山林の価値を認めてほしい
ヨーロッパの人々は樹木を大切にするという話を書いたが、「いや待てよ……」と疑いたくなるような話が新聞に載っていた。今日付の『朝日新聞』によると、オーストリアとイタリアの国境にあるグローセ・キニガット(標高約2,689m)とロスコップ(同約2,603m)の2つの山の山頂付近を、オーストリア政府が売りに出したというのである。前者は山頂と周辺の2つの峰を含む約92万平方メートル、後者は山頂を含む約29万平方メートルで、値段はそれぞれ約9万2千ユーロ(約1千万円)と、約2万9千ユーロ(約330万円)という。もちろん、そこに生えている森林もすべて一緒に売り払う話だ。しかし、国民から猛反対されたため、方針転換を余儀なくされたそうだ。
この話になぜ驚いたかというと、自然物に対する経済的評価の低さである。2千メートル級の山の山頂付近を「330万円から1千万円」と評価する考え方は、相当程度の低い人間中心主義だと思った。記事によると、この値段をはじき出したのは、オーストリア政府から国有不動産の管理・売買を委託されている公営企業体だというから、いいかげんな会社ではないだろう。その会社の36歳の報道官は、今回の話に関連して、「公営企業だから納税者に責任がある。2つの峰のような価値の低い物件は徐々に処分していく」と説明したという。また、政府当局者は、「山頂は岩や石ばかり。持っていてもあまり利益がない。外国企業などが高値で買いたいといえば、売る人が出てくるかもしれない」と話したとも書いてある。
こういうことを政府や公営企業の上層部にいる人々が平気で言うとしたら、その国の人々は樹木などの自然物を大切にすると本当に言えるだろうか、という疑問が湧き上がったのである。しかし、国民がその話を聞いて一斉に反発したのだから、一般のオーストリア人には良識があると考えるべきだろう。問題はやはり、現在の経済学の考え方の中に潜む人間中心主義なのだろう。言い換えれば、山や森林がもつ“生態系サービス”と呼ばれる数々の貴重な機能の評価が、今の経済統計の中からごっそりと抜け落ちていることが問題なのだ。そこから、「金銭的評価=価値」という短絡的思考によって、今回のような愚かなことが真面目に検討される。上記の値段は決して高くはないから、この峰を買おうとしてドイツのソフトウェア会社が名乗りを上げたという。「ぜひ購入して山頂に会社名をつけたい」のだそうだ。また、中東やロシアの投資家からも問い合わせがあったという。
こういう話を聞くと、日本でもかつて北海道の原野や森林などを外国人や外国企業が購入して問題になったのを思い出す。山林は、飲料水の生産地であることを忘れてはいけない。今、世界中で水不足--特に、飲料水の不足が深刻化している。だから、「飲料水を生産する」という機能だけでもきちんと経済的に評価すれば、山林の値段は上がり、地方の活性化や林業の振興につながるはずだ。これに加えて、「二酸化炭素を吸収する」という山林の機能をきちんと評価すれば、都会偏重のいびつな経済は修正されて、よりバランスのとれた自然尊重の社会に移行すると思うのだ。そういう抜本的な制度改革を新しい政府に求めるのは、どだい無理なのだろうか。
谷口 雅宣