2009年11月 5日

ミカンを採る

 今日は休日を利用して、自宅の庭のミカンを収穫した。今年はミカンの実のつきが良く、その重みで枝が垂れ下がっているのが何か可哀そうだし、そろそろ鳥につつかれるようになってきたので、黄色に色づいてきたものから採ることにした。大小さまざまな大きさがあるのを、まず園芸用の鋏で伐る。低い位置のものから採っていったが、高い位置にあるもMikan2009 のの方が色づきがよいのである。アルミ製の梯子を出してきてそれらを採ることは採ったが、ミカンの樹は斜面に生えていて、しかもきちんと剪定していないので、梯子でも採れないものが多く残った。すると妻が、「高枝伐りを使えば採れる」と言ってそれを持ってきてくれた。これはなかなか便利な道具で、3mぐらいの高さにあるものも採ることができた。こうして採ったミカンを数えると、150個くらいあった。そして樹上には、黄緑色の状態のものや、高くて採れないものなどが、同じ数ほど残った。なかなかの豊作である。

 今年は、ミカンの隣にあるユズもいっぱい実をつけているし、粒が例年より大きい。しかし、冷夏の影響もあってブルーベリーは少なく、ビワも数えるほどで、イチジクときたらほとんど実をつけなかった。同じ環境にあっても、果樹の種類によってこれだけ結果が違うから、不思議である。多様な種があることで、何かが不作でも別のものが不足を補ってくれるのが「自然」の状態なのである。このことは、安定的な組織運動の発展にも必要な、重要な要素だろう。

 谷口 雅宣

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2009年10月24日

絵封筒展、開きます

 10月13日の本欄で私の絵封筒について触れたとき、11月に長崎県西海市の生長の家総本山で行われる秋季大祭を機に、これまで描いた作品を集めて絵封筒展を開くことを検討中だと書いた。おかげさまで、総本山と世界聖典普及協会のご協力により、同本山の練成道場第2研修室で「谷口雅宣絵封筒展」を開催することがこのほど決まった。期間は、11月20日の午後から22日の午後3時半までで、約70点の絵封筒が展示即売される予定。昨年夏に宇治別格本山で展覧会を行ったときの絵封筒の出品数は34点だったので、その倍ほどの数がお楽しみいただける。主催者の世界聖典普及協会では、この展覧会に合わせ、私の絵封筒の絵柄をあしらった来年用卓上カレンダーも頒布するという。

 さて、今日は生長の家講習会で群馬県の太田市藪塚町というところに来ている。ここは桐生市の隣町で、講習会は山を一つ越えた桐生市の市民文化会館で行われる。その前日のひと時を、この鄙びた温泉町で過ごすことができた。温泉町とはいうが、温泉宿は私たちが止まったホテルを含めて、3軒ぐらいしかない。かつては栄えた町だったであろうが、今は訪れる人の数が多くないことは、町のあちこちに掲げられた店の看板の古さや、旅館の壁の傷み方、温泉宿近くの神社の庭の荒れ具合などから想像できる。それでも私たちが泊まったホテルには、日帰りで温泉を楽しむ地元の人々が多く集まってきていて、広い駐車場もほぼ満杯状態だった。私たちは夕食前、そんなホテル界隈を散策して、町の様子をゆっくりと味わった。
 
 寂れた町にもいいところはある。特に、“旅人の目”で見る静かな夕暮れ時の田舎道は、Ginnan_gum なぜか心を落ち着かせてくれる。住む人が少なくなっても、その逆に自然の力が諸所に豊かに発揮されているのが分かるからだ。私はそれを地元の産土神社近くにあった廃屋の屋根の上に見た。廃屋の隣には、幹の太さが二抱えもあるイチョウの雌木が立っていて、錆びたトタン屋根の上にびっしりと銀杏の実が落ちていたのである。私はその時、講習会で福岡へ行った際、博多の街のイチョウ並木の下に落ちた銀杏の実を、地元のおばさん達が目を皿のようにして拾っていた姿を思い出した。都会での“貴重品”も、この地では拾う者は誰もいない。その代り、それらは自然の循環の中で、しっかりと役割を果たしながら息づいているのだった。
 
 銀杏を敷きつめてありトタン屋根
 
 谷口 雅宣

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2009年10月22日

キノコ採りと柴刈り

Jigobo09f  休日を利用して大泉町の山荘へ妻と行った。好天のおかげで紅葉はすばらしかったが、逆に山は乾燥していて、キノコは期待していたほど採れなかった。それでもハナイグチ(=写真)とチャナメツムタケを2人で2食分ほど収穫できた。妻はさっそく酢の物と佃煮にしてくれた。

 10月初めに生長の家講習会で小樽へ行ったとき、寿司に添えられてこのハナイグチに似たキノコの酢の物が出てきたのを思い出す。それを見て、2人で驚いたのだった。この種類のキノコは栽培できないと思っていたからだ。そこでキノコの名前を店の人に聞いてみると、「ラクヨウ(落葉)」だという。聞いたことのない名前だった。その店は、キノコを八百屋さんで買ったというが、その八百屋さんは山から採ってくる人から仕入れるそうだ。別のキノコかとも思ったが、後で調べてみると、北海道ではハナイグチをそう呼ぶらしい。我々はもっぱら、山梨風に「ジゴボー」と呼ぶ。何となく親しみが湧く発音だからだ。
 
Jigobo09f2  わが家では、ジゴボーはもっぱら味噌汁に入れて食べていたが、今回は小樽風に酢の物を所望した。独特の香りが引き立つが、これには好き嫌いがあるかもしれない。さらに大根おろしで食べると、香りも柔らかになって美味しかった。チャナメツムタケの方は、佃煮がいい。私はナメコより美味しいと思っている。今回のキノコ採りは、特にジゴボーの収穫は妻の手柄だ。私の方は、ジゴボーをさっぱり見つけられず、古くなりかかったチャナメの“巣”を見つけただけだった。それでも、食べられるのが5~6本あったから嬉しい。

 キノコ採りのほかに、山荘の建つ土地の南側斜面の柴刈りと剪定をやった。山荘はできてから9年目になるから、建った当時にそこにあった木々の中には、8年間で3メートル以上に伸びたものもある。それらが、南の空に見える南アルプスの山影を隠しそうになっていた。直径が10~15センチの立木2本を伐り倒し、枝をはらって片づけた。これが案外の大仕事だった。その他の灌木も、不要なものは伐ってスッキリさせた。普段あまりしない力仕事で、快い汗をいっぱいかいた。妻は、『理想世界』用の原稿を書き上げたのち、山荘北側の林の中で、未生からいつの間にか伸びたクリの木を何本も伐ったという。

 谷口 雅宣

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2009年10月16日

シイタケを収穫

Shiitake101609 「秋にはキノコが出る」というのは言わば当り前である。が、わが家の庭に寝かせておいたホダ木からは、もう出ないものと思っていた。なぜなら、古い木だし、朽ちて崩れてしまったものもあったからだ。が、今朝、様子を見たらシイタケが出ているではないか。小躍りしたい気分になった。実は、箱根に行く前に、小さな白っぽい“芽”が2~3粒出ているのに気づいていた。が、こんな速く成長するとは予想していなかった。多分、雨と雷のおかげだろう。
 
 雷のことを書くと、「迷信くさい」と思う読者がいるかもしれない。私も最初、そう思った。この話を最初にしてくれたのが、大泉町の山荘にホダ木を収めに来た業者の人だった。いわゆる“刺激法”で芽を出させる話を聞かせてくれて、「雷が鳴っても出る」と言ったのだ。口にこそ出さなかったが、私は「ご冗談を…」と思ったものだ。ところが、何年もホダ木とつき合っていると、雷鳴と“発芽”との関係を思わせることが確かにあった。「偶然の一致」の可能性はもちろんある。が、菌類の習性について全く無知な私だから、「雷鳴と発芽は無関係」と断定するわけにもいかない。それに、「関係がある」と思っている方が何となくロマンチックな気分である。

 過去の記録を調べてみると、2005年の10月5日の本欄に、ホダ木からシイタケの芽が出たとある。その年の春に“種”を撃ち込んだホダ木を7本買ったらしい。ということは、もう5年目のホダ木なのだ。中身の栄養をほとんど吸い取られているから、購入時よりずっと軽い。そして、うち3本ほどはもう崩れてしまった。だから、その木は疑いもなく「老木」であり、朽ち果てる前に“花”を咲かせてくれたのだ。「よくぞ頑張った」という気がする。傘が適度に開いていた4個を収穫し、あと数個は翌朝に回すことにした。
 
 谷口 雅宣

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2009年10月15日

箱根で一泊

 すでに妻がブログに書いているが、誕生日祝いに母を箱根一泊旅行に招待した。写真好きの母だが、最近出した写真集『木の声がきこえますか』(生長の家刊)の中で「東京に住み、公園や御苑を散歩するだけですので、大自然の感動を味わえないのが残念です」と書いている。それではどこかへ……と思ったが、大泉町の私たちの山荘では足元がキツイし、自然は厳しい。というわけで、妻が「箱根行き」のアイディアを出してくれた。伝統のある観光地で、道路も諸設備も整っているということで、いわゆる“クラシック・ホテル”の1つへ案内した。一泊して明けた今日は幸いにも好天で、大涌谷から仙石原、湿生花園というコースでゆっくりと回った。意外にも母は、大涌谷が初めてだった。険しい山腹から何本も硫黄臭い蒸気が吹き上げる雄大な光景がいたく気に入ったらしく、何回も立ち止まってカメラを構えていた。また、湿生花園では、歩き疲れてへたり気味の私たちを尻目に、山野草やその花たち、花に来る虫たちを熱心に撮影していた。
 
 ところで、こういう環境に置かれた私は、動物との“出逢い”について考えた。「当り前のことを大袈裟に言っている」と思ってくれていい。私もデジカメで写真を撮ったが、花にとまるチョウやハチたちは、人間がすぐそばでカメラを構えていても、あまり反応しない。近づき過ぎれば、もちろん飛び立っていくが、それは条件反射的で“感情”を示さない。これに比べて、ホテルの池にいたコイたちは、私が近づくと向こうから寄ってきて、カメラを構えると、ますます寄って来て、水面から顔を突き出して大口をパクパク開ける。これには“感情”のようなものを感じ、人間の方も何となくうれしくなる。エサを持っていれば、きっとあげてしまうだろう。コイは、人間の動きに明らかに反応し、自分の意思を伝えることができるのだ。コイだけでなく、湿生花園の池にいたアブラハヤという小魚も、人間の足音に反応して集まってきた。
 
 これらの動物は、自分の生存に直接関係する相手を認識し、それに反応するのだ。その反応の仕方に“感情”のようなものを感じるのは、人間の側の独断かもしれない。が、その一方で、動物のもつ脳の大きさや複雑さが原因で、反応の仕方にも複雑さが生じ、それとともに本当に“感情”が彼らの脳内で起こっている可能性もある。魚類までは、その程度の理解でいいような気がする。が、哺乳類となると、“感情”の存在は疑うのが難しい。
 
 泊まったホテルの庭を散歩していたら、近くで小さい子供の鳴き声のようなものがした。私はすぐそばの灌木の茂みの向こう側を見ていたが、突然、私の足元で柔らかい感触がした。子ネコが1匹、体を擦りつけているのだ。相手が望んでいることは、はっきり分かる。で、少し遊んでやった。が、どうせ“行きずり”の関係であることが分かっているから、深入りしないようにお別れする。子ネコも、何となくそれを察知して行ってしまった……と私は思っていた。ところが、庭を一周して同じところへ戻ってきたところ、同じ子ネコが、今度はフルスピードで駆け寄ってきたのだった。私はその時、何か“罪の意識”のようなものを感じたのだった。それには、理由があった。
 
Catme  この子ネコと一度別れて庭を巡っているときに、別の子ネコが死んでいるのを見つけた。それは、ホテルの従業員宿舎に近い砂利敷きの道路の上だった。白い小さな体が横たわっていて、鮮血が滲んでいるのが見えた。近くに寄って見ると、轢死のようだった。さらに庭を歩いていると、作業服に竹かごをかついだ中年女性と会った。庭の世話をしている人だと思い、「上の方で子ネコが死んでいますよ」と声をかけた。するとその女性は、「ああ、野良ネコの子でねぇ、何匹かいて……」と答えた。それで私は、彼らの厳しい状況を理解したのだった。親から離れた何匹かの子ネコたちは、この広いホテルの庭で独力で生きていかねばならない。自然界では当然のことだ。他の動物は皆、そうして生きている。が、ネコは、人間との関係の中で生存を維持してきた動物である。飼いネコになれば、生存は保証される。が、野良ネコでは保証されない。時には轢死することもある。それを知っている子ネコは、必死の思いで人間に取り入ろうとするのだ。そんなネコの真剣な“気持”を、私は玩びはしなかったろうか……。
 
 動物と出逢うことは普通、「一期一会」とは言わない。が、そういう関係が成り立つ出逢いもきっとある、と私は思った。都会の雑踏の中ですれ違う人と、箱根の山中ですれ違う子ネコを比べてみると、どちらも無視できない関係を秘めていると言えないだろうか。
 
 谷口 雅宣

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2009年10月 1日

山のキノコと対面

 休日を利用して、妻と2人で山梨県・大泉町の山荘に来た。前日の雨天とはうって変わって、雲間から青空がのぞく好天なのがうれしい。しかも、キノコの成長には湿気が必要なので、晴天の前の雨天は誠に好都合である。が、キノコはすぐに地中から出るわけではなく、2~3日の成長期間が必要なため、山荘裏の林を初め、近辺ではあまり姿が見られなかった。それでも、玄関の前に灰白色の傘のキノコが6~7株かたまって出ていたUtsukushijg。シロヌメリイグチである。また、山荘近くの砂利道の真ん中には、ニガクリタケが束になって顔を出していた。このキノコは毒入りだから、要注意だ。
 
 天女山と美しの森へも足を延ばしてみたが、ジゴボーが2~3株と、アイシメジが分散して7~8株、それにカワムラフウセンタケとおぼしき種を何株か収穫しただけだった。それ以外は目ぼしいものはほとんどなかった。キノコの季節は、まだこれからということだろう。Efuto0909302

 収穫したキノコは、よい形のものを選んで山荘でスケッチすることが多い。今回は、アイシメジ(緑色のもの)とカワムラフウセンタケ(茶色の3株)を絵封筒にした。採る本数が少なくても、こうして絵にEfuto090930_2 描いていると、それぞれ特徴あるキノコとじっくり対面することになるので、たくさん収穫した時のような充足感を味わえる。食用キノ コでも、食べない味わい方もあるのである。

 谷口 雅宣

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2009年8月21日

青柿を拾って

 このところ硬い話題が続いているので、今日は少し気を抜いて書く。ブラジルから帰ってようやく時差ボケから抜け出せたようだが、東京の暑さにはフラフラする思いだ。日中のアマゾンは日向では40℃を超えるが、陰に入ると結構しのげる。これは湿度が低いせいだ。ところが日本の夏は、湿度の高さでへきえきする。これを“超越”するには暑さから逃げるのではなく、かえって外へ出て運動をするテがある。というわけで、今日はジョギングに出かけた。
 
 帰国して2回目だが、体がすっかりナマっていて、1回目はいつもの距離を走れず、走ったあともフラフラで、1日後に筋肉痛が出た。2回目の今日は、前回より距離を延ばしたが、やはり全メニューを消化できなかった。それはそれでいい。もう若くないのだから、無理はいけない、と自分に言い聞かせた。で、衆院選のポスターなどを眺めながら本部事務所に歩いて帰る途中、細い路地に青柿がいくつも落ちているのを見つけた。「ああ、もうそんな季節なんだ」と思った。
 
 この場所では、いつかも青柿を拾ったことがある。調べてみると、昨年の8月22日の本欄にそのことが書いてある。が、その時のものより一回り大きいように感じた。カキの木が成長するのは分かるが、それにともなって実も大きくなるのだろうか。とにかく6~7個も落ちていた。下はアスファルトか砂利なので、割れずに無事のものはなかった。昨年は、傷のないものを見つけてスケッチしたのだが、今年はほぼ“全滅”。この点でも、実が昨年より大きくなったことを示していると思う。質量が大きいものは、地面に落下する衝撃も強いからだ。それでも、わずかに傷んだ状態のものを1つ見つけて持って帰った。
 
 大きさを測ってみると、長さは6センチ、円錐形の実の円周は最大5センチあった。こんな立派な大きさのものが、嵐が吹いたわけでもないのに、ボタボタと落ちてしまっていいものだろうか……と思った。青柿の状態では種も未熟だから、子孫を殖やすための工夫とは言えまい。普通の虫や鳥は青柿を食べないだろうから、別の種類の昆虫かバクテリアの食物となるのかもしれない。それにしても、自然界は豊かだと思った。言い換えれば、このカキの木は、自分が必要とする数以上の実をつけて、他の生物に“大盤振る舞い”をしているのだ。青柿の状態でこれだけ落ち、赤くなってからも、まだ与え続ける。この“与える精神”を見習うべきだと思った。
 
Efuto090821  絵封筒に描いた。青柿は“緑色”と思いきや、決して単色ではなく、黄色や茶色の混ざった緑色もあれば、陰影の部分はほとんど黒い。つややかな肌には、光も映っている。最近、夫婦で絵手紙を描いているというM氏から残暑見舞いの絵手紙をいただいたので、返事をこれに入れるつもりだ。
 
 谷口 雅宣

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2009年8月19日

神は偉大でないか? (4)

 ヒッチェンズ氏の『God is Not Great』は、第3章で「ブタ」の問題を取り上げている。この章は「ちょっと脇道に反れ、ブタについて」という題がついていることから分かるように、短くて5ページしかない。が、中身はとても“濃厚”である。ここで言う「濃厚」の意味は、「内容が充実している」というよりは、「味が濃くて口に合わない」というニュアンスがある。2006年の生長の家の教修会では、宗教がもつ「食物規程」について学んだが、この中でも、ユダヤ教とイスラームがブタについての禁忌をもつことが話題となった(本欄では2006年7月5日参照)。ヒッチェンズ氏はこの章で、ユダヤ教とイスラームの厳しい“ブタへの禁忌”は、実は“ブタへの偏愛”の裏返しであるとの説を展開する。
 
 心理学を学んだ人ならば、人間の心中にある「愛」と「憎」とは、実は同じコインの表と裏であるとの説明を聞いたはずだ。それと同じように、宗教の教えにある“禁忌”も、それが度を超えている場合は、逆に対象がもつ“魅力”を示しているとするのである。で、イスラーム世界でブタへの禁忌が「度を超えている」と言えるのは、ジョージ・オーウェルの『動物農場』(Animal Farm)1945年8月17日に刊行されたジョージ・オーウェルの小説。 を子供が読むことを禁じているし、ヨーロッパのイスラーム主義者は、『3匹の子ブタ』や『ミス・ピギー』『クマのプーさんのピグレット』など、昔からある童話やキャラクターを子供の目から隠せと要求しているからだという。まあ、私としては、昔から特にブタとのつき合いはなかったし、ブタ肉も食べることはないから、この件についての判断は差し控えたい。
 
 が、ヒッチェンズ氏の指摘の中で1つだけもっともだと思うことを言おう。それは、“ブタへの禁忌”を宗教のドグマとして異常なまでに強調しなくても、ブタの生態や屠殺場での彼らの恐怖と苦しみの様子を知り、我々人間とDNA構成がきわめて近いこと、さらに人間への移植用の臓器としてブタのものが使われている事実等を冷静に考えてみれば、ブタを人間と無関係の「蔑むべき動物」と考えるよりは、地球生命を構成する仲間のうちでは、サルに次いで“近種”であると考える方が正しいという点だ。著者はこのことを宗教で強制しなくても、「理性と思いやりの感情から明らか」(in the plain light of reason and compassion)だというのである。私も同感である。

 谷口 雅宣

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2009年7月12日

2000年ハスを見る

 今日、鳥取県米子市の米子コンベンションセンターで行われた生長の家講習会では、1,911人の受講者が来場され、終日静かな雰囲気の中で会がもたれた。天候も曇天で、暑すぎないのがよかった。前回より126人(7%)多くの受講者があったが、これは井手本昌久・教化部長をはじめとした鳥取教区の幹部・信徒の皆さんの熱心な推進活動の成果である。この場を借りて、御礼申し上げます。ありがとうございました。
 
 講習会終了後、島根県斐川町にある荒神谷史跡公園というところに寄った。出雲空港からの羽田便で帰るため、途中にある史跡に寄ったのだ。ここは、昭和58年(1983年)に広域農道を建設中に、土器の破片が発見されたことから遺跡として発掘が始まり、翌年には358本の銅剣が一気に発見されて有名になったところだ。しかし、私の関心はそちらではなく、今が見ごろである約5千株のハスの花の方だった。これは「2000年ハス」と呼ばれていて、元の種が2000年前のものと推定されている。
 
 昭和26年(1951年)に千葉県の検見川から丸木舟と一緒に出土したタネを、発見者の大賀一郎氏が育てて開花させたものの“子孫”だという。昭和63年に島根県大田市から譲り受けて、この地に移植された。最近、アメリカの原子力研究所による放射性同位元素の測定から「3千年前のもの」という説も出ているらしい。

Lotuspond  私は時々、生長の家講習会で「植物の命の存否は測定できない」という話をするが、その時にこの「古いハスの種」のことを例に挙げる。2千年もの間、土の中に埋もれていても死んではおらず、条件しだいで発芽し、大いに子孫を殖やす植物もあるのだ。が、実物をまだ見たことがなかったので、ぜひ一度見たいと思っていた。今回見たハスの花々は、厳密な意味では「2千年前の生命」とは呼べないかもしれないが、“生命の不滅”を感じさせてくれるに充分な美しさと、力強さをみなぎらせていた。ハスの花は、本当は開花する早朝に観賞すべきだろうが、今回はそれがかなわない。夕方、もう花を閉じているものや、使命を終えて散りかかっているものをカメラに収めた。
 
 谷口 雅宣

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2009年7月 9日

ジャーマン・カモミール

Kamomile  今日は、休日を利用してスケッチをした。ジャーマン・カモミールというハーブの一種で、ヒマワリとタンポポを合わせたような黄色い花の愛らしさが好きだ。長い茎の先に花が咲いた様子が、何となくおどけた感じでユーモラスに見える。普通のカモミールの花は白い花弁をもつが、ジャーマン・カモミールは黄色だ。この花をお茶にして飲むカモミール・ティーは、香りがよくておいしい。
 
 曲線の多い植物と対照させるために、手元にあった電卓を一緒に描いた。こちらの色は実物はベージュだったが、黄色の反対色である青に変えてみた。カモミールの葉は細長くて見栄えが貧弱ないので、スペアミントの葉を描き込んだ。バックの橙色は、テーブルの色を前面に敷いたもの。

Kamomile2  タブレットPCに直接手描きしたのだが、それを“印象派”風にソフトウエアで加工したものも添える。
 
 谷口 雅宣

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2009年6月25日

天女山を歩く

 今日は、午後から天女山へ行った。この山は、八ヶ岳のうちの編笠山へ上る登山道の入口にある山で、標高は1,529メートル。とは言っても、頂上まで舗装道路がついている。天女山へ行った理由は、妻が午前中、草茫々の山荘の庭を片づけている時、ジゴボウとKaimentake いうキノコを見つけたからだ。このキノコは、本欄に何回も登場しているが、カラマツタケともいって、カラマツ林によく出るイグチ科の食用キノコだ。正式には「ハナイグチ」と呼ぶ。シーズンは秋で、こんな時期に出るのは珍しいが、山荘近くで出るときは、天女山ではもっと多く出ていることが多いので、「ひょっとしたら」と思ったのである。が、カラマツ林の急坂を30分ほど歩いて、収穫はゼロだった。食用にならないドクササコの類、腐食菌のカイメンタケ(=写真)のようなものしか見つからず、わずかに妻が、古くなったベニハナイグチを1株見つけただけだった。キノコは出ない時にはまったくないので、諦めるほかはない。
 
 ここ1年ぐらい前から、天女山の植生が変わってしまった。恐らく間伐の影響だと思う。密生していたカラマツ林の間伐してくれるのはいいが、伐った木が倒れたままで放置されているのだ。今日もキノコを探すときに、ゴロゴロとした倒木の間を注意して歩かなくてはならなかった。これでは、キノコのシロは破壊されたままだろう。天女山山頂の木には、山梨県県有林課の貼紙が掲げてあり、「FSCの森林管理認証を取得し、環境に配慮しながら管理経営しています」と書いてある。FSCとは「Forest Stewardship Council」(森林管理協議会)という国際非営利組織で、森林管理の専門機関なのだろうが、伐った樹木を何年も放置しておいて、キノコがあまり生えない森にしておくのがよいことだとは、私には思えない。秋になってもキノコが出ないのであれば、一度県に尋ねてみようと思う。
 
Mtimg090625  山荘に帰ってから、ジゴボウをスケッチした。茶色と黄色の組み合わせが美しいと思った。ミソ汁や酢の物によく合う。
 
 谷口 雅宣
 

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2009年6月24日

山荘閑話

 1カ月半ぶりに山梨県大泉町の山荘に来た。妻のブログの読者はすでにご存じだろうが、近くの「まきば公園」というところへ行き、レストランで昼食をいただいた。そこは南東向きの緩やかな斜面の中腹にあり、ヒツジや馬が放し飼いにしてある牧場が見える。そういう環境だと野生のシカも警戒心をゆるめるのか、食事中に500メートルほど先の森の蔭から親子らしい3頭が姿を現し、草を食む様子が眺められた。
 
Sheepeat  食後にヒツジと交流をもとうと思い、躊躇する妻を尻目に柵に入って行った。ヒツジたちも食事中で、近づいてくる人間にはほとんど注意を向けず、ボリボリボソボソ……という音を立てながら、ただひたすら牧草を食べていた。妻は、ヒツジを撮影する私の写真を公開しているが、私はそのカメラから覗いたヒツジの写真をここに掲げる。顔の黒いヒツジの群れの中に1頭だけ、顔の白いやや大型のヒツジがいて、私たちはその役割が何であるかを想像したが、結局よく分からなかった。
 
 田舎へ行くとうれしいのは、新鮮で豊富な野菜や果物が安く手に入ることだ。スモモ、モモ、デラウエア(ブドウ)、皮付きのベビーコーンなどを買った。半分は東京で消費する予定だ。食べるだけでなく、そういう食材の外観の美しさも味わいたい。山荘に帰ってから、PC画のスケッチをした。
 
Vegita2  山荘では、アリの行列に驚いた。体長5ミリほどの小型だから恐ろしくはないが、風呂場の壁に黒い線を引いたように往来しているのは、何となく不気味である。入浴前に排除するかとも思ったが、そのままにした。ただし、妻はアリが出てくる穴を塞ぐことを主張したので、それもいいかもしれないと思った。彼らの反応を見たかったからである。アリは「社会性動物」の典型として生物学者がよく研究対象にする。私は生物学者ではないので彼らの生態をよく知らないが、隊列を作るときには仲間の“体臭”をたどっていくと聞いていたので、出入口をふさがれた彼らがどうするか、興味があった。体臭の原因は「蟻酸」という物質で、アリに鼻を近づけるとその臭いがする。
 
 浴室の板壁にアリが入る穴と出る穴が1つずつあって、その間の数メートルを彼らは往来していた。彼らの通り道に湯船の縁がかかっていたので、風呂に浸かりながら、行き場を失った彼らの行動がよく観察できた。2カ所の穴は、セロテープでふさいだ。が、彼らは何事もなかったように同じ道を歩き、穴がないことを知ると、来た道を帰っていくのである。しかし、来た道の終点もセロテープでふさがれているので、そこからまた元来た道を引き返す。そういう歩行を続けているうちに、浴室が温まって湿度が上がってきたことと関係するのか、ときどき立ち止まって触覚をなめるような行為を始めた。が、不思議なことに、道から外れることがない。「別のルートをたどれば外へ出られるかもしれない」とは思わないようである。そして、20分もたつと、道の隅の方に何匹もが黒々と集まって動かなくなってしまった。
 
 人間だったら、こんなことには決してならないだろう。人の後に従っていくのは確かに「安全」なことが多いが、“異常事態”を感知したら、パニックに陥って無秩序な行動に出る人が多いことは、よく知られている。その際は、社会性が一時的に失われて個人性が表面に出るのかもしれない。アリはその点、社会性を維持したまま、異常事態を切り抜けてきたのだろう。その理由は、人間とアリの脳の機能の違いによるに違いない……そんなことを考えながら、私は風呂から上がったのである。
 
 谷口 雅宣

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2009年6月17日

大自然から神のアイディアを受けて

 今日は午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山で谷口雅春大聖師二十四年祭が厳かに執り行われた。前日に続いて、長崎地方は朝から好天で、暑いほどの日差しの中、同本山の谷口家奥津城前の広場には、谷口雅春先生の教恩に感謝し、御徳を偲ぶ大勢の信徒・幹部が集まった。この御祭の後、私は概略次のような挨拶を参列者の皆さんに申し上げた--

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 本日は、谷口雅春大聖師の二十四年祭に大勢お集まりくださいまして、誠にありがとうございます。谷口雅春先生が、この長崎の地に移転されたのは昭和50年で、それから10年間この地で生活され、昭和60年6月に昇天されました。それから24年たったわけですが、この総本山の地は練成会での献労や本山職員の方々のご努力によって、もともと豊かだった自然が、さらに豊かになりつつあります。かつてのバブル期には、ここに隣接するオランダ村が繁栄していましたから、周辺は週末や休日などにはずいぶんにぎわったようであります。しかし、そういう一時的な“開発”の時期もすぎて、今は人間の節度ある営みと自然との調和が実現していると思います。そのことは、皆さん自身が本山へ来られるたびに感じておられることと思います。今はちょうどハナショウブが終ろうとする中、アジサイが美しい季節であります。こういう心温まる自然と人間の関係を、これからもずっと守っていきたいと感じます。
 
 生長の家は今、ご存じのように、地球温暖化を抑制するために“炭素ゼロ”を目指した運動を推進しつつあります。その中で、この総本山は生長の家では初めて、大規模な太陽光発電装置が設置されたのを初め、ISO14001にもとづく業務の改善、境内地の森林の間伐やシイタケ栽培などを通して、自然と共に生きるノウハウを蓄積してきています。時には、イノシシとの難しい関係もあるかもしれませんが、そういう経験も含めて、総本山は今後の生長の家の“自然と共に伸びる運動”にとって重要な役割をはたしていくと思います。
 
 先ほども述べましたが、谷口雅春先生は昭和60年に亡くなられましたが、その1年前に出版されたご本に『続 真理の吟唱』というのがあります。これは、その年より前に、ときどき月刊誌に発表されていたお祈りの言葉70篇を集めて単行本にしたものです。皆さんは、『真理の吟唱』というご本の方はよくご存じと思います。こちらはその14年前の昭和45年(1970年)に出たものですから、先生が本山に居を移される以前に書いた祈りの言葉です。が、この『続 真理の吟唱』には、雅春先生が総本山に移られてから書いたお祈りの言葉が収録されているのではないか、と私は思います。ただし、詳しく調べたわけではないので、そうでないものも含まれているかもしれません。このご本の中に「正しき神徠(インスピレーション)を感受する祈り」というのがありますので、今日はこの祈りの言葉を紹介して、先生の自然についての教えを学びたいと思います。
 
 この祈りの中で、先生は「葉脈」を例にとって、その流れの美しさと、同じ木の葉であっても葉脈が同じものは1つもないことを指摘しておられます。木が根から吸収する水分や栄養素を葉の先端まで送る“血管”のような役割をしています。これは大抵、1本の中心線が通っていて、そこから葉の隅々までに細い脈が左右対称に分かれて通っています。デザイン的にも「中心帰一」がはっきり分かるものです。そのことを念頭におきながら、祈りの言葉を聞いてください--
 
 (「正しき神徠を感受する祈り」の一部を朗読)
 
 このように、「自然界には、魂の進歩発達に必要なアイディアが無数にある」と先生は説かれています。それは現に我々の前にあるのに、もし受け取れないのならば、それは自然界を創造された神様の愛と我々の心の波長が合わないからだと教えてくださっています。私たちは今、経済的には世界的に困難な状態にあると言われています。また、日本の場合、政治的にも混乱した状態にあります。文明的にも化石燃料を多用する文明から、そうでない文明へと移行していく時期にあるのです。そして、ご存じのように、我々の運動も転換しています。これらすべては、一見“困難の時期”に見えるかもしれませんが、同時にそれは“新しい時代の幕開け”の時なのです。神の無限のアイディアを受信して、現象界に現す絶好の機会だと言えます。先ほどの祈りの言葉にもありましたが、神のアイディアは無限に多様であり、しかも神は愛でありますから、その実現は人類のみならず、生類すべてが喜ぶ結果になるに違いないのです。そのアイディアは私たちの目の前にある。それを得るためには、太陽のように明るき心と三正行が必要だと教えられました。
 
 今日、ここに集まられた皆さんは、雅春先生が愛された総本山の自然をしっかりと感受され、それぞれの生活の場に帰られましても、自然界の無限の恵みに感謝し、そこに充満する神からのアイディアを常に受けながら、自然と人間の生活を調和させる新しい生き方を創造し、お仕事や生活にそれを実践し、またそういう新しい光明化運動を築き上げていく原動力となっていただきたいと、心から念願する次第です。
 
 谷口雅春大聖師の二十四年祭に当たって、所感を述べさせていただきました。ありがとうございます。
 
 谷口 雅宣

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2009年6月12日

ビワを食べる

 今日、朝食時に家の庭にできていたビワの実を食べた。カラスに先を越されないために、妻が数日前、3~4個の実がついた枝を葉と一緒に採ってきて花瓶に挿してあった。そこから、1個だけちょうだいしたのである。その実は少し傷みかけていたので、食べなければ棄てるだけと思った。市販の実よりひと回り小さかったが、薄い香りがして、案外おいしかった。
 
 このビワの木は昔、どこからかいただいた実の中にあった種を植えて、育てたものだ。ビワは強い植物なので、少々条件が悪いところでも育つ。が、実が成るかどうかは別問題だ。わが家の場合、南側の庭に植えたのだが、そのさらに南にケヤキの大木やその他のBiwa 高い立木が何本もあって、それらの蔭になっていた。だから、ビワの木は2メートルほどに成長して日光を受けるようになるまでは、実が成らない年もあった。毎年実がつくようになったのは、ここ7~8年ぐらいだろう。今年は、春に剪定したときに少し切りすぎたこともあり、実の数は驚くほど少なかった。
 
 そんな貴重なビワの実なので、カラスから避難させ、人間が目で楽しむために近くに置いてあったのである。妻は、それを絵手紙に描き、私はここに掲げた手描きのPC画に記録した。夕食には、妻が渋谷で買ってきた別のビワをいただいた。味は、もちろんこちらの方がいいが、絵に描いたものの方に愛着を感じるから、不思議なものだ。

 谷口 雅宣

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2009年6月 2日

タンポポの奇形

 昨日の本欄で、釧路地方で見た「大型のタンポポ」の話を書いたら、同教区の澤田教化部長がメールで2日付の『釧路新聞』の記事を送ってくださった。別海町あたりに咲くタンポポには「花や茎がいくつもくっついた巨大な花が多い」という内容だ。その様子は「中が空洞になったり、波打ったりしている茎の直径は3~4センチ。くっついた花の長さは6センチ前後ある」と書いてあるから、私が見たタンポポとはかなり違う。私が見たのは、本欄に掲載した写真のように、本州の花に比べて一回りほど大型なだけで、正常な形をしていた。
 Kush060209
 しかし、そんな“奇形タンポポ”があるのが不思議なので、ネットで調べてみると、最近は結構、そういうタンポポが見られるらしい。学問的には「帯化(せっか)」という現象で、原因はよく分かっていないらしい。北海道だけでなく、全国各地で観察されていて、ニュースで取り上げられたこともあるという。この帯化した株から種を取って栽培すると、正常なタン ポポが育つというから、遺伝子に異変が起こったわけではなさそうだ。
 
 興味のある読者は、「タンポポ」と「奇形」というキーワードで検索してみると実物の写真が見れる。参考のため、ここに上記の新聞記事を掲げておこう。
 
 谷口 雅宣

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2009年6月 1日

タンポポとツツジ

Tampopo  昨日は釧路教区での生長の家講習会があり、夜遅く帰京した。札幌以外の北海道の空港は最近、便数がずいぶん減ってしまったから、午後10時すぎに羽田着の最終便で帰った。帰宅は11時ごろだった。こういうケースは、しかし珍しい。今年度初めての北海道での講習会だったが、澤田教化部長をはじめとした釧路の幹部・信徒の方々が明るく推進してくださったおかげで、朝から小雨が降っていたにもかかわらず、前回より55人(5.6%)多い1,044人の受講者が集まってくださった。誠にありがたく、この場を借りて同教区の皆様に感謝申し上げます。
 
Aseriaikush  30日は最高気温が13℃、最低は7℃という事前情報の通り、なかなか寒かった。が、カーディガンとコートを着て夕方の港町を散策した。この地は春なのである。町のあちこちの草地には、大型のタンポポが所狭しと見事に咲いている。桃色の大輪のツツジも満開だった。街路樹のサクラは終ってしまったようだが、ヤエザクラの花がまだ残っているのがうれしかった。南北に長い日本列島を講習会で回っていると、こうして季節を何回も経験できるのが“役得”の1つである。

 「クーちゃん」という名前のラッコが釧路川に滞在していたというので、宿舎のホテルに隣接した土産物売り場には、ラッコの縫いぐるみはもちろん、クーちゃんをかたどったお菓子やパン、アクセサリーなどが数多く売られていた。釧路川に出現してから約3カ月で姿を消したらしいが、短期間によくこれだけの商品を開発するものだと感心した。そのラッコが、今度は“恋人”と一緒に150キロ離れた納沙布岬に姿を現したらしいという記事が、31日付の『釧路新聞』に載っている--
 
「【根室】クーちゃんに新たな恋人か--。28日午前4時ごろ、根室市の納沙布岬で、クーちゃんと思われる雄のラッコと、雌と思われるラッコが仲むつまじく岩の上でじゃれ合っている姿が確認された。17日にも同所で、雌と思われるラッコとじゃれ合う姿が確認されているが、今回のラッコは、17日のラッコが毛色が白く高齢の個体で、左目の下に黒い斑点があったのに対し、今回のラッコにはその斑点がなく、毛色も黒く4歳前後の若い個体と思われる。」

 動物は「動く物」と書くから、どこへでも好きなところへ動いていく。それで一向構わないのだが、人間の方は「行かないで」「もどって来て」と執着する。でも、来てほしくない動物もいる。釧路の人に聞いた話だが、温暖化の影響だろうか、最近は冬になってもクマが冬眠しないのだそうだ。そして、人家に入って冷蔵庫を開け、ビールの缶に爪を立てて中身を飲むのだそうだ。何か信じられない話だが、そのうち冬になると、酔っ払いグマが北海道や東北の町に出没することになるかもしれない。そういえば、もっと南方では、クジラが湾内に迷い込んだといって、人々は最近までその動向を心配していた。

 これに対し、植物の方は動かないから、花が咲き終わっても人間は心配しない。来年もかならず咲くと信じているからだろう。でも、温暖化にともなう気候変動が激しくなれば、植物の種類によっては、花が咲かない年が来るかもしれないのだ。
 
 谷口 雅宣

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2009年5月14日

横浜でバラを愛でる

Rosegarden2  今日は、休日を利用して“親孝行”に出かけた。とは言っても行き先は横浜で、本欄の読者はご存じのように、我々夫婦が足繁く行く町だ。しばらく行っていなかったこともあり、またバラの美しい季節なので、花好きの母が喜ぶ顔が見たかったのである。お目当ての場所は、横浜・山手の「港の見える丘公園」。午前9時過ぎに東京を出ると、幸い道路は空いていて、40分ほどで目的地に着いてしまった。

Redroses  バラは、横浜市の“市の花”である。この公園には8千平方メートルの市営のローズガーデンがあり、約80種の千八百株のバラが植えてある。横浜開港当時、この山手の丘にはフランス軍とイギリス軍が駐屯し、その後、フランス領事館やイギリス総領事公邸などが建設された。この英総領事公邸を市が買い取り、現在の「イギリス館」となった。そして、イギリスの国の花がバラであることに因み、市政100周年を記念して、平成元年に“市の花”が制定されたという。

Artistroses  好天だったこともあり、公園にはすでに多くの中高年男女が来ていて、カメラを構えたり、スケッチブックを広げたりして、一年のこの時季にしか見られない“バラの美”を記録しようとしていた。バラ園のど真ん中に椅子を置き、カンバスを立て、色とりどりのバラたちを描いている画家もいた。私も、さっそくデジカメを使って同じ行動をとることにした。母も妻も、それぞれに花々を記録したことは言うまでもない。

Rosegarden  その時の記録のいくつかを、ここにご披露する。
 
 谷口 雅宣

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2009年5月 2日

第1回生長の家相愛会・栄える会合同全国幹部研鑽会終わる

 今日は昨日に引き続いて、初めての「生長の家相愛会・栄える会合同全国幹部研鑽会」が行われた。会場は東京・渋谷の明治神宮会館で、生長の家本部の“お膝元”である。豊かな神宮の森の中に、全国から1,811人の幹部の方々が集まって日時計主義による真象の拡大と両運動組織のさらなる飛躍を誓い合った。私は前日と同じく、午後から1時間の講話を担当した。内容もほぼ同様だったが、時間配分はうまくいったものの、時間を気にし過ぎたところがあって、各ポイント間の連絡がスムーズにつながらなかったきらいがある。講話は“生モノ”でなかなか難しい、と思った。両組織からの報告によると、参加者の内訳は相愛会が1,353人、栄える会が458人で、1年前の本欄に載せた数字と比べると、相愛会は192人、栄える会は104人も増加した計算になる。参加促進にご尽力くださった全国の皆様に心から感謝申し上げます。
 
 今回の研鑽会の特徴は、両組織の“壮年層”の活動に焦点を当てたことだろう。このため参加者も比較的若い人々が目立ち、体験発表や活動報告にも新しい展開が感じられた。その中で、私のようにブログでの活動を昨秋から開始した幹部がいることを知り、心Delphinium 強く思った。この人は、島根教区の相愛会副連合会長の持田正悦さんで、デジカメ写真と俳句を組み合わせた「写俳日記」というブログを展開中だ。今日、そのことを檀上で発表されたのに、今日付でブログがすでに更新されているのには驚いた。生長の家以外の読者からも反応があるというので、インターネットを通した伝道活動として大いに期待される。そのほかにも、いろいろ素晴らしい発表があったが、割愛させていただく。
 
 研鑽会でいただいた花束の中から、今日の空のように青が美しいデルフィニウムをスケッチした。両組織の皆さん、実行委員の皆さん、ありがとうございました。
 
 谷口 雅宣

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2009年4月20日

ウサギとカメ (5)

 ウサギは、カメには“言葉の力”を理解することができないと思い、岩を見つめて首をかしげているカメに向かって言いました。
「人間の世界には“岩の上にも3年”って言葉あるんだ。おまえさんは日向ぼっこをしている間、その意味でも考えたらいいよ。ぼくはもう行くからね」
 カメはそれを聞いて、
「ああ、その意味はすぐわかる」
 と言いました。
「ホントか?」
 と、ウサギは疑わしそうに言いました。
「ほんとさ」とカメは言うと、「岩は3年では割れないってことさ」と続けました。
「ちがう、ちがう」
 とウサギは言いました。そして、
「おまえさんには、5年たってもその意味はわからないさ!」
 と言うと、くるりと背中を向けて行ってしまいました。
 ウサギがいなくなると、カメはまた空に顔を向けて日向ぼっこのポーズをとりました。そして、目を細めると、
「ああ、太陽の光は暖かくて、気持いいなぁ~」
 と言って口をパクパクさせました。
 カメはそのままじっと動かないでいると、ブゥーンという音をさせながら1匹のハエが飛んできて、カメの背中の上に留まりました。
「ああ、この音、この音……」
 と、カメは目を閉じたまま思いました。何とも心地のいい音でした。カメはよくわかっていました。この音は、“ごちそう”の音なのでした。でも、背中にいるハエを食べることはできません。だから、そのハエが目の前に飛んでくるか、それとも背中をつたって頭まで上ってくれば、電光石火の早業でつかまえてしまおうと思っていました。
 そのうちに、プゥーンという音をさせて、今度はカが飛んできました。1匹のあとにもう1匹が遅れて来る音も、耳のいいカメには聞こえました。遠くでは、池に注ぎ込む水の音も聞こえています。時々、池から跳ね上がる魚が、水飛沫をたてる音がするのもわかりました。カラスが頭上高く、鳴きながら飛んでいきます。周囲の梢では、スズメたちがにぎやかに囀っています。カメは、幸せな気分になっていました。
「ああ、この世界は、ゆかいな音で満ちている……」
 と、カメは思いました。
「ウサギはなぜ、岩を割るなんてことを考えるんだ……」
 と、眠気の中でカメは思いました。
 暖かい日光があり、のんびりと泳げる池があり、頑丈な岩があり、探し回らなくても向こうから飛んでくるエサがあり、美しい音が満ちている。その世界をこわすのが“言葉の力”だったら、そんなものはいらない、とカメは思いました。
 
 谷口 雅宣

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2009年4月18日

ウサギとカメ (4)

 ウサギに比べると少し頭の回転が遅いカメには、「言葉が人間の最大の武器」ということが、よく分からないのでした。カメを煙に巻いたウサギは、そこで大得意になって自論の説明を始めました--
「あのねカメさん、言葉というものには、物を音に置き換える役割があるのさ。例えば、目の前にある小石だが、これを拾うのは簡単でも、おまえさんが乗っている岩は重くて動かすこともできない。でも、“こいし”や“いわ”という言葉は、簡単に動かせるだろう?」
 カメは目をパチパチさせて、自分のいる岩を見つめています。
「こんな説明じゃ、わからないか……。それなら“言葉を動かす”のではなく、“言葉を付け加える”と言えばいい。おまえさんが上に乗っている岩は、実際は重くて動かせなくても、“オレは岩を持ち上げた”と言葉で言うことは簡単だろう?」
「ああ、それならわかる。簡単だ」
 と、カメは頭を上下に揺らしてうなずきました。
 ウサギは、つづけました--
「つまり、言葉をつかえば、本当にはできないこともできたように思える。それができるのは、実際には重くて頑丈で動かしたり割ったりできない岩を、“いわ”という音に置き換えてしまうからだ。そして、“岩が真っ二つに割れた”と言えば、本当にそうなったと思える。ここまでは、わかるね?」
「よくわかる」
 と、カメはうれしそうに言いました。
「こうして、物を音に置き換えることで、人間は頭の中で自分の好きな世界を簡単につくってしまうんだ」
 とウサギは言って、カメの顔を覗き込みました。
 カメは、自分の足元を見ながら、
「でも、岩はほんとは割れてない……」
 と言いました。
「そのとおり」とウサギは言って、さらに続けました--
「でも言葉の威力は、そこから始まるんだ。人間は“岩”“二つに”“割る”という3つの言葉を使って、それを仲間に伝えることで、大勢が同じ目的で動くようになる。つまり、“岩を二つに割りたい”というアイディアが社会に広まり、そのための機械や方法を大勢の人間が工夫するようになり、やがて、本当にそれができてしまうんだ」
 カメは、不満そうな顔でウサギを見ています。
「なんだよ、そんな目でオレを見て……」
 と、ウサギは言いました。
 するとカメは、
「ボクらの仲間だって、大勢が岩に上ることはある。でも、岩はちっとも割れないぞ!」
 と言いました。
「ああ、これだからカメはダメなんだ!」
 と、ウサギは空を仰いで溜息をつきました。
 
 谷口 雅宣

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2009年4月17日

ウサギとカメ (3)

 ウサギとカメは、しばらくにらみ合っていましたが、やがてカメがウサギから目を逸らして、
「ああ、アホらしい」
 と言いました。そして、「このみどりの風のおいしさを認めないなんて、動物のくせに情けない……」と続けると、また日向ぼっこの姿勢にもどりました。
 するとウサギは、
「“バカメ”という言葉は名言だね」
 と言いました。そして、「カメのおまえさんには、その名前がピッタリだ」と言って、相手の様子をうかがいました。
 カメは聞こえないふりをしていたので、ウサギはさらに続けました。
「“動物のくせに”なんて言うのは、動物であることを誇りに思っている証拠だ。そんなんだから、いつまでたっても人間が支配者でありつづけるんだ。人間を超えるためには、人間のもっている最大の武器を自分のものにしなけりゃ……」
 カメはその言葉に興味をもった様子で、
「人間の最大の武器ってなんだ?」
 と、ウサギに聞きました。
 ウサギはニヤッと笑って、
「何だと思う?」
 と言って、カメをじらせました。
「ミサイルのことか? それとも、毒ガス?」
「ぜんぜん違う」と、ウサギは得意顔。
「それじゃ、バイオテクノロジー?」
 ウサギは首を横に振るばかり。
「えぇい、それなら無人攻撃機!」
「ハ、ハ、ハ、ハハハ……」
 と、ウサギは愉快そうに笑ってから、言いました。
「おまえさんは、見ている方向が違うんだよ。“武器”と言ったって、別に戦争するための道具とはかぎらない。高価なものともかぎらない。もしかしたら、人間だったら誰でももっているものかもしれない」
「クイズはもうやめた。早く教えてくれ!」
 カメはそう言うと、ウサギをうらめしそうに見ました。
「それじゃ、答えを言おうか……」とウサギはもったいをつけてから、
「それは、言葉だ!」
 と言いました。
 カメはしばらく目を丸くしていましたが、やがて、
「そんなものが……武器になる?」
 と言いました。
 
 谷口 雅宣

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2009年4月11日

タケノコを掘る

 サクラが散るころはタケノコの収穫期--わが家の春の言い伝えにしたがって、今朝はタケノコを掘った。今年は全国的に桜の満開が例年より1~2週間遅れたとテレビなどで言っていたから、本当にタケノコが出るのも遅れたと思った。にもかかわらず、結構太いのがあったので安心した。実は、6日にも“初物”を3~4本掘ったが、この時はそれほど太いものではなかったのだ。妻は、私の所望に応えて、さっそく「孟宗汁」を作ってくれていた。
 
 読者のご記憶にまだあると思うが、「孟宗汁」は昨年の本欄で映像によって作り方を紹介した。もし見逃した方は動画サイトにある「原宿のタケノコ」をご覧あれ。ところで、このムービーの登録の日付は、今から約1週間後の「4月18日」になっている。ということは、昨年のその頃の様子がそこに映っているのである。それを見て今日の様子と比べてみると、今年のタケノコの出が特に遅いわけでもなさそうだ。人間の記憶は、あまり頼りにならないものである。
 
Bambooshoots  写真を見るとお分かりと思うが、今日採ったタケノコは全部で6本。ミニが1つあるが、その他は直径が10~15センチある。わが家の竹林は、竹が結構密に生えているので、地中に這う地下茎も高密度になってきた。するとタケノコは、張り廻らされた地下茎の間から無理に出ようとするので、形がいびつに曲がったり、茎が扁平になったりする場合もある。また、私の場合、中型のスコップを使って掘り出すから、周囲に太い地下茎があると歯が立たない。そういう“障害物”がない方向からタケノコの根元にスコップを入れ、できるだけ深いところから掘る。この作業に没頭していると、体は熱くなり、時間を忘れてしまう。
 
 採ったタケノコは、夫婦2人に6本は多いので、隣家に何本か寄贈した。
 
 谷口 雅宣

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2009年4月 8日

夜桜を見る

 水曜日は私にとって“週末”……ということで、夕方、妻と2人で明治神宮外苑にあるレストランへ行き、ゆっくりと夕食をいただいた。数カ月前にオープンした店で、新聞にも紹介が出ていたので、席が空いているか心配した。が、客の数は意外に少ない。そうなのだ。昨今の厳しい経済事情のおかげで、このごろ街のレストランは空いているし、道路を走る自動車の数も減った。人々は生活防衛に必死なのだ。
 
 食後、青山通りを六本木方向へ渡り、さらに路地に入ってゆっくりと散歩した。このあたりは飲食店が多いのだが、どの店も客はまばらである。そのうちに、目の前がボォーッと明るくなったのは、満開のサクラ並木のせいだった。都内の“サクラの名所”の1つである青山墓地まで来ていた。と、この付近はなぜか人通りが多いのである。我々は、街灯の光を受けて夜空に白く光るサクラを愛でながら墓地内を進んだ。
 
Cherrynight  夜、墓場を歩くことはあまりない。が、満開のサクラが頭上を覆い、足元に続く白い花びらの絨毯を踏みしめて歩いていると、そこが「墓場だ」という気があまりしないのである。それでも、照明の当たらない側道は暗く、不気味な感じがするので、我々は街灯のある道を行くことにした。と、道の両側で人の声がするのである。それも、1人や2人ではなく、大勢が談笑している風情である。また、沿道の所々に、二人連れなどがしゃがみ込んで何かを食べている。夜桜見物の人々だった。

 好奇心に惹かれた私は、ためらう妻の腕を引いて側道へ入った。すると、暗がりのあちこちに10人、20人と円陣を構えて人々が座っているのである。「こんな暗いところに…」と私が言うと、妻は「目が慣れてきたら、そうでもないのかも…」と言う。私は彼らの写真撮影を試みたが、ストロボを発光させなかったためか、暗さに強いデジカメにも、ほとんど何も写らなかった。
 
 側道を引き返しながら、ふと「もし迷った霊が付近にいたら…」などと思う。また、「10人のグループで来たはずなのに、よく数えてみたら11人いたとか…」などと想像する。いや、今見た人々は皆、地べたに座っていたから、ひょっとして地縛霊…?

 夜桜には、妄想を起こさせる力があるのかもしれない。
 
 谷口 雅宣

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2009年3月30日

コイの置物

 昨日は香川県高松市で生長の家講習会があり、5,310人の受講者が集まってくださった。当日の天気予報は「曇り後雨」だったが、幸い穏やかな好天となり、ほぼ満開のヒカンザクラが青空によく映えたよい一日となった。妻と私は28日午後に高松入りし、市の中心部にある商店街を散策した。うどん屋が多いのは予想通りだったが、午後4時ごろから店内に客がいるのは、意外だった。聞くところによると、おやつ代りにうどんを食べる人も珍しくなく、そういう人のために、当地のうどん屋では“ミニ丼”に入った少量のものをちゃんと用意しているという。とにかく安価だから、気楽に食べられるのがいいのだそうだ。
 
Mtimg090330  そんな商店街の一画に旗や記念品を売る店が1軒あり、ショーウィンドーに陶製の小さなコイ幟の置物が飾ってあった。赤と青の大小の番いで、何ともユーモラスな顔と形をしているのが気に入った。値段も「二千円」と手ごろである。店の奥さんに作者のことを尋ねたら「地元の人」だというし、5月の子供の日も近いので買うことにした。作者は、木田郡三木町に住む「三木徹」という66歳の陶芸家だそうだ。

 27日に生きたコイを買ったが、そのことが今回の買い物と関係しているに違いない。コイに親しみを感じていたのだ。とりわけ、弱々しかった1尾のことが気になっていた。土曜日、東京を発つ前に池を覗いたら、その1尾は他のコイたちと一緒に元気に泳いでいたのである。だから、旅行中はコイのことをあまり心配していなかった。しかし、今朝、仕事場へ行く際に、ふと気になって再び池を覗いた私は、声を上げそうになった。赤と白の模様が鮮やかなそのコイが、池の中央付近で、横倒しになって沈んでいるのが見えたからだ。残念だが、環境の激変に耐えられなかったのだ。
 
 人間は、置き物は作れるが生き物はつくれない……そうあらためて感じた。
 
 谷口 雅宣

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2009年3月27日

コイを買う

 昨日は木曜日の休日だったので、妻と2人で多磨霊園へ墓参に行った。国道20号線から入る霊園前の道路沿いには、立派なサクラ並木が枝をアーチ状に拡げて続いているが、まだ開花し始めたばかりだった。それでも、園内のシダレザクラの中には満開のものがあり、青空を背景に白く堂々と輝いていた。墓参を終り、近くのホームセンターに寄った。妻がこまごまとした日用品を買ったあとで、2人でペット売場へ行って小型の錦鯉を3尾買った。庭の池に入れて飼うためである。
 
 わが家の池には、すでに大型のコイが1尾、中型が1尾、小型のコメットが3尾いた。これらは、池の南側の間際に大型ビルが建った中でも生き抜いてきた。私は、このビルが池全体に影を落とすので、今後池には魚は育たないと思っていた。が、5尾はどうにか育ってくれており、特にコイは明らかに成長しているので、仲間を増やそうと思っていたのである。
 
Fishpond  3尾のコイは、女性店員が2つのビーニール袋に水槽の水と一緒に入れ、その上から酸素を注入して密閉してくれた。この酸素がどのくらいもつか訊かなかったが、私たちはその後、深大寺近くのソバ屋へ向かった。このソバ屋が案外混んでいて待たされたので、食事中もコイたちに必要な酸素量が気になっていた。が、幸い、家に帰って3尾を池に放すと、最初は戸惑った様子のコイたちも、すぐに2尾が“先輩”のコイたちと合流した。ところが残りの1尾は、岩陰に身をひそめてじっとしている。まるで「知らないところはコワイ」と感じ躊躇しているように見える。個々の魚に「性格」のようなものがあるとは考えにくいが、このコイは明らかに“臆病者”に見えるのである。結局、5分ほど後に、3尾目のコイも体を動かし出し、やがてゆっくりと池の中央へ進んでいって、新しい仲間と合流したのである。恐らく水温の差が大きかったので、この1尾については、体の諸機能の調整に時間がかかった--というのが私たちの解釈である。
 
 3尾のコイたちの、これからの成長が楽しみである。

 谷口 雅宣

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2009年3月11日

サルも歯を磨く

 今朝のNHKニュースでサルが歯を掃除する様子を見て、私は驚いた。歯ブラシや楊枝を使うのではなく、フロスをするのだ。このフロスという習慣は恐らく日本人にはない。なぜなら、『広辞苑』を引いてもこの言葉は出ていない。また、私がそんな方法があるのを知ったのは、大人になってからだ。西洋人が糸を使って歯と歯の間を掃除するのを見て、「奇妙な習慣だな」と思ったのを記憶している。フロスは英語の「floss」から来ていて、もともとの意味は、トウモロコシのひげのように、植物にある絹綿状のものを言い、そこから歯間に糸を通して掃除する「糸楊枝」の意味になったらしい。ちなみに、「糸楊枝」も『広辞苑』にはない。

 このサルの行動は、しかしそれほど一般的な行動ではないようだ。『産経新聞』(11日付)によると、これをするのはタイのバンコクの北東にあるロブリーに生息するカニクイザルの一群で、この行動は10年ほど前から見られるようになり、「人と接する中で学んだ行動と考えられている」らしい。つまり、タイの人はフロスをするということで、このサルは街中で暮らしているから、人間を真似てするようになったというのだろう。しかも、フロスに使うのは「糸」ではなく、人間の「髪の毛」というから不思議だ。
 
 私がこれを不思議に思う理由は、日本ではシカ除けに人の髪の毛を使うという話を聞いたことがあるからだ。シカの食害を防ぐには、人間の髪の毛を吊るした糸を張っておくというのである。ということは、シカにとって人間の髪は“危険信号”か“嫌いなもの”であるはずだが、タイのカニクイザルにとっては、口の中に入れても問題ないということになる。街中で一緒に暮らしていれば、それだけ近い関係になるのだろうか。私だったら、妻の髪の毛でも口に入れたくないし、ましてやサルの毛などまっぴらだ。
 
 ところで、このニュースや新聞記事のポイントは何かというと、親のカニクイザルがフロスをする時、子ザルが目の前にいる場合は、そうでない場合よりも大げさに動作をするということを、京都大学霊長類研究所の研究チームが発見し、今日付で発行されるアメリカの科学誌に発表したということだ。これによって、「親が子に道具の使い方を教える」ことが、人間以外の動物で初めて確認されたと言えるらしい。これは『朝日新聞』の説明だが、『産経』の場合は「歯磨きを教える“しつけ”とも考えられる」と書いていて、微妙に表現が違う。私は、日本語の「しつけ」の意味は「礼儀作法などを身につけさせる」(『広辞苑』)ことだから、ちょっと意味がズレていると思う。『朝日』の表現だと、サルは「道具の使用」をするだけでなく、「道具の使用法の伝達」も行うというポイントがより明確だ。
 
 京大の霊長類研究所は、幸島のサルの“イモ洗い”を発見したことなどで有名だ。これは、「海水を道具に使って、イモの汚れを落とし、さらに塩味をつける行動をサルがしている」ということで、今回の発見は、そういう道具の使用法の伝達が、サルでは親から子へと意識的に行われていることの証拠となる。これがなぜ重要かというと、動物行動学の分野では、「道具を作る」ことや「道具を使う」ことは昔から人間だけがすると考えられていたし、ましてや「道具の使用法を教える」などという高度に文化的な行動を、人間以外の動物がするとは考えられていなかったからだろう。が、私の感想を言わせてもらえば、カラスだって木切れなどを道具に使うし、「教える」ということだったら、鳥も子に飛び方を教えるだろうし、猛獣は狩りの仕方を教えると思うのだが……。それともこれは“素人判断”なのか?
 
 谷口 雅宣

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2009年3月 4日

日本海裂頭条虫は絶滅か?

 最近は「腸内細菌」という言葉を広告などでもよく目にするから、微生物が人間の体内で“よい働き”をしていることは知られるようになった。私も毎朝、ヨーグルトを食べるようになって久しい。しかし、「寄生虫が体にいい」という話は聞いたことがなかった。そう言っているのは人間総合科学大学の藤田紘一郎教授で、“寄生虫博士”の異名をもつ人だ。藤田教授は、3月1日付の『日本経済新聞』に寄稿した記事で、「日本海裂頭(れっとう)条虫はヒトを終宿主にする寄生虫で、ヒトの体内でしか卵を産めないからヒトを大切にする」と書いている。また、1月26日の『産経新聞』では「寄生虫がいると花粉症などの過敏なアレルギー反応を抑える作用が期待できる」としている。で、この日本海裂頭条虫とは何かといえば、体長が10mにもなるあの「サナダムシ」のことなのだ。驚くのはそれだけでなく、藤田教授は2年前まで、サナダムシを自分の体内で飼っていたというのだ。

 何のためか!……というと、「寄生虫をはじめ細菌・ウイルスなどの微生物に対する日本人の間違った考えを是正したい思いがあったからだ。清潔志向に偏りすぎた現代日本人の生活と精神構造に、警鐘を鳴らす目的もあった」(『日経』)と同教授は言う。清潔志向の何がいけないかというと、人間の体内に棲む微生物は、太古の昔から“縄張り”である人間を守ることで人間と共存してきたのに、現代人はこれらの微生物を抗生物質や防腐剤、そして添加物の多い食品を摂取することで「ひたすら攻撃している」からという。同教授が特に問題にするのは、私が冒頭で書いた「腸内細菌」のことで、これらは100種類、100兆個も腸内にいて、我々の免疫力をつけ、ビタミンを合成しているのに、我々はそのことをあまり認めなかったからだ。が、まぁ最近は、腸内細菌については、だいぶ理解が進んでいるのではないか。
 
 ところが同教授が最近心配しているのは、サナダムシが日本からいなくなっていることだ。「それはいいことだ」と我々は考えがちだが、これは地球温暖化と関係している一大事らしい。それを説明するためには、サナダムシの壮大な一生を知らねばならない。この虫の幼虫は、体長2㎝前後のときは魚のサケの肉の中に潜んで日本海を回遊している。これを寿司などとして日本人が生で食べると、我々の体内に入る。人間の腸内では、彼らは1日に20㎝も伸びる。1カ月では6mになり、2カ月で10m前後になったところで成長が落ち着くという。彼らは雌雄同体なので“伴侶”を探す必要がまったくなく、どんどん産卵する。その量たるや1匹で1日200万個も産む。従来ならば、この卵は人糞と一緒に川に流れてミジンコの餌となり、その後は食物連鎖をたどってサケ類の体内に摂取される。ところが、衛生環境が整備されてくると、彼らの卵は川に出られずに死滅してしまうことになる。
 
 それでも藤田教授のところには、サナダムシ発見の知らせが全国から届いていたという。10年前までは毎月1回は連絡があったが、最近はほとんどない。同教授自身、サケを何匹も入手して、体内の幼虫を見つけると、それを飲んでいたそうだ。それが可能だったのは、日本海側の日本より北の国から来たサケ類のおかげだった、と同教授は考える。が、2007年2月以降、幼虫は見つからなくなったという。その理由は「温暖化でサケの産卵回遊に変化が生じた」からだ、と同教授は推測する。もちろん、外国での衛生環境の整備も関係しているだろうが、同教授は「サケの南下が少なくなるとサナダムシはミジンコから稚魚に移行できなくなる」と考えるのである。
 
 目に見えないほど小さいサナダムシの卵が毎朝、200万個もトイレに排出され、それが食物連鎖に乗って何千キロの距離を旅し、そのうちのたった数匹がやがて、どこかの国の人の体内に収まる。すると、待っていましたとばかりにスゴイ勢いで成長し、宿主の身長をはるかに超える大きさになって卵を産む。クリストファー・コロンブスも顔負けの、壮大な生き方ではないだろうか。が、やはり、私は腹の中で何mもの寄生虫を飼うのは勘弁してほしい。その代り、ヨーグルトやチーズ、納豆などをおいしくいただこうと思う、腸内細菌群に大いに感謝しながら……。
 
 谷口 雅宣

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2009年2月28日

花はただ与える

 昨日から今日にかけて、長崎・西海市の生長の家総本山で「代表者会議」というのが行われた。出席者は約780人で、日本国内はもちろん、ブラジル、アメリカ、ヨーロッパなど海外からも代表者が集まってくださった。会議では、4月から始まる新しい年度の運動方針について詳しい解説があり、質疑応答などが行われた。内容は、専門的になるので省略する。

Mtimg090227  昨日は宿舎で、空いた時間を使い、飾られている花のいくつかをスケッチした。花を見ていると、いろいろな思いが去来する。花は色と香りで虫を誘い、受粉してもらって実をつける。これはもちろん、子孫を殖やすための“戦略”でもあるのだろうが、その実は豊かな栄養を鳥や動物たちに提供する。そして、鳥や動物は食べた実に含まれる種を遠方に運んで、植物の繁殖の手助けをする。種が発芽し成長すれば、また美しい花が咲いて、昆虫や鳥がやってくる。そんな「ただ与える」生き方をする植物たちが、美しくないはずがないと思うのだ。
 
Flowers attract bugs to pollinate and bear fruits, which give nutrients to propagate seeds, which, then, sprout and grow to bloom. They just continue to give.

 谷口 雅宣
 

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2009年2月13日

生命は伸びる

 列島に春一番が吹き荒れた今日、妻がダイニング・テーブルの上に飾っていたフキノトウが伸びあがっているを見つけた。今月6日、東京・赤坂の末一稲荷神社で初午祭があったときに、境内に出ていた“芽”を何本もお土産にもらった。妻はそれを天婦羅と蕗味噌に加工し、残りの2~3本をガラス器に挿して飾っていたのだ。
 
Mtimg090213  フキノトウは食べるだけでなく、眺めていてもいい。生命力が旺盛だから、1週間やそこらは目に見えて伸び続ける。今では採ったときの倍ほどの高さに伸びて、両手足をひろげた子供のような恰好をしている。その成長ぶりを見ていると、子育て時代の記憶がよみがえってくる。
 
 そう言えば最近、庭を歩き回るノラネコたちの動きがとみに盛んだ。早歩きを急に止めたかと思うと、耳を立て、鼻で空気をさぐって、誰か相手を探す風情である。1匹が姿を消すと、次の1匹がどこからか現れる。彼らは、人間などまったく眼中にないようだ。また、池の中には、ヒキガエルが残した細長い寒天状の卵が、ヘビのように這っている。玄関脇のサザンカはピンクの花を盛り上げて、惜しげもなく花弁を周囲に振り落としている。スイセンも咲いたし、白玉ツバキも可憐な花をつけている。こうして、息苦しいほどに生命が動き出す季節を「春」という。人間だって進歩し、伸びるほかはないのだ。
 
 谷口 雅宣

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2009年2月 5日

百目鬼の伝説

 2月3日の本欄でハズカシイ動画を公開してしまったが、予想外の反響で恐れ入っている。読者からのコメントの中に、私が被ったお面について「鬼なのか? 日本の鬼なのか?」との質問があったので、きちんと調べてみた。このお面は、妻の誕生祝いに栃木県の信徒の方が送ってくださったもの。これを前回、「カンピョウの実で作った」などといい加減なことを言ったが、「カンピョウ」という植物は存在せず、正しくはユウガオの実をテープ状に細長くむいて乾燥させたものをカンピョウと呼ぶのだそうだ。カンピョウは栃木県の名産で、全国の生産量の9割を占めているという。

 鬼のお面は、このユウガオの実の外皮を乾燥させて作る。ちょうどヒョウタンを作るときMtimg090205 と同じように、果肉を取り除いて乾燥させたものを「ふくべ」と呼び、これを使った民芸品が「ふくべ細工」だ。ふくべ細工の歴史は古く、戦国時代には、茶道用の炭入れとして、また昭和30年頃まで一般庶民の間でも炭入れとして、日常的に使われていたという。現在は、宇都宮市内の職人により、炭入れ、花器、小物入れなどのほか、絵付けに凝った人形や魔除けの面が作られている。栃木県の伝統工芸品に指定されている。ふくべ細工のうち、宇都宮市に伝わる「百目鬼の伝説」をもとにして作られたお面を「百目鬼(どうめき)面」と呼び、魔除けとして使われたらしい。
  
 「百目鬼の伝説」とは、「藤原秀郷の鬼退治」とも言われ、近江において大ムカデを退治したという藤原秀郷(ひでさと)の英雄譚の1つである。彼が下野国(現在の宇都宮市)を通りかかった時、身の丈3メートルを超し、手に百も目がついている「百目鬼」が現れたので、秀郷は弓を引いて鬼の心臓を射抜いたところ、百目鬼は断末魔の力を振り絞って体から火を吹き、あたり一面が火の海になったという。すると、そこへ本願寺の智徳也上人がやってきて呪文を唱えたところ、鬼から燃え広がっていた炎は消え、黒焦げとなった人の姿が残っていたそうだ。ナムアミダブツ、ナムアミダブツ……。そして、その地を人々は「百目鬼」と呼ぶようになったのである。
 
 藤原秀郷は、平安中期の関東の武将で、平将門の乱(940年)で超人将門を討ったところから数々の英雄伝説が生まれた人物だ。大ムカデ退治の話も将門討伐と関係している。この大ムカデは三上山に巣くっていたが、秀郷はこれを退治したお礼に黄金の太刀と鎧をもらったうえ、これらを身につけて朝敵を討てば将軍になれると予言され、その予言通りに平将門軍を破ったという。
 
 昨今は“韓流”など、美しい柳のような男に人気があり、秀郷のような勇猛な武将はテンデ人気がないためか、ふくべ細工の百目鬼面もあまり買う人がいないそうだ。“韓流”に魔除けの必要がなければ、その北側に位置する国にも“魔除け”はいらない--そんな錯覚を抱く人も多いのだろう。そんな状況下では、節分に“鬼”が大暴れして見せるのは、ひょっとしていいことなのかもしれない。だから、日本人はハローウィンよりも、この節分の“鬼”を盛り立てていくのはどうだろうか?
 
 谷口 雅宣

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2009年2月 4日

牛は名前で呼ぼう

 ロンドンに住む生長の家の信徒、ジョン・フラッドさん(John Flood)から興味ある情報が舞い込んだ。乳牛についての研究結果で、「牛は名前で呼ぶ方が、そうでない場合より乳の出が多い」のだそうだ。ニューキャッスル大学の農業食糧地域開発学部(School of Agriculture, Food and Rural Development)がイギリス各地の農業者516人を対象にして行った研究で、人間と動物との関係を研究する専門誌『アンスロズース』(Anthrozoos)誌に発表された。

 それによると、牛に名前をつけて呼んでいる農家(46%)では、名前をつけていない54%の農家よりも1頭当たりの牛乳の収量が相当多いという。この研究の中心となったキャサリン・ダグラス博士(Catherine Douglas)に言わせると、その増加量は「250リットル」になり、平均的な大きさの牛では1日「2パイント」(1.14リットル)の増量になるらしい。同博士は、「この研究によって、牛に優しくて面倒見のいい多くの農家の人たちが昔から信じていたことが、証明された」という。さらに同博士は、「この研究で分かったことは、牛という動物は、複雑な感情を体験できる知性をもった存在だと、イギリスの農業者は大体において考えているということ。また、個々の牛をよく理解し、それぞれに名前をつけて呼ぶだけで、牛乳の生産量を相当増やすことができるということです」と言っている。
 
 ところで、なぜそうなるかという理由だが、BBCのニュースの説明では、名前をつけて飼われている牛は、飼い主から愛され、自分の価値を認められていると感じるから、そうでない牛よりもストレス・ホルモンであるコーチゾルの分泌が少ない。これによって安心して牛乳を生成することができる--というのである。このニュースに登場する牧畜家、デニス・ギッブ氏(Dennis Gibb)は、個々の牛を“個性をもった存在”として扱うことが非常に大切だと言い、自分の飼っている牛たちを「娘たち(girls)」とか「レディーたち(ladys)」と呼ぶだけでなく、個々の牛に「サラ」とか「ウェンディー」「ハイライト」などと名前をつけて呼んでいる。

 私にこの研究を教えてくれたフラッド氏は、「この話は、牛乳生産にとどまらず、あらゆる生物にとって調和が大切であることを教えてくれます。ロンドンの生長の家では、生長の家の哲学と環境を敬うことの大切さについて語ることが多いので、このニュースについて皆に伝えました」と報告してくださった。彼の妻であるソニアさんも、「このニュースを見たとき、これは生長の家の教えと同じことを言っていると思いました。つまり、“コトバの力=愛”ということです。こういう方法で、もしイギリス中の農家の人々や乳牛生産者が動物愛護を実践すれば、人工的な方法で、例えば、牛乳生産のためにだけに妊娠を強要したりする必要はなくなります」と感想を述べている。
 
 家畜と飼い主との心の交流については、日本でもいろいろ美しい話を聞くことがある。だから、今回の話にはそれほど驚かないが、科学的な研究成果としてイギリスで認められたということは評価したい。というのは、イギリスの人々は牛肉をたくさん消費するからだ。かつて狂牛病がイギリス全土に不安を引き起こしたことで、イギリスの食肉消費量は一時下がった。その後、また上向いているだろう。乳牛に愛を与える人は、肉牛にも愛を与えるに違いないから、肉食の減少に結びつくことを私は願っている。
 
 谷口 雅宣

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2009年1月11日

ジャガイモ2色

Mtimg090110  妻の実家からジャガイモが送られてきていたのを見て、その形と色に惹かれた。特に赤皮のジャガイモはあまり見たことがなかったので、「サツマイモみたいだなぁ~」などと思いながら絵に描いた。

 ものの本を調べてみると、ジャガイモは日本には明治以降、もっぱら欧米から導入されたものの、最初の栽培は西暦500年ころの中央アンデス中南部の高地だったという。ジャガイモの名称は、「ジャカトラ(現在のジャカルタ)港からオランダ船によって来たイモ」という説があり、これによるとわが国への伝来は江戸初期になるが、その頃の著作には名前が出て来ないらしい。栽培記録として最古のものは、宝永3(1706)年に北海道の瀬棚で植えたというものがあり、本州では明和年間(1764~72年)に甲斐(山梨県)の代官が栽培を奨励したというのがあるらしい。とにかく、寒冷地でもよく育つので、昔から食糧として世界中の人々から愛されてきたものだ。

 どこかにも書いたと思うが、妻はサツマイモ党であるのに対し、私はどちらかというとジャガイモ党だ。別にサツマイモが嫌いというのではないが、子供の頃から煮っ転がしやポテトサラダを食べていたからかもしれない。
 
 ところで、この赤皮の品種を特定しようと思ってネットで調べたが、写真を見てもなかなか分からない。赤い皮のジャガイモは珍しいと思っていたが、「ジャガイモ品種解説」のサイトを覗いたら、紅丸、ベニアカリ、花標津、スタールビー、レッドムーン、アイノアカなど、結構たくさんあることを知った。家にあるのは赤皮で黄肉だから「スタールビー」ではないかと思うが、自信がない。博学の読者からの御教示を待つ。
 
谷口 雅宣

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2008年12月21日

柿とハエ

 最近、自宅1階の北側のトイレの窓に、ハエが2匹いるのを見かける。正確に言うと、窓ガラスの内側に張った網戸にとまっているのだ。体長1センチほどで、イエバエやキンバエのように胴は丸くなく、全体がほっそりしているので、「スマートなハエだな」と何となく好感がもてる。冬のハエらしく、飛び回らないで静かにそこにいるだけである。トイレで見つける前に、実は居間にも数匹が飛んでいるのを妻が見つけ、「どうしてこんな所にいるの!」と言いながら追いかける姿を私は見ていた。だから、そのときのハエがトイレに避難してきたのだと解釈する。ハエは、「うるさい」という言葉の漢字表記に「五月蠅」を使うくらいだから、春は人間の迷惑になるが、静かにしていればどうということはない。それに、食堂や居間ではなく、トイレにいるのだから「所を得ている」ように思われ、そっと放置している。
 
 私がこの2匹のハエに妙な慈悲心を向けるのには、もう一つ理由がある。それは、わが家の軒先に下がっている干し柿と関係がある。この干し柿は、数カ月前、皮を剥いてまだ干してない“ナマ”の状態のものを信徒の人からいただき、それを干しているところだ。当初、美しい橙色をして丸かった実は、もうしぼんでシワも深くなり、黒っぽくなっている。つまり、干し柿は完成間近なのだ。が、送ってくださった人には申し訳ないのだが、吊るしている間にいくつかにカビが発生し、またハエが来てなめていた。それを見て私も妻も恐れをなしたが、まだ吊るしている。途中で投げ出したくないからだ。ハエが半ナマの柿にとまってしばらくたってから、家の中にハエがいくつか侵入したのである。わが家の窓にはすべて網戸がしてあるから、普通はハエは入らず、入っても1~2匹だから、すぐ追い出されるか退治される。が、侵入バエは少し小型で、なかなかつかまらない。私の想像は、侵入バエは柿から生まれた“柿太郎”ではないかというものだ。
 
 歌人の小池光さんが、今日の『日本経済新聞』に「蠅--立ち向かう世の悪意の象徴」という題で一文を書いている。その中で、ハエの“二面性”を鮮やかに対比しているのが面白い--①人間にとって撲滅するよりない運命を負わされている生き物の典型にして永遠の代表、②動物の遺骸をすみやかに処理、消滅せしめる……途方もない生命力、繁殖力そして飛行能力も、きわめて優秀な昆虫マシーン。私は、この中間の見方をすることもできると思うのだ。それは、一茶の「やれ打つな……」の句にあるような見方である。小池さんは歌人だから、もちろんそれを知っているのだが、あえて言葉にしないのだろう。
 
 8月11日の本欄でも触れたが、私は庭で生ゴミからコンポストを作っている関係から、ハエ(の幼虫)にはずいぶん世話になっている。そんなわけで、冬のハエからも静かに立ち去る気持になれるのかもしれない。因みに、「冬の蠅」は冬の季語である。
 
 少し動きおのれ確かむ冬の蠅 (川端麟太)
 冬の蠅網戸に映る柿黒し
 
 谷口 雅宣

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2008年12月12日

木魚文旦

 果物がおいしい季節である。8月22日の本欄でも触れたが、わが家は東京のド真ん中にありながら、案外多くの果物ができる。名前を挙げると--ビワ、イチジク、ブルーベリー、ミカン、ポンカン、ユズ、キーウィーというところだ。この中で今、食べられるのはミカンだが、今年はことのほか実のつき方がよかった。私はグレープフルーツの実がなっているところを見たことはないが、一説によると、この名の由来は、あの大きい実が、ブドウの房のように密集して生るところから来たという。今年の庭のミカンはちょうどそんな感じで、枝の先のところに密集して生った。ところが、同じ柑橘類でもユズとポンカンは、今年はすこぶる実の付きが悪いのである。果物は、豊作と不作の年が交互に来ると聞くが、それが理由かもしれない。

 生長の家の信徒の方からも、カキやリンゴなど、立派でおいしい果物をいただく。誠にありがたい。カキは、少し前、干し柿用に皮を剥いて、白いビニールの紐で結わいたものまでいただいた。それは今、軒先に吊るしてある。ところが、ちょうど季節外れに暖かい時期に吊るし始めたため、中身が固まらずに融け出したり、虫に食われるものが続出した。講習会で徳島へ行ったとき、「吊るした柿は家の中へ入れてはいけない」と言われたが、わが家では雨に濡れるのを恐れて、室内に入れたり出したりしていたら、一部カビが生えてしまった。なかなか難しいものである。

Mtimg081212  美しい果物を見ると、私は絵を描きたくなる。昨日の休日には、緑色のリンゴを描いた。今日は大きな黄色い柑橘類の実を描いた。恐らく文旦かと思うが、縦に潰れたような形が面白く、どこか木魚を思わせる。皮のフトンは厚く、中の実は濃いピンク色で、ルビーのグレープフルーツのようである。私は勝手に“木魚文旦”という名前をつけた。
 
 谷口 雅宣

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2008年12月 4日

都会の紅葉狩り

 今日は木曜日の休日だったので、母を誘って紅葉狩りへ行った。こう書くと、都心から郊Momiji081 外などへ出かけたように聞こえるかもしれないが、都心も都心、明治神宮外苑へ行っただけである。本欄にも書いたことがあるが、ここは私のジョギング・コースに入っているから、決して珍しい場所ではない。実際、2日の火曜日に、私はここを走った。が、今日は親孝行が目的だった。父が亡くなってから、母は原宿の家を離れることが少なくなった。しかし最近、「紅葉が見たい」との希望を漏らす余裕を見せてくれるようになったので、好天の休日を逃す手はないとの妻の提案を、私も二つ返事で受け入れたのである。

 3日前のジョギングの際、有名なイチョウ並木の下を、私は左右に体を跳ばせながら、Momiji082 かろうじて人にぶつからずに走れた。それほど多くの人々が各地からやってくる。観光バスも5~6台いたと思う。多くは中高年の女性だが、長いレンズ付きのカメラを提げた男性も、デート中の若い男女もいた。今日も同様の状況だった。人々は、黄金色の葉が散り敷いた並木道で目を輝かせてカメラを構え、また天の方向を仰ぎ見ている。鉛筆のように上端部を尖らせた銀杏の木々が、頭上に列を作って並んでいる。水平方向に目をやると、どこまでも続く金色のトンネルだ。私たちも人々の仲間に入り、何枚か写真を撮ってから、開いていた門を抜けて並木道から脇へ入った。
 
Momiji084  黄色一色のイチョウ並木とは異なり、ここは人通りも少なく、豊富な色が満ち溢れた空間だった。イチョウのほかケヤキ、カエデ、サクラ、クスノキ、スズカケなどが、それぞれの持ち味のある色を誇らしげに、惜しげもなく、空中に、地上にばら撒いている。私たちは、ここでしばらく時を過すことにした。その際に撮った写真を何枚かここに掲げよう。初冬でありながら、やさしく、豊かな秋をしみじみと感じたよい半日だった。

谷口 雅宣

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2008年11月22日

生長の家の秋季大祭が終わる

 21日から長崎県西海市の生長の家総本山で行われていた秋季大祭と記念式典が終った。21日の午前は「第28回龍宮住吉霊宮秋季大祭」が行われ、午後には「第31回龍宮住吉本宮秋季大祭」がしめやかに挙行された。この日は朝から小雨が降る寒い日で、霊宮前にはテントが張られていなかったから、参列者が濡れたり風邪をひかないか心配だった。が、御祭が始まる頃には青空が出て日も差す好天になったことは、誠にありがたかった。その後また天気は崩れたが、午後の本宮大祭は室内で行われたため問題はなかったようだ。両大祭において、私は斎主として祝詞を奏上し、宇宙浄化の祈りを唱え、玉串を奉げさせていただいた。同本山の菅原孝文総務によると、この日の参拝者は1,511人で、昨年より81人増えたということだ。

 22日は快晴の小春日和となり、午前には「谷口雅春大聖師御生誕日記念・生長の家総裁法燈継承日記念式典」が約1,600人の参列者を迎えて鎮護国家出龍宮顕斎殿で行われた。私はこの日も祝詞を奏上し、そのあと挨拶をした。予定より長く話してしまったので、後の進行に多少影響を与えたことが悔やまれる。式典では、去る10月28日に昇天された生長の家総裁、谷口清超先生へ感謝の思いを込めて、参列者全員が30秒間の黙祷を奉げた。その後は、例年通りのプログラムで進行した。重苦しい雰囲気にならないか心配だったが、参列者の多くは全国の幹部の方々であったためか、盛んに拍手が出る明るく、朗らかな式典になった。「生命は不滅」という参列者の信仰の強さが肌身で感じられる、よい式典だったと思う。
 
 私の挨拶については、後に『聖使命』などで報道されるだろう。少し込み入った内容の話をしたので、ここにはその概略を掲載しない。その代り、21日の午後に描いたスケッチをご披露しよう。紅葉が美しかったのである。旧オランダ村の入り口前のイタヤカエデはもちMtimg081121 ろん、総本山の前を走る道路沿いのナンキンハゼの葉は、黄色から赤に染まり、行く人の目を惹きつける。道路に新しく「脇見運転は危険」という意味の縦長の看板が立てられていたが、恐らく紅葉に見とれて事故を起こすなという意味だろう。
 
 私が描いたのは、そんな道路沿いの木々ではなく、公邸の庭から大村湾を挟んだ対岸に見える建物である。旧オランダ村の建物群の1つだが、まるでヨーロッパの城のようなたたずまいだった。周囲にはまだ緑の木々も多いのだが、その合間に紅葉や黄葉が点々と覗いているのが美しい。それを見ていると、思わず昔のGS時代の歌が唇を突いて出る……「森と泉に囲まれて、静かに眠る、ブルーブルー、ブルー・シャトウ……」。その城は青くはないから、私は密かに「シャトウ・ルージュ」と命名したのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月16日

人獣混合で問題は解決しない

 胚性幹細胞(ES細胞)と共に、人のあらゆる細胞や組織に変化する能力があるとされるiPS細胞(人工多能性幹細胞)の研究の成果が最近、矢継ぎ早に報道されている。が、その中で、倫理的に問題があると思われる種類の胚の研究についても、規制のタガが緩みつつあるように見えるのが気になる。人のES細胞を使う研究について、政府の総合科学技術会議の生命倫理専門調査会は、先月末、規制緩和の方針を決めた。(10月31日『朝日新聞』)これまでは「作成」と「使用」の双方について研究機関と国とで二重の審査が義務づけられていたものを、使用については審査を簡略化するか、国の審査を廃止して報告だけにするなどが考えられている。
 
 また、10月22日にイギリスの下院を通過した法律は、2001年に制定された細胞の核移植に関する法律やその他の生殖補助医療についての規制を塗り替え、同国の胚研究許可庁(Human Fertilisation and Embryology Authority, HFEA)が監督する研究の種類を従来よりかなり拡大することになった。この法律は今後、上院の承認を得て成立する見込みだ。10月31日付のアメリカの科学誌『サイエンス』が伝えている。

 それによると、今回解禁となる研究の中には、動物の除核卵細胞にヒトの細胞を混ぜる異種間の核移植が含まれている。科学者の中には、これによって人のES細胞を動物から得ることができると考えている人がいて、HEFAはすでに3つのライセンスをこの種の研究に認めているらしい。しかし、反対派の人々は、同庁にはそれを認める法的権限がないとして裁判を起こしている。今回の法律が成立すれば、この問題は規制緩和の方向に決着する。この法律はまた、ヒトと動物の遺伝子をもつ胚や、ヒトと動物の細胞が混合した胚を作成するための研究も認めているという。反対派は、この種の研究はヒトとサルが混合した“ヒューマンジー”を作ると非難しているが、法律は、ヒトと動物が混じった胚を2週間を超えて成長させることと、ヒトや動物の子宮に移植することを禁じているから、“ヒューマンジー”は生まれない、と賛成派は言う。

 この種の研究のメリットについて、専門家はこう語る--例えば、ヒトの精子とヒトの遺伝子をもつマウスの卵子を混合させれば、受精の過程を詳しく知ることができる。また、ヒトの精子の保存法や避妊薬の研究にも役立つという。が、法改正の主要な目的の1つは、どうやらES細胞の量産にあるようだ。
 
 私は本欄などを通じて、ES細胞の研究には一貫して反対してきた。理由は、それがヒトの受精卵を破壊して作るからである。宗教的には、受精卵の段階から人間の霊が関与して肉体の形成が始まっていると考えられる。それを他人の一存で、本来の目的である肉体の形成以外の用途に強引に利用しようとするのは倫理的でない。これに対して、未受精卵の核を除いたものに、体細胞の核を挿入することで受精卵と同等のもの(クローン胚)を作り出す方法がある。が、この場合も、胚が自律的に細胞分裂を行いながら肉体の形成を開始した時点で、霊魂の関与が始まったと考えられるから、それを他の目的に利用することは正しくない。今回“解禁”される研究では、動物の卵子の核を除いたものの中に人間の細胞の核移植を行うことで、人間の卵子を扱う際の様々な倫理的、社会的問題を回避しようとしているのだが、逆に動物と人間の遺伝子が混合する危険性を生んでいる。

 最近の分子生物学などの研究学で、人間と他の生物の遺伝子情報はよく似ていることが明らかになっている。が、どんなに似ているからといって、両者を混じり合わせることで何かの問題が解決するという発想に私は与しない。これは、遺伝子組み換え作物の問題でも言えることだ。人間を含めた生物は、「個体」として在る前に、現象的には何十万年もの進化の過程を経た生態系の一部として--つまり「種」として--存在する。それぞれの生物種は、生態系の中では別々の系として進化し、機能してきたものであり、他の系と混合することはあり得なかった。それを人間が強引に行うことで、自然界を“改善”したり“改良”することができると考えるのは、人間の思い上がりだろう。人間だけが、自然界から離れて生きていけると考える科学者が多いことを、私は不思議に思うのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年10月16日

カボチャをくり抜く

 今日は休日を利用して、カボチャをくり抜いた。例のハローウィンの飾りのためである。最近は、このアメリカ産の秋祭が日本の街にもすっかり定着した感がする。あちこちのショーウィンドーや花屋の店先に、黄色いカボチャが飾られている。私が子どもの頃は、ハローウィンが何であるかを知る人は少なく、知っている人間は、こっそり“舶来製品”を身につけているような、何か妙な特権意識をもっていたものである。

 私がハローウィンのことを初めて知ったのは、恐らく中学の2~3年(15歳)の頃だ。それは、淡い初恋の思い出と重なっている。当時、私が通っていた青山学院中等部では毎年、英語のスピーチコンテストをやっていて、私はそれに出場したことがある。その頃、東京・渋谷の宮益坂に英会話学校があり、私は両親に勧められてそこで英会話を勉強していた。そんな関係で、英語を話すことは苦手でなかったようだ。そのスピーチコンテストに1学年下の部で出場した女の子に、私は好意を寄せていた。その子は、アメリカに短期留学したか、あるいはホームステイをした時のことをコンテストで話し、そこにハローウィンが出てきたのだった。子供たちが仮装をして近所の家を回り、「Trick or treat!」(ごちそうくれなきゃイタズラするゾ!)と言う様子を彼女が楽しげに話したのを、私はドキドキしながら聞いていた。

 ハローウィンの由来については、2005年10月27日の本欄に書いたので繰り返さないが、起源は古代ケルト人のサムハイン(Samhain)祭と言われる。死の神であるサムハインを讃え、新しい年の到来と冬を迎えるための祭で、10月31日の夜には死者の魂が家に帰ると信じられたらしい。今日の日本ではそんなことは問題とされず、2月のバレンタイン・デーに次ぐ商業主義的西洋祭となっている。
 
Mtimg081016  子どもがまだ小さい頃は、私はサッカーボール大の大きな黄色カボチャをくり抜いたものだが、それを面白がってくれる人はもう妻だけになった。そこで今日は、夫婦で渋谷へ買い物に行ったついでに、花屋で売っていた直径9センチほどの黄色カボチャを2個買った。そして、“笑顔”と“怒り顔”の夫婦カボチャに仕立ててみた。作ってみて、気がついた。カボチャを人の顔の形にくり抜くという行動は、対称性論理にもとづいている。生物学的には全く異なる「人間」と「カボチャの実」という2つのものが、これによって対称性を獲得して“似たもの同士”となる。我々夫婦は、これからしばらくの間、このいずれかのカボチャに自分を同一化して生きることになるだろう。

 もう一つ気がついたことは、サムハイン祭も対称性論理にもとづいているということだ。毎年“あの世”から“この世”へ死者の魂が帰ることを宗教行事とすれば、生者と死者は、いくばくかの対称性を獲得する。日本の“お盆”の習慣とも似ているようだ。
 
 谷口 雅宣

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2008年10月 9日

イモムシからサナギに

 9月25日の本欄では、庭で見つけたスズメガの幼虫を絵封筒に描いたものを紹介した。この虫たちが、いよいよサナギになった。1匹は数日前から焦げ茶色の完全なサナギになっているが、残りの1匹はまだ黄緑色の体のままで、触れると少しだけ反応する。2匹とも、イモムシの状態のときは十数センチあった体長が、半分に縮んでしまった。

 ものの本によると、チョウやガの仲間である鱗翅目の多くは、イモムシがサナギになる段階で地中にもぐり、液体を口から出して土の粒子を接着・固化し、土中の部屋に壁をつくるという。そのためだろうか、サナギの表面の色は土色に近い。私は昔、冬季にクチナシか何かの下の土を掘ったときに、ガの一種であるオオスカシバらしきもののサナギを偶然、掘り出したことがある。で、その濃いアズキ色の体をつまむと突然、尻の先端をヒョコヒョコと振ったので、驚いて放したことを覚えている。あまりいい気持の記憶ではない。

 昆虫の多くは、卵→幼虫→サナギ→成虫、の段階を経る。これを「完全変態」というが、カマキリやゴキブリのようにサナギの段階を通らない「不完全変態」もある。完全変態をする昆虫は、幼虫と成虫の形態は劇的に異なり、両者が棲む場所も生活法も大きく変化することが多い。人間は変態しないことになっているが、人生上の劇的な変化をこの完全変態に喩えて、「あの人はサナギから脱皮した」などと言うことがある。「ひと皮むける」というのは、それほどの変化ではない時の表現だろう。生長の家の聖経『甘露の法雨』では、「死ぬこと」をサナギからの脱皮に喩えていることは、読者もご存じのとおりだ。霊魂の肉体からの脱出は、それほど劇的な変化だということである。

Mtimg081009  2匹の現在の状態を絵に描いた。彼らはこれから、アズキ色のサナギの姿で冬を越すのだろう。成虫となって出てくる姿はあまり見たいとは思わないので、時期を見て土に埋めてやるつもりである。

 谷口 雅宣

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2008年10月 6日

対称と非対称 (5)

 今日(6日)の『朝日新聞』紙上で、哲学者の梅原猛氏と分子生物学者、福岡伸一氏の対談を興味深く呼んだ。梅原氏は、「人間は自然の一員として生きている」という世界観が日本の“基層文化”である縄文文化からアイヌ社会へと引き継がれ、それがさらに鎌倉仏教の天台本覚論の思想にも流れていると言っている。天台本覚論とは「草木国土悉皆成仏」の思想で、「万物が仏性を持っていて、仏になれる」という考え方だ、と梅原氏は言う。生長の家では、この言葉を「仏になれる」ではなく「成れる仏である」と解釈するが、いずれにしてもこの思想は人間中心主義とは異質な考え方で、インド仏教にはない日本仏教独自の思想だという。

 しかし梅原氏は、こういう一種の“自然中心主義”の考えは、日本独自のものではなく、古代エジプトなどの「かつて人類に共通していた文化、思想的伝統」であり、それが日本に残ったものとしてとらえている。私は、この考え方に賛成である。自然と人間との一体感を大切にする文化は、昔から日本以外にも存在していたことは明らかだからだ。それは、古くは後期旧石器時代にヨーロッパの洞窟で描かれた動物や人の絵に始まり、ヒンズー教や仏教における輪廻の思想の中にある。また、ケルト文化やドイツ神秘主義のマイスター・エックハルト、カトリック大司教だったニコラウス・クザーヌス、17世紀の啓蒙主義哲学者、バルフ・スピノザなどの思想の中にも、「神は自然の中に内在する」という考え方がある。さらにまた、南北アメリカやオーストラリアの原住民らも同様の思想をもっていたし、アメリカ人ではソローやエマーソンの哲学にも自然を愛する考えは顕著に表れている。

 私は、このような事実から、自然中心主義の起源を地球上の一定の「地域」とか「民族」に対応させる考え方には、説得力も魅力も感じない。「東洋人」や「日本人」だけが自然との一体感を有し、「西洋人」や「欧米人」は自然との一体感を感じないなどという理論は、事実からほど遠いだけでなく、一種の人種的偏見だろう。それよりも、マテ=ブランコや中沢新一氏が捉えたように、人間なら誰もがもつ潜在意識の中に「対称性論理」が宿っていて、そういう“深い心”が自分を自然の一部としてとらえ、自然の中で充足する心を発現するのだと考える方が事実に則していて、説得力があり、したがって魅力的である。
 
 対称性論理と関係が深いと思われるものに「罪」と「罰」の概念がある。我々人間は、何か不幸なことに遭遇すると、それは自分が間違ったことをした結果だと考えがちである。この考えには、何か明らかな具体的失策があって、それが原因でかくかくしかじかのことが起こり、最終的に自分にふりかかる不幸となった……などという論理性があるのではなく、自分がある日、腹痛になったら、自分が何か悪いことをしたからだと“直感”するのである。食べたものが中国製のギョーザであり、その中に毒物が混入していたために腹をこわしたとしても、「中国製の食品を食べた自分が悪い」などと思うのである。論理的に考えれば、この場合の“悪者”は、ギョーザに毒物を混入させた中国人の誰かであることは疑いがない。その人が加害者であり、自分は被害者であることは明らかだ。しかし、被害に遭ったのは自分のせいだ、と考えがちである。
 
 これがどうして対称性論理か? それは、「誰かが自分に対して悪いことをした」ということを、潜在意識では「自分が誰かに対して悪いことをした」と置き換えて考えるからである。この場合、「誰か」と「自分」は別だと考えるのが非対称性論理であり、通常の理性的判断である。しかし、我々の潜在意識の中には同時に対称性論理が働いているから、そこでは「誰か」と「自分」とが同一のものとして捉えられる。そして、人間の心はマテ=ブランコがいう“二重論理構造”(bi-logical structure)をもっているから、腹痛を起こした本人は、覚めた意識では「毒物を入れた中国人が悪い」と思いながらも、心のどこかで「それを食べた自分も悪い」などと考えるのである。
 
「罪」と「罰」は宗教上の概念でもある。神を信じる人々は、昔から自分たちの不幸の原因を創造主である「神」に帰することはなく、自分たちに原因があると考えた。自分たちに罪があるから、その結果として神が罰を自分たちに下される--こういう考え方は、『創世記』の“禁断の木の実”の昔から現代にいたるまで続いている。それは「真理」というよりは、対称性論理で動く我々の潜在意識の創作なのである。

 谷口 雅宣

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2008年10月 3日

対称と非対称 (4)

 前回、この題で書いてから10日ほどたってしまったが、その時に立ち戻れば、私は対称性論理(対称的関係)について、それは無意識の領域だけでなく、神話や宗教の教えの中にも多く含まれることを、例を挙げて示していたところだった。対称性論理を例示すれば、それは「Aは非Aではない」というように物事を截然と切り分けずに、「A」と「非A」の間に、別の「X」という共通点を見出し、それに注目して「Aは非Aでもある」と考える論理である。簡単な例を示せば、「日本人も中国人も同じ東洋人だ」などと考えることだ。これに対し、「日本人と中国人はものの考え方がまったく違う」などと考えるのが非対称性の論理である。

 私は、この例に限定しない一般論として、いずれの考え方も必要だと思う。なぜなら、どちらの考え方もそれなりに正しいからだ。双方がそろって、初めて正解と言えるだろう。だから、どちらか一方を選ばねばならないと考えるのは、間違いだ。ただし、それぞれの論理の適用場所を誤ると、現実社会においては大事に至ることがある点に留意しなければならない。例えば、「日本人も中国人も同じ東洋人だからパスポートなどいらない」と考えて成田空港へ行ったり、その逆に「日本人と中国人はまったく別だから、目を合わせてもいけない」などと考えて国際スポーツ競技に参加すれば、問題が起こることは容易に想像できる。

 クマと人間との関係にも、このことは言える。クマは人間にとって“敵”であることもあれMtimg081003 ば、“仲間”であることもあるのである。地球温暖化を警告するのに、融けかけた氷原を行くホッキョクグマの写真が使われることがある。また最近、このクマは絶滅危惧種に指定された。これらの事実は、外見は大いに違う人間とホッキョクグマの間に共通点を見出し、それに注目して「人間も彼らと同類だ」あるいは「彼らも人間と同類だ」と考える対称性論理にもとづいている。これに対し、山菜採りやキノコ採りの際、鈴やラジオを腰に下げて山へ入るのは、「彼らは人間とは異質だ」という非対称性論理にもとづく行動である。このどちらの論理も人間にとって必要だ、と私は思う。そして、普通の人間は双方を同時並行的に使って生きている。このことを、マテ=ブランコは「二重論理」(bi-logic)と呼んだのだろう。

 ブタやウシなどの家畜の場合は、この関係が怪しくなる。私は、先進国の都会に住むほとんどの人間は、これらの家畜に対して非対称性論理のみを使っていると考える。その意味は、「ブタやウシは人間とは異質だ」という考えを徹底させて生きているということだ。彼らは、動物性蛋白質の摂取源としてしか見られていない。現代の食肉産業には、彼らも我々と同じ生き物であり、喜怒哀楽の感情を抱くという事実を無視するための配慮が随所に施されている。まず屠殺場が、一般人から隔離されている。そこへ送られる家畜たちが、どのような反応をするかは隠されている。食肉工場での解体作業も、一般社会から隔離されている。もちろん労働者は一般人であるが、そこでの解体作業は、機械的な流れ作業の中で、喜怒哀楽を感じることのないように整然と行われねばならない。

 こうしてできた肉製品は、ハム、ソーセージ、ハンバーグ、ミートボールのように、できるだけ原形を残さないように加工される。そして、ワックスで光る果物や、泥の痕跡がまるでない野菜と同じ店で売られている。我々の子供たちには、まさにそういう肉製品が与えられるから、彼らは家で飼っているイヌやネコと変わらない哺乳動物を、毎日殺して食べていることなど知らずに育つのだ。このような社会のシステムは、人間として生きるのに必要な「対称性論理」を身につける機会を、子供たちから奪ってきた、と私は考えるのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年9月29日

環境と「環世界」 (2)

 27日の本欄では、動物学者のユクスキュルが提案した「環世界」の考え方を概説した。が、彼が書いた『生物から見た世界』の面白さは、そういう観点だけでなく、動物たちが実際にどのような世界を感じているかを描いた部分にある。例えば、「ダニの環世界」を描いた文章は、我々の目を開かせてくれる。
 
 ダニは、哺乳動物の血液を吸うことで子孫を殖やすことはよく知られている。が、そのダニが哺乳動物の血液にありつく方法については、それほど知られていない。ユクスキュルによると、彼らは、木の繁みの中に隠れていて、その下を通過する動物の上に飛び降りるか、繁みが動物に触れることができれば、目的を達成できるのである。普通、何かの上に飛び降りるためには、飛び降りる側に目がなくてはならないが、ダニには視覚がないし、聴覚もない。ということは、動物が近づいて来ても見えないし、その音も聞こえない。その代り、動物の皮膚から漂ってくる汗の成分である「酪酸」をダニの嗅覚が感知して行動を起こす。

 その行動ぶりを、日高敏隆氏は次のように描いている--
 
 「運がよければ、ダニはそのけものの上に落ち、皮膚の温かさでそのことを知る。そしてなるべく毛のない場所をみつけ、皮膚に食いこむ。そしてダニはけものの温かい血液をたっぷり飲みこみ、卵を産む。ダニの一生はこれで終わる。ダニには味覚もないので、けものの血液の味はわからない。血の温かさだけがその印なのだ。(中略)茂みの枝から手を放したダニが、うまくけものの上へ落ちなかったとき、ダニはまわりの冷たさでそのことを知り、多大の努力をしてもとの茂みの枝へ這いあがる。そして、またじっと、けものの匂いを待つのである」。(岩波文庫編集部編『読書のすすめ』第12集、p.31)

 ダニは、動物の通過をどれだけ待つか……というユクスキュルの話も、人を驚かせる--
 
 「ダニのとまっている枝の下を哺乳類が通りかかるという幸運な偶然がめったにないことはいうまでもない。茂みで待ち伏せるダニの数がどんなに多くても、この不利益を十分埋め合わせて種の存続を確保することはできない。ダニが獲物に偶然出合う確率を高めるには、食物なしで長期間生きられる能力もそなえていなければならない。もちろんダニのこの能力は抜群である。ロストックの動物学研究所では、それまですでに18年間絶食をしているダニが生きたまま保存されていた。ダニはわれわれ人間には不可能な18年という歳月を待つことができる」。(『生物から見た世界』、p.23)
 
 このような記述から分かることは、ダニの環世界は、我々人間の知っている世界とまったく異なるということである。ここで注目すべきことは、ダニの世界には光も色も音もないというだけでなく、時間の感覚も、我々人間の環世界とは相当異なるということである。ユクスキュルはこのことを、次のように表現している--
 
「時間はあらゆる出来事を枠内に入れてしまうので、出来事の内容がさまざまに変わるのに対して、時間こそは客観的に固定したものであるかのように見える。だがいまやわれわれは、主体がその環世界の時間を支配していることを見るのである。これまでは、時間なしに生きている主体はありえないと言われてきたが、いまや生きた主体なしに時間はありえないと言わねばならないだろう」。(前掲書、p. 24)

 賢明な読者は、ここで聖経『甘露の法雨』の一節を思い出されるだろう--
 
 生命は時間の尺度のうちにあらず、
 老朽の尺度のうちにあらず、
 却って時間は生命の掌中にあり、
 これを握れば一点となり、
 これを開けば無窮となる。
 
 谷口 雅宣

【参考文献】
○岩波文庫編集部編『読書のすすめ』第12集(岩波書店、2008年)

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2008年9月27日

環境と「環世界」

 本欄ではかつて「“百万の鏡”が映すもの」と題して5回にわたって現象顕現の法則について書いた。現象顕現の法則とは、一見“客観的”に存在していると思われる私たちの周りの世界(外界)は、実はそれぞれの人の“心の反映”としてある--という原則のことである。聖経『甘露の法雨』では、このことを「感覚は信念の影を見るにすぎず」などと表現している。仏教的には、「三界唯心」「唯心所現」などと言われる。この原則を言い換えれば、人間は人間の感覚でつくった世界に住み、動物や植物は、それぞれのもつ感覚に相応した世界に棲むということになる。しかし、自然科学の分野では、そういう考え方をせずに、私たちの外側には自然法則に支配された客観的で堅固な世界(外界)が存在しており、その中に個々の生物が棲んでいる、と考えることが多い。
 
 そう思っていたところ、生物学者の中には「唯心所現」に近い考え方をもつ人もいることを知った。この人は、エストニア出身のヤーコブ・フォン・ユクスキュル(Jakob von Uexkull, 1864~1944)で、ドイツで動物学や動物比較生理学の研究をして「環世界」(Umwelt)という考え方を打ち出した人だ。ユクスキュルの『生物から見た世界』(岩波文庫、2005年)を翻訳した動物行動学者の日高敏隆氏によると、この「Umwelt」というドイツ語は、もともと客観的な「環境」のことを意味していて「Umweltprobleme」といえば「環境問題」のことだという。ところが、このドイツ語はドイツで発祥したオリジナルな言葉ではなく、デンマークの詩人による1800年あたりの造語であるというから、「環境」という考え方自体が世界的に新しいものであることが分かる。なお、「環境」を意味する英語は「environment」、フランス語は「milieu」であるが、ユクスキュルのいう「Umwelt」に相当する英語は存在しないという。したがって、日高氏は「環世界」という言葉を造語して、この本の中で使っている。

 では「環境」と「環世界」とはどう違うのか? 前者は、冒頭で述べたように、自然法則に支配された客観的な世界である。ここで「客観的」という意味は、人間ならば誰でもそう感じるという意味より、もっと広い意味での「客観的」である。つまり、「どんな生物にとっても等しく感じられる世界」を仮定しているのである。しかし、この仮定が成り立つ根拠はきわめてあやふやだと言わねばならない。もちろん、人間ならば誰でも(色弱、色盲の人を除いて)「空は空色である」ことに同意するだろう。が、ほとんどの動物は人間とは異なる色覚をもっているか、あるいは色覚などもっていないので、空を空色とは感じない。また、雲を「白」や「灰色」とは感じないし、植物の葉は「緑」ではないし、「赤いバラ」も「黄色いキク」も存在しない。その場合、広義の意味での「客観性」という概念そのものの根拠が薄弱となる。その代り、各生物が種それぞれに様相の異なる世界を感覚していて、その感覚したものを自分の外側に「存在」として感じている--という事態が想定される。この事態を分かりやすいイメージとして描けば、それはちょうど、各生物が自分の周りをシャボン玉のような不可視の“膜”で覆っているような状態である。それは、自分の周りを“環”のように包み込む世界だから、「環世界」と呼べるのである。
 
 日高氏は、この2つの概念の違いを、こう述べている--
 
「客観的に記述されうる環境(中略)というものはあるかもしれないが、その中にいるそれぞれの主体にとってみれば、そこに“現実に”存在しているのは、その主体が主観的につくりあげた世界なのであり、客観的な“環境”ではないのである。(中略)それぞれの主体が環境の中の諸物に意味を与えて構築している世界のことを、ユクスキュルは Umwelt と呼んだ。それは客観的な“環境(Umgebung)”とはまったく異なるものである」(同書、pp. 163-164)。
 
 ユクスキュルは、こういう考え方にもとづいて、人間以外の生物の感覚に肉薄して、生物の環世界を人間に理解できるように再構成しようとした稀有な学者である。私は、『心でつくる世界』(1997年)などの中で、ユクスキュルと同様の考え方を生長の家が主張しているだけでなく、それと同じものが仏教にもあることを指摘した。しかし、そこからさらに一歩進んで、別種の生物の感覚を理解しようなどとは考えなかった。なぜなら、そんなことは不可能だと思ったからである。が、その不可能に挑戦して、別種の生物の感覚を我々人間の理解に近づけようと努力した生物学者がいたという事実は、驚きだった。

 谷口 雅宣

【参考文献】
○ユクスキュル/クリサート著、日高敏隆・羽田節子訳『生物から見た世界』(岩波文庫、2005年)

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2008年9月25日

絵封筒を描く

 今日は、休日を利用して知人宛に絵封筒を描いた。以下に、その文面を掲げる--
 
「最近、絵封筒に描いたようなものと“同居”を始めました。妻が、ミニトマトの葉をよく食べているのを見つけて捕獲した虫ですが、絵より一回り小さいサイズのものが2匹もいます。これらを殺すのはしのびないし、はたまた放置しておけば飢え死にするのでかわいそうだし……ということで、花や実をつけていないミニトマトの枝を探して、毎日与えることになりました。
 
 図鑑を調べてみるとスズメガの幼虫のようですが、これがサナギになるとドス黒くなるものもあるらしく、今から心配しています。形がいかにもグロテスクだからです。この幼虫は、しかし腹の横の濃紺と黄色の線が美しく、私を絵を描く気にさせました。それともう一つ気がついたのは、ミニトマトの茎や葉が強い芳香を発することでした。この虫も、それを腹一杯食べるので同じ匂いを発します。
 
 トマトの葉が枯れれば、いよいよ秋は本番です。」
 
 谷口 雅宣

 Efuto080925

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2008年9月21日

イオマンテを考える

 北海道の旭川市で行われた生長の家講習会からの帰途、この文章を書き始めている。私はかつて本欄(2005年3月27日5月21日)で、北海道のアイヌの儀式である「イオマンテ」について触れたことがある。この儀式は、アイヌの村で飼っていたヒグマの子が成長すると“神”として森に送り返すものだ。こう書くと聞こえがいいが、別の表現を使えば、これは「山から生け捕りにしてきた子グマを育て、1~2年後に殺して食べるときの祭」なのである。村民は子グマを取り囲んで矢を放ち、2本の丸太で首を挟んで息の根を止める。「残酷だ」という理由で今ではほとんど行われなくなっているらしい。

 しかし、アイヌの信仰では、ヒグマはもともと山の神であるから、人間社会の中にいつまでも留めておくことはできない。それを一時村で育てた後は、本来の場所へ返さねばならない。その際、肉体から魂を分離させて、前者からは毛皮や肉などの恵みをいただく代りに、後者は“神”として尊敬申し上げ、厳かな儀式の中で送り出すことが必要なのだ。アイヌの伝統的自然観では、「自然は生命の連続であり、そのことを感じ、恐れ、感謝しながら、すべての生物を同僚とし、背後の命の流れを神として生きる」--こういう自然との一体感と信仰は、まさにマテ=ブランコのいう「対称的関係」の自覚である。

 この儀式は、本当に非難すべきものだろうか? 「毛皮と肉が必要ならば、単に殺してそれをもらえばいい」という考え方が、成り立つかもしれない。しかし、この考え方こそ、人間とクマとを「非対称的関係」として捉えるものなのだ。我々の覚醒時の論理的認識は、人間とクマとを“別物”として捉える。したがって、人間の利益とクマの利益は必ずしも一致しない。だから、人間がクマを殺して毛皮と肉を得ることは場合によっては必要である。それができるのは、人間がクマより優れているからだ。優れているものは、劣っているものを尊敬する必要はないし、ましてや“神”として扱うことは無意味である。だから、イオマンテの儀式は不要である。

 これは確かに“理性的”な考え方かもしれないが、マテ=ブランコが指摘しているように、人間は醒めた意識による理性的判断だけをしているのではなく、無意識中で顕著に働く“感情”を備えている。そして、このもう一方の人間的側面において、我々はクマに対して感情移入するのである。「残酷だ」という感情が生まれるのは、その証拠である。つまり、人間はクマを自分と同じ生き物として捉え、クマの身になって考えることができる。クマは人間と同じように、親を必要とし、食べ物を与えれば喜び、喜怒哀楽を表現し、恐怖や苦痛を感じるのである。このようにして、クマと人間を“対等”のものとして感じることが「対称的関係」である。そういう感じ方を我々の心は本来もっているのだが、それを抑圧して“理性的”にのみ考え行動することは、言葉の本来の意味からして「人間らしい」とは言えない。
 
 先に私は、我々の無意識は「非対称的関係を対称的関係として取り扱う」ことを述べた。すると、アイヌのイオマンテの儀式は、この無意識の働きを宗教的行事として結実した貴重な文化遺産だと見ることができるだろう。
 
 谷口 雅宣

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2008年9月 4日

黒ハトと灰ハト

 休日に横浜へ行った。天気が好かったのが幸いし、暑い中でも秋の気配が感じられるひと時をもてたことは、ありがたかった。
 
 ところで、泊まったホテルのバルコニーに出ていたら、ハトが飛んできて妙に馴れ馴れしいのである。何かを要求するような顔で私に近づいてくる。私は鳥は嫌いではないが、“初対面”の鳥が、しかもネコほどの大きさのものが無造作に近づいてくるのには慣れていない。妻は、鳥インフルエンザを警戒して部屋の中へ入ってしまったが、私はこの貴重な機会を生かして“都会の鳥”とのコミュニケーションを試みようとした。
 
 よく見ると、この鳥の足には指がないのである。人間でいうと、足首から先が潰れて丸くなっている。自動車事故かネコの襲撃によるものかと思い、かわいそうになった。が、“本人”は結構元気で、バルコニー下端の平らなコンクリートの上を軽々と歩いているのだった。が、そこへもう1羽のハトが飛んできて、いきなり“戦い”が始まった。何を争うのか私は検討もつかなかったが、弱そうに見えた足の潰れたハトは、反撃して襲撃者を追い返した。私は、その様子をカメラで捉えることができたので、ここにご披露する。

 近くに巣でもあったのだろうか。“平和の象徴”のハトも、戦うときには戦うものだと思った。

 谷口 雅宣

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2008年9月 1日

新世代のバイオ燃料に期待

 バイオエタノールなどのバイオ燃料については本欄でもたびたび言及してきたが、最近の研究で有望なものがあるので、読者に紹介しよう。これは昨日、北海道の滝川市で行われた生長の家講習会で、「日本のCO2排出量は世界の5%程度だから、日本人が排出削減に努力してもあまり意味がない」という内容の質問があった際、それを反駁するために紹介した情報でもある。また、北海道大学での研究成果だというので、北海道の人たちにもっと勇気と希望をもってもらいたかったのである。簡単に言ってしまえば、北海道の原野に沢山生えているススキの1種「ジャイアント・ミスカンサス」(GM)が新世代のバイオエタノールの原料としてかなり有望だということである。8月27日の『朝日新聞』夕刊が伝えている。
 
 それによると、北海道大学はアメリカのイリノイ大学などと共同で、このGMをエタノールの原料とする研究をしているという。GMは、日本のススキと、その仲間のオギとの交雑種で、種子を作らずに株で殖える。これを戦前、ヨーロッパの収集家が観賞用として持ち帰り、それがアメリカへ渡ったものを、イリノイ大学は10年ほど前から栽培しているという。その特徴は収量が多いことと、やせた土地でも育つこと。トウモロコシの収量が1ヘクタール当たり約18トンであるのに対し、GMは約30トンという。このバイオマスとしての大きさを燃料に利用できれば、ススキは栽培に手がかからず、生態系の多様性の維持にも役立つから、現在、アメリカで主流となっているトウモロコシを原料としたバイオエタノールより、ずっと有効な原料になりえるというのである。

 ただ、北海道の原野に生えているGMを抜いてくればそれでいい、というわけでもないようだ。研究に携わっている北大の山田敏彦教授によると、今後、ススキ草原の物質循環や開花時期などを解明し、品種改良のために日本各地のススキとオギとを採集するところから始めるらしい。耕作に適していない土地でも、また寒冷地でも育てられる品種を開発するためである。

 私は、この記事を読んでから講習会で講話をし、そこで「世界の5%を減らしても意味がない」という意見を聞いたのだった。そして、日本の技術力が世界中のCO2排出削減に役立つことを考えたら、「5%」どころか「50%」の削減も日本によって可能だと話した。これは単なる空想ではなく、トヨタやホンダが開発したハイブリッドの技術によって、自動車の燃費は実際に50%向上したからだ。また、技術というものは、基本が確立すれば、その上に加速度的に進歩が起こることは、コンピューターの高速化や小型化のことを思えば明らかである。
 
 そんなことを考えながら、私と妻は講習会終了後、車の後部座席で疲れを癒しながら、滝川市から千歳空港まで、北海道内陸部を南下したのである。すると、道路の脇や、黄色く染まった田圃や、広大なトウモコロシ畑の合間に、ススキのような穂をピンと上に立てた、元気のいい植物が案外多く生えていることに気がついた。それがGMであるかどうか、私には分からない。しかし、そういう作物と競合しない草本が燃料になるのだとしたら、その技術の開発を待望せずにはいられないのである。
 
 谷口 雅宣
 

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2008年8月22日

生物多様性に注目 (2)

 宇治の大祭からもどってきたとたんに、東京地方は涼しくなった。昨日は休日だったおかげで1日ゆっくりできたが、夕方、食事をしに妻と渋谷へ出かけようとしていたら、雷が鳴りはじめ、稲妻がまぶしく閃いて、勢いよく雨が降り出した。夕方のスコールだからそのうち上がると思い、家の中で小一時間待ってみたが、なかなか上がらない。そこで2人は、傘をしっかり握りながら出発した。夕食が終わったら、幸い雨は上がっていた。が、その代わり寒いほどの涼しさだった。ポロシャツ1枚しか着ていなかった私は、体温を逃がさぬよう両腕を胸の前に組んで歩いた。その日の夜は、久し振りに布団を掛けて眠ることができた。
 
 17日の本欄で「生物多様性」について書いたら、ムカデやスズメバチがいる中で暮らしてKemumpus いる読者から、「人間の都合と生物の凌ぎ合いは、なかなか一筋縄ではいかない」とのコメントをいただいた。その通りだと思う。実は昨日、私もそれを実感する経験をした。毎朝の日課である生ゴミの処理のため、庭のコンポストへ行った私は、その近くに立っている若いクヌギの木を見て驚いた。若緑の葉が繁る枝の上を、体長20センチほどの濃紅色の体をくねらせた毛虫が、いっぱい這っているのである(=写真)。数を正確に数えなかったが、20匹以上はいた。体一面に生えたその灰色の毛の長さが、いかにも毒々しく見える。私は一瞬途方に暮れたのである。

 わが家の庭には、クヌギの木はこれ1本しかない。そう断言できるのは、この木は私が「実」の段階で植えたものだからだ。子供たちがまだ小さい頃、神奈川県か東京の三多摩地区の自然公園に行った際、そこに落ちていたクヌギの実を拾って植木鉢に植えた。それが成長して、今や2メートルを超える高さに育った。そんな思い出のある木を、醜い姿の毛虫が寄ってたかってイジメテいる--そう考えると、「生物多様性」を喜ぶ気持などどこかへ行ってしまうのである。それで結局、こう考えた。毛虫が死ぬことでその親であるガが死滅することはないだろう。しかし、ここに1本しかないクヌギの葉が全部食われてしまえば、クヌギはこの地から消滅する。したがって、毛虫を殺すことは生物多様性を傷めることではなく、守ることである。一応こう考えたが、この論理が本当に正しいかどうか、私は分からない。それよりも、毛虫に対する自分の嫌悪感が先に立ち、論理は後からついて来たのかもしれない。
 
 クヌギについた毛虫たちは、こうして殺虫剤の攻撃を受けることになる。1~2匹ぐらい残しておこうかとも思ったが、クヌギの葉はすでに大半が食べられてしまっていたから、毛虫を残しておくと食いつくされる可能性があると思った。その後、しばらくして現場を見に行った妻の報告によると、木から落ちた毛虫たちが固まっている場所に、1匹の大きなヒキガエルがいたそうだ。普通彼らは、人間の姿を見ると身を隠そうとするが、そのヒキガエルは彼女の姿など眼中になかったのだろう、という。ヒキガエルが毛虫を食べるかどうか、私は調べていない。が、食べるとしたら、そのヒキガエルの命がどうなるか、私は心配になった。殺虫剤の種類や毒性によっても影響は違うだろうが、カエルまで巻き添えにしたくなかった。
 
 殺虫剤は、一般には果物の栽培時にもよく使われている。そうしないと、見栄えや生産効率の面で商品価値が下がるからである。が、自家用のものは、一般の農家では農薬の使用を最小限にとどめるらしい。わが家でできる果物--ミカン、レモン、イチジク、ブルーベリー、キーウィー--は、もちろん無農薬だ。だから、虫や鳥が来て食べる、という話はすでに書いた。今年のブルーベリーの収穫は終った。でき栄えは昨年並みだった。これからはイチジクの収穫の時期だが、これはカラスとの知恵比べとなる。すでに1個を人間が食べ、1個をカラスに持って行かれた。

 果物のことでもう1つ言えば、今日、ジョギングの帰途に、狭い路地で青柿を拾った。涼しい日に青柿を拾うと、暑い夏もさすがに終りだとの気分になる。
 
 青柿の割れずに落つをみつけたり
 青柿の落ちる小路や力あり
 
 谷口 雅宣
 

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2008年8月17日

生物多様性に注目

 今日は午後、東京に小雨が降った。最近、日本各地で頻繁に起こる“ゲリラ豪雨”ではなく、春雨を思わせる細かい霧雨である。気温も急に下がり、前日から10℃近く低い25℃の涼しさは、まるで高原に来たようである。夕方、傘をさして仕事場からもどると、門から玄関まで続く飛び石のあちこちに、あわてて私に道をあけるヒキガエルの姿が多いのに驚かされた。彼らは、小虫を食べて大きくなるのだろうから、庭にはそれだけ数多くの昆虫がいるのである。今、自宅のリビングルームでキーボードを叩いているが、部屋の隅に置いた透明プラスチックケースからは、50匹以上のスズムシが盛大に鈴の音を響かせている。

 このスズムシのことは8月2日の本欄に書いたが、隣家の母が昔から飼い続けているものだ。母はこれまで、何度も庭に放して、自然の環境でスズムシの音を聞きたいと思ったそうだ。しかし、放した後、数日はその音が聞けても、やがて聞こえなくなり、不思議に思って探してみると、放した場所には大きなヒキガエルがいる--そんな経験をしたので、やめてしまったという。だから、わが家のスズムシは“自然”から隔離されて生き延びているのである。
 
 そうはいうものの、ここには昆虫は結構多くいる。昨夜は、庭に近いサンルームで夕食をとっていた際、目の前の網戸をつたって体長10センチほどのヤモリがぬうーっと姿を現した。ヤモリは昆虫を捕食するために出てきたので、網戸の向こう側には緑色のコガネムシが何匹も貼りついていた。コガネムシは、我々人間が果物を食べていると、その香りに誘われて飛んでくるのである。彼らのことはかつて本欄にも書いたことがあるが、ここ数年の“猛暑”の影響かどうか知らないが、夏になると大発生して我々を困らせる。樹木の葉を食べつくしてしまうのだ。今年はまず、キーウィーの葉がやられ、次にブルーベリーの葉と実がやられた。彼らは今はそこからスモモの木へ移り、ゴーヤにまで取りついて葉を盛んに食べている。
 
 昆虫は、もちろん“困りもの”だけがいるのではない。今時々、庭先に飛んできて我々の目を楽しませてくれるのがアゲハチョウである。ここには普通の黄色主体のアゲハチョウだけでなく、クロアゲハも、アオスジアゲハも飛んでくる。ハチの種類では、ミツバチもアシナガバチもクマバチも来るし、この間は、妻が大きなスズメバチを見たと言った。これに加えて、今は毎日セミの大合唱が庭中に響いている。種類も豊富で、アブラゼミやミンミンゼミは言うに及ばず、ツクツクボウシもクマゼミもヒグラシも鳴く。このほか、庭に出て目につくのは、糸をかけて巣をつくるクモ、軒下の乾いた土に擂り鉢をつくるアリジゴクなどだ。私の目につかない所には、この数倍、いや数十倍の種類の昆虫がいるはずである。だから、鳥もよく飛んできて、木の枝を巡りながら何かをついばんでいる。

 東京のど真ん中にいながら、これだけの生物多様性がある環境で過ごせることは、実に幸運である。それもこれも、わが家では私の祖父の時代から樹木を大切にし、植物を育て、農薬などで昆虫をむやみに殺さなかったからだ、と私は考えている。こういう環境を守るための生物多様性基本法が、この6月から施行されたことで、最近は企業もこの点を意識した開発計画を策定するようになったらしい。今日(17日)付の『日本経済新聞』によると、森ビルや富士通、三井物産、リコーなどの大手企業は、生物多様性の保全を目指した開発や再開発を行うことを、温暖化ガス削減に次ぐ環境経営の柱として取り入れていくという。
 
 記事によると、森ビルは東京・虎ノ門地区の再開発事業で地上46階の複合ビルなどを建設するが、この際に動植物の種類の多さを考慮して緑化地域を設計するらしい。また、富士通は2020年までの中期環境計画の目標の一つに生物多様性の保全を盛り込み、三井物産は今年度中に、5カ所の社有林で生物多様性の調査を行って森林管理に役立てる計画という。
 
 私はこのような傾向を大いに歓迎するが、企業イメージ向上のための“装飾的”な活動に終らないよう希望する。生物多様性とは、少しぐらい木を植えれば実現するような簡単なものではない。また、生物多様性が豊かな環境とは、人間に便利で、住むのに快適な環境では必ずしもない。カやハチや毒虫に刺されるかもしれないし、セミの騒音が耳障りかもしれないし、落ち葉や鳥のフンの掃除でコストがかかるかもしれない。人間の都合を最優先する現代の企業経営の考え方で、解ける問題と解けない問題がある、と私は思う。
 
 谷口 雅宣

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2008年8月11日

自然は善いか?

 8月8日の本欄では、自然界は人間の目に常に美しいとは限らないということを、自分のささやかな経験を引き合いにして述べた。これは、考えたら当り前のことでもある。自然界には、「食物連鎖」とか「弱肉強食」と呼ばれる現象があるから、捕食や死があり、腐敗があり、排泄がある。それらの一部は人間の目に「美」と感じるものもあるだろうが、大抵は「醜」と言わないまでも、決して美しいものではない。

 例えば、私はほぼ毎朝、生ゴミをコンポストに捨てるが、その際、腐った食物に群がる夥しい数のウジムシと対面する。彼らが自然の一部であることは間違いないが、私は彼らに感謝することはできても、好きになることはできない。これと同じことは、自分自身の排泄物にも言える。私は朝、トイレで排便することに感謝するが、だからと言って便を好きにはなれない。しかし、排泄物が自然の産物であることを否定する人はいないだろう。だから、自然は、必ずしも美しくないのである。

 では、自然は「善い」ものだろうか? これについても、山荘での私の経験を語ることにする。

 山荘に到着してまもなくのこと、妻がハチの死骸を2匹見つけた。2階の窓枠付近に落ちていたというのである。山荘の管理会社には、今回の利用の1週間ほど前に部屋の掃Beesnest 除を頼んであった。だから、これは見落としである。前回、5月の初めに来たときは、カマドウマが大量発生していて風呂の湯船の底に溜まっていたことを、5月4日の本欄に書いた。また、もっと前には、屋根裏にハチが巣を作って、山荘内を飛び回ったこともあるし、薪ストーブの煙突の中に、鳥が巣を作ったため、薪に火が点かないで困ったこともある。今回はプロに掃除を頼んだから、そんなことはないだろう……と思いながら点検していると、一緒にいた息子が、2階の屋根の明かり採りの窓の木枠に、10~15センチの大きさの灰白色の塊(=写真)を見つけた。
 
 それは、ハチの巣だった。よく見ると、まだ作りかけのようで、5~6匹のハチが巣穴を盛んに出入りしている。窓が開いていれば、彼らがそこから室内に入ることはいともたやすい。だから、妻が見つけたハチの死骸は、この巣作りと関係しているかもしれないのだった。人間はハチの恩恵を受けて作物や花や果物を得る。また、ハチミツが好きな人も多いだろう。だから、そのことを感謝することに吝かでない。しかし、だからと言って、何匹ものハチが飛び交う室内で平気で生活できる人は少ないだろう。我々も普通の人間だから、結局、ハチの巣を除去することになった。

 これはハチにとっては、とんでもない迷惑である。彼らは、自然が与えてくれた性向に素直に従って窓枠に巣を作ったのである。しかし、それは我々人間にとっては都合が悪いから、「ハチの巣は悪い」と考えられ、除去することになる。だから、人間にとって自然は必ずしも「善い」ものばかりではないことが分かる。

 このことも、考えれば当り前のことだ。今、日本の農村地帯では、シカやイノシシやサルの“食害”が悩みの種だ。クマが人家近くをうろつけば、ハンターの世話になることになる。しかし、この場合の“食害”とは、あくまでも人間の立場から見た自然の“悪”である。動物の立場から見れば、飢えたときに食物にありつくことは“悪”でも何でもなく、きわめて自然な行動である。が、人間にとっては、自然界は“害獣”や“害鳥”や“害虫”や“雑草”に溢れているように見える。こう考えてくると、自然界にある“悪”がどこから生まれるか、が理解できるだろう。
 
 谷口 雅宣

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2008年8月 8日

自然は美しい?

 夏休みをとり、昨日から山梨県・大泉町の山荘に来ている。日中は30℃を超える気温になるが、標高1200メートルの高地にあるおかげで、朝晩はさすがに涼しく、快適である。
 
 山荘へは、5月の連休に来たとき以来、3カ月ぶりだから、庭の草や木が伸び放題であることは覚悟していた。とはいえ、野芝の伸び方は尋常ではなかった。30~40センチに伸びたものが束になって横倒しになっている様子は、見苦しく、しかも先端の10センチほどが、栄養が行き届かないためか黄色に変色している。それは一度、金色や茶色に染めた髪を伸ばしていると、根元から生えた黒髪との“層”の違いが歴然としてくるのにも似ている。要するに、「乱雑」「無秩序」「未整理」の感じが否定しがたいのである。
 
 野芝のほかに私の目に「乱雑」に映ったものは、身の丈以上に育ち、枝を八方に拡げたブッドレア(Buddleja)である。この植物はフジウツギ科フジウツギ属の植物で、私はその名から外来種と思っていたが、国内にジャポニカ種(japonica)やカービフローラ種(curviflora)が自生することなどから、在来種とみる説もある。花の芳香に誘われて蝶がよく来るというので、この付近にいる美しいタテハチョウを呼ぼうと思い、地元の園芸店で買って植えた。ところが、どんどん成長して枝葉を拡げただけでなく、植えもしないところに子株が跳んで殖え、それがまた成長し、不思議なことに買わなかった色の花もつけるようになったのである。具体的に言うと、紅に近い濃い紫色の花の株を買ったのに、今わが山荘の庭には、それ以外にも薄紫色の花も、白い花も咲いている。もちろん、3種の色の花が楽しめることはありがたい。しかし、それらの株が大人の背丈以上に伸びて、枝を縦横に伸ばし、山荘玄関に続くアプローチを遮る様子は、どう見ても「美しい」とは感じられないのである。
 
 人間が心に抱く「美感」とは、妙なものである。ブッドレアの花自体は美しく、そこから発する芳香は甘美であり、葉も茎も生命力に溢れている。しかし、それらを「一株」の塊として庭に置いた場合、他の草や樹木、置き石や道が形づくる“線”との位置関係で、美しいものが美しく見えなくなるばかりでなく、時には乱雑に感じられるのである。野芝が生い茂る様を「乱雑」と感じるのも、これと同じ理由だろう。庭の芝生は短く刈り込まれて絨毯のような平面を成すことが「美しい」--このように人間が感じるのは、我々が「一株の芝」など眼中に置かずに、“塊”としての芝、もっと正確に言えば“平面”としての芝に価値を置いている証拠である。
 
 このように考えると、人間が「自然は美しい」とか「美しい自然」と言うときには、自然界の自然そのままの姿のことを言っているのではなく、人間的なある観点から自然をとらえ、人間的なある枠組みの中にそれが収まっていることを意味している--そういう可能性に気づかされるのである。
 
 私はかつてこの大泉町の山荘の庭を造った時、これと同じことを感じ、そのことを「人工的な自然」という題の文章に書いた(『小閑雑感 Part 3』に収録)。そこにはこうある--
 
「人間は、目に見える世界の中に“秩序性”を求める。無秩序があれば、その世界に手をつけて何らかの秩序性を実現しようとする--そういう得体の知れない奥深い欲求が人間には(少なくとも私には)横たわっていることを感じる。“得体の知れない”と書いたのは、この欲求が“気味が悪い”という意味ではなく、“説明が難しい”という意味である」。(前掲書、p. 187)

 しかし、この時に書いた「秩序性」の意味は、人間の目に見えない自然界の秩序全体を指しているのではなく、文章に書いてあるように、あくまでも「人間の目に見える秩序性」を言っているにすぎない。今日私が行ったことを振り返ると、確信を込めてそう言える。私は、日差しの強い高地の炎天下にもかかわらず、ブッドレアの木が通行の邪魔にならないよう、また目で見て美しく感じられるように剪定し、野芝を短く刈り込む作業に没頭したからである。夏に野芝が生い茂ることも、ブッドレアが枝葉をぐんぐん伸ばすことも、自然界の秩序の一部である。が、そのことには満足できずに、私は汗だくになってハサミを動かした。目に見えない秩序を目に見える形に表現することが、人間の深い欲求なのかもしれない。

 谷口 雅宣

 

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2008年8月 2日

スズムシが鳴きだした

 2~3日前から、家で飼っているスズムシが鳴きだした。最初は小さく、たどたどしく鳴いていたものが、やがてリーン、リーンという大きな音で、他のスズムシと羽を合わせて合奏するようになる。その音を聴いていると、不思議と涼感を覚える。スズムシは「鈴虫」と書くのが本当だが、「涼虫」という文字がつい頭に浮かぶのである。
 
 わが家では、スズムシを昆虫飼育用の透明プラスチックのケースに土を入れて、飼っている。こうしておけば、秋になって死に絶えた後も、ケース内の土を残して掃除した後、冷暗所に置いておくだけで、土中に産みつけられた卵から翌年また子孫が生まれる。その前に、ケースの土に霧吹きで湿り気を与えることが必要だが、今年は、その作業の手違いから、白カビが発生してしまい、孵化した子虫の数は少なかった。ところが、隣家の母のところでは孵化がうまくいって、「数が多すぎる」ということで、虫が大勢引っ越してきた。母の家では、スズムシをもう数十年飼っていて、子虫が生れるとわが家にも“お裾分け”が来るのである。今年は、そのおかげで助かった。これで約1カ月間、夜間に涼しい音を聞き続けることができる。

 庄野潤三氏の小説に『山田さんの鈴虫』というのがある。近所に住む山田さんから「スズムシがいっぱいかえったからいりませんか?」と電話がかかってきて、奥さんが「うれしいわ」と言うと、かごに入れて届けてくれるのである。その時期は「9月のはじめ」と書いてある。正確には9月1日で、この後、「鳴かなくなるまで」という約束で約1カ月飼い続け、10月11日に再び山田さんに返すのである。この作品が発表されたのは『文學界』の2000年1月号だから、原稿が書かれたのは、恐らくその前年の10月ごろだろう。私がなぜこのように時期にこだわっているか、賢い読者はもうお分かりだろう。今日はまだ8月2日なのだ。ということは、庄野氏がこの文章を書いた今から9年前と比べると、スズムシが鳴き始める時期が1カ月早いことになる。庄野氏は川崎の生田に住んでいるから、気候は東京とほぼ同じと考えていい。とすると、これは温暖化の影響か?
 
 スズムシが卵からかえる時期は、もちろん年によって多少違うことはあるだろう。また、自然にかえすのでなく、人工的に孵化させる場合は、霧吹きを始める時期や、卵の入った土を保管してある部屋の温度とも関係があるだろう。さらに、私の手元にある百科事典には、スズムシの「成虫は8月ごろから出る」とあるから、庄野氏が上の作品を書いた年が、たまたま孵化が遅かっただけかもしれない。
 
 今日も暑かった。東京は32℃ぐらいになっただろうか。東海より西では、さらに気温が高くなるとの予報だったが、実際どこまで上がったか私は知らない。読者の方々も熱中症などにならぬよう、気をつけてお過ごしください。暑さがこたえる時はスズムシの鳴き声でも聴いて、涼気を感じていただければ幸甚である。その一助として、わが家のスズムシの合唱を以下に掲げる。

 谷口 雅宣

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2008年7月25日

生物の“高等”と“下等”

 草食動物は肉食動物より“下等”だろうか? この質問への答えは、その人の人生観、世界観をよく表す。「弱肉強食が世界であり、人生である」と考える人の場合、肉食動物は草食動物を捕食するから、捕食するものはされるものより“高等”だと考える。これは、単純に「力が強いものは弱いものに勝る」という思考の延長である。「食物連鎖」のピラミッドを想起して、ピラミッドの上層にある方が下層にあるよりも高等だと考える人も、恐らく同類だろう。これらの考えは、確かに「わかりやすい」かもしれないが、「事実そのまま」かどうかは疑わしい。自然界をよく観察してみると、このような単純思考では説明のできないことがたくさんあるのである。
 
 例えば、草食動物は肉食動物に食べられて絶滅してしまわないように、数多くの子孫を産み出すことが多い。また、昆虫などは「擬態」と呼ばれるカムフラージュを自らにほどこし、天敵の目から逃れる工夫をしている。1頭では天敵にかなわない草食獣は、群を作り、複数の個体で天敵に向かうなど、集団防衛術を心得ている。これには「社会性」がなければならない。また、速い足、永い持続力、高い跳躍力、飛翔力などで天敵から逃れる能力を身につけたものもいる。
 
 草食動物が自己防衛のためにこのように進化していけば、それを追う肉食獣たちも、ノンベンダラリとしていては食事にありつけなくなる。ということで、両者は互いに切磋琢磨し合いながら生きてきた、と考えられる。ということは、現在、地球上に生息する生物は、草食も肉食も雑食も、「どちらが優れているか」という種類の単純な質問には答えられないほど、多くの長所と短所をもっていると言えるのではないか。
 
 私がこんなことを考えたのは、次のような記事を今日付の『朝日新聞』で読んだからだ--
 
「米ワシントン大などが、ヒトやネズミ、パンダなど、60種類の哺乳類の糞(ふん)から、17種類の微生物の腸内での生息状況を調べたところ、肉食動物は6種類、雑食は12種類、草食は14種類と増えていた」。

 これは、アメリカの科学誌『サイエンス』に載った研究の結論部分をまとめたものだが、この結論を研究者がどう解釈したかも書いてある。それによると、哺乳類の祖先はもともと肉食だった--つまり、植物に含まれる多糖類を消化することができなかった、と考えるのである。ところが、やがて哺乳動物の腸内で生息する微生物が進化して、多糖類を分解できるようになったことで、「宿主の哺乳類もこの微生物を排除する免疫反応を起こさず、共生できるように進化し、雑食や草食になったらしい」というのである。
 
 これを言い換えると、腸内に生息する微生物の種類が多ければ多いほど、進化した生物である、ということだろう。となると、肉食よりは雑食が、雑食よりは草食が、進化のバロメーターになるとも言える。この場合、1つの生物種にとって、共存できる他の生物種の数が多ければ多いほど、その生物種は優れていることになる。こう考えていくと、我々人類が、他のすべての生物種に比べて優れているかどうかは、簡単に答えることができなくなってくる。なぜなら、我々は産業革命以降、相当数の生物種を絶滅に追い込んできたからだ。
 
 ところで、「食うもの」「食われるもの」という単純な二分法で考えたときの生物の優劣の判断と、そこへ「腸内微生物」という第3の“変数”が加わったときの生物の優劣の判断とでは、結論が大いに違ってきた。人種や文化、社会や国について“優劣”を簡単に言う人がいるが、私はそれこそまさに「疑わしい」と思うのである。人間という生物は、そんな単純思考で評価できるとは決して思わないからだ。
 
 谷口 雅宣

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2008年5月19日

東京のムギ

 最近、私は東京の仕事場近くの公園にムギらしきものが生えているのを見つけた。1本や10本ではない。公園の縁に設置された植え込みの中の幅3メートル、長さ20メートルもの場所に生えている。誰かが栽培しているわけでもないようだ。というのは、その付近はタクシーの運転手の休憩場所となっており、また高校生の通学路にもなっていて、人々は平気でその中を歩いて通り、ムギらしきものを踏みつけていくのである。

Efuto080519b 2~3本抜いて家に持って帰り、妻に見せると「それ、ムギじゃない!」(ムギではないの!)と即座に反応した。そこで私は「これはムギだ」と結論したわけだ。私は都会生まれの都会育ちで、ムギのことはよく知らない。しかし、妻は田舎で、田んぼや麦畑を見て育った。彼女の判断を信用するほかはない。ものの本で調べてみても、今はちょうどムギの穂がでそろう時期で、初夏に黄金色になって収穫するとある。で、公園に茂る植物も今、大部分は青々とした穂を天に向けているが、一部は白っぽい黄色に変わっている。しかし、なぜここに……という疑問の答えを、私は見出せずにいる。
 
 世界中で穀物の値段が高騰しているという現状を思い出してみると、東京の都心の公園に“野生のムギ”が育っていて、誰も注目せずに踏んでいくというのは、「不思議」を通り越して「シュール」な感じさえする。私の想像するところ、誰かが昨年の秋、イタズラ心を起こしてムギの種を蒔いたのだろう。しかし、ムギの種など、そこらの園芸店で売っているわけでもない。また、買ったものをわざわざ公園に蒔く人もいるまい。だから、不要になった種を捨てるつもりで、そこら一帯に蒔いたのかもしれない。あるいは、この公園には“家なき人”が何人も住んでいるから、その場所は彼らの“畑”になっているのか? が、いくら彼らでも、ムギを生で食べるわけでもあるまいし、また、道具もないのだから、小麦粉を作ってパンを焼くこともあるまい……とにかく、ナゾは深まるばかりだ。
 
 ナゾ解きはあきらめて、今日は、ジョギングの帰途、その“野生のムギ”をまた何本か拝借して持って帰り、絵封筒を描いた。春らしく青々としたムギの穂と葉は、見ているだけでも人を幸せな気分にさせてくれる。読者にもそんな気分を味わっていただけたら、私の目的は達成するのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年5月 7日

シイタケと野鳥

Mtimg080505  5月4日の本欄に書いたように、今回の山荘行きでは思いがけず森の中でシイタケを沢山収穫できた。これらのシイタケは、すでに消費されて影も形もないが、食べる前にスケッチしておいたので、その際の感動や経験を後から想起できるのはありがたい。読者の皆さんには、シイタケなど“当り前”すぎるかもしれないが、私にとっては“当り前の奇蹟”的経験だった。また、山荘滞在時に聴いた野鳥の声の録音(1分31秒)もあるので、ここにご披露する。小型のボイスレコーダーによる録音だから、雑音(主として風の音)など混じっている点はご容赦いただきたい。
 
 谷口 雅宣





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2008年5月 4日

半年ぶりに山へ

 半年ぶりに山梨県大泉町の山荘に来た。朝早く東京を出たおかげで約2時間で目的地に到着し、雪を頂いた甲斐駒ケ岳を遠方に眺めながら、朝食をとることができた。青い空のもと、野鳥の澄んだ声と若芽がいっぱいに吹いた森の木々に囲まれた場所は、文字通りの“別世界”である。標高1200メートルのこの地では、ヤマザクラ、ヤエザクラ、スイセン、セイヨウタンポポ、レンギョウなどが同時に咲いている。毎年、生長の家の組織の全国大会後にここへ来ているが、連休の前半に付近へ来た人々が山菜採りをするので、我々の山荘脇に生えているタラの木の若芽が切られていることが多い。昨年同時期(5月6日)の本欄には「タラノメは伸びていない」と書いてあるが、今年は暖かかったのだろう、ちょうど食べごろの大きさに伸びていて、人間の手が届く高さのものはほとんどすべて掻き取ってあった。

 シカももちろんタラノメを食べるが、彼らは芽といっしょに、芽の出る木の先端部を凸凹にかじり取るのに対し、人間は芽だけを指先で折って取るから、刃物で切ったような滑らかな白い切り口が残る。山荘周辺のタラの木は、ほとんどが人間の手で芽を掻き取られていた。それを見るとさすがにガッカリする。しかし、こんなふうにタラノメを採る人間の様子は、シカとあまり変わらないのだった。山荘の庭にはサクラ、ヤマボウシ、ライラック、ミツバツツジなどがあるが、どれもシカの背の高さまでの枝は、ことごとく新芽を失っている。中には、折られた枝が皮一枚で元の位置から垂れ下がっているものもあり、悲惨である。しかしそれでも、シカの背を上回る部分には新芽が生えて伸びており、蕾をつけているものもある。山荘脇のタラの木も、人間の手の届かないところでは成長し続けているから、“頭の黒いシカ”が取ったと考えればいいのかもしれない。私はそう思い直し朝食後、付近を妻と歩きながら、二人で3~4本のタラノメを収穫した。

 シイタケも収穫できた。これは予想外だった。山荘の北側の林の中には、シイタケのホダ木が10本ほど横倒しに組んであった。昨秋は、そこから出たシイタケはあまり多くなかった。春のシイタケは秋より数が少ないと思っていたから、今回の訪問でもさほどの収穫は期待していなかった。ところが、大小合わせて10個以上が傘を広げていた。ただし、出てから時間がたっているものが多く、半分以上は乾燥が進んで“乾しシイタケ”状になっていた。また、山荘の西側の斜面にも、周辺のクリの倒木を整理した時につくったホダ木が立てかけてあったが、その1本から10個以上が出ていた。こちらも乾燥が進んでいたが、食べるには問題がないので、ありがたく収穫した。
 
Kamadoma  動物についても書こう。1つはカマドウマだ。この虫が春に発生することは以前から分かっていた。また、管理会社からの事前の報告にも「各部屋共に、カマドウマが大量に発生しておりました」と書いてあったから、ある程度の数は予想していた。が、管理会社の人が掃除したはずだから、残っていても数十匹程度とたかをくくっていた。ところが、山荘に着いてまもなく、浴室を調べていた妻が声を上げて私を呼んだ。「すごい数よ」というのである。行ってみると、水のない湯船の底に、長さ30センチ以上もある楕円形の黒い塊があって、それがカマドウマの死骸が集まったもののようだった(=写真)。で、死骸ならば捨てればいいと思い、手を伸ばそうとした。すると、妻がそれを引きとめて、「それ、みんな生きているのよ」と言う。ウソだろうと思いながらよく見ると、確かに虫たちは生きていて、互いに絡み合っているのだった。何のためか、私には分からない。

 自然界には人間にとって美しいものだけでなく、不気味なものもあることがよく分かった。
 
 谷口 雅宣

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2008年4月24日

アジサイが教えるもの

 今日は午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山で谷口輝子聖姉二十年祭が挙行された。前日の天気予報では今日の長崎地方は「雨」だったらしいが、幸い空も晴れて、さわやかに澄んだ空気の中で、生前の輝子先生の御徳を偲び、光明化運動へのさらなる決意を固めるよい機会になったと思う。以下は、御祭の最後に私がおこなった挨拶の概略である。

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 皆さま、本日は谷口輝子先生の二十年祭に大勢お集まりくださいまして、誠にありがとうございます。「10年一日」とはよく言いますが、その2倍である20年がたつと、やはり時間の経過を感じます。早いもので、谷口輝子先生がお亡くなりになってからもう20年がたつと知って、現象世界は“久遠不滅”ではなく、どんどんと“過ぎゆく場所”だと改めて感じるしだいです。

 まだ時期は少々早いのですが、今日は紫陽花の話をしようと思うのです。それは、ご存じの方も多いと思いますが、輝子先生と紫陽花の花は関係が深いからです。『生命の實相』第19巻自伝篇には、谷口雅春先生が江守輝子さんに最初に逢われた時の印象が、このように書いてあります--

「彼女はたった1回、昨年の夏に金竜池畔でふと出遭ったことのある女性であった。その時は痩せて面やつれして青褪めた紫陽花の花のような美しさであった」(p.156)。

 この表現では、輝子先生の姿が紫陽花の花のイメージに喩えられているのですが、実際はこの時、輝子先生は紫陽花を染めた単衣の着物を着ておられたようであります。この時のことを、輝子先生は喜寿の記念に出された『人生の光と影』(1972年刊)という著書の中で次のように書いておられます--
 
「梅雨も終りに近くなって来ると、庭のあじさいは花盛りである。薄みどりの小さい花房、ブルーがかった大きなもの、青紫のもの、赤紫のものなどさまざまな色を見せてくれる。私はあじさいの花は好きである。50年前に人から貰って着ていたのは、白地のメリンスに、大きなあじさいの花を染めた単衣(ひとえ)であった。その年の夏にそれを着て、池のほとりを歩いていた時、一人の青年とすれ違った。それが夫であった」(p.193)

 この頃の輝子先生は、大本教で修行中だったのですが、まだ「神とは何か」の把握がしっかりできず、不安で淋しい毎日を過ごしていらっしゃった、とその随筆「あじさいは花盛り」には書かれています。それが、雅春先生と結婚され、生長の家の信仰に入られた後に、半世紀を生きて喜寿を迎えた際に出版されたのが、この本です。その中で、輝子先生は「人間は不死である」という真理を、紫陽花の花を使って説かれているので、それを紹介いたします。
 
 (同書、pp.200-203 を読む)
 
 ここには、我々が死を恐れることは別に恥ずべきことではなく、当り前で普通のことだと書かれています。“死を恐れる心”は必要があるから神様が与えてくださっている、とも書かれています。ときどき宗教というものを誤解される人がいて、宗教の目的は何か奇蹟的な、普通ではあり得ない異常な現象をこの世界に現すことだと考える人がいます。しかし、「自然流通の神示」には、「生長の家は奇蹟を見せるところではない。奇蹟を無くするところである」とあるのです。また、「当り前のままでそのままで喜べる人間にならしめるところである」ともあります。死は、すべての現象人間にとっては未経験のことですから、それを恐れる気持はあっていい。が、それは“道具”としての肉体を大切に扱うためであるという点を、しっかりと押さえておくことが大切です。
 
 生長の家では「肉体はナイ」と言いますが、それは「ナイのだから乱暴に扱っていい」「粗末に扱っていい」という意味ではない。先ほどの雅春先生のお言葉でも「神様からいただいた体は、大事に護って、できるだけ長生きさせることが神意である」と説かれています。ですから、皆さんも神様からいただいたこの肉体を適度に使いながら、大事に護ってあげてください。

 肉体というものは、安楽に、何もせずに寝てばかりいれば健康が続くというものではないですね。このことを皆さんも経験を通してよくご存じと思います。私も最近、このことを思い知りました。というのは、私も50代の半ばを過ぎたということで、体の健康チェックのために2日間だけ入院しました。その際、ほぼ24時間、ずっと病院のベッドで寝ていたのですね。そうしたら、チェックを終って、家へ帰ることになったのですが、新宿から原宿まで2駅電車に乗り、あと徒歩の時間が合計で15分ぐらいでしょうか、それだけ歩いたのに疲れてしまいましてね、翌日には筋肉痛まで出てきました。普通だったら、何ともない距離を歩いただけなのです。だから、人間の体は使わないとすぐに衰える。そういうようにできている。ということは、常に適度に使ってあげることが肉体の維持には必要である。
 
 人生もそれと同じですね。常に適度に困難な状態が現れていても、それは我々の肉体と心とを健康に維持していくために必要なトレーニングである。そのように考えて、皆さんもこれから大いに前を向いて、当り前のことの中に喜びと神の恵みを見出して、真理宣布に邁進してください。肉体の死は、いずれやってきますが、それは人間の本当の死ではない。多様な人生を繰り返すことに、人間の魂の進歩があるということを、谷口輝子先生もこの随筆の最後で説かれています。紹介しましょう--
 
「あじさいは咲きはじめて散るまでには、幾度も色を変える。七変化という異名もある。映り移ろう現象世界の象徴のようである。散り果てたように見えるとも、死んだのではない。翌年の夏が来ると、また咲きはじめ、また散ってしまう。その生命は永遠である。現象の花の姿は一夏であるが、その生命は無限につづいて行く。現象の人間の命も一生を終っても、その生命は永遠である。現象の生活をよりよく生きることによって、幸せな未来は約束される。転んでもつまずいても、花の中に或ることを忘れてはならない」(p.206)

 この最後の言葉にあるように、私たちは転んでもつまずいても神の子であり、たとい肉体は滅びても永遠に生きるということを忘れずに、また、このことを多くの人々に伝えて、これからも希望をもって、明るい人生を送っていきたいと思うしだいです。輝子先生の二十年祭に当たって所感を述べさせていただきました。ありがとうございます。

 谷口 雅宣

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2008年4月19日

クスノキの紅葉

 先日、生長の家講習会で佐賀市へ行ったとき、泊まったホテルの周辺を歩いて気づいたことがある。そこは佐賀城跡の堀に囲まれた一画で、県木である立派なクスノキが何本も根を張り、モコモコと新緑の枝葉を広げていた。そのつややかな黄緑色の樹冠の中に、赤い葉が数多く混じっているのである。それが遠くから見ると“赤い花”のように見えるのが、なんとも良い感じなのである。私は当初、クスノキの葉の新芽は赤いのだと思っていた。が、そういう木の下を通ると紅い葉が落ちているのである。それも新しい葉ではなく、十分役目をはたした感じの大きな葉が、秋の紅葉と見まがうほどの彩に変わって、散り敷いている。同じ木の上を見ると新緑、下を見ると紅葉……この不思議な組み合わせに気づいた私は、1つの仮説を立てた。
 
 それは、クスノキは春に紅葉して葉を落とすという仮説だ。どこかで読んだ話に、秋になって落葉樹の葉が赤や黄色に変わるのは、葉の寿命が来て「枯れる」のではなく、木が葉を落とすために特殊な化学物質を葉に送り込むからだとあった。葉を落とす理由は、雪が降ると、その重さで枝が折れるのを防ぐためだ。そういうきわめて合目的的な仕組みが「紅葉」や「黄葉」にあるならば、“春の紅葉”が起こることにも合理的な理由があるはずである。クスノキはもちろん常緑樹だ。常緑樹が春になって新芽を出すとき、冬を越した葉の間から新芽を出すことが多い。その場合は葉を落とす必要はない。が、これだと古い葉が大部残ってしまう。葉の多くを一新しようとすれば、古い葉を落とす必要がある。そのためには、春に紅葉するのがいい。

 私は、この仮説を東京へ持ち帰り、わが家の庭にあるクスノキも紅葉しているかどうか確かめた。庭に落ちていたクスノキの葉は、やはり紅葉していた。私はもう何十年もそういう葉を見てきたはずなのだが、それは葉が古くなって枯れて落ちたものだと考え、紅葉とは思わなかった。落ちている葉の色の変わり具合は、落葉樹の紅葉とほとんど変わらない。しかし、「紅葉は秋」という先入観をもって見ている中では、美しい紅葉も「枯葉」にしか見えなかったのである。

 このことに気づいてから、私はクスノキの紅葉を俳句に詠もうと思って歳時記を調べた。Mtimg080419 竹も常緑樹の一種であるが、春になると落葉する。それを先人は「竹の秋」という季語で表してきた。だから、この季節のクスノキの葉のためにも、昔から使われている季語があるはずだと思った。しかし、なぜか見当たらないのである。私は「楠の秋」や「春紅葉」などの言葉を勝手に作って使おうかとも思ったが、そういう自己流はやめた。

 今日は、東京に「春の嵐」と呼べるほどの強風が吹いた。その中を事務所から明治神宮外苑まで走った。神宮の第二球場の周りには大きなクスノキが何本もあり、その下に強風で落ちた紅葉が一面に散り敷いていた。そんな葉を何枚か拾ってきて絵に描いた。
 
 谷口 雅宣

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2008年4月17日

原宿のタケノコ

 タケノコがおいしい季節である。このところの長雨のおかげで、わが家の庭の孟宗竹林からも三角形の黒い頭がニョキニョキと出て、日ごとに成長している。というわけで、休日を利用してタケノコ掘りをした。食べる分だけ採るのが原則だが、時に2つ並んで頭を出したり、とんでもない場所に出たタケノコは、掘られることになる。タケノコは、今年出た所から地下茎が伸びて来年新しく出るから、どのタケノコを掘るかは、竹林の全体の形を考えながら決めなければならない。面倒臭そうに聞こえるかもしれないが、クイズを解くつもりでやれば面白いものである。あの柔らかい口当りを保つために、掘ったタケノコはすぐに煮るのが原則。だから流れ作業のように、私が掘り、妻が料理した。
 
 小説『秘境』を書いたとき、取材のために山形県の鶴岡に何度か行ったが、そこでタケノコ料理の絶品とも言える「孟宗汁」に出会った。酒粕と味噌で味付けをした煮物で、「汁」とは呼ぶが水分はそう多くないから「煮つけ」に似ている。妻に所望して、採りたてのタケノコの「孟宗汁」をいただいた。山形県は孟宗竹の北限と言われているが、そこで生えるタケノコはアクがなく、刺身にできるそうだ。しかし、東京産の場合はアク抜きをした。その点、“本物”の孟宗汁とは違うかもしれない。

 谷口 雅宣

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2008年4月11日

街角の花

Mtimg080411_2

 昨日(10日)、原宿の裏通りの坂を下りながら撮った写真をもとにして、スケッチを描いた。私に「街角の花の数がふえている」と言わせた花たちを、自分の手と目できちんと記録しておきたかった。レンガを組み上げた門柱と、染みや汚れであちこちが黒ずんだコンクリートの壁と、色とりどりの可憐なパンジーの柔らかさを対照させた。門柱に縦長の表札のようなものが見えるが、ここに刻印してあった住所表示は省略した。すると、この部分が十字架のように見えてくる。西洋の墓石には十字架が多い--春は、死んだように見えた自然が、たくましく生命力を発揮する。そんなイメージを表現したかった。

 谷口 雅宣

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2008年4月10日

雨にぬれても

 休日の木曜日のまる1日が雨だった。この時期の長雨は菜種梅雨(なたねづゆ)といい、春雨や春の雨とは区別する。今日などは気温も下がり、薄着の若者が手を組み肩をすぼめて、交差点で信号待ちしている姿が目立った。しかし、ナタネの花を思わせるその語感どおり、どこか明るさが感じられる日だ。午後から原宿の街に出て、その理由がわかった。街のあちこちに飾られた花の数が増えているのである。人々の服装で、明るい色のものが増えている。そして、新入社員然とした若い男女が、目を輝かせて歩いている。街全Mtimg080410体が、新しいものの始まりの予兆に満ちていた。冷たい雨が降り続いている中にも、こんな明るさが街にみなぎっている理由は、やはり「春」の力を除いては考えられない。

 妻と2人で明治通りから青山通りへ通じる路地を上り、通称“ロハス通り”へ出る。ここは自然食志向の店が多い路で、その一画でやや遅い昼食をした。帰路は下り坂で、妻は原稿を書き終えた気軽さで歩を進め、私は休日の緩い気分でゆっくりと歩きながら、目に映る印象的な街の小景をデジカメに収めていった。雨のおかげで、外を歩く人の数がいつもより少ないのもいい。知らぬ間に妻との距離が開くが、彼女は寛大に歩を緩めて私を待っていてくれた。傘を差しながらの撮影だったから、コートの右肩が雨でぬれているのに気づかなかった。
 
 ゆるゆると町坂下る菜種梅雨
 
 雨の中でのスケッチは難しいので、帰宅後、妻が庭から取って挿してあったノースポール(白)とムルチコーレ(黄)を描いた。絵にナタネ色を使いたかった。
 

 谷口 雅宣

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2008年4月 3日

花盛りの庭

 前回の本欄では、むずかしい議論にヘキエキした読者もいたかもしれない。簡単に言えば、「色は人間(を含む動物)と植物とを“橋渡し”するメッセージを運んでいる」ということだ。色は、我々の感情に直接訴えかけてくるから、芸術の有力な手段としても使われてきた。が、今回は、そういうメンドーな議論は脇に置いて、色そのものを楽しんでいただきたい。我々が色の組み合わせを楽しむことができるということは、人間は個人として孤立していないばかりか、生物種としても孤立していない証拠である。花は、実と同じように、植物が動物に対して発しているメッセージである。それを受け取っていただきたい。今年3月、我が家の庭を撮影した画像や映像を合体させて、1本の動画にしたものをお届けする。
 
 谷口 雅宣

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2008年4月 2日

芸術表現について (4)

 美についての議論で前回までに明らかになったことの1つは、美感が生じるためには、それを感じる主体(心)と、感じられる対象の双方が必要であるということだった。これを言い直せば、美は人の心の内部に生じるものだが、その契機となるものは人の“外”(外界)に存在するということだ。つまり、“内”と“外”とが響き合って一体感を醸し出した状態が美感だと言うことができる。このことを『新版 幸福生活論』では、「いのちといのちと触れ合っ」た「いのちを表現」したものと形容しているのである。この場合の「いのち」とは、必ずしも生物学的な意味での命だけでなく、気象や山、川、波などの自然現象、さらに天体や砂漠、岩石などの自然物のほか、人間がつくった芸術作品や建物、工業・商業製品なども含まれるだろう。なぜなら、それらはみな「命の表現」と考えられるからである。
 
 例えば、私がもし鳥の飛翔を見て感動するならば、私の命とその鳥の命とが“触れ合った”からである。これは、私が物理的に鳥に触れたという意味ではなく、飛翔する鳥の姿にその鳥の生命の発露を見、その生命力に感動したという意味だ。では、感動の対象が生物でなく航空機であった場合は、どうか? その場合は、その航空機の設計者、製造するに至った多くの人間、さらに人類が「空を飛びたい」と永年にわたって熱望し、その夢の実現を追究してきたという事実の背後に大きな生命力を感じているのである。前者の場合は、鳥と人間の生命の“一体感”を感じるのだが、後者の場合は、それに加えて、航空機製造にいたる人類の歩みの“総体”に感動すると言える。もちろん、そのほかにも航空機のデザインや色、形、性能、製造技術などに感動することもあるが、それらも結局、「命の表れ」であることに変わりはない。
 
 拙著『神を演じる前に』(2001年、生長の家刊)の中で、私はアメリカの哲学者、ダニエル・デネット博士の言葉を引用して、「色」が生物間の“いのちの触れ合い”から生まれたことを説明した(pp.65-67)が、この際は「クオリアが起こる原因」という言葉を使った。クオリアとは「直接感覚」とも訳されるが、例えば、「赤のクオリア」と言えば、色彩の「赤」を見たときに我々が心で感じる、「黄」でも「青」でも「緑」でもない、あの独特の色の感覚であり、その際に心中に醸し出される感情も含まれている。人間の体の外部にある色によって、そういう独特の感覚と感情が人間の内部に生じる理由は、人間の体の神経系の働きだけでは説明できない。私がいう意味は、「赤」く見える光は、光のスペクトルの中のどれだけの範囲のものを指す--という種類の説明のことではなく、その特定の波長の範囲をもった光がなぜ「青」や「緑」ではなくて「赤」でなければならないか、という説明である。

 デネット博士は、その謎を次のように解いている--
 
「リンゴの実が、少なくとも何種類かのリンゴ好きの動物によく見えることは、リンゴに対する単なる“危険”(リンゴの立場からは!)ではなく、リンゴが存続するための一条件である。(中略)色によって区別をつけられない果実は、自然界のスーパーマーケットの棚では競争力が乏しい。しかし、嘘の宣伝は罰せられる。よく熟れた(栄養素が豊富な)果実は、そしてそのことを宣伝している果実はよく売れるだろう。しかし、その宣伝内容は、対象とする消費者の視覚的能力と嗜好によく合致していなければならない」(同書、p.66)

 この引用文は、少しわかりにくいので解説を加えよう。--色彩の「赤」は、画材店の棚やコンピュータの画面に出現する前に、まずリンゴの実の色であった。と同時に、様々な植物の実の色として自然界に存在してきた。しかし、植物の実は、花から成長し始める最初の段階から赤いのではなく、栄養素を結集して熟し、ちょうど動物が食べるにふさわしくなった頃に、緑から黄、そして赤へと変化する。そして、「おーい、ボクを食べてくれよぉ~」と言わんばかりに、生い茂った緑の樹冠の中から鳥や昆虫に呼びかける。それは、その果実にとっては取って食われる“危険”を冒しているようだが、実はそうではなく、自然界にはゴマンと溢れている他の植物の様々な実の中から、動物が“自分”を採ってもらうことで子孫を殖やそうとしているのだ。このことをデネット博士は「自然界のスーパーマーケット」という言葉で表現している。ここで“消費者”(動物)に採ってもらうためには、偽装や嘘の宣伝は効果がない。なぜなら、一度騙された動物は、次の機会には別の植物の実を選ぶに違いないからだ。だから、植物の方も、自分の子孫の繁栄に最も有利な場所へ種を運んでくれる動物に対して、その最も必要とする栄養素と最も好む味と香りを用意して“消費者”の到来を待つのである。

 「色」とは、このような植物と動物との永い共存共栄の過程で形成された、植物が動物に発する一種の“暗号”である。動物の側は、この色の暗号を素早く解読するための“高速暗号解読装置”として色覚を発達させてきた。このように考えれば、色とは、人間を含めた多くの生物種の「いのちといのちが触れ合って生まれたいのちの表現」であることが分かるだろう。臭いや味にも、同様のことが言えるのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年3月31日

命はどこにある?

 我々人間には「命がある」というほど明確な実感はないのではないか。デカルトの有名な言葉--「我思う、ゆえに我有り」は、「我思う、ゆえに我に命あり」と言い直すことができる。なぜなら、命のない死体は、そこに確かに存在していても、「我思う」という意識をもたないから、「ゆえに我有り」の結論を出せないからだ。言い換えると、自分が存在するかどうかを判断する意識をもたないものは、それ自身「我有り」と結論できない。だから、「我有り」という否定しがたいデカルトの実感は、意識の有無と深く関係している。では、命があっても意識をもたない者の存在は、どうやったら確認できるだろうか。この点、デカルトは必ずしも明確でない。

 生物学では、「自己意識」--自己を他とは異なる独特の存在であると思う意識--をもつものは、人間と高等な哺乳動物の一部だけだと考える。それを証明するために、動物に鏡を見せて、その行動を細かく観察する実験などをしてきた。では、意識が生まれる元である命の有無は、どのようにして「有り」と結論できるのか。例えば、アメフラシの命の有無は、どうやって判断するのだろうか。生物学者は、アメフラシの神経系を研究し、そこに微弱な電流が起こるか起こらないか、あるいは神経伝達物質が流れるか流れないかを測定するのかもしれない。では、神経系をもたない植物や菌類の命は、どのようにして有る無しを判断するのか。私はその答えを知らない。
 
 しかし、植物の種(たね)が古い地層の中から発見され、それを適切な環境に置いて光や熱を与えると、発芽して成長したという話は珍しくない。そういう“太古のハス”の花が咲いたと、新聞やテレビで報道されたこともある。だから、命の有無は、現代の科学技術においても直接測定することはできないと考えるべきだろう。我々が大病院の治療室で目撃する様々な機械装置は、「命そのもの」を測定しているのではなく、「命の働き」で生じた電流や磁気、物質成分の変化を測定していると考えるべきなのだ。「命そのもの」はそこにあっても、それが動いて作用を生じる場合とそうでない場合があると考えると、古代エジプト人がミイラを保存することにも、キリスト教で土葬を行うことにも、それなりの合理性があるといえる。が、現代の科学ではこれを一般に不合理だと考えている。

 そんなところへ、植物だけでなく、動物も一種の“ミイラ状態”から甦ることを示した研究成果が報告された。アフリカに棲む「ネムリユスリカ」という蚊に似た昆虫の幼虫は、完全に干からびた状態で10年以上たった後にも甦る例があるという。3月25日の『日本経済新聞』が夕刊で伝えている。それによると、この幼虫が乾期の間に完全に干からびても、雨期になると生き返ることは以前から知られていて、その仕組みをこのほど、東京工業大学と農業生物資源研究所のグループが解明したという。その仕組みとは、体中に行き渡らせた糖類をガラスのように固めることで、体の組織を保護するらしい。この研究を参考にすれば、「ヒトの組織を長期間保存したり、乾燥に強い植物を作ったりする」ことが可能になるかもしれない、と記事は書いている。
 
 この例をみても、「命はどこにあるか」という疑問への答えは、科学の力によってもそう簡単に出てこないことが分かる。私たちは今、「命萌え出づる春」を目の前にして、それがどこにあり、どこから来るかをじっくり考えてみるのはどうだろうか? 
 
 聖経に曰く--
 空間の上に投影されたる
 生命の放射せる観念の紋、
 これを称して物質と云う。
 
 谷口 雅宣

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2008年3月27日

幸せなひととき

 桜の開花宣言が出てしばらくたった休日ということで、横浜まで夫婦で足を延ばHanam03271した。花 見に期待していたことは言うまでもないが、主目的は5月初めの生長の家の組織の全国大会を期して出される単行本の校正や原稿書きだった。「旅先で校正する」と言うと奇妙に聞こえるかもしれないが、要するに“缶詰状態”に自分を置くためだ。自宅での休日はどうしても気が緩むし、周囲にいろいろのものがあるので誘惑が多いのである。「これさえ終えれば、後は花見!」と思いながら、周囲に何もないところで神経を集中する……ということで、とにかく形を整えるところまで仕事を終え、人々に混じってほんの少しだけ花見ができた。ありがたいことである。
 
 横浜港の大桟橋には、ちょうど上海から豪華客船の「飛鳥Ⅱ」(5万0142t)が入港したところだった。昼前には、これに「にっぽん丸」(2万1903t)も加わって、見物客もかなり出て、大桟橋周辺は華やかな雰囲気になっていた。が、私たちは、そういう混雑から少し距離をおいて、山手の丘の上へのぼり「港の見える丘公園」付近で午後の数時間を過ごした。私は、そHanam03272 の公園に日時計があるのを覚えていて、ついでに写真を撮りたいと思っていた。生長の家の講習会で「日時計主義」の話をする際に、実物の写真を見せるのが効果的と考え、これまでは十勝の帯広中央公園にある日時計の写真を使っていたが、そろそろ別のものに変えたいと感じていたのだ。

 公園にも、平日にしては多くの人々がいたが、大桟橋付近のように「列をつくる」ほどのHanam03273 人出ではなかったので、ゆっくりと写真が撮れた。まだ五分咲き程度のものがある一方で、満開のサクラが何本もあった。そういう木の周囲はほの白くなっているので、遠くからでも分かる。近づいていくと、必ずといっていいほど、高級な一眼レフ式のデジタルカメラを提げた中高年の人(男も女も)がいて、熱い目で満開のサクラを眺めているのだった。公園の外れに近代文学館があるが、その付近のサクラが何本も見ごろを迎えていたので、私も“中高年”の一員としてデジカメを構えて何枚か写真を撮った。そのあと妻と2人で、公園内の「山手111番館」という市が管理する木造の洋館へ入り、コーヒーとハーブティーを飲みながらケーキをつついた。幸せなひとときであった。

 旅に出て桜ケーキで花見かな
 
 谷口 雅宣
 

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2008年3月17日

芸術表現について

 前2回にわたり、「芸術は、生命(いのち)と生命の触れ合いを表現したものである」という谷口雅春先生の言葉を解説したが、この主題は、口(発声音)による説明ではなかなか意を尽くせない側面があるので、さらに文章によって補足しよう。
 
 3月3日の本欄で、私は絵手紙を用いた「新しいタイプの誌友会」の参考として、『真理の吟唱』にある「良きアイディアを受信するための祈り」の次の一節を引用した:
 
「神は無限のアイディアの本源であり給う。宇宙の一切のものを観察するならば、神が無限のアイディアの本源であることは誰にも解かるのである。宇宙には木の葉一枚くらべて見ても同一の樹でありながら全然同じ葉脈をもった葉は存在しないのである。木の葉一枚一枚の輪郭がえがく曲線の美しさ、葉脈の流れの美しさ、しかも一枚一枚ことごとく異なりながら、美しいのであるから、その無限創造の神秘力に驚嘆するほかはないのである」

 春に萌え出でる若葉を見て、あるいは赤や黄に染まった秋の落葉を見て、我々が上のような思いを心に強く感じることが、「生命と生命の触れ合い」である。葉の形や色の中に表れている植物の生命を、我々が視覚を通して「美しい」と感得するのである。この感得は直感的であり、なぜそれを美しいと感じるかの説明は難しい。が、あえてそれを試みるならば、人間が植物との“接点”や“共通点”を葉の形や色の中に見出すからだ、と私は思う。葉脈の大きな特徴は、左右対称性である。我々人間の肉体の顕著な特徴の1つも、左右対称性である。体の中心部にある背骨から腕が2本、脚が2本、左右に伸びているだけでなく、肋骨、鎖骨、骨盤と、それらを動かす筋肉の構造も左右対称である。さらに目も耳も脳も、その他の多くの臓器も、基本的に左右対称である。
 
Mtimg0611014  植物の葉の色も、我々を感動させる大きな要素である。緑色は、人間の心に安らぎを与えることが心理学的に分かっている。これは、人類の遠い先祖が、森の中で生活していたときに、外敵から身を守れる場所が緑色の樹冠であったからだ、と進化生物学者は説明する。これに対して赤や黄は“警戒色”だが、食物を調理するときに用いた火の色でもある。また、動物に共通の血の色であり、日の出や夕焼けの色でもある。我々の遺伝子の中に刷り込まれているこういう太古の記憶が、紅葉や黄葉を見たときに我々の“感動”の一部を構成するのだろう。だから、「1枚の葉」を見ることで触れ合う「生命と生命」とは、単なる個と個の関係にあるのではなく、多くの生物種を巻き込んだ複雑で、奥深い関係にあるのだと思う。
 
 「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」には、次のようにある--

「私たちが花を見て、花の美しさを感ずることができるのは、私たちの生命(いのち)と花の生命(いのち)とが本来ひとつであるからである。私たちが空の星を見て、それを理解し天地の悠久を感ずるのも、星の生命と私たちの生命とが本来一体であるからである。或いはまた空の鳥を見て、その可憐さを感じ、その声の美しさに聴き惚れるのも、空の鳥の生命と私たちの生命とが本来一つであるからである」

 人間と植物の生命について、ここには「本来ひとつ」と書いてある。この意味は何だろう。私はこう考える。植物は、動物に実を食べられることによって子孫繁栄を図ってきた。こういう言い方が嫌いな人には、植物は動物に果実や穀物を与え、動物は植物の種を運んで殖やすことで共存共栄してきた、と言ってもいい。人間はさらに植物を自ら栽培することで、植物種を護り、人類自身も護ってきた。つまり、両者の利益は一致するのである。この関係は、功利的な要素をもちろん含むが、それだけでなく、長い進化の過程で、エモーショナル(感情的)に牽引する関係も作り上げてきた。だから、我々は多くの植物の果実の味や香りを好ましいと感じるのである。

 「生命と生命の触れ合い」はこのようにして人間の心の中で成立する。が、それを表現せずに、心にしまっておくだけでは芸術にはならない。言葉や絵、写真などでその密接な触れ合いの表現を試みるときに、初めて芸術に向かって動き出すのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年3月13日

納税の休日

 休日の今日は、“懸案”であった納税のための確定申告をした。朝一番に銀行が開くのを待って納税額分の預金を引き出し、その足で妻と一緒に渋谷税務署へ行った。毎年のことだが、なかなか手間がかかるし神経を使うことは、自営業者の方なら分かるだろう。が、国民としては当然の義務なので粛々として行うだけである。サラリーマンの頃は毎月の給料からの天引きだけだったから、自分が納税者であるという意識が薄かったが、確定申告をするようになると、tax payer (税金を支払う人=納税者)という言葉の意味を身に沁みて感じ、「税金のムダ使い」という言葉に敏感になるものである。

 そういう意識が最も研ぎ澄まされるのが税金の支払い時なのだが、払込みを受け付ける部屋は、暖房がよくきき、ほとんどの署員はワイシャツを腕まくりしている。また、私の納税分を受け取った男性署員は最初は1人だったが、金額を確認するために他の2人の署員(男)が立ち上がってきて、パラパラと札を手で数え出したのである。それで終りかと思いきや、今度は一度勘定したものをすべて、別の女性の署員に渡し、女性署員は近くに据えつけられた勘定用の機械にかけてバラバラと音をたてた後、領収証を発行してくれた。恐らく、納税者を待たせないための配慮と、ダブルチェックのためだろうが、何とも不思議な気がした。なぜなら、1年前に同じ場所で税金を払い込んだときは、1人の男性が機械による1回の勘定で、すぐに領収証を出してくれたからだ。
 
 そうは言っても、“国民の義務”を果たした後の春の空は明るく、澄みきっていた。道行く人がみな善人に見える、と言えば大袈裟だろうか。でも、そんな気分だった。昼までまだ時間があったから、私と妻は相談して、それぞれが渋谷駅近辺でしたいことをした後に、コーヒーショップのある書店で待ち合わすことにした。で、私は家電量販店へ行き、前々からほしかったICレコーダーなるものを購入した。デジタル式小型録音機のことだ。

 11日の本欄でヒキガエルの“愛の唄”のことを書いたが、今日の夕食後、私は池のそばへ行って、買ったばかりのICレコーダーを使ってそれを録音した。下のプレーヤーで聴いていただくと、私が「案外いい声」と言ったことに納得していただけるのではないか、と思う。
 
 

谷口 雅宣

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2008年3月11日

親虫の使命

 啓蟄を過ぎると、どこからか本当に虫が出てくるから不思議だ。また、わが家の庭では今、ヒキガエルが盛大に活動を始めている。池の中で雌雄が重なって産卵するだけでなく、コロコロと案外いい声で“愛”を語っている。その数を数えたことはないが、恐らく「数十」の単位ではなく「数百」ではないか。雨の降る日などは、石段を上り下りする時、彼らを踏まないように注意が必要だ。昨年2月14日の本欄によると、去年は2月中旬に温かい日が続いて、彼らは一度出てきた。しかし、その後にもどった寒気のためにまた姿を消した。今年はそんなこともなかったから、満を持して出てきたのだろう。

 妻はすでに9日、家の中で5ミリほどのゴキブリの子を見つけているが、私は今日、立派に成長したクロゴキブリを見つけた。ただし、わが家の中ではなく、明治公園の一角でだ。体長5センチ弱の黒光りしているのが、人の足で踏まれたのだろう。片方の羽を外側へ折って死んでいた。ゴキブリは家の中だけでなく、立木の穴の中にも棲むから、陽気に誘われて「さぁ、春だぞ!」と出てきたところで潰されたのだ、と私は想像する。哀れといえば哀れだが、冬を越した成虫のゴキブリは卵を産んだかもしれず、また、腹の中にまだ卵があれば、多くの子虫たちは生き延びる可能性をもっている。そんな場合、親虫は使命を果たして死んでいったのである。
 
 ゴキブリの羽折れ潰れ春浅し
 
 谷口 雅宣

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2008年3月 9日

ザゼンソウを眺める

 大阪城ホールで行われた生長の家講習会には、2万5千人を超える大勢の受講者が参集してくださり、盛大ながら、和やかな雰囲気のもとに行われた。主催する側の実行委員の数だけでも800人を上回るという規模だから、この半年間、推進のために努力して下さった人々は想像を超える数に上るだろう。この場を借りて、皆様の絶大なるご支援、ご協力、そして揺るぎない信仰に深く、厚く感謝申し上げます。前回に比べて千五百人以上も多くの方々が来てくださったのも、驚異的である。天候も穏やかで、大阪城公園の梅林の花々もまさに見ごろであり、誠にありがたい1日だったと思う。

 午前の講話を終り、大阪教区の最高幹部の方々との会食会場へ入ったとき、部屋の中 央に豪華な春の花々が飾られていた。と、その中心部に何か黒い、動物の頭のようなものが見えた。注意して見ると、それはザゼンソウだった。この植物の花序は大きな苞形をしていて、仏像の光背にも似ている。ミズバショウの花序は白色だが、ザゼンソウは赤黒い。会食を終えて控室で休憩をしたが、ここにもザゼンソウが飾られていた。その色と形を眺めていると、何かしなければ……という気持になったので、ペンでスケッチをMtimg080309始めた。
 
 人が一念発心し、長期にわたって何事かを成し遂げんと歩みゆく姿は、祈りに似ている。それは「動」の中にあって不動の「静」を感じさせるものだ。派手な動きは目立つものだから、色に喩えれば黄、赤、白のような明るい色になる。が、動中の静は、そんな派手な色の陰に、影のごとく寄り添う深い色--濃紺、藍、セピア、チャコール・グレー、そして黒だろう。花は本来、昆虫を呼び寄せるために目立つ色、明るい色を天に向けるものだ。が、ごく稀に、深く、濃い色で咲くものがある。ザゼンソウは、そんな稀有な花の1つと言える。赤黒く錆びた鉄のような、それでいて、形はキューピーの頭の毛を思わせるユーモラスな花序が、じっと横を向いている。参禅中の僧の姿からこの名があるのだろうが、僧の頭というよりは、幼な児のそれを思わせる。
 
 幼い時から変わらぬ志をもち続けた魂が、幾多の人生経験を積みながらも同じ志を保持してきたならば、その志は鉄に化してこんな姿になるかもしれない……ザゼンソウを眺めながら、こんな想念が心中を流れた。

 谷口 雅宣
 

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2008年2月 7日

コンポストの土

 好天に恵まれた今日は、午後から庭の植物たちに施肥をした。「寒いうちに……」と思いながらも、忙しさにかまけて延び延びになっていた。すでに立春も過ぎてしまったから“寒肥(かんごえ)”とは言えないが、数日の差は植物も許してくれるだろうと願いながら、土を掘った。「植物」とは書いたが、庭のすべての植物に施肥することはできない。当然、特定の種をエコヒイキすることになる。私の場合、果樹を優遇する。理由はきわめて単純--美味しい果実を期待するからだ。というわけで、キーウィー、ブルーベリー、イチジク、スモモの樹の下にスコップを入れることになった。日陰には、先日降った雪の名残りもある。軟らかい土に、スコップは面白いほどよく入った。
 
 スコップが簡単に入りすぎるのが、気になった。実は寒肥は、寒中を逃してはあまり効果がないと言われているからだ。土が柔らかいのは、土中の微生物がもう活動を始めているからで、植物の根も伸び始めているのだろう。土を掘ると、その柔らかい根を伐ってしまう危険がある。特に気になるのはキーウィーの樹で、昨年は勢いがなく、実がほとんどできなかった。雌雄2本の木のうち1本は今、枯れたような状態である。これに立ち直ってほしいのである。
 
 肥料は、家の生ゴミで作ったコンポストだ。2つあるコンポストの容器が、ちょうどいっぱいになりつつあった。そこで、半年前にいっぱいになった方の容器から中身を取り出し、樹下に細長く掘った穴を埋めていく。コンポストの中身は半年たてば、ほとんど黒い土になっていて、臭いもあまりしない。それでも卵の殻、貝殻、パッション・フルーツの外殻、鶏の骨などがまだ外形を残していて、何となく懐かしい気持にさせる。それらが、土中へと新たな旅立ちをするのである。“彼ら”はいずれ分子をはがされて、土中から植物の根に吸収され、再び果実となって、妻か私の口に入るか、昆虫に食べられるか、あるいは海を渡って飛んできた鳥の胃袋に入る。そんなことを考えながらスコップを振るっていると、時間がたつのを忘れてしまう。

 私がこの作業に没頭しているのを横目で見ながら、三毛と黒の2匹の野良ネコが日向ぼっこをしていた。私との距離は、最短で5~6メートルだっただろうか。私が、バケツに入れたコンポストの土を運んでスモモの樹のそばへ行くときに、彼らとの距離は最も縮まる。すると、2匹はそわそわと腰を上げて、縁の下へ逃れるのである。しかし、そのまま別の場所へは行くわけでもなく、私の姿が見えなくなると、再び同じ場所にもどってきて陽だまりの中に横たわる。ネコごっこならぬ、こんなイタチごっこを3~4回繰り返した後に、2匹はどこかへ姿を消してしまった。
 
 施肥のあと、家の北側にブルーベリーの小株を移植した。これは、挿木したのがついて、植木鉢で育てていたものだ。移植した場所には、もともとシャクナゲがあったのだが、昨年、なぜか枯れてしまった。ブルーベリーの成長には陽光が必要だから、家の北側でうまく育つか自信がない。が、若い株の枝の勢いに期待して、これにも旅立ちをさせた。

 谷口 雅宣

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2007年12月22日

バイオ燃料の“光明面”

 本欄では、これまでしばしばバイオエタノールやヤシ油の急速な利用に伴うデメリットを語ってきたので、読者の中には「バイオ燃料は悪い」との誤解が生じているかもしれない。そこで今回は、この燃料の“善い面”に焦点を当てて考えてみたい。

「バイオ燃料」(biofuels)などとカタカナ混じりの言葉で呼ぶと、まるで何か最先端の科学研究の成果のような印象を与えるかもしれないが、この燃料は、人類が太古から使ってきたごく普通の燃料--薪、藁、柴、炭--などと密接な関係をもった概念である。つまり、生物由来の燃料で、化石化していないものをバイオマス(biomass)と呼ぶが、そこから抽出される液体燃料と混合ガスのことを指す。昔、日本では、石油禁輸中にサツマイモを原料としたバイオエタノールを使ったことを忘れてはならない。

「バイオ燃料.com」によれば、「バイオ燃料は、生物体(バイオマス)の持つエネルギーを利用したアルコール燃料やその他合成ガスのこと」である。また、米エネルギー省傘下の研究機関であるアメリカ再生可能エネルギー研究所(National Renewable Energy Laboratory, NREL)の説明には、「バイオマスは他の再生可能エネルギーとは異なり、“バイオ燃料”という液体燃料に直接変換することができる」とある。また、ワールドウォッチ研究所の『地球環境データブック』の定義は「植物などのバイオマス由来の液体燃料」である。とすると、「混合ガス」を含むか含まないかで、日米間の考え方にまだ若干の差があるようだ。

 代表的なバイオ燃料は、エタノールとバイオディーゼルである。エタノールは現在、サトウキビ、トウモロコシ、小麦、大麦などの穀物を主原料としているが、これをトウモロコシの茎、稲や麦の藁、竹、スイッチグラスと呼ばれる雑草などから抽出する研究が進んでいる。一方、バイオディーゼルは、植物性油と動物性油脂を原料として作られており、上記のNRELによると、アルコール(普通はメタノール)と植物油、動物の脂、廃油などを加えて精製する。いずれのバイオ燃料も、原料の元をたどれば植物による光合成に行き着くから、太陽エネルギーを液化したものと見なされる。

 地球温暖化抑制の観点から見て重要なのは、これらのバイオ燃料のエネルギー量と、それを製造するために使われる化石燃料のエネルギー量との比較である。前者が後者に比べて大きければ大きいほど、温暖化抑制に役立つことになる。この差が大きい--つまり、温暖化抑制効果が大きい--ものから並べると、①雑草などの植物繊維由来のエタノール、②ヤシ油由来のバイオディーゼル、③サトウキビ由来のエタノール、④植物性の廃油からのバイオディーゼル、⑤ダイズ由来のバイオディーゼル、⑥ナタネ由来のバイオディーゼル、⑦小麦、テンサイ由来のエタノール、⑧トウモロコシ由来のエタノール、の順となる。ただし、この順位は、現在の製造工程にもとづいているから、新しい省エネの製造法が開発されれば当然、変化する。
 
 この順位を見ればわかるように、同じバイオエタノールでも、米国産(トウモロコシ由来)のものとブラジル産(サトウキビ由来)のものとでは温暖化抑制効果は違うのである。日本で現在使われているバイオエタノールは、フランス産の小麦を原料としたものだから、ちょうどその中間的位置にある。日本政府は現在、沖縄産のサトウキビを原料としたエタノールの生産に力を入れているが、その判断は合理的と言える。しかし、サトウキビは食品の原料でもある。だから、本命は何と言っても、食料と競合しない雑草などの植物繊維由来のものだ。したがって私は、この分野の技術開発に是非、官民挙げて全力で取り組んでほしいと思うのである。
 
 谷口 雅宣
 
【参考文献】
○クリストファー・フレイヴィン編著/福岡克也監訳『地球環境データブック 2006-07』(2007年、ワールドウォッチジャパン刊)
○「バイオ燃料.com」、(http://バイオ燃料.com/)

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2007年12月18日

ブルーベリーを楽しもう

 “収穫の秋”も終わって、収穫物を食べる冬になった。私は生長の家の講習会などで、11月に群馬、小樽、長崎、千葉へ行き、12月は高知、鹿児島、沖縄へ行った。こうして日本各地へ行くと、「今年は果物が豊作だ」という話をいろいろのところで聞いた。実はわが家の庭でも今、温州ミカン、柚子、ポンカンといった柑橘類が豊富に実っている。ただし、キーウィーはカナブンにやられた。地球温暖化にも“善い面”があるということだ。家にあるブルーベリーの木にも、今年は豊富に実が成った。昨年もカナブンが大発生して、実をさんざん食い荒らしたのだが、今年はそのカナブンの勢いにも負けずにどんどん実をつけてくれたので、私たちは生食で楽しんだ後にも、ジャムを作って冬場にも楽しみを引き延ばしている。
 
 この間、採りためて冷凍してあったブルーベリーの実を、妻がジャムに加工してくれた。その様子を動画にまとめたので、ここに掲載する。
 
 谷口 雅宣

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2007年11月29日

外来魚とのつき合い方

 11月12日の本欄で、天皇陛下がアメリカからブルーギルを持ち帰られ、そのことを大津市で開かれた「全国豊かな海づくり大会びわ湖大会」で話されたことを書いたが、これが話題になっているらしく、28日の『朝日新聞』が夕刊で、琵琶湖のブルーギルについて“続報”を書いている。本欄の私の文章に対しても、読者の1人がコメントをつけて、ブラックバス(オオクチバス)とブルーギルの料理法について教えてくださった。「南アジア系のお料理に合う」らしく、滋賀女子短期大学の小島朝子氏は、「スパゲッティー・ブラックバスソース」と「ブルーギルのレイクチキンサラダ」というレシピを発表しておられるのだ。

 上記の『朝日』の記事によると、ブルーギルは「ビワコダイ」という商品名でなれ寿司として売られているらしい。地元ではニゴロブナを使った鮒寿司(ふなずし)が有名だが、これにあやかり似たような味を出しているという。また、ブラックバスも「ビワスズキ」という商品名で同じなれ寿司として売っているらしい。さらに、琵琶湖畔にある滋賀県立琵琶湖博物館のレストランでは、「バス天丼」というメニューもあり、取材記者は「白身でくせのない味だ」と書いている。しかし、ブルーギルについては、「皮に独特の臭みもあり、浸透はいま一つ」だそうだ。
 
 アメリカでは両種とも食用にされているのだから、いずれ日本人の口に合うような料理法が開発されるだろう。が、私が気になるのは、「タイ」とか「スズキ」などの全く別の魚の名を冠する呼称である。食品の呼称や表示については今、さまざまな偽装や偽名が使われて問題になっているところだから、“中身”とは違う“名”を付すことで商売をする方法は社会に受け入れられない方向に進んでいる。どんな名前をつけようが、いずれ中身はわかってしまうし、分からなければならないのだから、原材料名をきちんと表示するのがいいと思う。それとも、カタカナの名前では日本では受け入れられにくいとの考えなのだろうか?
 
 それで1つ提案なのだが、魚好きの中国人・日本人は魚偏の漢字をいくつも考案してきたのだから、この際、この2種の外来魚にも漢字名を与えてあげるのはどうだろうか? 鮨屋で出される茶碗に描かれている「鯛、鱒、鮭、鰯、鰤、鱈、鰻……」のような漢字を作って、それを滋賀県がトレードマークのようにして売り出せば、「日本の魚」というイメージが生まれるのではないだろうか。
 

Gillbass

 ということで、私は勝手にブルーギルとブラックバス(オオクチバス)のための漢字を作ってみた。少々の皮肉もまじえて……。上段がブルーギル、下段がブラックバスである。私自身は、双方とも左端のものが何となくピッタリくるような気がする。
 

 谷口 雅宣 

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2007年11月23日

カキとムベ

Mtimg071120m  秋季大祭が行われた生長の家総本山では、久し振りにペンと絵の具でスケッチをする機会を得た。というのも、“稔りの秋”さながらの果実や花々が宿舎の部屋に飾られていたからである。その中からカキとムベとミカンを並べて、絵に描いてみた。
 
 カキとミカンは説明の必要はないが、ムベについて少し……。これは別名、「トキワアケビ」とか「ウベ」とも言う。アケビ科の常緑蔓性の果樹。実はアケビに似ているが、アケビの実は熟すと中央線から自然に割れるのに対し、ムベは割れない。大きさもアケビより1回り小さく、色はアケビより濃い紫紅色。果実は食用のほか、生け花の材料とする。10月18日の本欄にアケビを描いた絵を掲げたので、これと比較されたい。
 
 谷口 雅宣

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2007年11月15日

人間と動物との共存 (2)

 11日の本欄で積み残した問題の1つは、こうだった--「家畜の肉を食すことと、野生の動物の肉を食すことを同等に扱っていいか?」
 
【肯定論】
 1匹の動物は、それが家畜であろうと野生であろうと独立した「生命」であることに変わりはない。したがって、肉の量や利用価値に差はあっても、1頭のウシを殺してその肉を食べることと、1頭の野生のシカを殺してその肉を食べることの間には、本質的な違いはない。もしウシの飼育と利用が環境問題を深刻化するのであれば、その恐れが少ない野生のシカを捕獲し利用することの方が、経済合理性にも合致し、環境倫理にもかなっている。
 
【否定論】
 1頭の家畜には、それが家畜とされてきただけの特殊性と利用価値がある。ウシは、永い年月をかけて人類が“改良”を重ねてきたことにより、乳や子牛の肉をはじめ、体のほとんどの部位を人間が利用できるようになっている。それに比べ野生のシカは、たとえ人間にロマンチックな感情を抱かせるとしても、1頭当たりの人間に対する利用価値は、ウシより少ない。したがって、野生のシカの頭数は、ウシの頭数が増える方向に決定すべきである。北海道の場合、野生のシカの捕獲や利用は、環境保全の意味では有効であっても、ウシの飼育数の減少につながる可能性があれば、好ましくない。

 上記の2論以外にも、肯定・否定の議論はあるだろう。例えば、人間にとっての利用価値を判断の基準に用いることは、生命の軽重を人間本位に判断する人間至上主義であるから間違いだ、とする宗教的な生命平等主義を唱えることもできる。しかし、この場合は、人間の自然界への関与自体を否定することになるだろうから、野生動物はシカだけでなくクマやサルの捕獲も許されないことになる。解決策としては「人間撤退」の方向へ進んでいくだろう。そうなると、長期的にはともかく、今目の前にある問題に対して打つ手は何もない。
 
 また、「人工(ウシ)には手をつけてもいいが、自然(野生のシカ)は尊重すべき」という考え方に基づいて論を立てることもできる。これは、「人工(ウシ)の方が自然(野生のシカ)よりも価値がある」とする上記の否定論と真っ向から対立するから、結果的には「人間撤退」の方向に近づいていくだろう。
 
 ここで読者に気づいてほしいのは、これらの議論の底流には「感情」や「文化」の問題が潜んでいるということである。これまで永い間、人類が家畜とともに生きてきたということは、人類が家畜の利用価値を“創造”してきたと考えることができる。この過程で、家畜の側が人類に適応してきただけでなく、人類の側でも家畜に適応してきた。つまり、家畜をめぐるさまざまな感情的問題を宗教や儀礼を考案することで解決あるいは緩和し、その解決策は、すでに現在の我々の文化の一部を構成しているのである。だから、上記の「否定論」は大変強力であり、たとえ「肯定論」が正しかったとしても、人類の心から否定論を払拭することは簡単にはできないだろう。

 15日付の『ヘラルド朝日』紙に、鳥とネコをめぐる興味深い訴訟のことが書かれている。ネコは、家畜よりもさらに人間に近い「愛玩動物」であるから、野鳥との価値を比較されれば、多くの人がネコを選ぶだろう。それは基本的に個人の感情の問題だが、法律でそれを定めてしまうと、人々の間に議論が起こるのはやむを得ない。ネコと鳥の選択は、論理的には説明が難しいからである。
 
 この記事によると、米テキサス州では今、野鳥の保護のためにネコを銃で撃ち殺した人が裁判にかけられている。この人は、ガルヴェストン鳥類協会(Galveston Ornithological Society)を創設したジェームズ・スティーブンソン氏(James Stevenson、54歳)で、ヒューストン市の南東沖約100キロに浮かぶガルヴェストン島に住んでいる。スティーブンソン氏はこの島に住みながら毎年、約50万人もの人を宿泊させて、バードウォッチングの指導をしているらしい。同氏は昨年11月のある日、絶滅危惧種の鳥、海鳴きチドリ(piping plover)を捕らえようとしたネコ1匹を、22口径のライフル銃で撃ち殺した。裁判の直接の容疑はこの1件だが、同氏はこのネコのほか、自分の敷地内に侵入するネコを何匹も殺したことを認めているそうだ。テキサス州の法律によると、飼いネコを残酷な方法で殺した場合、最高で2年の刑と1万ドルの罰金が科せられるという。
 
 問題は、このネコが“飼いネコ”であるかどうかだが、検察側は、ネコは有料道路の橋の下に棲んでいるとはいえ、料金所で働く人に「ママキャット」と名づけられ、エサや寝床や玩具を与えられているから「飼いネコ」だと主張している。これに対して弁護側は、スティーブンソン氏は絶滅危惧種の野鳥を守るために野生動物を殺したのだから、無罪だと主張しているらしい。アメリカの裁判は陪審員制度だから、12人の陪審員がこの件を判断するという。読者がそのうちの1人だったら、スティーブンソン氏を「有罪」とするだろうか、それとも「無罪」とするだろうか?
 
 谷口 雅宣

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2007年11月12日

天皇陛下とブルーギル

 ブラックバスとともに琵琶湖の生態系を壊した外来魚として知られるブルーギルが、天皇陛下がアメリカで寄贈されたのを持ち帰ったものだということを、陛下ご自身が初めて言及された。12日の『朝日新聞』夕刊などによると、天皇陛下は11日に大津市で開かれた「全国豊かな海づくり大会びわ湖大会」に出席された際、「ブルーギルは50年近く前、私が米国より持ち帰り、水産庁の研究所に寄贈したものであり、当初、食用魚としての期待が大きく養殖が開始されましたが、今このような結果になったことに心を痛めています」と述べられたという。

 これはもちろん、陛下が持ち帰られた魚が直接自然界に放たれて、今日の生態系の破壊を起こしたということではない。この記事には、宮内庁の情報として、陛下は皇太子時代の1960年に訪米されたとき、シカゴ市長から寄贈されたブルーギルを、食用や釣りの対象になればと思われ、水産庁の研究所に寄贈された、とある。それが1963~64年ごろ、国から滋賀県の水産試験場に分与されてから、何らかの原因で60年代末までに一般の水域で見られるようになったという。また陛下は、ブルーギルについて「おいしい魚なので釣った人は持ち帰って食べてくれれば」と側近に話されていた、とも書いてある。

 こういう話がもっと前に人々に知られていれば、ブルーギル料理やそれを材料とした佃煮などが琵琶湖などの各地の名産になりえたのではないか、と思う。それとも、知らなかったのは私だけなのだろうか? そう思って、ネット上の辞書を調べてみると:
 
『大辞泉』--サンフィッシュ科の淡水魚。全長約20センチ。体形はタイに似て、灰褐色で、えらぶた後端が黒っぽい。北アメリカ原産で、日本には昭和35年(1960)渡来。原産地では40センチに達する。ルアー釣りの対象。

『大辞林』--スズキ目の淡水魚。全長 25cm ほど。体は卵円形で側扁する。背は緑褐色で腹部は淡い。雄の鰓(えら)の後端が青黒く見える。北アメリカ原産で、1960 年に湖沼に移入された。その後分布が全国に広がり、在来種への影響が懸念されている。釣りの対象魚。

 とあるだけで、陛下のことに何も言及がない。自宅にある平凡社の『世界大百科事典』(1988年)にも、日本への移入については年代も経緯もはっきり書かれていない。 わずかに講談社の『大辞典 desk』(1983年)に、「1960年、皇太子が渡米の際、シカゴ水族館から贈呈され、一部を静岡県一碧湖に放流」とあった。

 当時の日本は食糧難で、繁殖力の旺盛な淡水魚を日本に移植することで、国が問題の解決を図ろうとすることは理解できる。しかし、その後、生態系のバランスの微妙さや複雑さが知られ、生物多様性の重要性が認められるようになったことで、外来種の移植は今では“禁じ手”となった。天皇陛下は、生物学者としてそのことを痛いほど感じておられるだろうから、今回のようなお言葉になったのだろう。このように率直に、過去の過ちを認められる陛下に、私は大きな感銘を覚えるのである。
 
 前回の本欄で、シカの被害を緩和する方策として「シカ肉を食べる」という手段を考えてみたが、今回は「ブルーギル料理」が選択肢に上がってきたようだ。この魚を、私はまだ見たことも口にしたこともないが、この辺の事情に詳しい読者からご意見をいただけると幸甚である。
 
 なお、上記の陛下のお言葉については宮内庁のサイトで全文が読める。

 谷口 雅宣

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2007年11月11日

人間と動物との共存

 北海道に来て考えさせられたことがある。それは、人間が野生の動物と共存するためには、人間自身も“野性的”にならねばならないのか、ということである。この場合の“野性的”の意味は、「動物的」と言ってもいいかもしれない。例えば、シカの肉を食らい、銃を持ってクマを追いかけるような生活をすることである。
 
 野生のシカが増えて農産物や山林に被害を与えているのは、北海道に限ったことではない。が、北海道は広大な農林業地域だから被害額も大きく、年間で30億円におよぶという。東京でも奥多摩町などでその被害が深刻であることは、昨年5月30日の本欄でも触れた。ここでは、シカ肉料理を特産品として売り込むことを考えているようだが、北海道の場合も、札幌、江別両市では市民がシカの味に親しんでもらうための「エゾシカ料理まつり」が今、行われているという。10日の『北海道新聞』が夕刊で伝えている。シカ肉料理を特産として定着させることで、増え続けるエゾシカの被害の緩和に役立たせようとしているらしい。

 人間の嗜好は、習慣によって作られる面が確かにある。だから、多くの人々がシカ肉を味わう機会が増えれば増えるほど、日本全体で食品としてのシカ肉の需要がふえる可能性がある。そうなれば、シカの捕獲量が増える一方で、“競合食品”と思われる牛肉、羊肉、ブタ肉、鶏肉などの需要が減るから、自然破壊の程度が和らぐ可能性はあるかもしれない。しかし……と、私は考え込んでしまう。元来の北海道の自然では、シカは天敵であるヒグマやオオカミによって生息数を制限されてきた。そういう天敵が減った今、人間が代わりに天敵になるべきである--その考え方は理解できる。よく考えれば、人間はすでに太古の昔からシカの天敵なのだから、“害獣”を駆除するのに今さらためらうのはオカシイ。が、それと同時に、「シカを殺すのはかわいそう!」と叫ぶ動物愛好家がいるし、子供たちがいる。この矛盾撞着の中で考え出されたのが「シカ肉料理」なのだろう。
 
 シカ肉料理の普及により、日本全国の食肉販売店の店先に占める牛肉、ブタ肉、鶏肉の割合が、肉類全体に対して少し減少する。それにともなって「シカを殺すのはかわいそう!」と叫ぶ人の声も小さくなっていくに違いない。なぜなら、今、牛やブタ、ニワトリを殺して食べることを「かわいそう!」と言う人はきわめて少ないからだ。これらの家畜、家禽なみにシカが扱われることで、狩猟家の仕事がしやすくなり、農産物被害が減り、自然破壊も若干減る--いいことばかりだから、文句を言うのはオカシイ。

 上に書いた論理は、細部にいくつか“穴”があるが、それは問題にしないことにして、“大きな穴”を指摘すると、それは「感情」や「文化」の問題が考慮されていないことだろう。また、家畜の肉を食することと、自然界の象徴であるような動物(シカ)を殺して食することの違いも、考えるべきだと思う。これらのことは、また別の機会に述べてみたい。
 
 ところで、千歳から羽田までのAIR DO機の機内誌『ラポラ』11月号の中に、知床財団の山中正実氏が「ヒグマとつき合うために」と題した文章を書いていた。それをひと言でまとめれば、今は「銃の発砲でヒグマを威嚇する」ことが人間とヒグマの共存に必要だというのである。世界遺産に指定された知床には、ヒグマが高密度で生息している。近年、観光客が増加しているから、人間とヒグマが接触する機会もふえていて、山中氏によると、クマがのんきに道路を歩いていたり、川でサケを獲っている様子を「たくさんの人たちが大喜びで観察している」という。しかし、餌を投げ与えたり、近づきすぎてクマをいらつかせたりする人もいて、これが「危険と隣り合わせ」だと気がつかないので、山中氏らは、人の近くにいるクマを見つけると、殺傷力のない威嚇用の弾を込めて銃を発射する以外に仕方がないのだそうだ。すると、観光客からは、せっかく見つけたクマを追い払ってしまうイジワルなオッサンということで、ブーイングを受けることになるという。
 
「増えすぎたシカ」と「人に脅威を与えるクマ」--この2つの問題を解決する道は、どこにあるだろうか? 読者はすでに気づいていると思うが、これら2つの問題の原因は共通している。だから、解決の1つの道は、その共通の原因を除くことである。しかし、それができないところが、きわめて現代的で、人間的な問題なのである。

 谷口 雅宣

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2007年11月 6日

ミツバチはなぜ減少する? (2)

 今年3月2日の本欄では、アメリカでミツバチが大量に減少していることを報告したが、その原因についての研究結果が出たようだ。確定的ではないようだが、ウイルスの感染によるらしい。10月12日付の科学誌『Science』に論文が掲載されている。
 
 広大な国土のアメリカでは大規模農法によって小麦、トウモロコシ、ダイズなどの穀物や野菜、果実が生産されていることはよく知られている。そして、それら農産物の多くは日本に輸出されている。こうした植物の授粉には、養蜂家が大きく貢献しているのだ。上記の本欄で書いたように、「彼らは大型トラックに巣箱を満載して、アメリカ各地を回り、農家の依頼によって、場所を定めてハチを放つ」という活動をしている。ところが今回の大量減少では、出て行ったハチの多くが帰ってこなかったのである。そして、巣箱の中にも、放った場所の周辺にも、ミツバチの死骸は見つからない。そこで、方向感覚の喪失、寒さによる死、ウイルスや細菌の感染、栄養不足、殺虫剤の影響、ストレスのかかりすぎ、ダニの寄生などが、その原因として考えられていた。
 
 この現象は群棲崩壊障害(colony collapse disorder, CCD)と呼ばれていて、2006年に初めて正式に報告されたが、散発的なケースは2004年ごろから知られていたという。深刻な被害を出した2006年から2007年の冬のCCDでは、アメリカの養蜂業の23%が影響を受け、影響を受けた養蜂家では平均して45%のミツバチが失われた。1980年代以降、ミツバチの群棲にはダニの寄生による被害が増加傾向にあるが、その場合は、巣箱の中に死骸が残り、働きバチが段階的に減少するなどの兆候が見られた。そこで今回のCCDは、これまでに知られていない感染源によるものではないかと疑われた。その証拠に、CCDの起きた群棲で使われていた器具を再使用すると、似たような現象が再び起こり、その逆に、放射線による殺菌を行った器具ではそれを未然に防止することができたという。
 
 CCDの原因を追究するため、ペンシルバニア州立大学のダイアナ・コックス=フォスター博士(Diana L. Cox-Foster)らの研究チームは、CCDの起こった州から群棲を4つ、起こらなかった州から2つ、さらにオーストラリアから輸入されたハチと、中国から輸入されたローヤル・ゼリー4種を選び、それらのサンプルの遺伝子(RNA)を解析してウイルスの有無を調べたという。その後、発見された数種類のウイルスとCCDの有無を統計的に解析したところ、CCDの発生パターンと最も一致するのが「IAPV」と呼ばれるウイルスだったそうだ。
 
 IAPVとは、2004年にイスラエルで発見された Israeli acute paralysis virus (イスラエル急性麻痺ウイルス)の略称である。これに感染したミツバチは、羽を小刻みに震わせながら、しだいに麻痺状態に陥り、巣箱の外へ出て死ぬという。CCDが起こった研究対象の群棲では、オーストラリアから輸入されたミツバチを使っていたか、あるいはそういうミツバチと混じり合って生活していた。このオーストラリア産のミツバチは2004年から輸入が始まっているが、この年から群棲が異常に減る現象が報告されているという。そんな理由で、この研究グループはIAPVがCCDの発生に重要な役割を果たした、と結論している。
 
 外来種のミツバチを大量に導入したことで、予想外のウイルスの被害に遭ったということだろうか。このウイルスは、人間の動きに載って「イスラエル→オーストラリア→アメリカ」と、地球を半周しているのである。原因は確定的でないとは言え、グローバリゼーションがもたらすリスクの一端を示しているように思う。
 
 谷口 雅宣

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2007年11月 2日

キノコ採りしませんか (3)

 10月31日の本欄を読んだ読者から、「キノコを採りたくても、近くに生えてないから……」という不満気な声が聞こえてきたので、ここで“裏ワザ”を公開する。それは「自分で栽培してしまう」のである。風通しのいい日陰があれば、シイタケはほぼ間違いなく栽培できる。だから、都会でもキノコ採りは楽しめる。JマートなどのDIY店で売っているホダ木を買ってきて、風通しいい日陰に立てかけておく。乾燥しすぎないように注意する。朝夕の寒暖の差が大きくなる春と秋の2回、シイタケは出てくる。自然に出るのを待つ方法と、ホダ木に刺激を与えて驚かせ、“芽”を出す方法がある。
 
 好きな時期にまとめて食べたいときは、“刺激法”がいい。わが家ではこのあいだ、刺激法で出したシイタケをおいしくいただいた。“芽”が出てから傘が成長する様子を動画にしたので、興味のある人はご覧あれ。

 谷口 雅宣

 

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2007年10月31日

キノコ採りしませんか (2)

 10月25日の本欄で「なかなか行く機会がない」と書いた山梨の山荘へ、やっとやってきた。幸いにも紅葉はまだ終っておらず、鮮やかな赤や黄に染まった広葉樹の葉が、大手を拡げて私たちを迎えてくれた。「キノコも……」と期待に胸を膨らませて裏山の森の中を探索したが、ほとんど何もなかった。古くなって乾燥しかかったチャナメツムタケとドクベニタケが、ポツポツと出ているだけだ。飯盛山に近い美し森まで車で行き、1時間近く森の中を歩いたが、結果は大差なかった。もうキノコの季節は終わってしまったようだ。
 
Shimejim  ところが、道路沿いに出ている野菜販売所に立ち寄ると、クリタケやホンシメジ、ナメコが並んでいる。「あるところにはあるものだなぁ」と思いながら、それらのキノコのパックを見ると、生産者名を書いたラベルが貼ってあるではないか。店の人に訊くと「栽培したキノコです」という。なぁんだと思ったが、白いシメジは直径10㎝ほどもあり、鼻を近づけると独特のよい香りがする。妻を促して買ってもらい、夕食の味噌汁の具にしていただいた。ごちそうさま。
 
 谷口 雅宣

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2007年10月30日

ピーマンとショウガ

 稔りの秋は今たけなわ--ということで、ピーマンとショウガを描いた。どちらも必ずしも「秋の作物」ではないが、入り組んだ曲線と肌の輝きが魅力的なピーマンと、瑞々しい赤紫とピンク、緑の調和が美しいショウガを組み合わせてみた。
 
Peamanm  妻は今年、パプリカの苗を買ってきて植木鉢に植えかえ、家の東側の庭に置いた。オレンジや黄色の鮮やかなパプリカの実は私も好きで、食べる前に何回か絵に描いたことがある。が、この苗はぐんぐん育ったのはいいが、実ができてもなかなか色づかない。やっと1つ赤くなったのを最近採ったが、そのほかのいくつかは、緑のまま収穫した。この絵にあるのはそのパプリカではないが、外観はそっくりである。

 また、妻は最近、伊勢の実父から立派な新ショウガを4株ほどもらい、よく料理に使う。今日の私の弁当の中にも、香の物として入っていたので、おいしくいただいた。妻の父は、有機農法による野菜栽培に凝っている。それも素人の趣味の範囲を超えて、市場に出すほどになっている。私たちもそのおかげで、ときどき“産地直送”の新鮮な野菜をいただくのである。今回のショウガも単独でもらったのではなく、ジネンジョ、サツマイモ、サトイモ、ナス、キュウリ、ムカゴなどと一緒に、ダンボール箱に入って送られてきた。ありがたいことである。

 谷口 雅宣

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2007年10月25日

キノコ採りしませんか

 秋はキノコ採りの季節だが、最近はなかなか山へ行く時間がない。標高が高い地域では季節が早く過ぎていくから、もうキノコの季節も終わり、紅葉さえも終わろうとしているだろう--などと考えているうちに、わが家の庭に置いてあるシイタケのホダ木から“芽”が出てきてくれた。うれしいものである。キノコ採りは、都会の真ん中でもできるのだ。

 先月は山へ行く機会があり、キノコ採りをした。幸いにもタマゴタケという食用キノコに遭遇できた。タマゴタケは夏場のキノコだから、今ごろはもうない。有毒のベニテングタケと似ているので注意が必要だが、軸の根元に卵の殻のようなものがついているのと、味自体が卵に似ているところから、この名がついたのだろう。バターによく合い、洋風の味がする。その時に撮映したものを今回、1本の動画にまとめた。料理の様子も収めてあるで、興味のある人はご覧あれ。

  谷口 雅宣

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2007年10月18日

パソコンで絵を描く (3)

Fruitsm  11日の本欄に続いて、タブレットPCを使った絵をご披露する。今回は、秋の作物である「ザクロとアケビ」を描いた。今日訪れた東京郊外のスーパーで売られていたもので、色の美しさに惹かれて買った。好き嫌いはあるだろうが、どちらの果実も実際に食べるとなると「すごく美味しい」とは私には言えない。巨峰ブドウやパイナップル、オレンジなどの西洋風の“強い味”に慣らされてしまったからかもしれない。しかし、見た目の美しさは、油絵に対する日本画や墨彩画のような違った趣がある。ほんのりとしているが、奥深さが感じられるのである。
 
 このところ朝晩には寒さを感じる日もある。いいよいよ東京の秋も深まってきた。この絵をもって、本欄を愛読してくださる読者の皆さんへの季節のご挨拶としたい。季節の変わり目から、くれぐれも御自愛ください。
 
 谷口 雅宣

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2007年10月16日

ゴキブリの話

 昨日の朝、自宅のダイニングで私がまだ充分に目覚めていない頭で、朝食のセッティングをしていた時のことだ。ナイフ、フォーク類をテーブルに並べ、コーヒーを容れるマグカップ、牛乳用のグラスなどを食器棚からテーブルに移し、さらにオーブン・トースターを開閉式の扉のある収納棚から取り出してから、ハッと気がついた。その収納棚の扉の近くの床の上に、長さ3センチほどの茶色く光った楕円形のボタンのようなものがある。床が焦げ茶色なので、その上にある茶色のものは目立たなかったが、よく見ると、どうも化石時代から生きているという、あの脂ぎった昆虫のようなのだ。私は両手にオーブン・トースターを持っているから、何もできない。その虫は、人間の動作を察知することに優れ、すばしこさでは右に出るものがいない。それが、私の足元で身構えている。決断を迫られた私は、“専門家”の処理に任せることにした。
 
 “専門家”とは、妻のことである。妻は、他の多くの料理好きの女性と同じように、この虫を嫌う程度においては家族随一である。3人の子供がまだ家にいたころは、2階の子供部屋にその虫が現れた場合、子供たち--特に二男と長女は、階下にいる母親に向かって大声で「ゴキが出た!」と叫んだものだ。すると妻は、何をさておいても2階に駆け上がり、スリッパを手に持ってその虫を退治しようとする。子供たちは、それを面白がって見物したものだ。夫婦2人の今は、私が子供の役をする。ただし、「面白がる」というよりは「自分で殺したくない」という卑怯な根性が半分ある。これは前にもどこかに書いたことだが、私はゴキブリという虫を決して好きではないが、家じゅうのゴキブリを殲滅したいとは思わない。できることなら共存したいのだが、食堂や居間や寝室に出てきては困るのである。勝手な言い分かもしれないが、人間の生活の場以外のところにいる分には、それほど気にならないのである。
 
 実際、夏の一時期、私はコンポストの中に黒々としたのが1匹いたのを知っている。そこは、彼らにとっては食料の宝庫に違いない。私は毎朝、庭に置いたそのコンポストの中に生ゴミを捨てに行くが、容器の蓋を開けると、その黒々とした1匹が穴倉の中で羽を光らせている姿を見て、2週間ほど何か楽しい気持がした。自分で“彼”を飼っている気分だった。妻はそれを知って、「数が殖えたらどうするの?」と心配したが、私は「そんなに殖えやしないよ」と言いながら、少しは殖えることを期待した。しかし、そのうちに別の虫の幼虫がどんどん殖えて、“彼”の姿は見えなくなった。“彼女”でなかったのが幸いしたのかもしれない。

 すべての生物が神の被造物だとすれば、人間はこういう虫も愛さなければならないのか? そんな質問を、私はかつて受けたことがある。そのことは拙著『足元から平和を』(2005年、生長の家刊)の最終章に書いてあるが、特定の生物に対して普通の人間が共通してもっている嫌悪感には、進化心理学的意味があると思うのである。つまり、そういう動物が人間の近くに棲むことは双方の生存にとって好ましくないが、離れて棲むことで生態系の維持に貢献するような場合もあると思うのである。人間がヘビに対して抱く嫌悪感を、そういう論法で説明する人もいる。しかしゴキブリの場合は、人間が“彼ら”から少しも恩恵を受けないのに、“彼ら”は人間から食・住の恩恵を受けるという偏面的な関係があるように見える。しかし最近、日本教文社から出版された『昆虫、この小さきものたちの声』(The Voice of The Infinite In The Small)という本の中で、著者のジョアン・エリザベス・ローク氏(Joanne Elizabeth Lauck)は、ゴキブリについて私が知らなかった数々の話を教えてくれた。
 
 まず、現在分かっているだけでも、ゴキブリには約4千種類もあって、そのうち人間の生活圏内だけで生きている種はわずか4~5種だけという。つまり、人間と“彼ら”の間にはいわゆる「棲み分け」が行われているのだ。そして、「ゴキブリの大半の種類は赤道直下に生き、そこで植物の受粉を助け、ゴミを再生処理し、食べ物を他の生き物に分配している」(p.135)というのである。また、私はゴキブリへの嫌悪感は人間に生来のものと考えていたが、ローク氏は「私たちの反応は生来のものではなく、経験から身につけた反応だと言えよう」と書き、「4歳くらいまでは、子供たちはゴキブリをいやがらないのだ」と言っている。そして、私たちの嫌悪感が生来でないことを示すために、次のような事実を挙げている--
 
「たとえば東インド諸島やポリネシアの人々は、ゴキブリへの賞賛のしるしとしてゴキブリを象(かたど)った装身具や装飾品をつくったし、ジャマイカの民間伝承ではゴキブリは好意的な役割を与えられている。アフリカのナンディ族はゴキブリのトーテムを持つ。さらに、ロシアとフランスの一部の人々はゴキブリを守護霊と考え、家の中にゴキブリがいることは幸運だとみなしている。そのためこういう地域では、ゴキブリがいなくなることを不運の前触れととらえるのだ」。(p.120)

 このほかにも、ゴキブリについて興味ある話がいろいろ出てくる。それらを読んでいると、「今度“彼ら”と出会えるのはいつだろうか……」などと、楽しみに思えてくるから不思議だ。
 
 谷口 雅宣
 

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2007年10月10日

パソコンで絵を描く (2)

 10月6日の本欄で紹介したが、最近乗り換えた新しい“タブレットPC”を使って、さらに絵を描いてみた。今回は、ウィンドウズ付属の「ペイント」ではなく、旧PCで使っていた「NeoPaint」を移植した後に、それを動かして画面にペンで描いてみた。新PCはまだ使い慣れてはいないものの、今度のソフトは「ペイント」よりは機能も豊富だから、より奥の深い表現ができそうである。ここに2点を掲げる:
 
1.ティーカップ

Teacup01  自宅で普段から使っているティーカップを描いた。紙にペンで線を引くときのように、フリーハンドで画面に輪郭を一気に描いた後、カップの模様や陰影を描きこんだ。手元が不安定な感じの線になったが、できるだけオリジナルの線描を修正せずに、歪みの面白さを生かそうとした。皿の部分が、ボール紙のように波打ってしまったのは失敗だが、これも修正しなかった。白バックの上に描かなかったのは、カップの白とハイライトを浮かび上がらせるためである。
 

2.カワムラフウセンタケ

Kawam  休日に山へ行った時、森の中で採ったキノコをスケッチした。図鑑で調べると「カワムラフウセンタケ」のようである。キノコの同定は専門家でもむずかしいというが、絵は食べるわけではないので、「お前のおかげで中毒した」と怒られることもないと思い、一応それを絵の題とした。このキノコは、モミ林の中で布団のように堆積した枯葉から頭を出していた。柄の基部が塊茎状に膨らんでしっかりしているのは、フウセンタケ科のキノコに共通する。特徴は、柄と傘の裏側が紫色をしていること。食用になるというが、同定に自信がないので食べるのはやめた。
 
 
 谷口 雅宣

 

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2007年10月 9日

キンモクセイ、香る

 ようやくキンモクセイが香る時季となった。ここ数日、朝自宅の雨戸を開けると、柑橘類に似た馥郁とした甘い香りが流れてきて、心が躍る。あぁ、いよいよ本格的な秋が来たと感じるのである。昨年は彼岸の中日には咲いていた花だが、温暖化の進行で季節の歩調が狂い、今年は2週間以上も開花が遅れている。しかし、咲いてくれるだけでありがたい気持だ。

 今年、キンモクセイの香りがひと際ありがたい理由が、もう一つある。自宅北側の通用口の脇に植えた1株が育って、今年初めて枝いっぱいの花を咲かせてくれたからだ。「初めて」という言い方は、本当は正確でない。この株を買った3年前には一度咲いたからだ。鉢植えや苗で買った植物は、最初の年は花や実をきちんとつけるものだ。しかし、地植えしてしばらくたつと、その土地のもろもろの条件と折り合いをつけるために植物自身が余分のエネルギーを使うのだろう、花や実がつかなくなったり、ついても貧弱なものになることが多い。そして、移植地の環境に適応したものだけが、そこで立派に成長するのである。
 
 この点、植物は子供の成長と似ている。私は18歳から子供3人を外へ出し、学生時代を1人で過ごさせた。言わば“株分け”をしたのである。その後、就職しても、社会人として安定的な成長が始まるまでは、分かれた“株”はとかくゴタゴタ、ドタバタするものである。長男は、3年ほど勤めた会社を同僚とともにやめて、起業した。二男は、最初の会社に数カ月で見切りをつけ、兄の会社で数年働いたが、今は別の可能性を求めて就職活動中だ。学生だった3番目の長女が、ようやく仕事らしい仕事を得たのが今年の春だ。3人とも、これからいろいろ苦労しながら成長していくだろうが、そういう秋に、一時元気がなかった庭のキンモクセイが花をつけた。これを「幸先良し」と感じるのは、親のひいき目だろうか。

 今朝は、雨上がりの明治通りを妻と一緒に本部事務所まで歩いて行った。途中、日露戦争の英雄、東郷平八郎を祀る東郷神社の境内を通るのだが、そこはキンモクセイの香りでいっぱいだった。この花は橙色をしているが、小さいので目立たない。私が香りの主を探して目をキョロキョロさせていると、妻が目の前の背の高い立木群を指差して、
「あそこに立派なのがあるわ」
 と教えてくれた。
 2階の屋根に達するほどの木が3~4本、豊かな枝を広げて並んでいるのが、緑の塀のようだった。よく見ると、その緑の隙間から、橙色の豆粒のような花がいっぱい顔を出している。それに比べ、わが家の通用口の苗木は、まだ胸のあたりまでしかない。
「うちの木があの大きさになるころは、僕らはもういないね……」
 私はそう妻に言ってから、自分の言葉の意味を改めて考え直した。妻は、「そうね……」と答えたような気がしたが、返事の声は小さくてよく聞き取れなかった。二人は黙ったまま、キンモクセイの前を通り過ぎた。妻と私は昨日(8日)、86歳で他界した親戚の告別式に出席し、棺に色とりどりの花を詰めて帰ってきた。花に埋もれた老人の、眠ったような顔が、私の脳裏に鮮明に残っていた。こんなに多くの花が、一人の人間の葬儀に使われるのだ、と私は改めて感心した。花と人間の深い関係が、そこにもあった。

 樹木の中には、人間よりはるかに永く生きるものがある。キンモクセイがそれに当たるかどうか知らないが、東京のような都会でも、植えた人間がどこかへ移っていった後も、立派に生き続ける木は無数にあるだろう。最初は自分のために植えた木でも、やがて多くの人々のために新緑を輝かし、木陰をつくり、香りを送り、実を落とし、黄葉・紅葉で人の目をなぐさめる。植物のもつ「根を張って動けない」という不自由が、逆に偉大な菩薩行を可能ならしめている。そう考えると、私は樹木の前で手を合わせたくなるのである。
 
 谷口 雅宣

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2007年9月23日

地球の生命の一体感を広げよう

 彼岸の中日に当たる今日は午前10時から、東京・原宿にある生長の家本部会館ホールで「布教功労物故者追悼秋季慰霊祭」が行われた。私はこの祭の斎主を務めさせていただき、挨拶の言葉を述べた。以下は、その概略である:

 皆さま本日は、秋の慰霊祭に大勢お集まりくださり誠にありがとうございます。このお祭は、私たちの運動の先輩であり、また同志でもある方々で、現世の務めを終えられて霊界へ行かれた人たちとの魂の交流の場であります。生前のご活躍を偲び、感謝申し上げ、今後の顕幽両界での光明化運動の発展を誓い合う場として、誠に意義のあるお祭をもてたことを心から感謝申し上げます。
 
 実はこの慰霊祭で、私には1つ心配していたことがありました。それは、昨日まで気温がとても高く、異常に暑い日が続いていたことです。猛暑の中のお祭となっては、参列者の皆さまにも御霊さまにも申しわけないと考えました。今年の夏は6~7月が冷夏で、8月が猛暑つづき、そして9月に入ってもその暑さが長く続いています。「暑さ寒さも彼岸まで」という昔からの諺も実情に合わなくなってきています。関東地方はそれでも今日は、さすがに涼しくなりましたが、昨日までは真夏日でした。ちなみに、9月22日の東京の最高気温は32.3℃で平年より6.9℃も高く、山形では平年比+7.9℃の31.3℃だったそうです。そのほか仙台は+8.2℃の31.2℃、福島+9.8℃の33.6℃、宇都宮+8.5℃の32.8℃、熊谷+8.7℃の33.8℃、富山+6.8℃の31.5℃、大阪+7.8℃の35.1℃、鳥取+5.6℃の31.3℃など、全国的に暑いのです。

 気候が変わってきていることは、皆さんも--特に農業に関係しておられる方は、肌で感じていることと思います。最近は、1年ごとに気候が変わっています。私が昨年の秋の慰霊祭のときに話したことが『小閑雑感 Part 8』という本に載っていますが、そこには、こう書いてあります。

「このお彼岸の季節は、秋の到来がひとしお明らかに感じられます。“猛烈な”という枕詞がついた台風14号が日本に近づいていますが、幸い本土上陸はないとの予報です。私の家の庭にあるヒガンバナも白い花、赤い花が咲き乱れて実に美しいし、キンモクセイの香りがどこからともなく流れてきます。これからは日増しに秋が深まってきて、作物も、紅葉も、運動会も、遠足も、文化祭も……というように、自然界・人間界の活動は“収穫期”を迎えるわけで、私は個人的にはこういう“秋”が大好きです」
 
 これを読むと、台風はこの間、12号が中国大陸の方へ行きましたから、今年の発生数はわずかに減っているようです。またキンモクセイですが、この花の香りを私は今年まだきいたことがありません。実は、私の家の庭にもキンモクセイはあるのですが、まだ花をつけていないのです。ヒガンバナは白い花が咲いていますが、赤い花はまだ蕾の状態です。これから日増しに秋が深まることは事実でしょうが、彼岸の20日すぎにも気温が30℃を超える“真夏日”が続いているのですから、温暖化の進行は否めないと感じます。
 
 このお盆の時期は、私たちが親や先祖とのつながりを心に深く感じるときであります。また、先に霊界に旅立たれた魂の先輩の業績を偲び、将来に向けて決意を固めるときでもあります。つまり、現世の人間社会の中での“横のつながり”ではなく、霊界との“縦のつながり”を意識し、その大切さを確認するときであります。私たち日本人は、子は親の心を受け継ぎ、親は先祖や先人の心を受け継ぐという形でこの命の“縦のつながり”を大切にしてきました。命の流れを「川」に喩えれば、これは川上方向へ我々のルーツを「遡る」働きです。しかし、今日では、私たちはこの“縦のつながり”の中でも上流ばかりを見ていては足りなくなってきた。つまり、地球温暖化が進んでいる現代では、それを抑制することが私たちの「子」や「孫」のために必要であるという意識が生まれてきています。しかし、その意識はまだまだ不足しているのではないでしょうか? 私たちは21世紀の今、“下流”の命のこともしっかりと考えることが求められています。このことを難しい言葉で「世代間倫理」と言っています。私たちの現在の生き方によって、子や孫の世代の人間に損害を与えてはいけないのです。
 
 さて今日、新合祀者としてお名前を呼んだ238人の御霊様の中にはカタカナの名前も多かったことに皆さまは気づかれたでしょう。全部で38人の方が外国に住んでおられた私たちの運動の先輩であり、また同志であります。割合で言えば16%の人が海外で幹部活動をされていた人たちです。この割合は、今後も次第に増えてくることが予想されます。つまり、それだけ私たちの運動も国際化してきており、海外に於いても重要性が増してきているのです。先ほど、魂の“縦のつながり”の話をしましたが、こうして“横のつながり”も幅広く拡大してきている理由は、地球社会が成立しつつあるからです。私たちの運動が「国」や「地域」の範囲を超えて展開されつつあるのも、そういう理由によります。また、そうしなければ、地球規模の問題を解決することはできません。
 
 地球環境問題が深刻化しつつある中で、これを解決し、後世の人類や生類全体に棲みやすい地球環境を残すための取り組みは、幸いにも世界的にひろがっています。しかし、現在のところ、この取り組みは主として技術的なものであり、また、小規模な制度的改善運動に止まっています。私は、宗教がもしこの取り組みに何か貢献することができるとしたならば、それは“魂の一体感”を人々の心に拡大することだと思います。また、このことが科学や技術や制度改革では難しい点です。「人間は一個の肉体である」という唯物論の考え方からは、生命の“上流”や“下流”のことを思いやり、自らの行動を規制する態度は出てきません。また、地球に棲む生命相互間の関係を重んじる態度も生まれません。
 
 私たちはこれからも、人間は皆、神の子として魂の兄弟姉妹であり、地球上の存在は鉱物も生物も含めて「すべては一体」であるという教えを多くの人々に伝えることで、地球の生命間の一体感を広め、深めていく活動に邁進していきたいと思います。慰霊祭に当たり所感を述べさせていただきました。本日はお参りくださり、誠にありがとうございました。
 
 谷口 雅宣

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2007年9月14日

オウムのアレックス、死す

 12日の本欄で、最近の脳科学の発見について触れたが、そういう科学的研究によってもよく理解できないことは、自然界には多くあるようだ。鳥は、状況に応じて複雑な鳴き声を発することはよく知られているが、そういう鳴き声が人間の言語のように複雑なメッセージを伝えているかどうかについては、科学者の間ではまだ論争がある。たいていは「言語」ではなく「ものまね」か「単純な要求」程度の意味しかないと考えられてきたようだ。ところが、アメリカの心理学者、ペッパーバーグ博士(Irene M. Pepperberg)が育てたアレックスというオウムは、100を超える英語を覚えて話すことで有名になり、テレビ番組などに出ていたという。そのアレックスの死亡記事が12日付の『ヘラルド・トリビューン』紙に載った。
 
 同紙の記事によると、このオウムは先週まで、飼い主のペッパーバーグ博士と一緒に合成語や、発音が難しい単語の練習を続けていたそうだ。そして6日の夜、自分のカゴにもどる際に博士の方を見て、「You be good, see you tomorrow. I love you.」(いい子でね、また明日。愛してるよ)と言ったそうだ。その翌朝、博士はアレックスがカゴの中で死んでいるのを見つけたという。この鳥は31歳だった。記事の見出しは「A thinking parrot's loving good-bye」(考える鳥の愛を込めた別れ)である。まぁ、本当に「愛」まで込められていたかどうかは定かでないが、人間の言語を操る鳥がいることを科学はまだ説明できていない。

 アレックスが話した英語が人間の言語と本質的に同じであるかについては、否定論もある。オウム類は基本的な表現手段として人間の音声を真似ることはできても、そのことは、人間がすでに幼児期に得る論理性や、物事を一般化する能力をオウムがもっていることを示すわけではない、と考える科学者もいる。しかし、この記事によると、アレックスは紙製の青い三角形を見ると、紙の色、その形、そして(三角形に触れたあとで)それが何でできているかを言葉で話すことができたという。この種の実験を実際に観察した心理学者の渡辺茂氏は、『ヒト型脳とハト型脳』という本の中で、その様子を次のように描いている:
 
「このオウムは英語の質問に英語で答えることができる。このオウムに黄色い紙の五角形と灰色の木の五角形、緑の木の三角形と青い木の三角形など、色や形、材質のどれかが同じである2つの物を見せる。そして“何が同じか?”“何が違うか?”と質問する。この問題は見本合わせよりはるかに難しい。なぜなら、オウムは見せられた物を色、形、材質といった様々な性質に分解してから、何が“同じ”で何が“違うか”を判断しなくてはならない。三角形という形が同じだった場合の正しい答えは“三角形”ではなく“形”である。つまり、どの属性が同じだったのかを答えなくてはならない。オウムがよく知っている物を用いたテストで、正答率は約77%だった。さらに、はじめて見る物のテストでの正答率反応率は85%だった」。(p.21)

 アレックスという鳥は、何かの突然変異で人間の言語を獲得した特殊中の特殊のケースなのだろうか。それとも鳥類は一般に、言語を操る能力を備えているが、アレックスのような特殊の訓練を受けないのでしゃべらないのだろうか。もし鳥類が言語能力を潜在的にもっているとしたら、類人猿やサルはどうか。イルカやゾウなどの高等哺乳動物はどうか……など、疑問が次々に湧いてくる。そんな時、「ヤマメにニジマスを産ませる」実験に東京海洋大学の研究グループが成功したというニュースが飛び込んできた。今日の新聞各紙が報道している。ニジマスの精原細胞(精子の元細胞)をヤマメの稚魚に移植すると、ニジマスの精子と卵子をもつ雌雄のヤマメができるそうだが、その雌雄からニジマスを誕生させたのだという。こんなアクロバットまがいの研究をする理由は、この技術を利用して「5年後にはマグロを産むサバをつくりたい」からだという。管理しやすい小さな魚から、大きな魚を得るためらしい。
 
 私はこのような科学者の動機には倫理性が欠けていると思うし、人間至上主義が透けて見える。魚類で得た技術が一気に哺乳類に応用されることはないだろうが、人間のために動物を利用することに何も問題がないのであれば、現在の技術をもってすれば、サルや類人猿、あるいはブタを代理母として、人間の子を産ませることもできるに違いない。精子や卵子を物質と同等に考えれば、それらの遺伝子を操作して、人間の“親”が望む形質のデザイナー・ベビーを動物に産ませる。そうすれば“優秀人間”の増産ができ、不妊治療の負担が軽減され、少子化対策にもなるだろう--こんな怖ろしい考えに結びつかないように、科学研究における倫理規定を早急に整えることが必要である。

 谷口 雅宣

【参考文献】
○渡辺茂著『ヒト型脳とハト型脳』(文春新書、2001年)

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2007年7月 2日

緑のインコ (3)

 4月22日の本欄で、インドやスリランカ原産のワカケホンセイインコが家の庭に来るようになった話を書いたが、最近ではほとんど毎日、家の南西の木の枝に吊るした餌入れを目当てにやってくる。来る前には必ずといっていいほど、甲高い鳴き声を辺りに響かせるから、人間の方でも「おぉ、来たな」と分かる。大抵、朝6時半から7時ごろには来ていて、妻と私は朝食のパンをかじりながら、5メートルほど先の餌入れに留まっているワカケを横目で眺める……というパターンが多い。
 
 しかし、人間とは勝手なもので、最初の数週間は「また来てるぞ!」と感動をもって眺めていても、1カ月もたつと「また食べてる」と少し疎ましく感じ、2カ月もすると「まだ食べてるぞぉ~」と文句を言いたくなる。というのも、この鳥は大食だからだ。時には20分も30分も餌入れに留まり、食べ口に嘴を突っ込んで食べ、突っ込んで食べしている。その動作が、何とも言えずノロノロとしている。そして時々、人間の方を見る。こういうことは、別に責めるべきことではないのだが、野生の鳥がもつ敏捷さとか、人間への遠慮が一向に感じられない。鳥のくせに、どちらかというとネコのようにも見える。ローマ時代から人間とつき合って来た鳥だというから、無理もないのかもしれない。
 
 このたび、彼(?)の映像を撮影することに成功したので、読者諸賢にもその不思議なノロマさをご覧いただきたい。
 
 谷口 雅宣

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2007年6月28日

紫陽花の色を愛でる

 梅雨時に音もたてずに降る雨には、紫陽花(あじさい)がよく似合う。わが家の庭には昔から紫陽花があって、ちょうどこの頃に、ハンドボール大の紫、ピンク、青などの“花”をいっぱいにつけ、見る人の心を慰めてくれる。今“花”という言葉を使ったが、植物学的には、紫陽花の花のように見える部分はガクである。色のついたガクに囲まれて、米粒大の白っぽい花が中央部についている。私は、子どもの頃は、紫陽花をあまり好きでなかった。花らしい香りがせず、ただ大きいだけだから、空間をムダに占有していると思っていた。ところが結婚してみて、妻がこの花を好いているのを知った。そして、彼女が花屋や庭から紫陽花を室内に持ち込み、花瓶に差して誉めるのを聞きながら、その花の見方をゆっくり学んだ。

 紫陽花の花は「七変化」するという。どんな土壌に生えているかで変わるだけでなく、同じ1つの株についた紫の花同士でも、赤に近いものと青に近いものがあったりする。また、同じ1つの花の塊が、気候条件で色が違って見えることもある。そういう微妙な色の変化を楽しむことができるようになると、いつのまにか、私の心の「好きな花」という箱の中に、紫陽花がドンと座っていることに気がついた。

 雨に濡れた紫陽花の花を見ていると、心が安らぐ理由がある。紫陽花のもつ「青」「紫」「赤」の色の連続には、何か不思議な作用があるらしい。光や色彩と治療効果の研究をしているジェイコブ・リバーマン博士(Jacob Liberman)が書いた『光の医学--光と色がもたらす癒しのメカニズム』(飯村大助訳、日本教文社刊)によると、青い光は新生児の黄疸の治療に効き、リューマチ患者の痛みを和らげるという。色のスペクトルでは青の反対側にある赤い光は、偏頭痛の治療に効果があり、青と赤が混ざったピンクの色--いわゆるバブルガム・ピンク--は、アメリカの刑務所の部屋の色として使ったところ、神経の苛立ちを鎮め、暴力行為の減少に貢献したという。赤い光を短時間見ると、運動選手の瞬発力が高まり、青い光を見ると持久力が高まるらしい。
 
 そんなことを知らなくても、緑色の葉を背景にした紫陽花の色は、見るだけで我々を充分元気づけてくれると思うのだが……。
 
 谷口 雅宣

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2007年6月 7日

ネコが子を生んだ

うちの庭に出入りしていた
ネコが子を生みました。

妻が朝食の準備のために
台所に立っていたとき、
ミャーミャーという鳴き声に気づいて
窓ごしに庭を見ると、
ツツジの潅木の下に横たわった
母ネコの乳に食らいついて、
子ネコが何匹も蠢いていたのです。

うちのノラたちは毎年子を生みつつ
世代交替していきますが、
生まれた子すべてが
生き残るとは限りません。
都会の自然ですが、
なかなか厳しいものがあるのでしょう。
母ネコの表情がそれを表しているようです。

谷口 雅宣

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2007年5月31日

パプリカの実

 木曜の休日に、久しぶりに絵を描くことができた。4月の半ば以降、ペンや筆を走らせる機会がなかったのは、生長の家全国大会の準備や大会での講話を雑誌に掲載するための原稿チェック、会議の事務関係の仕事などで心の余裕がなかったからだろう。が、幸い雨模様の天気のおかげで、家で椅子を温めることができた。隣家の母が到来物だといって、色鮮やかなパプリカの実をいくつも持ってきてくれた。それを見て「あぁ描きたい」という気持が起きた。
 
 パプリカの実の色は、なぜあんなに鮮やかなのかと思う。あの赤、黄、橙は、まるで自然物でないかのようだ。プラモデルに上等なラッカーを塗ったときのような発色で、しかも複雑に湾曲したあの形が趣深い。以前、妻が料理のためにそれを真半分に切ったものをスケッチしたことがあるが、その時は切り口の曲線と、中に詰まった小さなの種の集団が面白かった。今回は、普通に外側の形と色つやを描くつもりでスケッチし、その構図をわずかに変化させたものを、菓子箱か何かの木の蓋の裏側に、ペンとインクとアクリル・グワッシュで描いた。いわゆるミックスド・メディアの絵と言えるだろうか。

 こんな絵の描き方は、今回が初めてだ。普通は白紙の上にペンと水彩、あるいはカンバスかカンバス・ボードの上にアクリルか油絵具というオーソドックスの組み合わせだが、今回は変則的描き方に敢えて挑戦した。スケッチの軽妙さと、絵具の厚塗りによる重厚さを共存させようとしたのだが、成功しているかどうか分らない。制作過程が分かるように3枚を並べてみる。
 
 
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 谷口 雅宣
 

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2007年5月27日

タラバガニの高騰

 生長の家講習会が行われた釧路市から東京・羽田に向けて飛行中の全日空機の中でキーボードを叩いている。約1カ月半ぶりに行われた講習会で、久しぶりに前回を上回る受講者が来てくださったことは有り難かった。釧路地方はまだ「早春」の趣で、若葉が萌え出る木々が広大な平地を覆っているさまを見ていると、胸がスーッとする。昨日、東京から到着した時の気温は6℃ぐらいで、持参したスプリングコートを空港内で着て外へ出たが、「寒い」のひと言が思わず漏れた。夕食時、宿舎の釧路全日空ホテルから外出して港近くへ行くと、吹く風も手伝って、思わず肩をすぼめて歩くことになった。
 
 ホテルの向い側には、土産物店と飲食店が入った「フィッシャーマンズ・ワーフ」という異名をもった建物があり、どうせ食べるなら現地のものをということで、そこで夕食をいただいた。「異名」という言葉を使ったのは、有名なサンフランシスコのフィッシャーマンズ・ワーフから採った名前なのだろうが、あまり似ていないからだ。入った店では、獲れたての魚や野菜を七輪で炭火焼きにする料理が食べられる。その際、「てっぽう汁」というのを注文したが、一杯が「550円」と高価なので驚いた。店員に「2人で1杯で足りますか?」と訊くと「内容が多いので大丈夫です」という答え。しかし、出てきた椀はそれほど大きくなく、中の具は野菜は充分あったが、タラバガニが小さい。ちょうど脚の“関節”に当たる部分を3~4㎝に切ったものが4~5本入っているだけで、殻の中身はほとんどないのである。

 その時は「まぁこんなものか」と思って、その他の具である豆腐やネギ、ワカメなどを美味しくいただいたが、翌日(今日)の『北海道新聞』の1面を見て、タラバガニの小さい理由がわかった。値段が例年の2倍近くに高騰しているのだ。理由は、ロシアからの輸入物が激減しているためという。この記事を読んで初めて知ったのだが、北海道で売られているタラバガニの9割以上が輸入もので、そのほとんどが実はロシア産らしい。そのロシアが、日本へのタラバガニの輸出を半減させているから、値段は倍になるというわけだ。ロシアの輸出縮小について、同紙は「水産資源の先行きを懸念したロシア側が乱獲や密漁を規制するなど、漁業管理強化に動いていることが大きな原因」という市場関係者の見方を紹介している。また、「韓国や中国での需要が拡大している。規制が厳しいこともあり、日本市場が敬遠されている面もある」という卸業者の見解も載っていた。

「世界は1つにつながっている」との感を強くした。中国の急速な経済成長は、その人口の多さから世界的な影響力をもつ。人間は、経済的に豊かになるにつれて、植物性蛋白質から動物性蛋白質へと食事の嗜好を変えると言われているが、タラバガニの高騰は、まさにそのことを示しているのかもしれない。このことは、中国国民が今後、豚肉食(すでに多いが)や牛肉食を増やしていく傾向と併行しているとも考えられ、それに伴う穀物飼料の需要増大、そして世界の穀物価格の上昇にもつながっていくだろう。

 講習会の午後の講話の中で、タラバガニの話を引き合いに出して現在世界的に進行中の「食品の値上がり」について触れた。今、温暖化ガスの排出削減策の1つとして、バイオエタノールの増産と利用が世界各地で始まっていて、とりわけアメリカ国内でのトウモロコシの作付面積の拡大が、ダイズ、小麦、綿花、米などの生産減少につながる可能性がある。このことは3月31日の本欄で触れたが、何せ、今年の作付面積は日本列島全体の大きさに匹敵し、昨年からの「増加分」だけで東京都の面積の22倍にもなるからだ。この分、他の農作物の作付は減り、したがって収獲も減少することになる。

 ところで、日本近海で獲れるクロマグロの漁獲については、これまで規制がなかったらしいが、水産庁は年内に漁獲規制を導入する方針を決めたという。今日付の『道新』や『日経』が伝えている。魚の乱獲の問題については昨年4月19日同6月4日の本欄でも触れたが、マグロ、マカジキ、メカジキなどの大型魚を食べることは、養殖ものの場合は穀物飼料を使い、遠洋ものの場合は化石燃料を多く使うという悩ましさがある。しかし、魚類はウシやブタに比べれば飼料効率がいいし、天然の近海ものなら安心……と考えていたところ、この話である。規制の理由は「最近は十分な大きさになる前に巻き網で大量に漁獲したり、より小さいものを養殖用に漁獲したりすることも増えている」からだそうで、資源保護の観点から規制に踏み切るらしい。

 海産資源の量が一定と仮定すれば、世界の人口が増えれば当然、1人当たりの分け前は減る。それを今まで通りに食べようとすれば、奪い合いが起こるのも当然だ。そんな状況の中では、「必要量だけ感謝していただく」というのが平和共存の道だ。だから、カニ料理も寿司も、「食べ放題」というヘドニスティックな食事の仕方を、もうそろそろやめたらどうかと私は思う。

谷口 雅宣

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2007年5月 6日

アカゲラとヤマガラ

 休日を過ごすため、久しぶりに大泉町の山荘に来ている。標高1200メートルのこの地は、春の到来が東京より1カ月ほど遅い。ヤマザクラはまだ蕾で、可憐なスイセンやセイヨウタンポポが咲いている。昨年のちょうど今ごろの本欄に「遅い春」という一文を書き、そこには「庭のサクラはまだ咲いておらず、タラノメも伸びていない」とある。今年もそんな状況である。2005年の同時期の本欄には、サクラはもちろん「シバザクラ、スイセン、レンギョウ、チューリップ、ユキヤナギ、タンポポ……」と花の名前を並べて書いたから、少なくともこの地は、さほど“温暖化”していないようである。

 山荘は板壁で覆われているが、西側に伸びた屋根と板壁との接点付近に、子供の拳大の穴が黒々と口を開けていた。屋根の裏面には、先端から15センチほど内側に換気用のスリットが入っている。この穴には、小動物の侵入を防ぐために目の細かい金網が内側から張ってあるのだが、その金網の一部が直径4センチほどの円形に破られているのが見えた。そして、穴の周囲には何か柔らかい綿状のものが詰まっているようである。恐らく、鳥が巣作りをしているのだ。自然の中で暮らすということは、こういうことである。以前にも、北側の屋根の裏面に張った金網が破られて、そこから小動物が屋根裏まで侵入したことがある。この時は、夜中にゴトゴト、パタパタという音がして安眠を妨げられたから、今回はそんなことがないように、山荘の管理会社の人を呼んで、2つの穴の処置を依頼した。
 
 その人が来るまでに、妻は薪ストーブ用の金鋏みを使って、鳥の巣を抜き出した。まだ完成していなかったのか、抜き出した詰め物の中に卵やヒナがいなくて幸いだった。そんな所へやってきた管理会社の人から、興味ある話を聞いた。壁に穴を開けるのはキツツキだそうだ。私は、山荘近くのカラマツの木にキツツキの一種であるアカゲラがよく来ることを思い出した。彼らはヒョッ、ヒョッという鋭い声を上げながら時々、玩具の機関銃のようなカタカタという音を連発する。嘴で木を叩いて穴を開ける音だ。そんな調子で突かれれば、せいぜい数センチの厚さしかない山荘の板壁はひとたまりもないだろう。ところが、管理会社の人によれば、キツツキは家の壁に穴を開けても巣は作らないのだという。巣を作るのは、その穴から中へ入れる大きさの、小型の別の鳥なのだそうだ。私は妙に感心してしまった。キツツキは、他の鳥のことを考えて穴を開けるわけではない。しかし、自然界ではうまい具合に、キツツキの穴を利用する鳥がいる。

 そんなことを考えながら周囲を見回していると、頭の黒い小型の鳥が高く短い声を出しながら、付近を飛び回っているのに気がついた。双眼鏡と野鳥の本で調べてみると、ヤマガラだった。カラ類の鳥ではシジュウカラが有名だが、山荘近くではこれより小型のコガラをよく見かける。ヤマガラはカラ類では最も大きく、頭部や翼の色はシジュウカラやコガラと似ているものの、腹部が赤茶色をしているので識別しやすい。その鳥が、我々人間が目の前に何人もいるにもかかわらず、時々近づいてきて鳴く。問題の穴から我々が遠ざかると、そこへ寄ってきて様子を見る風情である。我々は、彼らの巣作りを妨害してしまったのだ。

 鳥が屋根の下に巣作りをすることは問題ない。しかし、屋根や壁に穴を開けて屋根裏へ侵入されるのは困る。だから、壁や屋根の穴をふさぐ手立ては取らねばならない。では、人間が野鳥と共存するにはどうしたらいいのか?……と考えていたら、アイディアがひらめいた。山荘の南側のヤマザクラの木には、すでに鳥の巣箱がかかっている。しかし、古くなって屋根の一部が壊れていた。この巣箱は一度、コガラが利用してそのままの状態になっていたものだ。私は、巣箱を新調してヤマガラに使ってもらおうと思いついた。そこで、町へ下りていった時に巣箱を2つ買って帰り、ヤマザクラとそれに隣接する木(名は不明)の幹に針金で結びつけた。そのとたんに、ヤマガラの夫婦が巣箱に飛んできたのには驚いた。鳥の習性は、実に不思議である。
 
谷口 雅宣

【参考文献】
○やまなし野鳥の会研究グループ編『山梨の野鳥』(1983年、山梨日日新聞社刊)

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2007年4月22日

緑のインコ (2)

Wakake070422  最近、わが家の庭に緑色のインコが来るようになった。かつて本欄(2005年10月26日)で紹介したワカケホンセイインコである。私にとっては、ジョギングで行く明治神宮外苑でしばしば見かけるお馴染みの鳥だが、妻にとっては“新顔”であり、黄緑色の体や赤いクチバシがなかなか美しいので、飛んでくると「また来てたわ」と報告してくれる。ひと月ぐらい前に、隣の父の家の前にある餌台に2羽が乗っていたのを母が写真に撮った。我々は勝手に、これを番(つがい)だと決めて喜んでいた。そして、妻が円筒形の餌入れに穀類を入れて、わが家に近接して立っている紅梅の枝に吊るしたところ、やがて1羽だけが来るようになった。体長は尾の先まで50センチはあるだろうか。結構大きい鳥だが、動作が緩慢なところがある。
 
 前回、この鳥のことを書いたとき参考にした新聞記事には、都内に約1200羽が棲息しているとあったが、その時には家に飛来することなどなかった。それが2年後に、わが家まで飛んでくるようになったのは、数が殖えているからではないか。高さ20メートルほどのケヤキの大木を繁殖に使うというが、わが家の庭にもケヤキの大木が何本もある。これが目当てならば“片割れ”を連れているはずだが、餌を食べに来るのは1羽だけだ。まずは様子見ということか。この鳥は、インド南部やスリランカが原産で、日本にはペットとして輸入されたものが野生化しているのだ。木の洞を利用するムクドリやシジュウカラを圧迫するという理由で、「特定外来生物」に指定するよう環境省に意見書が出ているらしい。
 
 ホンセイインコ(本青インコ)は、オウム目オウム科ホンセイインコ属の鳥の総称で、楔型の長い尾をもち、羽色は全体に緑色だ。アフリカ、インド、中国南部、東南アジアに12種が分布していて、主として果実をとって食べるというが、穀物も食べる。庭に吊るした餌入れには、ブンチョウにあげるために買っておいたヒエ、アワなどの穀類が入っている。これをよく食べるのだ。ワカケホンセイインコはインド産の亜種で、ワカケは「輪掛け」のこと。首の周りに黒い輪が掛かっているような模様がある。この種はローマ時代から人間に飼育され、物まねをしたり、車引きや車押しなどの芸も覚える、とものの本には書いてある。そういうことを知ってみると、外来種であり、しかも野生化しているはずのこの鳥が、人間の相当近くまで餌を食べに来ることに納得する。ネコやイヌと同じで、遺伝子の中に人間を警戒しない性質が刷り込まれているのだろう。

 ワカケについて1つ気になることがある。それは、この鳥が来ている間、別の鳥があまり近づかないことだ。ヒヨドリやハト、スズメなどは、互いの姿に警戒しないで餌を食べるが、この鳥は外来種だけあって他を“威圧”するのだろうか。ワカケの姿が見えなくなると、地面に盛んにこぼしていった穀類を、シジュウカラが来てついばんでいたりする。
 
 地球温暖化が進むと、外来生物のうちこれまで移入地の環境に充分適応できないでいた生物が、環境の変化によって盛んに繁殖する可能性が増えてくるだろう。ワカケの繁殖がそれに該当するのかどうか、よく分からない。自然界は、しかし確実に変化していることを実感する。
 
谷口 雅宣

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2007年3月 2日

ミツバチはなぜ減少する?

 この冬は、日本列島は記録的暖かさだったようだ。昨年12月から今年2月までの平均気温は平年より1.52℃高く、記録をとり始めた明治32(1899)年以降では、過去最高の1949年に並んだという。3月1日の気象庁の発表を新聞各紙が伝えている。全国の平均では過去最高と「タイ」になったが、気象庁が全国にもつ153カ所の観測地点のうち、63カ所では史上最高を更新し、12カ所でタイ記録だった。東京の平均気温は、平年より1.9℃高い「8.6℃」だったという。暖冬の主因として、気象庁は①北極振動、②エルニーニョ現象、③地球温暖化、を挙げたという。
 
 春になれば、虫もかえって空を飛び始める。わが家の庭では紅梅、スイセン、ツバキ、ジンチョウゲ、それにもうユキヤナギまで咲き始めているから、出てきた虫たちも蜜や花粉に不足することはないだろう。日本がそんな季節になろうとしている一方で、アメリカでは、24の州でミツバチの数がどんどん減っているというのである。西海岸では30~60%、東海岸の一部とテキサス州では70%も激減しているというから、ただごとではない。しかも、理由がよく分からないらしい。2月28日の『ヘラルド・トリビューン』紙が伝えている。
 
 ミツバチの減少は、農業国・アメリカにとっては深刻な影響をもたらす。蜜が採れないというだけでなく、ハチによって授粉されてきた多くの作物の収獲減につながるからだ。例えば、カリフォルニアでは今、アーモンドの花が開く季節だそうだが、授粉役の数が不足して収獲が減ることが心配されている。このほかの果実や野菜にとっても、同じことが言えるだろう。ミツバチその他の昆虫の授粉に大きく依存している作物は、アーモンドのほかリンゴ、モモ、ブルーベリーなどがある。

 アメリカでは、養蜂家が作物の授粉に大きく貢献しているらしい。彼らは大型トラックに巣箱を満載して、アメリカ各地を回るという。そして、農家の依頼によって、場所を定めてハチを放つ。ところが出て行ったハチの多くが帰ってこないというのである。恐らく野原で死んだと思われる。考えられる理由は、帰れないほど遠方へ行ったか、あるいは帰る方向が分からなかったため、寒さで死んだのか……。巣に帰れない理由の説明には、このほかウイルスや細菌の感染、ハチの栄養不足、殺虫剤の影響、ストレスのかかりすぎ、ダニの寄生などが挙げられているそうだが、はっきりしたことは分かっていない。
 
 カリフォルニア州は世界最大のアーモンド産地というが、2月になると、ここへ全米にいるミツバチの半分以上が集結するという。トラックで運ばれてくるのだ。23万5千ヘクタールの果樹園が、距離にして480キロも同州のセントラル・バレーに広がっている。典型的なミツバチのコロニー(1羽の女王バチを中心とした集団)は、1万5千~3万匹のハチからなる。今年、この1コロニーを授粉のために借りる値段は135ドルで、2004年から55ドル(69%)も値上がりしたという。元気に授粉に飛び回ってほしいため、ハチたちには蛋白質補強剤やサトウキビやトウモロコシから採ったシロップを与えていて、この値段もばかにならない。トラック1台分が1万2千ドルし、それを何台も連ねて移動するらしい。

 日本養蜂はちみつ協会のウェッブサイトによると、世界の養蜂状況をミツバチのコロニー数(基準は各国一定でない)で比較すると、中国900万群強、旧ソ連地域900万群弱、アメリカ300万群強、メキシコ300万群弱、ブラジル200万群前後、アルゼンチン150万群前後という。わが国では20万群弱しか飼われていないそうだ。

 これらのミツバチは主に採蜜の目的で飼われているそうだが、近年は上記のような授粉の用途が増えてきている。殺虫剤の使用で他の昆虫が減っていたり、温室栽培の普及によるものだ。地球温暖化の影響で気候が不順になる中、バイオエタノール需要で作物の値段が高騰している。これに加えて、ミツバチの減少による不作が起こらないことを祈るばかりである。
 
谷口 雅宣

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2007年2月28日

映画『ダーウィンの悪夢』(Darwin's Nightmare)

 生長の家代表者会議も終ったので、ひと息入れようと思い、妻を誘って渋谷の映画館へ行った。目当ては、2004年のヴェネツィア国際映画祭の受賞作である表題の映画だ。しかし、上映館が少なく、新聞には新宿にある1カ所しか出ていなかったので、インターネットで検索したら、渋谷にもう1カ所あった。渋谷には多くの映画館があり、そこに住む私たちはこれまでいろいろな所で映画を見たが、その映画館は聞いたことがなかった。地図では東急本店の向い側ということなので、「それでは……」と出かけることにした。

 その映画館は目立たないビルの3階にあって、チケット売場から奥へ入ると“穴倉”のような小さな部屋に、背の低いソファーや椅子が並んでいた。観客の入りは7割ほど。昔あった「ジャズ喫茶」の一方の壁面にスクリーンがかかっている……そんな感じだ。映画館だと思わなければ、芝居小屋にも見える。映写機も、液晶プロジェクターのようなものが天井に1つ付いているだけだ。これでクリアーな映像が見えるのかどうか心配したが、いざ上映が始まると、そんな心配は無用だった。

 この映画は、生物多様性と南北問題の双方を含んだ真面目なドキュメンタリーである。映像は、決して美しくない……というよりは、恐ろしくヒドイ状態の場面もある。が、そのことが却って、どうしても悪条件下で撮らねばならなかったというリアリティーを表現していた。同じドキュメンタリーでも、前回紹介した『不都合な真実』は、確かなカメラワークと見事な編集、美しい音楽で鑑賞者を惹きつけたが、この映画はBGMも効果音もほとんどない。撮影者は、被写体の人の前でカメラを回し、脇で質問する声が聞こえ、画面の人はそれに答えるのに困惑したり、嫌がったり、得意になったり、あるいは敵意を示す。そんな人々のナマの映像が、鑑賞者の前に突きつけられる。だから、「映画の世界に浸って楽しもう」などと思っていくと、とんでもないシッペ返しを食らう。そこには、豊かで平和な国・日本とはまるで別の、残酷なほど貧しく、神経が疲れるほど危険な社会が展開する。

 この映画は、タンザニア、ケニア、ウガンダの3国に囲まれたアフリカ最大の湖、ヴィクトリア湖の、タンザニア側の1部落の生活に焦点を当てている。この湖は、琵琶湖の100倍、九州の2倍の広さで、多種多様の生物を育み、生物の進化を目の当たりにすることができるというので、「ダーウィンの箱庭」と呼ばれていた。ところが、1954年と1962年に、そこに棲息していなかったナイルパーチという大型淡水魚を誰かが放流した。漁獲量を増やすためとの善意でやったことらしいが、ナイルパーチは肉食もするため在来種を駆逐してどんどん殖えていった。日本の湖に放たれたブラックバスや、ブルーギルのことを思い出してほしい。これに工場廃水の流入や森林伐採も加わって、ヴィクトリア湖の生態系が破壊された。が、その一方で、タンザニアにはナイルパーチを加工してヨーロッパや日本へ輸出する産業が発達して、それによって仕事が創出され、豊かになる人々も一部現れた。
 
 映画では、EU政府の役人らしき人が現地へやってきて、自分たちの援助で新しい産業のインフラづくりに成功したと満足気に発言するシーンが映し出される。しかし、彼らが設置した高価な解体処理施設、冷凍・冷蔵設備を通って出てくる魚は、現地の人々の経済力をはるかに上回るのだ。つまり、大勢のタンザニア人が参加して漁獲される1日500トン(!)ものナイルパーチは、現地の人々には買えず、豊かなヨーロッパ人、日本人の食卓に載るのである。否、もっと正確に言おう。タンザニアの普通の貧しい人々は、ナイルパーチからフィレ肉を取った後の残骸を拾い集めて、それをフライにしたものを食することで、かろうじて飢えをしのいでいる。人々の間にはエイズなどの病気が蔓延し、親を失った子どもたちは「ストリート・チルドレン」となって、盗みやケンカや毒物汚染の中で生きている……。
 
 ナイルパーチとは、日本ではかつて「白スズキ」の名で流通していた魚で、2003年の法改正により、現在ではそのままの名を表示して売っている。わが国は、年3千トン前後をタンザニア、ケニア、ウガンダから輸入していて、2004年にはその量が4千トンになったという。レストランや給食などで白身魚フライとして使われるほか、スーパーで味噌漬けや西京漬けとしても売られているという。読者は今度、レストランやスーパーへ行った際、この魚をじっくり観察し、そして考えてみてほしい。我々はアフリカの人々を助けているのか、それとも搾取しているのか……?。また、どうすることが、彼らの生活を助けることになるのかと。
 
谷口 雅宣

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2007年2月25日

鳥と人の共同飛行

 24日の『朝日新聞』夕刊の第1面を見て、私はハッと息を呑んだ。そこには、実に不思議な縦長の写真が4段抜きの大きさで掲載されていた。画面上部には、空高く飛ぶハングライダーのような軽飛行機が画面右端に姿を消そうとしている後を、追いかけるように飛んでいく7羽のツル。画面下部には、草原か農地に建つ背の高い円筒形のサイロが1つ……。私は、スティーブン・スピルバーグの作品『E.T.』の1シーンを思い出した。E.T.を自転車に乗せて全速力で逃げる少年が、ある時点でフワッと宙に浮き上がり、どんどんと夜空を上っていく光景だ。そんな、飛ぶはずがないものが空を飛んでいるように見えた。最初は、合成写真だと思った。なぜなら、野鳥であるツルがハングライダーを追いかけるわけがないと思ったからだ。しかし、写真説明にはこうある--「超軽量飛行機に先導されてイリノリ州内を飛ぶアメリカシロヅル」。

 空を飛んでいたのは自転車ではなく、ハングライダーの下部にプロペラとエンジンを吊り下げた超軽量飛行機だった。それが先導しているのは、数が減って絶滅の危険があるアメリカシロヅルの若鳥で、人間に「渡り」の仕方を教わっているのだった。鳥類は“刷り込み”と呼ばれる方法で親を覚え、その親の動作や行動をまねることで成鳥としての能力を獲得することは有名だ。渡りもこの方法で覚えるのだが、ある種の鳥は群れの数が減って親がいなくなったり、渡りのルートを覚えている野生の成鳥がいなくなると、それがうまくいかなくなるらしい。特にガン、カモ、ツルの類は、その傾向が強い。ただし、渡りを覚えるためには、1回だけ親について飛べばいいという。

 このことを知ったカナダ人のビル・リシマン氏(Bill Lishman)は、1985年に超軽量飛行機を使ってガンに渡りを覚えさせられるかどうかの実験を始め、1988年に数羽の群れを飛行機について飛ばせることに成功した。数年後、アメリカシロヅルを研究している科学者がリシマン氏に連絡をとり、同じ方法で、このツルを冬に南方の越冬地へ渡らせることができないか、と相談を持ちかけた。野生のアメリカシロヅルは極端に数が減り、絶滅が危惧されていたから、その数を増やすには渡りを教えることが必須だったのだ。
 
 リシマン氏は同意し、最初はまだ数が多いカナダガンを使って実験した。そして、仲間のジョー・ダフ氏(Joe Duff)とともに1993年、18羽のガンをカナダのオンタリオ州からアメリカのバージニア州までの650キロを飛んで渡らせることに成功した。翌年、これらのガンは、リシマン氏の家のあるオンタリオ州まで自力でもどってきた。これに自信を得た両氏は、その年にアメリカシロヅルに渡りを教えるための非営利法人「渡り計画」(OM、Operation Migration)を設立したという。
 
 しかし、ツルの教育には難しい点があった。それは、ツルは人間への“刷り込み”が強く、人に育てられると渡りをしたがらないのだった。そこで、リシマン氏らが考えたのは、「人間がツルになる」こと、そして「飛行機を親と思わせる」ことだった。この方法は徹底していた。ツルを育てる場合、卵の状態の時から録音した超軽量機のエンジン音を聞かせた。手にはめて動かすツルの縫いぐるみを作り、卵からかえったヒナには、最初にそれを見せた。そして、ツルの世話をする人にはダボダボの白い服を着せ、人間の形が分からないようにし、常にツルの縫いぐるみを持たせたうえ、発声を禁じた。また、超軽量機に形と音を似せた車を作って、ツルが飛べるようになる前に、ついて歩かせる訓練もした。そしてついに、若いツルたちは超軽量機自体について歩くようになり、機体が飛べば、それについて飛ぶようになったという。
 
 上記の『朝日』記事によると、昨年度の渡りは10月に行われ、18羽が北部のウィスコンシン州から南へ1900キロ離れたフロリダ州西部の保護区まで、2カ月をかけて移動した。ところが、2月2日にフロリダ州を襲った竜巻で、17羽が死んでしまったという。また、OMのウェッブサイトによると、その後の20日には、もう1羽の死体が発見された。これは竜巻ではなく、ヤマネコか落雷によるものと推測されている。まことに残念だ。

 アメリカにはこんな努力をして、希少種になったツルを絶滅から守ろうとしている人たちがいることを、私は初めて知った。このサイトにある鳥と人間の共同飛行の写真は、一見の価値がある。その一方で、アメリカからは温暖化ガスが大量に排出され、気候変動を生み出している。誉むべきものも責むべきもの、ともに人間なのである。

谷口 雅宣

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2007年2月22日

クロスワードを解く (7)

 2月15日の本欄に掲載した「教義クロスワード No.7」の解答を発表しよう。

【縦の答え】
(イ)未完成。(ロ)祈り。(ハ)暇。(ニ)ノア。(ホ)長髄彦。(ヘ)ナタデココ。

【横の答え】
(イ)美濃。(ロ)イザナミ。(ト)仮の姿。(チ)姉。(リ)施肥。(ヌ)ヒルコ。(ル)今ここ。

 今回のクイズは、日本の神話から多く取材していることに気づいた読者は多いだろう。“ひねった”設問はほとんどなく、あえて“ひねった”と言えるとしたら、縦の(ロ)と(ハ)、それから横の(ル)だろうか。
 
 祈りとは「命の宣りごと」である、と谷口雅春先生は教えてくださった。これは「心の底からの宣言」という意味である。これに対して、祈りというものを「凝念」だと考える人の方が多いのではないだろうか。凝念とは、いわゆる“念力”のことだ。心で何かを一所懸命に唱えることで、そのことが現実に起こるとする考え方である。しかし、これによって一時的に小さい物体が動いたとしても、心身は疲弊して日常生活に差し支える。そんなことをするくらいなら、肉体の手や腕を使って物を動かす方がはるかに優れている。
 
 また、凝念を使うことは、「心で認めるものが現象に現れる」という心の法則を逆用する危険がある。例えば、病床にいる家族の平癒を祈るときなど、「神さまどうぞ治してください」と祈ることは、その家族がいま「大変な状態にある」ということが前提にあるから、そう強く祈れば祈るほど、心の底から「ああ現状は大変だ」と宣言することになりやすい。これでは、心で認めているのは「大変な状態」だから、その状態が消えることを心でわざわざ妨げていることになる。だから生長の家では、病気の平癒を祈るときは、本来完全健康であるその人の実相を心で強く思い描くという方法をお薦めする。このへんの心の持ち方については、谷口雅春先生の『詳説 神想観』(1970年、日本教文社刊)165ページ、谷口清超先生の『愛と祈りを実現するには』(1986年、同社刊)の191~194ページなどを参照されたい。
 
 これに関して、祈りの効果を科学的実験によって確かめる試みが何度か行われたことを思い出す。このことは昨年4月3日の本欄でも取り上げたが、こういう科学の実験では、被験者の心的態度まで厳密に確認しない点、どうしても明確な結果が出てきにくい。が、この実験では「祈りの効果なし」という結論になった。しかし、病気平癒の祈りではなく、祈りによって人工受精による妊娠の確率を上げる効果を調べた実験(2001年10月16日の本欄で紹介)では、「祈りに効果あり」という逆の結果が出ている。
 
 縦の(ハ)の答えは、「貧乏暇なし」という諺を思い出せば簡単に解ける。しかし、本当に貧しい人はヒマがないのだろうか、と私は疑う。これを逆に言えば、所得の高い人はヒマということになるが、現代の大企業の経営者でヒマをもてあましている人は、皆無とは言わないまでも例外的だと私は思う。私が知っているネコ好きのホームレスのおじいさんは、明治公園のベンチに寝そべって週間誌やマンガ本を読んでいることがほとんどだから、「貧乏暇あり」と言えるだろう。だから、この諺の「貧乏」とは、恐らく「極貧」の貧乏ではなく、「収入が平均以下」という程度の人、あるいは「生活に追われて働き通しの人」なのだ。

「実相はどこにあるか」という問いかけは、禅の公案にも多くある。有名なのは玄沙(げんさ)和尚の「膿滴々地」の話で、これについては昨年5月6日の本欄でも触れた--唐の時代にいた禅僧、玄沙が誤って薬を服したところ、全身が赤くただれて、膿(うみ)が体からポタポタと滴る状態になってしまったという。それを見た僧が、「いつも先生が説いている堅固法身(けんごほっしん)はどうなったのですか?」と問う。すると玄沙和尚は、「それは膿滴々地だ」と答える--こういう話である。谷口雅春先生は『日常生活の中の真理(仏典篇)』の中で、これを解釈されて「膿が滴々と流れているこの肉体そのままに堅固法身であると云う意味であります」(p.295)と説かれている。別の言葉でいえば、現象の状態に関わりなく、実相は「今ここ」にあるということになる。谷口雅春先生の聖歌『今ここに新たに生まれ』では、神の子の自覚を深めることで「今ここ」に新生することが説かれ、谷口清超先生の聖歌『悦びの歌』にも「神の国は今ここにあり」とある。

  第8問を以下に掲げる:
 
Cwp6x6008 【縦のカギ】
(イ)生滅・変遷がなく永久に続くこと。
(ロ)他の侵害から守り大事にすること。
(ハ)頭で知るだけでなく、体験を通して自分のものにすること。
(ニ)屋根を共有すること。
(ホ)人生に起こる吉凶のめぐりあわせ。
(ヘ)神の別