2009年12月13日

奈良県に“神風”?

 奈良教区での生長の家講習会は受講者が539人(7.3%)と大幅に増えた。会終了後の同教区の幹部との懇談会では、講習会推進のための活動が成果に結びついたことを「大成功」と評価する声が多く、「神風が吹いた」とまで言う人もいた。が「神風」は少し意味が違うと思う。なぜなら、元寇の時に吹いたとされる神風は、「戦いの一方に、勝ち目がないことが分かっているのに、自然現象が有利に働いて一気に形勢が逆転した」という意味合いで使われると思うからだ。奈良教区の講習会推進運動には、もともと勝ち目がなかったと私は思わない。

 同教区では、以前から「橿原公苑体育館」をメイン会場とし、奈良市内の「なら100年会館」を第二会場とする態勢で講習会を開催してきた。ところが今回は「100年会館」が予約できず、やむをえずに奈良市内では収容人数が少ない「ならまちセンター」を使い、これに加えて「王寺町地域交流センター」を押さえて、合計3会場で開催した。私はこのことで、各会場近くの信徒の方々の運動によい影響があったのではないかと考える。また、交通の便を考えると、王寺町は、近鉄に加えてJRの関西本線の駅があるうえ、人口が多い大阪市に近接している。そういう「集まりやすい」要素が今回は働いたのではないだろうか。
 
 もちろん、葛原敏雄・教化部長をはじめとした同教区幹部の方々が、これまで以上に熱心な推進活動を展開してくださったことが、大きな原因であることは言うまでもない。同教区からの報告によると、ここでは地域の活性化と小規模単層伝達を進める目的で、昨年度から地区総連単位での勉強会や、ミニ講演会を行い、今年の10月以降は、白鳩会の22総連へ葛原教化部長と橋本久美子・教区連合会長が共に出向いていって、祝福訪問を実践したという。これらを含め、相愛会、青年会等の多くの幹部・信徒の方々の愛念が結実した。奈良教区の皆さんには、今年開催の講習会の最後を飾る、すばらしい結果を出していただいたことに心から感謝申し上げます。

 ところで奈良県では、来年が「平城遷都1300年」に当たるというので、記念イベントをいろいろ考えているらしい。講習会前日の夕方、橿原地方は雨になったので、私たちは付近の散策を取りやめた。その代りに、宿舎となったホテルのロビーを散策して気づいたのは、見慣れないマスコット人形がいろいろの所に据えられていたことだ。これが、この記念イベント用に考案されたキャラクターで、「せんとくん」と「なーむくん」(=写真)の2つだった。あとで調べてみると、これに加えて「まんとくん」というもう1つのキャラクターもあるそうだが、これらの選定に関しては、地元ではひと悶着あったらしい。詳しくは、ウィキペディアの「平城遷都1300年記念事業」の項に解説がある。が、私はそういうゴタゴタをまったく関知せずに、ひと目見て「せんとくん」よりも「なーむくん」がいいと思った。そこで、写真を撮った後に絵封筒に描いたのである。

Chinadoll  私は、「なーむくん」はてっきり女の子だと思った。が、そうではなく、名前は「南無」に由来し、聖徳太子の少年時代の姿をモチーフとして描いたという。「なーむくん」の魅力は、くったくのない笑顔だが、その眉と目は十七条憲法にちなむ漢数字の「一七」で表現されているのだそうだ。ところが、これまたウィキペディアによると、聖徳太子が活躍した時代は平城遷都より100年も前で、太子が拠点とした場所も、平城京が置かれた現在の奈良市近辺の地域との関連も深くないという。まあ、そんなことにいちいち目くじらを立てなくてもいいのかもしれないが、1つの大きなイベントを実行するには、多くの人の意見を集約しなければならない。その難しさが、ここにも表れている。横浜の開港記念150周年記念行事でも、事前の読みと実際の評判との差が明らかだった。「平城遷都1300年」のイベントは、自民党政権時代に決定し、実行委員会の主要メンバーも同党に関係の深い人が多く、支援団体も日本経団連などの自民党寄りの団体が目立つ。今後どうなるか、やや不安が残る。
 
 谷口 雅宣

| | コメント (0)

2009年12月11日

絵封筒とグラフィティ

 この2つの間に何か関係があるだろうか? 絵封筒とは、もちろん封筒の表面に大きな絵を描いて出す手紙のことだ。グラフィティとは、工事中の壁や街の塀などに描くメッセージや絵のことだ。前回の本欄に実物を何点か掲載した。普通、この2つは何の関係もない。一方は、手紙の受取り人を驚かせてやろうという茶目っ気と、少しの絵心があれば誰にもできる。

 が、もう一方は、街に出て、人目を気にしながら、別の用途に造られた平面に、勝手に自分のメッセージを描く。結果的に、他人や公共の財産を汚すことが多く、この場合は不法行為である。が、“グラフィティ作家”があえてそれをする理由は、それがどこに描かれるかということも、彼らの表現の重要な一部だからだろう。ある街の風景の“調和した一部”として、自分の痕跡を残すのはまだいい。が、思いがけない隠れた場所に……息を呑む高所に……自分が反対する企業の建物の壁に、軍事基地の塀にグラフィティが描かれる場合、そのこと自体がメッセージである。そして、メッセージの発信の仕方は“ゲリラ的”だ。

 考えてみれば、絵封筒にも“ゲリラ性”がある。まず第一に、郵便局が定めた「封筒の書き方」をほとんど無視している。郵便番号を書かない。差出人を省略する。宛先人の住所や名前を、決まりどおりの位置には書かない。切手の位置もめちゃくちゃである……等々。もちろん、郵便局の定めどおりに書くべきものを書いた絵封筒もありえる。が、私の経験から言わせてもらえば、そういう絵封筒は自由度が少ないから、堅苦しくて、デザイン上限定され、したがって受取人への訴求力が小さい。「封筒」という狭い空間に、自分のメッセージを思い切って描こうとすると、いろいろの「決まり」や「規格」は障害になるのだ。だから、そういうものを破って表現される点で、ゲリラ的である。

 グラフィティは“ゲリラ芸術”と呼ばれるものに含まれているが、イラストレターのケリー・スミス氏(Keri Smith)は、その概念を通常より少しひろげて、こう定義している--「創造的、または刺激的な方法で世界に影響を与えるため、公共の空間に導入され、演じられ、あるいは付加された無名の作品」。この定義は、絵封筒には大げさすぎる。しかし、よく考えると、結構あてはまる部分が多い。なぜなら、絵封筒は、創造的、または刺激的な方法で宛先人に影響を与えるため、郵便配達システムという“公共の空間”を利用した(一見)無名の作品であるからだ。

 もう一つ、“ゲリラ芸術”についてスミス氏が指摘するのは、それが「無常」である点だ。こんなところに仏教の概念が出てくると奇異に感じるかもしれないが、英語では「impermanence」という語が使ってある。つまり、“ゲリラ芸術”の作品はすぐに消えてしまうのである。グラフィティは、「落書き」としてすぐに消される運命にある。路上パーフォーマンスも、終わってしまえば何も残らない。それらが消えてしまわないように、写真やビデオなどの記録に残そうとする人がいるかもしれないが、そうではなく「なくなっていい」「変わっていい」と考えて制作する。そこから、制作の「結果」よりも「過程」に注目した新しい展開が始まる。作品そのものに執着しないから、常に新しい発想で次なる作品を創出する可能性が生まれる。

 絵封筒や絵手紙には「手元に残らない」という性質がある。相手に届いても、もしかしたら捨てられるかもしれない。だから、制作の過程に価値を置くようになる。そんな点も“ゲリラ芸術”に近いことがわかる。そんなエキサイティングな制作の“旅”に、読者も参加してはいかが? (PostingJoy.com の「絵手紙・絵封筒グループ」より)

谷口 雅宣

【参考文献】
○Keri Smith,The Guerilla Art Kit: Everything You Need to Put Your Message Out Into The World,(New York: Princeton Architechtural Press, 2007)

| | コメント (0)

2009年12月10日

グラフィティのこと

Graffiti_bra2  私は今夏、ブラジルのサンパウロ市に行ったとき、その街の真ん中に、道路脇の塀やビルの壁などに、巨大なグラフィティがいくつも描かれているのを見て、驚いた。それを写真に撮って本欄(7月28日)で紹介したこともある。グラフィティが珍しかったからではなく、何か“懐かしい”思いがしたのであり、そんなものを地球の反対側で今ごろ見るなど、予想もしていなかったからだ。私が学生の頃の1970年代には、東京にも、ニューヨークにもグラフィティは多く描かれていた。特に、ニューヨークの地下鉄の車体のグラフィティは、若い私に強烈な印象を与えた。

Nyc0923  私は当時、マンハッタンの西120丁目あたりの学生寮に住んでいて、116丁目にあるコロンビア大学に通っていた。ダウンタウンから地下鉄に乗ってこの寮へ帰るためには、西125丁目の駅で降りるのが一番近いのだが、この駅は地下にはなく、高架橋の上にあった。つまり、地下の路線をアップタウンに向かって北上する地下鉄は、この駅の手前で地下から姿を現し、道路の高さを超えて、さらに地上数メートルの高さにある125丁目の駅ホームに入るのである。この過程で、坂を上ることが得意でない地下鉄は、急にスピードを落とし、キイキイ、ガタガタと苦しげに車体を軋ませながら、ゆっくりと駅に入る。その時、グラフィティが塗りたくられた車体を白日の下に晒すのだった。

 その西125丁目の駅が、ハーレムの入口に当たっていた。そこから東に延びる黒人街は、今はだいぶ安全になったようだが、当時は「あまり行くな」と言われていた。実際、在学中、私は必要がない限り、その駅から東側へ行くことを避けていた。そういう“不気味”な印象と、“秩序への反抗”を思わせる地下鉄のグラフィティのイメージが、青年時代の私の中では重なっていた。手っとり早く言えば、グラフィティは一種の“禁断の芸術”であり、“近づくな!”という警告の印。さらには、“不可解なアメリカ”の象徴のようにも感じられたのである。

Nyc0919  それが今夏、ブラジルへ行って30年ぶりに“再会”を果たし、その帰途にニューヨークに寄った際にも、また出会った。そのときの印象は、若い当時のものとは少し違っていた。それは“禁断の芸術”なんかではなく、何か懐かしい、当たり前のポップアートだと感じた。もちろん、このアートが反社会性を含むときは好ましいとは言えないが、許された場所で、他人の財産を無断で汚したりしない場合は、面白い表現手段だと感じたのである。その時に撮影したグラフィティの写真を何枚か、ここに掲げてある。
 
 谷口 雅宣

| | コメント (3)

2009年12月 8日

絵手紙・絵封筒、どうもありがとう

 ここ数カ月、生長の家の講習会で各地へ行くと、新しいタイプの誌友会(Bタイプの誌友会)を楽しく開いているという報告を多くもらうようになった。また、講習会では、私が絵封筒を描いていることを実例を示して紹介するためか、私宛に絵手紙や絵封筒をいただくこともある。私も“お返し”をしたいのだが、なかなかお返事を書く(描く)余裕がなく、申し訳ないと思っている。そこで本欄を借りて、送ってくださった方々の力作を紹介するとともに、感謝の気持を表明させていただきたい。
 
Ohtashinji0709  最初のものは、7月に愛知県岡崎市からいきなり舞い込んだ絵封筒。79歳の地方講師の男性で、ロウケツ染めの風情があるヒマワリの絵が、夏らしい雰囲気をよく出している。制作過程はよく分からないが、想像するところ、水彩で描いたものを別の紙にカラーコピーし、その紙で定型封筒を作ったようだ。
 
 2番目は、8月に東京・小金井市から届いた残暑見舞いの絵手紙。相愛Mizukhi0809 会の幹部の方からのものだ。生き生きとした夏の植物の勢いがよく出ている。テーブルに置いたクリは、細かいところまでよく描けている。

 3番目は、上のものと同時に届いた絵封筒。上の方の奥様が都立野川公園を描いたものだそうだ。私がこの絵をパソコンで読み取った際に、川と空の水色が飛んでしまったのが残念だが、原画にはちゃんと描いてある。切手の絵柄である鳥が、Mizukj0809 川で泳いでいる風情の配置である。御夫婦で絵を描くところは、私たちと似ている。
 
 最後のものは、広島県の大幹部の方からごく最近いただいた絵手紙。葉書の表面には「安芸津特産の赤ジャガイモを送りました」とある。実物が届くのが待ち遠しくなるような絵柄だ。省略のきいた色使Oshita1209 いと筆運びに、なかなか味がある。
 
 絵を描くことに興味のある読者は、絵手紙や絵封筒をやってみるのは如何だろうか。「絵は苦手」と思っている人は案外多いのだが、自分で勝手にそう思っているだけの人も多い。実際に描いてみると、結構味のあるいい絵であることも多いのだ。「他人に送るのはどうも…」と思う人は、離れて住む両親や子供に送ってみては? 電話やメールではマネのできないインパクトを与えることは確かである。また、生長の家で新しく立ち上げた投稿サイト「ポスティングジョイ」には、絵手紙と絵封筒のグループがあり、描き方を親切に教えてくれる。私もメンバーの一人で、時々投稿する。人の作品を見るだけでも勉強になるから、ぜひご参加あれ!
 
 谷口 雅宣

| | コメント (0)

2009年12月 3日

2つの出来事

 12月3日の新聞の第1面には、オバマ大統領によるアフガニスタンへの米軍増派発表のニュースと、日本画家、平山郁夫氏(79)の死亡記事が並んで掲載された。両者は互いに無関係の事象のようにも思えるが、私は「戦争と平和」というキーワードで結ばれていると感じる。大統領が発表した「米兵3万人の増派」は、混乱を極めるアフガンの治安を外国軍によって確保することにより、2011年7月に米軍が撤退を始めるまでに、同国で不足している治安維持機関の育成を急ぎ、権限委譲を達成するためのものだ。日本との関係では、政府は先月、同国の治安確保に5年間で50億ドル(約4500億円)規模の支援を主として民生面で行うことを発表しているから、それを軍事面から保障する役割を米軍が担うことになる。これに対して、平山画伯は、アフガニスタンを含む東西交流のルートである“シルクロード”の文物を好んで描いてきた人だ。世界の文化財保護に貢献し、同国のバーミアン遺跡の大仏2体がタリバーンによって破壊された際は、その修復に努力した。
 
 私が、アフガニスタンのことを知ったのは、平山画伯の絵によるところが大きい。もちろん、画伯を知る前からそういう名前の国があることは知っていたが、その地理的な詳しい位置と雄大な風景、東西交流に果たした役割、そこにある遺跡の様子、生活する人々の表情……などは、同画伯の絵から多くを学んだ。また、私の絵画そのものに対する強い関心も、画伯の絵によって引き出されたのである。
 
 3日付の『産経新聞』では、平山画伯のシルクロードの旅に同行したことがある記者が、画伯の人間性を示す話を紹介している。その一部を引用すると--
 
「旅の間、わずか2、3分の空白ができると、すぐに消えてしまう。心配して捜すと、何のことはない。現地の人をつかまえ、せっせとスケッチブックに筆を走らせているのである。
 それほど語学が得意なわけでもないのに不思議だったので聞いてみると、“何となく通じるものです”とあっけらかん。根っから砂漠のあるシルクロードが好きだった。
 現地では観光客用の立派なレストランより、地元の人が行く飾り気ない食堂を好んだ。食べたことのない料理を注文し、皿に取ったものはすべて平らげた。同行の若者が腹の具合が悪くなっても、いつも健康だった」
 
 こういう行動ができるのは、「人間」というものを心から信頼している人だけである。また、どんな国の文化に対しても、自国のそれと同等の尊敬をもっている人である。そういう人間である平山郁夫は、実は被爆者である。中学3年のとき、広島で勤労動員の作業中に被爆し、地獄のような惨状を体験した。「そのとき私は生かされたんだ、生かされた人生だからなんとかお返しをしなければ、と思ったのです」と、画伯は後に語っている。戦争での悲惨な体験は、普通は“人間不信”や“人間憎悪”に結びつきやすい。しかし、画伯の場合、それを見事に超越している。私は、画伯の心に確とした宗教心が--それも特定の宗教に縛られない宗教心があったような気がしてならない。
 
 その画伯が亡くなった時に、米軍のアフガン増派が発表された。オバマ氏は、自らをカトリック信者と宣言するが、「フセイン」というイスラームのミドルネームを持ち、子供のころはインドネシアで貧しい人々と生活をともにしている。父親はアフリカのケニア人。高校はハワイの名門を出て、コロンビア大学、ハーバード大学大学院で教育を受けた。アフガンでの戦争は、ブッシュ大統領時代からの“負の遺産”である。その背後には、もちろんあの「9・11」がある。つまり、イスラーム原理主義者のアメリカに対する憎悪と宗教的信念の爆発がこの戦争の引き金となり、9年目になっても収まる気配がない。国家や集団のレベルで一度燃え上がった憎悪は、宗教が絡んでいるほど、宗教自体による収拾が難しいことが分かるのである。

 今日、NHK衛星第一(BS-7)で放映されたイギリスのBBCニュースでは、報道記者が今、アフガンで勢力を盛り立てつつあるタリバーンの上級司令官と会見する様子が映し出された。この司令官は、頭から顔、そして胸のあたりまで白い布を巻きつけて覆い、体全体は茶色の毛布のようなもので包み隠して画面に登場した。目には黒い眼鏡をかけていたから、私はあの昔の日本のヒーロー“月光仮面”を思い出したほどだ。その司令官は、こんなことを言った--
 
Talibanchiefm 「今年は、我々にとって成功続きの年だった。アフガンに米軍が増派されるということは、より多くのアメリカ人が死ぬことだ。我々は、わずかな資源でさらに多くの負傷と死をもたらすことができる」

 記者が、タリバーンの攻撃によって米軍だけでなく、一般市民も数多く犠牲になっていることを指摘すると、司令官はこう言った--
 
「一般市民など殺してない。それをしているのはアメリカ人だ。この国の市民は我々を支持してくれている。彼らの支持がなければ、我々イスラーム運動は拡大しえなかった。私は、外国兵士たちの母親に言いたい。もし子供たちを愛しているならば、自分たちの国の中で国のために尽くさせろ。しかし、我々を侵略して罪のない市民を殺した。その証拠はいくつでも挙げられる」

 記者が、どうしたら戦争はやめられるかと訊くと、司令官はこう言った--
 
「カルザイ(アフガン大統領)は外国兵に出て行ってもらわねばならない。そうすれば、彼と話し合おう。外国兵が国内にいるうちは、話し合うことはできない」

 アメリカは「治安維持」の観点から戦争を考えているのに対し、タリバーンは「反侵略・外国軍排除」の立場である。両者の間には信頼関係がまったくない。重要なのは、アフガンの一般市民の大多数がどちらの立場を選ぶかだが、前者を選ぶためには、現在のカルザイ政権を信じる必要がある。が、その政権が大統領選挙で不正を行い、腐敗が蔓延しているというのだから、前途多難である。日本が民生面で何か協力できるとしたら、それは、カルザイ政権が国民の信頼に足りるようになるための支援ぐらいか。それには時間がかかるし、簡単ではない。金を出せばいいというものでは、もちろんないだろう。
 
 谷口 雅宣

| | コメント (10)

2009年11月24日

絵封筒展へのご協力に感謝!

 10月24日の本欄で告知させていただいたが、11月20~22日には、秋季大祭を機に生長の家総本山の練成道場第2研修室で「谷口雅宣絵封筒展」が開催された。これには多くの幹部・会員の方に訪れていただき、主催した世界聖典普及協会の報告では、出展された絵封筒全64点は完売されたという。「森林資源再生」という本展の趣旨に賛同し、ご協力くださった読者の皆さんに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
 
 実は、私も妻と一緒にこの展覧会へ行ったのである。21日の夕方のことで、こっそり行っEfutoten_2009 たつもりなのに、楠本行孝・総務以下多くの方々に玄関で出迎えを受け、会場まで案内していただいた。自分の作品を見るのは気恥ずかしいが、人さまにお金を出していただくのに、仕上がり具合を見ないわけにはいかない。私が絵封筒の中に入れた手紙文も、額装中にきちんと納まっているのを見て安心した。その時どういうわけか、会場で“偶然に”会った方々と記念写真を撮ることになった。今日、その写真を回していただいたので、ここに掲げる。
 
 売れてしまった絵封筒は、その縮小版が小関隆史氏の運営するサイト「光のギャラリー~アトリエTK」上にまだ掲載されている。また、今後描く絵封筒は、新しい普及誌と連動するサイト「PostingJoy」の「絵手紙・絵封筒」のコーナーに登録される予定である。私もメンバーの1人として、このサイトに時々顔を出している。絵手紙・絵封筒ファンの読者の方々は、また、ウェブ版「日時計日記」の常連さんも、このサイトのメンバーになって大いに運動を盛り上げていきましょう。

 谷口 雅宣

| | コメント (4)

2009年11月 9日

よろこびを表現しよう

 最近マスメディアから流れてくるニュースは、暗いものばかり。特に、凄惨な事件の詳細を繰り返して聞かせる報道姿勢には、「いいかげんにやめてくれ!」と言いたくなる。世の中にはそんなヒドイ人ばかりがいるのではない。何万分の一、何十万分の一の確率で起こることを毎日繰り返し、これでもか、これでもかと報道することで、世の中が良くなると考えるほど、浅はかで愚かなことはない。が、残念ながら、マスメディアはこの壮大な愚行の習慣から抜け出せないでいる。だから、「人生の光明面を見る」生長の家の日時計主義の生き方は、もっともっと多くの人に知られ、実践される必要があると思う。

 というわけで、生長の家ではインターネット上でも光のメッセージを発信しようとウェブ版「日時計日記」を運営してきた。それに加え、このほど喜びを表現するSNS(ソーシャルネットワーキング・サービス)「ポスティングジョイ( PostingJoy=喜びの投稿サイト)」が立ち上がった。SNSとは、共通の興味や関心事、趣味をもつ人たちが、ネット上で集まって意見交換や作品発表をする場だ。誰でも参加できるから、生長の家の会員もそうでない人も、共に集まって“人生の喜び”を共有できる。今のところメンバーは約150人だが、この数がどんどん増えていくことで、ネットを通じた光明化運動が拡大していくことになる。
 
 現在、このSNSに設けられたグループは13ある--①よろこび日記、②絵手紙・絵封筒、③ノーミート料理、④植樹・植林、⑤エコ生活、⑥俳句、⑦短歌、⑧写真、⑨イラスト、⑩書、⑪生花・ガーデニング、⑫動画、⑬PostingJoyを楽しく便利にしよう。私はさっそく、②のグループに入って絵封筒などの発表を始めた。本欄の読者も、それぞれの興味あるグループに参加して、この新しいサイトを盛り上げ、知人にも勧めて、ネット時代の新しい研鑽と、布教活動に参加していただければ有り難い。関心のあるグループがない場合でも、ジョイ(Joy=喜び)の投稿はできるので、『日時計日記』をつけるつもりで本サイトを利用することもできる。

 このサイトのもう1つの特徴は、来年4月号からスタートする生長の家の新しい普及誌と連動していることである。簡単に言えば、このサイトに投稿することで、新しい雑誌にも投稿できるのだ。もちろん雑誌のページ数には限りがあるから、すべての投稿が印刷物になるわけではない。が、ケータイからの投稿もできるから、雑誌と読者との距離は一気に短くなる。その新しい普及誌の“見本誌”も、今はこのサイトで読むことができる。編集部では、読者の感想やご意見を募集しているから、よりよい雑誌にするための助言等もいただけると有り難い。
 
 谷口 雅宣

| | コメント (7)

2009年11月 6日

レヴィ=ストロース氏、逝く

 すでに報じられていることだが、文化人類学者で偉大な思想家としても知られるレヴィ=ストロース氏(Claude Levi-Strauss)が、100歳で亡くなった。ユダヤ系フランス人で日本文化にも造詣をもち、何度も来日して講演録も出版されている。ブラジルの先住民の文化をフィールドワークによって研究して書いた『悲しき熱帯』(1955年)や『野生の思考(パンセ・ソバージュ)』(1962年)などで、人類が混沌とした秩序のない“未開社会”から、しだいに洗練された文化をもつ社会へと発展してきたという西洋中心主義の考え方を否定し、“未開”と見える社会にも一定の秩序と構造が見出せると主張して、当時の西洋社会にセンセーションを巻き起こした。神話学の分野でも大きな貢献をしている。日本とブラジルの双方に関係があり、神話にも詳しい思想家だから、生長の家とも直接的な接点があってよさそうだが、その形跡は見つかっていない。
 
 私はしかし、生長の家の万教帰一論を深く理解するためには、この人の研究から学ぶことは数多くあると思う。その1つは構造主義的なものの見方である。構造主義とは、物事の表面からは隠された(潜在的な)構造を見出して、その構造によって現象を理解し、ひいては現象に働きかけようとする立場である。宗教とも関係が深い精神分析学の分野では、「エディプス・コンプレックス」とか「元型」などの概念がそこから生まれている。谷口雅春先生の諸著作の中では「男性原理」に対する「女性原理」という考え方や、「東洋文化」と「西洋文明」を対比させる方法は、きわめて構造主義的である。神話の分野にも、そういう隠された構造があると考えるのが神話学の立場である。そのことを、レヴィ=ストロース氏は『神話と意味』の中で次のように語っている:
 
「神話の物語は気まぐれで無意味で不条理です。とにかく見たところはそうです。にもかかわらず神話の物語は、世界的に反復して現われるように思われます。ある地点の人が頭の中でこしらえ上げた“奇想天外”の作り話ならば、1つしかないのがあたりまえ--つまり、まったく別の場所に同じ作り話が見出されるのはおかしいはずです。私の問題は、この外見上の無秩序の背後に、ある種の秩序があるのではないかと探ってみること、ただそれだけでした」
(同書、p.15)

 神話は、宗教の出発点であると言える。日本古来の神道は、『古事記』『日本書紀』などの神話を含む書物を基本としている。聖書の『創世記』は、神話との共通点が多いだけでなく、その一部に神話を含むと言っていいだろう。この教典は、ユダヤ教、キリスト教、イスラームという3大一神教の基礎である。初期仏教の教典やヒンズー教の教典にも、神話が含まれている。そしてこれらの様々な神話は、登場人物の名前や行動などの細部は皆、まちまちで個性的であっても、物語の基本構造は共通しているというのが、神話学が見出したことなのだ。これと同じ考え方が万教帰一論の背後にはある。
 
 こういう研究を続けてきた氏が、同じ本の中で宇宙の秩序について興味あることを言っている:
 
「人類の知的業績を見わたすと、世界中どこでも、記録に残る限り、その共通点は決まってなんらかの秩序を導入することです。もしこれが人間の心には秩序への基本的欲求があることを表わしているとすれば、結局のところ人間の心は宇宙の一部にすぎないのですから、その欲求が存在するのは、多分、宇宙に何か秩序があり、宇宙が混沌ではないからでありましょう。」(同書、p.16)

 レヴィ=ストロース氏は学者であるから、「神」という言葉は使っていない。が、人間の心が求めてやまないものが宇宙にあるという考えが、ここに表明されている。
 
 谷口 雅宣
 
【参考文献】
○レヴィ=ストロース著/大橋保夫訳『神話と意味』(みすず書房、1996年)

| | コメント (5)

2009年11月 3日

右脳しびれて

 快晴ながら寒波に包まれた文化の日だったが、私は妻と恒例の生長の家聖歌隊チャリティーコンサートへ行ってきた。今年は27回目で、京王井の頭線の駒場東大前駅の近くにある「こまばエミナース」のホールで午後1時45分から行われた。第1部の前半は、谷口清超先生の曲を中心とした聖歌が合唱され、後半はホームソングメドレー、そして観客も共に立ち上がって「紅葉」を合唱した。休憩をはさんだ第2部では、前半が特別ゲストによるフルート演奏、後半は聖歌隊による「心の四季」の合唱だった。
 
 想像していたよりも立派な会場で、音響効果もよかった。私たちは最近、コンサートへ行く機会などなかったから、じっくりと音楽の中に浸かって過ごす時間は、格別にありがたかった。音楽は、言葉を使わなくても感情や思想を伝えてくれる。そういう意味で、右脳から入る強力な情報だ。聖歌は、それに「歌詞」という言葉が加わって左脳の共鳴を呼ぶという点で、幅広く、また深い感動が味わえる。私は今回の聖歌の中では「無限を称える歌」に特に心を動かされた。この歌は、神に対して歌い手が二人称で語りかける形をとっている点で、祈りに似ている。そして、転調の後に、神が応える言葉が続くから、オペラのような構造でもある。しかし、その神の言葉は、あくまでも短く、重く、圧倒的だ。その言葉に対して、歌い手は感動に震え、神性の自覚を深めていく--そういうストーリーが背後にある。歌詞は1番から3番まであるが、それを読むだけでは出てこない感情的な高まりが、音楽に乗せて歌を唄うと心底から湧き出てくるから不思議だ。
 
 オペラと言えば、ズィーチンスキーの「ウィーンわが町」を聴いたとき、ミュージカルのフィナーレを観ているような気分になった。私はウィーンに行ったことはないが、ヨーロッパの明るい町並みを背景に、人々が大勢集まって「人生には喜びも悲しみもあるけれど、すべてよく、みな素晴らしい」と歌っている--そんな光景が私の瞼の裏側で展開しているようだった。分析的な頭でものを考えるクセがついている私のような人間には、分析とは全く別の方向から感情が怒涛のように押し寄せ、どこかへ連れて行かれるようで、しかもそのことが全く不安でなく、まるで心地よい波乗りをしているような気分だった。
 
 このような“右脳しびれる”体験を与えてくださった聖歌隊員の皆さん、また生長の家の音楽愛好家の皆さん、どうもありがとうございました。ちなみに、この日の入場者数は357人で、平成18年以降ではいちばん多かったそうだ。収益金は、例年のようにフジネットワークチャリティーキャンペーン事務局を通して、日本ユニセフ協会へ寄付され、西アフリカのシェラレオーネの子供たちのために使われる。
 
 谷口 雅宣

| | コメント (2)

2009年10月24日

絵封筒展、開きます

 10月13日の本欄で私の絵封筒について触れたとき、11月に長崎県西海市の生長の家総本山で行われる秋季大祭を機に、これまで描いた作品を集めて絵封筒展を開くことを検討中だと書いた。おかげさまで、総本山と世界聖典普及協会のご協力により、同本山の練成道場第2研修室で「谷口雅宣絵封筒展」を開催することがこのほど決まった。期間は、11月20日の午後から22日の午後3時半までで、約70点の絵封筒が展示即売される予定。昨年夏に宇治別格本山で展覧会を行ったときの絵封筒の出品数は34点だったので、その倍ほどの数がお楽しみいただける。主催者の世界聖典普及協会では、この展覧会に合わせ、私の絵封筒の絵柄をあしらった来年用卓上カレンダーも頒布するという。

 さて、今日は生長の家講習会で群馬県の太田市藪塚町というところに来ている。ここは桐生市の隣町で、講習会は山を一つ越えた桐生市の市民文化会館で行われる。その前日のひと時を、この鄙びた温泉町で過ごすことができた。温泉町とはいうが、温泉宿は私たちが止まったホテルを含めて、3軒ぐらいしかない。かつては栄えた町だったであろうが、今は訪れる人の数が多くないことは、町のあちこちに掲げられた店の看板の古さや、旅館の壁の傷み方、温泉宿近くの神社の庭の荒れ具合などから想像できる。それでも私たちが泊まったホテルには、日帰りで温泉を楽しむ地元の人々が多く集まってきていて、広い駐車場もほぼ満杯状態だった。私たちは夕食前、そんなホテル界隈を散策して、町の様子をゆっくりと味わった。
 
 寂れた町にもいいところはある。特に、“旅人の目”で見る静かな夕暮れ時の田舎道は、Ginnan_gum なぜか心を落ち着かせてくれる。住む人が少なくなっても、その逆に自然の力が諸所に豊かに発揮されているのが分かるからだ。私はそれを地元の産土神社近くにあった廃屋の屋根の上に見た。廃屋の隣には、幹の太さが二抱えもあるイチョウの雌木が立っていて、錆びたトタン屋根の上にびっしりと銀杏の実が落ちていたのである。私はその時、講習会で福岡へ行った際、博多の街のイチョウ並木の下に落ちた銀杏の実を、地元のおばさん達が目を皿のようにして拾っていた姿を思い出した。都会での“貴重品”も、この地では拾う者は誰もいない。その代り、それらは自然の循環の中で、しっかりと役割を果たしながら息づいているのだった。
 
 銀杏を敷きつめてありトタン屋根
 
 谷口 雅宣

| | コメント (3)

より以前の記事一覧