2009年11月 6日

レヴィ=ストロース氏、逝く

 すでに報じられていることだが、文化人類学者で偉大な思想家としても知られるレヴィ=ストロース氏(Claude Levi-Strauss)が、100歳で亡くなった。ユダヤ系フランス人で日本文化にも興味をもち、何度も来日して講演録も出版されている。ブラジルの先住民の文化をフィールドワークによって研究して書いた『悲しき熱帯』(1955年)や『野生の思考(パンセ・ソバージュ)』(1962年)などで、人類が混沌とした秩序のない“未開社会”から、しだいに洗練された文化をもつ社会へと発展してきたという西洋中心主義の考え方を否定し、“未開”と見える社会にも一定の秩序と構造が見出せると主張して、当時の西側社会にセンセーションを巻き起こした。神話学の分野でも大きな貢献をしている。日本とブラジルの双方に関係があり、神話にも詳しい思想家だから、生長の家とも直接的な接点があってよさそうだが、その形跡は見つかっていない。
 
 私はしかし、生長の家の万教帰一論を深く理解するためには、この人の研究から学ぶことは数多くあると思う。その1つは構造主義的なものの見方である。構造主義とは、物事の表面からは隠された(潜在的な)構造を見出して、その構造によって現象を理解し、ひいては現象に働きかけようとする立場である。宗教とも関係が深い精神分析学の分野では、「エディプス・コンプレックス」とか「元型」などの概念がそこから生まれている。谷口雅春先生の諸著作の中では「男性原理」に対する「女性原理」という考え方や、「東洋的文化」と「西洋文明」を対比させる方法は、きわめて構造主義的である。神話の分野にも、そういう隠された構造があると考えるのが神話学の立場である。そのことを、レヴィ=ストロース氏は『神話と意味』の中で次のように語っている:
 
「神話の物語は気まぐれで無意味で不条理です。とにかく見たところはそうです。にもかかわらず神話の物語は、世界的に反復して現われるように思われます。ある地点の人が頭の中でこしらえ上げた“奇想天外”の作り話ならば、1つしかないのがあたりまえ--つまり、まったく別の場所に同じ作り話が見出されるのはおかしいはずです。私の問題は、この外見上の無秩序の背後に、ある種の秩序があるのではないかと探ってみること、ただそれだけでした」
(同書、p.15)

 神話は、宗教の出発点であると言えるだろう。日本古来の神道は、『古事記』『日本書紀』などの神話を含む書物を基本としている。聖書の『創世記』は、神話との共通点が多いだけでなく、その一部に神話を含むと言っていいだろう。この教典は、ユダヤ教、キリスト教、イスラームという3大一神教の基礎である。初期仏教の教典やヒンズー教の教典にも、神話が含まれている。そしてこれらの様々な神話は、登場人物の名前や行動などの細部は皆、まちまちで個性的であっても、物語の基本構造は共通しているというのが、神話学が見出したことなのだ。これと同じ考え方が万教帰一論の背後にはある。
 
 こういう研究を続けてきた氏が、同じ本の中で宇宙の秩序について興味あることを言っている:
 
「人類の知的業績を見わたすと、世界中どこでも、記録に残る限り、その共通点は決まってなんらかの秩序を導入することです。もしこれが人間の心には秩序への基本的欲求があることを表わしているとすれば、結局のところ人間の心は宇宙の一部にすぎないのですから、その欲求が存在するのは、多分、宇宙に何か秩序があり、宇宙が混沌ではないからでありましょう。」(同書、p.16)

 レヴィ=ストロース氏は学者であるから、「神」という言葉は使っていない。が、人間の心が求めてやまないものが宇宙にあるという考えが、ここに表明されている。
 
 谷口 雅宣
 
【参考文献】
○レヴィ=ストロース著/大橋保夫訳『神話と意味』(みすず書房、1996年)

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2009年11月 3日

右脳しびれて

 快晴ながら寒波に包まれた文化の日だったが、私は妻と恒例の生長の家聖歌隊チャリティーコンサートへ行ってきた。今年は27回目で、京王井の頭線の駒場東大前駅の近くにある「こまばエミナース」のホールで午後1時45分から行われた。第1部の前半は、谷口清超先生の曲を中心とした聖歌が合唱され、後半はホームソングメドレー、そして観客も共に立ち上がって「紅葉」を合唱した。休憩をはさんだ第2部では、前半が特別ゲストによるフルート演奏、後半は聖歌隊による「心の四季」の合唱だった。
 
 想像していたよりも立派な会場で、音響効果もよかった。私たちは最近、コンサートへ行く機会などなかったから、じっくりと音楽の中に浸かって過ごす時間は、格別にありがたかった。音楽は、言葉を使わなくても感情や思想を伝えてくれる。そういう意味で、右脳から入る強力な情報だ。聖歌は、それに「歌詞」という言葉が加わって左脳の共鳴を呼ぶという点で、幅広く、また深い感動が味わえる。私は今回の聖歌の中では「無限を称える歌」に特に心を動かされた。この歌は、神に対して歌い手が二人称で語りかける形をとっている点で、祈りに似ている。そして、転調の後に、神が応える言葉が続くから、オペラのような構造でもある。しかし、その神の言葉は、あくまでも短く、重く、圧倒的だ。その言葉に対して、歌い手は感動に震え、神性の自覚を深めていく--そういうストーリーが背後にある。歌詞は1番から3番まであるが、それを読むだけでは出てこない感情的な高まりが、音楽に乗せて歌を唄うと心底から湧き出てくるから不思議だ。
 
 オペラと言えば、ズィーチンスキーの「ウィーンわが町」を聴いたとき、ミュージカルのフィナーレを観ているような気分になった。私はウィーンに行ったことはないが、ヨーロッパの明るい町並みを背景に、人々が大勢集まって「人生には喜びも悲しみもあるけれど、すべてよく、みな素晴らしい」と歌っている--そんな光景が私の瞼の裏側で展開しているようだった。分析的な頭でものを考えるクセがついている私のような人間には、分析とは全く別の方向から感情が怒涛のように押し寄せ、どこかへ連れて行かれるようで、しかもそのことが全く不安でなく、まるで心地よい波乗りをしているような気分だった。
 
 このような“右脳しびれる”体験を与えてくださった聖歌隊員の皆さん、また生長の家の音楽愛好家の皆さん、どうもありがとうございました。ちなみに、この日の入場者数は357人で、平成18年以降ではいちばん多かったそうだ。収益金は、例年のようにフジネットワークチャリティーキャンペーン事務局を通して、日本ユニセフ協会へ寄付され、西アフリカのシェラレオーネの子供たちのために使われる。
 
 谷口 雅宣

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2009年10月24日

絵封筒展、開きます

 10月13日の本欄で私の絵封筒について触れたとき、11月に長崎県西海市の生長の家総本山で行われる秋季大祭を機に、これまで描いた作品を集めて絵封筒展を開くことを検討中だと書いた。おかげさまで、総本山と世界聖典普及協会のご協力により、同本山の練成道場第2研修室で「谷口雅宣絵封筒展」を開催することがこのほど決まった。期間は、11月20日の午後から22日の午後3時半までで、約70点の絵封筒が展示即売される予定。昨年夏に宇治別格本山で展覧会を行ったときの絵封筒の出品数は34点だったので、その倍ほどの数がお楽しみいただける。主催者の世界聖典普及協会では、この展覧会に合わせ、私の絵封筒の絵柄をあしらった来年用卓上カレンダーも頒布するという。

 さて、今日は生長の家講習会で群馬県の太田市藪塚町というところに来ている。ここは桐生市の隣町で、講習会は山を一つ越えた桐生市の市民文化会館で行われる。その前日のひと時を、この鄙びた温泉町で過ごすことができた。温泉町とはいうが、温泉宿は私たちが止まったホテルを含めて、3軒ぐらいしかない。かつては栄えた町だったであろうが、今は訪れる人の数が多くないことは、町のあちこちに掲げられた店の看板の古さや、旅館の壁の傷み方、温泉宿近くの神社の庭の荒れ具合などから想像できる。それでも私たちが泊まったホテルには、日帰りで温泉を楽しむ地元の人々が多く集まってきていて、広い駐車場もほぼ満杯状態だった。私たちは夕食前、そんなホテル界隈を散策して、町の様子をゆっくりと味わった。
 
 寂れた町にもいいところはある。特に、“旅人の目”で見る静かな夕暮れ時の田舎道は、Ginnan_gum なぜか心を落ち着かせてくれる。住む人が少なくなっても、その逆に自然の力が諸所に豊かに発揮されているのが分かるからだ。私はそれを地元の産土神社近くにあった廃屋の屋根の上に見た。廃屋の隣には、幹の太さが二抱えもあるイチョウの雌木が立っていて、錆びたトタン屋根の上にびっしりと銀杏の実が落ちていたのである。私はその時、講習会で福岡へ行った際、博多の街のイチョウ並木の下に落ちた銀杏の実を、地元のおばさん達が目を皿のようにして拾っていた姿を思い出した。都会での“貴重品”も、この地では拾う者は誰もいない。その代り、それらは自然の循環の中で、しっかりと役割を果たしながら息づいているのだった。
 
 銀杏を敷きつめてありトタン屋根
 
 谷口 雅宣

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2009年10月13日

生光展へ行く

 東京・銀座の「東京銀座画廊・美術館」で始まった第31回生光展(生長の家芸術家連盟美術展)を夕方、妻といっしょに見に行った。洋画、日本画、水彩画、木版画などの多くの作品とともに、絵手紙と絵封筒も展示され、ますます多彩・多様となり、見ていて楽しかった。今年の生光展は、全国で「技能や芸術的感覚を生かした誌友会」が開催されていることの影響か、絵手紙が136人から177点、絵封筒が23人から78点と多く、しかも全体としてクオリティーが一段と上がっているように感じられ、頼もしく思った。開催は18日まで。
 
 私は大きな絵を描く時間的余裕がないので、今回も絵封筒の出品で勘弁していただいた。点数は24点で、昨年と同数だ。小関隆氏が運営する「光のギャラリー ~アトリエTK」に、生長の家講習会の旅先から投稿したものがほとんどだ。どこで描いたものかは今、24点すべてを憶えていない。が、絵柄から思い出しつつ都市名を挙げれば…新潟市、福岡市、秋田市、米子市、山形市、函館市、伊勢市、橿原市、和歌山市、小樽市、室蘭市、岡山市、松本市、熊本市、大津市、広島市、静岡市、高松市、松山市、別府市などだ。最近は、講習会でも何点かをご披露することにしているが、映像ではなく、実物を、数を揃えて見ていただくことができるのは、ありがたい。
 
 ところで私の絵封筒だが、昨年8月半ばに京都府の生長の家宇治別格本山で「スケッチ原画展」というのをやらせていただいた際、34点をご披露した。このときのものと今回の展示品を含めた私の絵封筒展を、11月の秋の大祭を機会に、長崎県西海市の生長の家総本山で開催できないか検討している。今回は展示即売をさせていただき、収益金を地球温暖化抑制のための森林の育成に役立てることができれば……などと思案している。宇治の大祭や生光展を「見逃した」と思われる方は、ぜひ総本山へお越しあれ。
 
 谷口 雅宣

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2009年10月 6日

絵封筒、どうもありがとう!

F_ko100209  ある教区の教化部長さんから、絵封筒をいただいた。同封された手紙には「私自身絵を描くことはありませんでした」と書いてあり、私が最近、生長の家の講習会で自分の絵封筒を披露することがあることなどから、「この度の総裁先生の絵封筒に触発されまして初めて絵封筒を書いてみました」というのである。「岐阜県白川郷の絵葉書の写真を見て、合掌造り家屋風景を描きました」とある。なかなか味のある出来上がりだと思う。

 私は、この絵封筒を受け取ったとき、「なかなかいいなぁ~」と感心し、初めて絵を描いた人のものだとは全く思わなかった。人間には、自分でも知らない隠れた才能があるとの思いを深くしたのである。ご本人の許可を得ていないので名前は伏せたが、読者諸賢にも“隠れた才能”を生かしてもらいたいと思い、ここに掲載することにした。
 
 私は昨年の本欄にも、幹部・信徒の皆さんからときどき送っていただく絵封筒などを何点か掲載した。そこで今年も、今日の絵封筒以外にも、これまでにいただいた絵封筒の一部を紹介させていただこう。
 
F_yt011209  これは、1月半ばにいただいたもので、バウムクーヘンのようなお菓子が描いてある。同封の手紙には「水性の色えんぴつと水彩絵の具を使って描いてみました」とある。お菓子の柔らかさが、よく出ていると思う。
 
F_mk033109  次は、3月末にアメリカから届いたもの。奥さんに贈ったチューリップを描いたという。花の重たげな様子が、よく分かる。
 
 その次は、5月下旬にいただいたもの。「私は絵封筒は初めての経験で、また絵筆の使い方、絵の具のぬり方まで初心者ですが、とても楽しく描くことができました」と手紙にある。市販のカシューナッツの袋を描いたものだが、素朴さがいい。描き手は、モノクロの絵手紙を描いていた人だが、これをきっかけに皮が一枚むけたのではないかと思う。
 
F_so071109_2   最後は、7月半ばにいただいたもの。岡崎市に住む男性信徒の方で、ロウケツ染めをした紙で、封筒を作ってある。白い輪郭の線がなかなかソフトな効果を絵全体に与えていて、水彩とは違う温かさが出ている。面識がないのに、わざわざ送ってくださったのには驚くと共に、ありがたかった。
 
 谷口 雅宣

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2009年9月 9日

自然と人間 (4)

 本欄をこの題で書くのは久し振りだ。1~3回を書いたのは昨年の2月で、ちょうど生長の家の国際本部を“森の中”へ移転するための候補地の調査との関係で、自然と人間との複雑な関係を考える立場に置かれたからだった。つまり、人間は、自分たちの集団である「社会」での活動を効率的に行うために、自然を壊したり改変して「都市」を造ってきた。このため、社会に対して影響力のある活動を効率的に行うには「都市に住む」ことが必要になっている。この場合、「都市に住む」とは「自然から離れる」のと同義だ。つまり、都市は自然の要素をできるだけ排除して造られた場所である。そういう現状の中で、自然と共存する業務を実現しようとすると、当然、①都市から離れ、したがって②効率が悪く、③社会へのインパクトも弱い、という方向に進むことになる。この方向へ極端に進めば、生長の家は宗教運動としてはあまり意味のないものとなる。もちろん、そんなことは許されない。だから、都市(人間社会)と森(自然)との間の“適当な中間点”を見つけて、そこへ移ることを考えねばならない。
 
 この考え方には、しかし問題が1つある。それは、人間(社会)と自然とを互いに相容れない“対立物”としてとらえているからだ。自然と人間とは、表面的には確かにそのような“対立物”として見えることはある。が、遺伝学や生物学、栄養学の視点から見れば、人間が自然の一部であることはあまりにも明白だ。人間は自然なくしては生きられない。このことは、科学が成立するはるか以前から明々白々の事実だったから、宗教の中には自然を尊び、自然をむやみに破壊しないための教えがいくつも含まれている。今夏、ブラジルのサンパウロ市で行われた「世界平和のための生長の家教修会」では、このことを確認するために開催されたといっていいだろう。もっと正式に(堅苦しく)言えば、今回の教修会のテーマは、世界の宗教のもつ「自然観」の研究である。そこでは、すべての宗教を取り上げることはできなかったが、南北アメリカの先住民の宗教に始まり、ユダヤ=キリスト教、ヒンズー教、仏教、イスラームについて、これらの教えの中で自然がどうとらえられているかが発表された。
 
 この中で、興味あることが1つ分かった。それは、上に書いた人間の自然に対する相矛盾したとらえ方--つまり、自然を克服すべき“対立物”と考える見方と、自然を尊ぶ考え方--が、同じ宗教の中に共存している場合があることだ。これの典型的な例の1つが、生長の家でもよく指摘される聖書の『創世記』の天地創造の物語の矛盾である。つまり、『創世記』の第1章と第2章には、少し異なった世界観を示す2つの創造物語があるということだ。このことを谷口雅春先生は、『生命の實相』頭注版第11巻(万教帰一篇上)で、例えば次のように指摘されている:
 
<すでに述べましたように、『創世記』の第1章における天地と衆群(すべてのもの)との創造は、神の第1念をば実質とし、神の言霊(ことば)を創造力として造られたのでありますが、その真創造は既に終わったのでありまして、今(第2章)は第2念の偽創造でありますから、土すなわち物質によってすべての生き物が造られたことになっており、神がすべての者にその名を与えたまうたものでなく、人間がすべてのものにその名を与えて、その名を与えたとおりにすべてのものが成っているのであります。> pp.65-66
 
 雅春先生はここで、『創世記』第1章では、例えば「神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた」(5節)とか「神はそのおおぞらを天と名づけられた」(8節)というように、神の被造物は神自身によって名前がつけられたとされているのに対し、第2章では、「人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった」とし、「人は、すべての家畜と、空の鳥と、野のすべての獣とに名をつけた」(19~20節)などと書いてあることを指摘されているのだ。つまり、第1章では「天地万物の命名者は神だ」と解釈できるのに対し、第2章では「それは人間だ」と言っているように見えるのである。

 このほかにも、両章の間には矛盾した記述がいくつもある。だから、聖書学者の間では、『創世記』の成立には少なくとも4人の"作者"が関与しているという説が唱えられている。そして、それぞれの作者を「J」(Jahwist)」、「E」(Elohist)、「P」(priestly writer)、「R」(redactor、編集者)というように、アルファベットの頭文字を使って表す習わしができているほどだ。さらに言えば、これらの聖書学者の見解によると、天地創造の物語は、「P」と「J」がそれぞれ第1章、第2章の成立に深く関与したという。このことを、イギリスの宗教学者、カレン・アームストロング氏(Karen Armstrong)は『神の歴史』の中で次のように書いている:

<イスラエルにおいては、前6世紀に至るまで、本当は天地創造への関心は存在しなかった。この時に初めて、「P」と呼ばれる著者が、現在の『創世記』の第1章にある荘重な創造物語を書いたのである。Jでは、ヤハウェが天地の唯一の創造者であるか否か、絶対的には明確ではない。しかしながら、Jにおいて最も明瞭なことは、人間と神の間に一定の区別があるという考えである。自分の神と同じ素材から成ると考えるのではなく、人間(アダム)は、その語呂合わせが示すように、土の塵(アダマ)に属するものなのである。>(p.30)
 
 つまり、アームストロング氏は、『創世記』第1章では「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」(27節)として、神と人間との本質的“同一性”が示されているのに対して、第2章では本質的な“異質性”が描かれている、と指摘しているのである。このことを元にして「自然と人間」の関係を考えれば、第1章では、自然も人間も神の言葉(=霊)によって創造され、「はなはだ良かった」のに対し、第2章の天地創造では、自然界の生物は土の塵(=物質)によって創造され、善も悪もある(=善悪を知る木)ということになる。第1章では、自然は人間の“対立物”ではないが、第2章では“対立物”となる可能性をもっているのである。
 
 谷口 雅宣

 

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2009年8月27日

ちょっと夏休み

Villadest1  26~27日の2日間、短い夏季休暇で山梨県・大泉町の山荘へ行った。今回は、キノコ採りや庭の草刈りは省略し、長野県の東御市(とうみし)まで足を延ばした。ここは市町村合併をする前は「東部町」と呼ばれていた場所を含んでいて、そこに玉村豊男氏が経営するガーデン・ファームとワイナリー「ヴィラデスト」がある。
 
 玉村氏のことは拙著『太陽はいつも輝いている』(2008年)にも紹介したが、私に絵を描くことを教えてくれた人の一人だ。とは言っても、直接教わったわけではなく、本や作品展を通してである。東京から、北アルプスを望む標高850mの高地に移り住み、野菜を作りながら、絵を描き、本を書き、展覧会をし、ブドウを栽培し、それでワインを作り、ついにレストランまで始めてしまったというマルチ人間である。その奥さんが、実は私の小学校時代の同学年で、いつかはご挨拶に行こうと考えていたのである。昼食時に予約して行ったが、観光バスまで来ていて、店内は人でいっぱいだった。玉村氏も店におられたが、客の案内や指図に忙しく、声を掛けるのは遠慮した。が、帰りがけに奥さんと話す機会があり、35年前の小学生の顔を覚えているか心配だったが、名前を言うと思い出してくださった。ありがたかった。
 
Efuto0908261  ヴィラデストでは数多くの野菜と果物を作っているが、レストランに隣接したオリジナルグッズ販売コーナーで、色とりどりの各種トウガラシを袋に入れて売っていたのが、面白くかつ美しかったので、買って帰った。辛さの段階を記した説明書もあって、とても親切だ。山荘に帰ってから、絵封筒に描いたものをここに掲げよう。

 谷口 雅宣

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2009年7月30日

グラフィティー作家のこと

 29日の本欄でご覧に入れたサンパウロ市の大きな“落書き”について、少し補足しよう。

 ツイッターで知り合ったブラジル人によると、この“壁画”の作者は、オタヴィオとグスタヴォ・パンドルフォ(Otavio and Gustavo Pandolfo)という双子のアーティストで、当地では「オス・ゲメオス」(双子)という名で知られているそうだ。サンパウロ生まれの35歳で、1987年ごろからグラフィティーを描くようになり、サンパウロ市を初めとしたブラジル国内だけでなく、オランダやサンフランシスコでの“作品”もあるらしい。
 
「作品」などという言葉を使うと、街での落書きを誉めているような誤解を招くかつかもしれないが、落書きは大抵の町では違法行為だ。が、グラフィティー・アーティストはそんなことは承知の上で、街中の意外なところ--高くて手が届きそうもない場所、危険な場所など--に、自分の名前やイニシャルを図案化した“サイン”を描いたりする。

 オス・ゲメオスの作品は、1980年代末のアメリカのヒップホップ・カルチャーの模倣から始まったが、1993年以降から絵の色調やデザインに“ブラジル色”が反映されてきたという。その特徴の1つは“黄色い顔の人物”で、またサンパウロの社会的、政治的状況を反映した題材、さらにはブラジルの昔話に取材したものなどテーマは多岐にわたる。興味のある人は、彼らの公式サイトを参照されたい。

 谷口 雅宣

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2009年6月 8日

ジョン・レノン・ミュージアム

 昨日は、埼玉県での生長の家講習会のためさいたま市へ行った。「さいたまスーパーアリーナ」という所が会場で、7,578人の方々が受講してくださった。雨続きの後のひさしぶりの晴天下で、2年前の前回より279人(3.8%)受講者が多かったことは誠に喜ばしい。運動の進展は講習会の受講者の数に必ず反映するわけではないが、教区の幹部・会員の方々が教えを伝えるために労苦を惜しまず、熱心に推進活動を展開してくださった努力の結果が一定の形に表れることは、うれしいことであり、充実感を得るとともに、さらなる運動の進展への足掛かりになることは間違いない。埼玉県の皆さん、ありがとうございました。
 
 会場へは東京から自動車で往復したが、帰りがけに予定を変更して、会場のすぐ隣にある「ジョン・レノン・ミュージアム」へ寄った。かつて2001年の4月の「小閑雑感」に中学生の頃出会ったビートルズの思い出を書いたが、そんな“淡い青春の記憶”には全くなかった彼らの様々な苦労話や、ジョンの不幸な幼年期、音楽活動の挫折、オノ・ヨーコとの出会い、ベトナム反戦運動、アメリカからの退去命令……等の人間的な歴史を知っJohnlennonて、あの時代の真面目で純粋な青年たちの末席に自分もいた、との思いをもった。時間の都合で展示物のすべては見れなかった。

 ジョンは音楽家であると同時に、美術も学び絵などを描いたことを私は知らなかった。作詞家としては、ひらめいた歌詞をホテルのメモ帳に書き止めたものが、ほぼ完成品だったなど、表現者として親しみがもてる側面は、彼の創作活動を背後から支えていたオノ・ヨーコという日本人の強烈な個性とともに、印象的だった。ジョンは、小学生の頃からマンガ風の絵を描いていた。それに触発されて、私もマンガ風のジョンを描いてみた。
 
 谷口 雅宣

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2009年6月 3日

いろいろの青

 5月22日の本欄で紹介したが、私の“手描き”のPC画に1点追加した。Bluestills2
 
 静物画だが、渋谷の東急本店にある美術画廊で見た山口真功氏の絵をもとにして描いた。構図はほぼ同一だが、ものの質感は相当違う。オリジナル作品は多様な「青」を表現しているが、私の場合、青の種類はきわめて限定的だ。少ない数の青を使って多彩な青が表現できるか……を狙った。
 
 谷口 雅宣

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2009年5月28日

絵手紙・絵封筒ワークショップ

 今日は朝から、東京・大手町の逓信総合博物館(ていぱーく)の2階で行われている「光のギャラリー 絵手紙・絵封筒展」へ行き、10時からのワークショップを担当した。この展覧会は、TKこと小関隆史氏が運営している絵手紙ブログ「アトリエTK」に投稿された絵手紙・絵封筒の作品を展示したもので、26日から始まっている。小関氏のブログには私も絵封筒を主体に投稿してお世話になってきたので、同氏の依頼をうけて、絵封筒や絵手紙を実際に制作するワークショップの“指導”をすることになった。
 
Tkphoto08  しかし、私は絵については正式な勉強などしておらず、趣味の範囲を出ないと思っているので、人を“指導”する立場にない。そこで、私の時間は「私は絵封筒をこうして描く」という題にしてもらい、主に自分の経験を参加者にお話しすることにした。ただ、生長の家には芸術連盟もあり、現在、新しいタイプの誌友会(少人数の教えの勉強会)で技能や芸術表現を扱うことになっているので、生長の家の教えと芸術表現との関係についてきちんと述べる必要がある。幸いにも、私の書いた小冊子『自然と芸術について』(生長の家刊)がこの日に間に合うように出版されたので、それをテキストに使いながら、50分ぐらいのトークと、絵手紙・絵封筒の制作実習、作品の講評を(あつかましく)行わせていただいた。
 
 TK氏からは事前に、ワークショップの参加予定者は15人ほどと聞いていたが、木曜日は生長の家本部が休館のこともあり、結構多くの本部職員が来てくださったので、狭い会場は人で埋まった。妻も参加者として来てくれた。私のトークは、前半を教えと芸術との関係、後半を私の絵封筒の描き方に分けたが、前者は内容が硬いのでほどほどにして、後者に力点を置いたつもりだ。前者に興味のある人は、上掲の小冊子の方をじっくり読んでいただきたい。後者について知りたい方は、このワークショップはビデオ録画してあるので、いずれご覧になれる機会が来ると思う。

 この展覧会とワークショップは31日(日)まで続くので、首都圏の有志の方はこぞって参加されたい。出品者は98人、作品点数は絵手紙215点、絵封筒74点である。明日以降のワークショップの予定は、次の通り(括弧内は担当者名):

       午前の部(10:00~12:00)    午後の部(14:00~16:00)
 29日(金)「絵手紙・絵封筒にチャレンジ」  「ポストカードをつくろう」
        (小関 隆史)        (竹内 芳美)
 30日(土)「スケッチを生かした絵封筒」   「ポストカードをつくろう」
        (玉井 亜季)         (竹内 芳美)
 31日(日)「楽しく描こう 絵手紙・絵封筒」「ハガキ・封筒に自由に描いてみる?」
        (栗原 麻衣)         (山本 英輔)

 谷口 雅宣

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2009年4月24日

“誠意ある表現”の大切さ

 今日は午前10時から、長崎県西海市にある生長の家総本山の谷口家奥津城の前で、「谷口輝子聖姉二十一年祭」がしめやかに行われた。お祭には、この日、最終日を迎える長寿ホーム練成会の参加者を初め、近隣教区の信徒等約320人が参集して、生前の輝子先生の御徳を偲びながら焼香、聖経『甘露の法雨』読誦を行った。私は、お祭の最後に概略、次のような挨拶をした:

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 皆さん、本日は谷口輝子先生の二十一年祭にお集まりくださいまして、ありがとうございます。輝子先生は92~93歳で亡くなられ、それからもう20年たったということですから、時がたつのは速いものです。私はこの間、3月1日に生長の家総裁を襲任させていただきましたが、その関係で輝子先生に久しぶりにお会いしたような気分を経験しました。というのは、東京の生長の家本部会館内で、前総裁の谷口清超先生が使っておられた部屋へ私が移ることになり、執務室を引っ越したのです。正確に言うと、まだ書籍等の移動がすべて終っていないので、まだ引っ越しの途中にあります。谷口清超先生の使っておられた総裁室には本がいっぱい残っていて、その中に輝子先生が書かれた『愛の相談室』というのもありました。
 
 この本は昭和59(1984)年の3月7日--つまり、輝子先生のお誕生日--に世界聖典普及協会から発行されたものです。もう25年も前の本です。この本は、実は私が作った本と言ってもいい。当時、私は世界聖典普及協会で出版担当の部長をしていて、部下と一緒に本や講話のカセットテープづくりをしていたのであります。そのことを思い出しました。今日は、その本から引用しながら輝子先生の御徳をお偲び申し上げたいと思うのです。
 
『愛の相談室』の本には、輝子先生のところに来た人生相談や信仰相談の手紙に対して、先生がお答えするという形式の文章がたくさん載っています。その中に「手紙は誠心で」という題のものがあります。この「まごころ」や「誠意」というものを輝子先生は大変重視された方でした。例えば、この相談の少し前のところで、厚化粧をする人について、こんなことを書いておられます--

「こういう人は、その厚化粧を剥した時に、ちょうどお面を取ったように、全く違う人が現われてくると思います。そういうお面を被ったようなお化粧をして、お見合いをしたりしましたならば、その方の結婚生活では死ぬまでお面を被っているわけにはまいりませんから、やがて子供の一人もできた時には、お面どころか薄化粧もしないで、襟垢だらけで汚い汚い女房になってしまいます。その時に、“お面”を見て美しいと思って結婚した男は、その婦人から心が離れてしまうのでございます。
 私は、何事もありのまま正味の姿で、生地そのままの姿でありたいと思います。お見合いの時でさえも、素顔であって欲しいと思うぐらいであります」(p.54)
 
 これは、「人と接するときはウソや見かけ倒しではいけない。誠意をもって接しなければ、いずれウソがバレて、人間関係が破綻する」--そういうことを仰っているのであります。この「厚化粧ではだめだ」というお考えは、手紙については、「真心をもって書けば、多少下手な字でも大丈夫」というお考えにも通じます。この本の94ページに、相談が書かれています--
 
 (相談の箇所を朗読)
 
 これに対して、輝子先生はこう答えておられます--
 
 (pp. 95-96 を朗読)
 
「虚栄心から字をうまく見せようとせずに、少々下手と思っても、誠意をもってていねいに書けば、それは相手に通じる」--そういうご指導です。輝子先生は、そういう生き方をされて来た人でありました。

 この「字をていねいに書く」ということは、最近のようにパソコンやケータイが頻繁に使われるようになってくると、あまり重要でなく感じられるかもしれませんが、そうではないと私は思います。というのは、私のところに手紙をくださる人の中にもいろいろおられて、直筆で書いてくる人が多いのですが、たまにパソコンのプリンターから打ち出した文字だけで、手紙をくださる人もいます。そういう手紙は非常に読みやすいという点ではありがたいのですが、「一体、誰が書いたのか?」と疑問を感じます。つまり、誰が書いてもプリンターで打ち出せば同じだからです。本当にご本人が書いたのならば、自筆のものの方がプリンターで打ち出したものよりも、受け取った相手は「誠意」を感じます。それが多少、下手な字であっても、ていねいにさえ書いてあれば「誠意」を感じます。
 
 それから、最近ではメールを多く使うようになってきました。皆さんの中にも、たいていのことはメールですませてしまう人もおられると思います。私も毎日、メールを使って人と連絡をしています。しかし、自分の「誠意」を示そうと思うときには、メールのような、手っ取り早く機械で作った文字では不十分ですね。また、誠意だけでなく、「好意」「感謝」「尊敬」「ユーモア」などを表現するときも、メールやパソコンよりも、自分の手を使い、下手でもいいから心を込めて書いたものが数段優れています。そういう意味からも、私は講習会の際には「絵封筒」というのをよく描きます。封筒に大きな絵を描いた中に、手紙を入れて出すのです。これは、絵手紙と同じように、ちょっと練習すれば誰にもできるものです。これをするには、メールを打つよりもはるかに多くの時間がかかりますが、その代り、相手に伝える内容は、大変豊かなものとなります。
 
 受け取った相手は、きっと驚くし、喜んでもらえます。これも「まごころ」や「誠意」の表現であります。誠意というのは必ずしも真面目なだけではなく、楽しいものも、ユーモアにあふれたものもあります。ですから、皆さんも光明化運動の中で、あるいはご自分の人間関係の中でも、表面を飾るのではなく、心の中にあるものを素直に表現しながら、誠意をもった生活をしていただきたい。それが、谷口輝子先生が教えてくださった生き方だと思います。
 
 谷口輝子先生の二十一年祭にあたって、所感を述べさせていただきました。ありがとうございます。

谷口 雅宣

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2009年4月10日

天皇皇后両陛下のご結婚50年をお祝いして

 昭和34年に天皇皇后両陛下がご結婚されてから、今日でちょうど50年目になるというので、朝からメディアにはお祝いの言葉と映像が続いていた。大東亜戦争後の厳しい時代から高度経済成長時代、公害の深刻化、沖縄の本土復帰、冷戦の終了など、変化多い半世紀を、数々のご苦労やご努力を表に出されずに、我々国民のために明るく公務を全うされてきた両陛下に心から感謝申し上げ、お二人の固い絆をお祝い申し上げます。天皇皇后両陛下、ご結婚50年誠におめでとうございます。

 今日の新聞各紙は、この日のために8日に行われた記者会見で両陛下が述べられたお言葉を伝えているが、その中で私の心に強く響いたポイントが2つある。1つは、天皇陛下が日本国憲法で規定された「象徴天皇制」を高く評価されている点だ。『朝日新聞』によると、陛下のご発言は次の通りである--
 
「(前略)私は即位以来、昭和天皇をはじめ過去の天皇の歩んできた道にたびたび思いを致し、また、日本国憲法にある、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であるという規定に心を致しつつ、国民の期待に応えられるよう願ってきました。象徴とはどうあるべきかということは、いつも私の念頭を離れず、その望ましいあり方を求めて今日に至っています」

 このあとに陛下が話されたことは、私にとって驚きだった--
 
「なお大日本帝国憲法下の天皇のあり方と、日本国憲法下の天皇のあり方を比べれば、日本国憲法下の天皇のあり方の方が、天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇のあり方に沿うものと思います」

 このお言葉の背景には、明治の開国から大東亜戦争の敗戦に至る時代は、日本にとっては言わば“危機の時代”であったから、天皇のあり方も一種の“危機対応型”にならざるを得なかったとのお考えがあるのだろうか……私としては、そう推測させていただくのである。明治憲法下では、天皇は国家元首であるだけでなく、軍隊を直接掌握する権限が与えられていた。国政に関しても、現憲法では許されない権限をもっていた。それよりも、今の象徴天皇制の方が、日本の長い歴史の伝統により近い、とのご認識なのである。
 
 また、私の印象に残った2番目は、この「伝統」についての両陛下のお言葉だった。天皇陛下は、皇室の伝統を次世代にどう引き継いでいくかという質問に対して、こう述べられた--
 
「先ほど、天皇のあり方として、その望ましいあり方を常に求めていくという話をしましたが、次世代にとってもその心持ちを持つことが大切であり、個々の行事をどうするかということは、次世代の考えに譲りたいと考えます」

 このお言葉は、「伝統を墨守する」というのとは大きく異なる。伝統的行事をすべて守っていくとはおっしゃらずに、「天皇の望ましいあり方」に沿うのであれば、個々の行事の改廃については次世代の判断に任せるとのお考えである。この点について、もっと明確な意思を表明されたのが皇后陛下である。
 
 皇后陛下は、天皇陛下が皇室の伝統的行事や祭祀について「昭和天皇の御代のものをほぼ全部お引き継ぎになりました」と述べられ、「伝統があるために、国や社会や家がどれだけ力強く、豊かになれているかということに気づかされる」と述べられた後に、伝統のマイナスの側面についても、次のように明言された--
 
「一方で、型のみで残った伝統が社会の進展を阻んだり、伝統という名の下で古い慣習が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは好ましく思いません」

『産経新聞』は今日の「主張」欄で皇室典範の改正について触れ、女性天皇や女系の天皇の可能性について「男系による皇位継承の伝統を破るもの」とし、「伝統を守りつつ、弥栄をはかるには旧皇族の復帰など皇室の拡充を真剣に考えるべきだ」と述べている。が、天皇皇后両陛下ご自身は「伝統墨守」のお考えではないことを、我々はしっかり理解しておこう。

 谷口 雅宣

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2009年3月25日

映画『パッセンジャーズ』

 今日は我々にとって“週末”の水曜日だったので、日比谷で映画鑑賞をした。妻も私もロドリゴ・ガルシア監督作品のこの映画の前評判をまったく知らなかったが、久しぶりに見ごたえのある作品に出会えたと思った。「パッセンジャーズ」は乗客という意味だから、恐らく飛行機墜落事故の映画……というぐらいの知識しかなかったが、そういうアクション性だけでなく、心理サスペンスとラブストーリーも入っており、加えて上質の宗教性も加味されている。それらの要素が、93分の作品の中できちんと表現されているのは、驚きだった。この見事な多面性を可能にしたのは、作品の最終部に仕掛けられた“どんでん返し”だ、と私は思う。

 これが何であるか言えないことを、読者は了解してほしい。この作品の醍醐味は、その“どんでん返し”を経験した鑑賞者の心に、複雑な謎が一気に解けた解放感と、静かな人間的感動が拡がっていくところにある。映画でなければ恐らく得られないそんな機会を、私は読者から奪いたくない。

 主演は女優のアン・ハサウェイで、若い心理セラピストを演じる。彼女は、不時着した航空機から奇蹟的に助かった5人の乗客のカウンセリングをする。この主人公は、いわゆる“心的外傷後ストレス障害”(PTSD)を“治療”しようとするのだが、5人の患者は1人、また1人と治療から脱落していく。かと思うと、妙に明るい男性患者が、彼女を口説こうと様々な手で言い寄ってくる。そのうち、事故機の航空会社が生存者の数を誤魔化している疑いが芽生える。かと思うと、彼女の上司が隠しごとをしている様子である--こうして主人公は、何か大きな“陰謀”のただ中にいる自分を発見して、もがくのである。

 映画は、主人公の目を通して周囲の状況を描いていくが、その同じ“周囲の状況”が、映画の最終部の“どんでん返し”によって主人公の思い込みから解放されると、映画鑑賞者にはまったく別の意味をもって見えてくる--それが圧巻である。これによって、鑑賞者は、同一の“事実の連続”が、2つの異なった意味をもっていることを知る。そして、“悪い意味”や“悪意”として感じられてきたことが、突然、“よい意味”をもった“善意”の行動であることが分かるのである。この体験は、人生の艱難に際して、環境は自心の展開であると知り、周囲の人々は皆、自分に何かを教えてくれる導き手であったと感じる宗教的体験とも似ている。上述した「上質の宗教性」とは、このことを言っている。
 
 「肉体の死は、人間の魂の解放である」と言われるが、この作品を見ると「なるほど、そうかもしれない」と納得される。昔の映画では『オールウェイズ』(1989年)や『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990年)が同じ主題をもっと正面から扱っていて、私は好きだった。が、この作品はそれを言わば“斜め”に扱おうとして“凝った仕掛け”を使っている。が、それに騙されても、悪い気はしないから不思議だ。
 
 谷口 雅宣

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2009年3月11日

サルも歯を磨く

 今朝のNHKニュースでサルが歯を掃除する様子を見て、私は驚いた。歯ブラシや楊枝を使うのではなく、フロスをするのだ。このフロスという習慣は恐らく日本人にはない。なぜなら、『広辞苑』を引いてもこの言葉は出ていない。また、私がそんな方法があるのを知ったのは、大人になってからだ。西洋人が糸を使って歯と歯の間を掃除するのを見て、「奇妙な習慣だな」と思ったのを記憶している。フロスは英語の「floss」から来ていて、もともとの意味は、トウモロコシのひげのように、植物にある絹綿状のものを言い、そこから歯間に糸を通して掃除する「糸楊枝」の意味になったらしい。ちなみに、「糸楊枝」も『広辞苑』にはない。

 このサルの行動は、しかしそれほど一般的な行動ではないようだ。『産経新聞』(11日付)によると、これをするのはタイのバンコクの北東にあるロブリーに生息するカニクイザルの一群で、この行動は10年ほど前から見られるようになり、「人と接する中で学んだ行動と考えられている」らしい。つまり、タイの人はフロスをするということで、このサルは街中で暮らしているから、人間を真似てするようになったというのだろう。しかも、フロスに使うのは「糸」ではなく、人間の「髪の毛」というから不思議だ。
 
 私がこれを不思議に思う理由は、日本ではシカ除けに人の髪の毛を使うという話を聞いたことがあるからだ。シカの食害を防ぐには、人間の髪の毛を吊るした糸を張っておくというのである。ということは、シカにとって人間の髪は“危険信号”か“嫌いなもの”であるはずだが、タイのカニクイザルにとっては、口の中に入れても問題ないということになる。街中で一緒に暮らしていれば、それだけ近い関係になるのだろうか。私だったら、妻の髪の毛でも口に入れたくないし、ましてやサルの毛などまっぴらだ。
 
 ところで、このニュースや新聞記事のポイントは何かというと、親のカニクイザルがフロスをする時、子ザルが目の前にいる場合は、そうでない場合よりも大げさに動作をするということを、京都大学霊長類研究所の研究チームが発見し、今日付で発行されるアメリカの科学誌に発表したということだ。これによって、「親が子に道具の使い方を教える」ことが、人間以外の動物で初めて確認されたと言えるらしい。これは『朝日新聞』の説明だが、『産経』の場合は「歯磨きを教える“しつけ”とも考えられる」と書いていて、微妙に表現が違う。私は、日本語の「しつけ」の意味は「礼儀作法などを身につけさせる」(『広辞苑』)ことだから、ちょっと意味がズレていると思う。『朝日』の表現だと、サルは「道具の使用」をするだけでなく、「道具の使用法の伝達」も行うというポイントがより明確だ。
 
 京大の霊長類研究所は、幸島のサルの“イモ洗い”を発見したことなどで有名だ。これは、「海水を道具に使って、イモの汚れを落とし、さらに塩味をつける行動をサルがしている」ということで、今回の発見は、そういう道具の使用法の伝達が、サルでは親から子へと意識的に行われていることの証拠となる。これがなぜ重要かというと、動物行動学の分野では、「道具を作る」ことや「道具を使う」ことは昔から人間だけがすると考えられていたし、ましてや「道具の使用法を教える」などという高度に文化的な行動を、人間以外の動物がするとは考えられていなかったからだろう。が、私の感想を言わせてもらえば、カラスだって木切れなどを道具に使うし、「教える」ということだったら、鳥も子に飛び方を教えるだろうし、猛獣は狩りの仕方を教えると思うのだが……。それともこれは“素人判断”なのか?
 
 谷口 雅宣

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2009年2月12日

カキフライを食べる

 今日は木曜日で休日だったので、妻と連れ立って絵の展覧会を見に京橋へ行った。妻が単行本の製作で世話になったデザイナーの作品が展示してあるというのである。その展示をしっかりと見てから会場を出ると、同じビルの階下では水彩画展をやっているというので、せっかくなのでそれも見た。水彩用紙の白い地肌を存分に生かした、明るく、透明感のある風景画が数多く展示されていて、妻と2人で「ああ、いいなぁ~」と言いながら鑑賞した。気がついてみると、私は近ごろきちんとした風景画を描いていない。これらの絵を見ていると、そのことが、何か大切なものを粗末に扱ってきたような反省の気持を、私に起させるのだった。

Img_3335s  画廊を出た時は、まだ11時半になっていなかった。昼食をどこで食べるかの見当はつけてあったが、時間がまだ早いので近所を散歩するともなく2人で歩いていたら、1軒の店の前に15~16人ほどの人の列ができている。どうやらレストランらしい。こんな時間に人が並ぶほどの店があるのかと思いながら、私はどんなメニューがあるのか、入口のディスプレイを覗いてみた。ミンチカツ・ランチ、ハンバーグ・ランチ、カキフライ、鶏肉のコンフィ……など、それほど珍しいものではない。いわゆる“日本の洋食”かと思って妻の方を振り返ると、彼女は人の列の中にいて、その後ろにもう4人ほど若い女性が並んでいるのである。「そうか、ここで食べるつもりか」と私は思い、彼女のそばへ行くと、妻は自分もメニューを見たいと言うのだった。
 
 最初は、2人とも冗談半分で列に入ったのである。ところが、我々の後にも次々と人が来て列が延びていくのを見ると、当初の計画を変更して、この店で食べるのも面白いかもしれない、と考えが変わってきた。で、結局、11時半の開店まで5分以上待って、他の客とともにゾロゾロと店へ入っていった。入口脇のカウンターには、その店のことを記事にした雑誌が数冊、カラーグラビアを見せて広げてある。「そうか、雑誌で有名な店なんだ……」と了解して、期待に胸を膨らませた。しばらくして席へ案内され、私は予定通りカキフライを注文した。
 
Mtimg090212  最初に、コーヒーカップのような容器に入った、キャベツのスープが出された。外で待っていて冷えた体を、それを飲んで温める。次に、白い大皿に盛ったカキフライが出てきた。トンカツに添えられるような、付け合わせの千切りキャベツが山盛りになっている。その脇に、丸々と太ったカキのフライが4個並んでいる。フライの下にはタルタルソースが敷かれ、そのほか半切りのトマト、ポテトサラダ、レモン2切れが、同じ皿に盛りつけてあった。妻の料理が来るのを待って、私はレモンを絞ってフライにかけ、食べはじめた。カキフライは、1口で食べられないほど大きかった。そんな場合、安い店では“衣”を分厚くしてあるのだが、この店の“衣”は薄く、ジューシーなカキの味が口の中に広がった。「なるほど、人が並ぶはずだ」と私は思った。
 
 旬の食材を使ったボリュームのある昼食をいただいて、2人は満足して店を出た。難を言えば、店の混雑と忙しさが気になった。また、我々の年齢では、昼食としてはボリュームがありすぎる。しかし、若いビジネスマンや女性にはピッタリの内容なのだろう。「もう一度来るか?」と訊かれたら、多分、昼にはもう来ないだろう。休日のアドベンチャーとしては、味だけでなく、スリルも十分楽しめた。
 
 谷口 雅宣

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2009年2月 5日

百目鬼の伝説

 2月3日の本欄でハズカシイ動画を公開してしまったが、予想外の反響で恐れ入っている。読者からのコメントの中に、私が被ったお面について「鬼なのか? 日本の鬼なのか?」との質問があったので、きちんと調べてみた。このお面は、妻の誕生祝いに栃木県の信徒の方が送ってくださったもの。これを前回、「カンピョウの実で作った」などといい加減なことを言ったが、「カンピョウ」という植物は存在せず、正しくはユウガオの実をテープ状に細長くむいて乾燥させたものをカンピョウと呼ぶのだそうだ。カンピョウは栃木県の名産で、全国の生産量の9割を占めているという。

 鬼のお面は、このユウガオの実の外皮を乾燥させて作る。ちょうどヒョウタンを作るときMtimg090205 と同じように、果肉を取り除いて乾燥させたものを「ふくべ」と呼び、これを使った民芸品が「ふくべ細工」だ。ふくべ細工の歴史は古く、戦国時代には、茶道用の炭入れとして、また昭和30年頃まで一般庶民の間でも炭入れとして、日常的に使われていたという。現在は、宇都宮市内の職人により、炭入れ、花器、小物入れなどのほか、絵付けに凝った人形や魔除けの面が作られている。栃木県の伝統工芸品に指定されている。ふくべ細工のうち、宇都宮市に伝わる「百目鬼の伝説」をもとにして作られたお面を「百目鬼(どうめき)面」と呼び、魔除けとして使われたらしい。
  
 「百目鬼の伝説」とは、「藤原秀郷の鬼退治」とも言われ、近江において大ムカデを退治したという藤原秀郷(ひでさと)の英雄譚の1つである。彼が下野国(現在の宇都宮市)を通りかかった時、身の丈3メートルを超し、手に百も目がついている「百目鬼」が現れたので、秀郷は弓を引いて鬼の心臓を射抜いたところ、百目鬼は断末魔の力を振り絞って体から火を吹き、あたり一面が火の海になったという。すると、そこへ本願寺の智徳也上人がやってきて呪文を唱えたところ、鬼から燃え広がっていた炎は消え、黒焦げとなった人の姿が残っていたそうだ。ナムアミダブツ、ナムアミダブツ……。そして、その地を人々は「百目鬼」と呼ぶようになったのである。
 
 藤原秀郷は、平安中期の関東の武将で、平将門の乱(940年)で超人将門を討ったところから数々の英雄伝説が生まれた人物だ。大ムカデ退治の話も将門討伐と関係している。この大ムカデは三上山に巣くっていたが、秀郷はこれを退治したお礼に黄金の太刀と鎧をもらったうえ、これらを身につけて朝敵を討てば将軍になれると予言され、その予言通りに平将門軍を破ったという。
 
 昨今は“韓流”など、美しい柳のような男に人気があり、秀郷のような勇猛な武将はテンデ人気がないためか、ふくべ細工の百目鬼面もあまり買う人がいないそうだ。“韓流”に魔除けの必要がなければ、その北側に位置する国にも“魔除け”はいらない--そんな錯覚を抱く人も多いのだろう。そんな状況下では、節分に“鬼”が大暴れして見せるのは、ひょっとしていいことなのかもしれない。だから、日本人はハローウィンよりも、この節分の“鬼”を盛り立てていくのはどうだろうか?
 
 谷口 雅宣

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2009年2月 3日

早くも節分

 このあいだ新年になったばかりと思っていたら、もう節分だそうだ。日本の伝統を重んじる妻には、「忙しいから…」という理由で節分を省略することは許してもらえない。夕方に帰宅したら、食堂のテーブルの上にはきちんと料理が整えられている。それを見て、私は思わず、
「わぁー、きれい!」
 と言ってしまった。
Setsushi  関西方面では、節分に豆まきをするだけでなく、お寿司を食べるのだという。ごらんのように、太巻きに酢蓮根、金目鯛の澄まし汁、菜花の白和えの並んだ食卓を、妻は用意しておいてくれた。ここまでしてもらったので、私は豆まきで“鬼役”を演じようと心に決めたのである。
 
 食事の話題は、季節のめぐりの速さである。妻は、庭の紅梅の花のついた枝を、隣家の母宅へ持っていったことを話し、私は今日、街でフキノトウを見つけたことと、庭の池の周りにまたヒキガエルが出て、コロコロと鳴いていたこと、門を入った暗がりで1匹を踏んでしまったことなどを話した。
 
 夕食の後は、古式にのっとり豆まきの儀式--ということになるところ。しかし、何せものの本によると、豆まきの起源である宮中の追難式(ついなしき)では、殿上人が鬼に扮した舎人(とねり)を追い回し、桃の弓に蘆(あし)の矢をつがえて射るという大がかりなもの。とてもそこまでできない我々は、妻が殿上人、私が鬼になって、ごくごく簡単に、奇妙な豆まき遊びをしたのだった。

 節分や豆から逃れ蟇を踏む

 谷口 雅宣

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2009年1月19日

古い記録 (8)

 本シリーズでは、私が少年のころに書いた文章や、撮った写真をもとにして、当時の私がどんな少年で、それがどう成長していったかを辿ろうとしている。前回(1月13日)は、1970年の夏、私が18歳で初めての海外旅行をした時点まで来た。1カ月半の旅行で36枚撮りフィルムを22本分を写したが、それ以降も、私は大学生が享受する特殊な“自由”を生かして、モノクロ写真を撮り続けたようだ。
 
 撮影の対象は、別に決まっていない。近いものでは自分で作ったプラモデルのスポーツカーをだったり、庭の犬、植物、家族はもちろん、大学のある青山から、渋谷や原宿へカメラを持って歩き、町並みや人などを写した。また当時、青山学院高等部から慶応大学へ進んだ友人がいて、その友人とともに車で鎌倉や横浜などに撮影に出かけることもあった。そのころ父は『アサヒカメラ』や『日本カメラ』などの写真雑誌を購読していて、私はそれらを時々借りて、木村伊兵衛や秋山庄太郎などのプロの写真や、その他アマチュアの入選作品を見て刺激されていたのを憶えている。また、2007年10月28日の本欄にも書いたが、森山大道の型破りの写真にも魅力を感じていた。
 
 71~72年には、モデルを使った人物写真を撮っている。ポートレートのスナップは、ブラジルでも結構撮っているが、そうではなく、1人の人物を様々な角度から、また様々な恰好をさせて撮るのだ。貧乏学生だから、もちろんプロのモデルを使うのではなく、同じ大学の女友達に頼んで、モデルになってもらうのである。そんな“にわかモデル”を子供の国や横浜などへ連れて行き、写真に撮っている。
 
 こんなことを書くと、大学では授業にもロクに出ず遊んでいたように聞こえるかもしれないが、決してそうではない。私は法学部の公法学科に在籍していて、専攻は国際法と国際関係論だった。私は学問が嫌いではなかったから、出るべき授業には出て、必要な単位は取得し、さらに成績も悪くなかった。だから、アメリカの大学院にも入れたのだと思う。アメリカの大学は、入学の条件として日本での成績を重視するからだ。ただ、第二外国語としてフランス語を履修したが、これはなかなか難しく、辛うじて及第点だったと記憶している。何しろ、名詞のすべてを男か女に分けて考えるというのが、どうも不合理に思え、しかも煩雑なので閉口した。大学の授業で印象に残っているのは「スピーチ・クリニック」というので、英語の発音やイントネーションに絞り込んで教えてくれる。当時の青山学院ならではの科目で、そこの先生が「Did you eat?」という英語は、「ディヂューイート?」などと言わないで「ジーート?」でいいんだ、と教えてくれたのを憶えている。
 
 こんなことは、しかし記録には残っていない。残っているのは、大学の課外で文学サークルに所属していたことだ。これは「轍の会」という名前の同好会で、『轍』という同人雑誌を発行していた。こんな書き方をすると、何かきちんとした印刷物のように思えるが、ワラ半紙にガリ版刷りのごく“原始的”な印刷物である。しかも、数回発行しただけで、ほどなく廃刊になってしまった。そんな雑誌に、私は詩や、小説のようなものを発表して、同人と合評会をしていたのである。

 谷口 雅宣

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2009年1月18日

聞こえない“名演奏”

 15日の本欄に私が新宿駅の雑踏を好きでないことを書いたら、久保田裕己氏から興味ある情報をいただいた。駅の雑踏の中では、名演奏家による名曲の演奏も、ほとんどの人には分からない--そういう事実を示す実験が行われたというのだ。これは、「認めないものは存在しない」という唯心所現の教えにも通じるし、また「光を見る者に光は訪れる」という日時計主義の生き方の効果を実証している。なかなか面白い実験である。
 
 この実験は『ワシントンポスト』紙が2007年1月12日に行ったもので、同年4月8日の同紙に掲載された。それによると、この実験は同日の朝、7時51分から43分間にわたって首都ワシントンの地下鉄の駅「ランファン・プラザ」で行われた。この日は金曜日で、駅周辺は東京では「霞が関」のような連邦政府の役所が建ち並ぶ官庁街だ。ちょうどラッシュアワー時で、駅からは勤め先に急ぐ人々が毎時千人以上吐き出される。そんな所で、ジーンズにTシャツを着、野球帽を被った若づくりの男がバイオリンを弾く。その様子を、ビデオカメラが見えないところから撮影する。曲目はすべてクラッシクで、腕前はなかなかいい。このような音楽に、いったいどれほどの人が気づき、また耳を傾けるだろうか? また、この男の前に置かれたバイオリン・ケースには、どれだけの寄付が投げ込まれるか?--そういう実験である。

 結論から言ってしまうと、立ち止まって一瞬でも音楽に耳を傾けた人は7人、金を投げ入れたのは--ほとんどが立ち止まりもせずに--27人。そして、43分間で若者が稼いだ金額は、約32ドルだったという。「なんだ、そんな当り前の結果か……」と読者はガッカリしないでほしい。問題は、この“若づくりの男”が誰であり、その演奏はどの程度のものかということなのだ。
 
 同紙の記事では、この演奏家はアメリカで人気のバイオリニスト、ジョシュア・ベル氏(Joshua Bell)で、弾いていた楽器は350万ドル(3億5千万円)もしたという世界的な名器「ストラディバリウス」だそうだ。私は、ベル氏のことはよく知らないが、記事によると、この実験の2日前にボストンで開催されたコンサートはすべて売り切れており、入場料は平均100ドルだったそうだ。ウィキペディアによると、彼は当年41歳で、「インディアナ州ブルーミントンに生まれ、12歳の頃から地元インディアナ大学の名教師として知られるジョーゼフ・ギンゴールドの薫陶を受ける。14歳で、リッカルド・ムーティ指揮するフィラデルフィア管弦楽団と共演し、1985年にセントルイス交響楽団と共演してカーネギーホールにデビューを果たした。それからは世界中の主要なオーケストラや指揮者と共演している」そうだ。
 
 一流の演奏家が名器を使って弾く音楽も、「心そこに非ず」の状態の千人の人々にとっては「存在しなかった」のである。そういう意味では、私は新宿駅の雑踏が好きでなくても、モーニングサービスやノートパソコン以外にも、駅頭でもっと周囲に注目し、耳をそばだてるべきだったのか?
 
 ところで、この実験のダイジェスト版は、ユーチューブの『ワシントンポスト』のぺージで見れるから、興味のある読者はぜひ一見されたい。
 
 谷口 雅宣

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2009年1月16日

上を向いて歩こう (3)

 これまで本題でこのブログを書くとき、私は“大不況”とか“経済危機”などと呼ばれる今日の困難な経済状況にも「良い面」があるから、それを認めて明るく前進することを訴えてきた。例えば、昨年10月11日の本欄にはこう書いた--
 
「株価の下落は消費マインドを減退させるというが、それはそのままCO2の排出削減になるし、自然破壊の速度が鈍ることを意味する。人間の諸活動の“過剰”な部分が削り取られて、もっと自然と共存できる技術や生き方、諸制度が新たに工夫できる素地が整えられるかもしれないのである。いや、まさに今、そちらの方向に人類は大きく舵を切るべきだ。枯渇する資源を争奪して富を増やすことから、枯渇しない自然エネルギーの利用と、他国や自然との共存に向かって産業構造を切り替える時期に来ているのだ」

 また、私の生活と仕事の場である東京・原宿のきらびやかな“繁栄”については、「ヴァニティー・ストリート」(虚栄通り)と呼んで批判したり、作家の工藤美代子さんが命名した「欲望の街」という表現に賛同したりした。私がブログでいくら批判しても、世界の高級ブランド・ショップにとっては痛くもかゆくもない。が、世界的経済不況がやってくると、さすがにダメージが大きい。贅沢品や装飾品は、消費者の購入リストから真っ先に削られるからだ。その証拠に、ルイ・ヴィトンは最近、豪華な大型店の東京への出店を取りやめた。シャネルも、200人の臨時雇用者の自宅待機を決定した。が、仕事が減るだけでは必ずしも“良い面”とは言えない。仕事の内容そのものが“自然共存型”や人間の“精神向上型”に変化していくべきである。

 ところが、そうした贅沢品や装飾品の“発祥地”のように言われるフランスで、「これから精神性の向上を重視した生き方が始まる」として不況を歓迎する声が上がっているという。16日の『ヘラルド・トリビューン』紙が伝えている。それによると、『ル・フィガロ』誌は最近号の12ページを割いて、慎ましい生活のための手引を特集し、人々は今年、仕事を減らして家族との時間を大切にするだろうと予測している。専門家に言わせると、これはフランスでの“価値観の革命”だという。また、世界5大宝飾店に挙げられるモーブッサン(Mauboussin)の会長は、今回の不況からフランスの贅沢品産業を救うためには、価格の大幅引き下げをしなければならないと主張し、自ら「愛の機会」(Chance of Live)という名の1カラットのダイヤの指輪の値段を、通常より3分の1安くしたという。
 
 フランス言論界ではもっと厳しい反省が行われ、贅沢品産業が死滅することが国家の浄化に必要だという意見さえ出ているらしい。また、アメリカ式資本主義の信奉者で、就任時には、より多く稼ぐためにより多く働こうと訴えたサルコジ大統領も、考え方を変えたようだ。同大統領は先週、世界経済に道徳的価値を導入することをねらった政治家・経済人の会合で演説し、古い金融秩序は「非道徳的で制約のない資本主義によって悪用された」ため、「富の象徴が富自体より尊重されることになった」と現状を批判した。そして、国家には資本主義の過剰を規制する役割があると述べたという。

 あるインタビューの中で、シャネルのデザイナーであるカール・ラゲルフェルド氏(Karl Lagerfeld)などは、「今のような劇的な変化がなければ、創造的な進化というものは起こらない。華美や虚飾の時代は終わった。人造ダイヤを散りばめた赤い絨毯は、もういらない。私はこれを“新しい節度”と呼びたい」と言う。が、シャネルの人員整理は騒がれ過ぎた、と同氏は言い、先週同社がパリとモスクワで行ったオートクチュールのショーでは、2007年のパリとロンドンのショーより17%も売り上げが伸びたことを強調したそうだ。
 
 原宿の表参道に象徴される世界の贅沢品業界が今後、どうなるか私には分からない。しかし、虚飾や過剰な消費を反省する動きは現に世界中で起こっているのだから、この流れを生かした“自然共存”“精神向上”の産業が育っていくことを、私は心から願っている。
 
 谷口 雅宣

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2008年12月22日

映画『PARIS』

 今日は夕方、渋谷の Bunkamura のル・シネマで封切りとなった『PARIS』という映画を見に行った。フランスの首都・パリを舞台とした現代のいくつもの人間模様を、同時並行的に描いていくセドリック・クラピッシュ監督(Cedric Klapisch)の作品である。私はこの監督のことをよく知らなかったが、クラピッシュ氏は「群像ドラマに長けた映像作家」ということで、『百貨店大百科』『猫が行方不明』『スパニッシュ・アパートメント』などの作品が日本でも人気だそうだ。ところが、これらの作品はパリを舞台としていても、「パリ」という街そのものを描いていなかった。また、都市を描いている作品は、同氏の母国・フランスではなく、ロンドンやバルセロナ、サンクトペテルブルクなどの外国の都市だったという。が、今回の作品で、同氏は初めてパリ自体を描いた。同氏自身の言葉によれば、この作品は「僕の過去の全作品と響き合っている」し、「今までやってきたことを総括したかった」のだという。
 
 映画に出てくる“人間模様”とは--①ソーシャルワーカーの姉とダンサーの弟、②ファッション業界にいる姉妹、③歴史学者の兄と建築家の弟、④市場の商人たち、⑤パン屋の女主人とエジプト人の使用人、⑥アフリカにいるカメルーン人、⑦魅力的女学生、などだ。映画の導入部では、これらの人々がパリを舞台に無関係に描かれていくが、やがて一部が重なり合い始める--ファッションモデルはカメルーン人に声をかけ、ソーシャルワーカーは市場に買い物に行き、ダンサーはパン屋でパンを買うために並ぶ。そして歴史学者は、教え子である美しい女学生に惹かれていく……。クラピッシュ監督に言わせると、「パリのポートレイトを創りたいなら画一化してはダメだ。複雑なパリの街並みを認めること」が大切だという。この言葉の通り、映画の前半はなかなか複雑である。
 
 主人公は、上の①の関係にいる「ダンサー」で、彼は致命的な心臓病が発見されて、移植手術を待つ身となる。すると、彼の中に人生に対する“新しい視点”が生まれる。それは、一種の“旅人の視点”だ。まもなくこの人生の全てを置いて旅立つかもしれない彼にとっては、人生の出来事のすべてが、美しく楽しいものはもちろん、生きていくための人々の不満も、いさかいも、心配も、苦しみも……すべてが愛おしく、貴重なものに感じられるのである。そして、ダンサーは、エッフェル塔の見えるアパートの高層の部屋からバルコニーへ出て、パリ全都で行われている人々の営みを見るともなく、想像する作業に身を委ねる。

 クラピッシュ監督は、この手法によって描きたかったことを、こう表現する--「孤独な人々にも互いに交差する道はあるものだ。多くの映画はひとりの人生を描くが、この映画では様々な人の生活の断片を追うことで、たくさんの道があることを描きたかった。個々の道が集合的な感情を創り上げているんだ」。私は、この意図は本作品において見事に実現されていると思う。映画の最終部では、主人公が移植手術のためにタクシーで病院へ向うシーンがあるが、その時、彼が車窓から見るパリの風景の中に、①から⑦までの登場人物すべてがあり、それぞれが独自の人生を生きつつあることが巧みに表現されていく。そして、困難な手術に直面して「死」を覚悟しているはずの主人公が、人生のすべてを容認する心境を得て幸せな顔をしていることに、映画鑑賞者は気づくのである。

 私は、パリには一度しか行ったことがないが、本作品を見てまた行きたくなった。フランス映画は、憂鬱で暗い作品が多いと言われるが、この作品は人へのニヒルな愛情に溢れていて好感がもてる。個々の登場人物の生き方にはいろいろ問題があるが、それら人間相互の様々な営みのすべてを受け入れ、愛しむ視線がある。それは日時計主義にも通じる所があると思うのだ。
 
 谷口 雅宣

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2008年12月 7日

モラエス館を訪ねる

 徳島市で行われた生長の家講習会の終了後、同市のシンボル的存在である眉山まで行った。標高290メートルの山頂からの景色がいいというのだが、快晴の空の下に広がる市街地、吉野川、新町川、助任川、その向こうに紀伊水道が一望できる広大な風景は、私の予想を上回っていた。眉山は、下から見ると北海道の函館山にどこか似ているから、函館山からの風景を頭に描いていたのだが、函館の風景は“奥への広がり”が見事なのに対し、眉山から望む風景は“横の広がり”が秀逸だった。麓から山頂までは、35分から2時間かかるものまで10通りもの登山コースがあり、市民がそれぞれ好みのルートで歩いたり、走ったりするという。私たちが車で山頂を目指す途中でも、トレーナー姿の何組もの人々と会った。その山頂へ向かう主たる道路の開始点近くに、わが生長の家の徳島県教化部会館が建っているのを知って、何だかうれしくなった。そこは、市民に愛される場所に違いない。
 
 前日に初雪が降り、その晩は氷点下になったというだけあって、眉山山頂はとても寒かった。展望台で絶景を前に何枚か写真を撮ったあとは、私たちは室内に逃げ込みたくなった。ちょうど「モラエス館」という建物があって、展示が見られるというので中に入った。徳島を愛したポルトガル人の業績について展示した施設である。
 
Mtimg081208  ウェンセスラウ・デ・モラエス(Wenceslau de Moraes, 1854-1929)について、私は予備知識がなかった。が、展示によると、なかなかの日本びいきで、日本に31年間住み、前半は神戸で領事・総領事を歴任したあと、最後の17年間を徳島で過ごした。その間、日本人妻をもち、『極東遊記』『茶の湯』『徳島の盆踊り』『日本精神』などの作品を書いて「徳島の小泉八雲」と称されたという。モラエス館には、徳島市内の伊賀町3丁目にあった、彼が暮らした長屋の居間兼書斎を再現した空間があり、それを見ると、畳に置かれた背の低い机や脇息、本棚、小さな火鉢など、昔の庶民の居間と変わらない。終生、母国のポルトガルには帰らなかったというから、何が彼を日本に留めおいたのか不思議に思う。
 
 日本は、江戸時代も長崎を通じてポルトガルとの交流を保った。ポルトガルは、植民地としてはブラジルが最大のものだろう。そのブラジルへ遙々出かけた日本人によって同国に生長の家が伝えられ、そこで大いに発展したことを考えると、日本びいきのモラエスが半生を日本で過ごしたことが、妙に納得されるのである。このように有名、無名の数多くの人々が異国の地、異国の文化との“懸け橋”となることで、今日の国際社会は成立してきたのだと改めて感じた。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月27日

生長の家大神の姿 (3)

 前回、本欄の最後の方で書いた言葉は重要なので、ここでもう一度繰り返そう--特に生長の家は、「万教帰一」を教義の中心に据える宗教であるから、生長の家大神の姿は具体的には表現しないのである。これと同じことは、昭和6年4月に下された「万教帰一の神示」に明確に書いてあるので、憶えている読者も多いに違いない。この神示は、こんな言葉で始まる--「われに姿かたちあるように言うものあれどわれは姿なきものである」。さらに、神示はこう続く--「信仰深き諸方の霊覚者にわが神姿を示したることあれども、そはわが真の姿に非ず…(中略)…。本来われに一定の神姿はない。如何なる姿も欲(おも)いのままに現ずることが自由である」。

 また、『真理の吟唱』(谷口雅春著、日本教文社刊)に収録された「観世音菩薩を称うる祈り」には、「生長の家の礼拝の本尊は観世音菩薩なのである」と書かれている。このことと、生長の家大神に一定の姿かたちがないことは、密接に関係している。なぜなら、観世音菩薩とは「世の中の一切衆生の心の音(ひびき)を観じ給いて、それを得度せんがために、衆生の心相応の姿を顕じたまう“観自在の原理”であり、…(中略)…三十三身に身を変じてわれわれを救いたまう」(同祈り)存在を指すからである。つまり、「生長の家大神」という呼称は、神道的な表現を使った一種の“仮称”であり、仏教的には「観世音菩薩」と呼ばれているものである。
 
「三十三身に身を変じる」とは、実質的には「無限の形に変化する」ということであり、「千変万化する」という意味だ。そうなると、神道や仏教のみならず、キリスト教の伝統の中にも何らかの形で生長の家大神は現れていることになる。これが「七つの燈台の点燈者」と呼ばれているものだ。昭和6年5月の「新天新地の神示」には、神示の啓示者自らが、そのことをこう表現している--

「もっと兄弟たちに、『生長の家』を伝えよ。神の愛は貰い切りではならぬ。頂いたお蔭を『私』しないで、神の人類光明化運動に協力せよ。『生長の家の神』と仮りに呼ばしてあるが、『七つの燈台の点燈者』と呼んでも好い」。

 ここにある「七つの燈台の点燈者」とは、聖書の『ヨハネの黙示録』に出てくる「七つの金の燭台の間を歩く者」のことである。聖書は、この不思議な存在者を人間としてではなく、一種の“霊人”のような姿形で次のように描いている--

「ふりむくと、七つの金の燭台が目についた。それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた。そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。その右手に七つを星を持ち、口からは、鋭いもろ刃のつるぎが出ており、顔は、強く照り輝く太陽のようであった」。(『ヨハネの黙示録』第1章12~16節)

 読者に気がついてほしいのは、ここで描かれている“霊人”は、前回の本欄で図や写真によって描かれた“神姿”と多少異なるということである。「白い衣を裾まで垂れ、ヒゲを胸までたれた」という点では似ているかもしれないが、胸に金の帯をしめてはおらず、右手に七つの星をもたず、口から鋭い剣は出ていない。しかし、神には一定の姿かたちはないということと、観世音菩薩は無限の形に変化するということを理解していれば、聖書にあるこの記述が、無限の表現の中の1つにすぎないという理解に読者は到達するはずである。

 最後に1つ付け加えよう。それは、生長の家で「七つの燈台」と呼んでいるものが、聖書ではなぜ「七つの燭台」なのかということだ。実は、現行の口語訳と新共同訳の聖書ができる前に使われていた文語体の聖書では、この部分は「燈台」となっていたのである。英語版の聖書でも、ここは「candlesticks」(ろうそく台)とか「lampstands」(燭台)となっている。だから、原典であるギリシャ語の聖書では、恐らくここは「燭台」の意味に近いギリシャ語が使われていたと思われる。しかし、谷口雅春先生は、そのことを知りながらもあえて「燈台」という日本語を選ばれた、と私は推測する。
 
 聖書のこの箇所では、この霊人は「あなたが見ていることを書きものにして…(中略)…七つの教会に送りなさい」と命じ、その後に、この「七つの星は七つの教会の御使いであり、七つの燭台は七つの教会である」という奥義を明らかにしている。「教会」は人間の所属する組織であると同時に、建物も意味する。それを「燭台」によって象徴することはもちろんできる。しかし、「燈台」という言葉で表すほうが、島国である日本の文化的環境ではより親しみやすく、また解釈により広がりをもたせることができる--谷口雅春先生は、こう考えられたからではないかと私は思う。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月26日

生長の家大神の姿 (2)

 私は前回の本欄で、生長の家大神の神姿について「谷口雅春先生ご自身は、この神姿をはっきりとご覧にはなっていないようだ」と書いた。が、雅春先生が神姿を拝されたと思われるケースが、1つある。それは、『生長の家』誌の昭和7年3月号の表紙に「白い衣を裾まで垂れ、ヒゲを胸までたれた」神姿が描かれていて、その解説文にこうあるからである--
 
<表紙画の由来
 
Snigod  天を視るに幾万の天使たち身に羽衣の如きものを着け、手に巻物を持ちて打ち振り何事かなすものの如し。第一の天使地上を瞰下(かんか)して宣う--「この地も兵火にかかるべきか」。第二の天使答う--「この地は最も迷いふかき地なれば最も甚だしき十字砲火に晒されん。されど神縁ある人々は悉く救われん。ひとりとして誤りて殺さるるものなけん。時は来た。殺さるるものは殺され、焼かるるものは焼かれん」。地を視るに、火災、砲炎、阿鼻叫喚、日本人あり、支那人あり、あらゆる国の人々あり。天使たちの手に巻せる物には『生命の實相』と書かれたり。と見る、其の巻物より白き霊の糸の如きもの無数蜘蛛の糸の如く下りて光を放つ。霊の糸の先端に黒き書物あり、三方より光を放つ。大涛の如き天使の声聞こえて「生命の実相を握るものは炎の中にあって焼けず、死を超えて永遠に生きん」(1月5日の霊象に基き本号の表紙画をかえました。)>
 
 この時の表紙画をここに掲げるが、その“神の顔”は、現在の本部会館にある神像の顔とはやや異なるのである。また、髪の毛の感じもLordofsni何となく違う。このように、具体的に絵や彫刻として形づくられた神は、どうしても「似ている」とか「似ていない」という問題が出てくるのである。そうすると「似ている」ところに注目して「同じ神だ」と考える人と、「似ていない」箇所に注目して「別の神だ」と感じる人が出てくる。同じ国の人の間でもそういう違いが出てくるのだから、別の国や別の文化圏では、「神を見た」と言っても、それぞれの神はそれぞれの文化の“色メガネ”を通して観たものとなるから、具体的な表現はたいてい異なることになる。こうなると、“同じ神”を信仰しているはずの人々の間で、文化が異なるというだけの 理由で争いが生じることになる。だから、“神姿”や“神像”や“聖者”を具体的な形に表現することは、危険を伴うということを知るべきだろう。
 
 イスラームでは、神を具体的な形に表現してはならないことになっている。預言者のモハンマドの顔を描くことも一般的に禁じられている。それは、こういう危険をよく知っているからだろう。その一方で、イエスの顔や姿は昔から数多くの絵画などに描かれてきた。否、キリスト教文化圏では、神の姿さえ繰り返し描かれてきた。すると、西欧では神やイエスは“白人”の風貌となり、アフリカでは“黒人”のようになり、ラテンアメリカでは“ラテン系”の姿で描かれる傾向が生じるだろう。それは、同一文化圏では人間に「親しみを感じさせる」というメリットを生じるが、異なった文化の間では、同じ神やイエスでありながらも、“外国の神”とか“外人イエス”という印象を深めることになり、差別や争いの原因になっていくのである。
 
 こういう諸々のことを考えると、本来姿形のない神を、具体的な“神像”や“神影”に表現しないということは、大変当を得た、思慮深い方針だと私は考える。特に生長の家は、「万教帰一」を教義の中心に据える宗教であるから、生長の家大神の姿は具体的には表現しないのである。この意味は、生長の家の信仰者が神を絵や彫刻に描くことを禁じるのではない。それは、それぞれの人間の創作であるから「現象」である。そのことをしっかり理解していれば、描くことは自由である。が、教団として、あるいは宗教法人として「これが生長の家大神のお姿である」と示すことはしない。神は本来、1つの像の中に押し込められるものではないから、そうすべきではないのである。ここに掲げた神像は、だからそれぞれの作者の表現物--つまり、心の作品にすぎない。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月25日

生長の家大神の姿

 ある人から最近、「生長の家の大神の写真をウェブサイトで使いたい」という要望が寄せられた。私は、誰かが生長の家の大神の写真を撮ったという話を聞いたことがなかったので、何のことかと思って確かめてみると、東京・原宿の本部会館の円塔の外壁に据え付けられた“神像”の写真のことだった。この神像を生長の家の大神だと理解している人がいることを知って、私は少し驚いたのである。この像については、谷口雅春先生がいろいろのご著書の中で説明されているが、生長の家大神そのものではなく、1つの「イメージ」であり「象徴」であり「表現」である。この違いは重要なので、少し説明しよう。

 『生長の家』誌の昭和27年11月号の「明窓浄机」欄で、谷口雅春先生はこの像のことを「右手が天を指し、左手に聖経の軸を手にせる聖者の立像は本部会館円塔部の入口直上に安置せられる“七つの燈台の点燈者”を象徴せられる聖像」だと書かれている。注意してほしいのは、雅春先生はこれを「“七つの燈台の点燈者”の聖像」とは書かれずに「点燈者を象徴せられる聖像」と表現しておられる点である。つまり、「七つの燈台の点燈者」は過去に様々な形象として人間の前に現れてきたから、特定の姿に留めることはできない--そういう認識が、この表現の背後にはあるのである。もっとはっきり言えば、この神像は人間の創作ということである。

 具体的には、これは同年8月14日に彫刻家の服部仁郎氏が粘土で完成した像をもとに、拡大して製作された像である。昭和30年8月号の「明窓浄机」で、雅春先生は「あの像は誰も知る服部仁郎氏の彫刻になるところの、生長の家創始時代に神想観中に往々信者たちが見た神姿を表現したもの」だと書かれている。ここでも先生は「信者たちが見た神姿である」とは仰らずに「神姿を表現したもの」だと書かれている。この神姿は何人もの人々が見たと報告しており、それぞれが全く同一の姿を見たかどうかは分からない。が、共通しているのは「白い衣を裾まで垂れ、ヒゲを胸までたれた」ところらしい。実は、これを最初に見たのが、谷口輝子先生だったという。その時の様子は、『生命の實相』頭注版第2巻にこう描かれている--

 「『生長の家』誌の第一集第四号を執筆している頃『光明の国』というわたしの霊感的長詩を家内が校正してくれましたとき突然神憑りとなったのであります。わたしは審神者(さには)として、その時いろいろ神告を聞いたのでありますが、この神はわれわれの祖先の霊でも、われわれ家族個人の守護神でもなく、家のうちに祭祀してある神でもない、名はいうに及ばぬ、また祭祀するにも及ばぬ、光明輝く実相の世界に住む神である…(中略)…などという意味のことがあったのであります。ところが今まで家内には霊眼がひらけたということなどは全然なかったのでありましたが、その時突然天空高く白衣を裾まで垂れ、鬚髯(しゅぜん)を胸までたれた尊き神姿を拝したのでありました」。(p. 135)

 谷口雅春先生ご自身は、この神姿をはっきりとご覧にはなっていないようだ。『生命の實相』頭注版第20巻自傳篇で、雅春先生は“神の声”に導かれて悟りへ至った際の体験を、次のように描かれている--

 「わたしの眼の前に輝く日の出の時のような光が燦爛と満ち漲(みなぎ)った。何者か声の主が天空に白く立っているように思われたが、それはハッキリ見えなかった。しばらくするとその燦爛たる光は消えてしまった。わたしはポッカリ眼をひらくと、合掌したまま座っている自分をそこに見出したのであった」。(p. 136)

 私はここで、雅春先生のこの時のご体験を、モーセが燃える柴の中から神の声を聴いた時の体験と比較したいという誘惑に駆られる。聖書にはこうある--

「ときに主の使は、しばの中の炎のうちに彼に現れた。彼が見ると、しばは火に燃えているのに、そのしばはなくならなかった。モーセは言った、“行ってこの大きな見ものを見、なぜしばが燃えてしまわないかを知ろう”。主は彼がきて見定めようとするのを見、神はしばの中から彼を呼んで、“モーセよ、モーセよ”と言われた。彼は“ここにいます”と言った。神は言われた、“ここに近づいてはいけない。足からくつを脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる地だからである”。また言われた、“わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である”。モーセは神を見ることを恐れたので顔を隠した」。(『出エジプト記』第3章2-6節)

 谷口雅春先生は、数々の神示を霊感によって得られている。この際は、“声”--もちろん、耳で聴く普通の肉声ではない--が言葉を発するのを聴かれるのである。モーセも、燃えさかる炎の前で“声”によって神の声を聴く。神姿は恐らく見えていない。こういうように、神に“声”によって触れる人と、視覚的に--この場合も、もちろん肉眼の視覚ではない--“神姿”を拝する人の別があるのだ、と私は思う。

  谷口 雅宣

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2008年11月19日

右脳と左脳

 今年5月に出させていただいた拙著『太陽はいつも輝いている--私の日時計主義実験録』(生長の家刊)の中で、私は“右脳”と“左脳”の働きについて専門家の研究などに触れながら、少し詳しく書いている。研究の内容は難解なので読者には不評を買っているかもしれない。が、簡単に言えば、案外単純なことでもある。それは、我々の脳は解剖学的に右と左に大きく分離されていて、それぞれが異なった役割を担っているが、普通の場合、右側の脳は感覚の受容に優れていて、左側の脳は言語の働きで優れている--そういうことだ。この左右の脳の役割分担については、「左脳は論理的思考」「右脳は直感的思考」などという表現が使われることもあるが、だいたい同じ意味だろう。
 
 このような分析と発見を前提にして、次の段階へ進めば--左脳が得意とする論理的思考はコンピューターによってある程度肩代わりできるから、人間は右脳の働きを磨くことでもっと向上する、と考えることもできる。2005年に『A Whole New Mind』(新しい全体脳)という本を出したダニエル・ピンク氏(Daniel Pink)は、そう考えた。彼によると、コンピューターを使った情報時代を何世代か経験した我々は、論理的思考にばかり慣れ親しんできたおかげで、高度な直感を得るような右脳の能力が委縮してしまっているから、再び鍛え直す必要があるというのである。なぜなら、プログラミングや経理処理などの左脳的な仕事は、欧米で始まり、欧米で発達してきたものの、今やそれらの多くはインドや中国などの人件費の安い国々に移転してしまっているし、移転しないものはコンピューターで代用できるからだという。

 これもまた『太陽はいつも輝いている』の中で触れているが、右脳で絵を描くための具体的方法を開発した人に、ベティー・エドワーズ氏(Betty Edwards)がいる。この人はカリフォルニア州立大学の美術教師だったが、1998年に退職して息子のブライアン・ボマイスラー氏(Brian Bomeisler)に後を譲っている。このボマイスラー氏のところには毎年、フォーチュン誌のトップ500社に入る企業の研修やワークショップの申し込みがあるという。今年4月7日付の『ヘラルド・トリビューン』紙によると、ボマイスラー氏が教えるのは「箱の外で考える」ことだという。「絵を描くことを通して、私はまったく新しいものの見方を教えます」と彼は言う。「彼ら(教わる人々)は自分の箱から抜け出して、そこに本当にあるもの--その複雑さと美しさのまるごと--を吸収するのです。研修後に彼らが決まって言うことの1つは、“世界がすごく豊かに見える”ということです」。

 こんな脳の話と宗教と、いったい何の関係があるか--と読者は考えるだろうか? サイエンスライターの竹内薫氏は、10月11日の『産経新聞』で興味ある話を書いている。竹内氏は今、脳卒中で倒れた脳科学者の体験記を翻訳しているそうだが、その脳科学者は、左脳の言語野が出血で侵され、言葉がしゃべれなくなり、他人の言葉も「犬の鳴き声みたいに聞こえた」という。このように左脳の機能が低下し、右脳の機能が目立つようになった時に感じる世界について、竹内氏は次のように描いている--
 
「物事を論理的に筋道だって考えることができなくなる。他人の言っていることが理解できない。身体の境界がわからなくなり、周囲と渾然一体となり、まるで“流れる”ような感覚に陥る。つまり、空間の感覚が消えてしまう。また、過去・現在・未来という直線的な時間もなくなり、あるのは“今”だけ。……(中略)……また、宇宙と一体化し、とてつもない幸福感に浸れるそうだ」。

 宗教的な体験の中には、上に描かれたようなものが確かにある。が、これだけでは、日常生活に支障が出る場合があるだろう。だから、左脳が得意とする言語による表現や論理的思考も、我々はおろそかにしてはいけないのである。

 谷口 雅宣

【参考文献】
○B.エドワーズ著/北村孝一訳『改訂新版 脳の右側で描け』(1994年、エルテ出版)

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2008年11月 7日

絵封筒、届きました。(2)

 11月3日の本欄に同じ題で書いたばかりだが、その時いただいた方と同じ島根県の別の白鳩会員さんから、絵封筒が届いた。ご覧のように、夕焼けで紅く染まる宍道湖を滑っていく観光船を描いた秀作である。この白鳩会員さん(Aさん)は、手紙の最初で生長の家総裁、谷口清超先生の冥福を祈られた後、生長の家講習会のことを書いておられる。ごF_adchi110708_2 当人は現在68歳だが、講習会には谷口雅春先生の時代から夫婦で参加してこられただけでなく、最近では実行委員として会場の受付係を務めてくださっているという。旦那さんについては、「私の夫は、総裁谷口清超先生の講習会の時代に送迎の運転を何年もさせていただける大役を致し」と書かれている。また、「或る年、米子空港へ先生をお迎えに主人が参りました時、大根島の廃船がお気に召され、車をしばし止めたという話を思い出しております」ともある。この中の「先生」とは多分、私のことだ。
 
 松江市から見ると宍道湖は西側にある。が、大根島とは、その反対の東側に広がる中海の中央部に浮かぶ島である。面積が約5平方キロで、ヤクヨウニンジンとボタン(島根県の県花)の産地として有名である。中世の頃は「焼島(たくしま)」と呼ばれ、『出雲国風土記』では「タコ島」と読ませているという。この辺りは昔から漁業が盛んだったが、近年は高齢化と過疎化の影響もあって、漁に出ない人々が増えているらしい。そのため、大根島の周囲には、半ば水没したような格好で廃船が何隻もつながれていた。もう5~6年前のことだと思う。現在も恐らく廃船はあるのだろうが、今年の講習会では見ずじまいになってしまった。

「廃船を気に入る」というのは、妙な趣味だと思われるかもしれない。しかし、民家がポツポツと並ぶ静かな農村の脇に、波一つない湖のような入り江が迫り、そこに塗料が剝げ、半ば水没した木造船が舳先を天に向けて傾いているさまは、寂寞とした雰囲気の中にも、自然と人間との何か親しい関係を映し出しているように感じた。朽木となっても船としての意志を維持し続けている廃船に、私は白骨のような威厳を見たのである。それは、古いまな板や大工道具、多くの人々が踏みしめた石道、古い機関車、歴史的建造物……などと同じように、人間と自然との厳しいながらも、温かい共存関係が生み出した“作品”なのである。いずれ絵に描きたいと思っていたが、機会を逸してしまったようだ。

 Aさんの絵封筒とお手紙から、こんな記憶がよみがえってきた。

 谷口 雅宣

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2008年11月 3日

絵封筒、届きました。

 最近、島根県の白鳩会員さんから絵封筒をいただいた。収穫なった稲を丸太に掛けて乾燥させる「稲掛け」を近景とし、遠景には民家とその背後に広がる山々を全面に描いたF_hosh103108 大胆な構図で、受け取った私は「へぇー」としばし見とれてしまった。この方(仮にHさんとする)は、姑の介護などで多忙な毎日を送っておられたが、私の妻が夕食後の短い時間に毎日絵手紙を描いていることを本で読み、また、島根教区の中内英生・教化部長も、実家の母上に絵手紙を送っている話を聞いて、一念発起して自分でも絵手紙を描くことを決意され、夕食後の短い時間にそれを始めたという。今年の6月から開始したと手紙に書いておられるが、なかなかの腕前である。
 
 Hさんは絵手紙を描いているときの心境について、「絵筆をとっていると、いやな思いもいつしか消えてしまいますので不思議です」と書いている。また、私に送ってくださった絵封筒については、次のように述べている--
 
「今回、絵封筒は初めて描いてみました。『光のギャラリー』の本を参考に、絵の中に切手をどう取り込むか考えましたが、ちょっと時間がかかるのが難ですが、絵手紙とは又違ったおもしろさ楽しさがあると思いました」。

 初めて描いたにしては、見事ではないだろうか。
 
 私は、最近の生長の家講習会では、『太陽はいつも輝いている--私の日時計主義実験録』(生長の家刊)から引用しながら、我々の“右脳”が外界の情報を感じたまま受け取っていても、“左脳”がそれを無視したり、解釈によって抑圧したり、捻じ曲げることが多いから、たとえ現象世界であっても、我々はそこから正しいメッセージを受け取っていないことが多い--という話をする。Hさんが上で「絵筆をとっていると、いやな思いもいつしかきえてしまいます」と言っているのは、「いやな思い」というのが、我々の“左脳”の勝手な解釈から来ることを有力に示している。絵を描くことは、普通は“右脳”で行う作業であり、そこで美しいもの、面白いもの、楽しいもの等を感得したときに行われる。そして、そういう「明るいもの」に注意を集中しているときには、我々はその反対の「暗いもの」や「醜いもの」を心中から排除してしまう傾向があるのである。

 そのことを、私は講習会で「我々は対極のものを同時同所に認められない」などと言って説明している。有名な諺の「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という性向を、少しむずかしく表現しているだけだ。「憎い」という一方の極端な評価が「坊主」にくだされている時には、その同じ場所にある「袈裟」も(どんなに愛すべき袈裟であっても)同種の極端な評価がくだされる--そういうことである。我々の“左脳”は、主として言語による世界の解釈に使われている。そして、言語情報のかなりの部分を、我々はマスメディアから受け取っている。そして、本欄でもしばしば指摘しているように、マスメディアから来る情報のほとんどは“暗く”“悪い”情報である。こうして、“右脳”を活性化して「明るいもの」に注意を振り向けることは、“左脳”がつくり出す過剰に暗い世界のイメージを打ち消す効果を生む、と言っていいだろう。

 谷口 雅宣

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2008年11月 2日

芭蕉の作句

 今日は岐阜市の岐阜メモリアルセンターで生長の家講習会が行われ、約6千名(5,930人)の受講者が岐阜県下を中心に参集してくださった。谷口清超先生のご昇天から5日しかたっていないということで、それを報じる生長の家の機関紙『聖使命』の号外も当地には未着だった。そんなわけで、開会の冒頭で司会者からご昇天の事実を簡単に述べていただき、続いて30秒の黙祷の時間をもった後に、講習会を始めた。私に先立って講話に立った妻(生長の家白鳩会副総裁)は、清超先生が3年8カ月の静養期間の後に静かに息を引き取られた様子を、簡単に説明した。私は、教団の最高指導者が死亡しても生長の家が運動を中断しないのは、我々の最大の使命は「人間・神の子」の真理を伝えることにあると考えているからだということを述べて、『聖使命』紙号外の記事のリード文だけを朗読して、いつもの講話に入った。
 
 宗教家の講話は、一種の作品である。その作品の出来ばえがどうであるかは、受講者のその場での反応と、会を終えたあとの反応から推し量るほかはない。そういう意味では、ときどき講話の感想を教えてくださる受講者がいることは、とてもありがたい。私としては、いつの講話でも満足のいくことはないが、今日は特に、風邪のために喉を傷めていたこともあり、やや聞き苦しいものだったかと危惧している。

 岐阜市へ向う新幹線で読んだ車内誌『ひととき』の11月号に、俳人の小澤實氏が芭蕉の作句態度の厳しさについて書いていた。ここで取り上げられている句は、有名である--
 
 旅に病(やん)で夢は枯野をかけ廻る
 
 この句は、元禄7年(1694年)10月に作られた芭蕉の生涯最後の発句だという。その頃、芭蕉はいさかいを続けている2人の弟子--酒堂と之道--の間に入って苦労していた。が、仲裁はうまくいかず、そのための心労も手伝って芭蕉は体調を崩して発熱、下痢などに見舞われる。10月5日、彼は現在の大阪中央区にある静かな家に居を移して静養することになるが、8日の夜になって弟子を呼び、墨をすらせて書き取らせたのが、この句だという。「旅」とは、だから文字通りの旅というよりは、「人生の旅」というニュアンスをもっているに違いない。弟子たちの仲違いを解消させようと努力することも人生の旅程の1段階だが、それがうまくいかずに病に倒れる。が、床に伏していても、弟子間の仲裁をうまくいかせる方法を“夢”にまで見て考えている師がここにいる--そういう解釈が成り立たないだろうか。
 
 小澤氏によると、この句には同時にできた別の形のものもあったという。それは--
 
 ○○○○○なほかけめぐる夢ごころ
 
 というもので、最初の5文字に季語を入れた形のものだが、欠字の部分に小澤氏は「枯草や」を仮に入れている。しかし、本当は何だったかは不明である。それで芭蕉は、死の3日前に、弟子の支考にこの2つの句のどちらがいいかを尋ねているのである。10月10日には高熱が出て容体が急変し、同じ支考に遺書3通を代筆させ、兄には自筆で遺書を残したという。芭蕉の逝去は、12日の午後4時ごろとされる。ということは、この句はほとんど辞世の句なのだが、それらしさはない。その理由として、小澤氏は芭蕉のことばに「平生則ち辞世なり」というのがあると指摘している。そして、弟子の路通が『芭蕉翁行状記』の中で、そのことを次のように解説していると紹介している--「先生はふだんの句がそのまま辞世の句ですと言っていました。そういう方にどうして臨終の折に辞世の句がありましょうか」。

 自分の作品の1つ1つが、辞世の句になるような力の入れ方を、芭蕉はしていたのである。その真剣さに、私は頭が下がる。
 
 谷口 雅宣
 
【参考文献】
○『ひととき』2008年11月号(株式会社ウェッジ)
 

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2008年10月19日

銅鐸の輝き

 島根県出雲市で行われた生長の家講習会では、澄みきった青空のもと3千人を超える受講者が参集してくださり、和やかな雰囲気の中で真理研鑽の半日をもつことができたことは、誠にありがたかった。東西に広い島根県では、これまで2会場に分かれて講習会をおこなっていたが、今回は出雲市の1会場にしぼった関係から、受講者数は前回を下回ったようだ。しかし、そんな中で、男性の組織である相愛会と青年会の推進結果が前回より伸びたことは特筆に値する。約半年にわたる推進活動に尽力くださった島根県下のすべての生長の家の幹部・信徒の皆さんに、心から感謝申し上げます。
 
 講習会の帰途、妻と私は「国引き」神話の舞台とされる稲佐(いなさ)の浜から雄大な日本海を望んだあと、島根県立古代出雲歴史博物館へ寄った。昨年できたばかりの新しい施設なので、何があるのかと興味をもったのである。「古代」を扱う博物館だが設備は近代的で、館内にはコンピューターやCG等の技術を駆使した映像と音声による解説や、古代の生活や環境を再現したジオラマ、天井まで届くような出雲大社本殿の模型など、耳目を惹くものが整然と並んでいた。そんな中で私の目を驚かせたのが「銅鐸」だった。
 
 私は古代史については素人同然で、銅鐸が何に使われたかも知らなかった。銅鐸や銅剣などの青銅器は、今から2千年ほど前の弥生時代に日本で広く使われていたらしいが、原料は中国大陸や朝鮮半島から輸入され、それを国内で加工していたという。デザインの精巧さなどから、国内にもかなり高度な加工技術があったことが推測される。学校の教科書などでよく見る銅鐸の写真は、青銅器らしく青錆がきれいに出た落ち着いた色調のものである。ところがこの博物館に展示されているのは、そういう色調のものも多くある一方で、当時の姿を再現したとして金ピカに輝く銅鐸や銅剣が並んでいるのである。そして、解説書には「自然な色彩の多い弥生文化のなかで、弥生の村人たちが金色に輝く青銅器に驚き、そこに神秘性を感じたことは想像に難くありません」とある。こうなってくると、「青銅器」というネーミングそのものが、何かピント外れのような気がしてきた。
 
 そんな金ピカの金属器のうち、銅剣が358本も、同じ場所から一気に出土したとしたら驚かない方がおかしい。それが島根県斐川町にある荒神谷遺跡なのだそうだ。昭和59年(1984年)のことである。翌年には、同じ遺跡から、銅矛16本、銅鐸5個が埋められたままの状態で出土したという。問題は、当時は大変貴重だったはずのこれらの金属器が、これだけの量、同じ場所に「埋められていた」ことの理由である。発掘時の状況から見て「飾られていた」のでもなく、「保管されていた」のでもないようなのだ。それについては、いろいろの説が出ていて確かなことは不明という。銅鐸の用途については、製造時期によって「最古」「中段階」「新段階」の3期に分けて、最古から中段階を“聴く銅鐸”、新段階を“見る銅鐸”と考えるらしい。(平凡社『世界大百科事典』)つまり、当初は「鐘」として使われていたものが、次第に大型化・豪華化して観賞用または祭祀用になったというわけだ。

 ところで、中国大陸から朝鮮半島を経て日本に伝わり、そこで発達をとげた青銅器だが、弥生時代が終り古墳時代が始まるとともに、姿を消していくという。弥生時代にはすでに鉄器が盛んに使われていたから、実用性の面では劣る青銅器が鉄器に押されて祭祀用に用途を変えていくというのは、よく理解できる。しかし、古墳時代には、祭祀用としても青銅器は姿を消し、代りに銅鏡が盛んに使われるようになった、と説明書にはある。いったいなぜだろう、と私は思う。館内では、銅鐸をたたいた時の音が聴けるようになっている。なかなか神秘的な深い響きだと感じ、祭器として使われたことが納得できた。が、何かの理由で、それは使われなくなる。祭祀の形式は、時代の変遷の影響を受けにくいと私は考えていたが、鏡の登場と銅鐸の消滅はそうでないことを示しているのだろう。
 
 谷口 雅宣

【参考文献】
○島根県立古代出雲歴史博物館編集・著作『古代出雲歴史博物館展示ガイド』(ワン・ライン、2007年)

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2008年10月16日

カボチャをくり抜く

 今日は休日を利用して、カボチャをくり抜いた。例のハローウィンの飾りのためである。最近は、このアメリカ産の秋祭が日本の街にもすっかり定着した感がする。あちこちのショーウィンドーや花屋の店先に、黄色いカボチャが飾られている。私が子どもの頃は、ハローウィンが何であるかを知る人は少なく、知っている人間は、こっそり“舶来製品”を身につけているような、何か妙な特権意識をもっていたものである。

 私がハローウィンのことを初めて知ったのは、恐らく中学の2~3年(15歳)の頃だ。それは、淡い初恋の思い出と重なっている。当時、私が通っていた青山学院中等部では毎年、英語のスピーチコンテストをやっていて、私はそれに出場したことがある。その頃、東京・渋谷の宮益坂に英会話学校があり、私は両親に勧められてそこで英会話を勉強していた。そんな関係で、英語を話すことは苦手でなかったようだ。そのスピーチコンテストに1学年下の部で出場した女の子に、私は好意を寄せていた。その子は、アメリカに短期留学したか、あるいはホームステイをした時のことをコンテストで話し、そこにハローウィンが出てきたのだった。子供たちが仮装をして近所の家を回り、「Trick or treat!」(ごちそうくれなきゃイタズラするゾ!)と言う様子を彼女が楽しげに話したのを、私はドキドキしながら聞いていた。

 ハローウィンの由来については、2005年10月27日の本欄に書いたので繰り返さないが、起源は古代ケルト人のサムハイン(Samhain)祭と言われる。死の神であるサムハインを讃え、新しい年の到来と冬を迎えるための祭で、10月31日の夜には死者の魂が家に帰ると信じられたらしい。今日の日本ではそんなことは問題とされず、2月のバレンタイン・デーに次ぐ商業主義的西洋祭となっている。
 
Mtimg081016  子どもがまだ小さい頃は、私はサッカーボール大の大きな黄色カボチャをくり抜いたものだが、それを面白がってくれる人はもう妻だけになった。そこで今日は、夫婦で渋谷へ買い物に行ったついでに、花屋で売っていた直径9センチほどの黄色カボチャを2個買った。そして、“笑顔”と“怒り顔”の夫婦カボチャに仕立ててみた。作ってみて、気がついた。カボチャを人の顔の形にくり抜くという行動は、対称性論理にもとづいている。生物学的には全く異なる「人間」と「カボチャの実」という2つのものが、これによって対称性を獲得して“似たもの同士”となる。我々夫婦は、これからしばらくの間、このいずれかのカボチャに自分を同一化して生きることになるだろう。

 もう一つ気がついたことは、サムハイン祭も対称性論理にもとづいているということだ。毎年“あの世”から“この世”へ死者の魂が帰ることを宗教行事とすれば、生者と死者は、いくばくかの対称性を獲得する。日本の“お盆”の習慣とも似ているようだ。
 
 谷口 雅宣

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2008年10月12日

第30回生光展が開かれる

 今日は東京・調布市にある生長の家本部練成道場など3会場に6千人以上の受講者を集めて、東京第二教区(三多摩地区)の生長の家講習会が行われた。清々しい秋の好天に恵まれて、静かな雰囲気の中でよい会が持たれたと思う。私は主会場である飛田給の練成道場の大道場で、いつものように2講話と神想観を担当したが、午前中の講話に対する質問が30近くあった。地元の参加者から質問が出たことはもちろんだが、その他、東京の区部、千葉、埼玉、横浜、仙台からの参加者から質問があったことは、うれしかった。質問の内容も多岐にわたり、受講者の真面目な姿勢が感じられたが、残念ながら、時間の関係からすべての質問に答えることはできなかった。これらの質問への答えは、その一部がいずれ機関誌に掲載されると思う。講習会の推進と運営にご尽力くださったすべての幹部・信徒の方々に、心から御礼申し上げます。
 
 さて次には、この講習会についてではなく、明日から始まる生光展(生長の家芸術家連盟美術展)のことを少し紹介しよう。今年は「30回」の記念展なのだそうだ。ということで、主催者の生芸連では『生光展のあゆみ』という小冊子を発行して、同連盟の歴史を振り返っている。それによると、生芸連の発足は戦後の1966(昭和41)年で、発起人には堅山南風(日本画)、林武(洋画)、中河与一(作家・歌人)、中能島欽一(箏曲家)、徳川夢声(作家、俳優)、早川雪洲(俳優)、山根八春(彫刻家)、伊藤種(彫刻家)、片岡環(詩人、彫刻家)など錚々たるメンバーが名を連ねていたという。翌昭和1967年には第1回の美術展が開催され、1971年の第5回展まで毎年行われた後、8年間中断し、1979年に「第1回生光展」として心機一転して再興されたという。その後は毎年開催して現在に至っている。その間、高山辰雄、山田晧斎、三上浩ら一流作家の出品もあったことが同冊子に書いてある。

 私の“友情出品”は2000年からだから、歴史としてはまだ浅い。今回は本欄でも紹介したことのある絵封筒を24点出品している。このほとんどは、8月の宇治別格本山での盂蘭盆供養大祭時に展示したものである。西日本の人々に見ていただいたものだから、東日本の方々にも見ていただけたらと思う。ただし、「芸術作品」などと言えるシロモノではない。それよりも、写メールのような気軽に、楽しく、人々との交流を進める一手段として、またポップアートの一種として見ていただければ幸甚である。
 
 第30回生光展は10月13日から19日まで、東京銀座画廊・美術館で開催される。今回は、30回記念企画として、全国から募集した約300点の絵手紙や絵封筒を展示した「絵手紙・絵封筒の世界」をやっているから、新しいタイプの「技能と芸術的感覚を生かした誌友会」の参考にしていただけたら有り難い。

 谷口 雅宣

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2008年10月 8日

対称と非対称 (6)

 ユング派の精神分析学者で文化庁長官もつとめた河合隼雄氏の『ユング心理学と仏教』という本に、本題について示唆に富んだ記述がある。6日の本欄で私が書いたのは、「自然との一体感」は昔から洋の東西を問わず人間の心に存在するものであって、これを“日本人特有”とか“東洋特有”と考えるよりは、人間の心の「対称性論理」と「非対称性論理」の関係で説明する方が事実に即しており、説得力があるということだった。これを別の言葉で表せば、「自然との一体感」は程度の違いはあっても人類に共通するものだということだ。その前提の下で東西を比較すれば、“東”は対称性論理が非対称性論理に勝っていて、“西”はその逆であるかもしれない、ということだ。

 河合氏はこれを「自我」と他者との関係に置き換えて、次のように述べている--
 
「他と区別し自立したものとして形成されている西洋人の自我は日本人にとって脅威であります。日本人は他との一体感的なつながりを前提とし、それを切ることなく自我を形成します。(…中略…)非常に抽象的に言えば、西洋人の自我は“切断”する力が強く、何かにつけて明確に区別し分離してゆくのに対して、日本人の自我はできるだけ“切断”せず“包含”することに耐える強さをもつと言えるでしょう」。(同書、p.40)

 河合氏は、このように“自我”の共通点を認めながらも“東西”の違いを把握するという複眼的な認識をしている。目に見えない心の問題については、十把一絡げの論理よりも、こういう丁寧な分析が必要と思う。また、このような共通点に立った上での日本的特徴として、河合氏は“母性原理”の強さを指摘しているのが興味深い。同氏は、「否定的な太母のコンステレーション(布置)が(…中略…)日本全土にわたってできていると直覚した」といい「その顕われのひとつとして、日本に不登校が多く発生するという現象がある」と述べている。
 
 河合氏のいう母性原理の強さとは、「母なるもの」(母だけではない)への依存度が強いということだろう。精神分析の治療者とクライアントとの関係では、「治療者が無際限に何でも受けいれる太母であることが期待されるのです」(p.47)と同氏は書いている。このことから、同氏は日本神話では太陽の女神である天照大神の重要性を挙げている。宗教活動の中では、個人指導における講師と相談者の関係がこれに該当するだろう。また、運動組織における上位者と下位者の関係にも当てはまるかもしれない。
 
 多くの読者は、天照大神と須左之男命の物語をご存じだろう。その内容を思い出していただければ、両者の関係が密接であるにもかかわらず必ずしも円満でなく、やがて悲劇につながっていくことの中に、現代の日本社会の母と子の関係に共通するものを感じるに違いない。これなどは、対称性論理の過剰を示しているのではないだろうか。
 
 谷口 雅宣

【参考文献】
○河合隼雄著『ユング心理学と仏教』(1995年、岩波書店)

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2008年10月 6日

対称と非対称 (5)

 今日(6日)の『朝日新聞』紙上で、哲学者の梅原猛氏と分子生物学者、福岡伸一氏の対談を興味深く呼んだ。梅原氏は、「人間は自然の一員として生きている」という世界観が日本の“基層文化”である縄文文化からアイヌ社会へと引き継がれ、それがさらに鎌倉仏教の天台本覚論の思想にも流れていると言っている。天台本覚論とは「草木国土悉皆成仏」の思想で、「万物が仏性を持っていて、仏になれる」という考え方だ、と梅原氏は言う。生長の家では、この言葉を「仏になれる」ではなく「成れる仏である」と解釈するが、いずれにしてもこの思想は人間中心主義とは異質な考え方で、インド仏教にはない日本仏教独自の思想だという。

 しかし梅原氏は、こういう一種の“自然中心主義”の考えは、日本独自のものではなく、古代エジプトなどの「かつて人類に共通していた文化、思想的伝統」であり、それが日本に残ったものとしてとらえている。私は、この考え方に賛成である。自然と人間との一体感を大切にする文化は、昔から日本以外にも存在していたことは明らかだからだ。それは、古くは後期旧石器時代にヨーロッパの洞窟で描かれた動物や人の絵に始まり、ヒンズー教や仏教における輪廻の思想の中にある。また、ケルト文化やドイツ神秘主義のマイスター・エックハルト、カトリック大司教だったニコラウス・クザーヌス、17世紀の啓蒙主義哲学者、バルフ・スピノザなどの思想の中にも、「神は自然の中に内在する」という考え方がある。さらにまた、南北アメリカやオーストラリアの原住民らも同様の思想をもっていたし、アメリカ人ではソローやエマーソンの哲学にも自然を愛する考えは顕著に表れている。

 私は、このような事実から、自然中心主義の起源を地球上の一定の「地域」とか「民族」に対応させる考え方には、説得力も魅力も感じない。「東洋人」や「日本人」だけが自然との一体感を有し、「西洋人」や「欧米人」は自然との一体感を感じないなどという理論は、事実からほど遠いだけでなく、一種の人種的偏見だろう。それよりも、マテ=ブランコや中沢新一氏が捉えたように、人間なら誰もがもつ潜在意識の中に「対称性論理」が宿っていて、そういう“深い心”が自分を自然の一部としてとらえ、自然の中で充足する心を発現するのだと考える方が事実に則していて、説得力があり、したがって魅力的である。
 
 対称性論理と関係が深いと思われるものに「罪」と「罰」の概念がある。我々人間は、何か不幸なことに遭遇すると、それは自分が間違ったことをした結果だと考えがちである。この考えには、何か明らかな具体的失策があって、それが原因でかくかくしかじかのことが起こり、最終的に自分にふりかかる不幸となった……などという論理性があるのではなく、自分がある日、腹痛になったら、自分が何か悪いことをしたからだと“直感”するのである。食べたものが中国製のギョーザであり、その中に毒物が混入していたために腹をこわしたとしても、「中国製の食品を食べた自分が悪い」などと思うのである。論理的に考えれば、この場合の“悪者”は、ギョーザに毒物を混入させた中国人の誰かであることは疑いがない。その人が加害者であり、自分は被害者であることは明らかだ。しかし、被害に遭ったのは自分のせいだ、と考えがちである。
 
 これがどうして対称性論理か? それは、「誰かが自分に対して悪いことをした」ということを、潜在意識では「自分が誰かに対して悪いことをした」と置き換えて考えるからである。この場合、「誰か」と「自分」は別だと考えるのが非対称性論理であり、通常の理性的判断である。しかし、我々の潜在意識の中には同時に対称性論理が働いているから、そこでは「誰か」と「自分」とが同一のものとして捉えられる。そして、人間の心はマテ=ブランコがいう“二重論理構造”(bi-logical structure)をもっているから、腹痛を起こした本人は、覚めた意識では「毒物を入れた中国人が悪い」と思いながらも、心のどこかで「それを食べた自分も悪い」などと考えるのである。
 
「罪」と「罰」は宗教上の概念でもある。神を信じる人々は、昔から自分たちの不幸の原因を創造主である「神」に帰することはなく、自分たちに原因があると考えた。自分たちに罪があるから、その結果として神が罰を自分たちに下される--こういう考え方は、『創世記』の“禁断の木の実”の昔から現代にいたるまで続いている。それは「真理」というよりは、対称性論理で動く我々の潜在意識の創作なのである。

 谷口 雅宣

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2008年9月30日

札幌で見た虹

 9月28日に札幌市で生長の家の講習会があり、その前日に同市入りした。千歳空港から札幌までの途上、自動車の窓から見える広大な農地や森を堪能しただけでなく、雲の美しさに見入っていた。狭い東京の空と比べると、頭上360度に広がる空の大きさに加え、その日は雲の多さと多様さに感動した。西に傾く陽光を受けて、灰青色、桃色、金色に輝く雲の存在感は、背景の空の青が濃いことも手伝って、圧倒的だった。車中、手元にデジカメを持っていなかった私は、隣席の妻のカメラを借りて2、3枚写真を撮った。

 自動車専用道路が札幌市内に入ってまもなく、行く手右側の雲間に向かって、住宅地から虹が立ち上がっているのが見えた。「へえーっ」と驚いて妻に声をかけ、彼女も感動の声を上げた。赤-橙-黄-緑-青-藍-紫と、7色のグラデーションがきちんと見える。そんな鮮やかな虹を見るのは、何年ぶりかと思った。ホテルに着くと25階の部屋へ入った。とたんに、正面の窓から見える曇り空に大きな虹がかかっているのに気づいた。幸せな夫婦は、こうして歓声とともにデジカメ撮影を始めたのだった。
 
Rainbow  虹は夏の季語である。ということは、日本では秋にはめったに見えないのだろう。夕虹と朝虹があり、夕虹は東に、朝虹は西に立つ。夕虹が立てば翌日は晴れ、朝虹は雨、と言われるらしい。
 
 美しい虹は、神話や伝説によく登場する。その形状と美しさから、よく「天と地を結ぶ通路」として考えられてきた。北アメリカ原住民のプエブロ族(プエブロ・インディアン)の間では、毎年冬になると、虹の橋をつたって祖先の精霊が降りてきて、彼らの間に滞在すると信じられてきた。だから北アメリカでは、虹は冬によく出るのだろう。また、古事記では、イザナギノミコトとイザナミノミコトが国産みをする際、アメノヌボコで下界をかき混ぜるために立った場所--天の浮橋--は、虹のことだと解釈できる。さらに、ヨーロッパには、虹の下を通り抜けると男女の性別が逆転するという言い伝えが広くあるという。これなどはロマンチックに聞こえるが、実際は虹の下を通り抜けることなどできないから、性別逆転は“見果てぬ夢”ということだろう。しかし、虹は見れば見るほど、その下を簡単に通り抜けられそうに見えるのだ。
 
 行けどゆけど大虹のしたぬけきれず (宇咲冬男)
 
 谷口 雅宣

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2008年9月25日

絵封筒を描く

 今日は、休日を利用して知人宛に絵封筒を描いた。以下に、その文面を掲げる--
 
「最近、絵封筒に描いたようなものと“同居”を始めました。妻が、ミニトマトの葉をよく食べているのを見つけて捕獲した虫ですが、絵より一回り小さいサイズのものが2匹もいます。これらを殺すのはしのびないし、はたまた放置しておけば飢え死にするのでかわいそうだし……ということで、花や実をつけていないミニトマトの枝を探して、毎日与えることになりました。
 
 図鑑を調べてみるとスズメガの幼虫のようですが、これがサナギになるとドス黒くなるものもあるらしく、今から心配しています。形がいかにもグロテスクだからです。この幼虫は、しかし腹の横の濃紺と黄色の線が美しく、私を絵を描く気にさせました。それともう一つ気がついたのは、ミニトマトの茎や葉が強い芳香を発することでした。この虫も、それを腹一杯食べるので同じ匂いを発します。
 
 トマトの葉が枯れれば、いよいよ秋は本番です。」
 
 谷口 雅宣

 Efuto080925

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2008年9月23日

人生を芸術表現に喩えて

 秋分の日の今日は午前10時から、東京・原宿の生長の家本部会館ホールにおいて布教功労物故者追悼秋季慰霊祭が執り行われた。私は斎主として奏上の詞を唱え玉串拝礼を行ったほか、ご遺族や参列者の前でご挨拶申し上げた。以下はその挨拶の概要である--

 皆さん、本日は布教功労物故者を追悼する秋の慰霊祭にお集まりくださり、誠にありがとうございました。この慰霊祭では、生長の家の運動推進に挺身・致心・献資の真心を捧げてくださった私たちの運動の先輩や仲間のうち、現世での使命を終られて霊界へ旅立たれた方々の御霊をお招きして、生前のご功績に感謝の誠を捧げるための意義あるお祭りでありました。今回、招霊された御霊の数は166柱ということですが、昨年の記録を見ると、238柱が招霊されています。今年は昨年より72人少ないのですが、そのうち41人はブラジルの幹部・信徒の方々です。割合にすると約25%で、4分の1に当たります。昨年のブラジル人の割合は16%でしたから、私たちの運動におけるブラジルの同志の方々の割合が、しだいに大きくなりつつあることが分かります。それだけ、運動は国際化していると言えるでしょう。
 
 生長の家では、人間の一生を「芸術表現」に喩えることがあります。詩を詠んだり、音楽を演奏したり、絵を描いたりするのが芸術表現ですが、その場合、自分の内部にすでにあるものが表現されて出てくるのです。しかし、自分の中に素晴らしいもの、美しいものがすでにあっても、それを自分で満足できるレベルにまで表現するためには、1回や2回の練習では足りないのが普通です。だから、ピアニストやバイオリニストは毎日何時間も練習することは、皆さんもよくご存じの通りです。人間の一生もこれと似ていて、自分で作った“曲”を何回も練習しながら生きていきます。途中で、気に入らない曲だと思ったら、自分で作曲しなおすこともできます。そうやって1つの曲を完成に近づけていくうちに、肉体は衰えていくかもしれません。しかし、これは表現の道具が古くなっていくのであって、表現者が衰えるのではない。だから、私たちは定年を過ぎても、新しいことにどんどん挑戦したくなることもあるし、子供の頃の夢を実現したいと思う人もいる。
 
 しかし結局、古くなった道具は捨てていかなければなりません。これが肉体の死ですが、死によってそれまでの人生のすべてを捨ててしまうから、「空しい」とか「寂しい」とか「意味がない」と感じる人もいるようです。しかし、この考えが生まれるのは、表現した作品そのものを自分だと考えるからです。作品は作者の表現物ではあっても、作者そのものではない。演奏した音楽は確かに演奏者の力量を表現しているけれども、演奏者そのものではない。ですから、その“作品”にとどまっている限り、さらによい演奏、さらによい曲想を表現することはできないわけです。だから、作品はむしろ捨ててしまった方が、次なる段階へ飛躍できることが多いのです。
 
 私事になりますが、今年の夏、京都府宇治市の生長の家宇治別格本山で盂蘭盆供養大祭が行われた際に、私が『小閑雑感』シリーズなどの本の中で使ったスケッチ画の原画展をやらせていただきました。これは、原画をほしい人に買っていただいて、その資金を森林再生の事業などに寄付するためです。それで、大祭の最終日に私も原画展の会場へ行ってみたのですが、そこに来てくださっていた信徒の方から、「絵を手放してしまうのは寂しくありませんか?」と訊かれました。私はその時、一瞬、返答に困ったのですね。なぜなら、「絵がなくなるのは寂しい」などと考えたことがなかったからです。でも言われてみると、一抹の寂しさがないわけではない。絵の対象やそれを描いた時の自分が、1枚の絵には形になって残っているからです。しかし、私の場合はプロではありませんから、自分の絵がそんなに上等とは思っていないし、絵を描いた時の自分が今より優れているとも考えていない。むしろ、そんな絵でもほしい人がいたら、買っていただくことで社会貢献ができるなら、そちらの方がいいと考えたのです。だから、「寂しくありません」と答えました。
 
 しかし、我々の人生全体……ということになると、一枚のスケッチ画よりよほど内容がありますから、「捨てるのは惜しい」という気持はよく分かります。私だって、今いきなり“お迎え”が来たら「行くのはイヤだ!」とジタバタするかもしれない。でも、人間は必ず今の肉体を捨てていく時が来るのですから、その際に“古い作品”にしがみついてばかりいるのではなく、“新しい境涯”“別の可能性”の方向に目を向ける余裕を得ておきたいと思うのであります。その方が、ご本人のためにも、ご親族のためにも良い結果となる場合が多いからです。それには、真理の言葉と常に接していることが必要です。『甘露の法雨』には、人間の死は魂の滅亡ではなく、カイコが繭を食い破るごとく、より高い境涯へ飛躍することだ、と説かれています。また、「帰幽の神示」には、「1曲が終らんとするを悲しむな。それはなお高き1曲に進まんがためである」とあります。今日は、『日々の祈り』の中から「捨てることで自由を得る祈り」の一節を読んで、皆様の参考に供しようと思います--
 
 (「捨てることで自由を得る祈り」の一部を朗読)
 
 このように、私たちの命は生き通しであるという教えを自ら生きるとともに、多くの方々に神性・仏性を表現する人生の意義をお伝えして、これからも大いに人類光明化運動を進めてまいりましょう。本日は、お参りくださいまして誠にありがとうございました。
 
 
 谷口 雅宣

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2008年9月22日

対称と非対称 (3)

 前回、アイヌ民族のイオマンテの儀式を取り上げたのは、それが無意識の機能の1つである「非対称的関係を対称的関係として取り扱う」分かりやすい例だと思ったからである。
 
 宗教学者の中沢新一氏は、神話や宗教の教えの中には対称性論理(対称的関係)と非対称性論理(非対称的関係)とが上手に組み込んである、と指摘している。例えば、神話の世界では、対称性論理が支配的である。日本の神話に登場する数多くの神々も、ギリシャ=ローマの神話の神々も、その他の多くの神話の神々も、人間との区別がつけにくい。つまり、人間のように泣き、笑い、怒り、嫉妬し、殺し、また悲しむ。このことの裏を返せば、これらの神々は人間にとても理解しやすく、“仲間”として感じやすい。神は人間のようであり、人間は神のようなのだ。このことは、日本神話に出てくるスサノオミコトやオオクニヌシノミコト、ヤマトタケルノミコトなどの話を思い出せばわかるだろう。
 
 また、日本神話での対称性を顕著に示すものとして、私は神々の連続的関係を指摘したい。そこに登場する幾多の神々は、他の神々から截然と分離独立しているのではなく、むしろ流動的につながり合っているのである。どこかにもこのことは書いたが、イザナミノミコトが火の神であるヒノカグツチノカミを産んだことがもとで死んでしまうと、夫のイザナギノミコトは痛恨のあまり自分の子であるヒノカグツチノカミの首を刀で切って落とす。すると、その流れ出る血から次々と8柱の神が生まれてくるのである。また、切られた首や手足や胴体からも別の8柱の神が生まれてくる。これらの神々には人の生活に役立つ機能を表すような名前が、また、山や谷や山麓を表すような名前がそれぞれについている。つまり、火の破壊力を制御することで人間の生活に利便を供したり、自然の山野を(落雷や野火から)守ったりすることができるというメッセージがそこから読み取れる。

 また、これらの神々の関係は“善”と“悪”というような非対称的で、相容れないものとして描かれていない。火の破壊力は否定されるのではなく、その形を変えれば人間や自然に恩恵を与えるものとして肯定されている。そして、“火の神”から生まれるすべての神々は、それぞれの役割がゆるやかに重なり合い、どれかが抜群に秀でているのではなく、みな対等に何らかの積極的機能を果たしている。これらは互いに対称的関係にあると言っていいだろう。
 
「Aは非Aではない」という論理は、我々にとって当り前だろう。それは例えば、「人間はサルではない」ということであり、「赤はピンクではない」ということだ。しかし、人間とサルは遺伝子が98%以上共通しており、ピンクの中には赤が混ざっている。そういう共通性に注目して「人間はサルではないがサルでもある」と言ったり、「赤はピンクではないがピンクでもある」と言うことはバカげているだろうか? 後者の考え方が対称性の論理であるが、神話はこういう考え方に満ち溢れている。そして、宗教の教えの中にも、対称性の論理は数多く見出されるのである--「自他一体」「今即久遠」「相即相入」「即身成仏」「身心一如」「修証一如」「言葉は神なりき」「天国は今ここにあり」「唯心所現」……そして、「人間は神の子である」。

 谷口 雅宣

【参考文献】
○中沢新一著『対称性人類学』(2004年、講談社刊)

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2008年9月21日

イオマンテを考える

 北海道の旭川市で行われた生長の家講習会からの帰途、この文章を書き始めている。私はかつて本欄(2005年3月27日5月21日)で、北海道のアイヌの儀式である「イオマンテ」について触れたことがある。この儀式は、アイヌの村で飼っていたヒグマの子が成長すると“神”として森に送り返すものだ。こう書くと聞こえがいいが、別の表現を使えば、これは「山から生け捕りにしてきた子グマを育て、1~2年後に殺して食べるときの祭」なのである。村民は子グマを取り囲んで矢を放ち、2本の丸太で首を挟んで息の根を止める。「残酷だ」という理由で今ではほとんど行われなくなっているらしい。

 しかし、アイヌの信仰では、ヒグマはもともと山の神であるから、人間社会の中にいつまでも留めておくことはできない。それを一時村で育てた後は、本来の場所へ返さねばならない。その際、肉体から魂を分離させて、前者からは毛皮や肉などの恵みをいただく代りに、後者は“神”として尊敬申し上げ、厳かな儀式の中で送り出すことが必要なのだ。アイヌの伝統的自然観では、「自然は生命の連続であり、そのことを感じ、恐れ、感謝しながら、すべての生物を同僚とし、背後の命の流れを神として生きる」--こういう自然との一体感と信仰は、まさにマテ=ブランコのいう「対称的関係」の自覚である。

 この儀式は、本当に非難すべきものだろうか? 「毛皮と肉が必要ならば、単に殺してそれをもらえばいい」という考え方が、成り立つかもしれない。しかし、この考え方こそ、人間とクマとを「非対称的関係」として捉えるものなのだ。我々の覚醒時の論理的認識は、人間とクマとを“別物”として捉える。したがって、人間の利益とクマの利益は必ずしも一致しない。だから、人間がクマを殺して毛皮と肉を得ることは場合によっては必要である。それができるのは、人間がクマより優れているからだ。優れているものは、劣っているものを尊敬する必要はないし、ましてや“神”として扱うことは無意味である。だから、イオマンテの儀式は不要である。

 これは確かに“理性的”な考え方かもしれないが、マテ=ブランコが指摘しているように、人間は醒めた意識による理性的判断だけをしているのではなく、無意識中で顕著に働く“感情”を備えている。そして、このもう一方の人間的側面において、我々はクマに対して感情移入するのである。「残酷だ」という感情が生まれるのは、その証拠である。つまり、人間はクマを自分と同じ生き物として捉え、クマの身になって考えることができる。クマは人間と同じように、親を必要とし、食べ物を与えれば喜び、喜怒哀楽を表現し、恐怖や苦痛を感じるのである。このようにして、クマと人間を“対等”のものとして感じることが「対称的関係」である。そういう感じ方を我々の心は本来もっているのだが、それを抑圧して“理性的”にのみ考え行動することは、言葉の本来の意味からして「人間らしい」とは言えない。
 
 先に私は、我々の無意識は「非対称的関係を対称的関係として取り扱う」ことを述べた。すると、アイヌのイオマンテの儀式は、この無意識の働きを宗教的行事として結実した貴重な文化遺産だと見ることができるだろう。
 
 谷口 雅宣

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2008年9月18日

対称と非対称 (2)

 我々の無意識が「非対称的関係を対称的関係として取り扱う」というのは、どういう意味だろうか。前回本欄で書いたことは、我々の覚醒時の論理的認識だった。こういう精神活動は、我々が「理性」と呼んでいるものが行うとされている。これに対して、我々の精神活動のもう一つの側面である「感情」は、必ずしも理性の束縛を受けない。このことは、我々自身の日常の中でもよく体験されることだ。例えば、我々は理性ではマズイと分かっていることも、感情に任せて言ってしまうことがある。また、理性的には不合理だと考えることも、感情的に納得してしまうこともある。そういう人間の感情的側面が無意識と関係しているとしたら、マテ=ブランコの指摘は看過できないものを含んでいるのである。
 
「非対称的関係を対称的関係として取り扱う」例として、前回の本欄で掲げた非対称的関係を逆転して対称的関係にしてみよう--
 
 彼は電話をくれる  → 電話が彼をくれる
 雨が空から降る   → 空が雨から降る
 彼女は空腹を感じる → 空腹は彼女を感じる
 あなたは生長の家の会員である  → 生長の家はあなたの会員である
 私は犬を飼っている   → 犬はあなたを飼っている
 日本は世界の一部である  → 世界は日本の一部である

 これらの表現は、一見論理的には破綻していて無意味に感じられる。しかし、何回も味わって読んでみると、何か不思議な含意があるような感覚に到達しないだろうか?
 
 例えば、こんな物語が読み取れるかもしれない--
 
 彼に恋い焦がれていた彼女は、ここ1週間というもの、彼から電話がかかって来ないことに疲れ果てていた。毎日でも彼の声を聞き、できたら彼と会って、たくさんの話がしたいと思っているのに、彼はなぜか、そんな彼女の気持に一向無頓着で、自分の好きなスポーツに熱中しているのである。そんなある日の午後、彼女の部屋の電話が鳴り、心踊らせて受話器を取った彼女の耳に、彼の弾んだ声が飛び込んできたのだった。
「今から、遊びに行ってもいい?」
 断る理由は何もなかった。でも、すぐにOKするのは口惜しかった。だから彼女は、
「えぇ……そんな突然……」
 と言葉を濁した。
 でも、心の中は幸福でいっぱいだった。部屋に電話があることが、これほど嬉しいことはなかった。電話が彼を彼女にくれたのだ。

 2番目の例は、こんな場合を暗示していないだろうか--
 
 私が“ゲリラ豪雨”というものに襲われたのは、その日が初めてだった。
 家を出たつい10分前には、青空が見えていた西の方角に、見る見るうちに積乱雲が積み上がっていった。でも、渋谷駅まではほんの少しだと高をくくっていたのが、いけなかった。雷鳴が遠くに聞こえた、と思うと、ポツリポツリと冷たいものが降ってきた。人々が小走りになり、傘を広げたり、雨宿りできる軒下を探しているのが分かった。が、私は人と会う約束があったから、立ち止まるわけにはいかなかった。私は、持っていた鞄を頭に載せて、走った。雨が直接顔に当たらないように、うつむいた姿勢で、水溜りを避けて走った。空にこんな大量の水があることが不思議だった。その雨は、まるで空全体が地上に降っているようだった。

 --私がここで言いたいことは、人間はいわゆる「理性的」に世界を理解することと併行して、それとは別の論理(あるいは仕組み)によって「感情的」にそれを理解することができるということだ。マテ=ブランコは、そのことを「二重論理」(bi-logic)という言葉で表現し、それが我々の無意識が行っている仕事だと捉えたのである。
 
 谷口 雅宣

【参考文献】
○I.マテ-ブランコ著/岡達治訳『無意識の思考--心的世界の基底と臨床の空間』(新曜社、2004年)

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2008年9月17日

対称と非対称

 無意識の研究については、シグムント・フロイト(Sigmund Freud, 1856-1939)やカール・ユング(Carl Gustav Jung, 1875-1961)が有名だが、チリで生まれ、イギリスで精神分析・精神医学を学び、アメリカで研究を深め、ローマでも活躍した精神分析家、イグナシオ・マテ=ブランコ(Ignacio Matte-Blanco, 1908-1995)が行った、数学や論理学を駆使した研究は、多くの示唆に富んでいる。彼はその中で、無意識には覚醒中の論理とは異なる独特なものがあるとして、13の特徴を挙げたが、その分析の基本に数学の集合論を用いた点、心の研究にフロイトやユングにない新たな地平を開いた人物として評価できるだろう。
 
 難しいことをできるだけ平易に表現してみると、マテ=ブランコによると、我々の思考は世界から2つの概念(集合)を切り出して、それらの関係性を組み立てることで行われるという。簡単な例を挙げれば、私は今、ノートパソコンを使って文章を書いている。この認識(思考の産物)を形式化すると--
 
 私(A)は  文章(B)を  ノートパソコンで書いている(C)
 
 --となる。
 
 Aという事物と、Bという事物があり、その関係はCで表される。文法的に言えば、Aが主語、Bは動詞(書く)に媒介された目的語である。この関係を逆転させると--
 
 文章(B)は  私(A)を  ノートパソコンで書いている(C)
 
 --となり、世界の実情とは違う意味不明の文章となる。
 
 このように、関係の逆転が成立しないような関係を「非対称的関係」(asymmetrical relationship)とマテ=ブランコは呼んだ。これに対して、世界を構成する2つの要素の関係Mtimg080918_2 を逆転しても意味が変わらないものもある。それは例えば、私と本欄の読者が共に日本人であるという関係である。(これには少数の例外もあるが、今はそのことを問題にしない)この認識を形式化すると--
 
 私(A)と  読者(B)は  日本人である(C)
 
 --となり、これを逆転すると、
 
 読者(B)と  私(A)は  日本人である(C)
 
 --となって、意味は変わらない。
 
 このような、関係の逆転が同じ意味であるような関係を「対称的関係」(symmetrical relationship)と彼は呼んだ。こうして、我々が周囲の世界を概念(集合)の集まりとその関係として見るならば、あらゆる認識が対称的または非対称的関係の中に収まる--
 
 彼は電話をくれる (非対称)
 雨が空から降る (非対称)
 彼女は空腹を感じる (非対称)
 あなたは生長の家の会員である (非対称)
 私は犬を飼っている (非対称)
 日本は世界の一部である (非対称)
 鳥と獣は違う (対称)
 …………
 これらの例では、「非対称」が「対称」的関係より多い。そのことから分かるように、我々の周囲の世界では、一般に対称的関係は非対称的関係ほど多く見られない。そういう認識が我々が通常--つまり、目が覚めている時に--見る世界である。ところが、マテ=ブランコによると、我々の無意識は、非対称的関係を対称的関係として取り扱うことが多いというのである。
 
 谷口 雅宣
 
【参考文献】
○I.マテ-ブランコ著/岡達治訳『無意識の思考--心的世界の基底と臨床の空間』(新曜社、2004年)

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2008年9月16日

睡眠と思考

 人が目を閉じてじっと動かないときは、沈思黙考しているのか、それとも眠っているのか分からないことがある。当の本人も、目をとじて考えているつもりでいて、ふと眠ってしまうこともある。その一方で、人は夢の中で何かを考えることもできる。眠りと思考との間には、だから截然とした境界はなさそうに思える。
 
Mtimg080916  しかし、目を覚ましていて考えるのと睡眠中の思考とは、使っている“心の領域”が違っている--こう断言するのが不安ならば、少なくともそう言われているとしておこう。つまり、覚醒中の思考は現在意識が行い、睡眠中のそれは潜在意識あるいは無意識が行う。心理学では、よくそう考える。では、睡眠中の思考は、目覚めている時のそれと同じ論理で行われるのだろうか? 
 
 この問いに答えるためには、どうしたらいいか。睡眠中に見た夢を覚えておくことは至難の業だ。だから、夢の中の思考が目覚めている時の思考と同じかどうかなど、確かめようがない。そう思う人がいるかもしれない。が、「夢そのもの」が睡眠中の思考だと考えてみれば、夢の世界の一般的な特徴を思い出すだけで、先ほどの疑問にある程度答えることができるだろう。
 
 夢の世界の特徴は、論理性がなく、ほとんど支離滅裂である--そんな印象が圧倒的である。しかし、心理学者は、多くの人の見る夢を詳しく研究することで、一見、何の脈略もなく物事が生起し、覚醒時の論理を受け付けないように見える夢の中に、一定のパターンや独特の論理性を発見してきた。そういう夢の中の隠れた“鍵”を使って、それを見た本人とともに夢の意味を考えることで、本人の心や肉体上の病気が癒されることがあることも分かってきた。これが、精神分析による夢判断である。
 
 ということは、眠りと思考の間には“境界”がなさそうに感じられたとしても、そこでは心に何らかの“モード変換”が起こると考えられる。心が“覚醒モード”から“睡眠モード”へと切り替わり、それと同時に、思考の論理も変換する。こう考えると、夢の研究や、それを見る無意識の中の論理を探究することに、何らかの意味があることが分かってくるのである。
 
 谷口 雅宣
 

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2008年9月10日

スケッチ原画展 (2)

 8月12日の本欄でお伝えしたスケッチ原画展の結果について、主催者である世界聖典普及協会から報告をいただいた。この展覧会は、本欄を単行本化した『小閑雑感』シリーズが10巻目を刊行したことを記念して、8月16日~18日の3日間、京都府宇治市の生長の家宇治別格本山で開かれたもの。同シリーズの単行本に収録された絵の原画12点のほか、未掲載の原画52点、絵封筒34点、手帳2冊が展示され、このうち販売対象となった64点は、おかげさまで3日間で完売された。すでにお伝えしたように、これによる収益金は、森林の再生を目的とした活動に寄付されるが、その額は126万円となった。皆さまのご支援、ご協力に心から感謝申し上げます。

 絵封筒は販売の対象にしなかったが、その理由の1つは、10月13日~19日に東京・銀座で開催される第30回生光展(生長の家芸術家連盟美術展)に出品する予定にしていたからだ。この展覧会では、30回記念特別企画として「絵手紙・絵封筒展」を併行するそうだが、このために全国から絵手紙が161点、絵封筒は98点も集まったというから、私の絵封筒は原画展に出した34点すべては展示されないと思う。絵封筒がどんなものかに興味のある読者は、小関隆史氏が運営しているブログ「光のギャラリー ~アトリエTK」の絵封筒ギャラリーを覗いてほしい。その中に私のものもいくつかある。また、単行本では小関氏監修の『光のギャラリー 絵手紙はWebにのって』や拙著『太陽はいつも輝いている--私の日時計主義実験録』(ともに生長の家刊)に作例が掲載されている。
 
 普通の絵に比べ、絵手紙や絵封筒は“人とのつながり”が絵の中に表現されている点に特徴がある。つまり、これら2つのポップアートは「誰かに出す」ためのものだから、差出人(作者)と受取人との人間的つながりが表れていて、独特の温かみがある。そういう中に、雑誌やテレビのような不特定多数を対象とした媒体よりも“簡単”に制作できながら、より訴求力(訴えかける力)が強いという長所がある。こういう“手作りの媒体”も使って光明化運動を進めていくことをねらったのが、「技能や芸術的感覚を生かした誌友会」と言えるだろう。
 
 谷口 雅宣

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2008年9月 9日

紙テープで絵を描く

 4日に横浜へ行ったことを書いたが、その時、みなとみらい地区の小物店で紙テープのセットを買った。5色のマスキング・テープの何とも調和した色の組み合わせに惹かれて、用途などロクに考えずに買ってしまった。一種の衝動買いだ。マスキング・テープは普通、絵画や工作で着色をする際、絵の具や塗料がついてはいけない所に貼るためのものだから、テープ自体が何色であってもあまり問題にならないはずだ。ところがこのセットは、テープ自体が美しく着色されているため、絵の具をマスクするためよりは、テープそれ自体を絵の具代わりに使って絵を描くことができるかもしれない……とっさに私の脳裏に浮かんだのは、その程度のことだった。

 世の中には、紙を千切ったものを貼って絵を作る人がいる。山下清がその方法で絵を描いたことは有名だ。また、私の家のリビングには、妻の母親が花を千切り絵で描いた暑中見舞いの葉書が飾ってある。そんな記憶が脳裏を掠めたに違いない。新しい画材としての紙テープである。
 
 今日はそれを使って2、3の実験をした。葉書大のスケッチブックを開き、最初は母の千切り絵をまねて花の形をテープで作ってみた。ところがこれが案外、むずかしい。まず、テープは和紙でできているから、千切る方向が自由にならない。つまり、縦方向には裂けやすいが横方向には千切れにくい。また、テープの裏面には糊がついているから、小さく切って細工をしようとしても、裏面同士がくっついてすこぶる扱いにくい。そんなわけで、最初の花の形はほとんど冗談っぽくなった。次には、まず鉛筆でものの輪郭を描いてから、その線と線の間の空白部分に色テープを貼ることを考えた。これで形がとりやすくなったが、細かい空間を手で千切ったテープで埋めるのは、やはり難しい。そこで、テープが描線からはみ出した部分を、カッターで切ることにした。カッターを使うと、千切った紙の柔らかさが出せないが、カッターで切る場所を最小限にすることで折り合いをつけることにしMtimg080909 た。
 
 そうやって作った絵を、ここに掲げる。まあ、実験的作品だから粗雑な部分はお許しあれ。使い古した短い鉛筆のつもりである。鉛筆の“皮”の部分の着色に紙テープが使ってある。あとは普通の水彩絵の具だ。水彩の混色によって変化をつけた背景と、単色のテープを並べて貼った鉛筆の“外皮”を対照させてみた。
 
 谷口 雅宣

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2008年8月31日

頭の回路を切り替える

 JALグループの機内誌『スカイワード』の8月号に、アニメーション作家の宮崎駿氏がインタビューに答えて、自らの制作過程に触れた話をしているのを、興味深く読んだ。

 宮崎氏は、所沢市の自宅から武蔵野の仕事場までの曲がりくねった道を歩いていくことがあるという。いつもではなく「たまに」というニュアンスである。それが2時間半の道のりというから相当な運動量と思うが、「たいした距離じゃないですよ」と言っている。15分で1キロを歩くとすると、10キロの行程である。記事は、そのあとこう続く--
 
「歩いているうちに、何も考えなくなる。とても単純な感じになって、同時に、だんだんと風景が見えてくるのだそうだ。束の間の、自分の時間。頭の回路を切り替えるための、大切な時間だ」。(同誌、p.80)
 
 今日は北海道の空知教区での生長の家講習会だった。私はその中の午後の講話で、人間の“右脳”と“左脳”の働きについて触れ、知覚や芸術的感覚との関係が深い“右脳”の機能をもっと活かした生き方が、現代人には必要であることを訴えた。そのことが、我々にすでに与えられている自然の恵み、さらにはその背後にある神の愛を感受し、感謝する生き方につながるからだ。また、そのような生き方を人類が取り戻すことが、地球環境問題の“根っこ”にある欲望至上主義を脱却する道だと考えるからである。そんな話をした後、千歳から羽田へ飛ぶ機上で宮崎氏の長距離歩行の記事を読んだのだ。だから、氏が「頭の回路を切り替える」のは“右脳モード”への切り替えだと合点した。
 
 上の引用で私が特に重要だと感じたのは、「何も考えなくな」って「だんだんと風景が見えてくる」という点だ。人間が考えるのは「言葉」による。一般に言語処理は“左脳”が得意とすることだから、自然の中で体を動かし、歩行を続けていけば“左脳”はやがて沈黙し、何も考えなくなる。そのとき“右脳”が活性化しているのだ。つまり、言わば“言語優先モード”から“感覚優先モード”に切り替わる。だから、周囲の自然界から送られてくるメッセージを感受しやすくなり、「だんだんと風景が見えてくる」のに違いない。これは、それまで風景に目をやらないで歩いていたという意味ではなく、風景に目をやっていながら、心は別のことを考えていたということだろう。つまり、私が『太陽はいつも輝いている--私の日時計主義実験録』(生長の家刊)の中で使った左脳による“自動運転モード”にあった心が、自然との一体感を得る“感覚優先モード”に切り替わるのだと思う。宮崎氏は、その時の感覚を次のように語っている--
 
「なんとなくできた道って、スーッと曲がっていて、いい感じなんです。歩いていると前から風景が仕掛けてくる。思わぬ路地が現れたりしてね。楽しいし、気が楽になります」(p.80)
 
 東京の都心に住む私は、宮崎氏のように山道や田舎道を2時間半も歩くことはできないが、約30分のジョギングで心が結構解放される。このことは、上掲の拙著に書いた通りである。これで“右脳”が活性化するから、句を作ったり、創作の構想が湧いたり、スケッチしたくなる風景が見えてくるのである。もちろん、宮崎氏はその道のプロで、私はそうでないから、右脳の活性化の程度にはずいぶん差があるかもしれない。また、発想の豊かさや、関心の方向にも違いがあるだろう。しかし、同じ人間であるから、芸術制作に必要な心の持ち方という点では、共通したものがあるはずである。その一端を覗いたような気がして、うれしくなった。

 もう1つ、気がついたことを言おう。それは、“左脳”の活動とは違う“右脳”の働きを私はここまで描いてきたのだが、それをするのに言語のみを使っているという点だ。つまり、“左脳”は“右脳”を表現できるのである。人間の左右の脳は--そして、心も--このように複雑に一体化している。実に有用で、ありがたい道具を我々は使わせていただいていると思う。
 
谷口 雅宣

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2008年8月24日

“百万の鏡”が映すもの (3)

 前回、本欄で私が発した問いかけに対して、さっそく読者の1人が答えてくださった。問題の図形を、「窓枠」であるとしても「田」であると答えても、「どちらも正しい」というのである。そして、その答えの後に、大変興味深いコメントを付け加えていられる--「本文上での図は、 多くの視点から様々なことを想像できるけれども、実は、一つのものを観ている。換言すると、真実は、一つだが、実は多くの視点を内包しているのではないかと想いました」。私は、この読者の答えに大いに(95%)賛成する。が、残りの5%に疑問を呈することを許してほしい。

 その疑問とは、前回の図が「多くの視点を内包している」と表現している点だ。この表現は、比喩的、文学的表現としては正しい。が、厳密に論理的に考えた場合、「図形が視点を内包する」という言い方はおかしい。図形は死物であるから「視点」をもたず、もたないものは「内包」するわけにいかない。もちろん私は、この読者が言いたいことを理解している。彼は、「この図形は、見る人の視点によって多くのものに見える」と言いたかったに違いない。その「多くのもの」の中に「窓枠」があり、また「田の字」が含まれるのである。ではここで、もう一度質問してみよう。
 
 前回掲げた図形は、見る人の視点によって多くのものに見えるというが、本当は何の図形と言うべきか?
 
 ここで「本当は」という意味は、「あらゆる時代の、どんな場所のどんな人にとっても真であるか?」ということだ。読者がこの質問への答えを探しているあいだに、この図形についての谷口雅春先生の解説を紹介する--
 
「これは“田”という字を知らない人には、どうしてもこの形は“田”という字に見えない。これを“田”という字に見るのは、“田”という字が心の中にある人だけであります」。(『新版 真理』第7巻悟入篇、p.79)

 私は時々、生長の家の講習会でこの図形を提示して、「これを“田”だと思う人は、漢字の“田”を小学校で習った人だけ」などと話す。そして、ブラジル人の聴講者がいる場合には、「普通のブラジル人は、これを“田”だと思わない。なぜなら、“田”という字を知らないからだ」などと付け加える。雅春先生の上の解説を別の言葉で表現しているのだ。では、「窓枠」だという結論について、何が言えるだろうか?

 同じ論法を使えば、「窓枠」というものを過去に見たことのない人(盲目の人、あるいはニューギニアやアマゾン奥地の原住民)の心の中には、窓枠という概念は存在しないから、「窓枠」という答えは本当(あらゆる場合に正しい)とは言えない--ということになる。それに、見落としてはならないことは、この図形をじっくりと眺めれば分かるが、こんな形の窓枠を作ったら、大工さんは失格とされるに違いない。(それぞれの枠が連結しないでバラバラであるから、ガラスをはめ込むことができない!)
 
 さらに、次のような事実を指摘しよう。我々日本人のように漢字文化圏で育った者にとっては、問題の図形を「田」だと解釈することは実に簡単に、当り前にできる。しかし、それは、我々が多くの視点をもっていて“優秀”だからでは決してない。単に、文化的背景が漢字文化圏外の人と違うからである。ということは、漢字文化圏の外にいる人には理解できても、我々には理解できない解釈もあるということだ。
 
Tambonota  分かりやすくするために、ここに問題の図形を再掲する。これをよく見つめると、その中に「窓枠」や「田」以外にも様々なものが見えてくる。例を示すと--漢字では「卍」「王」「十」「口」「工」「土」「士」「川」「山」「三」「二」「一」「上」「下」が見える。片仮名では「コ」や「エ」が見える。また、キリスト教の信者には「十字架」も見えるだろう。さらに、アルファベットでは、「H」「E」「F」「I」「U」などが見えるし、数学が好きな人には「±」(プラスマイナスの記号)が見え、郵便局に勤める人には「〒」(郵便マーク)が見えるかもしれない。さらに言えば、外国人には日本人には見えないものも見えるかもしれない--「Γ」(ギリシャ文字のガンマ)、「Ε」(同じくエプシロン)、「Η」(同じくエータ)、「Ι」(同じくイオタ)、「Ξ」(同じくクサイ)、「Π」(同じくパイ)、「Τ」(同じくタウ)、「Ш」(ロシア文字シャー)……。

 さて、ここまで書けば、私が問題にしていることが何であるかが、読者にもお分かりだろう。私の質問はこうだった--この図形は、本当は何の図形と言うべきだろうか?

 谷口 雅宣

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2008年8月13日

水木しげるの“妖怪”

 8月3日の本欄では、先ごろ亡くなった赤塚不二夫さんのマンガと私との関係について、少し書いた。その時に、同じマンガ家の水木しげるさんの名前も出したが、『墓場の鬼太郎』や『ゲゲゲの鬼太郎』等の水木作品については触れなかった。記憶をたどってみると、子どもの頃の私は、マンガの中の“絵”の質にも興味をもっていたから、赤塚マンガとは対照的な水木マンガの“絵”--つまり、根気のいる点描や緻密な線描によって絵に現実味をもたせた作風--には、いつも感心していた。また、それによって描き出される日本の田舎の風景や、そこに溶け込んでは現れる数々の妖怪にも、一種のリアリティーを感じていた。
 
 水木さんがなぜ、墓場や妖怪のマンガばかりを描いてきたのか、私は知らない。が、12日の『朝日新聞』夕刊に載った水木さんのインタビュー記事を読んで、何となくその理由の一端を理解できたように思った。水木さんは、20歳で軍に召集され、21歳のとき陸軍二等兵としてラバウルのあるニューブリテン島の最前線で、何度も死線を潜る経験をしたすえ帰還したそうだ。その時の話を、私は興味をもって読んだのである。
 
 6月19日の本欄で、「ふと思いつくこと」と“高級神霊”の導きとの関係について書いたが、水木さんが九死に一生を得た背後にも、そんな不思議な力が働いていたと解釈できるのである。記事によると、水木さんはある日、10人の小隊で最前線に送られ、不寝番をしながら海から来る敵を見張っていたという。そして、「望遠鏡であちこちのぞいていたら、きれいな色のオウムがいたんですよ。見とれてね、戻る時間がちょっと遅れた」という。この少しの遅れのおかげで、後ろの山から来た敵が小隊の兵舎を襲ったとき、その場に居合わせなかったのだ。水木さんだけが生き残り、やっとの思いで中隊に合流したそうだ。この後、敵の爆撃に遭って左腕を失ったため、水木さんは後方の野戦病院に送られる。このことも、生還できた大きな理由だろう。
 
 いつ敵の攻撃があるかもしれない最前線で、オウムの色の美しさに感動する心境になるというのは、「ふと思いつく」のと似ている。言い換えれば、これは「ふと美に振り向き」、戦う心をしばし忘れることであろう。それによって、水木さんは敵の攻撃を擦りぬけた。その後、左腕は失ったが、後方へ回されたことで、今度は“玉砕”を免れた。この際の水木さんの心境について、本人は次のように語っている--
 
「後方では、現地住民と友達になって、毎日のように集落に通いました。彼らは、食べて、昼寝して、畑を耕して、うまくいっている。規則なんかでがんじがらめじゃない。本当の自由がありました。私の理想の生活ですねえ。しまいには、“畑も家も嫁さんも世話するから残らないか”と真剣に言われたくらい、なかよくなりました」。

 このような水木さんの心境が、憎しみがぶつかり合う戦場や、その「憎しみ」の具象化である爆弾や弾丸から、水木さんを遠ざけていたに違いない。そのために左腕を失ったが、これが右腕でなかったおかげで、私も、私の子供たちも、そして戦後の多くの人々が水木マンガを楽しみ、またそこから多くのことを学ぶことができた。戦争では、何十万、何百万もの命が失われる。しかし、その中の「1人」であっても決して“虫ケラ”でないことを、この話は教えてくれる。「人間1人が生きる」ということの価値を改めて知るとともに、水木さんの戦後の活動の背後には、生還できなかった多くの戦友たちへの想いを感じる。水木しげるが描く“妖怪”は、そんな戦友たちの“魂”ではないだろうか。
 
 谷口 雅宣

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2008年8月12日

スケッチ原画展

 本欄に書いた文章等を単行本にまとめた『小閑雑感』(世界聖典普及協会刊)シリーズが、このほど10巻目である『Part 10』を刊行したことを記念し、シリーズに収録されたスケッチ画などを展示する原画展が、今月の16日~18日の3日間、京都府宇治市の生長のMoles01 家宇治別格本山で開催される。展示品の中では、単行本の『小閑雑感』シリーズに収録された絵の原画は12点だが、未掲載の原画が52点あり、これらを合計した62点は展示即売される。また、このほかにも『太陽はいつも輝いている--私の日時計主義実験録』(生長の家刊)に掲載されたものを含む絵封筒が34点、スケッチブック(モーレスキン手帳)2冊も展示される(ただし、これらは非売品)。展示即売による収益金は、森林の再生を目的とした活動に寄付されることになっている。
 
Moles02  私は画家ではないので、原画展などを開くことは小恥ずかしい次第だが、生長の家は発祥時から日時計主義を主唱し、運動に於いては今年から「技能や芸術的感覚を生かした誌友会」を推進していることもあり、私のスケッチ画や絵封筒、手帳へのメモ書きなどが、皆さんの参考になるかもしれないと考えた。また、森林再生に何らかの寄与ができれば嬉しいと思う。
 
 宇治別格本山では前にも1度、私の原画展のために部屋を貸していただいたから、これで2回目だ。今回目新しいものがあるとしたら、それは絵封筒と、私の使った手帳兼スケッチブックの展示だろう。特に手帳は、世界聖典普及協会のご協力により、透明のアクリル・ケースを使った展示となる。これは、手帳の特定のページを開いてそこだけが見えるのではなく、アクリル・ケースの両脇から手を入れて、中の手帳を実際に触ることで、すべてのページを開いて見ることができるものだ。ただし、手帳が汚れるといけないので、ゴム手袋も用意していただいた。
 
 また、同時期に『小閑雑感』シリーズの次の巻である『Part 11』が発刊されるほか、『Part 10』のサイン本も販売される。本欄をご愛顧くださる読者の皆さんには、よろしくお願い申し上げます。

 谷口 雅宣

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2008年8月 8日

自然は美しい?

 夏休みをとり、昨日から山梨県・大泉町の山荘に来ている。日中は30℃を超える気温になるが、標高1200メートルの高地にあるおかげで、朝晩はさすがに涼しく、快適である。
 
 山荘へは、5月の連休に来たとき以来、3カ月ぶりだから、庭の草や木が伸び放題であることは覚悟していた。とはいえ、野芝の伸び方は尋常ではなかった。30~40センチに伸びたものが束になって横倒しになっている様子は、見苦しく、しかも先端の10センチほどが、栄養が行き届かないためか黄色に変色している。それは一度、金色や茶色に染めた髪を伸ばしていると、根元から生えた黒髪との“層”の違いが歴然としてくるのにも似ている。要するに、「乱雑」「無秩序」「未整理」の感じが否定しがたいのである。
 
 野芝のほかに私の目に「乱雑」に映ったものは、身の丈以上に育ち、枝を八方に拡げたブッドレア(Buddleja)である。この植物はフジウツギ科フジウツギ属の植物で、私はその名から外来種と思っていたが、国内にジャポニカ種(japonica)やカービフローラ種(curviflora)が自生することなどから、在来種とみる説もある。花の芳香に誘われて蝶がよく来るというので、この付近にいる美しいタテハチョウを呼ぼうと思い、地元の園芸店で買って植えた。ところが、どんどん成長して枝葉を拡げただけでなく、植えもしないところに子株が跳んで殖え、それがまた成長し、不思議なことに買わなかった色の花もつけるようになったのである。具体的に言うと、紅に近い濃い紫色の花の株を買ったのに、今わが山荘の庭には、それ以外にも薄紫色の花も、白い花も咲いている。もちろん、3種の色の花が楽しめることはありがたい。しかし、それらの株が大人の背丈以上に伸びて、枝を縦横に伸ばし、山荘玄関に続くアプローチを遮る様子は、どう見ても「美しい」とは感じられないのである。
 
 人間が心に抱く「美感」とは、妙なものである。ブッドレアの花自体は美しく、そこから発する芳香は甘美であり、葉も茎も生命力に溢れている。しかし、それらを「一株」の塊として庭に置いた場合、他の草や樹木、置き石や道が形づくる“線”との位置関係で、美しいものが美しく見えなくなるばかりでなく、時には乱雑に感じられるのである。野芝が生い茂る様を「乱雑」と感じるのも、これと同じ理由だろう。庭の芝生は短く刈り込まれて絨毯のような平面を成すことが「美しい」--このように人間が感じるのは、我々が「一株の芝」など眼中に置かずに、“塊”としての芝、もっと正確に言えば“平面”としての芝に価値を置いている証拠である。
 
 このように考えると、人間が「自然は美しい」とか「美しい自然」と言うときには、自然界の自然そのままの姿のことを言っているのではなく、人間的なある観点から自然をとらえ、人間的なある枠組みの中にそれが収まっていることを意味している--そういう可能性に気づかされるのである。
 
 私はかつてこの大泉町の山荘の庭を造った時、これと同じことを感じ、そのことを「人工的な自然」という題の文章に書いた(『小閑雑感 Part 3』に収録)。そこにはこうある--
 
「人間は、目に見える世界の中に“秩序性”を求める。無秩序があれば、その世界に手をつけて何らかの秩序性を実現しようとする--そういう得体の知れない奥深い欲求が人間には(少なくとも私には)横たわっていることを感じる。“得体の知れない”と書いたのは、この欲求が“気味が悪い”という意味ではなく、“説明が難しい”という意味である」。(前掲書、p. 187)

 しかし、この時に書いた「秩序性」の意味は、人間の目に見えない自然界の秩序全体を指しているのではなく、文章に書いてあるように、あくまでも「人間の目に見える秩序性」を言っているにすぎない。今日私が行ったことを振り返ると、確信を込めてそう言える。私は、日差しの強い高地の炎天下にもかかわらず、ブッドレアの木が通行の邪魔にならないよう、また目で見て美しく感じられるように剪定し、野芝を短く刈り込む作業に没頭したからである。夏に野芝が生い茂ることも、ブッドレアが枝葉をぐんぐん伸ばすことも、自然界の秩序の一部である。が、そのことには満足できずに、私は汗だくになってハサミを動かした。目に見えない秩序を目に見える形に表現することが、人間の深い欲求なのかもしれない。

 谷口 雅宣

 

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2008年8月 3日

赤塚不二夫さんを偲ぶ

 マンガ家の赤塚不二夫さんが亡くなった。中学・高校と「おそ松くん」や「天才バカボン」を読んで育った私としては、赤塚さんが私より1回り以上年長であるにもかかわらず、「一時代が終わった」と寂しく感じる。1日の本欄を読んだ読者は、高校時代の私は学校の新聞紙上で論陣を張る“硬派”のような印象をもったかもしれない。しかし私は、その一方で、教室や出版部の部室で友人と『少年サンデー』や『少年マガジン』を読んで笑い転げる普通の高校生でもあったのである。また、授業の合間に、ノートの隅にチビ太やイヤミ、デカパンの絵を描いていたことも憶えている。
 
 私は若い頃に赤塚さんのナンセンス・ギャグから“笑い”を大いに頂戴したのだが、結婚後にも“父親”として再びお世話になった。というのは、子どもが小学校へ通いだすと当然、テレビを見たり、マンガを読むようになるが、巷には質の良いマンガが少ないのが親の悩みだった。特に子どもに小遣いをあげるようになると、彼らは本屋へ行って自分でマンガが買えるから、エロ・グロや大人のマンガに触れる機会が生まれる。そういうリスクをできるだけ減らそうと思い、考えついたのが、父親が自分で選んだマンガをどんどん買ってしまうという方法だった。
 
 私は子供のころ、赤塚不二夫だけでなく、横山光輝、桑田次郎、石ノ森章太郎、白土三平、水木しげる、手塚治虫……などのマンガに親しんだ。これらの作家の作品は、スケールの大きさや物語性、人生の描き方、絵の質などで優れていると感じていたので、それらを先に子供たちに味わわせれば、二流・三流のマンガには興味を向けなくなるだろう、と考えたのだ。「悪貨良貨をくじく」と言われるが、その逆も可能であるに違いないと思ったわけだ。成長過程にある子供の心は、実際にはそんな単純にいかないのだが、親としてはそう思うことで安心したかったという面もある。そんなわけで、心配性の父親は、自分が子供の頃に読んだマンガの単行本を、機会を見つけてはいそいそと本屋で買い、子どもたちの本棚を埋めていったのである。
 
 こうしてわが家には、子供にとっては“一時代前”のマンガ文庫ができ上がった。その中でも、子供たちから最も人気のあった作品の1つが「天才バカボン」だった。特に2番目と3番目の子がこれの愛読者となり、同じマンガを何回でも読んだ。休日に部屋で静かにしていると思えば大抵、ベッドの上でマンガを開いてニヤニヤしているのだった。
 
 “恩人”と言えば大袈裟だが、こんな具合にわが家で二代続いてお世話になった赤塚さんの冥福を、心からお祈り申し上げます。
 
 谷口 雅宣

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2008年7月26日

イチローからの手紙

 米大リーグ、シアトル・マリナーズのイチロー選手が、日米通算で3千安打することが待ち望まれているが、23日はレッドソックス戦で1安打して残り「5安打」としたものの、25日のブルージェイズ戦では5打数無安打で足踏みしている。“大記録”の前では、やはり緊張してしまうということなのか。私は特にイチローのファンということではないが、野球の本場・アメリカで現地チームをリードする役を引き受けてきた彼を見ると、同国の“51番目の州”のような外交政策を伝統とする国に住んでいても、「まぁ、いいか……」という気がするのである。彼個人としては、インタビューに答えて「妻は今ごろ、味噌汁をつくっています」と言ったり、「ぼくは何でもできますから」などと発言したことが気になるが、これまでの本業での功績を考えれば、これも「まぁ、いいか……」と思ってしまう。

 そんな最近、「宗教界のイチロー」を自任する人から手書きのお手紙をもらった。この人には、仕事で7月の半ばにお世話になったので、お礼の手紙を絵封筒に入れて送った。それに対する返事である。届いた封筒を見て驚いたのは、ご自分の顔写真が切手として貼ってある。近頃、郵便切手にユーザーが撮った写真を刷り込むサービスがあるとは知っていたが、実物を見るのは初めてであり、しかも自分の写真を使うという発想には恐れ入った。背広姿にベレー帽を被り、薄く色のついた眼鏡がストロボの光を反射している。ふと、「ぼくは何でもできますから」というイチローの言葉が脳裏を過ぎった。
 
Efuto080717  手紙の内容もふるっていた。私はこの人に用意していただいたのと同じデザインのペットボトル入り飲料水を絵封筒に描いた(=画像参照)。それを見たご本人の感想が書いてある--
 
「実を申しますと最初、住所が左側に記載されていたり、切手が右下に貼ってあるし、裏を返すと差出人の住所が無いので“ハハーン、これはキット時々ある無記名投書に違いない、後日ゆっくり”とばかり、一旦は文箱に入れかけたのですが、虫の知らせというか“以前確か見た事のある絵封筒だな”と気付き開封して仰天しました。私の中の忠実な腹の虫に功労賞デス。」

 絵封筒には、どこに住所や宛名を書き、切手を貼るかなどという堅苦しいルールはない。私も今回、もっぱらデザイン上の都合からそれらの位置を決めた。郵便番号を書かなくていいし、差出人の名前を書かなくても配達してくれる。ただし、配達の過程で機械的処理が一切できないから、通常の郵便より時間がかかって相手に届く。この絵封筒の場合、東京都内を移動しただけであるが、ポストへの投函から配達まで約1週間かかったようだ。

 この人の手紙は、最後に次のように結んでいる--
 
「話しは変わりますが、仰せの如く、今後もシアトルのライバルに負けない様に頑張ります。彼の打率は三割ちょっとですので、私は四割を目指します。
  平成二十年七月二十一日
          宗教界のイチローこと ■■イチロー」

 ご本人のプライバシーを守るため、一部“伏せ字”にしているが、「仰せの如く」という意味は、私が手紙で「シアトルのライバルに負けないように」と書いたことを指す。要所で確実にヒットを打ち、チームの勝利に貢献することを期待したのだが、イチロー選手の場合、チームが弱くても個人記録を伸ばす傾向がないとも言えない。宗教界のイチローさんがどちらを目指しているのか聞いていないが、私の意図は十分ご承知に違いない。

 谷口 雅宣

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2008年7月23日

映画『あの日の指輪を待つきみへ』(Closing the Ring)

 今日は、妻と2人で新宿に映画を見に行った。私たちは“週末”である水曜日に、よくこういう行動をする。リチャード・アッテンボロー監督の『あの日の指輪を待つきみへ』(Closing the Ring)というイギリスとカナダの合作映画である。前評判などはまったく知らず、直前にインターネットの紹介文を読み、「じゃあ、これにするか」と選んだものだった。が、幸いなことに内容が案外よかった。日本語の題名からは、普通の恋愛もの--それも相当甘い感じの内容に思えたが、原題は「輪を閉じる」という意味にもなるから、「ナゾを解く」感じの面白さがある。

 ひと言でいえば「戦争に引き裂かれた恋」である。日本のドラマでも、戦場へ行った若い兵士とその許婚の悲恋はよく描かれるが、この作品は、その状況をアメリカとイギリスへ持っていったと考えればいい。第二次大戦でイギリス支援のために北アイルランドのベルファスト上空を飛んでいたアメリカ軍機が、天候不良で山に墜落する。それに乗っていた若い軍人テディ(スティーヴン・アメル)の死を、米ミシガン州で帰りを待つ許婚のエセル・アン(ミーシャ・バートン)は「遺体がない」という理由で、信じようとしない。テディの2人の親友--チャックとジャック--が戦場で負傷して帰国し、遺品を届けても、エセルは簡単に信じようとしない。この3人の親友には、しかし秘密があった。それは、3人が戦場へ行く前、テディはチャックとジャックに、自分に万一のことがあったらエセルの面倒を見てほしいと頼んだことだ。具体的には、チャックには彼女との結婚を依頼し、ジャックにはその2人を助けてほしいと頼み、3人は互いに固い約束をした。

 この3人の“親友の誓い”が成立した大きな要因は、3人ともエセルを好いていたからだ。愛する女性のための親友同士の誓いである。これに戦場での生死をともにする体験が加わると、より強固な“戦友の誓い”が生まれる。ところが、当のエセルには、そのことが告げられなかったことで悲劇になるのである。チャックは約束通りエセルと結婚するが、夫婦関係は形だけのものとなり、ジャックはエセルに恋愛感情をもち続けながらも、それを告白できない。若いころの“美しい誓い”は、生き残った親友と、残された恋人の人生を深く、長く縛り続けることになる。

 映画の展開は複雑で、テディの死から50年たった1991年から始まる。エセルと結婚したチャックが70代で死んでから、まもなくの時点だ。エセルとチャックの間にはマリーという娘がいるが、父親好きのこの娘は、父の死を悲しまない母に不信感を抱き、母にそれを詰問する中で、過去の出来事がしだいに明らかにされていく。なかなか凝った構成で、途中で、北アイルランドで武装闘争をするアイルランド共和軍(IRA)のテロ活動との接点も出てきて、手に汗を握るシーンもある。が、私の理解した範囲では、映画の中心テーマは「愛」である。男女間の愛だけでなく、親友同士の愛も、親子の愛も含まれる。しかし、ここで描かれる愛は、さまざまな形の「執愛」である。エセルは50年前の(死んだ)許婚に愛を向け続け、彼女と結婚したチャックは50年間、報われない愛をエセルに注ぎ、ジャックは3回の結婚をへてもなお、エセルを忘れられない。こうなってくると、“親友の誓い”として行った若い頃の約束が、一見美しいようであっても、親友と恋人の自由を奪う残酷な“呪い”のような様相を呈してくる。

 執愛は、愛の対象を縛るだけでなく、愛する側をも縛る。これだけでは救いのない物語になるが、映画の終り近くで、執愛の誤りを正す努力が行われるのが感動的だ。具体的に何が起こるかは、言わない方がいいだろう。老いたエセルの役を73歳のシャーリー・マクレーンが演じるが、複雑な内面の表現は見ごたえがある。本当の愛は、相手に自由を与えることだというメッセージを、私はこの映画から読み取った。
 
 谷口 雅宣

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2008年7月21日

現代のイスラーム理解のために (7)

 本題に関しては、18日にまでの本欄で、今日の厳格主義イスラームの起源を、近代日本の“尊王攘夷”の思想と似たところのあるワッハーブ主義にまで遡って考えてみた。そこで見出されたことは、厳格主義はイスラームそのものから生まれたのではなく、発祥当時のアラブの遊牧民(ベドウィン)の文化的慣行にもとづくものであり、その後、イスラームが世界宗教として発展するにいたる過程で取り入れてきたスーフィズムの思想、聖者信仰、聖墓崇拝、合理主義(理性主義)、そして哲学的な精緻な思考法などを拒否する、一種の文化主義--もっとはっきり言えばアラブ文化至上主義にもとづくということだった。
 
 これによって厳格主義者が優勢な国において、今日でも暴力事件や宗教的弾圧が多く行われる理由が分かるだろう。狭い文化的思考や行動様式を、多様な民族・文化間に根付かせようとする努力は、上からの“圧政”という形で行わざるを得ないからである。実際、18世紀にワッハーブ派が行った所業は、独裁的弾圧政策であったことを、エルファドル氏は次のように述べている--
 
 確かに、18世紀にアラビアを征服した際、ワッハーブ派は町や都市を支配下に置くと、必ずムスリムの住民にくりかえし信仰告白を求めた。ただしこの時は、信仰告白と同時に、ワッハーブ派の教義に忠誠を誓えと迫ったのである。指示に従わない住民は、不信心者とみなされ即座に斬殺された。18世紀のアラビア全土で行われたこの無惨な大虐殺のありさまは、数々の資料に記録されている。(p.64)

 このような説明を聞くと、ワッハーブ派の考え方と行動様式が、長い間のイスラームの特徴であった「多様性」と「寛容性」から大きく逸脱するものだと分かるだろう。宗教的、政治的な過激主義は民衆の支持を得られないから、通常、どこの国でも時間の経過にともなって弱体化し、消滅しないまでも社会的な影響力をもたなくなる。エルファドル氏も、18世紀から19世紀までのワッハーブ派について、「しかし結局のところ、あまりに急進的で過激なその思想は、イスラーム世界はもちろん、アラブ世界にも広範囲な影響を及ぼすことはなかった」(p.67)と言っている。
 
 しかし、20世紀になって、再びワッハーブ派は勢いを取り戻す。その理由は、後にサウジアラビアを建国したサウード家とワッハーブ派が密接な同盟関係を維持していただけでなく、アラビアに強力な中央政府ができることを望んでいたイギリスが、この同盟を助けたからである。イギリスの目的は、オスマン帝国を弱体化し、自国企業が油田掘削権を独占するためである。(同書、p.69)
 
 本来、少数派であった厳格主義者が勢いを増し、穏健派が圧迫されるようになった主な原因の1つには、西洋諸国の植民地政策が上げられる。この間の様子は、エルファドル氏の本のpp.38-42に簡潔にまとめられている。また、小杉泰氏も「イスラーム世界の解体」と題して著書で詳しく述べている。スペースの関係からこれを簡単に言えば、西洋列強は植民地政策の中で西洋型の世俗的な法律制度を導入し、聖俗分離を行った一方、独立後に宗主国から任命された統治者が、西洋教育を受け、ナショナリズムに燃えた軍人がほとんどだったということだ。イスラームの長い伝統を“時代遅れ”として捨て去る努力が、内外の人々によって行われたのである。これに加え、イスラーム学校に資金を供給していた制度が国有化され、教授の任免権を国が握ったため、イスラーム法学者はしだいに官僚化し、西洋の聖職者のように社会的影響力のない存在になっていったという。エルファドル氏は、これを"宗教的権威の空白状態"と呼んでいる。
 
 谷口 雅宣

【参考文献】
○小杉泰著『イスラーム帝国のジハード』(2006年、講談社刊)

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2008年6月25日

映画『西の魔女が死んだ』(The Witch of The West Is Dead)

 今日は水曜日の“週末”ということで、妻と一緒に恵比寿の映画館で『西の魔女が死んだ』(長崎俊一監督)という作品を観た。梨木香歩原作(新潮文庫)のこの映画は、100万部のロングセラーを達成した原作を読んだ妻が、かねてから公開を待ち望んでいたものだ。だから私は、彼女の“おとも”として行った、という感じだった。ストーリーは事前に妻から聞いていたから、それほど起伏のある展開ではないことは知っていた。が、この作品はストーリーで見せるものではないことが、すぐ分かった。八ヶ岳山麓で独りで暮らす老女(サチ・パーカー)のもとに、孫である女子中学生(高橋真悠)が不登校の心を癒すために世話になる--筋はそれだけだ。が、この祖母と孫との田舎生活の中から、人生の意義と「人間は死なない」というメッセージが紡ぎ出されるのである。会話と演技とメッセージ性を重視した、静かな感動を与える作品である。

 妻によると、この映画は原作にとても忠実に作ってあるという。そのことから考えると、私はこのような内容の小説が100万人にも読まれるということに、少なからず驚いた。単行本の『西の魔女が死んだ』(楡出版)は平成6年刊で、小学館の新装版は同8年、新潮文庫版は同13年刊である。この文庫版が今年2月刊の「51刷」の帯に「映画化」決定を謳っている。14年間で100万部を売ったとすると、単純に計算して1年間に7万部強という人気である。

 その中で、老女は孫にこんな言葉を語る--

「人の注目を集めることは、その人を幸福にするでしょうか」
「精神力っていうのは、正しい方向をきちんとキャッチするアンテナをしっかりと立てて、身体(からだ)と心がそれをしっかり受け止めるていう感じですね」
「死ぬ、ということはずっと身体に縛られていた魂が、身体から離れて自由になることだと、おばあちゃんは思っています。きっとどんなにか楽になれてうれしいんじゃないかしら」
「魂は身体をもつことによってしか物事を体験できないし、体験によってしか、魂は成長できないんですよ。ですから、この世に生を受けるっていうのは魂にとっては願ってもないビッグチャンスというわけです」

 これだけ取り出して並べると、何となく宗教臭く聞こえるかもしれない。が、これらが語られる合間には、祖母と孫はニワトリの世話をしたり、野イチゴのジャムを作ったり、シーツの洗濯をしたり、作物を収穫したりして、中学生の孫は実生活の大変さと面白さを学んでいく。だから、そんな“臭み”は感じられない。これはもちろん、著者、梨木香歩氏の文章の構成力と表現の自然さにある。また、物語が、八ヶ岳山麓の森の中という“非日常”の中で展開されることにもよるのだろう。生長の家では今、「技能と芸術的感覚を生かす」ことが勧められているが、同じメッセージでも、それをどう表現するかで大いに違いが出てくるものだと感心させられた。

 ところで、この作品では“西の魔女”役のサチ・パーカー氏(Sachi Parker)が、折り目正しい日本語を明瞭に話しているのが印象的だった。彼女は個性派女優、シャーリー・マクレーンの娘で、父親はスティーブ・パーカーという映画製作者。日本好きの両親のおかげで2~12歳まで日本で暮らしていたそうだ。が、今回のセリフは難しかった、とこの映画のプログラムの中で言っている。同じプログラムのインタビューでは、彼女は次のように言っている--「私は、人生のネガティブなところに、重点を置きません。その時間があっても長く続かないように心がけています。愛するものたちに、感じたものをそのままコミュニケートするのです」。何となく日時計主義のように聞こえる。また、原作の小説にもそんな記述がいくつか見られるから、興味をもった読者には一読をお勧めする。
 
 谷口 雅宣

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2008年6月23日

ガイコツはなぜ踊る?

 
 昨日は富山教区での生長の家講習会の終了後、富山県水墨美術館で行われていた「良寛展」を見に行った。時間に余裕がなかったのが残念だったが、それでも、良寛禅師の飄々とした自由自在の性格と思想を伝える墨跡の数々に接して、1日の仕事の緊張感を解き、昂る気持を鎮めるとともに、安らかな締めくくりをすることができた。
 
 良寛の漢詩の中に、こういう内容のがある(自由訳)--
 
 物事は縁から生じるが、縁から生じたものは、縁が尽きると消滅する。尽きた縁が何から生じたかと考えれば、その前の縁から生じるのだ。その前の縁も前の前の縁から生じるのだから、これらを遡っていけば最初の縁にゆきつくはずだ。しかし、この最初の縁が何から生じるかとの疑問に到ったとき、最初の縁の前には何もないのだから、すべてのものが消滅してしまう。この話を、東に住む婆さんにしてみたが、婆さんは不快な顔をした。西に住む爺さんに話したら、眉をひそめられた。そこで、この話を餅に書いて犬に食べさせたら、犬さえ嫌って食べなかった。だから、この話はよくない考えなのかもしれない。そこで、この話の中の縁と何とを、また生まれるとか滅するとかを一つにまとめて皆、野原に転がっている骸骨にくれてやった。すると、骸骨はそこらじゅうから次々に起き上がって来て、私のために歌を唄い、踊りはじめたのである。(後略)

 私は、昨日の講習会では「因果の法則」についても触れたのだった。因果の法則とは、「物事はすべて、何かを原因とする結果である」と表現することができる。人間は知性によって因果の法則を知り、それを利用することで自己の目的を達成することができる。因果の法則を知り、それを利用できる者は力を増大する。これは、科学の発達によって人間の力が拡大してきた歴史を振り返れば、明らかなことである。科学とは結局、因果の法則を知るための方法である。

「縁」とは「助因」であり、ある結果を生じるに必要な補助的原因である。土を入れた植木鉢に種を植えれば、種はやがて発芽して芽を出し、双葉を開かせる。この時、植物の種が「因」であり、双葉は「果」として考えられる。種から芽が出るためには、土(栄養素)ばかりでなく、一定の温度と湿り気が必要である。これらが「縁」と言われるものだ。上の良寛の詩では、「縁」を「因」としてとらえているように見える。つまり、「植木鉢に入った土があるから、新芽が出るのである」ということだ。土もなく、湿り気もなく、「種」だけがあるのでは発芽する機会はないだろうから、通常の場合はこの理解でいいのかもしれない。が、「発芽」の本当の原因は「種」であるから、「縁」を「因」と誤解していると妙な信仰に陥ることがある--自分は、この神社のこの御神籤を引いて、それに従って行動したら、こんな幸運を得た。だから、この御神籤が幸運をもたらしたのである!--本当にそうだろうか? よろしく脚下照顧すべし。

 谷口 雅宣

 

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2008年6月20日

「ふと思いつく」こと (2)

「高級神霊の導きを受ける祈り」には、こうある--「ふと思いつかせる神秘者は、人間の脳髄の中には居ないのである。それは霊界から何らかの霊がわれわれに霊波を送って来てふと思いつかせるのである」。

 これを読むと、「A」という人がふと思いつくことは、それとは全く別の人格をもった「X」とか「Y」などの“霊界の人”からの通信による、と解釈されやすい。しかし、同じ祈りの別の箇所では、「放送霊波に波長が合うときアイディアを感受する」という考え方が明確に述べられているから、AがXからアイディアを感受する時、両者は「全く別」ということではないのである。我々の通常の人間関係でも、「気が合う人」と「気が合わない人」がいる。これは、ものの考え方、感じ方、興味の対象、嗜好、趣味……などで、互いに共通点が多いのが前者であり、少ないのが後者である。AとXが前者の関係にあるとき(つまり、気が合う友人同士であるとき)、AとXは同一の人格ではないが、かといって「全く別」の人格でもない。だからこそ、XのアイディアをAが喜んで採用することになるのである。

 ここのところは見逃しやすい点かもしれない。「Xの放送霊波をAが受信する」と表現すると、Aはもっぱら受身の立場で、Xの放送霊波を一方的に受けて、Xの思うままになるというような隷属関係を思い浮かべやすい。しかし、このように、一方が他方を“操縦する”と考えるのは間違いである。そうではなく、Xのアイディアを受け取るAは、自ら選んでXと同じ“波長”になるのである。これがあって初めて、Xからの通信を受けることができる。だから両者は「操縦・被操縦」の関係ではない。むしろ、トランシーバーで会話をするときのように、対等に近い関係である。両者のトランシーバーが同一波長に設定されれば、「X→A」の通信だけでなく、「A→X」の通信もできるのである。この時、両者のもつトランシーバーは「全く別」とは言えない。それらは「同一」ではないが、少なくとも「同波長」であり「同型」である。
 
 この辺りの関係を、谷口雅春先生は『新版 幸福生活論』(2008年、日本教文社)の中で、次のように説明されている--

「“フト”思いつくと云うのは決して“偶然”ではないのであります。“フト”と云うのは心理学的に云うならば、“潜在意識”の世界であります。心霊学的に云いますと、これを守護霊(guardian angel)の導きと云うのです」。(p.76)

 心理学で「潜在意識」という場合は普通、ユングのいう「集合的無意識」(collective unconscious)も含まれる。とすると、「ふと思いつく」という現象は、個人の意識に対して集合的無意識が働きかける場合を含むことになる。これは、私たちが絵を描いたり、写真を撮ったり、詩作したり、作曲したり、工業デザインを制作するときに普通に起こることだ。ある森の一画を無性に絵に描きたくなったり、ある町角がどうしても写真に撮りたくなったり、歩行中に詩の言葉が浮かんできたり、曲の一部が脳裏に流れたり、あるタイトルの本を書店の本棚から取り出したくなったり……そんな経験はごく日常的にあるもので、いわゆる“心霊現象”ではない。

 こういう角度から見れば、私たちの霊界との関係は日々当り前に起こっていることになり、異常現象や超常現象などではないことが理解されるだろう。
 
 谷口 雅宣

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2008年6月19日

「ふと思いつく」こと

 前回の本欄で言及した「高級神霊の導きを受ける祈り」を読んだ読者は気づかれたと思うが、ここには私たちの日常生活にしばしば現れる“重要な選択”の秘密が書かれている。この祈りから引用すれば、“重要な選択”とは例えば次のようなものである--
 
「人間の運命は“ふと思いつくことを行動する”ことによって、おのずから結果が展開して行くのである。ある人は、良きアイディアを“ふと思いつく”ことによって、それを行動に移して大成功したが、ある人は“ふと思いつく”ことを実行したために大火災を起こして大変な損失を蒙(こうむ)ったのである。ある人は、“この自動車で鎌倉へ行こう”とみずからタクシーを呼び留めてそれに乗ったために、その自動車がトラックと正面衝突して重症を蒙ったのである。(中略)まことに“ふと思いつく”ということで大抵、人の日常生活は行なわれ、その人自身の運命を決定しつつあるのである」。(『続 真理の吟唱』、pp. 193-194)

 私たちの日常生活は、限りない数の選択の連続によって進んでいくが、不思議なことに、私たちは普段、そのことをあまり意識していない。そして往々にして、1日の終りに「変化のない単調な日だった」などという感想を抱くのである。そんな時、私たちは“単調な日”という何か一定した客観的なものを、外から与えられたような印象を受けているのだが、本当は、限りない数の選択を「無意識に任せて行っている」に過ぎない。私は『太陽はいつも輝いている』(2008年、生長の家刊)で、「自動運転」(automatic pilot)という言葉を使ってそのことに言及している(pp.66-72)。長距離をいく航空機や船舶には、コンピュータで制御した“自動運転”のモードがあるというが、それと同じように、私たちは1日の始まりに当たって、「いつもと同じ」「従来通り」「繰り返しの」などという無意識モードに自分の心を設定して、“変化のない単調な日”を自ら作り出していると言える。
 
 だから、「新鮮な日」「人生で1回きりの日」「新たな出発の日」などをつくるためには、この自動運転の“眠った心”を目覚めさせ、人生の主体者として自らが日々の選択に積極的に関与していく必要がある。その時に重要なのが、この「ふと思いつく」ことである。これは能動的な表現であるが、受動的に表現すれば「アイディアを感受する」ことである。ただし、前回も触れたように、感受するアイディアには善いものと悪いものがある。では、“悪いアイディア”を避け“善いアイディア”を感受するにはどうしたらいいのか? 上掲の祈りには、次のようにある--

「人は往々にして物質的欲望や、肉体の快楽追求の欲望に心の波長を狂わせて、自分の心の波長が正守護神や特命守護神の放送霊波に波長が合わなくなり、守護指導のアイディアを感受し得なくなることがある。そのとき迷える亡霊や怨霊の如きものの放送霊波を感受して、それをみずからの“思いつき”として行動して失敗するのである。その失敗を避けるためには、人は毎日、必ず神想観を実修して自己の心の波長を正しく調律し、神より遣わされたる高級守護霊の導きのみを感受し得る正しき“心の状態”に維持することが必要なのである」。(pp. 196-197)

 日々、神想観を実修することの大切さが、再確認される。それとともに、私たちが日常的に接する様々な情報が、私たちの運命をどう形成していくかも理解されるのである。つまり、「情報の選択」は「運命の選択」に結びつく人生の重要事項なのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年6月16日

“後ろの目”をどうする?

 だいぶ前の本欄で、私がアイポッドを使い出した話を書いた。正確に言えば、それは2006年12月27日の本欄で、「ながら族へ転向?」という題のものだ。しかし最近では、私はアイポッドをあまり使っていない。理由は、大きく分けて2つある。1つは、パソコンを換えたこと。もう1つは、やはり私は“ながら族”のライフスタイルに馴染めないからだ。

 アイポッドは、自分で使うパソコンの内容と“同期”させて使う。この意味は、パソコンの特定のフォルダー上にあるファイルと、アイポッド内のファイルとは正確に対応している必要がある、ということだ。これによって、パソコン上で加除されたファイルが自動的にアイポッド上にも反映される。私は当初、この機能は「使いやすい」と感じていた。ところが、パソコンを新しくすると、新しいパソコンに古いパソコンのファイルを全部複写しておかないと、アイポッド上のファイルが自動的に入れ替わってしまう。これは実に「使いにくい」のである。もう1つ不便なのは、妻がアイポッドをもらったので、その中に私のパソコンの音楽ファイルから選んで複写しようと考えたが、これが事実上不可能なのである。理由は、上に書いたように、PCとアイポッドは“同期”が原則だからだ。しかも、1つのアイポッドに対して同期できるのは、特定のパソコン1台きりだ。別のパソコンから好きなファイルだけ選んで複写することは、(不可能でないとしても)非常に面倒くさいのである。
 
 “ながら族”が好きになれない理由は、拙著『日時計主義とは何か?』か『太陽はいつも輝いている』を読んでくださった読者なら、簡単に想像がつくだろう。イヤフォンを両耳に挿して街を歩くことは、少なくともその時間帯は、“感覚優先”の世界を拒否することになるのだ。音楽を聴くことは“感覚優先”であることは事実だが、その代わり、聴いている音楽以外の音は耳から入りにくいから、外界で起こる出来事に対する“現実感”が大分薄らいでしまう。別の言い方をすれば、肉体のもつ五感のうち聴覚だけが別のものに向いているから、心の中で他の感覚との間で注意の奪い合いが起こるのである。そして、「考えごとをしながら街を歩いている」のと似た結果になる。つまり、「心ここに有らざる」状態だから、私の言う“感覚優先”の生き方とは全く異なるのである。空の青さ、風のさわやかさ、道端の花の美しさ、すれ違う人々の表情、新しい店飾り……などに、この状態では気がつくことができない。
 
 今日の『産経新聞』には、もっと危ない話も載っていた。それは、人間が歩行中などに普通に使っている“後ろの目”が、イヤフォンで音楽を聴いている人には使えない、という話だ。いわゆる“後ろの気配”を私たちが感じるのは、聴覚によるらしいが、イヤフォンから来る音を聴いている人には、それが感じられない。同じことは、携帯電話で話している人にも言える。意識が片耳から来る音に集中しているからだ。だから、道路を歩いていて突然、ケータイを耳に当てながら立ち止まる人がいて、私もぶつかりそうになったことがある。こういう人々は、歩道を猛スピードで走る自転車にぶつかる確率も、ぐんと増えるに違いない。さらに物騒なのは、さいたま市では、イヤフォンをして歩く女性ばかりを後ろから狙ったひったくり事件があり、今月4日に少年が逮捕されたという。さらに想像すれば、秋葉原での通り魔事件で刺された人のうち、イヤフォンで聴いていたり、ケータイを使っていた人の割合はどのくらいか、が気になる。
 
 日時計主義を標榜する私が、あまり暗い想像をしてはいけないが、“文明の利器”と言われるものも、使い方を間違えば不幸の原因になるのである。上記の通り魔事件の容疑者は、自分が“ケータイ中毒”であることを認めている。機械は「使うもの」であり、「使われるもの」ではないのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年6月11日

イスラームの多様性 (3)

 6月8日の本欄では、日常の細部にわたる規定をもちながら中央集権的組織が存在しないイスラームが世界宗教になった理由を考察し、それは「教義に多様性があるからである」との仮説を提示した。これはあくまでも仮説であるから、事実と違う可能性はある。が、ここ数日、メディアで報道されているインドネシアのイスラーム組織「アフマディア(Ahmadiyah)」をめぐる紛争のことを知ると、この“教義の多様性”の問題が実際に存在していることが窺える。
 
 10日付の『ヘラルド・トリビューン』紙によると、インドネシア政府は2人の閣僚と法務長官名で、「すべてのアフマディア信徒はその活動をやめよ」との警告と命令を発し、それができない場合は最長で5年間収監されると通告した。このことがなぜイスラームの“教義の多様性”を示すかというと、イスラームではモハンマドを「最後の預言者」とする教義が、「神は唯一である」という教義と等しく基本的であるとされているからである。イスラームでは、旧約聖書に出てくるアブラハムも、モーセも、新約聖書のイエスも皆、預言者であり、神の言葉を伝えていると考える。しかし、それらの預言者の締めくくり(『コーラン』では「封印」という言葉が使われている)として、最終的な神のメッセージを伝えるのがモハンマドとされている。記事によると、アフマディアは、その重要な教義を変更して、自分たちの宗派の教祖を預言者として、また救世主として崇拝しているらしい。
 
 ここで気づいてほしいのは、その教義の内容が珍しいということではなく、イスラームの信仰の根幹に関わる重要な点を変更するような宗派が、これまで存在を許されてきたという事実である。アフマディアは、1889年にインドのプンジャブ地方で生まれ、教祖はミルザ・グーラム・アハマド(Mirza Ghulam Ahmad、1908年没)というらしい。現在、世界の190カ国に数百万人の信者を擁し、そのうち約20万人がインドネシアにいるという。もちろん、イスラームの2大宗派であるスンニ派とシーア派は、彼らをイスラームと認めないとしてきたが、アフマディア自身は『コーラン』の記述を引用して自分たちの正当性を主張し続けてきた。
 
 誤解がないように言っておくと、アフマディアはイスラームの中で自分たちの信仰を自由に享受してきたわけではない。ウィキペディアの記述によると、パキスタンは1974年に憲法改正までして、アフマディアをイスラームと認めない決定をしたという。具体的には、この改正により「モスレム」(イスラーム信者)を「預言者モハンマドの最終性を信じる人」と定義したということだ。また、バングラデッシュでは、アフマディアを公式に異端と決定せよという原理主義勢力の圧力が高まり、2004年には、アフマディアによるすべての出版が禁止されたという。その理由は、「国民の多数を占めるイスラーム信者の感情を傷つけ、あるいは傷つける恐れがあるから」という。このように、彼らは様々な形で“弾圧”を受けてきたが、それでも相当数の信者を擁しながら存続してきた。今回のインドネシア政府の決定は、この“イスラームの寛容性”が変化しつつあることを示すのかどうか--それが重要なポイントになるだろう。

 この問題に関してもう1つ重要なことは、インドネシアはいわゆる“イスラーム国家”ではないということだ。この国は、世界最大のイスラーム人口を抱えているとはいえ、キリスト教のカトリックとプロテスタント、ヒンドゥー教、そして仏教を、イスラームと共に“公認の宗教”とした上で、「信教の自由」を国是とする国である。にもかかわらず、イスラーム信仰者を自称する人々の一部の活動を禁止することは、憲法の精神に背く可能性が強い。だから、今回の政府の決定に対して、原理主義者を除く大多数の穏健なイスラーム信者は、戸惑いを隠せないでいるという。

 11日付の『ヘラルド・トリビューン』は、アフマディアの信者が多く住むマニス・ロール(Manis Lor)という町を取材し、おびえた様子の信者の姿を描いている。今回の政府の決定には、政治的意図があるというのが、同紙の分析だ。それは、インドネシアのユドヨノ大統領は来年に選挙を控えていて、自分の支持基盤の一つである保守的なイスラーム勢力の要求を無視できなくなっているからだ。そういう政治目的のために、大統領自身が国是を歪めていいのかどうか--インドネシア国民は今、論争の渦中にある。
 
 谷口 雅宣

【参考文献】
http://en.wikipedia.org/wiki/Ahmadiyah
○ "Ahmadiyya Muslim Community," http://www.alislam.org/introduction/

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2008年6月 8日

イスラームの多様性 (2)

 本欄で「イスラーム法と理性」について書き継ぎ、さらに今「イスラームの多様性」について書いているのは、目的がある。それは、仏教や儒教やキリスト教など、我々日本人が親しんできた宗教と、イスラームとの1つの大きな違いを示したかったからだ。その違いとは、イスラームは基本的に「聖俗分離」(あるいは政教分離)のない宗教であり、信徒のあるべき姿が日常生活の細部に至るまで規定されている、ということだ。その一方で、イスラームは世界宗教であり、アラビア半島やイラン、トルコは言うに及ばず、ヨーロッパ、アフリカ、インド、パキスタン、東南アジア、ロシア、中国……にまで浸透している。ここに1つの大きな疑問が生じる--生活習慣や文化が異なる、このように多様な民族が、日常生活の細部まで規定する宗教を共通して信仰することが、どうして可能なのか? 私は、その答えは、前回も述べた「イスラームに教会組織がない」という、この宗教に特徴的な“平等主義”によるところが大きいのではないか、と考える。別の言い方をすれば、イスラームがもしカトリック教会のような中央集権的組織の構築を目指したとしたならば、今日あるような多様な民族間に、これだけ多くの信者を擁することはできなかったのではないか。

 もちろん、世界最大の宗教であるキリスト教には、中央集権的組織がある。が、その代表であるカトリック教会からはプロテスタントが跳び出し、さらにロシア正教、英国国教会が生まれた。アメリカ大陸に渡ったプロテスタントは、さらに分裂を繰り返している。しかし、キリスト教は聖俗分離の考え方を採用したから、日常生活の細部にまで宗教的義務や戒律の遵守を要求する宗派は少ない。その代わり、“聖”(教義)の分野については、それぞれの宗派が中央集権的な教義の判釈権を享受しているように見える。“俗”(日常生活)の分野においては、キリスト教は伝播地の習俗や文化を取り入れながら拡張したが、“聖”(教義)において統一性を保つことができたため、キリスト教としての同一性を失わなかった--そう考えることはできないか。

 “聖”と“俗”が密接につながったイスラームの場合、発祥地のアラビア半島から離れて勢力を拡大していくにつれて、伝播地の文化や習俗と触れ合うことが、(キリスト教とは異なり)教義の変容につながっていったと見ることができる。このことは、イスラーム最大の教典『コーラン』の説く内容が、いわゆる“メッカ期”と“メディナ期”の間で相当異なるという事実が有力に示している。また、これは、イスラームの2大宗派であるスンニ派とシーア派の考え方の違いにも表れていると言えよう。イスラームは世界宗教となるに伴い信仰の“内容”が多様化した。が、信仰の“外形”をそろえることでイスラームとしての同一性を保った--そういう分析ができないだろうか。

 もし上記のことが正しいならば、イスラームとキリスト教の“多様性”について、次のような結論が導き出せるかもしれない。もしキリスト教に“多様性”があるとしたら、それは基本的には伝播地の文化や習俗の多様性のことを言うのであって、教義の多様性ではない。しかし、イスラームの多様性とは基本的に“聖”(教義)の分野の多様性を言うのであって、“俗”(日常生活)の多様性はキリスト教ほど顕著ではない。このような視点を仮設してみると、2005年3月26日の本欄に書いた、国際宗教学宗教史会議世界大会での私の観察を、興味をもって振り返ることができるのである。私はこのとき、「戦争と平和をめぐるイスラムの視点」というセッションに出た感想を、次のように書いている--

 この3番目のセッションが一番興味深かった。というのは、イラン人の発表者は、「イスラムは人権を尊重し、男女平等を説き、理由のない暴力を許さない教えである」ということを、平坦な調子で原稿を読みながら延々と話した。そのあとでマレーシア人が「コーランはテロリズムを認めない」ことを機関銃のように話した。ブルネイ人もイスラムのいい所を話した。ディスカッションの時間になると、まずドイツ人が手を上げ「今日は学問的分析を聞きに来たのに、宗教講話を聞かされたのには驚いた」と皮肉った。部屋の最後部で手を上げたオーストラリア人は、「もし貴方がたの言うことが正しいなら、9・11のあと、イスラムの宗教指導者たちは、なぜ団結してテロ行為を否定しなかったか?」と質問した。バングラデッシュ人の女性も立ち上がり、「貴方がたは言っていることとやっていることが違う」と批判した。

 これに対してイスラム側の反論は……力がなかった。イラン人は「イスラムに多くの教派があり、教えの解釈も教派によって多様だ」と言った。ブルネイ人は、「西側のニュース報道は選択的で、一部の民衆が踊って喜んだことは事実だが、宗教指導者は皆、テロ行為をイスラムにもとると批判した」と言った。最後の方で、大きな白人(国籍不明)が立ち上がってこう聞いた--「イスラムの解釈にそんなに幅があるならば、宗教指導者は何のためにいるのか。民衆は、右から左にいたる大きな解釈の幅を利用して、その時々の感情に合ったイスラムを選択すればいいことにならないか?」--うん、確かにその通りだ、と私も思った。
 
 --教義に統一性のあるキリスト教側から見れば、イスラームの多様性は無原則、無秩序に見えるのである。しかし、イスラームの側から見れば、教義にそれだけ大きな幅が許されているから、多様な民族間にも同じ信仰が共有されてきたのである。どちらが優れているかは、そう簡単に判断できないような気がする。
 
 谷口 雅宣

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2008年6月 6日

イスラームの多様性

「イスラームに教会組織がない」ということは、仏教やキリスト教に親しんでいる我々日本の文化環境では不思議に思え、宗教としては何か無秩序で、一種の混乱状態にあるような印象を受ける。実際、本欄の読者の中にも、そういう感想を述べた人がいる。私も一時、そう考え、ローマ法王を頂点とするカトリック教会の組織のようなものが、イスラームの信仰者の間にできれば……と夢想したこともある。しかし、エジプトのイスラーム法学者、カリード・アブ・エルファドル氏の『And God Knows The Soldiers:The Authoritative and Authoritarian in Islamic Discourses』(そして、神は主の軍勢を知り給う--イスラームの議論における権威と権威主義)を読んでから、私は考えが少し変わってきた。今日の世界のイスラーム社会の多様性を考えたとき、この世界宗教に教会組織がないことが、この多様性を保障しているのではないか、と思うからである。

 上記した本のタイトルは、『コーラン』の第74章34節に出てくる次の言葉から取られている:

「このようにしてアッラーは誰でも御心のままに迷わせ、また御心のままに導き給う。主の軍勢が(どのくらいあるか)知っているのは御自身ばかり。結局はこれもただ人間どもへのお諭にすぎぬ」。(井筒俊彦訳)

『コーラン』のこの章には、地獄の劫火を守る番兵のことが触れられていて、それは「19の天使」だと書いてある。エルファドル氏は、これがなぜ「20」や「18」でなく「19」か不思議に思ったという。また、この数字の意味について、『コーラン』はわざわざ「その数は邪宗徒どもの跌(つまず)きの種にもとて特に我らの指定したもの」と書いてある。一方、モスレム以外の“啓典の民”はこの数字を見て「確信ができ」、モスレムは「ますます信仰を深くする」のだという。こういう“謎”めいた記述の後に、上に引用した文章が続くのである。読者に気づいてほしいのは、引用文にはもう「19」という数字は出て来ないで、「主の軍勢はわからない」と書いてあるのである。英語に訳すると「Only God can know God's soldiers.」となるらしい。

 井筒氏の日本語訳では「知っている」となっていて「現在の状態」を表しているから、「将来は人間にも分かる」という希望が持てる。が、この英語訳では「神のみが知ることができる」という可能性を表しているから、「過去・現在・未来にわたって人間には分からない」という意味になる。だから、エルファドル氏は、ここの章句は「誰が神の真の戦士であるかは、神以外知ることができない」という意味だと解釈し、神以外の者が、自分を“神の真の戦士”だと標榜することはできない、と述べている。人間は皆、神の御心を知り、それに従おうと最大限の努力をするが、結局、自分が“神の戦士”として認められたかどうかは、地獄の劫火の前に来るまでは分からないというのである。
 
 エルファドル氏は、この章句は“荘厳なる権威主義の否定”だというのである。前回書いたように、イスラームにおいては「聖職者」という職業はなく、小杉泰氏の言葉を借りれば「ひたすら一般信徒だけが存在して」いるから「神の前の平等」が徹底している。また、カトリック教会や英国国教会のような聖職者組織もない。組織を作れば、ローマ法王のように、その頂点に位置する権威者を設けねばならず、そうなると「神の前の平等」が崩れる。この原則は、『コーラン』第49章13節の言葉によく表されている--「まことに、神の御目から見て、汝らの中で最も高貴な者は、神を怖れること最も深き人である」。「誰も神の御心を体現できない」という上記の解釈は、この原則とも矛盾しないのである。
 
 このような平等主義を“裏側”から表現した言葉がある。それは「あらゆる法学者は正しい」という教えで、これはモハンマドの言葉として伝わっている。これに付随して、こんな話もある--もしある法学者の解釈が正しければ、彼または彼女は神から「2」の功績を認められるし、間違っていたら「1」の功績を認められる。エルファドル氏によると、この意味は、人は失敗を恐れずに法(真理)を求めなければならず、その結果、成功にも失敗にも褒賞が与えられるということだ。

 谷口 雅宣

【参考文献】
○小杉泰著『イスラームとは何か--その宗教・社会・文化』(講談社現代新書、1994年)
○井筒俊彦著『イスラーム文化--その根柢にあるもの』(岩波文庫、1991年)

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2008年6月 4日

イスラーム法と理性 (3)

 前回、「イスラームには中心的権威がない」と書いたのは、「イスラームには宗教的権威がない」という意味では決してなく、「教会組織がない」という意味である。この場合の「教会組織」とは、カトリック教会におけるローマ法王のように、一人の宗教的権威をもつ人間の法解釈に、傘下のすべての聖職者組織や信者が従うというような、中央集権組織ではないということである。このことは、「イスラームにヴァチカンはない」という題でかつて本欄(2006年3月27日)で触れたことがある。イスラーム研究者の小杉泰氏は、イスラームにおける宗教指導者、ウラマーについて、次のように描いている--
 
「ウラマーは“アーリム”の複数形であるが、この言葉は“知識を持つ人”を指す。この知識とは、言うまでもなくイスラームの知識であるが、知識さえあれば誰でもアーリムとなる。ということは“宗教学者”は特定の位階や職業を指すわけではない」。(『イスラームとは何か』、p.148)

「つまり、知識の探求は、信仰に発する信徒の一般的な務めであり、(中略)信仰行為の一環であった。このことを言いかえると、信徒が勉強して、知識が十分得られれば“アーリム”(知者・学者)となるだけで、ほかには普通の信徒と何の違いもない。別な言い方をすれば、ひたすら一般信徒だけが存在して、その中で知識を持つ者が“知者・学者”として指導的な役割を担うにすぎない、とも言える」。(同書、pp.148-149)

 こう書いてあるからといって、普通の信徒が数年の勉強で権威あるウラマーになれるわけではない。なぜなら、井筒俊彦氏も言うように、「宗教研究の権威者ともなりますと、狭い意味での宗教や信仰に関することだけでなくて、社会問題、政治問題、法律問題、風俗問題、道徳問題など、人事百般について『コーラン』の名において判定を下すことのできる権威者」(p.48)でなければならないからだ。このようなウラマーの中でも特に学識や人徳に優れた--イランでは「アヤトーラー」(神の徴)と呼ばれるような--人物は、絶大な権力をもつことになる。
 
 井筒氏の説明を続けて聞こう--

「そういう権威者たちが自分自身の『コーラン』解釈に照して、ある『コーラン』解釈が許容範囲を逸脱していると認めれば、ただちに正規の法的手続きを踏んで、それに異端宣告をすることができる。というより、宣告をする義務がある。この点で、ウラマーの政治的権力は実に絶大なるものであります。なぜなら、いったん異端を宣告されたが最後、その人、あるいはそのグループは完全にイスラーム共同体から締め出されてしまう」。(pp.48-49)

 このようにして、イスラーム社会では教会組織が存在しなくても、教典の解釈を一定の範囲内に留めておくための社会的メカニズムは存在しているのである。しかし、その「一定の範囲内」に留まるのであれば、かなりの解釈の自由が許されていると見ることができる。なぜなら、イスラーム法のように、人生の万般に関わってくる規範や規則を、様々な文化圏の多くの人々に単一の解釈のもとに厳密に適用することなど、不可能と思われるからである。

 谷口 雅宣

【参考文献】
○小杉泰著『イスラームとは何か--その宗教・社会・文化』(講談社現代新書、1994年)
○井筒俊彦著『イスラーム文化--その根柢にあるもの』(岩波文庫、1991年)

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2008年6月 3日

イスラーム法と理性 (2)

 さて、これまでの本欄の記述を読んで、イスラーム法は「人の前で立つ」とか「リンゴを食べろ」などという日常生活の細部にわたって規制をかけるのか、と驚いた読者がいるかもしれない。我々のように儒教的倫理思想と西洋式法体系を兼備した社会に生きている人間にとっては、社会習慣、倫理・道徳、宗教それに法律は、互いに内容的には重なるところがあっても、概念としては明確に分かれている。ところがイスラーム社会では、これらが一体となってイスラーム法を形成していると考えていいだろう。井筒俊彦氏は、そのことを『イスラーム文化』の中で次のように描いている--
 
「イスラーム法を叙述した書物を開いてみますと、まず最初に出てくるのは、宗教的儀礼の規則、たとえば、メッカ巡礼のやり方とか、ラマダーン月の断食の仕方、それから日に5回の礼拝の仕方、礼拝に臨む場合の身の清め方--(中略)ところが、すぐその次に、われわれなら民法、親族法として取り扱うはずの家族的身分関係を律する細かい規則が出てきます。(中略)そうかと思うと次に、それにすぐ続けて、こんどは商法関係になって、取引の正しい仕方、契約の結び方、支払いの仕方、借金の仕方、借金返済の方法などです。次は刑法的規定で、(中略)そうかと思うと、食物や飲み物、衣服、装身具、薬品の飲み方、香料の使い方、挨拶の仕方、女性と同席し会話するときの男性の礼儀、老人に対する思いやりの表わし方、孤児の世話の仕方、召使いの取り扱い、はては食事のあとのつま楊枝の使い方、トイレットの作法まである」。(pp. 160-161)

 こんな日常の“些事”まで規制されるのでは、我々にとっては息が詰まりそうである。が、すべてが「あれはダメ」「これをしろ」とガチガチに規制されているのではなく、許容度に応じて次の5段階の分類があるのだという--①絶対善、②相対善、③善悪無記、④相対悪、⑤絶対悪。このうち「相対善」とは、そうすることは望ましいが、しなくても罰せられないことであり、「善悪無記」とは、してもしなくても奨励も処罰もされないこと。「相対悪」とは、イスラーム法では是認されないが、しても処罰されないことである。
 
 このような法体系ができた理由は、イスラームには「聖俗分離」の考え方がなく、むしろその逆に、神の聖なる秩序を現実生活に表すことが信仰者の生きる道と考える長く、根深い伝統があるからだろう。井筒氏は、11世紀のイスラーム思想家、ムハンマド・ガザーリー(1058-1111)がこのことをどう考えたかを、次のように描いている--「人間生活の全体が、毎日毎日の生活、その一瞬一瞬が、神の臨在の感覚で充たされなければならない。そういう生活様式に人生を作り上げていくことによって、人は神に真の意味で仕えることができるのだ」と。(前掲書、p.144)
 
 しかし、生身の人間の一挙手一投足が、すべて神の御心への奉仕になるなどということは、理想論としては唱えられても、実際には不可能である。第一、そういう理想的生活が具体的にどういうものであるかを、どうやって知るのか。言いかえれば、日常の細々とした行動の中で「神の意思は何か」をどうやって知るのか? それらは確かに『コーラン』や『ハディース』に書かれているかもしれないが、そんな大部の書物の内容と解釈をすべて憶え、日常生活に適用できる人がもしいれば、それはきわめて数が少ないだろう。こう考えていくと、「イスラームには中心的権威がない」と言われる理由が、何となく分かるような気がするのである。

 谷口 雅宣
 
【参考文献】
○井筒俊彦著『イスラーム文化--その根柢にあるもの』(岩波文庫、1991年)

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2008年6月 2日

イスラーム法と理性

 私は昨年の6月後半の本欄で、「イスラームの理性主義」と題し、イスラーム神学の各学派が、「理性」の位置をどのように扱ってきたかを概観した。それによると、理性を最大に尊重するのがムータジラ派であり、教典(『コーラン』と『ハディース』)を最大に尊重し、理性をその下に置くのがアシュアリー派だった。「下に置く」といっても、それは「理性を無視する」という意味ではなく、『コーラン』や『ハディース』の記述を現実生活に適用するに際して、また、両教典に定めのない領域においては、アシュアリー派も理性にもとづいて法解釈をするのである。だから、アシュアリー派といえども、論理性、合理性を重んじていることに変わりはない。そして、イスラーム研究者の小杉泰氏が言うように、「今日に至るまで、アシュアリー神学、およびそれとほぼ同じ内容を持つマートゥリーディー神学がスンナ派の正統神学となっている」のである。

「権威と権威主義」についての本欄で、私は「人の前で立つ」という行為をイスラーム法ではどう判断するかを、アブ・エルファドル氏の解説にもとづいて述べた。この行為がイスラーム法で禁じられているかどうかは、一元的には決められていないというのが、その時の結論だった。にもかかわらず、アメリカのイスラーム主義の団体が、その行為が一元的に禁止されているかのような法解釈を行ったことが、かえって権威のなさを露呈し、権威主義的な態度として批判されたのである。

 読者は、この例による説明で感じとっていただけたと思うが、イスラーム法の適用は日常生活の細部にわっており、また適用の仕方はかなり精緻である。「人の前で立つ」という単なる動作の外形を問題にするのでは足りず、その動作がどういう環境で、どういう人に対して、またどういう時に行われるかによって、可否の判断が異なってくるのである。イスラーム学者の井筒俊彦氏は、「リンゴを食べろ」という1つの命令を例に取って、このことを分かりやすく説明している:

「例えば“リンゴを食べろ”という命令がある。この分は命令形そのものとして、いますぐ、ここで食べろということか、それとも、後でもいいから、それが可能になったら食べろということか。また後者の場合、可能になった第一段階でか、その後の段階でか。全部食べてしまうべきなのか、一口だけ食べればそれでいいのか。一回だけ食べればそれで命令の効力は消滅するのか、それとも今後何回でも繰り返すべきなのか。一般に誰でも食べろということか、ある特定の人だけが、か。リンゴを食べろとは、リンゴだけを食べることであって、他のものを食べてはいけないという意味まで含意するのか、等々。実に微に入り細をうがって命令法の構造的意味を分析していきます。そしてそれがすべて、神の命令を正確に把握するための理論的基礎とされるのであります」。(『イスラーム文化』p.150)

 理性をフルに使った、このように精緻な分析が必要な理由は、『コーラン』には「リンゴを食べろ」という生活レベルの命令(法)だけでなく、「異教徒を殺せ」というような重大な命令が書かれているからである。この命令を、「見たらいつも、すぐに、全員殺せ」と解釈するのと、「やむを得ない場合だけ、何回も警告した後に、最終手段として、できるだけ少なく殺せ」という命令だと解釈するのとでは、“神の命令”の内容がまったく違ってくるし、それを実行した結果も全く異なるだろう。したがって、イスラーム法においては、教典に何が書いてあるかはもちろん重要だが、それに劣らぬほど重要なのが、法解釈の態度や方法であることが分かる。

 この辺の事情を、井筒氏は次のように述べている:
 
「イスラーム諸学の哲学に関わる分野において、論理学が特に尊重され、かつ異常な発達をとげましたのは、単にアリストテレスの論理学の影響だけではなくて、実は法的思惟そのものに内在する要請によるところがきわめて大だったのであります。法律の源(もと)は聖典、つまり神の啓示であり、それの法的解釈は純粋に論理的である。イスラーム法はこの点で啓示と理性とのきわめてイスラーム的な出会いだということができます」。(前掲書、p.157)

 谷口 雅宣

【参考文献】
○小杉泰著『イスラームとは何か--その宗教・社会・文化』(講談社現代新書、1994年)
○井筒俊彦著『イスラーム文化--その根柢にあるもの』(岩波文庫、1991年)
 

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2008年5月24日

楽曲『生命の栄え』 (2)

 5月13日の本欄で表題の歌を紹介したが、ブラジル伝道本部の向芳夫・ラテンアメリカ教化総長によると、この楽曲のオリジナルであるポルトガル語の歌詞と曲は、2003年8月の同伝道本部での正式な会議で承認後、現地で正式に発表されていて、数年前から歌われているという。ただ、ポ語以外の歌詞がまだ完成していなかったそうだ。だから、日本語や英語の歌詞が完成すれば、ブラジル生まれの楽曲が世界的に歌われるという新しい道筋が拓かれることになる。

 そこで、私の翻訳した日本語の歌詞だが、これはまだ日本語として“完成”というわけにはいかないかもしれないが、このほど生長の家聖歌隊のメンバーが歌い、録音して下さった。同聖歌隊の指導をされている牧野成史氏の助言により、歌の繰り返しの方法を若干変更したそうだが、驚異的な短時間で録音がなった。誠にありがたいことである。ピアノ伴奏は刈屋公延氏、指揮は牧野氏、音源からの作譜を小池聖明氏が行ってくださった。

 谷口 雅宣

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2008年5月19日

東京のムギ

 最近、私は東京の仕事場近くの公園にムギらしきものが生えているのを見つけた。1本や10本ではない。公園の縁に設置された植え込みの中の幅3メートル、長さ20メートルもの場所に生えている。誰かが栽培しているわけでもないようだ。というのは、その付近はタクシーの運転手の休憩場所となっており、また高校生の通学路にもなっていて、人々は平気でその中を歩いて通り、ムギらしきものを踏みつけていくのである。

Efuto080519b 2~3本抜いて家に持って帰り、妻に見せると「それ、ムギじゃない!」(ムギではないの!)と即座に反応した。そこで私は「これはムギだ」と結論したわけだ。私は都会生まれの都会育ちで、ムギのことはよく知らない。しかし、妻は田舎で、田んぼや麦畑を見て育った。彼女の判断を信用するほかはない。ものの本で調べてみても、今はちょうどムギの穂がでそろう時期で、初夏に黄金色になって収穫するとある。で、公園に茂る植物も今、大部分は青々とした穂を天に向けているが、一部は白っぽい黄色に変わっている。しかし、なぜここに……という疑問の答えを、私は見出せずにいる。
 
 世界中で穀物の値段が高騰しているという現状を思い出してみると、東京の都心の公園に“野生のムギ”が育っていて、誰も注目せずに踏んでいくというのは、「不思議」を通り越して「シュール」な感じさえする。私の想像するところ、誰かが昨年の秋、イタズラ心を起こしてムギの種を蒔いたのだろう。しかし、ムギの種など、そこらの園芸店で売っているわけでもない。また、買ったものをわざわざ公園に蒔く人もいるまい。だから、不要になった種を捨てるつもりで、そこら一帯に蒔いたのかもしれない。あるいは、この公園には“家なき人”が何人も住んでいるから、その場所は彼らの“畑”になっているのか? が、いくら彼らでも、ムギを生で食べるわけでもあるまいし、また、道具もないのだから、小麦粉を作ってパンを焼くこともあるまい……とにかく、ナゾは深まるばかりだ。
 
 ナゾ解きはあきらめて、今日は、ジョギングの帰途、その“野生のムギ”をまた何本か拝借して持って帰り、絵封筒を描いた。春らしく青々としたムギの穂と葉は、見ているだけでも人を幸せな気分にさせてくれる。読者にもそんな気分を味わっていただけたら、私の目的は達成するのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年5月11日

庄野潤三氏の日記

 生長の家の出版・広報部の人が興味あることを教えてくれた。作家の庄野潤三氏が日時計日記をつけている可能性が大きい、というのである。とはいっても、生長の家が出版物として『日時計日記』を発刊したのは2007年版からで、庄野氏の芥川賞受賞はそれより半世紀も前のことだ。だから、もしこの可能性が事実だとしても、我々よりもこの大作家の方が“大先輩”ということになる。で、その可能性を有力に示しているのが、2002年11月にマガジンハウスから発行された『ku:nel』(くうねる)のインタビュー記事だというのである。
 
 私は、『太陽はいつも輝いている』(生長の家刊)の中で庄野氏の小説を取り上げて「小説版の日時計日記」と形容し、そこには「日時計主義と共通する“人間の本性への信頼と讃美”が貫かれている」と書いた。が、庄野氏がもし日時計日記のような「よいことばかり書く日記」をつけていたとしたならば、氏の作品の比類のない質の秘密を知ったような気がして、うれしくなった。

 そこで問題のインタビュー記事だが……インタビューアーの女性が、庄野氏の書斎の机の上に何冊も重ねてある日記のことを、こう書いている。

「毎朝、この部屋に入るといちばんに、前の日のできごとを詳細につける。……そして、日記を開き、それを見ながら原稿にしていく。たいてい、ほぼそのままが原稿になる」。

 さらに、こうある--

「この日記には、嫌なことは書かない。うれしいことだけを取り上げる。だからこそ、小説には“おいしい”“ありがとう”という感謝の言葉が並ぶ」。

 このあと、庄野氏自身の言葉が次のように続く--

「人間が生きていく以上、不愉快なことにも必ず出会うわけですけど、それを大きく取り上げない。それを無視したいという気持ちがあるわけですね。それから、人間は必ず死ぬものですけれど、死ぬってことも考えちゃいけないと、自分に言い聞かせているんですよ。自分が死んだら、家族はどうなるだろうかとか、お葬式はどうかなんてことはね、考えないようにしてる。ありがとうと言えるような事柄が、毎日起こることだけを期待しているわけですね。」(同誌、pp.84-85)

 この「ありがとう」という言葉が、形式ではなく、心から出ることの難しさは、私が『ぱすわあど』でも取り上げた通りである。庄野氏も、そのことにインタビューで触れている。
 
「“ありがとう”というのは、年月の積み重ねでできあがったものです。実生活の経験がまだ少ない人たちは、どんなふうに読むのかなぁと、ちょっと見当がつかないんですけれども。だけど、ぼくは難しいことを書いているわけじゃないから、ぼくが“ありがとう”と言えば、“ほんとに庄野さんはありがとうと思ってるんだろうな”と。それは通じているかもしれません」(同誌、p.85)

 人生の暗黒面を見ないという点については、庄野氏は9・11後の11月に行われた作家の江國香織さんとの対談で、次のように言っている--
 
江國--(前略)さっき炭疽菌の話がでましたが、今、世界ではテロが起きたり、狂牛病騒ぎがあったり、親が子供を殺してしまったりと、陰惨な事件がひっきりなしにあって、新聞やテレビの報道を追っていると、どうしてもそういったことに目が行きがちですが、庄野さんのお書きになるものを読むと、じつはそういうことは本質ではない、大切なことはもっと別な身近なところにあると教えられます。僭越ですが、御自分にとって大切なことと、そうでないことをきっちり分けていらっしゃいますね。

庄野--それはありますね。炭疽菌とかテロとか、そういうことはあっても見ないのです。自分とはかかわりがない。自分に大事なのは、脂身をつつきにくるシジュウカラだという、そういう気持があります。

 これだけの会話では、庄野氏が人生の暗黒面を「見ない」という意味が、「臭いものに蓋」式のことか、それとももっと深い理由があるのかは分からない。が、私は、氏の作品群について「小説版の日時計日記」と書いたことは、それほど間違っていなかったと知り、安心したのである。

谷口 雅宣

【参考文献】
○庄野潤三著『孫の結婚式』(講談社、2002年)

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2008年5月 6日

美術館をめぐる

 今日は午後から北杜市の町に下りていき、「小淵沢絵本美術館」と「くんぺい童話館」を訪問した。絵本美術館では私の知らない外国の絵本作家の原画展をやっていた。また、ターシャ・デューダーの絵本を集めたコーナーもあった。連休最終日の午後ということで、多くの人はすでに帰還の途にあるのだろう、美術館は私たち以外には客が2人しかおらず、私たちはゆっくりと原画や絵本の鑑賞ができた。普段は接することのできない画家の絵を見ること、特に原画を見ることは、なかなかいいものだと思った。一方、童話館には私たち以外の客は誰もおらず、館内の展示品や本を眺め、ほしい本を買おうと思ったが、館員の姿もない。諦めて車にもどったところで、童話館の女主人が出てきてくれた。昼まで客の応対に忙しく、それが終ったので2階で「ぼんやりしてしまった」としきりに謝った。

 この童話館は、切絵作家、童話作家である東君平氏(1940-1986)の100冊を超える本や原画などを集めた美術館で、夫人が館長である。私は、館の隅にある小さい6畳ほどのアトリエ風の部屋のことを夫人に尋ねた。すると、それは君平氏が生前に使っていた部屋を再現したものだと教えてくれた。そこに置いてある白い引出し机は、私の娘の部屋にあるものと酷似していたので、何となく親しみを感じた。君平氏はいくつもの机を使ったが、そのうちの1つだそうだ。私はそこで、君平氏の短い童話を集めた『ひとくち童話』と、氏のトレードマークである「くんぺいタヌキ」のぬいぐるみを買った。『ひとくち童話』の中に納められた作品には、短いものは10行以内、見開き2ページで終わってしまうものがいくつもある。それらを読んで、私は最近本欄に書いた「ぱすわあど」のことを思い出した。私のは少しこじつけがましい所があるが、君平氏の作品はきわめて自然で、スッキリしている。子ども用の作品は、こうでなければならないと感心した。
 
 山荘への帰途に目撃した1コマを、君平風に文章と絵にしてみた--
 
 道 路
 
 Catdog ねこが、どうろをわたろうとしました。
 はんたいがわに いぬがいて、
 ねこに ほえました。
 ねこはおどろいて、いぬをみましたが、
 いぬは、かいぬしの手につながれていました。
 そこでねこは、むねをはって
 どうどうと、どうろをわたりました。
 
 谷口 雅宣

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2008年4月19日

クスノキの紅葉

 先日、生長の家講習会で佐賀市へ行ったとき、泊まったホテルの周辺を歩いて気づいたことがある。そこは佐賀城跡の堀に囲まれた一画で、県木である立派なクスノキが何本も根を張り、モコモコと新緑の枝葉を広げていた。そのつややかな黄緑色の樹冠の中に、赤い葉が数多く混じっているのである。それが遠くから見ると“赤い花”のように見えるのが、なんとも良い感じなのである。私は当初、クスノキの葉の新芽は赤いのだと思っていた。が、そういう木の下を通ると紅い葉が落ちているのである。それも新しい葉ではなく、十分役目をはたした感じの大きな葉が、秋の紅葉と見まがうほどの彩に変わって、散り敷いている。同じ木の上を見ると新緑、下を見ると紅葉……この不思議な組み合わせに気づいた私は、1つの仮説を立てた。
 
 それは、クスノキは春に紅葉して葉を落とすという仮説だ。どこかで読んだ話に、秋になって落葉樹の葉が赤や黄色に変わるのは、葉の寿命が来て「枯れる」のではなく、木が葉を落とすために特殊な化学物質を葉に送り込むからだとあった。葉を落とす理由は、雪が降ると、その重さで枝が折れるのを防ぐためだ。そういうきわめて合目的的な仕組みが「紅葉」や「黄葉」にあるならば、“春の紅葉”が起こることにも合理的な理由があるはずである。クスノキはもちろん常緑樹だ。常緑樹が春になって新芽を出すとき、冬を越した葉の間から新芽を出すことが多い。その場合は葉を落とす必要はない。が、これだと古い葉が大部残ってしまう。葉の多くを一新しようとすれば、古い葉を落とす必要がある。そのためには、春に紅葉するのがいい。

 私は、この仮説を東京へ持ち帰り、わが家の庭にあるクスノキも紅葉しているかどうか確かめた。庭に落ちていたクスノキの葉は、やはり紅葉していた。私はもう何十年もそういう葉を見てきたはずなのだが、それは葉が古くなって枯れて落ちたものだと考え、紅葉とは思わなかった。落ちている葉の色の変わり具合は、落葉樹の紅葉とほとんど変わらない。しかし、「紅葉は秋」という先入観をもって見ている中では、美しい紅葉も「枯葉」にしか見えなかったのである。

 このことに気づいてから、私はクスノキの紅葉を俳句に詠もうと思って歳時記を調べた。Mtimg080419 竹も常緑樹の一種であるが、春になると落葉する。それを先人は「竹の秋」という季語で表してきた。だから、この季節のクスノキの葉のためにも、昔から使われている季語があるはずだと思った。しかし、なぜか見当たらないのである。私は「楠の秋」や「春紅葉」などの言葉を勝手に作って使おうかとも思ったが、そういう自己流はやめた。

 今日は、東京に「春の嵐」と呼べるほどの強風が吹いた。その中を事務所から明治神宮外苑まで走った。神宮の第二球場の周りには大きなクスノキが何本もあり、その下に強風で落ちた紅葉が一面に散り敷いていた。そんな葉を何枚か拾ってきて絵に描いた。
 
 谷口 雅宣

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2008年4月16日

日時計主義が直感できる

H_gallery2r_2  昨日の本欄を読んで「日時計主義はコムズカシ~イ」という印象をもった読者がいたとしたら、それは私の説明がマズイからである。もっと簡単に、ひと目で、直感的に「日時計主義は楽しい」「明るい」「オモシロ~イ」と分かる単行本が、このほど生長の家から出た。小関隆史氏の監修になる『光のギャラリー:絵手紙はWebにのって』である。同氏が運営するブログ「絵てがみ教室 ~アトリエTK」は本欄でも紹介したことがあるが、この絵手紙ブログに42人の読者から投稿された182点の作品を集め、フルカラー224ページの立派な本になっている。

 私の本が新書判なのに対し、この本はそれより一回り大きい四六判なので、収録された絵も大きく、ゆったりと鑑賞できる。様々なタイプの個性ある絵が豊富にあるのが見どころである。また、それらを描いた際の作者の気持と、小関氏のていねいで優しいコメントも、ブログに掲載されたままの形で収録されているから、投稿者と運営者の暖かい心の交流が感じられる。日時計主義を絵手紙やスケッチで表現した例として、よい参考になる本である。

 とにかく自由に、伸び伸びと、そして楽々と(つまり妙に緊張せずに)自分の感じたことをそのまま絵に表現すれば、メッセージは人に伝わるものである。上手下手など意識しないことが重要なポイントだ。本欄で「芸術表現について」と題して書いたとき、芸術表現を「対象に美を感じる過程(A)」と「感じた美を客観化する過程(B)」の2段階に分類したが、Aを人生の様々な側面に見出す感性が養われれば、日時計主義の第1の目的は達成される。谷口雅春先生を引用させていただけば、それは「“ものそのもの”(客体)に内在する美を、“感ずる心”(主観)が触発することによって、意識界に浮かび上がらせた」状態である。(『叡智の断片』、p.105)これが「光明面を見る」ということの、もう1つの意味だろう。Bの過程は、Aをマスターした後に、進めていけばいいのである。

 この本のページを繰っていくと、初めて絵手紙を描いた人からプロの画家まで、実に多彩な表現が次々に現れて飽きない。そして、「自分も描いてみよう~」という思いがきっと募ってくるに違いない。そんな読者のために「投稿用のハガキ」まで用意されているのは、さすがの演出である。実はこの本には、私の作品も(ただし“MT”という名前で)『太陽はいつも……』に収録されていないものが20点収録されている。モノクロのスケッチ12点と絵封筒が8点だ。

 谷口 雅宣

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2008年4月15日

『太陽はいつも輝いている』について

Taiyo3_dg2  3月27日の本欄で少し触れたが、5月初めの生長の家の組織の全国大会を期して出版される拙著の見本を今日、受け取った。題は『太陽はいつも輝いている』というもので、副題を「私の日時計主義実験録」とした。内容は、昨年秋に上梓させていただいた『日時計主義とは何か?』の続編と考えていただいたらいい。この本も前著と同じく2部構成で、第1部が“理論編”、第2部が“実践編”と言えるだろう。特に第1部は「続 日時計主義とは何か?」と題していて、前著の第1部「日時計主義とは何か?」を補完する内容となっている。人生の光明面を見るこの生活法を実践する際のテキストとして、前著とあわせてご利用いただけたら幸甚である。

 副題から類推できるように、この本では、私が日時計主義をどのように考え、どのように実践しているかを実例をもって示している。日時計主義の理論的説明としては、すでに前著で「悪は実在しない」ことや「感覚優先と意味優先」のものの見方などについて書いている。本書ではこれに加えて、“右脳”と“左脳”の機能的差違や「偶然はない」という生長の家の考え方、さらに「奇蹟」と「当り前」をめぐる一般的な考え方の誤りなどについて書いている。また、生長の家とは特に関係がなくても、日時計主義に合致する「人生の光明面を描く」文学がすでに存在していることも具体的に示している。この第1部の中で、「偶然」と「奇蹟」をめぐる論考の大部分は、本欄に書いたいくつかの文章をもとにしている。

 第2部はこれら論文調の文章とはまったく趣を異にし、私の「スケッチ画集」と「谷口雅宣句集」で構成されている。スケッチ画は1999年以降に描いたもの38点で、うち6点は絵封筒、9点は絵具や紙を使わずパソコンだけで描いた“PC画”である。句集は、2000年以降に作った句99首を集めてある。絵画が日時計主義の手段たりえるのは、一見何でもない出来事や風景の中に美や愛を見出す心を養い、またそれらを具体的に提示することによって、自分の感動を見る人の心の中に送り込めるからである。同じことは言葉によっても可能だが、言葉には“国境”があるのに対して、絵画にはそれがない。

 言葉の芸術では、俳句は世界最短の形式である。それが日時計主義の実践になりえるのは、「人生や自然の“ひとコマ”や“一瞬”を言葉で固定する」というその独特な機能による。詩や小説は、ある程度の長さの言葉の流れを必要とするため、人生の“ひとコマ”や“一瞬”は描けても、それを主題とはせず、ストーリーや構成の確かさで勝負する。そのため、描かれるものはどうしても複雑化する。しかし俳句は、“ひとコマ”や“一瞬”をスナップ写真のように固定することが目的である。だから、作句後には写真アルバムを見るように、そこに固定された瞬間を再体験することができる。これによって人生の味わいは2倍にも3倍にも深まると思う。また、日時計主義による他人の句を読むことにより、自然の素晴らしさや人生の明るさを、自分の心で追体験できる。それによって、周囲のものへの感性が養われ、ものを見る目が肥えることにもなる。こういう目的のためのメッセージは、長く複雑なものでは困難であり、簡潔で短い方がいいのである。

 最後に本書の題名についてだが、「太陽はいつも輝いている」とは「実相は常に完全である」という言葉のメタフォーである。詳しくは本書の序章に書いたが、地上では夜が来たり、台風に襲われたり、濃霧に進路をふさがれることがあっても、その瞬間にも「太陽は輝いている」という事実を我々は知っている。それと同じように、人生の一見暗く、困難で、苦しい出来事のただ中にあっても「実相は常に完全である」ことを忘れない生き方--これが日時計主義の生き方であり、それを読者にお勧めするのが本書の目的である。

 谷口 雅宣

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2008年4月11日

街角の花

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 昨日(10日)、原宿の裏通りの坂を下りながら撮った写真をもとにして、スケッチを描いた。私に「街角の花の数がふえている」と言わせた花たちを、自分の手と目できちんと記録しておきたかった。レンガを組み上げた門柱と、染みや汚れであちこちが黒ずんだコンクリートの壁と、色とりどりの可憐なパンジーの柔らかさを対照させた。門柱に縦長の表札のようなものが見えるが、ここに刻印してあった住所表示は省略した。すると、この部分が十字架のように見えてくる。西洋の墓石には十字架が多い--春は、死んだように見えた自然が、たくましく生命力を発揮する。そんなイメージを表現したかった。

 谷口 雅宣

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2008年4月 3日

花盛りの庭

 前回の本欄では、むずかしい議論にヘキエキした読者もいたかもしれない。簡単に言えば、「色は人間(を含む動物)と植物とを“橋渡し”するメッセージを運んでいる」ということだ。色は、我々の感情に直接訴えかけてくるから、芸術の有力な手段としても使われてきた。が、今回は、そういうメンドーな議論は脇に置いて、色そのものを楽しんでいただきたい。我々が色の組み合わせを楽しむことができるということは、人間は個人として孤立していないばかりか、生物種としても孤立していない証拠である。花は、実と同じように、植物が動物に対して発しているメッセージである。それを受け取っていただきたい。今年3月、我が家の庭を撮影した画像や映像を合体させて、1本の動画にしたものをお届けする。
 
 谷口 雅宣

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2008年4月 2日

芸術表現について (4)

 美についての議論で前回までに明らかになったことの1つは、美感が生じるためには、それを感じる主体(心)と、感じられる対象の双方が必要であるということだった。これを言い直せば、美は人の心の内部に生じるものだが、その契機となるものは人の“外”(外界)に存在するということだ。つまり、“内”と“外”とが響き合って一体感を醸し出した状態が美感だと言うことができる。このことを『新版 幸福生活論』では、「いのちといのちと触れ合っ」た「いのちを表現」したものと形容しているのである。この場合の「いのち」とは、必ずしも生物学的な意味での命だけでなく、気象や山、川、波などの自然現象、さらに天体や砂漠、岩石などの自然物のほか、人間がつくった芸術作品や建物、工業・商業製品なども含まれるだろう。なぜなら、それらはみな「命の表現」と考えられるからである。
 
 例えば、私がもし鳥の飛翔を見て感動するならば、私の命とその鳥の命とが“触れ合った”からである。これは、私が物理的に鳥に触れたという意味ではなく、飛翔する鳥の姿にその鳥の生命の発露を見、その生命力に感動したという意味だ。では、感動の対象が生物でなく航空機であった場合は、どうか? その場合は、その航空機の設計者、製造するに至った多くの人間、さらに人類が「空を飛びたい」と永年にわたって熱望し、その夢の実現を追究してきたという事実の背後に大きな生命力を感じているのである。前者の場合は、鳥と人間の生命の“一体感”を感じるのだが、後者の場合は、それに加えて、航空機製造にいたる人類の歩みの“総体”に感動すると言える。もちろん、そのほかにも航空機のデザインや色、形、性能、製造技術などに感動することもあるが、それらも結局、「命の表れ」であることに変わりはない。
 
 拙著『神を演じる前に』(2001年、生長の家刊)の中で、私はアメリカの哲学者、ダニエル・デネット博士の言葉を引用して、「色」が生物間の“いのちの触れ合い”から生まれたことを説明した(pp.65-67)が、この際は「クオリアが起こる原因」という言葉を使った。クオリアとは「直接感覚」とも訳されるが、例えば、「赤のクオリア」と言えば、色彩の「赤」を見たときに我々が心で感じる、「黄」でも「青」でも「緑」でもない、あの独特の色の感覚であり、その際に心中に醸し出される感情も含まれている。人間の体の外部にある色によって、そういう独特の感覚と感情が人間の内部に生じる理由は、人間の体の神経系の働きだけでは説明できない。私がいう意味は、「赤」く見える光は、光のスペクトルの中のどれだけの範囲のものを指す--という種類の説明のことではなく、その特定の波長の範囲をもった光がなぜ「青」や「緑」ではなくて「赤」でなければならないか、という説明である。

 デネット博士は、その謎を次のように解いている--
 
「リンゴの実が、少なくとも何種類かのリンゴ好きの動物によく見えることは、リンゴに対する単なる“危険”(リンゴの立場からは!)ではなく、リンゴが存続するための一条件である。(中略)色によって区別をつけられない果実は、自然界のスーパーマーケットの棚では競争力が乏しい。しかし、嘘の宣伝は罰せられる。よく熟れた(栄養素が豊富な)果実は、そしてそのことを宣伝している果実はよく売れるだろう。しかし、その宣伝内容は、対象とする消費者の視覚的能力と嗜好によく合致していなければならない」(同書、p.66)

 この引用文は、少しわかりにくいので解説を加えよう。--色彩の「赤」は、画材店の棚やコンピュータの画面に出現する前に、まずリンゴの実の色であった。と同時に、様々な植物の実の色として自然界に存在してきた。しかし、植物の実は、花から成長し始める最初の段階から赤いのではなく、栄養素を結集して熟し、ちょうど動物が食べるにふさわしくなった頃に、緑から黄、そして赤へと変化する。そして、「おーい、ボクを食べてくれよぉ~」と言わんばかりに、生い茂った緑の樹冠の中から鳥や昆虫に呼びかける。それは、その果実にとっては取って食われる“危険”を冒しているようだが、実はそうではなく、自然界にはゴマンと溢れている他の植物の様々な実の中から、動物が“自分”を採ってもらうことで子孫を殖やそうとしているのだ。このことをデネット博士は「自然界のスーパーマーケット」という言葉で表現している。ここで“消費者”(動物)に採ってもらうためには、偽装や嘘の宣伝は効果がない。なぜなら、一度騙された動物は、次の機会には別の植物の実を選ぶに違いないからだ。だから、植物の方も、自分の子孫の繁栄に最も有利な場所へ種を運んでくれる動物に対して、その最も必要とする栄養素と最も好む味と香りを用意して“消費者”の到来を待つのである。

 「色」とは、このような植物と動物との永い共存共栄の過程で形成された、植物が動物に発する一種の“暗号”である。動物の側は、この色の暗号を素早く解読するための“高速暗号解読装置”として色覚を発達させてきた。このように考えれば、色とは、人間を含めた多くの生物種の「いのちといのちが触れ合って生まれたいのちの表現」であることが分かるだろう。臭いや味にも、同様のことが言えるのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年4月 1日

芸術表現について (3)

 3月18日の本欄では、芸術表現が行われる過程を図で示してみた。その過程は、(A)表現者が対象から受けるクオリアに感動すること、と(B)表現者がその感動を媒体上に客観化すること、の2段階に大別できた。そして、生長の家で行う新しいタイプの誌友会では、BよりもAの過程を重視することを提案した。これは、もちろん「Bを軽視せよ」という意味ではない。AもBも共に重要だが、宗教活動としてはAに力点を置くべきだということであり、芸術運動を志す人は、大いにBを探究していただいていいのである。

 新しいタイプの誌友会に関して、最近、奈良県の地方講師の方から手紙をいただいた。本部で制作した誌友会のデモビデオを見、私の文章を読んで「納得し、共感しました」と賛同して下さった。私の文章とは、恐らく3月3日の本欄のことだろう。「素晴しいご指摘で、日々実践し、誌友会の活性化に役立てたく存じます」と書いて下さっている。その文章の下に、お地蔵さんの両脇にカエルがすわった絵を描き、
 
 心うずく人の心に花衣
 
 という句まで添えられている。絵心も詩心も開花した明るい文面に、感激した。
 
 このK講師の手紙に導かれて谷口雅春先生の『叡智の断片』(日本教文社刊)を開くと、ちょうど「美の本質に就いて」という素晴らしい文章があった。この箇所は、『新版 幸福生活論』の第12章とともに、新しいタイプの誌友会で学ぶのにふさわしいと思う。『新版 幸福生活論』では、芸術とは「いのちといのちと触れ合って、いのちを表現したもの」と定義されていたが、ここでは、美感が生じるためには「“美”として感じられるところの対象とそれを“美”として感ずるところの心とが必要である」(p.104)と説かれている。そして、「客観(対象)と主観(心)とが互いに相会うことが必要なのである」と書いてある。さらに、雅春先生は美について、「“ものそのもの”(客体)に内在する美を、“感ずる心”(主観)が触発することによって、意識界に浮かび上がらせたのが美である」と定義されている。これは、まさに上記のAの過程を別の言葉で描いている。「いのちといのちが触れ合う」こと、「客体に内在する美を主観が触発する」こと、「対象から受けるクオリアに感動する」ことは、みな同じことを別の言葉で表現しているのである。
 
 では、なぜ我々は、何かを見たり、聴いたり、触れたりして感動するのだろうか? あるものに感動し、別のものには感動しないのはなぜだろうか? サクラの開花には感動するが、ゴキブリの腹を見て感動しないのはなぜだろうか? 雅春先生のお答えを次に引用する--
 
「或る物が吾々の生命に“快さ”の感じを起させるのは、その物が、生命そのものの在り方に順応した、ふさわしい生命の本来のあり方の傾向に一致するものがあるからであり、或る物が吾々の生命に“不快”の感じを起させるのは、その物が生命そのものの本来の有り方に逆い、生命本来の傾向を抑圧又は搔き乱すところの傾向があるからだと言わなければならない。」(p.107)
 
 この文章はなかなか難解であるが、含蓄深い。その意味については、私は3月18日の本欄で『神を演じる前に』から引用する形で、すでに少し触れている。曰く--「クオリアが起こる原因は、動物と植物との長期にわたる共生関係である」(p.67)「色のクオリアばかりではない。我々が五つの感覚器官を通じて体験するすべてのクオリアは、我々の生物としての生存に必要であるばかりでなく、知的で、豊かな生活を可能にするすべての文化活動の基盤にあるものである」(p.68)--が、これらの解説は次回以降に譲ることとする。

谷口 雅宣

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2008年3月27日

幸せなひととき

 桜の開花宣言が出てしばらくたった休日ということで、横浜まで夫婦で足を延ばHanam03271した。花 見に期待していたことは言うまでもないが、主目的は5月初めの生長の家の組織の全国大会を期して出される単行本の校正や原稿書きだった。「旅先で校正する」と言うと奇妙に聞こえるかもしれないが、要するに“缶詰状態”に自分を置くためだ。自宅での休日はどうしても気が緩むし、周囲にいろいろのものがあるので誘惑が多いのである。「これさえ終えれば、後は花見!」と思いながら、周囲に何もないところで神経を集中する……ということで、とにかく形を整えるところまで仕事を終え、人々に混じってほんの少しだけ花見ができた。ありがたいことである。
 
 横浜港の大桟橋には、ちょうど上海から豪華客船の「飛鳥Ⅱ」(5万0142t)が入港したところだった。昼前には、これに「にっぽん丸」(2万1903t)も加わって、見物客もかなり出て、大桟橋周辺は華やかな雰囲気になっていた。が、私たちは、そういう混雑から少し距離をおいて、山手の丘の上へのぼり「港の見える丘公園」付近で午後の数時間を過ごした。私は、そHanam03272 の公園に日時計があるのを覚えていて、ついでに写真を撮りたいと思っていた。生長の家の講習会で「日時計主義」の話をする際に、実物の写真を見せるのが効果的と考え、これまでは十勝の帯広中央公園にある日時計の写真を使っていたが、そろそろ別のものに変えたいと感じていたのだ。

 公園にも、平日にしては多くの人々がいたが、大桟橋付近のように「列をつくる」ほどのHanam03273 人出ではなかったので、ゆっくりと写真が撮れた。まだ五分咲き程度のものがある一方で、満開のサクラが何本もあった。そういう木の周囲はほの白くなっているので、遠くからでも分かる。近づいていくと、必ずといっていいほど、高級な一眼レフ式のデジタルカメラを提げた中高年の人(男も女も)がいて、熱い目で満開のサクラを眺めているのだった。公園の外れに近代文学館があるが、その付近のサクラが何本も見ごろを迎えていたので、私も“中高年”の一員としてデジカメを構えて何枚か写真を撮った。そのあと妻と2人で、公園内の「山手111番館」という市が管理する木造の洋館へ入り、コーヒーとハーブティーを飲みながらケーキをつついた。幸せなひとときであった。

 旅に出て桜ケーキで花見かな
 
 谷口 雅宣
 

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2008年3月23日

素鳳館の人形

 生長の家の講習会で鳥取県米子市に来ているが、前日の夕方、2年半ぶりに市内を歩いてみた。宿舎のホテルの近くに米子市役所があるが、その敷地に隣接して建っていた「素鳳館」という木造の建物の跡地がどうなっているのか、気になっていた。この建物は、かつて講習会で来たときにスケッチをし、その絵が絵葉書にもなったのだが、前回ここを訪れた際、ブルドーザーによって取り壊されているのを目撃して驚いた。歴史的建造物はできるだけ残しておいてほしいのだが、この木造の館は、米子市にとってはそれほど重要な建物ではなかったのかと、寂しく思ったものだ。で、今回、その場へ行った私を迎えてくれたものは、駐車場を完備した吉野家の牛丼店だった。

 これと類似した現象は、米子市の各所で見られた。東京や大阪でもよく見かけるブランド店や大企業の看板が増え、特徴的な町並みが消えていく。旧く個性あるものが廃れ、新しい没個性的なものが栄える。これを文明の進歩と考えるわけにはいかない。そんな中で、前回ここを訪れた際に立ち寄ったコーヒー専門店があるのを見つけ、妻と私は喜んでそこでひと時を過ごしたのである。
 
 講習会終了後、市内の皆生(かいけ)温泉にある「素鳳ふるさと館」という所へ立ち寄った。「素鳳」の名に惹かれたからである。そこで知ったのは、「素鳳」とは、ある個人の雅号であるということだ。この個人とは、書道家の坂口真佐子氏(1908年~1997年)で、この人が長年にわたって収集してきた雛人形、御所人形、衣装人形などのコレクションを展示するために昭和43年に造ったのが「素鳳館」だった。「素鳳ふるさと館」には、素鳳館に収められていた伝統的人形コレクションが展示されていた。それと同時に、今はなき素鳳館のちょうど向い側に位置する米子市立山陰歴史館でも「素鳳展--春をつげるお人形たち」と題して、雛祭りの季節にちなんだ人形展が行われていた。素鳳館のコレクションは、日本人形のほか西洋人形、江戸時代からの絣・更紗、装身具、調度品など約2000点にも上るという。
 
 私は、雛人形にはあまり興味をもっていなかったが、今回、江戸時代からの雛人形の変遷を眺めてみて、近代以降の日本人の、女の子に対する思い入れの深さをしみじみと感じた。日本の文化は“男尊女卑”などという単純な言葉では表現できないと思った。雛人形の表情は多様で生き生きとしており、着衣は贅を極めているだけでなく、女子が他家へ嫁いでいく時に持参する家具や調度品を模した、精巧なミニチュアが数多く、展示品には添えられていた。それは、現代の人形に添えられるプラスチック製のミニチュア家具などとは違い、本物と同じ工程を経て作られるミニチュアの陶器や漆塗りの調度品なのである。それらはもちろん、一般の市民が持てるものではないが、女子に対する心遣いが上流階級と一般市民とでそれほど違うとも思えない。そういう文化が、現代の雛人形にも継承されているのだと知った。
 
 ところで、我が家にも娘のために買った雛人形がある。何段にもなる大袈裟なものではなく、男女の内裏雛だけのものだ。娘はすでに家を出て自活しているが、妻は今年も3月3日を前にしてそれを部屋に飾り、子供たちを呼んで食事会を催した。江戸時代と比べ生活習慣も住宅事情も相当変わり、他家へ嫁ぐ娘に持たせるという昔の習慣はなくなったが、心遣いは共通していると思う。人形の文化は女性が継承するものなのだ、と感じた。
 
 谷口 雅宣
 

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2008年3月21日

真象と偽象

 今日は、関東地方の南東の海上を低気圧が発達しながら北東方向に進んだため、関東地方には毎秒10~20mの北風が吹き荒れて、寒い1日となった。朝の天気情報では降水確率は40%で、午前中は雨混じりの強風だったが、午後になると雨はしだいに降らなくなった。生長の家本部の新館玄関前に立つ小型風力発電装置は、風の吹いてくる方向へ向くように設計されているのだが、向きを頻繁に変えながら回っていた。ビルの谷間にあるため、不規則な風向きに翻弄されていたのだろうか。
 
 午後、明治神宮外苑までジョギングした。強風に備えてウインドブレーカーを着たが、走り出してしまうと案外、風は気にならなかった。午前中降った雨で埃は抑えられていたからでもある。道すがら、いろいろの樹木の芽や花や細い枝が道路に落ちていた。春になって一斉に伸び始めたものが、強風の犠牲になったのである。が、木々たちは強風程度ではひるまないに違いない。街を歩く人々も、この程度の風では顔色を変えることもなく、それぞれが目的地を目指して足早に歩いていた。
 
 「芸術表現について」という題で2回書いたが、その際、現象には“真象”と“偽象”があると述べた。しかし、実際のこの世界で何が真象に当り、何が偽象に該当するかを明らかに判別することは、必ずしも簡単でないかもしれない。犯罪や病気や戦争は基本的には偽象であるにしても、犯罪の動機の中に善意が含まれていた場合、あるいは罪を犯した人間が悔悛して善行をした場合などは、“真”と“偽”が混交してくる。また、大病を患うことで心機一転して、明るい人生観に変わる人もいる。戦争でさえ、渦中で戦う人々の間には無償の愛や、自己犠牲、戦友同士の友情が生まれることは珍しくない。こう考えていくと、真象と偽象の関係は、「白」と「黒」、「1」と「0」のようにデジタルな関係ではなく、純白から漆黒のあいだに横たわる無段階の灰色のグラデーションのようなアナログの関係だといえよう。
 
 そうすると、芸術表現においても、同じことが言えるのではないか。ある絵画は、病床に横たわる人を描いていたとしても、窓から差し込む光の束と、それを受けて輝く白いシーツや、白い壁、苦痛のない病人の顔、枕元に活けられた花……などから受ける全体の印象が“真象”を表す可能性を、私は否定できない。その一方で、結婚式のような一見“真象風”の題材でも、式の参列者の中に新郎・新婦のいずれかの“浮気相手”を描けば、その絵画は“偽象的”と言えるだろう。だから、ある芸術作品が、真象か偽象のいずれを表現しているかの判断には、注意が必要である。
 
Mtimg080321  また、こんなケースはどうだろうか?--私は今日、ジョギングの帰途、ある公団住宅の敷地内を通ったが、その一角に、金柑の実が地上に散らばっていた。恐らく強風で落ちたのだ。その光景を私は美しいと感じた。が、翻って考えると、同じ光景を見て「おいしい金柑が落ちてしまってもったいない」と感じる人がいるかもしれない。また、「樹の実が風で落ちるのは不吉である」と考える人がいるかもしれない。そういう場合、この光景は“真象的”“偽象的”のいずれだと言えるのだろう?
 
 金柑のぽつぽつと落つ春嵐
 
 谷口 雅宣

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2008年3月18日

芸術表現について (2)

 「生命と生命の触れ合い」を感じてそれを「表現する」段階に入ったとき、芸術の胎動が始まる。では、人が表現しようとする「生命と生命の触れ合い」とは、いったい何だろう? 前回は主として「形」と「色」について考え、さらに「味」や「香り」についても言及した。さらにこれに「音」と「肌触り」を加えれば、いわゆる“五官の感覚”が生命同士の触れ合いを感じる媒介であることが分かる。
 
 私は、2005年6月~7月の本欄で6回にわたり「芸術は自然の模倣?」と題して、芸術の定義を試みた。その時たどりついた結論は「芸術は、人間の捉えた世界の一部を客観化する営み」であり、「人間の感動を客観化する営みである」ということだった。この結論と、今回紹介した谷口雅春先生の定義--「芸術は、いのちといのちの触れ合いの表現である」--を並べてみてほしい。表現は若干異なるが、意味はほとんど同じである。違う点は、雅春先生の定義が「触れ合い」という言葉を使うことで、芸術が本来、表現者の内部だけで生じるものではないことを、より明確に示していることである。芸術の源泉である「感動」は、表現者のみでは成立せず、対象との「触れ合い」の中で生まれるという点が、ここでは特に重要である。

 この「触れ合い」を科学的用語を使って表現すれば、「クオリア」になるだろう。私は、2001年に出した『神を演じる前に』(生長の家刊)の中で、この言葉を使って芸術について次のように述べた:
 
「あらゆる芸術表現は、人間の五感の感覚から得られる直接感覚(クオリア)を元にしている」「感覚は芸術の母であり、父である」(p.59)
「クオリアが起こる原因は、動物と植物との長期にわたる共生関係である」(p.67)
「色のクオリアばかりではない。我々が五つの感覚器官を通じて体験するすべてのクオリアは、我々の生物としての生存に必要であるばかりでなく、知的で、豊かな生活を可能にするすべての文化活動の基盤にあるものである」(p.68)

 クオリアとは、上にあるように「人間の五感の感覚から得られる直接感覚」だから、きわめて主観的である。にもかかわらず、芸術とはそういう主観的直接感覚を客観化(表現)する営みであるから、多くの修練が必要とされる。“自己満足”や“独りよがり”で終ってしまってはいけないからである。表現者の主観的体験を誰もが「完全に」とまで行かなくても、「ある程度」共有できる程度の技術が要求されるのである。
 
Arttheory_2   ここで、これまで述べてきたことを図に表したものを掲げよう。この図は、「表現者」が対象から受け取るクオリア(直接感覚)に感動して、表現活動を開始し、やがて「作品」を仕上げるまでの過程を示している。図の左から右方向へ「時間」の流れがあることを、読者は気づいてほしい。私が前回の本欄で述べたことは、この図の「A」までのことであり、今日述べているのが「B」の部分である。AはBが生じる前段階であり、Bが生まれるためにはAが必要である。しかし、Aが生まれるのにBは必ずしも必要でない。質のよいBを生み出すためには多くの修練が必要だが、Aを得るためには、親から(あるいは神から)いただいた五感があれば足りる。
 
 Bの過程はプロの芸術家の道であるから、新しいタイプの誌友会で「芸術的感覚」を生かす場合は、Aの過程を重視するのがいいと思う。この過程は、3日の本欄に書いたように、「虚心で周囲の世界を見る」実践である。“意味優先”の都会の心境から抜け出し、神からいただいた“感覚優先”の心境に自分を置き、そこで実相からのメッセージ(真象)を受け取るのである。クオリアを通して感動を得られたならば、Bの過程へ進もう。優れた作品が生まれることは、もちろん素晴らしい。表現の向上を目指すことは善いことだ。しかし、宗教運動として重要なのは「真象を捉える」というAの過程だから、誌友会の力点もここに置くべきだろう。
 
 谷口 雅宣

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2008年3月17日

芸術表現について

 前2回にわたり、「芸術は、生命(いのち)と生命の触れ合いを表現したものである」という谷口雅春先生の言葉を解説したが、この主題は、口(発声音)による説明ではなかなか意を尽くせない側面があるので、さらに文章によって補足しよう。
 
 3月3日の本欄で、私は絵手紙を用いた「新しいタイプの誌友会」の参考として、『真理の吟唱』にある「良きアイディアを受信するための祈り」の次の一節を引用した:
 
「神は無限のアイディアの本源であり給う。宇宙の一切のものを観察するならば、神が無限のアイディアの本源であることは誰にも解かるのである。宇宙には木の葉一枚くらべて見ても同一の樹でありながら全然同じ葉脈をもった葉は存在しないのである。木の葉一枚一枚の輪郭がえがく曲線の美しさ、葉脈の流れの美しさ、しかも一枚一枚ことごとく異なりながら、美しいのであるから、その無限創造の神秘力に驚嘆するほかはないのである」

 春に萌え出でる若葉を見て、あるいは赤や黄に染まった秋の落葉を見て、我々が上のような思いを心に強く感じることが、「生命と生命の触れ合い」である。葉の形や色の中に表れている植物の生命を、我々が視覚を通して「美しい」と感得するのである。この感得は直感的であり、なぜそれを美しいと感じるかの説明は難しい。が、あえてそれを試みるならば、人間が植物との“接点”や“共通点”を葉の形や色の中に見出すからだ、と私は思う。葉脈の大きな特徴は、左右対称性である。我々人間の肉体の顕著な特徴の1つも、左右対称性である。体の中心部にある背骨から腕が2本、脚が2本、左右に伸びているだけでなく、肋骨、鎖骨、骨盤と、それらを動かす筋肉の構造も左右対称である。さらに目も耳も脳も、その他の多くの臓器も、基本的に左右対称である。
 
Mtimg0611014  植物の葉の色も、我々を感動させる大きな要素である。緑色は、人間の心に安らぎを与えることが心理学的に分かっている。これは、人類の遠い先祖が、森の中で生活していたときに、外敵から身を守れる場所が緑色の樹冠であったからだ、と進化生物学者は説明する。これに対して赤や黄は“警戒色”だが、食物を調理するときに用いた火の色でもある。また、動物に共通の血の色であり、日の出や夕焼けの色でもある。我々の遺伝子の中に刷り込まれているこういう太古の記憶が、紅葉や黄葉を見たときに我々の“感動”の一部を構成するのだろう。だから、「1枚の葉」を見ることで触れ合う「生命と生命」とは、単なる個と個の関係にあるのではなく、多くの生物種を巻き込んだ複雑で、奥深い関係にあるのだと思う。
 
 「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」には、次のようにある--

「私たちが花を見て、花の美しさを感ずることができるのは、私たちの生命(いのち)と花の生命(いのち)とが本来ひとつであるからである。私たちが空の星を見て、それを理解し天地の悠久を感ずるのも、星の生命と私たちの生命とが本来一体であるからである。或いはまた空の鳥を見て、その可憐さを感じ、その声の美しさに聴き惚れるのも、空の鳥の生命と私たちの生命とが本来一つであるからである」

 人間と植物の生命について、ここには「本来ひとつ」と書いてある。この意味は何だろう。私はこう考える。植物は、動物に実を食べられることによって子孫繁栄を図ってきた。こういう言い方が嫌いな人には、植物は動物に果実や穀物を与え、動物は植物の種を運んで殖やすことで共存共栄してきた、と言ってもいい。人間はさらに植物を自ら栽培することで、植物種を護り、人類自身も護ってきた。つまり、両者の利益は一致するのである。この関係は、功利的な要素をもちろん含むが、それだけでなく、長い進化の過程で、エモーショナル(感情的)に牽引する関係も作り上げてきた。だから、我々は多くの植物の果実の味や香りを好ましいと感じるのである。

 「生命と生命の触れ合い」はこのようにして人間の心の中で成立する。が、それを表現せずに、心にしまっておくだけでは芸術にはならない。言葉や絵、写真などでその密接な触れ合いの表現を試みるときに、初めて芸術に向かって動き出すのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年3月15日

新しいタイプの誌友会 (4)

 14日の本欄に引き続いて、谷口雅春先生の『新版 幸福生活論』の第12章「物質無と芸術」の内容について、私が解説している音声を掲載する。前回の解説では、同章にある「いのちといのちと触れ合って、いのちを表現したのが芸術である」という谷口雅春先生の芸術の定義を紹介したが、ここでは絵画を例にとって、線や面を描くということが、すでに“物質”を描いているのではなく、生命と生命の触れ合いを表現しているという、普段見落としがちな重要な事実が指摘されている。(6分41秒)
 

 谷口 雅宣

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2008年3月14日

新しいタイプの誌友会 (3)

 3月3日の本欄でこの主題について書いたとき、「料理」を通して真理を学び実践することについては材料をいろいろ示したが、「絵手紙」を使った誌友会についてはあまり材料を提供しなかった。そこで、今回は絵手紙だけでなく「芸術」一般が、生長の家の教えの中でどのような位置を占めるかについて、1つの材料を提供しておこう。

 2月29日の本欄では、私は“感覚優先”のものの見方の目的は、「自分中心の先入見によって世界を見るのをやめ、自分の周囲に与えられたすべてのものを虚心になって見、感じるところからやり直」すためだと書いた。また、そのことが「現象の中にあっても、実相の反映であるところの“真象”を正しく感じ、しっかりと受け止める」生き方につながると述べた。そこで次には、この“真象”とは、現象の中のどういう側面を指すかについて、考えてみよう。
 
 幸いにも、この目的に相応しい文章を収めた谷口雅春先生の著作が、このほど新装なって出版された。『新版 幸福生活論』(日本教文社刊)である。この書には第12章として「物質無と芸術」について説かれている。これを読むことで、読者の理解は深まるはずだ。また、この章を解説してみたので、興味のある読者は私の「語り」(7分11秒)を聞いてください。

 谷口 雅宣

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2008年3月12日

映画『地上5センチの恋心』

 今日は私にとって“週末”である水曜日なので、妻と一緒に映画を見た。久し振りである。フランス映画で原題は、主人公の名前である「Odette Toulemonde」だが、「地上5センチの恋心」という日本語の題名が、どうやってここから生まれるのか不思議である。よほどヒネッた題でないと日本では観客が集まらないのだろうか、と思う。内容を月並みな表現で言えば、仕事をもつ中年の未亡人と、妻のいる人気作家との恋を描いたラブコメディーというところか。各所に「アレッ?」と思う工夫が仕掛けてあるが、本欄の読者に注目していただきたいのは、ヒロインの明るさと生き方が「日時計主義」を思わせるという点である。

 今回は恥ずかしながら、慣れない、緊張した私の“肉声”で以下、コメントする。

谷口 雅宣

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2008年3月10日

季語も変わっていく

 昨日の本欄でザゼンソウの句を詠んだが、実はこの花は「晩春」の季語だ。それを初春に詠む句の中に入れるのは、邪道かもしれない。しかし、現実に目の前にその花があり、それに心を動かされた場合、その花を詠まずに別のものを探すというのも、何となく変だ。大阪城ホールの控室にあったザゼンソウは、きっと温室育ちだ。それと一緒に菜の花も飾られていたが、こちらも温室栽培かもしれない。でも、飾ってくださった人は、きっと「春の雰囲気をどうぞ……」というもてなしの心遣いをされたのだ。晩春の花のもてなしに晩春の句で応えることは、許されていいと思う。

 8日の本欄で触れた単行本の新刊には、私の句集が含まれている。この中にも、季語のルールに従わないものが1つある。5月下旬に、田植機と雪の山を一緒に詠んだのだ。2005年5月21日の本欄にある句を一部直したものだが、第一に「田植機」というのが伝統的な季語ではない。俳人の佐川広治氏によると、「昭和50年代に田植機が発明されて以来、千数百年続いてきた日本の稲作作業が大きく変化した」という。その結果、現在の田植えは5月初めのGWごろまでに機械で一気に終えてしまうから、「早乙女」「早苗」「早苗饗」などの伝統的な季語は使えなくなってしまう。が、私はその時、「死に行く季語を必死に守るよりは、今の人々の生き方に合わせた季語を新たに創出するという選択肢があるはずだ」と書いたのだった。
 
 春衣(はるごろも)という言葉は「仲春」の季語で、冬季の地味の色の重い外套を脱ぎM_lionsheep 、明るい色の華やいだ色や柄もの服に替えたものを言う。一昨日昨日と、東京は日中15℃ほどになったから、春もいよいよ到来という感じだが、まだ時々寒い日が訪れる。それが普通の3月である。イギリスの気候も日本と似ているらしく、彼の地には「3月はライオンで始まりヒツジに終る」(March comes in like a lion and goes out like a lamb.)という諺がある。これは、本欄の前身である「今日の雑感」に2001年3月2日付で書いた通りだ。(『小閑雑感 Part 1』に収録)その際、文章に添付した絵をここに掲げておく。こんなイメージで3月が通り過ぎると思うと、何となく愉快な気分にならないだろうか?
 
 そこで「春衣」のことだが、最近は若い女性がすごく地味な色や服装をするのが流行りのようで、そうなってくるとこの季語も使いにくくなってしまう。今日、私は仕事からの帰り途に原宿の竹下通りを通ったとき、まだ高校生ぐらいの少女2人がそんな恰好をしていたので、「ほぉー」と思いながら去りゆく姿を眺めたのである。
 
 春衣骸骨模様で少女行く
 
 谷口 雅宣

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2008年3月 3日

新しいタイプの誌友会 (2)

 2月29日の本欄では、今年の運動方針で提案された新しいタイプの生長の家の誌友会(家庭単位で行われる真理勉強会)の基本的考え方を説明した。今回は、それを「料理」と「絵手紙」の実践を通して行う場合、どのような方向性が考えられるかを述べよう。
 
「料理」を通して真理を生活に活かすには、私たちの食生活をどう見るか、から考えてみる。私たちは肉体を維持していくために、食べることをやめるわけにはいかない。しかし、古来、宗教的には「食べる」ことを「殺す」ことと見なし、それによる“罪”が説かれてきた。これは、キリスト教に於いてはさほど強調されなかったが、ヒンズー教や仏教--とりわけ日本に伝来した大乗仏教--では強調され、「不殺生」の戒めと併せて、肉食を忌む習慣が長期にわたって続いてきた。この辺の事情は、2006年の生長の家教修会で学び、私も本欄で何回か論じたので、詳しくはそちら(2006年7月5日7月10日7月13日7月14日)を参照してほしい。生長の家でも、『生命の實相』や『心と食物と人相と』などで谷口雅春先生が肉食忌避を勧めて来られたことは、多くの読者がよくご存じの通りである。

 21世紀の現代では、このことに加えて、人類の肉食の習慣が地球環境を破壊し、気候変動を招来することが多方面から指摘されている。本欄では、2006年11月26日同年12月17日などでそのことを紹介した。私の著書では、『今こそ自然から学ぼう』(2002年)の第4章「動物の命を考える」や『足元から平和を』(2005年)のp.166-173で、肉食の問題を取り上げている。この“現代的問題”は一見、上で触れた「不殺生戒」と関係がないように見えるかもしれないが、実は因果の法則によって巡り来った悪業として捉えることができるのである。つまり、人類の長年の破戒(不殺生戒を破ってきたこと)の悪業によって、縁が熟したときには、大きな悪果がもたらされる--すなわち、地球温暖化による気候変動が起こり、大量の被災者や疫病の罹患者、そして環境難民が生まれる。この場合、「縁が熟する」とは、大気中の二酸化炭素の量が一定量以上になることである。その時には、肉食の増大で繁栄したかのように見えた人類も、人口が増えた分だけ、罹患者や被災者の数も増えて悲惨な結果が招来されることになる。
 
 少し“暗黒面”を強調してしまったが、とにかく、この現象世界には“真象”と“偽象”が現れているということを誌友会では伝え、私たちの食生活にも“真象的”なものと、“偽象的”なものがあることを説明する。つまり、生物相互の共存度が高い食材と低い食材があることを述べ、菜食は共存度が高く、肉食は共存度が低いことを説明する。そして、そのことを単に理論的に知るのではなく、毎日の食生活にも“真象”を現す実践をすることが重要だと伝えよう。実際に菜食やノーミートの食事のレシピーがこれだけ豊富にあることを教え、もし時間があれば、それを実際に作って、食べて美味しいことを体験する。また、手軽に作れることを知る。そうすれば、この誌友会は、私たちの食生活の中に真象をより強く、明らかに現すという日時計主義の具体的実践の場になるだろう。
 
「絵手紙」を通して真理を生活に活かすとしたら、前回(2月29日に)触れたように、私たちが日常的に「ものを見る」に際しては2つの傾向があることを説明する。“意味優先型”と“感覚優先型”である。そして、それぞれのものの見方のメリットとデメリットを話す。さらに、普段私たちがとかく意味優先で世界を見ていることを例を挙げて指摘し、それによって「本当のものを見ていない」ことを確認しよう。つまり、「現象は心で作られている」ことを確認するのである。では、本当のもの(真象)を見るとはどういうことか、を次に考える。「神の創造とは何か?」を考えながら「虚心で周囲の世界を見る」ことを実践する。その中で、感動を覚えたものを絵に描くのがいい。

 この際、『真理の吟唱』にある「良きアイディアを受信するための祈り」の一節を引用するのもいいかもしれない--
 
「神は無限のアイディアの本源であり給う。宇宙の一切のものを観察するならば、神が無限のアイディアの本源であることは誰にも解かるのである。宇宙には木の葉一枚くらべて見ても同一の樹でありながら全然同じ葉脈をもった葉は存在しないのである。木の葉一枚一枚の輪郭がえがく曲線の美しさ、葉脈の流れの美しさ、しかも一枚一枚ことごとく異なりながら、美しいのであるから、その無限創造の神秘力に驚嘆するほかはないのである」

 また、「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」にも、よい言葉がある--

「私たちが花を見て、花の美しさを感ずることができるのは、私たちの生命(いのち)と花の生命(いのち)とが本来ひとつであるからである。私たちが空の星を見て、それを理解し天地の悠久を感ずるのも、星の生命と私たちの生命とが本来一体であるからである。或いはまた空の鳥を見て、その可憐さを感じ、その声の美しさに聴き惚れるのも、空の鳥の生命と私たちの生命とが本来一つであるからである」

 これらの言葉を紹介しながら、真象とはどのようなものであり、絵を描くに当たっては、現象のどのような面に着目すべきかを概略説明してから、絵手紙の実習に入れば、参加者も宗教的な意義を理解しながら絵手紙制作に没頭できるだろう。
 
 谷口 雅宣

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2008年2月29日

新しいタイプの誌友会

 2月28~29日の2日間、生長の家では日本のみならず、ブラジル等の海外からも幹部の代表が集まって「生長の家代表者会議」という会合が開催された。ここでは、4月から始まる新年度の運動をどう進めるかを描いた運動方針の説明と、それに対する質疑応答などが行われた。新年度の運動方針には、新しい方策がいくつも盛り込まれているので、それに対する質問も多く出て、時間が足りないほどだった。私は2日目である今日の最後に、参加者全体への包括的なメッセージを語る役割をもっていたが、会場の真剣な雰囲気に影響されたのか、予定していた話とは少し違う内容のことを話している自分に気がついた。が、方向転換はせずに話を続けた。おかげで、あまりまとまりのない抽象的な内容になってしまったことが悔やまれる。そこで、この場を借りて、本来予定していたもっと具体性のある話をさせてもらおうと思う。
 
 新年度の運動方針では、従来のものに加えて、新しいタイプの誌友会を開くことが謳われている。誌友会とは、家庭単位で行われる生長の家の真理勉強会のようなものだ。この誌友会は、開催者の技能や芸術的感覚を生かし、真理を生活に活かす具体的な実践を盛り込んだものだ。ここで言う「技能や芸術的感覚」とは、少し努力すれば、誰でもある程度のことが可能となるもので、例えば、料理、写経、絵手紙、書、俳句、短歌、写真、動画、植樹・植林、エコ生活の工夫、パソコン(インターネット)などを指す。誌友会を開催する人が、こういう分野の技能や芸術的感覚をもっていた場合、それらの実践を通して真理を生活に活かすことをここで学ぶのである。

 拙著『日時計主義とは何か?』の66頁以降で、私は「感覚と意味」について書いている。これは、私たちが物事を見たり考えるときに、その物事自体がもつ感覚的味わいを優先的に感じる場合と、その物事が自分に対してどういう意味をもっているのかを優先して考える場合とがある、という分析にもとづく。前者が“感覚優先”のものの見方であり、後者は“意味優先”の認識である。そして私は、この本で「“意味優先”のものの見方をする場合、私たちは目の前にあるものを自分の現在との関係でとらえ、価値判断する傾向がある」と書いている。自分の現在の目的に対して利益があるものを“善”とし、不利益なものは“悪”と見なし、無関係なものには“無感覚”になる傾向がある、ということだ。こういう単純で、自分勝手なものの見方をしていては、そこにある物事そのものをよく見ていないし、感じていないと言える。

 私たちが生活の喜びを感じないときは、この“意味優先”のものの見方をしている場合が多い。そこで日時計主義では、神からいただいた優秀な感覚器官を備えたこの肉体に感謝する意味からも、“感覚優先”のものの見方、感じ方の復権を訴える。これは感覚主義や快楽主義になれというのではなく、自分中心の先入見によって世界を見るのをやめ、自分の周囲に与えられたすべてのものを虚心になって見、感じるところからやり直そうというのである。これを別の言葉で表せば、現象の中にあっても、実相の反映であるところの“真象”を正しく感じ、しっかりと受け止めようということだ。『日時計主義とは…』の本では、こう書いている--本書で提唱する「日時計主義」も結局、そのような真象をより多く見るための考え方であり、真象を感じるための実践である。
 
 こういう観点を理解していただくと、私たちがこれから行おうとしている「技能や芸術的感覚を生かし、真理を生活に活かす具体的な実践を盛り込んだ誌友会」の目的は「真象をより多く見、感じ、共有するため」であり、「すでに与えられている神の恵みを認め、感謝するため」であることが分かる。読者にはどうか、この観点を忘れないでいただきたい。私たちは今、料理教室やカルチャー・スクールを開設しようとしているのではない。今日の会議では、料理と絵手紙を取り入れた誌友会のデモ・ビデオが上映されたが、それは料理が上手くなり、絵手紙が上手に描けるようになるための誌友会ではない。そうではなく、「料理」や「絵手紙」を通して真象をより多く見、感じ、それを参加者全員で共有するための誌友会である。

 今、なぜこのような活動が必要かと言えば、それは地球環境問題の背後には、人々の不足や不満に焦点を当て、欲望を喚起することで物やサービスを売ろうとする大きな動きがあるからである。このような迷妄は、「人間・神の子」と「天地一切の物への感謝」の教えによって消滅するが、それを実践するのが日時計主義の生き方である。

 谷口 雅宣

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2008年2月20日

“欲望の街”と“霊的緑地”

 15日の本欄で、赤坂の末一稲荷神社境内の様子を書いた際、「都会の中に“本来の自然”の活動を盛り上げる空間を拡げていくこと」の意味について触れた。それを端的に言えば、わが郷土、わが街を“欲望の街”に変えていこうとする圧倒的な流れに対して「No」と言うことだと思う。あの赤坂の地には昨年、東京ミッドタウンが出現して地価がグンと上がった。集客力の大きい施設が近くにできれば当然、駐車場の需要も増加する。だから少しでも空いた土地があれば、時間貸し駐車場を設置して利益の増大を図ろうとする動きもある。

 しかし、長い目で見た場合、それにどれだけの価値があるだろうか。これによって駐車場を経営する会社の利益は上がり、役員や社員の可処分所得が増える。そうすれば、彼らは街に繰り出すから、周辺の商店の利益も増えるかもしれない。また、それらの商店は改装や改築をしてさらに客を増やそうとする。こうして、六本木・赤坂の古い建物はまた取り壊され、街並みは変わり、さらに客数が増す。これが“経済発展”の黄金律だ。今、中国大陸で起こっていることと、このこととの本質的違いはない。人々の欲望を引き出し、満足させることで、自然も歴史も破壊されていく。

 そんな中に、早春にフキノトウが顔を出し、春にはタケノコが伸び、菜の花が咲き乱れ、夏にはスモモやブルーベリー、秋にはクリが実る土地があったとする。欲望に奉仕するのではなく、自然の力の展開に奉仕する土地である。人々に宗教的なメッセージを伝えるのは、どちらの土地の使い方だろうか。温暖化の方向へ突き進む地球社会に対して「再考」を促す説得力をもつのは、どちらの土地の使い方だろうか。それとも、都会の中にあって、こんな考えをもつ人は“絶滅危惧種”に過ぎないのか。
 
 大都市圏にある「生産緑地」が減り続けていることを、18日の『朝日新聞』夕刊が伝えている。生産緑地とは、都市部の緑地を守るために、一定の広さ以上の土地を一定の条件で農産物生産に使う代わりに、固定資産税を軽減してもらえるものだ。この生産緑地が最も広かったのは1995年度で、3大都市圏で1万5576haだった。それが、2000年度には1万5316haになり、2005年度には1万4652haへと減った。10年間で6%の減少であり、面積にすると東京ドーム198個分狭くなったことになる。主な理由は、相続人が相続税支払いの必要に迫られ、生産緑地の指定を解除して業者に売却したからという。この制度の原則としては、自治体が買い取ることになっているらしいが、面積が狭く公共目的に不適ということで、ほとんど買い取られていないという。

 宗教は公益法人なのだから、緑地保全の面で公益に資することができるならば、そうすべきではないだろうか。都市部の神社や仏閣では、境内に駐車場やマンションを建設して、本業の収入減を補おうとする動きがあるようだが、何か本末転倒な気がするのである。大都市がたとい“欲望の街”であっても、その中にありながら人々の神性・仏性を目覚めさせるような、自然豊かな“霊的緑地”を蘇らせる方策はないものだろうか。それが古来からの宗教施設の役割だったと思うのだが……。

 谷口 雅宣

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2008年1月20日

ネコリョーシカ

 生長の家の講習会で神戸市へ行った。今年最初の講習会である。前日聞いた天気情報では、神戸市付近は午後から雪が降るとのこと。しかし、神戸市の会場周辺は雪ではなく、雨だった。兵庫県の講習会は、主会場である神戸市内のワールド記念ホールでの映像と音声を、衛星によって他の6会場に同時中継する方式がとられた。だから、他の会場--特に、山間部と日本海側の会場では、雪は降ったかもしれない。これだけ多くの会場を同時に使う講習会は、恐らくここ以外にない。報告によると、7会場合計で約1万8千人の受講者があったという。各会場では、さぞ多くの生長の家の兵庫県の信徒の方々が寒い中、ボランティアとして働いてくださったことと思う。この場を借りて、御礼申し上げます。講習会の推進とご協力、誠にありがとうございました。
 
 さて、昨夜のことだが、宿舎のホテルの売店でロシアの民芸品であるマトリョーシカを見Nekoryoshka つけた。ヒョウタンかダルマのような形をし、入れ子状になった木製人形のことである。マトリョーシカは普通、ロシアの民族衣装を着た若い女性の絵が描かれている。売店にもその通りの人形が陳列されていたのだが、その隣に、人形ではなく、ネコを描いたものが並んでいたので、思わず笑ってしまった。さらに、売り場の表示を見ると、製品名が「ネコリョーシカ」となっている。冗談なのだろうが、なんともピッタリ来る名前なので、2回笑ってしまった。で、私は、短時間に2回も笑わせてくれたものを放っておいていいだろうか……と考えながら売り場をウロウロし、ついに決意してそれを買ったのである。
 
 実は、わが家にはすでに“当たり前”の女性姿のマトリョーシカが1セットある。どこで買ったのか私は覚えていなかったが、妻に訊くと、昔(2000年ごろ)ヨーロッパに家族で旅行した時、モスクワの空港で買った記憶があるという。この旅行はロシアが目的地だったのではなく、ローマかパリへ行く途中で、モスクワの空港に立ち寄ったものだ。石油の開発と経済発展で繁栄するロシアの現状からは考えにくいが、その当時は、経済状態が芳しくなかったのか、モスクワの空港は売店とトイレ以外の場所は電気を消され、薄暗い、陰気な雰囲気に満ちていたのを覚えている。そんな中で、いくつものマトリョーシカが、売店の棚を埋め、温かい、牧歌的で、ユーモアのある空気を生み出していた。今回の“ネコリョーシカ”も素朴で、どこか滑稽な絵柄が私を惹きつけたのである。
 
 ものの本によると、マトリョーシカ(matryoshka)は、ロシアの女性名である「マトリョーナ(Matryona)」の愛称だという。一般的な形は、頭にネッカチーフ、体にはサラファンと前掛けをつけ、手には穀物の束、鎌、ニワトリなどを持つ姿で描かれるらしい。が、変り物として、ロシアやソ連時代の政治指導者を描いたものがあることは、よく知られている。この変り物の方が、風刺漫画のようで、私は愉快な気分になる。昔の共産党書記長や大統領の人形を、最近の大統領の人形が、入れ子状になって“覆い隠す”感じが、「政治権力を奪取しながら大きくなる」という彼の国の指導者のイメージにピッタリするように思うからだ。これを真似て、日本の歴代首相がマトリョーシカの絵柄になった姿を想像してみるが、どうもピッタリ来ない。アメリカの大統領を当てはめてみても、やはり何となく違和感がある。その理由は恐らく、日本の首相は「権力奪取」というよりは、「実力者間の合意」によって生まれ、アメリカの大統領は「選挙」によるからではないか。
 
 このマトリョーシカの起源について、平凡社の『世界大百科事典』には、こうある--「ロシアで作られるようになったのは1890年代半ばで、画家S.V.マリューチンとザゴルスクのろくろ師V.ズビョズドチキンによってモスクワの工房<子どもの教育>で製作されたのが初めてである。その際に日本のこけしのデザインや、だるまの入れ子のアイデアがとり入れられたと考えられている」。ところが、インターネットのフリー百科事典『ウィキペディア』Himedaruma では、これは「一説」とされていて、このほかにも、19世紀末に、箱根のロシア正教会の避暑館に来たロシア人修道士が、本国への土産に持ち帰った箱根細工の入れ子人形(こけし・だるま・七福神)が母体だという説、さらに、愛媛県の松山捕虜収容所にいたロシア兵が、愛媛県の郷土玩具の一つである「姫だるま」(=写真、前谷雅子氏提供)をまねて作ったという説を紹介している。結局、本当のことは不明だが、言えることは、日本の工芸品と共通点があるということだ。ウィキペディアには、日本製らしい“元祖”の写真もある。

 そんなことを知ってみると、初めは「冗談」だと思っていた「ネコリョーシカ」という日露混交の呼称も、案外本物っぽく聞こえてくるではないか。ところで、ネコリョーシカの“産地”であるが、売店の女主人に聞いてみると「中国製」という。ネコリョーシカよ、お前もか!
 
 谷口 雅宣

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2007年12月31日

2007年を振り返って (3)

 さて、最後に私的立場から今年を振り返らせていただこう。
 
 まさに「光陰矢のごとし」の印象とともに今年は終ろうとしているが、その理由の1つは、恐らく著書を多く出させていただいたからだ。発行日でいうと3月1日が『日々の祈り』、9月1日に『小閑雑感 Part 8』、11月22日は『日時計主義とは何か?』で、クリスマスには『小閑雑感 Part 9』(発行日は1月1日)がもう出ていた。講習会の往復の旅程で校正作業をすることもあった。その間、全国大会あり、国際教修会あり、宇治や長崎での大祭もあった。しかし、現在の私のスケジュールは、講習会が全国59教区で毎年行われていたときと比べれば、相当ゆったりしているはずなのである。だから、私が勝手にやることを増やしているのである。

 このブログを書くことが、その1つだろう。誰にも「書いてほしい」と言われたことがないのだから、いつやめても怒られないだろう。が、毎日のアクセス数が600~1000回になっているのを知ると、怠けるのは読者に申し訳ない、と奮起するのである。また、今年は自分用のデジカメを新規に買ったことで、動画を撮映してサイトで公開することを始めた。この動画編集にも時間がかかるが、「百聞は一見にしかず」という映像の訴求力は大きい。このおかげで、絵を描くことが疎かになった。本サイトのギャラリー「わが町--原宿・青山」に掲載したモノクロのスケッチ画は、すべてデジカメ購入以前に描いたものだ。では、それ以後は絵を描かないのかと言えばそうではなく、夏からは「絵封筒」なるものを始めてしまった。絵か動画のどちらかを捨ててしまえば楽になるのだろうが、どちらにも捨てがたい魅力がある。まだまだ「執着が多い」人生と言わねばなるまい。

 秋になって、それまで使っていたノートパソコン(IBM ThinkPad X40)の後継機、レノボの「ThinkPad X61」に乗り換えた。とは言うものの、OSをウインドーズのXPからVistaに変えたので、ソフトの移行が完全にはできず、まだ2台を使い分けている始末だ。ただ、新機種は「タブレットPC」といって、画面に直接ペンで書きこんだり、指示したりできる。この機能のおかげで、紙や絵具を使わずにパソコンだけで絵を描く手段を獲得して喜んでいる。
 
 ところで、昨年12月27日の本欄に書いたアイポッドだが、これによって私も“ながら族”の仲間入りかと恐れたが、結局そうならなかった。全く使っていないわけではなく、CDの音楽や自作の動画を入れて時々楽しんでいるが、私にはもともと「歩きながら何かをする」という習慣がないのと、そうすることで失うことが多いのに気づいたからだ。歩くことは、世界と直接に触れ合う安価で最良の方法ではないか。そのとき、失われつつある都会の自然を感じ、町並みの変化を味わい、人々を観察し、同伴者と会話することで人生が貧しくなるとは、私は思わない。電車の中でも、本を読んだり、ノートをつけることはあるが、「自分好みの音楽に浸る」というのは、どうも私の趣味ではない--そう気づいたからである。

 今年、珍しくクラッシク音楽のコンサートへ行くことができた。東京オペラシティーで行われた千住真理子さんのヴァイオリン・リサイタルで、名手が弾く名器・ストラディバリウスの響きを堪能できたことは誠にありがたかった。私は小学生の頃、ヴァイオリンを習っていたことがあるが、その時の弾き方とは大いに違う、全身を使う力あふれる演奏や、会場の隅々まで届くピアノシモの音など、CDや映画では聴けない素晴らしい生演奏は、今も記憶に残っている。そんな演奏を2時間以上んも続けたあとで、千住さんはファンの要望に応えてサイン会まで行った。一流の芸術家は、サービス精神も一流だと感銘を覚えたものである。

Sundiary2007  さて最後になるが、私も今年初めて『日時計日記』をつけた。私はいつも寝る前に、ベッドの中でこれをつけるが、その際、日記の欄の枠にあまりこだわらずに、航空券の切れ端や、映画や美術展の入場券などをベタベタ貼りつけることがある。記念になると思うからだ。だから、1年たった日記帳は、元のものより分厚くなる。来年版の『日時計日記』の場合、こんな使い方をしていると、1年後には上下巻を収納する紙製ケースに入らなくなるだろう。その場合、どうするか……などと今から考えている。写真は、開いているのが私ので、閉じているのは妻のものだ。
 
 谷口 雅宣

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2007年12月16日

沖縄陶器を買う

 宜野湾市で行われた生長の家の沖縄教区の講習会が終わってから、沖縄の伝統的焼物を見ようと「壷屋やちむん通り」という所へ寄った。「やちむん」とは焼物のことである。このレンガ敷きの通りは、那覇市の中心を東西に走る国際通りから南へ入る、平和通りを行った先にある。車が1台だけ通れる狭い露地の両脇に、焼物を売る店が点々と続き、中へ入れば食器、花器、酒器、置物など様々な焼物を手に取って眺められる。各店の前には、家の守り神であるシーサーが番犬のように通りを睨んでいるのも、面白い。

 緩く曲がった上り坂の中途にあった1軒の店の脇には、高さ1mもある赤茶色のシーサーが立っていて、その鼻先が店の窓辺に向いていた。よく見ると、その窓の、少し張り出した窓枠の上に、白黒模様のネコがシーサーの方に頭を向けてうたた寝をしている。シーサーの大きな頭と、ネコの小さな頭とがくっつきそうな距離にあるのが、とてもユーモラスに見えた。お互いに「気の許せる仲間」という感じなのである。
 
 私は、妻を誘ってその店に入った。店の奥に50代と思われる女主人がいて、目が合ったので「今日は」と挨拶を交わした。と、後から入ってきた妻が、私の後ろで「まぁ、なつかしい~」と声を上げた。何事かと思って振り返ると、店の棚に並んでいる食器の模様に見覚えがあるのである。というよりは、私たちが毎日家でお茶を飲むのに使っている茶碗と同一のデザインの食器が、その棚に所狭しと並べられていたのだ。ご飯茶碗や、ぐい飲み、徳利、マグカップなどもあっただろうか……。家にある湯呑茶碗は、2年前に同じ講習会で沖縄を訪問した際に買ったものだ。その時は、国際通り沿いの那覇市伝統工芸館で買った。それ以降、湯呑茶碗はほとんど毎日使ってきたから、同じデザインの食器群を見ると、なぜか愛着を感じる。毎日使う食器には“情が移る”のだ、と実感した。