の死を招くことになる。ここに、再生医療が抱える基本的な問題があるように感じられる。
 
谷口 雅宣

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2007年1月13日

羊水から幹細胞を得る

 私は本欄や著書などで、受精卵や卵子を使ってES(胚性)細胞を得ることにたびたび反対し、その代りに宗教的、倫理的問題が少ない成人(体性)幹細胞の研究を推進すべきことを述べてきた。医学的に言っても、後者は患者本人の細胞を使えるため、拒絶反応の心配が少なく安全であるからだ。しかしその反面、成人幹細胞は、ES細胞のように一度にまとまった量を得ることが難しく、分化能力についてもES細胞の“万能性”には劣るとされてきた。ところが最近、人間の子宮中の羊水からES細胞に似た幹細胞を取り出して、組織や臓器に分化させることにアメリカの研究グループが成功した。羊水中の幹細胞は、分化の方向が決まっている幹細胞とES細胞の中間的な性質をもっていると見られ、再生医療の分野で宗教的・倫理的問題をクリアできる可能性があるとして注目されている。

 1月8日付の共同電9日付の『ヘラルド・トリビューン』紙などによると、この研究はアメリカの科学誌『Nature Biotechnology』(電子版)に7日付で発表されたウェーク・フォーレスト大学とハーバード大学の研究者の論文で明らかになった。研究者らは、妊娠した女性の子宮の羊水から幹細胞を抽出し、培養した後、神経、肝臓、血管、脂肪、骨の細胞に分化させることに成功した。主任研究者のアンソニー・アターラ博士(Anthony Atala)によると、この幹細胞の特定には約7年を要したが、分化能力は優れていて、今後さらに何種類の細胞に分化できるかわかっていないという。また、ハーバード大学のジョージ・デイリー博士(George Daley)は、将来、妊娠中の女性が羊水を取って凍結することにより、その子の成長後に拒絶反応のない治療ができる可能性があるとしている。

 羊水の採取は、胎児の異常などを調べる羊水検査でごく普通に行われているため、母胎への危険も少ない。難点は、この幹細胞の割合が羊水中の細胞全体の1%と少ないことだが、36時間で倍増する高い増殖能力をもっているという。
 
 この研究については、ローマ法王庁も歓迎しているようだ。9日付のロイター電によると、ヴァチカンのジャヴィエル・ロザーノ・バラガン枢機卿(Javier Lozano Barragan)は8日、地元の日刊紙のインタビューに答え、この研究を「とても重要で、倫理的にも容認できる進展だ」と評価し「教会は反啓蒙主義ではなく、命の源泉を脅威にさらしたり、操作したりしない科学の進歩については、いつでも歓迎する用意がある」と述べたという。

 ところで、アメリカの連邦議会下院は11日の本会議で、ES細胞研究への予算の使用制限を緩和する法案を253対174票の賛成多数で可決した。この法案は、不妊治療でつくられた“凍結余剰胚”から抽出されたES細胞の研究に、連邦予算の使用を許そうとするもので、同様の内容の法案は昨年も可決されたが、ブッシュ大統領の拒否権行使で成立しなかった(昨年7月20日の本欄参照)。ホワイトハウスは11日に声明文を出し、「この法案は、人間の受精卵を意図的に破壊することで可能となる研究のために、すべてのアメリカ人に納税を強いるものだ」として、大統領は今回も拒否権を発動するだろうと宣言した。
 
 13~14日付の『ヘラルド・トリビューン』紙によると、この法案に反対した何人かの共和党議員は、上記の羊水から得る幹細胞や成人幹細胞の可能性について触れた。例えば、テキサス州選出のジェブ・ヘンサーリン議員(Jeb Hensarling)は、「私は、多くのアメリカ人が道徳的に抵抗のある研究に資金を供与するのでない、倫理的な幹細胞の研究には賛成だ」と言ったという。これはヴァチカンの立場と同じであり、私の考えとも一致するものだ。

谷口 雅宣

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2006年12月16日

ガンをつくる幹細胞

 本欄では、これまでES(胚性幹)細胞や成人(体性)幹細胞を治療目的に研究する問題を取り上げ、宗教や倫理面などから前者よりも後者の研究を推奨してきた。このことは、2002年に上梓した『今こそ自然から学ぼう』(生長の家刊)から一貫して述べてきたことだが、これら幹細胞の中には「ガン幹細胞(cancer stem cells)」というのがあることを、最近知った。ガン幹細胞とは、ガン細胞を生み出す元の細胞のことである。

 イギリスの科学誌『New Scientist』は11月25日号で「The traitors within (内なる裏切り者)」と題する4ページの記事を掲載し、このガン幹細胞のことを詳しく伝えている。幹細胞は、古い細胞を入れ替え、様々な種類の新しい細胞になって体を補修する点が注目され、長い間“いい者”として取り扱われてきた。ところが、この幹細胞にも“悪者”がいることが分かってきたというのだ。それは、乳ガンを含むいくつかのガン細胞を生み出す幹細胞のことだ。放射線治療などで周囲にある多くのガン細胞が死んでも、その幹細胞は生きていて新しいガン細胞を次々に生み出すらしい。ガン幹細胞は、DNAのダメージを自ら修復する能力があり、しかも、他の幹細胞との違いはまだよく分っていないという。
 
 ガン幹細胞の存在が証明されたのは1994年、カナダのトロント大学のジョン・ディック博士(John Dick)らのチームが急性白血病の患者を治療していたときで、ガン細胞表面の蛋白質をもとにしてガン細胞を2種類に分離した。それらを、免疫機能を抑えたマウス2匹に別々に移植したところ、同じガン細胞でありながら一方はガンとなり、他方はガンにならなかった。だから、ガンを生み出した方の細胞がガン幹細胞ということになる。この幹細胞の数はきわめて少なく、血液中の細胞では数百万個に1つほどだという。当初、ガン幹細胞は白血病に特有の細胞だと考えられていたが、その後、乳ガンと脳腫瘍の細胞からも発見され、さらに卵巣ガン、肺ガン、皮膚ガンの細胞からも発見されている。
 
 ガンにも幹細胞があると分かったことで、これまでのガン治療は根本的な見直しを迫られているという。なぜなら、これまでのガン治療では、「ガン細胞がガンの拡大や再発につながる」と考え、ガン細胞自体を対象にして切除したり、放射線や化学療法で殺したりしてきたからだ。しかし、ガン細胞はガン幹細胞から生まれるのであれば、このガン幹細胞を取り除かなければガンはなくならないことになる。ガンの研究者は今、その方法の開発に取り組んでいるというのだ。

 語呂合わせではないが、「ガン細胞」と「幹細胞」は性格が似ているということを覚えておいた方がいいようだ。7月18日の本欄で、京大再生医科学研究所の山中伸弥教授の開発した「人工幹細胞」のことに触れた際、同研究所の研究目標をウェッブサイトから引用した。そこには「患者自身の細胞からES細胞に類似した多能性と増殖能を有し、腫瘍形成能は持たない幹細胞を樹立することを目標に研究を行って」いると書いてあった。「腫瘍形成能」とは「ガン化する」という意味だから、幹細胞にはガン化の可能性があることは、専門家には以前からよく知られていたことなのだろう。
 
 ところで、話はアメリカへ飛ぶが、今同国の中年女性の間で騒がれているガンの話がある。それは、更年期障害の症状を和らげるために服用されてきたホルモン剤が、乳ガンの発症と強い相関関係があることを示す研究結果が発表されたことだ。もっと正確に言うと、アメリカでは2002年の7月、乳ガンとエストロゲンを含むホルモン剤との“弱い関係”が指摘されたのだが、これに驚いた医師や女性がこの薬の使用を控えたため、半年後には薬の売り上げが半減したそうだ。今回の研究は、その年の8月から翌年の12月までの乳ガンの発症率を調べたものだが、それは「15%」も減ったというのである。
 
 更年期に達した女性が、分泌の減ったエストロゲンを薬として外から服用することで、若さの維持や骨粗しょう症の予防ができると考えられてきたのだが、見えないところに“伏兵”が潜んでいたようだ。幹細胞は、自らを次々に複製するとともに他の細胞を生み出すから、「若さ」の象徴とも言える。しかし、“永遠の若さ”を求めることは、同時にガン細胞の発生を助けることにもつながる。ガン幹細胞の存在は、我々にそんな警告を発しているような気がする。
 
谷口 雅宣

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2006年12月 7日

豪が人クローン胚研究へ

 人クローン胚の作成や研究に関して、私は人間の命を宿す受精卵を道具として使うという倫理問題があるため、『今こそ自然から学ぼう』(2002年、生長の家刊)や本欄(最近では9月11日)などを通して何度も反対してきた。宗教法人「生長の家」もこの9月に、文部科学省に対して「反対」の見解を提出した。幸いアメリカのブッシュ大統領も、宗教的見地からこれに明確に反対の意思を表明してきていたので、私はブッシュ氏とはイラク戦争では見解が異なるものの、心強く感じてきたのだった。ところがこのほど、イラク戦争でアメリカに賛成したオーストラリアが、人クローン胚の研究と利用にゴーサインを出す決定をした。12月7日付の『ヘラルド・トリビューン』が伝えている。
 
 それによると、オーストラリア下院は6日、ハワード首相ら指導者の反対にもかかわらず、人クローン胚を幹細胞の研究に利用する法律を82対62で可決した。上院はすでに11月7日に、同法を34対32で可決している。下院の採決では、すべての政党が党議拘束を外し、各自の“良心にしたがって”投票することになったという。ハワード首相は議会で、「私はこの法案に反対する。その理由は、我々はこの社会で最終的に、ある絶対的価値を守らなければならないからだ」と発言。「ここで問題なのは、道徳的な絶対価値だ。それが、この法案を支持することができない理由だ」と述べたという。
 
 オーストラリアは2002年に、不妊治療のために作られた余剰胚(受精卵)からES細胞をつくることを認めたが、人クローン胚の作成は認めなかった。今後は、皮膚などの体細胞と卵子の細胞を接合させてつくる人クローン胚が、治療目的であれば許されることになる。しかし、人クローン胚の輸出入や、人間や動物への移植は禁じられている。同国国民の意識は治療目的の人クローン胚にはきわめて好意的で、この6月に公表された世論調査では80%が賛成しているという。
 
 ところで私は、人クローン胚やES細胞のように、人間の生殖細胞を材料にする再生医療よりも、患者の体にもともとある各種の成人(体性)幹細胞の研究を促進すべきだと訴えてきた。成人幹細胞は、これまで脳、骨髄、髪、皮膚、脂肪、歯胚、臍帯血,生殖器……など、ほとんど全身に存在することがわかっている。(詳しくは、7月27日の本欄参照)こちらの研究は、造血幹細胞などで人を対象にした治療が実際に進められているのに対し、人クローン胚やES細胞を使った具体的な治療例はまだないのである。効果が実際の臨床例で確認されていない治療法の方が、脚光を浴びているのは奇妙な現象である。

谷口 雅宣

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2006年11月14日

宙のネズミ (4)

 チュー子のT製薬への引き渡しは、あっけなく終った。渋谷の裏通りにある若者向けのカフェで、田村は大学に出入りしている担当者と会い、その男と一緒だった50代の男と名刺を交換した。新薬開発部の「部長」という肩書きがついていた。その部長が、チュー子の入ったプラスチックケースをうやうやしく推し戴いて、担当者とともに夜の渋谷の雑踏の中へ消えていった。
 
 その翌日に、部長の名前で田村の銀行口座に500万円が振り込まれた。それは頭金で、その後の研究の進展にともなって「顧問料」が支払われる合意ができていた。T製薬への情報提供はすべて電子メールで行われ、電話や郵便は使わないことになっていた。メールの相手は新薬開発部の「T」という仮名の研究者だ。だから田村は、相手がどんな人物でどこにいるのか、皆目見当がつかなかった。
 
 チュー子を引き渡してから1カ月間は、Tからの問い合わせのメールが頻繁に来た。その内容から、田村はチュー子の様子と研究の進行具合が推測できた。写真も同時に送られてきたので、チュー子の腹に移植された“黒い帯”が胴全体にだんだんと広がっていく様子もよくわかった。T製薬は、チュー子から採った田村の頭皮をシャーレの中で培養し、増殖した分をチュー子の皮膚と入れ替えることで、白いマウスを黒いマウスへと作り変えつつあった。田村がTに指示した計画では、チュー子の全身が黒い毛で覆われた後に、その皮をはいで田村の頭に移植することになっていた。これによって、拒絶反応もなく黒々とした頭髪が再現できるはずだった。

 田村は、最終的にはマウスを使わずに、培養器の中だけで頭皮と頭髪を増やすことを目指していた。そうしないと、高価な実験動物の値段と、その世話に必要な人件費や無菌室の維持管理費など様々なコストが発生し、男性型脱毛症の治療としては一般人の手が届かないものになってしまうからだ。もう1つの問題は、「動物に移植した頭皮を人間にもどす」という方法が、一般の人から治療法として受け入れられるかという問題だった。すでに海外では、ブタの心臓や胃を患者に移植するという異種間移植は行われていたが、日本では評判がよくなく、実施例は少なかった。自分の体内に動物の臓器を入れるということを、感覚的に拒否する人が日本には多いのかもしれない。それなら、動物の体内で培養した皮膚に対しても、それがたとえ自分の皮膚であっても抵抗を感じる人が多い可能性があった。しかし現段階では、頭皮の増殖はマウスを使わずにうまくできる。が、そこからなかなか髪が伸びてこないのである。そして、チュー子の体に田村の頭皮を移植すると、不思議にも髪は伸びてくるのだった。

 この現象は、さほど驚くべきことではない、と田村は考えていた。それは、マウスの体内の化学物質の中に毛包を刺激して、髪を伸ばす働きをもつ成分があるからで、これが何であるかを探り当てれば、今回の研究目的はほぼ達成するはずだった。あとはその成分を人工的に合成し、培養器内でシート状に増殖させた頭皮の上に適量を垂らす。すると、髪の毛は一斉に伸び始めるに違いない。もしかしたら、この成分こそ“究極の毛生え薬”かもしれない。そうとなれば、もうチュー子を実験で痛めつけることも、自分の頭皮を剥ぎ取ることも、金輪際不要になるのだ--田村は、自分が記者発表の席上、被っていた帽子を脱いで黒々とした頭を見せ、それを昔の自分の写真と比較する様子を想像して、笑いを隠すことができなかった。
 
 そんなこんなで8月はたちまち過ぎ、9月も半ばに入った。K大のキャンパスには学生たちがもどって来ていた。そんなある日、田村はTから届いた電子メールを読んで衝撃を受けた。(つづく)

谷口 雅宣

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2006年10月27日

宙のネズミ (2)

 田村宙は、K大医学部の若手の癌研究者としては、新分野である生命機能の研究に関する論文も多く、注目されていた。30歳で結婚して生活も安定し、仕事に打ち込める環境にあったが、1つだけ悩みがあった。現在33歳でありながら、髪の毛が薄いのである。普段は帽子を被ることで目立たないようにしていたが、夏場の帽子はやはり暑い。いっそのこと残りの頭髪も剃り落して坊主頭にする方が見栄えがいいかと何回も考えた。しかし、「眉が薄くて細い目のあなたには似合わない」と妻に言われると、髪を剃る決心ができないのだった。髪の毛の薄さはインテリジェンスとは関係ないと分かっていても、外貌は社会生活に重要である。形成外科の技術がこれだけ進んでいる現在、発毛や育毛の問題を医学が解決できないはずはない。田村はそういう信念のもとに、皮膚にある幹細胞の研究にも取り組んでいたのである。
 
 幹細胞とは、体の各部でそれぞれの役割をになう細胞になる前の“素の細胞”のことである。血液が作られるとき、骨髄中の造血幹細胞が分化して赤血球や白血球ができるように、体の表面を覆う皮膚ができるためには、その素となる幹細胞が表皮の奥から分化して、皮膚の細胞になって表面に押し出される。毛髪や体毛の場合も、これと同じ仕組みがある。それは「毛球」と呼ばれる髪の付け根部分にある幹細胞だ。専門的には「毛母細胞」と言う。新しい毛球は普通、3~4カ月の休止期間の後、2~6年間活動を続けて髪の毛を伸ばす。このあと退行期に入り、やがて脱毛する。髪が薄くなるのは、この毛球の成長期が数カ月から1年と短く、髪が十分成長しないうちに毛球の退縮が始まり、脱毛してしまうからだ。
 
 この脱毛部分にはDHT(ジヒドロテストステロン)という物質が高濃度に存在するため、これが髪の成長期を短くする原因物質と考えられていた。DHTは男性ホルモンのテストステロンから作られるから、男性ホルモンの多い人は髪が薄いと言われるのである。しかし、そういう人でも、頭皮には毛母細胞を含む毛球が残っていることがほとんどだ。だから、うぶ毛(毛包)は生えている。そのうぶ毛の毛球の活動を盛んにすることができれば、髪は再び成長する可能性が十分あるのだった。

 田村が持つ箱の中のマウスには、彼自身の数少ない髪が移植されて生えている。それは植毛のように1本ずつを植えるのではなく、頭皮の小片を毛根ごと剥いでマウスの腹部に移植したのだ。背中は目立つので避けた。同僚の医師が彼の頭皮を切り取り、それを洗浄して培養液の中に浸けるところまでをした。幹細胞の研究に毛包を使うことは珍しくないから、不審な点はなかった。その後、別の日に田村自身がマウスの腹への移植を行なった。こうして白いマウスは、腹にだけ黒い毛を帯状に生やすことになったのである。
 
 田村はこれに「チュー子」という名前をつけた。自分の名前を混ぜたのだ。マウスには文字通り自分の体の一部が混ぜてあるだけでなく、自分の願いを托しているからでもある。「チュー太」や「チュー吉」でないのは、雌のマウスだからだ。男性ホルモンの影響を受けにくい実験環境が必要だった。

 田村は、超免疫不全マウスであるチュー子の体を培養器として使うことで毛母細胞の増殖を行い、最終的には自分の頭髪の問題を解決できればと考えていた。そのことが、公私混同になるとは少しも思わなかった。なぜなら、日本では1260万人もが、この男性ホルモンによる男性型脱毛症(androgenetic alopecia)で、そのうち800万人は田村と同じようにそれを悩んでいて、うち600万人は何らかの治療法を試みたことがある、と言われているからである。マウスを使って確かな治療法が確立すれば、多くの人がこの忸怩(じくじ)たる悩みから解放されることは明らかだった。 (つづく)

谷口 雅宣
 

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2006年10月24日

宙のネズミ

 なまあたたかい夜だった。

 田村宙は、K大の研究室から白い上衣のポケットを押さえながら出てきた。上衣はボタンをかけていないから、一歩踏み出すたびに長い裾が風に揺れる。上衣の下はTシャツとジーンズというラフな恰好だったが、歩き方は爪先から前に出るような摺り足で、体の上下動を極力抑えている様子だった。

 大学構内には電燈は多く点いていなかったが、隣接する10階建ての白い建物から反射する街の光が、構内のアスファルトの道をぼんやりと浮かび上がらせていた。田村は、歩きながらゆっくりと体を回転させて、周りの様子を確かめると、自分の車のある駐車場へと向った。

「誰もいない……」という安心感が、彼の歩く速度を緩めていた。

 ポケットの中の右手で胴体に押しつけて保持していた箱を、田村はそろそろと引き出してみた。透明プラスチックに囲まれた狭い空間の中で、白い小動物は何ごともなかったように動きながら、鼻をひくひくさせている。彼は立ち止まり、箱を目の高さに差し上げてその動物を見つめた。

「おまえにはすまんけど、医学の発展のために一肌脱いでくれや」

 田村はそう呼びかけてから、箱をゆっくりと地面に置き、自分の白い上衣を脱いだ。エアコンのきいた研究室内は涼しかったが、8月の夜はやはり暑い。そう言えば、今晩も熱帯夜だとラジオが言っていた。2週間続けてでは、このか弱いマウスでなくても体が弱ってしまう、と田村は思った。この暑さの中に動物を長居させてはいけないのだった。彼は再び箱を手に取ると、冷蔵装置のある自分の車へと向った。

 田村の車にある冷蔵装置は、理工学部の友人に頼んで特別に作ってもらったもので、トランクに収納されている。通常の冷蔵庫と違って密閉されていないから、中に生き物を入れられる。生物学者の田村にとっては、なかなか重宝していた。とは言っても、釣った魚などを入れるのではない。実験用の動植物を収納して運ぶのだ。その場合、外気やトランク内にいる細菌と触れないように、換気口の構造とフィルターに工夫が凝らしてあった。

 今回のマウスの運搬に際しては、しかし特別な注意が必要だった。このマウスは「超免疫不全マウス」と言って、免疫機能が全く働かない。だから、大学でも無菌室で育てられ、直接外気には当らない。田村が手にしている透明プラスチックのケースも、二重構造になっていて、極細のフィルターを通して空気が中に入る。しかし、フィルターではすべての細菌を遮断できないから、早く無菌状態の場所に移す必要があった。

 人間のガン細胞の研究には、昔は「ヌードマウス」という毛のない、裸状態のマウスが使われた。このマウスは、免疫系の一部が働かないように遺伝子操作がされているから、人間の腫瘍を移植しても拒絶反応を起こさず、マウスの体内で腫瘍が増殖する。その腫瘍に対して抗癌剤を処方することで、人体に処方する場合の適性や適量が判断しやすくなるのだった。

 ヌードマウスの後に登場したのが、免疫機能をさらに阻害された「SCIDマウス」だった。これはT細胞とB細胞の双方が欠損しているので、人間の皮膚や頭髪を移植することができるだけでなく、人間の免疫系の一部であるリンパ球も移すことができた。田村が今手にしているマウスは、それよりさらに免疫不全が進み、NK細胞その他も機能しない「NOGマウス」という種類だった。ここまで来ると、マウスの体には腫瘍だけでなく、ほとんどすべての人間の細胞を移植して、分化や増殖をさせることができるのだ。

 例えば、人間の血液は骨髄内にある造血幹細胞が分化して、T細胞、B細胞、NK細胞、顆粒球、血小板などになるのだが、この超免疫不全マウスに人間の造血幹細胞を移植すると、マウスの体内ですべての血液の細胞が分化して、完全な人間の血液となるのである。それと同様に、人間の臓器や組織の移植も可能だ。つまり、外形はマウスであっても、内部が実質的に人間である動物が、少なくとも理論上は作成できるのである。

 そして今、田村が手にしているマウスは、彼自身の髪の毛にある幹細胞が移植されているのだった。 (つづく)

谷口 雅宣

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2006年10月16日

代理母をどう考えるか? (2)

 10月3日の本欄で、タレントの向井亜紀さんと高田延彦さん夫妻がアメリカでの代理出産で得た子どもの件を書いた。品川区が出生届を受理しなかったのを、東京高裁が受理を命じ、それに対して同区が抗告の申し立てをしている最中だが、今度は、日本では実質的に禁じられている代理出産を国内で敢えて実行したと、長野県の産婦人科医が発表した。それも、30代の女性の卵子を使い、その母親の50代後半の女性が妊娠・出産したというのだ。『読売新聞』が特ダネとして15日の紙面で報道し、翌日の朝刊で各紙が一斉に伝えている。『読売』の記事によると、これを行った医師は、「代理母が産んだ子を手放すのを拒むなどのトラブルを回避でき、代理出産のモデルケースになりうる」と言ったそうだが、「祖母が孫を産む」という前代未聞の技術を、そんな簡単に誉めるべきではないだろう。
 
 各紙の報道によると、この代理出産を実施したのは、長野県下諏訪町の諏訪マタニティークリニックの根津八紘院長である。同院長は、日本産科婦人科学会が禁じる代理出産を過去にも行っているので有名な人だ。同院長は、結婚後に子宮摘出手術を受けた30代の妻と、その実母の申し出を受けて、2004年に妻の卵子と夫の精子を体外受精させ、それによって得られた受精卵を妻の実母の子宮に移植した結果、昨年春に体重2400グラムの子が無事生まれたという。そして妻の実母は、生まれた子を戸籍上実子として届け出た後に、養子縁組によって遺伝上の夫婦の子とした。

 根津医師は、2001年5月、子宮を切除した女性の卵子を使い、その女性の実姉を代理母として国内で初めての代理出産を行ったが、そのケースと比べて今回のケースの方がいい、と次のように『読売新聞』に語っている--「女性の姉妹を代理母とすると、年若い姉妹の家庭が10カ月間も不自由を強いられるし、最悪の場合、お産で亡くなるかもしれない。一般論だが、もし姉妹と母親がともに代理母になると申し出た場合、私は母親を選ぶ」。また、この時期に過去の例を公表する理由については、向井さんらの子どもの出生届の受理命令に対して、「品川区が不服として抗告したことに憤りを感じた。国民にこの問題を議論してほしいと考えた」(『読売』)と述べている。
 
 議論という点では、私の立場は10月3日の本欄で確認した通りである。それは「親の立場」を最優先するのではなく、「子を親の幸福追求の手段とするべきでない」ということである。特に代理出産は、「生まれてくる子」に加えて、「代理母となる人間」を自分の手段として利用するのだから、「倫理性はさらに疑わしい」とも書いた。根津医師は、新聞のインタビューに対して、「母が娘のために危険性を認識していながら産む意思を、誰が止められるのか」(『読売』)と言っている。しかし、代理母が遺伝上の母の実母であるという今回のようなケースでは、高齢出産が原則であるから、妊娠にともなう母体へのリスクは飛躍的に高まる。それを「実母だからこそ危険負担を申し出たのだ」と言わんばかりに美談化するのは、患者の健康と生命を第一に考えるべき医師の発言としては疑問が残る。

 根津医師は、50代は普通でも脳血管などに問題が出てくるのに、妊娠・出産というストレスがこれに加わること、閉経後だから女性ホルモンの投与が必要なこと、出産後に更年期障害が起こり得ること、海外を含めて10数例しかないことなどを知っていた。また、今回の代理出産では、多胎妊娠の可能性があったことを忘れてはいけない。『朝日』の記事には、50代後半の母親の子宮に移植された受精卵の数は「2~3個」と書いてある。仮に多胎妊娠が起こって、すべての子を出産できない事情があれば“子の選別”が行われるのである。また、高齢出産から障害のある子が生まれる可能性があることは、周知の事実である。こういう様々な危険を知りながら、同医師は「それでも危険を冒す」方を選んだ。その選択の根拠とはいったい何だろう? それを考えると、私は、同医師が「子をほしい」という女性の立場に余りにも寄りすぎてしまい、医師として、科学者としての中立性を見失っているように感じられるのである。

 同医師は、16日付の『産経新聞』のインタビュー記事の中で、「子供を産みたい娘の気持ちを親の協力で解決できる。むしろ今後、実の母親による代理出産が定着し『親が子供の子を産まないのは愛がないこと』というような話にならないか心配だ」と言っている。これは無責任な発言だ。だいたい閉経後の親の代理出産は「親の協力」などという簡単なものではなく、「親の決死の覚悟」と言うべきだ。臓器提供や卵子提供でも問題になるのは、患者の近親者や利害関係者に対して心理的な圧力が加わることだ。自分の行為によって、親に「決死の覚悟」をさせる状況が生まれることを知りながら、それを「心配だ」というのはおかしい。心配ならば、そんな行為を初めからしなければいいのである。
 
 今回の事例でも、「子の立場」があまり考えられていないように思う。子の実母は、戸籍上は祖母である。その子を遺伝上の両親が“養子”としてもらっている。この事実を、成長した子が知る日が来るが、そのことの説明をどうするのかを聞かれて、根津医師はこう言っている--「(30代の)女性には『おばあちゃんのおかげで生まれた』と、子供にその意味がわからない段階でも説明するように言っているし、両親も了解している。最後は親子の関係で決まる」(『産経』)。あまりにも簡単な答えだと思う。これに対し、養親による「つぎき家族の会」の野口佳矢子氏は、「子どもが大きくなって真実を知ったとき、どう受け止めるだろうか。段階を追って告知するにしても、将来の子どもの気持を考えたら、祖母が代理母になる選択はできないと思う」(『朝日』)と言っている。
 
 以上のことを総合して言えば、私は今回の根津医師の行為に対して賛成することはできないのである。
 
谷口 雅宣

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2006年10月 3日

代理母をどう考えるか?

 タレントの向井亜紀さんと高田延彦さん夫妻が渡米して代理出産した子どもをめぐり、出生届の受理を命じた東京高裁の決定が話題になっている。向井さんを「母として認めろ」という決定である。日本では実質的に禁じられている代理出産をあえて海外で行ない、帰国して子どもを認知しろと裁判所に訴えるというのは、かなり強引な方法である。もし、国内法の中で代理出産が明確に禁じられていたならば、ありえない決定だ。裁判所は“法律の番人”であるはずだからだ。ということは、今回の決定(まだ最終とは言えないが)は、生殖補助医療をめぐる法律の未整備の間隙を突いて成り立った、かなり変則的な例と言える。
 
 9月30日の『朝日新聞』夕刊によると、今回の決定をした裁判長は、生まれてきた子どもの福祉を最優先に考え、出生届が受理されない状態では「子らは法律的に受け入れるところがない状態が続く」と指摘し、「子にとっては、(向井さん夫妻を)法律的な親と認めることを優先するべき状況で、(夫妻に)養育されることがもっとも福祉にかなう」と結論したらしい。このケースでは、代理母に移植した受精卵は向井さん夫婦のものであり、病気治療のために子宮摘出したという事情があり、さらに代理母に対する謝礼も高額でないことなどが考慮され、判決のような結論になったようだ。
 
 ところで、すでに報道されているように、日本の法務省の見解は「実際に出産した女性が母親」だというものであり、今回の高裁の決定とは正面から対立する。3日付の『産経新聞』によると、向井さんの出生届を受理しなかった品川区の担当者は、2日午後から法務局を訪れて、高裁の決定を不服として特別抗告するかどうかの協議を始めたという。この特別抗告の期限は10月10日だが、現在同区では前区長の死去に伴う区長選挙の真っ最中で、区長が不在だ。特別抗告をするかどうかの最終判断は法務省ではなく、区にあるそうだから、なかなか微妙な情勢にあると言える。
 
 私は、数年前に出した『今こそ自然から学ぼう』(2002年、生長の家刊)の中では、代理出産に関してあまり書いていない。しかし、精子や卵子の提供、受精卵の提供、卵子の遺伝子融合などの生殖補助医療技術を含めて、倫理的にどう考えるべきかの基準を1つ示した。それは、「子を親の幸福追求の手段とする」べきでないということである。これは、すでに現在いる自分の子が、多少なりとも自分の幸福追求の手段となっているとの現実があったとしても、それ以上に“罪”を重ねるなという意味である。代理出産の場合は、生まれてくる子に加えて、代理母となる人間を自分の手段として利用するという側面があるから、倫理性はさらに疑わしい。

 私は男だから自分で子を産んだ経験はないが、妻の体験を聞き、想像力を駆使して考えてみる限りでは、次のように言えると思う。「腹をいためる」という経験が、その後に来る「子育て」から切り離されて、一種の“労働”として他人に提供されることの影響は、予測できない。これは主として、代理母の心に及ぼす影響のことだが、子を得る側の女性についても、心理的な問題が生じる可能性は否定できない。そのことは当然、育てられる「子」の心理にも反映されるだろう。生物学的に言えば、人間が属する哺乳動物は、「哺乳」という子育ての過程と「妊娠・出産」とは切り離せない。それを「一連の過程」として何十万年も繰り返しながら進化したという事実の背後には、人間としての必然性があると思うのである。もっと簡単に言えば、人間には他の哺乳動物と共通した肉体的、心理的に密接な母子関係が必要であるということだ。

 授乳に母乳を使うか牛乳を使うかで、医学的にも心理的にも母子双方に違いが出るのである。だから、妊娠・出産から哺乳へと続く、もっと大きな自然の一連の過程を切り離す行為が、母子双方に予測できない影響を与えると考えない方がおかしいと思う。代理出産は、「私の子がほしい」という欲望のために、そんな行為を他人に求める技術である。技術があり、金があれば、どんな欲望も実現されるべきだというのは、倫理でも宗教でもないだろう。
 
谷口 雅宣

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2006年9月13日

夫の死後に妊娠する (3)

 9月5日の本欄で、夫の凍結精子を使って夫の死後に妊娠した子を夫の子として認知する訴えについて、初めての最高裁判決が出たことを書いた。その後、9月8日以降、同様の趣旨の2件の訴えについて最高裁判決がたて続けに出た。3例すべてが認知を認めない判決であり、これで最高裁に係属中の同趣旨の請求訴訟はすべて終結したことになる。
 
 『朝日新聞』は12日付の紙面の「ニュースがわからん」というQ&A形式の欄でこの判決を取り上げて、解説している。それによると、現在の日本の民法は、夫の死後300日より後に生まれた子には父子関係を認めていない。だから、このようなケースでは戸籍も父の欄は空欄となり、結婚や就職の際に不都合が生まれる可能性がある。また、扶養も相続も受けられず、祖父の財産を代襲相続する権利も発生しない。つまり、夫の死後に凍結精子を使って妊娠・出産しても、その子に父親から得られる法的なメリットは何もない。したがって、裁判所は父子関係を認める意味がないと判断した、というのだ。
 
 問題の核心には、科学技術の発達が法律の想定外の事態を生み出しているという現実がある。つまり、「凍結精子は半永久的に保存できる」という事実があり、この技術を利用して実際に凍結精子が保存され、それを使った夫の死後妊娠を医師が妻に行っているのである。9月5日に書いた例では、夫は白血病の治療のための放射線照射で無精子症になる危険を考えて精子を凍結したが、病状が悪化して死亡、妻が夫の死後、妊娠を希望したのだろう。この時、医師は妻の要望を拒否することもできた。なぜなら、政府の審議会の提言や日本生殖医学会の見解では、「凍結精子は死亡後に廃棄する」ことになっているからだ。担当の医師がそのことを知らないはずはない。が恐らく、妻の要望に同情したのだろう。あるいは、妻は夫が死亡したことを言わずに、医師に妊娠を希望したのだろうか。仔細はわからないが、凍結精子による懐妊について、医師と妻(患者)との間に情報の行き違いがあったような気がする。

 この3例の子は結局、法的には“父のいない子”としての人生を歩むことになる。これを母親の責任とするか社会の責任とするかは、見解が分かれるだろう。私は、この件を含む生殖補助医療全般についての法整備を早く進めるべきと思う。このことは、もう何年も前から諸方面から指摘されてきたことだが、社会的な合意形成が進んでいない。全般的な法整備が難しいのなら、この件のような「夫の死後の凍結精子による妊娠」に限って立法化できないものだろうか。上述した9月5日の本欄で外国の立法例に触れているが、私は現在、個人的にはイギリスのように「夫の同意書があれば認められる」とすることがいいように感じている。ただし、夫の死後いつでもいいとするのは問題なので、スペインのように「半年以内」とかイスラエルのように「1年以内」などと、期限を切って認めるのはどうだろうか。

 ところで、9月9日の『朝日』には昨年、40歳以上の女性が産んだ子供の数が47年ぶりに2万人を超えたことが報じられていた。47年前にも2万人を超えていたということは、当時は出生数全体が多かったのだろう。割合で言うと、昨年の新生児の約50人に1人は40歳以上の女性から生まれたことになるという。同じ数値が、1995年には「約90人に1人」だったというから晩婚・晩産化は急速に進んでいる。このことが何を意味するかを考えてみると、今回のようなケースを含む生殖補助医療全般への需要が拡大しているということだろう。凍結精子による妊娠が可能ならば、卵子の凍結保存による妊娠も可能である。特に卵子は、加齢とともに妊娠の確率が下がっていくから、晩婚・晩産を考える女性は、若い未婚時に自分の卵子を凍結保存し、結婚後にそれを使って妊娠することも選択肢に入ってくる。男も同じことを考えれば、セックスレスで子をつくる夫婦が増えることになる。技術の一人歩きを、いつまでも放任しておけないと思う。

谷口 雅宣

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2006年9月11日

受精卵を壊さないES細胞の道 (3)

 8月24日の本欄で、アメリカのバイオ企業が初期の受精卵から細胞1個を取り出して培養し、これをES細胞にする実験に成功した話を伝えた。これは“受精卵を壊さないES細胞”としてメディアに大々的に報道されたが、実は「受精卵を壊していた」ことが分かった。9月12日付のイギリスの科学誌『New Scientist』が伝えている。
 
 この研究はイギリスの科学誌『Nature』の8月21日号に発表されたものだが、その際、これを発表したアドバンスド・セル・テクノロジー社(Advanced Cell Technology)のボブ・ランザ氏(Bob Lanza)らは、ES細胞を得る一方で「受精卵には傷をつけなかった」と説明した。ところが、発表された論文を細かく読んで分かったことは、この研究では、着床前遺伝子診断(PGD, preimplantation genetic diagnosis)と同様に、8分割の状態になった受精卵から細胞を取り出すのだが、PGDが細胞を1個だけ取り出すのに対して、この研究では、同じ受精卵から何回も細胞を取り出していて、その結果、受精卵は死んでしまっていたことだ。ランザ氏の言い分は、「PGDは普通に行われている手法であり、受精卵は死ぬことはない。我々は、それと全く同じ方法で細胞を取り出しているから問題はない」というものらしい。
 
 だからこの研究では、厳密には、受精卵を壊さないでES細胞を得たとは言えない。『Nature』誌も報道発表を2回も訂正することになり、不名誉な結果となったらしい。受精卵の利用に反対するカトリックの側からは、「この研究で分かったことは結局、受精卵はより早期に殺すことができるということだけだ」と手厳しく批判されたそうだ。
 
 同じ『New Scientist』は、成人(体性)幹細胞を使った興味ある研究結果を伝えている。これまでの研究では、幹細胞を分化させるには化学物質を加えることが考えられていた。ところが、最近の『Cell』誌(vol 126, p.677)に載ったペンシルバニア大学のアダム・エングラー博士(Adam Engler)らの論文によると、骨髄から採った幹細胞は、それが置かれた環境の物理的な硬さの違いによって、柔らかい環境では神経細胞に、中間的硬度の環境では筋肉細胞に、そして骨と似た硬さの環境では骨の細胞に分化したという。骨髄の幹細胞は、軟骨、骨、筋肉、腱、靭帯(じんたい)、脂肪、そして一部の神経に分化することが分かっているが、今後の研究ではポリマーなどの硬度を工夫し、その環境下に幹細胞を置くことで、様々な細胞を作り出せる可能性が出てきたようだ。
 
 これらのことから分かるように、ES細胞の研究では「受精卵を壊す」あるいは「受精卵を傷つける」という倫理問題がまだ完全に解決していないのに対し、成人幹細胞の研究では、すでに様々な細胞に分化させる方法が確立しつつある。また、ES細胞から種々の細胞を分化したとしても、それを患者に移植する際には拒絶反応の問題が残っている。これを解決するために人クローン胚の作成が数年前から試みられているが、いまだに成功例はない。再生医療の分野では、倫理的、医学的問題の多いES細胞の研究より、それらが少ない成人幹細胞の研究を集中して行うことを提言する所以である。

谷口 雅宣
 

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2006年9月 5日

夫の死後に妊娠する (2)

 凍結保存した夫の精子を使って、夫の死後に妊娠して子を生み、それを夫の子と認知するように求めた裁判の最高裁判決が初めて出た。今朝の新聞各紙が伝えている。それによると、最高裁第二小法廷は「民法は父親の死後の妊娠・出産を想定していないことは明らかで、死亡した父との法律上の親子関係は認められない」として、認知を認めた二審判決を4裁判官の全員一致で破棄、請求を棄却した。逆転敗訴である。私は昨年10月3日の本欄でも、東京地裁であった同様の判決について触れている。この場合は、内縁の夫の死後、体外受精によって妻が女児を生んだケースだったが、今回は、正式に結婚した夫の死後、体外受精で出産した5歳の男児の認知が否定され、確定した。

 この男児の(生物学上の)父親は、白血病にかかって放射線治療を受けていたが、その副作用で無精子症になる恐れがあったため、治療に先立って精子を凍結保存していた。この方法は、受精卵の凍結より容易のため、不妊治療でも広く使われているという。精子を保存液と混ぜ、マイナス196℃の液体窒素で凍結することで、半永久的に保存できるらしい。父親は1999年に白血病で死亡、その後に母親が凍結精子で妊娠し、2001年5月に男児を出産、嫡出子として出生届を出したが認められず、2002年6月に提訴したという。一審の松山地裁は2003年、母親の請求を棄却。二審の高松高裁は2004年に「自然血縁的な親子関係が存在するうえ、夫は生前、死後の凍結精子の利用に合意していた」と認定して、認知を認める判決を下していた。

 『日本経済新聞』によると、日本受精着床学会は2004年に、凍結精子を使った体外受精や人工授精に際して「現状では、実施者がその都度、婚姻中であること、夫が生存していることを確認する必要がある」との見解を出しているため、夫の死後の妊娠と出産は現在、事実上禁止されているという。その一方、見解には法的拘束力がないから、実際の医療現場では今回のような事態が今後も起こる可能性はある。フランスやドイツでは、夫死後の体外受精は法律で禁止されているが、イギリスでは夫の同意書があれば認められるという。さらに『産経』によると、スペインは夫の事前同意と死後6ヵ月以内を条件に容認し、イスラエルでは保管後1年以内で裁判所の許可があれば認めているという。アメリカとギリシャは、夫の事前同意だけを条件としている場合が多いという。(アメリカは州法で規定のため)
 
 この問題は、なかなか複雑である。私がよく分からないのは、死後の夫の子として認知されることが、その子に法律上どのようなメリットを与えるかという点である。今回の判決でも「父から扶養を受けることはあり得ず、父の相続人にもなり得ない」としているから、祖父母が死んだ時の相続権の問題を考えてのことなのだろうか。『朝日新聞』によると、認知を求めた母親は「この子に父親がだれかを教えてやりたい」と訴えていたというが、教えるだけだったら、母親が「あなたのお父さんはこの人よ」と写真やビデオを見せてあげれば済む話のようにも思える。しかし、この子の戸籍の父親欄が空欄であるという問題を考えての提訴であれば、これは法整備を促す提訴でもあるのだろう。

 夫婦の晩婚化と少子化が進む中で、生殖補助医療の需要はますます拡大している。少子化対策という面では、できるだけ子を持てるような方向に法整備をすることになるだろう。しかしその反面、精子、卵子、受精卵、胎児という“生命の萌芽”に対しては、それを他人の目的に利用する動き--つまり“道具化”が広がるだろう。私は、この“道具化”に反対している。なぜなら「人間の生命発達のどの段階から人権を認めるか」という問いへの答えは、科学技術の発達によって変化するからである。アナログ的な生命発達の過程を扱うのに、デジタルな考えで「ある一点」から人間が始まると考えることには、無理がある。受精卵形成後から「人」として尊重する生命倫理の確立が望ましいと思う。
 
谷口 雅宣
 

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2006年8月28日

GM作物とセイタカアワダチソウ

 北海道滝川市と空港のある千歳との往復を自動車で走ったが、広い直線道路の両脇の土手や、その先に広がる広大な農地の端、そして山林脇のあちこちに黄色い花が帯状をなして咲き誇っていた。セイタカアワダチソウである。この植物は、本州では秋の花ということになっているが、北海道では早く開花するようだ。北アメリカ原産のキク科の多年生草本の帰化植物で、日本各地には第二次大戦後、急速に広がった。その理由の1つは、地下部から他の植物の成長を抑える物質を分泌するからだ。その一方、ミツバチなどの昆虫が集まる蜜源植物でもあり、新芽は天婦羅にして食べられるという。私は、この植物の旺盛な繁殖力を見ていると、どうしても生物多様性の問題を考えてしまう。

 8月21日の本欄で、アメリカで除草剤耐性をもった遺伝子組み換え芝が、栽培認可の下りる前にオレゴンの片田舎で発見されて、当局をあわてさせている話を書いた。また翌22日には、イネの品種に対する人間の価値観が変遷することを書き、特定の品種の善し悪しよりも、品種が多様であることが重要だと述べた。遺伝子組み換え(GM)作物のもつ問題の1つは、この自然界の「生物多様性」を犠牲にする可能性があることで、もう1つは、組み換え遺伝子が近種との交雑によって自然界に広がっていくことである。このことが自然界のバランスを乱し、予測できない悪影響をもたらす可能性が指摘されている。

 アメリカはしかし、基本的に科学技術は自然界を征服し、調教するために利用すべきだと考える人が多いようだ。だから、GM作物はほとんど問題にされず、大々的に栽培されている。28日付の『産経新聞』には、国際アグリバイオ事業団(ISAAA)の調べた2005年のGM作物に関するデータが掲載されているが、それによると、GM作物は世界の21ヵ国で栽培され、栽培総面積は9000万haで、前年より11%増えたという。このうち4980万ha(55.3%)がアメリカ、1710万ha(19%)がアルゼンチン、940万ha(10.4%)がブラジル、580万ha(6.4%)がカナダ、330万ha(3.7%)が中国だ。このほかパラグアイ、インド、南アフリカ、ウルグアイ、オーストラリアの順で多い。作物別では、5440万ha(60.4%)はダイズ、2120万ha(23.6%)はトウモロコシ、980万ha(10.9%)はワタ、460万ha(5.1%)がナタネだという。

 同じ記事には、アメリカで未承認のGMコメが流通予定の長粒米に混入していたため、輸入国のEUが、アメリカ産のコメに対してGM種の混入がないとの証明を課すことを決めたとの話が書いてある。このコメは、ドイツのバイエルクロップサイエンス社の除草剤に対する耐性を組み込んだ「LLライス601」という長粒種で、1999~2001年にアメリカで試験栽培されたが、商品化の予定がなく承認申請されていなかったという。それなのにアーカンソー州とミズリー州で流通予定のコメの中に微量が混入していたらしい。そこでEUは8月25日、アメリカ産長粒種を輸入する際には「601」の混入がないという証明書を課すことに決めたという。ドイツがこの件でどういう態度なのか気になるが、上記のデータなどを見るとヨーロッパは概してGM作物に否定的なのに対し、北アメリカ、中南米、英連邦諸国が肯定的であることが興味深い。

 ところで読者は、除草剤耐性GM作物とセイタカアワダチソウとの共通点に気づかれただろうか? それは、前者を除草剤と併用することにより、他の植物を駆逐して自分だけが伸びる--つまり、セイタカアワダチソウと同じ効果を発揮することだ。それではいっそのこと、セイタカアワダチソウの遺伝子を組み込んだGM作物を作ってしまうのはどうだろうか。除草剤購入のコストと散布の手間が大いに省けるから、農家の人々から喜ばれるのではないだろうか。しかし恐らく、そういう遺伝子組み換えは行われない。理由は簡単だ。除草剤が売れなくなってしまうからだ。こういうところが、遺伝子組み換え技術の最もウサン臭い点である。

谷口 雅宣

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2006年8月24日

受精卵を壊さないES細胞の道 (2)

 24日の新聞各紙は「受精卵壊さずES細胞」という見出しで、人間の初期胚の一細胞からES細胞を育てる技術を、アメリカのバイオ企業が開発したことを伝えている。前回の本欄の最後で、「科学技術の研究からは、本当に何が飛び出すか分からない」と書いたばかりなのに、またまた新しい展開である。この研究は、昨年10月17日の本欄で「受精卵を壊さないES細胞の道」と題して書いたマウスの実験を、人間で成功させたものだ。マウスで開発した技術を、10ヵ月後に人間で成功させたことは特筆に値する。
 
 この技術を開発したのは、アドバンスド・セル・テクノロジー社の研究者たちで、人間の受精卵を数回分裂させ、ちょうど8個の細胞塊になった時点で1個を分離して採取、これを既存の人間のES細胞やマウスの繊維芽細胞などと一緒に培養することで、ES細胞株を作り出した。使用した受精卵は、不妊治療のために凍結保存されていたものという。この凍結受精卵16個を使い、そこから合計91個の細胞を取り出して培養処理したのちに、2つのES細胞株を樹立したという。

『ヘラルド・トリビューン』(25日付)紙は、第1面で大きな図解と写真入りでこれを“大成果”(breakthrough)として報じているところが、『朝日』や『産経』(いずれも中面3段見出し)と少し違う。“大成果”という言葉を使ったのは、受精卵を壊さないでES細胞が樹立できれば、「他人のために人の命を犠牲にする」というこの技術が抱えていた基本的倫理問題が解消するか、少なくとも相当緩和すると考えたからだろう。これによって、ブッシュ大統領が拒否したこの分野への連邦政府の資金援助が、実現する可能性を見ているのかもしれない。その一方で、同紙の記事はホワイトハウスのエミリー・ローリモア報道官(Emily Lawrimore)が「人間の受精卵を研究目的に使うことは、どんな方法であっても深刻な倫理問題を生み出す。この技術もそういう心配を解消していない」と言ったと書いている。大統領の心中はなかなか穏やかでないのだろう。
 
 ところで、受精卵が8分割した状態の時に細胞1個を取り出す技術は、ダウン症の有無などを妊娠前に調べる着床前遺伝子診断(PGD, preimplantation genetic diagnosis)によってすでに確立している。ただし、まったくリスクがないわけではない。採取時の技術的リスクと、残りの7個の細胞が胎児に成長し、生まれて大人になっても、まったく異常がないとは断言できない。PGDは過去10年ほど前から使われているが、それを経て生まれた子供たちに今のところ異常は出ていないという。しかし、肉体の発病は中年以降が多いのである。

『朝日』の記事には、京都大学再生医科学研究所の中辻憲夫所長の談話が付いていて興味深い。曰く--「今回の成果はこうした宗教的問題を解消できる可能性があるが、逆に、受精卵に余計なリスクとストレスを負わせることになる。ES細胞株を子供の誕生時に作っておく、ビジネスにつなげたい考えもあるのではないか」。昨年10月の本欄でも触れたことだが、これは人工授精で受精卵を作った後、8分割時に細胞1個を取り出して、これから子と全く同じ遺伝子情報をもつES細胞株をつくることができることに言及しているのだ。なぜこれがビジネスになるかは、ES細胞の性質を考えれば分かる。この子が成長してから肉体的な故障が出ても、自分のES細胞から組織や臓器を作り出して拒絶反応のない、安全な治療が理論的には可能になるからである。
 
 さて、今回の技術への私の感想だが、溜息……ばかりである。昨年10月にも述べたが、こんな高度技術を利用できるのは高額所得者に決まっている。そういう人々が“優良な子”をもつためにPGDを行ない、さらにES細胞まで作っておく時代を、私は「素敵だ」とか「美しい」とは感じない。感覚的な表現で申し訳ないが、そういう自己本位の社会実現のために科学は進歩すべきなのか、と疑問に思う。私には、どうしても成人(体性)幹細胞の研究の方が価値ありと思えるのである。
 
谷口 雅宣

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2006年8月23日

脳細胞はどんどん再生する?

 今年に入って再生医療の分野での新しい研究成果が相次いで発表されている。本欄でも、それらを発表のつど報告するようにしているが、きっと漏れているものもあるだろう。以下、本欄で扱ったものを古いものから順に列挙すると……

①ドイツの研究グループが、マウスの精原細胞からES細胞に似た多分化能のある幹細胞を作成することに成功--4月6日。
②ヒトES細胞から効率よく神経細胞を得る方法を理化学研究所と京都府立医科大学の研究グループが開発。人間の羊膜上で培養することで、9割以上の確率で神経幹細胞を育てることに成功。--6月6日。
③日本政府は従来、“クローン人間”作成につながるとして人のクローン胚研究を禁じていたが、厳しい条件を付けたうえで、不要となった卵子を使うES細胞作成に道を開こうとしている--6月20日。
④京都大学の山中伸弥教授が、マウスの皮膚細胞の遺伝子を操作することで、ES細胞に酷似した状態(人工幹細胞)を実現--7月17日。
⑤体細胞の遺伝情報を初期化・再プログラム化して作成する人工幹細胞と毛包細胞は、再生医療に有望--7月18日。
⑥ブッシュ大統領、ES細胞研究の財政支援拡充法案に初めての拒否権を行使--7月20日。
⑦再生医療に使える幹細胞は脳、骨髄、髪、皮膚、脂肪、歯胚、臍帯血,生殖器……など相当の種類に及ぶ--7月27日。

 この流れを見ると、受精卵や卵子を使ったES細胞の研究と併行して、体中にある幹細胞を利用した再生医療、さらに最近では普通の体細胞(この場合は皮膚)の遺伝子操作で人工的に幹細胞をつくる方法も開発されつつあることが分かる。ただし、最後の例はネズミでの成功例で、人間への応用はまだこれからだ。また、再生医療の目指す方向の1つに「神経細胞の再生」があることは強調されていい。というのは、神経細胞の欠損による半身不随や痴呆などの障害は永く「治らない」とされてきたからだ。これが再生可能になれば、多くの人々に光明を与える。アメリカのレーガン元大統領、俳優のクリストファー・リーブやマイケル・J・フォックスがES細胞の研究推進派の“広告塔”のようになってきたのも、彼らが「神経系」の障害をもっていたことが大きな理由である。
 
 とすると、「神経細胞を再生させる」方法が見つかれば、卵子や受精卵を使うES細胞研究の意味の大半は失われてしまうのではないか。特に卵子や受精卵を使う場合、患者の遺伝子に適合性させるためのクローン胚作成の過程は、非常に効率が悪い。ここから様々な倫理的問題も過去には生まれている。そう考えると、患者の神経細胞を直接操作して再生を促す方法に活路を見出そうとする人がいても、おかしくない。8月16日付の Newswise と同18日付の『New Scientist』のニュースは、まさにそんな研究で驚くべき成果が出ていることを報じている。

 しかし……この方法は「人間の脳細胞をマウスの脳の中に入れる」というのだから、私は考え込んでしまう。またこの方法は、卵子や受精卵などの生殖細胞を一切使わず、大人の患者の脳をそのまま使うのだから、拒絶反応の問題も生じないようだ。上記の報道によると、フロリダ大学のマックナイト脳研究所(McKnight Brain Institute)のデニス・スタインドラー博士(Dennis Steindler)らの研究グループは、人間の大人の脳細胞をマウスの脳に入れると、人間の脳は新しい神経細胞を生み出し、ネズミの脳の様々な部分に適合するように分化したという。また、この研究グループは、1個の人間の大人の神経細胞を培養操作することで、何百万もの新しい神経細胞が生成されることも確認した。このことから、同博士らは、普通の人間の脳細胞には幹細胞と同等の自己再生力と分化能力がある、と結論している。これは、神経細胞についてのこれまでの医学の常識を覆す研究と言えるかもしれない。
 
 この方法によって、体外で脳細胞を大量に増殖できることになれば、アルツハイマー病やパーキンソン病で欠損した脳の治療に、患者自身の脳が利用できる可能性がある。そうなれば、前述したES細胞研究に与える影響も少なくないだろう。科学技術の研究からは、本当に何が飛び出すか分からないとつくづく思うのである。
 
谷口 雅宣

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2006年8月22日

生物多様性の価値とは?

 前回は、遺伝子組み換え種の芝がアメリカで“野生化”する兆しを見せていることを書いたが、「除草剤耐性」という遺伝子は自然界で有利に働くことはないから“野生化”は起こらない、とする楽観論もある。これについては、私は『今こそ自然から学ぼう』の中で反論しているので参考にしてほしい。自然界はきわめて複雑にできているから、アメリカでこのGM芝の商業栽培が行われるとどうなるかは、実際のところ「やってみなければ分からない」という面が確かにある。しかし、「やってみたら悪い予想通りになった」というのでは、いかにも愚かな話だ。だからこんな場合は、「人間の欲望に従う」のではなく「自然の知恵に従う」方を選ぶのが賢明な判断だと思う。つまり、生物多様性をできるだけ損なわない選択をすべきなのである。
 
 この「生物多様性」の価値については、すぐには理解できない面がある。それは「多様」というだけでは「善い」ものも「悪い」ものも両方あるという意味に捉えられがちだからだ。「善悪ともにそろっている」ことが「多様」の意味だと単純に考えると、「悪を除いて善のみにした方がいい」という結論に陥りやすく、「多様は善に劣る」というニュアンスが生まれてしまう。昆虫を例にとれば、美しいチョウ、よい鳴き声のスズムシ、子供が大好きなカブトムシ……というように、人間が好きなものだけがいるのは「自然」ではない。そうではなく、ゴキブリも毒虫もムカデもスズメバチも含んでいるのが自然界だ。人間は自分勝手の視点から“益虫”(善い虫)と“害虫”(悪い虫)を区別しているが、自然界には本来そんなものはなく、すべての昆虫が複雑な関係の中でそれぞれの場と役割をもって共存している。この状態が「多様性」である。

 この多様な状態の方が“益虫”だけがいる状態よりも優れている理由は、人間の善悪の判断は、その人の立場や状況や時代によってたやすく変わるものだからだ。チョウは好きだが、ガは気味が悪いと感じる人は多いだろうが、だからと言ってガをすべて絶滅させれば、夜間に受粉する植物の多くも絶滅に向うだろう。そういう意味で、私は感覚的にゴキブリは確かに嫌いだが、家中のゴキブリを絶滅させるべきだとは思わない。自然界の複雑多様なシステムの中では、彼らも何か重要な役割を担っているのだと想像する。しかし、その一方で、ゴキブリホイホイを家の隅々に置く妻の行動を、何ら問題にしたことはない。

 さて、話が少し脱線したが、多様な種があることで結局、人間にも恩恵が回ってくる例を挙げよう。これも、前回引用した『New Scientist』誌の8月12日号に掲載されていた例である。イネなどの穀物は、1つの株に、できるだけ多くの実をつける方が人間にとって「善い種」であると思われる。だから、好条件の気候時に最も多く実をつける種が、長年にわたり世界各地で開発されてきた。しかし私が最近、日本の各地でイネを見て気がついたのは、茎が短い種が増えてきたということである。その理由をどこかで聞いたら、台風などの強い風が吹いても倒れない品種が好まれるようになってきた、という説明だった。こうして、「最高の気候条件で最多の実をつける」という考え方から、人間の価値観が多少変化してきていることが分かる。
 
 そしてご存じのように、最近は予期しない異常気象が続く。すると未来を見る研究者にとっては、旱魃や洪水にも強い品種や、塩分を含む土壌でも育つ品種を開発することが重要になる。人口爆発と農地の不足が、そういう悪条件下でも育つ品種を要求するのである。言い換えれば、同じイネでも、かつては「不要」だった性質が今日では「必要」に変化してきている。そこで彼らが考えたのが、かつて自然界に自生してしたイネの原種の中から、例えば水に浸かっても腐らない品種を探し出し、その遺伝子を現代の多収型の品種に導入する、という方法だった。

 上記の記事によると、フィリピンにある国際イネ研究所(International Rice Research Institute)のデビッド・マッキル氏(David Mackill)のグループは、同研究所に保存してあったイネの中から、「FR13A」という、もう相手にされなくなったインド原産の古い品種の「水の中でも生きる」性質の遺伝子を同定し、それを現在アメリカで広く栽培されている「M202」という品種に導入した。これによって生まれた新しいイネは、水に完全に浸かった状態でも最長で2週間もつようになったという。この遺伝子は、現在までに6種のイネに導入されているそうだ。
 
 こんなことが可能なのは、イネの中の「善い」品種だけが残っていたからではなく、「多様な」品種が今日まで保存されていたからである。かつては人間が「善い」と思わなかった性質が、今日では「善い」とされていることに気づいてほしい。人間の価値判断とは、そんなものである。だから、自然界の生物多様性は、人間の下す善悪の判断より重要だと言えるのである。

谷口 雅宣

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2006年8月21日

GM植物は拡散するか?

 日本では遺伝子組み換え作物(GM作物)が不人気なことはご存じの通りだが、これを野外で栽培することを国とは別に自治体が規制する動きが広がっているらしい。8月19日の『朝日新聞』が1面と2面を使って詳しく伝えている。

 それによると、GM作物の野外栽培は、既成の作物との交雑や混入を防ぐことが主な目的として現在、10の都道府県が条例やガイドラインを設けている。野外栽培では、花粉の飛散や虫による伝播でGM種が在来種と交雑する可能性があるため、交雑が起こった場合、作物のブランド・イメージが打撃を受けるとの判断があるようだ。また、GM反対派の農家や消費者とのトラブルを恐れているという。規制の内容は、GM種と在来種の栽培地間の距離を定めたり、住民への説明会を義務づけたり、交雑が起きたときの対応を求めるもの。こういう規制もあって、国内でのGM作物の商業栽培はまだ行われていないという。
 
 GM作物は、アメリカ、中国、インドなどで大々的に栽培されているが、日本やヨーロッパではきわめて評判がよくない。私自身、『今こそ自然から学ぼう』(2002年、生長の家刊)などで懐疑論を展開しているし、本欄でも何回か(例えば8月1日4月13日)問題点を指摘してきた。問題の基盤には、「生物は人間が好きなように改変してよい」という人間至上主義の考え方がある。また、人間に都合のいい種だけを大量に栽培することによる生物多様性の破壊も、大きな問題だ。8月12日付のイギリスの科学誌『New Scientist』は、GM種の植物に関して示唆的な事実を伝えている。

 それは、悪名高い「ラウンドアップ」という除草剤への耐性をもった芝が、オレゴン州の片田舎で発見され、合衆国農務省(USDA)を慌てさせているという話だ。これは、アメリカ国内でGM種の植物の“野生化”が発見された最初の例で、しかも農務省が野外での栽培認可をする前にそれが起こったという点が、衝撃的だった。問題の芝はクリーピング・ベントグラス(creeping bentgrass)と呼ばれていて、学名は Agrostis stolonifera である。日本語の呼称はよく分からないが、辞書を引くと「コヌカグサ」「ヌカボ」などとあり、イネ科のコヌカグサ属かカヤツリ科の雑草という。想像するに、いわゆる「野芝」や「西洋芝」の一種だろう。この芝の遺伝子を組み換えて、グリフォサートという除草剤への耐性をもたせたのがGM芝だ。だから、これをゴルフコースに植えれば、あとはグリフォサートを散布することで、均一で、見た目の美しいゴルフ場の造成とメンテナンスが容易にできる--というのが開発側の意図である。「ラウンドアップ」とはグリフォサートを主成分とする除草剤の商品名だ。

 このほどアメリカの環境保護局が、このGM芝が栽培されている場所から半径4.8kmの植物を調べたところ、2万400種のうち9種が、GM種と同一の除草剤耐性をもっていた。そして、このGM種の伝播は、最長で3.8kmの地点でも確認されたという。伝播の方法は、花粉によって在来種と交雑したものと、種の拡散によるものとの双方が確認されたという。

 GM芝の“野生化”は、2つの点で問題を抱えている。それは、①多年草植物であることと、②農作物でないこと、だ。従来から栽培されていたGM作物のほとんどは、ダイズ、トウモロコシ、アブラナなどの1年草である。つまり、従来のGM種の多くは収獲が終れば枯れてしまうから、次世代を残しにくく、したがって野生化の可能性は小さい。これに対し多年草は、冬を越して翌年再び成長するから、交雑と種による伝播の可能性が大きい。さらに問題なのは、農作物は人間が手をかけねば自然界では生き残るのが難しいのに対し、芝は自然界に数多くの近種をもつほとんど“雑草”と言っていい植物である。だから、GM種のもっている除草剤耐性が近種間の交雑によって自然界に広がっていく可能性があるのである。
 
 それにしても、日本とアメリカのGM植物に対する態度は対照的である。日本では「食品」と「遺伝子組み換え」の2語をつなげることに拒否感を示す人が多いのに対し、アメリカではGM作物は普通に栽培されている。そのことに対して、アメリカ人のほとんどは拒否感を示さない。私は、それでいいのだと思う。「自然は人間のために改変すべきだ」と考えて西部開拓をした人々と、「人間は自然の一部だ」との価値観で生きてきた人々の双方があっていい。地球温暖化時代にどちらの生き方が有効であるかは(あるいは双方の知恵が合わさる必要があるのかは)、今世紀の人類の経験によって証明されるに違いない。

谷口 雅宣

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2006年8月 1日

GM作物に“二次害虫”が発生

 遺伝子組み換え作物(GM作物)に対する抵抗は日本ではまだ大きいが、お隣の中国は唯物論が“国是”のためか、抵抗が少ないと聞いていた。4月13日の本欄では、中国やインドでGM種の栽培が成功していることに触れたが、このたび米コーネル大学の研究者が行った調査では、中国でのGM種の綿花栽培は必ずしも成功していないとの結果が出た。その理由は、GM種が想定した“害虫”は激減したものの、想定外の他の虫が発生したため、それに対処するための費用が増加して、GM種栽培のメリットの大部分が失われているというのだ。科学ニュースを扱うサイト「Newswise」と7月25日付の『New Scientist』誌が伝えている。
 
 GM作物の抱える問題については、『今こそ自然から学ぼう』(2002年)や『神を演じる前に』(2000年)でやや詳しく扱ったが、“二次害虫”の問題は私としても予想外だった。
 
 この研究は、7月25日にアメリカのロングビーチ市で行われた米農業経済連合(American Agricultural Economics Association, AAEA)の年次総会で報告されたもの。今回、研究対象となったGM作物は「害虫抵抗性」を組み込んだ綿の木で、土中のバクテリアの名前の頭文字を取って「Bt綿花」と呼ばれている。つまり、このバクテリアが産生する殺虫毒素を綿の木がもつように、遺伝子組み換えが行われている。ところが、この毒素は葉を食べるオオタバコガの幼虫(bollworm)にだけ効く。Bt綿花の栽培を始めて7年もたつと、この害虫以外の虫(例えば、メクラカメムシ)が相当増加した。そこで農家の人たちはそれらを駆除するために、植物の成長期にはかつての20倍もの殺虫剤を散布しなければならなくなったという。これは、5つの省にまたがる481の農家を調べた結果だ。
 
 この研究は、Bt綿花を栽培することによる経済的変化を長期的に調べた最初のもの。短期的には、この綿の栽培を始めてから3年までは、Bt綿花を植えた農家では殺虫剤の使用量が劇的(7割も!)に減り、通常の綿花を栽培した農家に比べて36%高い収入を得たという。しかし、2004年までには、それらの農家では通常の綿栽培農家と同じくらい多く農薬散布をするようになったという。その結果、GM種の綿を栽培した農家は、通常種の農家よりも8%少ない収入しか得られなかった。というのは、GM種の綿は通常種の3倍の値段だからだ。研究者たちは、このような“第二の害虫”出現の問題は、Bt綿花の栽培が長い国ほど深刻になりえると警鐘を鳴らしている。

 調査に当った世界銀行のシェンフイ・ワング博士(Shenghui Wang)によると、Bt綿花は、開発後すぐに4大綿花生産国であるアメリカ、中国、インド、アルゼンチンで栽培が始まり、今や世界の綿花生産量の35%を占めるに至った。中国では、500万人以上の農民がこれを育て、メキシコや南アメリカでも栽培されている。アメリカでは、Bt綿花の栽培の際には、オオタバコガの幼虫を死滅させないために“緩衝地帯”を設けることが義務づけられているという。この緩衝地帯では普通種の綿を栽培しなければならず、そのためにこの幼虫は生き続け、GM種に対する抵抗性は生まれないと考えられていた。中国では、この緩衝地帯を設置する義務はない。今回の研究は、GM作物の栽培には、長期的には「二次害虫の出現」という新しい問題があることが分かったのである。自然界の複雑さと、人間の予測の限界をよく示していると思う。

谷口 雅宣
 

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2006年7月27日

幹細胞は体中にある

 本欄では、受精卵や卵子を使うES細胞(胚性幹細胞)の研究に反対し、患者本人の体にある成人幹細胞を治療に利用する研究を「より倫理的」と考えて推奨してきた。そして、7月17~18日にかけて、成人幹細胞の研究例を振り返ってみた。そういう有望な幹細胞が存在することが分かっている体の部位を列挙すると、脳、骨髄、髪、皮膚、脂肪、歯胚、臍帯血,生殖器……など相当の種類に及ぶ。最近では、「間葉系幹細胞」と呼ばれる幹細胞が注目されているようで、これは骨髄だけでなく子宮内膜にもあることが分かり、研究が進んでいるらしい。成人幹細胞は、だから「全身に散在している」と表現してもいいだろう。

 7月25日付の『朝日新聞』の夕刊によると、国立成育医療センター研究所などは、難病の筋ジストロフィーの治療に子宮内膜の細胞に含まれる幹細胞が効果的であることを、マウスの実験によって証明したという。また、同24日に『日本経済新聞』が伝えたところでは、京大の研究グループは、急性心筋梗塞のために、骨髄中の幹細胞移植に遺伝子治療を組み合わせた効果的な治療法を開発したそうだ。また、今年3月に発表された例では、独立行政法人の産業技術総合研究所で、抜歯した親知らずにある歯胚から取り出した幹細胞から、骨、肝臓、神経の細胞を分化させることに成功している。同研究所では、2001年から患者の骨髄内の幹細胞を使って骨や関節疾患、心疾患の患者の治療を行ってきた。しかし、骨髄液の採取は患者への負担が大きいため、歯科で抜歯され廃棄された親知らずに注目し、幹細胞の利用技術を開発したという。

 さらに25日付の『日経』には、神戸のベンチャー企業「ステムセルサイエンス社」が、フランスのニース大学と国立科学研究センター(CNRS)から人の幹細胞を培養し、独占販売する権利を取得したと書いてある。この幹細胞は「ヒト脂肪細胞由来多能性幹細胞」(hMADS細胞)というらしい。同社によると、これは人間の脂肪組織中に存在する細胞で、試験管内で容易に培養でき、医薬品の開発に有効な研究材料として価値があるそうだ。具体的には、脂肪や骨に効率よく分化することが確認されていて、糖尿病や肥満や骨粗鬆症等の疾患に対する治療薬の研究に適しているという。こういう成人幹細胞が、すでに国際的取引の対象になっているのだ。同社は、昨年11月にニース大からこの幹細胞を筋ジストロフィーの治療に使う権利を得ていて、この研究をさらに進める過程で高品質の細胞を得られるため、その細胞自体を外部に販売することにしたという。2年後には5千万円の売り上げを目指すというから、将来の需要を見込んだビジネスと言えよう。

 私がここで強調したいのは、人間のES細胞を使った再生医療の成功例はまだ存在しないのに対し、成人幹細胞を使った治療はすでに普通に行われており、成功例も数多いということだ。前者では卵子や受精卵を入手する際に倫理問題が多く、その影響もあって提供数が絶対的に少ない。これに対し後者では倫理問題はそれほどなく、患者自身の細胞を使う点でより安全であり、また臍帯血や皮膚、歯胚など、提供者の負担が少なく入手が簡単である。これだけ有利な方法が現に存在し、成果を出しつつあるのに、問題の多いES細胞の研究に力を注ぐ意義が、私にはよく分からない。医学はかつて「医道」とも呼ばれ、倫理性が前提となっていたのだから、21世紀の医療も倫理を尊ぶ伝統を堅持してほしいものだ。

谷口 雅宣

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2006年7月20日

ブッシュ氏、ES細胞研究支援にノー

 米大統領のブッシュ氏が、胚性幹細胞(ES細胞)の研究に対する国の財政支援拡充法案に拒否権を発動した。この法案は昨年5月に連邦下院で可決しており、上院では18日(現地時間)に「63対37」で可決した。ブッシュ氏は少数意見に与し、しかも就任以来初めての拒否権発動といことだから、実に明確な「ノー」の意思表明である。ブッシュ氏は、イラク戦争などで“単独行動”を批判され、最近は態度軟化が言われてきたが、「正しい」と思うことは多少の反対を押し切って強引にやるところは、まだ変わっていないようだ。私は、ブッシュ氏の環境問題やテロに対する態度には批判的だが、ことES細胞に関しては、氏の決断を声を大にして讃えたい。

 ブッシュ大統領の拒否権発動について、新聞などは「11月の中間選挙を前に、支持基盤の宗教右派へ配慮した」(19日『朝日』)などと分析しているが、本欄でも書いたように、宗教右派の一部は環境問題への取り組みでブッシュ氏を批判しているし、共和党も、19人がこの法案に賛成するなど分裂している。だから、この問題で内部分裂した自派への“配慮”というよりは、彼の“信仰心”が法案拒否の最大の動機ではないだろうか。
 
 今日(20日)に放映されたABCニュースでは、大統領は拒否権発動の理由をこう説明した--「この法案は、他の人々の医療上の利益を見つけるために無辜の人命を奪うことを支援することになります。それは、健全なアメリカ社会が敬うべき道徳的境界を越えるものだから、私は拒否しました」(This bill would support the taking of innocent human life in the hope of finding medical benefits for others. It crosses a moral boundary that our decent society needs to respect, so I vetoed it.)
 
 この法案の内容を私は詳しく知らないが、大統領は「受精卵を破壊してES細胞を作る」ことを指して「無辜の人命を奪う」と言っているのだろう。ES細胞の“出所”としてよく候補に上がるのは「不妊治療で作られた受精卵のうち、不要になったもの」(凍結余剰胚)だから、「どうせ廃棄されるものなら、人助けに使ってもいいだろう」と考える人が多いのである。ところが大統領は、この日、そういう凍結余剰胚を“養子”として引き取り、妊娠後に健康な赤ちゃんとして産まれた子供と、その親たちを会見場に招待して、次のように言った:
 
「ここにいる子供たちは皆、人工授精による凍結受精卵として人生を始めました。この凍結受精卵は皆、不妊治療が終ったあと使われなかったものです。この子たちは皆、受精卵である時に養子となり、愛に満ちた家庭で育つ幸せに恵まれました。この子たちは、予備の部品なんかじゃありません。この子たちを見れば、研究目的で受精卵が破壊される時に何が失われるかが分かります。この子たちを見れば、我々は皆、最初は小さな細胞の塊として命を始めることが分かります。そして、この子たちを見れば、我々が新しい治療法を探すことに熱心なあまり、わが国全体が根本的な道徳を放棄してはいけないということが分かります。」

 大統領はこの日、別の一団の人々も会場に招いていた。それは、受精卵を破壊しなくても利用できる成人幹細胞(adult stem cells)や、ヘソの緒中にある臍帯血幹細胞による治療で健康になった人々である。そして、「この人たちは、効果的な医療は倫理的でありえると教える生きた証人です」と紹介した。続いて大統領は、成人幹細胞がES細胞と同様に効果的な治療法を生む可能性に触れ、「科学者たちが研究中のある治療法では、通常の体細胞をプログラムしなおす」技術があるとし、その例として、「皮膚の細胞がES細胞と似たように機能する」ことを挙げた。これはまさに、18日の本欄で扱った「人工幹細胞」のことである。
 
 このように、国の中心者が倫理基準を明確にしたうえで政策決定をするという点を、わが国も見習うべきだと思う。特に生命倫理の分野での国の対応の「あいまいさ」と「遅さ」は、早急に改善してほしいものだ。
 
 谷口 雅宣

【参考資料】
○"President Discusses Stem Cell Research Policy," http://www.whitehouse.gov/news/releases/2006/07/20060719-3.html

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2006年7月18日

人工幹細胞と毛包細胞

 前回の本欄では、京都大学の山中伸弥教授が、マウスの皮膚細胞の遺伝子を操作することで、ES細胞に酷似した状態を実現した話を書いた。このことと、同大再生医科学研究所の中辻憲夫所長がヒトクローン胚研究を中止したことが、何か関係があるように書いたが、これはあくまでも私の勝手な憶測である。しかし、中辻所長の発表を伝える『京都新聞』の記事には、研究中止の理由として、「ヒトクローン胚を使わないで移植治療の拒絶反応を回避する方法にも可能性がある」ことが挙げられており、その方法の例として「体細胞の遺伝情報を初期化・再プログラム化して作成する人工幹細胞」と書かれているのが、私の目に留まったのである。この「人工幹細胞」という言葉は、私には初耳だった。

 そこでインターネットを調べてみると、上記の山中教授の所属する再生医科学研究所が行っている「再生誘導研究」についての説明を見つけた。これがまさに「人工幹細胞」を作る研究で、前回触れた『Science』誌の記事は、そのマウスでの成功を取り上げていたのだった。これはビッグニュースであるはずだが、日本のテレビや新聞は報道しなかったようだ。(少なくとも、私の目には留まらなかった。)
 
 京大再生医科学研究所のウェッブサイトによると、山中教授はES細胞がヒト胚(受精卵)を破壊するという倫理問題を抱えているうえ、患者に移植すると拒絶反応を起こすという問題があるため、「患者自身の体細胞をES細胞に変える」研究に取り組んでいるようだ。山中教授自身の言では、「患者自身の細胞からES細胞に類似した多能性と増殖能を有し、腫瘍形成能は持たない幹細胞を樹立することを目標に研究を行って」いるという。「腫瘍形成能」というのは「ガン化する」という意味だ。培養すればどんどん増殖し、様々な細胞に分化する能力があるが、ガン化しないものを遺伝子操作によって人工的に作るということだろう。素人の私から見れば「魔法」のように見える研究だが、それが決して魔法でないことは、前回触れたマウスでの実績が証明している。

 このように、ある研究が「有望だ」とか「可能性が大きい」という理由だけで跳びつくのではなく、倫理問題を起こさないように配慮して研究領域を選び、多少困難であっても新しい可能性に挑戦することは、素晴らしいと思う。そういう研究者が日本にもいて、一定の成果を挙げていることを知り、心強く思った。
 
 ところで、同じ幹細胞の研究では、髪の毛の付け根にある「毛包」から、各種の細胞を分化させるという、これまた(素人目には)“魔法”のような可能性も見えてきている。これは7月12日付で科学ニュースを扱う Newswise が発表したもので、ペンシルバニア大学医科学校の研究者グループは、毛包にある成人幹細胞を培養して神経細胞、平滑筋細胞、皮膚の色素細胞など、何種類もの細胞に分化させることに成功したという。研究成果は、最新号の American Journal of Pathology (アメリカ病理学雑誌)に発表された。
 
 髪の毛包から成人幹細胞が採れることは、専門家の間ではよく知られているらしい。髪の毛包には2~5年間の活動期と3~4ヵ月の休止期が交互にあって、活動期には、髪はここから毎日平均で0.3~0.5ミリ伸びるというから、細胞分裂が盛んな場所であることが分かる。これを、人のES細胞を培養するのと同様の条件下に置くことで、研究グループは様々の細胞に分化させることに成功した。
 
 ここで紹介した人工幹細胞も毛包幹細胞も、いずれも「皮膚」の細胞である。採取は簡単であり、生命の破壊につながらない。こういう“倫理的”な技術を、医学がもっと積極的に採用するようになれば、社会の医療への信頼感はさらに深まっていくと思うのだが……。
 
谷口 雅宣

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2006年7月17日

クローニングはもう不要?

 1996年7月5日、イギリスで生まれた1頭の雌羊が世界を揺るがした。人類が初めて、体細胞クローニングの技術によって哺乳動物のコピーを誕生させたからだ。この「ドリー」の誕生10年を記念して、イギリスの科学誌『New Scientist』は7月1日号で特集を組んだ。「クローニングの夢は潰(つい)えたか?」という題だから、あまり楽観的な評価ではない。私としては人間のクローン作成など反対だし、ES細胞の研究にも反対しているから、「潰えた」と断定してほしいところだが、治療目的のクローニング(therapeutic cloning)を夢見る人はまだ数が多いから、「潰えた」との断定は非情なのかもしれない。

 体細胞クローン技術を使った再生医療の動向については、本欄で何回も取り上げてきた。しかし、ヒツジに続いてマウス(1998年12月)、ヤギ(1999年4月)、ブタ(2000年3月)、ネコ(2001年12月)、ウマ(2003年5月)、シカ(同)、ラバ(同)のクローンは誕生したが、同じ技術によって「ヒトクローン胚」という人間の胚を作成する技術は、あまり進歩していないようだ。「大進歩があった」として昨年5月に騒がれた韓国の研究では、データが捏造され、ヒトクローン胚からはES細胞自体が作成されなかったことが判明した。だから、この技術の人への応用がいかに難しいかがわかる。

 ドリーの研究では、277個の乳腺細胞から核を取り出し、それを除核卵細胞に注入した。そのうち、代理母の胎内に移植できるまでに成長したのは29個であり、そこからわずか1頭のヒツジが誕生している。その後の動物では多少、効率が向上したものの、本質的にはこの技術の成功率の悪さは変わっていない。これを人間で行おうとすると、何百もの新鮮な卵子の入手をどうするかが大きな問題となり、この点でも、韓国の研究は深刻な倫理問題を抱えていた。だから、体細胞クローン技術を使ったES細胞の研究は、大きな“壁”に突き当たっていると言えるだろう。

 これに対し、ES細胞その他の幹細胞から、神経細胞や皮膚細胞などの各種の細胞を分化させる技術は進歩してきている。ES細胞からは、インシュリンを産生する細胞、心筋細胞、神経細胞、筋肉細胞などがすでに生まれている。昨年6月20日の本欄では、アメリカでマウスの脳にある成人幹細胞から神経細胞を分化させたことを報告した。また、8月29日の本欄では、埼玉医大が患者本人の骨髄中の幹細胞を使って心筋梗塞の治療に成功したことと、既存のES細胞から患者に合致する多種の細胞を効率よく分化させる方法が開発されたことを書いた。また、今年4月6日の本欄では、ドイツの研究グループが、マウスの精原細胞からES細胞に似た多分化能のある幹細胞を作成したというニュースを報告した。さらに6月6日には、人間のES細胞から効率よく神経細胞を作り出す技術を、理化学研究所と京都府立医科大学の研究グループが開発したと伝えた。
 
 ところで、7月7日付の『Science』(vol.313, p.27)には、今年6月29日から7月1日までカナダのトロントで行われた第4回国際幹細胞研究協会(International Society for Stem Cell Research)の年次会議で、京都大学の山中伸弥教授が、マウスの皮膚細胞の4つの遺伝子を操作することで、ES細胞に酷似した状態を実現することができると発表した、と書いてある。これが事実ならば、驚くべきことだ。もちろん、人間の細胞がマウスと同じように操作できるとは限らないが、人で同じことができるようになれば、事態は一変する。なぜなら、ES細胞(に等しい細胞)を入手するためには、もはや卵子はいらず、成人幹細胞もいらず、普通の皮膚細胞があればいいからだ。こうなれば、治療目的のクローニング--つまり、ヒトクローン胚の研究--は全く不要となるのではないか。
 
 6月20日の本欄では、文部科学省の専門家作業部会が決定したヒトクローン胚研究の指針案の内容について報告したが、この指針案が厳しすぎるとして体細胞クローンからES細胞を作る研究を断念する研究者も出てきている。京都大学再生医科学研究所の中辻憲夫所長は、日本でのES細胞研究の第一人者だが、7月14日の『京都新聞』によると、ヒトクローン胚を使った再生医療研究には、研究グループとして当面取り組まないことを、13日に明らかにした。中辻所長は山中教授と同じ京都大学で、研究分野も同じだから、ひょっとしたら別の方法に注目し、クローニングの研究自体には見切りをつけたのかもしれない。
 
谷口 雅宣

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2006年6月20日

人間のクローン胚研究へ道

 ES(胚性)細胞の研究は、韓国のファン・ウー・ソク元教授による研究データ捏造事件の影響でこのところ下火になっていたが、日本では行政がその“後押し”に動き出した。文部科学省は今日(20日)、専門家作業部会を開いて、人間のクローン胚を作成する研究の“解禁”に向けた指針案をまとめた。これまでの指針は、人のクローン胚は“クローン人間”作成につながるとして研究を禁じていたが、韓国の事件の教訓を取り入れて厳しい条件を付けたうえで、不妊治療などで不要となった卵子を使うES細胞作成に道を開こうとしている。『日本経済新聞』が夕刊で報じた。

「クローン胚」とは、特定の人間の遺伝子情報をもった胚(胎児の初期のもの)のことである。現在の主流的な方法では、これを作成するには、ある人の体細胞(皮膚の細胞など)の細胞核を抜き取り、卵子から核を除いたものの中にそれを注入し、電気ショックなどを与えて両者を融合させる。これによって、融合した細胞は稀に分裂を始めるが、それが「胚盤胞」と呼ばれる段階にまで達したものを「クローン胚」と呼ぶ。この特殊な胚の中身を取り出したものが「ES細胞」だ。クローン胚を壊さずに女性の胎内に移植し、そこで成長が始まれば“クローン人間”が誕生すると考えられている。

 6月6日の本欄では、理化学研究所などがES細胞から効率よく神経細胞を取り出す技術を開発したことを書いたが、クローン胚の研究は、卵子を使ってES細胞を作成するためのものだ。「体細胞+卵子 → クローン胚 → ES細胞 → 神経細胞」という技術が完成すれば、アルツハイマー病やパーキンソン病などの脳神経系の病気の治療に画期的な進歩をもたらす、と考えられている。しかし、その一方で、上記の韓国の事件にあったように、成果を急ぐあまり、大量の卵子提供を受けたり、それに対して金銭的対価が支払われたり、研究データが捏造されたりした。今回の指針案では、卵子の入手方法に厳しい条件をつけながら、これまで禁止されてきた人のクローン胚作成への道を開き、ES細胞研究にはずみをつけようとするものだ。
 
『日経』の記事によると、その条件とは、①卵子提供の場にはコーディネーター(相談役)を置くこと、②ボランティアからの卵子提供の禁止、③研究チームに所属する女性や研究者の家族などからの卵子提供の禁止、④サルのクローン胚作成に成功している場合、⑤サルのクローン胚からES細胞を作成した経験が豊富な場合、など。ES細胞の研究促進を求める立場の人々からは「条件が厳しすぎる」との批判があるようだが、医療目的のために、他人の生殖細胞の操作や改変を行うことは、倫理的にあまり好ましいとは言えない。宗教的な観点から言えば、拙著『今こそ自然から学ぼう』(2002年、生長の家刊)で述べたように、クローン胚は、肉体製造装置としての能力を発揮しはじめた時点から「霊魂」の関与が始まったと見られるから、「それ自身が生きる」という生命本来の目的以外の目的で、他人が利用するのは間違いである。(詳しくは、同書pp.266-274参照)
 
 同書にも書いたように、私は再生医療の研究にすべて反対しているのではなく、「倫理的、宗教的に問題の多い方法」に反対しているのだ。今は、患者本人の体内にある「成人幹細胞」を利用することで、遺伝子の操作をせずに、他人の心身を傷つけることもなく、各種の細胞が再生できることが分かってきている。技術はまだ発展途上にあるが、ES細胞の研究にしても、同様に発展途上にある。3月9日の『日経』(夕刊)は、この分野での研究成果を伝えていて、関西医科大では臍帯(さいたい)血--ヘソの緒の中の血液--中の細胞でマウスの網膜の一部を再生させており、理化学研究所や名古屋大学などが参加する厚生労働省研究班は、驚くことに「尿」の中の細胞を腎臓の一部に変化させることに成功している。

 ES細胞の研究ではなく、このような研究に人材と資金とを集中させる方が、生命の犠牲が少なく、かつ社会の反対も少なく、さらに“倫理的社会”の成立に貢献することになるのではないか。

谷口 雅宣

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2006年6月 6日

ES細胞から神経を効率よく得る

 韓国での研究データ捏造事件で一時退潮ぎみだったES(胚性幹)細胞の研究で、大きな進展があったようだ。「ようだ」と推量形で書くのは、韓国での事件も、当初は“鳴り物入り”で大成果であるかのような発表があったので、私としても注意深くならざるを得ないからだ。人間のES細胞から効率よく神経細胞を作り出す技術を、理化学研究所と京都府立医科大学の研究グループが開発したらしい。6月6日付の新聞各紙が伝えている。
 
 韓国で問題になった研究は、若者から高齢者にいたるまでの「特定の人間の遺伝子を組み込んだES細胞を効率よく作成した」ということだった。しかし、この発表はデタラメで、ES細胞の作成は依然として極めて効率が悪く、したがって多くの卵子や受精卵を犠牲にする点で倫理的にも問題が多い技術であることに変わりない。今回の研究は、すでに存在するES細胞から神経細胞を作成する技術の向上である。私はES細胞の利用には反対の立場だから、この進歩を「人類への朗報」とかアルツハイマー病やパーキンソン病などの「治療法の確実な進歩」などとは言えない。しかし、卵子や受精卵を犠牲にすることをあまり問題にしない人々の口からは、そういう誉め言葉が発せられるかもしれない。
 
 4月6日の本欄では、ドイツの研究グループが、マウスの精原細胞からES細胞に似た多分化能のある幹細胞を作成することに成功したというニュースを報告したが、私としてはこちらの研究の人間への応用の方が、倫理的にはまだ優れていると思う。
 
 人間のES細胞から神経や心筋、皮膚等の種々の細胞を分化させるためには、従来はネズミの骨髄由来の細胞の上に人間のES細胞を載せて培養することが行われていたらしいが、これだと異種細胞間に感染の問題があった。が、今回の研究では、人間の羊膜(胎児を包む膜)の上に載せて培養することで、この問題をクリアし、そこから9割以上の確率(従来は約6割)で神経細胞のもととなる神経幹細胞を育てることに成功したという。また、この神経幹細胞をさらに培養することで、ドーパミンという物質を作る特殊な神経細胞や、運動神経細胞などの作成にも成功したらしい。パーキンソン病は、このドーパミンが失われることで起こるから、研究グループは、この研究で作った神経細胞を、まずパーキンソン病のサルに移植して治療の実験を進める計画という。

 ES細胞を含む「ヒト胚」の研究や利用をめぐっては、「人間の尊厳」と「人間の幸福」という2つの価値が天秤にかけられる、と東京大学の島薗進教授は指摘している。「人間の尊厳」とは、人間の存在を何かの目的の手段とはしないとする価値で、奴隷制度や人体実験、強制労働などはこの価値を犯すと考えられる。普通は、ある人の幸福のために他人の尊厳を犯すことは許されない。しかし、この「他人」が胎児や受精卵、あるいは卵子である場合には、一部(例えば妊娠中絶)でこれが許されてきた事実がある。今回の研究でも、ES細胞の作成の過程でそれが行われている。

 もう1つの問題は、世代間倫理の側面にある。普通、親は自分を犠牲にしてでも子の幸福を望む。社会全体で考えてみても、親世代は自分たち以上の富や環境を子世代や孫世代に残そうとして努力する。これが普遍的な世代間倫理であるとするならば、ES細胞の研究や利用は価値観がまったく逆転している。なぜなら、この技術は親世代の幸福のために、子世代として生まれてくるはずの生命を抹殺するからだ。そうすることが「親世代の幸福」だと考えること自体、はたして倫理的と言えるかどうか疑わしい。私は、そういう社会を作ることに反対しているのである。

谷口 雅宣

【参考文献】
○島薗進著『いのちの始まりの生命倫理--受精卵・クローン胚の作成・利用は認められるか』(2006年、春秋社刊)

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2006年5月17日

不妊治療の進歩の陰に

 不妊治療に「胚盤胞移植」というのがあることを、初めて知った。「胚盤胞」とは、卵子が受精後5~6日たったとき、受精卵の内壁に将来、胎児に育つ細胞群が固まって形成された状態のものを言う。この細胞群を取り出して培養できる状態になったものが有名な「ES(胚性幹)細胞」である。胚盤胞移植というのは、体外受精後、胚盤胞の状態にまで育った受精卵を子宮に移植することである。これによって子宮への着床率が向上するというのが、メリットとして挙げられている。5月16日の『日本経済新聞』(夕刊)によると、通常の体外受精--2~3日の培養で子宮へ移植--では妊娠率が20%なのに対し、胚盤胞移植だと30%に向上するらしい。そして、平成15年に生まれた新生児の65人に1人は、その他の方法を含めた体外受精によって生まれているという。
 
 私は現代の日本で、これだけ多くの子が不妊治療を経て生まれているのを知らなかった。日本産科婦人科学会の報告書によると、平成15年に各種不妊治療で誕生した出生児の数は、以下の通りである:
 
 ①新鮮胚(卵)によるもの
  (顕微授精を含まない)        6,608
 ②顕微授精(新鮮卵)による     5,994
 ③凍結胚(受精卵)による
  (顕微授精を含む)            4,793
 ④未受精凍結卵による
  (顕微授精による)               5
                     (合計) 17,400

 ところで、胚盤胞移植の妊娠率をさらに向上させるためには、「凍結融解胚盤胞移植」という方法があるそうだ。これは、胚盤胞まで育った受精卵を一度凍結保存しておき、月経の周期に合わせて(またはホルモン投与によって)最も妊娠しやすい時期に解凍し、移植する方法である。生きた受精卵を凍結するからリスクが増えると思いきや、2~3日の受精卵よりも胚盤胞の段階での凍結の方が、解凍時に胚の質の確認がしやすいので着床率が向上するらしい。最近では、体外受精で1人目の子の出産に成功した人が、そのときの“余剰胚”を凍結保存しておき、数年後にそれを移植して2人目を得るケースも珍しくないという。特に、1人目と2人目の子の間が離れている場合--例えば、1人目を早く生んだ後、仕事のため妊娠を避けていた場合--35歳以上の女性の卵は急速に老化するため、若い頃の凍結受精卵を使う方が有効だという。
 
 こういう技術の進展によって、一昔前には妊娠を諦めねばならなかった女性たちが、自らの子をもてることは喜ばしいことかもしれない。が、その一方で、昔は“ブラック・ボックス”で人の介入ができなかった受精・妊娠・出産の過程がより明らかとなり、それへの人為的介入の機会が増えてきたことで、「どこまで介入し、どこから介入できないか」という新たな倫理的問題が生まれている。例えば、上記の凍結受精卵の問題では、1組のカップルが若い頃に受精卵を凍結した後、数年後に別れたり、離婚したり、あるいは一方が病気や事故で死亡した場合、受精卵の扱いはどうなるのか。一方に無断で妊娠できるのか。廃棄には双方の承認が必要か。受精卵に遺言で財産分与ができるのか……等々、倫理的、法的問題の解決が求められるだろう。
 
 実際、同学会の「平成16年度事業報告」にも書かれているが、香川県高松市の産婦人科医は、死亡した夫の凍結保存精子を用いた体外受精・胚移植を実施していたことで、同学会の会告に違反したとして厳重注意されている。この場合、妻と相手の男性は結婚していなかったことが問題になったが、さらに調査の結果、体外受精と胚移植の時点で、夫の死亡を知らなかったという事実が判明したという。社会の複雑化とともに、生殖医療についての倫理問題もますます複雑化する。不妊治療の進歩の陰には「人間の命を手段として操作する」という倫理問題がある。また、「受精卵や胎児に人権はあるか?」という宗教とも深く関連した問題が横たわっているのである。
 
谷口 雅宣

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2006年4月13日

GM動物の誕生

 すでにご存じのことと思うが、最近、遺伝子組み換え(GM)とクローニングによってブタが初めて作られた。このブタは、心臓の機能を向上させ、心臓病予防の効果があるとされる「オメガ3脂肪酸」という物質を多く生成するような遺伝子組み換えが行われているという。現在、この物質を体内に取り入れるためには、栄養補助剤を服用するか、それを多く含む種類の魚(サケやマグロ)を食べる必要があるが、後者は水銀汚染のリスクを伴う。だから、ブタ肉からそれを補給することで、心臓病を予防することができると同時に、減少しつつある魚に頼らずに必要な栄養素を得ることができるようになるという。
 
 この研究は、ピッツバーグ大学とミズリー=コロンビア大学などの研究チームによって行われ、『Nature Biotechnology』誌に発表された。このチームのメンバーは、2004年にまず線虫の遺伝子を使って、肉類に多く含まれる「オメガ6脂肪酸」を体内で「オメガ3脂肪酸」に変換するブタを作った。今回は、そのブタの遺伝子を使い、核移植によるクローニングの方法で子ブタを作ったのである。

 動植物の世界では、人間の好みに合わせた種を作り出す“品種改良”は当たり前に行われてきたが、それを遺伝子組み換えで行うことへの抵抗はまだある。例えば、昨年9月27日の本欄で扱ったGMブドウでも、それが栽培されている畑は「高さ180センチのフェンスで囲まれ、侵入防止用のセンサーとビデオカメラで守られている」と書いてある。これは、ヨーロッパではGM作物のことを“フランケン作物”などと呼んで毛嫌いする人が多く、中には実力でGM作物を破壊する人もいるからだ。

 しかし、世界全体を見ると、GM作物への態度は国によってまちまちである。昨年5月17日の本欄で伝えたように、中国では害虫耐性をもたせたGM種のイネの栽培が、農薬の使用削減と収量の増大につながっており、インドでは違法に作られた害虫耐性のGM種の綿花が、収量の増大とコスト削減をもたらしているため、作付面積が拡大しつつある。しかし日本では、約30種のGM作物の栽培が国の審査を経て認められているが、地域住民や近隣農家への影響を考えて、GM種の栽培に二の足を踏む農家がほとんどである。それとは対照的に、アメリカではGM作物に対する抵抗はほとんどなく、大量に栽培されている。
 
 GM種の植物の栽培が警戒の目で見られるのは、いったん自然界に放たれると、植物は“回収”することが困難になるからだ。花粉が飛散し、あるいは虫に運ばれて自然界の近縁種と交雑し、“雑草化”することが指摘されているし、海外ではそういう事例が現実に報告されている。では、動物のGM種はどうだろう? 動物は昆虫のように小さいものはともかく、ある程度の大きさ以上のものでは、自然界への“放出”が規制でき、“回収”も比較的容易である。特に、家畜はそう言える。だから、今回のブタの遺伝子組み換えの場合もあまり騒がれなかったのだろう。
 
 しかし、植物に比べ動物の--特に人間に近い哺乳動物の遺伝子組み換えやクローニングは、倫理的な抵抗をより多く惹き起こすものである。4月1日の本欄では、牛肉の“霜降り”状態を作る遺伝子を京都大学の研究者が発見したことに触れたが、この研究の場合も今回のブタの場合も、その目的は明らかである。それは、人間(日本人?)にとって美味であり、栄養バランスのよい肉を効率よく生産するためである。3月7日の『産経新聞』には、静岡県中小家畜試験場が、クローン・ブタ同士の雌雄交配により“クローン・ブタ2世”を誕生させたことが報道されていたが、これにより「親の性質を引き継いだ優良な豚を効率的に生産できる」と書かれている。これまでの方法では、クローンが無事に誕生する確率は約1%だったのに対し、クローン同士の交配が可能となれば、動物のクローニングは商業ベースに乗るだろう。イヌやネコのクローニングはすでに実現しており、今年2月、米テキサス州のバイテク企業が競技馬のクローンを誕生させた。

 この種の技術が目指している社会を想像してみてほしい。人間の好みに合わせて家畜やペットをデザインし、それをクローニングの技術を使って大量生産する。そのことが人間の幸福増進や社会の発展に寄与すると考えているのである。読者は、「人間のクローンだけは別」と考えるだろうか? 私は、そういう思想上の“種の壁”もどんどん低くなっていると思うのである。

谷口 雅宣

【参考文献】
Transgenic pigs are rich in healthy fats
Researchers Create Pigs that Produce Heart-Healthy Omega-3 Fatty Acids

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2006年4月 6日

男にも再生の道?

 ES(胚性幹)細胞の研究については、韓国のファン・ウー・ソク教授が関わった“捏造論文”の影響が尾を引いているのか、最近はあまり話題にならないようだ。その代わり、別の方法でES細胞に似た能力をもつ細胞をオスの生殖器から作成する方法が開発されたらしい。ただし、まだ人間の細胞を扱うのではなく、マウスの段階での研究である。しかし、これが人間に応用できるようになれば、従来のES細胞のような倫理問題を起こさずに、再生医療に役立つ可能性がある。

 ES細胞や体細胞クローンの作成にあたっては、これまでは受精卵や卵子が使われ、精子は使われなかったことはご存じだろう。私は、このことをかねてから不思議に思っていた。人間も動物も、生殖器官を除いては、オスとメスは基本的に同じ体の構造であり、遺伝子もXY染色体を除いては同じである。“下等”と言われる動物の中には、オスとメスが容易に入れ替るものもあり、植物には雌雄同体は珍しくない。一つの生物種の中では、オスとメスは単にバリエーションの違いであり、本質的な差異ではない。人間の体内にある成人幹細胞も、男のものも女のものも、多種類の組織や臓器に分化する脳力を等しくもっている。だから、オス(男)の生殖細胞からもES細胞に似たものができて不思議はないはずだ--こんな疑問である。
 
 そんなところへ、ドイツの研究チームがマウスの精原細胞(spermatogonial cells)からES細胞に似た幹細胞を得ることに成功した、という話が飛び込んできた。3月24日の『New Scientist』のニュースが伝えている。もしこれと同じ方法が人間で可能ならば、男性の患者は、自分の体のスペアを自分自身から比較的簡単に得る道が開かれることになる。また、ES細胞作成に当っては、これまでは受精卵や卵を破壊することが不可避だったため倫理問題を起こしてきたが、この方法が確立すれば、そういう問題がかなり軽減すると思われる。
 
 この研究は、ゲオルグ-アウグスト大学のゲルド・ハッセンファス教授(Gerd Hasenfuss)らのチームの手になるもの。彼らは、マウスの睾丸から精原細胞を取り出し、それを成長ホルモンや栄養素の中で培養することで、精子に分化させずにES細胞のような多分化型の幹細胞(multipotent adult germline stem cells)を作ることに成功した。ハッセンファス教授によると、その幹細胞は心筋細胞、血管細胞、神経細胞、皮膚細胞、そして肝細胞など、あらゆる種類の細胞に変化させることができるという。精原細胞は、精子になる前の段階の細胞で、これを取り出すことは、ガン治療の際や不妊治療等で普通に行われているというから、特に難しい技術ではないという。
 
 しかし……と私は考え込んでしまう。自分の生殖器から取り出した細胞を培養して、自分の体内の別の場所の補修に使うことが本当にできるのだろうか? もしそれが可能なら、自然状態でなぜそれが起こらないのだろう? 言い換えると、そういうメカニズムが何十万年という人類の進化の過程で、どうして体内に整備されてこなかったのだろう、と思う。肉体内部の諸組織や諸器官相互の精緻で複雑極まりないオーケストレーションを考えると、そういう内在のメカニズムよりも、人間が外から器具や機械を使って操作する方法の方が優れていると、どうして言えるのだろう? 医学の世界は、わからないことだらけである。
 
谷口 雅宣

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2006年3月31日

米で中絶禁止の法律が成立

 アメリカでは、“神”を語るブッシュ大統領とそれを支持する“キリスト教右派”と呼ばれる人々の台頭で“右傾化”が進んでいると言われる。アメリカの“右”は京都議定書を蹴ったり、イラク戦争を始めたことなどで疑問点も多いが、「生命尊重」を旗印に掲げる点などで評価すべき面をもっている。このほどサウスダコタ州で制定された法律は、母親に生命の危険がある場合を除くすべての妊娠中絶を禁じるという画期的な内容だ。これは、現在のアメリカで、女性の“中絶の権利”を確定したと言われている1973年の「ロー対ウェイド」の判例に挑戦するものとして、注目されている。
 
 3月8日付の『ヘラルド・トリビューン』紙などによると、この法律は、先月下旬に同州の上院で可決され、3月6日にマイク・ラウンズ知事(Mike Rounds)によって署名されて成立した。アメリカの中絶反対派は、この法律制定を足がかりに、ブッシュ大統領による連邦最高裁判事の入れ替えなどで有利な環境ができつつあるとして、今後、オハイオ、ジョージア、テネシーなどの州で同様の法律制定を推進し、中絶反対の気運を全国的に盛り上げていくことをねらっている。ただし、この法律が発効するのは7月1日からで、それまでに反対派が16,728人以上の署名を集めれば、11月の選挙まで発効を差し止めることができるという。同州は、もともと保守的な考えが強い。妊娠中絶を行うクリニックは州内にわずか1箇所しかなく、そこでの中絶は年約800件という。

 3月18日付のイギリスの科学誌『New Scientist』は、この法律制定の経緯の一部を科学的データを交えて説明している。それによると、同州では法律制定に先立って、上院議員、法律家、医師、中絶問題の双方の立場の活動家など17人の委員からなる「検討グループ」を作り、生命はいつから始まるか、中絶は母親の健康に肉体的・精神的にどう影響するかについて検討し、その結論にもとづいて法案を策定した。しかし、結論が出るまでに4人がこのグループから抜けたというから、意見の対立の深刻さを示している。
 
 この「検討グループ」は、新しいDNA分析の技術などによって「議論の余地なく明らかになった」こととして、次の3点を指摘した--①胎児は受精の時から一個の人間であること、②あらゆる妊娠中絶は生きている人間の命を終らせる行為であること、そして③胎児は、現代医学のもとで保護されるべき患者であること、である。また、同グループは、個人を特定するDNA解析など、1973年以降の科学的知見を根拠にして、「人間は受精の直後から完全な独自性を有している」と結論する。そして、胎児は受精の時から、母親とは別の、一個の独自の完全な人間であるとし、受精卵は、子宮に着床するよりかなり前の段階--3回分裂した段階--で、自らのその後の成長と発達を制御する能力を獲得している、などの興味ある見解を述べている。
 
 中絶の肉体的リスクについて、同グループは「妊娠中絶が女性の体に及ぼす健康上のリスクは相当程度あり、重要である」と結論する。このリスクとは、感染症、出血、将来の不妊、乳癌と死の危険性の増加である。また、中絶後の1年間で女性が死亡する確率は、出産後1年の女性の死亡率の4倍あり、中絶後には自殺する確率も上がるとする。一方、中絶の精神的リスクについては、同グループはこう結論する--「妊娠した母親が、精神的外傷や落胆を受けずに自分の子の命を奪うことができると思うのは、まったく現実的でない。母親の本能は自分の子を守り育てるところにあるのだから、その子を殺すことは正常で、自然で、健康的な母親の能力の域外にある」。だから、いくつもの統計的調査では、女性は中絶後に鬱病や躁鬱病になりやすく、自殺願望を抱いたり、薬物濫用の傾向が生まれるという。
 
 2月24日の本欄で、里親制度を使った中絶防止策を実施するという福島県の決定にエールを送った。日本では、海外まで行って卵子の提供を受けたり代理母を依頼する人がいる一方、不用意に妊娠したからといって、簡単に自分の子を殺す人がいる。自分より小さく無力だからだろうか、受精卵や胎児は親の“道具”に化している感がする。そんな扱いを受けた子が、老後の親の面倒を見てくれるはずがないのである。「肉体が人間である」という謬見から、決して幸福はやって来ない。

谷口 雅宣

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2006年3月26日

人類は進化する? (2)

 3月10日の本欄で、「人類は進化の途上にある」という話を書いた。イギリスの科学誌『New Scientist』が3月11日号で、この発見について特集している。それによると、シカゴ大学のブルース・ラーン教授(Bruce Lahn)は昨年、脳の発達にかかわる2つの遺伝子の発生を調べた。すると、1つは6万年から1万4千年前に現れたもので現在、人類の7割が共有しており、もう1つの遺伝子はもっと最近の出現で、1万4千年から5百年前に現れて、まだ地上の4分の1の人類しかそれをもっていないことが分かったという。これらの遺伝子の機能が何であるかはまだ分かっていないが、このようにして調べていくと、過去1万年の間に700以上の人類の遺伝子に変化が起こっていたというのだ。
 
 記事の中に「人間は心で環境を変えてきただけでなく、変えた環境によって考え方を変化させてきた」という話が出てくる。カリフォルニア大学サンディエゴ校のクリストファー・ウィリス教授(Christopher Wills)によると、現代社会では一人がすべてをやれるわけではないから、他人が得意でないことをやることが生存に有利に働く。そういう状況が永く続くと、人類は行動の多様化に向けて進化していくだろうという。

 しかし、自然淘汰だけが人類進化のエンジンではない、とニューメキシコ大学のジェフリー・ミラー教授(Geoffrey Miller)は言う。彼の考えでは、人類の進化は“性による選択”によって加速しているという。つまり、移民や異民族間の混血によって遺伝子が急速に混ざり合い、性的に望ましい性質が選択されているというのだ。高等教育の普及、都市化、インターネットによるデートなどを通じて、知性において、性格において、精神や肉体の健康状態において“似たもの同士”が結ばれる可能性が急速に増えており、その中で、生存に有利な新たな遺伝子が固定化される傾向があるとする。生殖補助医療の普及も、遺伝子組み換えも、この傾向に拍車をかけるという。こうしてミラー氏は、千年後の人類は「もっと美しく、知性豊かで、バランスがとれ、健康で、感情的に安定したもの」に進化すると予言するのである。
 
 ここまで来ると、先に触れた『モロー博士の島』の話を出して警告したくなる。科学技術は人類を進化させ幸福を実現するという楽観論が、必ずしも事実と一致しないことは、本欄で何回も取り上げたし、私の著書にも書いた通りである。しかし、交通・通信手段の急速な発達により、人類が今後、遺伝的にさらに混ざり合っていく傾向は否定できないだろう。その場合、“純血種を守る”という考え方が、この大きな流れの中でどのように機能するかという問題は、深く考えてみなければならない。これは、“単一民族”を標榜する日本人にとって避けて通れない大きな問題となるだろうし、現にそうなりつつあると私は思う。

谷口 雅宣

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2006年3月20日

ヒト免疫化マウスが誕生

 人間の病気治療の“実験台”としてマウスやラットが使われてきたことは周知の事実だが、動物実験の成功は必ずしも人間への応用を約束しない。それは、人間と動物は(精神的にはもちろんだが)肉体的にも同じでないからだ。例えば昨年10月17日の本欄において、マウスを使った実験で、アメリカの研究チームが受精卵を殺さずにES細胞から神経や臓器等を作ることに成功したことを伝えた。これは、ES細胞研究の主な障害となっていた「受精卵を破壊する」という倫理的問題を解決できる可能性を秘めた重要な研究だが、研究対象がマウスだった点で、あまり大きく騒がれなかった。マウスから人への応用が、それほどスムーズに行かないことを示している。

 そこで、科学者はこの「動物 → 人」への応用をスムーズに行うために、様々の工夫をしてきた。その一つが、人の細胞を動物の体内で培養し、それに対して実験を行うことで研究期間を短縮し、コストを下げる方法だ。このために、科学者は人と動物の細胞が入り混じった混合生物(キメラ)を作製してきた。昨年の4月26日の本欄でその例を挙げたが、過去に於いて人の血液をもったブタ、人の肝臓をもつ移植用のヒツジ、人の脳をもったネズミなどが作られている。また、ブタの心臓など動物の臓器を移植され、今も体内にもっている人間の数は多い。
 
 そして今日(3月20日)付の『朝日新聞』は、九州大学の研究チームが「人の免疫系をもつマウス」を作ったことを伝えている。このマウスは、しかし従来のキメラたちと質的に違うと考えられる。これまでのキメラは、人の組織や臓器の一部を体内にもってはいたが、それに対する拒絶反応を抑えるために、免疫系を破壊されていた。しかし、今回のマウスは免疫系の主要部分そのものが人間のものだから、人の免疫性疾患やガン治療の研究に使えば、人体実験をするのと近い効果が期待できるのである。例えばこの記事によると、ある患者のガン細胞をこのマウスに移植して、抗ガン剤の効き目や副作用を予め調べてから、患者本人へ処方するかしないかを決めることができるらしい。マウスを、患者の体の“延長”として使うということだろう。

 読者はここで、古典的SFである『モロー博士の島』というH・G・ウェルズの作品を思い出さないだろうか。この物語では、生体解剖実験を行ったことで英国を追放されたモロー博士が、追放先の島でブタ、イヌ、サルなどの動物を外科手術によって人間に変える実験を行う。マウスの免疫系を人間のものとすり替えてしまうのと比べると、かなり乱暴な感じがするが、動物を自分の思い通りに作り変えるという点では、あまり違いはないと思う。ウェルズのモロー博士は、しかし作り変えた動物を生かそうとするのに対し、“現代のモロー博士”は、作り変える動物の命を初めから奪うつもりなのだ。ある患者の免疫系をもったマウスは、他の患者の役には立たないから、多分お払い箱だ。動物の死も苦しみも、人間を救うためなら仕方がないと考えているのが分かる。

 これまでの動物実験も皆、同じ考え方で行われてきたのだが、他の動物を人間の目的にだけ利用する技術が進歩することが、人間全体の進歩だと考えるわけにはいかないのである。
 
谷口 雅宣

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2006年2月20日

「子の選別」へ一歩進む

 重い遺伝病の子を生むのを避けるために使われる「着床前遺伝子診断」という方法を、一部の習慣流産の患者にも認めることを、日本産科婦人科学会が決めたらしい。19日付の新聞各紙が伝えている。普通、この方法は「生まれてくる子」に遺伝病がある場合に行われるのだが、今回の同学会の決定は、「子」ではなく「親」の染色体に異常があって流産する場合に、母体に及ぼされる苦痛を避けるために行おうとするものだから、本来の目的とはズレている。親の苦痛を減らすために、生まれてくる子の遺伝子を調べ、流産の起きにくい子を選んで妊娠する。こういう方法が「子の選別」になるかどうかが議論され、結局、親の都合を優先したということだろう。将来に禍根を残さない決定かどうか、判断はなかなか複雑だ。
 
 私は結局、これは「子の選別」だと思う。なぜなら、(もし新聞記事の表現が正しければ)「体外受精で作製した複数の受精卵を調べて、流産が起きにくいものを選んで母体に戻す」(『日本経済新聞』)とはっきり書いてあるからだ。体外受精をする場合、普通は受精卵を一度に3個から5個作製する。そして選別後、母体に戻さなかったものは廃棄されるか、凍結保存される。これを「子の選別」と言わなければ何と表現するのだろう。そして、「流産が起きにくい受精卵」が複数個できた場合、そのいずれを妊娠すべきかの判断は、一体誰が行うのだろう? 医師だけが独りで行うのか、それとも親の意見を聞くのか? もし後者だった場合、「ぜひ男(女)の子を!」と懇願されたらどうするのか? 

 上記の『日経』の記事では、同学会の理事会を終えた慶応大学の吉村泰典教授が、同じ技術が男女産み分けにつながらないかどうか尋ねられ、「(会告に法的強制力はないが)モラルとして男女産み分けに使われるべきではない」と答えている。逆に言えば、モラルを問題にしない医師ならば、男女産み分けに使う可能性があるということだ。また、独自のモラルをもっている医師もいるだろう。この習慣流産の着床前診断でも、学会の会告に反して独自の判断でこれを行っている病院が神戸市(大谷産婦人科)にある。この病院では、すでに25組のカップルがこの技術を使って子を得、そのうち11組が出産に至っているという。この中に、親の男女産み分けの希望を容れた例があるのかないのか、部外者には分からない。
 
 着床前遺伝子診断は、体外受精による受精卵が4~8個の細胞に分裂した段階で、その中から1~2個の細胞を取り出して遺伝子や染色体異常の有無を調べ、異常がなく流産の確率が低いと思われる受精卵を子宮に移植する。日本では筋ジストロフィーなどの重い遺伝性疾患に限り実施することになっており、これまで6件が実施されたが、今後は習慣流産の一部に適用されることになる。一般的には夫婦のうち5%が、流産を3回以上繰り返す習慣流産になるというが、そのうち4~5%(夫婦全体の0.025%)には夫婦のいずれかに染色体の「転座」という異常があるらしい。今回の措置は、その0.025%を「重い遺伝性疾患」と認定して、この技術を適用する。

 染色体異常では、21番目の染色体が3本ある場合、流産する確率は約80%あるという。が、流産しないで生まれればダウン症児となる。今回の決定ではダウン症を着床前遺伝子診断の対象としなかったが、複数の受精卵を作製して遺伝子診断をする際、ダウン症のリスクのある受精卵をわざわざ子宮に移植することは考えにくいから、“灰色部分”が残ることは否定できないだろう。この件について『朝日新聞』の記事には、こうある--今回の決定では、転座とは関係ない21番染色体の数の異常は調べてはいけないことにしたが、「調べようとすれば、止めることはできない」と吉村委員長は認める。
 
 今回の措置で、着床前遺伝子診断が「重い遺伝病」以外の分野にも一気に普及するとは思わないが、遺伝子解析の進展に伴い、「親の都合で子を選別する」という潮流は拡大することがあっても縮小することはないのだろう。私は、このようなことに倫理的抵抗を感じなくなる社会が、どんな社会であるのか想像するのが難しい。
 
谷口 雅宣

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2006年2月14日

科学者の倫理性 (8)

 昨日に引き続き、韓国のES細胞研究のデータ捏造事件を振り返ると、科学誌に掲載された論文の取り扱い方の問題がある。現代の科学誌は、一般にピアーレヴュー(peer review、同僚による検定)という方法で論文の審査を行う。今回のようなES細胞研究の場合、この分野の専門知識をもった科学者がファン氏の論文を読んで、その方法や結論の出し方を審査し、問題がないと思われ、しかも重要な研究であるとの判断がなされた場合、雑誌に掲載される。しかし、これはあくまでも、論文に添付されたデータが真実であるとの仮定のもとに行うから、今回のように偽データが使われ、それが見つからないように写真の改竄や偽装が行われていた場合、気づかずに掲載されてしまうこともある。だから、世界有数の科学誌に掲載されたからといって、その研究結果はすべて真実であるという保証はないのである。

 では、科学研究の多くはニセモノの可能性があるかと言えば、それほどひどい状態ではないだろう。というのは、科学研究には「再現性」という指標があり、これが証明されれば最終的な評価が下されるからである。言い換えれば、論文に書かれた一定の条件のもとで同じ研究をすれば、論文執筆者以外の誰がやっても同じ結果が出る(再現性)ことが分かれば、その研究の正しさが証明される。しかし、今回のように、社会的に影響が大きい研究結果が出た場合、メディアは再現性が証明されないうちにその研究を大きく取り上げ、政府や企業を含めた社会全体がその研究の“成果”を利用しようと急ぐ。科学者の側でも、そういう社会の動きを充分に予想し(あるいは期待し)て行動する。「国家の威信を高めた画期的研究」などと言われ、記者会見し、ゴールデンタイムのテレビニュースで報道されれば、その研究結果が不確かな土台の上に載っていても、もはや後へ引くことは困難になるだろう。

 2月14日付の『ヘラルド・トリビューン』紙は、今回の事件を踏まえて、科学研究におけるメディアの役割を反省する記事を載せている。それによると、今回の事件後、科学記事を扱うメディアは科学誌の論文一般を以前より懐疑的に見るようになったという。しかし、今日の科学は高度に専門化し、難解な内容のものが少なくないので、サイエンス・ライター(科学記者)と呼ばれる人々でさえ、論文そのものの内容を審査することはできず、結局、発表した科学者本人か、その人の所属する研究機関、あるいは別の科学者の説明や判断に頼る以外にないらしい。このため現在、企業による利用価値や社会的影響が大きいと思われる科学研究の成果を発表する場合、特定の期日までの「発表禁止」(embargo)が定められることが多い。つまり、メディアによる発表の「解禁日」を事前に決めておき、ジャーナリストはその日までに専門家による説明や周辺取材を行っておくという制度である。
 
 私は、科学研究の結果を集めたインターネットのサイトをよく利用するが、そこにも時々、発表解禁日を定めて科学や医学関係のニュースが発表される。こういう記事はサイトに登録されたジャーナリストだけが読めるもので、私のような一般ユーザーは記事の「見出し」も見ることができない。しかし、そこに書かれた発表指定期日が過ぎると読めるようになる。
 
 さて、今回のファン氏の論文は、ジャーナリストが科学者に騙された唯一のケースではない。同紙によると、『The New England Journal of Medicine』(ニューイングランド医学雑誌)は最近、すでに掲載したガンに関する2つの論文が、データの捏造をしていた疑いがあると発表した。また、「バイオックス」という鎮痛剤に関する2000年の論文では、その鎮痛剤を使用中の患者が、何人も心臓発作で死亡していたという事実が隠されていた。さらに、『アメリカ医学協会紀要』(The Journal of the American Medical Association)に掲載された「セレブレックス」という鎮痛剤の研究論文には、著者がもっている1年分のデータのうち半年分しか掲載されていなかったという。
 
 このような事情を知ってみると、科学研究も人間の“欲”や“迷い”から自由でないことがよく分かる。そのように科学者も“普通の人”なのだから、強力な科学を扱うに際して高い倫理性が求められるのは当然であり、「何でも自由にしたらいい」というわけにはいかないのである。また、我々一般人も「科学研究はみな正しい」などと安易に考えない方がいいだろう。

谷口 雅宣

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2006年2月13日

科学者の倫理性 (7)

 昨年の本欄で何回も扱った韓国のES細胞研究のデータ捏造事件は、その後の調査で渦中の人、ファン・ウー・ソク氏(52)に公金横領の容疑まで出て(『産経』1月13日)、依然として燻り続けているようだ。この問題は、去る1月4日、論文を掲載したアメリカの科学誌『Science』が論文の撤回について著者26人全員から同意を取り付けたと発表、10日にはソウル大学の調査委員会が最終調査報告の中で、ファン氏が作成したとするES細胞は存在せず、データは捏造されていたと結論したことで、同氏の研究の科学的価値は無に帰した。しかし、科学研究のあり方に関しては、これから解決しなければならない様々な問題を提起している。

『Science』誌は2月3日号で、韓国の生命科学関係科学者の集まりである韓国分子細胞生物学者協会のパク・サン・チュル会長の手紙を載せ、同協会が昨年10月、科学研究における倫理規定を定めたことを伝えている。この規定は次の4つのポイントからなる:①科学研究を始める前に、その研究が人間、社会、環境に与える影響を考慮しなければならない、②細胞から生物にいたるまで、研究対象となる生命の尊厳を維持し、尊重しなければならない、③実験結果を創作してはならず、研究材料や研究結果の配分は正しくなければならない、④研究成果の著作者や知的所有権を正当に取り扱わなければならない。

 この4点--とりわけ②~④--は、同協会が今回のES細胞データ捏造事件から学んだものだろう。最初のポイントは最も重要であるが、今回の事件とどう関係しているのかよく分からない。ファン氏が今回“成功した”と(偽って)発表したことは、若者から高齢者にいたるまでの「特定の人間の遺伝子を組み込んだES細胞を効率よく作成した」ということだった。これが(もし真実であれば)個人や社会に及ぼす影響は甚大だ。難病で入院している患者の遺伝子を組み込んだES細胞を作成し、そこから分化させた肉体組織や臓器を、拒絶反応を心配せずに移植することができる。これは医学の大きな進歩であり、世界中の多くの患者が恩恵を受けるに違いない。しかし、そのことは研究以前から分かっていたことである。ファン氏にもそれが充分分かっていたから、多少分野が違っていても(もともとは獣医学)この研究に飛び込んだのではなかったか?
 
 むしろ問題は、①が一見“素晴らし”すぎたため、②~④を慎重に進めることが疎かにされたということだろう。別の言い方をすれば、研究の「目的」は文句なく(倫理的にも、経済的にも)“善い”と考えられたため、研究のための「手段」の検討がないがしろにされたのである。ここに「目的のためには手段を選ばない」という初歩的な過ちが犯された、と見ることができる。『ヘラルド・トリビューン』紙の1月22日の記事によると、韓国では1980年代末までは何にも増して国益優先の政策が行われ、「目的は手段を正当化する」との考え方が繰り返し教え込まれてきたという。同紙の取材に対して、韓国高度科学技術研究所の教授は、ファン氏について「我々の多くは彼を信用していなかったが、世論や政府からの圧力に負けて彼を批判できなかった。何も言えなかった。だから、科学者たちは彼の研究への反証をウェッブサイトに匿名で掲載したんです」と話している。

 私は、昨年12月16日の本欄で、ファン氏のデータ捏造の動機について「名誉欲」を疑ったが、もう一つ、韓国のナショナリズムの高まりも無視できない要素だろう。同紙は同じ記事で、ファン氏の次のような弁明の言葉を載せている:「私は仕事に狂っていました。目の前には、他のものが何も見えませんでした。見えていたのは、韓国というこの国が、世界の中で真っ直ぐに立てるかどうかだけでした」。もしファン氏と氏周辺の人々が「国威高揚のためには、多少の無理や不正には目をつぶれ」という感覚で仕事を進めたのであれば、それは日本の戦前の雰囲気を思わせるようで不気味である。ぜひ今回の失敗から学び、冷静さと良識を取り戻してもらいたい。

谷口 雅宣
 

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2005年12月24日

科学者の倫理性 (6)

 私の54回目の誕生日の朝、ついに出るべきものが出た。韓国のES細胞研究で“英雄”扱いされていたファン・ウー・ソク教授(52)の“画期的”研究成果が、実は捏造だったというソウル大調査委員会の発表である。ファン氏は「国民の皆さまに心から謝罪する」と言い教授職を辞任、私とあまり歳の違わない韓国科学者は“光”から“闇”へと転落した。同氏らの研究が“最先端”と言われていた理由は、①卵子からES細胞をつくる確率を飛躍的に向上させたことと、②患者の遺伝子と同一の遺伝子をもつES細胞を未受精卵から作成したことだが、この2つの成果は結局存在しなかったことになる。ソウル大の調査はまだ中間段階だが、同氏が昨年発表したクローン犬「スナッピー」の作成の真偽も疑われている。
 
 今日の先端的科学研究は、純粋に学問的であることは少なく、技術や特許と結びついて経済的利益を研究者に約束することが多い。また、そういう経済的利益をもたらす分野の研究に、企業や国家からの資金援助が集まりやすい。事実、ファン教授へのこれまでの政府の支援額は総計で約80億円に上るという。韓国の場合はこれに加えて、自然科学の分野で初めてのノーベル賞を得る可能性が喧伝され、“国民的熱狂”が研究者に圧力を与え続けたきらいがある。ファン氏自身も、そういう脚光を浴びるセレブリティとしての扱いを好んでいたふしがある。
 
 23日付の『ヘラルド朝日』紙は、この“ファン事件”と同時期にあった「世界初の顔移植」を手がけたフランス人医師が、やはり倫理問題を指摘されていることを取り上げ、マスメディアを使って科学的成果を華々しく打ち上げる戦術は、「科学研究の質を何世紀にもわたって維持し続けてきた退屈な科学の方法を、根本から歪めるものだ」とする批判者の声を紹介している。また、メリーランド大学の倫理学者、アディル・シャムー(Adil Shamoo)博士の次のような言葉を引用する--「科学者は、他の人々と同様に社会の圧力を感じています。だから、有名になることや金持ちになることを考えて判断を誤るのです」。

 私は、今回の事件がこの段階で発覚したことは、もっと後で分かるよりもよかったのではないかと思う。「悪業は悪果を生む」という法則が比較的早期に働いたことで、韓国女性からの大量の卵子提供(ファン教授の幹細胞ハブが始動すれば)が未然に防げただけでなく、人の体、特に生殖細胞を扱う研究では、成果を得るだけでは足りず、厳格な倫理的判断が求められるというメッセージが、多くの人々に伝わると思うからだ。
 
谷口 雅宣

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2005年12月16日

科学者の倫理性 (5)

 韓国のファン・ウー・ソク教授によるES細胞研究をめぐる疑惑は、どうやら最悪の事態にいたりそうな情勢だ。同教授の“先進的”研究自体がニセモノであったと本人が同僚に語ったという韓国発のニュースが、今朝から世界中を駆け巡っている。もしこの話が事実であれば、13日の本欄で「そういうことはない」と書いた私は、ナイーブすぎたと認めなければならない。ただ、“渦中の人”である同教授自身がその事実を人前で認めていない段階だから、日本の報道にはバラツキがある。16日の『産経新聞』の見出しは「ES細胞存在せず」と断定しているが、『朝日』の方は「ES細胞、存在せず?」と疑問符つきの見出しだ。また、正午のNHKニュースでは、「……の疑いが出ている」という抑えた表現になっていた。が、周辺状況から判断して、どうやら“限りなく黒に近い灰色”のようである。

 しかし……一体なぜ? という疑問が、私を含めた多くの人々の胸中に渦巻いているのではないか。真っ先に考えられるのは、名誉欲だろう。「世界初」とか「世界最先端」という地位を得るためには、多少のデタラメもいいだろうと考え、専門家の目に晒されることが分かりきっている場--世界有数の科学誌--にニセの論文を提出した……私には、その“愚”を愚だと感じなかった理由が、正直言って理解できない。日本の偽装建築士の場合は、「専門家の目に晒されても分からないだろう……」と考えてやったフシがあるが、ファン教授も同様の精神状態だったということか。発覚後は両者とも“病気”を理由に引きこもっているようだが、家族や関係者はもちろん、被害者がいる場合には、社会全体に対する責任は“病欠”ではすまされない。自分のウソにより、そういう深刻な事態がいずれ引き起こされる可能性について、事前に熟慮できなかったことは極めて残念である。今後、自らが撒いた種の“収穫物”を刈り取ることになるのである。

 15日付の『ヘラルド朝日』紙は、ファン教授の問題の論文の25人の執筆陣の1人である、ピッツバーグ大学のジェラルド・シャッテン教授(Gerald Schatten)が、ファン教授に対してその論文を撤回すべきだと発言した、と報じている。その理由は、論文にはニセのデータが使ってある可能性があるからという。記事中に引用されているシャッテン教授の言葉では、「すでに発表された数字や表を、新たに分かった問題情報に照らして注意深く再検討したが、今や論文の正確性について相当程度の疑いをもつようになった」というのである。このシャッテン教授は、ファン教授が研究で使った卵子の入手方法について倫理的問題があったとして、共同研究者の関係を絶ったことをすでに発表している。

 今回のニュースの発端となったのは、同じ論文のもう1人の共同執筆者であるロー・サンイル氏が、ファン教授の病室を見舞った際、ファン教授から直接告げられたとして発表したことだ。つまり、共同研究者のうち2人までが論文の信憑性を否定しているのだから、ファン教授の研究内容自体に問題があることは事実、と推測できる。今後は、ファン教授の態度表明を受けて、韓国政府や『Science』誌がどのように対応するかが焦点になってくる。しかし、それにしてもこの話は、科学者も“普通の人間”であることをいたく教えてくれている。科学技術の発展を、専門家だけに任せておいてはいけない所以である。
 
谷口 雅宣

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2005年12月13日

科学者の倫理性 (4)

 11月29日の本欄で、ES細胞の先駆的な研究で注目されている韓国のファン・ウー・ソク教授が倫理的問題で失敗した後も、卵子提供希望者が絶えないという話を書いた。韓国の国民感情の高まりを示している。が今度は、韓国メディアを中心に、ファン教授の研究成果自体を疑問視する声が上がっている。13日の『朝日新聞』によると、ファン教授が所属するソウル大学は、同教授の研究結果を再検証するための調査委員会の設置を決めた。ということは、メディアの批判に全く根拠がないわけではなさそうだ。問題の発端は12月2日、韓国民放のドキュメンタリー制作陣が記者会見し、「体細胞提供者のDNAと、実験で作られたES細胞のDNAが一致しなかった」と言って、実験データの信憑性に疑問を唱えたことにあるらしい。ファン教授自身が、身の潔白を証明するために大学側に再検証を要請したという。

 12日付の『ヘラルド朝日』は、しかし少し違う内容の記事を掲載している。問題の研究論文を掲載したアメリカの科学誌『Science』(6月17日号)が、韓国の科学者から批判されている点をファン教授に説明を求め、同教授の研究データを専門家が再検証する必要があると言ったらしい。そこでソウル大学は緊急会議を開いて、同教授の研究データの再検証を決定した。これと並行して12月7日には、30人の教授陣が同大の学長に対して「DNA検証のかなりの部分が説明不可能である」という報告を提出したというのだ。また、問題の研究論文の電子版に添付されていた写真のいくつかが、同一のものであったとの指摘もある。
 
 さらに13日の『ヘラルド朝日』紙は、その“後追い”記事を掲載して、韓国のある大学がファン教授の問題の論文の信憑性を検証することを申し出た、と報じている。そして「専門家」の話として、この論争は、ES細胞のDNAと患者のそれとを比較すればすぐ決着するはずなのに、ソウル大学はそれを早くしないで、調査委員会などを作るのはなぜか、との疑問を挙げている。こんな書き方をすると、問題のES細胞のDNAと体細胞提供者(患者)のそれとの比較がされたのか、それともされていないのか分からなくなるだろうが、実際に、2つの新聞の記述は食い違っているのである。事態はまだ「混乱の中」なのだろう。

 真相はいずれ明らかになるだろうが、この混乱の大きな原因は、やはり研究の最初の時点で「ウソを言った」(正確な事実を隠していた)ことにあると思う。この“ウソ”の期間が1年以上あったから、「1年以上もウソを通していた研究者なのだから、ほかにもまだウソはあるだろう」との疑いがどうしても生まれてくる。日本で耐震強度偽装をした建築士の場合でも、1箇所でそれが発覚したならば、「ほかにももっとあるだろう」と考えるのは自然の成り行きである。かの建築士は、その疑い通りにゾロゾロと偽装の事実が暴露されたが、ファン教授の場合はどうなるだろうか。私見を言わせてもらえば、問題の先駆的研究自体がウソだったというような結果は「ない」と思う。科学者が研究データを捏造して発表すれば、それは社会的な自殺行為だ。韓国の科学界がそれほどヒドイとは思いたくない。
 
谷口 雅宣

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2005年11月29日

ナショナリズムと生命倫理

 韓国のES細胞研究の第一人者、ファン・ウー・ソク教授(Hwang Woo Suk)が世界幹細胞ハブの所長を辞任する考えを明らかにしたことに対し、国民の間から同情と辞任撤回の熱烈な要望が噴き出している。ノーベル賞候補との声も出る“国民的英雄”になっているからか、今回の倫理問題を追究したメディアを批判し、ファン教授の研究を応援するために、自らの卵子の提供を申し出た女性は700人(一部では千人)を超えたという。29日付の新聞各紙が伝えている。
 
 しかし、こういう「世界一を目指そう」というようなナショナリスティックな感情によって、生命倫理の問題をなし崩しにするのは決して望ましいことではない。ファン教授は、研究成果を急ぐあまり倫理的判断を疎かにした部下を、充分監督しえなかった責任をとって辞任したのだ。その倫理的問題を“国民的情熱”によってひっくり返し、「なかったことにする」という前例を作ってしまうと、「韓国という国はいっときの熱情で倫理を無視するところだ」との国際的評価を生むことになるだろう。それこそ、韓国の生命科学の正しい発展にとって大きな汚点を残すことになるだろう。これは、中国で使われた「愛国無罪」のスローガンとも似ていて、さしずめ「愛国皆倫理」とでも呼ぶべきか。知性のないスローガンを、知性の殿堂であるべき先端科学の研究に持ち込んではいけないのだ。
 
 この種の国民感情の盛り上がりについて『ヘラルド朝日』紙は、研究者の間には「非合理」だとの批判があることを伝え、さらに「世界の科学者の信頼を取りもどす助けになるとは思えず、有害でさえある」と書いている。また、11月18日付の科学誌『Science』によると、今回の事件でファン教授のチームから抜けると表明したアメリカ人研究者、ジェラルド・シャッテン教授は、1年前から研究チームの一員として参加しており、今年5月の画期的研究論文に名前を連ねていただけでなく、韓国政府も協力した世界幹細胞ハブの共同設立者でもあった。シャッテン教授は、このチームに入る前にファン教授らが同誌に発表した論文に関して、イギリスの科学誌『Nature』が卵子提供者の中に研究助手がいるとの疑いを記事にしたにもかかわらず、ファン教授の言葉を信じて協力してきたそうだ。その信頼が裏切られたことへの影響は大きいだろう。また、ファン教授との共同研究を考えていたドイツのマックス・プランク研究所のハンス・シューラー教授(Hans Scholer)は、今後、ドイツの役人にファン教授との共同研究を認めてもらうことは難しくなると考えている。その理由は、「もしファン教授が共同研究者に対して嘘を言うのであれば、一般国民に対してはどれほどの嘘を言うだろう」と考えるからだという。
 
 科学の分野で「世界のトップに立つ」ということは、技術力だけで達成できるものではない。現代の科学はあまりにも高度に発達してしまい、かつては宗教や倫理の専門分野だった領域にまで影響を及ぼす力をもっている。現代では、その強大な力を「正しく使う」ことが科学者だけでなく、政治家にも国民にも求められているのである。そして、それができて初めて「世界水準に立った」と言えるのである。また、「嘘を言わない」という倫理基準は、科学の世界においても現に立派に通用している国際基準であることを知るべきである。
 
谷口 雅宣

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2005年11月25日

科学者の倫理性 (3)

 韓国ソウル大学のES(胚性幹)細胞研究チームの倫理疑惑で、さらに一つ問題点が明らかになった。チーム内の研究助手2人から卵子の提供を受けていたことが判明したからだ。このチームの代表者であるファン・ウー・ソク教授(Hwang Woo Suk)は、英国の科学誌『Nature』が1年以上前にこの疑惑を記事にするまでは、そのことを知らなかったらしい。しかし知ってからも、提供者のプライバシーを守るためにこの事実を否定し続けていた。11月24日に行われた記者会見で、ファン教授は研究に使われた卵子の入手方法について嘘を言ったことを認め、先月鳴り物入りで発足した世界幹細胞ハブの所長を辞任する考えを明らかにした。24日と25日付の『ヘラルド朝日』紙が伝えている。
 
 同紙の記事によると、ファン教授は「私は仕事と目標達成に熱心なあまり、正しい判断ができなかった」と言い、さらに「もっとゆっくりと考え、すべてのことが国際的基準に合致しているかどうか確認すべきだった。韓国国民と内外の科学界の方々に心からお詫びします」と述べたという。22日の本欄で報じたように、ファン教授のチームの研究で使われた卵子には、協力者一人当たり150万ウォン(約16万5000円)の対価を払って約20人から入手したものもある。研究助手からの卵子入手も合わせて考えてみると、最先端の医療技術の開発に賭ける研究者の情熱が感じられるとともに、科学者といえども“手柄”をたてたい気持が昂じて、倫理的判断を疎かになる場合があることが分かる。
 
 卵子提供の問題点については、拙著『今こそ自然から学ぼう』(2002年、生長の家刊)の中で少し述べたが、その時の卵子提供は「子をもうけるため」のものだった。今回の場合はそうではなく、人クローン胚を作成して、そこからES細胞を得るために卵子を使う。『今こそ……』では、人クローン胚に関して霊魂の問題に触れて次のように述べている--

クローン胚が受精卵を含めた個人の命を犠牲にせずにつくられるとしても、それが肉体製造装置の「胚」としての能力を獲得した時点で、霊魂の関与が始まったと見るべきである。

 これは、人クローン胚は事実上、受精卵と同等に扱うべきだとの考え方である。したがってこれを「大量につくって選別したり、強制的にES細胞に変換されたりする」(p.274)のは好ましくないのである。ES細胞作成のためには、予備分を見込んで人クローン胚を数多くつくっておき、それらから“優秀”なものを少数選別することが考えられる。これは、霊魂と結びつきができたものを他人の道具として利用することである。それが好ましいはずがない。さらに、上記したように、ES細胞作成を目的とした卵子提供は、実質的には卵子の売買となりやすいこと。また、作成された人クローン胚は、子宮にそのままもどせば“クローン人間”になるリスク等を考えれば、隣国・韓国で先行的に進められているES細胞の研究は、誉められるべきことばかりではないのである。
 
谷口 雅宣

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2005年11月22日

科学者の倫理性 (2)

 1週間前の本欄(11月14日)で、ES(胚性幹)細胞の研究でトップを走るソウル大学の研究チームに倫理基準を違反した疑惑が生じていることを書いたが、この研究を支援していた病院理事長、ロー・スン・イル氏(Roh Sung Il)が、協力者一人当たり150万ウォン(約16万5000円)の金銭的対価を払って卵子を入手していたことを、21日に開かれた記者会見で認めた。しかし、もう一つの疑惑--研究助手の女性医師から卵子の提供を受けていたかどうかについては、答えなかった。22日付の『ヘラルド朝日』や『朝日新聞』が報じている。(対価をもらった女性の数は、前者では20人、後者では16人という)
 
 韓国では今年1月から生命倫理法が施行されていて、卵子提供に伴う金銭や利益の供与は禁止されているが、今回の金銭授受は法律施行前だったという。ソウル大の研究チームは、世界で初めて人クローン胚からES細胞を作成したが、このチームの代表者であるファン・ウー・ソク教授(Hwang Woo Suk)は、ロー理事長に提供された卵子を使ってこの研究に成功したのだ。が、金銭の授受については知らなかったという。ロー氏によると、この研究のために必要な数の卵子を入手することが難しかったので、卵子提供者にいくらかの対価を払わざるを得なかったという。ロー氏は、「難病の治療法を見つけるという人類の大きな夢の一つを実現する道を切り拓きたいと願い、この難しい決定をした」と涙をこらえながら語ったそうだ。

 アメリカではこの4月に、卵子提供の際の対価として実費以外のものを禁止すべきとの方針をアメリカ科学協会が発表しているが、強制力のある法律はまだない。ロー氏によれば、支払った金額は、卵子を採取する際の不快や不安、通常の仕事ができなくなることへの代償だという。しかし、韓国のMBC放送は、研究に使われた卵子の一部は、借金を抱えた女性が金銭目的で提供したものだと報じ、提供する卵子が何の目的に使われるのか知らなかった女性もいると報じている。
 
 私は、世界に先駆けて生命倫理法を制定実施した韓国は立派だと思う。それがたとえ、再生医療の分野で世界一を目指すという野心にもとづくものであったとしても、一定の法的基準を世界に提供するという大きな貢献をしていると思う。しかし、アメリカでは何年も前から、代理母や卵子提供が、相当な対価を伴って行われていることを考えると、実効性という面では疑問が残る。例えば、韓国国内で入手できないときは、アメリカで入手すればいいということにならないだろうか? インターネットを介した海外の提供者との授受はどうなるのか? こういう問題は、多国間の合意によって解決の方向へ向うのだと思う。時間はかかると思うが、世界共通の倫理基準の策定が求められているのである。

谷口 雅宣 拝

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2005年11月14日

科学者の倫理性

 最先端の再生医療や生殖補助医療の研究をしている医師が、自分の研究に不可欠な試料を助手から直接得ていたとしたら、その研究は倫理的に正しいと言えるだろうか? もっと具体的に言おう。ある医師が、胚性幹細胞(ES細胞)と同等の機能をもつ細胞を得るために、助手の女性医師の卵子を使って研究することは倫理的に正しいだろうか?--そういう問題が今、韓国で起こっているらしい。11月14日付の『ヘラルド朝日』紙が伝えている。
 
 5月22日付の本欄で取り上げたが、この5月にES細胞研究の分野で“大きな進歩”があったとして伝えられたのは、韓国のチームがこれまでになく高い効率で、人のクローン胚をつくり、そこからES細胞を取り出すことに成功した。数字で表すと、このチームは2歳から56歳の患者11人の皮膚の細胞を使い、健康な女性の卵子185個から、患者9人と適合するES細胞を作成した。言い換えると、卵子10~20個で、1人の患者に適合するES細胞を作るという効率化を達成したのである。昨年2月、同じチームが242個の卵子からわずか1株のES細胞を作ったのと比べると、効率が10倍以上改善したわけだ。ところが、この研究で使われた卵子の一部が、研究チームの内部(あるいは周辺)の女性から提供された疑いが浮上しているのである。

 自分たちの研究のために、チームの一員の肉体の一部を使うことが許されるならば、それは研究チーム全員への“無言の圧力”となる。研究に必要な試料が入手困難である場合は、とりわけこの圧力は強く感じられるだろう。また、研究が成功すれば、いろいろな意味で研究チームは利益を得るだろう。その中には経済的利益もあるに違いない。すると、入手困難な試料を提供したメンバーは、結果的に金銭的な代償を得ることになる--恐らく、そういう点が問題視されているのだと思う。この韓国チームの研究に参加した米ピッツバーグ大学のジェラルド・シャッテン博士(Gerald Schatten)は、こういう問題がある可能性を理由に、チームから外れることを発表したという。

 記事ではさらに、この研究チームは25人からなり、チームに名を連ねている研究者の1人が、違法な卵子売買をしていた疑いで現在警察に調べられている医療機関の一つを経営していた、と書いている。この事件は、11月8日と9日の本欄で触れた事件だと思うが、定かでない。しかし、もしそうだとすると、200人以上の日本人女性がそれに関係していることになるから、決して“対岸の火事”ではないのである。
 
 同じ日の『ヘラルド朝日』のオピニオン欄では、ダライ・ラマ14世が「科学への信仰(Our faith in science)」と題して、科学と宗教の共存・協力の必要性について訴えている。それによると、今や科学はあまり高度に発達したため、我々の倫理的思考はそれについていけなくなっている。科学の発達は細分化し、専門家しすぎたため、その高度な科学的知識によって何をするかという決定を個人の(科学者の)判断に委ねておくのでは不十分になっている、というのである。私も同様のことを過去、何冊かの本に書いている。

 「子がほしい」という個人の願いを誰も批判することはできないだろう。また、その個人の願望をかなえてあげたいという医師の熱意は、称賛すべきものかもしれない。しかし、「どんな手段を使っても……」となると、話は違ってくる。現在の科学の力によれば、我々が昔から親しんできた宗教や道徳や倫理上の約束事・前提を、根底から覆してしまうような手段が使えるのだ。だから、科学の力をどこまで使い、どこからは使わないかの“線引き”を決める必要がある。それは社会全体に影響のあることだから、科学者も、宗教家も、企業家も、一般消費者も、膝を付き合わせ、合意して決定すべきことだと考える。その手続きが遅れていることが、今日の(特に日本の)大きな問題の一つなのだ。

谷口 雅宣

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2005年11月 9日

“悪”は隠しとおせない

 前回、卵子提供が好ましくない理由の1つとして、それによって生まれた子が成人した後に、「出自を知る権利」によって遺伝上の母親が誰であるかが分かる可能性が高いということを述べた。それは例えば、卵子提供者が中年になったある日、家族と暮らす家に突然、見知らぬ若者が訪れて、「あなたは私のお母さんです」と言われるということである。将来、そういう可能性があることを知りながら卵子を提供するのであれば、それはそれで本人の結果責任だ、と読者は考えるだろうか? 私は今回、韓国の卵子斡旋グループに卵子提供を申し出た女性たちが皆、そういう遠い将来のこともよく考えて決断したとは思えないのである。それよりも、当面の金銭的必要から、他に何の手段もない若い女性がそう決断した場合の方が多いと思う。新聞記事もそれを示すように、「グループはインターネット上に卵子売買サイトを開設して、クレジットカードの借金に苦しむ韓国女性などから卵子の提供を受けていた」(11月7日『朝日』)と書いている。

 インターネットはまた、思わぬ情報提供手段となるから、卵子提供者がたとえ将来にわたって医療機関で「匿名性」を保持しえたとしても、別の方面から匿名性が破られる可能性もあるだろう。11月3日付の『NewScientist』の電子版ニュースサービスは、将来のことではなく、今でもそれが起こりうることを示す記事を配信した。ただし、これは卵子提供ではなく、精子提供の場合である。

 「AID」(Artificial Insemination with Donor Sperm)とも呼ばれる精子提供は、これまで匿名性を条件に全世界で数多く行われてきたが、この記事は、それによって生まれた一人である15歳の少年が、DNA情報サービスやインターネット上の情報をたよりに、自分の遺伝上の父親の氏名や住所を捜し当てた、という内容である。少年はまず、自分の口の内側の粘膜をこすり取って、DNAから家系を調査するサービス会社にそれを送った。この会社からもらった自分の遺伝情報と、家にあった家系の情報、そしてインターネットを使った検索だけで、少年は自分の遺伝上の父親を特定したのである。これが可能だったのは、父親のもつY染色体は事実上、不変のまま息子へ引き継がれるからである。すると、自分の遺伝子のうちY染色体上にあるパターンが分かれば、それと姓や住所の情報をたよりに、父親を絞り込むことができるのだそうだ。

 この少年は、FamilyTreeDNA.com という会社に289ドルを支払った。少年の遺伝上の父親は、この会社に自分のDNAを提供したことなどなかったが、少年の父系に属する誰かが、この会社に登録してあれば情報の絞り込みは可能になる。支払いから9ヵ月後に、少年は自分のY染色体とパターンが酷似するという2人の男性から連絡を受けた。この2人は、互いに面識がなかった。しかし、2人のY染色体情報の近似から考えると、この少年と2人の男性は、同一の父親、または祖父、あるいは曽祖父をもっている確率が50%あると分かった。さらに重要なことは、2人の男性は同じ姓でありながら、スペルが違っていた。少年の母は、精子提供者の名前を知らなかったが、生年月日と出生地、そして大学の学位が何であるかを知っていた。そこで少年は、Omnitrace.com という別の検索サービスに頼んで、その生年月日にその地で生まれたすべての人の氏名を入手した。その中に、少年の探していた姓をもつ人は1人しかいなかった。

 現在「匿名性」を守られているはずの精子提供者であっても、今の情報社会ではこれほど簡単に住所や氏名が分かるのであれば、卵子提供者がこれから20年後にも匿名性を保持できると考えるのは難しい。こう考えていくと、卵子や精子の提供や売買は将来の社会の混乱の原因になるばかりでなく、提供者本人にも好ましくない結果を持ち来たす可能性が大いにあることが分かる。卵子や精子の売買は結局、他人を利用して自分の短期的損得を求める行為である。それは悪因だから、そこからは悪果が生じることを知るべきである。

谷口 雅宣

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2005年11月 8日

日本人が卵子を買っている

 韓国で日本人への組織的な卵子斡旋が摘発された。今年1月から同国で施行された「生命倫理および安全に関する法律」違反の容疑でグループの11人が逮捕されるとともに、このグループから卵子の斡旋を受けていた日本人が249人もいることが明らかになった。グループの事務所は東京・渋谷にもあり、押収された名簿には約380人の日本人女性の名前が書かれていたほか、インターネット上に会員約2千人を擁する卵子売買のサイトが設置されていた。韓国人の卵子の値段は1件当たり33万~56万円といい、それを日本人女性には約190万円で提供していたというから、営利目的の商売だと見ることができる。11月7日付の新聞各紙が一斉に報道した。
 
 卵子の斡旋や提供、売買の是非については、私は『今こそ自然から学ぼう』(生長の家刊、2002年)の第5章(pp.294-302)でやや詳しく書いているが、霊魂の不滅を信じる宗教の立場からは、これほど矛盾に満ちた行為はなく、倫理的にも正しくない。また、人間同士の差別や人身売買にも通じるという意味で、社会的にも弊害が大きい行為である。ここで簡単に卵子斡旋(あるいは提供)により子をもうけることの問題点を要約すれば、①他人を自己目的に利用する、②他人の生命の売買につながる、③優生思想を助長する、の3点が挙げられよう。

 ①は、卵子を採取する際、提供主の女性の肉体をもっぱら自己目的の手段として利用するだけでなく、多胎妊娠時の減数手術などで受精卵の無用な廃棄(本質的には殺人)を行うことを指す。②は、今回の例にも見られるように、卵子提供者と子を得る者との間に様々な人々が介入するため、金銭の授受が不可避であり、事実上、人の生命の売買となる点を指す。③は、子を得る側が受精卵提供者を人種、国籍、収入、学歴、IQ等によって選ぶことで、一般的に“優秀な人間”とされる人(そして、その人の卵子)が優遇される傾向が生じることを指す。もっと簡単に言えば、“優秀”とされる人の卵子の高い値段で取引され、そうでない人のものの値段が安くなり、結局、卵子の時点から市場を通して人間の優劣が決められていくことを指す。

 上記の①~③が宗教的、倫理的、社会的に好ましくないことは明らかだが、さらに生まれてくる子と提供者の立場から考えても、好ましくない点がいくつもある。それは、④子の出自の不明確化、⑤出自を知った際の子への心理的影響、⑥提供者への事後の心理的負担、である。生まれてきた子に対して、その子がどのようにして誕生したか(出自の由来)を知らせるべきかどうかについては、議論が分かれている。しかし、かつては「出自秘匿」が原則だったものが、先進国での今の趨勢は「出自開示」の方向に動いている。これは、精子提供によって生まれた子供たちが今や成人し、「出自を知る権利」を続々と主張するにいたり、多くの先進諸国がこれを判例や法律で認めるようになってきたからだ。この動きが続けば、将来は「出自開示」が原則となるだろうから、卵子提供によって生まれた子は、誰が卵子提供者かを事後(多くの場合は成人後に)原則的に知ることになる。すると、子への心理的影響が生じるとともに、卵子提供者にも同様の負担が生じるようになる。後者の場合、卵子提供者が中年になって突然、見知らぬ若者から「あなたは私のお母さんです」と言われる事態を想起してほしい。

 これほど多くの問題を抱えた技術を、「個人の願望」と「個人の自由」だけを理由にして容認すべきかどうかと考えれば、韓国が卵子斡旋や卵子提供を法律で禁じた理由が理解されるだろう。逮捕された卵子斡旋グループのウェッブサイトに登録されていた約2千人の会員(そのほとんどは日本人と思われる)たちが、このような問題を事前に真剣に考えていたとは思えない。私は「子をもちたい」という親の強い願望を理解しないわけではないが、「願望が強い」というだけで何ごとも許されるべきとは思わない。韓国に比べ、日本では卵子提供を含む生殖補助医療に関する法律は未整備である。このことが、「法律に違反しないことはしていもいい」との誤った理解を生み、今回のような事態を生む大きな原因になっているように思う。日本の関係省庁は早急に法案を策定し、国会で充分に審議して、法律制定を早期に実現してもらいたい。

谷口 雅宣

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2005年10月17日

受精卵を壊さないES細胞の道

 9月5日の本欄に書いた「ES細胞は“劣化”する」という文章に、生長の家本部の職員であるメイ利子さんから、コメントがついた。各新聞が10月17日付の紙面で一斉に報じた「受精卵を壊さずにできるES細胞」の開発に関してのものだ。メイさんのコメントへのコメントという形で、私の考えをそこで述べてもいいのだろうが、重要な進展と思われるので、注目度の多い新規文章として、ここで述べてみることにする。

 まず、彼女のコメントを再掲しよう:

ES細胞:米チームのマウス実験 受精卵を壊さず作成」という記事を見つけました。既にご覧になっているかもしれませんが、トリビューンのネット版ではこちらです。これによると、受精卵の細胞が8つに分裂した段階でそのうち1つの細胞を別のES細胞と一緒に培養して、神経や臓器等を作ることが可能であるとし、残りの受精卵も母マウスの体内に戻して順調に生長して赤ちゃんマウスが誕生したとのことです。記事では、これは受精卵を犠牲にしないので、倫理的な問題はクリアできると前向きに評価していました。でも、ES細胞が劣化するのであれば、それほど画期的発見ではないように思いますが、どうなんでしょうか?いずれにせよ、こうした技術が一般化する社会がもうそこまで来ているのかと思うと複雑です。

 ご存じのように私は専門家でないので確定的なことは言えないが、記事を読んだ限りでは「画期的進展」のように思われる。受精からまもない初期段階で受精卵の一部を取り出し、そこからES細胞を得ただけでなく、一部を削られた受精卵を生かしたままで成長させ、代理母に移植して子を誕生させたからだ。これによって「ES細胞を得るためには受精卵を壊さねばならない」という従来の前提が覆ってしまった。この研究には、もう一つ“画期的進展”がある。この方法によれば、子(赤ちゃん)が誕生したときに、その子のES細胞も用意するということが可能になるからだ。この点を『産経新聞』に載った共同通信の記事は、次のように書いている--
 
「赤ちゃんとES細胞はもともと同じ受精卵から育ったことから遺伝子は同じ。このためES細胞を凍結保存しておけば、将来、けがや病気で治療用の細胞や移植用の臓器が必要になった場合に、拒絶反応なく利用できることになる」。

 まず最初に強調しておきたいのは、これはあくまでも「マウス」を使った研究であるということだ。人間はマウスより複雑だから、マウスで成功したことが必ず人間で成功するということにはならない。ただし、「可能性が開けた」とは言えるだろう。で、その可能性が人間で実現するとどんな結果をもたらすかを考えると、複雑な気持になる点は、私はメイさんと同じだ。

 いろんなことが考えられるが、一つ考えられることは、誰がこのようなES細胞の利用を決定するかが問題になる。成人が自分の治療のためにES細胞を利用しようと思うときには、自分と遺伝子が同一なES細胞は存在しないのである。そういう意味では、「将来の利用のため、自分のES細胞を誕生の時点で用意しておく」ということは、純粋に理論的な可能性にしかすぎない。言い方を変えれば、そういう意思決定は本人の誕生前にしなければならないということだ。だから、現実問題としてそういうことが可能なのは、医師か、あるいは誕生してくる子の親のいずれか、ということになり、しかも「深刻な遺伝病を発病する可能性のある子」が生まれてくるとき、などというごく例外的なケースに限られるだろう。
 
 もっと普通の場合でも、この技術は利用できる。それは、すでに存在しているES細胞の遺伝子を患者のものに組み換え、それを治療に使うという方法である。恐らく、この方法の利用が主となっていくだろう。しかし、このような高度医療技術を使える人は相当な経済力をもっていなければならないだろうから、先進国のリッチマンばかりが恩恵を受けることになる。そして、治療対象者は若い人よりも老人の方が多いのだから、老人が他人の受精卵の一部を(無断で)利用し、自分の寿命を延ばすために使うことになる。こういう点に、私はやはり倫理的問題を感じるのである。

谷口 雅宣

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2005年10月 3日

夫の死後に妊娠する

 先月29日に東京地裁であった生殖補助医療をめぐる判決には、いろいろ考えさせられた。新聞報道によると、内縁関係にあり、精子の凍結保存をしていた男性が病死した後、相手の女性が体外受精で女児を妊娠・出産したケースが問題になっており、この場合、産まれた女児を生前の内縁の夫の子として認知することはできない、との判決が下ったのだ。問題を複雑にしているのは、同様の例でのこれまでの司法判断に“揺れ”があるということだ。2003年に松山地裁が出した結論は、原告の女性の訴えが否認されたのに対し、翌年、上級裁である高松高裁は女性の訴えを認める逆転判決をしている。

「子供がほしい」という女性の願望の切実さは、男性の私には完全には理解しきれないものがあるかもしれないが、切実な願望はすべて満たされなければならないと安易に結論することはできない。かつて日本でも、60歳にして初産をした女性がマスメディアで話題になり、私も『今こそ自然から学ぼう』(2002年、生長の家刊)や本欄の前身である『小閑雑感 Part 3』(2003年、世界聖典普及協会刊)で取り上げたことがある。この人の場合は、加齢のために自分の卵子は使えず、渡米して他人の卵子の提供を受け、体外受精した受精卵を自ら妊娠するという方法を使った。このような不妊治療にかかる費用や肉体的・精神的負担を考えると、それを押してまで「子を産みたい」と思う彼女の切実さは推測できる。しかし、「願望が切実だから」というだけでは、ある行為が倫理的、宗教的に正しいとは言えないのである。

 卵子提供による高齢人工妊娠に関しての私の考えは、上記2冊を参考にしてほしいが、今回の東京地裁の判決に関しては、2つの要素が重要だと思う。1つは、夫の意思であり、もう1つは子の意思である。第1の点については、東京地裁は仔細に検討した結果、「夫の同意があったとは言えない」と判断した。第2点について、裁判所は「子の利益」という観点から考慮しているらしが、新聞記事からは詳しいことは分からない。ただ、現行法の不備を指摘し「女児が健やかに成長していくために国や社会として可能な限りの配慮をしていく必要がある。急速に進展する生殖補助医療について早急な法整備が求められる」(『朝日』)と述べていることは当然だろう。

「当然」と書いたのは、凍結精子を使った出産は、わが国では40年以上も前から行われているからだ。にもかかわらず、その正しい方法を定めたり規制する法律が存在しないというのは驚きである。これは、生殖補助医療の全般について言えることだが、現在のやり方は、「親の願望」を重視することに傾いていて、(まだ産まれぬ)「子への配慮」が足りないように思う。この場合の「子」とは、「胚」や「胎児」の段階にある者も含んでいる。不妊治療では、多数の受精卵を“予備”として作ったり、多胎妊娠が起こることが多い。宗教的には胚や胎児は「人間」であるから、それを“予備”として作ったり、不要となったら“廃棄”したり、多すぎる場合は“減数手術”して捨て去ることは、決して誉めるべきことではない。今回のケースでも、受精卵に対するそういう粗末な扱いがあったことが推定されるのである。「父のいない子」を産む可能性についてどれだけ考慮したかという点でも、疑問が残る。

 また、今回の判決は「夫の同意なく子を作った」と認定したようだが、そういうことが今日の技術では可能なのか、と改めて驚いた。冷凍技術が発達した現代では、精子のみならず、卵子も受精卵も半永久的に凍結保存できるのである。その場合、純粋に技術的に言えば、夫だけでなく、妻の同意もない妊娠と出産も可能なのだ。同意どころか、受精卵を作った男女が死んだあと、無関係の誰かがその受精卵を妊娠して子を産むこともできる。社会的な合意をもっと早急に確立し、「ここから先は、技術的に可能でもしない」ときちんと“線”を引く必要がある。日本不妊学界は2003年に作ったガイドラインで「本人が死亡した場合、凍結精子は直ちに廃棄する」との見解をまとめたそうだが、今回のケースはこの合意が守られなかったことになる。早期の法律の制定が望まれる所以である。
 
谷口 雅宣

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2005年9月 5日

ES細胞は“劣化”する

 8月29日の本欄で「成人幹細胞」を利用した心臓病治療の成功に快哉を叫んだが、再生医療のもう一方の雄である「ES細胞」(胚性幹細胞)を使った治療については、“黄色信号”が点った。「ES細胞は古くなる」ことを示すような実験結果が発表されたのだ。9月5日付の『朝日新聞』によると、ES細胞は培養を長く続けると、癌細胞で怒るような異常を生じることが実験により発見され、同日付の科学誌『ネイチャー・ジェネティックス』電子版で発表されるという。少し専門的になるが、このことを意味を少し考えよう。

 ヒトES細胞は、受精後5~7日ほどの人間の受精卵(胚盤胞)の内部組織を取り出し、培養したものだ。これが注目されている理由は、①人間のどんな組織や臓器にも分化できる潜在能力をもっていること(全能性)と、いったん培養に成功すれば(これを「樹立」という)、②細胞分裂を何回でも繰り返して増殖すること(不死性)ができると考えられてきたからだ。この2つの性質を利用すれば、一方で無限に分裂を続けるES細胞の“ストック”を維持しながら、他方で、その一部を、必要な際に必要な組織や臓器に分化させることにより、半永久的に組織移植や臓器移植を継続することができるからだ。この2番目の性質について、例えば、平成12年に政府が出した「ヒト胚性幹細胞を中心としたヒト胚研究に関する基本的考え方」という文書には、「通常の細胞は一定の回数分裂するとそれ以上は分裂しなくなるのに対して、何度でも分裂できる性質(不死性)を保持している」と書いてある。

 ところで、我々が恐れる癌細胞も、これと似た「不死性」をもっていることは有名だ。つまり、癌が恐れられる理由は、それが体からの指示にしたがって分化や細胞分裂を止めようとせずに、一種の“暴走状態”になって細胞分裂を続け、体に必要な栄養分をどんどん横取りしていくからである。だから、ある細胞に「不死性」があるだけでは体全体にとって有益とは言えない。そこに“癌化”しないような安全装置が働かなければ不十分だ。そして、ES細胞には、その安全装置もきちんと備わっているという大前提が、研究者の間には存在していたのである。この点を上記の文書では、次のように表現している--「染色体数に異常がなく、通常の体細胞と同数である状態を維持し得る。(ガン細胞や、他の不死化した細胞においては分裂に伴って染色体の数が通常の数から増減することが多い。)」今回の研究では、ES細胞を継続的に培養していると、この安全装置が働かなくなる場合もあることを示しているのだ。

 上記の『朝日』の記事によると、実験では、9株の人間のES細胞を増殖させ、殖えると別の容器に分けてさらに増殖させるという操作を22~175回繰り返して行い、得られた細胞と元の状態とを比較したという。すると、9株のうち8株で、癌化や老化にともなって起こる異常が増えていたそうだ。つまり、いかに“不死性”のあるES細胞でも、培養しているうちに“老化”したり“癌化”する可能性が増えてくるらしいのだ。したがって、ES細胞を長期にわたって培養しておくと有用性が減り、危険性が増すことになる。ということは、常に“新鮮な”状態のES細胞が求められることになり、「受精卵や卵細胞を破壊して得る」という最も問題視されている手続きは、ES細胞利用のためには不可避な手段として残される可能性が出てきている。

 こういうことを考えてみても、心ある科学者には、私は倫理性に問題のあるES細胞の研究よりも、成人幹細胞の研究に力を入れてもらいたいと思うのである。

谷口 雅宣

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2005年9月 1日

赤ちゃんの“恩返し”

 4月26日の本欄で、異種の生物の組織や臓器が入り混じった「キメラ」が存在することを書き、例として、人間の血液をもったブタ、人間の肝臓をもったヒツジ、人間の脳をもったネズミ、ブタの心臓をもった人間などを挙げた。こういう“混合動物”は、混合した一方の動物が、何らかの形で他方の犠牲になるという意味では“悪いキメラ”と呼べるかもしれない。人間の臓器をもった動物は、いずれ臓器を摘出されて死ぬ運命にあるだろうし、人間が動物の臓器を移植する際には、臓器を提供した動物は殺されるからである。しかし、人間同士の“キメラ”の中には、相互に助け合う--いわば“善いキメラ”と呼べるもの--があり、しかもそれがごく普通に存在しているのだ。

 イギリスの科学誌『NewScientist』の8月20日号は、妊娠中の母親の体内に赤ちゃんの体の幹細胞が胎盤を通じて漏れ出て循環する話が書いてある。これは必ずしも組織や臓器の混合とは言えないが、「マイクロキメリズム」(微小キメラ現象)と呼ばれている。病気でも何でもなく、普通に起こる現象である。そして、これらの幹細胞は、赤ちゃんが誕生した後も母親の皮膚や肝臓、脾臓などの細胞内に残留して、これらの組織や臓器が傷ついたときに修理を助けてくれるのだ。母親の体が胎盤や母乳を通して赤ちゃんを助けるのは周知のことだが、その“お返し”に赤ちゃんも母親の体を助けてくれるから、これは“善いキメラ”とも言える。通常、人間の体は、自分以外の生物の組織が体内に入ると激しく拒絶するものだが、母親と赤ちゃんの場合は不思議にも助け合うのである。しかし、このマイクロキメリズムの場合も、赤ちゃんの幹細胞は母親の脳内には入れないと考えられてきた。

 ところが、シンガポールの学者チームがこのほど発表した研究では、妊娠中のマウスの脳内には子の幹細胞が入り込んで、さまざまな種類の神経細胞に分化することが分かったという。この現象が、人間の体内でも起こることが確認されれば、医療への影響は大きい。なぜなら、赤ちゃんの幹細胞を大人の脳内に導入することで、脳梗塞やアルツハイマー病などの治療に役立つかもしれないからだ。赤ちゃんの幹細胞は「へその緒」の中にもあるから、それを凍結保存しておけば後日利用可能となるかもしれないというわけだ。受精卵や卵細胞を破壊してつくるES細胞を利用するよりも、こちらの方法のほうが、倫理的によほど優れていると私は思うのである。

 ところで、上記の雑誌は、この「へその緒」内の幹細胞(臍帯血幹細胞)の分化能力が、ES細胞と成人幹細胞(成人の体内にある幹細胞)の中間的な位置にあるらしいことを伝えている。イギリスのキングストン大学の研究者のグループは、この臍帯血幹細胞を肝臓の細胞に分化させることに成功し、その他、さまざまなタイプの細胞にも分化できる“マーカー”をもっていることを発見したという。

 人間の体内にある幹細胞の能力を、科学者はまだまだ解明していない。このような潜在能力の存在は、“物質の奥”にある生命力の不可思議さを教えてくれるのである。

谷口 雅宣

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2005年8月29日

再生医療の“分水嶺”?

 患者本人の骨髄から採った幹細胞で心筋梗塞の治療に成功した埼玉医大の治療例が報告された。心強い限りである。使えなくなった臓器や組織を再生して治療する「再生医療」が注目されているが、従来の考え方は、受精卵から採る胚性幹細胞(ES細胞)や中絶胎児から採る胎児細胞などに患者の遺伝子を組み込むことで拒絶反応を抑え、治療に使うというものだった。しかし、過去の本欄で何回も書いたように、この方法では「他人の命や肉体を犠牲にして自分を治す」という倫理的な問題が解決できない。ところが今回の治療例は、患者自らの生命力と潜在能力をフルに生かし、他人の組織や臓器を必要としない再生医療への新しい道が見出せるという点で、特筆に値する。8月27日の『朝日新聞』夕刊は、「心臓移植以外に回復の見込みがなかった重い心筋梗塞などの人にとって、拒絶反応の心配がない自分の細胞を使う再生治療が新たな選択肢に育つ可能性が示された」と評価している。

 私は『今こそ自然から学ぼう』(2002年刊)の中で、「卵子、精子の操作」「ヒト胚の利用」「ES細胞の研究」「クローン胚の研究」「死亡胎児の利用」にすべて反対した。その理由の一つは、上に書いたように「他人の犠牲の上に成立する医療」が倫理的でないからである。また、もう一つの理由は、これらの研究は「霊魂」の存在を無視する唯物論にもとづいているからである。もっと別の言い方をすれば、受精卵やヒト胚のように「痛覚が発達していない段階の人間は、他人の治療の手段として利用して構わない」という考え方が社会に蔓延することに反対するからである。私は、現代の先端医療のすべてに反対しているのではない。だから、『今こそ……』の中では、上記の2つの問題のない「成人幹細胞」(成人の体内にある種々の幹細胞)の医療への応用を訴えている:

「例えば、骨髄の中にある幹細胞は、これまで血液を作るだけの能力しかないと考えれてきたが、最近の研究では、これが神経細胞、心筋細胞、さらには骨格筋細胞にまで変化する能力があることが分かった。また、皮膚にある幹細胞は神経細胞、筋肉細胞、そして脂肪の細胞になる能力があることが明らかになった。さらに、人間の皮下脂肪の中にも幹細胞があり、これは筋肉や骨、軟骨になる能力があることが分かってきた」(同書、P.264)

 この文章は2001年8月に書いたものだが、あれから4年たって、当時の研究が漸く実用段階にまでこぎつけたわけだ。関係者の皆さんの努力に大いに感謝し、喝采を送りたい。

 再生医療の分野では、上記の発表の数日前に、ES細胞から患者の細胞を分化させる効率的な方法が開発されたと報道された。この研究では、特定の人の皮膚細胞を既存のES細胞と“融合”させることで、その人の遺伝子を取り込んだES細胞が神経や筋肉、消化管など多種の細胞に分化することが確認されたという。この方法の優れている点は、新たに受精卵や卵子を破壊することなく、既存のES細胞さえあれば、移植患者に合致した細胞を分化させることが可能になりそうな点だ。そういう意味では、従来のものより“より倫理的な方法”と言えるかもしれない。

 これまでES細胞を治療目的に使う場合は、まず「クローン胚」を作成した。それは、患者の体細胞(精子や卵子などの生殖細胞でない細胞)から抜き取った細胞核を、除核卵細胞(核を除いた卵子)に移植した後、電気刺激などを与えることで細胞内物質を融合させて作る。そのために、他人から卵細胞をもらう必要があった。また、クローン胚ができた場合、これを他人の子宮に移植すればいわゆる“クローン人間”ができるという点が、論議を呼んでいた。今回の方法では、この2つの問題点を解決できる可能性があるという。8月23日の『朝日』夕刊に載った記事によると、今回の方法でできた融合後の細胞は、まだ皮膚細胞とES細胞双方の遺伝情報をもつという。だから、移植による拒絶反応を起さないためには、ES細胞側の遺伝情報を除かなければならず、それが今後の課題らしい。

 この2つの実例により、今後の再生医療が、受精卵や卵子の利用をしない方向へと発展してくれることを望んでいる。

谷口 雅宣


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2005年7月22日

人間ザルが誕生する

 4月26日の本欄で、人間と動物の細胞を混ぜ合わせてできたキメラ(混合動物)の開発の現状について書いた。こういう研究の倫理的問題については、私は『神を演じる人々』(日本教文社刊)の中で「人間の脳をもったネズミ」を小説に登場させて考えているが、その時の結論は「人間をネズミの体の中に閉じ込める」ことになるから倫理的に許されない、というものだった。私は、専門家がこのことをどう考えているか知らなかったが、アメリカの科学誌『Science』は7月15日号(vol.309 No.5733)で、23人の専門家の意見をまとめた「人間から人間以外の霊長類への神経移植に係わる倫理的諸問題」という論文を掲載した。その内容を読むと、私の考えていたことが必ずしも荒唐無稽でないことが分かり安堵したとともに、何か空恐ろしい気分になった。

 この論文で検討されているのは、人間の神経細胞を移植する相手は「ネズミ」ではなく「霊長類」である。医学上、このようなことが検討される理由は、アルツハイマー病やパーキンソン病などの脳神経系の病気に対する治療法を開発するためだ。その場合、技術的に最も望ましいのは、人間の神経細胞を患者の脳に移植して再生させる研究だが、これは倫理的な諸問題があるために純粋な「実験」として行うわけにはいかない。そこで“次善の策”として、人間に近い大型類人猿(チンパンジー、オランウータンなど)を代用にして神経細胞の移植実験を行うらしい。これが最初に行われたのは2001年に発表された研究で、サルの胎児の脳に人間の神経幹細胞を移植する実験だった。その結果、サルの心はどうなるのか? サルの認識能力は人間に近づくのか? その場合、移植したサルの倫理的地位は変更されるのか(サルではなく人間として考えるべきか)?--そういう問題が、ここでは検討されている。

 結論は、大人のサルに人間の神経幹細胞を移植する実験は比較的問題が少ないと思われるが、大型類人猿に対して、特に脳が未発達の段階で人間の神経幹細胞を移植することは、実験的価値に疑問があり、倫理的地位が変更される可能性があるため、この専門家グループのうち何人かは禁じられるべきとの意見をもつ、というものだ。もっと平たく言うと、「チンパンジーやオランウータンの胎児に人間の神経幹細胞を移植すると、人間かサルかよく分からない混合動物ができる可能性がある」ということだ。この論文はまた、今後、人間の神経細胞をサルに移植する研究をする際は、可能な限り、移植されたサルの認識能力の変化を探し、それを報告するよう勧告している。ここで注意すべきは、この論文は「危険な研究は禁じろ」と言っているのではなく、「何人かは禁じろと言っているが、現段階では危険な兆候を探して報告せよ」と言っているのである。

 さらに気になるのは、そういう“危険な兆候”が実際に観察されたとき、どうすべきかの問題が明確でない点だ。論文には、この問題の対処には2つの選択肢があり、一つは危険な兆候が起こることを“リスク”として避けることだが、もう一つは、倫理的問題が起こるのを避けるのではなく、移植された動物の心的状態を理解して、それにふさわしい倫理的扱いをすること--そういう選択肢もあると述べているのだ。つまり、人間の脳を移植されたサルが、人間のような認識能力を獲得したと考えられる場合は、人間のように扱うという対処の仕方もあるというわけだ。

 人間は、心で描いた通りの世界を創造していくというが、いよいよ『猿の惑星』や『スターワーズ』の描いた世界が到来するのだろうか。

谷口 雅宣

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2005年6月20日

自分で自分を助ける医療

人間の卵子や受精卵を使ってクローン胚やES細胞(胚性幹細胞)を作り、そこから神経細胞を分化させてアルツハイマー病、パーキンソン病、ALSのような脳の病気治療に役立てる方法が期待されている。このことは本欄でも何回か取り上げ、宗教的には「霊魂」の問題が無視されているので好ましくないことを述べた。また倫理的には、「他人の生命を利用する」という問題がある。これに関しては、拙著『今こそ自然から学ぼう』(2002年刊)でも、人間の体内に予め存在する補修用の幹細胞(成人幹細胞)を使った医療の方が、宗教的にも倫理的にも好ましいことを書いた。再生医療の分野では、この成人幹細胞の研究も進んでいて、このほど期待がもてる成果が発表されたようだ。それは、「自分の脳内の幹細胞を使って自分を治療する」という方法である。

アメリカの科学専門誌『Proceedings of the National Academy of Sciences』(アメリカ科学協会紀要)の6月13日号に掲載された研究によると、マウスの脳から取り出した幹細胞を培養して、そこから神経細胞を分化することが可能となったという。フロリダ州のマックナイト脳研究所のデニス・スタインドラー博士(Dennis Steindler)らのグループが行ったもので、同博士によると、取り出された幹細胞は神経細胞の元となる神経幹細胞ではなく「いろいろな幹細胞の大もととなる幹細胞」だという。これを研究室のガラス器の中で培養しながら、カメラで5分おきに30時間撮影をつづけた結果、生きた幹細胞から神経細胞が成長していく姿が確認されたという。グループの一員である別の研究者の言によると、「我々は基本的にこの細胞を取り出し、必要になるまで凍結保存し、解凍させて細胞再生の過程を開始させれば、新しい神経細胞がゴマンと生まれる」のだそうだ。もちろん、マウスでの成功がそのまま人間での成功につながるわけではないだろうが、人間への応用が完成すれば、クローン胚の作成やES細胞よりも安全な治療法になるだろう。なぜなら、この方法は自分の細胞を殖やして自分の脳に入れるのだから、拒絶反応の問題が生じないと思われるからだ。

また、今日(6月20日)の『朝日新聞』夕刊によると、ニューヨーク大学の研究チームは、アルツハイマー病の発症を9~15年前に予測できる診断方法を開発したという。脳の「海馬」と呼ばれる部分でのブドウ糖の消費状況を画像で解析することにより、アルツハイマー病は85%、軽度認識障害は71%の確率で予測できるそうだ。だから、上記の幹細胞培養の方法と併用すれば、発症危険度の高い人は、健康なときに自分の幹細胞を抽出し冷凍保存しておき、発症後にそれを解凍・培養して神経細胞を増殖させ、自らの治療に使うことができるかもしれない。まぁ、これはあくまで素人考えだが、とにかく現代の高度医療においては一定の倫理基準を早く確立しておくことが重要だと思う。そうすれば、その基準に合致しない技術は諦めて、合致する技術の研究開発に総力を挙げることで、科学技術と倫理性とが両立するような正しい医療が発達する道があるのではないだろうか。

ところで、上記の『朝日』には、同じアルツハイマー病に関して、野菜ジュースや果物ジュースが大きな予防効果をもつとの研究発表も報じられている。これらのジュースを週に最低3回飲む人は、週1回未満の人に比べてアルツハイマー病の発症リスクが75%も少ないのだそうだ。ビタミン剤や栄養補助剤では効果がなく、ジュースもしくは、野菜や果物そのものが体にいいのである。読者の皆さん、長生きしたければ肉食を減らし、野菜と果物をどんどん食べましょう!

谷口 雅宣

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2005年6月14日

新法王の先取点

4月22日の本欄で新ローマ法王、ベネディクト16世について「カトリック教会の伝統的な教えに忠実」という見方を紹介したが、あれから約2ヵ月たって新法王の“カラー”が鮮明に出てきたようだ。生殖補助医療の分野で伝統主義を大いに推進し、イタリア政治に影響を与えているのだ。6月14日付の『ヘラルド朝日』紙が伝えている。

イタリアの現在の法律は、人工受精で作られる受精卵の数を3個までに限定し、精子や卵子の提供を禁じているうえ、ヒト胚(受精卵)を使う研究も許していない。これでは治療や科学の発達がおぼつかないと法改正を求める勢力に押され、イタリアでは法改正の是非を問う国民投票がこの12~13日にあった。それに対して、新法王率いるカトリック教会は猛然と改正反対の運動を起こし、国民投票には参加しないようにイタリア国民に呼びかけたという。イタリアの法律によると、国民投票が実施されても、投票者数が選挙権者数の50%を越えなければ票は数えられず、選挙は事実上無効となる。そして、日曜日(12日)の1日のうちに投票した人は、全選挙権者のわずか18.7%であったという。これに月曜日半日に投じられる票を加えても50%を上回る可能性はないとして、同国ではバチカンの勝利を疑う人は少ないのだそうだ。

イタリア国民は、かつて2回にわたりカトリック教会の意思に反対した。最初は1974年に離婚を禁じさせなかった。2回目は1981年で、前法王、ヨハネ・パウロ2世の強力な運動にもかかわらず、人工妊娠中絶の禁止に反対した。が今回は、まずは教会側が勝利したといえるだろう。

ところで日本には、生殖補助医療を規制する法律は存在しない。だから、不妊治療の現場では受精卵は1度の3個以上作られ“余剰胚”として凍結保存される。ヒト胚を使うES細胞の研究には、それら“余剰胚”のうち廃棄の決定をされたものが使用されている。精子の提供は、かなり前から普通に行われている。そして、これらの動きの主導権はもっぱら医師や研究者が握っていて、宗教の側からの発言は少なく、あってもあまり重視されない。そういう社会環境にいる者から見ると、イタリアのように白黒がハッキリする制度は、何となく羨ましいのである。

谷口 雅宣

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2005年6月 5日

遺伝子の不思議

私は時々、遺伝子操作の問題や動物のクローン作成のことについて書いたり発言しているが、だからといって遺伝子のことをよく知っているわけではない。遺伝子がデオキシリボ核酸(DNA)という物質の配列の上に乗っていることは知っているが、「物質の配列の上に乗る」ことと、生命体の構造や行動をその「配列」が支配することの因果関係の詳細については、ほとんど無知である。だから、これから書くことについては、遺伝学や分子生物学の素養のない素人の疑問だと思って、どなたかから御教示を受けたいのである。というのは最近、①「遺伝子が一つ違えば(表現型が)これだけ異なる」ということと、②「遺伝子は同一だが(表現型が)これだけ違う」ということの例が報道され、遺伝子をめぐる私の(乏しい)理解がますます混乱をきたしてしまったからだ。

まず①の例から--これは遺伝子の強力な“支配力”を示す例だと思うのだが、『ヘラルド朝日』(6月4~5日)紙が伝えるところでは、最近、科学専門誌『Cell(細胞)』に載った研究によると、科学者たちはミバエのゲノム中の遺伝子を1個変えるだけで、メスのミバエがオスのミバエと同じ行動をすることを発見したそうだ。また、オスのミバエの同じ遺伝子を操作してメスの形に変化させると、このミバエは受動的になり、メスにではなくオスに対して関心を示すようになったという。ここから浮かび上がってくる可能性は、ミバエだけでなく、我々人間の性的嗜好というものも、もしかしたら遺伝子の型によって決まっているのかもしれないということだ。もちろん、人間の性的嗜好がミバエと同じように、「ただ1個」の遺伝子によって支配されているとは思わないが、しかしそれにしても、遺伝子の支配力の大きさをこの研究は実証していると思うのである。

ところが、である、②の例を示す事実もある。--6月5日の『朝日新聞』日曜版には「life & science」の特集頁がついていて、そこではクローン猫が、遺伝子をもらった“親猫”と行動パターンが異なるだけでなく、毛の色まで違ってきたと書いてある。また、体細胞クローニングの方法によって生まれた6頭のホルスタイン牛の顔にある白黒の模様が、6頭それぞれが微妙に異なることが写真で示されており、性格も違うという。そして、記事には「遺伝子すなわちDNAが一緒でも、成長した個体はそっくり同じにはならない。クローンはむしろ、DNAですべてが決まらないことを語っている」と書いている。

私は、この②の例のようなことは理解できるし、現に自分の本の中にも「遺伝子が同一の一卵性双生児でも、指紋は違うし性格も違う」ということを書いた。これは必ずしも他人の受け売りをしたのではなく、私自身の観察にも基づいている。小学校と中学校に行っていた頃、私より1学年上に一卵性双生児の男子生徒がいたが、2人の顔は微妙に違い、性格も違っていたからだ。では、もし②が正しいのであれば、①の例はどう理解すればいいのだろうか? これは、単に研究対象がミバエという“単純な”生物だったからそういう結果が出たのであり、人間のような“複雑な”生物の場合は、また異なった、もっと複雑なメカニズムが働いて性的嗜好が形成される--そういう理解でいいのだろうか。どなたか、教えてください!

そして最後に、宗教や倫理とも関係のある側面について言えば、ゲイであることとないことの違いが(ミバエのように)遺伝子によって左右されるのだとすれば、「同性愛は罪である」とする一部の宗教的見解の基礎が揺らいでくるように思う。なぜなら、我々が受精卵としてこの世に存在をはじめる際、自分の遺伝子の配列の仕方に影響を与えることなど普通はできないと思うからだ。(それともできるのだろうか?)

谷口 雅宣


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2005年6月 3日

受精卵と養子縁組

5月27日の本欄で、ブッシュ大統領が受精卵からつくるES細胞の研究に反対の意を表明するために、受精卵の寄付を受けて生まれた子供たちをマスメディアの前で披露した話を紹介した。今日付の『ヘラルド朝日』紙は、そういう「受精卵を養子にする」活動をしている人たちのことをやや詳しく伝えている。同紙の記事によると現在、アメリカでは凍結された“余剰胚”が約40万個あるという。これを医療目的に利用しようという動きがある一方、2003年の調査では、その2%(8000個)が他の家族に譲られたそうだ。そして、上述したブッシュ大統領の会見での発表によると、81人の子供がそこから誕生している。カリフォルニア州は、受精卵を殺してつくるES細胞の研究に本腰を入れて動き始めているが、この人たちはES細胞の研究反対の立場からこの活動をしているのである。同じアメリカ人でも、ずいぶん考え方が違う人々がいるものである。

この人たちは、いわゆる“キリスト教保守派”と呼ばれている人々であり、宗教的信念から受精卵を養子に迎える活動をしている。受精卵は、不妊治療をしている医療施設から「ナイトライト・クリスチャン・エージェンシー」(Nightlight Christian Agency)という団体を介して譲り受けるという。カトリック教徒などの保守的なキリスト教信者は、不妊治療そのものに反対しており、カトリックの教えでは避妊にさえ反対だ。にもかかわらず、彼らは、自分たちの宗教的信念に反する行動をしている医療施設から受精卵を譲渡(有料で!)してもらうのだ。不妊治療では普通、実際に使う数よりも多くの受精卵を“予備”として作成する。だから、患者が妊娠に成功すれば余分な受精卵(余剰胚)が生じる。これを譲り受けるわけだ。彼らの立場から言えば、受精卵は人である。にもかかわらず、余剰胚は両親が“廃棄”を認めれば殺される。人が殺されるのを黙って放置することは“キリストの愛”に反する。だから、殺人をやめさせるために受精卵を養子としてもらう--こういう考え方ではないか。

一方、不妊治療の施設、妊娠中絶の権利を主張する人々、そしてES細胞研究の推進者たちは、この受精卵を「養子にする」という言葉の使い方に警戒しているという。なぜなら、この呼称は「受精卵」と「人」とを同一視しているからだ。それよりも、受精卵の「寄付」とか「寄贈」と言うべきだと反対派はいう。そうしないと将来、自分たちが進めている行為(ヒト胚の廃棄)が法的な問題に直面しかねないからだ。これに対し、受精卵の養子縁組を推進している側は、受精卵はまさに人間だから「養子」という用語を使わねばならないのだという。

私は『今こそ自然から学ぼう』(2002年刊)の中で、不妊治療のもつ問題点の一つとして、上記のような余剰胚を多く作り、それを不要になったからといって後から廃棄する行為について触れたことがある。また『足元から平和を』(2005年刊)では、着床前遺伝子診断との関係で、受精卵を選別することの問題点を指摘した。いずれの場合も
、人間の受精卵や胚(ヒト胚)を一種の“モノ”として扱っている。それは間違いであり、こういう行為がひろがっていくにつれて、他人を自己の利益のために利用することに倫理的な呵責を感じない社会が形成されていくだろう。

日本では、国の倫理基準の中に、受精卵は「人の生命の萌芽」であるから尊重すべしという考え方が明確に述べられているが、ここで「尊重する」と言うのが具体的に何をどうするのか不明であるため、勝手な解釈がまかり通っているのが残念だ。そして結局、人の受精卵は尊重されていないと思う。「不要になったら棄てる」という行為が「尊重する」ことならば、我々は毎朝トイレに行くときに、自分の排泄物を尊重していることになる。では、受精卵を他人の病気治療のために利用することが「尊重」なのか? それだったら、我々が自分の排泄物を野菜畑に撒いて肥やしにすることと同程度の尊重である。そう考えていくと、アメリカのキリスト教保守派の人々が推進している「受精卵との養子縁組」という行為が、(好みの問題はあるだろうが)宗教的信念と倫理観にもとづいたものであることが理解できるのである。

谷口 雅宣


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2005年5月27日

ブッシュ氏、初めて法案拒否か?

5月25日の本欄で、ES細胞研究に関するブッシュ大統領の姿勢を誉めたが、アメリカ連邦下院は24日、238票対194票で連邦政府の支援できるES細胞研究の範囲を広げる法案を可決した。これまでは、すでに樹立されたES細胞株を使った研究のみを国の援助の対象にしていたが、この法案が法律になれば、新たにつくられる受精卵であっても、遺伝上の両親が廃棄することを決めたものは、それを使ったES細胞研究が国の援助の対象となる。共和党議員50人が大統領に反対してこの法案に賛成票を投じたが、それでも「238票」は大統領の拒否権をくつがえせる議会総員の「三分の二」には至らなかった。したがって大統領が拒否権を発動すれば、この法案は成立しないことになるだろう。

不妊治療で受精卵を作成する場合、1回に1個だけでなく5~6個の受精卵を作成しておくのが普通だ。したがって、最初の1~2個の受精卵が着床に成功し、無事赤ちゃんが生まれた場合は、残りの受精卵は“余分”となる可能性が出てくる。日本ではこれを“余剰胚”と呼んでいて、これを使ったES細胞の研究は認められている。しかしブッシュ氏は、上述した下院での投票が行われる直前に人々を集め、この“余剰胚”を他のカップルに寄付することで誕生した子供を紹介して、これまでに81人が同様の方法で誕生しているのだから、「余剰胚(spare embryo)などというものは存在しない」と宣言したという。

この法案は次に上院の審議にかけられることになるが、日程はまだ決まっていないようだ。上院でも可決が予想されているが、そうなると、ブッシュ大統領は就任以来初めて、議会で成立した法案に対する拒否権を発動することになるだろう。『ニューヨーク・タイムズ』は27日の紙面で、そういうブッシュ氏の考えを揶揄した「ブッシュの幹細胞神学」という社説を書いているが、そのポイントは「多様な考え方を許すこの社会で、一つの宗教的信念を押し通そうとするのは間違っている」ということだ。しかし、部外者から言わせてもらえば、そういう宗教的信念をブッシュ氏がもっていることを十分承知で、アメリカ国民は彼を選んだはずだし、それによってアフガニスタンやイラクでの戦争も起こったのだから、今回も甘んじて彼の姿勢についていくことになるのではないか。もっとも『タイムズ』はケリー支持で、イラク戦争にも反対だから、今度もブッシュ氏に反対しているのだろう。その点では一貫している。

ところで私は、イラク戦争反対だったが、受精卵を使ったES細胞の研究にも反対である。クローン胚や胚性幹細胞ではなく、血液や皮膚や脂肪中にある体性幹細胞の研究を大いに進めてもらいたいと考えている。

谷口 雅宣

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2005年5月25日

欲望と社会の健全さ

 私は本欄で生命倫理の側面から見た社会の不備や不用意について何回か書いてきたが、今日は悪い点ではなく“善いニュース”を2つお伝えし、讃えることにしたい。

 1つは、アメリカのブッシュ大統領のことだ。今、同国の連邦議会には、新たに作られたES細胞株の研究に予算を支出させようとする動きがあるが、これに対してブッシュ大統領は最近、就任以来初めて「拒否権を行使する」と反対を明言した。これは、5月22日の本欄で触れた韓国での“大きな進歩”を知った後の大統領の発言であるから、なおさら重要である。韓国での“進歩”に対して、米大統領は「そういう方面の研究は、アメリカ政府は支援しない」と宣言したことになる。ただ、「そういう方面」がどこからどこまでなのか、少しはっきりしていないようだ。

 というのは、ブッシュ氏は以前からES細胞の研究に反対してきたが、その理由は、ES細胞は「受精卵」という生命を殺すことによって得られる、という点だ。だから、すでに作られてしまったES細胞株の研究には(新たに受精卵を殺すことはないから)国は支援する、という立場だった。新たにES細胞を作る場合は、受精卵をそのつど殺さねばならない。これでは「殺す目的で生命(受精卵)を作る」ということになり、倫理的矛盾が起こる。だから、そういう新しいES細胞を使う研究に国は支援しない--こういう考え方だった。

 しかし、今回の韓国の研究では、通常の受精卵ではなく「クローン胚」を作り、そこからES細胞と同等のものを作り出したのである。受精卵とクローン胚との違いは、前者が精子と卵子の結合によるものであるのに対し、後者は卵子だけがあればできる点だ。前者は通常の「有性生殖」で、後者は「無性生殖」だ。そして、後者では卵子が犠牲になるのは確かだが、その犠牲は、受精卵を作って殺すのに匹敵するほど倫理的矛盾があるとは思えない。なぜなら、女性の体内では、受精しなかった卵子は毎月“犠牲”になり、体外へ排出されているからだ。その中の一つの生命力を利用してクローン胚を作り、そこからES細胞を採るのである。ブッシュ氏は、これまで「殺すために生命を作り出す」ことに反対してきたが、クローン胚の場合は「どうせ死ぬ運命にある生命(卵子)を、別の形(ES細胞)にして生かす」と考えられる。両者の倫理的意味は少し違うと思うが、その点をブッシュ氏がどう考えているのか知りたいものだ。

 もう1つの“よいニュース”は、日本での判決である。5月24日の『朝日新聞』によれば、大阪高裁は代理出産によって生まれた子を法律上の子と認めない決定をした。これがなぜ“よいニュース”かというと、代理出産には倫理的な問題が多く含まれるからである。だから、日本では許されていない。しかし、「子がほしい」という人は数多くいて、そういう人が海外(上記の場合はアメリカ)へ行って、その土地の人の子宮を借りて、子を育ててもらい、月が満ちて生まれた子を養子にする--これが代理出産である。が、今回の判決内容が最高裁でも支持されれば、日本では代理出産の方法によって生まれた子は、養子にできないことになる。それはなぜか? 判決文によると、代理出産は「人をもっぱら生殖の手段として扱い、第三者に懐胎、分娩による危険を負わせるもので、人道上問題がある」からだ。

 このほかにも、代理出産によって生まれた子は、片親(多くの場合は父)が遺伝的に法律上の親と異なるという問題がある。これはAIDの場合と似ていて、将来その子が成長して大人になった時、遺伝上の父と法律上の父が違うことを知って心理的問題を抱える可能性が大きい。このことは現在「出自を知る権利」との関係で、実際に複雑な問題を生み出している。将来、そういう問題が生じることを知りながら、なお代理出産という方法で子をもちたいと思うのは、いかがなものか。どんな犠牲を払ってでも、自分と遺伝的につながりのある子がほしいと考えるのは、人間の欲望であり、執着ではないか。

 科学技術が進歩すると、これまで不可能だと思われていたことが可能となる。すると人間の欲望が一段階増幅して、「できるならやりたい」という思いが噴き出す。そして、恵まれた環境にある人はそれを実際に行うことになる。こうして、欲望の階段を一つ一つ上ってきたのが人類の歴史ではないだろうか。このことは、ある人の欲望の実現が別の人を犠牲にしない間は、あまり問題にされなかった。しかし、今日では欲望の実現が他人の犠牲を生むことが数多く生じている。ES細胞の研究や代理出産はその一例であるが、人間のそういう果てしない欲望を一国の指導者や裁判所が“チェックする”役割を果たしているのは、社会がまだ健全である証拠だと思う 。

谷口 雅宣

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2005年5月17日

GM作物の最近事情

 遺伝子組み換え(GM)作物のことは過去に主として理論的な問題点についていろいろ書いたが、最近は実際に栽培が行われた結果の分析や、調査研究が発表されつつある。私が『今こそ自然から学ぼう』(2002年刊)の中で書いたのは、①除草剤耐性の遺伝子組み換えを行った作物を栽培することは生物多様性を損ない、②やがて除草剤に耐性をもった雑草が出現し当初の効果を帳消しにしてしまう、ということだった。この2つを「環境への悪影響」として捉えれば、もう一つ指摘しておかなければならないのは、GM作物を開発した大企業の独占が進むという「社会への悪影響」である。

 ところで、最近発表された調査や研究結果では、GM作物は当初の思惑通り除草剤の使用を劇的に減少させたばかりでなく、収量も上昇したという。これはアメリカの科学誌『Science』の4月29日号(vol.308, p.688)に掲載された論文で、北京にある研究所の研究員らが害虫耐性をもたせたコメ(GM種)と在来種のコメとの大規模な栽培比較を行ったものだ。比較されたのは、2002~2003年に123の田畑で栽培したGM種2種と224の田畑で栽培した在来種のコメ。その結果、GM種の栽培では農薬の使用を在来種に比べ平均80%削減できたうえ、収量は在来種よりそれぞれ6%と9%向上した。さらに、この農薬使用量の劇的減少により、農民の病気も減少したという。数字で言えば、在来種のコメを栽培した人の8%が具合が悪くなったのに比べ、GM種の栽培では誰も体調を悪くしなかったという。

 これに対し、インドでは同じ害虫耐性をもたせた綿花の栽培結果が論争を巻き起こしている。その一つの原因は、GM種は在来種に比べ、期待していたほど収量が上がらなかったからだ。また、この害虫耐性のライセンスをもつ米モンサント社のGM種よりも、地元で違法に作り出されたGM種の方が、綿花の収量がはるかに多かったことが、大企業の独占の問題を浮き彫りにしている。貧しいインドの農民のことを第一に思えば、モンサント社のGM種ではなく、地元で違法に開発されたGM種の方が収量においてもコストにおいても優れていたということだ。ちなみに、インド中部と南部でのモンサント社のGM綿花の栽培面積は、2002年には5万ヘクタールだったのに対し、2004年にはその10倍に拡大し、インドの綿花栽培面積の20分の1を占めるに至っているという。(『NewScientist』5月7日号)

 ところで日本では、GM種の栽培はどうなっているのだろう。今日(5月17日)の『朝日新聞』は、北海道が全国で初めてGM作物の屋外での栽培を規制する条例を策定し、来年1月から施行することを伝えている。GM作物の栽培審査は、いくつかの法律にもとづき国が行っており、その審査に通った品種(現在約30種)は国内ならどこでも栽培していいことになっている。しかし、北海道では住民や消費者の不安や混乱を避けるために、法律に上乗せする形で知事の許可を条例で定めたということだ。ただし、一般の農家ではなく、研究機関の試験場での栽培は届出だけで済ませるとした。

 国によっていろいろな考え方があることが分かるが、GM作物のこれまでの成績は「1勝1敗」というところか。生物多様性への危険は証明されつつある。真価が問われるのは、長期的影響が明らかになるこれからだ。

谷口 雅宣

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2005年5月 7日

カリフォルニアよ、どこへ行く?

 5月3日の本欄で、アメリカ科学アカデミーがES細胞研究に関するガイドラインを策定したことに触れたが、7日の『朝日新聞』は、夕刊でES細胞を9割の確率で心臓の筋肉細胞に変化させることに日本の研究者が成功したことを伝えた。ただし、このES細胞はネズミのものだから、人間のES細胞から心筋細胞を豊富に分化させるまでには、もう少し時間がかかるだろう。とにかく、人間の受精卵から取り出したES細胞を治療目的に使おうという試みは、世界的に着々と進められている。

 そんな所へ、カリフォルニア州でのES細胞研究の中心となる公的機関がサンフランシスコ市に置かれることが決まったというニュースを、アメリカの知人が教えてくれた。『ロサンゼルス・タイムズ』が7日付で伝えたもので、同市のほか首都サクラメント、サンディエゴ市などが誘致を競っていたが、1700万ドル(約18億円)をはたいたサンフランシスコに軍配が挙がったという。それだけの経済効果を同市は期待しているわけだ。

 この機関は「カリフォルニア州立再生医療研究所」(California Institute of Regenerative Medicine)といい、昨年11月に行われたES細胞研究の是非を問う同州の住民投票の結果、設立が決まり、設置場所の選定作業が進んでいた。すでに本欄でも触れたように、ブッシュ大統領はES細胞の研究に厳しい枠をはめて、その枠内での研究のみに連邦政府の補助金の投入を認めてきた。しかし、これに不満を感じる研究者や患者は多く、特にハリウッドを抱えるカリフォルニア州では、州知事のシュワルツネッガー氏をはじめ、レーガン元大統領の夫人、俳優のマイケル・J・フォックス、クリストファー・リーブなどが再生医療の必要性を訴えたことが、ES細胞の研究にゴーサインを出す大きな力になったようだ。同研究所は今後10年にわたり、年間30億ドルの資金を州から得て研究活動を進めていくことになるから、カリフォルニア州がこれからのアメリカでのES細胞研究の中心となる可能性が大きい。

 カリフォルニア州は、アメリカでは最も自由度の高い考え方の州で、代理母や卵子・受精卵の売買も行われている。今回の決定もそのような風土を背景に下されたわけだが、予想はしていたものの、私には残念で仕方がない。この州にいる生長の家の信徒はアメリカで最も多く、アメリカ全体を受け持つ合衆国伝道本部がここにある。またサンフランシスコは、私が学生時代に1年間いたオークランドの対岸にある。まだ産まれない人間の霊魂に肉体を与えることを拒否し、彼らから奪った肉体を利用して、すでに人生の大半を過ごした人間の肉体の修復や延命治療に使う社会が、この地で成立しようとしているのだ。

谷口 雅宣

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2005年5月 3日

ES細胞研究のガイドライン

 生長の家の4つの運動組織の全国大会(5月1~3日)が終了して、ひと息つくことができた。3日目の青年会全国大会では、本欄(4月26日)に書いた動物と人間のキメラの話を引用して、人間が肉体の存続に今後ますます執着を深めていくと、どれほど危ない世界が来るかを訴えた。ES細胞などの専門的な言葉を使ったので、若い人々にどの程度理解してもらえたか定かでないが、現代の科学技術の“気味悪さ”は感じてもらえたと思う。

 その時、触れなかったことがある。それは、アメリカ政府がES細胞などの幹細胞を扱う際の取り決めを制定できないでいる中で、アメリカ科学アカデミー(The U.S. National Academy of Sciences)が最近、独自のガイドラインを発表したことだ。話が細部にわたり、専門的になりすぎると思ったからだ。ES細胞に関する従来からのブッシュ政権の態度は、明白だ。それによると、ES細胞は受精卵を破壊することで初めて研究や利用ができるから、「破壊するために人間の命を作る」ことは倫理的に許されないと考え、すでに存在するES細胞の利用は認めても、新たに作成するものを使った研究には、合衆国政府は補助金を出さない--という方針。しかし、すでに書いたように、政府の補助金なしで行うES細胞の研究は着々と進んでいて、種々のキメラが誕生しつつある。その結果、人間か動物か判別できないような生物が誕生する恐れが増大しつつあった。

 このほどまとまったアメリカ科学アカデミーのガイドラインは、そういう倫理的に混沌とした科学研究の方向性に一定の“枠”をはめたという意味で、意義あるものだろう。ガイドラインでは、研究者はES細胞を人間の受精卵に注入することと、サルやチンパンジーの体内に入れることはできないとしている。これまでは、前者の方法による遺伝子治療が期待されていたが、その選択肢は狭められた。また後者は、人間への臨床試験の一歩手前の実験を行うものだが、今後はそれも難しくなるだろう。ただし、この基準には法的拘束力がないから、違反を承知で行われる研究を止めることはできない。

 上記の2つを除けば、ES細胞の研究は各種の方法が許されることになる。例えば、私が短篇小説「捕獲」と「捕獲2」の中で描いた“人間の脳をもったネズミ”の作成は禁じられていない。また、私が反対している「受精卵や死亡胎児の研究のための利用」は、今後もアメリカでは続けられていくことになるだろう。

 ガイドラインは、その他、以下のことも定めた:①治療目的のクローニングの研究のために卵子の提供を受ける場合、実費以外の徴収を禁じる、②研究室内では、ヒトの受精卵は(中枢神経が形成され始める)14日を越えて培養することができない、③ES細胞研究に従事する研究機関は、個々の研究の是非を判断し、研究過程をモニターする監督委員会を設置する必要がある。①は、卵子が売買の対象となることを防ぐためだろうが、現実に1個50万円前後で売買されているという事実をどう捉えているのか、定かでない。②では、成長する受精卵をどの時点から“人間”と見なすかという一つの基準として、中枢神経系の成立を考えたということだろう。が、この基準と、人工妊娠中絶が可能とされる時期とが大きくズレているから、今後の論議の対象となるかもしれない。③は、当然と言えば当然だが、この件に関して合衆国政府が何も基準を示していないことを考えると、アメリカでは今後も、生命倫理の問題が個々の研究機関の自由裁量に任されていく、との危惧も生まれる。

谷口 雅宣

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2005年4月26日

人間の脳をもつネズミ

 私の短篇小説集『神を演じる人々』(2003年、日本教文社刊)に書いたことが、本当に実現しそうな様相になってきた。人間の脳をもったネズミを作る計画が進行中なのだ。

 3月12日付のイギリスの新聞『The Telegraph』の伝えるところでは、米カリフォルニア州のスタンフォード大学の癌・幹細胞生物学研究所(Institute of Cancer/Stem Cell Biology)のアーヴィン・ワイズマン教授(Irving Weissman)のグループは、中絶された胎児から採った幹細胞を使って、脳が100%人間の細胞からなるネズミを作る計画を大学に提出し、大学の倫理委員会はこの2月下旬、その計画を承認した。ただし、「もしネズミが人間に似た行動--例えば、記憶の増幅や問題処理能力の向上--を見せたならば、計画を中止する」という条件つきだ。ワイズマン教授は、昨年10月にワシントンで行われた公聴会で、このネズミは他のネズミと変らない行動をするだろうし、もし人間に似た兆候が見えたらすぐに処分すると証言した。

 異種の動物の細胞や器官が混じったものを「キメラ」というが、キメラはすでにいくつも(あるいは何人も)存在する。過去に於いて、ミネソタ州の診療所で人間の血液をもったブタがすでに作られているし、昨年はネバダ大学で肝臓が80%人間のものである移植用のヒツジが作られた。また、ブタの心臓などの臓器を移植した人間の数は多い。ワイズマン博士の研究グループは、すでに人間の脳が1%混じったネズミの作成に成功しているので、第2段階の実験に入ったということだ。目的は、パーキンソン病やアルツハイマー病の治療に幹細胞がどう役立つかを研究するためという。

 この種の科学技術の“暴走”をどこで止めるかの決定は各国の政府に委ねられているものの、なかなか進んでいない。技術の進歩に社会が追いつけないでいるからだ。4月21日付の『ヘラルド朝日』紙によると、カナダは昨年、すべてのキメラの制作を禁止する決定をした。アメリカ合衆国は今年2月、特許事務所からの議会への問い合わせに答える形で、人間とチンパンジーの体を混ぜ合わせた“ヒューマンジー”の特許の申請を却下したという。この特許は、すでに7年前に申請されていたものだ。申請者はニューヨーク医療大学のスチュワート・ニューマン教授(Stuart Newman)で、同教授はこの化け物を実際に作るために申請したのではなく、倫理的には疑問が多いが技術的には可能なこの種の科学的研究について、人々の注意を喚起するためだったという。

 その間に、タフツ大学の生物学者は、乳癌の治療の研究のために人間の乳腺細胞をもったネズミを作成した。また、ネブラスカ州の研究者は、体内に人間の免疫系と肝臓をもったブタを作ろうとしている。特定の患者の臓器をブタの体内で培養し、人間の側で手術が終った後に、ブタの体内の臓器を移植すれば、拒絶反応のない安全な移植が可能になると考えているのだ。

 ところで、前記の私の小説(2002年12月記)では、ES細胞の品質検査のために使われたネズミの胚から、人間の脳をもったネズミが成長する、という設定になっている。時は2005年、場所は北カリフォルニアのUCバークレー(カリフォルニア大学バークレー校)である。小説の主人公は、自分の作ったそのネズミを見て「ネズミの形をした人間」だと考える。しかし、上記のワイズマン教授は、同じものを「人間の脳をもったネズミ」だと考えている。前者の場合は、それを処分すれば殺人になるが、後者の場合はそうならない。さて読者は、どちらと思われるか?

谷口 雅宣

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2005年3月28日

アメリカの尊厳死論争

 あまり美しいとは言えない家族間の争いが、アメリカ中を巻き込んだ“尊厳死論争”に発展している。

 これはもちろん、15年間の“植物状態”にあるテリー・シャイボさん(41)のこと。3月28日付の『朝日新聞』によると、夫の求めに応じて栄養補給装置が外されてから9日がたち、まさに死へと限りなく近づいている人だ。これに対して、テリーさんの両親などシンドラー家の人々が「娘を殺すな」と反対運動を繰り広げており、それに地元のフロリダ州議会や連邦議会、さらにブッシュ大統領も加わって、宗教右派を巻き込んだ大論争になっている。

 もともとの対立点は、夫のマイケル氏が「妻は人工的な延命は生前から望んでいなかった」として尊厳死を認めるように裁判所に申し立て、それに対しテリーさんの両親が「娘が死を望むはずがない」と反発したことだ。ここまでなら家族間の争いにすぎないが、それに対して“プロライフ(生命尊重)派”の政治勢力が関与したことにより、騒ぎが全国に広がった。フロリダ州の知事はブッシュ大統領の弟のジェフ・ブッシュ氏で、彼が議会に働きかけた結果、テリーさんの延命措置が復活した。その背後ではプロライフの宗教右派が動いた。これに対して、大統領再選を決めたブッシュ氏と連邦議会も口を出した。マスメディアは、「本来、家族内の決定事項に政治が介入するのはけしからん」と噛みついた。

 裁判所は一貫して、夫のマイケル氏の延命中止の判断を支持した。これは、1976年と1990年の2件の判例によって、植物状態の患者の生命維持装置を外す際の基準が確立したからだ。その基準とは、①患者はどんな治療も拒絶できる ②拒絶の意思を知る家族らは、患者の意思表示を代行できる ③医師は患者の意思を尊重すべし、の3つだ。

 ところで、テリーさんの尊厳死の是非の判断を複雑にしているのは、夫のマイケル氏が妻の植物状態の原因をつくったとして病院を訴え、合計で100万ドルの賠償金を手にしたことと、マイケル氏には愛人がいるばかりでなく、その愛人との間にすでに3人の子供もいて同居中であるという事実がある。テリーさんの両親にとっては、これが娘への赦しがたい裏切りだと感じられるわけだ。

 「生命尊重」はもちろん重要な価値だが、政治家が一人の女性の死に対してそれを懸命に主張するのであれば、イラクで死んだ何千人もの市民や兵士の生命をどう考えるのか聞いてみたい。かの地では、今日も何人もが望まぬ死を体験しているのである。

谷口 雅宣

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