2009年11月 1日

桜島の火山灰

 今日は鹿児島市で生長の家講習会が開催された。妻と私は前日から鹿児島入りしていて、その日は晴天で夏を思わせる暖かな気温だった。鹿児島県のシンボルである桜島は、普段より多く噴煙を吹き出している、と出迎えの人が教えてくれた。しかも、南風が吹いているため、鹿児島市内に火山灰が降るのだという。そして、そういう日が2~3日続くと、同市内には雨が降って灰を流してくれるのだそうだ。その時はこの話を「へえー」っと思って半信半疑で聞いていたが、翌日になって本当に雨が降ったから、驚いた。そして、講習会が終る頃には再び晴天となった。
 
Haitohana  桜島の火山灰と雨との関係を聞いたとき、ロシアか中国が大きなイベントのある日を晴天にするために、事前に人工雨を降らせるという話を思い出した。ウィキペディアで調べてみると、雨や雪が生じるためには、雲の中に氷の粒ができる必要があり、その氷晶を作るものは空気中に浮かぶ微小な粒子だと書いてある。そして、この微小な粒子とは、「主に海の波飛沫で吹き上げられた塩の核であり、他に陸上から生じた砂塵などの粒子もある」とあった。だから、桜島から吹き上げられた火山灰が、氷の結晶ができる“核”になる可能性はあるのではないか、などと素人考えで想像する。
 
Sunadashi  桜島の火山灰はとても細かいそうだ。だから、桜島に住む人々の家には樋(とい)がないらしい。火山灰が雨で流れずに、樋を詰まらせてしまうのだ。そう言えば昨日、宿舎のホテルの周りを歩いたとき、道路脇に「克灰袋」を置く場所を指定する標識があるのを見つけた。自宅の敷地内に降った火山灰を集めて回収し、建設資材の一部に利用するのだそうだ。そのための袋を「克灰袋」と呼ぶのが、おもしろい。「灰を克服する」という意味だろう。それほど、火山灰はこの地の人々の生活圏に深く侵入してくるのだろう。黒い自動車が灰白色になっていた。植物の葉や花にも灰が積もって、色が変わっていた。戸外を歩いていると、時々目に何か細かいものが入った。そんな中でもジョギングをする人の姿を見かけたから、健康上の問題は深刻でないのかもしれない。
 
Graycar  活火山とともに生きるというのは、なかなか大変なことだと感じた。が、火山があるために、他の地域では味わえないよいこともあるはずだ。講習会の終了後に、鹿児島市の北方にある「仙巌園(せんがんえん)」という所へ寄った。薩摩藩の第19代藩主、島津光久の別邸跡を一般公開しているところで、約5万平方メートルの庭園と立派な平屋の屋敷とは、桜島を正面にして造られている。説明書には「錦江湾を池に、桜島を築山に借景した雄大な庭園」とあるから、昔の人たちがこの山をいかに愛していたかが分かる。噴煙を出しながら刻一刻と表情を変える山が、いつも目の前にあるのとないのとでは、きっと自然に対する考え方や生き方も変わってくるのだと思う。
 
 谷口 雅宣

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2009年10月24日

絵封筒展、開きます

 10月13日の本欄で私の絵封筒について触れたとき、11月に長崎県西海市の生長の家総本山で行われる秋季大祭を機に、これまで描いた作品を集めて絵封筒展を開くことを検討中だと書いた。おかげさまで、総本山と世界聖典普及協会のご協力により、同本山の練成道場第2研修室で「谷口雅宣絵封筒展」を開催することがこのほど決まった。期間は、11月20日の午後から22日の午後3時半までで、約70点の絵封筒が展示即売される予定。昨年夏に宇治別格本山で展覧会を行ったときの絵封筒の出品数は34点だったので、その倍ほどの数がお楽しみいただける。主催者の世界聖典普及協会では、この展覧会に合わせ、私の絵封筒の絵柄をあしらった来年用卓上カレンダーも頒布するという。

 さて、今日は生長の家講習会で群馬県の太田市藪塚町というところに来ている。ここは桐生市の隣町で、講習会は山を一つ越えた桐生市の市民文化会館で行われる。その前日のひと時を、この鄙びた温泉町で過ごすことができた。温泉町とはいうが、温泉宿は私たちが止まったホテルを含めて、3軒ぐらいしかない。かつては栄えた町だったであろうが、今は訪れる人の数が多くないことは、町のあちこちに掲げられた店の看板の古さや、旅館の壁の傷み方、温泉宿近くの神社の庭の荒れ具合などから想像できる。それでも私たちが泊まったホテルには、日帰りで温泉を楽しむ地元の人々が多く集まってきていて、広い駐車場もほぼ満杯状態だった。私たちは夕食前、そんなホテル界隈を散策して、町の様子をゆっくりと味わった。
 
 寂れた町にもいいところはある。特に、“旅人の目”で見る静かな夕暮れ時の田舎道は、Ginnan_gum なぜか心を落ち着かせてくれる。住む人が少なくなっても、その逆に自然の力が諸所に豊かに発揮されているのが分かるからだ。私はそれを地元の産土神社近くにあった廃屋の屋根の上に見た。廃屋の隣には、幹の太さが二抱えもあるイチョウの雌木が立っていて、錆びたトタン屋根の上にびっしりと銀杏の実が落ちていたのである。私はその時、講習会で福岡へ行った際、博多の街のイチョウ並木の下に落ちた銀杏の実を、地元のおばさん達が目を皿のようにして拾っていた姿を思い出した。都会での“貴重品”も、この地では拾う者は誰もいない。その代り、それらは自然の循環の中で、しっかりと役割を果たしながら息づいているのだった。
 
 銀杏を敷きつめてありトタン屋根
 
 谷口 雅宣

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2009年10月22日

キノコ採りと柴刈り

Jigobo09f  休日を利用して大泉町の山荘へ妻と行った。好天のおかげで紅葉はすばらしかったが、逆に山は乾燥していて、キノコは期待していたほど採れなかった。それでもハナイグチ(=写真)とチャナメツムタケを2人で2食分ほど収穫できた。妻はさっそく酢の物と佃煮にしてくれた。

 10月初めに生長の家講習会で小樽へ行ったとき、寿司に添えられてこのハナイグチに似たキノコの酢の物が出てきたのを思い出す。それを見て、2人で驚いたのだった。この種類のキノコは栽培できないと思っていたからだ。そこでキノコの名前を店の人に聞いてみると、「ラクヨウ(落葉)」だという。聞いたことのない名前だった。その店は、キノコを八百屋さんで買ったというが、その八百屋さんは山から採ってくる人から仕入れるそうだ。別のキノコかとも思ったが、後で調べてみると、北海道ではハナイグチをそう呼ぶらしい。我々はもっぱら、山梨風に「ジゴボー」と呼ぶ。何となく親しみが湧く発音だからだ。
 
Jigobo09f2  わが家では、ジゴボーはもっぱら味噌汁に入れて食べていたが、今回は小樽風に酢の物を所望した。独特の香りが引き立つが、これには好き嫌いがあるかもしれない。さらに大根おろしで食べると、香りも柔らかになって美味しかった。チャナメツムタケの方は、佃煮がいい。私はナメコより美味しいと思っている。今回のキノコ採りは、特にジゴボーの収穫は妻の手柄だ。私の方は、ジゴボーをさっぱり見つけられず、古くなりかかったチャナメの“巣”を見つけただけだった。それでも、食べられるのが5~6本あったから嬉しい。

 キノコ採りのほかに、山荘の建つ土地の南側斜面の柴刈りと剪定をやった。山荘はできてから9年目になるから、建った当時にそこにあった木々の中には、8年間で3メートル以上に伸びたものもある。それらが、南の空に見える南アルプスの山影を隠しそうになっていた。直径が10~15センチの立木2本を伐り倒し、枝をはらって片づけた。これが案外の大仕事だった。その他の灌木も、不要なものは伐ってスッキリさせた。普段あまりしない力仕事で、快い汗をいっぱいかいた。妻は、『理想世界』用の原稿を書き上げたのち、山荘北側の林の中で、未生からいつの間にか伸びたクリの木を何本も伐ったという。

 谷口 雅宣

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2009年10月18日

終末論の宗教

 今日は、山梨県韮崎市にある東京エレクトロン韮崎文化ホールで山梨教区の生長の家講習会があった。受講者数は前回を約1割上回る931人となり、古川忠男・教化部長を初めとした同教区幹部の方々とともに、喜びを噛みしめたよい一日となった。その様子は、生長の家が運営するWeb版『日時計日記』に妻が書いているので、ここでは繰り返さない。が、一つだけ付け加えれば、教区全体が早期から一丸となって1つの目的に向かって協力し合ったことが、総合的に大きな力を生みだしたのではないかと思った。山梨教区の皆さん、どうも有難うございました。
 
 ところで、私はこの講習会で1つ“積み残し”をしてしまった。それは、受講者からの質問に回答する際、答えるつもりで紹介した質問に、1つだけ答えるのを忘れてしまったのだ。そこで、この場を借りて回答を書くことにする。質問の主が本欄を読んでくださっていることを願う。その質問というのは、埼玉県八潮市(町名や番地は不明)から参加した16歳の男子学生からのもので、次のような内容だった--
 
「とても分かりやすいご講話をありがとうございます。午前のご講話の中で万教帰一という生長の家の教えを話されていましたが、終末論を唱えている宗教は万教帰一に入るのでしょうか。もしよければ教えて下さい。ありがとうございます」

 この質問にひと言で答えるのは難しいが、敢えてそうするならば「ノー」ということになる。が、ひと口に「終末論」と言っても、その「終末」が何を意味するかによって、信仰全体の内容が大きく変わってしまうから、十把一絡げの答えでは不十分である。例えば、キリスト教はその教義の中に終末論を含む、と言っていいだろう。その大きな理由は、聖書の中に『ダニエル書』や『ヨハネの黙示録』を初めとした「終末」の記述が数多く見出されるからだ。しかし、その記述を読み手がどう解釈するかによって、教えの意味が違ってくる。ちなみに、同書の出だしには、こうある--
 
「イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起こるべきことをその僕(しもべ)たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。ヨハネは、神の言(ことば)とイエス・キリストのあかしと、すなわち、自分が見たすべてのことをあかしした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。」(第1章1~3節)

 読者は、ここにある「すぐにも起こるべきこと」とか「時が近づいている」という表現に注目してほしい。聖書が編纂されてから千年以上たっている現在、これらを文字通りの「真理」として受け取った場合、途方に暮れてしまう人が多いに違いない。
 
 同書にはこのあと、ヨハネが「見た」という世界の終末の光景が詳しく描写されるのである。その描写は、聖書の記述の中で最も残酷で恐怖すべきものとも言われ、それが何を意味するかが昔から論争の種となってきた。この書の表面の意味だけをたどれば、同書ではサタンと天使の軍勢が怪物の姿となって大闘争を繰り広げる。そして、最後には、すべての死者が呼び出されてキリストによる審判を受け、罪ありとされた者は“火の池”に投げ込まれ、罪なしとされた者は“夜のない”、神の光に満たされた世界で永遠に生きるのである。
 
 聖書の最後には、このようなストーリーをもった『ヨハネの黙示録』があることは紛れもない事実である。しかし、これによってキリスト教全体を単純に「終末論の宗教」あるいは「終末論を唱える宗教」と呼ぶことはできないと思う。なぜなら、聖書には終末論だけでなく、天地創造からモーセの十戒、出エジプト、バビロン捕囚、数々の旧約の預言者の活動、イエスの誕生、イエスの受難、イエスの復活、使徒の伝道活動などのストーリーと、それらのストーリーに内包された数々の教えが説かれているからだ。アルファベットの中には「A」から「Z」までの26文字が含まれているにもかかわらず、「アルファベットとはZのことである」と言えば、明らかな間違いである。また、「アルファベットとはZに至るために作られた」と考えることも不合理である。だから、「キリスト教は終末論である」という理解は、控え目に言っても「不十分」なのである。

 しかし、そうであったとしても、キリスト教の内部には(仏教やイスラームと同様に)実に多様な考え方が存在しているから、その一部の宗派の人々が、『ダニエル書』や『ヨハネの黙示録』を“最重要の真理の書”として取り上げ、間もなく現実に“世界の終末”が来ると説く指導者の下に、終末論を前面に掲げて運動することがある。こうなると、その宗派は「終末論の宗教」と言っていいだろう。そういう宗教は、過去にいくつも出現しており、ほとんどの場合、自らが信じた通り悲惨な結末を迎えている。私は、その具体例を『心でつくる世界』(1997年刊)の第4章に「終末を召(よ)ぶ教義」と題して詳しく書いたので、興味ある読者は参照されたい。
 
 谷口 雅宣

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2009年10月15日

箱根で一泊

 すでに妻がブログに書いているが、誕生日祝いに母を箱根一泊旅行に招待した。写真好きの母だが、最近出した写真集『木の声がきこえますか』(生長の家刊)の中で「東京に住み、公園や御苑を散歩するだけですので、大自然の感動を味わえないのが残念です」と書いている。それではどこかへ……と思ったが、大泉町の私たちの山荘では足元がキツイし、自然は厳しい。というわけで、妻が「箱根行き」のアイディアを出してくれた。伝統のある観光地で、道路も諸設備も整っているということで、いわゆる“クラシック・ホテル”の1つへ案内した。一泊して明けた今日は幸いにも好天で、大涌谷から仙石原、湿生花園というコースでゆっくりと回った。意外にも母は、大涌谷が初めてだった。険しい山腹から何本も硫黄臭い蒸気が吹き上げる雄大な光景がいたく気に入ったらしく、何回も立ち止まってカメラを構えていた。また、湿生花園では、歩き疲れてへたり気味の私たちを尻目に、山野草やその花たち、花に来る虫たちを熱心に撮影していた。
 
 ところで、こういう環境に置かれた私は、動物との“出逢い”について考えた。「当り前のことを大袈裟に言っている」と思ってくれていい。私もデジカメで写真を撮ったが、花にとまるチョウやハチたちは、人間がすぐそばでカメラを構えていても、あまり反応しない。近づき過ぎれば、もちろん飛び立っていくが、それは条件反射的で“感情”を示さない。これに比べて、ホテルの池にいたコイたちは、私が近づくと向こうから寄ってきて、カメラを構えると、ますます寄って来て、水面から顔を突き出して大口をパクパク開ける。これには“感情”のようなものを感じ、人間の方も何となくうれしくなる。エサを持っていれば、きっとあげてしまうだろう。コイは、人間の動きに明らかに反応し、自分の意思を伝えることができるのだ。コイだけでなく、湿生花園の池にいたアブラハヤという小魚も、人間の足音に反応して集まってきた。
 
 これらの動物は、自分の生存に直接関係する相手を認識し、それに反応するのだ。その反応の仕方に“感情”のようなものを感じるのは、人間の側の独断かもしれない。が、その一方で、動物のもつ脳の大きさや複雑さが原因で、反応の仕方にも複雑さが生じ、それとともに本当に“感情”が彼らの脳内で起こっている可能性もある。魚類までは、その程度の理解でいいような気がする。が、哺乳類となると、“感情”の存在は疑うのが難しい。
 
 泊まったホテルの庭を散歩していたら、近くで小さい子供の鳴き声のようなものがした。私はすぐそばの灌木の茂みの向こう側を見ていたが、突然、私の足元で柔らかい感触がした。子ネコが1匹、体を擦りつけているのだ。相手が望んでいることは、はっきり分かる。で、少し遊んでやった。が、どうせ“行きずり”の関係であることが分かっているから、深入りしないようにお別れする。子ネコも、何となくそれを察知して行ってしまった……と私は思っていた。ところが、庭を一周して同じところへ戻ってきたところ、同じ子ネコが、今度はフルスピードで駆け寄ってきたのだった。私はその時、何か“罪の意識”のようなものを感じたのだった。それには、理由があった。
 
Catme  この子ネコと一度別れて庭を巡っているときに、別の子ネコが死んでいるのを見つけた。それは、ホテルの従業員宿舎に近い砂利敷きの道路の上だった。白い小さな体が横たわっていて、鮮血が滲んでいるのが見えた。近くに寄って見ると、轢死のようだった。さらに庭を歩いていると、作業服に竹かごをかついだ中年女性と会った。庭の世話をしている人だと思い、「上の方で子ネコが死んでいますよ」と声をかけた。するとその女性は、「ああ、野良ネコの子でねぇ、何匹かいて……」と答えた。それで私は、彼らの厳しい状況を理解したのだった。親から離れた何匹かの子ネコたちは、この広いホテルの庭で独力で生きていかねばならない。自然界では当然のことだ。他の動物は皆、そうして生きている。が、ネコは、人間との関係の中で生存を維持してきた動物である。飼いネコになれば、生存は保証される。が、野良ネコでは保証されない。時には轢死することもある。それを知っている子ネコは、必死の思いで人間に取り入ろうとするのだ。そんなネコの真剣な“気持”を、私は玩びはしなかったろうか……。
 
 動物と出逢うことは普通、「一期一会」とは言わない。が、そういう関係が成り立つ出逢いもきっとある、と私は思った。都会の雑踏の中ですれ違う人と、箱根の山中ですれ違う子ネコを比べてみると、どちらも無視できない関係を秘めていると言えないだろうか。
 
 谷口 雅宣

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2009年10月 4日

小樽、火点し頃

Beforedark  今日は、北海道の小樽市で生長の家の講習会があった。好天の中、年季が入った小樽市民会館には、前回を40人近く上回る1,464人の受講者が集まってくださり、半日、和やかな雰囲気のもとに会がもてたことは、誠にありがたかった。「年季が入る」という表現は、一つの仕事に長年従事している「人」を表す言葉で、建物に使うことは邪道かもしれない。が、この町には、相当数の歴史的建造物がよく保存されているから、こういう擬人法が何となくしっくり合うのである。

Evening  前日に宿泊したホテルは、中高年の観光客を中心にほぼ満室だった。妻と連れ立って夕暮れの町を歩いたが、風があって「寒い」と思った。10月の北国だから当然だが、今年の夏以降では初めてで、もうそこまで来ている冬の気配を感じた。小樽港には、大型客船の「飛鳥」が停泊中で、その白い船影が町に華やかさを添えていた。しかし、私たちはそういう港や運河近くのダウンタウンではなく、もっと高台にある駅周辺を散歩した。そこは観光地とは趣がやや違い、庶Barbourshop民の生活が感じられる小路がある。そこを通ると、ネパール人が経営するカフェなど、予期しない小さな店が現れ、興味がつきない。本当は、 そういう店に入りたいところだが、限られた時間では“印象”を写真に記録するしかなかった。
 
 谷口 雅宣

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2009年10月 1日

山のキノコと対面

 休日を利用して、妻と2人で山梨県・大泉町の山荘に来た。前日の雨天とはうって変わって、雲間から青空がのぞく好天なのがうれしい。しかも、キノコの成長には湿気が必要なので、晴天の前の雨天は誠に好都合である。が、キノコはすぐに地中から出るわけではなく、2~3日の成長期間が必要なため、山荘裏の林を初め、近辺ではあまり姿が見られなかった。それでも、玄関の前に灰白色の傘のキノコが6~7株かたまって出ていたUtsukushijg。シロヌメリイグチである。また、山荘近くの砂利道の真ん中には、ニガクリタケが束になって顔を出していた。このキノコは毒入りだから、要注意だ。
 
 天女山と美しの森へも足を延ばしてみたが、ジゴボーが2~3株と、アイシメジが分散して7~8株、それにカワムラフウセンタケとおぼしき種を何株か収穫しただけだった。それ以外は目ぼしいものはほとんどなかった。キノコの季節は、まだこれからということだろう。Efuto0909302

 収穫したキノコは、よい形のものを選んで山荘でスケッチすることが多い。今回は、アイシメジ(緑色のもの)とカワムラフウセンタケ(茶色の3株)を絵封筒にした。採る本数が少なくても、こうして絵にEfuto090930_2 描いていると、それぞれ特徴あるキノコとじっくり対面することになるので、たくさん収穫した時のような充足感を味わえる。食用キノ コでも、食べない味わい方もあるのである。

 谷口 雅宣

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2009年9月 2日

ブラジルを巡講して

 本欄ではすでに何回か報告したことだが、私がこの8月にブラジルを巡講した際の様子を、短いビデオにまとめた。2分ほどの短編で、サンパウロでの国際教修会(8月1~2日)、ベレンでの一般講演会(8月4日)、サンパウロでの生長の家全国大会(8月8日)の様子に加え、いくつかの未公開の映像も組み入れてある。興味のある方は、ご覧あれ。
 
 谷口 雅宣

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2009年8月27日

ちょっと夏休み

Villadest1  26~27日の2日間、短い夏季休暇で山梨県・大泉町の山荘へ行った。今回は、キノコ採りや庭の草刈りは省略し、長野県の東御市(とうみし)まで足を延ばした。ここは市町村合併をする前は「東部町」と呼ばれていた場所を含んでいて、そこに玉村豊男氏が経営するガーデン・ファームとワイナリー「ヴィラデスト」がある。
 
 玉村氏のことは拙著『太陽はいつも輝いている』(2008年)にも紹介したが、私に絵を描くことを教えてくれた人の一人だ。とは言っても、直接教わったわけではなく、本や作品展を通してである。東京から、北アルプスを望む標高850mの高地に移り住み、野菜を作りながら、絵を描き、本を書き、展覧会をし、ブドウを栽培し、それでワインを作り、ついにレストランまで始めてしまったというマルチ人間である。その奥さんが、実は私の小学校時代の同学年で、いつかはご挨拶に行こうと考えていたのである。昼食時に予約して行ったが、観光バスまで来ていて、店内は人でいっぱいだった。玉村氏も店におられたが、客の案内や指図に忙しく、声を掛けるのは遠慮した。が、帰りがけに奥さんと話す機会があり、35年前の小学生の顔を覚えているか心配だったが、名前を言うと思い出してくださった。ありがたかった。
 
Efuto0908261  ヴィラデストでは数多くの野菜と果物を作っているが、レストランに隣接したオリジナルグッズ販売コーナーで、色とりどりの各種トウガラシを袋に入れて売っていたのが、面白くかつ美しかったので、買って帰った。辛さの段階を記した説明書もあって、とても親切だ。山荘に帰ってから、絵封筒に描いたものをここに掲げよう。

 谷口 雅宣

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2009年8月14日

日本に帰りました

 今日の午後、ニューヨークから成田へもどった。順調な飛行で時差ボケ以外は、特に体調の変化はない。7月26日から3週間の旅だったが、終ってしまえばあっけない感じだ。帰りの航空機の中でニューヨークで買った本を読み、また同市で撮った写真のアルバム作成をした。本については、別の機会に紹介することがあるかもしれない。写真アルバムはこのサイトに公開したので、興味のある方はご覧あれ。
 
 谷口 雅宣

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2009年8月12日

谷口純子氏の講話

 8月8日に行われた「生長の家ブラジル全国大会」で谷口純子・生長の家白鳩会総裁が行った講話の様子を公開する。私が自分の席から撮った動画を編集し、本人の許可を得て、ユーチューブに登録したものだ。雰囲気だけでもお伝えできればと思う。
 
 また、ブラジル人の青年が私たちのブラジル到着時(28日)の様子をユーチューブに登録してあるのを見つけたので、その日付のところに挿入してある。興味のある方をご覧あれ。
 
 谷口 雅宣

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2009年8月 5日

アマゾン群馬の森へ(現地時間4日)

アマゾン群馬の森(1)... on Twitpic ベレン市郊外約50kmにある。在北伯群馬県人会が取得した540ヘクタールの土地で、アマゾンの原始林の保全と再生林の維持を行っている。巨木の前で記念撮影。

アマゾン群馬の森(2)... on Twitpic 森の中に巨大なキノコがあると思ったが、実は木の実の殻。素焼きの土器のような重さと頑丈さがあって、自然に蓋ができるのが不思議だ。

サンタ・バーバラ... on Twitpic サンタ・バーバラの町。高級住宅地のある同名の街がロサンゼルスの郊外にあるが、こちらの町は素朴な小さい町。群馬の森は、この町の近く。

ドラゴンフルーツを食べる... on Twitpic お土産にいただいたドラゴンフルーツ。ホテルに帰ってから食べた。切り口の鮮やかさに比べ、味は結構薄い。

ベレンの町... on Twitpic 宿舎のホテルから展望したベレンの町。向こう側にアマゾン河が広がる。

 谷口 雅宣

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2009年8月 2日

国際教修会でのスナップ

 もうすでに一部で紹介されているが、8月1~2日にサンパウロ市のフンシャル劇場で開催された「生長の家国際教修会」の会場風景をお届けする:

At the SNI Special Conference for World Peace (1) on Twitpic

At the SNI Special Conference for World Peace (2) on Twitpic

At the SNI Special Conference for World Peace (3) on Twitpic

At the SNI Special Conference for World Peace (4) on Twitpic

 谷口 雅宣

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2009年7月30日

グラフィティー作家のこと

 29日の本欄でご覧に入れたサンパウロ市の大きな“落書き”について、少し補足しよう。

 ツイッターで知り合ったブラジル人によると、この“壁画”の作者は、オタヴィオとグスタヴォ・パンドルフォ(Otavio and Gustavo Pandolfo)という双子のアーティストで、当地では「オス・ゲメオス」(双子)という名で知られているそうだ。サンパウロ生まれの35歳で、1987年ごろからグラフィティーを描くようになり、サンパウロ市を初めとしたブラジル国内だけでなく、オランダやサンフランシスコでの“作品”もあるらしい。
 
「作品」などという言葉を使うと、街での落書きを誉めているような誤解を招くかつかもしれないが、落書きは大抵の町では違法行為だ。が、グラフィティー・アーティストはそんなことは承知の上で、街中の意外なところ--高くて手が届きそうもない場所、危険な場所など--に、自分の名前やイニシャルを図案化した“サイン”を描いたりする。

 オス・ゲメオスの作品は、1980年代末のアメリカのヒップホップ・カルチャーの模倣から始まったが、1993年以降から絵の色調やデザインに“ブラジル色”が反映されてきたという。その特徴の1つは“黄色い顔の人物”で、またサンパウロの社会的、政治的状況を反映した題材、さらにはブラジルの昔話に取材したものなどテーマは多岐にわたる。興味のある人は、彼らの公式サイトを参照されたい。

 谷口 雅宣

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2009年7月28日

ブラジル到着時の様子

 7月27日(現地時間)に私たち一行がブラジル・サンパウロ市の空港に着いたときの模様を、現地の人(Nanaaa31)が撮映し、動画サイト「ユーチューブ」に上げたものを見つけた。本人が知らないうちに映像や音声が世界中に発信される……そういう時代になったのだと、感慨を深くした。

 谷口 雅宣

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ブラジルに着きました

 しばらく御無沙汰していたが、生長の家の国際教修会などのためブラジルのサンパウロ市に来ている。短文やスナップ写真などをミニブログ「ツイッター」に随時掲載しているので、興味のある読者は本欄ではなく、サイドバー上に出るリンクをたどって、そちらを参照されたい。以下は、最新のスナップ写真。 

Sao Paulo, 27 July 2009 (1) on Twitpic サンパウロの町

Sao Paulo, 27 July 2009 (2) on Twitpic

町には落書きが多い、高級住宅地の壁にまで描かれているのは驚くが、この写真のように、なかなか見ごたえのあるものもある。

Sao Paulo, 27 July 2009 (3) on Twitpic

この町には東京並みの人口が住むが、そこに1千カ所以上も“貧民窟”があるらしい。この写真はその一部。

Sao Paulo, 27 July 2009 (4) on Twitpic

町中では大型トレーラーが猛然と走るのが、少しコワイ。日本のダンプカーの倍ほどの長さのものもある。その“横腹”を撮った。

 谷口 雅宣

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2009年7月12日

2000年ハスを見る

 今日、鳥取県米子市の米子コンベンションセンターで行われた生長の家講習会では、1,911人の受講者が来場され、終日静かな雰囲気の中で会がもたれた。天候も曇天で、暑すぎないのがよかった。前回より126人(7%)多くの受講者があったが、これは井手本昌久・教化部長をはじめとした鳥取教区の幹部・信徒の皆さんの熱心な推進活動の成果である。この場を借りて、御礼申し上げます。ありがとうございました。
 
 講習会終了後、島根県斐川町にある荒神谷史跡公園というところに寄った。出雲空港からの羽田便で帰るため、途中にある史跡に寄ったのだ。ここは、昭和58年(1983年)に広域農道を建設中に、土器の破片が発見されたことから遺跡として発掘が始まり、翌年には358本の銅剣が一気に発見されて有名になったところだ。しかし、私の関心はそちらではなく、今が見ごろである約5千株のハスの花の方だった。これは「2000年ハス」と呼ばれていて、元の種が2000年前のものと推定されている。
 
 昭和26年(1951年)に千葉県の検見川から丸木舟と一緒に出土したタネを、発見者の大賀一郎氏が育てて開花させたものの“子孫”だという。昭和63年に島根県大田市から譲り受けて、この地に移植された。最近、アメリカの原子力研究所による放射性同位元素の測定から「3千年前のもの」という説も出ているらしい。

Lotuspond  私は時々、生長の家講習会で「植物の命の存否は測定できない」という話をするが、その時にこの「古いハスの種」のことを例に挙げる。2千年もの間、土の中に埋もれていても死んではおらず、条件しだいで発芽し、大いに子孫を殖やす植物もあるのだ。が、実物をまだ見たことがなかったので、ぜひ一度見たいと思っていた。今回見たハスの花々は、厳密な意味では「2千年前の生命」とは呼べないかもしれないが、“生命の不滅”を感じさせてくれるに充分な美しさと、力強さをみなぎらせていた。ハスの花は、本当は開花する早朝に観賞すべきだろうが、今回はそれがかなわない。夕方、もう花を閉じているものや、使命を終えて散りかかっているものをカメラに収めた。
 
 谷口 雅宣

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2009年7月11日

外交機密の報道姿勢

 6月30日7月3日の本欄に、戦後日本の外交政策の“柱”の1つとされてきた「非核3原則」なるものが、実は「2原則」だったという元外務事務次官の証言について書いた。私の論旨は「施行から30年もたったのだから、いいかげんに本当のことを言おう」というものである。『産経新聞』は、2日の「産経抄」で「外交にウソはつきもので、正直すぎては国が滅びる」という粗雑な議論を展開し、本件を無視しようとしたかに見えた。が、このところ反省もあったのか、“後追い取材”をしてくれている。
 
『産経』は10日付の紙面で、9日に都内で開かれた討論会での自民党の山崎拓氏(外交調査会会長)の発言を、記事にした。同氏は、核搭載の米艦船の日本への寄港について「北朝鮮の核開発を阻止し、朝鮮半島の非核化を実現する上で、米国の核抑止力として、そのような行動は容認されてしかるべきだ」と述べたそうだ。これは、「非核3原則」のうち「持ち込ませず」という(有名無実の)看板をもう降ろそうという意見である。まあ、山崎氏の持論なのだろうが、自民党の外交調査会長としては、むしろ「前からある核持ち込みの密約は、もう大っぴらにされてしかるべきだ」ぐらいの発言をしてほしかった。

 同紙はさらに11日の紙面で、自民党の河野太郎氏(衆院外務委員長)が問題発言をした元外務事務次官(村田良平氏)から聞き取り調査を行ったことを報じている。それによると、河野氏は「村田氏の証言から密約はあったと判断した」という。そして、「外務委員会では今後“密約はない”との答弁の繰り返しは認めない」と、政府の答弁の撤回を求める意向を示したらしい。村田氏の証言の内容は、河野氏が週明けにも詳しく発表するようだが、記事によると、それは『産経』以外の各紙がすでに報道したものと変わらないようだ。この記事を書いたことで、『産経』は本件について事実上、各紙と同一レベルに並んだことになる。『朝日』の“後追い”をするのは、さぞ口惜しかったろう。
 
 一方、本件で先を走る『朝日』は、10日の紙面でさらに衝撃的なことを報じた。それは、問題の核持ち込みの“密約”と関連した文書を、外務省幹部が2001年の情報公開法施行前に廃棄するように指示していた、というのである。この記事の取材源は「複数の元政府高官」と「元外務省幹部」であり、それぞれが匿名を条件に証言したという。ただ、この情報の確度は100%とは言えず、証言のしかたも「……と聞いている」という伝聞の形式であったり、「破棄された可能性が高い」とか「極秘に保管されている可能性は残っていると思う」という表現で証言されている。
 
 さらに『朝日』は11日の社会面と社説でもこの件を取り上げ、これらの外務省幹部の行為は、日本の外交史の検証を不可能にする背信的行為であり、民主主義の基本を無視していると批判している。社説から正確に引用すると--

「国益がからむ外国政府との交渉で密約が必要だったとしても、それは後年、国民に公開し、妥当性について説明するのが政府の責任であるはずだ」
「主権者である国民に対して、政府が重大な事実を隠し、その証拠も処分してしまう。これではとても民主主義とは言えないではないか」

Nonukes  私は、この2点について全く同感である。これらの点で『産経』が政府や外務省に対して何の発言もしないことは、『朝日』に抜かれた口惜しさを考慮しても、ジャーナリズムとしては奇異な態度だと私は思う。
 
 今日は、生長の家の講習会のために鳥取県米子市に来ているが、夕方、宿舎のホテルの近くにある米子市役所付近を散歩した。土曜日だから役所は閉まっており、人影はほとんどなかった。と、静まり返ったその正面広場に高々と立っている看板が目についた。「非核平和宣言都市 米子市」と縦に大きく書いてある。これと似た宣言をしている都市や県が日本にはもっとあるが、今回の“非核2原則の密約”のことを思うと、民主主義は「宣言だけでは守れない」ことを強く感じるのである。
 
 谷口 雅宣

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2009年7月 6日

生長の家総本山で“炭素ゼロ”を実現

 本欄の一部の読者にはすでに旧聞に属することかもしれないが、長崎県西海市にある生長の家総本山は、昨年度において“炭素ゼロ”を達成した。“炭素ゼロ”とは「カーボン・ニュートラル」とも言われ、ある事業所におけるすべての活動から、実質的に二酸化炭素が「ゼロ=排出されない」ということである。これが達成されれば、その事業所は地球温暖化に加担しないで業務を継続することができると見なされる。生長の家では、教団全体の活動を“炭素ゼロ”にすることを目標にして運動を進めているが、ひと足先に総本山が単独で、その目標を達成したことになる。
 
 この話は、4月の初めに同本山の菅原孝文総務(当時)からメールで報告を受けていたのだが、各種の事情で本欄で取り上げることができなかった。また、同総務のメールの文面が“遠慮がち”だったことにも原因がある。その事情を説明すれば、今回の同本山の“炭素ゼロ”達成には、当地で行われる団体参拝練成会に参加する全国の幹部・信徒の皆さんが、いわゆる「炭素ゼロ旅行」を率先して実行してくださったことが大きく寄与しているからだ。もちろん、同本山での省エネ努力も継続されているが、それによるCO2排出削減量よりも、「炭素ゼロ旅行」の採用による削減量がはるかに大きかった。そういう意味で、本欄の読者の皆さんの御協力に、この場を借りて篤く御礼申し上げます。ありがとうございました。
 
Souhonzancn5  具体的な数字を示せば、昨年度の同本山のCO2排出総量は111万1,652kgで、うち事業所からの排出分は59万601kg、団参参加者等の移動による排出分は52万1,051kgだった。これに対し、同本山の森林が吸収するCO2の量は117万8,528kgだから、吸収量が排出量を6万6,876kg上回ったことになる。これにより、同本山の活動が、微量ではあるが、大気中のCO2の総量を減らしたことになる。ちなみに、団参参加者等の移動によるCO2排出量は、平成18年度は約120万kgだったが、19年度には約94万kgに減り、昨年度は52万kgになったから、3年間で半分以下に減ったことになる。一方、事業所からの排出分も減少し続けており、平成18年度は約70万kgだったのが、19年度は61万kg、20年度は59万kgだった。同本山では、「今後、森林の適正な育成と事業所からのCO2排出量のさらなる削減、灯油に代わる代替燃料などの活用で、地球温暖化防止に貢献してまいります」と言っている。
 
 総本山の場合は、約80万坪もある森林が温室効果ガスを吸収してくれるため、“炭素ゼロ”が比較的容易に達成できた。しかし、東京の本部会館の事務所となると吸収量はほとんどゼロだから、排出権購入や植林等の別の手段で“炭素ゼロ”を達成しなければならない。各地の教化部でも、事情はあまり変わらないに違いない。
 
 
 谷口 雅宣

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2009年7月 5日

室蘭にて

 今日は室蘭市文化センターと苫小牧市民会館の2会場を使って、室蘭教区での生長の家講習会が開催された。室蘭地方は朝から霧がかかっていたが、雨は降らず、講習会終了時には青空が輝く好天になっていた。両会場で合計2,289人の人々が受講してくださった。前回より大幅に減少したのは残念だが、一日和やかな雰囲気で講習会が行われたことは誠にありがたかった。熱意をもって推進活動を展開してくださった教区幹部の皆さまには、この場を借りて心から御礼申し上げます。
 
 前日の夕方、妻と2人で室蘭市内を散策した。同じ教区の苫小牧市では人口は増えているそうだが、ここは人口減少なのか、宿舎付近の商店街は相変わらずの“シャッター通り”だった。が、大型ショッピングセンターまで足を延ばすと、結構人々が集まっていて、にぎわいを見せている。そこで少し驚いたのは、センター内にパチンコ店ができていたのはまだいいが、隣接して保育所がある。「なぜ?」と思ったが、妻がすぐに回答を教えてくれた。小さい子供のいる若い奥さんたちが、心おきなくパチンコやスロットマシンを使えるようにという店側の“配慮”だろう、というのだ。

Murobento  が、ここにも良い点はある。それは新鮮な食材が豊富に、しかも安価にあることだ。ものの値段に詳しい妻の言うことには、東京の値段の半分ぐらいだそうだ。例えば弁当では、冷やし中華が150円、とんかつ弁当は280円、ハンバーグ弁当、チキンカツ弁当は398円……など。妻は、地元産の採れたてのホワイト・アスパラが安い(168円)と言って購入した。私はそれを絵封筒に描いて、午後の講話の時間に皆さんにご披露した。
 
Chikyumis2  講習会後には、地球岬に立ち寄った。広大な海が展望できるため「地球が丸いことが分かる」という意味の名前だそうだが、あいにく霧が出ていて海は見えず、その代り、雲の上に浮かんだような幻想的な雰囲気を楽しむことができた。自然の変化を肌で直接感じることができるのは、ありがたいことである。
 
 谷口 雅宣

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2009年6月28日

生長の家つくば会館

 今日は生長の家の講習会のため、茨城県つくば市に行った。前日の天気情報は雨模様ということだったが、幸いにも曇りで涼しい1日となった。会場となった「つくば国際会議場」には2,381人の受講者が集まってくださり、静かで和やかな雰囲気の中で講習会がもてたことは、誠にありがたかった。受講者数は前回よりも301人(14.5%)多く、教区幹部の皆さんの一丸となった推進--組織的には白鳩会と青年会--が成果を伸ばす原因になったようだ。また、午前の私の講話に関する質問も15通と、この規模の講習会としては多く、受講者の方々の関心度が高いことが窺えた。
 
Tsukuba1  講習会終了後に、最近新築なった「生長の家つくば会館」へ立ち寄った。茨城県は、筑波山(876m)を境にして地理的に大きく南北に分かれるらしく、教化部会館は北部の中心である水戸市の近く(ひたちなか市)にあるが、人口や信徒数では水戸にひけをとらない南部のつくば市には、大きな拠点がなかったという。そこに今回、地方道場が完成したことで、南部の信徒の活動が盛り上がりつつあるという。頼もしい話ではないだろうか。つくば会館は、外観が一見して“洋風”の雰囲気をもった木造平屋建築だが、中へ入ると和風である。そのTsukuba2 印象を強く与えるのは、大道場の床の間に「実相」の掲額があるからだけでなく、柱や欄間や窓枠がすべて黒で統一されているからだ。この直線的な黒と、明るい色の壁や天井とのコントラストが美しく、宗教施設にふさわしい荘重な雰囲気を醸し出している。私はなぜか、熊本城や松本城を思い出していた。

 さらに特筆すべきは、道場の窓の工夫だ。住宅地に建てられた道場だから、早朝行事や見真会などで使う場合、近所の家に“騒音”と感じられる音を出してはいけない。その点、窓は一番外側にペアガラス(2枚ガラス)がはめられているだけでなく、その内側にスライド式のガラス戸がもう1枚付けられている。そのおかげで、内部の音はほとんど外へ漏れないそうだ。

 “炭素ゼロ”の運動を推進するためには、教化部などの中心施設に大勢の人を集める方式を改め、運動の第一線に近い多くの“拠点”を活用する必要がある。そういう中で、このような地方道場ができたことは時宜に即した動きと言わねばならない。茨城県での今後の運動の発展が、大いに期待されるのである。

 谷口 雅宣

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2009年6月25日

天女山を歩く

 今日は、午後から天女山へ行った。この山は、八ヶ岳のうちの編笠山へ上る登山道の入口にある山で、標高は1,529メートル。とは言っても、頂上まで舗装道路がついている。天女山へ行った理由は、妻が午前中、草茫々の山荘の庭を片づけている時、ジゴボウとKaimentake いうキノコを見つけたからだ。このキノコは、本欄に何回も登場しているが、カラマツタケともいって、カラマツ林によく出るイグチ科の食用キノコだ。正式には「ハナイグチ」と呼ぶ。シーズンは秋で、こんな時期に出るのは珍しいが、山荘近くで出るときは、天女山ではもっと多く出ていることが多いので、「ひょっとしたら」と思ったのである。が、カラマツ林の急坂を30分ほど歩いて、収穫はゼロだった。食用にならないドクササコの類、腐食菌のカイメンタケ(=写真)のようなものしか見つからず、わずかに妻が、古くなったベニハナイグチを1株見つけただけだった。キノコは出ない時にはまったくないので、諦めるほかはない。
 
 ここ1年ぐらい前から、天女山の植生が変わってしまった。恐らく間伐の影響だと思う。密生していたカラマツ林の間伐してくれるのはいいが、伐った木が倒れたままで放置されているのだ。今日もキノコを探すときに、ゴロゴロとした倒木の間を注意して歩かなくてはならなかった。これでは、キノコのシロは破壊されたままだろう。天女山山頂の木には、山梨県県有林課の貼紙が掲げてあり、「FSCの森林管理認証を取得し、環境に配慮しながら管理経営しています」と書いてある。FSCとは「Forest Stewardship Council」(森林管理協議会)という国際非営利組織で、森林管理の専門機関なのだろうが、伐った樹木を何年も放置しておいて、キノコがあまり生えない森にしておくのがよいことだとは、私には思えない。秋になってもキノコが出ないのであれば、一度県に尋ねてみようと思う。
 
Mtimg090625  山荘に帰ってから、ジゴボウをスケッチした。茶色と黄色の組み合わせが美しいと思った。ミソ汁や酢の物によく合う。
 
 谷口 雅宣
 

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2009年6月24日

山荘閑話

 1カ月半ぶりに山梨県大泉町の山荘に来た。妻のブログの読者はすでにご存じだろうが、近くの「まきば公園」というところへ行き、レストランで昼食をいただいた。そこは南東向きの緩やかな斜面の中腹にあり、ヒツジや馬が放し飼いにしてある牧場が見える。そういう環境だと野生のシカも警戒心をゆるめるのか、食事中に500メートルほど先の森の蔭から親子らしい3頭が姿を現し、草を食む様子が眺められた。
 
Sheepeat  食後にヒツジと交流をもとうと思い、躊躇する妻を尻目に柵に入って行った。ヒツジたちも食事中で、近づいてくる人間にはほとんど注意を向けず、ボリボリボソボソ……という音を立てながら、ただひたすら牧草を食べていた。妻は、ヒツジを撮影する私の写真を公開しているが、私はそのカメラから覗いたヒツジの写真をここに掲げる。顔の黒いヒツジの群れの中に1頭だけ、顔の白いやや大型のヒツジがいて、私たちはその役割が何であるかを想像したが、結局よく分からなかった。
 
 田舎へ行くとうれしいのは、新鮮で豊富な野菜や果物が安く手に入ることだ。スモモ、モモ、デラウエア(ブドウ)、皮付きのベビーコーンなどを買った。半分は東京で消費する予定だ。食べるだけでなく、そういう食材の外観の美しさも味わいたい。山荘に帰ってから、PC画のスケッチをした。
 
Vegita2  山荘では、アリの行列に驚いた。体長5ミリほどの小型だから恐ろしくはないが、風呂場の壁に黒い線を引いたように往来しているのは、何となく不気味である。入浴前に排除するかとも思ったが、そのままにした。ただし、妻はアリが出てくる穴を塞ぐことを主張したので、それもいいかもしれないと思った。彼らの反応を見たかったからである。アリは「社会性動物」の典型として生物学者がよく研究対象にする。私は生物学者ではないので彼らの生態をよく知らないが、隊列を作るときには仲間の“体臭”をたどっていくと聞いていたので、出入口をふさがれた彼らがどうするか、興味があった。体臭の原因は「蟻酸」という物質で、アリに鼻を近づけるとその臭いがする。
 
 浴室の板壁にアリが入る穴と出る穴が1つずつあって、その間の数メートルを彼らは往来していた。彼らの通り道に湯船の縁がかかっていたので、風呂に浸かりながら、行き場を失った彼らの行動がよく観察できた。2カ所の穴は、セロテープでふさいだ。が、彼らは何事もなかったように同じ道を歩き、穴がないことを知ると、来た道を帰っていくのである。しかし、来た道の終点もセロテープでふさがれているので、そこからまた元来た道を引き返す。そういう歩行を続けているうちに、浴室が温まって湿度が上がってきたことと関係するのか、ときどき立ち止まって触覚をなめるような行為を始めた。が、不思議なことに、道から外れることがない。「別のルートをたどれば外へ出られるかもしれない」とは思わないようである。そして、20分もたつと、道の隅の方に何匹もが黒々と集まって動かなくなってしまった。
 
 人間だったら、こんなことには決してならないだろう。人の後に従っていくのは確かに「安全」なことが多いが、“異常事態”を感知したら、パニックに陥って無秩序な行動に出る人が多いことは、よく知られている。その際は、社会性が一時的に失われて個人性が表面に出るのかもしれない。アリはその点、社会性を維持したまま、異常事態を切り抜けてきたのだろう。その理由は、人間とアリの脳の機能の違いによるに違いない……そんなことを考えながら、私は風呂から上がったのである。
 
 谷口 雅宣

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2009年6月22日

絵封筒便り

Efuto090615  最近、描いた絵封筒を3点紹介する。
 
 赤レンガの建物は、石川教区の講習会で金沢へ行ったときのもの。夕食前、散歩した中央公園に建っていた近代文学館のスケッチである。手前にある白いテーブルと椅子のセットは、実際はもっと沢山あって人が何組か座っていたが、省略して図柄を単純化した。
Efuto090618  
 マンゴーは、宮崎の旧友から送ってきたもの。あまりにも見事な色艶だったので、食べる前に絵封筒に描き、礼状とした。
 
 タマリ漬は、昨日の栃木教区での講習会の帰途、宇都宮駅で買ったもの。駅の土産物売り場には、たくさんの種類のタマリ漬が売られているが、原産地Efuto090622 表示に注意して妻が選んだ。私は、パッケージの緑とラベルの色具合いに惹かれた。切手に注意してほしい。横浜開港150周年記念のものだが、切手とその外枠にまたがって描かれた絵を使って、封筒に印刷されたホテルの名前を隠している。

 谷口 雅宣

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2009年6月14日

幸福は環境条件にはない

 今日は、金沢市の金沢歌劇座というところで石川教区の生長の家講習会があった。天気は“高曇り”という感じで、暑すぎもしない好天だった。受講者は、前回を55人(2.9%)上回る1,941人となり、釧路、埼玉両教区に続いて運動にさらに“上昇気流”を吹き上げる結果となり、誠にありがたいことである。とりわけ「+55」という数字は、「GO GO!」に通じるだけでなく、当地出身の大リーガー、松井秀喜選手の背番号だということで、石川県の皆さんは喜びも一入のようである。これを契機として、同教区の運動はさらに発展するに違いない。

 私は午後の講話で、最近新聞で見つけた“よい話”を1つ紹介する予定だったが、時間が足りなくてかなわなかった。そこで、この場を借りてやらせていただきたい。この話は、6月10日付の『ヘラルド・トリビューン』紙の論説欄に、ピコ・ライヤー(Pico Lyer)という人が書いていたものだ。「少ないことの喜び」(The joy of less)という題の文章で、「幸福とは、我々の環境条件にあるのではなく、そこから何を得るかにある」という主旨である。このことはよく言われることではあるが、実際の経験談として語られると説得力をもつ。

 ライヤー氏は若い頃、アメリカの時事週刊誌『タイム』の国際問題担当記者として活躍し、ニューヨーク市の一等地であるパーク街のアパートに住み、ビルマやモロッコ、エル・サルバドールなどの保養地で休暇を過ごせるほどの収入を得ていたという。ところが、そんな彼がやがて気づいたことは、そういう貧しい途上国にいる人々が、生活苦の中、時には戦火の中にあっても、自分が育った平穏なカリフォルニア州サンタ・バーバラ市の人々よりも、生き生きとしていて、明るくさえあるということだった。自分が昔から知っているアメリカ人の多くは、4回目の結婚をしながら毎日心理カウンセラーの治療を受けていたりするというのである。もちろん、貧困では幸福は買えない。しかし、金でも幸福は変えないことも確かだった。
 
 そこで、ライヤー氏は、アメリカでの心地よい生活と仕事を捨てて、京都の裏通りにある寺で1年間、過ごすことにした。そういう場所ならば、月を見て俳句を作ったりする高潔な生き方ができると思ったのである。ところが、実際の寺での生活とは、拭き掃除や掃き掃除ばかりをするという生活だった。
 
 それから21年たった今、彼はまだ京都近郊にいる。住んでいる2部屋のアパートは、寺での自分の部屋よりはるかに狭い。自転車も、車ももたず、テレビはあっても理解できず、新聞や雑誌も読まない。しかし、使える時間は永遠に続くかのようで、足りないと思ったことは一度もない。彼は、出家僧ではない。また、いろいろのものを捨てたことが、全く寂しくないのではない。自分の書いたものを印刷するのに小1時間の旅をしなければならず、また、大リーグの決勝戦を見れないことが嬉しいわけではない。しかし、ある時点で、こういうことに気づいた--少なくとも自分にとっては、幸福とは、自分が「したい」とか、「しなければならない」と思わないことから生まれるのだと。
 
 自動車をもたないことで、自動車に関する様々なことに煩わされなくなる。携帯電話やインターネットが使えないことで、彼は毎夕、ピンポンに興じたり、古くからの親友に長い手紙を書いたり、愛する人とショッピングに出かけることができる。そして、3カ月に1回ほどアメリカにもどり、そこで新聞を眺めても、何か重要なことを聞き逃したなどと思ったことは1度もないという。彼が、好きな本をじっくりと読んでいた間、24時間ニュースを7日間流し続けるローラーコースターのような情報の渦は、人々の心を突き上げたり、突き落としたり、また上げたり、そして落としたりして、結局、最初にいた所とあまり違わない所へもどすだけだ。
 
 だから、ライヤー氏が言うには、外面的な些事や社会的な業績みたいなものは、自分の心に深い幸福感を与えないのである。彼の考えでは、幸福は--平和や情熱と同じように--それを追求しないときに最も自然に現れるのだ。幸福とは、自分の必要以上に望みを拡大させないことから生まれるのである。(Happiness comes from matching your wants to your needs.)
 
 ここまでが、新聞記事の紹介である。すでに与えられているものを十分に感謝して受け取り、人々と共有する「日時計主義」を生きるための、よいヒントがここにあると思う。
 
 谷口 雅宣

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2009年6月 2日

タンポポの奇形

 昨日の本欄で、釧路地方で見た「大型のタンポポ」の話を書いたら、同教区の澤田教化部長がメールで2日付の『釧路新聞』の記事を送ってくださった。別海町あたりに咲くタンポポには「花や茎がいくつもくっついた巨大な花が多い」という内容だ。その様子は「中が空洞になったり、波打ったりしている茎の直径は3~4センチ。くっついた花の長さは6センチ前後ある」と書いてあるから、私が見たタンポポとはかなり違う。私が見たのは、本欄に掲載した写真のように、本州の花に比べて一回りほど大型なだけで、正常な形をしていた。
 Kush060209
 しかし、そんな“奇形タンポポ”があるのが不思議なので、ネットで調べてみると、最近は結構、そういうタンポポが見られるらしい。学問的には「帯化(せっか)」という現象で、原因はよく分かっていないらしい。北海道だけでなく、全国各地で観察されていて、ニュースで取り上げられたこともあるという。この帯化した株から種を取って栽培すると、正常なタン ポポが育つというから、遺伝子に異変が起こったわけではなさそうだ。
 
 興味のある読者は、「タンポポ」と「奇形」というキーワードで検索してみると実物の写真が見れる。参考のため、ここに上記の新聞記事を掲げておこう。
 
 谷口 雅宣

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2009年6月 1日

タンポポとツツジ

Tampopo  昨日は釧路教区での生長の家講習会があり、夜遅く帰京した。札幌以外の北海道の空港は最近、便数がずいぶん減ってしまったから、午後10時すぎに羽田着の最終便で帰った。帰宅は11時ごろだった。こういうケースは、しかし珍しい。今年度初めての北海道での講習会だったが、澤田教化部長をはじめとした釧路の幹部・信徒の方々が明るく推進してくださったおかげで、朝から小雨が降っていたにもかかわらず、前回より55人(5.6%)多い1,044人の受講者が集まってくださった。誠にありがたく、この場を借りて同教区の皆様に感謝申し上げます。
 
Aseriaikush  30日は最高気温が13℃、最低は7℃という事前情報の通り、なかなか寒かった。が、カーディガンとコートを着て夕方の港町を散策した。この地は春なのである。町のあちこちの草地には、大型のタンポポが所狭しと見事に咲いている。桃色の大輪のツツジも満開だった。街路樹のサクラは終ってしまったようだが、ヤエザクラの花がまだ残っているのがうれしかった。南北に長い日本列島を講習会で回っていると、こうして季節を何回も経験できるのが“役得”の1つである。

 「クーちゃん」という名前のラッコが釧路川に滞在していたというので、宿舎のホテルに隣接した土産物売り場には、ラッコの縫いぐるみはもちろん、クーちゃんをかたどったお菓子やパン、アクセサリーなどが数多く売られていた。釧路川に出現してから約3カ月で姿を消したらしいが、短期間によくこれだけの商品を開発するものだと感心した。そのラッコが、今度は“恋人”と一緒に150キロ離れた納沙布岬に姿を現したらしいという記事が、31日付の『釧路新聞』に載っている--
 
「【根室】クーちゃんに新たな恋人か--。28日午前4時ごろ、根室市の納沙布岬で、クーちゃんと思われる雄のラッコと、雌と思われるラッコが仲むつまじく岩の上でじゃれ合っている姿が確認された。17日にも同所で、雌と思われるラッコとじゃれ合う姿が確認されているが、今回のラッコは、17日のラッコが毛色が白く高齢の個体で、左目の下に黒い斑点があったのに対し、今回のラッコにはその斑点がなく、毛色も黒く4歳前後の若い個体と思われる。」

 動物は「動く物」と書くから、どこへでも好きなところへ動いていく。それで一向構わないのだが、人間の方は「行かないで」「もどって来て」と執着する。でも、来てほしくない動物もいる。釧路の人に聞いた話だが、温暖化の影響だろうか、最近は冬になってもクマが冬眠しないのだそうだ。そして、人家に入って冷蔵庫を開け、ビールの缶に爪を立てて中身を飲むのだそうだ。何か信じられない話だが、そのうち冬になると、酔っ払いグマが北海道や東北の町に出没することになるかもしれない。そういえば、もっと南方では、クジラが湾内に迷い込んだといって、人々は最近までその動向を心配していた。

 これに対し、植物の方は動かないから、花が咲き終わっても人間は心配しない。来年もかならず咲くと信じているからだろう。でも、温暖化にともなう気候変動が激しくなれば、植物の種類によっては、花が咲かない年が来るかもしれないのだ。
 
 谷口 雅宣

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2009年5月21日

“若者撃退器”を足立区が導入?

 本欄で4年前に紹介したイギリス製の“若者撃退器”が、いよいよ日本の足立区(東京都)で今日から実験的に使われるらしい。20日付の『朝日新聞』が夕刊で伝えている。これは、若者の耳にしか聞こえないとされる18キロヘルツ前後の高い周波数の音を発生させる装置で、昆虫のカを意味する「モスキート(mosquito)」という名前のもの。カが発声する高音が不快であることから、開発者が名付けたらしいが、日本での商品名は記事中にはない。
 
 記事によると、足立区がこの実験に踏み切るのは、夜中に若者たちが北鹿浜公園に集まって騒ぎ、トイレの便器や事務所の窓ガラスを壊したりするほか、周辺住民から「騒音で眠れない」との苦情が後を絶たないためらしい。同区公園管理課で半年間議論を重ねたすえ、実験的導入に踏み切るという。破壊のあった事務所と公衆トイレがならぶ付近に設置して、午後11時以降、翌朝5時まで高周波数音を鳴らす。議論があるのは、やはり「公園」という公共施設の中に、一部の人間(若者)の入場を妨げるような装置を設置するからだろう。が、同公園管理課の増田治行課長は、「憩いの場のはずの公園が、安眠を奪う迷惑施設になってはいけない」(同記事)と考えて導入するという。

 足立区のウェブ上の説明では、北鹿浜公園は足立区内に2箇所ある交通公園の一つで「交通広場」と「公園部分」の領域に分かれ、前者にはミニ列車、自転車、バッテリーカーなどがあるため入場の規制があるが、後者は常時開放されている。ここへ夜間、若者たちが集まって騒ぎたてるのだろう。私は、この機械の効果をよく知らないが、4年前の本欄によると、それを設置したら「若者が耳を押さえながら店内に入って来て、“あの音を止めてくれ”と頼んだ」というから、若者には「耐えがたい音」であることは確かだ。しかし、若者は店内に入ってきたのだから、彼らを「寄せつけない」音ではなさそうだ。ということは、耳栓をしたり、ヘッドフォンを付けた若者には、あまり効果はないのではないか。また、彼らが「自分たちを排除するため」という設置目的を知ったならば、かえって反発して騒ぎを大きくしないか、と心配する。
 
 『朝日』の記事では、この機械は1台20万円もするそうだが、この公園での昨年度の被害額は約70万円という。3台の設置で被害がなくなれば「効果あり」と言えるだろうが、私としては、公園を夜間閉鎖すればすむ話ではないかと思う。そうすれば「若者だけ締め出す」という公共面からの問題も生まれないと思うのだが……。
 
 谷口 雅宣

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2009年5月19日

温暖化時代に陸地が隆起

 地球温暖化が起こると氷河や極地の氷が解け、その水は海へ流れ出て、海面上昇が起こり……というシナリオは、すでに多くの人々が知っている。ところが、アメリカ北端の州・アラスカのジュノー市では、氷河の融解にともなって海面が下降しているという。その理由は、陸上に積み上がっていた氷河の重さが減ることによって、陸地が膨張しつつあるかららしい。19日の『ヘラルド・トリビューン』が伝えている。

 地質学者の調査によると、グリーンランドその他のいくつかの地域では、200年以上前にあった氷河融解によって、これと同様の現象が起こったという。が、ジュノー市とその周辺では年間9メートルの割合で氷河が退縮しており、この速度はその当時より速いらしい。これによって、地域の住民の生活には様々な問題が起こっている。まず、海面から陸地が隆起することで地下水面が下降する。すると、湿地や河川は干上がってしまう。湿地帯には乾いた土地が出現するから、隣地との境界があいまいになり、土地をめぐる紛争が起こる。また、氷河から解けた水は沈殿物も一緒に海岸地域に運んでいくから、水は濁り沈泥がたまり、船舶の運航に支障ができる。
 
 アラスカ州南東部の地図をひろげてみると分かるが、このあたりはロッキー山脈が海岸近くまでせり出していて、そこから流れ出る多くの川と、海岸に近接する島々が網目状の複雑な水路をつくっている。そこへ融けた氷河から大量の沈殿物が流れ込むのだから、島と島、島が陸がつながり、川が干上がり、水路は消滅し、森に変化するという現象が起こっているのだ。これによって生態系が大きく変化しつつある。この地方の人間の生活と密接に関係しているのがサケだが、水路が濁ったり、泥で埋まってしまえば、サケは産卵の機会を失ってしまう。

 陸地の隆起のもう一つの原因は、プレート(岩板)の移動だ。これは日本列島の地震の原因でもあるが、アラスカ州南東部の場合は、太平洋プレートが北アメリカプレートを押し上げる位置にあるという。この力と氷河融解との総合効果により、ジュノー近くの土地の隆起は年間8センチ近くという“信じられない”速度で起こっているという。科学者の試算では、ここの土地は過去200年で3メートルも上昇し、温暖化の影響も加わると、これから2100年までにあと90センチ盛り上がるという。

 労せずして自分の土地が増えていくことは一見、よいことのように思える。しかし、それと共に周囲の生活環境も一変してしまうのだから、この地方の人々の戸惑いは深刻なのだ。
 
 谷口 雅宣

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2009年5月16日

信濃川の夜景

 新潟北越教区での生長の家講習会のために、新潟市に入った。信濃川を目の前にしたホテルを宿にしているが、あいにくの小雨模様のため、いつもの散策は中止した。が、その代り、暮れてゆく新潟の町を部屋の窓からゆっくり眺める時間がもてた。

Shinanoriver  眼下に万代橋が見える。そこを上下方向に行き来する車や、バイク、そして人……。その流れとは対照的に、左右方向に白波を引きながら時々、船が通る。この川は、人間の動きを邪魔したり、助けたりしながら、はるか昔の時代から同じ方向に流れ続けてきたのだ。その悠久の流れの中で、人間が川に対してできることはそう多くない。が、川から得る恩恵は、きわめて大きく多種多様だ--飲料水、灌漑水、漁場、交通手段、洗濯用水、工業用水、水の循環、栄養素循環、風景美、レジャー、文化の交流……。

 江戸川、淀川、ハドソン川、ナイル河、黄河、チグリス=ユーフラテス河……。古来、人間は川辺に集落を形成し、文化や文明を築いてきた。それは、川から得られる恩恵の大きさを知っていたからだ。物質的に見れば、川とは、水が高いところから低いところへ流れている場所にすぎない。が、その「流れる」という一見単純な事象の中から、無限の恩恵と可能性が現れてくる。妻とそんなことを語り合いながら、信濃川を臨む窓辺で夕食をした。その際、撮った写真をここに掲げる。
 
 谷口 雅宣

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2009年5月14日

横浜でバラを愛でる

Rosegarden2  今日は、休日を利用して“親孝行”に出かけた。とは言っても行き先は横浜で、本欄の読者はご存じのように、我々夫婦が足繁く行く町だ。しばらく行っていなかったこともあり、またバラの美しい季節なので、花好きの母が喜ぶ顔が見たかったのである。お目当ての場所は、横浜・山手の「港の見える丘公園」。午前9時過ぎに東京を出ると、幸い道路は空いていて、40分ほどで目的地に着いてしまった。

Redroses  バラは、横浜市の“市の花”である。この公園には8千平方メートルの市営のローズガーデンがあり、約80種の千八百株のバラが植えてある。横浜開港当時、この山手の丘にはフランス軍とイギリス軍が駐屯し、その後、フランス領事館やイギリス総領事公邸などが建設された。この英総領事公邸を市が買い取り、現在の「イギリス館」となった。そして、イギリスの国の花がバラであることに因み、市政100周年を記念して、平成元年に“市の花”が制定されたという。

Artistroses  好天だったこともあり、公園にはすでに多くの中高年男女が来ていて、カメラを構えたり、スケッチブックを広げたりして、一年のこの時季にしか見られない“バラの美”を記録しようとしていた。バラ園のど真ん中に椅子を置き、カンバスを立て、色とりどりのバラたちを描いている画家もいた。私も、さっそくデジカメを使って同じ行動をとることにした。母も妻も、それぞれに花々を記録したことは言うまでもない。

Rosegarden  その時の記録のいくつかを、ここにご披露する。
 
 谷口 雅宣

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2009年4月 8日

夜桜を見る

 水曜日は私にとって“週末”……ということで、夕方、妻と2人で明治神宮外苑にあるレストランへ行き、ゆっくりと夕食をいただいた。数カ月前にオープンした店で、新聞にも紹介が出ていたので、席が空いているか心配した。が、客の数は意外に少ない。そうなのだ。昨今の厳しい経済事情のおかげで、このごろ街のレストランは空いているし、道路を走る自動車の数も減った。人々は生活防衛に必死なのだ。
 
 食後、青山通りを六本木方向へ渡り、さらに路地に入ってゆっくりと散歩した。このあたりは飲食店が多いのだが、どの店も客はまばらである。そのうちに、目の前がボォーッと明るくなったのは、満開のサクラ並木のせいだった。都内の“サクラの名所”の1つである青山墓地まで来ていた。と、この付近はなぜか人通りが多いのである。我々は、街灯の光を受けて夜空に白く光るサクラを愛でながら墓地内を進んだ。
 
Cherrynight  夜、墓場を歩くことはあまりない。が、満開のサクラが頭上を覆い、足元に続く白い花びらの絨毯を踏みしめて歩いていると、そこが「墓場だ」という気があまりしないのである。それでも、照明の当たらない側道は暗く、不気味な感じがするので、我々は街灯のある道を行くことにした。と、道の両側で人の声がするのである。それも、1人や2人ではなく、大勢が談笑している風情である。また、沿道の所々に、二人連れなどがしゃがみ込んで何かを食べている。夜桜見物の人々だった。

 好奇心に惹かれた私は、ためらう妻の腕を引いて側道へ入った。すると、暗がりのあちこちに10人、20人と円陣を構えて人々が座っているのである。「こんな暗いところに…」と私が言うと、妻は「目が慣れてきたら、そうでもないのかも…」と言う。私は彼らの写真撮影を試みたが、ストロボを発光させなかったためか、暗さに強いデジカメにも、ほとんど何も写らなかった。
 
 側道を引き返しながら、ふと「もし迷った霊が付近にいたら…」などと思う。また、「10人のグループで来たはずなのに、よく数えてみたら11人いたとか…」などと想像する。いや、今見た人々は皆、地べたに座っていたから、ひょっとして地縛霊…?

 夜桜には、妄想を起こさせる力があるのかもしれない。
 
 谷口 雅宣

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2009年3月 8日

行動を起こすこと

 今日は松山市を初め愛媛県下の3箇所(土居、宇和島)を会場として、生長の家講習会が行われた。晴天とはいかなかったものの、幸い気温も比較的暖かく、前回を上回る5,530人の受講者が参集してくださり、落ちついた雰囲気の中で会がもたれたことは誠にありがたかった。同県の幹部・信徒の方々の熱心な推進活動に、この場をお借りして心から感謝申し上げます。
 
 さて前回は、リンゴとミカンの相違点・共通点について書いたが、今日の講習会では、午後の質問の時間に「万教帰一」に関するものがいくつか出たので、生長の家では各宗教の「相違点」ではなく「共通点」を研究し、認める活動をしていることを述べた。これに対して宗教学者は、それぞれの宗教の「違い」を研究することが多いので、学問的な視点から宗教を見る場合は、「万教帰一」の考え方にはなかなか到達しにくいと思う。しかし、リンゴとミカンの例で示したように、共通点と相違点のいずれに着目するかは、正誤の問題というよりは、その人の好みや関心のありかの問題なのである。だから、学問の分野においても、各宗教の共通点に焦点を合わせた研究がもっと出てくれば、「万教帰一」の考え方が世界にもっと拡大していく可能性がある。私はそれを待ち望んでいる。
 
Mtimg090308  ところで、今日は愛媛県に行ったついでに、ミカンを扱った絵をもう1枚ご披露しよう。添えられた英語は、「行動しなければ何も得られない」というような意味だ。目の前においしそうなミカンがあっても、ただ「おいしそうだなぁ~」と思っているだけでは、それを得ることはできない。当り前のことだ。ミカンに対して、自分の方から何かアクションを起こして積極的に関わっていくことをしなければ、ミカンから何かを得ることはできない。

 これは宗教についても同じで、自分の前に「こういう宗教がある」と知っているだけでは、そこから何も得られない。聖書に記されたイエスの教えにも、次のようなものがある:
 
 「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。」(『マタイによる福音書』第7章7節)
 
 だから、自分の意志でまず何か--例えば「本を読む」など--アクションを起こすことが必要である。そういう意味では、今日は5千人もの人が「講習会へ行く」というアクションを起こしてくれたことは、とても重要なことだと思う。それに対して今後、宗教の側から応えるリアクションが、愛媛県下でさまざまな形で展開されていくに違いない。
 
 谷口 雅宣
 

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2009年2月27日

友だちはどこにでもいる

Mtimg090226  昨日、羽田から長崎まで飛んだ。
その航空機の中で眠気と戦っている私の前に、こんな顔が出現した。
彼も眠くて仕方がない風情だ。
「ああ、同類はいるものだなぁ……」
と思いながら、私は夢の中に引き込まれていった。

I was almost asleep when I saw this sleepy face in front of me in an airplane.

 谷口 雅宣

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2009年2月17日

古い記録 (9)

 1月13日の本欄で、私は大学に入学した1970年に、最初の海外旅行をしたことに触れた。そして、この旅行で撮った写真について「いずれ、まとまった形でご覧に入れることができるかもしれない」と書いた。このほど、その写真39枚を本欄読者に公開することにした。このブログのサイドバーで絵封筒を小さく表示しているが、そこをクリックしても見ることができるが、その場合は少し複雑な手続きが必要なので、39枚を一覧できるサイトのリンクを下に掲げた。これらは「First overseas trip」(初めての海外旅行)という題のアルバムに収められている。すべてモノクロ写真で、当時の私や父母の写真もある。

 初めての海外旅行のアルバム

 谷口 雅宣

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2009年2月 8日

2つの新聞記事

 静岡市での生長の家講習会を終え、東京へ向う新幹線の中でこれを書き始めた。今日の静岡県地方は、快晴の空に富士山の全貌がきれいに浮き上がる穏やかな天気で、講習会には5千人を超える受講者が集まってくださったことは誠にありがたい。会場の「ツインメッセ静岡」は、ほぼ正方形の形をした展示場で、1箇所に多くの人々を収容できる点はいいが、演壇と受講席との間にやや距離があって、講演者の側からは受講者の“反応”がやや受け取りにくかった。とはいっても、演壇が広いことにはメリットもあり、聖歌隊の合唱の時間には、大勢の子供が壇上に上がって歌を歌うことができ、会場の雰囲気を和やかに盛り立ててくれた。
 
 今日の『朝日新聞』の社会面に東京・日野市にある多摩テックの閉鎖が報じられていた。この遊園地は、私の子供がまだ小さい頃、当時の住居から近かったこともあって、何回も遊びに行ったことがある。そこが9月30日で閉鎖されるという知らせには、寂しさを感じずにいられない。「時代の変遷」を強く感じさせる出来事である。ご存じの読者も多いと思うが、ここは自動車メーカーのホンダが100%出資する経営体によって1961年に開園した。乗り物ファン--特に、自動車の運転が好きな親が、子連れで来て一緒に遊べる場所として、当時は珍しかった子供用のゴーカートなどが人気だった。ブルンブルンとエンジン音を立て、車体を震わせて走るゴーカートは、レーサーのようなスタイルをしていて、大人の私も心が躍ったことを覚えている。そんな施設でも近年は、少子化と自動車を運転しない若い世代の増加で入場者が減少したため、「時代が変化する中、役割を終えたと判断した」のだそうだ。国内の自動車の登録台数の減少や親会社のホンダが、F1レースから撤退したことと合わせて考えると、「自動車」というものに対する人々の考え方に変化が起こりつつあることを示しているように思う。

 都会では、自動車は必需品でなく、費用のかかる生活オプションになりつつある。そのこと自体は、CO2排出削減や渋滞緩和という側面からは好ましいかもしれない。しかし、この変化をもたらしたものが、複雑な地下鉄網や鉄道の整備であり、それにともなう商業ビル、巨大モール、地下街などの増設だから、大都市・東京全体から排出されるCO2の総量が減ることにはならないだろう。こうして利便性が増していく大都会ではあるが、整備されたインフラや社会資本が、人口減少時代にどのような状態になるのか、私は気になっている。多くの地方都市では、昔からあった商店街が“シャッター通り”化していることが問題になっているが、それを大規模化したような“シャッター・ビル街”や“シャッター・モール群”が出現する可能性はないだろうか。
 
 上に書いた「多摩テック閉鎖」の記事の隣には、JR東海が進めているリニア中央新幹線建設に反対して市民団体が結成されたことが報じられていた。全国自然保護連合の呼びかけで、東京、神奈川、山梨、長野などの沿線市民や地方議員など約20人が山梨県内に集まり、「リニア問題を考えるネットワーク」という市民団体を結成したというのだ。私はこれを複雑な気持で読んだ。というのは、生長の家が考えている“森の中のオフィス”を設置する候補地の1つが山梨県内にあり、そこへの交通アクセスが他の候補地より不便であることが指摘されていたからだ。リニア新幹線が開通すれば、この問題は一気に解消する。が、こうして「自然保護」を掲げる団体の主導で反対運動が始まることになれば、生長の家の“森の中のオフィス”構想が微妙な立場に置かれる可能性が生まれるかもしれない……などと考えたのである。

 この構想を実現する場所としては、山梨県だけでなく、静岡県内でも2カ所の候補地が検討された。こちらは近くまで東海道新幹線が走っているから、交通アクセスは山梨県より上である。が、その代り、海岸沿いの観光地にオフィスを置くことになる。それが“森の中のオフィス”の考え方に合致するかどうかも検討課題だった。とにかく、現代人にとって“便利な生活”と自然環境保護の要請とは、基本的に矛盾することは否めない。その中にあっても、双方の要請をある程度満たし、ある程度犠牲にする“中間点”を見出すことの難しさを、私は2つの記事を読みながら感じたのだった。
 
 谷口 雅宣

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2009年2月 5日

百目鬼の伝説

 2月3日の本欄でハズカシイ動画を公開してしまったが、予想外の反響で恐れ入っている。読者からのコメントの中に、私が被ったお面について「鬼なのか? 日本の鬼なのか?」との質問があったので、きちんと調べてみた。このお面は、妻の誕生祝いに栃木県の信徒の方が送ってくださったもの。これを前回、「カンピョウの実で作った」などといい加減なことを言ったが、「カンピョウ」という植物は存在せず、正しくはユウガオの実をテープ状に細長くむいて乾燥させたものをカンピョウと呼ぶのだそうだ。カンピョウは栃木県の名産で、全国の生産量の9割を占めているという。

 鬼のお面は、このユウガオの実の外皮を乾燥させて作る。ちょうどヒョウタンを作るときMtimg090205 と同じように、果肉を取り除いて乾燥させたものを「ふくべ」と呼び、これを使った民芸品が「ふくべ細工」だ。ふくべ細工の歴史は古く、戦国時代には、茶道用の炭入れとして、また昭和30年頃まで一般庶民の間でも炭入れとして、日常的に使われていたという。現在は、宇都宮市内の職人により、炭入れ、花器、小物入れなどのほか、絵付けに凝った人形や魔除けの面が作られている。栃木県の伝統工芸品に指定されている。ふくべ細工のうち、宇都宮市に伝わる「百目鬼の伝説」をもとにして作られたお面を「百目鬼(どうめき)面」と呼び、魔除けとして使われたらしい。
  
 「百目鬼の伝説」とは、「藤原秀郷の鬼退治」とも言われ、近江において大ムカデを退治したという藤原秀郷(ひでさと)の英雄譚の1つである。彼が下野国(現在の宇都宮市)を通りかかった時、身の丈3メートルを超し、手に百も目がついている「百目鬼」が現れたので、秀郷は弓を引いて鬼の心臓を射抜いたところ、百目鬼は断末魔の力を振り絞って体から火を吹き、あたり一面が火の海になったという。すると、そこへ本願寺の智徳也上人がやってきて呪文を唱えたところ、鬼から燃え広がっていた炎は消え、黒焦げとなった人の姿が残っていたそうだ。ナムアミダブツ、ナムアミダブツ……。そして、その地を人々は「百目鬼」と呼ぶようになったのである。
 
 藤原秀郷は、平安中期の関東の武将で、平将門の乱(940年)で超人将門を討ったところから数々の英雄伝説が生まれた人物だ。大ムカデ退治の話も将門討伐と関係している。この大ムカデは三上山に巣くっていたが、秀郷はこれを退治したお礼に黄金の太刀と鎧をもらったうえ、これらを身につけて朝敵を討てば将軍になれると予言され、その予言通りに平将門軍を破ったという。
 
 昨今は“韓流”など、美しい柳のような男に人気があり、秀郷のような勇猛な武将はテンデ人気がないためか、ふくべ細工の百目鬼面もあまり買う人がいないそうだ。“韓流”に魔除けの必要がなければ、その北側に位置する国にも“魔除け”はいらない--そんな錯覚を抱く人も多いのだろう。そんな状況下では、節分に“鬼”が大暴れして見せるのは、ひょっとしていいことなのかもしれない。だから、日本人はハローウィンよりも、この節分の“鬼”を盛り立てていくのはどうだろうか?
 
 谷口 雅宣

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2009年1月14日

父と息子

 前回の本欄で、父が18歳の私を海外への講演旅行に誘った理由について触れた。これは、本人に直接訊いたことではないので断定はできないが、子供の教育や教団運営における父の「自由尊重」の精神を実地に体験している立場から考えると、「もっと広い世界を見せてやろう」という父の愛と子への期待が背後にあったと信じる。
 
 1970年の父母のブラジル講演旅行の翌年に発刊された父母の共著『通い合う愛』(日本教文社刊)の中に、父が自分の父(荒地清介)について書いている文章がある。私の父は、結核療養所に入っていた時に自分の父が亡くなったことを、次のように表現している--
 
「私が療養所に在所中、父が山口市で死没したという報を受けましたので、私は急いで帰郷致しましたが、父の死に目には会えませんでした。私の成育を楽しみとし、私の行動にたいして全面的に信頼して、私の自由を完全に許してくれた父が死ぬ迄に私は何一つ親孝行の行ないをせず、未だ社会に出て安心させることもなく、遂にあの世へ旅立たせてしまったかと思うと、私は涙が流れて仕方がありませんでした」。(p. 250)

「息子に自由を与える」という教育法は、だから父が荒地の祖父から学んだものであることが分かる。父の場合、それによって紆余曲折はあったものの結局、生長の家の信仰にたどりついき、そして「この生長の家の大真理を、全人類に向かって宣布する使命を戴いたことを、誠に幸せであると思うものであります」(谷口雅春大聖師追善供養祭での言葉)との実感を得たのである。だから、父には「自由を与える教育は正しい」との信念があったことは疑う余地がない。
 
 ところで、父は1970年の14前、36歳の時にもブラジル等へ講演旅行をしている。この際は足かけ5カ月間の長旅で、しかも初めての海外旅行である。そして、その印象を、後の著書『キリスト』の「はしがき」にこう記している--
 
「私がブラジル、ペルー、アメリカ等に講演旅行を続けていたとき、本書の出版計画が私に知らされたのであった。私はその頃、痛切にキリストの偉大な御教えとその業績に打たれていた。ブラジルの街々を訪問すると、先ず第一目につくのが、高くそそりたつキリスト教会であり、キリストの像であった。凡ての国民によって日曜日は教会へ行く日と定められ、カナダ等では酒類の一般販売も禁じられ、日曜日のスポーツ、娯楽等も制限せられて聖なる信仰の集いが護られている州も沢山あった。私はこれら新大陸に於て今もなおキリストが生きつづけているのを感じた」。
 
 このような強い印象を、息子にも味わわせてやりたいと思ったに違いない。当時の日本は政情不穏が続き、学生は勉強などせずデモや投石を繰り返しているばかりだ。そんな中で、狭量な右翼少年のまま大学生活に入ってほしくない。もっと広い世界を知れ!--私には、そんな父の声が今も聞こえるような気がするのである。

 父が最初に出した本は、谷口雅春先生との共著『世界光明思想全集』である。これは、小冊子ではあるが全40巻ある。この全集が完結した年に、私が生まれた。その一部は、後に谷口清超宗教論集第5巻『光明思想の先駆者』(1971年、日本教文社刊)に収録されるが、その本の「はしがき」に父はこう書いている--
 
「これは“光明思想”の源流をさぐり、それを要約・紹介したものであり、この仕事もまだ完成されているわけではないが、既刊の中からも、その全部をここに収録することは出来なかった。それ故、世界の光明思想家の中のごく一部の人々の紹介にとどまるけれども、これらの人々は非常にすばらしい“神の子・人間”の境地に達せられた人々であり、吾々の信仰ときわめて近似しているのである。そこで、この一篇をひもとくことによって、きっと広大な光明思想の霊的裾野の原野を眺望し、その頂上のいかに高きかを推察して頂けることを確信する」。

 この文章が書かれたのは、父が息子を連れて海外講演旅行を行った翌年の秋である。生長の家を、東洋の小国に生まれた狭量な右翼的信仰運動だと考える視点は、ここにはない。このような“広い視点”を息子にもたせたいという願いが、父の本心だったと私は思う。
 
 谷口 雅宣

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2009年1月13日

古い記録 (7)

    ブラジル旅行で撮った22本のフィルムには何が写っているのか?--その答えは「何でも」と言ってしまっていいだろう。機上から雲や地上を撮ったもの、空港、道路、家並み、街角、海岸、山、瀑布、家畜、鳥、そして人、人、人……。初めて外国を見た少年は、見慣れない、珍しいものを見るたびにレンズを向け、シャッターを押した--そんな様子が残されたフィルムから推測できる。が、その中で「人」が写っている写真が案外多いことに気づく。当時はまだ、日本で外国人を見かけることが少なかったから、“日本人的でない顔”が珍しいのは分かる。しかし、フィルムには日系人の顔も多く写っているから、私が人間一般とその(海外での)生き方に興味をもって写真を撮っていたことは確かだろう。

 カメラを通して、また当地の人々との約1カ月半の接触を通して、私は日本にいた頃の“狭い世界”の外には、実に広大な地球があり、そこには多様な人々と、それらの人々の営みが織りなす複雑で豊かな世界があることを感じて、旅行から帰ってきたに違いない。これによって、“尊大な右翼少年”の世界にヒビが入ったとしても、それは成長の一過程にすぎず、誰の責任でもない。いや、私をこの旅へ誘った父は、むしろ息子が狭い心の殻を破ることを期待していたのではないかと、今にして思うのである。

 さて、この旅行で撮った写真から数枚を下に掲げる。いずれ、まとまった形でご覧に入れることができるかもしれない。

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 谷口 雅宣

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2009年1月 5日

北海道“夢の国”計画 (2)

 私の“初夢”的構想から生まれた「自然資本産業省」(自産省)は、北海道にあって何をするのか? それを述べる前に、この機関の設立の前提となっている「自然資本」(natural capital)の考え方を簡単におさらいしておこう。

 自然との一体感を重んじる我々日本人にとっては、この概念はむしろ“当り前”であって不思議なところは何もない。ごくごく簡単に言えば、「手つかずの自然には価値がある」ということだ。しかし、今日の政治経済制度では、この当り前の考え方が「ものの値段」に反映されていない。最も分かりやすい例は、土地の値段である。賃貸アパートや戸建て住宅を探した経験のある人はよくご存じだが、土地の値段は「駅から○分」「バス停から○分」「○○空港から何分」というように、「人工物からの距離」で評価される。もちろん、距離が短い方に“価値がある”とされるのである。これに対して、手つかずの自然がある土地は“価値がない”とされているから、「大雪山頂から○分」「富士山頂から○分」「阿蘇内輪山から○分」などという不動産表示はない。誰もそんな土地をほしがらないと思われているのだろう。

 が、しかし、我々は「手つかずの自然には価値がある」ということを学んできた。神道や仏教、修験道が信仰の対象や施設をわざわざ山奥に設置してきたのはそういう理由だろうが、現代においてもエコロジー(生態学)を学んだ人間には、そのことは自明である。にもかかわらず、現在のほとんどの国の経済制度では、「手つかずの自然」の価値はものの値段に反映されていないか、反映されていても、その評価は最小限だ。これをきちんと貨幣価値に置き換えて評価しようというのが自然資本の考え方である。

 私は2002年8月の本欄で、地球全体での自然資本を貨幣価値で表した研究を紹介した。この研究者は手つかずの自然に、①気候調整、②土壌形成、③栄養素の循環、④野生種の動植物提供、⑤燃料・繊維類・薬草の供給、⑥自然美の提供などの価値を認めて、それを具体的な数値(ドル表記)で表したのである。それによると未開発の地球の自然の価値は「年間平均38兆ドル」という。これが、開発による環境破壊で「毎年2500億ドル」の損失を生んでいるというのだ。詳しくは、上記の本欄や拙著『足元から平和を』(2004年、生長の家刊)を参照してほしい。
 
 この考え方を経済に導入する1つの方法は、健全な生態系を維持している自然環境を管理している人には、その生態系サービスの価値に該当する対価を支払う、ということである。森林の間伐や下草刈り、養蜂、食害を防ぐための狩猟、田圃の維持などに「生態系サービス」補完の意味を認め、正当な対価を払うのが理にかなっている。これに対して、海外からの輸入品や地元産以外の物品に対しては「カーボンフットプリント」の概念を導入して、環境への負荷(生態系サービスに対するマイナスの価値)を値段に反映させるのがいい。同じことは、森林を伐採して農地や商業地に転換すること、道路を建設して森林を分断し、あるいは地下水脈に損害を与えること、工場や動力源から有毒物質や有毒ガス、温室効果ガスを排出することにもいえる。これらの行為は、生態系へのマイナスの価値としてきちんと円貨で評価して、製品やサービスの値段に反映させる。これをいきなり日本全国に導入するには、かなりハードルが高いだろうから、食糧の自給が可能である北海道にまず導入する。食費の変動を最小限に止めるためである。

 北海道でのもう1つの問題は、長い冬場のエネルギー消費と広大な土地を往き来するための燃料コストである。これは、自然エネルギーの全面的導入と、自動車の全面電化によって対応する。そのためには、「炭素税」の施行が必要だ。これは、CO2の排出量に応じた税金であるから、航空機やガソリン車、ディーゼル車による人と物の移動が、電気自動車より高くつくようになり、買い替えが進む。また、これによる税収は、各種の環境対策に使われる。具体的には、私はこれを、①自然エネルギーの振興と、②電気自動車のインフラ整備に使うのがいいと思う。自然エネルギーでは、道ではすでに風力、太陽光、バイオマスなどが利用されているが、これをもっと大々的に導入するための補助金とする。そして、作られた電力を配電網に供給して全道で共有する。ここで、「農業」と「産業」と「エネルギー」と「環境」という4つの政策の調和が必要になるが、そのすべてを管轄する自産省においては、問題は比較的少ないだろう。
 
 自動車の電化計画について、少し補足しよう。すでに昨年12月8日の本欄に書いたが、電気自動車(EV)の本格的導入は北海道のような広さの土地がやりやすいようだ。実際、これをポルトガルやイスラエル、デンマークなど北海道サイズの小国で積極的に展開しているベンチャー企業がある。日本のEVとそれに使うリチウムイオン電池の技術は、インフラさえ整備できれば、連続走行距離は実質的に無限大に延長できる段階まで来ている。このインフラとは、高速給電と電池交換ができる給電所網である。この給電所が提供する電気を風力や太陽光、バイオマス発電から得られれば、EVの利用は限りなく“炭素ゼロ”に近づいていく。そして幸いなことに、北海道では風は多く、日照時間は長く、バイオマスは豊かである。
 
 こうして“炭素ゼロ”と食糧自給、自然と産業との調和が実現する土地には、やる気のある起業家や若者が先を争って移住するに違いない。
 
 谷口 雅宣

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2009年1月 4日

北海道“夢の国”計画

 「夢」という言葉にはいくつかの意味がある。「夢を描け」とか「夢のある話」などという場合は、「理想」とか「未来への展望」などという肯定的な意味合いが含まれる。その一方、常識を欠いた荒唐無稽な話は「夢のような話」とか「夢物語」と呼ばれて、否定的にとらえられる。これから書こうとしているのは、恐らくこの2つの中間的な意味での夢の話だ。まぁ正月に見る“初夢”のようなものとして聞いていただければ幸いである。
 
 私は、北海道を“半独立国家”としたい。それを今年に行われる総選挙の公約とし、「日本大改革党」という政党を旗揚げしよう。英語名は「Revolution-in-Japan Party (RIJ)」--通称「リッジ党」だ。なぜ北海道かと言えば、そこは日本列島最大の島であり、最大の地方公共団体であり、本州とは国際海峡によって分離され、広大な大陸的地形と自然環境を有し、また歴史的にも進取の開拓精神に富んだ人々が「Boys be ambitious!」の声に共鳴して、それこそ“夢”を描きながら愛情をもってつくり上げてきた土地であるからだ。日本を改革するのであれば、このように地理的な独自色と自由度を有し、進取の改革精神が存在するところから始めるのが、最も合理的である。

 私は、北海道が好きだ。上に挙げた理由以外にも、そこに住む人々の物事に捉われず、しかも親身になって相互協力し合う平等精神が好きだ。これらは、「男女×歳にして席を同じうせず」などという旧い文化が通用しない厳しい自然環境の中で育まれてきたもので、アメリカの開拓精神とも通じるところがある。人間はこのような中から、豪壮で斬新で、新時代を切り拓くような力に満ちたアイディアを生み出すものである。オバマ政権の“後追い”をするわけではないが、今人類が直面している文明的変化(1月1日本欄参照)に正しく早急に対応するには、日本においては「北海道」の自然と人間の活力を動員することが最も有効だと考える。

 リッジ党が政権を取った暁には、首都機能の一部を札幌に移転する。これに先立って、行政機構の大幅再編を行う。省庁では環境、農林水産、経済産業の3省を合併して、「自然資本産業省」(自産省)を設立する。国土交通省は廃止し、同省内にあった観光庁と北海道開発局は自然資本産業省に組み入れ、残る気象庁、運輸安全委員会、海上保安庁は総務省へ編入する。これにより、自然そのものの価値を認める「自然資本」の考え方にもとづいた産業育成の考え方が、初めて行政に反映されることになる。環境行政は1本化し、不要な道路建設は極力避けられるだろう。この新しい自然資本産業省を札幌に設置するのである。
 
 自産省の構想は、イギリスの環境食糧地域省(Department for Environment, Food and Rural Affairs, Defra)の考え方に倣ったものである。この新しい行政機構は、2001年6月、旧農業水産食糧省(Ministry of Agriculture, Fisheries and Food, MAFF)、旧環境交通地域局(Department of Environment, Transport and the Regions, DETR)、それに内務省(Home Office)の一部が合併して設立された。理由は、MAFFが口蹄疫の蔓延に十分対処できなかったとの反省からである。Defra の主な政策目標は「持続可能の開発」(sustainable development)である。それは、「世界の全ての人々が基本的な必要を満たしたうえ、未来世代の生活の質を犠牲にすることなく、より豊かな生活の質を享受できる種類の開発」と定義される。1国の行政機関が、「世界のすべての人々」を対象にするという、このような広大な目標のもとに組織されたことは、まさに画期的と言うべきだろう。同省が管轄する範囲は、農業と環境、持続的開発、気候変動・大気汚染への対応、自然環境保護、動植物・農業地域の保護育成など、かなり広い。

 私が注目しているのは、Defraが、農業や水産業に環境保護の役割を認め、保護育成していくことで持続的開発を実現しようとしている点だ。また、環境保護と両立した農水産業の育成を行うことで、イギリスの食糧自給率を第二次大戦前の3割台から7割へと大幅に改善してきた実績があることだ。その手段として補助金が使われてきたが、日本のように「コメを作らないこと」に対して出すのではなく、「自然環境を維持・管理すること」に対して出すという自然資本の考え方が明確に導入されていて、合理性がある。わが国のように、環境と農水産業を管轄する役所が分離している状況では、このような政策の実行は難しいだろう。

 私の自産省の構想では、これにさらに農水産業以外の産業を加えた全産業を1つの省に管轄させるのである。というのは、北海道の場合、自然エネルギーによるエネルギー自給の可能性があると考えるからである。これをスムーズに行うためには、資源エネルギー庁を経産省の傘下に置いておくのでは農水産業との連携プレーが難しい。また、自然エネルギー開発に伴う環境問題に有効に対処するためにも、環境、農水産業、資源・エネルギー供給の三者を統括する官庁が必要だと考えた。確かに、1つの役所だけが肥大化することは好ましくない結果を招く恐れはある。それが心配の場合は、経産省から資源エネルギー庁だけをはがして自産省に組み入れる選択肢があるかもしれない。
 
 さて、こうしてでき上がった自然資本産業省だが、北海道の地に設置されて一体何をするのか--そのことは、次回以降に語ろう。
 
 谷口 雅宣

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2008年12月23日

パリの記憶

 前日、映画の中でパリの雰囲気に浸ったことに影響されて、休日の今日は、昔行ったこの地のことを思い返そうとした。しかし、記憶とは頼りないもので、何もかもウロ憶えである。写真を何枚も撮ったような気がするので、それを探した。すると、カラーネガと一緒にアルバムは見つかったが、構図などから見て、どうも私が撮った写真ではない。一緒に行った家族の誰かが撮ったものに違いない。

 そこで、パソコンの中のデジカメの画像を探したが、今使っているノートパソコンには1枚も残っていない。それもそのはず、パリへ行った当時は、2世代前ぐらいの機械を使っていたからだ。また、記録用の外付けハードディスクの中を探してみたが、ここにもない。そこでさらに思いを巡らしてみた。ゆきついた結論は--恐らく、昔のデジカメのファイルが残っているとしたら、それらはCD-ROMに書き込んである--ということだった。しかし残念なことに、自宅にある外付けCD/DVDドライブは故障中である。
 
 結局、デジカメの記録を見るのは諦めて、昔のスケッチブックに当たった。不思議なことに、デジカメの写真のことはよく憶えていなくても、スケッチを描いた記憶はかなり鮮明に残っている。3~4枚はスケッチを描き、そのうちの2枚を材料にして、後から油絵を描いたことはすぐ思Nigtparisい出した。が、どのスケッチブックにその絵があるかなど、憶えていなかった。だから、保管されている何冊ものスケッチブックをいちいち調べて、ここに掲げた3枚を見つけた。スケッチブックに記入された日付によると、私が家族とともにパリへ行ったのは1999年のクリスマス--つまり、9年前のちょうど今ごろだった。

 夜の絵は、有名な凱旋門である。パリに着いたのは確か夕方で、時差ボケの頭にカツを入れて、私たちは暮れていく大通りを歩いたのだ。その時、デジカメで撮った写真をもとにして、後で水彩で描いたのがこの絵だ。昼間の建物の絵も2枚あるが、引きつけて描いた方はVendomes「ヴァンドーム広場」である。ここはカトリーヌ・ドヌーヴ主演の同名の映画の舞台となったところで、私はそのことを知らなかったが、ドヌーヴ・ファンである妻が知っていて教えてくれた。また、ロングショットで建物と道路を描いた絵は、ヴァンドーム広場から出てすぐの、通りの一角である。左右のバランスが少し悪いが、街の雰囲気が出ていて気に入っている。このほか、有名なノートルダム寺院やサクレクール寺院もスケッチしたが、それらの絵はどこかに紛れ込んでいて発見できなかった。
 
Streetpariss_2  私たちが9年前に初めて訪れたパリは、強風が吹き、寒くて、観光客以外はあまり見かけない静かな街だった。その時聞いた話では、パリの人々は、東京の我々とは違い、クリスマス前後は自宅で静かにイエスの誕生を祝うということだ。昨日見た映画の『PARIS』では、そんな信仰的な人々はどこにも出て来なかったが、映画とはそんなものかもしれない。
 
 谷口 雅宣

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2008年12月 7日

モラエス館を訪ねる

 徳島市で行われた生長の家講習会の終了後、同市のシンボル的存在である眉山まで行った。標高290メートルの山頂からの景色がいいというのだが、快晴の空の下に広がる市街地、吉野川、新町川、助任川、その向こうに紀伊水道が一望できる広大な風景は、私の予想を上回っていた。眉山は、下から見ると北海道の函館山にどこか似ているから、函館山からの風景を頭に描いていたのだが、函館の風景は“奥への広がり”が見事なのに対し、眉山から望む風景は“横の広がり”が秀逸だった。麓から山頂までは、35分から2時間かかるものまで10通りもの登山コースがあり、市民がそれぞれ好みのルートで歩いたり、走ったりするという。私たちが車で山頂を目指す途中でも、トレーナー姿の何組もの人々と会った。その山頂へ向かう主たる道路の開始点近くに、わが生長の家の徳島県教化部会館が建っているのを知って、何だかうれしくなった。そこは、市民に愛される場所に違いない。
 
 前日に初雪が降り、その晩は氷点下になったというだけあって、眉山山頂はとても寒かった。展望台で絶景を前に何枚か写真を撮ったあとは、私たちは室内に逃げ込みたくなった。ちょうど「モラエス館」という建物があって、展示が見られるというので中に入った。徳島を愛したポルトガル人の業績について展示した施設である。
 
Mtimg081208  ウェンセスラウ・デ・モラエス(Wenceslau de Moraes, 1854-1929)について、私は予備知識がなかった。が、展示によると、なかなかの日本びいきで、日本に31年間住み、前半は神戸で領事・総領事を歴任したあと、最後の17年間を徳島で過ごした。その間、日本人妻をもち、『極東遊記』『茶の湯』『徳島の盆踊り』『日本精神』などの作品を書いて「徳島の小泉八雲」と称されたという。モラエス館には、徳島市内の伊賀町3丁目にあった、彼が暮らした長屋の居間兼書斎を再現した空間があり、それを見ると、畳に置かれた背の低い机や脇息、本棚、小さな火鉢など、昔の庶民の居間と変わらない。終生、母国のポルトガルには帰らなかったというから、何が彼を日本に留めおいたのか不思議に思う。
 
 日本は、江戸時代も長崎を通じてポルトガルとの交流を保った。ポルトガルは、植民地としてはブラジルが最大のものだろう。そのブラジルへ遙々出かけた日本人によって同国に生長の家が伝えられ、そこで大いに発展したことを考えると、日本びいきのモラエスが半生を日本で過ごしたことが、妙に納得されるのである。このように有名、無名の数多くの人々が異国の地、異国の文化との“懸け橋”となることで、今日の国際社会は成立してきたのだと改めて感じた。
 
 谷口 雅宣

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2008年12月 6日

絵封筒を描く (2)

 師走の風が吹くようになると、いろいろの慈善団体から寄付を募る手紙が届く。私は日本赤十字社に寄付したことがあるので、今年も案内が来た。妻にはユニセフやUNHCR(国連高等弁務官事務所)からも来た。そういう慈善団体とは少し違うが、私宛に寄付の依頼が来る団体の中に「インターナショナル・ハウス」(International House)というのがある。ここは、私がニューヨークに留学していたときに住んでいた留学生専用のアパートのような施設で、日本を含めた各国に“支所”もある。こう書くと、何か日本の学生寮のようなものを想像しがちだが、1924年にジョン・ロックフェラー(John D. Rockefeller Jr.)とクリーブランド・ドッジ(Cleveland H. Dodge)の出資で、ハリー・エドモンズ(Harry Edmonds)という人によって設立された非営利団体で、アメリカの大統領経験者が何人も会長を務めたところだから、結構きちんとした団体である。
 
 私はそこへ毎年いくらか寄付してきたが、今年の手紙の文面は何か深刻だった--「昨今の地球規模の金融危機の中で、インターナショナル・ハウスはいくつかの厳しい選択に迫られています。株式市場の低迷により、奨学金その他の必要のための出資が困難になってきています。私たちは出費の縮小や省エネ、業務の効率化に懸命に努力していますが、今後何カ月かのうちに、施設利用者に相当な影響を与える予算上の決定をしなければならないでしょう。私たちは、あなたの助けが必要です。それは、現在の施設利用者が、このハウスでの経験の“核”である国際理解と紛争の平和的解決のために前進を続けるためです」。
 
 アメリカ経済の縮小については、連日の報道でその深刻さが伝わってくる。今日の『日本経済新聞』によると、5日発表の米労働省の雇用統計では、11月の非農業分野の雇用者数が前月に比べて53万人も減少したという。この下落幅は34年ぶりで、これによって失業率(軍人を除く)は「6.7%」になったという。日本経済も楽観できない状態だが、失業率などはアメリカの方が深刻だ。そんなこともあり、今回の要請にはそれなりの対応をすべきと、私は考えた。そして、景気回復には“日時計主義の心”が必要であるから、単に寄付金だけを送るのではなく、それを絵封筒に入れて送ることにした。
 
Efuto0812061  今日は生長の家の講習会で徳島市に来ているが、宿泊したホテルでは自前のパンを山のように飾っていた。その中にあったカニの形のパンがかわいらしくて印象的だったので、それを封筒の絵に描き、ついでに景気のいい「花咲かじいさん」の切手を貼って絵封筒にした。こんなものでアメリカの景気がよくなるとは思わないが、これを受け取った人とその周辺の人の心が明るくなれば、それでいい。明るい心は、独創や親切やユーモアを生み、新しい発想に結びつくことを祈りながら……。
 
 谷口 雅宣

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2008年12月 4日

都会の紅葉狩り

 今日は木曜日の休日だったので、母を誘って紅葉狩りへ行った。こう書くと、都心から郊Momiji081 外などへ出かけたように聞こえるかもしれないが、都心も都心、明治神宮外苑へ行っただけである。本欄にも書いたことがあるが、ここは私のジョギング・コースに入っているから、決して珍しい場所ではない。実際、2日の火曜日に、私はここを走った。が、今日は親孝行が目的だった。父が亡くなってから、母は原宿の家を離れることが少なくなった。しかし最近、「紅葉が見たい」との希望を漏らす余裕を見せてくれるようになったので、好天の休日を逃す手はないとの妻の提案を、私も二つ返事で受け入れたのである。

 3日前のジョギングの際、有名なイチョウ並木の下を、私は左右に体を跳ばせながら、Momiji082 かろうじて人にぶつからずに走れた。それほど多くの人々が各地からやってくる。観光バスも5~6台いたと思う。多くは中高年の女性だが、長いレンズ付きのカメラを提げた男性も、デート中の若い男女もいた。今日も同様の状況だった。人々は、黄金色の葉が散り敷いた並木道で目を輝かせてカメラを構え、また天の方向を仰ぎ見ている。鉛筆のように上端部を尖らせた銀杏の木々が、頭上に列を作って並んでいる。水平方向に目をやると、どこまでも続く金色のトンネルだ。私たちも人々の仲間に入り、何枚か写真を撮ってから、開いていた門を抜けて並木道から脇へ入った。
 
Momiji084  黄色一色のイチョウ並木とは異なり、ここは人通りも少なく、豊富な色が満ち溢れた空間だった。イチョウのほかケヤキ、カエデ、サクラ、クスノキ、スズカケなどが、それぞれの持ち味のある色を誇らしげに、惜しげもなく、空中に、地上にばら撒いている。私たちは、ここでしばらく時を過すことにした。その際に撮った写真を何枚かここに掲げよう。初冬でありながら、やさしく、豊かな秋をしみじみと感じたよい半日だった。

谷口 雅宣

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2008年11月28日

27・28・29

 今日は「28日」ということで、こんな題をつけてみた。前後に「27」と「29」の数字があるが、これは昨日が11月「27日」で、妻と私の「29回目」の結婚記念日だったからである。もう1つ「27」について言えば、妻も私も27歳のときに結婚した。そんなわけで、27日には、私たちは休日の木曜日を利用して、新婚生活の思い出がある横浜まで足を延ばし、ひと時を過ごした。

 横浜をめぐる私たちの若い頃の話は、2005年の5月と7月の本欄に少し書いたから、興味のある人はそちら(5月18日同19日同23日7月7日)を参照してほしい。今回の記念日は、あいにく雨模様の寒い1日だったが、私たちは雨がかからない「みなとみらい地区」で散歩や食事をしたり、車の中から日本大通りや海岸通りの黄金色のイチョウ並木を鑑賞した。
 
 横浜市は来年、1859年(安政6年)の開国・開港からちょうど150周年を迎えるというので、みなとみらい地区をメイン会場とした「開国・開港Y150」という大イベントの準備に大忙しの様子だった。これでまた周囲の風景が大きく変化することになると思うと、古い記憶を懐かしがる(私のような)ご仁には、ますます眩しい場所になっていくのかもしれない。
 
Mtimg081128_2  昔、横浜港の遊覧船に「赤い靴号」というのがあったが、今はなくなり、代りに市営観光バスの「赤いくつ号」というのが走っている。桜木町からみなとみらい地区、山下町、中華街、元町、山手あたりを回る。この「赤い靴」とは、野口雨情が作った「赤いくつはいてた女の子~」という歌の発祥がこの辺だということで、横浜ではいろいろの用途に使われている。これにちなんだチョコレート菓子もあり、私はそれを土産として買って帰ったのである。

 谷口 雅宣 

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2008年11月22日

生長の家の秋季大祭が終わる

 21日から長崎県西海市の生長の家総本山で行われていた秋季大祭と記念式典が終った。21日の午前は「第28回龍宮住吉霊宮秋季大祭」が行われ、午後には「第31回龍宮住吉本宮秋季大祭」がしめやかに挙行された。この日は朝から小雨が降る寒い日で、霊宮前にはテントが張られていなかったから、参列者が濡れたり風邪をひかないか心配だった。が、御祭が始まる頃には青空が出て日も差す好天になったことは、誠にありがたかった。その後また天気は崩れたが、午後の本宮大祭は室内で行われたため問題はなかったようだ。両大祭において、私は斎主として祝詞を奏上し、宇宙浄化の祈りを唱え、玉串を奉げさせていただいた。同本山の菅原孝文総務によると、この日の参拝者は1,511人で、昨年より81人増えたということだ。

 22日は快晴の小春日和となり、午前には「谷口雅春大聖師御生誕日記念・生長の家総裁法燈継承日記念式典」が約1,600人の参列者を迎えて鎮護国家出龍宮顕斎殿で行われた。私はこの日も祝詞を奏上し、そのあと挨拶をした。予定より長く話してしまったので、後の進行に多少影響を与えたことが悔やまれる。式典では、去る10月28日に昇天された生長の家総裁、谷口清超先生へ感謝の思いを込めて、参列者全員が30秒間の黙祷を奉げた。その後は、例年通りのプログラムで進行した。重苦しい雰囲気にならないか心配だったが、参列者の多くは全国の幹部の方々であったためか、盛んに拍手が出る明るく、朗らかな式典になった。「生命は不滅」という参列者の信仰の強さが肌身で感じられる、よい式典だったと思う。
 
 私の挨拶については、後に『聖使命』などで報道されるだろう。少し込み入った内容の話をしたので、ここにはその概略を掲載しない。その代り、21日の午後に描いたスケッチをご披露しよう。紅葉が美しかったのである。旧オランダ村の入り口前のイタヤカエデはもちMtimg081121 ろん、総本山の前を走る道路沿いのナンキンハゼの葉は、黄色から赤に染まり、行く人の目を惹きつける。道路に新しく「脇見運転は危険」という意味の縦長の看板が立てられていたが、恐らく紅葉に見とれて事故を起こすなという意味だろう。
 
 私が描いたのは、そんな道路沿いの木々ではなく、公邸の庭から大村湾を挟んだ対岸に見える建物である。旧オランダ村の建物群の1つだが、まるでヨーロッパの城のようなたたずまいだった。周囲にはまだ緑の木々も多いのだが、その合間に紅葉や黄葉が点々と覗いているのが美しい。それを見ていると、思わず昔のGS時代の歌が唇を突いて出る……「森と泉に囲まれて、静かに眠る、ブルーブルー、ブルー・シャトウ……」。その城は青くはないから、私は密かに「シャトウ・ルージュ」と命名したのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月20日

日本の温暖化対策は間に合うか? (2)

 11日の本欄で触れた環境税の問題について、環境省が考えている新提案の内容が明らかになってきた。私は11日に『日本経済新聞』の記事をもとにして、それを「現行のガソリン税などのエネルギーにかかる税金を、税率はそのままにして、名前だけを“環境税”と言い換えることで環境税にしてしまうという方法だ」と書いた。今日(20日)の『朝日新聞』には、もう少し詳しい、そしてもう少し野心的な新提案の内容が報じられている。それによると、現在、化石燃料にかかっている税金の割合(税率)を、それぞれの燃料が排出するCO2の量に応じたものに改めていく、というのである。つまり「温暖化防止を理由に税率を引き上げながらそろえていく」(『朝日』)という中期的なねらいがあるようである。

 これは、化石燃料の税率引き上げによる実質的な“炭素税化”である。それが可能ならば、私は大いに賛成する。『朝日』には、各化石燃料を燃やした際、CO2が1トン排出される量にかかる現行の税額が一覧表で載っている。それを見ると、ガソリンは2万4052円、軽油は1万3034円、重油753円、石炭291円、天然ガス400円である。つまり、CO2排出量を基準として化石燃料にかかる現行の税率を見た場合、ガソリンと石炭のあいだには82.6倍もの不公平があるのである。言い換えると、炭素税を実施するならば、石炭には現行の82.6倍の税金をかけるべしということだ。同じように計算すると、天然ガスには60倍、重油には32倍、軽油には1.8倍の税金が必要となる。では、ガソリンの「2万4052円」が炭素税として高すぎるかというと、現在イギリスでは4万5543円、ドイツでは4万5388円、デンマークでは3万8651円の税金がかかっているから、それほどでもないことになる。
 
 ただ、日本経団連は環境税や炭素税の導入に強硬に反対してきたから、この“実質炭素税化”を簡単に容認するとは思えない。また、この不況下では、「経済優先」を唱える麻生首相の同意も簡単には得られないだろう。
 
 ところで、国レベルではなく県レベルになると、神奈川県が炭素税を独自に導入する方向で検討に入ったらしい。今日付の『日経』が伝えている。それによると、同県では知事の諮問機関である地方税制等研究が炭素税の導入案のたたき台をまとめたという。そこでは法人だけでなく個人も課税対象とし、ガソリンや灯油だけでなく、化石燃料を使って製造する電気やガスについても、料金に上乗せする形で新税を徴収するらしい。
 
 一方、私の住む東京都は、来年度の都税への環境税(炭素税)の導入を見送った。その代り、工場やビルでCO2排出削減につながる最新の設備を導入した場合には減税する仕組みを実施するという。今の経済の状況と、国の動きをにらんでの判断らしい。私としては、神奈川県と足並みをそろえてほしかった。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月17日

南カリフォルニアが燃えている

 異常乾燥が続いていたカリフォルニア州南部では今、複数の山火事が発生して大きな被害が出ている。17日付の『ヘラルド朝日』紙によると、現地時間の先週の木曜日に、まずロサンゼルス市の北西145キロにあるモンテシート(Montecito)で山火事が発生し、ハリケーン並の強い風に煽られて燃え広がった。さらに金曜日には、同市北部にあるシルマー(Sylmar)で新たに火の手が上がり、65軒の住居と500の移動式住居を燃やし、約100軒の住居に損害を与え、土曜の午後までの延焼面積は、約2千6百ヘクタールに及び、住民1万人に避難命令が出された。土曜日の午後には、同市より内陸に50マイル入ったところにあるコロナ(Corona)で、3番目の火事が発生した。これは2千エーカーに燃え広がり、その日の夜までに94軒に損害を与えたという。シュワルツネッガー知事はロサンゼルス郡に非常事態宣言を出し、火事のために電気が通じなくなる可能性を警告したという。
 
 カリフォルニア州では例年、この時期に山火事が起こる。特にロサンゼルス地区では、ここ数週間というもの異常な暑さに見舞われていた。今年に入ってほとんど雨が降っていなかったという。だから、乾燥した森林や山地はちょっとした火ですぐに山火事になる恐れがあったという。
 
 ロサンゼルス市といえば、郊外のガーデナに生長の家のアメリカ合衆国伝道本部がある。勅使川原淑子・教化総長から17日朝(日本時間)にもらった報告では、伝道本部では16日の日曜日に役員改選を行う予定だったが、難しい情勢という。同本部のウエダ理事長の住む家はブレア(Brea)という所にあり、火事があった高速道路の反対側にあったため、風向きしだいでは危険となる。このため、理事長のご主人は自宅で待機し、理事長だけが伝道本部に出てきたという。また、地方講師会長のミズタニ氏はコロナ(Corona)という所に住んでいるが、この自宅とは電話連絡がとれないそうだ。また、アナハイム(Anaheim)、サンタアナ(Santa Ana)、ヨーバリンダ(Yorba Linda)に住む幹部との電話連絡もとれないでいる。プラトンに住む幹部からは、「空から灰が降っているし、空気はきな臭く、交通が渋滞している」との情報が寄せられた。また、ローランド・ハイツ(Rowland Heights)の幹部からは、「火事はかなり迫っているが避難命令はまだ出ていない」という報告があったという。
 
Scalfires2008  同教化総長から送られてきた地図をここに掲げるが、中央右寄りにあるピンク色の領域は山火事を表し、その西側の青い部分が避難地域、赤い十字型は幹部の住む場所を表している。また、地図の左端にある「SNI」という赤文字は伝道本部の位置を示している。山火事は鎮火の方向へむかっているというが、幹部・信徒に被害がないことを祈っている。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月11日

日本の温暖化対策は間に合うか?

 今日のニュースは、環境省が発表した2007年度の日本の温室効果ガスの国内排出量だろう。まだ確定していない「速報値」ということだが、前年度比で2.3%増えてしまった。2008年からは京都議定書で定められた削減期間に入るのだが、2006年度は減ったのに増加に転じたことは誠に残念である。主な理由は、中越地震で東京電力の柏崎刈羽原子力発電所が運転停止に追い込まれ、それを補うために火力発電所を稼働させたことだという。今日の『日本経済新聞』などが伝えている。同議定書では、日本は1990年の水準から「6%」削減することを義務づけられているが、この2007年度のレベルは、その基準値をすでに8.7%上回っているから、あと「15%」近く削減しなければならないことになる。

 こういう現状に危機感を覚えたのか、政府も温暖化対策にようやく力を入れだしたようだ。同じ日の『日経』には、政府が10日にまとめた太陽光発電普及のための行動計画が報じられている。それによると、道路や駅などの公共施設に太陽光発電を設置する場合、事業費の2分の1を国が補助するという。個人の家庭への補助は、2005年度に打ち切られていたのを復活し、年明けにも1kWh当り7万円の補助を始めることがすでに決まっている。また、学校などの自治体の施設へ導入する場合の補助は、事業費の2分の1、駅や空港への導入には3分の1が、これまで補助されてきた。この後者の補助率を引き上げるという決定だ。だから、何か抜本的な対策が行われるわけではない。私は、以前に本欄にも書いたが、ドイツのように、太陽光などの自然エネルギーで発電した電力を、電力会社が買い取る価格を引き上げる対策を実施してほしいのである。これにより、自然エネルギーの導入が利益を生むことになるから、導入の速度は大幅に向上するだろう。

 この問題の解決--つまり、議定書での約束を守る--ためには、日本が得意とする“漸進主義”ではもはや間に合わないと思う。漸進主義とは、積み木を1つずつ積み上げていくように、すでに存在する制度や基礎の上に1つずつ対策を加えていく方法だ。今回の太陽光発電への補助拡大が、まさにこの考えに則っている。また、環境税の導入についても、同じ考えが見て取れるのである。
 
 同じ『日経』には、環境相の諮問機関である中央環境審議会が11月中にまとめる報告書の原案の内容が報じられている。それを簡単に言えば、現行のガソリン税などのエネルギーにかかる税金を、税率はそのままにして、名前だけを「環境税」と言い換えることで環境税にしてしまうという方法だ。これは“ウルトラA”--つまり、何かするように見えて実質は何もしない方法--ではないか。「漸進」しているかどうかも定かでない。同記事によると、この審議会は「3年前の報告書で、石炭など化石燃料にかかる税率を維持したうえで、新たな環境関連税をかけるべきだと主張していた」というが、そういう積極策からなぜか大幅に後退してしまったのである。この理由について、同記事は「負担が増す産業界は“世界一高い法人税を負担するなか、これ以上は耐えられない”と抵抗。中環審は新税を上乗せするのは当面難しいとみて方針転換する」と書いている。何のことはない。環境省は業界の意見を拝聴して譲ったということだ。これでは、経産省のほかに環境省が存在している意味はほとんどない。
 
 東京都の石原慎太郎知事に対しては、その偏向的ナショナリズムや五輪の東京開催などで、私は反対の意を表明してきた。が、環境対策に関しては、意志を明確にした彼一流の手法が奏功している部分もあることを認めざるを得ない。今回は、深夜の都内での広告用照明をやめる件で、業界の一部と合意に達したらしいことが同じ『日経』の都内版で報じられている。それによると、同知事は先月、日本アドバタイザーズ協会、東京屋外広告協会、全日本ネオン協会、東京屋外広告美術協同組合に対して「営業中店舗以外の照明をおおむね午後11時から12時に消灯する」などの協力を要請したところ、このほど大手企業約300社が加盟する日本アドバタイザーズ協会から「零時には消灯するよう周知する」との回答が届いたという。これを受け、同記事は「大手企業の多くが業界団体の要請に応じる見通しだ」と予測している。これで十分とは思わないが、“よいスタート”と言えるだろう。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月10日

理性と教典解釈 (2)

 前回は、茅ヶ崎市の男性からの質問に答えたので、今回は厚木市の女性の質問に答えよう。まず、ここでのテーマは「教典の解釈」であって「真理の解釈」ではないことを確認しておく。

 厚木市の女性は、古い時代に書かれた教典を現代人が読む場合、その解釈が昔のものから変わる必要があることは認める。が、そうやって打ち出された新しい解釈が正しいか否かをどうやって判断するか?--という点を質問したのだ。私はこの時、黒板に「理性」という文字を書いた。人間には理性があるから、それによって判断することができるという意味である。そして、理性をめぐるイスラーム内部の考え方の違いについて触れたのだった。
 
 昔からの本欄の読者ならば、イスラームの中の「理性主義」について私がやや詳しく書いたことをまだ覚えておられるだろう。このテーマは、6日の本欄で紹介した私の新刊書『衝撃から理解へ--イスラームとの接点をさぐる』(生長の家刊)の中にも含まれているから、ここでは同書のページを示しながら説明していく。
 
 あえて大ざっぱに言えば、イスラーム内部の二大宗派である「スンニ派」と「シーア派」の違いの1つが、教典解釈における理性の位置づけなのである。宗教の教義を導き出す元になるものを一般に「法源」(真理の源の意)と呼ぶが、イスラームにおける法源は、①コーラン、ハディースなどの教典、②イスラーム共同体の合意、③理性、などが挙げられている。このうち①と②は、スンニ派でもシーア派でも共通しているが、③の理性については、前者よりも後者の方が尊重度が高い。また、スンニ派の中でもムータジラ派の流れをくむものは、理性を重んじる法解釈の立場を現在もとっている。このへんの話は、前掲書の144~161ページに詳しい。しかし、今日の問題は、中東などのイスラームの考え方が、スンニ派の中でも理性を法源として認めないワッハーブ主義であるということなのだ。
 
 現在、ニュース報道などで「イスラーム原理主義」という言葉が使われるときは、ほとんどがワッハーブ主義か、それに準じた考え方のことを指す。ワッハーブ主義の説明は、前掲書の53~60ページにあるが、それをひと言でいえば、上記の法源のうち、①を極端に重んじ、他を無視ないしは軽視する考え方であり、①を適用するのに厳格な「字義どおりの解釈」を行うところに特徴がある。これによって、現代のイスラーム社会でどんな問題が起こっているかは、多くの読者はご存じのことだろう。
 
 私が今なぜ、イスラームのことを引き合いに出しているか、賢明な読者は気づかれているに違いない。宗教の教典を「字義どおりに解釈する」ということは、解釈の余地を最小限に狭めるということである。これを行っている実例が今、目の前にあるのだから、そこから学ばねばならないのである。つまり、法源から理性を排除した信仰によって、平和はもち来されることはないと言える。前掲書の225~226ページには、現代のイスラーム原理主義国家で禁止されていることが列挙されているが、このリスト(下掲)を見れば「理性ぬきの信仰」がいかに息苦しく、心の平安をもたらさないかが、理解されると思う--
 
 ・あらゆる形態の歌舞音曲を楽しむこと
 ・宗教番組を除くテレビ番組を視聴すること
 ・花を贈ること
 ・拍手喝采すること
 ・人間や動物の姿を描くこと
 ・劇に出演すること
 ・小説を執筆すること
 ・動物や人間が描かれたシャツを着ること
 ・あごひげを剃ること
 ・左手でものを食べたり書いたりすること
 ・立ち上がって人に敬意を表すこと
 ・誕生日を祝うこと
 ・犬を飼ったり可愛がったりすること
 ・死体を解剖すること
 
 谷口 雅宣

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2008年11月 9日

理性と教典解釈

 今日は、生長の家講習会が横浜市の横浜アリーナで開催された。さすが首都圏だけあり、寒い曇天の中ではあったが、1万人を上回る受講者の方々が集まってくださった。私はいつものように、午前1時間、午後1時間強の講話と世界平和の祈りを担当したが、信徒の方々の体験談が多彩で、内容が深く、また午前中の講話への質問も数多く(30以上)提出され、また中身の濃いものが出たことはよかった。そんな質問の中で、宗教の教典の解釈についてのものが2つ出た。
 
 1つは、52歳の茅ヶ崎市の男性のもので、次のようなものだ--
 
「教典の解釈は時代に依って変わる、変らなければならないと先生はお話下さいました。しかし、真理の解釈は時代によってコロコロ変わるものではないと思います。また雅春先生はそのように説かれたのでしょうか?」
 
 2つめは、厚木市の女性(年齢不詳)からで、こういうものだ--

「合掌 ありがとうございます。本当のよい教えの神髄は一つと思っています。教典の解釈は時代によって変えていかなくてはいけない、と仰っていたように思ったのですが、必要なことだとは思います。ですが、その解釈が正しいかどうかはどのようにしてわかりますか?」

 私は午前中の講話で、「宗教の神髄は一つ」ということと「宗教はみな同じことを説く」というのは、意味が違うと述べたのだった。前者が生長の家のいう「万教帰一」の考え方だが、後者はそれを誤解したものである。ここでのキーワードは「神髄」という言葉で、その意味は「その道の奥義。薀奥」(『新潮国語辞典』)である。「薀奥(うんおう)」とは難しい言葉だが、「学問・技芸などの奥深いところ」を意味する。宗教では、「教えの奥深いところが共通している」というのが万教帰一の意味である。「浅い」ところも「中間」のところも同じである、という意味では決してない。私が“宗教目玉焼論”などと称して、宗教を“白身”の部分と“黄身”の部分に分けることを訴えているのも、この「奥深いところ」(黄身に該当)の共通性を強調するためである。“白身”とは、“黄身”に含まれている教えの神髄を、宗教指導者がその時代の、その土地の人々に、できるだけ効果的に伝えようと様々に工夫した用語であり、様式であり、方法であり、制度などである。この2つを混同したり、2つではなく1つであると見なすところから「原理主義」の様々な弊害が出てくるのである。
 
 この辺の話は、私はすでに『信仰による平和の道』(2003年、生長の家刊)の第1章で詳しく述べたので、ここでは繰り返さない。上記の質問をした茅ヶ崎市の男性は、恐らくこの本を読んでおられないに違いない。だから、谷口雅春先生が『生命の實相』頭注版第39巻仏教篇の「はしがき」で、同様のことを書かれていることもご存じないのだろう。

 それに「教典の解釈」と「真理の解釈」とは意味が異なるのに、それを言い換えていることも気になる。前者の意味は、教典の中に書かれた文字の意味を明らかにすることであり、後者は、真理そのものの意味を明らかにすることである。前者は教典が存在しなければできないが、後者は教典がなくてもできることである。そして、私が午前中の講話で「万教帰一」を説明した時には、前者のことを言ったのであり、後者のことは言わなかった。しかし、まあ、話し言葉は書き言葉よりも誤解される余地が大きいので、この男性の誤解は許容範囲内だろう。
 
 それにしても、誤解してほしくないのは、「真理は時代によってコロコロ変わる」などと私は言ったことも書いたこともないという点だ。だいたい「真理」というものは、時代の変遷によっても、位置の移動によっても変わらないから真理なのである。すると残る問題は、「真理の解釈」は時代によって変わるか変わらないか、である。この際、「コロコロ」という修飾語は排除して考えよう。なぜなら、これは使う人の主観によって意味が変動するからだ。「毎年変わる」のがコロコロなのか、「10年に1回」がそうなのか、それとも「1世紀ごと」でもそうなのか……など、不毛な議論だろう。

 『新潮国語辞典』によると、解釈とは「意味を解き、明らかにすること」である。とすると、私は、真理の意味を解き、明らかにすることが時代によって変わることは、十分あり得ると思う。これは、自然科学の世界では少しも珍しいことではない。かつての“真理”だった天動説が地動説に変わり、現代では、それがさらに変わって相対性理論が“真理”とされていることを思い出せば、多くの読者も納得されるに違いない。

 谷口 雅宣

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2008年11月 7日

絵封筒、届きました。(2)

 11月3日の本欄に同じ題で書いたばかりだが、その時いただいた方と同じ島根県の別の白鳩会員さんから、絵封筒が届いた。ご覧のように、夕焼けで紅く染まる宍道湖を滑っていく観光船を描いた秀作である。この白鳩会員さん(Aさん)は、手紙の最初で生長の家総裁、谷口清超先生の冥福を祈られた後、生長の家講習会のことを書いておられる。ごF_adchi110708_2 当人は現在68歳だが、講習会には谷口雅春先生の時代から夫婦で参加してこられただけでなく、最近では実行委員として会場の受付係を務めてくださっているという。旦那さんについては、「私の夫は、総裁谷口清超先生の講習会の時代に送迎の運転を何年もさせていただける大役を致し」と書かれている。また、「或る年、米子空港へ先生をお迎えに主人が参りました時、大根島の廃船がお気に召され、車をしばし止めたという話を思い出しております」ともある。この中の「先生」とは多分、私のことだ。
 
 松江市から見ると宍道湖は西側にある。が、大根島とは、その反対の東側に広がる中海の中央部に浮かぶ島である。面積が約5平方キロで、ヤクヨウニンジンとボタン(島根県の県花)の産地として有名である。中世の頃は「焼島(たくしま)」と呼ばれ、『出雲国風土記』では「タコ島」と読ませているという。この辺りは昔から漁業が盛んだったが、近年は高齢化と過疎化の影響もあって、漁に出ない人々が増えているらしい。そのため、大根島の周囲には、半ば水没したような格好で廃船が何隻もつながれていた。もう5~6年前のことだと思う。現在も恐らく廃船はあるのだろうが、今年の講習会では見ずじまいになってしまった。

「廃船を気に入る」というのは、妙な趣味だと思われるかもしれない。しかし、民家がポツポツと並ぶ静かな農村の脇に、波一つない湖のような入り江が迫り、そこに塗料が剝げ、半ば水没した木造船が舳先を天に向けて傾いているさまは、寂寞とした雰囲気の中にも、自然と人間との何か親しい関係を映し出しているように感じた。朽木となっても船としての意志を維持し続けている廃船に、私は白骨のような威厳を見たのである。それは、古いまな板や大工道具、多くの人々が踏みしめた石道、古い機関車、歴史的建造物……などと同じように、人間と自然との厳しいながらも、温かい共存関係が生み出した“作品”なのである。いずれ絵に描きたいと思っていたが、機会を逸してしまったようだ。

 Aさんの絵封筒とお手紙から、こんな記憶がよみがえってきた。

 谷口 雅宣

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2008年10月20日

氷河シートと水陸両用の家

 昨日(10月19日)付の『朝日新聞』の第1面のカラー写真を見て、私は驚いた。晴天下、防寒着に身を包んだ何人もの男が、氷の斜面の上で巨大な白いシートを持ち上げている。その写真の下には「氷河に日よけシート」という見出しがある。そして、写真説明にこうある--「9月上旬、初雪を目前にしたスイス・ディアボレッツァ氷河では、覆っていたシートが外された」。氷河をシートで覆うことが行われていたなど、私は知らなかった。何のためかといえば、もちろん氷河や雪の融解を防ぐためである。それによってスキー場の条件を整えるという商業的意味もあるだろうが、もっと大きな目的は氷河の減少を防ぐためである。

 この記事によれば、ディアボレッツァ氷河付近は、かつては山頂付近まで氷河に覆われ、夏場もスキー客でにぎわったが、この10年間で氷河の4割以上が失われたという。そこで今年初めて、約8千平方メートルのフェルト地のシートを使って、氷河全体の3分の1を覆ったのだという。これによって、氷河の退縮する速度が半減できるらしい。これと同様の動きは、ドイツでは数年前から始まっている。最高峰のツークシュピッツェ(2962m)の氷河を合成樹脂シートで覆う試みで、昨年夏は約9千平方メートルを覆うことで、約3万立法メートルの雪や氷河の融解を防いだ。今年は積雪が多かったおかげで、覆う対象は約6千平方メートルに減ったという。
 
 こういう努力には、もちろんコストがかかる。ディアボレッツァ氷河の防護の費用は、人件費も含めて約7万スイスフラン(約630万円)というから、スキー場などの観光地で収入を得られる鉄道会社が負担している。そういう観光地が近くにない氷河は、誰も防護してくれないから、温暖化の進行とともに消失していくのである。世界全体では、防護されない氷河の方が圧倒的に多いから、解けた水は川を伝い、地下に浸透し、やがて海洋へと流出する。そして「海面上昇」の原因となるのだ。

 海面上昇への対策が最も進んでいるのは、国土の3分の1がすでに海抜ゼロメートル下にあるオランダのようだ。同紙の第2面では、この国には「水陸両用の家」が建てられていることが報じられている。どんな家かというと、「建物は地面に置いてある状態で、水が押し寄せると浮いてしまう」ような構造だ。流されてはいけないから、固定された2本の支柱につながれている。問題は、ガス管や水道管などだが、「柔軟性をもたせており、4メートルの水位上昇にも対応できる設計」だという。この家の計画者は、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の水教育研究所のクリス・ザベンバーゲン教授で、1990年代に2度の大洪水に遭った同国のマース川沿岸の町、マスボメールには、この家が約50軒も並んでいるという。1軒の購入費は30万ユーロ(約4千200万円)とか。

 海面上昇を考えた日本の温暖化対策では、堤防や護岸の補強ぐらいだろうが、オランダや“水の都”ベニスなどでは、そういう段階をすでに超えていて、巨大な可動堰などが建設され、あるいは計画されている。私は、「ウォーターフロントの開発」などという考え方は、もうやめるべきだと考えているのだが……。
 
 谷口 雅宣

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2008年10月19日

銅鐸の輝き

 島根県出雲市で行われた生長の家講習会では、澄みきった青空のもと3千人を超える受講者が参集してくださり、和やかな雰囲気の中で真理研鑽の半日をもつことができたことは、誠にありがたかった。東西に広い島根県では、これまで2会場に分かれて講習会をおこなっていたが、今回は出雲市の1会場にしぼった関係から、受講者数は前回を下回ったようだ。しかし、そんな中で、男性の組織である相愛会と青年会の推進結果が前回より伸びたことは特筆に値する。約半年にわたる推進活動に尽力くださった島根県下のすべての生長の家の幹部・信徒の皆さんに、心から感謝申し上げます。
 
 講習会の帰途、妻と私は「国引き」神話の舞台とされる稲佐(いなさ)の浜から雄大な日本海を望んだあと、島根県立古代出雲歴史博物館へ寄った。昨年できたばかりの新しい施設なので、何があるのかと興味をもったのである。「古代」を扱う博物館だが設備は近代的で、館内にはコンピューターやCG等の技術を駆使した映像と音声による解説や、古代の生活や環境を再現したジオラマ、天井まで届くような出雲大社本殿の模型など、耳目を惹くものが整然と並んでいた。そんな中で私の目を驚かせたのが「銅鐸」だった。
 
 私は古代史については素人同然で、銅鐸が何に使われたかも知らなかった。銅鐸や銅剣などの青銅器は、今から2千年ほど前の弥生時代に日本で広く使われていたらしいが、原料は中国大陸や朝鮮半島から輸入され、それを国内で加工していたという。デザインの精巧さなどから、国内にもかなり高度な加工技術があったことが推測される。学校の教科書などでよく見る銅鐸の写真は、青銅器らしく青錆がきれいに出た落ち着いた色調のものである。ところがこの博物館に展示されているのは、そういう色調のものも多くある一方で、当時の姿を再現したとして金ピカに輝く銅鐸や銅剣が並んでいるのである。そして、解説書には「自然な色彩の多い弥生文化のなかで、弥生の村人たちが金色に輝く青銅器に驚き、そこに神秘性を感じたことは想像に難くありません」とある。こうなってくると、「青銅器」というネーミングそのものが、何かピント外れのような気がしてきた。
 
 そんな金ピカの金属器のうち、銅剣が358本も、同じ場所から一気に出土したとしたら驚かない方がおかしい。それが島根県斐川町にある荒神谷遺跡なのだそうだ。昭和59年(1984年)のことである。翌年には、同じ遺跡から、銅矛16本、銅鐸5個が埋められたままの状態で出土したという。問題は、当時は大変貴重だったはずのこれらの金属器が、これだけの量、同じ場所に「埋められていた」ことの理由である。発掘時の状況から見て「飾られていた」のでもなく、「保管されていた」のでもないようなのだ。それについては、いろいろの説が出ていて確かなことは不明という。銅鐸の用途については、製造時期によって「最古」「中段階」「新段階」の3期に分けて、最古から中段階を“聴く銅鐸”、新段階を“見る銅鐸”と考えるらしい。(平凡社『世界大百科事典』)つまり、当初は「鐘」として使われていたものが、次第に大型化・豪華化して観賞用または祭祀用になったというわけだ。

 ところで、中国大陸から朝鮮半島を経て日本に伝わり、そこで発達をとげた青銅器だが、弥生時代が終り古墳時代が始まるとともに、姿を消していくという。弥生時代にはすでに鉄器が盛んに使われていたから、実用性の面では劣る青銅器が鉄器に押されて祭祀用に用途を変えていくというのは、よく理解できる。しかし、古墳時代には、祭祀用としても青銅器は姿を消し、代りに銅鏡が盛んに使われるようになった、と説明書にはある。いったいなぜだろう、と私は思う。館内では、銅鐸をたたいた時の音が聴けるようになっている。なかなか神秘的な深い響きだと感じ、祭器として使われたことが納得できた。が、何かの理由で、それは使われなくなる。祭祀の形式は、時代の変遷の影響を受けにくいと私は考えていたが、鏡の登場と銅鐸の消滅はそうでないことを示しているのだろう。
 
 谷口 雅宣

【参考文献】
○島根県立古代出雲歴史博物館編集・著作『古代出雲歴史博物館展示ガイド』(ワン・ライン、2007年)

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2008年9月30日

札幌で見た虹

 9月28日に札幌市で生長の家の講習会があり、その前日に同市入りした。千歳空港から札幌までの途上、自動車の窓から見える広大な農地や森を堪能しただけでなく、雲の美しさに見入っていた。狭い東京の空と比べると、頭上360度に広がる空の大きさに加え、その日は雲の多さと多様さに感動した。西に傾く陽光を受けて、灰青色、桃色、金色に輝く雲の存在感は、背景の空の青が濃いことも手伝って、圧倒的だった。車中、手元にデジカメを持っていなかった私は、隣席の妻のカメラを借りて2、3枚写真を撮った。

 自動車専用道路が札幌市内に入ってまもなく、行く手右側の雲間に向かって、住宅地から虹が立ち上がっているのが見えた。「へえーっ」と驚いて妻に声をかけ、彼女も感動の声を上げた。赤-橙-黄-緑-青-藍-紫と、7色のグラデーションがきちんと見える。そんな鮮やかな虹を見るのは、何年ぶりかと思った。ホテルに着くと25階の部屋へ入った。とたんに、正面の窓から見える曇り空に大きな虹がかかっているのに気づいた。幸せな夫婦は、こうして歓声とともにデジカメ撮影を始めたのだった。
 
Rainbow  虹は夏の季語である。ということは、日本では秋にはめったに見えないのだろう。夕虹と朝虹があり、夕虹は東に、朝虹は西に立つ。夕虹が立てば翌日は晴れ、朝虹は雨、と言われるらしい。
 
 美しい虹は、神話や伝説によく登場する。その形状と美しさから、よく「天と地を結ぶ通路」として考えられてきた。北アメリカ原住民のプエブロ族(プエブロ・インディアン)の間では、毎年冬になると、虹の橋をつたって祖先の精霊が降りてきて、彼らの間に滞在すると信じられてきた。だから北アメリカでは、虹は冬によく出るのだろう。また、古事記では、イザナギノミコトとイザナミノミコトが国産みをする際、アメノヌボコで下界をかき混ぜるために立った場所--天の浮橋--は、虹のことだと解釈できる。さらに、ヨーロッパには、虹の下を通り抜けると男女の性別が逆転するという言い伝えが広くあるという。これなどはロマンチックに聞こえるが、実際は虹の下を通り抜けることなどできないから、性別逆転は“見果てぬ夢”ということだろう。しかし、虹は見れば見るほど、その下を簡単に通り抜けられそうに見えるのだ。
 
 行けどゆけど大虹のしたぬけきれず (宇咲冬男)
 
 谷口 雅宣

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2008年9月21日

イオマンテを考える

 北海道の旭川市で行われた生長の家講習会からの帰途、この文章を書き始めている。私はかつて本欄(2005年3月27日5月21日)で、北海道のアイヌの儀式である「イオマンテ」について触れたことがある。この儀式は、アイヌの村で飼っていたヒグマの子が成長すると“神”として森に送り返すものだ。こう書くと聞こえがいいが、別の表現を使えば、これは「山から生け捕りにしてきた子グマを育て、1~2年後に殺して食べるときの祭」なのである。村民は子グマを取り囲んで矢を放ち、2本の丸太で首を挟んで息の根を止める。「残酷だ」という理由で今ではほとんど行われなくなっているらしい。

 しかし、アイヌの信仰では、ヒグマはもともと山の神であるから、人間社会の中にいつまでも留めておくことはできない。それを一時村で育てた後は、本来の場所へ返さねばならない。その際、肉体から魂を分離させて、前者からは毛皮や肉などの恵みをいただく代りに、後者は“神”として尊敬申し上げ、厳かな儀式の中で送り出すことが必要なのだ。アイヌの伝統的自然観では、「自然は生命の連続であり、そのことを感じ、恐れ、感謝しながら、すべての生物を同僚とし、背後の命の流れを神として生きる」--こういう自然との一体感と信仰は、まさにマテ=ブランコのいう「対称的関係」の自覚である。

 この儀式は、本当に非難すべきものだろうか? 「毛皮と肉が必要ならば、単に殺してそれをもらえばいい」という考え方が、成り立つかもしれない。しかし、この考え方こそ、人間とクマとを「非対称的関係」として捉えるものなのだ。我々の覚醒時の論理的認識は、人間とクマとを“別物”として捉える。したがって、人間の利益とクマの利益は必ずしも一致しない。だから、人間がクマを殺して毛皮と肉を得ることは場合によっては必要である。それができるのは、人間がクマより優れているからだ。優れているものは、劣っているものを尊敬する必要はないし、ましてや“神”として扱うことは無意味である。だから、イオマンテの儀式は不要である。

 これは確かに“理性的”な考え方かもしれないが、マテ=ブランコが指摘しているように、人間は醒めた意識による理性的判断だけをしているのではなく、無意識中で顕著に働く“感情”を備えている。そして、このもう一方の人間的側面において、我々はクマに対して感情移入するのである。「残酷だ」という感情が生まれるのは、その証拠である。つまり、人間はクマを自分と同じ生き物として捉え、クマの身になって考えることができる。クマは人間と同じように、親を必要とし、食べ物を与えれば喜び、喜怒哀楽を表現し、恐怖や苦痛を感じるのである。このようにして、クマと人間を“対等”のものとして感じることが「対称的関係」である。そういう感じ方を我々の心は本来もっているのだが、それを抑圧して“理性的”にのみ考え行動することは、言葉の本来の意味からして「人間らしい」とは言えない。
 
 先に私は、我々の無意識は「非対称的関係を対称的関係として取り扱う」ことを述べた。すると、アイヌのイオマンテの儀式は、この無意識の働きを宗教的行事として結実した貴重な文化遺産だと見ることができるだろう。
 
 谷口 雅宣

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2008年9月19日

北極の海氷は残った

 台風13号の関東地方への接近が、生長の家講習会のために羽田を発つ日と重なりそうなので、一足先に開催場所の旭川市へ飛んだ。このような理由で講習会のための日程や旅程が変わることが、年に1回ほど起こる。想定外のことが起こると人は時に困惑するが、予定が詰まっているときには、その中のいくつかが同時に外れてしまうことがあり、却ってゆったりとした時間をもてる場合がある。今日は、どうやらそんな有り難い日のようである。講習会の旅先では、夕食は何時、入浴は何時、就寝は何時、起床は何時……などと、いつも時間を気にしながら仕事をする。が、そんなことに気を遣わない旅を、台風さんは私たちに与えてくれた。旭川地方は、好天の昨日は29℃まで気温が上がったというが、今日は曇りで最高気温は20℃。イネは刈り取り間近で、地面を黄金色に塗り替えているし、街路樹のナナカマドは小さい赤い実をいっぱいつけて秋の到来を告げている。

 地球温暖化の進行で、北極の氷が今夏には消滅するのではないか、と危惧されていた。このことは本欄を単行本化した『小閑雑感 Part 11』(世界聖典普及協会刊)の「はじめに」にも書いたが、昨年の9月に北極の海氷は過去最小になっただけでなく、この年の氷の減少率は、ここ数十年間の平均値を大幅に超えていたのである。また、今年はつい先日のことだが、北極海のロシア側とカナダ側の氷が一時すべてなくなったことが報道されていた。が、幸いなことに、今夏の北極海の氷は、昨年の同時期のレベルより多い状態のまま融解期を終えたという。18日付の『ヘラルド・トリビューン』紙が伝えている。
 
 それによると、コロラド州ボルダー市にあるアメリカ氷雪記録センター(National Snow and Ice Data Center)は、北極海の氷は夏の融解期を終えて拡大を始めているが、その大きさは9月12日に、今年の最小である450万平方キロにまで減り、衛星による観測を始めた1979年以来の平均値に比べて、33%も小さかったという。昨年の最小サイズは、412万平方キロだった。
 
 北極海の氷が少なくなることで、ホッキョクグマの絶滅が心配されているが、そういう感情的な問題に加えて深刻なのは、氷による熱反射が少なくなり、海への太陽熱の吸収が進むことで、極地の温暖化が加速することだろう。また、これまで氷で閉ざされていた極地への海上ルートができるから、資源開発が容易となり、それに伴って極地は誰のものかという“領土問題”が起こることだ。18日の『朝日新聞』は、ロシアの安全保障会議で、2020年までの優先課題として北極圏の大陸棚の境界画定が取り上げられ、メドベージェフ大統領が「基本的な課題は、北極を21世紀のロシアの資源基地に変えることだ」と発言したことを伝えている。北極の開発については、ロシアのほかカナダ、ノルウェー、アメリカなどの周辺国が先を争っており、そういう開発が進めば進むほど、開発優先の論理が力を増すことを私は危惧している。
 
 谷口 雅宣

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2008年9月 4日

黒ハトと灰ハト

 休日に横浜へ行った。天気が好かったのが幸いし、暑い中でも秋の気配が感じられるひと時をもてたことは、ありがたかった。
 
 ところで、泊まったホテルのバルコニーに出ていたら、ハトが飛んできて妙に馴れ馴れしいのである。何かを要求するような顔で私に近づいてくる。私は鳥は嫌いではないが、“初対面”の鳥が、しかもネコほどの大きさのものが無造作に近づいてくるのには慣れていない。妻は、鳥インフルエンザを警戒して部屋の中へ入ってしまったが、私はこの貴重な機会を生かして“都会の鳥”とのコミュニケーションを試みようとした。
 
 よく見ると、この鳥の足には指がないのである。人間でいうと、足首から先が潰れて丸くなっている。自動車事故かネコの襲撃によるものかと思い、かわいそうになった。が、“本人”は結構元気で、バルコニー下端の平らなコンクリートの上を軽々と歩いているのだった。が、そこへもう1羽のハトが飛んできて、いきなり“戦い”が始まった。何を争うのか私は検討もつかなかったが、弱そうに見えた足の潰れたハトは、反撃して襲撃者を追い返した。私は、その様子をカメラで捉えることができたので、ここにご披露する。

 近くに巣でもあったのだろうか。“平和の象徴”のハトも、戦うときには戦うものだと思った。

 谷口 雅宣

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2008年9月 2日

福田首相の責任感

 昨晩、福田康夫首相が突然辞意を表明した。「日本の首相は1年で辞めなければならない」という法律でもあるのかと疑いたくなる。安倍前首相の辞任とよく似たケースで、「精一杯やったが、もう限界だからやめる!」という感じで、国民にとっては何がなんだかサッパリ分からない。アルバイトの学生が「1年やったけど、もう限界だからやめる」と言っているのとどこが違うのか? 今朝の新聞をしっかり読んで、やっとその理由らしきものがおぼろげながら浮かび上がってきたが、しかし、それにしても“腰砕け”の政治家が多いのに驚かされる。2つに割れた国論の中で、アメリカのブッシュ大統領は2期8年やって、まだ元気衰えず、ハリケーン襲来を待つ現場へ駆けつけた。ロシアのプーチン氏は、憲法上許された大統領の最長任期8年を勤め上げただけでは満足できず、今年になって自ら首相の座に降りて、カクシャクとして世界に揺さぶりをかけている。こういう中で、バイト学生のような首相が率いる日本の外交に、“進歩”や“勢い”を期待してもどだい無理なのだ。

 実は、私は福田氏が総裁選に立候補する前日に、ご本人に会っている。といっても、面談をしたのではなく、ホテルで偶然姿を見かけただけだ。東京のグランド・プリンスホテル赤坂がお気に入りの場所らしく、私と妻が朝の食事をレストランでしていたところ、部屋の隅の衝立の陰に立って、電話に耳を当てて話をしているご仁が、福田康夫氏だった。私のような一般客が食事をする場所の隣に、少人数で会合ができる特別室があるらしく、その部屋の出入り口に立って電話をしている。電話の相手が誰だか知るよしもないが、特別室にいる人々の中には関西の財界人が数人含まれていたようだ。というのは、私たちがその日、ホテルの1階からエレベーターに乗った時、関西弁を話す背広姿の会社役員風の数人と一緒になったからだ。彼らは「朝、新幹線で来た」などと言葉を交わしてから、私たちと同じ階で降りた。が、食事中、一般客用のレストランに彼らの姿はなかった。食後、私たちが会計をすませてレストランを出た時にも、電話を片手に持った福田氏とすれ違った。最近では、政治もケータイで行われるのかと思ったものだ。
 
 今日の『日本経済新聞』にジャーナリストの田勢康弘氏が、8月半ばに福田氏から聞いた話を書いている。福田氏は「自分の使命は安定した政治を引き継ぐこと」と2度繰り返して言ったあと、次のように語ったという--

「弟分の安倍晋三さんが辞めて、2、3日のうちに後継総裁を決めなければならないから、出てくれ出てくれといわれた。ここで断ったら政治家を辞めなければならないと思って責任感から引き受けた。逃げるわけにはいかなかった。それまで総理・総裁になろうなどと考えたことは一度もない」。

 安倍首相の辞意表明は昨年の9月12日の午後2時であり、翌13日の朝に私は福田氏をホテルで見ている。このあと、彼は自民党総裁選への出馬の意思を表明した。田勢氏の話がもし本当ならば、私は「出てくれ出てくれ」と言われていたときの福田氏を目撃していたのである。また、この言葉が本当ならば、福田氏は最初から“ピンチヒッター”として首相になったのだから、1年間ずっと、次の首相への交替の時期を見ながら政治を運営してきたことになる。「欲がない」と言えば誉め言葉だが、「本当にやる気はない」のでは責任感がないことになる。それにしても、日本の政治は寂しい。
 
 谷口 雅宣

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2008年9月 1日

新世代のバイオ燃料に期待

 バイオエタノールなどのバイオ燃料については本欄でもたびたび言及してきたが、最近の研究で有望なものがあるので、読者に紹介しよう。これは昨日、北海道の滝川市で行われた生長の家講習会で、「日本のCO2排出量は世界の5%程度だから、日本人が排出削減に努力してもあまり意味がない」という内容の質問があった際、それを反駁するために紹介した情報でもある。また、北海道大学での研究成果だというので、北海道の人たちにもっと勇気と希望をもってもらいたかったのである。簡単に言ってしまえば、北海道の原野に沢山生えているススキの1種「ジャイアント・ミスカンサス」(GM)が新世代のバイオエタノールの原料としてかなり有望だということである。8月27日の『朝日新聞』夕刊が伝えている。
 
 それによると、北海道大学はアメリカのイリノイ大学などと共同で、このGMをエタノールの原料とする研究をしているという。GMは、日本のススキと、その仲間のオギとの交雑種で、種子を作らずに株で殖える。これを戦前、ヨーロッパの収集家が観賞用として持ち帰り、それがアメリカへ渡ったものを、イリノイ大学は10年ほど前から栽培しているという。その特徴は収量が多いことと、やせた土地でも育つこと。トウモロコシの収量が1ヘクタール当たり約18トンであるのに対し、GMは約30トンという。このバイオマスとしての大きさを燃料に利用できれば、ススキは栽培に手がかからず、生態系の多様性の維持にも役立つから、現在、アメリカで主流となっているトウモロコシを原料としたバイオエタノールより、ずっと有効な原料になりえるというのである。

 ただ、北海道の原野に生えているGMを抜いてくればそれでいい、というわけでもないようだ。研究に携わっている北大の山田敏彦教授によると、今後、ススキ草原の物質循環や開花時期などを解明し、品種改良のために日本各地のススキとオギとを採集するところから始めるらしい。耕作に適していない土地でも、また寒冷地でも育てられる品種を開発するためである。

 私は、この記事を読んでから講習会で講話をし、そこで「世界の5%を減らしても意味がない」という意見を聞いたのだった。そして、日本の技術力が世界中のCO2排出削減に役立つことを考えたら、「5%」どころか「50%」の削減も日本によって可能だと話した。これは単なる空想ではなく、トヨタやホンダが開発したハイブリッドの技術によって、自動車の燃費は実際に50%向上したからだ。また、技術というものは、基本が確立すれば、その上に加速度的に進歩が起こることは、コンピューターの高速化や小型化のことを思えば明らかである。
 
 そんなことを考えながら、私と妻は講習会終了後、車の後部座席で疲れを癒しながら、滝川市から千歳空港まで、北海道内陸部を南下したのである。すると、道路の脇や、黄色く染まった田圃や、広大なトウモコロシ畑の合間に、ススキのような穂をピンと上に立てた、元気のいい植物が案外多く生えていることに気がついた。それがGMであるかどうか、私には分からない。しかし、そういう作物と競合しない草本が燃料になるのだとしたら、その技術の開発を待望せずにはいられないのである。
 
 谷口 雅宣
 

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2008年8月26日

南オセチア紛争が拡大 (4)

 南オセチア紛争の拡大によるロシアとグルジアの軍事対立が、欧米とロシアの対立に発展する様相を見せている。これは、今後の世界情勢全体を考えるうえで大変憂慮すべきことだ。私は16日の本欄で、オリンピックの「メダルの数や靖国に参拝した政治家の数などとは比較にならないほど重大な変化が、世界で起こりつつあるのでは」と書いたが、この“悪い予感”が当たりつつあるのは残念なことだ。
 
 すでに報道されているように、ロシアはグルジアの各地に軍を展開した後、「撤退した」とGeorgiamap 言いながら、一部の要所からの撤退を拒否している。特に重要なのは、黒海に面する港湾都市・ポチと、分離独立運動が盛んな南オセチアの州都・ツヒンバリに近いゴリ北方の地域だ。また、グルジア西部の自治共和国アブハジアとの境界地帯からも、ロシア軍は撤退していない。それでもロシアが「撤退した」と言う理由は、それらの部隊はロシア軍ではなく“平和維持部隊”だから--というのである。24日付の『朝日新聞』の載った地図(=図を参照)を見れば明確だが、ロシアは、自己の勢力圏であったグルジア領内の南オセチアとアブハジアを、グルジアの他の地域から切り取る形で軍を展開しているのである。

 港湾都市・ポチが重要な理由は、そこが黒海側からのグルジアの入口だからだ。石油の積み出しにも使われるだけでなく、人員や物資流入の基地であり、軍事衝突の際は海からの派兵はここからとなるだろう。逆に言えば、この港を押さえておけば、欧米の軍隊は海から上陸できない。さらに重要な点を言えば、ゴリ北方に軍を展開させることは、10日の本欄に書いたように、BTC(石油)パイプラインとそれに沿う天然ガス・パイプラインの使用に影響を与えることができる。このパイプラインは、カスピ海のバクー沖から産出される原油を、アゼルバイジャン国内とグルジアのトビリシ経由でトルコの港・ジェイハンまで運ぶルートだ。これを主導しているのが英米の石油メジャーだが、26日の『産経新聞』によると、今回の武力衝突でロシア軍はパイプラインも空爆の対象としたため、石油メジャーの1つであるBP社は、BTEパイプラインの運用停止に追い込まれたという。
 
 このようなロシアの動きに対して、欧米諸国は「グルジアから撤退しろ」と声を上げているのだが、声は大きくとも具体的な行動はあまり進んでいない。アメリカは22日、“人道支援”の名目で地中海から黒海へイージス駆逐艦「マクフォール」を送り込んだ。25日の『朝日』によると、この艦船は同日にポチ港ではなく、バトゥーミに到着したという。また、24日の『産経』によると、ポーランド、スペイン、ドイツのフリゲート艦なども黒海に入り、米艦艇と共に軍事演習をする予定という。この黒海北方のウクライナの港・セバストポリは、ロシアの黒海艦隊の基地である。ウクライナは、グルジアと同様に西側への傾斜を強め、NATOへの加盟を目指している国だから、ロシアの動きに神経を尖らせている。アメリカの艦艇としては、第6艦隊の旗艦で、揚陸指揮艦の「マウント・ホイットニー」と巡視船「ダラス」が黒海に向かっているという。
 
 軍事でなく政治の動きを見ると、サルコジ仏大統領が仲介して成立した「6項目の和平原則」について、米仏の大統領が「ロシアは従っていない」との立場を確認しのたが22日。サルコジ氏が、ロシアのメドベージェフ大統領と電話会談し、ロシア主体の“平和維持部隊”に代わる国際的組織を早急にグルジアに派遣することで合意したのが23日である。サルコジ大統領は24日、グルジア問題に関するEUの首脳会議を開くことを表明したが、その開催は9月1日だという。(25日『朝日』)
 
 ロシアは、これらの欧米からの圧力に対して25日、政治的に大きな動きに出た。それは、南オセチア自治州とアブハジア自治共和国の独立を大統領が承認するよう、上下院がそろって声明を採択したことだ。加えてプーチン首相は、WTO加盟交渉を凍結する方針を表明、メドベージェフ大統領もNATOとの関係断絶を辞さない姿勢を示した。(26日『日経』)

 欧米諸国は今回の紛争激化以後、グルジアの領土の一体性の維持を主張してきたから、ロシアのこの動きは、それと真っ向から対立するものだ。また、この2つの地域がグルジアから“独立”してロシアの勢力圏に完全に編入されれば、グルジアは両地域を諦めてNATOへ加盟する選択をする可能性がある。また、グルジアと同様の民族問題を抱えている隣国・ウクライナも、グルジアの“二の舞”となることを避けるために、西側への編入を決意する可能性は大きく、欧米もそれを認めざるを得ないだろう。こうして、民族問題(ナショナリズム)の対立を契機として、黒海沿岸の国々は“ロシア側”と“欧米側”に鮮明に色分けされることになれば、“東西冷戦の再現”に近づいていくのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年8月21日

“百万の鏡”が映すもの

 京都府宇治市の生長の家宇治別格本山で行われた盂蘭盆供養大祭は19日、宝蔵神社本祭、精霊招魂神社大祭、全国流産児無縁霊供養塔供養大祭、末一稲荷神社大祭の4つが行われ、私はそれぞれの御祭で斎主(いつきぬし)として務めさせていただいた。これらの大祭は、例年のように17日から3日間行われ、連日の30℃を超える暑さにもかかわらず、全国から大勢の信徒・幹部の方々が招霊祭員その他の実行委員として奉仕してくださった。私は19日の4つの御祭で、それぞれ祝詞を唱え、玉串奉奠し、聖経読誦する。聖経は『甘露の法雨』と『天使の言葉』が2回ずつ誦げられるが、今回は『天使の言葉』の中の次の一節が心に残った--

 汝ら億兆の個霊(みたま)も、
 悉くこれ唯一神霊の反映(うつし)なることを知れ。
 喩えば此処に一個の物体の周囲(まわり)に百万の鏡を按(お)きて
 これに相対せしむれば一個もまた
 百万の姿を現ぜん。
 斯くの如く汝らの個霊(みたま)も
 甲乙相分れ、
 丙丁互に相異る相を現ずるとも
 悉くこれ唯一神霊の反映(うつし)にしてすべて一つなれば
 これを汝ら互いに兄弟なりと云う。

 聖経のこの箇所は、人類がみな互いに兄弟姉妹であることを唯心所現の原理を通して説いているのだが、「鏡」を喩えとして使っている所に重要なポイントがあると思う。
 
 我々の多くは“自分”の外見を確認するために、ほとんど毎日のように鏡を見るに違いない。外見の中でも「顔」を見ることが多いと思うが、それだけを見ながら“自分”を見ているつもりになっている。しかし、(よく指摘されることだが)鏡に映る顔は左右が逆転しているから、厳密な意味では「自分の顔」ではない。が、我々は普通、その左右逆転の顔を通して「自分」を見る以外に方法がない。そして、我々の日常生活においては、上下逆転は困るが、左右逆転はさほど気にならないようなので、鏡は十分実用価値があるのである。我々は鏡を見て、「あっ、自分はこんな姿だ」と感じ、「自分の反映」として鏡の中の像を理解する。これが普通の鏡の見方だと思う。

 ところが、上の聖経の一節は、「鏡は自分の反映」とは言わないで「鏡は唯一神霊の反映」だというのである。そして、「一個の物体」の周囲に置いた無数の鏡が、その物体の無数に異なる姿を反映するように、個性や外見が無数に異なる我々も「唯一の神霊」の反映である、と説くのである。
 
 この一節に説かれた教えは、表面的に解釈すると妙な結論になるかもしれない。それは例えば、我々一人一人の個性が神(唯一神霊)の一部を構成していると考えた場合である。そうなると、我々が「個性」と呼んでいるものの中には、必ずしも善いものだけが含まれていないから、「気が短い」とか「おっちょこちょいな」とか「強欲な」とか「嫉妬深い」などという性質も、神の属性の一部だと考えられてしまうのである。このことを、“人間の性質”の領域からさらに押し広げて“世界の性質”にまで拡大して適用させれば、「不幸」や「死」や「病気」や「事故」や「戦争」や「地震」や「生存競争」……の1つ1つが、創造主の属性の一部を反映していることになる。これはつまり、「現象のすべての側面の総和が実相である」という考え方であり、案外多くの人々が常識としてもっているものだろう。
 
 しかし、生長の家は「現象は心の影」であり「神の創造に非ず」という教えだから、このような解釈ではいけない。谷口雅春先生は、『生命の實相』第23巻経典篇二でこの部分を解釈されて、次のように書いておられる--
 
「皆さん、億兆の個々の霊も、個々の人間も、これことごとく神の反映と知れ、(…中略…)神と同じ姿が皆の本当の姿であり、神が皆の生命であり、本体であるのであります。実相はまったく同じであるものが、たんに互いにいろいろに分かれているように見えるだけであって、皆同じ神の姿が宿っているものである。分かれて別々に見えても決して一人一人が別々な存在であると思うな。一つの神が姿をかえているにすぎないのだ」。(pp. 98-99)

 この解釈で重要なのは、「皆同じ神の姿が宿っている」という言葉だろう。皆同じ神の姿が「映っている」のではなく「宿っている」のである。「映っている」のであれば神の姿は「現れて」いるだろうが、「宿っている」場合は必ずしも表面に「現れて」はいない。この違いは大切である。百万の人間が百万の異なる“世界”や“神”を見ているようであっても、それらは皆現象であり、その背後に1つの実相世界とその創造主の姿が「宿っている」(隠されている)--これが生長の家の解釈と言えるだろう。
 
 谷口 雅宣
 
 

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2008年8月 9日

休日のドライブ

 8日の本欄に書いたように、短い休日をとることができたので、八ヶ岳南麓の大泉町まで足を延ばした。その際、以前(6月13日、7月3日)にも使った小型のビデオカメラを車に設置して道中を撮映しておいた。このほどそのファイルを編集し、約2時間の道程を5分弱の動画にまとめたので、ここに掲載する。単に道路が映っている……と言えばそれまでのものだ。が、都心から山の奥まで、できるだけ変化に富んだ映像をつなぎ合わせてみた。風景の変遷を見ていると、人間という生物がいかに多様な環境を形成し、そこで生きてきたかを改めて感じる。画面の解像度があまり密でないのは、カメラの性能ではなく、撮映時の設定を「320 x 240」にしたからである。あくまでも“スケッチ”のつもりである。
 
 谷口 雅宣

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2008年8月 8日

自然は美しい?

 夏休みをとり、昨日から山梨県・大泉町の山荘に来ている。日中は30℃を超える気温になるが、標高1200メートルの高地にあるおかげで、朝晩はさすがに涼しく、快適である。
 
 山荘へは、5月の連休に来たとき以来、3カ月ぶりだから、庭の草や木が伸び放題であることは覚悟していた。とはいえ、野芝の伸び方は尋常ではなかった。30~40センチに伸びたものが束になって横倒しになっている様子は、見苦しく、しかも先端の10センチほどが、栄養が行き届かないためか黄色に変色している。それは一度、金色や茶色に染めた髪を伸ばしていると、根元から生えた黒髪との“層”の違いが歴然としてくるのにも似ている。要するに、「乱雑」「無秩序」「未整理」の感じが否定しがたいのである。
 
 野芝のほかに私の目に「乱雑」に映ったものは、身の丈以上に育ち、枝を八方に拡げたブッドレア(Buddleja)である。この植物はフジウツギ科フジウツギ属の植物で、私はその名から外来種と思っていたが、国内にジャポニカ種(japonica)やカービフローラ種(curviflora)が自生することなどから、在来種とみる説もある。花の芳香に誘われて蝶がよく来るというので、この付近にいる美しいタテハチョウを呼ぼうと思い、地元の園芸店で買って植えた。ところが、どんどん成長して枝葉を拡げただけでなく、植えもしないところに子株が跳んで殖え、それがまた成長し、不思議なことに買わなかった色の花もつけるようになったのである。具体的に言うと、紅に近い濃い紫色の花の株を買ったのに、今わが山荘の庭には、それ以外にも薄紫色の花も、白い花も咲いている。もちろん、3種の色の花が楽しめることはありがたい。しかし、それらの株が大人の背丈以上に伸びて、枝を縦横に伸ばし、山荘玄関に続くアプローチを遮る様子は、どう見ても「美しい」とは感じられないのである。
 
 人間が心に抱く「美感」とは、妙なものである。ブッドレアの花自体は美しく、そこから発する芳香は甘美であり、葉も茎も生命力に溢れている。しかし、それらを「一株」の塊として庭に置いた場合、他の草や樹木、置き石や道が形づくる“線”との位置関係で、美しいものが美しく見えなくなるばかりでなく、時には乱雑に感じられるのである。野芝が生い茂る様を「乱雑」と感じるのも、これと同じ理由だろう。庭の芝生は短く刈り込まれて絨毯のような平面を成すことが「美しい」--このように人間が感じるのは、我々が「一株の芝」など眼中に置かずに、“塊”としての芝、もっと正確に言えば“平面”としての芝に価値を置いている証拠である。
 
 このように考えると、人間が「自然は美しい」とか「美しい自然」と言うときには、自然界の自然そのままの姿のことを言っているのではなく、人間的なある観点から自然をとらえ、人間的なある枠組みの中にそれが収まっていることを意味している--そういう可能性に気づかされるのである。
 
 私はかつてこの大泉町の山荘の庭を造った時、これと同じことを感じ、そのことを「人工的な自然」という題の文章に書いた(『小閑雑感 Part 3』に収録)。そこにはこうある--
 
「人間は、目に見える世界の中に“秩序性”を求める。無秩序があれば、その世界に手をつけて何らかの秩序性を実現しようとする--そういう得体の知れない奥深い欲求が人間には(少なくとも私には)横たわっていることを感じる。“得体の知れない”と書いたのは、この欲求が“気味が悪い”という意味ではなく、“説明が難しい”という意味である」。(前掲書、p. 187)

 しかし、この時に書いた「秩序性」の意味は、人間の目に見えない自然界の秩序全体を指しているのではなく、文章に書いてあるように、あくまでも「人間の目に見える秩序性」を言っているにすぎない。今日私が行ったことを振り返ると、確信を込めてそう言える。私は、日差しの強い高地の炎天下にもかかわらず、ブッドレアの木が通行の邪魔にならないよう、また目で見て美しく感じられるように剪定し、野芝を短く刈り込む作業に没頭したからである。夏に野芝が生い茂ることも、ブッドレアが枝葉をぐんぐん伸ばすことも、自然界の秩序の一部である。が、そのことには満足できずに、私は汗だくになってハサミを動かした。目に見えない秩序を目に見える形に表現することが、人間の深い欲求なのかもしれない。

 谷口 雅宣

 

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2008年7月30日

旅の絵道具

 最近、本欄のサイドバーに「絵封筒」のスライドショーが加わったことに関連して、読者から私が普段使っている画材について知りたいとのコメントをいただいた。画家でもない私は、画材に特にこだわっていないが、生長の家の講習会などで旅行をすることが多いので、持ち運びの便を第一にして、普段は簡単なものしか使っていない。もちろん自宅には油絵の道具やグワッシュなども置いてあるが、最近はとみにそういう大がかりな道具を使う機会がないのは、残念である。
 
Mytool01  写真に、旅先にもっていく道具を収めた。近ごろはよく絵封筒を描くが、その封筒は原則としてホテル備え付けのものを使う。しかし、封筒のデザインや質がいただけない場合のために、またたまに封筒を置いてないホテルもあるので、写真上部にある封筒を持っていく。これは、ベルギーのペルティエ社製のオリジナル・クラウン・ミルという薄クリーム色の封筒で、横浜ランドマーク・タワーの有隣堂で買った。この封筒は内袋のある二重構造で、上から絵具を塗り重ねていってもビクともしないので、気に入っている。
 
 次に、封筒の左下にあるのがウインザー・アンド・ニュートン社の固形水彩セット。蓋がパレットになっていて、水筒付なので便利である。その隣に水筆がある。これ1本で大体用が足りるが、複雑な絵柄や多彩な色を使わねばならないときは、写真下にある携帯型の水彩用筆セットの中のものも使う。市販の6本組のセットだが、私はその中にさらに1本加えている。(が、すべてを使うことはほとんどない)
 
 ペンが3本写っているが、透明のものはユニボールの黒で、ペン先は0.5ミリ。絵封筒を描く場合は大抵これだけですむが、太い線が必要な時には、その下のものを使う。これは、ゼブラの筆サインペン[中字]である。写真の左側に置いてある万年筆は、ブラジルへ行ったときにいただいたモンブランで、ブルーブラックのインクが入っている。モノクロの絵を描くとき、これを使う。一度描いた上から、水筆でこすると色がにじむ。これで濃淡を出す。
 
 ここにはないが、デジカメは常に持参している。キャノンのIXYデジタルである。これで撮った写真をノートパソコンの画面に出して、そこから絵封筒を描くこともある。
 
 まあ、こんな具合である。スケッチをしたり絵封筒を描くとき、私は鉛筆を使わずに、いきなりペンで輪郭を描く。ときには失敗するが、構わずにどんどん描く。その方が勢いや味が出ることが多い。とにかく、旅先では時間との勝負になるから、覚悟を決めて一気に描くことにしている。
 
 谷口 雅宣

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2008年7月 6日

福井での快汗

 今日は、福井県鯖江市の「サンドーム福井」で生長の家講習会が行われた。妻と私は前日から福井入りして講習会に備えたが、東京と同様に30℃を超える暑さが急に来たことから、改めて「ああ、夏だなぁ」と感じた。今回利用した宿舎は鯖江市に隣接する越前市のホテルで、武生駅の並びにある。チェックイン後、例のごとく周辺を歩いてみたが、いわゆる“シャッター通り”が続いている。「銀座通り」というのもあって、そこなら有名な越前ソバを食べられるかと思った。確かに老舗らしいソバ屋さんがあり、「営業中」という看板が出してあったから、メニューを見せてもらおうと思って中に入ると、薄暗い中でステテコ姿の店の主人がおっとり刀で奥から出て来た。それを見て、私たちは勇気を失った。この辺の状況も、北見市の駅前とあまり変わらないのだと思い、駅へと引き返した。
 
 北見市と同じように、駅前に大型スーパーがあった。そこへ行くと、老若男女のお客さんがいたので安心した。それに店内はエアコンが効いているので、単に涼みに来てUriuriいると思われる人もいた。こういう場所が現在、この町ではコミュニティーになっているのだ、と納得した。このスーパーの中を散策しながら、売られているものを眺めた。地元のものがど れほど売られているか調べたが、生鮮食品を除いて、あまり多くはない。が、その中でも瓜類が深緑色の棚に並べられているのが目を惹いた。また、出入口の近くに「福井産」と書いた黄色の中型のスイカが売られていた。1個980円で、安いとは言えない。が、これを半分に切った「500円」のものもあったから、こちらなら2人で食べられる量かもしれないと思い、二人で「安い」「高い」と言い合っていると、店の人が来て「150円引き」と書いたラベルを貼ってくれた。これで、買わない理由がなくなってしまった。

 今日の講習会には、前回を上回る2,169人の受講者が集まってくださった。北見市に続いての受講者増で、喜ばしいことだ。体が暑さに慣れないうちに急に気温が上昇し、たっぷり汗をかいた1日だったが、報われた気持である。地方では「過疎化」が問題になり、上記のような“シャッター通り”現象がある中で、福井県全体では人口が増えているし、経済的にも豊かな県だ。幹部・会員の皆さんの地道な努力に心から感謝申し上げるとともに、今後のますますの発展を期待するものである。

 谷口 雅宣

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2008年7月 3日

小型ビデオカメラの可能性

 6月13日の本欄では、小型ビデオカメラを帽子に装着して撮影した原宿駅周辺の映像をご披露したが、このカメラはどうやら海外でも大いに活躍しているようだ。7月1日に放送されたABCニュースでは、ジンバブエの大統領が反対勢力を暴力で抑えつけて行った選挙の取材のために、旅行者に扮して同国に潜入したジム・シュウット記者(Jim Sciutto)のレポートを流していた。その映像を見ながら私が感じたのは、撮影に使われたのは私が購入したのと似たような小型ビデオカメラだということだ。2人1組の取材のようで、記者がしゃべる横顔をもう1人が撮っている。続いて放映されたイギリスからのレポートによると、同国のいくつかの町の警察では、「装着型カメラ」(wearable camera)が犯罪捜査に大いに役立っているというのである。
 
 そのカメラは、制服の警官の帽子に装着されていて、犯罪の現場に駆けつける際にはすでに撮影モードになっている。そして、警官の見る方向にあるすべてを記録していくのである。だから、事後に文字で書かかねばならない報告書に代わってこの映像と音声が使え、手続きにかかる時間が大幅に短縮される。それと同時に、これらは犯罪現場の証拠にもなるという。こうして、小型ビデオカメラは、今や“革命的に新しい犯罪摘発手段”(revolutionary new crime-fighting tool)になりつつあるという。このカメラのさらに良い点は、カメラをつけた警官が近づいてくると、そのカメラが回っていなくても、問題行動をとっていた人物はすぐにそれをやめるという。また、警官の側も話す言葉や行動が記録されるから、規則違反のことはできない、とニュースは伝えていた。その際、画面に映し出された小型カメラを見て、私は驚いた。大きさといい、形といい、私の使っているものと見紛うばかりなのだ。多分、同一機種だが、仕様が若干違うようだった。
 
 話は変わるが、私は今日、休日を利用して、このカメラを前とは違う方法で使ってみた。前回の歩行中の撮映では、上下動が意外に大きく、見にくい映像になった。だから、今回は車に装着して東京を走ってみた。前回よりもスッキリした映像になっていると思う。洞爺湖サミットが近いため、都内は警備が大幅に強化されている。そんな様子も垣間見ることができる。
 
 谷口 雅宣

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2008年7月 1日

“郊外型”は廃れる?

 前回の本欄では、「原油の高騰」「高齢化」「人口減少」などが、地方都市の中心街に再び活気を呼びもどす契機になるなどと書いた。“予言”のつもりではなく、半ば期待を込めて地方の再起を促したかった。事情もよく知らないのに勝手なことを書くなと言われそうだが、私の期待には、まったく根拠がないわけではない。というのは、アメリカでは、郊外の住宅を売って都市にもどる傾向が生まれているらしいからだ。
 
 6月26日の『ヘラルド・トリビューン』紙によると、彼の国では、ガソリンを含む燃料代の高騰が都市郊外の生活をしだいに困難にしつつあるというのだ。コロラド州デンバーの郊外に家をもつある夫婦は、デンバー市南部の仕事場まで車で1時間の通勤をしていたが、ガソリンが1リットル当り1ドルを超えたころから、ディーゼル車の小型トラックに毎月121ドル(約1万3千円)の燃料代が必要になった。また、スペースの大きい郊外型住宅を暖めるにも燃料代がかかり、3月は566ドル(約6万円)を支払ったという。この暖房費は5年前の2倍だ。そして、今は市内に移住することを真面目に考えているそうだ。
 
 こうして、アメリカで半世紀前に始まった都市から郊外への移住の動きが、止まりつつあるという。アトランタ、フィラデルフィア、サンフランシスコ、ミネアポリスなどの大都市では、都市圏を超えた郊外の住宅の値段は、都市内のそれより値下がり幅が大きくなっている。ある経済学者の最近の調査では、シカゴ、ロサンゼルス、ピッツバーグ、ポートランド、タンパでも、同様の傾向が見られる。これには様々な理由があるだろうが、その中でも大きなものは、燃料費の高騰だと経済学者や不動産業者は考えているという。今年の3月、アメリカ人が自動車で走った距離は、1年前に比べて180万Km(4.3%)少なかったらしい。だから、多くの地方自治体は、大都市の中心街に焦点を合わせて再開発を進めつつあるという。
 
 日本とアメリカの事情は、もちろん同じではない。日本はアメリカよりも公共交通機関が発達しており、自動車の燃費は良好である。しかし、アメリカは人口増加が問題なく続いているのに対し、日本は人口減少の時代に入った。しかも高齢化が進んでいる。ということは、地方都市の郊外は、住環境としてアメリカより有利であるとは思えないのである。郊外型の立地を得意とする大手スーパーなどは、車を運転しない高齢者の客を誘致するために無料バスを運行しているところもあるが、燃料代の値上がりが続けば、それとていつまでもつか分からない。アメリカほど急激でないとしても、郊外型の大型店舗はいずれ日本の地方都市から撤退するのではないだろうか、と再び期待を込めて予測するのである。
 
 が、別の予測もしてみよう。それは、日本かアメリカが、あるいは双方の国で政権が交代し、化石燃料に頼らない自然エネルギーを主体とした低炭素社会へと急旋回した場合である。化石燃料の値段は下がるだろうが、それは需要が減るからだ。その時、郊外型の大規模小売店舗がどうなっているか、私には今、残念ながら想像できない。

 谷口 雅宣

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2008年6月30日

北見で考えたこと

 生長の家講習会のため、28日から29日にかけて北海道の北見市で過ごした。とは言っても、29日は朝から夕方まで講習会の会場にいたから、市内を見学したのはごくわずかな時間だ。それでも、2年前の前回との違いは感じられた。北見市は一時“東急の町”と言われたように、東急グループが中心となって開発した町だ。航空便も東急系の東亜国内航空(後の日本エアシステム)だけが運行していて、市の中心部に東急デパートと東急インが並んでいた。ところが現在は、東急グループが町から一部撤退して、デパートは地元資本の手に渡っていた。
 
 私は、各地の地方都市に東京資本が進出して“金太郎飴”のような町並みを形成することを嫌ってきたから、東急グループの撤退自体を嘆きはしない。自分勝手な感想かもしれないが、私の住む東京・渋谷はまさに“東急の街”だから、はるばるオホーツク海の近くまで飛んでも、また“東急の町”に来てしまうのでは退屈する。が、東急が撤退した理由の1つは、札幌以外の北海道各地の経済が縮小しつつあるからだろうから、東急の“後がま”として入った地元資本の行く末が心配だ。

 このデパートに入って、店員に文房具の売場を尋ねたら、「文房具は今は置いていません」と、すまなそうな顔をして答えた。この「今は」という言葉の意味を、私は「今はないが、今後は置くかもしれない」という意味に取れなかった。なぜなら、このデパートのある北見駅周辺には文具店どころか、書店が全然なかったからだ。文具店も書店も、学生にとって必要な店だ。それがないということは、この町には学生が、そして若者がいないという意味にとれる。ところが、夕方になると、自転車に乗った学生たちが大勢駅前を走るのを見かけたのだ。
 
 翌日、そのナゾが解けた。会食の席で青年会委員長が教えてくれたことは、駅から自転車でなければ行けない距離に、大手スーパーが開発したショッピング・センターがあるのだという。彼らはそこに集まっていて、駅前にも来るというのだ。「北見よ、お前もか」と私は思った。同様の現象は、盛岡にも青森にもあった。この中心街衰退の構図は全国で見られる。原因は明らかである。イーオンなどの大手スーパーが郊外型のショッピング・センターを建設することにより、駅周辺の古い商店街から客がいなくなるのである。自動車をもった客は、1箇所ですべての用が足りる便利さに逆らえないからだ。

 この問題は国会でも取り上げられ、大規模小売店舗の郊外への立地を制限する動きが出ている。が、大企業に弱い政権で何ができるかは不明である。私はそれより、“原油の高騰”と“地方の高齢化”がこの問題の解決に影響を与えるような気がしている。簡単に説明しよう。
 
 ガソリンの値上げの影響は、自動車の利用の減少という形ですでに現れている。また、地方では人口減少が急速に続いているから、土地の値段も下がっている。しかし、地方にいて自動車のない生活は不便このうえない。また、高齢化にともない、車を運転する人の数も減っていく。すると地方では、人口は郊外から駅近くの中心街に移動する傾向が生まれるのではないか。ただし、これには駅周辺の再開発と公共交通機関の充実が必要だ。私は、行政が税制の変更や優遇策などで、この動きをリードするのがいいと思う。そうすれば、東京資本による“金太郎飴”的開発ではない、地元資本による個性ある町づくりができるのではないだろうか。

 谷口 雅宣

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2008年6月23日

ガイコツはなぜ踊る?

 
 昨日は富山教区での生長の家講習会の終了後、富山県水墨美術館で行われていた「良寛展」を見に行った。時間に余裕がなかったのが残念だったが、それでも、良寛禅師の飄々とした自由自在の性格と思想を伝える墨跡の数々に接して、1日の仕事の緊張感を解き、昂る気持を鎮めるとともに、安らかな締めくくりをすることができた。
 
 良寛の漢詩の中に、こういう内容のがある(自由訳)--
 
 物事は縁から生じるが、縁から生じたものは、縁が尽きると消滅する。尽きた縁が何から生じたかと考えれば、その前の縁から生じるのだ。その前の縁も前の前の縁から生じるのだから、これらを遡っていけば最初の縁にゆきつくはずだ。しかし、この最初の縁が何から生じるかとの疑問に到ったとき、最初の縁の前には何もないのだから、すべてのものが消滅してしまう。この話を、東に住む婆さんにしてみたが、婆さんは不快な顔をした。西に住む爺さんに話したら、眉をひそめられた。そこで、この話を餅に書いて犬に食べさせたら、犬さえ嫌って食べなかった。だから、この話はよくない考えなのかもしれない。そこで、この話の中の縁と何とを、また生まれるとか滅するとかを一つにまとめて皆、野原に転がっている骸骨にくれてやった。すると、骸骨はそこらじゅうから次々に起き上がって来て、私のために歌を唄い、踊りはじめたのである。(後略)

 私は、昨日の講習会では「因果の法則」についても触れたのだった。因果の法則とは、「物事はすべて、何かを原因とする結果である」と表現することができる。人間は知性によって因果の法則を知り、それを利用することで自己の目的を達成することができる。因果の法則を知り、それを利用できる者は力を増大する。これは、科学の発達によって人間の力が拡大してきた歴史を振り返れば、明らかなことである。科学とは結局、因果の法則を知るための方法である。

「縁」とは「助因」であり、ある結果を生じるに必要な補助的原因である。土を入れた植木鉢に種を植えれば、種はやがて発芽して芽を出し、双葉を開かせる。この時、植物の種が「因」であり、双葉は「果」として考えられる。種から芽が出るためには、土(栄養素)ばかりでなく、一定の温度と湿り気が必要である。これらが「縁」と言われるものだ。上の良寛の詩では、「縁」を「因」としてとらえているように見える。つまり、「植木鉢に入った土があるから、新芽が出るのである」ということだ。土もなく、湿り気もなく、「種」だけがあるのでは発芽する機会はないだろうから、通常の場合はこの理解でいいのかもしれない。が、「発芽」の本当の原因は「種」であるから、「縁」を「因」と誤解していると妙な信仰に陥ることがある--自分は、この神社のこの御神籤を引いて、それに従って行動したら、こんな幸運を得た。だから、この御神籤が幸運をもたらしたのである!--本当にそうだろうか? よろしく脚下照顧すべし。

 谷口 雅宣

 

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2008年6月17日

“良いアイディア”を得て前進しよう

 今日は午前10時から、長崎県西海市にある生長の家総本山で「谷口雅春大聖師二十三年祭」が執り行われ、私は玉串を霊前に捧げ、お参りしてくださった854名の参列者の方々に、大略以下のように挨拶申し上げた。

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 皆さん、本日は谷口雅春大聖師の二十三年祭にこのように大勢お参りくださいまして、誠にありがとうございました。
 
 今日はあいにくの雨かと思っていましたが、朝から降っていた雨がお祭の前には上がってしまいました。誠に有り難いことであります。梅雨の時期に雨が降るのは当り前で、ありがたいのであります。世界では各所に気候変動の兆候が表れてきていることは、ご存じのことと思います。ミヤンマーではサイクロンの被害で何十万人もが家を失い、アメリカでは今、西部が旱魃で、中部は豪雨から来る洪水に見舞われているそうです。気候変動以外に大地震もありました。中国の四川地方の大地震については、生長の家ではミヤンマーの救援と並行して救援募金を行っています。また、つい数日前の14日の朝に、日本では岩手・宮城内陸部地震が発生しました。地震の方は人間の活動が引き起こしたものとは言えないと思いますが、気候変動は我々の活動により大気中の温室効果ガスが増えた結果だと言われています。
 
 この世界では、このように因果の法則が働いています。原因がなくて、ある結果は生じないということです。地球温暖化にも原因があり、地震にも原因があります。地殻の断層がずれる時に地震が起こることが分かっています。ですから、悪い原因をつくらず、良い原因を生み出していくことでこの世界は改善するということを、世界の多くの宗教が説いてきました。これは、私たちの“心の中”の出来事にも、“心の外”の出来事にも言えるのであります。生長の家では、いま“自然とともに伸びる運動”というのを展開中でありますから、自然環境に対しても私たちの心の内外に“悪い原因”をできるだけつくらないよう、運動に工夫をしているところであります。
 
 ところで、私たち人間は「自由意思」という貴重な宝を神様からいただいています。日本は自由主義の社会でありますから、私たちは日常生活の細部にわたって自由な選択をして生きている、と多くの人は考えているようであります。しかし、自由というものは反面、煩わしいものであります。どこかにも書きましたが、私たちは食堂のメニューを見ても迷うのであります。だから、人生に起きるすべてのことを、私たちはそのつど自由に決めているわけではないのです。すべての選択肢を事前に考えつき、それの長所・短所を考えたうえで、自由に選択して行動するなどということは、ほとんどありません。そんなことをしていたら、忙しい日常生活が正常に動いていきません。それよりも、反射的に物事を判断したり、1度決めたことを繰り返して実行するのです。そういう小さな繰返しを組み合わせて、大きな生活パターンを作り上げ、そのパターンに合わせて自動的に行動することの方が圧倒的に多いと言えます。別の言葉で言えば、「従来通り」とか「いつものように」とか「慣れた方法で」という生き方を採用することになります。これは選択しているようですが、本当は“自由な選択”とは言えず、自らの自由を極力狭めた一種の“自動運転”の生活をしているのです。
 
 これを、宗教的には“業”と言います。普通の言葉では「ライフスタイル」と言うこともあります。現在の人類が直面している地球環境問題は、「化石燃料をどんどん燃やして物質を消費する」というライフスタイル(業)から生まれたものですから、これを変えない限り、因果の法則によって今の温暖化傾向はどんどん続いていくでしょう。“自然とともに伸びる運動”を実現するためには、このライフスタイル(業)から脱却しなければなりません。私たちの運動にも、このライフスタイルから生まれた行事や伝道方法、人間関係のもち方などが沢山含まれています。ですから、「従来通り」とか「いつものように」とか「慣れた方法で」運動をしているだけでは、“自然とともに伸びる”という目的は達成されないのです。だから、ここで大いに「選択の自由」を行使する必要があります。“悪い原因”をできるだけつくらないような選択肢を数多く考え出し、そこから最もよいものを選択する時期に来ているのです。だから、新しいアイディアが必要です。悪業を繰り返さない、良いアイディアが必要です。
 
 “良いアイディア”とは、いったいどこから来るのでしょうか? これは皆さん一人一人の心から来るのです。もっと正確に言えば、“良いアイディア”は、皆さん一人一人の心を媒介として、神さまからやって来るのです。神の創造された実相世界にある無限の善なるアイディアを、私たちが心を澄まして受け取るのです。これに対して“悪いアイディア”というものが訪れることがあります。この間、東京の秋葉原で人殺しをしてやろうと考えて、それを実行した人がいますが、そういう“悪いアイディア”も人に受信されることがある。その辺の事情を、谷口雅春先生は『続真理の吟唱』の「高級神霊の導きを受ける祈り」の中で説かれているので、今日はそれを紹介して、今後の私たちの生活と運動の指針にしたいと思います:

 (「高級神霊の導きを受ける祈り」の一部を朗読)
 
 --このように書かれていまして、私たちが「ふと思いつく」という場合も、それは自分のアイディアであるかどうか分らないという点を心に留めておいてください。その時の私たちの心境の違いによって、私たちを善の方向に導く思いつきもあれば、悪の方向に陥れる思いつきもあるのです。「親和の法則」は、霊的にも作用するということです。

 皆さま方は、団体参拝練成会に参加されて、この自然豊かな環境と真理が天下る神聖な雰囲気の中で数日を過ごされました。ですから、練成会が終って日常生活にもどられても、ぜひこの心境を忘れないように、しっかりと神想観の実修を継続されて、「善きアイディア」を受信し、それをお仕事に、生活に、そして21世紀の人類が進むべき“自然にとともに伸びる”新しい運動の開発に向けて展開していっていただきたいと思います。
 
 谷口 雅宣

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2008年6月14日

地震、お見舞い申し上げます

 午前8時40分すぎには、私はたいていNHKの衛星第1放送にチャンネルを合わせ、海外ニュースを流しながら、新聞を読んでいる。今日もそうしていたら突然、音が変わって「緊急地震速報」なるものが流れたので、急いで画面を覗きこんだ。地震がどこに来るのか分からないから、緊張して身構えていたのである。が、関東地方ではなかった。マグニチュード7.2の地震が岩手県南内陸部を震源として起こり「岩手・宮城内陸地震」と名づけられた。昼のニュースでは、崩落した山や土砂に埋まった道路、押し潰された民家、崖から落ちたバスなどが画面に映し出され、死亡者、行方不明者も出た大きな被害であったことが分かった。亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げると共に、被災者の方々には、早急に援助の手が差し伸べられることを心から願うものである。

 岩手県は、つい1週間前に生長の家の講習会で訪れた地で、水沢、江刺、北上、花巻などのある北上盆地を新幹線で往復した。これらの地からも、会場となった盛岡まで沢山の人々が来て下さった。そういう人々は、どんな気持で地震を体験されたのか……私自身の新潟中越地震の体験を反芻しながら考えた。午後5時すぎに、岩手教区の矢野俊一・教化部長がメールで報告を下さった--「ご心配をおかけいたしました。特に震源地の奥州市を始め、周辺の北上市、一関市、花巻市等各地の主たる信徒、幹部に電話で確認をいたしましたが、食器等が壊れた等の被害はありましたが、建物、人的な被害は、現在のところございません。また盛岡の教化部も物が落ちることもなく、全く被害はありません」。宮城県の様子は分からないが、とりあえずは胸をなで下ろした。

 新聞情報によると、今回の地震は、昨年の新潟県中越沖地震、2004年の新潟県中越地震、1995年の阪神・淡路大地震などと同じタイプの「逆断層型の直下型地震」というのだそうだ。これは海底で起こる海溝型地震とは違い、太平洋プレートに東側から押される形で内陸部に圧力がかかって起こるものらしい。今日の『朝日新聞』夕刊によると、北上盆地に沿って南北に走る「北上低地西縁断層帯」が今回の地震と関係していて、政府の地震調査委員会は、この断層帯全体でM7.8の大地震が起こることは予測していたものの、30年以内の発生確率は「ほぼ0%」という評価だったという。また、『日本経済新聞』夕刊では、今回の地震の震源地は「北上低地西縁断層帯」より南にある「未知の活断層」が動いた可能性があると伝えている。だから地震がいつ起こるかは、現在の科学をもってしてもよく分からないのである。

 谷口 雅宣

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2008年6月13日

原宿を歩く

 今日の関東地方は梅雨の中休みの快晴で、気持のいい1日だった。アメリカでは、中部の諸州で豪雨が続き、川の氾濫で大勢の人々が家を失っている。これは農産物にも影響を及ぼし、「コーンベルト」と呼ばれるアイオワ州、イリノイ州などの中西部では、トウモロコシやダイズの植え付けが大幅に遅れただけでなく、洪水の被害が広がっているという。アメリカは世界最大のトウモロコシ生産国であり、輸出国でもある。これによって現在、値上がり中の穀物の値段がさらに上がる可能性もあり、世界の経済は予断を許さない。今日(6月13日)の『産経新聞』などが伝えている。
 
 幸いにも日本は、そのような大規模の洪水がまだ発生していない。今年の雨は数日降ったあとに、今日のように上がってくれる。そんな日に原宿の街を歩いた映像を動画にまとめてみた。今回の映像は「揺れる」のが気になる。これは、新しく入手した小型ビデオカメラを野球帽に装着して、歩きながらハンドフリーで撮ったからだ。考えてみれば、我々の目は、帽子と一緒に上下動を繰り返しながら世界を見ているのである。にもかかわらず、我々の歩行中の世界は、こんなに揺れ動かない。その理由は、恐らく我々の脳が網膜上で揺れ動く像を修正しつつ、世界を安定化しているからだ。何という優れものか、と改めて思う。
 
 谷口 雅宣

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2008年5月31日

マイ箸優遇の店

 生長の家の講習会のために青森市に来ている。今朝の天気情報では東京と青森の最高気温が同じで「15℃」と表示されていたから、寒さは覚悟していた。空港から市内に至る道路上の表示は「13℃」だったから、だいたい当たっている。それにしても、近ごろの日本はアップ・ダウンの激しい気候である。青森の人に聞いたところでは、今年は例年になく雪解けが早く、春の到来が急だったので、リンゴの花が早く咲くという番狂わせがあったという。その後、また寒くなったらしい。
 
 2年前、青森の講習会は7月だった。今回来て、その時と違うと感じたことがある。それは、我々が宿泊した「ホテル青森」の日本料理屋で、“マイ箸優遇”が行われていたことだ。つまり、マイ箸持参で食事に来た客の飲食代を5%引いてくれるのである。割り箸の代金やその廃棄にかかる費用を計算しても、食事代の5%にはなるまい。だから、これはコスト削減のためではなく、環境意識向上のためのサービスである。こういうサービスにお目にかかったのは、今回が初めてだ。それに、レジの前ではマイ箸を売るといる徹底ぶりだ。この店のオーナーは生長の家ではないか、と疑いたくなった。そういえば、7月の北海道洞爺湖サミットに至る前の、G8のエネルギー相による会合が、まもなく青森市で開催されるという。そのために、市を挙げて省エネ、エコ意識振興を図っているのかもしれない。
 
Honeytoast  ところで、夕食前に市内を散歩していて、ハニートーストと再び遭遇した。読者は覚えているだろうか? 4月に福知山へ行ったとき、宿泊したホテル近くのパン屋兼レストランへ寄った際に目撃した、パン反斤に蜜をかけて食べる料理である。それが、青森港に近いパン屋兼菓子屋で売っていた。京都と青森間はずいぶん離れているが、両方の場所で同じ名前で売っていたということは、偶然ではないだろう。4月5日の本欄では、これを文字だけで紹介したのでよく分からなかったかもしれないので、今回は青森版のハニートーストを写真で紹介する。今回も、その大きさに恐れをなして、買うことはしなかった。

 日本が議長国である洞爺湖サミットでは、昨今の食糧価格高騰に関する特別声明を出す方向で、関係各国との調整が進んでいるらしい。今日の『東奥日報』が夕刊で伝えている。当初の予定では、サミットの議題は①世界経済、②気候変動、③アフリカ開発、④核拡散問題の4つだったが、急きょ食糧問題が深刻化してきたからだ。ただし、これをG8の場で進めるには、難しい問題があるらしい。それは、日本が食糧輸入国であるのに対し、欧米の先進国は食糧輸出国である点だ。利害が必ずしも一致しないのである。同紙の記事には、「政府には、この機会に世界の農業生産拡大を訴え、日本国内の農業振興を図ったり、生産国の食料輸出規制に歯止めをかけるといった思惑もある」という解説がある。米の国際価格も急騰する中、日本はまだ減反政策を継続するのだろうか。これを廃止して、米を飼料やバイオ燃料に使うことを検討中という話も聞く。とにかく、様々な面で、社会や制度が大きく変わらなければならない現状が、目の前にあるのである。

 そんな深刻な事態など全く感じさせない、青森市の午後のパン屋の平和な光景が、私の前にあった。

 谷口 雅宣

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2008年5月22日

赤坂ビズタワー

 初夏の陽気となった今日、休日の余裕もあり、妻と2人で赤坂の「ビズタワー」という所まで足を延ばした。初めからそこを目指したのではなく、広告で見かけたマクロビオテックのレストランを覗いてみたかったのである。ところが、広告にはその店が「ビズタワー」という知らないビルにあると書いてあるので、「どこだろう?」と首をかしげた。その時、地下鉄千代田線の「赤坂」駅前にあったTBSが、建物を新築中だったことを思い出した。そこがこの聞きなれないビルだろう、と見当をつけて行ったのである。
 
 結果は、「当たらずとも遠からず」だった。TBSは別の新築ビルにあったが、赤坂駅から徒歩0分の近さにビズタワーがあることを知った。マクロビの朝食を食べる予定だったが、朝早くから食事をやっている店が同じフロアーに3店あった。メニューを見比べてみると、マクロビの店が一番値段が高い。そのこと自体は不思議でない。なせなら、マクロビ料理は食材を吟味してあり、無農薬、有機栽培が基本だと言われているからだ。が、ここはレストランと言うよりはデリショップで、背の高いテーブルと椅子はあっても、ゆったりと落ち着ける席がない。加えて、棚に並んでいるものを見ると、シリアル類は明らかに海外(多分アメリカ)からの輸入品である。私は妻と顔を見合わせた。マクロビの考え方のもう1つの基本は「身土不二」であり、「体(身)と環境(土)は一つ」であるはずだ。つまり、その土地で、その季節にとれたものを食べるのが原則だ。そういう基本に無頓着な店は……と疑念が湧いてきた。これに加えて“フード・マイレージ”のことも考えた。

 が、せっかくここまで来たのだから、と1品だけ買い、スペースにもう少し余裕がある別の店で食事した。マクロビも流行すると“精神”は薄まってしまうのだ、と何となく寂しい気持だった。妻の持っているマクロビの本には、こう書いてある--「環境と身体がマッチする食べ物とは、季節に採れるその土地のもの。つまり、国産品で旬のものを食べていれば、自然に反することがないというわけです」。

 とは言うものの、“最先端”とされる場所にこういう店が入るほど、自然志向や環境意識が高まってきていることは喜ぶべきである。私たちはおいしく朝食をいただき、ついでに「ビズタワー」の周辺を見学して帰宅した。全体の印象は、東京ミッドタウンや六本木ヒルズとあまり変わらない。が、“感覚優先”の右脳を働かせ、面白い映像を狙って、今日の体験を動画にまとめてみた。興味のある読者は参照されたい。
 
 なお、赤坂ビズタワーの公式サイトによると、この施設は、地上39階、地下3階で、高さ約180mの高層タワー。地下1階から地上3階までが、買い物と食事のスペース。4~38階がオフィス・スペースになっていて、地下駐車場には約400台が収容可能。今年1月末に竣工し、所有者は三井不動産だ。

 谷口 雅宣

【参考文献】
○長澤池早子監修『はじめてのマクロビオティック』(成美堂出版、2006年)

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2008年5月19日

東京のムギ

 最近、私は東京の仕事場近くの公園にムギらしきものが生えているのを見つけた。1本や10本ではない。公園の縁に設置された植え込みの中の幅3メートル、長さ20メートルもの場所に生えている。誰かが栽培しているわけでもないようだ。というのは、その付近はタクシーの運転手の休憩場所となっており、また高校生の通学路にもなっていて、人々は平気でその中を歩いて通り、ムギらしきものを踏みつけていくのである。

Efuto080519b 2~3本抜いて家に持って帰り、妻に見せると「それ、ムギじゃない!」(ムギではないの!)と即座に反応した。そこで私は「これはムギだ」と結論したわけだ。私は都会生まれの都会育ちで、ムギのことはよく知らない。しかし、妻は田舎で、田んぼや麦畑を見て育った。彼女の判断を信用するほかはない。ものの本で調べてみても、今はちょうどムギの穂がでそろう時期で、初夏に黄金色になって収穫するとある。で、公園に茂る植物も今、大部分は青々とした穂を天に向けているが、一部は白っぽい黄色に変わっている。しかし、なぜここに……という疑問の答えを、私は見出せずにいる。
 
 世界中で穀物の値段が高騰しているという現状を思い出してみると、東京の都心の公園に“野生のムギ”が育っていて、誰も注目せずに踏んでいくというのは、「不思議」を通り越して「シュール」な感じさえする。私の想像するところ、誰かが昨年の秋、イタズラ心を起こしてムギの種を蒔いたのだろう。しかし、ムギの種など、そこらの園芸店で売っているわけでもない。また、買ったものをわざわざ公園に蒔く人もいるまい。だから、不要になった種を捨てるつもりで、そこら一帯に蒔いたのかもしれない。あるいは、この公園には“家なき人”が何人も住んでいるから、その場所は彼らの“畑”になっているのか? が、いくら彼らでも、ムギを生で食べるわけでもあるまいし、また、道具もないのだから、小麦粉を作ってパンを焼くこともあるまい……とにかく、ナゾは深まるばかりだ。
 
 ナゾ解きはあきらめて、今日は、ジョギングの帰途、その“野生のムギ”をまた何本か拝借して持って帰り、絵封筒を描いた。春らしく青々としたムギの穂と葉は、見ているだけでも人を幸せな気分にさせてくれる。読者にもそんな気分を味わっていただけたら、私の目的は達成するのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年5月17日

自動車減少の時代

 昨日(16日)付の『日本経済新聞』の第1面を見て、私は驚いた。題字横に「自動車保有 初の減少」という白抜き文字が目立っている。日本国内を走る車の台数が減り始めたというのだ。が、よく考えてみると、日本の人口が減少に転じたのだから、当然と言えば当然かもしれない。また、大都市への人口集中が進めば、そこでは自動車の代りの交通手段があるから、保有台数が減少しても不思議はない。それに加えて、昨今のガソリン代の高騰で、自動車を利用するためのコストが上がっている。理屈はそういうことなのだが、「自動車はどんどん増えるもの」という固定観念が強かったのだろう、見出しを何回も読むことになった。記事のリード文には、「3カ月連続の前年割れは自動車普及が加速し始めた1960年代前半以降初めて」とある。

 記事から実際の数字を示せば、排気量660cc以下の軽自動車、二輪車を合わせた全国の自動車保有台数は、今年の2月末の時点で7943万台となり、前年同期比で0.2%減少したという。前年同期比での減少は、昨年12月末、今年1月末に続き3カ月の連続で、戦後初らしい。『日経』は、経済新聞らしく、これによって国内の自動車産業だけでなく、「年25兆円を超す幅広い関連産業」にも影響が生じるとしている。が、私はプラス面を見る--①大気汚染の減少、②温室効果ガスの排出減、③交通事故の減少、④道路政策の見直し--などにつながるのではないか。4番目の点は、記事でも特に指摘されていて、現在の道路整備中期計画の前提は“交通量のピークは2020年”として策定されたものだから、そのままの前提で道路建設を進めることが難しくなるだろう。これは、環境保全のためにはプラスの要素である。
 
 しかし、CO2排出量という点から見れば、日本国内を走る車の台数が減っても、中国やインドなどで車が増えれば、人口の多さから見て排出削減にはならないだろう。また、石油の値段が下がれば、自動車の利用を始める人も出るだろうから、排出削減になるかどうか分らない。こういう言い方をすると怒る人がいるかもしれないが、私は石油の値段が下がらないことを願っている。なぜなら、石油が現在のような高値にあるがゆえに、代替エネルギーを使う技術開発が諸方面で進行しつつあるからである。
 
 15日の『ヘラルド・トリビューン』紙は今、世界各地で自転車ブームが起きていることを伝えている。それによると、台湾の自転車メーカー「ジャイアント(Giant)」は昨年、550万台の自転車を生産したが、今年はそれより1割増を予測しているという。自転車は、環境にいいだけでなく、運動不足の解消のための手軽なスポーツとして、先進国で人気が出ている。これは、EU諸国の環境政策とも関係がある。自動車の代りに自転車の利用が奨励されていて、パリやバルセロナには貸し自転車の制度がある。だから、最大の生産地は中国本土であり、それを買うのは主としてヨーロッパ諸国ということになる。世界の自転車生産は約1億台で、そのうち7300万台が中国で造られ、うち7割がEU諸国へ輸出されるらしい。このブームには、ガソリン価格の上昇が一役買っていることは言うまでもない。
 
 日本でも自転車の利用は盛んだが、放置自転車の問題や、最近では歩道での無謀運転から来る交通事故も増えていることは、ご存じの通りである。市民・行政ともどもにいろいろの工夫をし、制度を整え、マナーを守って、手軽で安全で、そしてクリーンな交通手段として、減少する自動車の代りに育てていきたいと思う。
 
 谷口 雅宣

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2008年5月16日

中国の大地震

 まず最初に、今回の大地震で亡くなられた5万人強とも言われる多くの人々の御霊に、心からの哀悼の念を捧げ、ご冥福を祈るとともに、まだ安否の分からない多くの人々、そして生活の基盤を失ったさらに大勢の人々には、早期に救助・救援が行われるよう心からお祈り申し上げます。報道によると、わが国の第一次救援隊が今日、現地入りしたそうだが、その活躍に神の加護があらんことも心からお祈り致します。

 大変な規模の被害が明らかになってきた中国・四川大地震だが、その原因について、今日(16日)の『朝日新聞』に解説が載っている。それによると、今回の地震は、原因となった活断層が250~300kmの長さに達し、地震エネルギーは阪神大震災の30倍に達するという世界最大級の地震だそうだ。この記事は、3人の日本人の専門家とアメリカの地質調査所の解析を紹介し、それぞれが異なる推測をしている中で、マグニチュードは「7.8~7.9」という点で一致しているという。また、東大地震研究所の引間和人研究員は、「長さ250km、幅40kmの活断層が100~120秒かけて最大13m動いた」と推測しているから、地震を起こしたエネルギーの大きさが想像できる。建物はどんなに頑丈であっても、基礎部分が5mも広がったり縮んだりすれば、倒壊しない方がおかしい。

 この記事には、チベット高原周辺の地図がついていて、今回の震源地と見られる竜門山(ロンメンシャン)断層帯の場所に×印が打ってある。簡単に言えば、このチベット高原に向かってインド南方から北方向に移動しつつあるインド・オーストラリア・プレートの力が、西や北や東へ進めないために、南に回り込む形で力が働き、今回の地震が起こったのだという。東大地震研の加藤照之教授は「この付近は、四川-雲南地震活動帯とも呼ばれている。とくに鮮水河(シャンシュイヘ)断層帯は活動が活発で、同じ所で繰り返し地震が起きている」と言っている。この断層帯の北東にある竜門山断層帯が、今回の震源である。だから、地震が起こるはずのない所で起こったのではない。
 
 これは日本にも当てはまることだが、地震は自然界の動きの一部である。上記したように、原因は分かっていて、起きる場所も大体は予測できる。しかし、実際にいつ、具体的にどこで起こるかは今の科学では予測できない。だから、地震を避けるためには、移動しつつあるプレートとプレートの境界付近には家など建てないことなのだが、日本列島はほとんどがこのプレートの境界線上にある。つまり、いつどこで地震が起こっても不思議はないのである。ということで、日本に住む限り地震は避けられないから、我々は耐震設計の家や建物を造る以外にない。今回の被害が大きかった理由は、地震の規模の大きさもさることながら、多くの建物が地震に弱い構造であったことが指摘されている。
 
 私にはもう1つ、気になることがある。これは2006年のジャワ島中部地震のあとの6月2日の本欄に書いたことだが、地球温暖化に伴う気候変動によって地震が起こる確率が増える可能性があるということだ。昨今のヒマラヤでは、温暖化の進行によって氷河の退縮が著しく、湖の水位が上昇していると聞く。2006年に取り上げたのは、アラスカ州南西部の氷河が急速に解けたことと、1979年に起こったM7.2の地震とを関連づける2004年のNASA(アメリカ航空宇宙局)の研究のことだ。その際、同研究の発表者の1人は、こんなことを言ったのである--「アラスカのように地震が起こり、氷河の状態が変化している地域では、両者の関係を考えることが地震被害の防止には大切だ」。ヒマラヤには、この2つの要素に加えて、プレートの移動地点であるという、地震の原因そのものがある。

「地球温暖化は地震を引き起こす」という直接的因果関係を証明した研究は、まだない。しかし、状況証拠はいろいろあるようだから、我々は今回の地震を“対岸の火事”だと思ってはならないのである。

 谷口 雅宣

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2008年5月 7日

シイタケと野鳥

Mtimg080505  5月4日の本欄に書いたように、今回の山荘行きでは思いがけず森の中でシイタケを沢山収穫できた。これらのシイタケは、すでに消費されて影も形もないが、食べる前にスケッチしておいたので、その際の感動や経験を後から想起できるのはありがたい。読者の皆さんには、シイタケなど“当り前”すぎるかもしれないが、私にとっては“当り前の奇蹟”的経験だった。また、山荘滞在時に聴いた野鳥の声の録音(1分31秒)もあるので、ここにご披露する。小型のボイスレコーダーによる録音だから、雑音(主として風の音)など混じっている点はご容赦いただきたい。
 
 谷口 雅宣





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2008年5月 6日

美術館をめぐる

 今日は午後から北杜市の町に下りていき、「小淵沢絵本美術館」と「くんぺい童話館」を訪問した。絵本美術館では私の知らない外国の絵本作家の原画展をやっていた。また、ターシャ・デューダーの絵本を集めたコーナーもあった。連休最終日の午後ということで、多くの人はすでに帰還の途にあるのだろう、美術館は私たち以外には客が2人しかおらず、私たちはゆっくりと原画や絵本の鑑賞ができた。普段は接することのできない画家の絵を見ること、特に原画を見ることは、なかなかいいものだと思った。一方、童話館には私たち以外の客は誰もおらず、館内の展示品や本を眺め、ほしい本を買おうと思ったが、館員の姿もない。諦めて車にもどったところで、童話館の女主人が出てきてくれた。昼まで客の応対に忙しく、それが終ったので2階で「ぼんやりしてしまった」としきりに謝った。

 この童話館は、切絵作家、童話作家である東君平氏(1940-1986)の100冊を超える本や原画などを集めた美術館で、夫人が館長である。私は、館の隅にある小さい6畳ほどのアトリエ風の部屋のことを夫人に尋ねた。すると、それは君平氏が生前に使っていた部屋を再現したものだと教えてくれた。そこに置いてある白い引出し机は、私の娘の部屋にあるものと酷似していたので、何となく親しみを感じた。君平氏はいくつもの机を使ったが、そのうちの1つだそうだ。私はそこで、君平氏の短い童話を集めた『ひとくち童話』と、氏のトレードマークである「くんぺいタヌキ」のぬいぐるみを買った。『ひとくち童話』の中に納められた作品には、短いものは10行以内、見開き2ページで終わってしまうものがいくつもある。それらを読んで、私は最近本欄に書いた「ぱすわあど」のことを思い出した。私のは少しこじつけがましい所があるが、君平氏の作品はきわめて自然で、スッキリしている。子ども用の作品は、こうでなければならないと感心した。
 
 山荘への帰途に目撃した1コマを、君平風に文章と絵にしてみた--
 
 道 路
 
 Catdog ねこが、どうろをわたろうとしました。
 はんたいがわに いぬがいて、
 ねこに ほえました。
 ねこはおどろいて、いぬをみましたが、
 いぬは、かいぬしの手につながれていました。
 そこでねこは、むねをはって
 どうどうと、どうろをわたりました。
 
 谷口 雅宣

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2008年5月 4日

半年ぶりに山へ

 半年ぶりに山梨県大泉町の山荘に来た。朝早く東京を出たおかげで約2時間で目的地に到着し、雪を頂いた甲斐駒ケ岳を遠方に眺めながら、朝食をとることができた。青い空のもと、野鳥の澄んだ声と若芽がいっぱいに吹いた森の木々に囲まれた場所は、文字通りの“別世界”である。標高1200メートルのこの地では、ヤマザクラ、ヤエザクラ、スイセン、セイヨウタンポポ、レンギョウなどが同時に咲いている。毎年、生長の家の組織の全国大会後にここへ来ているが、連休の前半に付近へ来た人々が山菜採りをするので、我々の山荘脇に生えているタラの木の若芽が切られていることが多い。昨年同時期(5月6日)の本欄には「タラノメは伸びていない」と書いてあるが、今年は暖かかったのだろう、ちょうど食べごろの大きさに伸びていて、人間の手が届く高さのものはほとんどすべて掻き取ってあった。

 シカももちろんタラノメを食べるが、彼らは芽といっしょに、芽の出る木の先端部を凸凹にかじり取るのに対し、人間は芽だけを指先で折って取るから、刃物で切ったような滑らかな白い切り口が残る。山荘周辺のタラの木は、ほとんどが人間の手で芽を掻き取られていた。それを見るとさすがにガッカリする。しかし、こんなふうにタラノメを採る人間の様子は、シカとあまり変わらないのだった。山荘の庭にはサクラ、ヤマボウシ、ライラック、ミツバツツジなどがあるが、どれもシカの背の高さまでの枝は、ことごとく新芽を失っている。中には、折られた枝が皮一枚で元の位置から垂れ下がっているものもあり、悲惨である。しかしそれでも、シカの背を上回る部分には新芽が生えて伸びており、蕾をつけているものもある。山荘脇のタラの木も、人間の手の届かないところでは成長し続けているから、“頭の黒いシカ”が取ったと考えればいいのかもしれない。私はそう思い直し朝食後、付近を妻と歩きながら、二人で3~4本のタラノメを収穫した。

 シイタケも収穫できた。これは予想外だった。山荘の北側の林の中には、シイタケのホダ木が10本ほど横倒しに組んであった。昨秋は、そこから出たシイタケはあまり多くなかった。春のシイタケは秋より数が少ないと思っていたから、今回の訪問でもさほどの収穫は期待していなかった。ところが、大小合わせて10個以上が傘を広げていた。ただし、出てから時間がたっているものが多く、半分以上は乾燥が進んで“乾しシイタケ”状になっていた。また、山荘の西側の斜面にも、周辺のクリの倒木を整理した時につくったホダ木が立てかけてあったが、その1本から10個以上が出ていた。こちらも乾燥が進んでいたが、食べるには問題がないので、ありがたく収穫した。
 
Kamadoma  動物についても書こう。1つはカマドウマだ。この虫が春に発生することは以前から分かっていた。また、管理会社からの事前の報告にも「各部屋共に、カマドウマが大量に発生しておりました」と書いてあったから、ある程度の数は予想していた。が、管理会社の人が掃除したはずだから、残っていても数十匹程度とたかをくくっていた。ところが、山荘に着いてまもなく、浴室を調べていた妻が声を上げて私を呼んだ。「すごい数よ」というのである。行ってみると、水のない湯船の底に、長さ30センチ以上もある楕円形の黒い塊があって、それがカマドウマの死骸が集まったもののようだった(=写真)。で、死骸ならば捨てればいいと思い、手を伸ばそうとした。すると、妻がそれを引きとめて、「それ、みんな生きているのよ」と言う。ウソだろうと思いながらよく見ると、確かに虫たちは生きていて、互いに絡み合っているのだった。何のためか、私には分からない。

 自然界には人間にとって美しいものだけでなく、不気味なものもあることがよく分かった。
 
 谷口 雅宣

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2008年5月 3日

青年会全国大会終わる

 生長の家の4組織の全国大会の最後を締めくくる「生長の家青年会全国大会」が、午前10時から東京・調布市の生長の家本部練成道場で行われた。前日の相・栄合同全国大会と同じ会場だったが、若者のライフスタイルを考慮してか、同道場の大道場の畳の上にシートを被せ、パイプ椅子を置いての開催だった。畳に座るよりも当然、会場の収容人員は減少する。が、驚いたことに、最終報告による入場者数は1,520人で、畳のままだった前日の入場者数を5人上回ってしまった。田中道浩会長によると、青年会中央部でもこれほどの入場者予想していなかったため、入場者に渡す当日のプログラムが足りなくなってしまったそうだ。青年以外の入場者も相当数いたようであるが、こんな話は過去に聞いたことがない。60回目の記念すべき大会にふさわしい“うれしい誤算”ではないだろうか。

「第60回」の大会ということで、青年会運動の歴史を振り返る企画(映画上映)もあり、興味深く拝見した。また、かつて本欄で発表した「釈迦と悪魔」という対話形式の私の文章をもとにした寸劇が上演されたのも、面白かった。作者としては、細部で注文をつけたいところもあったが、全体としては私の意図を十分に表現していただけたので、ありがたく、懐かしい思いで鑑賞した。体験談の発表にも多様なものがあり、さらに詳しく知りたいと思った。

 さて、私の講話であるが、前2回の講話の内容と基本的には変わらないはずだったが、話し手は聴き手からの影響をやはり強く受ける、と感じた。講話中、私は何回も予定外の話をしている自分に気がついたのである。そんなわけで、結論部分が他の大会のそれから少しブレていたのではないか、とも思う。まあ、講話は“生き物”だから、それでいいのかもしれない。

 本大会に全国から参加してくださった青年諸君、また大会を準備し支えてくださった実行委員各員、そして練成道場の役職員皆さん、どうもありがとうございました。
 
 谷口 雅宣

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2008年5月 2日

相愛会・栄える会合同全国大会終わる

 昨日の白鳩会全国大会に続き、今日は「生長の家相愛会・栄える会合同全国大会」が行われた。会場は、大宮から東京・調布市の生長の家本部練成道場に移動して、午前10時から午後3時半まで行われた。白鳩大会が参加者を幹部に限定して行われたのと同様に、本大会でも“炭素ゼロ”を意識して参加対象者は役職者に絞られた。そのため、参加者数は最終報告で相愛会が1,161人、栄える会が354人の計1,515人となった。それでも、参加者全員が大道場には入れないため、同道場では食堂を含めた各部屋にも席を設けるなどの工夫をしてくださった。本部の実行委員はもちろん、佐野一郎総務を初めとした同道場の役職員の方々の御協力に感謝いたします。

 私は、前日と同様に、午後の最初の1時間の講話を担当した。その直前に、各教区対抗の「笑いの大会」という行事が行われたため、会場の雰囲気が柔らかく和んでいたのがありがたかった。私の講話は、ほとんどの参加者が男性であることを考え、論理的な側面を重視してすすめた。制限時間を5分ほどオーバーしてしまったが、予定していた内容の8割ぐらいは話せたのではないかと思っている。

 ひと言だけ感想を述べれば、体験談の内容に多様性と意外性があり、幹部対象の大会にふさわしいと思った。ただ、1人の発表時間が短かったので、体験の“全貌”をもっと知りたいという思いが残った。この点は、後日、機関誌等の場でフォローしていただけるとありがたい。
 
 参加者、発表者、運営委員の皆さん、ご苦労さまでした。
 
 谷口 雅宣
 
 

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2008年5月 1日

白鳩会全国大会終わる

 今日は、大宮駅前の大宮ソニックシティホールと京都府宇治市の生長の家宇治別格本山を会場として、創立73年の「生長の家白鳩会全国大会」が行われた。従来は、東京の日本武道館に全国から会員を集めて行われていたが、今年からは“炭素ゼロ”運動の一環として、参加対象者を支部長以上の白鳩会幹部に限定して、東西2会場での分散開催になった。また、同じ目的で、全国で行われている中規模の集会を減らすかわりに、第一線の組織での活動を活性化させることを目指して、同大会には“魅力ある誌友会”と“質の高い運動”の実現に焦点を絞った企画が盛り込まれた。大宮会場(2,432人)と宇治会場(3,077人)の合計で5,509人もの参加者があった。

 私は、午後のプログラムを1時間の講話で埋める役であったが、前半をゆっくりと滑りだしたために、後半で時間が足りなくなり、結論部分を大急ぎでまとめなければならなくなった。だから、受講者の方々には不満が残ったかもしれない。
 
 本大会を成功に導くために、全国から参加してくださった方々、また送り出してくださった方々、各会場で運営に尽力された方々、それらの人々をサポートして下さった東京本部と宇治別格本山の役職員の皆さまに、この場を借りて心から御礼申し上げます。
 
 とりあえずは、感謝とご報告まで。
 
 谷口 雅宣

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2008年4月17日

原宿のタケノコ

 タケノコがおいしい季節である。このところの長雨のおかげで、わが家の庭の孟宗竹林からも三角形の黒い頭がニョキニョキと出て、日ごとに成長している。というわけで、休日を利用してタケノコ掘りをした。食べる分だけ採るのが原則だが、時に2つ並んで頭を出したり、とんでもない場所に出たタケノコは、掘られることになる。タケノコは、今年出た所から地下茎が伸びて来年新しく出るから、どのタケノコを掘るかは、竹林の全体の形を考えながら決めなければならない。面倒臭そうに聞こえるかもしれないが、クイズを解くつもりでやれば面白いものである。あの柔らかい口当りを保つために、掘ったタケノコはすぐに煮るのが原則。だから流れ作業のように、私が掘り、妻が料理した。
 
 小説『秘境』を書いたとき、取材のために山形県の鶴岡に何度か行ったが、そこでタケノコ料理の絶品とも言える「孟宗汁」に出会った。酒粕と味噌で味付けをした煮物で、「汁」とは呼ぶが水分はそう多くないから「煮つけ」に似ている。妻に所望して、採りたてのタケノコの「孟宗汁」をいただいた。山形県は孟宗竹の北限と言われているが、そこで生えるタケノコはアクがなく、刺身にできるそうだ。しかし、東京産の場合はアク抜きをした。その点、“本物”の孟宗汁とは違うかもしれない。

 谷口 雅宣

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2008年4月11日

街角の花

Mtimg080411_2

 昨日(10日)、原宿の裏通りの坂を下りながら撮った写真をもとにして、スケッチを描いた。私に「街角の花の数がふえている」と言わせた花たちを、自分の手と目できちんと記録しておきたかった。レンガを組み上げた門柱と、染みや汚れであちこちが黒ずんだコンクリートの壁と、色とりどりの可憐なパンジーの柔らかさを対照させた。門柱に縦長の表札のようなものが見えるが、ここに刻印してあった住所表示は省略した。すると、この部分が十字架のように見えてくる。西洋の墓石には十字架が多い--春は、死んだように見えた自然が、たくましく生命力を発揮する。そんなイメージを表現したかった。

 谷口 雅宣

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2008年4月10日

雨にぬれても

 休日の木曜日のまる1日が雨だった。この時期の長雨は菜種梅雨(なたねづゆ)といい、春雨や春の雨とは区別する。今日などは気温も下がり、薄着の若者が手を組み肩をすぼめて、交差点で信号待ちしている姿が目立った。しかし、ナタネの花を思わせるその語感どおり、どこか明るさが感じられる日だ。午後から原宿の街に出て、その理由がわかった。街のあちこちに飾られた花の数が増えているのである。人々の服装で、明るい色のものが増えている。そして、新入社員然とした若い男女が、目を輝かせて歩いている。街全Mtimg080410体が、新しいものの始まりの予兆に満ちていた。冷たい雨が降り続いている中にも、こんな明るさが街にみなぎっている理由は、やはり「春」の力を除いては考えられない。

 妻と2人で明治通りから青山通りへ通じる路地を上り、通称“ロハス通り”へ出る。ここは自然食志向の店が多い路で、その一画でやや遅い昼食をした。帰路は下り坂で、妻は原稿を書き終えた気軽さで歩を進め、私は休日の緩い気分でゆっくりと歩きながら、目に映る印象的な街の小景をデジカメに収めていった。雨のおかげで、外を歩く人の数がいつもより少ないのもいい。知らぬ間に妻との距離が開くが、彼女は寛大に歩を緩めて私を待っていてくれた。傘を差しながらの撮影だったから、コートの右肩が雨でぬれているのに気づかなかった。
 
 ゆるゆると町坂下る菜種梅雨
 
 雨の中でのスケッチは難しいので、帰宅後、妻が庭から取って挿してあったノースポール(白)とムルチコーレ(黄)を描いた。絵にナタネ色を使いたかった。
 

 谷口 雅宣

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2008年4月 5日

ハニートースト

 生長の家の講習会のため京都府福知山市に飛んだ。といっても、実際に空を飛んだのは羽田から大阪の伊丹空港までで、そこから自動車で約80分走って福知山市に入った。道中、自動車専用道路の両脇を、時々ボーッと明るい白桃色のものが高速で前から後ろへ移動する。その華やかな明るさは--満開の花をつけたサクラの木だ。自動車の騒音防止か目隠しのためか、道路の両脇には結構高い塀が続いていて、その上から覗いた花しか見ることができない。残念は残念だが、その分、到着地での花見の期待が膨らんだ。
 
Fukuchiyamcherry  宿舎である「ホテル・ロヤルヒル福知山」に着いてから、妻と2人で早速散歩に出た。近所のサクラを眺めながら、前回来たときに寄ったパン屋兼レストランへ行くためである。2006年4月1日の本欄にその時のことを書いたが、おいしい自家製パンをいただいて英気を養おうというわけだ。「プロバンス」というその店は、前回のとき同様にはやっていた。客がひっきりなしに車で来る。パンを買っていく者もいれば、店で食べる人、あるいはパン以外のものを注文する人もいる。我々は「となりのトトロ」の形をした菓子パンを1つ買い、コーヒーと紅茶を注文して店内で憩いのひと時を過ごした。

Totorobread  そんな2人の近くに、若い女性2人が席をとった。やや時間がたってから注文の品が来た。テーブルに置かれたそれを見て、我々は首をひねった。見たこともないような組み合わせだったからだ。切り口を上にしたパン半斤とサラダ、蜂蜜のようなものを入れたガラス器、それにソフトクリームの入ったグラスである。これが1人分だ。2人とも同じものを注文して、半斤のパンの内側にスプーンを突き立てては、さもおいしそうに食べ始めた。「これはいったい何だ?」と思ってメニューを確かめると、添付された写真から判断してどうも「ハニートースト」という品物らしい。この店の人気商品だそうだ。半斤のパンは全体がトーストされていて、“皮”から“中身”をくり抜いたように包丁で切り分けてあるらしい。客はその“皮”の内側に蜂蜜(あるいはメープルシロップ?)をかけ、さらにソフトクリームを載せてスプーンで食べる。すると、温かいパリパリのトーストと冷たいクリームの組み合わさった不思議な美味を体験できる--そんな仕組みのようだった。

 実際には食べていないので、確かなことは言えない。が、妻と2人で観察した結果、そういう結論に落ち着いた。次回来たときにはぜひ……と思いながら、我々はつかの間のひと時にけりをつけ、席を立った。店の窓からは、畑の脇に勢いよく伸びている菜の花の黄色が鮮やかに見えた。
 
 菜花見て楽しきパンの旅路かな
 
 谷口 雅宣

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2008年3月27日

幸せなひととき

 桜の開花宣言が出てしばらくたった休日ということで、横浜まで夫婦で足を延ばHanam03271した。花 見に期待していたことは言うまでもないが、主目的は5月初めの生長の家の組織の全国大会を期して出される単行本の校正や原稿書きだった。「旅先で校正する」と言うと奇妙に聞こえるかもしれないが、要するに“缶詰状態”に自分を置くためだ。自宅での休日はどうしても気が緩むし、周囲にいろいろのものがあるので誘惑が多いのである。「これさえ終えれば、後は花見!」と思いながら、周囲に何もないところで神経を集中する……ということで、とにかく形を整えるところまで仕事を終え、人々に混じってほんの少しだけ花見ができた。ありがたいことである。
 
 横浜港の大桟橋には、ちょうど上海から豪華客船の「飛鳥Ⅱ」(5万0142t)が入港したところだった。昼前には、これに「にっぽん丸」(2万1903t)も加わって、見物客もかなり出て、大桟橋周辺は華やかな雰囲気になっていた。が、私たちは、そういう混雑から少し距離をおいて、山手の丘の上へのぼり「港の見える丘公園」付近で午後の数時間を過ごした。私は、そHanam03272 の公園に日時計があるのを覚えていて、ついでに写真を撮りたいと思っていた。生長の家の講習会で「日時計主義」の話をする際に、実物の写真を見せるのが効果的と考え、これまでは十勝の帯広中央公園にある日時計の写真を使っていたが、そろそろ別のものに変えたいと感じていたのだ。

 公園にも、平日にしては多くの人々がいたが、大桟橋付近のように「列をつくる」ほどのHanam03273 人出ではなかったので、ゆっくりと写真が撮れた。まだ五分咲き程度のものがある一方で、満開のサクラが何本もあった。そういう木の周囲はほの白くなっているので、遠くからでも分かる。近づいていくと、必ずといっていいほど、高級な一眼レフ式のデジタルカメラを提げた中高年の人(男も女も)がいて、熱い目で満開のサクラを眺めているのだった。公園の外れに近代文学館があるが、その付近のサクラが何本も見ごろを迎えていたので、私も“中高年”の一員としてデジカメを構えて何枚か写真を撮った。そのあと妻と2人で、公園内の「山手111番館」という市が管理する木造の洋館へ入り、コーヒーとハーブティーを飲みながらケーキをつついた。幸せなひとときであった。

 旅に出て桜ケーキで花見かな
 
 谷口 雅宣
 

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2008年3月23日

素鳳館の人形

 生長の家の講習会で鳥取県米子市に来ているが、前日の夕方、2年半ぶりに市内を歩いてみた。宿舎のホテルの近くに米子市役所があるが、その敷地に隣接して建っていた「素鳳館」という木造の建物の跡地がどうなっているのか、気になっていた。この建物は、かつて講習会で来たときにスケッチをし、その絵が絵葉書にもなったのだが、前回ここを訪れた際、ブルドーザーによって取り壊されているのを目撃して驚いた。歴史的建造物はできるだけ残しておいてほしいのだが、この木造の館は、米子市にとってはそれほど重要な建物ではなかったのかと、寂しく思ったものだ。で、今回、その場へ行った私を迎えてくれたものは、駐車場を完備した吉野家の牛丼店だった。

 これと類似した現象は、米子市の各所で見られた。東京や大阪でもよく見かけるブランド店や大企業の看板が増え、特徴的な町並みが消えていく。旧く個性あるものが廃れ、新しい没個性的なものが栄える。これを文明の進歩と考えるわけにはいかない。そんな中で、前回ここを訪れた際に立ち寄ったコーヒー専門店があるのを見つけ、妻と私は喜んでそこでひと時を過ごしたのである。
 
 講習会終了後、市内の皆生(かいけ)温泉にある「素鳳ふるさと館」という所へ立ち寄った。「素鳳」の名に惹かれたからである。そこで知ったのは、「素鳳」とは、ある個人の雅号であるということだ。この個人とは、書道家の坂口真佐子氏(1908年~1997年)で、この人が長年にわたって収集してきた雛人形、御所人形、衣装人形などのコレクションを展示するために昭和43年に造ったのが「素鳳館」だった。「素鳳ふるさと館」には、素鳳館に収められていた伝統的人形コレクションが展示されていた。それと同時に、今はなき素鳳館のちょうど向い側に位置する米子市立山陰歴史館でも「素鳳展--春をつげるお人形たち」と題して、雛祭りの季節にちなんだ人形展が行われていた。素鳳館のコレクションは、日本人形のほか西洋人形、江戸時代からの絣・更紗、装身具、調度品など約2000点にも上るという。
 
 私は、雛人形にはあまり興味をもっていなかったが、今回、江戸時代からの雛人形の変遷を眺めてみて、近代以降の日本人の、女の子に対する思い入れの深さをしみじみと感じた。日本の文化は“男尊女卑”などという単純な言葉では表現できないと思った。雛人形の表情は多様で生き生きとしており、着衣は贅を極めているだけでなく、女子が他家へ嫁いでいく時に持参する家具や調度品を模した、精巧なミニチュアが数多く、展示品には添えられていた。それは、現代の人形に添えられるプラスチック製のミニチュア家具などとは違い、本物と同じ工程を経て作られるミニチュアの陶器や漆塗りの調度品なのである。それらはもちろん、一般の市民が持てるものではないが、女子に対する心遣いが上流階級と一般市民とでそれほど違うとも思えない。そういう文化が、現代の雛人形にも継承されているのだと知った。
 
 ところで、我が家にも娘のために買った雛人形がある。何段にもなる大袈裟なものではなく、男女の内裏雛だけのものだ。娘はすでに家を出て自活しているが、妻は今年も3月3日を前にしてそれを部屋に飾り、子供たちを呼んで食事会を催した。江戸時代と比べ生活習慣も住宅事情も相当変わり、他家へ嫁ぐ娘に持たせるという昔の習慣はなくなったが、心遣いは共通していると思う。人形の文化は女性が継承するものなのだ、と感じた。
 
 谷口 雅宣
 

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2008年3月 9日

ザゼンソウを眺める

 大阪城ホールで行われた生長の家講習会には、2万5千人を超える大勢の受講者が参集してくださり、盛大ながら、和やかな雰囲気のもとに行われた。主催する側の実行委員の数だけでも800人を上回るという規模だから、この半年間、推進のために努力して下さった人々は想像を超える数に上るだろう。この場を借りて、皆様の絶大なるご支援、ご協力、そして揺るぎない信仰に深く、厚く感謝申し上げます。前回に比べて千五百人以上も多くの方々が来てくださったのも、驚異的である。天候も穏やかで、大阪城公園の梅林の花々もまさに見ごろであり、誠にありがたい1日だったと思う。

 午前の講話を終り、大阪教区の最高幹部の方々との会食会場へ入ったとき、部屋の中 央に豪華な春の花々が飾られていた。と、その中心部に何か黒い、動物の頭のようなものが見えた。注意して見ると、それはザゼンソウだった。この植物の花序は大きな苞形をしていて、仏像の光背にも似ている。ミズバショウの花序は白色だが、ザゼンソウは赤黒い。会食を終えて控室で休憩をしたが、ここにもザゼンソウが飾られていた。その色と形を眺めていると、何かしなければ……という気持になったので、ペンでスケッチをMtimg080309始めた。
 
 人が一念発心し、長期にわたって何事かを成し遂げんと歩みゆく姿は、祈りに似ている。それは「動」の中にあって不動の「静」を感じさせるものだ。派手な動きは目立つものだから、色に喩えれば黄、赤、白のような明るい色になる。が、動中の静は、そんな派手な色の陰に、影のごとく寄り添う深い色--濃紺、藍、セピア、チャコール・グレー、そして黒だろう。花は本来、昆虫を呼び寄せるために目立つ色、明るい色を天に向けるものだ。が、ごく稀に、深く、濃い色で咲くものがある。ザゼンソウは、そんな稀有な花の1つと言える。赤黒く錆びた鉄のような、それでいて、形はキューピーの頭の毛を思わせるユーモラスな花序が、じっと横を向いている。参禅中の僧の姿からこの名があるのだろうが、僧の頭というよりは、幼な児のそれを思わせる。
 
 幼い時から変わらぬ志をもち続けた魂が、幾多の人生経験を積みながらも同じ志を保持してきたならば、その志は鉄に化してこんな姿になるかもしれない……ザゼンソウを眺めながら、こんな想念が心中を流れた。

 谷口 雅宣
 

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2008年3月 8日

食品の値段はまだ上がる

 立て込んでいた仕事が一段落したので、本欄に向かうことができた。5月初めの生長の家の運動組織の全国大会を期して単行本を上梓させていただく予定で、その準備でしばらく根を詰めていたため「小閑」を見出す余裕がなかった。最後は、木曜日のほぼ1日を原稿書きに使い、金曜日の深夜までかけて仕上げた原稿をメールで送信して、やっと一息つけた。ありがたいことだ。
 
 今日は、生長の家の講習会のために大阪へ出発。昼過ぎに発つ新幹線に乗るために早めに東京駅へ着き、妻と2人で“キッチン・ストリート”に向かった。和食か中華を念頭においていたが、油の臭いに遭遇したため、うどん屋に入ることを決めた。近ごろは、昼食に脂っこいものをあまり食べたくない。妻も同じだ。「すぎのこ」という店に入り、妻は日替わりセット、私はゴマだれ薬味うどんを注文した。二人でうどんを食べながら、私は前回ここで食べた時よりうどんの量が少ないかなぁ……などと思った。気のせいかもしれない。しかし、それを口に出しても、妻は否定しなかったので、続けてこう言った--「小麦の値段がずいぶん上がっているからね」。
 
 ちょうど今日の『日本経済新聞』に「小麦粉1~2割値上げ」という見出しの記事が載っている。製粉大手3社が4月下旬から業務用の小麦粉を1~2割値上げするそうだ。理由は、政府が引き渡し価格を4月から3割も上げるからだ。業務用小麦粉は、昨年5月に24年ぶりに値上げされ、それ以降これが3回目となり、上げ幅は最大だという。これによって、小麦を使った製品--パン、麺類、菓子など--のさらなる値上げはほぼ確実である。『日経』は、「昨年来の食品値上げは第2波を迎え、一段と家計を圧迫する」と書いている。
 
 本欄でもしばしば書いてきたように、昨年来の食糧の値上がりは“地球温暖化”と大いに関係している。気候変動による干ばつや洪水が続き、世界の食糧の在庫が減少している。そこへもってきて温暖化抑制策として、アメリカなどがバイエタノールの大増産を進めている。これによって、世界最大の穀倉地帯であるアメリカで生産されるトウモロコシがどんどんエタノールに変わる。これが大いに利益を生むので、アメリカの農家は小麦の生産を減らしてトウモロコシを増産している。この中で、石油の生産量が頭打ちである。つい先日も、OPECが生産量の据え置きを決めた。そして、ドルベースでの石油の値段はどんどん上がっている。
 
 私は読者に、世界の石油の生産量がこれ以上増えないという“石油ピーク”がすでに来ていると考えることをお勧めする。これは、私がプロ並みの情報を集めて、専門的に分析した結果、そう結論するにいたった、というのではない。私は宗教家だから、そんなことはしない。では、“神のお告げ”かというと、もちろん違う。私が“石油ピーク説”をお勧めするのは、それが今年来なくても、近々来ることは大いに考えられ、また来なかったとしても、温暖化抑制のためには“脱石油”が喫緊に必要だからだ。もう“石油ピーク”が来たと結論して、世界各国が「これ以上のエネルギーは石油等の化石燃料から得るのはやめる」という合意に達すべきだと考えるからだ。が、近い将来、世界中がこの合意に達することはないだろうから、合意できる我々一人ひとりが、“脱石油”の行動を起こし始めるのがいい。いっぺんに“脱石油”はできないから、少しずつ、できるところから、である。
 
 そういう意味では、石油の高騰はありがたいと言える。おかげでガソリンの消費量が減っており、自動車の燃費は向上している。人類は、化石燃料を基礎とした“炭素文明”から脱しようとしているのだから、炭素ベースの古い産業が衰退するのは仕方がない。その代りに新しい“水素産業”をどんどん育てるべきである。この切り替えができないと、日本経済は相当困難な状況になると思う。今の政府の考えを推測すると、政治資金を多く提供してくれる炭素ベースの産業自体に、水素ベースの技術を導入させるか、利用させるつもりだ。これにより、資金供給を継続させながら産業構造を変えようとしている--そんな気がする。しかしこれでは、一つの産業内部で利益相反行為をさせることになり、切り替えは難しく、できてもスピードは遅い。欧米との競争に負ける気がする。

 まぁ、放言はこのくらいにして、筆を収めよう。食品の値上がりにも“光明面”はあるのだが、その話は別の機会にする。
 
 谷口 雅宣

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2008年2月26日

自然と人間 (3)

 2月9日13日に引き続き、“森の中のオフィス”との関連で東京近郊の土地を見に行った。1回目は「山の中」で2回目は「海の見える高台」だったが、今回は「新興住宅地にある里山」という雰囲気の場所だった。普通、首都圏の新興住宅地に“里山”はあまり残っていない。が、ここは昔からの住人が土地を手放さずにいて、“開発の波”に懸命に抵抗している--そんな印象を受けた。交通の便という点では3カ所のうち最も有利だが、その代わり土地の値段は恐らく最高だろう。

 前回の視察について触れたとき、私はこんな公案をもらったと書いた--「人間は自然に近づきすぎると、社会から離れることになるのか。自然と人間は相容れないのか?」 人間社会と自然との距離を考えると、今回の土地は「人間社会がこれ以上近づけば破壊される」というギリギリの所にあると思った。いや、もっと正確に言えば、そこではすでに人間社会による自然破壊が進んでいるが、それを自覚した人間が自然の維持に努力している場所である。市民農園が点在し、下草刈りがしてある林にはシイタケのホダ木が並んでいる。だから、周辺の住民がこの地を愛していることは分かる。が、人間による開発が行われるは、時間の問題のような気がする。それだけ、付近には住宅が迫っているのである。

 この地にもし“森の中のオフィス”ができるとしたら、その目的の中には、20日の本欄で書いたことが含まれるような気がする。それは、「都会の中に“本来の自然”の活動を盛り上げる空間を拡げていくこと」である。この地はもちろん、東京の赤坂や原宿のようないわゆる“都心”ではない。しかし、そこでは都会とほとんど変わらない生活が営まれている--建売り住宅、高層マンション、駅前スーパー、コンビニ店、ファーストフード店、ファミリー・レストラン、そして自動車専用道路も近い。こんな場所に“森”が残っていること自体が驚きだが、逆に言えば、こんな地に森を残すことによるメッセージ効果は小さくないだろう。人々の欲望に奉仕するのではなく、自然の力の展開に奉仕し、同時に、国際運動の本拠地としての役割を果たしていく--それができれば、地球温暖化時代の人間の生き方に、何がしかの示唆を与えることができるのではないか。
 
 ここまで書いてきたことは、楽観的観測だ。悲観的観測をやれば、こうなる--「都会の中に“本来の自然”の活動を盛り上げる空間を拡げる」と書いたが、これは例えば、明治神宮や新宿御苑のことでもある。しかし、そういう空間があるからと言って、都市化や自動車社会や“欲望の街”の進行が妨げられたという証拠は明らかでない。都会の環境では、むしろそういう“緑地”があるところへ人々は引き寄せられるから、周辺にはマンションが建ち、レストランが開店し、大型店が集まるかもしれない。それは例えば、大手スーパーが都市の郊外に巨大なショッピングセンターを開発して、同時に緑地を設けるのとどこが違うのか? 宗教施設だから、ショッピングセンターのような「集客」は目的ではないとしても、人々が集まれば地価は上がり、家賃も駐車場代も物価も上がる。それは結局のところ、温暖化抑制にはならず、温暖化の促進ではないか?

 もう1つの問題点は、交通の便がいい場所に“森の中のオフィス”を造っても、本部職員の日常生活は何も変わらないということだ。昼間は“森”で働き、夜は都会のアパートや寮に帰る。休日も都会の中で過ごし、移動も相変わらず自動車で行う。食事もこれまで同様に、カーボン・フットプリントが顕著な輸入食品、冷凍食品を使い、あるいはファミレスやコンビニの世話になる。これでは昼間の一時期に“都会の中の森”にいるだけで、周囲の社会--欲望の街--に及ぼす影響はほとんどない。単に維持費の高い「自然」という名の施設を余分に使うだけだから、「聖使命会費のムダ使いだ」との批判が出ないとは断言できない。
 
 まぁ、いろいろなことが考えられる。今後は、とにかくこの3つの候補地を足掛かりにし、それぞれで何をどう調整すれば、“森の中のオフィス”の本来の目的が最も効果的に達成されるかを検討する段階に入る。
 
 谷口 雅宣

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2008年2月24日

春一番で南国へ飛ぶ

 24日、宮崎市と日向市の2会場で行われた生長の家講習会は、好天に恵まれ、比較的温かな日差しの下で大勢の受講者に参加していただけたことは、誠にありがたかった。長谷川暢彦・教化部長の報告によれば、受講者の総数は3,013人で、2年前の前回より7人増えたことになる。長谷川教化部長を初め、昨秋、新たに選ばれた教区各組織の役員、県内各地の幹部・会員の方々の努力が、このような形で実ったことは実に喜ばしい。

 宮崎県はこのような好天だったが、日本列島の各地では前日の23日から荒れ模様で、降雪や強風の被害が出たそうだ。気象庁の発表では、平年よりやや遅れてこの23日に「春一番」が吹いたという。時間的にも、台風並みの強風が吹いたのが午後の早い時間だったというから、ちょうど私が羽田から宮崎行の全日空3755便に乗っていた時期に“春の嵐”が吹いていたことになる。新聞報道によると、この日に記録された最大瞬間風速は、福島県の白河で34.0m、東京・大手町で26.4mなど、各地で2月に吹いた風としては観測史上最強を記録したという。
 
 この便で、少しハプニングがあった。予定の出発時刻は12時40分だったが、吹雪の影響で千歳空港を中心に欠航が相次いだことから、その頃の羽田空港はダイヤが大きく乱れていた。そして、強風が収まるのを待って離陸しようとする航空機が、滑走路の手前で長い列を作っていた。それでも我々の便は定刻通りにゲートを出、滑走路の手前の3番目ぐらいの位置まで順調に走ってきた。さあ、いよいよ離陸だと身構えていたところで突然、機長から「管制塔の指示で離陸の順番を変更します」というアナウンスがあり、我々の搭乗機は右へ大きく進路を変えて、待機している航空機の列の後方へ回ったのである。

「どうして?」という疑問に、答えてくれる人はいなかった。永年、客室乗務員をしていた私の妻に聞いても、「こんな経験は初めて」だという。「出発が全体に遅れているから、出発の予定時刻が早い便から出発させるのかもしれない」などと、妻は分析した。しかし、一度列についたものの中から1機だけ引き抜いて、後ろへ回れというのは、いかにも乱暴な処置のように感じた。そのうちもっと説明があるだろうと思いながら、私は手提げ鞄から文庫本を取り出して読み始めたが、結局、この件についての説明はなく、羽田からの離陸の時間は約1時間遅れたのである。
 
 この便は、離陸時にも着陸時にもけっこう揺れた。しかし、満席の機内に座る乗客たちは皆、静かに息をひそめて、文句一つ言わないのである。通勤列車でウンウン唸りながらも、ひたすら耐える状況とよく似ている。私は「日本人は何と我慢強いのだろう」と改めて感心したのだった。
 
 そんなことはあったが、宮崎空港へ降り立って温暖な空気に触れ、ヤシの木の並木や、抜けるような青空を見ていると、気分は“南国”になるものだ。翌日、講習会のメイン会場となった宮崎県立芸術劇場では、約1800のゆったりした椅子席が並ぶコンサートホールで講話をしたが、照明がやや暗かったことを除けば、静かに、落ち着いた雰囲気の中で、よい講習会がもてたと思う。教区の皆さん、ありがとうございました。
 
谷口 雅宣

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2008年2月20日

“欲望の街”と“霊的緑地”

 15日の本欄で、赤坂の末一稲荷神社境内の様子を書いた際、「都会の中に“本来の自然”の活動を盛り上げる空間を拡げていくこと」の意味について触れた。それを端的に言えば、わが郷土、わが街を“欲望の街”に変えていこうとする圧倒的な流れに対して「No」と言うことだと思う。あの赤坂の地には昨年、東京ミッドタウンが出現して地価がグンと上がった。集客力の大きい施設が近くにできれば当然、駐車場の需要も増加する。だから少しでも空いた土地があれば、時間貸し駐車場を設置して利益の増大を図ろうとする動きもある。

 しかし、長い目で見た場合、それにどれだけの価値があるだろうか。これによって駐車場を経営する会社の利益は上がり、役員や社員の可処分所得が増える。そうすれば、彼らは街に繰り出すから、周辺の商店の利益も増えるかもしれない。また、それらの商店は改装や改築をしてさらに客を増やそうとする。こうして、六本木・赤坂の古い建物はまた取り壊され、街並みは変わり、さらに客数が増す。これが“経済発展”の黄金律だ。今、中国大陸で起こっていることと、このこととの本質的違いはない。人々の欲望を引き出し、満足させることで、自然も歴史も破壊されていく。

 そんな中に、早春にフキノトウが顔を出し、春にはタケノコが伸び、菜の花が咲き乱れ、夏にはスモモやブルーベリー、秋にはクリが実る土地があったとする。欲望に奉仕するのではなく、自然の力の展開に奉仕する土地である。人々に宗教的なメッセージを伝えるのは、どちらの土地の使い方だろうか。温暖化の方向へ突き進む地球社会に対して「再考」を促す説得力をもつのは、どちらの土地の使い方だろうか。それとも、都会の中にあって、こんな考えをもつ人は“絶滅危惧種”に過ぎないのか。
 
 大都市圏にある「生産緑地」が減り続けていることを、18日の『朝日新聞』夕刊が伝えている。生産緑地とは、都市部の緑地を守るために、一定の広さ以上の土地を一定の条件で農産物生産に使う代わりに、固定資産税を軽減してもらえるものだ。この生産緑地が最も広かったのは1995年度で、3大都市圏で1万5576haだった。それが、2000年度には1万5316haになり、2005年度には1万4652haへと減った。10年間で6%の減少であり、面積にすると東京ドーム198個分狭くなったことになる。主な理由は、相続人が相続税支払いの必要に迫られ、生産緑地の指定を解除して業者に売却したからという。この制度の原則としては、自治体が買い取ることになっているらしいが、面積が狭く公共目的に不適ということで、ほとんど買い取られていないという。

 宗教は公益法人なのだから、緑地保全の面で公益に資することができるならば、そうすべきではないだろうか。都市部の神社や仏閣では、境内に駐車場やマンションを建設して、本業の収入減を補おうとする動きがあるようだが、何か本末転倒な気がするのである。大都市がたとい“欲望の街”であっても、その中にありながら人々の神性・仏性を目覚めさせるような、自然豊かな“霊的緑地”を蘇らせる方策はないものだろうか。それが古来からの宗教施設の役割だったと思うのだが……。

 谷口 雅宣

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2008年2月19日

原宿は欲望の街?

 ノンフィクション作家の工藤美代子さんが、2月17日付の『日本経済新聞』に書いている「原宿はらはら」というエッセーを読んで、手で膝をハッシと叩きたい気分になった。まさに「我が意を得たり」の文章なのだ。私は、工藤さんが原宿に住んでいたことは妻から聞いていて、散歩のついでに二人でお家の前まで行きかけたこともある。が、工藤さんは、6歳の頃から半世紀ものあいだ原宿に住んでいたのに、一昨年の夏、ついにこの地に「別れを告げた」というのである。その理由は、普通の商店がなくなり、高級ブランド・ショップばかりが建ち並び、「乱暴な言葉遣いに濃いメーク、そして高価なブランド物と携帯電話で武装した少女たち」が跋扈するようになったため、「いくら愛着があり、思い出がたくさんつまっている街でも、これ以上住み続けるのが辛くなってしまったのである」と書いている。
 
 そして、次の言葉が私の胸を打った--

「今の原宿は欲望の街と化している。人間のあらゆる欲望が、あの街に集約されているように私には見える」。

 私は昨年2月1日の本欄で、原宿の表参道のことを密かに「ヴァニティー・ストリート」(虚栄通り)と呼んでいることを書いたが、工藤さんは、この街全体を「欲望の街」と名づけて別れを告げてしまった。そう言われれば、この街を動かしている原動力は「欲望」に違いない、と私も思う。しかし、「それだけではない!」と私は叫びたい。谷口雅春先生ご夫妻が人類救済の拠点を建てられ、自らも永年生活された地だ。今も生長の家の国際本部がここで機能し、明治神宮の深い森は訪れる多くの人々の心を慰めている。生長の家に隣接して東郷神社もあり、歴史のある長泉寺や穏田神社もある。キリスト教では原宿ユニオン教会やクリスチャン・サイエンス教会、また天理教の教会もある。が、確かに、この街では、新しく生まれるものよりも、壊されて失われるものの方が、価値が大きいと感じられるのである。

 しかし、私は新しいものにも価値があるに違いないと思いながら、「新旧相い並ぶ混沌とした街の中で、私の心に残る、あるいは現在印象を刻みつつある風景を記録しておく」(上記本欄)ことを始めた。が、この作業は未完である。「あそこも描きたい」「ここもスケッチしたい」と思いながら、忙しさに紛れて日を過すうちに、いざスケッチブック持参で行ってみると風景が変わってしまっている。そんなことも十分あり得る。杞憂であってほしいと思う。
 
谷口 雅宣

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2008年2月17日

“炭素ゼロ”で長崎へ

 京都市での生長の家講習会を終え、東京へ向う新幹線の車中でこの文章を書いている。今日の京都は寒く、午後から雪が吹雪いたそうだ。「そうだ」と書いたのは、私自身は講話をしていて戸外がどうなっているか全く知らなかったからだ。第一、朝ホテルを出て、会場である京都府総合見本市会館(パルスプラザ)へ向かった時には、気持よく澄んだ青空が出ていたから「よい天気になりましたね」と当地の長村省三・教化部長に挨拶をしたのだ。だから、吹雪になるなど予想もしていなかった。が、中途からのそんな悪天候にもかかわらず、9千人を超える受講者の方々が集まってくださり、静かなよい雰囲気で講習会が行われたことは、誠にありがたかった。

 ところで、前日の16日、生長の家総本山の菅原孝文総務から興味あるメールをいただいた。練成会参加者が“炭素ゼロ旅行”を実施したというのである。生長の家では現在、地球温暖化抑制のために、二酸化炭素を出さない“炭素ゼロ”の運動を実現しようとしていることは、本欄でも何回か書いた。生長の家総本山は、長崎県西海市の交通アクセスがあまり良くない地にある。そこでは「団体参拝練成会」という名称で、生長の家の幹部・会員が教区(県に相当)単位の団体で参加する練成会が行われている。練成会とは、泊りがけで宗教的研鑽を積む会である。この行事に参加するためには、多くの人々が日本列島の西端に位置する地に航空機と自動車を乗り継いで行くから、当然CO2が多く排出されるのである。

 ところが、2月13日から今日までの期間に行われた第302回団体参拝練成会に参加した532人中の139人が、埼玉教区から総本山までの往復の移動で排出されるCO2を実質ゼロにする“炭素ゼロ旅行”を採用したというのだ。最近は、旅行会社が顧客の環境意識に訴えて“炭素ゼロ旅行”を販売しているという話を、私は聞いていたが、それを使って練成会に団体で参加したという話は初耳だった。“炭素ゼロ”運動の新しい可能性が拓かれた気がして、喜ばしく思った。

 菅原総務の報告によると、埼玉県から総本山まで139人が往復する際に排出されるCO2は約36トンだそうで、これを相殺するための費用は1人当たり「約3,000円」という。今回の“炭素ゼロ旅行”は、この3,000円を1人当たりの旅行費用に上乗せして支払うことで実現したらしい。この値段が高いか安いかは、人によって見解の相違があるかもしれない。因みに、旅行業者はJTBである。
 
 埼玉教区が行った“炭素ゼロ旅行”は、今回が初めてではないという。昨年夏に京都府宇治市の生長の家宇治別格本山で行われた盂蘭盆供養大祭に参加したときにもこれを採用し、教化部職員による研修旅行でもこれを利用したという。また、そのきっかけとなったのが、昨年4月26日の本欄の文章だというから、益々ありがたい。本欄が、このように運動の進展と地球温暖化抑制に役立つことができるならば、仕事の疲れも雲散霧消する。

谷口 雅宣

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2008年2月13日

自然と人間 (2)

 2月9日に続き、“森の中のオフィス”と関連する土地を見に行った。前回は東京から北上したが、今回は南下である。前回は山中へ入り込んだが、今回は海の見える高台だ。そして、前回は雪のパラつく曇天だったが、今日は澄み切った晴天だった。これだけ条件が違うと、「日本にはいろいろな土地があるなぁ」という感慨をもつ。東京駅を朝の9時ごろ出て、約50分で下車、そこから車に約20分揺られて現地着となった。同じ“森の中”であっても、四方を木に囲まれた場所と、南方に海が広がる環境とは、ずいぶん違うと思った。
 
 本題で前回書いたとき、「自然環境をある程度維持しようとすれば、“不便さ”と“不快さ”をある程度容認しなければならない」と述べた。今回の“不便さ”と“不快さ”の1つは、駅から現地まで続く傾斜だった。山が海岸まで迫っているから、道路は蛇行しながら山の上へ向う。自転車では、相当の健脚でも恐らく途中で息が切れる。我々はレンタカーだったが、ギヤーはセカンドに入れなければ不安だ。しかし、この“不便さ”のおかげで得られるものが、「絶景」である。海岸近くの急斜面だから、目の前に遮るものがなく、ほとんどどこからでも広大な太平洋が見える。そんな景観をできるだけ味わおうと、多くの建物が崖っぷちに建っている。この光景を見ながら妻と話したのは、カリフォルニア州の海岸にあるリゾート地のことだった。

 数年前にABCニュースか何かでやっていたのだが、その土地は地盤があまり固くなく、海岸線がゆっくりと削られていく状態にあって、現地の行政官からも「危険地帯」に指定されている。ところが、人々はそこへやってきて住居や別荘を建てるのをやめないという。理由は、「絶景」である。その土地から見える、水平線に沈む壮大な落日が、多くの人々を惹きつけてやまないのだ。これと似たことが、インドネシアやタイの海岸のリゾート地についても言える。数年前に大地震と大津波があったにもかかわらず、人々は風光明媚の海岸線に再び観光施設を造っているという。そしてご存じの通り、東海地方に大地震が来る確率は高い。地震ハザードステーション(J-SHIS)によると、この付近に30年以内に震度5弱以上の地震が発生する確率は「98%」である。

 いつか生長の家講習会で「天災も人間の心の反映か?」という質問が出たことがあるが、その時、私はこういう例を出して、人間は自分の尺度で、自分に都合のいい解釈をして自然現象を「天災」などと呼ぶが、日本列島で地震が起こるのは地質学上は「当たり前」で「自然」なことである。それなのに、「起こらない」と考えている人間がそれを「災い」と呼ぶ、というような話をした。「地震は来ない」と考えて耐震設計をしないことは、ほとんど「人災」に近いし、ある場所へ「危険」を承知で行くのも、自分で「人災」を求めているとも言える。では、30年以内に震度5弱以上の地震がほぼ確実に発生する場所に、事務所を移転するに際しては、一体どう考えるべきだろうか?

 ところで、視察した場所のごく近くに、ずっと前から60歳代とおぼしき男性が一人で家を建てて住んでいる、という話を聞いた。仕事をしている様子でもない。電気も下水もない海岸近くの絶壁の上という。都会にはホームレスの人が多くいるので、そんな人に会っても驚かない。が、田舎の海を臨む断崖の上でどうやって生きていくのか……そんな疑問をもちながら、その場所へ行ってみたのである。ホームレスどころか、屋根も壁もしっかりした小さい家が2棟ほどあり、洗濯物が干してあった。で、そこまで行って、その人がいる理由が分かったような気がした。そこから眺める輝く海、遠くに霞む島、近くの半島……眼前に広がる大自然の風光に、私は息を呑んだ。しかし……と私は考える。たといどんな“天国浄土”がそこにあっても、我々は社会から隔絶した場所で運動を進めることはできない。
 
 人間は自然に近づきすぎると、社会から離れることになるのか。自然と人間は相容れないのか--そんな公案をもらった気持で、私は東京行きの列車に乗った。
 
谷口 雅宣

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2008年2月 9日

自然と人間

 生長の家の“森の中のオフィス”構想との関連で、東京近郊の土地を見に行った。本部機能をどこへ移転するかはもう少し先の決定になるが、首都圏近郊の土地が実際にどの程度のものかを、一度自分の目で見、足で歩いて確かめてみることは意味がある。

 生長の家は現在、“炭素ゼロ”運動を推進中であることは、本欄でもすでに何回か報告した。しかし、各都道府県にある教化部や道場等の教団施設と本部との間の人の往き来をやめることはできないし、全国で行われている生長の家講習会などの主要な宗教行事を廃止することもできない。ということは、今後とも交通機関の利用は運動遂行のために不可欠である。だから、移転先の選定には、どうしても「交通の便」を重視することになる。が、交通の便を最優先して選定しようとすれば、都心にある現在の本部事務所から動く理由はなくなってしまう。そこで、「自然環境がある程度残りながらも交通の便がさほど悪くない土地」というような、何となくウヤムヤな選定基準が意味をもってくるのである。
 
 実際に土地探しを始めると、しかし、このような基準に合致する物件はそう多くないことが分かる。もっと正確に言うと、首都圏には上記の条件に合う土地は数多くあっても、我々が希望する広さのものは、それほど多く売りに出ていないのだ。今日訪れた土地は、東京駅から約2時間の標高800メートルの高地と、そこから東京寄りに数10キロもどった国道沿いの里山様の土地だった。詳しい場所や評価を書くのは避けるが、いずれも“理想的”というわけにはいかなかった。おかげで、2月上旬の寒空の下、雪もパラつく中で、ゴム長靴の足を踏みしめながら、自然と人間との関係を改めて考えさせられた。

 いずれの土地でも、人間は山を大きく削り取って、住居や公共施設、レジャー施設を造っていた。当たり前のことである。そうしなければ、いわゆる“文化的生活”を営むことができないからだ。“文化的生活”とは、電気、ガス、上下水道、通信、交通・運搬手段が供給されることで、都会の生活を一部にしろ持ち込むこととほぼ同義だ。つまり、便利で快適な生活のことだろう。それを望むことと、自然環境を維持していくこととは基本的には両立しない。ということは、自然環境をある程度維持しようとすれば、“不便さ”と“不快さ”をある程度容認しなければならない。これも、当たり前といえば当たり前の話だ。
 
 しかし、上の論の立て方の中には、含まれていない重要な要素がある。その1つは、「自然が与える価値」だ。「自然そのものの価値」と言ってもいいだろう。これがあるから、人間は不便でも、不快でも、時々は自然との触れ合いを求めて、都会から山や川や海へ移動するのである。ところが問題は、この「自然は不便・不快だが価値がある」という事実が忘れられがちなことだ。別の言い方をすれば、多くの人々は都会生活に親しんでいるうちに、「自然の価値は功利的価値ではない」ということを忘れてしまうのである。そして、自然を「便利に」「快適に」--つまり功利的に--楽しもうとして、あるいは自然を功利的な手段にしようとして結局、自然破壊を招来する。だから、我々が「功利的でない自然の価値」をしっかりと認めることが今後、重要になってくるだろう。
 
 そんなことを考えながら、私は雪降る山中から、人混みで沸く東京駅にもどってきたのだった。
 
谷口 雅宣

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2008年2月 4日

ギョーザ被害はノーシーボ?

 中国で作られたギョーザをめぐる中毒事件が複雑な展開を見せているが、4日付の『産経新聞』に興味ある表が載った。3日午後3時までに厚労省がまとめた「健康被害の発生報告数」という都道府県別の数表である。この表は、厚生労働省のウェブサイトにも掲載されている。それを解説した『産経』記事には、「集計した健康被害の相談件数は46都道府県2117人(被害が確定した10人を含む)に上った」が、この10人以外には問題の殺虫剤「メタミドホス」の中毒が疑われるケースは出ていない、とある。これを読むと、実際の中毒は10人でも、「自分も中毒ではないか」と心配して保健所などに相談した人は、その「200倍」以上の数に及んだ、と解釈できる。多くの日本人がこの件で神経質になっていることがうかがえ、記事も「食べ物による体調不良について、多くの人が敏感になっているようだ」との厚労省の見方を紹介している。
 
 この「200倍」の反応をした人の中には、実際に医療機関を訪れ、医師の診断を受けて入院した人が9人、入院しなかった人が379人いたほか、保健所に相談したが医療機関で受診しなかった人が844人、そして、「その他」の分類の中に875人が含まれる。この「その他」の欄は、厚労省の数表では「当該製品等による健康被害が明らかでない事例」という項目になっている。新聞記事では、そこには「日本産ギョーザを食べて体調を崩した」とか「何を食べたか分からないが、1カ月ほど前に体調不良になった」などという、今回の事件とは「関連性がないと判断された事例」もあるという。これは一種の“パニック反応”のようにも思えるし、また、この期間にギョーザを食べた人が、殺虫剤の成分が含まれていなかったにもかかわらず、実際に病気になったケースがある可能性も否定できない。つまり、一部には「ノーシーボ効果」(nocebo effect)と呼ばれるものに該当する反応が起こったのではないか、と私は推測する。
 
 「ノーシーボ効果」については拙著『心でつくる世界』(1997年)にも書いたが、「医学的な要因によらず、信念や恐怖などの心理的原因で病人の症状が悪化したり、時には死に至るような現象」(p.250)のことである。この逆の反応である「プラシーボ効果(placebo effect)」--医学的要因によらず、信念などで病気が快方に向かったり、治ってしまうこと--は有名だから、多くの読者はご存じだろう。では、実際にどれだけの人がノーシーボ効果で病気になったのだろうか? これを推定することは難しいし多分、正確な推定は不可能だ。しかし、あえて推定してみることはできないか?
 
 そこで私が思いついたのは、各都道府県の人口と、今回の“健康被害”の報告数との関係である。上述の数表を見ると、健康被害は福井県を除くほぼすべての都道府県で報告されている。また、今回の事件はマスメディアが集中的に報道しているから、ほぼすべての日本人が知り、関心をもっていると考えられる。このような状況下でノーシーボ効果が起こる場合、それは人口の多いところは多く、少ないところは少ないと考えていいだろう。もちろん、この関係が成立するためには、「ギョーザを食べる」人が日本全国に平均して散らばっていることと、問題があるとされる銘柄のギョーザが、日本全国に平均して売られていたという前提が必要だ。が、これを調べることは今できない。そこで、これらの前提条件が満たされていると仮定したうえで、健康被害の報告数を人口の多寡との関係で眺めてみた。すると、「人口が少ないのに報告数が多い」ところや「人口が多いのに報告数が少ない」ところなどが分かった。一例を示してみると……

[人口に比べて被害が多い県]
 青森県3.68%(1.14)、群馬県3.02%(1.59)、千葉県6.19%(4.77)、静岡県7.89%(2.97)、滋賀県2.93%(1.1)、奈良県4.11%(1.12)、大分県3.12%(0.96)、沖縄県4.06%(1.09)
 
[人口に比べて被害が少ない県]
 埼玉県0.90%(5.54)、東京都5.34%(9.73)、神奈川県4.30%(6.88)、長野県0.52%(1.72)、長崎県0.28%(1.17)、
 
 上の数字の説明をすると、例えば、青森県には日本の人口の「1.14%」が居住しているが、今回の被害の報告は、全体の報告数の「3.68%」と比較的多く報告されている、ということだ。また、埼玉県には日本全体の5.54%の人が住んでいるが、今回の被害報告のうち同県からの報告は、全体のわずか0.90%だった、ということである。今回の事件で、殺虫剤「メタミドホス」が原因だと確定されたのは、千葉市稲毛区の家族2人、千葉県市川市の家族5人、兵庫県高砂市の家族3人だ。だから、千葉県が「人口に比べて被害が多い県」の中に入っているのは不思議でない。しかし、被害の割合(6.19%)と人口の割合(4.77%)のズレは、青森その他の7県よりも「少ない」ことに気がついてほしい。ということは、今回の健康被害の報告数を「ノーシーボ効果」だけで説明することはできないことになる。
 
 では、ほかにどんな要素が加わってこのようなバラツキが生まれたのだろうか? まず思いつくことは、ギョーザの消費量に地域的な偏りがある可能性だ。これは、ある程度統計的に分かっている。総務省統計局の「家計調査から見た品目別支出金額及び購入数量の県別ランキング」を見ると、ギョーザについて、一世帯当たりの年間の支出金額(平成16~18年平均)が主な県庁所在地別に載っている。これによると、ベスト10は、①宇都宮市(4886円)、②京都市(2855円)、③宮崎市(2737円)、④静岡市(2693円)、⑤さいたま市(2557円)、⑥東京区部(2544円)、⑦新潟市(2520円)、⑧大津市(2503円)、⑨金沢市(2471円)、⑨大阪市(2471円)である。宇都宮市がダントツだが、全国平均は2295円だから、それ以下はドングリの背比べだ。上掲の[人口に比べて被害が多い県]の中には、④と⑧を含む県があるものの、[被害が少ない県]の中にも、⑤⑥を含む県がある。また、栃木県が[多い県]の中に含まれず、青森県や沖縄県で被害が比較的多く出ていることの説明が、これではできない。
 
 ということで結局、今回の中国製ギョーザの日本における被害報告件数のバラツキの原因は、よく分からない。歯切れの悪い報告になってしまったが、賢明な読者の頭に何かヒラメキがあれば、ぜひご教示願いたい。
 
 谷口 雅宣

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2008年1月27日

竹皮の弁当箱

 奈良県で行われた生長の家講習会は、好天のなか、県立橿原公苑体育館となら100年会館の2会場で合計7,343人の受講者が参加して下さった。2年前より132人多く、この教区での幹部・信徒の皆さんの日頃の活動と、熱心な推進努力が推し測れるすばらしい会となった。私の講話に対する質問も19枚と多く出て、受講者の宗教への関心が深いことが分かった。時間の関係で、そのうちの半分も答えられなかったことが心残りである。

 講習会後、近鉄の橿原神宮前駅から京都へ出て、新幹線で東京へ向かった。京都駅で夕食の駅弁を買ったのだが、その際、「21世紀出陣弁当」というのを選んだ。名前が面白いのと、竹皮を使った容器に惹かれた。また、名前の横に印刷された「駅弁コンテスト大人の部グランプリ受賞」という宣伝文句も気になった。「グランプリとはどれほどの味か?」と思ったのだ。

 京都駅の新幹線ホーム側の弁当売り場には、実に多くの種類の弁当が並んでいて、選ぶ側も戸惑うほどだ。それぞれの弁当の脇には、中身を示すためのプラスチック製のイミテーションの食材を詰めた弁当もある。が、それらを見ていると、「中身はみな同じ」という印象を受けるのである。恐らくその理由は、イミテーションの食材の色と形が同じだからだ。違うのは、それらの食材をどんな形の箱に、どのような配列で並べ、それにどのような名前をつけるかという点だけ……そんな印象を受けた。もちろん仔細に調べれば、野菜が多いものや、揚げ物や練り製品が多いものなど、細かい違いはあるに違いない。が、いずれにしても「大量生産品だなぁ~」という印象は拭えない。
 
 私は、京都駅の弁当に文句を言っているのではない。むしろ、その逆である。これだけ多様なものが、これだけ大量にある日本は、きわめて恵まれた国である。中東のパレスチナのガザ地方とエジプトの国境線上に建っていた、鋼鉄製の壁が爆破された話を思い出した。理由は、パレスチナの過激派の攻撃に業を煮やしたイスラエルが、イスラエル側の境界線の通行を制限したからである。一種の経済封鎖だ。そこで、食料や水や日用品に窮乏したパレスチナの住民たちが、エジプト側に物資を求めてなだれ込んだのだ。爆破自体は、過激派によるものと思われる。エジプトは軍隊を派遣したが、殺到するパレスチナ人を無理に止める行動はしなかったという。

 そんなことを思い出しながら、私は数分間隔で精確に運行される新幹線に乗り込み、豊かな食材を詰めた「21世紀出陣弁当」を開いたのである。日本での「出陣」とは、もちろん戦いに行くことではない。何か未来への“夢”を秘めた「21世紀」に向かって、栄養を補給するためのおいしい弁当、という程度の意味だろう。出陣でなく、「出発」でも「出帆」でも「出航」でもいいのだろうが、かつての戦国時代を思わせるような勇ましい言葉を使った方が、働き盛りのビジネスマンには魅力がある……そんなマーケティング戦略が透けて見える。
 
Bentobox  弁当はおいしくいただいた。食べ終わってから、竹皮を編んだその容器をしげしげと眺めた。大変よくできているのである。竹皮を幅1.5センチほどのテープ状に切ったものを編んで、箱全体を作っている。手触りが軟らかく、弾力もある。弁当箱の端の型枠部分には、強度をつけるために薄い竹材が鶯色の糸でしっかり結わえつけてある。普通の駅弁の箱に使われるような厚紙は、一切使われていない。これだけの容器を使っていて、通常の駅弁と同じ価格(1000円)で販売できるとしたら、弁当箱の製造は国内ではありえない。だから弁当箱は中国製、というのが私の結論である。では、弁当の中身は? と次に考えたくなる。
 
 今の日本の“豊かな生活”は、その多くを人件費の安い中国などの外国の労働者に頼ることで実現されているのである。それによって「粗悪品が出回る」とか「衛生基準が満たされない」などのマイナスな面も出ているが、全体的には国内の物価を下げ、若年労働者の不足を補っているのだろう。竹皮編みの弁当箱から、今日のグローバル社会の側面を見たような気がした。

 谷口 雅宣

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