2010年10月 4日

iPS細胞と“神の子” (2)

 前回の本欄で書いたことの説明をしよう。
 
 iPS細胞の作製で分かった最も驚異的なこととは、人間の(そして、恐らくすべての多細胞生物の)体内には、最も原初的な“初期状態”にもどる能力のある細胞が多数存在するということである。それまでの研究では、もっとも原初的な“初期状態”にある細胞は、ES細胞(胚性幹細胞)だけだと思われていた。ES細胞とは、受精卵が分裂を始めて1週間から10日たった頃にできる「胚盤胞」と呼ばれる状態の時、その中核部に形成される細胞塊を取り出して増殖可能の状態にしたものである。「胚から取り出した幹細胞」という意味で、この名がある。この細胞の特徴は、身体を構成するどんな種類の細胞にも分化する能力があるという点だ。だから、このES細胞に化学的な刺激を与えて各種の組織や臓器を作製することで、難病の治療や再生医療に役立てようとする研究が行われている。
 
 しかし、ES細胞には大きな問題が2つある。1つは、それを得るためには受精卵を破壊しなければならないということ。もう1つは、それを治療に使うには、拒絶反応をなくすために免疫抑制剤を使わねばならず、これが患者の感染症への抵抗力を弱めるという点だ。この2つの問題点は、しかしiPS細胞にはないのだ。
 
 iPS細胞の「iPS」とは、「induced pluropotent stem cells」という英語の頭文字を取ったもので、日本語では「人工多能性幹細胞」と訳している。「induce」は、外から手を加えるという意味で、「pluropotent」の「pluro」は「plural(複数)」の省略形で、「potent」は「能力」とか「有能」という意味だから、「複数種の細胞に分化する能力がある」ということだ。「stem cells」は「幹細胞」である。
 
「幹細胞」の説明は本欄ですでに何回もしているが、重要な概念なので簡単に繰り返す。幹細胞の「幹」は、そこから枝や葉や花が伸びてくるように、いろいろな特徴をもった部分が分化して出てくるための「元」になる細胞という意味だ。例えば、私たちの皮膚の奥には「真皮」と呼ばれる部分があって、そこにある皮膚の幹細胞から、新しい表皮が作られる。指の爪の元には、爪を作る幹細胞がある。髪の毛にも、皮膚の組織中に埋まった部分に幹細胞があり、そこで新しい髪の毛の細胞が作られるため、髪は伸びるのである。このほか、神経組織を作る神経幹細胞、血液中の様々な細胞を作る造血幹細胞、骨の幹細胞など、たくさんの種類がある。しかし、ほとんどの幹細胞は、単一種か、多くても2~3種の細胞にしか分化できない。これに対して、ES細胞とiPS細胞は、身体のどんな組織や臓器の細胞にも分化する能力をもっていると言われているため、“万能細胞”と呼ばれることもある。

 こういう細胞レベルの活動を念頭に置いたうえで、今度は、人間の体を外側から外観してみよう。人間の体は、60兆個から100兆個の細胞で構成されている。日本人は70兆個ぐらいであるという。私たち人間の「意識」は、これらの夥しい数の細胞が何をしているのか、また何をしていないかについて全く関知しない。にもかかわらず、私たちの体の細胞は、24時間休みなく、それぞれに与えられた役割を忠実に果たしている。心臓は血液を全身に送り、血液中の数多くの免疫細胞は外敵と戦ったり、傷口や故障を修復したりしている。内臓からは栄養素が体内に吸収され、毒物や不要成分は肝臓や腎臓で中和され、膀胱へ送られる。これらの臓器や組織の仕事は、分子レベルでは皆、細胞が行っているのだ。しかも、これらの細胞は、私たちの肉体の死活にかかわる重要な仕事をする中で、役割を果たしたものは死んでいき、また新たに生まれてくる。ごく大雑把に言えば、人間の体内では細胞分裂によって24時間中に約1兆個の細胞が生まれ、それとほぼ同数の古い細胞が死んでいく。これを私たちは「新陳代謝」と呼んでいる。
 
 私は『日々の祈り』の「“肉体なし”の真理を自覚する祈り」の中で、新陳代謝の具体例として、「皮膚は1カ月ごとに、胃の内層は4日ごとに、食物とじかに接する胃の表面は5分ごとに新しくなる」と表現した。また、「肉体を構成する物質原子の98%が、1年前にはそこに存在しなかった」ものだとの見解を紹介した。このように複雑かつ組織的な細胞の入れ替わりが体内で行われていることを、私たちの「意識」は全く知らないし、意識的に制御することもできない。にもかかわらず、体中の数多くの幹細胞がこれを行っているのである。これは一体何者の仕業と考えるべきだろうか?
 
 この幹細胞の中の特殊の種類のものを人工的に取り出して、一定の化学的刺激を与えると「iPS細胞」ができるのである。しかしこれは、人間が人工的に“魔法の細胞”を創り出すのではない。もともと細胞がもつ万能性を人間が少し手を加えて発現させるだけだ。「分化していた細胞の機能をリセットして始原状態にもどす」と言ってもいいかもしれない。そうすることで恩恵を得るのは、神経系の難病などにかかった人たちだ。が、翻って考えてみると、そういう病気にかからずに、毎日を平穏に、健康に生きている圧倒的多数の人間は、この偉大な幹細胞の恩恵に常に、完全に浴しているのである。では、1つ1つの幹細胞が意思をもっていて、私たちに恩恵を与えてくれるのか? そうではあるまい。数多くの幹細胞を有機的に、秩序だてて、統一意思のもとに機能させている“何者か”がどこかにいると考えざるを得ない。それは、人間の意識の能力を超えているから、人間業ではない。だから、「神業」という言葉を使いたくなる。
 
 iPS細胞の登場は、私たちの肉体の当り前の機能の中に、“神の子”のような偉大な働きが隠されていることを改めて教えてくれると思うのである。
 
 谷口 雅宣

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2010年9月24日

スーパー・サーモン解禁か?

 遺伝子組み換えによって通常の倍の速さで成長するサケが、まもなく市場に登場するかもしれない。アメリカの食品医薬品管理局(FDA)の諮問委員会が20日に会合を開き、普通以上の成長ホルモンを分泌するように遺伝子を組み替えた大西洋サケ(Atlantic salmon)は、健康にも環境にも安全であるという結論に達したようだ、と22日付の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』が伝えた。ただし、アレルギー反応を起こす可能性については、結論がまだ出ていないようだ。この結論が正式なものとなれば、このサケは、アメリカの食卓に最初に導入される遺伝子組み換え動物になるという。同委員会では、消費者団体や環境団体の代表は組み換えサケは認可すべきでないと証言した。このサケが認可されるならば、環境への害が少ない糞を排泄するブタなど、他の組み換え動物の認可にも道が開かれる可能性があるという。また、このサケと同様、成長期間の短縮を目的とした遺伝子組み換えが研究されている魚は、今世界に18種あるというから、養殖魚類一般への遺伝子組み換えの道が開かれるかもしれない。

 同紙の記事によると、この“スーパー・サーモン”はチヌーク・サーモンのもつ成長ホルモン産生遺伝子と、別の魚(ocean pout)がもつ氷結防止遺伝子を組み込んであるという。これにより、通常のサケは冬季に成長ホルモンを産生しないところを、冬季にも成長を続けるため、通常の倍の速度で大きくなるという。開発したのは、マサチューセッツ州に本拠を置くバイテク企業アクア・バウンティー・テクノロジーズ社(AquaBounty Technologies)で、同社は、このサケが認可されれば、自然の海産資源を破壊することなく世界の食糧需要を満たすことができるとしている。また、このサケをアメリカ内陸部で養殖することにより、チリやノルウェーから空輸するより安価に大西洋サケを提供することができるという。
 
 遺伝子組み換え種の生物がもつ問題の1つは、自然界にある近似種と交雑することで、環境へ予想外の影響を与える危険性だ。これに対して同社は、このサケを内陸部の隔離された施設で養殖し、もしそこから逃げ出した場合も、周囲の環境がサケの生存に適しない塩水や温水であるような地域で育てるとしている。また、養殖を行うほとんどを繁殖力のない雌のサケとするから、自然界で交雑することはないという。同社の株価は、FDAの承認が得られるとの期待から、今年に入って3倍以上になっているらしい。

 この記事を読んで、私はかつて小説に書いた遺伝子組み換えニジマスのことを思い出した。また、このサケにはどんな飼料が与えられるのか、と考えた。穀物飼料が使われるならば、人間の食糧との競合は防げない。さらに考えたのは、「自然界から厳重に隔離して育てなければならないもの」を、人間は食料とすべきかということだ。これは自然観、人間観と深くかかわる問題で、人間を自然の一部と考える私は、肯定的に答えることはできない。アメリカという国は、これまでの遺伝子組み換え作物の利用状況などから考えて人間至上主義的だから、“スーパー・サーモン”の承認は時間の問題のような気がしている。
 
 なお、遺伝子組み換えニジマスを扱った小説は「銀化」と「銀化2」という2本の短篇で、『神を演じる人々』という短編集に収録されている。この機会に興味をもった読者のために、私の電子本サイトに2本を1本にまとめて登録した。
 
 谷口 雅宣

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2010年5月25日

自然は多様性を求めている

 口蹄疫への対策が全国に広がってきた。宮崎県外への感染を予想して、貴重な“種ウシ”を離島に避難させたり、山間部へ離散させるケースが出てきている。今朝の『朝日新聞』によると、鹿児島県は24日、種ウシ6頭を鹿児島県から南方約380キロにある喜界島へフェリーで避難させた。さらにこれとは別に、種ウシ6頭と「かごしま黒豚」の種ブタ150頭も、種子島などへ避難させる予定という。また、同日付の『日本経済新聞』は、「但馬牛」のブランドをもつ兵庫県では、加西市にある県立農林水産技術総合センターで飼っている種ウシ33頭を、約70キロ離れた朝来市の山間部の施設に移動することを検討しているという。また、大分県では、竹田市の県畜産研究部で飼育している種ウシなど36頭を、県内の数カ所に分散させる方針という。
 
 こういうことを考えると、近年、口蹄疫などの家畜の感染症が深刻な被害をもたらすようになった原因の1つに思いいたるのである。それは、生産効率化のために、多数の家畜を狭い領域で飼育する方法が一般化しているということだ。家畜はもともと“自然”に育つものではないが、それでも“自然”に近い飼い方をするほうが伝染病の被害が少ないのである。これと同じことは、養殖魚や作物についても言えるだろう。私はかつて、山梨県の養魚場に行ったことがあるが、そこではヤマメとニジマスを大きさ別に、いくつかの養殖池で飼育していたが、それらの池はほぼ満杯状態だった。魚たちが泳ぎ回るスペースがあまりないほど、込み入っていたのである。そのためか、性格が獰猛なニジマスは互いに喧嘩をして、鼻先が欠けているものもいた。また、こういう環境ではストレスによる病気も発生するだろうから、薬品を使ったり、成長を促進するためのホルモンの添加もあるのではないかと思う。
 
 作物については、読者もよくご存じの通りだ。単位面積当たりの収量を増やし、かつ作業を効率化することが、まるで“至上命令”のように行われてきた。そのためには、作物の1株と1株の間に生じる別種の植物は“雑草”と呼ばれて駆除されるのである。これは、家畜の同種だけを狭い空間に集めて育てるのと、同じ考え方に立っている。この考え方を徹底したのが、遺伝子組み換え作物だろう。人間にとって有用な植物の遺伝子を操作して、除草剤への耐性を組み込み、その他の植物を“敵”に見立て、除草剤の大量散布によって死滅させてしまおうというのである。自然界は生物多様性を本質的な特徴とする。しかし人間は、単一種の生物を大量に高密度で栽培・飼育することで、より多くの利益を得ようとしているのである。言い直すと、自然の中では決して出現しない状態をむりやり作り出すことで、人間は自然からより多く奪おうとしているのである。今回の口蹄疫の蔓延は、「そんなやり方は長続きしないよ」と、ウシやブタが涙ながらに教えてくれているように思う。
 
 遺伝子組み換え作物をめぐる最近の状況も、同じようなメッセージを伝えているのではないか。イギリスの科学誌『New Scientist』は5月15日号(vol. 206, No.2760)で、除草剤への耐性をもった“雑草”の出現が、南北アメリカ大陸に深刻な影響を及ぼしつつあることを伝えている。それによると、現在、世界全体では1億ヘクタール近くの農地に除草剤耐性をもった遺伝子組み換え作物が栽培されているという。具体的には、アメリカ南東部を初め、ブラジルやアルゼンチンなどの広大な領域で、除草剤耐性をもった遺伝子組み換え種のトウモロコシ、ダイズ、綿花などが栽培され、ほとんど連作の状態にあるという。その除草剤は、グリフォサート(glyphosate)という特定の薬品で、モンサント社の「ラウンドアップ」という商品が有名である。これらの地方では、これを大量に長期にわたって使用し続けたために、“雑草”と呼ばれる植物のうち少なくとも9種が、これに対する耐性を獲得しているという。つまり、除草剤が効かなくなっているのだ。
 
 これに対処するにはどうすればいいか? それは、特定の除草剤に頼るのではなく、除草のための複数の方法を併用するのがいいという。例えばカナダでは、遺伝子組み換え種のナタネが栽培されているが、連作を避けて小麦や大麦と交替で育て、そのつど、それぞれに合った除草剤を使っている。おかげで、グリフォサートに耐性をもった“雑草”はまだ出現していないという。

 自然は、ある特定の領域内に生きる生物種の数を減らそうとする人間の試みに対して、「ノー」と言っているように見える。また、そういう方法で利益の増進をはかる人間に対して、除草剤耐性をもつ“雑草”を生み出して抵抗している。しかし、生物種の数を減らさずに多種を残した場合には、除草剤への耐性を“雑草”に与えないのである。読者には、「多様性を壊すな」という声が聞こえてこないだろうか?
 
 谷口 雅宣

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2010年5月21日

人工細菌ができるとしたら……

 21日の新聞朝刊は大きな出来事がいくつも報道されていたから、新聞の切り抜きを日課としている私にとっては忙しい朝となった。国内では口蹄疫の対策が遅れて被害が深刻化していること、海外では韓国の哨戒艦沈没の問題で同国と北朝鮮の関係が緊迫していること、ソニーとグーグルがインターネットTV開発で提携したこと、日本でまもなく発売されるアップル社の多機能携帯端末「iPad」向けに、講談社が京極夏彦氏の新作を書籍より安く提供すること……などで、切りぬいていくと新聞がバラバラになってしまうほどだった。口蹄疫と電子書籍の問題については、すでに書いた。韓国と北朝鮮の問題は日本の安全保障とも密接な関係にあり、看過できない。が、きわめて流動的で今日、予定されている米国務長官の来日の影響で、さらに変化するだろう。だから、何を書いてもすぐ古くなる--というわけで、今回は、リストに挙げなかったもう1つの問題について、触れたい。
 
 それは、アメリカの科学者のチームが、一部のDNAの組み換えや加工ではなく、ゲノム全体を人工的につないで細菌を作ったという話である。ゲノム以外の細胞の部品は自然のものを使ったから“人工生命の誕生”とはまだ言えないが、そこまで「あと一歩」の状況だ。この研究を発表したのは、ヒトゲノムの解読にも携わったクレイグ・ベンター博士の研究所のチームで、遺伝情報が少ない細菌のゲノムをまねてDNAの断片をつなぎ合わせ、それを別の細菌のゲノムと入れ替えることで、自己増殖を繰り返す細菌を生み出す段階に到達したということらしい。簡単に言えば、従来のような“遺伝子組み換え”の細菌ではなく、“遺伝子全とり替え”で細菌を生み出したのである。21日付のアメリカの科学誌『サイエンス』の電子版に発表されている。
 
『朝日新聞』はこれについて、「この技術を応用して遺伝情報を効率的に設計すれば、医薬品の原料やバイオ燃料など、人間が欲しい物質を人工細菌に作らせることも可能になる」と肯定的評価をする一方、「生物兵器などへの悪用も心配される」だけでなく、「人工的に作られた生命体が、意図せずに自然界に出た場合、生態系や人体などへの影響も懸念され」るなどと、問題点も挙げている。『日本経済新聞』は、肯定的評価は『朝日』とほぼ同じだが、否定的側面については、「テロに悪用できる細菌兵器や生態系を破壊する生物などもできる」と書いている。
 
 この問題は結局、科学技術は“諸刃の剣”だということで、その“剣”を人間が“善”の目的に限って利用できるかどうかという、古くからの疑問に帰着するのである。そして、その疑問の基底には、「自然」というものを我々がどう見るかという宗教的・哲学的視点の違いがある。きわめて概括的に言えば、「自然は、人間によって改善されるべきものだ」という考えの人たちは、科学技術を利用して人間が自然に手を加えることを肯定する。しかし、「自然は、このままで何も不都合はない」と考える人は、科学技術の利用に懐疑的になる。前者の人たちは、人間の本質について楽観的だ。つまり、人間は多少の過ちを犯したとしても、いずれ自分たちの努力で善を実現すると考えるのだ。これに対して後者の人々は、人間は基本的に過ちを犯す存在だと悲観的に考える。だから、強力な技術の無制限の利用は、人類の自滅へとつながると恐れるのである。「理想」という言葉を使えば、自然懐疑派の人は人間を理想化し、人間懐疑派の人は自然を理想化する。
 
 私の立場は後者である--こう書くと、誤解を招くかもしれない。なぜなら、生長の家では「人間は神の子である」と教えているからだ。だから、「神の子」を懐疑的に見ることは教えに反する。しかし、その一方で、生長の家では「現象は不完全である」とも教えている。不完全なものを懐疑的に見ることには問題がない。だから、私が生長の家は後者の立場だという時は、「現象論としては」という修飾語を加えなければならない。つまり、生長の家では、現象論(現象処理の処方箋)としては後者の立場をとるのである。その理由は、このブログの最初に書いた現在進行形の“大きな出来事”のいくつかを振り返ってみればわかるはずだ。
 
 口蹄疫の蔓延は、現象人間としての我々が、動物の生命を奪って肉を食いたいと欲望していることが原因だ。北朝鮮と韓国の間の政治・軍事的対立は、お互いが相手を“敵”だと見なし、不信感を深めていることが原因だ。つまり、双方とも、人間の「神の子」なる本性が深く覆い隠されていることが原因だから、この原因が除かれるまでは“人間懐疑論”にもとづいて現象処理をするのである。ただし、これは文字通りの意味での“人間懐疑論”ではない。人間の本性は「神の子」であると信じながら、現象は完全でなく、悪因からは悪果が生じるとの認識をもって考え、行動するという意味である。本当の人間懐疑論ではなく、現象人間懐疑論を採用し、それと並行して「人間の実相は神の子である」という真理を広く伝えることで、“神の子”の自覚をもった人間を増やし、懐疑の対象となる人間を減らしていく。そういう2段階の手続きが必要である。
 
 今回の“人工細菌”の開発でも、現在のように国家間の不信感が存在し、憎悪に満ちた爆弾テロなどが起こっている間は、また、人間が自らの快楽増進のために他の生物の命を奪うことに一顧もしない状態であるうちは、悪用が行われる可能性は高いと思う。医薬品開発に使えるというが、現在のほとんどの医薬品の元になったのは、もともと自然界にある植物である。その夥しい数の植物種のうち、医薬品の原料として研究されてきたものは、きわめてわずかだ。また、バイオ燃料の製造に役立つといっても、この分野でも自然界にある藻類などの研究で、バイオ燃料の生産に有力視されているものがすでにいくつもある。だから、私は、“人工細菌”の開発には賛成できないのである。
 
 谷口 雅宣 

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2010年2月 1日

あんたんたる気持

 私が『白鳩』誌の2月号に書いた文章を読んだ72歳の女性から、お手紙をいただいた。この文章は、本欄では「肉食の温室効果は51%」という題で昨年11月に書いたものだ。その女性は、私がその文末に「私は、そんな方向に人類が進むと思うと、暗澹たる気持になるのである」と書いたことが大変気になるといって、次のように尋ねておられる--
 
「先生のあんたんたるお気持ちになられる理由を、おきかせ下さい。私は読んでいて、あまり意味がわかりません。思いますことは、又動物が苦しむようなことになるのでしょうか。そこのところが、いちばん気になるところです。環境問題は大事なこととは思いますが、私にとってはそのことよりも、動物が苦しんで死んでいくことの方がずっとずっと心に重く今日まで生きてまいりました。」

 私はこの文章で、世界の食肉産業全体が排出する温室効果ガスが全体の51%にも達するとの研究結果を取り上げて、人類が肉食を減らすことが地球温暖化を抑制する最も効果的な方策ではないか、と訴えたのだった。そして最後に、「最近では、先端的な再生医療から得た技術により、個体から分離した家畜の細胞を増殖させて“培養肉”(cultured meat)を製造する研究が行われている」ことを述べ、これが温室効果ガスの削減にも役立つとする見解を紹介し、上に書いた感想を述べて文章を結んだのだった。
 
 問題の文章の最終部は、この女性がおっしゃるように確かに曖昧である。その理由の1つは、意味をはっきりさせるためには“培養肉”という新しい技術を説明しなければならず、そうすると、文章が冗長になるだけでなく、グロテスクなイメージが前面に出ることになり、(私ではなく)読者を暗澹たる気持にさせてしまう危険性があったからだ。それは、「日時計主義」を標榜する私としては、できたら避けたかった。そして読者には、「個体から分離した家畜の細胞を増殖させる」という表現から、この技術のグロテスクな本質を察知してほしかった。が、それはかえって読者に対して不親切だったかもしれない。
 
「食用培養肉」(cultured meat/in vitro meat)の製造技術は、まだでき上がっていない。が、3~4年前には、これが完成すると地球温暖化が抑制されるだけでなく、世界の食糧問題も解決に向かうし、食肉用に育てられる家畜の苦しみも大幅に緩和される……などと鳴り物入りで論じられていた。最近の雑誌記事では、ITや先端技術を扱う『ワイアード(Wired)』誌の昨年7月31日号に詳しい記事
が載っている。それによると、技術の確立にはまだ時間がかかりそうだ。

 この技術が地球温暖化の抑制に寄与すると言われる理由は、ウシやブタを育てるのではなく、ビーカーの中で動物の筋肉細胞だけを培養するのだから、家畜の飼料用の穀物を栽培する必要がなくなるとされている。つまり、動物の細胞の“種”のようなものさえ用意しておけば、植物工場でされているように、その“種”を育てて肉を収穫するだけでいい。飼料穀物を育てるための土地も、肥料も、トラクターを動かす燃料も不要となり、さらに家畜を飼うための土地も大幅に節約でき、さらには、家畜が体内から出す排泄物もなく、口から出るゲップ(メタンガス)もないから、環境破壊を最小限に抑えられる--というわけである。一見いいことずくめのようだが、「良すぎる話には罠がある」と言われるように、私は容易には納得できない。
 
 第一に、「食用にするために動物の肉を培養する」という考え方自体を、私はグロテスクに感じる。これは必ずしも感情論ではない。人間が感覚的に「不快」と感じ、「嫌悪感」を抱くものには、進化心理学的な、重要な理由があることが多い。このことはかつて『足元から平和を』(2005年)の最終章で触れたが、人間の生存にとって脅威であるものを、我々は本能的に拒否するような遺伝子を引き継いでいると考えられる。人間以外の動物は、“天敵”に対する鋭敏な感覚を備えているが、人間もヘビを嫌ったり、死臭や排泄物を本能的に忌避したりする。大体、家畜を屠殺する現場が公の目から隠されているという事実が、ウシやブタの恐怖や苦しみを、またほとばしる鮮血や吹き出る内臓を我々が「見たくない」「聞きたくない」と感じる、強烈な拒絶感をもっている証拠である。これを言い直せば、人間はみな、ウシやブタなどの動物と自分とを同一視し、同情する心をもっているということだ。その心が苦しまないために、もし培養肉が開発されるのだとしたら、こんな主客転倒はない。
 
 食用とする筋肉だけが培養できればいい。動物の脳が生み出す感情もなく、声帯から絞り出される悲鳴も聞こえず、血液や内臓も見なくてすむから、「残虐」の想いも、良心の呵責も感じずにすむことができる--もしそういう目的でこの技術が大々的に導入されるのであれば、私は暗澹たる気持にならざるを得ないのである。読者はもうお気づきだろうが、この種の技術は、人間の良心よりも欲望を優先する効果を生むに違いないのである。
 
 谷口 雅宣

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2009年10月29日

映画『私の中のあなた』

 水曜日の夕方、久しぶりに映画を見た。生命倫理を扱う真面目な映画だと子供から聞かされたからだ。キャメロン・ディアス扮する母親が、自分の娘(アビゲイル・ブレスリン)の骨髄性白血病を治すために、遺伝子操作の技術を使って骨髄型が一致する妹を産む--という想定だ。つまり、姉の病気治療のために妹を生み育て、妹の肉体が医療に利用されるという状況の中で、家族はどうあるべきか? こういう重い問いかけが背後にある、と私は思いながらこの映画を見た。しかし、この生命倫理の問題は「背後にある」ままで物語は終ってしまう。正面に出てくるのは、3人の子供のうち、死にかけている1人だけに全力集中して愛を注ぎ込む母親と、その周囲の家族の“愛の葛藤”である。こう書くと、この映画は“暗い作品”との印象が生まれるかもしれないが、驚くほど明るい。それは多分、家族全員が、白血病の姉娘(ソフィア・ヴァジリーヴァ)を愛し、彼女のために尽くす気持を共通してもっているからだろう。
 
 原作は、大ベストセラーになったジョディ・ピコー(Jodi Picoult)の小説『私の中のあなた』(My Sister's Keeper)ということだが、私はその小説を知らなかった。また、映画は原作と重要な点でいくつか違うらしい。だから、もしかしたら原作は生命倫理の問題にもっと突っ込んだ考察をしているかもしれない。が、映画を見たかぎりでは、これは親子の愛、家族の愛の物語である。そういう作品になった理由を、ニック・アサヴェテス監督(Nick Cassavetes)は、インタビューの中でこう語っている--
 
「映画のもとになった小説を読んだらとても感動的だったけど、スタジオが映画化したいと言った時はまだ迷いがあったんだ。でも、家族が子供の死とどう向き合うかというシンプルなストーリーなんだと考え始めて、これなら出来ると思ったんだよ」。

 つまり、監督自身が、この作品を生命倫理の問題として描かなかったのだ。その理由について、同監督は詳しく話していない。が、アメリカでの幹細胞の研究について同監督が考えを述べているのを読むと、人間の判断力に相当の信頼をおいているのが分かる--
 
「これはあくまでもぼくの個人的な意見だけど、幹細胞のリサーチは進めるべきだと思う。ホルモンと幹細胞は医療の未来だよ。すごく多くの倫理的問題や道徳的問題を生み出すことになるだろうけどね。人間として自分たちが正しい選択をする能力があると信じるべきだよ。もし文明が進んで、人がもっと長く生きることになり、今の人類が変化していくことになってもそれを怖れるべきじゃない。それは子供たちの、孫たちの世界であって、ぼくたちは少なくともよりよいところにしようとするべきだよ」。

 この人間への信頼と楽観主義とが、重い主題をもったこの映画を、明るく、救いのある作品に仕上げているのだろう。その点で、私は読者にこの作品をお薦めする。ただし、私の不満を言わせてもらえば、これはきっと“理想的な家族像”だということだ。自分自身が生きるためにではなく、兄弟の生命維持のために生まれたと知った子供が皆、この物語のように素直に、愛深く生きるかどうか……それは近い将来、小説ではなく、現実が語ることになるに違いない。

 谷口 雅宣

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2009年6月16日

臓器移植の先に見えるもの (2)

 イギリスの科学誌『New Scientist』は6月6日号(vol.202 No.2711)で、体細胞を利用した再生医療技術の現状を特集している。私がそれを読んで驚いたのは、再生医療研究の先端では、すでに臓器移植を不要とする技術が完成に近づいているということだ。もう1つ新たに知ったのは、ここでは動物の臓器と人間の臓器とを“合体”ないし“融合”させることで、新しい臓器の生産に結びつかせる道筋が有望視されているという点だ。つまり、今流行の言葉を使えば“ハイブリッド臓器”の生産が現実化しつつあるということだ。
 
 臓器提供者の不足を補うための1つの方法は、ブタなどの動物の臓器を人間に移植する「異種移植」(xenotransplant)だった。しかし、この方法は、それだけでは移植患者の免疫系が動物の臓器を激しく拒絶する反応が起こるため、移植後は免疫抑制剤を半永久的に使わねばならない問題があった。また、動物の細胞がもつウイルスに感染するリスクがあった。これらの問題を避けて、必要な臓器を作成する方法がほぼ完成に近づいている。その技術の概要は、次のようなものだ--
 
 ①必要な臓器を入手する
 ②臓器を洗浄して細胞を除去し、コラーゲンでできた“枠組”だけを残す
 ③この“枠組”に幹細胞を流し込む
 ④幹細胞が分化を始め、必要な臓器を形成する
 ⑤できた臓器を患者に移植する

 アメリカのミネソタ大学のドリス・タイラー博士(Doris Taylor)らのグループは、2008年1月、ラットの心臓の枠組に、生れたばかりのラットの心臓の幹細胞を流し込むことで、血管や筋肉も備えた拍動する新しい心臓を生み出した。その後、この心臓を別のラットに移植できれば技術の“完成”となるが、できた心臓はまだ筋肉の量が少ないため、体内で役割を果たすところまで行っていないらしい。タイラー博士のチームは、ラットの次には、この方法を使ってブタの心臓と肝臓を作成する研究を行うことを考えているという。そして、この分野の多くの研究者が最終的に目標としているのは、もちろん人間に使える臓器を患者自身の幹細胞から再生産することだ。これは必ずしも夢物語ではなく、気管のような単純な形状の臓器であれば、イギリスのブリストル大学の研究者が、この技術を使ってすでに人間の気管の再生と移植に成功しているという。また、心臓弁などの小型の組織などでは、ブタの組織の“枠組”を使った“ハイブリッド組織”を体内に移植した患者が、欧米ではすでに多数存在するらしい。

 ということで、見えてきた1つの道筋はこういうものだ--上記の①にある「必要な臓器」は、人間のものでもブタのものでも可となる。また、人間の場合、脳死でも心臓死でも大差ないだろうから、後者の人の臓器の利用が増えるだろう。となると、将来の再生医療の行く先は、脳死段階での臓器移植を増やす方向へではなく、病院や専門ラボで患者の幹細胞を使って再形成された新しい臓器の移植である。これによって、脳死段階での臓器移植がもつ様々な問題は回避できるようだが、その代り“ハイブリッド組織”や“ハイブリッド臓器”を体内にもつ人々が増えていくのだろう。これを人間の「幸福の増進」と言えるかどうかは、また別問題と私は思う。
 
 谷口 雅宣

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2009年6月15日

臓器移植の先に見えるもの

 6月9日同13日の本欄で、臓器移植法の改正をめぐる動きについて少し書いた。この問題は、臓器の提供側と受け手側の利害が必ずしも一致しないところに、基本的な問題がある。提供側が前もって提供の意思と時期(心臓死か脳死か)を示していれば、両者の利害は一致するから、問題は起こりにくい。それでも、提供者本人でなく、家族の感情の問題は残るかもしれない。これに対して、事前に提供者の意思が示されていない場合、家族にそれを決める責任と負担が生じる。家族全員が一致した判断を下せれば、それでも負担は少ない。が、そうでない場合、家族構成員の間に感情的なシコリが残ることも考えられる。

 これが提供側の問題だが、受け手の側では少し種類の違う問題が生まれる。それは「他人の死を待ち望む」という心理状態になることである。倫理感が確立していない子供の場合、この心理状態はさほど負担でないかもしれないが、成人した人間にとっては、個人差はあるにしても倫理的ジレンマは感じられるだろう。これを克服し、幸いにも移植臓器を得た人は、提供者に対して感謝の念を強くもつに違いない。が、感謝しようとしても本人は死亡しているのだから、その思いは、提供者の家族に対して、手術をした医師に対して、あるいは移植を可能とした社会に対して向けられるかもしれない。これはよいことだ。また、他人に助けられたことで、社会への奉仕を志す人も出てくるかもしれない。これも、よいことだろう。しかし、これとは反対に「臓器を得る権利がある」などと考える人も出てくるだろう。

 以上は、臓器移植にかかわる個人の問題だが、社会全体を見るとどうなるだろうか。現在の臓器移植法が扱っている範囲は、死んだ人(心臓死と脳死)の臓器だから、社会全体では一種の「臓器のリサイクル」制度のようなものだ。この言い方が悪ければ、「臓器を使えるうちに他人に回す」制度である。摘出された1個の臓器は、基本的には1個のまま他の人に移植される。そういう「1対1」の関係がある。ところが、提供される臓器が足りないと考える人の間では、臓器の「リサイクル」ではなく、「創出」の技術も開発されつつある。つまり、新しく臓器をつくるのである。これができれば、臓器の提供側の問題はもちろん、受ける側の倫理的ジレンマの問題も軽減するし、移植にかかわるコスト削減につながる可能性もある。

 そんな技術の確立を目指しているのが、いわゆる「再生医療」と呼ばれている分野である。この技術は一見、倫理的な問題が少なく理想的に思えるかもしれないが、そう簡単ではない。本欄で何回も言及してきた「ES細胞(embryonic stem cells)」や「iPS細胞(induced pluropotent stem cells)」の技術が、まさにこの分野の先端である。が、ES細胞には「受精卵を使う」という問題があり、iPS細胞には「ガン化のリスク」があることを書いてきた。本欄では、卵子や精子などの生殖細胞を除く「体細胞」を利用した再生医療の進展に期待を示してきたが、iPS細胞の研究はこの分野に属する。が、それ以外の体性幹細胞(成人幹細胞)を利用した再生医療の研究も進んでいる。次回の本欄では、それを紹介しよう。
 
 谷口 雅宣
 

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2009年6月 9日

臓器移植法改正は不要である

 臓器移植法改正の案づくりが混迷をきわめている。法案の提案順にA案からD案までの4つの案が国会に提出されていること自体が、この問題に対する国民の意見がバラバラであることを有力に示している。にもかかわらず、今の時点で同法を改正しなければならない理由は何か? それは、最初の改正案(A案)が出された経緯を見ればわかる。この法案を推しているのは日本移植学会や臓器提供を求めている人々など、移植手術の件数を増やすことで利益を得る(と考えている)人々だと思われる。6月6日の『朝日新聞』の表現では、「今回の改正論議が、世界保健機関(WHO)が渡航移植の規制に乗り出す見通しに加え、移植経験者の河野洋平衆院議長の勇退が迫っていることでにわかに盛り上がった」のである。渡航移植とは、脳死段階での臓器移植が難しい日本人などが、アメリカや中国などの海外へ行って臓器提供を受けることだ。これが規制されると、移植手術への道が閉ざされるとの危機感がA案提出の背後にある。しかし、このWHOの規制のための決議は、最近の新型インフルエンザへの対応の影響などで延期されたことから、雲行きは怪しくなっている。
 
 A案の骨子は、「脳死は人の死である」と一律に定める改正で、さらに、現行法では臓器提供者の年齢を「15歳以上」に限定しているものを撤廃して「0歳」からの提供を可能とする改正である。つまり、制限を最大限に撤廃して移植手術を増やすという意図が明白だ。これに対して、それはやりすぎだから「12歳以上」に限定しようというのがB案、その逆に、脳死の定義を厳格にしようというのがC案、それらの中間的規制がD案、と言えるだろう。現行法の特徴は、一般的な人の死については心臓死のままにしておき、本人が臓器提供の意思を明確にしている場合に限って「脳死を人の死」と認める点だ。これは論理的には矛盾している。が、この考えは、医学の進歩によって出現した「脳死」という新しいタイプの死を、“本当の死”だと認める合意が日本人の間にできていない中で、臓器提供を表明した人の意志を尊重し、それを待ち望む患者や家族の希望もかなえようとした“苦肉の折衷策”である。
 
 私は、現時点での現行法の改正の必要を認めない。特にA案は、改悪ではないかと思う。心臓が拍動し、体がまだ温かい肉親を前にして、そこから「臓器を摘出して他人に提供する」という気持になる日本人は、まだ少ないに違いない。4歳の子供の場合、急性脳症で脳死になった女の子は、人工呼吸器を着け、見た目は眠っているような状態の中で、身長は伸び、体重も増え、涙を流し、排泄もするから、45歳の母親は「脳死は人の死では絶対ありえない」と『産経新聞』に訴えている。(6月8日付)さらに、A案で明確でないのは、この改正で「脳死は人の死」とした場合、大人を含めて、こういう状態の患者の治療が法改正後も継続されるのかどうかという点だ。継続されないのであれば、これは日本人の死生観に反する法改正と言わざるをえない。臓器を“取られる側”も“得る側”も同じ日本人(が多いの)だから、両者が対立するような法改正は“悪法”と言わざるをえない。
 
 ところで、あらためて書く必要はないかもしれないが、生長の家では「脳死は人の死」とは認めないどころか、「心臓死は人の死」とも認めない。「人間は不死である」というのが生長の家の教えであり、多くの宗教もそのように説いている。つまり、「肉体の死」は「人間の死」を意味しない。ということは、臓器提供の意思がある人は、そのことを明確に示しておけば、移植手術への協力はできるし、そのような愛他精神は称賛に価すると言える。しかし、そうでない場合、後に残される親族の気持を無視して脳死者の肉体を傷つけることは、宗教や信仰以前の問題だと思う。刑法に死体遺棄罪や損壊罪があるのは、死者の遺族のそういう気持を慮っているからではないだろうか。
 
 谷口 雅宣

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2009年3月13日

米でES細胞の研究が拡大

 1月24日の本欄で、発足したばかりの米オバマ政権がES細胞の利用規制を緩和するとの観測を紹介した。また、2月6日には、ES細胞とiPS細胞の2つを比べながら研究を進める方法を、再生医療研究者は求めているらしいと書いた。その理由は、前者は“本物”だが後者は一種の“代用品”だから、代用品の優秀さは本物なくしては分からないというものだった。そして、3月10日の『ヘラルド・トリビューン』紙は、オバマ大統領がブッシュ時代に禁止されていたES細胞研究への連邦予算の支出をついに解禁する、と伝えた。その記事を読むと、アメリカのES細胞研究は、今回の大統領の決定だけでは“一挙進展”とはいかないようだ。その理由を述べよう。
 
 ブッシュ政権下のアメリカでは、人間の受精卵を使った研究を禁止するための法律改正が議会によって行われていたから、研究範囲が実際に大幅に拡大されるためには、議会がオバマ氏の方針に賛成して法改正を行わねばならないのである。この法律による禁止条項は、通称“ディッキー=ウィッカー改正条項”と呼ばれるもので、1996年に成立して以来、議会によって今日まで毎年、延長され続けてきた。そこでは、具体的には、国民の税金を使って人の受精卵を作成することと、受精卵を壊したり廃棄すること、さらに受精卵が傷つく可能性を知りながら、その危険を冒すことが禁じられている。これらの法の縛りがなくなるまでは、“全面解禁”とは言えない。

 しかし、今回の大統領令によって、すでに作成されたES細胞株を使った研究には、連邦政府の予算がつくことになる。だから、アメリカにおけるこの分野の研究は今後、大幅に伸びることが予想されるのである。『朝日新聞』もそう考え、今日(13日)の社説で「オバマ大統領は、政治や宗教にゆがめられない健全な科学政策を目指している。今回の発表もその大きな一歩といえる」と大いに持ち上げている。

 が、宗教が科学を「ゆがめる」という考え方はおかしい。科学は「善悪の価値判断をしない」ことで発達してきたことは認めるが、そのことによって生物化学兵器や核兵器の製造が行われてきたことも事実である。宗教が科学の使い方に関与することは、必ずしも「ゆがめる」ことにはならず、「正す」場合もあるはずである。にもかかわらず、宗教が関与しないことが「健全」だとするのは、大いなる偏見である。また、オバマ政権自身は、科学政策について「政治や宗教にゆがめられない」という表現は使っておらず、「科学と政治を分離するという公約の一環として」(as part of a pledge to separate science and politics)この政策を実行したと言っている。『朝日』の記事では、この「政治」(politics)という言葉が、いつのまにか「宗教」にすり替わっているのである。

 ところで、私のES細胞研究についての見解は、1月24日の本欄などですでに何回も述べたので、ここでは繰り返さない。日本は何でも「アメリカの右に倣え」をする癖があるから、今後、iPS細胞の研究だけでなく、ES細胞研究の規制緩和への圧力が強まることが予想される。私は、受精卵を使わない前者の研究は条件付きで支持するが、ES細胞研究には反対の立場を崩すつもりはない。
 
 谷口 雅宣

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