2009年7月 7日

アメリカ伝道本部が太陽光発電を導入

 前回は、生長の家総本山の“炭素ゼロ”達成をお伝えしたが、生長の家の温暖化抑制努力は海外でも展開されている。米カリフォルニア州ガーデナ市にあるアメリカ合衆国伝道本部は、昨年10月から太陽光発電装置の設置を検討してきたが、今年6月末には、同Ushqsolarsys 市による設置審査が行われ、南カリフォルニア・エディソン社によるソーラパネルの設置も終り、あとは発電メーターの取り付けを待つばかりとなった。勅使川原淑子・アメリカ教化総長が同伝道本部の屋根に設置されたシステムの写真を送ってくださったが、発電容量や、同伝道本部の電気使用量との比較などの細かい数字は分からない。設置費用は約8万ドル(770万円)で、これによって同伝道本部の事務局サイドの電気使用量(月約2千kWh)をほぼまかなうことができるそうだ。

 勅使川原総長によると、同本部の近隣には太陽光パネルを設置している会社や民家は見当たらず、生長の家のような非営利団体(宗教を含む)が太陽光パネルを設置することは珍しいこともあって、同市や州からの設置許可を得るのに予想以上の時間がかかったという。また、伝道本部を訪れる信徒はもちろん、信徒以外の人々への環境意識の啓発にもつながっていて、幹部の間に喜びが広がりつつあるという。同教化総長は、「車社会のカリフォルニアですが、伝道本部の建物が2階建てですので、道行く車からも目にもふれやすい位置にパネルが設置されており、日ごとに多くの人々に影響を及ぼすものと期待しています」と言っている。

 カリフォルニア州は“日照州”(sunshine State)という異名もあるくらいだから、日照時間も長く、よく乾燥するので野火や山火事が多いのが心配なほどだ。この太陽光発電導入をきっかけにして、「自然と共に伸びる」という言葉の通りにアメリカでの運動が飛躍的に発展することを期待したい。今回の装置導入を決定した同国の幹部・信徒の方々の熱意と、“炭素ゼロ”運動へのご協力に心から感謝申し上げます。

 谷口 雅宣

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2009年6月26日

宗教の社会的貢献

 地球温暖化抑制や貧困撲滅という人類的・国際的要請との関係で近年、企業の社会的責任が注目されている。英語ではコーポレート・ソーシャル・レスポンシビリティー(corporate social responsibility)といい、「CSR」と略称される。企業が国際化し巨大化すると、一国の法律では規制できない数々の“網の目”をかいくぐって、多国籍企業が利潤追求のために“不正”を行える可能性が増えてくる。また、大企業は、工場や事務所の進出や撤退、投資、M&Aなどを通じて、地域社会や一国の経済にも影響を与える可能性をもっている。そういう点に着目して、企業活動に倫理的な判断を要請する考え方である。宗教の世界では、あまりそういうことが言われないが、私は公益法人である宗教こそ、そういう視点に敏感であるべきと思う。
 
 現在、宗教法人を含めた公益法人制度の見直しが行われているが、その背景には、きっと上記のような企業活動に対する社会的要請とのバランスの問題があるのだと思う。つまり、現在、宗教法人は原則的に収益に対して非課税である。その理由は、「宗教活動=公益」という古い、単純な考え方によって、宗教が“公益”を目的とした法人(公益法人)だと見なされていてるからだ。しかし、実際の宗教活動の中には、必ずしも公益とは呼べないようなものも含まれるとともに、「宗教法人」という看板を隠れ蓑にして、公益目的でない(もっとありていに言えば、詐欺的な意図をもった)団体が活動する余地が残されているからだろう。私はもちろん、宗教は公益に貢献していると信じる。しかし、宗教は基本的に「心」を扱うものだから、外からは分かりにくいところがあり、それが「うさん臭さ」や「教団の利益優先」というようなマイナスの印象を生んでいることも事実である。
 
 そこで、そういう誤解を払拭するためにも、社会的貢献の“客観的な指標”があるならば、宗教団体はそれを活用して、わかりやすい形のCSRを行う義務があるのではないか、と私は思う。生長の家が、環境経営の国際指標である「ISO14001」の取得に乗り出したのも、そういう視点があったからである。今日、生長の家は国内にあるすべての事業所で「ISO14001」を取得しただけでなく、海外に於いても取得への取り組みを進めている。が、この取り組みだけで社会的責任が果たせているとは思えない。そこで、現下の喫緊の課題である地球温暖化抑制のために“炭素ゼロ”(二酸化炭素の排出をゼロにする)という高い目標を掲げた運動が開始されたのである。その考え方にのっとり、生長の家は排出権を購入し、信徒の移動で排出されるCO2を金銭的に相殺するカーボン・オフセットを一部で実行し、さらに植林活動などを展開している。
 
 が、この“炭素ゼロ”を目指した運動は、しかし1つの矛盾を抱えている。それは、現在の社会全体が、まだ化石燃料を主要エネルギーとする産業構造と政治制度を温存しているからである。この環境の中では、何かを強力に推進しようとすると、必ず化石燃料を燃やすことにつながる。その逆に、化石燃料を燃やさないようにすると、宗教活動を推進することが困難になりがちである。この矛盾を乗り越えるためには、宗教団体内部の努力だけでは、どうしても限界がある。社会に対して、化石燃料を燃やさない方向へ動くように、何らかの働きかけをする必要が生じてきているように思う。
 
 谷口 雅宣

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2009年6月11日

日本の中期削減目標は「90年比-8%」

 麻生首相は10日、2020年までの日本の温室効果ガス削減の中期目標を発表したが、既報のとおりそれは「05年比15%減」である。これは、日本が議長国として成立させた京都議定書の基準年(1990年)と比べると「-8%」であり、同議定書目標値--2012年までに1990年比-6%--から、8年間にわずか2ポイントの削減をすれば足りる目標である。にもかかわらず、同首相は「この目標は石油危機の時を上回るエネルギー効率の改善をめざす極めて野心的なもの」と自画自賛したそうだ。その理由は恐らく、アメリカの現在の中期目標が「90年比0%」、カナダが「同-3%」、オーストラリアが「同-5%以上」であるのと比べたからだろう。しかし、EUは「同-20%以上」を掲げているから、日本のこの目標値では、中国、インドなどの新興国や、温暖化の被害が深刻な発展途上国からの譲歩や評価を受けることは難しいだろう。ただ、留意しておきたいのは、この目標値が海外からの排出権購入などを含まず、国内対策だけで行うとした“真水”分の数値であることだ。
 
 これに対する新聞の評価は、実にまちまちである。私は自宅で『朝日』と『産経』をとっているが、特に2紙の態度は対照的だ。前者は、これを「緩い目標を求める経済界と、厳しい目標が必要だという環境団体の主張の間をとった」と表現し、「先進国全体で90年比25~40%削減する必要がある」との認識がEU、途上国、新興国間で広がっていることを指摘して、京都議定書に続く条約として国際間で今後決まる正式な目標策定では、「より大きな削減目標を迫られる可能性がある」と予測している。これに対して後者は、「日本の実績を踏まえれば“2005年比4%減”が妥当な目標であった」と残念がり、「日本に苛酷な重荷がのしかかる」にもかかわらず、「身を削る思いで達成しても地球の温暖化防止には、焼け石に水であるのがむなしい」と嘆いている。『朝日』は、「温室効果ガスの削減に努力すればするほど技術革新が促され、産業や社会の低炭素化とともに新たな経済成長の道も開ける」と主張して、未来に目を向けているが、『産経』は、この目標を「国の経済と国民生活にかなりの苦痛を強いる」と消極的に評価し、経済団体の見方を代弁するかのように、「目標達成に向けて多額の設備投資負担を強いられ、国際競争力の低下を招く恐れがある」としたり、「国内経済の空洞化が加速するとの懸念が高まっている」と否定的だ。
 
 しかし、数字だけでは分からなくても、具体的な政策や省エネ努力を見ると分かることもある。例えば、政府は今回掲げた目標値を達成した際のシミュレーションをしているが、そこには「どこの家庭にも省エネタイプの冷蔵庫やエアコン、薄型テレビがあり、街を走る自動車の20%がハイブリッド車などのエコカー」(『産経』)になった姿が描かれている。あと10年でこれを達成することが、日本の平均的家庭にとって「過酷な重荷がのしかかる」ことだと私には思えない。また、今回の目標値決定で“目玉”になっている施策は太陽光発電の導入促進だが、政府は今後、家を建てる人の7割以上が同発電装置を導入すれば、10年後には、現状の20倍の約530万世帯に同装置が設置される、と予測している。この「530万世帯」とは、東京都に例をとれば、2000年時の一般世帯総数に匹敵するから、これを10年間で実現するというのは、確かに「野心的」と言っていいだろう。このため、太陽光発電による電力の買取り価格を現行より引き上げる代りに、電力使用料を値上げする方策の実施がすでに表明されている。私はこの点に、好意的に注目している。

 しかし、国際的環境保護団体であるWWFは、早くも10日付の報道でかなり手厳しく日本の中期目標を批判している。それによると、日本が今回、京都議定書の基準年でなく2005年を削減目標の基準としたことは、「日本は1990年のレベルから排出量を減らさなければならないのに、実質的な行動をせずに、逆に7%以上増えたことを見えなくするためである」としている。また、日本がすでにエネルギー効率を向上させているため、これ以上の努力はコスト高となり不公平だという議論に対しては、各国の排出削減努力は、コスト分析に加えて、一人当たりのGDPなどで表される「行動余力」と、過去から現在に至る一人当たりの排出量で示される「排出責任」を基にして判断すべきものとしている。そして、麻生首相に対して、「すぐに考えを変え、コペンハーゲンでの国際交渉に向けて25%以上の削減目標を設定することで、真の指導者としての能力を発揮すべきである」と呼びかけている。
 
 谷口 雅宣

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2009年6月 5日

環境対応車の行方

 アメリカの“ビッグ3”の凋落を目の前にしている今、ガソリンやLPGなどの化石燃料で走る自動車の将来は見えたと言える。では、次世代の自動車の主力は何か? これに答えるのは難しい。なぜなら、「次世代」という言葉の意味する期間をどうとらえるかで、正解が変わる可能性があるからだ。恐らく「10年先」「20年先」「50年先」で、主力となるテクノロジーは大いに違ってくる。その動向は、科学技術の進展と密接に関係しているから、私のような素人には予測不可能である。そこで本欄では、「次世代」をとりあえず「10年先」と考え、自動車の技術が「どこへ向かうか」ではなく、「どこへ向かうべきか」と考えた場合の“希望的予測”を述べようと思う。
 
 私はこの場合、①電気自動車、②ハイブリッド車、③燃料電池車、というランクづけをしたい。「どこへ向かうか」と考えた場合、①と②は入れ替わると思う。が、私は、「どこへ向かうべきか」という視点から、電気自動車の開発を大いに希望するのである。理由は、電気自動車は、化石燃料を主体とした現在の自動車燃料のインフラを大きく変更する可能性があるため、人類の化石燃料依存からの脱却を加速させるのに対し、ハイブリッド車の蔓延は、化石燃料のインフラ維持を正当化するため、地球温暖化の抑制という点では効果が劣ると思うからである。
 
 むずかしい書き方をしてしまったので、具体的に説明しよう。本欄の読者ならば、現在の自動車ユーザーの好みが、GM車のような大型大馬力のものから日本車のような小型低燃費のものにシフトしている点は、すでにご存じだろう。“石油ピーク説”を支持している私としては、ガソリンの値段が将来急速に下がることはないと考えるので、自動車ユーザーの「小型低燃費志向」も当分変わらないと考える。このことは、現在のハイブリッド車人気が有力に示している。5月12日の『日経』は、軽自動車を除く国内の乗用車販売に占める環境対応車の比率が、今年度にも1割を超すと予測した。実際、ホンダのハイブリッド車の国内販売台数は、今年度は前年度比の5倍もあり、トヨタのハイブリッド車も約5割増が見込まれている。
 
 6月に入ってから、新聞各社はたて続けに“次世代”志向の環境対応車の販売計画を伝えている。まず、トップランナーのトヨタは、本欄では(2006年2月3日6月14日などで)と「充電式ハイブリッド車」呼んできたプラグインハイブリッド車(PHV)を今年末にリース販売すると発表した(4日付『産経』『朝日』など)。これに対し、電気自動車で先行する三菱自動車は、「プラグイン電気自動車(PEV)」と称する車種を、2013年までに国内で発売すると発表した。PHVとPEVの共通点は、ガソリンエンジンと電気モーターを1基ずつ搭載し、家庭用電源から充電できることだが、相違点はPHVがガソリンエンジンを動力として使うのに対し、PEVはこれを発電用に特化している点だ。小さい体躯なのに動力源を2つも搭載する理由は、現在電気容量で最高水準にあるリチウムイオン電池をもってしても、1回の充電で160kmほどしか走れないからだ。その不足分を、PHVはガソリンエンジンで直接補い、PEVはガソリンエンジンで発電することで間接的に補うという戦略である。
 
 これに対して、4日付の『産経』によると、日産自動車が来年から発売するという電気自動車(EV)は、この「充電容量の不足」の問題を画期的な方法でクリアすることを目指している。それは、電気自動車に対して現行のガソリンスタンドの役割をする充電スタンドを各地に設け、電気の残量が少なくなったEVの電池をフル充電のものと交換するシステムである。これだと、ガソリン車の給油に必要な時間と同程度の時間で電池交換ができるという。このシステムについては、昨年12月8日の本欄で少し紹介したが、米カリフォルニア州のベンチャー企業が普及を進めているもので、すでにポルトガルやイスラエルなどで実証実験が行われている。国内では、この4月から横浜市で実証実験が始まっているから、日産は来年からの販売が可能と踏んだようだ。
 
 上に書いたように、ハイブリッド方式の自動車は、PHVもPEVも化石燃料への依存を払拭できない。これらは、1台の車に2系統の動力を積むという技術的な複雑さを伴うから、居住性や運搬重量、コストの点で1系統の動力車より不利である。この点、電気モーターしか使わないEVは、シンプルな構造が保証されるから低コスト化が期待でき、不要な1系統分の容積を居住性と運搬重量に振り向けることができる。しかし、問題は電池交換のためのインフラ整備である。これを「不利」と見るか「有利」と見るかは意見の分かれるところだろう。が、私は、短期的には不利であっても、中・長期的には社会全体にとって有利だと考える。そういう意味で、今回の日産の決断を私は大いに応援したい気持である。

 私が電気自動車の将来性を買う理由は、もう1つある。それは今後、蓄電池の技術が進歩することで、2系統の動力を組み合わせて使うハイブリッド技術は不要になると思うからだ。現在のリチウムイオン電池の性能で、EVは160km走るというが、これは直線距離で東京から静岡市、諏訪市、黒磯市までだ。5月20日の『朝日』によると、日立製作所はこのほど、従来型の1.7倍の出力をもつリチウムイオン電池を開発し、2013年から量産する予定だという。この新型電池だと、単純計算では1回の充電で東京から名古屋、新潟、仙台まで行けそうだから、大抵の用途はこれで済んでしまう。だから、PHVもPEVも、あと4~5年で競争力を失う可能性があるのである。それなら、インフラ整備に多少時間とコストがかかっても、電気自動車の開発に注力するのが得策だと私は思う。
 
 谷口 雅宣

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2009年5月27日

自然エネルギーは無限? (2)

 本欄に25日に出した“クイズ”の正解を言おう。
 現在、地球に存在していて利用可能の自然エネルギーの量は、

 ①水力 → 7.2TW
 ②風力 → 870TW
 ③太陽光→ 86,000TW
 ④地熱 → 32TW

 ということのようだ。
 これに比べて、人類全体が現在消費しているエネルギーの総量は「15TW」でしかないのだそうだ。

 この数字が正しければ、太陽エネルギーの利用技術を開発することで、人類のエネルギー問題は解消してしまうことになる。私はこの数字を知って、まさに“目覚むる心地”がしたのである。英語にも「eye-opening」という言葉がある。目がまん丸に開いてしまうとと共に、スッキリと問題が整理されるということだろう。それに、上に掲げた自然エネルギーの分類は、厳密にいうと“排他的”でない。つまり、それぞれの分類の中に他の分類の要素が混じることがないのが“排他的”選択肢だ。ところが、「水力」とは、地上での水の循環(降水 → 河川 → 海水 → 蒸発)の力を利用したエネルギーだから、これが起こる原因には太陽から来る熱が含まれている。また、「風力」が得られるのも、太陽から来る熱が大きな原因だ。「地熱」についても、地球が誕生した原因は太陽だから、地中のマグマは太陽からの恩恵でもある。

 このように考えていけば、人類が太古から「太陽神」を拝んできたことは、まったく“合理的”と言えるのではないか? 太陽エネルギーはまた、我々人間の肉体を内部から支えてくれてもいる。何のことかといえば、それは「人間の食物」のことだ。食物連鎖のピラミッドを思い出してほしい。最下段にあるのは「植物」だが、これは太陽エネルギーを光合成によって内部に取り込んで生きる。この植物の貯めた栄養素を食べて「動物」が生きている。そして人間は、この双方を食して肉体生命を維持しているのだ。
 
 では、化石燃料とは何か? それは、太古に生きた植物や動物の死骸が地中深くに埋もれ、永い時間の経過の中で化学反応を起こし、可燃性の固体や液体、気体に変化したものだ。ということは、これまた太陽の恩恵なくして考えられない。今日、人類が抱えている最大の問題である地球温暖化は、これらの太陽エネルギーの蓄積を“正しく”利用できていないところに原因がある。言い直せば、地下に蓄積された太陽エネルギーを偏って利用しているために、地上と大気圏内での太陽エネルギーの循環を加速させているということだろう。となると、これを抑制するためには、地下に蓄積されたエネルギーの利用を減らし、地上で得られるエネルギーをもっと利用すればいい。つまり、地下資源の利用を減らし、地上資源の利用を増やすことで事態は解決する。中でも、太陽光の直接利用はきわめて合理的と言わねばなるまい。

 最初に掲げた数字から単純計算をすれば、太陽は、現在の人類のエネルギー需要の実に「5,700倍」もの莫大なエネルギーを、常に地球に降り注いでくれているのである。
 
 --天照御親神の大調和の命射照らし地球(くに)静かなりぃ~。
 
 谷口 雅宣

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2009年5月25日

自然エネルギーは無限?

 夕食時に帰宅した私に向かって、妻がやや紅潮した顔で今日の英語のレッスンで学んだことを教えてくれた。ニュース記事等をもとにしたヒアリングと読解、ディスカッションの教室だが、まずカナダ人の先生が作ったクイズを生徒みんなでやったところ、彼女は全問正解だったというのである。そのクイズとは、地球上で得られる自然エネルギーの量と、現在、地球全体で人類が消費しているエネルギー量を比較して、どのエネルギーがどのくらいの量かを当てるものだという。ここでいう自然エネルギーとは、①水力、②風力、③太陽光、④地熱、の4種類で、これらの利用可能量と、人類全体のエネルギー消費量(⑤)がそれぞれどれほどか、というのである。

Squares  もちろん、専門家でもなければそれらの数字をすべて覚えていないから、5つのエネルギーの数値が概数で示されている。だから、それら5つの数字が、それぞれどのエネルギーに当てはまるかを言えばいいのである。エネルギーの単位は「ワット(W)」であるが、量が大きいので、「1兆ワット」を意味する「テラワット(TW)」の単位で表記する。すると、ここに掲げた図のように、それぞれのエネルギーは「86,000」「870」「32」「15」「7.2」のうちいずれかに当てはまるという。図の中の「 a~e」の四角にエネルギーの名前を記入せよ--こういう問題である。
 
 エネルギー量の見当をつけるために、例を挙げると、1960年代から1990年代にかけて製造された最も強力なレーザー照射装置の出力が、だいたい「数TW」だという。ただし、照射は、何10億分の1秒しか続かなかった。また、雷が生み出すエネルギー量は最大で「1TW」ほどだが、この場合も3万分の1秒の間だけだという。読者は、どの箱にどのエネルギーが入るか分かるだろうか? 頭をひねって挑戦してみてほしい。
 
 1つヒントを言おう。私はかつて(5~6年以上前に)太陽光発電に関する専門家の本を読み、「現在、日本全体で消費するエネルギー量を太陽光発電だけから得ようとして、発電パネルを敷き詰めていくと、四国の3分の1ほどの面積があればいい」ということを知った。そして、「なんだ、それならエネルギーの自給はできる」と驚いたものだ。このクイズの解答を知ったときも、この時と同じような驚きを感じたのである。
 
 谷口 雅宣

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2009年5月20日

自動車は“環境性能”重視へ

 アメリカにオバマ政権が生まれたことで、同国内はもちろん世界各地で様々な変化が起こっているが、今後の自動車の開発競争は“環境性能”をめぐるという方向に決まったようだ。本欄等で何年も前からそれを訴えてきた私としては、うれしい限りだ。この分野で世界をリードしてきた日本の自動車産業にとっても、歓迎すべきことだろう。これはアメリカ時間の19日、米政府が発表した自動車の燃費規制の強化策によるもので、19~20日付の新聞各紙が伝えている。
 
 それによると、今回の規制強化策は、すでに決定していた米政府の燃費基準強化策の実施を、当初予定の2020年から2016年に4年繰り上げるというもの。この燃費強化により、2016年以降、同国で販売される自動車は、1リットル当り「15.1km」以上でなければならないことになる。現行は「10.6km」以上だから、業界にはかなり大幅な燃費向上が求められることになる。また、20日の『日本経済新聞』の説明によると、新政策では、この“最低基準”とは別に“目標値”として「16.5km」が求められているが、この数字は、現在のホンダの新型ハイブリッド車「インサイト」の燃費に相当するという。つまり、日本の先端的自動車の環境性能は、アメリカより7年も進んでいるということだ。
 
 しかし、同じ『日経』の別の記事では、トヨタとホンダのハイブリッド車の燃費が比較されていて、そこではトヨタの「旧型プリウス」の最高燃費が「35.5km」、「新型プリウス」が「38km」、ホンダの「インサイト」は「30km」になっている。ということは、アメリカでの燃費基準は「最高燃費」ではなく、別の数字(平均燃費?)によるものらしい。また、この新規制は2016年に突然始まるのではなく、2012年から現行の基準を毎年5%ずつ引き上げることで実施するというから、アメリカの自動車業界は、“待ったなし”の厳しい転換を迫られることになる。
 
 20日付の『ヘラルド・トリビューン』紙によると、米政府のこのような厳しい規制に対して、自動車業界は猛然と反発していると思いきや、「これは我々が求めてきた全国一律の基準であり、実施への時間的余裕も製品開発計画上、無理がないものだ」と歓迎しているというから、驚いた。同記事の分析では、米業界のこのような方針転換は、政治的状況の変化と業界の脆弱な経済体質によるものらしい。つまり、業界寄りの共和党政権が倒れたうえ、老舗のクライスラーの破産に加え、最大手のGMも、政府から大量の資金援助を受けてなお合理化を進めなければならない状況だから、“牙”を抜かれてしまったのだ。

 このような経緯を考えてみると、今回の経済危機は必ずしも“悪い結果”だけを生み出しているのではないことが分かる。困難は時として人間を苦しめることがあるが、その困難を乗り越えることで、新しい可能性に向かって飛躍するものもいる。私は、日本の自動車メーカーがさらに優れた環境性能を実現してほしいと願っているが、それと同時に、アメリカの自動車業界の中から、そのような“ヒーロー”が必ず頭をもたげてくると期待している。
 
 谷口 雅宣

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2009年4月22日

日本を“資源大国”と呼ぶべきか?

 アメリカの経済誌『Forbes』の日本版が、6月号で「“資源大国ニッポン”のポテンシャル」という題の特集記事を組んでいる。私はすでに昨年の8月20日9月5日の本欄で、21世紀の今は、日本を「資源小国」と呼ぶ古い発想を切り替えるべしと提言し、地熱発電に加え、「太陽エネルギーや風力、潮力などの“地上資源”に注目すれば、まったく違う可能性が展開してくる」と述べた。この特集記事は、それと全く同じアイディアを述べているのではないが、“言葉の力”を使って人々の発想の転換を図るという意味では、大いに好感がもてる。

 しかし、特集の内容を細かく読むと、日本周辺の海底資源には大きな可能性があるから、その開発に注力せよという主旨だ。特に、メタンハイドレートとレアメタル、レアアースの開発を進めろという内容だから、地球温暖化の問題を真剣に考えているとは思えない。メタンハイドレートとは、メタンと水が低温高圧下で結晶化したもので、東海・近畿の南方にある「東部南海トラフ」と呼ばれる海域などで鉱床が確認されている。これを堀り出してメタンガスを抽出し、エネルギー源にしようという構想である。これが混じる砂層は、水深1千メートルほどの海底からさらに300~400メートル下にあるらしい。そういう「深層」に多くあることが分かっているのに加え、海底や湖底の「表層」にもあるらしい。これまでの調査によると、日本で1年間で消費する天然ガスの量に換算して、100年分のメタンハイドレートが日本周辺の海域には存在しているという。
 
 読者はすでにお気づきと思うが、これは一種の化石燃料である。だから、石油や天然ガスをエネルギー源として使うのと同じ問題--温室効果ガスの排出--がある。その点にこの特集記事は何も言及していない。また、ここでは自民党の中川秀直・衆議院議員がインタビューに答えて、こんな発言もしている--
 
「南海トラフに相当量あると予測されるメタンハイドレートと、銅・鉛・亜鉛・金・銀の重金属やゲルマニウム、ガリウムなどのレアメタルを含む海底熱水鉱床が期待されるのは当然ですが、今まであまり期待感のなかった石油・天然ガスについても、探査・開発が海洋政策の柱の一つに位置づけられた点に注目しています」

 この言い方だと、海洋資源の開発と利用の仕組みが整ってきたから、日本は周辺海域の資源をどんどん開発し、エネルギー源やハイテク機器の材料として利用するのがいい、と言っているように聞こえる。中川氏だけでなく、この特集全体が、なぜ地球温暖化の問題に触れないのか、私は不思議に思うのである。中川氏は、自民党の政調会長だったときから海洋基本法の制定に尽力してきた人だが、今後の展望を次のように評価する--
 
「昨年3月に閣議決定された海洋基本計画では、当面の探査・開発の対象として、石油・天然ガス、メタンハイドレート、海底熱水鉱床が挙げられています。そのうち、メタンハイドレートと海底熱水鉱床については、今後10年間で商業化を実現する目標が立てられています」

 私は、日本としては地球温暖化の原因となる化石燃料のようなエネルギー資源の開発はやめて、今後は風力、潮力、波力等の再生可能エネルギーの開発に全力投球すべきと考えるのだが、同氏によると「波や潮流による自然再生エネルギーも可能性の高いところですが、今いちばん注目されているのがエネルギー・鉱物資源です」ということになるらしい。だから、ここでいう「資源大国」という言葉の背後には、あまり新しい発想はないようである。
 
 谷口 雅宣

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2009年4月21日

本欄が書籍に (8)

 このブログを単行本化した「小閑雑感」シリーズの第13巻、『小閑雑感 Part 13』(=写Part13_gm)が、生長の家の3大運動組織の全国幹部研鑽会と全国大会を期して、5月1日付で世界聖典普及協会から発売される。本欄の昨年3月から6月までのブログ79篇を集めたもので、同協会にはすでに入庫しているので入手可能と思う。カラーのスケッチ画や写真が23点入り、268ページ、定価は1,400円(税込)である。今からちょうど1年前の記述を含むので、特に経済の動向などで今の状況との違いが顕著にわかる。例えば、現在のアメリカや日本などの先進国の経済は“戦後最悪”の局面だと言われているが、1年前の3月22日のブログには「食糧危機が近づいている?」と題して、次のようにある:

「このところ食品の値上がりが続いている。これは日本だけのことではなく、世界的な現象だ。原因もわかっているが、効果的な対策が講じられているとは思えない。原因は、①中進国の経済発展に伴う動物食の増加、②気候変動による農業生産の不安定化、③石油の高騰、④バイオエタノール・ブーム、などだ」(p.59)

 ところが今は、外食の需要が減り、石油の値段は下がり、バイオエタノールはだぶついている。“経済危機”の到来で大量の失業者が出ているから、外食をする人も、自動車に乗る人も減っているのである。これは“悪い”方向への変化とも言えるが、“よい”方向への変化もある。昨年の5月14日に私は「“放置国家”から脱出しよう」と題して、日本政府の環境対策がEU諸国に比べて遅れていることを、次のように苛立っている:
 
「これ(“福田ビジョン”)はかけ声としては相当“意欲的”に聞こえるが、すでにEUが掲げている目標と変わらない。では、EUが実施している温暖化対策に近いものを日本が今、行っているだろうか? 答えは“ノー”である。環境税も排出権取引も、自然エネルギー支援のための優遇策も、ほとんど内容のあるものは実施されていない」(p.147)

 しかし、今年は“経済危機”の中で総選挙をにらんだ政府・自民党が、「グリーン・ニューディール」と称して新たな環境対策を打ち出している。例えば、自動車関連の経済刺激策では、一定の排ガス・燃費基準を満たした車の自動車重量税などを軽減したり、新車購入後13年以上の車を廃棄して環境対応車の新車を購入する場合、普通車で25万円、軽自動車で12.5万円を補助。それ以外に一定の排ガス・燃費基準を満たした新車の場合には、普通車で10万円、軽自動車で5万円を助成するなど、実質的な対策が講じられるようになった。この点は評価されていいが、これらは一時的な優遇策の域を出ていない。これに対し、環境税や排出権取引は、長期的視点に立った税制改正と新制度の導入だ。今の政府は、そこまでの改革には及び腰ということだろう。
 
 このように、現象世界は変転きわまりないということが、1年を経過してみるとよくわかる。しかし、変化せずに続いている“流れ”や“傾向”もあるし、季節の変化のような“繰り返し”もあることは事実である。特に、経済の変化は、1~2年の短期では激しく感じられても、“揺れもどし”が来るのが原則だから、中・長期的には同一パターンの繰り返しになることが多いのは、よく知られている事実である。短期的な変化に目を奪われていると、中・長期的な流れを見失う危険がある。地球温暖化問題の解決には長期的視点が必要だ。その視点から見れば、私はこの1年で“流れ”や“傾向”が変わったとは思わない。

 谷口 雅宣

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2009年3月24日

なぜ今「地球環境工学」か? (3)

「地球環境工学」を語りながら、私はここまで肝腎なことを1つ書かなかった。それは、この新しい科学技術が「具体的に何をするか」ということである。前回紹介した『NewScientist』誌は、この技術について「地球の自動温度調節装置を調整すること」と表現し、具体的手法として、太陽光を拡散させて弱めるために「大気中に微細な塵をばらまく」ことや、「宇宙空間に鏡を大量に打ち上げる」ことなどを挙げている。しかし、その一方で「植林」も地球環境工学の“原始的方法”だとしているところを見ると、若干、概念の混乱があるのかもしれない。が、読者にこの概念のイメージを理解してもらうために、同誌の挙げている例をすべて列挙してみる:

(1) 宇宙鏡の設置(space mirrors)--上述の通り。

(2) 植 林(foresting)--省略。

(3) エーロゾル散布(aerosols)--成層圏に煙霧質の粒子を散布する。

(4) 人工雲の作製(cloud seeding)--海水を粒子にして大気中に散布する。

(5) 人工木の埋設(artificial trees)--炭素を固定した人工木を地中に埋める。

(6) 反射性作物の栽培(reflective crops)--太陽光の反射効率が高い作物を植える。

(7) 生物炭化法(biochar)--農業廃棄物を炭化させて土中に埋める。(2月9日の本欄参照)

(8) 海洋肥沃化(ocean fertilization)--海中への鉄分付加でプランクトンを活性化。

(9) 海洋への炭酸注入(carbonate addition)--粉末の石灰岩を海中に投入する。

 これらの具体策を見て気がつくことは、ほとんどのものが比較的安価に実行できることだ。「安価」という意味は、現在考えられている温暖化抑制のための諸方策--省エネ、省資源、リサイクル、炭素税、排出権取引、自然エネルギー開発など--に比べて、コストが安く見えるということだ。また、一国の決断で実行できるという点も見逃すことができない。この2つの要素は、しかし地球環境工学の長所であると同時に問題点でもある。なぜなら、安価で実行しやすい方策は、国際的な取り決めなしに、また環境への影響評価を軽視して実行されやすいからである。
 
 『NewScientist』誌によると、この危険性は実際、2005年11月にあったという。当時、国連のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の副議長で、ロシアの地球気象環境研究所の所長であったユーリ・イズラエル氏(Yuri Izrael)は、プーチン大統領に対して、ロシアは今すぐ大気圏に60万トンの硫酸塩エーロゾルを散布すべきだと提言したのだ。この方法は、上記のリストの3番目にあるものだが、2007年に行った実験によって、硫酸塩による太陽光の遮蔽は、地球のある箇所に深刻な旱魃をもたらす危険があることが分かったのだ。

 だから、このような危険性を無視して地球環境工学を実施することは、国際紛争の原因になるのである。事実、アメリカはベトナム戦争時代、敵のホーチミン・ルートの補給路を断つ目的で人工雨を降らせる実験をしたことがある。つまり、この技術は戦争目的に使用できるし、実際にそうされたことがあるのだ。これによって「国連環境変容技術の敵対使用禁止協定」(UN Convention on the Prohibition of Military or Any Other Hostile Use of Environmental Modification Techniques, ENMOD)が作られ、今日までにアメリカを含む70カ国が批准していることは重要である。この技術の“悪用”が、人類全体にとって、さらには地球全体の生態系にとって深刻な問題を投げかける可能性を忘れてはならないだろう。
 
 谷口 雅宣
 

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2009年3月23日

なぜ今「地球環境工学」か? (2)

 地球の平均気温に「4℃の上昇」が起こった場合の科学者のシミュレーションを、3月21日の本欄で紹介した『New Scientist』の記事から拾って紹介しよう。

 同誌は、それが起こった時の地球環境を「人類がかつて経験したことのない変わり果てた地球」だと表現する。が、人類が登場する前の地球には、そういう“温暖時代”があったらしい。それは今から5500万年前で、海底深くに凍結し化学的に封印されていたメタンが、地上に噴き出したことで始まったと言われる。これによって5ギガトンの炭素が大気中に放出され、地球の平均気温は5~6℃も上昇し、極地に熱帯林が出現したという。また、海には二酸化炭素が融け出して酸化したため、海洋生物の大量死が起こった。加えて、氷の融解によって、海面は現在より100メートルも高い位置まで上昇し、南アフリカからヨーロッパあたりまで砂漠になった。「4℃の上昇」が起こると、これと似た現象が起こると予測されている。
 
 これは理論上の想定で、実際に何がどう起こるかは、気温上昇のスピードと、極地の氷がどれだけ融けるかによって変わってくるらしい。が、この“温暖時代”の大きな特徴の1つは、現在の地球で人間の居住と食糧生産に適した場所の多くが、居住にも農業にも適さなくなることだ。また、水温の上昇による海水の膨張や、氷河の融解、高波などで、当初は海面が2メートル上昇し、さらにグリーンランドや南極の氷が融け出せば、さらなる海面上昇が起こるという。NASAのゴッダード宇宙科学研究所のジェームズ・ハンセン所長(James Hansen)によると、大気中のCO2の濃度が現在の「385ppm」から「550ppm」になれば、地球上から氷は完全に消え、海面上昇は80mに達するという。

 人類が居住地と農地を失う理由は、熱帯地域の砂漠化によるらしい。現在、地球上の土地の半分は北緯30度から南緯30度の熱帯に位置していて、この地域が特に気候変動に対して脆弱であるという。平均気温が4℃も上がると、例えば、インド、バングラデッシュ、パキスタンなどでは、短期間に激しい熱帯モンスーンが訪れる。これが、現在より洪水の被害を拡大する一方で、地表の熱は上がっているから、蒸発も速く起こる。そこで、アジア地域では旱魃が悪化するという。これらの影響で、バングラデッシュでは土地の3分の1が失われると予測されている。
 
 アフリカのモンスーンも激化するという。モンスーンが運ぶ雨により、サハラ砂漠から南方の地域は恐らく一度は緑化すると予測する人がいる。その一方で、アフリカ大陸全土を、深刻な旱魃が襲うとする予想もある。また、地表の温度が上がることで水分が減少するから、中国大陸、アメリカ合衆国南西部、中米地域、南米のほとんどと、オーストラリアで得られる淡水の量は減少する。サハラ砂漠は北上しながら拡大して、中央ヨーロッパに達する。さらに、温暖時代には氷河は消えてしまうから、ヨーロッパ・アルプス、ヒマラヤ、南米のアンデスなどからの水量は激減し、その結果、アフガニスタン、パキスタン、中国、ブータン、インド、ベトナムなどで水不足が深刻化するという。

 このように見てくると、地球上で人類が生活できる地域は、北極と南極に近いごく限られた土地ということになる。ガイア理論の提唱者であるジェームズ・ラブロック博士(James Lovelock)によると、極地付近の地域以外には人が住めなくなるため、「人類は極めて困難な状況に置かれるし、私は、こういう困難を切り抜けられるほど人類が利口とは思わない。人類は生物種としては生き残るだろう。しかし、今世紀中に出る犠牲者の数はとてつもなく大きくなる」という。
 
 地球環境の将来について、このように深刻な予測が、名の通った科学者や一流の研究機関の間にあることを知ってみると、そんな事態を防ぐためには「あらゆる手段を使うべし」という意見が出ることも頷ける。「今、地球環境工学の実地研究に乗り出すべきだ」という考えは、こういう文脈で表明されているのである。
 
 谷口 雅宣

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2009年3月21日

なぜ今「地球環境工学」か?

 私は最近、「ジオエンジニアリング」(geoengineering)という言葉が気になっている。アメリカの外交専門誌『Foreign Affairs』(フォーリン・アフェアーズ)が3~4月号の表紙の見出しにこの言葉を使ったし、イギリスの科学誌『New Scientist』が2月28日号(vol.201, No.2697)の論説の見出しに、やはりこれを使っている。

 ジオ(geo)とは「地球の」とか「地理に関する」という意味の接頭語だ。従って、ジオグラフィー(geography)は「地理」であり、ジオロジー(geology)は「地質学」、ジオポリティックス(geopolitics)は「地政学」である。エンジニアリングはもちろん「工学」のことだから、「地球」や「地球環境」を工学の対象とするのが「ジオエンジニアリング」である。新しい言葉だから、私の使う英和辞典にも英英辞典にもまだ載ってない。
 
 ご存じのように、遺伝子工学(genetic engineering)は、人間が生物の遺伝子を操作することによって、生物を人間の目的に合わせて制御したり、改変する学問だから、ジオエンジニアリングは「地球や地球環境を人間の目的に合わせて制御し、改変する学問」ということになる。私はそれを「地球環境工学」とここでは訳した。
 
 賢明な読者はすでにお気づきと思うが、著書や本欄などを通して遺伝子工学に疑義をはさんできた私にとって、「地球環境工学」はさらに疑わしい考え方である。それは私が、宗教家であるからではない。多くの科学者が「地球環境を人間の力で操作するためには、遺伝子操作よりもさらに慎重な配慮が必要だ」ということをよく知っている。第一、「今日の深刻な地球温暖化の原因は、人間の活動による温室効果ガスの増大である」という事実が、地球環境工学の難しさを証明していると言えるからだ。産業革命によって、我々は当初まったく意図せずに、地球環境を悪い方向に変える技術と文明を創造した。そして今日、悪いと知りながらも、この方向を逆転できないでいる。自分の行動の過ちを正せない人間が、何を今さら「地球環境工学」か?
 
 私が「ジオエンジニアリング」という言葉を目にした最初の印象は、そういうものだった。ところが今日、生長の家講習会のために滋賀県大津市に向かう新幹線の中で上記の『New Scientist』誌を読んだ私は、この学問が今、科学者の間では“最後の手段”として論議の対象になっていることを知った。私が言っているのは、経済危機とか北朝鮮のミサイルのことではない。現在の人類の意識と世界の政治・経済制度では地球温暖化を止めることができないから、人類の犠牲を最小限に食い止めるために、科学技術を動員して地球環境の操作に、あるいは少なくともそういう技術の研究に着手すべしという議論が、環境学者や気象学者の間で行われているのである。
 
「4℃の上昇」というのが、ここでのキーワードである。つまり、地球の平均気温の上昇がこのレベルに達すると、地球環境の変化は後戻りできない状態になるらしい。そして、何年後にこの段階に達するかといえば、あるコンピューター・モデルは「2050年」にはなるという。が、それは悲観的予測で、多くの科学者は「2100年」までにはそうなると予測しているようだ。我々の子や孫の時代だ。これはもちろん、現在の京都議定書での取り決めが実現せず、さらなる政治的努力も効果がないという前提に立っているのだろう。つまり、“最悪の事態”の到来を予測して、今から準備を始めるべきだとの考え方である。
 
 科学者がそれほどの危機感を抱く理由は、「4℃の上昇」が起こった場合の地球環境のシミュレーションを知れば了解できる。が、そのことは、次回以降に譲ろう。

谷口 雅宣

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2009年2月 9日

ラブロック博士は語る

 オーストラリアのビクトリア州での山火事は、東京都の1.5倍の面積を焼きつくし、死者は160人を超え、さらに燃え続けている。同国での史上最悪の山火事らしいが、山火事自体はこの夏の乾燥した時季のオーストラリアでは珍しくないそうだ。ただ、長期にわたる旱魃と猛暑続きは例年にない現象のようだ。メルボルンでは7日、観測史上最高の46.4℃を記録したという。この地はコアラの好物であるユーカリの森が多く、この幹や葉には油分が多いために、乾燥状態で引火すれば燃え広がるらしい。地球温暖化にともなう気候変動が影響しているならば、今回の山火事の犠牲者は、自然災害によるのでなく“人災”によるとも考えられるのだ。

 私がこんな言い方をするのは、地球温暖化によって大勢の人が死ぬという予想を、最近読んだからだ。イギリスの科学誌『New Scientist』の1月24日号に、「ガイア理論」で有名なイギリス人、ジェームズ・ラブロック博士(James Lovelock)のインタビュー記事が載っていた。今年90歳になるという同博士が、今の地球環境についてどう考えているか知ろうと思い、私はそれを読んだ。が、同博士は相当悲観的で、地球の温度が今世紀中に2℃上昇すれば、世界人口は現在の6分の1以下の10億人に減ってしまうという。
 
 ラブロック博士によると、現在行われている環境対策のほとんどは、巨大な詐欺すれすれのものだという。排出権取引は、政府から巨額の補助金を得られるから、金融会社や産業側がまさに望むところだろうが、気候変動に対してはほとんど効果がない。そのかわりに、多くの人々に多くの金を分配していい気分にさせるから、人々が真剣に考える時期が来るのを遅らせるだけだという。また、風力発電にも手厳しい。風力で1ギガワットの電力を得るには、2千5百平方キロもの土地が必要だから、風車はイギリスの美しい田園風景を破壊してしまう、と嘆いている。さらに、二酸化炭素を地中や海中へ固定することについては、「時間のムダだ」という。「気違いじみた」考えで、「危険だ」ともいう。時間がかかりすぎるし、エネルギーを浪費すると指摘する。
 
 原子力発電については、イギリス国内のエネルギー問題を解決する方法の1つではあるが、これによって地球全体の気候変動の問題は解決しないという。また、排出削減の方法としては、時間がかかりすぎるという。
 
 それなら、人類は破滅に向かっているのかと訊くと、博士は「我々を救う方法が1つある」と言う。それは「炭を大量に土中に埋める」ことだという。これは、例えば、農業から出る廃棄物には、植物が夏季に吸収した炭素が含まれるから、これを土中で分解しないタイプの炭に変えて、土に埋める方法を提案している。こうすることで、地球の物質循環システムの中からまとまった量の炭素を抜き取ることができるという。
 
 こんなことで、本当に効果があるのだろうか? 博士は言う--

「地球上のバイオスフェアー(生物圏)からは毎年、550ギガトンの炭素が出る。我々人間が出すのは、そのうちたった30ギガトンにすぎない。植物によって固定された炭素の99%は、バクテリアや線虫や昆虫などによって1年ぐらいで大気中に排出されてしまう。我々にできることは、そういう炭素の“消費者”をごまかして、農業廃棄物を低酸素状態で燃やし、炭に変えて、畑の中にスキ込んでしまうことだ。これで、CO2は少しだけ出るが、ほとんどの炭は炭素に変換される。また、この酸化過程の副産物としてバイオ燃料が作られるから、農民はこれを販売して利益を得られる」。

 ラブロック博士は、自分のことを「楽観的な悲観論者」(optimistic pessimist)と呼ぶ。その理由は、人類は結局は死滅しないと思うからだという。しかし、犠牲者の数は想像をはるかにしのぐ。地球の平均気温が今世紀中に2℃上昇すれば、大量の人間が死んで、10億人かそれ以下の数しか残らないという。現在の世界人口は約65億人だから、6分の1以下に減ってしまうというのだ。4℃の上昇では、現在の10分の1以下に減少するという。この主な理由は、食糧不足だそうだ。が、今回のような山火事や洪水、それに伴う伝染病による死もあるに違いない。このような人類の大量死は、過去の氷河期と氷河期の間にもあって、そのときの地上の人口はわずか2千人ほどだったという。21世紀においても最悪の場合、こういう状態が再来すると博士は警鐘を鳴らすのである。

 谷口 雅宣

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2009年1月16日

上を向いて歩こう (3)

 これまで本題でこのブログを書くとき、私は“大不況”とか“経済危機”などと呼ばれる今日の困難な経済状況にも「良い面」があるから、それを認めて明るく前進することを訴えてきた。例えば、昨年10月11日の本欄にはこう書いた--
 
「株価の下落は消費マインドを減退させるというが、それはそのままCO2の排出削減になるし、自然破壊の速度が鈍ることを意味する。人間の諸活動の“過剰”な部分が削り取られて、もっと自然と共存できる技術や生き方、諸制度が新たに工夫できる素地が整えられるかもしれないのである。いや、まさに今、そちらの方向に人類は大きく舵を切るべきだ。枯渇する資源を争奪して富を増やすことから、枯渇しない自然エネルギーの利用と、他国や自然との共存に向かって産業構造を切り替える時期に来ているのだ」

 また、私の生活と仕事の場である東京・原宿のきらびやかな“繁栄”については、「ヴァニティー・ストリート」(虚栄通り)と呼んで批判したり、作家の工藤美代子さんが命名した「欲望の街」という表現に賛同したりした。私がブログでいくら批判しても、世界の高級ブランド・ショップにとっては痛くもかゆくもない。が、世界的経済不況がやってくると、さすがにダメージが大きい。贅沢品や装飾品は、消費者の購入リストから真っ先に削られるからだ。その証拠に、ルイ・ヴィトンは最近、豪華な大型店の東京への出店を取りやめた。シャネルも、200人の臨時雇用者の自宅待機を決定した。が、仕事が減るだけでは必ずしも“良い面”とは言えない。仕事の内容そのものが“自然共存型”や人間の“精神向上型”に変化していくべきである。

 ところが、そうした贅沢品や装飾品の“発祥地”のように言われるフランスで、「これから精神性の向上を重視した生き方が始まる」として不況を歓迎する声が上がっているという。16日の『ヘラルド・トリビューン』紙が伝えている。それによると、『ル・フィガロ』誌は最近号の12ページを割いて、慎ましい生活のための手引を特集し、人々は今年、仕事を減らして家族との時間を大切にするだろうと予測している。専門家に言わせると、これはフランスでの“価値観の革命”だという。また、世界5大宝飾店に挙げられるモーブッサン(Mauboussin)の会長は、今回の不況からフランスの贅沢品産業を救うためには、価格の大幅引き下げをしなければならないと主張し、自ら「愛の機会」(Chance of Live)という名の1カラットのダイヤの指輪の値段を、通常より3分の1安くしたという。
 
 フランス言論界ではもっと厳しい反省が行われ、贅沢品産業が死滅することが国家の浄化に必要だという意見さえ出ているらしい。また、アメリカ式資本主義の信奉者で、就任時には、より多く稼ぐためにより多く働こうと訴えたサルコジ大統領も、考え方を変えたようだ。同大統領は先週、世界経済に道徳的価値を導入することをねらった政治家・経済人の会合で演説し、古い金融秩序は「非道徳的で制約のない資本主義によって悪用された」ため、「富の象徴が富自体より尊重されることになった」と現状を批判した。そして、国家には資本主義の過剰を規制する役割があると述べたという。

 あるインタビューの中で、シャネルのデザイナーであるカール・ラゲルフェルド氏(Karl Lagerfeld)などは、「今のような劇的な変化がなければ、創造的な進化というものは起こらない。華美や虚飾の時代は終わった。人造ダイヤを散りばめた赤い絨毯は、もういらない。私はこれを“新しい節度”と呼びたい」と言う。が、シャネルの人員整理は騒がれ過ぎた、と同氏は言い、先週同社がパリとモスクワで行ったオートクチュールのショーでは、2007年のパリとロンドンのショーより17%も売り上げが伸びたことを強調したそうだ。
 
 原宿の表参道に象徴される世界の贅沢品業界が今後、どうなるか私には分からない。しかし、虚飾や過剰な消費を反省する動きは現に世界中で起こっているのだから、この流れを生かした“自然共存”“精神向上”の産業が育っていくことを、私は心から願っている。
 
 谷口 雅宣

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2009年1月 7日

バイオ燃料で日米協力を

 日本における環境対策について、2回ほど“夢のような話”を書いた。そこで今回は、もう少し現実的なことを書こう。とは言っても、“夢”の代りに相当“期待”が混じっていることは否めない。そして、今度はアメリカの話だ。日本が不況下に“経済優先”で環境問題への取り組みを遅らせているあいだに、オバマ政権率いる“新しいアメリカ”は、環境対策で日本を追い抜くかもしれないのだ。

 京都議定書を取りまとめた日本政府だが、「温暖化は存在しない」などとうそぶいていたブッシュ氏の消極姿勢に気がねして、温暖化対策にはこれまで積極策を採らなかった。このため、今や同議定書で表明した国際公約を守れない可能性が現実化している。そんな中で、オバマ次期大統領に任命されたアメリカの新しいエネルギー相は、温暖化抑制のためにかなり積極的な対策を講じそうだ。この人はスティーヴン・チュー氏(Steven Chu)という人で、カリフォルニア州バークレー市にあるローレンス・バークレー国立研究所(Lawrence Berkeley National Laboratory)の所長。永年、「自動車や火力発電所や産業から排出される二酸化炭素が、地球温暖化の直接の原因だ」と明確に述べ、早急な排出削減を求めてきた科学者であるという。だから、アメリカのエネルギー政策が大きく転換する可能性があるのだ。1日付の『ヘラルド朝日』紙が伝えている。
 
 それによると、チュー氏はまだエネルギー政策について公式に発言していないが、これまでの彼の行動を見れば今後の予想ができる。チュー氏は、2004年にバークレーの国立研究所の所長になり、生物エネルギー合同研究所(The Joint BioEnergy Institute, JBEI)を傘下に作った。このJBEI(ジェイベイと読む)は今、エネルギー省から5年間で1億3500万ドルの予算を得て、合成生物学の技術を使って植物繊維を燃料に換える研究を進めている。しかし、チュー氏が所長になった当時、国立研究所ではこの分野の研究がほとんど行われていなかったという。研究員は、それぞれがバラバラのテーマの研究をしていたところへ、チュー氏が来て、研究の方向性を「燃料」に絞り込んで研究者を集めたという。これには、チュー氏のネームバリューが役に立ったようだ。というのは、彼は1997年のノーベル物理学賞の受賞者の1人だったからだ。

 今、トウモロコシやサトウキビから作られているバイオエタノールは、食糧との競合の問題が指摘されていることは、本欄で何回も書いてきた。この“第1世代”のバイオ燃料の後には、食糧と競合しない雑草などから燃料を作る“第2世代”の開発が求められており、その分野の研究に早い時期から取り組んできたのがチュー氏である。だから今後、アメリカが第2世代のバイオ燃料の開発を加速させることが十分予測できる。日本でも、本欄で触れてきたように、食糧と競合しない竹、籾殻、木材などを原料とする第2世代のバイオエタノールの研究は進んでいる。

 また、北海道との関連で言えば、昨年9月1日の本欄で紹介したススキの一種「ジャイアント・ミスカンサス」(GM)は、トウモロコシよりも有望のようだ。GMは現在、北海道大学と米イリノイ大学が共同研究しているところだから、この分野での日米協力を両国政府が本格的に支援してくれることを、私は大いに期待している。
 
 谷口 雅宣
 

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2009年1月 5日

北海道“夢の国”計画 (2)

 私の“初夢”的構想から生まれた「自然資本産業省」(自産省)は、北海道にあって何をするのか? それを述べる前に、この機関の設立の前提となっている「自然資本」(natural capital)の考え方を簡単におさらいしておこう。

 自然との一体感を重んじる我々日本人にとっては、この概念はむしろ“当り前”であって不思議なところは何もない。ごくごく簡単に言えば、「手つかずの自然には価値がある」ということだ。しかし、今日の政治経済制度では、この当り前の考え方が「ものの値段」に反映されていない。最も分かりやすい例は、土地の値段である。賃貸アパートや戸建て住宅を探した経験のある人はよくご存じだが、土地の値段は「駅から○分」「バス停から○分」「○○空港から何分」というように、「人工物からの距離」で評価される。もちろん、距離が短い方に“価値がある”とされるのである。これに対して、手つかずの自然がある土地は“価値がない”とされているから、「大雪山頂から○分」「富士山頂から○分」「阿蘇内輪山から○分」などという不動産表示はない。誰もそんな土地をほしがらないと思われているのだろう。

 が、しかし、我々は「手つかずの自然には価値がある」ということを学んできた。神道や仏教、修験道が信仰の対象や施設をわざわざ山奥に設置してきたのはそういう理由だろうが、現代においてもエコロジー(生態学)を学んだ人間には、そのことは自明である。にもかかわらず、現在のほとんどの国の経済制度では、「手つかずの自然」の価値はものの値段に反映されていないか、反映されていても、その評価は最小限だ。これをきちんと貨幣価値に置き換えて評価しようというのが自然資本の考え方である。

 私は2002年8月の本欄で、地球全体での自然資本を貨幣価値で表した研究を紹介した。この研究者は手つかずの自然に、①気候調整、②土壌形成、③栄養素の循環、④野生種の動植物提供、⑤燃料・繊維類・薬草の供給、⑥自然美の提供などの価値を認めて、それを具体的な数値(ドル表記)で表したのである。それによると未開発の地球の自然の価値は「年間平均38兆ドル」という。これが、開発による環境破壊で「毎年2500億ドル」の損失を生んでいるというのだ。詳しくは、上記の本欄や拙著『足元から平和を』(2004年、生長の家刊)を参照してほしい。
 
 この考え方を経済に導入する1つの方法は、健全な生態系を維持している自然環境を管理している人には、その生態系サービスの価値に該当する対価を支払う、ということである。森林の間伐や下草刈り、養蜂、食害を防ぐための狩猟、田圃の維持などに「生態系サービス」補完の意味を認め、正当な対価を払うのが理にかなっている。これに対して、海外からの輸入品や地元産以外の物品に対しては「カーボンフットプリント」の概念を導入して、環境への負荷(生態系サービスに対するマイナスの価値)を値段に反映させるのがいい。同じことは、森林を伐採して農地や商業地に転換すること、道路を建設して森林を分断し、あるいは地下水脈に損害を与えること、工場や動力源から有毒物質や有毒ガス、温室効果ガスを排出することにもいえる。これらの行為は、生態系へのマイナスの価値としてきちんと円貨で評価して、製品やサービスの値段に反映させる。これをいきなり日本全国に導入するには、かなりハードルが高いだろうから、食糧の自給が可能である北海道にまず導入する。食費の変動を最小限に止めるためである。

 北海道でのもう1つの問題は、長い冬場のエネルギー消費と広大な土地を往き来するための燃料コストである。これは、自然エネルギーの全面的導入と、自動車の全面電化によって対応する。そのためには、「炭素税」の施行が必要だ。これは、CO2の排出量に応じた税金であるから、航空機やガソリン車、ディーゼル車による人と物の移動が、電気自動車より高くつくようになり、買い替えが進む。また、これによる税収は、各種の環境対策に使われる。具体的には、私はこれを、①自然エネルギーの振興と、②電気自動車のインフラ整備に使うのがいいと思う。自然エネルギーでは、道ではすでに風力、太陽光、バイオマスなどが利用されているが、これをもっと大々的に導入するための補助金とする。そして、作られた電力を配電網に供給して全道で共有する。ここで、「農業」と「産業」と「エネルギー」と「環境」という4つの政策の調和が必要になるが、そのすべてを管轄する自産省においては、問題は比較的少ないだろう。
 
 自動車の電化計画について、少し補足しよう。すでに昨年12月8日の本欄に書いたが、電気自動車(EV)の本格的導入は北海道のような広さの土地がやりやすいようだ。実際、これをポルトガルやイスラエル、デンマークなど北海道サイズの小国で積極的に展開しているベンチャー企業がある。日本のEVとそれに使うリチウムイオン電池の技術は、インフラさえ整備できれば、連続走行距離は実質的に無限大に延長できる段階まで来ている。このインフラとは、高速給電と電池交換ができる給電所網である。この給電所が提供する電気を風力や太陽光、バイオマス発電から得られれば、EVの利用は限りなく“炭素ゼロ”に近づいていく。そして幸いなことに、北海道では風は多く、日照時間は長く、バイオマスは豊かである。
 
 こうして“炭素ゼロ”と食糧自給、自然と産業との調和が実現する土地には、やる気のある起業家や若者が先を争って移住するに違いない。
 
 谷口 雅宣

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2009年1月 4日

北海道“夢の国”計画

 「夢」という言葉にはいくつかの意味がある。「夢を描け」とか「夢のある話」などという場合は、「理想」とか「未来への展望」などという肯定的な意味合いが含まれる。その一方、常識を欠いた荒唐無稽な話は「夢のような話」とか「夢物語」と呼ばれて、否定的にとらえられる。これから書こうとしているのは、恐らくこの2つの中間的な意味での夢の話だ。まぁ正月に見る“初夢”のようなものとして聞いていただければ幸いである。
 
 私は、北海道を“半独立国家”としたい。それを今年に行われる総選挙の公約とし、「日本大改革党」という政党を旗揚げしよう。英語名は「Revolution-in-Japan Party (RIJ)」--通称「リッジ党」だ。なぜ北海道かと言えば、そこは日本列島最大の島であり、最大の地方公共団体であり、本州とは国際海峡によって分離され、広大な大陸的地形と自然環境を有し、また歴史的にも進取の開拓精神に富んだ人々が「Boys be ambitious!」の声に共鳴して、それこそ“夢”を描きながら愛情をもってつくり上げてきた土地であるからだ。日本を改革するのであれば、このように地理的な独自色と自由度を有し、進取の改革精神が存在するところから始めるのが、最も合理的である。

 私は、北海道が好きだ。上に挙げた理由以外にも、そこに住む人々の物事に捉われず、しかも親身になって相互協力し合う平等精神が好きだ。これらは、「男女×歳にして席を同じうせず」などという旧い文化が通用しない厳しい自然環境の中で育まれてきたもので、アメリカの開拓精神とも通じるところがある。人間はこのような中から、豪壮で斬新で、新時代を切り拓くような力に満ちたアイディアを生み出すものである。オバマ政権の“後追い”をするわけではないが、今人類が直面している文明的変化(1月1日本欄参照)に正しく早急に対応するには、日本においては「北海道」の自然と人間の活力を動員することが最も有効だと考える。

 リッジ党が政権を取った暁には、首都機能の一部を札幌に移転する。これに先立って、行政機構の大幅再編を行う。省庁では環境、農林水産、経済産業の3省を合併して、「自然資本産業省」(自産省)を設立する。国土交通省は廃止し、同省内にあった観光庁と北海道開発局は自然資本産業省に組み入れ、残る気象庁、運輸安全委員会、海上保安庁は総務省へ編入する。これにより、自然そのものの価値を認める「自然資本」の考え方にもとづいた産業育成の考え方が、初めて行政に反映されることになる。環境行政は1本化し、不要な道路建設は極力避けられるだろう。この新しい自然資本産業省を札幌に設置するのである。
 
 自産省の構想は、イギリスの環境食糧地域省(Department for Environment, Food and Rural Affairs, Defra)の考え方に倣ったものである。この新しい行政機構は、2001年6月、旧農業水産食糧省(Ministry of Agriculture, Fisheries and Food, MAFF)、旧環境交通地域局(Department of Environment, Transport and the Regions, DETR)、それに内務省(Home Office)の一部が合併して設立された。理由は、MAFFが口蹄疫の蔓延に十分対処できなかったとの反省からである。Defra の主な政策目標は「持続可能の開発」(sustainable development)である。それは、「世界の全ての人々が基本的な必要を満たしたうえ、未来世代の生活の質を犠牲にすることなく、より豊かな生活の質を享受できる種類の開発」と定義される。1国の行政機関が、「世界のすべての人々」を対象にするという、このような広大な目標のもとに組織されたことは、まさに画期的と言うべきだろう。同省が管轄する範囲は、農業と環境、持続的開発、気候変動・大気汚染への対応、自然環境保護、動植物・農業地域の保護育成など、かなり広い。

 私が注目しているのは、Defraが、農業や水産業に環境保護の役割を認め、保護育成していくことで持続的開発を実現しようとしている点だ。また、環境保護と両立した農水産業の育成を行うことで、イギリスの食糧自給率を第二次大戦前の3割台から7割へと大幅に改善してきた実績があることだ。その手段として補助金が使われてきたが、日本のように「コメを作らないこと」に対して出すのではなく、「自然環境を維持・管理すること」に対して出すという自然資本の考え方が明確に導入されていて、合理性がある。わが国のように、環境と農水産業を管轄する役所が分離している状況では、このような政策の実行は難しいだろう。

 私の自産省の構想では、これにさらに農水産業以外の産業を加えた全産業を1つの省に管轄させるのである。というのは、北海道の場合、自然エネルギーによるエネルギー自給の可能性があると考えるからである。これをスムーズに行うためには、資源エネルギー庁を経産省の傘下に置いておくのでは農水産業との連携プレーが難しい。また、自然エネルギー開発に伴う環境問題に有効に対処するためにも、環境、農水産業、資源・エネルギー供給の三者を統括する官庁が必要だと考えた。確かに、1つの役所だけが肥大化することは好ましくない結果を招く恐れはある。それが心配の場合は、経産省から資源エネルギー庁だけをはがして自産省に組み入れる選択肢があるかもしれない。
 
 さて、こうしてでき上がった自然資本産業省だが、北海道の地に設置されて一体何をするのか--そのことは、次回以降に語ろう。
 
 谷口 雅宣

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2009年1月 1日

新年のごあいさつ

 読者の皆さん、新年明けましておめでとうございます。

Newyear2009  旧年中は、本欄を通じて多くのご支援、ご鞭撻をいただいたことを心から感謝申し上げるとともに、本年も従来にも増してご愛顧くださりますようお願い申し上げます。また、昨年の父の昇天に際しては多くの方々から暖かい励ましのお言葉を賜りましたこと、感謝にたえません。さらに12月の追善供養祭には、多くの皆さまがインターネットを介してご出席くださり、法恩と故人の生前の御徳を共に偲び感謝する機会がもてましたことを、心から御礼申し上げます。生長の家では人間の生命は永遠であると信じますが、世の中の習慣に従い、賀状でのご挨拶は控えさせていただきました。

 今年は「丑年」ということで、張子の赤ベコを登場させました。ちょっとブタのようにも見えますが、“本人”はあくまでも牛のつもりで張り切っています。今日は、穏やかな晴天の下、午前10時から東京・原宿の生長の家本部会館ホールで新年祝賀式が挙行され、私は概略、次のような挨拶をさせていただきました--
 
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 皆さん、平成21年、2009年の新年が明けまして、誠におめでとうございます。
 昨年1年は、実に変化の大きい年でありました。これは世界経済が大きく変動しただけでなく、国際政治にも大きな変化が起こっていて、これが早晩、日本の政治や経済にも大きく影響すると思われます。現在、私たちが経験してる変化には、次の3つの大きな流れがあると思います--
 
 ①文明の移行期にある
 (化石燃料を基礎とした地下資源文明から自然エネルギーなどの地上資源文明への移行)
 ②アメリカの一極支配から多極化の時代への移行
 ③世界のキリスト教からイスラームへの移行、

 しかし、これらの変化はすべて“人間社会”でのことです。このような大きな変化がある中でも、1年は365日で終り、また新たな年の元旦が来るという暦の繰り返しは変わらないのであります。これは、地球と太陽との関係に変化がないからです。春夏秋冬は相変わらず繰り返され、それに伴って自然界は一定のリズムを保ち、人間も自然の一部として、肉体の機能の中にこの不変のリズムが刻みこまれています。これは地球温暖化が進行しても、大きくは変わらないと思われます。ですから、この現象世界では“不変のリズム”の中で変化が起こりつつあるということが分かるのであります。

 このような環境の中では、変化に適切に対応しなければならないことはもちろんですが、その「適切な対応」とは、変化の背後にある“不変のリズム”を正しく把握して行わなければ難しい。これは、揺れているブランコの上でお手玉をするようなものです。自分の乗っているブランコの揺れ方をしっかりと把握しておかねば、お手玉は下に落ちてしまうのです。そういう意味で、この21世紀初頭の変化の時代でも、古人の知恵に不変のものを見出してそこから学ぶことは非常に重要だと思います。
 
 今年は「丑年」ということなので、動物の牛に因んだ諺を、今日は2つ引用したいと思います。

 ①黒牛(こくぎゅう)白犢(はくとく)を生む
 ②牛の歩みも千里
 
 最初の諺は、「塞翁が馬」というのと似た意味です。この世のめぐり合わせ、吉凶禍福はどう変わるか分からない。吉が必ずしも吉でなく、凶も必ずしも凶ではないということ。黒い牛が白い子牛を産むこともある。2番目の諺は、「牛の歩み」というのは「牛歩戦術」などとも使われますが、「ゆっくりとした歩み」ということです。そういうスローペースであっても、何事も怠らずに努力を続ければ、結局「千里」を行くことができる--つまり、大きな成果を挙げられるという意味です。

 「牛の歩み」の方は分かりやすいのですが、「黒牛白犢」の方は多少複雑なので説明が必要でしょう。これは『列子』という中国の古典にあるものです。こんな話です--

 宋の国に三代にわたって徳行を積んでいる人がいた。その家の黒い牛が白い子牛を産んだというので、孔子様に尋ねたところ「めでたい」と言ったので、子牛を天帝に寄贈した。ところが1年後、その家の主人が失明してしまった。このあとまた、飼っていた黒牛が白い子牛を産んだので、主人は再び孔子に吉凶を尋ねたところ、「めでたい」という答えだったので、また生まれた子牛を天子様に贈呈した。すると1年後、今度は息子の方が失明してしまった。その後、楚の国が宋を攻めて城を取り囲んだため、健康な男のほとんどは兵に取られて戦士した。しかし、この親子は目が見えなかったために戦争に加わらず、生き残った。そして、楚が引き揚げると、親子の目が見えるようになったという。

 このように、人生に起こる吉凶禍福は、何が本当の吉で何が本当の凶かは、軽々に判断できないということです。逆に言えば、我々が普通に考える“不幸”も“幸福”も、結局我々の心の影であるということです。このことは今、世界の自動車産業が直面している変化を見るとよく分かります。

 “ビッグ3”の経営危機が問題になっていますが、これは地球温暖化と石油資源の枯渇という2つの大きな流れを読むことができなかった、アメリカの自動車産業の対応の誤りであると言えます。しかし、これは今だから言えるのであって、10年ぐらい前は、大型で燃費の悪い、しかし馬力のあるアメリカの自動車はどんどん売れていたのです。また、アメリカではガソリンへの税金が少ないので、燃費の悪さも家計への負担にならなかった。それに比べて日本では、ガソリンへの税負担が大きく、そのために燃費の良い自動車を開発しなければ消費者が買ってくれないという、メーカーにとっては“不利”な条件が課されていたのです。

 しかし、この一見“不利な条件”が課されていたために、日本のメーカーは必死になって小型化や軽量化などをして燃費の改善に取り組み、優秀なロータリー・エンジンとかガソリンと電気を使う“ハイブリッド動力”などの画期的な技術を開発した。そして、今の産業全体の流れを生み出し、“ビッグ3”を追い越してしまったのです。一見“不幸”と見えた条件が“幸福”を生み出しているのです。しかし、この“幸福”は一朝一夕で実現したのではなく、諺の言葉を借りれば「牛の歩みも千里」に達するという信念のもと、コツコツと努力を積み上げていくことで本当に“千里”(大きな成果)に達したわけです。

 このように考えれば、我々の目の前にある“不幸”や“不運”などは、実は次の時代の“幸福”や“幸運”につながっていることが分かります。別の言葉で言えば、本当の意味での“不幸”や“不運”などは存在しないのです。それは、我々の適切な対応を引き出すための“呼び水”であり、“招待状”である。我々はその招待状に書かれた言葉を正しく理解し、正しい方向に舵を切り、そして「牛歩千里」の信念のもとに努力を積み重ねていくことで“幸福”をつかむことができるのです。
 
 谷口雅春先生の『真理の吟唱』には、このことを力強く宣言するお祈りの言葉がたくさん書かれています。特に、この中の「人生の苦難を克服する祈り」「困難を克服して伸びる祈り」「無限の富者となる祈り」などをお読みになれば、私たちは困難の中にあっても、大いに伸びる「黒牛白犢」の知恵を得られると思います。時間の制約もあるので、ここでは3つの祈りを全部ご紹介できませんので、3番目の「無限の富者となる祈り」だけを朗読いたします--

 (「無限の富者となる祈り」を朗読)
 
 それでは皆さま、今年も神想観をしっかり実修して神様のアイディアを受信して“正しい方向”を目指しながら、実相顕現の運動と神性表現の生活を明るく、コツコツと続けてまいりましょう。これをもって新年のご挨拶といたします。ご清聴、ありがとうございました。

 谷口 雅宣

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2008年12月18日

ホンダの戦略転換を歓迎する

 アメリカの自動車産業の窮状については、13日の本欄ですでに触れたが、今やビッグ3を凌駕しようとしている日本の自動車業界も大きな転換期を経験しているようだ。ホンダは17日に記者会見して、昨今の世界的な経済不況や大幅な円高に伴い、国内での投資戦略を大幅に変更することを発表した。F1(フォーミュラー1)の世界選手権からの撤退はすでに報道されているが、これに加えてスーパーカー「NSX」の後継者の開発を中止し、アメリカでの高級車ブランド「アキュラ」の国内導入を白紙にもどし、日米での販売を予定していた次世代ディーゼル車の来年投入を延期し、国内で大幅減産するなど、化石燃料を多く消費する車種の開発を抑えるという方向転換が明らかである。今日付の新聞各紙が伝えている。

 旧型のオデッセイに乗り続けている私は、ホンダのハイブリッド版小型SUVを待ち望んできた。だから私は、この決定を大いに歓迎する。しかしこれは、私個人の問題である以上に、地球環境全体にとって“脱化石燃料”が緊急に要求されているからである。私は、ハイブリッドの技術で一歩先を行くトヨタが、プリウスの次に、大型のレクサスを出すと発表した時、失望のあまり「拝啓 トヨタ自動車殿」と題する一文を本欄に書いた。あれから3年5カ月ほどたつが、私の望む車種は、まだどこのメーカーからも出ていない。今回のホンダの方針変更に際し、同社の福井威夫社長は「今後は、中大型車へもハイブリッドを導入する」と宣言したそうだから、私は2000ccクラスのものが近々出てくれることを望む。しかし、世の中の動きは速いので、別のメーカーから電気自動車(EV)で同等のものが出れば、そちらの方が環境への害が少なくなる可能性はある。
 
 この戦略転換と同時に発表された同社の来年3月期の業績予想では、下半期(10~3月)の営業損益が約1900億円の赤字に転落する。以前に出された同期の営業損益の予想が約1800億円の黒字だったことから比べると、実に3700億円もの下方修正だ。福井社長は、これを「かつて経験したことがない危機」と判断し、世界の自動車市場縮小の中で環境対応車の開発を強化する方向へと戦略転換を決意したようだ。『朝日新聞』(18日付)によると、「ホンダはこの日、リストラ策の一方、環境対応で生き残る施策を発表、ハイブリッド車(HV)開発に投資を重点化する姿勢を鮮明にした」という。そして、F1レースに投入していた技術者約400人も、今後は環境技術開発に投じる予定らしい。
 
 ホンダが他社より環境対応車の分野で遅れていたのは、HVに搭載する電池の分野だ。同社はこれまで、中型車以上の環境対策は“ディーゼル化”で十分と考えていたフシがあるが、今回の方針転換で、ディーゼル車投入が延期された。HVでは次世代のリチウムイオン電池の開発が進んでおり、トヨタはパナソニックと、ニッサンはNECとすでに共同出資会社を立ち上げている。しかし、ホンダは電機メーカー任せだった。それを今回、電池メーカー大手のジーエス・ユアサコーポレーションと共同出資で新会社を設立する決定をした。開発から製造・販売までを新会社で行うというから、同社はEVを開発する可能性も選択肢に入れているのではないだろうか。

 私は、人間の自動車に対する考え方が今後は変わっていく必要があると思う。自動車はこれまで、個人が確保した一定の狭い閉鎖的な空間内で、できるだけ贅沢な装置に囲まれながら、高速で安全に移動できることが“理想”と考えられてきたと思う。ドライバーが、自分を言わば“王様”だと感じられるような閉鎖空間を、高速で快適に移動させることを追究してきたのではないか。しかし、燃料が上がり、都市化が進み、車の台数が幾何級数的に増えてきた今日、さらに「温暖化ガスを出さない」という条件を加えるならば、自動車は、大出力のエンジンと様々な装備をもち、だから重い--というわけにいかなくなる。軽くて頑丈で、閉鎖性が緩い(半ば開放的な)空間が、中距離を中低速度で移動するのでいい--と割り切って考え、長距離を高速で移動したいときは、そのために開発された公共交通機関を利用すべきだと思う。つまり、移動の際は、個人が独占する空間をできるだけ狭くすべきなのだ。そういう意味で、これからは乗用車の小型化、軽量化、装備の簡素化、カーシェアリング等による共有化を進めていくのがいいと思う。
 
 谷口 雅宣

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2008年12月13日

変化への対応

 今年を象徴する漢字1文字は「変」--と決まったそうだ。これを「変化」という意味にとれば、まさにその通りだと思う。日本の首相がコロコロ変わるのは常としても、この年のうちに石油の値段、穀物の値段、株価が乱高下した。また、13年4カ月ぶりの1ドル=88円台の円高であり、オバマ米大統領の登場だ。そして今、世界が固唾を呑んで見守っているのが、アメリカ経済の“屋台骨”・ビッグ3の行く末……この大きな変化に対応できるかできないかで、人や企業や団体の“命運”が決せられる。私たちは、そんな環境にあることを感じるのである。

 アメリカ上院は、GMとクライスラーに最大で140億ドル(約1兆3千億円)をつなぎ融資する救済法案(下院で合意済み)を事実上否決し、危機感を覚えたホワイトハウスは「金融安定化法を含め、他の選択肢を検討する」と発表して、経済不安の沈静化に躍起となっている。この金融安定化法では、最大で7千億ドル(約63兆円)の公的資金を金融安定化に投入することができるが、原則は金融機関の救済である。それを今後の成長が不透明な自動車産業に投入できるかどうかは、難しい判断だろう。

 13~14日付の『ヘラルド・トリビューン』紙によると、今回の救済法案の挫折は、全米自動車労働組合(UAW)との賃金引き下げ交渉が決裂したことが主な原因だ。上院共和党は、下院民主党とホワイトハウスが合意した救済法案では不十分だと考えた。なぜなら、140億ドルもの税金を2社につぎ込んでも、従業員の賃金体系に手を加えなければ本当の改革にはならず、結果的に税金のムダ遣いになると考えたからだ。そこで、賃金体系にまで手をつけなければ守れない条件を、2社側に逆提案した。それは、来年の3月末までに2社の抱える負債を3分の1に減らすという条件だった。GM1社だけでも、現在の負債額は600億ドルあるという。これに対して、そんな急な変化はできないとする労働側に、上院共和党は「2009年中の一定の日」までに減らすところまで譲ったが、民主党とUAWは、現在の労働契約が終了する「2011年中」まで期限を延ばすように主張したため、交渉は決裂したという。

 つまり、この問題の背後には、トヨタやホンダなど在米日本メーカーの労働者よりも賃金や福利厚生面で従業員を優遇しているビッグ3が、思い切った賃金カット等をしないでいて今後の開発・販売競争に勝ち残れるかどうかという、米自動車産業の“将来の展望”が深く関わっている。どうせ勝ち残れないのならば、多額の国民の税金をつぎ込む必要はないというのが上院共和党の考え方であり、それなりの合理性をもっていると思う。結局、アメリカの自動車産業は、地球温暖化時代を前にして、自動車という道具が今後どう使われるべきかという明確なヴィジョンを打ち出せないでいたのである。

 これには、ブッシュ政権下で京都議定書が否定され、「温暖化問題は存在しない」という説がもてはやされ、ビッグ3が燃費の悪い大型車やSUV(スポーツ多目的車)を重視して製作していたことにも責任がある。また、UAWという巨大な労働組合にも“先見の明”がなかったと言わねばならない。しかし、“勝ち組”であるはずの日本メーカーもライバルの崩壊を望んではいない。なぜなら、ビッグ3が倒産すれば、そこに納品していた全米の部品業者も連鎖的に倒産し、米国内で部品を調達することができなくなるからだ。

 地球温暖化時代には、ガソリンがぶ呑みの大型車は不要であるだけでなく、有害である。また、(私を含めた)一部で“石油ピーク”が来ていると言われる時代には、化石燃料を自動車の動力に使おうとする試みは、破綻するほかはない。この変化を的確に読んで先行投資を行い、新しい技術や制度を開発してきた人や会社が、今後の世界の乗り物を製造していくことが許されるだろう。私は、8日の本欄に書いた電気自動車(EV)と自然エネルギーによる発電・蓄電システムの組み合わせが、少なくとも中期的には、最も現実的で、有望な選択肢だと思うのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年12月 8日

小国での電気自動車

 前回の本欄でポルトガルのことに触れたが、この国の面積は9万2082平方キロで、北海道(8万3516平方キロ)より少し大きいくらいだ。そんな国がかつての大航海時代の先鞭をつけ、日本に西洋文化を届け、ブラジルのような大国を形成した。だから、国土の大きさは世界における影響力の大きさを必ずしも意味しない。そんなポルトガルで、日本の技術による野心的なグリーンカー戦略が練られているらしい。8日付の『ヘラルド・トリビューン』紙が伝えている。

 それによると、ニッサンとルノーは、ポルトガルを1つの拠点として、2010年から電気自動車(EV)を全世界へ普及させるための市場実験を進めている。ポルトガルが選ばれた理由は、比較的コンパクトな国だからで、同国のほかに、デンマークやイスラエルでの実験も検討されているという。EVの普及のためには充電施設の整備が不可欠だが、これはポルトガル政府の監督により来年から始まるという。当初は、20分でフル充電可能の高速充電施設網を首都・リスボンとポルト、それに周辺道路に設置し、家庭では普通の電源を使った充電(6時間)で対応する考えだ。問題は、2011年の本格販売までに、これらのインフラ整備が間に合うかどうかだが、同国政府は、主要な電力会社や小売業者の連合を組織して、同国がこれによって“近代的で環境に配慮した国”と認められることをねらっているという。

 EVの普及に必要な条件は、このインフラ整備(①)に加えて、②電池性能の向上、と③価格の低下だという。インフラの問題では、電力会社が積極的な姿勢で取り組んでいる。というのは、どの電力会社も昼間と夜間との電力需要の差が大きな課題だが、EVが普及すれば、夜間には各家庭でのEVへの充電需要が生まれることで、効率的な電力供給が可能となるからだ。また、ガソリンの値上がりで客足が減った小売業界や、駐車場経営会社も、駐車中の充電によってEVの利便性が向上する点に注目している。というのも、現在のEVでは、連続走行距離がフル充電時で「160キロ」のレベルにあるからだ。これが伸びない限り、現在のガソリン車やハイブリッド車との差は歴然としている。が、ガソリン代よりも電気代の方が安いため、小まめに充電できる環境が整えば、EVの価格競争力は向上することになる。
 
 EVのもう1つの魅力は、自然エネルギーとの組み合わせによって“炭素ゼロ”のドライブが可能になることだ。例えば、工場や大規模小売店などに設置された太陽光発電装置からEVに充電すれば、それは簡単にできる。実際、今年10月に埼玉県越谷市にオープンした「イオンレイクタウン」には、この充電装置がある。また、日照時間が長いイスラエルでは太陽光発電とEVとの組み合わせで、石油から解放された交通システムの構築をねらっているし、風の多いデンマークでは風力発電との連携を目指しているという。
 
 このイスラエルやデンマークの構想に一役買っているのが、米カリフォルニアのベンチャー企業「ベタープレイス」(Better Place)である。もともとソフトウェアー会社をやっていたシャイ・アガッシ氏(Shai Agassi)が創立した企業で、イスラエルやデンマークのような大きさの国であれば、どこでもEVに充電できる環境(ubiquity of charge)を提供すれば、現在の電池の性能のままでも交通需要の95%は満たされると考えて、充電設備等の普及を進めている。彼らの考えでは、残りの5%の需要も、EVから電池を切り離せば十分満たされるという。つまり、EVで使う電池を「車の一部」として考えずに、「インフラの一部」と考えるのである。そして、各所に充電と電池交換ができる“給電所”を整備すれば、EVの連続走行距離は実質的に無限大に延長できるというわけだ。

 世界は、あと数年でEVの普及時代に入る。日本政府はそういう潮流を見定めて、しっかりとした環境政策と技術革新を全力で推進すべきである。あるべき方向を見れば、日本経済は停滞している暇はない、と私は思うのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月20日

日本の温暖化対策は間に合うか? (2)

 11日の本欄で触れた環境税の問題について、環境省が考えている新提案の内容が明らかになってきた。私は11日に『日本経済新聞』の記事をもとにして、それを「現行のガソリン税などのエネルギーにかかる税金を、税率はそのままにして、名前だけを“環境税”と言い換えることで環境税にしてしまうという方法だ」と書いた。今日(20日)の『朝日新聞』には、もう少し詳しい、そしてもう少し野心的な新提案の内容が報じられている。それによると、現在、化石燃料にかかっている税金の割合(税率)を、それぞれの燃料が排出するCO2の量に応じたものに改めていく、というのである。つまり「温暖化防止を理由に税率を引き上げながらそろえていく」(『朝日』)という中期的なねらいがあるようである。

 これは、化石燃料の税率引き上げによる実質的な“炭素税化”である。それが可能ならば、私は大いに賛成する。『朝日』には、各化石燃料を燃やした際、CO2が1トン排出される量にかかる現行の税額が一覧表で載っている。それを見ると、ガソリンは2万4052円、軽油は1万3034円、重油753円、石炭291円、天然ガス400円である。つまり、CO2排出量を基準として化石燃料にかかる現行の税率を見た場合、ガソリンと石炭のあいだには82.6倍もの不公平があるのである。言い換えると、炭素税を実施するならば、石炭には現行の82.6倍の税金をかけるべしということだ。同じように計算すると、天然ガスには60倍、重油には32倍、軽油には1.8倍の税金が必要となる。では、ガソリンの「2万4052円」が炭素税として高すぎるかというと、現在イギリスでは4万5543円、ドイツでは4万5388円、デンマークでは3万8651円の税金がかかっているから、それほどでもないことになる。
 
 ただ、日本経団連は環境税や炭素税の導入に強硬に反対してきたから、この“実質炭素税化”を簡単に容認するとは思えない。また、この不況下では、「経済優先」を唱える麻生首相の同意も簡単には得られないだろう。
 
 ところで、国レベルではなく県レベルになると、神奈川県が炭素税を独自に導入する方向で検討に入ったらしい。今日付の『日経』が伝えている。それによると、同県では知事の諮問機関である地方税制等研究が炭素税の導入案のたたき台をまとめたという。そこでは法人だけでなく個人も課税対象とし、ガソリンや灯油だけでなく、化石燃料を使って製造する電気やガスについても、料金に上乗せする形で新税を徴収するらしい。
 
 一方、私の住む東京都は、来年度の都税への環境税(炭素税)の導入を見送った。その代り、工場やビルでCO2排出削減につながる最新の設備を導入した場合には減税する仕組みを実施するという。今の経済の状況と、国の動きをにらんでの判断らしい。私としては、神奈川県と足並みをそろえてほしかった。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月11日

日本の温暖化対策は間に合うか?

 今日のニュースは、環境省が発表した2007年度の日本の温室効果ガスの国内排出量だろう。まだ確定していない「速報値」ということだが、前年度比で2.3%増えてしまった。2008年からは京都議定書で定められた削減期間に入るのだが、2006年度は減ったのに増加に転じたことは誠に残念である。主な理由は、中越地震で東京電力の柏崎刈羽原子力発電所が運転停止に追い込まれ、それを補うために火力発電所を稼働させたことだという。今日の『日本経済新聞』などが伝えている。同議定書では、日本は1990年の水準から「6%」削減することを義務づけられているが、この2007年度のレベルは、その基準値をすでに8.7%上回っているから、あと「15%」近く削減しなければならないことになる。

 こういう現状に危機感を覚えたのか、政府も温暖化対策にようやく力を入れだしたようだ。同じ日の『日経』には、政府が10日にまとめた太陽光発電普及のための行動計画が報じられている。それによると、道路や駅などの公共施設に太陽光発電を設置する場合、事業費の2分の1を国が補助するという。個人の家庭への補助は、2005年度に打ち切られていたのを復活し、年明けにも1kWh当り7万円の補助を始めることがすでに決まっている。また、学校などの自治体の施設へ導入する場合の補助は、事業費の2分の1、駅や空港への導入には3分の1が、これまで補助されてきた。この後者の補助率を引き上げるという決定だ。だから、何か抜本的な対策が行われるわけではない。私は、以前に本欄にも書いたが、ドイツのように、太陽光などの自然エネルギーで発電した電力を、電力会社が買い取る価格を引き上げる対策を実施してほしいのである。これにより、自然エネルギーの導入が利益を生むことになるから、導入の速度は大幅に向上するだろう。

 この問題の解決--つまり、議定書での約束を守る--ためには、日本が得意とする“漸進主義”ではもはや間に合わないと思う。漸進主義とは、積み木を1つずつ積み上げていくように、すでに存在する制度や基礎の上に1つずつ対策を加えていく方法だ。今回の太陽光発電への補助拡大が、まさにこの考えに則っている。また、環境税の導入についても、同じ考えが見て取れるのである。
 
 同じ『日経』には、環境相の諮問機関である中央環境審議会が11月中にまとめる報告書の原案の内容が報じられている。それを簡単に言えば、現行のガソリン税などのエネルギーにかかる税金を、税率はそのままにして、名前だけを「環境税」と言い換えることで環境税にしてしまうという方法だ。これは“ウルトラA”--つまり、何かするように見えて実質は何もしない方法--ではないか。「漸進」しているかどうかも定かでない。同記事によると、この審議会は「3年前の報告書で、石炭など化石燃料にかかる税率を維持したうえで、新たな環境関連税をかけるべきだと主張していた」というが、そういう積極策からなぜか大幅に後退してしまったのである。この理由について、同記事は「負担が増す産業界は“世界一高い法人税を負担するなか、これ以上は耐えられない”と抵抗。中環審は新税を上乗せするのは当面難しいとみて方針転換する」と書いている。何のことはない。環境省は業界の意見を拝聴して譲ったということだ。これでは、経産省のほかに環境省が存在している意味はほとんどない。
 
 東京都の石原慎太郎知事に対しては、その偏向的ナショナリズムや五輪の東京開催などで、私は反対の意を表明してきた。が、環境対策に関しては、意志を明確にした彼一流の手法が奏功している部分もあることを認めざるを得ない。今回は、深夜の都内での広告用照明をやめる件で、業界の一部と合意に達したらしいことが同じ『日経』の都内版で報じられている。それによると、同知事は先月、日本アドバタイザーズ協会、東京屋外広告協会、全日本ネオン協会、東京屋外広告美術協同組合に対して「営業中店舗以外の照明をおおむね午後11時から12時に消灯する」などの協力を要請したところ、このほど大手企業約300社が加盟する日本アドバタイザーズ協会から「零時には消灯するよう周知する」との回答が届いたという。これを受け、同記事は「大手企業の多くが業界団体の要請に応じる見通しだ」と予測している。これで十分とは思わないが、“よいスタート”と言えるだろう。
 
 谷口 雅宣

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2008年10月21日

ウランも枯渇する

 今の日本政府と自民党が地球温暖化対策の“中心”に据えたいとしているものの1つが、原子力発電の拡大であることは疑う余地がない。その理由は、現在の政・官・民の協力体制を温存し、さらに発展させたいからだろう。もっと具体的に言えば、政府・自民党と経済産業省、そして電力会社の密接な関係は、現在の政治権力の基盤になっているからだ。しかし、これまた疑う余地がないことは、日本は世界で稀なる被爆国であるために、国民の間に原子力利用への拒否反応が根強いということだ。こうして、原発の立地の問題が出てくる。原発の稼働拡大や増設をしたい政府は、建設候補地に多額の“助成金”を交付することで建設反対の声を抑えようとする。しかし、それでも大都市に近い地域は原発反対勢力が強いから、立地候補地は勢い過疎地域へ、過疎地域へと移動する。こうして、現在のような辺鄙な土地に多くの原発が建設されることになる。これによって生じるムダと非効率は、ばかにならない。具体的に言えば、発電所から電力需要地(大都市)までの距離が遠くなることで、送電効率が大幅に悪化するのである。

 原子力発電についての私の考えは、本欄で何回も書いてきた。簡単に言えば、原発は大量の処理不能の放射性廃棄物を生み出すから、決して「クリーン・エネルギー」などではないということ。また、それを地下深く埋めておけばいいという現在の考えは、「環境倫理」にも「世代間倫理」にももとるということ。さらに、核武装へのオプションを残しておきたいという観点は、現実的のようであって本当は現実的でないのである。
 
 ところで、この原子力発電に関しては、私は、燃料であるウランの埋蔵量に限りがあるという問題を、見落としていた。その量的限度は、石油の場合よりも少ない可能性が指摘されているのである。環境科学者のダニエル・ボトキン氏(Daniel B. Botkin)が、21日の『ヘラルド朝日』紙の論説欄に詳しい数字を書いている。それによると、現在、化石燃料は世界のエネルギー需要の87%を供給しているのに比べ、原子力発電の割合はわずか4.8%だという(電力需要だけに限ると、この割合は化石燃料が67%で、原発は15%)。これに対し、ウランの埋蔵量の最も楽観的な見通しは550万トンで、世界の原発のウラン消費量は、国際原子力機関(IAEA)によると年間7万トンという。ということは、ウランを経済的な値段で採掘できる年数は、約80年ということになる。
 
 ボトキン氏は、ここからさらに進んで、現在の世界のエネルギー需要をすべて原発だけで賄う場合を考える。そうする場合、原発をどんどん増設して発電容量を17.4倍に引き上げねばならないという。そして、これらの原発で消費されるウランの量は年間120万トンになる。ということは、上記したウランの経済的な埋蔵量(550万トン)をすべて掘り尽くすのには、「5年」かからないという計算になる。これは、驚くべき数字ではないだろうか。地質学者が使う「埋蔵量」という言葉にはもう1つあって、それはどんなにコストがかかっても掘り出せるだけ掘り出した場合の量で、「確認埋蔵量」(identified resources)と呼ぶらしい。ウランの場合、この確認埋蔵量は3500万トンだそうだから、これを消費し尽くすのにも「29年」しかかからないことになる。これではとても、世界のエネルギー需要を満たすことはできないから、同氏は、「世界にエネルギーを供給する手段として、原子力が主流になることはありえない」と断定するのである。

 ボトキン氏の上の計算はかなり“保守的”ではないか、と私は思う。なぜなら、それは「世界のエネルギー需要は一定している」という前提のもとでの計算だからだ。が、我々がよく知っている事実は、中国、インド、ロシアなどの人口の多い中進国では、エネルギー需要は急速に拡大しているのである。ということは、将来のウランの供給は決して「安定的」ではない。また、ウランの供給地が地球上のごく一部に限られていることを考えれば、我々が将来、原子力エネルギーに頼って生活することは、現在の石油エネルギーに頼った生活以上に不安定となる可能性があると言えるのである。

 だから、我々の将来のエネルギー源は、枯渇せず、かつ他から奪わないものである必要がある。再生可能な自然エネルギー以外に、この条件を満たすものはないのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年9月 6日

環境税制への移行

 今日の『朝日新聞』の第1面に“よいニュース”が載っていた。それは、日本経団連が環境税の実施を容認する立場に変わった、ということだ。同じ日の『日経』と『産経』を調べてみたが、そんなことは書いてないから、恐らく『朝日』の特ダネだろう。経団連は、これまで環境税だけでなく、排出権取引にも反対してきたから、“業界の利益”のためならば、その他のことはどうなってもいいと考える我利我利亡者的な悪印象をもっていたが、「まぁ、常識はあるのだな…」と見直した。

 ただし、この話にはちょっとした“ミソ”があるようだ。道路特定財源の一般財源化が既定の事実になってしまった今は、新たに環境税を課されるのは困るから、この財源(ガソリン税や石油石炭税など)を環境対策にも回せるように、“環境税”と呼ぶことにすべきだというのである。経団連は毎年秋に、税制改正に関する提言を出しているが、その中にこうした考え方を盛り込む方針を決めたらしい。上記の『朝日』の記事には、こうある--
 
「経団連は提言で、道路特定財源の一般財源化に伴い、ガソリン税のほか石油石炭税などその他のエネルギー関連税も合わせて“CO2の排出責任”に応じた税として位置づけ直し、使途を環境対策に組み替える考え方を示す」。

 この方針転換の背後には、福田首相が今年5月、道路特定財源の一般財源化を閣議で決定し、7月には「低炭素社会づくり行動計画」を策定して、その中で「環境税の取り扱いを含め、低炭素化促進の観点から税制全般を横断的に見直す」ことを明記したことがあるという。そういう意味では、職務の“中途放棄”の印象がある福田康夫首相も、経済界に対して一定の影響力を行使して地球環境保全の方向に(わずかながら)日本を動かしたことになる。今年の6月10日の本欄で論評した“福田ビジョン”なる6項目の環境総合対策には、6番目に「今秋、環境税を含め、税制全般を横断的に見直す」とある。この政府の方針に対する経済界の対応が、今回の「新税でない環境税の容認」になったわけだ。
 
「これでは単なる税の呼称の変化であって、実質的な環境対策の進展とは言えない」という意見もあるだろう。が、私は「名目であっても一歩前進」と評価したい。なぜなら、これによって、日本の税制全体の中に「温室効果ガスの排出を社会へのコストとして認める」という考え方が初めて導入されるからだ。この思想が、地球環境問題解決にとって最も必要な前提だと、私は思う。この思想を業界が認めれば、自動車や船舶、航空機などの製造や運搬、はたまたそれらを使った人や物の移動--つまり、旅行や海外産品の輸入や海外への輸出--についても、温室効果ガスの排出量の多寡が製品やサービスの値段に反映されることになるだろう。すぐにはそうならなくても、やがてそうなる。そして、企業はそれを見越して行動するから、温室効果ガスの排出の少ない製品やサービスが新たに開発されることになる。

 今日の『産経』には、環境省が「地球環境税」について検討を開始したことが報じられている。これは、気候変動による被害に苦しむ発展途上国を支援するための資金調達法として“福田ビジョン”で提案されたものだ。第1回目の研究会を開いたというだけだが、上記した「低炭素社会づくり行動計画」の中に、来年3月末をめどに一定の研究成果を公表することが明記されているから、環境税との兼ね合いが注目される。昨日の第1回研究会では、為替取引に課税する方法などが紹介されたらしい。かつて本欄でも触れたが、フランスはこれと似た考え方に基づき、航空運賃に課税して途上国への貧困対策費を捻出する「国際連帯税」というのをすでに施行している。

 遅々としたスピードであるが、こうして「世界の富裕層が温室効果ガスのコストを負担して貧困層の負担を和らげる」という仕組みができつつある。問題は、このスピードが気候変動による被害の増大を防げるかどうかだが、こればかりは「神のみぞ知る」のだろう。
 
 谷口 雅宣

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2008年9月 5日

“発想の転換”の時代

 8月20日の本欄で、日本での地熱発電の可能性に触れ、9月1日には、わが国の山野に普通に生えているススキの一種がバイオエタノールの原料として有望であるという話を書いた。こういう例からも分かるように、日本を“資源小国”と見る古い発想から早く解放される必要がある。この発想が古い理由は、それが化石燃料や原子力を主体とした“地下資源”に注目した発想であるからで、太陽エネルギーや風力、潮力などの“地上資源”に注目すれば、まったく違う可能性が展開してくるし、今後はそうしなければならないからだ。最近では、レアメタルが採れる“都市鉱山”などという考え方も受け入れられるようになっているし、島国である日本は、周囲の海に注目すれば、さらなる可能性が目の前に広がっているのである。
 
 今日の『日本経済新聞』夕刊に、長崎大学大学院教授の川村雄介氏がそのことを分かりやすくまとめている--
 
「日本の経済海洋面積は陸地の12倍もあり、世界で5~6番目の広さだ。そこには膨大なエネルギー資源や希少金属が埋蔵されているともいわれる。新技術で海洋資源を活用する余地も大きい。また、原子力発電や太陽エネルギー技術は世界でトップクラス。最新化学技術の応用による高効率の植物エネルギー開発にも期待が寄せられている」。

 私は、原子力エネルギーについては川村教授とは意見を異にするが、それ以外は同感である。

“地上資源”といえば、今年の夏は日本への台風の上陸がゼロであった一方、各地で豪雨が降って大きな被害をもたらした。1日の『日経』によると、8月末まで台風の上陸がなかった年は、2000年以来8年ぶりだという。豪雨は、9月に入っても各地で続いているが、この海洋や気象の“破壊的エネルギー”を技術力によって“建設的エネルギー”に変換することができないか、と思う。特に、電気そのものである雷の利用はできないだろうか。

 ベンジャミン・フランクリンの時代に、雷をガラス瓶で受け止めることができたのだから、現代はその電気エネルギーをどこかに貯めることぐらいはできるのではないか。風力発電では高い塔を地上に建てるから、落雷の“被害”が言われているが、雷の電気をそこに貯められれば、落雷は“恵み”に変貌する。そうすれば、雷の多い北陸地方は“エネルギー地帯”になるかもしれない。何でも“発想の転換”が求められているのが、今の時代だと思う。
 
 谷口 雅宣

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2008年9月 1日

新世代のバイオ燃料に期待

 バイオエタノールなどのバイオ燃料については本欄でもたびたび言及してきたが、最近の研究で有望なものがあるので、読者に紹介しよう。これは昨日、北海道の滝川市で行われた生長の家講習会で、「日本のCO2排出量は世界の5%程度だから、日本人が排出削減に努力してもあまり意味がない」という内容の質問があった際、それを反駁するために紹介した情報でもある。また、北海道大学での研究成果だというので、北海道の人たちにもっと勇気と希望をもってもらいたかったのである。簡単に言ってしまえば、北海道の原野に沢山生えているススキの1種「ジャイアント・ミスカンサス」(GM)が新世代のバイオエタノールの原料としてかなり有望だということである。8月27日の『朝日新聞』夕刊が伝えている。
 
 それによると、北海道大学はアメリカのイリノイ大学などと共同で、このGMをエタノールの原料とする研究をしているという。GMは、日本のススキと、その仲間のオギとの交雑種で、種子を作らずに株で殖える。これを戦前、ヨーロッパの収集家が観賞用として持ち帰り、それがアメリカへ渡ったものを、イリノイ大学は10年ほど前から栽培しているという。その特徴は収量が多いことと、やせた土地でも育つこと。トウモロコシの収量が1ヘクタール当たり約18トンであるのに対し、GMは約30トンという。このバイオマスとしての大きさを燃料に利用できれば、ススキは栽培に手がかからず、生態系の多様性の維持にも役立つから、現在、アメリカで主流となっているトウモロコシを原料としたバイオエタノールより、ずっと有効な原料になりえるというのである。

 ただ、北海道の原野に生えているGMを抜いてくればそれでいい、というわけでもないようだ。研究に携わっている北大の山田敏彦教授によると、今後、ススキ草原の物質循環や開花時期などを解明し、品種改良のために日本各地のススキとオギとを採集するところから始めるらしい。耕作に適していない土地でも、また寒冷地でも育てられる品種を開発するためである。

 私は、この記事を読んでから講習会で講話をし、そこで「世界の5%を減らしても意味がない」という意見を聞いたのだった。そして、日本の技術力が世界中のCO2排出削減に役立つことを考えたら、「5%」どころか「50%」の削減も日本によって可能だと話した。これは単なる空想ではなく、トヨタやホンダが開発したハイブリッドの技術によって、自動車の燃費は実際に50%向上したからだ。また、技術というものは、基本が確立すれば、その上に加速度的に進歩が起こることは、コンピューターの高速化や小型化のことを思えば明らかである。
 
 そんなことを考えながら、私と妻は講習会終了後、車の後部座席で疲れを癒しながら、滝川市から千歳空港まで、北海道内陸部を南下したのである。すると、道路の脇や、黄色く染まった田圃や、広大なトウモコロシ畑の合間に、ススキのような穂をピンと上に立てた、元気のいい植物が案外多く生えていることに気がついた。それがGMであるかどうか、私には分からない。しかし、そういう作物と競合しない草本が燃料になるのだとしたら、その技術の開発を待望せずにはいられないのである。
 
 谷口 雅宣
 

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2008年8月29日

集中豪雨は何を語るか?

 昨夜から今日にかけて、日本列島の各地で記録的な大雨が降り、河川の氾濫、土砂崩れが起こり、家屋や商店の損壊や人的被害も起こった。気象庁によると、24時間の最大雨量は愛知県岡崎市で302.5ミリ、埼玉県久喜市で227.0ミリ、東京都八王子市で218.0ミリ、同青梅市で148ミリを観測した。
 
 1時間当たりの雨量では、東京都八王子市とあきる野市で昨日午後11時が110ミリ、日の出市で100ミリを観測。愛知県岡崎市では29日零時までの1時間に146ミリの雨量があったため、同市は今日未明、市内の約14万世帯(約37万6千人)に対して一時、避難勧告を出し、県を通じて自衛隊に災害派遣を要請した。また、神奈川県相模原市は952世帯に、東京都八王子市は150世帯に一時、避難勧告を出した。
 
 今日の『日本経済新聞』が夕刊でまとめている被害状況(総務省消防庁発表)によると、愛知県や関東地方など10都県で床上浸水が519棟、床下浸水は390棟。JR中央線は八王子-大月間の上下線で始発から運転を見合わせ、京王線は土砂崩れの影響で普通電車の一部が脱線し、29日の始発から一部で運行ができなかった。また、自動車専用道路では、圏央道のあきるのIC-八王子ジャンクションの間と、中央道の上野原-八王子間が一時通行止めとなった。
 
 今年の夏は東海や関東だけでなく、金沢や神戸などでも集中豪雨による浸水被害が出ている。問題はその原因だが、専門家は地球温暖化との直接的関係には否定的だ。上記の『日経』では、東京大学気候システム研究センターの木本昌秀教授の談話として、「例年、亜熱帯性の高気圧がある日本列島の南海上に、冷たい低気圧が居座った状態が続いている。南からの湿った風が入りやすく、各地で集中豪雨を招いた」という分析を載せている。つまり、「例年通りの出来事」というわけだ。ところが同教授は、「温暖化が進むと今回のような集中豪雨型の雨の降り方が増える」とも語っている。私は、この点が重要だと思う。気候変化のパターンは変わらなくとも、それぞれの変化が“激化する”ということだ。
 
 私は、昨年の生長の家講習会で集中豪雨の増加に関する気象庁の統計を紹介したことがあるが、それは地球温暖化と関係していると思っている。この研究は、2006年8月27Gouu2b 日の『北海道新聞』にも報道されたが、1日の雨量が400ミリを超える降雨の発生回数をまとめた統計だ(=グラフ参照)。それを見ると、そういう豪雨の発生回数は1年ごとではかなりバラツキがあるものの、10年単位で見ると、近年目立って増加していることが分かるのである。気象庁がアメダス(地域気象観測システム)を開始した1976年から85年までの10年間の平均では、この回数は「6.4回」で、次の10年間は「5.1回」といったん減るが、96年から2005年までの10年間の平均は「15回」と、一気に3倍の数になる。
 
 なぜ集中豪雨が増えるかも、温暖化の影響で説明できる。私は昨年10月5日の本欄で、「北極の海氷が最小になった」ことを書き、この年の氷の減少率がここ数十年間の平均値を大幅に超えていることに触れた。専門家の中には、今年の9月には北極海から氷が消えると予測している人もいる。このことが地球上の水の循環システムに何をもたらすかは、明らかである。地球上には、極地や高地に年間を通して融けずにいる「氷」が大量にある。それは「万年雪」とか「永久凍土」「氷河」「氷床」などと呼ばれているもので、この大量の氷が「氷」として地上や海上に固定されている限り、地球上の水の循環システムに乗ることはない。南極やグリーンランドの氷床などは、何千年もの間、そこに固定されてきたのだ。ところが、今やこれらの氷が融け出して海に流れ込んでいる。それが蒸発して水蒸気となって雲をつくる。これらの水が再び地上に降りてくれば、それは以前より多くの水量となることに何の不思議もない。
 
 私がこのブログを書いている間も、背後の窓からは、間断のない激しい雨音と頻繁に轟く雷鳴が聞こえる。今後、我々が体験するであろう水害や土砂崩れは、“天災”という分類から“人災”の分類へ移行すべき性質を色濃く帯びてくる。世界の人々が早くそのことに気づき、“国益”とか“ナショナリズム”に熱中するエネルギーを、地球温暖化の抑制と低炭素社会への移行に振り向けてくれることを、私は心から念願している。
 
 谷口 雅宣
 

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2008年8月26日

南オセチア紛争が拡大 (4)

 南オセチア紛争の拡大によるロシアとグルジアの軍事対立が、欧米とロシアの対立に発展する様相を見せている。これは、今後の世界情勢全体を考えるうえで大変憂慮すべきことだ。私は16日の本欄で、オリンピックの「メダルの数や靖国に参拝した政治家の数などとは比較にならないほど重大な変化が、世界で起こりつつあるのでは」と書いたが、この“悪い予感”が当たりつつあるのは残念なことだ。
 
 すでに報道されているように、ロシアはグルジアの各地に軍を展開した後、「撤退した」とGeorgiamap 言いながら、一部の要所からの撤退を拒否している。特に重要なのは、黒海に面する港湾都市・ポチと、分離独立運動が盛んな南オセチアの州都・ツヒンバリに近いゴリ北方の地域だ。また、グルジア西部の自治共和国アブハジアとの境界地帯からも、ロシア軍は撤退していない。それでもロシアが「撤退した」と言う理由は、それらの部隊はロシア軍ではなく“平和維持部隊”だから--というのである。24日付の『朝日新聞』の載った地図(=図を参照)を見れば明確だが、ロシアは、自己の勢力圏であったグルジア領内の南オセチアとアブハジアを、グルジアの他の地域から切り取る形で軍を展開しているのである。

 港湾都市・ポチが重要な理由は、そこが黒海側からのグルジアの入口だからだ。石油の積み出しにも使われるだけでなく、人員や物資流入の基地であり、軍事衝突の際は海からの派兵はここからとなるだろう。逆に言えば、この港を押さえておけば、欧米の軍隊は海から上陸できない。さらに重要な点を言えば、ゴリ北方に軍を展開させることは、10日の本欄に書いたように、BTC(石油)パイプラインとそれに沿う天然ガス・パイプラインの使用に影響を与えることができる。このパイプラインは、カスピ海のバクー沖から産出される原油を、アゼルバイジャン国内とグルジアのトビリシ経由でトルコの港・ジェイハンまで運ぶルートだ。これを主導しているのが英米の石油メジャーだが、26日の『産経新聞』によると、今回の武力衝突でロシア軍はパイプラインも空爆の対象としたため、石油メジャーの1つであるBP社は、BTEパイプラインの運用停止に追い込まれたという。
 
 このようなロシアの動きに対して、欧米諸国は「グルジアから撤退しろ」と声を上げているのだが、声は大きくとも具体的な行動はあまり進んでいない。アメリカは22日、“人道支援”の名目で地中海から黒海へイージス駆逐艦「マクフォール」を送り込んだ。25日の『朝日』によると、この艦船は同日にポチ港ではなく、バトゥーミに到着したという。また、24日の『産経』によると、ポーランド、スペイン、ドイツのフリゲート艦なども黒海に入り、米艦艇と共に軍事演習をする予定という。この黒海北方のウクライナの港・セバストポリは、ロシアの黒海艦隊の基地である。ウクライナは、グルジアと同様に西側への傾斜を強め、NATOへの加盟を目指している国だから、ロシアの動きに神経を尖らせている。アメリカの艦艇としては、第6艦隊の旗艦で、揚陸指揮艦の「マウント・ホイットニー」と巡視船「ダラス」が黒海に向かっているという。
 
 軍事でなく政治の動きを見ると、サルコジ仏大統領が仲介して成立した「6項目の和平原則」について、米仏の大統領が「ロシアは従っていない」との立場を確認しのたが22日。サルコジ氏が、ロシアのメドベージェフ大統領と電話会談し、ロシア主体の“平和維持部隊”に代わる国際的組織を早急にグルジアに派遣することで合意したのが23日である。サルコジ大統領は24日、グルジア問題に関するEUの首脳会議を開くことを表明したが、その開催は9月1日だという。(25日『朝日』)
 
 ロシアは、これらの欧米からの圧力に対して25日、政治的に大きな動きに出た。それは、南オセチア自治州とアブハジア自治共和国の独立を大統領が承認するよう、上下院がそろって声明を採択したことだ。加えてプーチン首相は、WTO加盟交渉を凍結する方針を表明、メドベージェフ大統領もNATOとの関係断絶を辞さない姿勢を示した。(26日『日経』)

 欧米諸国は今回の紛争激化以後、グルジアの領土の一体性の維持を主張してきたから、ロシアのこの動きは、それと真っ向から対立するものだ。また、この2つの地域がグルジアから“独立”してロシアの勢力圏に完全に編入されれば、グルジアは両地域を諦めてNATOへ加盟する選択をする可能性がある。また、グルジアと同様の民族問題を抱えている隣国・ウクライナも、グルジアの“二の舞”となることを避けるために、西側への編入を決意する可能性は大きく、欧米もそれを認めざるを得ないだろう。こうして、民族問題(ナショナリズム)の対立を契機として、黒海沿岸の国々は“ロシア側”と“欧米側”に鮮明に色分けされることになれば、“東西冷戦の再現”に近づいていくのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年8月20日

地熱エネルギーを活かそう

 環境運動家のレスター・ブラウン氏が主宰するアースポリシー研究所から、19日付のニュースレターが電子メールで送られてきた。同氏は『プランB』などの単行本や講演活動を通じて地球環境問題の具体的な解決法などを提言して続けているが、今回のニュースレターは「地熱発電」を取り上げていて、希望を抱かせる情報が多くある。わが国での地熱発電の可能性については、私は本欄でも述べたことがある。ご存じのように日本は火山国だから、地熱エネルギーは豊富にあり、したがっていたるところから温泉が出る。これを発電に利用してこなかったことは、むしろ不思議なくらいだ。地熱エネルギーは事実上無限にあり、自然現象そのものだから、誰からも奪わない。これを環境汚染しないように効率的に利用できれば、化石燃料の使用を大幅に減らすことができるはずである。
 
 ジョナサン・ドーン氏(Jonathan G. Dorn)の名前によるニュースレターの記事は、この分野の開発に世界は今、どう取り組んでいるかを報じており、大いに参考になるので、読者にお知らせしたい。
 
 地熱発電の歴史は案外新しく、1904年にイタリアのラルデレーロ(Larderello)というところで始まったという。今や24カ国で行われていて、そのうち5カ国では、1国の発電量の15%以上を占めるまでになっているという。2008年の前半の段階で、地熱による発電容量は世界全体で1万メガワットに達し、イギリス1国の人口に匹敵する6千万人の電力需要を満たすまでなっている。地熱エネルギーが豊かな地域は太平洋を取り囲む火山帯で、チリ、ペルー、メキシコ、アメリカ、カナダ、ロシア、中国、日本、フィリピン、インドネシアなどが含まれる。また、アフリカでは「グレート・リフト・バレー(Great Rift Valley)」と呼ばれるケニアとエチオピアにまたがる渓谷地帯が有望である。同研究所の調べでは、地球が提供する地熱エネルギーの総量は、39カ国の7億5千万人以上の全電力需要をまかなえるという。
 
 地熱発電は通常、地熱によって暖められた高温水か水蒸気を使ってタービンを回すことで行われるが、最近は、水よりも沸点の低い液体を密閉した熱交換システムを使う技術が開発されているという。これを使えば、火山をもたないドイツなどの国でも比較的低い熱源によって発電が可能になるという。地熱発電のよい点は、低炭素の地元資源を利用できるだけでなく、それが安定しているため24時間とぎれなく利用できる。これは、風力や太陽光にない特長であり、エネルギーの貯蔵や予備設備の必要が少ないというメリットが挙げられる。

 この分野で世界をリードしているのはアメリカで、2008年8月の時点で、アラスカ、カリフォルニア、ハワイ、アイダホ、ネバダ、ニューメキシコ、ユタの7州の合計で2,960メガワットの発電容量があるという。特にカリフォルニア州の発電量は多く、この州だけで2,555メガワットの容量があり、同州の全電力需要の5%近くをまかなっているという。

 アメリカでは、2005年に施行されたエネルギー政策法(Energy Policy Act)で、地熱発電が連邦政府の援助の対象になったため、地熱エネルギーによる電力の値段が化石燃料によるものと同等程度まで引き下げられた。この経済的条件の向上により、同国での地熱産業はブームになっているという。2008年8月の時点では、アメリカの13州で、新しい地熱発電開発計画が97もあり、合計の発電容量は4千メガワットに達するという。

 しかし、現在の開発状況は、利用可能の地熱エネルギー全体から比べると、まだ表面を引っ掻いている程度のものという。アメリカのエネルギー省の推定では、新しい低熱発電の技術を使えば、少なくとも26万メガワットまでの発電が可能だという。マサチューセッツ工科大学(MIT)で行われたある研究では、地熱発電の研究開発に15年で約10億ドル(新型の石炭火力発電所1基分の値段)の投資を行えば、2050年までに10万メガワットの商用利用が可能になるらしい。

 このように、地熱発電の大きな特長は、開発コストが低い点にある。だから、地熱発電で世界のトップ15を占める国々の多くは、発展途上国である。世界一はアメリカだが、フィリピンは電力需要の23%をこれで賄っていて、世界第2位。この国はさらに、2013年までにこの比率を6割以上の3,130メガワットにまで拡大する計画をもつ。第3位のインドネシアには、これより野心的な計画があり、今後10年で地熱発電の容量を新たに6,870メガワット拡大する予定で、これが実現すれば、同国の現在の総電力需要の3割近くが地熱エネルギーでまなかえることになるという。日本は今、イタリアに次ぐ世界第6位だが、アメリカの約6分の1、フィリピンの約4分の1だ。

 アフリカでの地熱利用の可能性もきわめて大きい。ケニアがこの分野では先行していて、今年の6月、ムワイ・キバキ大統領は、今後10年で新たに1,700メガワット分の地熱発電施設を建設する計画を発表した。これは、現在の同国での地熱発電容量の13倍にあたり、他の発電方法のすべてを含めた現在の総発電容量の1.5倍に当たる。ジブチは、今後数年間で同国の全電力需要を地熱エネルギーでまかなうことを目指している。
 
 このような情報を知ってみると、“地震国・日本”という言葉の意味が大いに変わってくる。地震があることと地熱エネルギーが利用できることの間には、大いに関係がある。どこかの新聞では、いまだに“資源小国”という言葉で日本を呼んでいたが、旧時代の発想から脱皮できないのである。温泉を愛する日本の皆さん、地熱エネルギーを大いに利用しようではありませんか。平和は実に“足元”から来るのです。
 
 谷口 雅宣

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2008年8月16日

南オセチア紛争が拡大 (3)

 南オセチアへのグルジア軍の侵攻に対し、ロシアが大規模な軍事介入をした紛争は、ヨーロッパを巻き込んだ米ロ対立に発展しつつある。情勢の変化が急速なので、なかなか目が離せない。日本のメディアはオリンピックと終戦記念日に時間とエネルギーを費やしているが、メダルの数や靖国に参拝した政治家の数などとは比較にならないほど重大な変化が、世界で起こりつつあるのではないか。
 
 今日付の『日本経済新聞』によると、ブッシュ大統領は、15日に発表した声明の中で、「脅しは21世紀の外交を行う上で受け入れられる方法ではない」として、グルジアに進駐したロシアを非難し、ロシア軍の即時撤退を改めて求めた。この日、ライス国務長官はグルジアを訪問してサーカシビリ大統領と会談し、同大統領は、フランスの仲介によって生まれた停戦のための6項目の和平原則に関する文書に署名した。その際、ライス長官は「もはやソ連がチェコスロバキアを侵略した1968年ではない」と指摘し、ロシア軍のグルジアからの撤退を要求した。
 
 ところが今日の『日経』夕刊では、ロシア軍は15日夜、これらの警告を無視してグルジア国内にさらに進軍した。同軍はすでにグルジア中部の都市、ゴリに進駐していたが、そこから南東にある首都トビリシに向かって軍を進め、首都から約50kmの地点に接近したという。サーカシビリ大統領は15日の記者会見で、同国中部のハシュリとボルジョミにもロシア軍が展開したと発表したという。これに対してロシア軍高官は、グルジアへの進軍の目的は「グルジアとオセチア市民の戦いを止め、平和を実現するため」などとロイター通信に語ったという。同軍は、「武器の撤去・回収」を理由に黒海沿岸の都市、ポチや西部のセナキなどでも駐留を続けているらしい。

 このようなロシアの一方的軍事圧力に対して、近隣国の反応も出てきた。ロシア軍の侵攻を受けた当のグルジアでは14日、議会が親ロシア組織である独立国家共同体(CIS)からの脱退を全会一致で承認、親欧米色を一層明確にした。一方、アメリカのミサイル防衛構想(MD)の中で迎撃ミサイルを配備することに難色を示していたポーランドは、14日になってトゥスク首相がMD施設の受け入れを表明した。この施設は、ポーランド北部に10基の迎撃ミサイルを配備して、米兵が常駐する基地を建設するもの。同首相は、この合意文書調印に先立って「米国の同盟国としてポーランドは安全でなければならないという点で見解が一致した」と述べたという。これらのミサイルは、公式にはイランのミサイルを念頭に置いたものとされているが、ロシア側は自国を標的にしているとして反対を続けていた。アメリカは、すでにチェコとの合意が成立しているレーダー基地と一体化して、ポーランドのミサイルを運用する考えだ。
 
 今日の『日経』夕刊は、ブッシュ大統領がまもなく全米に向けてラジオ演説をすることを伝え、その中で、グルジアへのロシアの侵攻を非難するとともに、「世界の自由社会はこのような行為をまったく許容できない」と強調する予定だと伝えた。この演説の全文はすでにホワイトハウスから公表されていて、ブッシュ氏は「国民が民主的に選んだ政府を脅かし、侵攻したロシアを世界は警戒心をもって見つめている」と指摘するとともに、「グルジアでのロシアの行動は、21世紀の欧州におけるロシアの役割、意図に深刻な疑問を抱かせた」と述べるという。
 
 16~17日付の『ヘラルド・トリビューン』紙は、ロシアの近隣国の反応を伝えている。それによると、ベラルーシ、カザフスタンなどの独立国家共同体諸国は、ロシア軍の侵攻後何日も沈黙を守っていたという。ベラルーシは結局、紛争勃発後1週間たって犠牲者への哀悼の念を表明しただけだった。カザフスタンは、グルジアがCIS脱退を決めた後になって「共同体の統一が脅かされた」と強い調子で述べ、「複雑な民族間の問題は、平和的な交渉によって解決されるべきであり、軍事的解決はありえない」と言うにとどまった。トルクメニスタンも同様の見解を述べ、国内に民族問題を抱えているアゼルバイジャンは、「我々はグルジアの領土的統一を支持し、その地域の緊張が拡大しないための努力、平和への努力を支持する」との外務省声明を出した。どの国も、ロシアの軍事行動を明確に支持していない点は、注目に値するだろう。
 
 谷口 雅宣

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2008年8月15日

南オセチア紛争が拡大 (2)

 8月10日の本欄でこの問題について触れたが、事態は急速に変化している。この時書いたことが、一部誤解を招く恐れがあるので補足したい。それは、この紛争の大きな要因として「グルジア共和国内の南オセチア自治州が、“分離独立”を目指してナショナリズムを拡大していること」を挙げたことだ。この表現だと、ロシアはこの“分離独立”の運動と関係がないような印象を受ける。が、そうではなく、オセチアの分離独立派はロシアを庇護者と考え、ロシアはグルジアの西寄り姿勢を牽制するために、オセット人(オセチアの多数民族)を支援してきたのである。また、グルジアからの分離独立を求めているのは、オセット人だけでなく、西部のアブハジア自治共和国も同じである。
 
 8月12日付のアメリカの公共ラジオニュース(NPR )がこの辺の事情を詳しく説明している。それによると、黒海の東端から東へ広がるコーカサス地方には、昔からグルジア人のほか、オセット人とアブハジア人がいた。ロシア革命後、ソ連はグルジアを吸収した際に、これら3民族にそれぞれ自治権を与えた。現在ロシアとグルジアにまたがるオセット人居住地域は、1922年に北オセチア共和国と南オセチア共和国に明確に分断されたが、旧ソ連の領土に収まっていた。

 ところが、1980年代末にソ連が崩壊し始めると、オセット人とアブハジア人はグルジアに含まれることを拒否して、ロシア側へ庇護を求めるようになった。つまり、オセット人の自治拡大運動や南北統合の要求が盛り上がり、これに反対するグルジアとの間で武力紛争が起こるようになった。その一環として、1990年に本格的な武力衝突が起こったのが「南オセチア紛争」である。この紛争は1992年に停戦が合意され、ロシア、グルジア、南オセチアの三者で構成する平和維持軍が、この地域の停戦監視をすることになった。が、三者間の不信感が消えないため、その後も衝突が散発して、双方に多数の難民が生じていたのである。
 
 一方、ロシアにとっては、ソ連崩壊後に東欧が西側に移り、グルジアも独立して“緩衝地帯”が失われていくことが問題だった。特に、2004年に西向きの姿勢を鮮明に示すミハイル・サーカシビリ氏がグルジア大統領に選ばれたことで、ロシア指導部は危機感を抱いた。同大統領は、ロシアを潜在敵国とするNATO(北大西洋条約機構)への加盟の意志を明確にし、それを念頭においてアメリカの“テロとの戦争”に協力してきた。だから、つい最近まで、イラクに2千人の地上部隊を派遣していたのである。
 
 このような中で、8月の初めの週に、南オセチアの民兵とグルジア軍との間で銃撃戦が勃発した。7日になって、サーカシビリ大統領は、南オセチアの民兵が停戦合意を破って重火器を使って攻撃していると批判した。また、この頃から南オセチアの中心都市であるツヒンバリから住民の避難が始まった。そして8日、同大統領は軍に対して、ツヒンバリを確保するよう命令した。これに対し、ロシア軍は南オセチアに増援部隊を派遣し、グルジアの首都トビリシ近郊を含むグルジアの要所を攻撃するなど、本格的な軍事介入を行ったのである。

 このロシアの動きに対して、欧米が態度を硬化していることとその事情については、10日の本欄に書いた通りである。ロシアの攻撃の速さと作戦の巧みさが浮き彫りとなり、一部には、冷戦後のアメリカ一極支配が終わった象徴的出来事であるとか、新しい冷戦時代が始まったなどという評価が聞こえる。

 今日はわが国では“終戦記念日”と呼ばれる日だ。しかし、ご覧のように、世界では新しく戦争が始まった。今回の南オセチア紛争の拡大を見れば分かるように、民族意識(ナショナリズム)を鼓舞することは、現代においても依然として戦争の原因になりやすい。また、「往年の栄誉の回復」を目指すことによっても、平和は簡単に乱されることがある。この日にもう一度、戦争の原因と日本の将来について深く考えてみよう。
 
 谷口 雅宣

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2008年8月10日

南オセチア紛争が拡大

 8月8日、63年前の長崎への原爆投下を想いながら、日本では多くの人々が“平和への誓い”を確かめ合っていたころ、ロシアは隣国グルジアへの軍の増派を開始、プーチン首相は「事実上、南オセチアでは戦争が始まった」と宣言した。同首相は、“平和の祭典”と呼ばれるオリンピックの開会式に出席していて、ちょうど同じ場所に同じ目的で居合わせたアメリカのブッシュ大統領と顔を合わせて、そう言ったのだ。ブッシュ氏はこれに対し、「誰も戦争を望んでいない」と早期の事態収拾を期待する考えを示した--9日付の『日本経済新聞』はそう伝えている。両者の心中がどうであるかは分からないものの、世界の大多数の人々が平和を望んでいても、戦争は起こるということを如実に示す象徴的な1コマではないだろうか。

 戦火拡大の大きな要因には、グルジア共和国内の南オセチア自治州が、“分離独立”を目指してナショナリズムを拡大していることが挙げられる。ここは人口が10万人で、うち6~7割がイラン系の言語を話すオセット人で、他はグルジア人だ。この自治州の北方のロシア領内には同じ民族が住む北オセチアがあり、民族的に分断されている。一方、グルジアは旧ソ連崩壊とともに独立した国だが、独立後には欧米への接近を強めているため、ロシアはそれを快く思っていない。特に、グルジアの現政権は“国家統一”のナショナリズムを掲げ、対ロシア軍事同盟であるNATO(北大西洋条約機構)に加盟する動きを示している。ロシアはこれに対し、南オセチア自治州への接近を図り、そこの住民にロシア国籍を与えるなど、政治的・軍事的な牽制を行っている。
 
 こういう複雑な事情のある中で、欧米諸国は“西側”への加盟を目指すグルジアを支援している。これはイデオロギー的親近感だけが理由ではなく、エネルギー問題が密接にからんでいる。本欄でも何回か書いたが、ロシアは旧ソ連から分離独立して“西寄り”に動いたウクライナ共和国に対して、石油の大幅値上げを行い、これに従わない同国に一時、石油の供給を止めた。が、ロシアからウクライナを通る石油のパイプラインは、その先がヨーロッパに続いているから、これによってドイツやフランスなどへの石油の供給にも不安が生じたのだった。エネルギーを政治目的に使うロシアの外交姿勢に不安を感じた西ヨーロッパ諸国は、ロシアの影響が少ないルートを確保する動きに出ているが、その1つがグルジア領内を通っている。これは、BTCパイプラインと呼ばれ、カスピ海のバクー沖から産出される原油を、グルジアのトビリシ経由でトルコの港・ジェイハンまで運ぶルートだ。これを主導するのが、イギリスのBPやアメリカのシェブロンなどの石油メジャーである。日本の伊藤忠商事や国際石油開発も、このルートに権益をもっている。
 
 このように見てくると、最初に描いたブッシュ大統領とプーチン首相の会話が、普通の挨拶ではないことが分かるだろう。2人は「平和を望んでいる」ことはその通りかもしれないが、その「平和」とは、自国や同盟国の“国益”に反する場合には、犠牲になっていい種類の平和なのである。今回のロシアによる紛争拡大は、そのことを有力に示している。9日付の『日経』は、こう書いている--ロシア政権筋は「グルジア内の紛争状態を続けることがロシアの国益」と指摘。この数カ月間に分離派自治州への経済支援の強化と同時に、グルジア政府軍偵察機の撃墜や同国への領空侵犯などを繰り返していた。
 
 こうして、人口10万人の“小国”のナショナリズムは大国ロシアに見事に利用され、それに対して、グルジアのナショナリズムは自国統一のために“小国”攻撃に乗り出し、それに対して大国ロシアは戦線拡大を行って、西側諸国に揺さぶりをかけているのである。ロシアのこの“危険な賭け”も、かつて自国の“配下”だったウクライナやグルジアが西側へ動き、NATOが拡大する動きに対するナショナリズムだと見ることができる。すなわち、“往年の栄光の回復”である。だから、ナショナリズムを利用する国際政治は、戦争への危険を孕んでいることを忘れてはいけない。
 
 谷口 雅宣

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2008年8月 5日

石油高騰に“光”を見る

 石油の値段の騰勢が一服している。アメリカの原油先物価格は、7月11日に史上最高値の1バレル147.27ドルを記録したあと値下がりが続き、一時は最高値から18%も下がってから、再び上昇している。8月5日付の『日本経済新聞』によると、この主な原因は、世界最大の石油消費国・アメリカでの需要減退らしい。自動車はアメリカでは必需品だから、ガソリン需要はこの国では減りにくいと考えられていた。が、7月25日までの4週平均で、ガソリン需要は前年同期を「3.2%」下回る日量938万バレルとなった。つまり、アメリカ国民は昨年より自動車に乗らなくなっているのだ。公共交通機関が発達している日本では、すでにこの動きは顕著だが、そうでないアメリカでガソリン消費が減ってきたことが、先物価格の値下がりを呼んでいる。しかし、中国などの新興国ではガソリンや灯油を低く抑える政策を続けているため、需要は衰えず、今後の石油の値段を下支えすると見られている。
 
 私も、自動車に乗る機会がめっきり減った。その1つの理由は、近所に地下鉄の路線が新設されたためだが、ガソリン価格が高いことも理由の1つだ。仕事で燃料を使わなければならない業種への、打撃は大きいだろう。漁船の休漁やトラック運転手の苦境が報道されているが、政府が補助金を出すよりは、サービスや商品の末端価格にコストを転嫁すべきだと思う。自由主義経済では、基本的にはこの価格の変化によってサービスや商品の動向が変わり、産業構造の変化を通して次の時代に適応していくのが、もっとも自然であるからだ。
 
 このことは、国際貿易の分野ではすでに起こりつつあるらしい。4日付の『ヘラルド・トリビューン』紙は、昨今のグローバリゼーションの“行き過ぎ”と見なされていた現象の一部が、石油の値段の高騰によって是正されつつあることを伝えている。この“行き過ぎ”現象とは、私がかつて『足元から平和を』(2005年、生長の家刊)で紹介したような「経済活動のムダ」のことだ。イギリスで缶入りコーラを生産するためには、アルミ缶の原料のボーキサイトをオーストラリアから北欧の国へ運び、そこでアルミ板に加工し、さらにイギリスに渡ってそこで成形されて缶となり、飲料の原料はアメリカやフランスから輸入され……というように、地理的距離を無視してコストを下げることが横行していた。ところが、燃料費が高騰すれば当然、輸送費にはね返り、地理的距離は無視できなくなる。そこで、「需要地の近くでの生産」へと切り替えねばならなくなっているという。

 同紙が挙げている例に、電気自動車を生産するテスラ・モーター社がある。同社は当初、アメリカ向け高級乗用車を生産するのに、タイで製造した蓄電池をイギリスへ送って組み立て、ほぼ完成した製品をアメリカへ輸送する計画だった。ところが、燃料費が高騰したためこれを変更し、今年の春に生産開始した時には、蓄電池をカリフォルニアで生産して、自動車も同地で組み立て、そこで売るという方式に変更した。これによって同社は、車1台の生産に必要な輸送費を8千キロ分減らすことができたという。また、スウェーデンの家具メーカー「イケア」は、アメリカ向けの家具を造るために、今年5月、最初の工場をアメリカ国内に建設したという。また、いくつかの電子機器メーカーは、メキシコにあった工場を賃金の安い中国へ移転していたものの、輸送費の高騰により、もともとあったメキシコの工場で生産した方が、輸送費を含めたコスト全体が安くつくことが分かり、生産拠点を移し始めているらしい。

 この動きは、工業製品だけでなく農産品にも及びつつある。つまり、“地産地消”の動きが石油の高騰によって加速されているのだ。これは、食品の“フードマイレージ”を減らす動きと軌を一にしているから、歓迎すべき動向である。私は、生長の家の講習会で日本各地へ行くが、ホテルでの食事の際にいつも不思議に思うことがある。それは、朝食に出る果物や野菜がどこへ行っても、どんな時季でも変わらないことである。特に果物はパイナップル、オレンジ、グレープフルーツ、バナナなど、一見して国産品でないものだけが用意されている。私としては、秋から冬に奈良へ行ったらカキを食べたいし、四国へ行ったら豊富な柑橘類が味わいたい。山梨や長野で産地のブドウやモモを期待しても、それが出ることはまずない。恐らく輸入品の方が安く手に入るからである。これが是正されて、「産地で旬のものが安く食べられる」という当り前の経済にもどるとしたら、石油高騰にも“光”は見えるのである。
 
 谷口 雅宣
 

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2008年7月29日

宗教運動と環境保全

 地球環境保全を目指した取り組みについては、生長の家が日本で初めて国際評価基準であるISO14001の認証を取得したことは、本欄の読者なら旧聞に属することと思う。このことはまた、スイスのジュネーブに本部を置く国際標準化機構(International Isomag78_2008 Management Systems)が発行する機関誌『ISO Management Systems』の2002年1~2月号にも大きく取り上げられた。あれから6年たって、世界の主要な企業や団体がこの“環境ISO”を取得するのは当り前になってきたが、宗教団体の意識としてはまだそこまで達しない場合が多いようだ。ところが、このたび発行された同誌の今年7~8月号(=写真)によると、世界の宗教団体の中にも、環境意識を自分たちの“本業”に生かすために、ISO14001やISO9001(品質管理の基準)の認証を取得する動きが広がりつつあるという。
 
 同誌は、ドイツのミュンヘンにあるメディアデザイン応用科学大学のアレクサンダー・ムーチニク氏(Alexander Moutchnik)による国際記事として、8ページを割いて宗教団体のISO認定取得の動きを取り上げている。それによると、これらの認証取得は「教会や宗教団体にとって、信徒への説明責任を改善し、寄付を増やし、環境破壊を減らし、社会的責任を果たしていることを示す強力な道具」となりつつあるという。ムーチニク博士は、この動きには、①主な宗教のすべてが含まれ、②宗教団体のタイプは多種多様であり、③世界的な現象である、と3つの特徴を挙げている。
 
 具体例的には、ドイツでは2010年までに千以上の宗教団体に環境基準を導入させようとしていること、フィンランドでは2001年2月以来、100カ所以上のルター派教会が環境証書を得ていること、スコットランドでは2001年以来、130の教会のうち40の教会が「エコ教会賞」(Eco-Congregation Award)を獲得したこと、オーストリアでは農業森林保水省が設けた2007年の環境マネージメント賞を、宗教団体として初めてセントバージル成人教育センターが受賞したことなどだ。この中に日本の例として、生長の家が2007年までに全国の66の事業所でISO14001を取得し、さらに世界の主要3国(ブラジル、アメリカ、台湾)での認証取得に向けて運動を進めていることが書かれているのである。また、これ以外では、ブラジルのユダヤ教系病院、ブルネイのイスラミック・センター、マレーシアのヒンズー教寺院、フィリピンのカトリック系大学、アメリカのカトリック系病院が紹介されている。
 
「宗教運動がなぜ環境重視なのか?」--最近は、日本の宗教団体も環境保全に取り組む動きがあるものの、この疑問は生長の家が環境保全への取り組みを始めた当初は内外にあった。この記事でもそれを短く取り上げているが、説明の仕方は、いかにも国際機関らしい。それによると、宗教団体は、経済活動の参加者として相当大きいからだという。世界の11の主な宗教が抱える信者数は、世界人口の85%にもなり、機関投資家としては3番目に大きいという。だから、これだけの人々と資金とが、環境保全や効率的運営を目的として動けば、地球環境や世界経済に大きな影響が及ぶというわけだ。

 また、上にも触れたが、信者に対する「説明責任(accountability)」や教団運営の「透明性」が記事では重視されている。これはつまり、生長の家を含めた多くの宗教団体は信徒からの献金や寄付によって成り立っているからで、信徒の立場からすれば、自分の献金や寄付が何のために、どのように使われるかがよく分かる場合と、分からない場合とでは、信頼度、帰属意識、信徒としての動機づけなどの面で、大きな違いが出てくるからだ。簡単に言えば、自分の献金する団体が、ムダなく効率よく運営されており、その活動が環境に害を与えていないと分かっている場合とそうでない場合では、団体の魅力が違ってくるのである。だから、環境保全への取り組みを真面目に進めていると認められることは、宗教団体にとっても大いに意味がある。時代の流れは、そのように変わりつつあるのである。

 谷口 雅宣

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2008年7月27日

コンビニの深夜規制に賛成する

 コンビニエンスストアの深夜営業を規制するかしないかが論議されている。私は、端的に言って規制賛成である。が、他の深夜営業業種とともに段階的に行うのは、どうだろうか。CO2の排出量という点では、コンビニ店の排出量は全体の割合ではわずかだそうだ。だが、全国にある約4万2千店を24時間回転させるための工場や運輸部門のCO2排出まで含めると、結構な割合になるのではないか。本来は、CO2の排出自体にコストを生じさせるための炭素税や環境税が望ましい。そうすれば、ある特定の業種だけが規制によって不利益を被るという不平等は避けられる。しかし、それができないのであれば、次善の策としては、どこからか排出削減を始めなければならないのだ。恐らくそれが理由で、夜中に煌々と電気をつけ通しているコンビニ店が“目立つ対象”として槍玉に挙げられているのだろう。

 25日付の『朝日新聞』が、この問題について“規制賛成派”と“規制反対派”の言い分を比較している。賛成派の角川大作・京都市長は、この規制によって「ライフスタイルの変更」を目指していると述べる--「『禁欲的な生活をしろ』というつもりはない。訴えたいのは、今までの『利便性や利益を最大化しよう』という方向性が本当に幸せだったのかということ。昼よく働き、夜もよく遊ぶが、深夜には帰って寝るという暮らしが、ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)の観点からも望ましい。行政がコンビニを『規制』するという理解は違う。京都市では、市民参加の議論を経て、深夜営業の『自粛』を呼びかけていく」。

 これに対し、反対派の諸富徹・京大大学院准教授は、「温室効果ガスを抑える有効性で見ても、社会経済的コストがどの程度かかるかという費用対効率性で見ても、疑問が多い」という。諸富氏は、業務部門全体のCO2排出量を下げる必要性は認めるが、「なぜコンビニだけ対象にするのか、説明がつかない」と言う。上記したような“目立つ対象”だからだとの説明に対しては、それは“象徴的環境政策”であり、「人々の耳目を引く政治的アピールでもある。深夜営業規制が意味を持つとすれば、業務部門全体の排出量に対する論議を巻き起こし、政策に前進をもたらす場合のみだ」と言う。同氏は、ライフスタイルの変更が必要との見方には反対しないが、「市民の行動の自由や多様なライフスタイルと両立できる政策でないと、結局は社会に受け入れられず、効果を発揮しない」と述べる。
 
 これを読むと、“規制賛成派”は「便利さ優先からワーク・ライフ・バランスへ」との生活スタイルの変更を目指しているのに対し、“規制反対派”は「そういう規制は現代人の生き方の多様性と両立しない」と考えているようである。また、この記事には、コンビニチェーンの本部ではなく、末端の加盟店サイドの意見も載せている。それによると、午前1~5時の売り上げは1日の5%しかなく、深夜に店を開けている精神的負担が大きいから、「せめて数時間、安心して眠れる時間がほしい」との意見もあるらしい。さらに、約1千店の加盟店でつくる全国FC加盟店協会は、この6月に声明を出し、24時間営業を一律に強いる現在の契約方式を改めるよう求めたという。
 
 また同記事によると、2005年に内閣府が行った世論調査では、深夜営業の必要性を問う質問に対して、「必要」は57%で「不要」は35%だった。3年後の現在、この割合がどれほど変わっているかは分からない。また、「深夜営業」はコンビニだけではないから、この数字をそのままコンビニ規制の適否の議論には使えない。しかし、コンビニ支持者が多いことは事実で、『日経』の26日夕刊にも読者からの賛否両論が掲げられている。それによると、“規制反対論”にはコンビニの「防犯と利便性」を挙げるもの、「生活の一部である」ことや「雇用を創出」すること、また「行政は営業時間に口をはさむな」との意見もある。“規制賛成論”には、コンビニは「便利さ以上に従業員が大変」「用もないのに子供が群れる」「地方都市では過当競争」「規制は一律でなく、臨機応変に」との意見がある。

 私の“段階的規制論”を述べよう。私は東京都心のファッション街・原宿の真ん中にいる。が、これまでコンビニは何度も利用しているが「深夜利用」はしたことがない。深夜は寝ることにしているからだ。それでも、若者は深夜に利用するかもしれないが、その理由は「必要だから」ではなく「他に行くところがないから」だと思う。原宿の街は、昔から夜には店が閉まることになっているから、本当に行くところがないのだ。ところが、コンビニだけが開いていて電気を煌々とつけているので、そこへ渋谷や新宿から流れて来た若者が惹かれて行く面が多い。今年の正月には、妻の故郷である伊勢の田舎町へ行った。そこには片道2車線の通りに沿って、互いにさほど遠くない位置に、コンビニが2店建っていた。が、夜暗くなって近くを歩いたら、中にいるのは若者が1人か2人で、雑誌を立ち読みしているだけだ。これは午後8時前のことだから、深夜になれば利用者はもっと減るだろう。だいたい、この地方には若者の絶対数が少ないのである。それでも24時間電気をつけて営業をしなければならない、というのは不合理である。
 
 日本は今後、人口減少の中でますます都会と地方の人口差や経済格差が広がる。それを無視して、全国一律で24時間営業をしなければならないというのは、経営的に考えても合理的とは言えない。ましてや、CO2の排出削減が喫緊の課題である中で、「ごく例外的に利用される時間帯にも、昼間と同じ電力を使う」という経済不合理性が許されるのは不思議である。「炭素税」や「環境税」を導入しないのならば、全国FC加盟店協会の求めるように、都会と田舎の需要の違いに合わせてサービスを供給することから始め、しだいに「深夜は静かに眠る」領域を拡大していき、都会での規制も“盛り場周辺”を除いて、徐々に進めていくのがいいのではないだろうか。「便利であれば何でもいい」という考え方は地球温暖化時代には通用しない、と私は思う。

 谷口 雅宣

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2008年7月19日

“郊外型”は廃れる? (2)

 7月1日の本欄に同じ題で書いたが、郊外型大型店の売上減が鮮明になってきたことで、私の予測に信憑性が出てきた。原因はもちろん、原油高騰から来る自動車用燃料の値上がりである。これによって車離れが進んでおり、車の使用を控える動きが顕著になってきたことは、4日の本欄にも書いた通りである。
 
「車離れ」の傾向は、『日本経済新聞』による車保有者への調査でも鮮明になっている。18日付の同紙によると、7月初旬に全国の消費者千人に行った調査では、ガソリン価格の値上がりによって「1年前より車に乗る回数をへらした」と答えた人は「53%」に達し、前回の調査(今年1月)の「36%」よりさらに増えた。このうち何を減らしたかを聞いたところ、①「短距離のドライブ・レジャー」が37%で最も多く、続いて②「郊外型ショッピングセンターでの買い物」が34%、③「車を使った外食」27%、④「マイカー通勤・通学」⑤「子供などの送迎」の順だった。

 この動きに危機感を抱く郊外型の大型店では、客をつなぎとめておくためにガソリン代の一部負担のサービスをやり始めている。18日の『産経新聞』によると、イオンは10日から4日間、ジャスコの約250店で、ガソリンスタンド用のプリペイドカードが当たる抽選会を実施、売上げが前年比で1割伸びるという成果を上げたという。イトーヨーカ堂は16~21日の期間限定で、126の全店で5千円以上の買い物客にガソリンの割引券(リッター当り10円引き)を配布している。また、カラオケ店チェーンの「シダックス・コミュニティー」は1日から、午後6時以降に車かバイクで来店した客に、ガソリン2リットル分の値引きサービスをしているという。
 
 上に挙げた「車を使った外食を減らす」傾向は、ガソリンの値上がりだけでなく、食料品全体の値上がりとも関係している。(この2つは、しかし「原油の高騰」という同一の原因から来ている)そして、このことが米の消費量の増加に結びついているようだ。18日付の『日経』によると、「食料品価格の上昇で外食をひかえる動きが広がり、家庭で消費する精米の販売が予想以上に好調」だそうだ。もっと具体的に言えば、米卸大手の「木徳神糧」が今年12月期の連結決算で、純利益が前期比52%増となるとの予想を発表したそうだ。売上高の予想は前期比でほぼ横ばいだが、営業利益は同68%増になる見込みという。給食に米を使う機会をふやそうという政府の政策とも関係しているだろうが、米価の安定が幸いしているらしい。

 こうやって眺めてみると、昨今の原油の高騰も悪いことばかりではないことが分かる。車での外出が減り、家族が家で米主体の食事をするようになれば、団欒の機会が増え、健康上も良い結果をもたらすのではないか。最近は、東京でも交通渋滞が少なくなったし、空気もきれいになっている。ガソリンの高値が長く続けば、“近場レジャー”の需要が高まるから、電動自転車のレンタル事業や公共交通手段の整備などが進み、各地の特徴を生かした駅前商店街が再生することを私は期待している。
 
 谷口 雅宣

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2008年7月 4日

バイオエタノールの本格輸入?

 1日の本欄で、原油高騰の影響を受けて、郊外型の大型小売店舗はいずれ地方都市から撤退するかもしれない、と書いた。そんな傾向がこれから生じるだろうと思ったからだが、現在すでにそうなっているらしい。2日付の『日本経済新聞』は、「クルマ離れ加速」という記事を掲載し、消費者のガソリン買い控えや、旅行手段の変更、カーシェアリングの増加などが顕著になってきたことを伝えている。その記事の中に、郊外型小売店の“苦戦”の様子も書かれていた。
 
 それによると、長崎ちゃんぽんの店「リンガーハット」は、郊外の既存店の売り上げが落ちているので、出店戦略を変更して、「都市部や郊外の商業施設内の出店に軸足を移す」そうだ。また、イオンの岡田元也社長の言葉として、「特に郊外の大型ショッピングセンターが厳しい」という評価を引用しているのが注目される。それが厳しい理由は、「少しでもガソリンの消費を減らそうと週末にまとめ買いをする顧客が増え平日の来店が大幅に減少」したからだそうだ。これが事実だとすれば、私の“希望的観測”である地方都市の中心街の再活性化は、夢ではないかもしれない。
 
 その反面、私の心配する傾向も出ている。それは、日本が第一世代のバイオエタノールの開発に本格的に乗り出したことである。「第一世代」の意味は、トウモロコシやサトウキビなどを原料としているため、「食糧と競合する」燃料ということだ。2日付の『日経』によると、日本の石油元売り各社は、ブラジルからサトウキビを原料とするバイオエタノールの長期調達を始めるという。2010年をめどに、その量は年間20万キロリットルを目指すらしい。

 3日付の『朝日新聞』の記事はもっと詳しい。それによると、この話は、三井物産とブラジル国営石油会社「ペトロブラス」がサトウキビからエタノールまでの一貫生産をする新会社を設立することで実現する。新会社はゴイアス州のイタルマ市に置き、総事業費は約300億円。物産とペトロブラスが2割ずつの株をもち、その他は現地の土地保有者や農家らでつくる特定目的会社が出資するという。『日経』の記事はサンパウロ発で、日本の石油元売り各社がこの事業の主体のような表現になっているが、『朝日』の記事はトーンが違う。「三井物産は供給体制を先に確立することで(バイオエタノールの)使用拡大に結びつけるねらいがあり、今後、石油会社や電力会社への売り込みを急ぐ」のだそうだ。
 
 で、問題は、現在起こっている食糧と燃料の競合の問題をこの事業が深刻化させるかどうか、である。『朝日』によると、これを避けるために、「灌木地帯で新規のサトウキビ畑を開墾し、合計で3万ヘクタールまで広げる」のだそうだ。また、「ペトロブラスは国内のエタノール生産に影響を与えないようにするため、輸出向けのバイオエタノール工場を増やす方針」なのだそうだ。つまり、日本向けに新たに3万ヘクタール(香川県の6分の1)のセラードを開墾し、サトウキビ畑に変えるというのだ。ブラジル政府は恐らく、日本以外にもエタノールの輸出先を探しているだろうから、今後、ブラジルのセラードはどんどんサトウキビ畑に変わっていくことになる。
 
 ブラジルの「セラード」と呼ばれる灌木地帯は、アマゾンなどの熱帯雨林に比べるとCO2の吸収量は少ないが、豊かな生物多様性を特徴としている。これが今後、サトウキビという単一種の植物に変わることは決して好ましいとは言えない。日本がその“片棒を担ぐ”のは残念なことである。
 
 谷口 雅宣

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2008年7月 1日

“郊外型”は廃れる?

 前回の本欄では、「原油の高騰」「高齢化」「人口減少」などが、地方都市の中心街に再び活気を呼びもどす契機になるなどと書いた。“予言”のつもりではなく、半ば期待を込めて地方の再起を促したかった。事情もよく知らないのに勝手なことを書くなと言われそうだが、私の期待には、まったく根拠がないわけではない。というのは、アメリカでは、郊外の住宅を売って都市にもどる傾向が生まれているらしいからだ。
 
 6月26日の『ヘラルド・トリビューン』紙によると、彼の国では、ガソリンを含む燃料代の高騰が都市郊外の生活をしだいに困難にしつつあるというのだ。コロラド州デンバーの郊外に家をもつある夫婦は、デンバー市南部の仕事場まで車で1時間の通勤をしていたが、ガソリンが1リットル当り1ドルを超えたころから、ディーゼル車の小型トラックに毎月121ドル(約1万3千円)の燃料代が必要になった。また、スペースの大きい郊外型住宅を暖めるにも燃料代がかかり、3月は566ドル(約6万円)を支払ったという。この暖房費は5年前の2倍だ。そして、今は市内に移住することを真面目に考えているそうだ。
 
 こうして、アメリカで半世紀前に始まった都市から郊外への移住の動きが、止まりつつあるという。アトランタ、フィラデルフィア、サンフランシスコ、ミネアポリスなどの大都市では、都市圏を超えた郊外の住宅の値段は、都市内のそれより値下がり幅が大きくなっている。ある経済学者の最近の調査では、シカゴ、ロサンゼルス、ピッツバーグ、ポートランド、タンパでも、同様の傾向が見られる。これには様々な理由があるだろうが、その中でも大きなものは、燃料費の高騰だと経済学者や不動産業者は考えているという。今年の3月、アメリカ人が自動車で走った距離は、1年前に比べて180万Km(4.3%)少なかったらしい。だから、多くの地方自治体は、大都市の中心街に焦点を合わせて再開発を進めつつあるという。
 
 日本とアメリカの事情は、もちろん同じではない。日本はアメリカよりも公共交通機関が発達しており、自動車の燃費は良好である。しかし、アメリカは人口増加が問題なく続いているのに対し、日本は人口減少の時代に入った。しかも高齢化が進んでいる。ということは、地方都市の郊外は、住環境としてアメリカより有利であるとは思えないのである。郊外型の立地を得意とする大手スーパーなどは、車を運転しない高齢者の客を誘致するために無料バスを運行しているところもあるが、燃料代の値上がりが続けば、それとていつまでもつか分からない。アメリカほど急激でないとしても、郊外型の大型店舗はいずれ日本の地方都市から撤退するのではないだろうか、と再び期待を込めて予測するのである。
 
 が、別の予測もしてみよう。それは、日本かアメリカが、あるいは双方の国で政権が交代し、化石燃料に頼らない自然エネルギーを主体とした低炭素社会へと急旋回した場合である。化石燃料の値段は下がるだろうが、それは需要が減るからだ。その時、郊外型の大規模小売店舗がどうなっているか、私には今、残念ながら想像できない。

 谷口 雅宣

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2008年6月30日

北見で考えたこと

 生長の家講習会のため、28日から29日にかけて北海道の北見市で過ごした。とは言っても、29日は朝から夕方まで講習会の会場にいたから、市内を見学したのはごくわずかな時間だ。それでも、2年前の前回との違いは感じられた。北見市は一時“東急の町”と言われたように、東急グループが中心となって開発した町だ。航空便も東急系の東亜国内航空(後の日本エアシステム)だけが運行していて、市の中心部に東急デパートと東急インが並んでいた。ところが現在は、東急グループが町から一部撤退して、デパートは地元資本の手に渡っていた。
 
 私は、各地の地方都市に東京資本が進出して“金太郎飴”のような町並みを形成することを嫌ってきたから、東急グループの撤退自体を嘆きはしない。自分勝手な感想かもしれないが、私の住む東京・渋谷はまさに“東急の街”だから、はるばるオホーツク海の近くまで飛んでも、また“東急の町”に来てしまうのでは退屈する。が、東急が撤退した理由の1つは、札幌以外の北海道各地の経済が縮小しつつあるからだろうから、東急の“後がま”として入った地元資本の行く末が心配だ。

 このデパートに入って、店員に文房具の売場を尋ねたら、「文房具は今は置いていません」と、すまなそうな顔をして答えた。この「今は」という言葉の意味を、私は「今はないが、今後は置くかもしれない」という意味に取れなかった。なぜなら、このデパートのある北見駅周辺には文具店どころか、書店が全然なかったからだ。文具店も書店も、学生にとって必要な店だ。それがないということは、この町には学生が、そして若者がいないという意味にとれる。ところが、夕方になると、自転車に乗った学生たちが大勢駅前を走るのを見かけたのだ。
 
 翌日、そのナゾが解けた。会食の席で青年会委員長が教えてくれたことは、駅から自転車でなければ行けない距離に、大手スーパーが開発したショッピング・センターがあるのだという。彼らはそこに集まっていて、駅前にも来るというのだ。「北見よ、お前もか」と私は思った。同様の現象は、盛岡にも青森にもあった。この中心街衰退の構図は全国で見られる。原因は明らかである。イーオンなどの大手スーパーが郊外型のショッピング・センターを建設することにより、駅周辺の古い商店街から客がいなくなるのである。自動車をもった客は、1箇所ですべての用が足りる便利さに逆らえないからだ。

 この問題は国会でも取り上げられ、大規模小売店舗の郊外への立地を制限する動きが出ている。が、大企業に弱い政権で何ができるかは不明である。私はそれより、“原油の高騰”と“地方の高齢化”がこの問題の解決に影響を与えるような気がしている。簡単に説明しよう。
 
 ガソリンの値上げの影響は、自動車の利用の減少という形ですでに現れている。また、地方では人口減少が急速に続いているから、土地の値段も下がっている。しかし、地方にいて自動車のない生活は不便このうえない。また、高齢化にともない、車を運転する人の数も減っていく。すると地方では、人口は郊外から駅近くの中心街に移動する傾向が生まれるのではないか。ただし、これには駅周辺の再開発と公共交通機関の充実が必要だ。私は、行政が税制の変更や優遇策などで、この動きをリードするのがいいと思う。そうすれば、東京資本による“金太郎飴”的開発ではない、地元資本による個性ある町づくりができるのではないだろうか。

 谷口 雅宣

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2008年6月28日

物価上昇と運動の工夫

 原油価格の高騰が、我々の生活全般に影響を及ぼし始めている。今日の『日本経済新聞』は、7月1日から新たに値上げされる商品とサービスを一覧表で示しているが、それによると、ガソリンの卸売価格は言うに及ばず、電気、ガス料金は2~3%値上げされ、「今後もさらに上昇傾向が続く可能性が強い」という。そのほか、航空運賃、自動車保険料も上がる。食品関連の値上げ幅は大きく、カゴメは野菜飲料などを4~9%上げ、日清オイリオ、J-オイルミルズは食用油を平均で10%上げ、味の素はマヨネーズを4~14%上げ、マルハニチロ食品は練り製品などを8~40%、伊藤ハムは空揚げや冷蔵ピザなどの加工食品を平均で17%上げるという。これに加えて、全農(全国農業協同組合連合会)が主要の化学肥料を1.6倍に値上げするそうだ。こちらは、今後の農産物全般の価格に影響を及ぼしそうだ。
 
 重油の値上がりで、遠洋漁業にも深刻な影響が出ている。同じ日の『日経』は、日本、台湾、韓国、中国の遠洋マグロはえ縄漁業では、全体の保有船約1050隻うち3割が、休漁していることを伝えている。これにより、マグロの値段が上がるのは時間の問題だろう。養殖マグロの場合も、飼料の値上がりが価格に跳ね返る。こうして、家計に占める食費の割合が増えることになるから、レジャーや贅沢品に回される分は当然、減っていくだろう。
 
 家電量販店で、照明や店頭デモ用に使う電力を節約する動きが出ているそうだ。これは大いに歓迎したい。渋谷や新宿の家電量販店の前を通るたびに私が思うのは、あの壮大な電力の浪費によって、どれだけのCO2が排出されるのか、ということである。特に、各種の大画面テレビなどを壁の全面に並べて、映り具合を比較させたり、音響製品を並べて聞かせる方法は、どうにかならないのかと思う。あの店頭デモで使われる電気代は当然、商品価格に含まれるのだから、それがなくなってくれれば、原油の値上がり分も価格に反映しないすむのではないか、などと憶測する。記事によると、ビックカメラは、薄型テレビとパソコンの3割、照明機器と電話機、ファックスの5割で電源を落とすなどすることで、消費電力の3%を節約する考えらしい。これを全国の27店で実施すると、年間で150万Kwhになるという。この電力は、約360世帯の一般家庭の年間消費電力に相当するという。電気代にして年間2~3千万円のコスト減が見込めるらしい。

 生長の家は“炭素ゼロ”の運動を目指していることは前回も触れたが、この実現はそれほど簡単でない。背後にある基本的な論理は、比較的単純だ。つまり、CO2の排出をできるだけ避けるためには、交通機関の利用を減らすことが重要だから、遠距離を移動しないで運動を進める方法--つまり、地元に密着した、地元中心の運動が望ましい、ということだ。これは、交通費全般が値上がりしているのだから、交通機関の利用はできるだけ避けたいという経済的要請とも一致している。宗教運動は基本的に「人と人とのつながり」(人間関係)を基本としている。それを盛り上げるためには、人と人とが頻繁に会うことが必要だ。もちろん、現在は通信技術の発達によってケータイやパソコン、遠距離会議システムの利用は可能だが、これはあくまでも“従”的手段であり、宗教の“主”的手段は「人対人」である。“主”を確実に進めながら、“従”を効果的に使っていくような新しい運動の開発が求められている。
 
谷口 雅宣

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2008年6月26日

生長の家は温暖化抑制に努めている

 地球温暖化抑制のための対策として、京都議定書で定められた温室効果ガスの排出権取引があることは、本欄の読者ならばすでに十分ご承知のことだろう。これについては本欄で何回も取り上げ、必ずしも諸手を挙げて賛成はしていないものの、その一部については、実質的な温室効果ガス排出削減の効果があると認めてきた。洞爺湖サミットの開催を直前に控えて、政府内部でも排出権取引の方針が煮詰まりつつあるようだ。ただし、あくまでも企業の「自発的な参加」を原則とするうえ、「自主的削減目標」しか設定しないようであり、効果はきわめて限定的だ。6月25日付の『朝日新聞』などが伝えている。私は、東京都が25日に可決した環境確保条例改正案のように、一定規模以上の企業に温室効果ガスの削減を「義務化」するのでなければ、実質的な効果はあまり望めないと思う。

 22日に富山市で行われた生長の家講習会では、参加者の質問の中に生長の家の環境問題への取り組みが不十分ではないかと、疑問を呈する内容のものがあって、私は驚いた。それは62歳の自営業の男性からのもので、こういう内容である--
 
<「生長の家」の信仰を多くの人々に知ってもらうには、マスコミ等による宣伝が少ないと思います。又CO2の削減のアピールも少ないと思います。今のままでは少しもの足りないと思います。>

 そこで私は、生長の家が日本の宗教界では最初に、環境経営の国際基準である「ISO14001」を取得したことや、今年の1月には韓国のフロンガス工場から排出される強力な温室効果ガスの排出削減に貢献して排出権を獲得したこと、また、現在は“炭素ゼロ”運動を強力に推進していることなどを話して、この質問者の誤解を解こうとしたのだった。そんな中で、本欄の読者、濱田貴博さんから、1月10日の本欄へのコメントの形で、生長の家の排出権取得を評価する文章が、最近発刊されたビジネス書に書かれていることを教えていただいた。うれしいニュースである。この本は、北村慶著『排出権取引とは何か--知っておきたい二酸化炭素市場の仕組み』(PHPビジネス新書)で、初版発行日は今年の7月2日(!)であるから、まさに出来たてホヤホヤである。
 
 この本の25ページには、こうある--
 
<日本で初めて「排出権」を信託方式により小口化した三菱UFJ信託銀行の「排出権信託」を購入した先には、企業だけではなく、「生長の家」という宗教法人もあります。「生長の家」は、信者数200万を超える日本を代表する宗教団体です。>

 このあと、生長の家の公式サイトに発表された文章を一部引用してから、さらにこう書いてある--

<「排出権」については、温室効果ガスを排出できる権利--すなわち、地球を汚す権利--と捉えると、環境問題に真摯に取り組んでこられた人々や団体から、環境問題をカネで解決するものではないか、という疑義を受けやすいという側面があります。
 しかし、私たちが生活し、活動していく以上、それが個人の活動であれ、企業活動であれ、宗教活動であれ、温室効果ガスは発生してしまいます。
 その意味で、「生長の家」のように、地球環境への負荷を軽減する自助努力をまず行い、それを補う形で国連で認められた「排出権」を補完的に用いるという考え方は、十分に受け入れられて然るべきものであると思われます。>
 
 私は著者の北村氏について何も知らないが、この書の略歴には、「慶応義塾大学卒、ペンシルベニア大学経営大学院留学。大手グローバル金融機関勤務。日本証券アナリスト協会検定会員、ファイナンシャル・プランナー1級技能士。日米欧で、投資ファンド、M&A仲介・コーポレートアドバイザリー業務、および環境関連のプロジェクト・ファイナンスや金融商品開発に携わる」とあるから、現役のファイナンシャル・プランナーなのだろう。これまで何冊も著書があり、北村氏自身のブログには「金融ビジネス書作家」との肩書きが使われている。

 排出権取引のことが分かりやすく書いてあるので、読者諸賢にも一読をお勧めする。
 
 谷口 雅宣

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2008年6月12日

CO2を作らない技術を

 6月10日の本欄では、G8を含む11カ国のエネルギー相の会合で、CO2の地下貯留について、「G8が2010年までに20件の大規模案件に着手することで合意した」ことを伝えた。この際、私はこの技術への疑念を表明した。私はすでに、2005年12月14日2007年2月4日の本欄でも、この技術への不安を吐露していたが、最近、天然ガス田の試掘によって実際に火山が爆発したとする研究が発表されたことを知り、私の不安が杞憂でないことを確認した。6月11日付の『ヘラルド・トリビューン』紙が、それを伝えている。

 それによると最近、『Earth and Planetary Science Letters』(地球と惑星科学通信)という科学誌に載った英・米・豪とインドネシアの研究チームの論文では、2006年5月、インドネシアのジャワ島で噴火し、現在も熱い泥を流し続けている火山「ルーシー」は、ラピンド・ブランタス社によるガス田試掘によって噴火した可能性が高いと結論している。この噴火によって、付近に住んでいた5万人を超える住民は避難生活を送っているという。論文執筆者の1人であるイギリスのダーハム大学(Durham University)のリチャード・ダヴィース教授(Richard Davies)は、「ルーシー山の噴火は自然災害ではなく、バンジャー・パンジー1号ガス田を掘ることによって生じた人災であると、これまでになく確実に言うことができる」としている。
 
 同教授はまた、噴火の前日、ガス田の井戸の中に大量の液体とガスが流入し、それによって井戸内の圧力が危険値を超えて上昇したことにより、井戸と岩盤から漏れた液体が地上に噴出し、それが地上の泥を巻き上げて火山が生まれた、としている。高圧の液体は周囲の岩盤にヒビを入れ、熱い泥が井戸の口からではなく、岩盤のヒビを伝わって地上へほとばしり出たのだという。
 
 試掘会社と一部の科学者はこれまで、ルーシー山の噴火の原因はその2日前、試掘場所から250キロ離れたところで起こったマグニチュード6.3のヨギャカルタ地震とその余震だとしていた。この地震では6千人が死に、150万人が家を失った。研究チームの一員であるカリフォルニア大学バークレー校のマイケル・マンガ氏(Michael Manga)と同校の大学院生、マリア・ブラム氏(Maria Brumm)はこの説を検証した結果、その規模の地震で250キロ先に泥火山を生み出すことはできないと結論したという。
 
 現在、一部で実行され、また考えられているCO2の地下貯留については、2005年5月15日の本欄に少し書いた。それをごく簡単に言うと、「石炭などを燃やして電気と水素、CO2を取り出し、そのうちCO2だけを地中深く埋める」という方法だ。その埋める場所は、「使われていない石炭層や古い油田、ガス田、あるいは塩水で満たされた多孔質の岩」などだ。この作業中に、今回のような事故が起こる可能性は否定できないし、それによって火山の噴火が誘発されなかったとしても、岩盤や井戸に亀裂が入り、CO2が漏れ出してしまえば元も子もなくなってしまう。次世代やその次の世代の人類のことを考えれば、「CO2を作って埋める」のではなく、「CO2を作らない」技術を開発すべきと思うのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年5月21日

“福田ビジョン”は遅れている

 5月14日の本欄で、“放置国家”日本の環境対策の不思議さに触れた。自然エネルギーを事業化している日本の大手企業が、事業の主軸を国内から海外へ移しているという話である。その時は、太陽光電池のメーカーの昨年の輸出量が、国内出荷の3倍に達したことをお伝えした。が、今日の『日本経済新聞』には、太陽光発電協会の統計として、昨年度の国内出荷量が前年度比で22%減ったことが報じられている。国外へ出るのが増えただけでなく、国内の分が減ったというのだから、寂しいかぎりである。しかも、国内市場の縮小は2年連続という。“福田ビジョン”と称するものが、いかに遅れているかがよく分かる。
 
 その記事によると、国内出荷減少の原因は、8割を占める住宅向けが前年度比で25%も減ったからという。太陽光電池の昨年度の輸出量は、発電能力に換算して70万1700kWで、国内出荷は20万9900kW。輸出は国内分の3.3倍になる。地域別に見ると、欧州向けは24%増、アメリカ向けは15%増だ。これは、欧米の政府が補助金などの優遇策を拡充しているためで、ドイツやスペインでは現在、太陽光発電への初期投資は10年程度で回収できるのに対し、日本では20~25年かかる。これは明らかに、技術の違いではなく政策の違いである。
 
 日本の太陽光発電量は2004年まで“世界一”を誇ってきたが、2005年にドイツに抜かれた。主な原因は、この年に政府が補助金を打ち切ったためだ。私が自宅に太陽光発電を導入した当初は、投資額の半分近くの補助が出た。しかし、2005年は1kW当たり「2万円」までに減額されている。国全体の予算も、この年は26億円にすぎなかった。現在生長の家では、会員が太陽光発電を導入する場合、2005年の政府補助金と同レベルの助成をすることで、自然エネルギーの利用促進を図っているが、国全体の動向にはまったく力が及ばない。ちなみに、昨年度の生長の家関連の太陽光発電の導入は、発電容量にしてわずか「371kW」である。
 
 日本政府は5月13日に、電力卸で最大手のJパワーの株式をイギリス系投資ファンドである「ザ・チルドレンズ・インベストメント・マスターファンド(TCI)」が20%まで買い増す計画に、中止命令を出した。私はこの決定が、日本の環境政策への消極姿勢と大いに関係があることを知らなかった。しかし、21日付の『朝日新聞』に竹内敬二・編集委員が書いている記事を読んで、なるほどと思った。政府の正式な決定理由は「電力会社は原発や送電線などをもち、電力の安定供給、我が国の秩序維持に欠かせない」というものだが、その背後には、電力会社の独占的体制を外国資本の影響力から護るという目的もあるようだ。
 
 日本は欧米と違い、発電と送電を同じ電力会社が行ってきた。地域的には独占体制が敷かれてきたわけだ。これは、メーカーと販売会社が同一の会社で、しかも1社しかないのと同じだ。最近になって、ようやく発電部門を複数の会社が担当できることになったが、販売が1社だけであれば当然、公平さが欠ける。自社のつくった電気を優先的、あるいは有利に売ることになる。また、自然エネルギーによる発電をどれだけ送電するかも、地域独占会社が決めることになり、消費者には選択権がない。それでも、政策によって全供給電力の一定割合を自然エネルギーにするように義務づけることはできる。それを定めているのが、新エネルギー利用特別措置法(RPS法)だが、現在の規定では、その割合は全電力のわずか1%にすぎない。この割合は漸増することになっているが、それでも2010年の時点で1.35%なのだ。
 
 これが現在の政府の政策であり、その内容は電力会社の利益に忠実に従っているのである。これを別の言葉で表すと「電力の安定供給」となり、「我が国の秩序維持」となるる。独占だから「安定」しているのであり、「秩序」とは「現状」のことなのである。

 2月22日の本欄で、私は福田首相直轄のアドバイザー組織「地球温暖化問題に関する懇談会」のメンバーに、勝俣恒久・東京電力社長が入ったことについて触れ、温暖化対策に関しては「最大の反対勢力を内部に取り込むことで何かを達成しよう」という政治手法によって、「本当に意味のある政策が実現可能かどうかよく分からない」と書いた。が、「とりあえず、洞爺湖サミットまで、お手並み拝見ということにする」とも書いた。この「お手並み」の1つが、今回のJパワー株の買い増し拒否であったわけだ。私の心配が的中したようで、残念である。
 
 谷口 雅宣

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2008年5月17日

自動車減少の時代

 昨日(16日)付の『日本経済新聞』の第1面を見て、私は驚いた。題字横に「自動車保有 初の減少」という白抜き文字が目立っている。日本国内を走る車の台数が減り始めたというのだ。が、よく考えてみると、日本の人口が減少に転じたのだから、当然と言えば当然かもしれない。また、大都市への人口集中が進めば、そこでは自動車の代りの交通手段があるから、保有台数が減少しても不思議はない。それに加えて、昨今のガソリン代の高騰で、自動車を利用するためのコストが上がっている。理屈はそういうことなのだが、「自動車はどんどん増えるもの」という固定観念が強かったのだろう、見出しを何回も読むことになった。記事のリード文には、「3カ月連続の前年割れは自動車普及が加速し始めた1960年代前半以降初めて」とある。

 記事から実際の数字を示せば、排気量660cc以下の軽自動車、二輪車を合わせた全国の自動車保有台数は、今年の2月末の時点で7943万台となり、前年同期比で0.2%減少したという。前年同期比での減少は、昨年12月末、今年1月末に続き3カ月の連続で、戦後初らしい。『日経』は、経済新聞らしく、これによって国内の自動車産業だけでなく、「年25兆円を超す幅広い関連産業」にも影響が生じるとしている。が、私はプラス面を見る--①大気汚染の減少、②温室効果ガスの排出減、③交通事故の減少、④道路政策の見直し--などにつながるのではないか。4番目の点は、記事でも特に指摘されていて、現在の道路整備中期計画の前提は“交通量のピークは2020年”として策定されたものだから、そのままの前提で道路建設を進めることが難しくなるだろう。これは、環境保全のためにはプラスの要素である。
 
 しかし、CO2排出量という点から見れば、日本国内を走る車の台数が減っても、中国やインドなどで車が増えれば、人口の多さから見て排出削減にはならないだろう。また、石油の値段が下がれば、自動車の利用を始める人も出るだろうから、排出削減になるかどうか分らない。こういう言い方をすると怒る人がいるかもしれないが、私は石油の値段が下がらないことを願っている。なぜなら、石油が現在のような高値にあるがゆえに、代替エネルギーを使う技術開発が諸方面で進行しつつあるからである。
 
 15日の『ヘラルド・トリビューン』紙は今、世界各地で自転車ブームが起きていることを伝えている。それによると、台湾の自転車メーカー「ジャイアント(Giant)」は昨年、550万台の自転車を生産したが、今年はそれより1割増を予測しているという。自転車は、環境にいいだけでなく、運動不足の解消のための手軽なスポーツとして、先進国で人気が出ている。これは、EU諸国の環境政策とも関係がある。自動車の代りに自転車の利用が奨励されていて、パリやバルセロナには貸し自転車の制度がある。だから、最大の生産地は中国本土であり、それを買うのは主としてヨーロッパ諸国ということになる。世界の自転車生産は約1億台で、そのうち7300万台が中国で造られ、うち7割がEU諸国へ輸出されるらしい。このブームには、ガソリン価格の上昇が一役買っていることは言うまでもない。
 
 日本でも自転車の利用は盛んだが、放置自転車の問題や、最近では歩道での無謀運転から来る交通事故も増えていることは、ご存じの通りである。市民・行政ともどもにいろいろの工夫をし、制度を整え、マナーを守って、手軽で安全で、そしてクリーンな交通手段として、減少する自動車の代りに育てていきたいと思う。
 
 谷口 雅宣

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2008年5月14日

“放置国家”から脱却しよう

 最近の日本の政治はきわめて分かりにくいので、ホトホト困ってしまう。「道路特定財源の制度を延長する」ための法律を作っておいて、閣議では「道路特定財源は廃止する」と決める。これは大いなる矛盾だから、どちらかがウソではないかと思う。そこで、普通はこう考える--日本は議会制民主主義の国で、世界に冠たる“法治国家”だから、国権の最高機関である国会で決まった法律が政治の本筋を決定する。ところが、福田首相は「閣議で決まったことが本当だ」と言う。これでは、内閣総理大臣が「法律は無視していい」と言っているように聞こえる。こんなにいいかげんで、分かりにくい政治を野党も許しているところが、また分からない。結局、日本という国は“法治国家”というよりは、ギョーカイが望むものはすべて温存しようとする既得権益の“放置国家”ではないか--と思いたくなる。

 しかし、私が今回言いたいことは「道路問題」ではなく「環境対策」である。この2つは、もちろん関係がある。道路をつくり続ければ当然、自然環境の悪化が進行する。それは、山を切り拓き、大量の構造物とセメントとを自然界に投入することだから、当然、二酸化炭素が出る。それだけでなく、山や原野に道路を通すことは、生物の生息域を分断することになり、繁殖条件を悪化させる。だから、道路をつくり続けながら環境対策も行うというのは、大いなる矛盾であり、どちらかがウソである。どちらがウソであるかは、上記の例を考えれば何となく分かるだろう。
 
 5月12日の『日本経済新聞』の夕刊に、不思議な記事が載っていた。「不思議」というのは「内容が怪しい」という意味ではない。内容は「そうだろうな」と理解したうえで、「なぜそうなのか?」と不思議に思うのである。その記事によると、日本で太陽光発電と風力発電を事業化している企業は、事業の主軸を国内から海外へ移している、というのである。太陽光電池のメーカーは2007年に、輸出量が国内出荷の3倍に達した一方、風力発電の事業者は、国内よりも海外での発電所立地を進めているというのだ。その理由は「欧米は新エネルギー導入の優遇策を強化しており、市場の伸びは国内を大きく上回る」からだという。
 
 ここでいう事業者やメーカーは、中小企業ではない。日本を代表する大手メーカー--例えば、太陽電池ではシャープ、三菱電機、京セラ、風力発電では東京電力系のユーラスエナジーホールディングス、電源開発(Jパワー)などだ。そういう日本の大企業が、国内よりも海外へ事業を展開しようとしているのは、日本が自然エネルギー導入に消極的だからである。政治のかけ声だけは大きいが、制度的な変更がきわめて遅いか、あるいは変更の意欲がないように見える。この点は、道路特定財源の問題とよく似ている。つまり、既得権益をもった勢力が変更を拒んでいて、政治家はその意向に唯唯諾諾としている。

 このほど“福田ビジョン”と称する洞爺湖サミット向けの地球温暖化対策の目標が明らかになったが、そこでは日本は2050年までに、温室効果ガスを1990年比で60~80%削減するとしているようだ。これはかけ声としては相当“意欲的”に聞こえるが、すでにEUが掲げている目標と変わらない。では、EUが実施している温暖化対策に近いものを日本が今、行っているのだろうか? 答えは「ノー」である。環境税も排出権取引も、自然エネルギー支援のための優遇策も、ほとんど内容のあるものは実施されていない。だから、常日頃政府に同情的な『産経新聞』でさえ、「この数値目標の根拠は薄弱である」(5月13日付「主張」)と疑い、『日経』にいたっては、「産業の構造も企業の体質も現状維持を前提とした自主行動の積み上げなどでは、60%とか80%の削減などできるはずはない」(同日「社説」)と手厳しい。大企業が自然エネルギー関連事業を海外へ移しているのも、まさにこれと同じ理由だろう。

 本欄で繰り返し述べてきたように、21世紀は「低炭素社会」の実現に向かって世界全体が転換すべき時代である。道路特定財源の問題も処理できないような現状では、この大変化の潮流には乗れない。日本は早く“放置国家”から脱却しなければならないのである。

 谷口 雅宣

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2008年5月12日

イスラエルのシリア空爆 (2)

 昨年の10月15日の本欄にこれと同じ主題で書いたが、先の連休前にこのことで新しい展開があったことは、読者もご存じだろう。それは、これまで本件について「ノーコメント」を通してきたアメリカ政府が4月25日に突然、本件に関連して「北朝鮮はシリアの核施設建設を支援してきた」と発表したことだ。それだけでなく、そう判断するに至った証拠写真を、破壊された原子炉の内部の写真も含めて何枚も公表した。その中には、シリアの原子力委員会関係者と一緒にいる北朝鮮高官の写真もあり、その人物についてホワイトハウスは、固有名詞を挙げて「寧辺の核燃料製造工場の責任者だ」と説明した。この寧辺の核施設とは、北朝鮮が核兵器の燃料製造に使ったとされている施設である。
 
 4月25日の『朝日新聞』夕刊が、アメリカ政府の発表の骨子を分かりやすくまとめている--
 
① シリアは2007年8月、ガス冷却黒鉛減速炉を建設中で、稼働間近だった。完成すれば原子炉は核兵器に使うプルトニウムの生産が可能となる。
② 原子炉は核燃料の搬入前に破壊された。
③ 北朝鮮がシリアの機密核兵器計画を支援したと確信する。同型炉は過去35年間、北朝鮮だけが建設している。
④ シリアは破壊直後に跡地を整地し、証拠となるような機器を持ち去った。

 昨年9月21日の本欄に書いたことを読み返してもらえれば分かるが、上の事実のほとんどは、9月6日にイスラエル空軍による施設攻撃があった時点で、すでにアメリカ政府が知っていたことだろう。知っていながら8カ月ものあいだ「ノーコメント」を通していたのは、北朝鮮が過去の核拡散行為の申告を自主的にする余地を残しておいたのだろう。「オレたちは知っているから破壊した。しかし、そのことは今は言わない。自らそれを申告すれば、経済援助はしよう」--そういうメッセージを出していたのだ。これは言わば“無言のメッセージ”である。しかし、当の北朝鮮は「オレは知らぬ」を通してきた。
 
 そこで今回、アメリカは「我々は決定的な証拠を握っている」という意味で、証拠の内容を公表したのだろう。メディアに発表した証拠がアメリカ側の握っている証拠の全部かどうかは分からない。しかし、相当細かいものだ。そして、この発表を行った当日、北朝鮮を20日から訪問していたアメリカ国務省のソン・キム朝鮮部長は、記者団に対して「非常によい訪問になった。中身の濃い議論ができた」と語っている。また、北朝鮮側は24日、この協議について「真摯かつ建設的に行われ、前進があった」と発表している。この北朝鮮での交渉で、アメリカは相当の内容の証拠を示して、北朝鮮に申告を迫ったに違いない。それに対して北朝鮮側が、少なくとも公式には不快感を示さなかったことは注目に値するだろう。

 さて、空爆を行ったイスラエル自身だが、これまでその事実さえ認めなかったのはなぜだろう? ひとつは、攻撃されたシリアが当初、それを認めなかったことに原因があるだろう。当初(攻撃のあった9月中)のシリア側の説明は、イスラエルの航空機が「武器類」(munitions)を投下し、燃料タンクを落としたので、シリア軍によって追い返された、というものだ。その後、10月に入って、シリアのアサド大統領は本件について初めて公式にコメントし、「イスラエルのジェット機が、使われていない軍関連施設を爆撃した」と言った。こうして“敵”側が「大した問題ではない」という態度をとっているときに、イスラエルが公式に「核施設だったから攻撃した」と言えば戦争になるだろう。そういう薄氷を踏むような駆け引きがあったと想像する。

 もう1つの理由を憶測すれば、それはシリアの報復を恐れたためだ。別の言い方をすれば、イスラエル自身の核施設が攻撃に対して必ずしも安全でないからだ。このことは、ブッシュ大統領が4月25日の記者発表の際に「我々は早期に発表することによって中東で対立や報復の危険が増すことを心配した」と言っていることからも推測できる。5月10~11日付の『ヘラルド・トリビューン』紙には、前のブッシュ政権(現大統領の父親)時代に国務省職員だったベネット・ラムバーグ氏(Bennett Ramberg)の論説が掲載されているが、そこにはイスラエルの核事情がやや詳しく描かれている。
 
 それによると、昨年11月、ロンドンの『サンデー・タイムズ』紙に掲載された記事は、イスラエルがディモナにある核施設周辺に厳戒態勢を布いたことを報じた。が、その意味について、記事は十分理解しなかったようだ。ラムバーグ氏は、これはシリアの報復攻撃に備えての行動だったという。彼によると、エルサレムから離れたネゲヴ砂漠の中にあるディモナには、同国の核兵器計画の中心施設があるという。稼働開始からすでに40年以上を経て、ここでは最大200個の核爆弾を製造できるだけのプルトニウムが生成されている。核兵器は、主として「抑止」のために機能するが、その一方で、攻撃対象ともなる。1960年代には、エジプトがここを攻撃することを検討した。湾岸戦争中の1991年には、イラクのフセイン大統領は実際に、ここへ向けてロケット攻撃を行った。2004年には、イランの高官がその施設が悩みの種だと言った。そして、2007年にシリアも同じことを言ったという。
 
 地域戦争が起こると、核施設は実際に攻撃対象になる。1980年代のイラク・イラン戦争でも建設中の核施設が攻撃された。1981年には、イスラエルはイラクのオシラクにあった施設を破壊した。1991年の湾岸戦争開始まもなく、アメリカはバクダッド郊外にあったイラクの実験炉を爆撃し、2003年にも同じ場所が攻撃された。いずれの場合も、攻撃によって危険なレベルの放射能が環境に漏れ出すことはなかったが、稼働中の核施設が攻撃された場合の危険性は明らかだ。だからイスラエルは、狭い国土の中でも人口密集地からできるだけ遠い所に核施設を設けただけでなく、核燃料再処理施設と核兵器工場とを地下深くに隠した。さらに、施設の周辺を対空兵器で固めているという。
 
 このような歴史的事実を考えてみると、軽々に日本の核武装を提言する政治家の思慮のなさがよく分かる。また、これ以上に原子力発電所を増設することで、日本のエネルギー需要を満たそうとする自民党の政策の危うさが浮かび上がってくるのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年4月12日

食糧危機が近づいている? (2)

 本欄ではここひと月ほど、石油高騰と食糧問題との関係について何回か書いてきた。具体的には、3月8日「食品の値段はまだ上がる」、同22日「食糧危機が近づいている?」、同29日「“農地から燃料”ではいけない」、4月7日「コメの値段が上がっている」の4回である。しかし、日本で生活している限り、この問題はさほど深刻でないような印象を受ける。恐らく読者の多くも、食糧危機など“遠い未来”か“遠い国”の話だと感じているのではないだろうか。しかし、世界の実情を知ると、貧しい途上国での食糧問題が政情不安を惹き起こす理由がよく分かる。4月11日付の『ヘラルド・トリビューン』紙に掲載された論説が参考になる。

 それによると、1世帯の収入に対する食費の割合は、日本を含む先進国では2割に満たないのがほとんどだが、貧しい途上国では5割以上になることが珍しくないという。具体的に言うと、アメリカの世帯を収入に応じて5段階に分類した場合、最貧層の世帯でも、収入に対する食費の割合は16%にすぎない。ところが、同じ数字は、ナイジェリアでは73%、ベトナムでは65%、インドネシアでは50%になるという。こういう状況の中で、途上国が輸入した食糧は、昨年のうちに平均で25%値上がりした。トウモロコシの値段は2年間で2倍になり、小麦の値段は28年ぶりの高値圏にある。先週、世界銀行のロバート・ズーリック総裁(Robert Zoellick)は声明を発表し、このような世界的な食品の値上がりの中、33カ国で暴動などの社会不安が起こる危険があると警告した。なぜなら、「1世帯の消費の半分から4分の3を食費が占める国々では、生存のための余裕がないから」だそうだ。

 4月7日の本欄では、香港でのコメの買いだめ騒動について書いたが、フィリピンの首都・マニラでも米穀販売店を兵士が警備する事態が起こった(4月7日付『日本経済新聞』)。エジプトでは8日に地方選挙の投票があったが、ムバラク政権に反対する野党勢力が食糧高騰を材料にして選挙をボイコットし、デモ隊が暴徒化して機動隊と衝突した地域もあった(10日付『朝日新聞』)。ハイチの首都、ポルト・オー・プリンスでは10日、大統領の退陣と食糧を求める民衆が商店や倉庫を略奪し、資産家は財産を守るために銃を発砲する中で、9千人の国連の平和維持軍はなすすべもなかったという(11日付『ヘラルド・トリビューン』)。そして、隣国の北朝鮮も、昨年の洪水や韓国との関係悪化によって食糧不足が深刻だとして、国連に援助を求めているという(12~13日付『ヘラルド・トリビューン』)。
 
 こんな中で、沖縄県の南西石油を買収したブラジルの国営石油会社ペトロブラスは、ブラジル産のバイオエタノールを2010年にも日本に輸出すると発表した。8日付の『日経』によると、ペトロブラスのガブリエリ総裁は、南西石油を日本市場への供給拠点にするだけでなく、アジア諸国への輸出拠点として重視する方針を発表した。同社の事業には三井物産が協力しているから、2010年以降、日本のドライバーはブラジル産のバイオエタノールを使って自動車を走らせるという選択肢をもつことになる。ブラジル産のバイオ燃料の増産は、同国のセラードやアマゾンの森林伐採につながる可能性が高い。また、農地をめぐって食糧と燃料が競合する関係を深刻化し、さらなる食糧値上がりにつながるだろう。今年3月の時点で“バイオエタノール信仰”を捨てた私としては、この選択肢を読者にお勧めするわけにはいかない。
 
 谷口 雅宣

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2008年4月 7日

コメの値段が上がっている

 食糧の世界的値上がりが、日本人の“主食”であるコメにも波及してきた。とは言っても、国産米の価格にすぐに影響を与えるほどではない。しかし、コメはアジア・アフリカの多くの国々で主食となっているから、収入の少ない途上国の貧困層にとっては大きな影響を与える恐れがある。また、多くの国々で主食とされているということは、生産量が多くても国内での消費量も多いわけで、したがって国際取引の量は少なく、よって価格の変動幅も大きい。そうなると、主たるコメの生産/消費国は、国内のコメ価格防衛のためにも輸出を控えることとなり、このことがさらに国際価格の上昇につながる。そんなことが今、実際に起こっているようだ。
 
 7月付の『日本経済新聞』によると、国際取引価格の参考指標となるタイ産のコメは、長粒種1級(100%精米)の平均輸出価格が2日、1トン当たり827ドル(約8万4千円)となり、1週間前の672ドルから一気に2割強値上がりした。今年初めの価格に比べて倍の値段だ。日本のコメ価格は、農水省の2月の調査で、ブレンド精米の卸売価格の平均が1トン当たり約30万円と、タイ米より4倍近くする。だから、国産米がすぐに価格競争力をもつわけではない。
 
 同紙によると、コメの急騰の直接原因は、ベトナムやインドなどが自国内の流通を確保するために輸出規制をしたこと。ベトナムは3月25日、年間輸出量の上限を定め、インドは4月1日に、高級種を除くコメの輸出を全面的に禁止した。3月末にはエジプトも10月までの輸出停止を決めているから、タイ産米に買いが集中しているという。世界のコメの生産量は約4億2千万トンと多いが、各国内部での消費も多いため、国際取引の対象は約7%の3千万トンほどしかない。この中で、気象変動による長雨や洪水などがあると今年の収穫量の減少も予想される。このため、輸出業者の間では、コメ価格が年内に1500ドルを超える可能性もささやかれているという。

 短期的な値上がり原因は上に書いたとおりだが、この背景には、原油高騰による肥料など生産コストの増大、ヤシ油などのバイオ燃料増産のためのコメの作付面積の減少などがある。2月の香港のコメ価格は、前年同月比で23.4%上昇したため、さらなる値上がりを心配した消費者が3月下旬、コメの買いだめに走る騒動も起こっている。中国の温家宝首相は31日、国民の不安沈静化のために、「香港へのコメの供給は保証する」と訪問先のラオスで声明を出すはめになったという。
 
 コメの輸入量が多い国は、インドネシア、フィリピン、ナイジェリア、EU、イラクなどで、コメの国際価格の値上がりは、これらの国々でのインフレ要因になる。フィリピンは消費量の約15%に相当する180万トンを輸入するというが、3月下旬、ベトナムから年150万トンの供給を3年間受ける覚書を締結し、アロヨ大統領はコメ生産者への緊急支援(総額50億ドル)を命じたという。また、7日付の『ヘラルド・トリビューン』紙によると、同国政府は、コメの買いだめは“経済破壊行為”として取り締まるとの声明を出した。この罪での最大の罰は、終身刑という。
 
 アメリカではバイオエタノール・ブームで農家が大いに儲かっているが、アジアの米作農家は、零細なものがほとんどで倉庫をもたないから、自家用以上に収穫があった場合は、収穫の時点(値段が最も安い時)にほとんどを売ってしまうという。国連の食糧農業機関(FAO)では、コメの値段は今後、ブラジル、ウルグワイ、バングラデッシュ、インド、インドネシア、ベトナムでの収穫が始まれば少し落ち着くと見ているが、その場合でも気候の良し悪しが重要な要素になるだろう。
 
 谷口 雅宣
 
 

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2008年4月 4日

“エコタウン”構想

 イギリスのブラウン首相が打ち出した“エコタウン”の構想が今、彼の地で論争を呼んでいる。イギリスは、環境意識の高いヨーロッパの中でも、ひときわ意識が高い国と言われているから、こんな構想が現実化するのだろう。この構想は、都会に住む人々に対して温暖化ガスの排出削減を求めるのではなく、都市化の進んでいない地域に低炭素の技術や制度を駆使した町を新たにつくり、そこへ都会からの移住を進めることで、国全体の排出削減を行おうとするもののようだ。4月2日付の『ヘラルド・トリビューン』紙でジェームズ・カンター氏(James Kanter)が伝えている。

 それによると、エコタウンに指定される予定の地域はイギリス全体で約60カ所で、そのうち最初の15カ所がまもなく発表される。ところが、多くのイギリス人はその指定を待ち望んでいると思いきや、事実は逆で、どうしたら指定から逃れられるか頭を悩ませているという。カンター氏は、それらの候補地の1つである中部イングランドの村、ストートン(Stoughton)を取材して報告している。この村がエコタウンの指定に反対している理由は、ここが静かな農村であり、住民はそのことに満足しているからだ。この田舎の村に、政府の構想で謳われているような最大で2万軒の家屋を新たに建設すれば、環境保全どころか環境破壊になる、と住民たちは心配している。また、この種の開発は、“エコ”の名がついていても結局、開発業者に好きなように利用されてしまう、と恐れている人も多いという。

 イギリスでは、住宅から排出される温暖化ガスは国全体の約4分の1というから、この分野での排出削減は欠かせない。政府は、現存の住居の改善や改良を進めて排出削減をするよりも、全く新しくインフラを整備した上で低炭素の住宅を建設する方がコストがかからないと考えている。しかし、候補地の住民に言わせると、このような“エコタウン”構想は、これまで通りの田舎の風光や自然環境を損なう恐れがあり、“自然を守る”という目的で進められる開発が、本当に目的通りに進むかが疑問視されているのだ。
 
 キャロライン・フリント(Caroline Flint)住宅相は、エコタウンは、上下水道の敷設、地域社会の重視、歩行者や自転車、公共交通機関の優先などの面で、従来のものとはまったく異なる新しい集落になるという。住民は、徒歩10分以内で学校や病院、健康施設を利用することができ、自動車を使うのは半数以下の世帯に限られる。また、それぞれの町には、一定割合以上の緑地を設置する義務がある。そして、“低炭素住宅”の購入者には様々な形で税制の優遇措置が講じられるという。しかし、近隣住民の心配は、そういう特別な場所をつくればつくるほど、流入する自動車の数が増える可能性である。彼らの予測では、新しいエコタウンができれば、今より3万台も多くの車が周囲を走るようになるとしている。
 
 さて、生長の家が考えている“森の中のオフィス”構想だが、これは今のところ政府や行政から特別な支援を受ける予定はまったくない。その中で、候補地周辺の住民に我々の目的を理解してもらうためには、イギリス政府が打ち出している以上の明確なビジョンが必要だろう。我々の仕事がどのようなものとなり、周辺の経済や住民の環境にどう貢献するかなど、具体的な“青写真”をしっかりと描く段階に来ていると思う。

 谷口 雅宣

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2008年3月29日

「農地から燃料」ではいけない

 22日の本欄で「食糧危機」の可能性について触れ、現在この可能性に向かって相互連動して動いている4つの要素を挙げた--①中進国の経済発展に伴う動物食の増加、②気候変動による農業生産の不安定化、③石油の高騰、④バイオエタノール・ブーム、がそれだ。この順番に私はこだわらない。が、④について、やや楽観していたところがあった。それは、自動車の燃料にバイオエタノールやバイオディーゼルを使うことは、ガソリンを使うよりも温暖化を推進しないと考えていたのである。しかし、4月7日号のアメリカの時事週刊誌『Time』の記事を読んで、その楽観論が揺らいできた。

 もっとも本欄では、バイオ燃料の環境への貢献度に疑義をはさむ記事を何回も書いてきた。それらの疑問点は、①同じ農地を自動車と人とが奪い合う関係におく、②森林破壊を促進する要素がある、③食糧の値上げを招く、④気候変動を招く、などだった。にもかかわらず、私が頭からこの技術を否定しなかったのは、「地上で育てた植物を燃料にすることは、植物の成長過程で吸収した炭素を放出するのだから、大気中にCO2を新たに排出することにはならない」という議論に納得していたからである。ところが、上記の記事は、その議論は部分的には正しくても「木を見て森を見ていない」とし、「燃料用に植物を育てることは、現状ではまだ非効率的な土地の使用法であり、奇妙に聞こえるかもしれないが、食料を地上で育て、石油は地下から掘る方が我々にとってよい結果が得られる」と書いている。そして、地球温暖化問題に関して、「現状では、バイオ燃料は解決策の1つなどでは全くなく、解決すべき問題の一部なのだ」と結論している。
 
 記事が問題にしているのは、ブラジルのアマゾンやセラードなど、大気中のCO2の吸収に絶大な役割を果たしてきた世界中の森林が、昨今のバイオ燃料ブームによって急速に減少しつつあることだ。それがどうやって起こるかを図式的に示そう--「アメリカのバイオエタノール・ブーム」→「原料であるトウモロコシの大増産」→「ダイズの作付面積の大幅な減少」→「ダイズの値段の高騰」→「ブラジルでのダイズ作付面積の拡大」→「ブラジルの土地の価格高騰」→「アマゾンやセラードの違法または合法の伐採」。これと似たパターンが、インドネシアなどの東南アジアにおけるヤシ油の増産と熱帯雨林の伐採の関係にあるという。そして--これが一番問題なのだが--アメリカでもブラジルでも東南アジアでも、森林伐採やバイオ燃料の栽培、精製、販売に関わっている人々は大抵、経済的繁栄を大いに享受しているのである。
 
 超大国の中心者である政治家の決定が、地球全体にどれほど重大な結果をもたらすか、と思い知らされる。アメリカでのバイオエタノールの大幅増産は、ブッシュ大統領が昨年の一般教書演説で打ち出した政策である。この政策にもとづいて今、大いなる資金が世界中に投入されている。上記の記事によると、バイオ燃料への投資額は、1995年に世界全体で50億ドルだったのが、2005年には380億ドルに達し、2010年には1千億ドルに上ると予測されている。これは、イギリスのバージン・グループのリチャード・ブランソン(Richard Branson)氏や投資家のジョージ・ソローズ氏(George Soros)のほか、GE、BP、フォード、シェルなどの世界的大企業が参加しているからだ。今行われているアメリカの大統領選挙でも、民主党の2人の候補者はバイオエタノールの利用をさらに促進すると公約している。だから、動き始めたこの大きな潮流の方向は、早期に変えなければならない。

「農地から燃料を採る」のではいけないのだ。バイオ燃料は、農地以外から、CO2を極力出さずに、しかも森林を破壊せずに得るのでなければならない。

 谷口 雅宣
 

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2008年3月26日

地上資源文明への転換 (2)

 池内教授は、有限の地下資源に依存せずに、地上資源を、その循環的性質を損なわずに効果的に組み合わせることが、今後の人類の生きる道であるという。そういう前提のもとに、農業に注目する。なぜなら、これこそ太陽がもたらす地上資源のうち最古のものであり、「地上資源を最も効果的に利用している」営みだからだ。同教授は「農業は太陽の光と大地の力と人間の労働が織りなす自然の芸術」だとさえ言う。

 このような観点から見れば、食糧自給率が4割を切る日本の実情は深刻である。が、同教授は、日本において「農業が見直されるのはそう遠くはない」と予言する。何が日本の農業政策を変えるかについては何も書いてないが、私が想像するところ、石油の価格高騰や資源の囲い込み、人口増加にともなう食糧の価格高騰などによって、日本は政策転換を余儀なくされるのだろう。農業は基本的に地域分散的産業だから、これによって「地域の復権に必ずつながっていくだろう」と同教授は言う。そして、地上資源文明が開花し始めるというのだ。

 この新しい文明においては、従来の一極集中の大型化を推進する技術ではなく、「地域分散的な生活を目標とする地上資源を用いた小型で多様な技術の組み合わせに替わってゆく」と同教授は予測する。なぜなら、「地上資源による多様化・分散化こそが地球に似合った文明の形態」だからという。

 この線に沿った世界の将来像は、別の人も別の用語を使ってすでに提出していて、私もどこか(恐らく『足元から平和を』の中)でそれを紹介したことがある。つまり、再生可能の自然エネルギーは、太陽光も風力も、バイオマスも、波力も、地熱も、全地球的に分散して存在するから、地元生産・地元消費が原則であり、それを基礎とした新しい社会は当然、中央集権的ではなく、地方分権的になるという考え方だ。この大変革の先鞭をつけるのが、農業の復興であるかもしれない。私が、3月8日の本欄で食品の値段の今後の上昇について書いたとき、「食品の値上がりにも“光明面”はある」と書いたのは、このことなのである。
 
 農業の復興は、すでにアメリカにおいて兆候が見られる。これはご存じのように、中東の石油に依存したアメリカ経済が9・11事件を生んだ要因の一つだとの反省に立ち、ブッシュ大統領自身がエネルギー安全保障の立場からバイオエタノールの大増産を決定したことに端を発する。このおかげで、エタノールの生産量はここ数年で急拡大し、2005年にはアメリカの生産量がブラジルのそれを追い抜いて世界一になった。それに応じて、アメリカの農家の収入も急拡大している。このほか、ヨーロッパやアジアでもバイオエタノールやバイオディーゼルの生産がブームとなっていて、2000年に世界全体で約二千万キロリットルだったバイオエタノール生産量は、2007年には倍増して約五千万キロリットルになっている。(25日『日経』)

 日本にも遅まきながら、同様の動きが出てきている。25日の『日経』夕刊は、新日本石油や出光興産、トヨタ自動車などの民間16社と経産省、農水省、東京大学などの産官学による「バイオ燃料技術革新協議会」が、2015年までに最大で20万キロリットルのバイオ燃料を国内で生産する目標を定める、と報じている。アメリカに比べ2桁も少ない量だが、アメリカより優れている点は、このバイオ燃料は人間の食糧と競合しないヤナギや大型草などを主原料とすることだ。試算によると、東京の山手線内の面積の1.5倍の耕作地があれば、年間10万~20万キロリットルのバイオ燃料が「リットル当り40円」で生産できるという。必要な栽培面積は現在、減反などによる未利用農地を活用することでまかなえるらしい。
 
 こうして地方の休耕田が活用され、農家の収入増に結びつけば、若者の“農業回帰”も増えてくる可能性があるのではないか。が、それにしても、日本のバイオ燃料の導入目標は現在「50万キロリットル」だから、いかにも小規模である。「急激にはやりたくない」という意志の表明だろう。また、地下資源の利用者に地上資源を開発させようとしている。これでは、早急な文明の転換は難しいと言わねばならない。
 
 谷口 雅宣

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2008年3月25日

地上資源文明への転換

 総合研究大学院大学の池内了(さとる)教授が『日本経済新聞』紙上に書いておられた「未来世代への責任」という連載が終った。なかなか示唆に富む内容で、世代間倫理を重視しつつ、文明史的視点から今後の人類の進むべき方向を平易な文章で明確に示している点で秀逸である。私は本欄などで、地球温暖化問題を解決するためには、人類は化石燃料を基礎とした“炭素社会”から脱却し、大気中に豊富にある水素や太陽エネルギーを利用する“水素社会”へと早く転換すべきことを訴えてきた。これはまた、アースポリシー研究所を主宰するレスター・ブラウン氏(Lester R. Brown)などが唱えていることと同じである。が、池内教授は、この“炭素社会”“水素社会”の代りに「地下資源文明」と「地上資源文明」という言葉を使う。そして、この方が分かりやすく、また的確な表現だと私は思った。

「地下資源文明」とは、それまで森林を伐採してエネルギーや資源としていた人類が、約250年前に起こった産業革命により、石炭や鉄鉱石などの地下資源を利用した機械文明を確立し、さらに石油や石灰などの地下資源に依存する科学技術を発展させてきた、現在の文明のことを指す。この文明を推進するためには、「地下」が重要だから、山を崩したり、地下や海底深くまで掘削するための巨大な機械と、それを生み出す大きな資本力が必要で、そのため大量生産、大量消費、大量廃棄を前提とする文明が育った。本来、地上に存在しなかった資源を地下から大量に掘り出し、それを燃やしたり加工した後に、利用されないほとんどの物資を“廃棄物”として地上に捨てるのである。ここからは当然、公害問題が生まれ、やがて昨今の地球環境問題も生じてきた。また、地下資源は無限でないから、この文明が発達するにつれて、資源の枯渇問題が生じてきている。

 この「地下資源文明」に固執する限り、人類の未来はない。このことは明々白々の事実なのだが、池内教授によると、「いったん禁断の木の実の味を覚えた人間はそれを簡単に打ち捨てることはできないどころか、いっそう地下資源への依存を強めている」のだという。これでは未来世代への責任は果たせないから、「無限とも言える容量があり、環境と調和できる地上資源へと可能な限り切り替えること」を同教授は提案している。要するに、地上に於いて利用できる太陽光、バイオマス、地熱などの自然エネルギーへの転換である。これらの自然エネルギーは「安定性」に問題があるとよく言われるが、それは、石油や石炭のようにもともと貯留されていたものと比べるから“問題”であるように感じられるだけで、「可能な方策を柔軟に組み合わせればよく、一つの方法ですべてを賄う発想は時代遅れなのだ」と同教授は言う。

 私も、その通りだと思う。地下資源は、地下のあちこちにあるのでなく、特定の地域に遍在しているから、その土地の埋蔵量があるかぎり“安定”しているように見えるが、その資源が貴重であればあるほど、土地をめぐって政治的対立が起きやすいし、掘り尽くしてしまえば廃墟が残るばかりだ。日本国内でも、かつて金山や炭鉱があった場所を思い浮かべれば、そのことがよく分かる。これに比べ「地上資源」は、基本的に循環型である。その源は太陽エネルギーだから事実上「無限」であるが、それが人間に利用できる形になった時--例えば、バイオマス、水力、風力、波力など--は有限であり、安定的でない。だから、地上資源の循環が断たれないように、相互補完的に組み合わせて利用すればいいのである。

 谷口 雅宣

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2008年3月22日

食糧危機が近づいている?

 3月8日の本欄でも取り上げているが、このところ食品の値上がりが続いている。これは日本だけのことではなく、世界的な現象だ。原因もわかっているが、効果的な対策が講じられているとは思えない。原因は、①中進国の経済発展に伴う動物食の増加、②気候変動による農業生産の不安定化、③石油の高騰、④バイオエタノール・ブーム、などだ。この4つの要素は、相互に密接に関連している。肉食が増えれば農地が減り、農地を得るために森林伐採が進み、気候変動が深刻化する。人口の多い中進国(中国、インドなど)の経済発展は温暖化を促進し、石油や資源の需要を増大させ、石油の値上がりはバイオエタノール・ブームを生む。エタノール生産を増やせば、食糧用農地が不足し、農地拡大が森林伐採を進める……という具合だ。世界は今結束して、この悪循環を止めなければならない。
 
 アメリカの時事週刊誌『Time』は最新号(3月31日付)で、この世界的な食品の値上がりを取り上げ、途上国の貧困層への影響が深刻化していると伝えている。それらの国では、2年間に値段が倍になった食品もあり、多くの国々で市民の不満が爆発して、中にはメキシコやパキスタンのように、暴動に発展している国もある。また、西アフリカのブルキナ・ファッソでは先月、暴徒が3都市を破壊し、政府の建物を焼いたり、商店を略奪したという。昨年後半には、セネガルやモーリタニアでも、同じような暴動が起こっている。昨年10月、インドの西ベンガル地方でも、何百もの食品店が焼き討ちにあったそうだ。それらの店が、政府からの配給用食品を闇市に流しているという理由だ。
 
 ワシントンにある国際食糧政策研究所(International Food Policy Research Institute, IFPRI)の分析では、このような食品の高騰は少なくとも10年は続くという。理由は、上に挙げたような状況がそう簡単には変わらないからだ。そして、アースポリシー研究所のレスター・ブラウン氏(Lester R. Brown)は、3月20付けのニュースレターで、このような食糧危機の背後には、地球温暖化による世界の氷河の融解がある、と警鐘を鳴らしている。
 
 それによると、今後の大きな問題は、ヒマラヤ山脈にある氷河が急速に融け出していることだ。ここはガンジス川、黄河、長江などへ水を送る重要な役割をもっていて、氷河が凍っていれば、乾期にもこれらの大河に水を送り、中国やインドの内陸部に水を供給することができる。しかし、温暖化で早期に氷河が融け出すと、灌漑用の水を供給できなくなる恐れがあるという。中国とインドは、小麦と米の大生産地だ。中国の小麦の生産量は世界一で、アメリカの倍近くある。インドの小麦生産量は世界第2位だ。これにコメの生産を加えると、中印2国で世界の穀物生産の半分以上を占めることになる。だから、この地での水不足は、世界の食糧事情に重大な影響を与えることになる。

 では、どうすればいいのか。ブラウン氏の提案はこうだ--国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告では、ヒマラヤの氷河の多くは、2035年までに完全に融けてしまうと予測されている。だから、温室効果ガスの排出量の削減は、現在考えられているようなペース(2050年までに80%削減)では不十分であり、同じ量の削減を2020年までに達成すべきである、という。このように急速な排出削減ができない場合、世界の穀物生産に深刻な影響が出て、現在をはるかに上回る食糧危機が到来する危険性がある、ということだろう。

 日本の食糧自給率の低さは有名で、日本の農業は衰退している。この流れを逆転させ、農業を活性化し、さらには将来の食糧危機を乗り越えられるだけの農業の抜本的振興策を真剣に考える時期に来ているのではないか。

谷口 雅宣 

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2008年3月 8日

食品の値段はまだ上がる

 立て込んでいた仕事が一段落したので、本欄に向かうことができた。5月初めの生長の家の運動組織の全国大会を期して単行本を上梓させていただく予定で、その準備でしばらく根を詰めていたため「小閑」を見出す余裕がなかった。最後は、木曜日のほぼ1日を原稿書きに使い、金曜日の深夜までかけて仕上げた原稿をメールで送信して、やっと一息つけた。ありがたいことだ。
 
 今日は、生長の家の講習会のために大阪へ出発。昼過ぎに発つ新幹線に乗るために早めに東京駅へ着き、妻と2人で“キッチン・ストリート”に向かった。和食か中華を念頭においていたが、油の臭いに遭遇したため、うどん屋に入ることを決めた。近ごろは、昼食に脂っこいものをあまり食べたくない。妻も同じだ。「すぎのこ」という店に入り、妻は日替わりセット、私はゴマだれ薬味うどんを注文した。二人でうどんを食べながら、私は前回ここで食べた時よりうどんの量が少ないかなぁ……などと思った。気のせいかもしれない。しかし、それを口に出しても、妻は否定しなかったので、続けてこう言った--「小麦の値段がずいぶん上がっているからね」。
 
 ちょうど今日の『日本経済新聞』に「小麦粉1~2割値上げ」という見出しの記事が載っている。製粉大手3社が4月下旬から業務用の小麦粉を1~2割値上げするそうだ。理由は、政府が引き渡し価格を4月から3割も上げるからだ。業務用小麦粉は、昨年5月に24年ぶりに値上げされ、それ以降これが3回目となり、上げ幅は最大だという。これによって、小麦を使った製品--パン、麺類、菓子など--のさらなる値上げはほぼ確実である。『日経』は、「昨年来の食品値上げは第2波を迎え、一段と家計を圧迫する」と書いている。
 
 本欄でもしばしば書いてきたように、昨年来の食糧の値上がりは“地球温暖化”と大いに関係している。気候変動による干ばつや洪水が続き、世界の食糧の在庫が減少している。そこへもってきて温暖化抑制策として、アメリカなどがバイエタノールの大増産を進めている。これによって、世界最大の穀倉地帯であるアメリカで生産されるトウモロコシがどんどんエタノールに変わる。これが大いに利益を生むので、アメリカの農家は小麦の生産を減らしてトウモロコシを増産している。この中で、石油の生産量が頭打ちである。つい先日も、OPECが生産量の据え置きを決めた。そして、ドルベースでの石油の値段はどんどん上がっている。
 
 私は読者に、世界の石油の生産量がこれ以上増えないという“石油ピーク”がすでに来ていると考えることをお勧めする。これは、私がプロ並みの情報を集めて、専門的に分析した結果、そう結論するにいたった、というのではない。私は宗教家だから、そんなことはしない。では、“神のお告げ”かというと、もちろん違う。私が“石油ピーク説”をお勧めするのは、それが今年来なくても、近々来ることは大いに考えられ、また来なかったとしても、温暖化抑制のためには“脱石油”が喫緊に必要だからだ。もう“石油ピーク”が来たと結論して、世界各国が「これ以上のエネルギーは石油等の化石燃料から得るのはやめる」という合意に達すべきだと考えるからだ。が、近い将来、世界中がこの合意に達することはないだろうから、合意できる我々一人ひとりが、“脱石油”の行動を起こし始めるのがいい。いっぺんに“脱石油”はできないから、少しずつ、できるところから、である。
 
 そういう意味では、石油の高騰はありがたいと言える。おかげでガソリンの消費量が減っており、自動車の燃費は向上している。人類は、化石燃料を基礎とした“炭素文明”から脱しようとしているのだから、炭素ベースの古い産業が衰退するのは仕方がない。その代りに新しい“水素産業”をどんどん育てるべきである。この切り替えができないと、日本経済は相当困難な状況になると思う。今の政府の考えを推測すると、政治資金を多く提供してくれる炭素ベースの産業自体に、水素ベースの技術を導入させるか、利用させるつもりだ。これにより、資金供給を継続させながら産業構造を変えようとしている--そんな気がする。しかしこれでは、一つの産業内部で利益相反行為をさせることになり、切り替えは難しく、できてもスピードは遅い。欧米との競争に負ける気がする。

 まぁ、放言はこのくらいにして、筆を収めよう。食品の値上がりにも“光明面”はあるのだが、その話は別の機会にする。
 
 谷口 雅宣

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2008年3月 1日

“立教の精神”を今生きるために

 3月が訪れ、暦の上では春になった。この春の初日は生長の家の「立教記念日」である。今日は午前10時から東京・原宿の生長の家本部会館ホールで「立教79年生長の家春季記念日祝賀式」が挙行され、会場いっぱいの参加者とともに、晴天のもと、このおめでたい日を祝う時がもてたことは誠にありがたかった。以下は、この式典で私が行ったスピーチの概要である:
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 皆さん、本日は79回目の立教記念日、誠におめでとうございます。

 今年は閏年で、2月が29日までありましたから、今日3月1日の立教記念日が1日遅れたような印象をもちます。しかし、これは「遅れた」のではなく、「余裕を与えられた」のだと思います。漢字学の権威である白川静(しずか)さんによると、「閏」という漢字には「大きい」「余る」という意味があるといいます。サンズイに閏と書く「潤」の文字がありますが、これは「潤う」とか「潤沢」という語があるように、豊かで余裕があるという意味であります。それで生長の家では、昨日の29日とその前の28日を使って、平成20年度(2008年度)の運動をどう進めるかを描いた運動方針について、全国の幹部の方々が集まっていろいろ意見を交換する機会をもちました。この会の正式名称は「生長の家代表者会議」というのです。例年より24時間長い、この“潤いの時間”を大いに有意義に使ったのであります。皆さんはそれぞれどのように使われたでしょうか? もし、皆さんの中に「知らない間にもう3月1日になっていた」と感じる方がいらっしゃたら、今からでも遅くないですから、これから年末までにやって来る300日のどれか1日を“潤いの日”と決めて、その日をぜひ豊かで、実りのある1日にしていただきたいと思います。
 
 私は今「豊かで実りのある1日」を作ろうと言いましたが、1日だけではなく、1年365日を豊かで、実りのあるものにしようというのが、実は生長の家の運動の目的なのであります。私は、いつもこの立教記念日には、『生長の家』誌の創刊号から引用して皆様にお話をすることにしているのですが、この記念すべき雑誌の最初の文章に「『生長の家』出現の精神とその目的」というのがあります。その中に、今日「七つの光明宣言」の名で知られている7項目の宣言文の原型が書かれています。当初、これは7項目ではなく、10項目あったのですが、その最初の項目には、次のように書いてあります--
 
 1.『生長の家』本部は心の法則を研究しその法則を実際生活に応用して、人生の幸福を支配するために実際運動を行うことを目的とす。
 
 これは、実に壮大な目的だと思います。私たちは単に、学術的に心の法則を研究するのではなく、その研究成果を「実際生活に応用」するということが書かれています。さらにそれを使って「人生の幸福を支配する」--つまり、人間の生存や生活全体に幸福をもたらす、と書いてあります。また、そのためには寺院や研究室に閉じこもっているのではなく、多くの人々を仲間に入れて「実際運動を行う」のです。そういうことが、生長の家の出現の目的であると、創刊号の10項目の“いの一番”に掲げてあったのです。
 
 私たちは、この創刊号に掲げられた、生長の家出現の精神とその目的の第1項を目指して、現在も運動を推進しています。皆さんにはぜひ、このことを忘れないでいただきたい。私たちは今、谷口雅春先生が約80年前に始められた運動とは別の、何か新しい運動を行っているのではありません。この創刊号にある「精神とその目的」の第1項にあるように、心の法則を研究し、その成果を人類の幸福増進のために、実際運動の中で広めていくのが生長の家の目的です。今の運動方針は「“自然と共に伸びる運動”実現のための第1次5カ年計画」と銘打ってあります。なぜここに「自然と共に伸びる」という枕詞がついているのでしょうか? それはもうご存じのように、人類は経済発展だけでは幸福にならないことが証明されつつあるからです。経済発展のために自然を破壊し、大量の二酸化炭素を大気中に放出し、資源を枯渇させてきたのが20世紀までの人類の生き方でした。この生き方を21世紀にも続けることは、予測不能の気候変動を引き起こし、災害による犠牲者や、環境難民を生み出し、資源の奪い合いと、政情不安、政治対立を招くことは、もう明らかです。今、心ある人々、科学者、国際機関がそのことを警告しています。
  
 私たちは、今起こっている地球規模の気候変動と資源の囲い込み、食糧や原材料の高騰、世界各地での政情不安から、何を学ぶべきでしょうか? 私は、それは次の2つであると思います--
 
 ① 自然の豊かさを回復させることなしに、人類のこれ以上の伸展はあり得ない。
 ② 人間は物質的手段のみによっては、決して幸福にならない。
 
 私はここで、「物質的手段は不要だ」と言っているのではありません。人間は肉体をもっていますから、衣・食・住の最低限の要求は満たされねばなりません。が、そこから先は、「心が何に喜びを感じるか」という、もっと高度の問題になります。人間の欲望に限りはありませんから、物質的手段を拡大することが幸福だと考えているかぎり、地球資源の枯渇は目に見えています。今、世界最大の人口を抱える中国と、2番目のインドなどが、急速な経済発展を遂げつつあり、このことが資源の不足と温暖化ガスの増加を招いていることは、皆さんご存じのとおりです。こういう人々が皆、アメリカ人のような生活を実現できるほど、地球環境は頑丈でなく、また地球資源は無限ではありません。

 この21世紀初頭の現代にあって、「心の法則を実際生活に応用して、人生を幸福にする」という運動の目的を達成するためには、何をすべきでしょうか? それは、人々がより多くの物質的手段を獲得する--例えば、より広い住宅に住み、より大きい自動車に乗り、より高価な衣服に身をまとい、より高価な食品を食べる--ことでは、もはやありません。そうではなく、それは人々が破壊してきた自然をより多く回復し、自然と人間との一体感を深め、より少ない物質的手段で人々が幸福感を抱くような生き方を開発し、その生き方をより多くの人類に広めることです。これをするためには、「人間は本来神の子であり、すでに救われているから幸福である」という真理ほど強力なメッセージはありません。「人間は自然から奪うことで幸福になるのではなく、自然との一体感を得、さらにそれを深めることで幸福になる」というメッセージを広めることが大切です。

 来年度の運動方針には「日時計主義」という言葉がたくさん出てきます。ここに集まっている皆さんには、この言葉はすでにお馴染みのことと思います。この3月1日の立教記念日に、私は何回もそれについて語ってきました。なぜなら、この言葉は『生長の家』誌の創刊号で初めて使われた言葉だからです。また、最近の講習会では必ず、この言葉の意味について解説しています。私がこの言葉と、この生き方を強調する理由は、これこそ「より少ない物質的手段で人々が幸福感を抱く生き方」だからです。地球温暖化を抑制し、自然と人間との一体感を深め、資源の奪い合いをなくす生き方が、日時計主義です。この生き方を具体的に実践していくために『日時計日記』が出版されていることは、多くの皆さんはごぞんじです。また、新しい年度の運動方針には、日時計主義の具体的実践の1つとして、新しいタイプの誌友会を開催していくことが掲げられています。方針書の表現を使えば、「開催者の技能や芸術的感覚を生かし、真理を生活に活かす具体的な実践を盛り込んだ誌友会」というものですが、今年は、この2つの実践を通して、日時計主義の生活と運動を大いに拡大していっていただきたい。
 
 最後に、拙著の『日時計主義とは何か?』(生長の家刊)の中から、聖書にある「狭い戸口」の譬え話について書いた一節を紹介いたします。ここで聖書の話を紹介する理由は、日時計主義というものが生長の家だけの何か特殊なものの考え方ではないということを知っていただきたいからです。2千年も前のユダヤの地でも、これと共通する教えが説かれていたのです。
 
 (同書、pp.82-87の内容をかい摘んで紹介する)
 
 このようにありますが、「神の恵みを常に感じて感謝する」というのは日時計主義の生活そのものです。「不足を認めて不満を感じる」生活からは奪い合いが生まれます。「心に光明を見る」生き方から、豊かで、実りのある幸福生活が始まるのです。それを練習する道具として『日時計日記』をつけ、新しいタイプの誌友会を開いて、運動を盛り立てていってください。そうすることで、生長の家の出現の精神が体現され、運動の目的達成へと近づきます。また、そのことが同時に、今日の地球社会最大の問題である温暖化や気候変動を最小限に食い止める最良の方法であることを理解していただき、今後の運動を大いに明るく、楽しく展開していっていただきたいと思います。
 
 おめでたい今日の記念日に当たって、所感を述べさせていただきました。ご清聴ありがとうございました。

 谷口 雅宣 

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2008年2月22日

低炭素社会懇談会

 日米関係のアンバランスを指摘して「日本はアメリカの51番目の州だ」などと皮肉る言い方が昔あったが、これはひょっとして現在にも通用する立派な“格言”ではないか、と最近思うのである。アメリカの大統領選挙で勝ち残ってきたマケイン、クリントン、オバマの3候補が、いずれも地球温暖化抑制のための排出権取引に参加する意向を示していることを知り、日本政府のみならず、この制度にあれほど正面から反対してきた日本の経済団体も“重い腰”を上げ始めたからだ。
 
 21日付の『日本経済新聞』によると、日本経団連の御手洗冨士夫会長は20日、ヨーロッパ型のキャップ・アンド・トレード方式(cap and trade)による排出権取引について「欧米などの世界の潮流を踏まえて検討していくのがカギになる」と発言したという。この方式は、民間企業などに温室効果ガス排出量の上限を設定し、この上限に対する過不足分を売買する制度だ。これまで経団連は、この制度では排出権の公平な割り当ては難しいとして反対してきたが、この日の御手洗氏は「地球環境問題をテーマとするサミットの主催国として、これを成功させるためにも検討していくのがカギになる」と発言したという。
 
 同日付の『朝日新聞』は、町村官房長官が「ブッシュ政権とは環境については違いがある政権ができる可能性を認識している」と発言したことを取り上げ、政府が「米国の次期政権が排出量取引制度の導入を含め、温暖化対策を加速させるという見方を示した」と分析している。同紙は、この制度に抵抗していた経済産業省も、「省内に私的研究会を立ち上げ、本格的な検討に入る」だけでなく、自民党も今月になって国内排出量取引の勉強会を発足したことを伝えている。
 
 21日には、政府サイドでもう1つ新しい展開があった。それは福田首相直轄の有識者会議「地球温暖化問題に関する懇談会」のメンバー12人が発表されたことだ。経済界から注目されているのは、これまで排出権取引に最も強力に反対してきた電力業界と鉄鋼業界の代表者として、勝俣恒久・東京電力社長と三村明夫・新日本製鉄社長がメンバーになった点だ。つまり、最大の反対勢力を内部に取り込むことで何かを達成しようということだ。私は、こういう政治手法によって、本当に意味のある政策が実現可能かどうかよく分からない。が、福田首相は、「電力・鉄鋼は日本の産業界の6割くらい温暖化ガスを排出している。そういう人に積極的に協力してほしいという思いもあった」(22日『日経』)という。とりあえず、洞爺湖サミットまで、お手並み拝見ということにする。
 
 ところで、上記の有識者会議は「低炭素社会懇談会」という異名ももっている。そのメンバーの中に枝廣淳子さんがいたので、少し驚いた。彼女は、知る人ぞ知る環境ジャーナリストで、本欄でもたびたび登場するレスター・ブラウン氏(Lester R. Brown)の本の翻訳者でもある。アメリカの企業家の環境意識についても詳しく、地球環境問題へのブラウン氏の危機感を共有しているだろう。そういう人と電力と鉄鋼の両業界の重鎮とが「懇談」することで、7月のサミットまでに首相に「低炭素社会」実現のための助言を与えることなどできるだろうか? いやいや、マイナス思考をしてはいけない。きっと成算があるからこのメンバーが選ばれた、と解釈しよう。
 
 低炭素社会へ向かって、日本だけでなくアメリカも引っ張っていくような強力な提言を打ち出すことを期待したい。そうすれば、「51番目の州」などという汚名は返上できるに違いない。
 
 谷口 雅宣
 

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2008年2月15日

小型風車がやってきた

Hbpwergen  今日、生長の家本部へ出勤したら、会館の玄関脇に小型の風車(=写真)が建っているので驚いた。休館日だった前日に「風力発電システム」が設置されたのだ。大きな扇風機のような5枚羽の風車と、駅や学校にあるようなアナログ時計、それに太陽光発電パネルなどを組み合わせたハイブリッド型である。風力と太陽光で発電した電気を蓄電池に貯め、夜の照明に使うらしい。本部会館前の道路は夜間、特に人通りが多い場所ではないが、この装置は照明が目的ではなく、都会の真ん中でも自然エネルギーの利用が可能であることを示す“啓発用”と、将来の同種技術の利用を想定した“データ収集用”であるという。
 
 設置されたシステムは、那須電機鉄工社製の「アウラ1000」で、定格出力135Wと風車と、85Wの太陽電池、蓄電池2台、13Wの照明、時計、発電量表示装置などが一体化している。風車は毎秒2mの風があれば発電を開始し、風向に応じて向きを変えるから、不規則なビル風にも向いているという。台風など毎秒13mを超える強風時には、電気と機械の両方から“二重ブレーキ”をかけるらしい。「アウラ」の名前は、ギリシャ神話に出てくるそよ風の女神に由来する。

 風力発電というと、地上何十メートルもの高い鉄塔の上でウィンウィンと音をたてる巨大な風車を想像しがちだったが、このシステムは“工業用扇風機”という感じで、どこか可愛らしい。写真を撮った午後2時前には、設置場所付近に強い風は吹いていなかったが、風車は回ったり止まったりの状態で、回転音は聞こえなかった。メーカーのカタログを見ると、このシステムは公園やバス停の照明用に開発されたらしい。他社のシステムに比べれば出力は劣るが、音が静かなのと低価格である点で今回選ばれた。将来、本部機能が都会から移転した場合にも、敷地内に常夜灯は必要だろうから、本機はそのためのデータ収集にも役立つだろう。
 
 ところで、私が「自然と人間」について書いた13日の本欄に対して、読者の一人が「自然の恩恵に感謝する時間をもつ」ことの重要性を指摘してくださった。実は、東京の赤坂に生長の家が運営する末一稲荷神社があるが、この2月12日にはそこで初午祭が執り行われた。私はこのお祭の主宰者として祝詞をあげさせていただいたが、帰り際、神社の境内にフキノトウがいくつも顔を出していることに気がついた。ちょうどその朝、ラジオ放送で熊本県の人がフキノトウが出ているという話をしていたのを思い出した。建物が林立する都心の赤坂でも、この境内には日が差し込む地面があり、そこでは自然の営みが行われている。近隣の人々の何人がそれに気づいてくれたか分からないが、黄緑色のフキの葉が広がる下に、蕾を膨らませたフキノトウを見るのは嬉しい。
 
 鉄とコンクリートの都会の中に、自然エネルギーを利用する装置や機械を設置することにも意味はある。が、都会の中に“本来の自然”の活動を盛り上げる空間を拡げていくことも、重要なメッセージになると感じた。

 谷口 雅宣

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2008年1月31日

低炭素社会への決断は、今!

 私は通常、本欄で国際政治の話はしても、国内政治の話をしないことにしている。特定の政党に肩入れしたり、その逆に特定の政党を批判することは避けている。理由は、生長の家は政治活動をしないからだ。しかし、宗教や環境問題、戦争と平和の問題で重要なことは、政治がらみの話も書いてきた。理由は、生長の家が推進している人類光明化・国際平和信仰運動に影響があるからである。そのスタンスは、今後も守りたいと思う。だから、私がこれから書くことは、今年中に来るかもしれない解散・総選挙に際して、私がどこかの政党を応援するためだと考えないでほしい。そんなことよりも、私は民主政治のマイナス面を、本欄の読者の良識によっておぎなってほしいと考えながら、これを書いている。簡単に言えば、「政治家の言うことを額面通り受け取るな」ということだ。
 
 具体的には、3月末に期限の切れる揮発油税の暫定税率の問題である。ご存じのように、民主党は諸物価値上がりの中で、本来より高い税率を国民に課し続けることに反対し、暫定税率維持を盛り込んだ歳入関連法案の成立を阻止しようとした。一方、自民・公明の与党は、暫定税率を5月末まで延長するだけの目的に作られた“つなぎ法案”(または“ブリッジ法案”)を衆院に提出して、とりあえずの成立を図ろうとしていた。ポイントは、ガソリンなどの揮発油にかける税率を現状のままとするか、それとも下げるのかということだ。
 
 この動きに対し昨日、衆参両院議長の仲裁により“つなぎ法案”の国会提出が見送られた。その代わり、上記の歳入関連法案と来年度予算案について「年度内に一定の結論を得る」ことと、「税法について各党間で合意が得られれば修正する」ことの合意が与野党間で成立したというのである。この2つの条件はきわめて抽象的で、解釈の余地が大いにあるから、これによって国会審議がスムースに行くとは思えない。しかし、とりあえずは、「3月末までに揮発油税の税率を決める」ことは合意されたようである。
 
 長期政権を維持してきた自民党は、当然のことながら官界や業界とのパイプが太い。これに対し民主党などの野党は、どちらかというと“消費者寄り”である。今回の野党のツッパリは、“市民の足”に大きな影響を与えるガソリン代を下げることで、次の総選挙を有利に戦いたいとの意図が見えている。しかし、ガソリンの値下げは今回の与野党合意で実現が難しくなった。そこで野党は、揮発油税をもっぱら道路建設に使うという旧来の問題を国会で議論し、法案の修正につなげることで、政権担当能力を示したいとの考え方に傾いた、と推測される。私は、国会というものは、国民の生活に密接な諸問題について「議論する」のが本来の役割だから、これでいいと思う。
 
 問題は、衆参両院でネジレ現象がある国会で、与党の権益の場であった道路問題に関して与野党の合意が成立するかどうか、である。私はぜひ、成立させてほしいと思う。その際、各党の国会議員に忘れてほしくないことが1つある。それは、「世界は動いている」ということだ。オーストラリアの政権は交代した。アメリカも、共和党から民主党への政権交代がほぼ確実である。戦後の基軸通貨だったドルは凋落しつつあり、代りにユーロが台頭している。BRICs諸国の経済力が日本を凌駕する時期は、そう遠くない。そんな中で、地球温暖化が進行している。これを抑制することは、すべての国において第一位の優先課題としなければならない。このように、激しく「動いている」世界にきちんと対応した新しい政策を、政治家は打ち出してほしいのである。そして、その政策とは「低炭素社会の実現」だろう。日本が技術的にまだ優位にある今から始めれば、それは可能である。しかし遅れれば、米中欧に負けるだろう。
 
 そこで1つ提案なのだが、3月末までの国会では、道路特定財源の制度を廃止してほしいのである。これは、与党の権益をはがすことだから、与党にとっては“身を切られる思い”かもしれない。が、不要な道路工事が全国津々浦々で展開されていることを国民は皆、知っている。今後、高齢化がさらに進み、ガソリンが値上がりし続ける中で、自動車に乗る人の数と機会が減ることは、誰でもわかる。にもかかわらず、不要な道路が造り続けられるという状況を国民が許すはずがないのである。ここまでは、民主党の主張に似ているかもしれない。しかし、その先がある。それは、民主党はガソリンの値下げを唱えているが、これは温暖化抑制の目的に逆行している。そうではなく、揮発油税を一般財源化して、地球温暖化抑制の種々の対策に使うのがいい。そうすることで、自民党は「業界との癒着」という古来の悪いイメージを払拭でき、「環境対策に熱心」という民主党のオハコを奪える。一方、民主党は、もっと中身の濃い温暖化対策の構築によって、与党との差別化を図る必要に迫られる。
 
 以上は、政治の素人である私の提案だから、笑って聞き流してくれていい。
 
 谷口 雅宣

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2008年1月10日

生長の家が排出権取得へ

 京都議定書で定められた温室効果ガスの排出権取引制度に、生長の家も参加することになった。と言っても、商社や電力会社などが行う大規模で本格的な形ではなく、小口の「5千トン」規模である。9日に行われた宗教法人「生長の家」の責任役員会で、二酸化炭素(CO2)に換算して5千トンの排出権の信託を三菱UFJ信託銀行から取得することが決まった。

 排出権取引については、本欄でこれまで何回も(例えば、2006年12月24日2007年9月18日9月28日11月27日)触れてきた。この制度には問題点がないことはないが、国連が正式に認定したクリーン開発メカニズム(CDM、Clean Development Mechanism)を通した排出権取引には、デメリットよりもメリットが多いと考えられ、また日本で生まれた世界初の温暖化防止条約である京都議定書を支援する意味からも、さらには今年から生長の家で始めた“炭素ゼロ”運動の進展のためにも、この時期での参加が好ましいとの判断によるのだろう。
 
 生長の家の公式サイトにある9日付のプレスリリースによると、今回取得する排出権の信託は、韓国の蔚山(ウルサン)市にあるフロンガス製造工場から出るHFC23というフロンガスを、排出させずに破壊する事業から生まれた排出権の一部である。国連からCDM事業として正式に承認・登録されているし、HFC23の温室効果はCO2の11,700倍あるというから、実質的に温暖化抑制に貢献しうると思う。
 
 生長の家が取得する「5千トン」(CO2換算)の排出権に相当する温室効果ガスの量は、東京・原宿にある本部事務所、長崎県西海市の生長の家総本山、京都府宇治市の生長の家宇治別格本山における、①電力、②都市ガス、③LPガス、④上下水道、⑤灯油、⑥A重油、⑦公用車に使用するガソリンと⑧軽油、および⑨会館建設・増改築によるCO2排出量の約4年分に相当する。つまり、今回の排出権信託の取得により、これら3事業所で使われる上記9項目の約4年分が“炭素ゼロ”と見なされることになる。
 
 これまでの本欄でも述べてきたが、排出権取引制度の問題点の1つは、排出権が金銭により比較的容易に得られるため、団体や企業の活動の中で、温室効果ガスを実際に削減するよりも、対価を支払うことで済ませてしまう傾向が出てくることである。この傾向が社会の趨勢となれば、実際の削減努力を阻害することにもなりかねない。しかし、生長の家の場合、上記の9項目が“炭素ゼロ”となっても、実際の運動では3事業所間の人の「移動」に伴うCO2の排出がまだ多くある。これの削減努力をすることが今後の大きな課題となってくるし、そのための工夫や業務改善の余地も多く残されている。さらに言えば、生長の家はこれら3事業所以外にも全国に数多くの教化部会館や道場などの施設をもっているから、温室効果ガスの削減努力は今後も継続していくことになるだろう。

 地球温暖化問題は、長期的な取り組みが必要であると同時に、実行可能な対策はすべてを、できるだけ早く進めていく必要性がある。今回の決定も、そういう観点から下されたことを読者は理解していただきたい。

 谷口 雅宣

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2008年1月 8日

環境運動家の危機感 (3)

Planb3_m  アメリカに住む友人からレスター・ブラウン氏(Lester R. Brown)の新著『Plan B 3.0: Mobilizing to Save Civilization』(プランB第3版--文明を救うための総動員=写真)が送られてきた。すでに邦訳されている『プランB 2.0』(ワールドウォッチジャパン刊)の内容を改訂したものである。後者の本の内容については2006年5月22日の本欄で紹介しているが、今回の改訂版は再生可能の自然エネルギーを基礎とした文明への転換を、より具体的に、より危機感をもって推める内容である。副題にある「mobilize」という英語は、戦争のために産業や資源、人員などを動員することで、ブラウン氏は各国が、それほどの規模と意志をもって地球温暖化を阻止する“臨戦体制”を整えなければ文明の危機が来る、と訴えているのである。『2.0』の英文の副題が「ストレス下の惑星と問題を抱えた文明を救う」であったのと比べると、「文明救済」の方に焦点を当てていることがわかる。この本の著作権表示にある発行年は「2008年」であるから、できたてホヤホヤということだ。

 ブラウン氏は、「はしがき」でこの本の4つの重要な目標として、①気候の安定、②人口の安定、③貧困の撲滅、④良好な地球環境の回復、を挙げている。そして、地球温暖化を最小限に抑えるためには、2020年までにCO2の排出量を80%削減することが必要だとして、そのための詳しい計画を提出している。この計画とは、(1) エネルギー効率の改善、(2) 再生可能エネルギーの開発、(3) 森林伐採の禁止と植林による地上の森林の拡大、という3つの部分からなるものだ。人類は、これらを実現するための技術をすべてもっているから、今やらねばならないのは、「それを実行する政治的意志を築き上げること」(to build the political will to do so)だと訴えている。このあたりの認識は、『不都合な真実』の中でアル・ゴア氏が言っていることと軌を一にしている。
 
 本の細部についてはまだ「拾い読み」程度だが、具体的、現実的な方策が数多く詰まっていて面白い。その小見出しの1つに「風力による充電式ハイブリッド車」(wind-powered plug-in hybrid cars)というのがあったので、いったい何だろうと思って読んだ。まるで“未来の車”のように聞こえるが、これは現在、トヨタなどが公道での走行実験を進めているプラグイン・ハイブリッド車そのもののことである。「風力によって」という意味は、発電用の風車を大幅に増設していけば、夜間の電力はこれで賄えるから、それによって充電した車は事実上「風力によって」動くことになるという意味である。

 ブラウン氏の試算では、この方法で充電した車の走行コストはガソリン代に換算すると1ガロン(3.78リットル)当り1ドル以下になるというから驚きだ。電池の性能が上がり、容量が増えれば、これによって日常の用途での車の使用はすべて風力によることになるから、現在のアメリカ国内のガソリン使用量を「80%」削減できるという。さらに驚くことは、現在の自動車の車体の金属部分は、コストをさほど上げずにポリマー樹脂に替えることができるから、そうすれば重量が半分になってさらにガソリン使用量は減り結局、現在より「90%」も少ないガソリン消費量で、現在と同じ台数を走らせることができるというのである。

 太陽エネルギーの利用については、この本は「太陽光発電」に加えて「太陽熱利用」の現実性を強調している。その最大の理由は、後者の製品の大幅な価格低下である。ブラウン氏が「最近の最も興奮する展開」として挙げているのは、中国では4千万戸の家庭に太陽熱温水器が設置されたことだ。これは、装置の価格低下によって都市部のもみならず農村部にも「燎原の火のように」広がっているという。しかも、中国政府はこの装置を、現在の1億2400万平方メートルから、2020年には3億平方メートルにまで拡大する計画という。氏の試算によると、現在の中国の家々に設置された太陽熱温水器から生まれるエネルギーは、石炭火力発電所54基に相当するという。ヨーロッパでもこの装置は人気だ。オーストリアでは、全家庭の15%が太陽熱温水器を設置している。ドイツでは、2百万人がこの装置の恩恵のもとに暮らしている。欧州では、このほかギリシャ、フランス、スペインがこの装置の導入を加速化しているという。日本の現状は1100万平方メートルだが、2020年までには8000万平方メートルを楽に達成する、とブラウン氏は読んでいる。
 
 邦訳が出たら、読者にも一読をお勧めする。
 
 谷口 雅宣

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2007年12月29日

2007年を振り返って

 まもなく幕を閉じようとしている今年を、ここで振り返ってみよう。まず言えることは、今年は地球温暖化問題において“世界的合意”が達成された年ということだ。すなわち、人間の活動によって地球温暖化が進行しつつあり、人類が今後温室効果ガスの排出を削減しない限り、温暖化による被害が経済発展を“帳消し”するどころか、経済にマイナスの効果を及ぼすことがほぼ確実である、との認識で一致した。今年2月から次々に出されたIPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)による4次の報告書が“科学者の総意”を明確に示しただけでなく、その内容に沿った危機意識をアル・ゴア氏が映画『不都合な真実』(An Inconvinient Truth)や同名の著書で一般人の間にも広め、アカデミー賞だけでなく、IPCCと共にノーベル平和賞まで受賞してしまった。それ以降、温暖化懐疑論は鳴りをひそめ、アメリカのブッシュ大統領まで温暖化抑制を口にするようになった。これは、世界の“良心”が“迷妄”に勝利した証左と言えるだろう。
 
 これによって、地球温暖化問題は抑制のための「政策」論議に焦点が移っている。が、まだその方向性は定まっていない。昨年の同じ時期、本欄で1年を振り返ったとき、国際政治の現状では、今後の世界は「原子力エネルギーの重視と、二酸化炭素の地下固定の技術を大幅に取り入れることによって、当面の温暖化の流れを最小限に食い止めながら、BRICs諸国を初めとした途上国は、“先進国型”の工業・技術社会を目指して進む」と予測した。この予測は、今の時点でもそれほど外れていないと思う。ただし、「地下固定」には「海底固定」が含まれる可能性が増してきており、“京都後”の枠組みを決める今後の国際交渉で画期的な制度が実現すれば、温暖化対策の中心は原子力から他の方向へ移っていく可能性はある。私は、化石燃料や原子力の利用よりも、再生可能の自然エネルギーの利用を促進することが、長期的に考えて、人類にとって最勝の方策であると考えている。
 
 ところで、温暖化問題が21世紀の人類最大の長期的課題だとしても、短期的、中期的には、イスラーム原理主義が関わるテロリズムや政治的問題の深刻さは、看過できない段階にある。地球温暖化問題に対する“合意”に加えて、今年もう1つ世界で合意されたことは、イラクを含むアメリカの中東政策が失敗だったということだろう。アメリカの自動車社会・消費社会を支えるために、文化・思想・信仰において大いに異なる産油国と同盟関係を結ぶと同時に、それらの国と敵対関係にあるイスラエルと密接な関係を保つという“二重基準”は、宗教的原理主義の台頭の前では認められなくなりつつある。これに加えて、原子力の利用技術が拡大し、兵器への転用の危険が増すにつれて、中東問題は地域的制約を超えてグローバルな核戦略にも影響を及ぼしつつある。つまり、アメリカが“イランの核”に備えて東欧にミサイルを配備することが、ロシアの核戦略に変更をもたらしつつあるのである。これに加えて、パキスタンでのブット元首相の暗殺が起こり、この地域の情勢はきわめて流動的であり、予測は困難だ。
 
 中東問題はエネルギー問題と密接に関係しているが、今年に入って世界のエネルギー利用において大きく変化したのは、バイオエタノールなどのバイオ燃料の利用が急速に進んでいることだ。石油や天然ガスの利用が地球温暖化を促進するだけでなく、不安定な海外の政治状況に左右されるという点を反省したアメリカが、自国産のトウモロコシを大量にエタノールに転換して利用する政策を実行している。これによって穀物が高騰しているだけでなく、食品全般の値上がりを招いていることは、本欄でも何回も書いてきた通りである。バイオ燃料の利用が進むもう1つの原因は、世界全体で石油の生産量が上がらず、値段が高値に張りついたままだからだ。これが産油国の政策的配慮なのか、それとも“石油ピーク”の到来なのかは、はっきりしていない。もし後者である場合は、バイオ燃料の需要は今後ますます伸びていくから、食料と競合しないバイオ燃料が開発されない限り、世界の貧困層の犠牲が増大するだろう。それは、気候変動とも相まって、政情不安を引き起こす要因になるのである。
 
 このように考えてくると、人類が今後、化石燃料にたよらず、核拡散ともつながらず、しかも食料とも競合しない方法でエネルギーを得ることは、世界の平和と密接に結びついていることが分かる。別の言い方をすれば、そのようなエネルギーの利用技術を開発することが、世界平和に貢献するのである。私は、日本こそまさにそういう技術と資本力と人的資源をもった国と考えるから、自然エネルギー利用技術を国策として大いに振興すべしと訴えてきたのである。
 
 谷口 雅宣

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2007年12月28日

福田首相が心変わり?

 これは恐らく“よいニュース”には違いないのだろうが、どうもよく分からないことが多い。一部の新聞報道によると、福田康夫首相は、京都議定書後の地球温暖化抑制のための国際的枠組みについて、日本を含む先進国が数値目標を定めることを近く提案する考えらしい。

 27日付の『日本経済新聞』は、首相が「先進国がどういう目標を持つか。やはり何か必要かもしれない」と述べたと伝え、さらに「この日の首相発言は温暖化が主要議題となる来年7月の主要国首脳会議(洞爺湖サミット)に向け、軌道修正する布石とみられる」という分析を加えた。『朝日新聞』は、この発言からさらに取材を進めたのだろう、その翌日(28日)付の紙面で、「福田首相は来年1月下旬にスイス・ダボスで開かれる世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に出席し、温室効果ガスについて、日本自身の中長期的な削減目標を設定する方針を表明する意向を固めた」と報じた。そして、その具体的な数値については、「来年7月の北海道洞爺湖サミットまでに明示したい考えだ」と結論した。

 このニュースがなぜ分からないかというと、12月17日の本欄で述べたように、2週間にわたってバリ島で行われたCOP13(国連気候変動枠組み条約締約国会議)では、日本は徹頭徹尾、アメリカの意向通りに、国ごとの温暖化ガス削減目標の設定に反対していたからだ。あれから2週間もたっていないのに、福田首相は“掌を返した”のだろうか? もしそうだとすると、いったい何が首相の考えを変えさせたのだろう。この間の新聞報道を振り返ると、福田内閣の支持率が最低レベルに落ちたというのがあったが、それが理由で外交政策や環境政策を変えたのか? もしそうならば、今回の心変わりも、財界やアメリカが再び圧力をかけてくれば、さらに変わる可能性があるかもしれない。それともこういう筋書きは、“戦術”として最初から考えられていたことなのか? この辺が、どうもよくわからないのである。
 
 そう言えば、12月21~22日の各紙は、地球温暖化に関する環境省と経産省の合同審議会が最終報告案で、京都議定書の「6%削減目標は達成しうる」と結論したと報じた。が、目標達成のための追加対策としては、産業界の“自主行動”の強化や“国民運動”という、責任や拘束力のないボランティア行動である点が指摘され、実効性に疑問符が投げかけられていたのを思い出す。この審議会の最終報告案では、「今後すみやかに検討すべき課題」として、①国内排出量取引、②環境税、③新エネルギー対策の抜本的強化、④深夜化するライフスタイル、ビジネススタイルの見直し、⑤サマータイムの導入、の5項目が掲げられていて、私としては、こちらの方がボランティア行動よりも実効的だと考える。“心変わり”の経緯はともかく、首相はダボス会議で新たな数値目標を提案するのならば、この5項目の中から有効なものを早急に導入して、最低限、京都議定書の目標を達成してほしい。
 
 ところで、27日の『日経』は、日本経団連の奥田名誉会長が、温暖化対策を担当する内閣特別顧問に就任したことを伝えている。経団連は長年、温暖化ガス削減の数値目標設定に反対してきたが、そのトップであった奥田氏にどれだけのことができるか未知数だ。記事では、この人事に“政府関係者”は「うるさ型の鉄鋼や電力を説得できる」と期待していると書いている。これは、福田首相の“本気”を示しているのか、それとも“ポーズ”を示しているのかは、7月の洞爺湖サミットまでに判明するだろう。
 
 ノーベル平和賞を受賞したIPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)のラジェンドラ・パチャウリ議長は、28日の『朝日』のインタビュー記事で、7月のサミットへの期待を次のように語っている--「日本では洞爺湖でG8サミットが開かれる。(中略)各国の指導者は大幅な削減の約束をしてほしい。G8の宣言はその後の国際交渉を助けるものになる。議長国の日本にとっては、自国や国際社会がとる新たな対策を表明するいい機会になるだろう」
 
 つまり、現在の温暖化に最も責任がある先進国が温暖化ガスの大幅な削減を約束すれば、中国やインドも“京都後”の数値目標に乗ってくる、という予測だ。だから福田首相は、再び心変わりすることなく、この路線を真っ直ぐ進んでほしい。
 
 谷口 雅宣

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2007年12月23日

バイオ燃料の“光明面” (2)

 前回の本欄では、バイオ燃料の種類とそれぞれの違いを概観したが、今回はそれを利用するメリットを考えよう。列挙してみると--

①燃やしてもCO2の増加とならない。
②石油燃料と混合することで有毒物質の排出が削減できる。
③農家の所得増進と農村の経済振興に貢献。
④生産地の多角化・多様化により、エネルギー供給が安定化する。

 などが考えられる。
 
 ①のメリットは、すでにいろいろな所で語られているから、ここでは最小限の表現にとどめる。前回書いたように、この点で重要なのは、バイオ燃料の製造に使われるすべてのエネルギーをきちんと“製造コスト”の中に入れ、さらに燃料の輸送・販売に必要なエネルギー量も“販売コスト”として足し上げたうえで、「CO2の増加とならない」かどうかを判断しなければならないということだ。例えば、トウモロコシを生育させるのに肥料や水を使ったり、大型の工作機械を使ったり、遺伝子組み換え品種を使う場合は、それらの過程中に石油起源のものが含まれる場合があるから、注意して計算する必要がある。沖縄のサトウキビを原料とするエタノールを使う場合は、サトウキビの生産地周辺での利用は効果が大きいが、これを本州や北海道で利用することになると、輸送のために化石燃料を使うことになるから、メリットは小さくならざるを得ない。この点で、ブラジルからの輸入には慎重な検討が必要だろう。

 ②のメリットは、エタノールが燃料の添加物として使われてきたことと関係がある。バイオ燃料を石油燃料と混合させることで硫黄酸化物、粒子状物質、一酸化炭素の排出を抑えることができる。だから、発展途上国などでは、この利用により都市部の大気汚染の緩和や、有毒な鉛を含む燃料添加物の廃止などに役立つことが考えられる。

 ③のメリットは、アメリカやブラジルではすでに明確な形で出てきている。ワールドウォッチ研究所によると、「エタノール業界は、アメリカでは20万人近く、ブラジルでは50万人の雇用を直接的に創出しているとみられる」というから、間接部門を含めた経済効果は相当のものだろう。特にアメリカでは、国の補助金と石油の値段の高止まりによって、エタノール生産が収益源となっているので、工場(醸造所)の増設が急ピッチに進んでいる。そして、原料であるトウモロコシが値上がりし、農家の収入も上がっている。アメリカの場合、比較的少数の農家による大規模経営が行われているから、収入の増加も急速である。

 ここで問題なのは、単一種の大規模栽培が生態系に好ましい影響を与えないことだ。特にアメリカでは、遺伝子組み換え種のトウモロコシが普通に栽培されているから、その影響は未知数だ。日本では土地や農家の規模、遺伝子組み換え種への抵抗感などから考えて、これと同様の政策を行うことには無理があるだろう。しかし、イネ藁、イネ籾、竹、廃材等を原料としたバイオエタノールの生産は、農業や林業の振興、山林の整備、エネルギー自給率の向上などの面から、非常に有望な手段だと私は考える。
 
 ④のメリットは、③とも関連する。化石燃料とバイオ燃料の大きな違いの1つは、前者の生産地が世界のごく少数の地域に遍在しているのに対し、後者は(太陽エネルギーの産物であるから)、事実上、世界中で生産可能である点だ。エタノールの別名はエチルアルコールだから、理論的には酒の醸造技術があれば、エタノールの生産は可能である。だから、もし大量生産の技術が確立すれば、政情不安定な一部の国々の恣意的な操作で市場が混乱することなく、自国での安定供給が可能であり、不足した場合は国際市場からの入手も比較的容易になるだろう。もちろん、無秩序な森林伐採や開発行為は防がねばならないが、草木などどこにでもある“雑草”の類を液体燃料に変えることが技術的に可能となれば、太陽光発電がそうであるように、エネルギーの分散生産、分散利用が可能となり、都市と地方の格差是正、エネルギー自給の道にもつながるかもしれない。
 
 以上、「よいこと」ばかりを並べてきたが、前にも書いたように、バイオ燃料の開発にはデメリットがある点も十分に留意すべきである。しかし、総合的に考えると、私はこの方向への社会の進歩は、長年の日本経済の停滞をも打破するような潜在力と、明るい可能性を秘めているような気がしてならない。
 
 谷口 雅宣 拝
 
【参考文献】
○クリストファー・フレイヴィン編著『地球白書 2006-07』(2006年、ワールドウォッチジャパン刊)
○クリストファー・フレイヴィン編著/福岡克也監訳『地球環境データブック 2006-07』(2007年、ワールドウォッチジャパン刊)

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2007年12月22日

バイオ燃料の“光明面”

 本欄では、これまでしばしばバイオエタノールやヤシ油の急速な利用に伴うデメリットを語ってきたので、読者の中には「バイオ燃料は悪い」との誤解が生じているかもしれない。そこで今回は、この燃料の“善い面”に焦点を当てて考えてみたい。

「バイオ燃料」(biofuels)などとカタカナ混じりの言葉で呼ぶと、まるで何か最先端の科学研究の成果のような印象を与えるかもしれないが、この燃料は、人類が太古から使ってきたごく普通の燃料--薪、藁、柴、炭--などと密接な関係をもった概念である。つまり、生物由来の燃料で、化石化していないものをバイオマス(biomass)と呼ぶが、そこから抽出される液体燃料と混合ガスのことを指す。昔、日本では、石油禁輸中にサツマイモを原料としたバイオエタノールを使ったことを忘れてはならない。

「バイオ燃料.com」によれば、「バイオ燃料は、生物体(バイオマス)の持つエネルギーを利用したアルコール燃料やその他合成ガスのこと」である。また、米エネルギー省傘下の研究機関であるアメリカ再生可能エネルギー研究所(National Renewable Energy Laboratory, NREL)の説明には、「バイオマスは他の再生可能エネルギーとは異なり、“バイオ燃料”という液体燃料に直接変換することができる」とある。また、ワールドウォッチ研究所の『地球環境データブック』の定義は「植物などのバイオマス由来の液体燃料」である。とすると、「混合ガス」を含むか含まないかで、日米間の考え方にまだ若干の差があるようだ。

 代表的なバイオ燃料は、エタノールとバイオディーゼルである。エタノールは現在、サトウキビ、トウモロコシ、小麦、大麦などの穀物を主原料としているが、これをトウモロコシの茎、稲や麦の藁、竹、スイッチグラスと呼ばれる雑草などから抽出する研究が進んでいる。一方、バイオディーゼルは、植物性油と動物性油脂を原料として作られており、上記のNRELによると、アルコール(普通はメタノール)と植物油、動物の脂、廃油などを加えて精製する。いずれのバイオ燃料も、原料の元をたどれば植物による光合成に行き着くから、太陽エネルギーを液化したものと見なされる。

 地球温暖化抑制の観点から見て重要なのは、これらのバイオ燃料のエネルギー量と、それを製造するために使われる化石燃料のエネルギー量との比較である。前者が後者に比べて大きければ大きいほど、温暖化抑制に役立つことになる。この差が大きい--つまり、温暖化抑制効果が大きい--ものから並べると、①雑草などの植物繊維由来のエタノール、②ヤシ油由来のバイオディーゼル、③サトウキビ由来のエタノール、④植物性の廃油からのバイオディーゼル、⑤ダイズ由来のバイオディーゼル、⑥ナタネ由来のバイオディーゼル、⑦小麦、テンサイ由来のエタノール、⑧トウモロコシ由来のエタノール、の順となる。ただし、この順位は、現在の製造工程にもとづいているから、新しい省エネの製造法が開発されれば当然、変化する。
 
 この順位を見ればわかるように、同じバイオエタノールでも、米国産(トウモロコシ由来)のものとブラジル産(サトウキビ由来)のものとでは温暖化抑制効果は違うのである。日本で現在使われているバイオエタノールは、フランス産の小麦を原料としたものだから、ちょうどその中間的位置にある。日本政府は現在、沖縄産のサトウキビを原料としたエタノールの生産に力を入れているが、その判断は合理的と言える。しかし、サトウキビは食品の原料でもある。だから、本命は何と言っても、食料と競合しない雑草などの植物繊維由来のものだ。したがって私は、この分野の技術開発に是非、官民挙げて全力で取り組んでほしいと思うのである。
 
 谷口 雅宣
 
【参考文献】
○クリストファー・フレイヴィン編著/福岡克也監訳『地球環境データブック 2006-07』(2007年、ワールドウォッチジャパン刊)
○「バイオ燃料.com」、(http://バイオ燃料.com/)

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2007年12月20日

“石油難”の前に食糧難?

 アメリカで32年ぶりに、自動車の燃費基準を大幅に厳しくする法律が成立した。地球温暖化抑制の観点からは、このことは大いに歓迎しよう。ところが、この法律には“行き過ぎ”とも言うべき別の規定が含まれていて、これが来年以降の世界を食糧難をもたらす可能性が指摘されている。「エネルギー独立・安全保障法」(Energy Independence and Security Act)というその名前から分かるように、この法律は9・11を初めとするテロによる脅威と、中東などの外国にエネルギーを依存するアメリカの現状とをリンクさせて考えている。つまり、イスラーム原理主義によるテロの脅威は、アメリカが無理をして中東からエネルギーを輸入しなければならないという海外依存体質が大きな原因になっている、との認識がある。だから、①国内のエネルギー効率を飛躍的に向上させ、かつ、②可能な限りエネルギーを自給することで国家の安全保障に寄与しよう、というのだろう。この①の目的で定められたのが、自動車の燃費基準の大幅な厳格化だ。
 
 19日の『日本経済新聞』夕刊によると、新法が定めているのは、乗用車の燃費基準は、現行の1ガロン当たり「27.5マイル」から最終的に「35マイル」に、SUVを含む小型トラックは、現行の「22.2マイル」から同じく「35マイル」まで引き上げることだ。これを日本式表現になおすと、前者は1リットル当たり「11.7キロ」の現行基準を「15キロ」まで、後者は「9.4キロ」のものを同じく「15キロ」まで引き上げることになる。この程度の燃費基準ならば、現在でも多くの日本車は基準を満たしているから、新法が2011年以降に段階的に基準を厳しくして2020年までに「15キロ」へもっていくというのは、技術的に大きな問題はないだろう。

 問題があるのは、②の目的のために、バイオ燃料を2022年までに年間360億ガロン(1330億リットル)利用することを義務づけている点だ。19日付の『ヘラルド・トリビューン』紙によると、現行の目標値は2012年までに75億ガロン(278億リットル)だから、その10年後にはバイオ燃料の利用量は約5倍にまで膨れ上がることになる。このバイオ燃料には、食料として使わないトウモロコシの茎や、麦わらなどを原料とするものも含まれるが、同法にはトウモロコシなどの穀物そのものから作るバイオエタノールの量を「150億ガロン」に増やすことも定められているという。このことが、同じ土地を食糧とエタノールが奪い合うという問題を深刻化することが懸念されているのだ。

 多くの読者は、現在のエタノール・ブームによっても、食品全般の値上がりが起こっていることをすでにご存じだろう(今年9月7日3月23日の本欄参照 )。11日の本欄では“物価の優等生”と言われてきた日本の牛乳の値段が、来春から30年ぶりに上がることを書いた。これは“氷山の一角”にすぎず、砂糖やダイズや小麦も、このところ急ピッチな値上りが続いている。例えば、19日の『日経』は、穀物の国際価格が歴史的な高値圏にあることを受けて、全国農業協同組合連合会(全農)が家畜向けの配合飼料を1月から値上げすると発表した、と伝えている。配合飼料の原料には、トウモロコシのほかダイズも含まれている。また、シカゴ商品取引所での小麦の国際価格も、過去最高値を更新したと伝えている。
 
 こういう穀物や食品の値上がりの1つの原因が、バイオ燃料の需要増大である。つまり、地球上の耕作地の面積はほぼ一定だから、そこで栽培される作物が自動車用のバイオ燃料の生産に回されれば、人間や家畜が食べる分はそれだけ減ってしまう。すると、需要と供給の関係で当然、穀物や食品の値段が上がるから、貧しい国では食料不足が起こるのである。この食料不足をなくそうとするならば、単位面積当たりの収量を増やすか、あるいは耕作地の面積を増やさねばならない。現在、採られている方策は後者が主体であり、その方向には「森林破壊」がある。インドネシアやブラジルの森林で焼畑や、違法伐採が続いているのも、そういう理由が大きい。
 
 しかし、バイオ燃料活用の効果には“善い面”もあり、そのことは別の機会に書くことにする。
 
 谷口 雅宣

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2007年12月19日

サンタクロースは中国人?

 環境運動家として知られるレスター・ブラウン氏(Lester R. Brown)が主宰するアースポリシー研究所から18日付で送られてきたニュースレターの題は、「サンタクロースは中国人」だった。副題は「中国が浮上し、アメリカが沈下している理由」である。意表をつくタイトルなので思わず読んでみると、ブラウン氏がなかなか愛国者であることが分かった。彼は、アメリカの経済の現状を憂えて、「石油に頼った生活から早く足を洗い、元来アメリカの技術だった太陽光発電や風力発電の分野で世界をリードすべきだ」と訴えているのである。ニュースレターによると、実はこの文章は、1年前のニュースレターに載ったものという。だが、反響が大きかったのと、状況は1年前と基本的に変わっていないので、クリスマス前のこの時期に再びニュースレターに載せたという。

 ブラウン氏の論点をまとめれば、こうなる--今、アメリカ人が購入するクリスマス・プレゼントのほとんど70%は、中国製である。具体的には、バービー人形やビデオゲームなど玩具の80%、アイポッドやXボックスなどの電子機器も、カシミアのセーターや国内メーカーのトレーナーもほとんど中国製である。クリスマスツリーは、本物の木は国内産でも、プラスチック製の人造ツリーの8割は中国製である。このように、中国人はアメリカのクリスマスの“製造元”であるから、サンタクロースの役割を演じている。中国人は豊かになりつつあり、アメリカ人は貧しくなっている。その理由は、中国人が収入の40%を貯蓄しているのに対し、アメリカ人はクレジットカードで収入以上の買い物をどんどん行っているため、貿易赤字が急速に増大しているからだ。

 ブラウン氏は続けて言う--アメリカ人は、将来のために貯蓄をするという考え方を忘れ去り、流砂のような消費生活の中に埋没している。我々は子供たちに将来の明るい未来を残そうとするかわりに、歴史上かつてないほど巨大な借金を遺していこうとしているのだ。

 問題なのは、我々のクリスマスが中国で作られるということではなく、そういう状況に至らしめた我々の考え方だ。それは、「どうしても今ほしい」と願うことだ。「今消費して、代金はあとで子供に支払わせよう」とすることだ。「将来のために今は我慢する」という考え方がこの国から消え去ってしまった。だから国の政策でも、戦争で高い犠牲を払いながら減税をしている。増大する貿易赤字を抱えながら、高い石油を輸入しつづけている。今、この莫大な国の借金を肩代わりしているのは中国と日本だ。その中で、太陽光や風力など、もともとアメリカが考え出した再生可能エネルギーの開発努力をせず、社会保障制度が破綻し、高齢化が進んでいる。こんなことで世界を導き、世界への影響力を維持することなどできるはずがない。我々が直面しているのは、アメリカのクリスマスが中国で作られているという単純な問題では最早なく、かつて我々を偉大な国に育て上げたもの--世界が誉め、尊敬し、かつ見習おうとした規律と価値とを、我々が恢復できるかどうかということだ。

 クリスマスが近づくにつれて、日本の街は華やかさを増している。ブラウン氏のこの警告を読んで私の脳裏に浮かんできたのは、欧米のブランド・ショップが軒を連ねる銀座や原宿や渋谷の繁華街であり、そこを行く、ブランド物で“重武装”したような人々の姿である。アメリカ人に比べて、日本人の貯蓄率はまだまだ高いだろう。しかし、日本全体が、ブラウン氏が憂えるように、「今ほしいものを得て、ツケは子供に支払わせる」という、無責任な方向に走っているような気がするのである。無理、無駄、無目的、無思慮な買い物をしていないだろうか? 子の世代、孫の世代にツケが回るような生き方をしていないだろうか? 悩むアメリカの姿は、我々にも多くのことを教えているのである。
 
 谷口 雅宣

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2007年12月17日

“京都後”への出発点

 インドネシアのバリ島で行われていたCOP13(国連気候変動枠組み条約締約国会議)が終わり、その“成果”について様々な論評が行われている。マスメディアの論調の大勢は、「全員参加でひとまず合意」というところか。参加国をできるだけ多くすることで“世界的潮流”を作っていこうとする考えは理解でき、その目的はある程度達成された。が、「全員が合意できることはそう多くない」ことも事実である。確かにアメリカ、中国、インドという立場が大きく異なる大国を温室効果ガス削減のスタートラインにつけた点は、評価できる。また、温暖化の被害を軽減するための適応基金や森林減少の防止のための制度的枠組みについても合意できたことは「よいスタート」と言えるだろう。が、残念なのは、数値目標についての記述が一切排除されたことだ。これによって、“ポスト京都”の目標値設定やCO2の排出権取引制度の“世界版”の発足は遅れることになるだろう。
 
 それにしても、この会議でのわが国の対応には不満が残る。現在の温暖化を生み出した主要な責任は先進国にあるのは明らかなのに、その責任国中ではアメリカと日本だけが、数値目標の設定に徹底的に反対した。当初の合意文書案に盛り込まれていた「先進国は2020年までに1990年比25~40%削減」という文言だけでなく、次に出た「2050年までに温暖化ガスを2000年より半減」や「今後10~15年以内に世界全体の排出量を減少に転じる」という表現にも、アメリカとともに反対した。いったい日本は米国の“衛星国”なのか、はたまた京都議定書の議長国でありながら、温暖化抑止に反対しているのか、と疑いたくなるほどである。安倍政権時代に打ち出した数値目標など、初めからなかったと言わんばかりの変節ぶりだった。こういう首尾一貫しない外交政策は、世界の国々から信頼されない。来年の洞爺湖サミット(主要国首脳会議)での指導力は、自ずと限定されたものになるだろう。
 
 京都議定書にはない新たな対策も「検討する」ことが合意された。その1つは、上にも触れた世界の森林保護のための仕組みであり、森林保護基金の設置や、伐採しないことで排出権を得る制度の設置である。2つ目は、産業分野別に削減目標を設ける「セクター別アプローチ」という考え方だ。これは日本の財界も推している新しい手法だが、実際に温室効果ガスの削減効果があるかどうかは未知数の部分がある。
 
 ところで、今日(17日)の『日本経済新聞』の夕刊に、「主要国の温暖化ガス排出状況」というグラフが載っている。それを見ると、日本、ヨーロッパ、アメリカの主要7カ国が2005年の時点で、京都議定書の基準年である1990年のレベルからどれほど温暖化ガスを増やし、あるいは削減しているかが一目瞭然にわかる。数字で示すと、ドイツは「-19.5%」、イギリスが「-15.4%」、フランス「-7.1%」、ロシア「-27.7%」、日本「+7.1%」、アメリカ「+16.3%」、カナダ「+54.2%」である。京都議定書の目標について、カナダは早々と「達成できない」と宣言した。アメリカは議定書から離脱したから、目標達成の義務は負わない。議長国である日本は、90年比で「6%削減」の義務を負っているが、すでに7%以上増えている。
 
 こういう状況で来年以降、温暖化抑制問題で世界に指導力を発揮することがいかに困難であるかは、明らかである。業界寄りの自民党政権が続いているかぎり、京都議定書の義務達成は愚か、“ポスト京都”の温暖化抑制努力においても“低迷”し続けるパターンが見えているような気がしてならない。

谷口 雅宣

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2007年12月11日

牛乳とバイオエタノール

 鶏卵とともに“物価の優等生”と言われてきた牛乳の値段が、30年ぶりに上がるらしい。理由は、バイオエタノールである。この「風が吹けば桶屋が儲かる」式の謎解きも、本欄の読者なら簡単にできるのではないだろうか。
 
 11日付の『日本経済新聞』によると、牛乳の大手メーカー2社(明治と森永)は、来年春に牛乳を平均で3%強値上げする方針を固めたという。飲用牛乳で最大の指定団体である関東生乳販売農業協同組合連合会と明治、森永の2社が来年4月から飲用牛乳の価格を約3%引き上げることで合意したからだ。牛乳の小売価格はここ10年間下がり続けていて、現在の実売価格は1リットル170~180円程度だが、これを契機に来春からの価格上昇の可能性が出てきた。バイオエタノールとの関係は、乳牛のエサ代の上昇だ。同紙によると、この1年でトウモロコシの値段は50%、乾し草の値段は10%上昇しているという。トウモロコシは、大産地アメリカでのバイオエタノールへの転用が急速に進んでいるからで、牧草地の農地への転用も進んでいる。牛乳の3%の値上げは、日本人にはあまり痛くないかもしれない。しかし、バター、チーズ、ヨーグルト、アイスクリームなど、他の乳製品の値上げに波及する可能性もある。
 
 私は、今年3月23日5月29日の本欄などで、食品の値上りなど、昨今のバイオ燃料ブームが途上国で好ましくない結果を招いているため、環境運動家のレスター・ブラウン氏(Lester R. Brown)がバイオ燃料の増産の一時停止を提言していることなどを書いた。この食品の値上がりは、依然として続いている。同じく今日の『日経』は、ダイズも小麦も国際価格の上昇が続いて「軒並み記録的な高値を付けている」と伝えている。最近のドル安が、これを煽る形だ。つまり、EU諸国や中国がドル安の今のうちに積極的に米国産の穀物を買い入れているためだ。ダイズは今(穀物)年度の輸出成約量が11月までに前年同期比で8%増え、小麦は同84%増、トウモロコシは36%増というから、相当なものだ。
 
 こんな中で、COP13に合わせてインドネシアのバリ島で開かれた34カ国の貿易担当相の会合で、環境関連製品の貿易を拡大するために、バイオ燃料などの関税を撤廃する案が出され「一致した」という。10日の『日経』夕刊が伝えている。小さな記事で、詳しいことはわからないが、食物と競合するバイオ燃料を世界的に大いに流通させようという考えで「一致した」のならば、あまりいい報せではないだろう。今後も食品の値上がりと森林破壊が続く可能性が高いからだ。(詳しくは、12月7日の本欄参照)

 いいニュースもある。同じバリ島発のものだが、COP13では世界銀行が中心となって、森林破壊防止のために6千万ドル(約67億円)規模の基金を創設することが決まり、日本が1千万ドルを拠出するほか、オーストラリアなど他の先進国も資金援助するらしい。ただし、この額は十分とは言えず、インドネシア政府高官の話では、「地球規模の森林保全には5億~10億ドルの基金が必要」という。が、「よいスタート」ではあるだろう。

 谷口 雅宣

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2007年12月10日

地球温暖化をめぐる“理想”と“現実”

 最近、新聞各紙で報道されているCOP13(国連気候変動枠組み条約締約国会議)の記事を読みながら、私は地球温暖化をめぐる“理想主義”と“現実主義”の意味について考えさせられている。普通、理想主義とは、倫理的あるいは理論的に正しいとされることを第一に尊重し、そこへ到達するため現実の制度を変革したり、障害を突き崩したりしようとする考え方だ。『新潮国語辞典』は、それを「現実に立脚せずに理想を強調する、空想的・非実際的立場」と否定的に定義している。これに対し現実主義は、目の前の現実を「在るべくしてある」と考え、現実そのままを重視し、倫理的、理論的な目標を軽視する。このため、現実は「変革」するよりも「理解」されるべきとし、障害は「越える」べきではなく「容認する」べきと考える。『新潮国語辞典』によれば、現実主義は「主義・理想にこだわらず、現実の事態に即して事を処する主義」とも定義されている。

 新聞記事によると、同会議は8日、日本を含む先進国は温室効果ガスの排出量を2020年までに1990年比で25~40%削減するという数値目標を検討すべきとの議長案をまとめたという。要するに、現在の京都議定書で先進国の目標値とされている「10%未満」ではとても足りないから、各国別にもっと大幅な削減目標を設置すべきという考えだ。欧州連合(EU)などはこの案を歓迎しているのだが、日本とアメリカは反対している。日本が反対しているのは、「数値目標策定よりも米中が参加する枠組みづくりを優先課題としている」(9日『日経』)からで、「削減数値が入ると協議がまとまらない。EUは入れたいのかもしれないが、多くの国が受け入れられない」(同日『朝日』)として反発しているらしい。また、今日(10日)の『日経』夕刊によると、「日本は今回のバリ会議はポスト京都の交渉を始めるのが目的であり、数値目標を示すのは時期尚早として修正を求めていく考え」らしい。

 この報道が正しいならば、日本が今回目指しているのは「米中を枠組みの中に入れる」ことであり、意見対立が起こりやすい数値目標の設定は避けたい、ということだろう。この態度ははたして現実主義的か、それとも理想主義的か? 米中を含めた世界各国がバラバラの思惑をもち、それぞれの温室効果ガス排出量もバラバラな状態であるという“現実”を見れば、「何らかの形で世界全体が合意できればそれでいい」という日本の判断は、「主義・理想にこだわらず、現実の事態に即して事を処する」という意味では、確かに現実的かもしれない。しかし、この場合の“現実”とは、「国際政治の現実」だけを指すのであって、「すべての現実」ではない。端的に言えば、この場合の“現実”の中には「地球環境の現実」が含まれているとは思えないのである。「地球環境の現実」については、先ごろIPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)が発表した統合報告書の分析を受け入れるのが、現時点では最善・最勝の判断だろう。

 で、その報告書に何が書いてあるかは11月18日の本欄で触れたが、その一部を掲げると……
 
[アフリカ]2020年までに最大2億5千万人が水不足に直面、飢餓が進行する。
[ア ジ ア]洪水と旱魃の影響で、風土病の罹患率と下痢性疾患による致死率が上昇。
[欧  州]2080年までに最大60%の生物種が消失。熱波到来。
[南  米]今世紀半ばまでにアマゾン東部の熱帯雨林がサバンナに変わる。
[北  米]収穫が増える地域もあるが、地域にばらつき。21世紀中に熱波の回数増加。
[極  地]積雪、海氷量の変化でシロクマなどの哺乳類、渡り鳥などに影響。
[島 嶼 国]海水面の上昇により浸水、高潮でインフラを脅かす。

 ということだった。
 
 この「地球環境の現実」をしっかりと見つめた場合、「何らかの形で世界全体が合意できればそれでいい」という日本の判断は、はたして現実的--つまり、「主義・理想にこだわらず、現実の事態に即して事を処する」と言えるだろうか? 私にはそうは思えないのである。この日本の態度は、むしろ「全員参加主義」にこだわり、「全員賛成」の理想にこだわって、「何億人もの人類が飢餓や海面上昇によって生命を脅かされる」という現実に立脚しない、「空想的・非実際的立場」と言うこともできると思う。つまり、日本の現在の立場は、悪い意味での“理想主義”とも呼べるのではないだろうか。

 私は、EUがこの問題を深刻に受け止めているのには、それなりの現実的理由があると思う。その1つは、アフリカとの地理的・文化的・政治的関係である。EUにはアフリカの旧宗主国が多く含まれるから、現在すでに不法移民の入国が深刻化している。それに加えて、温暖化の被害による大量の環境難民が生じれば、EU諸国は政治的にも、道義的にもそれらの人々を域内に受け入れる義務が生じるだろう。そんな時、「あなた方が温暖化ガスの削減努力を怠ったから、私たちは祖国を破壊された」というアフリカ人の不満を、どう抑えればいいのか? そんな事態が来るのを座視するよりは、今、多少の経済的犠牲を払ってでも、できるところから、他国が反対しようがしまいが、自国の将来の利益を考えて、打つべき手は打つのがいい--こんな思惑が感じられるのである。
 
 日本にはそんな事態は決して来ない、と読者は考えるだろうか?
 
 谷口 雅宣

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2007年12月 9日

鹿児島の息吹

 生長の家の講習会のために鹿児島県霧島市のホテルに泊まった。ここは半導体などの大手メーカー「京セラ」が工場をもち「ホテル京セラ」という施設も経営している町で、何となく“京セラの町”といった雰囲気である。昨年の1月にもここで講習会をやったが、その終了後、近くの「隼人塚」という旧跡を訪れたことを1月29日の本欄に書いた。今回は、帰りの航空機の出発時間の関係でどこへも寄らずに帰途についた。

 前日の夕刻にホテルの中を散策したが、案外寒いことに気がついた。「国内最大級の大吹抜空間、7つのレストラン・バー等多彩な飲食施設、屋内外の各種温泉スパ等をもつリゾートホテル」というのが、このホテルの宣伝文句だが、「大アトリウム」と呼ばれるこの吹き抜け空間が問題のようだった。22~23階もある建物の最上階まで吹き抜けだから、暖房がむずかしいのである。恐らくバブルの頃の考え方で建物を設計したのだろうが、石油高騰の今の時代にはコスト高で困っているに違いない。従業員の物腰や態度はとても好感がもてるものだったが、ホテル内で寒さをこらえるというのは初めての経験だった。太陽光発電の先駆的メーカーなのだから、自慢の装置でいくぶんでも暖房費をまかなえないかと思う。
 
 このホテルには、レストランなどが入った別棟があるのだが、そこへ行くには渡り廊下を通る。この廊下の寒さがひとしおなのだが、壁面に日本各地の縄文時代の遺跡の案内がある。そこには土器や矢じり、生活風景を描いた絵などが掲げられていて、土製の人形である「土偶」の模型もいくつもあった。土偶については、『信仰による平和の道』(2003年刊)Mtimg071209_m に少し書いたが、この時代の遺跡からしか出土しない不思議な人形で、宗教行事に使ったと考えられているが、詳細は不明である。実物の人間に似せて作られているのではなく、肉体的特徴--目や乳房、腰など--に極端な誇張が見られるところから、呪術的用途が考えられている。『ドラえもん』の漫画にも出てくるから、読者もお馴染みかもしれない。で、その中の1つに十字形をした土偶があり、不思議な雰囲気をもっていたので、写真に撮ってからそれを絵に描いてみた。胴長の体も面白いが、パンツのようなものをはいているのが不思議だった。
 
 ところで、講習会の食事の時間に、「鹿児島県では人口が年間1万人減る」という話を聞いた。小樽市では「毎年千人減る」という話を聞いたことがあるが、その10倍もの人口減少には驚いた。そこでさっそく「鹿児島県毎月推計人口」をネットで調べてみたら、今年11月1日現在の鹿児島県の人口は「前年の同月と比べて11,366人減少して」いると書いてある。男性が6,039人減り、女性は5,327人減っているのだが、世帯数は逆に2,918も増えている。ということは、核家族化が進んでいるのだろうか。さらに調べると、前月との比較では、人口の自然増(出生と死亡の差)が「-210」であるのに対し、社会増(転入と転出の差)は「24」である。この傾向が年間通して続くと仮定すれば、高齢者が死亡して世帯が減少する一方で、それより相当多くの独身者や単身者が転入することで世帯数が全体として増加している、と考えられる。では、地域的にどこの人口が増えているかと思い、市町村別の人口動態を眺めてみると、「鹿児島市」と「霧島市」が1年前に比べてそれぞれ「370人」「100人」増加しているが、他の市町村はすべて減少していた。
 
 ここから分かることは、この2つの市が鹿児島県の経済の中心であり、その活動には企業や工場の誘致が大きく貢献しているらしい、ということだ。京セラは、創業者の稲盛和夫氏が鹿児島市出身のため霧島市に拠点を置いたとの話を聞いた。そう言えば、同市の会場から鹿児島空港へ向う車中、私と妻は民家の屋根の上に数多くの太陽光発電装置を見つけて、歓声を上げたのだった。新しい時代の息吹が、そこにあった。
 
 谷口 雅宣

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2007年12月 7日

バイオ燃料に制限を

 CO2の排出量をゼロと見なせることで、バイオエタノールなどのバイオ燃料が脚光を浴びているが、インドネシアのバリ島で開かれている国連の気候変動枠組み条約の締約国会議で森林破壊の現状が明らかにされるに伴って、無制限のバイオ燃料の利用は温暖化防止にかえって逆効果であることが指摘されはじめた。日本政府は、バイオ燃料にかかる関税をゼロにして普及を促進させる考えのようだが、このことと森林保護とが矛盾する現状では、慎重な対応を願う。
 
 5日付の『日本経済新聞』によると、政府は現在、首都圏などでガソリンと混ぜて売っている「ETBE」と呼ばれるバイオ燃料の関税を、現行の3.1%からゼロにする方針で、それを財務省の審議会が月内にまとめる答申に盛り込み、来年の通常国会で法律改正を行い1年間、暫定的に実施するという。これは、京都議定書の目標達成のための臨時措置なのだろうが、バイオ燃料は種類によっては森林破壊を拡大する危険性があることを忘れずに、慎重な対応を望む。同じ新聞には、世界銀行が設置する森林保護基金に、日本が1千万ドル(約11億円)を拠出することを正式表明したと報じられている。この2つの政策の間に矛盾がないようにしてほしい。
 
 というのも、今日(7日)の『産経新聞』が第1面に掲載している2枚のカラー写真を見れば、現在のバイオ燃料の世界的ブームが現実に何を惹き起こしているかが明白であるからだ。その写真の1つはAPがインドネシアから配信したもので、スマトラ島のリアウ州(Riau)のジャングルが伐採された跡地に、大量の木材が野積みされているのを空から撮影している。この伐採は、木材を日本や中国に輸出するためだろう。もう1枚の写真は、取材記者が陸上から撮ったもので、伐採の跡地を焼き払って、ヤシ油の原料となるアブラヤシの農園にするためという。記事には、こう書いてある--
 
「焼失面積は10キロ四方に相当する約1万ヘクタール。およそ3年にわたり、地元業者による人為的な森林火災が繰り返された結果である。パーム油がとれるアブラヤシの大農園を整備するのが目的だ。真っ黒の地面のあちらこちらから、青々としたヤシの苗木がまっすぐに伸びていた」
 
 上掲のAPの写真は、6日の『ヘラルド・トリビューン』紙の第1面にも載っている。記事を読むと、このリアウ州はスイス1国とほぼ同じ広さで、ここ数年、この地にアブラヤシの農園を造るために、インドネシア政府の支援を受けた10社を超えるパルプ会社や製紙会社が入ってきている。そして、この10年間で同州の熱帯雨林の6割が伐採され、焼かれ、またはパルプの原料として消えていったという。今やインドネシアは、アメリカ、中国に次いで世界第3位の温暖化ガス排出国となっている。
 
 10月8日の本欄にも書いたが、この国から出る温暖化ガスは、森林伐採によるものだけでなく、伐採後の泥炭地の乾燥や、焼畑による泥炭地への延焼の被害が深刻である。日本のCO2排出量が約13億トンなのに比べ、インドネシアは20億トン。このうち森林火災によるものは14億トンで、残り6億トンは泥炭地の乾燥から生じるという。
 
 この問題の解決に役立つとして考えられているのが、「REDD」(森林の消滅と破壊から出る温暖化ガスの削減、Reducing Emissions from Deforestation and Forest Degradation)という方法である。これは基本的に、途上国が森林を維持するコストを先進国が支払う制度だ。しかし、合法的に取得された土地の使用を制限することになる一方、違法伐採の取り締まりが難しい点が問題になっている。また、森林の維持によって排出されなかった温暖化ガスを正確に測定するのが難しい。が、何らかの森林維持のための経済メカニズムをつくらないかぎり、インドネシアやブラジルなど広大な森林を抱える国では、森林破壊を防げないだろう。
 
 このREDDの考え方をよく見ると、「自然そのものの価値」を認め、それに値段をつけていることが分かる。だから人類は、温暖化抑制のために結局、“自然資本”の考えを取り入れるほかないのである。
 
 谷口 雅宣

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2007年11月30日

環境税 見送られる

 環境税の導入は、来年度は見送られることになった。自民党の税制調査会が29日、2008年度税制改正での環境税の導入を見送る方針を固めたからだ。30日の新聞各紙が伝えている。環境省は、温室効果ガスの排出量を炭素に換算して、1トン当たり2400円を課税し、税収を森林保全や省エネ家電の普及促進に充てる案を要望していたが、経済界の反対に弱い自民党の体質を覆すことができなかった。予想していたものの、残念なことである。一方、11月3日の本欄に書いた東京都の環境税構想については、都知事の諮問機関である都の税制調査会が同日、これを都独自の課税としての環境税導入の検討を求めるという中間報告をまとめた。

 都の環境税構想の中身は既報の通りだが、国が実施を見送る中で、都だけが環境税を課すことの問題点はいくつかあるようだ。『日本経済新聞』が30日の記事でそれに触れている。都の現在の構想は、①炭素税、②電気・ガス税、③自動車税、④緑化税、の4段構えで、そのうちの全部ではなく、いくつかを組み合わせる方式が有力。しかし、炭素税のうちガソリンや灯油などへの課税、また自動車税は二重課税となり、電気・ガス税は電気料金やガス代の値上げにつながる。これを東京都民がどうとらえるかは、未知数だ。特にガソリンへの課税は、隣接県との価格差となって現れるだろうから、都県境付近のガソリンスタンドで不公平感が出るだろう。
 
 上記の『日経』の記事は、今回の都の環境税導入の背景を分析して、都が目指している2010年までの温暖化ガス削減目標(1990年比で6%減)にもかかわらず、「04年時点でオフィスなどで28%増、家庭では9%増と歯止めがかからない」のが原因としている。石原知事がこの問題を真面目に考えるつもりならば、私はオリンピックの誘致など諦めていただくのが一番と考える。大規模な開発行為によって温暖化ガスの排出削減ができると考えるのは、いかにも不合理である。
 
 ところで、日本のメディアでは大きな“よいニュース”が小さな記事になることがある。29日の『日経』夕刊のベタ記事(一段の小さい見出しがついた記事)に、アメリカの温暖化ガス排出量が5年ぶりに減少したという話が書いてある。「えっ、どこの国?」と読者は思わないだろうか? そう、京都議定書から脱退した世界一の温暖化ガス排出国で、つい最近まで「温暖化は人間の活動とは無関係」と言っていた、あのアメリカである。その国の06年の温暖化ガス排出量が、CO2換算で70億7560万トンとなり、前年を1.5%下回ったというのである。しかも、同じ年のアメリカの経済成長率は2.9%なのだ。エネルギー省の発表だ。

 同省は今回の好結果の要因として、「天候」のほか「再生可能エネルギーによる発電の増加」を挙げたという。この天候について、同記事は「冬場に厳しい寒さが続かず、家庭での暖房の需要が下がったことが大きく影響したとみられる」と書いている。実は、2006年の排出量の減少は今年の5月にも同省から“速報値”として発表されていて、そのときの分析では、冬場の温暖な天候に加えて、石油、天然ガス、電力の値上りが原因とされていた。
 
 28日付のロイター電によると、2006年の排出量減少は、この“温暖な冬”に加えて“涼しい夏”であったことと、石油の値上りによるエネルギー消費の減少が複合的に働いたものという。今回の発表は、190カ国が参加してインドネシアのバリ島でまもなく行われる温暖化抑制のための国際会議に先立って行われたもので、オーストラリアが政権交代により京都議定書に復帰する意向を示しているところから、アメリカの“成果”として示しておく必要があると判断したものだろう。京都議定書では、先進国は1990年のレベルより「5~6%」削減する義務があるが、今回のアメリカの数値は、同年のレベルをすでに17.9%上回っている。日本の数値が気になるところだ。
 

 谷口 雅宣

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2007年11月27日

政府が排出権購入に動く

 本欄の読者はすでにご存じと思うが、日本政府はハンガリーから最大で1千万トンのCO2排出権を買う計画を進めているそうだ。『朝日新聞』が26日の1面トップで伝えた。その記事によると、両国代表が今週中にもブダペストで覚書に署名する計画というから、ほぼ本決まりだろう。この計画の何が問題かと言えば、ハンガリーは1990年以降、社会主義から資本主義へ移行する過程で重化学工業が縮小したおかげで、排出量が大幅に減少していて、京都議定書の目標値(6%減)をさらに1億トンほど下回る排出量をすでに達成しているからだ。同国は、この1億トン分を「排出権」として他国へ売却できるので、その一部を買うことで日本の目標達成を図ろうとしているのだ。もっと簡単に言えば、他国がすでに削減したCO2をお金で買うことで、日本が削減したことにしてもらおうというのだ。京都議定書がそれを許しているから、別に違法でも何でもない。しかし問題は、国内での削減努力が鈍ることと、その購入費の原資は何かということだ。現在、EU(欧州連合)内で取引されている排出権取引の価格を当てはめると、CO2を1千万トン買うためには「約200億円」必要という。
 
 今日(27日)の『日本経済新聞』には、財務省が今年度の国税収入の見積もりの達成は困難だと正式に表明し、地方税の収入も、当初の計画である40兆3700億円に達する見込みはなく、40兆円を下回る可能性があることが報じられている。そんな中で、貴重な国民の税金を大量の排出権購入に使うことは、“隠れた炭素税”を間接的に課すことになる。それも、こういう形で税金を使えば、企業も消費者も何の努力もせずに「排出削減した」との錯覚を抱きやすい。どうせ国民の税金を使うなら、もっと明確なメッセージ性をもった「環境税」か「炭素税」を導入する方がいい。そうすれば、国民の意識も「いよいよだな」と1つにまとまり、それによって国の産業全体を“脱炭素化”へと導く効果がある。もちろん心理的効果だけでなく、実際にCO2を出さない製品やサービスの開発と育成につながるのだ。中・長期的に考えれば、この方が日本の産業全体にとって有利な結果をもたらす、と私は思う。

 日本政府が業界の顔色ばかりをうかがって、温暖化抑止対策に及び腰を続けているあいだに、ヨーロッパ諸国は環境技術の利用面でどんどん先行している。26日の『日経』夕刊によると、EU(欧州連合)は風力や太陽光などの再生可能エネルギーの利用拡大をGDP比で加盟国に義務づける方針を決めたという。来年1月を目途に欧州委員会に提案するらしい。EUの域内のエネルギー消費量に占める再生可能エネルギーの使用割合は現在8.5%。EUは、これを2020年までに20%に引き上げる目標を設定しているが、目標までの11.5ポイント分の半分の削減を一律に加盟国に義務づけ、残りの半分は、加盟国のGDP比で割り当てて削減する計画らしい。これだと、英独仏などのエネルギー消費の多い国はそれだけ多く、再生可能エネルギーへの転換をしなければならなくなる。なかなか“本気”が感じられる明確な政策ではないだろうか。
 
 話は変わるが、日本郵便が今年初めて出した「カーボンオフセット年賀」というのを買った。50円の年賀状に「+5円」したもので、この5円分が寄付金としてカーボンオフセットに使われる、という触れ込みだ。寄付金の行く先について、日本郵便のウェッブサイトには「今回の寄附金により支援する温室効果ガス削減事業は、国連による厳しい基準を満たしたものに限られ、京都議定書で定められたマイナス6%達成のために役立てられます」とあるだけで、どこのどんな事業に寄付されるか分からない。が、その葉書が10枚セットで、いちいちプラスチックの袋に入れられているのを見て驚いた。こうした方が確かに数えやすく、扱いもしやすいのだろうが、わざわざ+5円を支払う消費者は、その寄付金によってできるだけ多く炭素を減らしたいと考えているはずだ。それなのに、石油製品から作られるプラスチックの袋を使い、それに封入するのにまたエネルギーを使うというのでは、効果は半減してしまうだろう。こんなムダは、炭素税を導入すればすぐになくなってしまうのに、と思う。

 谷口 雅宣

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2007年11月18日

地球温暖化対策を急ごう

 国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)の総会を締めくくる統合報告書が決定し、新聞各紙はその内容を大々的に伝えている。この報告書は、今年相次いで発表された①自然科学的根拠、②影響と適応策、③緩和策、に関する3つの作業部会の報告書を統合した内容のもので、京都議定書以降の地球温暖化対策を構築する基礎となるものという。今回新しく報告書に盛り込まれたものの1つに、地域ごとの温暖化による被害予測がある。18日付の『産経新聞』が、それを次のようにまとめている:
 
[アフリカ]2020年までに最大2億5千万人が水不足に直面、飢餓が進行する。
[ア ジ ア]洪水と旱魃の影響で、風土病の罹患率と下痢性疾患による致死率が上昇。
[欧  州]2080年までに最大60%の生物種が消失。熱波到来。
[南  米]今世紀半ばまでにアマゾン東部の熱帯雨林がサバンナに変わる。
[北  米]収穫が増える地域もあるが、地域にばらつき。21世紀中に熱波の回数増加。
[極  地]積雪、海氷量の変化でシロクマなどの哺乳類、渡り鳥などに影響。
[島 嶼 国]海水面の上昇により浸水、高潮でインフラを脅かす。
 
 『朝日』は18日の紙面で、報告書が「今後20年から30年間の温室効果ガスの排出削減努力と、それに向けた投資が、より低い濃度でガスを安定させるうえで大きく影響する」と述べていると伝え、温暖化への対応策について、「炭素に価格をつけることで大きな削減が可能」であり、「市場メカニズムの範囲を拡大すればコスト削減や環境効果に役立つ」と書いている。これは「排出権取引」や「炭素税」の導入のことだ。そのほか、効果的な削減策としては、原子力発電、再生可能エネルギーの利用、CO2の地下貯留、ハイブリッド車、バイオ燃料の普及、省エネ技術の拡大などを、報告書は挙げているという。

 これらは皆、すでに本欄で何回も書いたことだが、要するに、あらゆる仕組みと技術を使って温室効果ガスの削減に取り組まなければ、被害はますます拡大するということだ。
 
 バングラデシュを15日夜に襲った大型サイクロンの被害が伝えられているが、このような暴風雨の巨大化も、温暖化の影響の1つだと指摘されてきた。このサイクロンは「シドル(目」と名づけられ、強風域は同国をすっぽりと包む大きさで、5~6mの高波と、秒速60m以上の暴風で家屋を倒壊させ、多数の死傷者を出したようだ。18日の新聞報道では、同国政府が確認した死者の数は「1723人」で、地元のテレビ局は死者の数を「少なくとも2千人」と伝えたという。
 
 そんな中でも、日本での温暖化対策に新しい展開があったことは、嬉しい。18日の『日経』によると、日本の大企業16社が協力し、大学や政府機関とも協同してバイオエタノールの開発と増産に力を入れることになったそうだ。しかもこの燃料は、食料とは競合しない稲ワラや籾、植物性の建築廃材などから作るという。どの程度の量かというと、年間のガソリン消費量の1割に当たる600万キロリットルを、2030年までにバイオ燃料に置き換える方針という。現在の国産バイオエタノールは、最も条件のいいサトウキビ原料のもので1リットル140円ほどのコストがかかるらしい。しかし、植物性廃材を使うと「リットル100円」まで下がるという。これに新しい技術を開発して、2015年までに「1リットル40円」までコストを下げるのが目標らしい。

 原料として考えられているのは、年間700万トンが廃棄される稲ワラや、同140万トンが利用されない建築廃材など。参加企業は、新日本石油、トヨタ自動車、出光興産、味の素、三菱重工、三菱農機、三井造船、明治製菓、月島機械、東レ、王子製紙、ヤンマー農機、日揮、ジャパンエナジー、三菱化学、三井化学の16社。大いなる健闘を祈る。
 
 谷口 雅宣
 

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2007年11月16日

“石油ピーク”いよいよ到来?

 読者は、「石油ピーク説」という言葉を覚えているだろうか? これについて私は、単行本では『ちょっと私的に考える』(1999年)と『足元から平和を』(2005年)の中に書き、本欄では、2005年の11月4日5日に少し書いた。ごく簡単に言うと、「全世界の石油生産量は、やがてピーク(最大採掘量)が到来し、その後は減少の一途をたどる」というものだ。当たり前のように聞こえるかもしれないが、この考え方は数年前までは論争の的になっていた。理由は、「技術革新によって採掘量はまだまだ増える」と主張する人々が多く、特に産油国がこの考え方を嫌うからだ。きっと「国益に反する」と考えてのことだろう。この説を最初に唱えたのはアメリカの地質学者、ヒューバート博士(M. King Hubbert)で、アメリカ国内の石油生産の実状を調べたうえで、1956年に国内生産のピークは1970年に来ると予言して、これが見事に的中した。

 この理論を世界全体に適用すれば、世界の石油生産のピークが割り出せるとするのが「石油ピーク説」だ。ただし、同じピーク説を採用する人でも、全世界の石油生産が実際にいつピークを迎えるかについては、これまでまちまちの予測が出されてきた。そのうちかなり楽観的なのは、アメリカ地質調査所(USGS)の2005年の予測で「2025~30年」というもの。また、文明評論家のジェレミー・リフキン氏の2002年の著書には「遅くとも2022年」と書かれており、ワールドウォッチ研究所は「2020年」とし、アメリカの時事週刊誌『TIME』は2005年10月に「早くて2010年」と書いた。最も悲観的なピーク論者であるプリンストン大学名誉教授、ケネス・ドフェイス氏は「2005年11月24日」にピークの到来を予言したが、これは明らかなハズレだった。が、このほかに「2007年説」があったのを私は覚えている。

「石油ピーク」到来後の世界経済は、大きな転換期を迎えるとされる。なぜなら、現在の人類の文明は石油などの化石燃料を主要なエネルギー源として成立しているからだ。その最大の動力源が、「前年より多く入手できない」時代に入る。特に影響が大きいのは、中国、インド、ロシア、ブラジルなど経済発展著しい国であり、これらの国が、そのままでは先進国の経済レベルに達しえないと考えた場合、どのような政策を採るかは予測できない。もちろん、需要が増大して石油の値段はさらに高騰するだろうし、資源をめぐる各国の競争が一段と加速し、領土問題を抱える国々の間では紛争が起こる可能性が増大する。

 ところで、私が今なぜ再び「石油ピーク説」を語るかといえば、アースポリシー研究所(Earth Policy Institute)のレスター・ブラウン氏(Lester R. Brown)が、最新のニュースレターで、石油生産のピークが今来ているとの考えを「十分あり得る」(quite possibly)と肯定しているからだ。ブラウン氏は有名な人で、私も氏のことは昨年5月22日の本欄などで詳しく書いているから説明は省略する。が、忘れていけないことは、氏はすでに1年以上前に、バイオエタノールの利用が食品の価格高騰を招くとして警鐘を鳴らしていたことだ。ご存じのとおり今、まさに世界中でそれが起こっている。ブラウン氏の世界経済の読み方はこのように正確であるから、石油をめぐる氏の議論も傾聴に値するのである。
 
 ブラウン氏は、「世界の石油生産はピークに近づいているか?」(Is World Oil Production Peaking?)と題されたそのニュースレターで、国際エネルギー機関(IEA)の石油生産量のデータを並べて、「生産量の伸びはここ数年間、きわだって勢いを失った」と指摘している。具体的には、2004年に日平均8290万バレルだった世界の石油生産量は、2005年には同8415万バレルまで増加したものの、2006年には8480万バレルにしか達せず、2007年の1~10月の平均は8462万バレルと、減少傾向が見られるというのである。この事実は、人口が多く、経済成長盛んな中国、インド、ブラジル、ロシアなどでエネルギー需要が増大し続けていることを考えると、不思議である。もちろん、内戦状態が続くイラクでは、石油生産が正常でないことはわかる。しかし、その他の国や地域では、新しい油田が発見されてはいても、古い油田からの生産量減少を補うには不十分なのだ。
 
 ブラウン氏は、ニュースレターの中でヒューバートの理論を紹介し、新油田の発見のピークと生産量のピークとの間には時間的ズレがあり、その予測はできるとしている。つまり、新油田の発見がピークを迎えた後に、生産量のピークがやってくるのだ。石油をめぐる地球全体の状況を見ると、新しい油田の発見は1960年代にすでにピークを迎えている。また、埋蔵量で1位から20位までの油田は、すべて1917年から1979年までに発見されている。そして1984年以降、石油の生産量は、新しく発見された油田の埋蔵量を大きく上回っているという。2006年の数字は、生産量が310億バレルだったのに対し、新たな油田の埋蔵量は90億バレルにすぎない。
 
「石油ピークが来ている」という判断は、ブラウン氏だけのものではないらしい。イラン国営石油会社のサムサム・バクティアリ氏(A. M. Samsam Bakhtiari)は、2007年ピーク説を唱えており、ドイツのエナジー・ウォッチ・グループも「すでにピークを迎えた」と分析しており、石油生産量は今後、毎年7%の減少し、2020年には日産5800万バレルになると予測しているそうだ。バクティアリ氏の2020年の予測も、日産5500万バレルである。ところが、これらとはきわめて対照的に、IEAと米エネルギー省の2020年の予測は「日産1億400万バレル」というのだから、驚きである。
 
 イランの予測とドイツのグループの予測が一致していることは、興味深い。前者は原子力発電などの核開発を目指して国際社会と摩擦を起こしており、後者は、石油から自然エネルギーへの移行に熱心である。わが国は多分、アメリカ並みに「ピークは来ない」と楽観しているのだろう。何とも心もとない話である。
 
 谷口 雅宣

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2007年11月 3日

都の環境税構想を歓迎する

 東京都が環境税の導入を検討するそうだ。11月2日の『日本経済新聞』が伝えている。私は、化石燃料の利用で生じる温室効果ガスが、地球環境に対して現実に「コスト」を生んでいるのだから、そのコストを利用者が支払う制度の導入はきわめて合理的だと思い、大いに歓迎する。石原都知事は東京五輪をブチ上げるなど「環境より経済優先」だと思っていたが、この点においては見直すべきかもしれない。ただし、五輪の東京開催があれば、環境税の効果が消えてしまう可能性はあるのである。

 『日経』の記事によると、都の環境税構想は、①炭素税、②電気・ガス税、③自動車税、④緑化税、の4段構えである。「炭素税」は、ガソリン1リットルにつき1.9円、軽油は同2.2円、灯油は同2.1円で、それぞれガソリンスタンドなどでの販売時に徴収される。「電気・ガス税」は、一定使用量以上の家庭から、1kWh当たり0.3円を徴収。「自動車税」は、自家用乗用車では現行の税額を5%増して徴収。「緑化税」は、個人の都民税として均等割になっている現行の1000円を1500円にし、法人都民税は5%増しにするという案である。これによって都は、上限で「890億円」の新たな税収を見込んでおり、これを一般家庭の省エネ補助、太陽エネルギー普及、緑化促進などに使う考えのようだ。ただし、4種の新税をすべて実施するのではなく、4案から「単独または複数案を組み合わせて2009年度以降の導入を目指す」としている。
 
 政府の環境税構想は産業界の強い反対に合って頓挫状態であるから、業界に弱い自民党政権下では実施は無理、と私は思っていた。が、国がやらなくても、地方公共団体レベルで実施が可能であれば、まだ希望がもてるかもしれない。上記のような分かりやすい税であれば、多くの都民も納得してくれると思うのだ。大体、都内のCO2排出量は、京都議定書の基準年である1990年と比較して、2005年で約7%増加している。これに対して、都は2020年までに2000年比で25%削減を目標としているらしいから、生ぬるい対策では目標達成はできまい。都は、今後予想される業界からの反対に負けないよう初心を貫いてほしいと思う。

 ところで同じ『日経』は、国民の環境意識の高まりが「じわりと増えている」例として、「カーボンオフセット」の仕組みが好評だとの記事を載せている。それによると例えば、JTB関東が10月に実施した「CO2ゼロ旅行」では、旅行代金1000円のうち400円を“グリーン電力”として支払うと銘打ったところ、募集人数の8割が参加するヒットとなったため、同社は今後も同様の企画を継続する考えという。また、環境志向の月刊誌『ソトコト』は9月に、年間購読料のうち約1000円をCO2排出削減事業などに寄付するとした新制度を導入したところ、9月の新規申し込みが前月の約1.5倍になったらしい。また、日本郵政は来年用の年賀状に、5円の寄付金を上乗せした「カーボンオフセット年賀」というのを新たに設け、1億枚を用意しているという。
 
 このような国民レベルの動きを見ていると、政府や業界レベルの環境意識の低さが際立ってくる。日本の電力10社の今年9月中間期の連結決算が出そろったが(1日『日経』)、それを見ると中部電力を除く9社が経常減益となっていて、原油価格の高騰や渇水による水力発電所の稼働率低下などが利益を圧迫したことがうかがえる。つまり、環境へのコストが現実に企業の収益を圧迫しているのだ。また、東京電力は、柏崎刈羽原子力発電所の停止が大きく作用し、来年3月期の決算で、28年ぶりに最終赤字を計上する予想だという。原油価格の高騰は、中東の政情不安の影響が大きく、今後の急速な改善は見込めない。かと言って、国民の支持が少ない原発への依存は、ますます困難となるだろう。だから、「環境税」の実施を突破口として、日本ではもっと国民の意識を汲み上げた政治が行われ、地球的要請に応える業界再編へと進まないか、と私は夢想するのである。
 
 谷口 雅宣

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2007年10月13日

ゴア氏とIPCCにノーベル平和賞

 前アメリカ副大統領のアル・ゴア氏(Al Gore)と国連の気象変動に関する政府間パネル(IPCC)が今年のノーベル平和賞に決まった。ケニアの環境運動家、ワンガリー・マータイ氏の2004年受賞に続き、ノーベル賞委員会が平和と地球環境の密接な関係を認め、かつ訴えている証左である。大いに歓迎したい。平和賞は、ノーベル賞の中でも最も“政治的”な意図が反映するとして論争の的になることもあるが、最近の選考結果は同委員会の一貫した方針を示しているようで好感がもてる。21世紀の国際平和は、地球環境の問題を解決せずして実現は難しいのである。
 
 本欄では一貫して、地球温暖化の原因は人間の活動であるという見方をとってきたが、それに疑問を投げかける意見も一部にないわけではなかった。しかし今回、世界的に権威ある賞の受賞で、世界の趨勢がこの科学的立場を尊重し、人類全体の認識となっていくことが予想される。今日の『日本経済新聞』によると、ノーベル賞委員会は、ゴア氏とIPCCへの授賞理由を「人間の活動によって引き起こされる気候変動の問題を知らしめ、対応策の土台を築いた」からだとしている。最近出されたIPCCの報告書の作成には、国立環境研究所の西岡秀三参与など日本人の研究者30人も関わっているというから、日本の科学者も何がしかの平和への貢献をしているのである。
 
 地球環境問題の深刻化と国際紛争の危険との関係は、表面上はそれほど明らかでないかもしれない。が、13~14日付の『ヘラルド・トリビューン』紙は、ノーベル委員会の授賞理由の一部を次のように紹介して、この関係を描いている。すなわち、地球温暖化により「大規模の人の移動が起こることで地球の稀少資源をめぐる競争が起こる」ことが予想され、「このような諸変化は、地球上の最も脆弱な国家に対して特に大きな困難をもたらす」。そして、「それらの国々の内部や国家間で暴力的な紛争や戦争につながる危険が増す」ことが懸念されているのである。このほか、本欄でもたびたび触れてきたが、高地や極地での氷の融解により洪水や水害が頻繁に起こり、また永久凍土が融けて地盤が緩み生態系が混乱することで、寒冷地の人々の生活が破壊される危険性も増す。そして、氷が融けて利用しやすくなった極地では、そこに未利用地が多いことから、エネルギー等の資源の奪い合いが起こる可能性も増すのである。ツバルやモルジブ等の島嶼国が消滅の危機にさらされていることは、言うまでもない。
 
 一方、ゴア氏と共同で受賞したIPCCのラジェンドラ・パチャウリ議長(Rajendra Pachauri)は、インドのニューデリーで受賞を知り、「信じられないことだ。衝撃的だ。驚いた」と言ったという。そして、今回の受賞は「IPCCに貢献した科学者や支援してくれた政府関係者全員の受賞だと思う」と述べたという。IPCCは今年2月から5月にかけて第4次報告書を発表し、温暖化の原因は人間の経済活動による温室効果ガスの排出であるとほぼ断定し、長く続いた論争に事実上、終止符を打つ役割を果たした。そのことは本欄の2月4日2月203月16日等で詳しく述べた通りである。
 
 パチャウリ議長はインド出身。子供時代をヒマラヤ山麓で暮らし、自然への愛が育まれたという。だから、その自然が破壊されることへの危機感は強い。1940年に生まれ、インドの環境研究組織であるタタ・エネルギー研究所に入る前は、エンジニア、科学者、経済学者として活動していたという。敬虔なヒンズー教徒で、食肉産業が環境を破壊することを意識して、ベジタリアンを徹底しているそうだ。
 
 ところで、わが国の環境意識に目を転じてみると、何とも心もとない。13日の新聞報道によると、前日に経済産業省の北畑隆生事務次官が、環境省の唱える「環境税」について「効果もないし、意味もない」とコキ下ろしたそうで、それに対して鴨下環境相は(環境税は)「国民への単なる啓蒙とは思っていない」と反論したそうだ。(『朝日』)そして「課税による温室効果ガス排出抑制効果や、国民に環境を知ってもらうアナウンス効果もある」と意義を強調した(『産経』)そうだ。私は環境大臣に、もっとハイレベルな反論をしてほしかった。現在の日本の税制は、今世紀最大の地球的課題である温暖化の事実と、その原因が不明の時代に作られたものだ。だから、今日の国民の環境意識から見てオカシナ点はいっぱいある。それを抜本的に改正せずして、どうやって京都議定書の国際公約を守ることができるのか。温暖化ガスの排出は、確実に環境を破壊している。それをやめさせる税制改革は、21世紀の人類共通の義務である。その実行のために経済産業省もぜひ、ひと肌脱いでほしい。日本の産業界は環境技術を伸ばすことでまだまだ発展するのだから、その方面で人類のために頑張ってほしい--そんな反論があれば、国民はきっと拍手喝采するだろう。環境意識は、政治家より国民の方が高いのである。
 
 谷口 雅宣
 

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2007年9月22日

温暖化ガスの排出が訴訟対象に (2)

 昨年9月22日の本欄で、自動車は地球温暖化の原因をつくったとして、カリフォルニア州がトヨタ、GMなどの自動車メーカー6社を相手に損害賠償を求める訴訟を起こしたことを書いた。その判決が9月17日、サンフランシスコの連邦地裁で下されたと18日付の『日本経済新聞』夕刊が伝えている。結局、自動車メーカーの賠償責任は認められなかった。この訴訟は、温暖化を理由に排気ガスの被害の法的責任を初めてメーカー側に問うものとして、注目を集めていた。
 
 18日付の『ニューヨーク・タイムズ』 の記事によると、サンフランシスコの連邦地裁のマーティン・ジェンキンス判事(Martin J. Jenkins)は、法廷が「地球温暖化に関わる損害について決定する権限または専門知識を有しない」ことを理由に、自動車メーカー6社に対する損害賠償請求を棄却したという。

 カリフォルニア州はこの訴訟で、自動車メーカー6社によって製造された車は、アメリカ国内で人間が生み出したCO2の20%以上、同州内では30%以上を排出しているとした。そして、これは公的不法妨害(public nuissance)であるから数億ドルの賠償金に値すると主張していた。これに対しジェンキンス判事は、「この件について法廷が判断するためには、温暖化ガスの排出削減による利益と、経済や産業を維持・発展させることによる利益とをバランスさせる必要がある」としたうえで、両者は必ずしも対立する利益ではないが、州は法廷ではなく、議会と行政の活動を通じて気候変動の問題を検討するべきである、との見解を打ち出した。また同判事は、判決の中で「この時点で地球温暖化論争の渦中に法廷が自らを置くことは本来、行政府に委ねられるべき種類の初期の政策決定を行うことになる」と述べ、法廷が地球温暖化の賠償額を裁定することは、行政府の選択を狭める可能性があることを指摘した。いわYる「三権分立」の原則を犯すというわけだ。

 しかし、これによって自動車メーカーが“免罪符”を得たわけではない。メーカー側は、北東部のバーモント州で自動車を対象にした州の温暖化ガス排出規制は違法だとする訴えを起こしていたが、上記判決の1週間前に「合法」との判断があったばかりで、カリフォルニア州でも同じ趣旨のメーカー側の訴訟に対して、近く判決が予定されているという。

 アメリカ国内で人間がこのような訴訟合戦をしているうちに、後戻りできない状態にまで温暖化が進行することにならないだろうか? 私は、そのことを危惧している。というのも、22~23日付の『ヘラルド・トリビューン』紙に、北極の氷がかつてないほど退縮しているという記事が写真入りで載っているからだ。この問題は、すでに2005年9月30日の本欄でNASA(アメリカ航空宇宙局)提供の衛星写真とともに紹介し、その後も生長の家講習会などでよく扱ってきたから、知っている読者もいるだろう。今回の報道は、それ以降も北極では依然として氷が退縮していることを伝えている。

 北極周辺の氷は9月に、年間で最少の量となる。同紙の記事によると、今年の最少量はこの16日に達成されたと考えられ、その面積は412万平方kmだったという。この面積は、ここ数十年間の平均値よりも260万平方km以上も狭いらしい。このことは20日に、コロラド州ボールドゥーにあるアメリカ氷雪データセンター(the National Snow and Ice Data Center)によって発表された。アメリカが北極の氷の大きさを衛星によって記録し始めたのは1979年からだが、ロシアやアラスカの記録を何十年も遡って調べた研究者によると、今年の氷の退縮の程度は、温暖化していた1930年代を含めて、20世紀全体を通じてかつて見られないほど大きかったという。アラスカ側の北極海は青々とした海となり、カナダ北部の海も何週間も氷のない状態で、大西洋と太平洋を結ぶロシア北部の海も、1週間前にはほとんど氷がない状態だったという。
 
 海面上昇を引き起こす氷の融解は、北極海の氷のような、すでに海の中にある氷が融けた場合ではなく、陸地にある氷が融けて海に流れ込んだ場合だ。しかし、だからと言って北極海の氷の融解を楽観視してはいけない。北極海にはグリーンランドという世界最大の“島”があり、その上の氷床も融け出している。また、白い氷が融けて濃い青色の海に変われば、太陽からの熱の吸収率が一気に増大する。人類が互いに地球温暖化の責任を押しつけ合っている時間はない。一致団結して早く抜本的な対策を講じてほしい。

 谷口 雅宣

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2007年9月18日

動き始めた排出権取引

 2012年までの京都議定書の目標達成が日本にとって“きわめて困難”とされている中で、CO2の排出削減目標の半分に達する量を、日本企業が排出権購入によってすでに獲得したという記事が、17日の『日本経済新聞』の第1面トップに掲載された。にわかには信じがたい話だが、『日経』の特ダネの恰好になっているので、恐らく事実だろう。その反面、CO2の排出権を得ることが、温暖化対策の困難さとは関わりなく比較的容易であることを示している。この記事によると、日本が2012年までに削減しなければならない温暖化ガスの量は、CO2換算で2005年比1億7500万トン(1990年比では7600万トン)。ところが、今年上半期までに主要企業によって獲得されるCO2排出権は年換算で8900万トンに上るという。
 
 排出権取得が進んでいるのは総合商社、電力会社、金融ファンドなどで、取得量が最も多いのは三菱商事(1383万トン)、続いて住友商事(770万トン)、丸紅(633万トン)、JMD温暖化ガス削減(580万トン)、日本カーボンファイナンス(476万トン)、Jパワー(345万トン)、三井物産(325万トン)、中部電力(313万トン)など。全体の排出権取得費は2008~2012年の5年分で4500億~6700億円になるという。
 
 これらの企業が排出権取得を急いでいる理由の1つは、京都議定書の目標達成期限が近づくにつれて排出権の需要が増える際に、日本政府や他企業などに排出権を販売しようと計画しているため。排出権の購入時より販売時の価格が上がれば、利益が生まれるのだ。この記事によると、日本政府は年2千万トン程度の排出権を買う計画があるため、5年間で1億トン分は売れることになる。ただし、この「2千万トン」という数字は、1990年比で6%削減する場合のCO2削減量の1.6%分だ。現在は、同年比で13.8%を削減しなければならいほど排出量が増加しているから、政府が購入しなければならない排出権の量は大幅に増えることが予想される。その場合、排出権の値段はさらに上がるから、それを売る企業の収入はさらに増えるだろう。こうなると、先に排出権を獲得した企業が値上がり後にそれを政府に売ることは、政府から企業への一種の“補助金”の様