2009年12月21日

“核テロリズム”の危険

 今日の『産経新聞』は、アメリカの核戦略の主目的がテロリストへの核拡散阻止になる、と伝えた。19日付の『ニューヨーク・タイムズ』の報道として、同紙のワシントン特派員が送ってきた記事のようだ。もしこれが事実であれば、冷戦開始後、永く続いてきた同国の核戦略が一変することになる。ロシアや中国という大国の核兵器に備えた核戦略から、国家ではない、テロリスト集団から国を守る戦略への転換である、と私は思った。しかし、他紙がこれを伝えていないようなので、念のため『ニューヨーク・タイムズ』の元の記事をサイトで読んだ。すると、多少、ニュアンスが違った。簡単に言えば、アメリカの“核テロリスト”への備えは、今後はロシアや中国に対する核戦略に「取って代わる」のではなく、それらに「加えて重要になる」ということらしい。

 『タイムズ』の記事によると、この戦略変更は、来年初めにまとめられるホワイトハウスの非公開文書「核体制の見直し」(Nuclear Posture Review)に盛り込まれる予定で、連邦政府の全部門に対して、“核テロリスト”(nuclear-armed terrorists)への対策に焦点を当てることを命じるものという。この“核テロリスト”とは、初歩的な核爆弾、あるいは盗んだ核弾頭、また他国から流された核物質のいずれかをもつものを指し、アメリカはこれらに対する備えを、従来の核保有国に対する戦略的抑止と同等に重視することになるらしい。具体的には、この戦略変更により、核兵器の運搬手段である爆撃機やミサイル、原子力潜水艦の近代化の問題と、テロ対策に使われる偵察機や偵察衛星、諜報員の教育や活動の問題が同等に扱われることになる、と同紙は解説している。
 
 アメリカのこの動きについては、本欄はすでに2年前から「核の自爆攻撃をどう防ぐか?」の問題で扱い、今年の9月には「米の東欧へのMD配備中止」の問題と関連させて書いてきた。これらの“水面下”の動きが、まもなくアメリカの正式戦略として認知されることになるのだろう。ただし、この非公開文書の最終版はまだできておらず、したがって大統領の承認を得ていないという。
 
 こういう変化の背景にあるのは、9・11以降、明らかになってきた核兵器や核物質、核技術の移転の危険性の増大である。今回の方針が伝統的な核戦略と大きく違うのは、核抑止の相手が国家ではなく、数人のテロリストであったり、国家をまたいだテロ集団であったりする点だ。その場合、「核攻撃に対しては、圧倒的な報復核攻撃がある」と脅すことで、相手の核攻撃を抑止する従来の方法は、うまく機能しない。なぜなら、宗教的信念をもったテロリストは死や破壊を恐れず、また、彼らに対しては“一人の死”も“圧倒的な死”もあまり変わらないからだ。また、国際テロ集団に対しても、“圧倒的な報復”を行うことは(責任がない国家を攻撃することになるから)事実上不可能だ。つまり、核による抑止は“核テロリスト”には機能しない。その代りの対策としては、核拡散を防ぐことでテロリストが核物質や核爆弾を入手できる機会を減らし、核を使う可能性のあるテロ・ネットワークを特定して事前に攻撃する一方、友好国と協力して安全管理を万全にすることが必要だ。このためには、世界中で軍事施設のみならず、原子力発電所などの民間の核関連施設で核物質の管理を強化し、諜報活動を緻密化しなければならない。
 
 ブッシュ政権下でも、核テロリストの問題は検討されていた。が、当時は、核兵器だけでなく生物化学兵器などの大量破壊兵器をイラクやイラン、北朝鮮、シリア、リビアなどがもった場合、それを地下格納庫ごと破壊するための新型の核兵器が検討されていた。今回のオバマ政権下の「見直し」では、上述の“核テロリズム”の危険を重視するだけでなく、同盟国を守るための“拡大抑止”(extended deterrance)の強化を図る一方で、中・長期的には核兵器の数量を減らしていくという難しい方策を遂行していく考えのようだ。

 このようなアメリカの戦略変更は、日本に対しては一見、影響が少ないように見える。が、私は必ずしもそう思わない。例えば現在、タイ政府がバンコクの空港で拘束している北朝鮮から来た貨物機は、北朝鮮製と見られる携行ミサイル、地対空ミサイルの部品などを積んでいた。21日付の『日本経済新聞』夕刊によると、この貨物機の最終目的地はイランのテヘランだったという。イランは現在、核開発の問題で国際社会と対立しており、また、パレスチナのガザ地区を実効支配するイスラーム原理主義組織・ハマスとの関係も近い。北朝鮮による武器輸出は、6月の国連安保理の決議違反だ。仮にこの貨物機が日本の空港に来ていた場合、日本と北朝鮮の関係は悪化するだろう。そのとき、万が一の確率だろうが、日本の安全を保障してくれるのがアメリカの“拡大抑止”である。北朝鮮は国家であるから“自爆攻撃”はしないだろうが、ミサイルを飛ばしたり核実験を再開したり、拉致問題を反故にするくらいのことはするかもしれない。また、日本国内に中東からテロリストが潜伏して核物質の奪取を計画していた場合、「事前に攻撃する」というアメリカの戦略に、同盟国の日本がどれだけ協力するかしないかで、日米関係に大きな変化が起るかもしれない。
 
 “核テロリズム”というのは、起ってはならないことだ。今回のアメリカの戦略変更は、しかし軍事や安全保障面にだけ焦点を当てている。私は、“対話”を重視しているオバマ政権なのだから、テロリストを作ったあとで行動を抑止するのではなく、テロリストを生み出さない環境を実現する方向へ、早く踏み出してほしいのである。
 
 谷口 雅宣

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2009年12月19日

難産だった「コペンハーゲン合意」

 11月15日の本欄で「森の大切さ」について書いた時、今回のコペンハーゲンでの第15回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)は難航するだろうと予測した。これは“大方の予測”がそうだったからだが、これほどの“難産”とは思わなかった。幸いなことに、18日になって行われた各国首脳クラスの直接協議で、「合意なし」という最悪の事態は避けられた。そして、ここで大筋が了承された「コペンハーゲン合意」が、総会でも「留意する」ことが合意されたらしい。こうして、法的義務がない“政治合意”に達したが、2020年までの各国の温暖化ガス削減目標の決定など、具体的な諸方策は先送りされた。

 上掲の本欄でも触れたが、その原因は、いわゆる“先進国”と“途上国”との利害の対立である。温暖化の責任は先進諸国の経済活動だから、それによって生じる温暖化ガスをまず先進国が劇的に減らすべきだ、というのが途上国の考えである。これに対して先進国は、温暖化ガスの削減はもちろん自ら行うが、今後は中国やインドなどの新興国の経済発展が急速に進むのだから、それらの国も排出削減の義務を負わなければならない、と主張する。ところが、それらの新興国は、自分たちの経済発展を妨げるような排出削減の義務は、不公平であるから負えないとして、法的な拘束力をもつ削減目標を拒否している。

 この基本的な立場の違いを埋めるために、2つの方策が提案された。1つは、先進国から途上国への技術支援であり、もう1つは経済支援である。この場合の技術支援とは、エネルギー効率を高めたり、非化石エネルギーを利用する技術を、先進国から途上国へ移転するためのもので、経済支援とは、それらに必要な資金や、気候変動によって生じる災害を防いだり、被害を救援するための資金だ。日本を含む先進諸国は、この2つを実施する代わりに、途上国に排出削減の義務を負わせようとした。が、この試みは不成功に終った。

 今日(19日付)の『朝日新聞』によると、18日の首脳クラスの非公式協議でたどりついた“政治合意”の主な内容は、①気温上昇は2℃以内に抑える、②各国は来年1月末までに、2020年の削減計画をリスト化し目標とする、③途上国は隔年で削減の取組み状況を国連に報告、④途上国支援は、2012年までは年100億円、2020年時点では官民合計で年1千億ドル、というもの。

 2020年までの温暖化ガスの中期削減目標の決定が来年に延ばされたことにより、「2020年までに1990年比で25%削減」という日本の中期目標は、宙に浮いた形になった。というのは、この目標は、「米中など主要排出国も含めた削減合意が達成されるならば」という条件付きだったからだ。そのため、日本経団連や自民党などは、今後きっと「日本だけ突出するな」と言って、この高い目標を下ろすように鳩山政権に強力に迫るだろう。が、私は、今は「突出すること」に意味があると思う。これは、「高い削減目標を掲げ続ける国が先進国の中にもある」ということを、中国やインドなどの新興国や、すでに温暖化の被害を被っている最貧国に示すためだ。そうすれば、新興国は削減への圧力を感じ続けるし、最貧国は日本の“誠意”を読み取ってくれるだろう。そして、日本経済を化石燃料を使わない“地上資源型”へと急速に転換していってほしいのである。
 
 谷口 雅宣

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2009年12月15日

日米間の“疑念”を払拭せよ

 最近、沖縄の米軍普天間基地の移設問題をめぐる日米の“不協和音”が、妙な方向へ迷走していかないか気になっている。今日の新聞記事では、政府は移設先の決定を来年に延ばす決定をした一方で、すでに日米で合意ずみの移設関連費用を、来年度予算に計上することを決めた。つまり、「移転はするぞ」という意気込みは見せるが、「移転先は分からない」と言っているのだ。これに対して、米国務省の報道官は、合意済みのキャンプ・シュワブ沿岸部への移設が「最善だ」と、従来からの見解を繰り返しただけだ。

 私は、外交政策と国内政策とは基本的に分けて考える必要があると思う。しかし、今の民主党政権は、「国内政策の反映として外交を考える」という立場のように見える。「見える」と書いたのは、「本当のところはよく分からないが……」というニュアンスを表現したいからだ。正直言って、鳩山首相の外交方針は非常にわかりにくい。「よく分からない」と言ってしまった方がいいかもしれない。

 私はかつて9月2日の本欄などで、鳩山氏の英文の論文が本人に無断でダイジェスト版となって米国に流れ、「新首相は反米ではないか?」との不安が広がったことを取り上げた。そして、ダイジェスト版でない本文を読んで反米ではないと考えた。また、その後の日米首脳会談では、「日米同盟は日本外交の基盤」だと言い、オバマ大統領に「私を信頼してほしい」(Trust me.)と言った首相を評価していた。しかし、最近の首相周辺の動きを見ていると、中国への大量の政治家の“集団巡礼”など、アメリカ大統領の信頼を裏切るような言動が散見されるのである。また、首相の言うことが、その通りにならないことが繰り返されている。つまり、言行の不一致が目立ってきた。

“駆け出し内閣”であるうえ、閣内に“非武装中立”の社民党を抱えていたり、民主党内に“左”も“右”もいる現状から考えて、ある程度の言動の揺れは予想できるし、理解もできる。しかし、自らが「外交の基盤」と言った日米関係について、明確な方針表明がない中で右往左往しているように見え、まことに心もとないのである。特に最近は、“中国カード”を使ってアメリカから譲歩を引き出そうとしているように見えるのは、もし日米同盟が外交の基盤だと本当に考えているのなら、あってはならないことである。外交では「○○のように見える」ということは大変重要なことで、仮に「本当はそうでなく、□□である」という隠れた事情があったとしても、世界は外見上の「○○」にしたがって動いていくことが多いのだ。

 今日付の『日本経済新聞』は「揺れる日米安保」という企画記事の「上」として、鳩山氏が「常時駐留なき日米安保を考えている」という意味のことを書いている。また、同じ日の『産経新聞』は、民主党の山岡賢次・国対委員長が日米関係の最近のゴタゴタに関連して「そのためにもまず、日中関係を強固にし、正三角形が築けるよう米国の問題を解決していくのが現実的プロセスだ」と言ったと伝えている。この“正三角形論”は意味がよく分からない。この記事によると、それは小沢一郎氏の持論だそうで、同氏は2006年に民放テレビで「日米中は正三角形になって、頂点、扇の要に日本がいる関係でないといけない」と言ったという。もしこの意味が、日米中はそれぞれが等距離で外交をすべきという意味ならば、「日本外交の基盤は日米安保」などと言ってはいけないはずだ。

 とにかく、今、日米間には“疑念”の雲が盛り上がりつつある。これを吹き飛ばすことができなければ、鳩山外交はきっと失敗するだろう。もし「正三角形論」を首相が支持しているならば、その内容を詳しく国民とアメリカに説明すべきである。もし支持していないなら、「私は正三角形論に反対だ」とハッキリ言い、小沢氏などの同論支持者とは袂を分かつべきだ。外交は国家の存立に関わる重要事で、一人の政治家が選挙に落ちたり、政権交替があるのとはわけが違う。国民全体の運命がかかっていることを、隠したり、ゴマカシたりする人物を国民は支持しないだろう。“核持ち込み密約”を解明しようとしている人間には、それがよく分かっているはずだ。

 谷口 雅宣

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2009年12月13日

奈良県に“神風”?

 奈良教区での生長の家講習会は受講者が539人(7.3%)と大幅に増えた。会終了後の同教区の幹部との懇談会では、講習会推進のための活動が成果に結びついたことを「大成功」と評価する声が多く、「神風が吹いた」とまで言う人もいた。が「神風」は少し意味が違うと思う。なぜなら、元寇の時に吹いたとされる神風は、「戦いの一方に、勝ち目がないことが分かっているのに、自然現象が有利に働いて一気に形勢が逆転した」という意味合いで使われると思うからだ。奈良教区の講習会推進運動には、もともと勝ち目がなかったと私は思わない。

 同教区では、以前から「橿原公苑体育館」をメイン会場とし、奈良市内の「なら100年会館」を第二会場とする態勢で講習会を開催してきた。ところが今回は「100年会館」が予約できず、やむをえずに奈良市内では収容人数が少ない「ならまちセンター」を使い、これに加えて「王寺町地域交流センター」を押さえて、合計3会場で開催した。私はこのことで、各会場近くの信徒の方々の運動によい影響があったのではないかと考える。また、交通の便を考えると、王寺町は、近鉄に加えてJRの関西本線の駅があるうえ、人口が多い大阪市に近接している。そういう「集まりやすい」要素が今回は働いたのではないだろうか。
 
 もちろん、葛原敏雄・教化部長をはじめとした同教区幹部の方々が、これまで以上に熱心な推進活動を展開してくださったことが、大きな原因であることは言うまでもない。同教区からの報告によると、ここでは地域の活性化と小規模単層伝達を進める目的で、昨年度から地区総連単位での勉強会や、ミニ講演会を行い、今年の10月以降は、白鳩会の22総連へ葛原教化部長と橋本久美子・教区連合会長が共に出向いていって、祝福訪問を実践したという。これらを含め、相愛会、青年会等の多くの幹部・信徒の方々の愛念が結実した。奈良教区の皆さんには、今年開催の講習会の最後を飾る、すばらしい結果を出していただいたことに心から感謝申し上げます。

 ところで奈良県では、来年が「平城遷都1300年」に当たるというので、記念イベントをいろいろ考えているらしい。講習会前日の夕方、橿原地方は雨になったので、私たちは付近の散策を取りやめた。その代りに、宿舎となったホテルのロビーを散策して気づいたのは、見慣れないマスコット人形がいろいろの所に据えられていたことだ。これが、この記念イベント用に考案されたキャラクターで、「せんとくん」と「なーむくん」(=写真)の2つだった。あとで調べてみると、これに加えて「まんとくん」というもう1つのキャラクターもあるそうだが、これらの選定に関しては、地元ではひと悶着あったらしい。詳しくは、ウィキペディアの「平城遷都1300年記念事業」の項に解説がある。が、私はそういうゴタゴタをまったく関知せずに、ひと目見て「せんとくん」よりも「なーむくん」がいいと思った。そこで、写真を撮った後に絵封筒に描いたのである。

Chinadoll  私は、「なーむくん」はてっきり女の子だと思った。が、そうではなく、名前は「南無」に由来し、聖徳太子の少年時代の姿をモチーフとして描いたという。「なーむくん」の魅力は、くったくのない笑顔だが、その眉と目は十七条憲法にちなむ漢数字の「一七」で表現されているのだそうだ。ところが、これまたウィキペディアによると、聖徳太子が活躍した時代は平城遷都より100年も前で、太子が拠点とした場所も、平城京が置かれた現在の奈良市近辺の地域との関連も深くないという。まあ、そんなことにいちいち目くじらを立てなくてもいいのかもしれないが、1つの大きなイベントを実行するには、多くの人の意見を集約しなければならない。その難しさが、ここにも表れている。横浜の開港記念150周年記念行事でも、事前の読みと実際の評判との差が明らかだった。「平城遷都1300年」のイベントは、自民党政権時代に決定し、実行委員会の主要メンバーも同党に関係の深い人が多く、支援団体も日本経団連などの自民党寄りの団体が目立つ。今後どうなるか、やや不安が残る。
 
 谷口 雅宣

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2009年12月 7日

宜野湾市へ行く

 5日から6日にかけて、生長の家の講習会のため沖縄県へ行った。同教区の講習会は今回、初めて複数会場の同時中継となった。宜野湾市の沖縄コンベンションセンターをメイン会場とし、与論町中央公民館、石垣市商工会館研修室がサブ会場となった。2年前の前回は、宜野湾市の会場に1,736人の受講者が参集したが、今回は3会場合計で2,026人となり、290人、16.7%の増加となったことは、誠に喜ばしい。これは単に増設した会場分だけ参加者が増えたのではなく、メイン会場への参加者数もわずかだが増加した点で、教区の幹部・信徒の方々の推進への熱意がひしひしと感じられる。さらにこの日、恒例の那覇マラソンが行われたことを考慮すると、スポーツ行事ではなく宗教の講話を選んでくださった方々に、頭が下がる思いがする。
 
 講習会後に、今、政治の焦点となっている米軍の普天間飛行場を見たいと思った。が、聞くところによると、基地内の見学は大臣クラスでも難しいというので、嘉数高台という丘の上から眺めることにした。この高台は、大東亜戦争末期の激戦地で、ゴツゴツとした岩が続く天然の要塞の上に、部厚いコンクリートのトーチカを築き上げ、約2,500人の精鋭部隊が、米軍の攻撃からこの地を死守しようとしたところだ。戦闘は16日間も続き、両軍に多大な死傷者が出た。その時の変形したトーチカが今もそこにある。そういう丘の上から、目と鼻の先に広がる飛行場を見ると、それは“占領軍の陣地”に見えてしまうのである。もちろん、これは錯覚だ。普天間飛行場は現在、主として米軍のヘリコプターと輸送機の発着場で、米軍の駐留の目的は日本とその周辺の安全保障である。
 
 すでに多方面から指摘されているが、この飛行場の問題は市街地のど真ん中にあるということだ。これは、街の真ん中に基地が造られたのではなく、沖縄戦でこの地を占領した米軍が、日本本土決戦に備えて飛行場を建設したのである。街はその後、基地の周辺Ginowancity に建設され、経済成長とともに発展していった。私がここを訪れた時は、飛行場には動くものは何も見えず、音もなく静まりかえっていた。が、普段はヘリコプターの発着などで、周辺の住民は騒音に悩まされているという。「タッチ・アンド・ゴー」の練習もするそうだ。そして、墜落事故も実際にあった。(地図の右側にある「沖縄国際大学」の構内にヘリが墜落した)
 
 さらに地図を見れば分かるが、そういう場所のすぐ近くで生長の家の講習会があったのである。(地図の左端に、赤い文字で「沖縄コンベンションセンター」と表示されている)
 
 谷口 雅宣

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2009年12月 4日

デンマークの電気自動車

 7日からコペンハーゲンで地球温暖化抑制のための気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)が開かれるが、その開催国・デンマークは、温暖化対策に熱心なEUの中でも、先進的な努力をしている国である。昨年12月8日の本欄では、同国に電気自動車を本格導入するための実験が行われていることを伝えたが、3日の『ヘラルド朝日』紙は、COP15を前に、その現状について同国も「苦戦している」という内容の報告をしている。

 デンマークは、米カリフォルニアのベンチャー企業「ベタープレイス」(Better Place)と組んで、電気自動車の普及に必要な充電設備等のインフラ整備を進めている。現在の蓄電技術では、車載用のリチウムイオン電池による1回の充電で「160km」までしか走れない。しかし、ベタープレイスは、この距離制限を克服するために、充電スタンドでの電池交換方式を進めている。つまり、車載の電池とフル充電した電池とをこのスタンドで交換することで、電気自動車の走行距離を短時間で、事実上無限大にまで伸ばそうというわけだ。この試みが困難に面しているというのだ。

 上記の記事によると、デンマーク政府はこのプロジェクトのために、電気自動車にかかる税金を、1台4万ドルまで無税にする措置をとっている。また、コペンハーゲンの中心街では、電気自動車の駐車料金はゼロにしているという。こういう優遇措置があっても、市民の間には懐疑的な意見が多いらしい。というのは、充電スタンドの有無によって、自分の行動が制約されるという心理的不安がまだ大きいからだという。

 デンマークのエネルギーは、すでに2割が風力によって供給されているが、同国政府は、全国に充電スタンドを設置するだけでなく、それらのスタンドに必要な電気を風力で供給することを考えている。これによって、車の使用が少ない夜間に風力で充電するという“炭素ゼロ”の理想的なパターンができ上がる。が、そのスタンドの設置が思うように進んでいない。

 昨年の1月、ベタープレイスのCEO、シャイ・アガシー氏(Shai Agassi)は、2010年には充電スタンドを10万カ所にし、電気自動車は6~7千台になると予測していたが、現時点では同社製の車は1台も走っておらず、スタンドの数は55カ所に止まっているという。主な原因は、スタンドの建設コストらしい。1カ所の建設費は100万ドルに近く、さらに車種ごとに異なる電池を用意しなければならないからだ。つまり、車載用充電地の規格がまだ不統一なのだ。同社の方式に沿った電気自動車を製造するとしているのは、今のところルノー=ニッサン社だけらしい。そして、同国で登録済みの電気自動車の数は、まだ500台に満たないという。

 こういう話を聞いていると、かつてのカセット式ビデオテープの規格不統一を思い出す。ベータ方式とVHS方式をめぐって日本のメーカーが突っ張り合いをしたため、世界中が2つの規格併存となり、やがてVHSが勝利した。ビデオテープならば単なる企業間のシェア争いですむが、地球全体の緊急要請である温暖化抑制のための新技術が、企業間競走によって普及が妨げられることは、決して好ましいことではない。世界の自動車メーカーは何とか努力して、早期に充電池の規格統一をなしとげてほしい。
 
 谷口 雅宣

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2009年12月 3日

2つの出来事

 12月3日の新聞の第1面には、オバマ大統領によるアフガニスタンへの米軍増派発表のニュースと、日本画家、平山郁夫氏(79)の死亡記事が並んで掲載された。両者は互いに無関係の事象のようにも思えるが、私は「戦争と平和」というキーワードで結ばれていると感じる。大統領が発表した「米兵3万人の増派」は、混乱を極めるアフガンの治安を外国軍によって確保することにより、2011年7月に米軍が撤退を始めるまでに、同国で不足している治安維持機関の育成を急ぎ、権限委譲を達成するためのものだ。日本との関係では、政府は先月、同国の治安確保に5年間で50億ドル(約4500億円)規模の支援を主として民生面で行うことを発表しているから、それを軍事面から保障する役割を米軍が担うことになる。これに対して、平山画伯は、アフガニスタンを含む東西交流のルートである“シルクロード”の文物を好んで描いてきた人だ。世界の文化財保護に貢献し、同国のバーミアン遺跡の大仏2体がタリバーンによって破壊された際は、その修復に努力した。
 
 私が、アフガニスタンのことを知ったのは、平山画伯の絵によるところが大きい。もちろん、画伯を知る前からそういう名前の国があることは知っていたが、その地理的な詳しい位置と雄大な風景、東西交流に果たした役割、そこにある遺跡の様子、生活する人々の表情……などは、同画伯の絵から多くを学んだ。また、私の絵画そのものに対する強い関心も、画伯の絵によって引き出されたのである。
 
 3日付の『産経新聞』では、平山画伯のシルクロードの旅に同行したことがある記者が、画伯の人間性を示す話を紹介している。その一部を引用すると--
 
「旅の間、わずか2、3分の空白ができると、すぐに消えてしまう。心配して捜すと、何のことはない。現地の人をつかまえ、せっせとスケッチブックに筆を走らせているのである。
 それほど語学が得意なわけでもないのに不思議だったので聞いてみると、“何となく通じるものです”とあっけらかん。根っから砂漠のあるシルクロードが好きだった。
 現地では観光客用の立派なレストランより、地元の人が行く飾り気ない食堂を好んだ。食べたことのない料理を注文し、皿に取ったものはすべて平らげた。同行の若者が腹の具合が悪くなっても、いつも健康だった」
 
 こういう行動ができるのは、「人間」というものを心から信頼している人だけである。また、どんな国の文化に対しても、自国のそれと同等の尊敬をもっている人である。そういう人間である平山郁夫は、実は被爆者である。中学3年のとき、広島で勤労動員の作業中に被爆し、地獄のような惨状を体験した。「そのとき私は生かされたんだ、生かされた人生だからなんとかお返しをしなければ、と思ったのです」と、画伯は後に語っている。戦争での悲惨な体験は、普通は“人間不信”や“人間憎悪”に結びつきやすい。しかし、画伯の場合、それを見事に超越している。私は、画伯の心に確とした宗教心が--それも特定の宗教に縛られない宗教心があったような気がしてならない。
 
 その画伯が亡くなった時に、米軍のアフガン増派が発表された。オバマ氏は、自らをカトリック信者と宣言するが、「フセイン」というイスラームのミドルネームを持ち、子供のころはインドネシアで貧しい人々と生活をともにしている。父親はアフリカのケニア人。高校はハワイの名門を出て、コロンビア大学、ハーバード大学大学院で教育を受けた。アフガンでの戦争は、ブッシュ大統領時代からの“負の遺産”である。その背後には、もちろんあの「9・11」がある。つまり、イスラーム原理主義者のアメリカに対する憎悪と宗教的信念の爆発がこの戦争の引き金となり、9年目になっても収まる気配がない。国家や集団のレベルで一度燃え上がった憎悪は、宗教が絡んでいるほど、宗教自体による収拾が難しいことが分かるのである。

 今日、NHK衛星第一(BS-7)で放映されたイギリスのBBCニュースでは、報道記者が今、アフガンで勢力を盛り立てつつあるタリバーンの上級司令官と会見する様子が映し出された。この司令官は、頭から顔、そして胸のあたりまで白い布を巻きつけて覆い、体全体は茶色の毛布のようなもので包み隠して画面に登場した。目には黒い眼鏡をかけていたから、私はあの昔の日本のヒーロー“月光仮面”を思い出したほどだ。その司令官は、こんなことを言った--
 
Talibanchiefm 「今年は、我々にとって成功続きの年だった。アフガンに米軍が増派されるということは、より多くのアメリカ人が死ぬことだ。我々は、わずかな資源でさらに多くの負傷と死をもたらすことができる」

 記者が、タリバーンの攻撃によって米軍だけでなく、一般市民も数多く犠牲になっていることを指摘すると、司令官はこう言った--
 
「一般市民など殺してない。それをしているのはアメリカ人だ。この国の市民は我々を支持してくれている。彼らの支持がなければ、我々イスラーム運動は拡大しえなかった。私は、外国兵士たちの母親に言いたい。もし子供たちを愛しているならば、自分たちの国の中で国のために尽くさせろ。しかし、我々を侵略して罪のない市民を殺した。その証拠はいくつでも挙げられる」

 記者が、どうしたら戦争はやめられるかと訊くと、司令官はこう言った--
 
「カルザイ(アフガン大統領)は外国兵に出て行ってもらわねばならない。そうすれば、彼と話し合おう。外国兵が国内にいるうちは、話し合うことはできない」

 アメリカは「治安維持」の観点から戦争を考えているのに対し、タリバーンは「反侵略・外国軍排除」の立場である。両者の間には信頼関係がまったくない。重要なのは、アフガンの一般市民の大多数がどちらの立場を選ぶかだが、前者を選ぶためには、現在のカルザイ政権を信じる必要がある。が、その政権が大統領選挙で不正を行い、腐敗が蔓延しているというのだから、前途多難である。日本が民生面で何か協力できるとしたら、それは、カルザイ政権が国民の信頼に足りるようになるための支援ぐらいか。それには時間がかかるし、簡単ではない。金を出せばいいというものでは、もちろんないだろう。
 
 谷口 雅宣

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2009年11月15日

森の大切さ

 今日は目の覚めるような晴天のもと、千葉市の幕張メッセ・イベントホールで千葉教区の生長の家講習会が開催された。気温も暖かで紅葉・黄葉の美しい休日でもあったから、宗教の話よりも行楽を選ぶ人も多かったろうと思うが、1万人を上回る数(10,109人)の受講者が参加してくださり、和やかな雰囲気の中で講習会がもてたことは誠にありがたかった。

 午後の部の講話で、私は地球温暖化抑制のための人類の努力がいま、どのような困難に差しかかっているかを話した。本欄の読者にもそれを知ってもらいたいので、以下に少し書くことにする。

 パリに本部を置く国際エネルギー機関(International Energy Agency, IEA )はこの10日、『World Energy Outlook 2009』(世界のエネルギー展望)という報告書を発表した。これは同機関の毎年のレポートの最新版だが、698頁もある大部のもの。それによると、世界各国のエネルギー政策が変わらずに、このまま経済発展が続いていくと、人類の化石燃料への依存は今後急速に強まり、気候変動とエネルギーの供給不安がますます深刻になるという。

 12月にはデンマークのコペンハーゲンで190カ国の代表が集まって、京都議定書に続く気候変動抑制のための条約の交渉が行われるが、そこでの合意はかなり難しいとされている。その理由は、化石燃料を基礎とした現在の文明から、風力や太陽光などの再生可能エネルギーを基にした新しい文明へ転換するためのコストを、誰がどう負担するかで、先進国と途上国の間に鋭い意見の対立が続いているからだ。

 途上国側の主張は、今日の温暖化をもたらしたのは先進国だから、原因をつくった先進国がコストを支払うべきで、途上国の経済発展を妨げる権利はないというもの。これに対し、昨年来の経済不況から立ち直れないでないでいる先進国は、高額の資金の提供や、自らのもつ環境技術の提供に消極的だ。京都議定書後の取り組みについては、先進国は中国やインドなどの新興国にも温暖化ガス削減の義務を認めさせようとしているが、それらの国々は上記の理由から、それに反対する姿勢を崩していない。

 その一方で、昨年来の世界的経済不況は、温暖化ガスの排出を大幅に減らすという意味ではよい効果をもたらした。IEAもこのことに触れ、経済の停滞によって、今年の温暖化ガス排出量は世界全体で3%減少すると予測している。これは、この40年間で最大の下げ幅という。しかし、2012年に期限切れとなる京都議定書の後に、温暖化抑制のための国際合意ができない場合、2030年には温暖化ガスの排出量は40%も増えることになるという。この増加分の半分以上は中国によるもので、残りはその他の新興国による。

 今の人類の経済活動が地球規模でどの程度の自然破壊をもたらしているかについては、アメリカの著名な評論家、トーマス・フリードマン氏(Thomas L. Friedman)が、11月12日の『ヘラルド・トリビューン』紙に寄稿した論説が分りやすい。それによると、現在の地球上で使われるすべての交通・運搬手段--列車、自動車、トラック、航空機、船舶--から排出されるCO2の量よりも、森林伐採によって発生するCO2の量の方が多いというのである。森林伐採による温暖化ガス排出量は、人間の活動全体から排出される量の17%を占めているが、これを止めることの方が、化石燃料から再生可能エネルギーへの転換を図るよりも効果的であるという。毎年、地球上から消失する森林の面積は、アメリカのニューヨーク州ほどの広さだという。同州の面積は約12万8400平方kmだが、これを日本の国土に当てはめてみると、北海道、四国、九州を足した広さ(約13万2000平方km)にほぼ匹敵する。現在の“経済成長”というものには、これだけの面積の森林を毎年消失させるという深刻なマイナス面をもっていることを、我々は知るべきである。

 私は今日の講習会で、IEAの報告書の話はしたが、フリードマン氏の論説に触れる時間がなかった。が、ここで考えてみると「森林伐採による温暖化ガスの排出」とは、チェーンソーや木材運搬用のトラックから排出される温暖化ガスのことであるよりも、「伐採によって森林に吸収されなくなるCO2の量」のことなのだ。つまり、人類が現段階以上の森林破壊をやめることができれば、CO2の排出量を「17%」も森林が吸収してくれるのである。植林や育林の重要性を改めて感じる。秋の紅葉は美しくてありがたいが、緑豊かな森の大切さも忘れてはなるまい。

 谷口 雅宣
 

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2009年11月11日

フォートフッドが教えるもの

 本欄では、宗教上の信仰と暴力や戦争との関係について機会を見て取り上げ、考えてきた。5月末には「信仰による戦争の道」(29日30日)と題して、イラク戦争遂行のためにアメリカではキリスト教の信仰が利用された例を取り上げ、8月にはクリストファー・ヒッチェンズ(Christopher Hitchens)氏が数々の宗教と暴力事件との結びつきを著書で指摘していることを紹介(/08/3-e6cb.html)し、神への信仰が必ず暴力をもたらすのかどうかを検証した。私の結論は、信仰自体が暴力の原因なのではなく、「神」に対して「悪」を想定すること、善と悪とが対立する世界を信じることが、悪を滅ぼす手段としての暴力や戦争を正当化する、というものだった。
 
 最近、アメリカ軍内部で起こった銃の乱射事件も、この結論の正しさを証明していると私は考える。この事件は11月5日、テキサス州フォートフッドにあるアメリカ最大の陸軍基地で、軍の精神科医、ニダール・マリク・ハサン少佐(Nidal Malik Hasan、39歳)が銃を乱射して13人が死亡、43人が負傷したというもの。ハサン少佐がパレスチナ出身のイスラーム教徒であることはすぐに明らかにされたが、この事件は今のところ、同少佐の個人的な心の問題が原因と考えられ、テロとは無関係とされているようだ。が、その後、ハサン少佐がイスラーム過激派の宗教指導者と結びつきがあっただけでなく、その事実をFBIなどの米情報機関が事前につかんで注意を喚起していたことが判明し、問題になっている。11日付の『ヘラルド・トリビューン』紙が報じている。

 それによると、ハサン少佐と連絡があったのは、イエメン人を両親にもつアメリカ人でイスラーム指導者、アンワー・アル・アウラキ師(Anwar al-Awlaki)で、彼は、ハサン少佐がヴァージニア州の郊外に住んでいた頃、通っていたモスクの宗教指導者だったという。アウラキ師は、2000年から2001年にかけてアメリカ国内の2つのモスクの指導者をしていて、それらのモスクには9・11事件の実行犯3人が出入りしていたという。しかしアウラキ師は、この同時多発テロについて否定的な見解を示していたため、当初は穏健派と見なされていたようだ。しかし、2002年にイエメンにもどってからは、同師は自分のウェブサイトを通じて、過激な見解を発表するようになっていたという。
 
 ハサン少佐とアウラキ師が米国内で直接接触していたかどうかは明らかでないが、昨年12月以降、ハサン少佐がアウラキ師に宛てた電子メールが米情報機関によって20通ほど、傍受されているという。が、その内容を分析した結果、FBIは「この時点では、ハサン少佐に共犯者がいるとか、テロ計画の一部を担っていることを示す情報は何もなく、また、両者間の連絡の内容はハサン少佐の軍医としての研究の一部だと解釈できるし、それ以外には何も発見されなかった」という理由で、「テロ活動やテロ計画に加わっていない」との結論を出したらしい。が、今回の乱射事件後、アウラキ師はハサン少佐を「英雄」と呼び、「彼こそ、イスラーム教徒であることと、祖国と戦う軍に仕えることとの矛盾に耐えられなくなった良心の人である」と讃え、「イスラームの教えに従いながらアメリカの軍人として生きる唯一の道は、ニダール(・ハサン)のような男の後に続くかどうかである」と記しているという。
 
 私は、アメリカ政府が「テロリズム」というものをどのように定義しているか知らないが、宗教の信仰と暴力のつながりという点で言えば、今回の事件は明らかにそれがあると思う。つまり、これは「信仰による暴力」である。ハサン少佐は犯行の際、祈るように頭を下げてから「アラー・アクバル(神は偉大なり)」と叫び、2丁の拳銃から100発近くを乱射した。その中の1丁は、半自動の殺傷力の大きなもので、8月に前もって自ら購入しているという。また、犯行前日には、隣の人に自分の『コーラン』や家具などを渡しているというから、一時の狂乱で犯行に及んだのではなく、入念な準備をした後の確信的行動に違いない。その行動が、かつて通っていたモスクの指導者の言葉から、まったく影響を受けなかったとは考えにくい。その指導者が、イラクやアフガニスタンにおけるアメリカ軍の行動を「イスラームに対する攻撃」だと捉えているとしたら、ハサン少佐も同じ認識をもつにいたった可能性は大きい。

 その場合、自分の国と自分の信仰のどちらを選ぶか、という深刻な問題が生じる。7~8日付の『ヘラルド・トリビューン』紙は、ハサン少佐が実際に、そのジレンマに悩んでいたことを、同少佐の従兄弟、ネイダー・ハサン氏(Nader Hasan)に取材して書いている。それなら、軍隊をやめればいいとも思うが、貧しい移民の子である彼は、高校卒業後、親の反対を押し切ってただちに陸軍に志願し、そのため軍の費用で大学へ行き、医者としての訓練を受けることができたのである。だから、簡単にやめることはできなかったようだ。

 アメリカ軍の中には、彼のような立場のイスラーム教徒が少なくないに違いない。10日付の同紙は、9・11事件後、アメリカ軍は、中東方面の言語や文化を理解する人を重点的に雇ったと書いており、その結果、140万人の現役軍人のうち約3千5百人は、自らを「モスレム」だと表記しているという。が、この表記は任意なので、実際にはこれよりずっと多くのイスラーム教徒が軍人として世界各地で任務についているだろう。だから今回の事件は、長期にわたって中東に派兵しているアメリカにとって、大変重い問題の存在を示しているのである。
 
 谷口 雅宣

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2009年11月 6日

レヴィ=ストロース氏、逝く

 すでに報じられていることだが、文化人類学者で偉大な思想家としても知られるレヴィ=ストロース氏(Claude Levi-Strauss)が、100歳で亡くなった。ユダヤ系フランス人で日本文化にも造詣をもち、何度も来日して講演録も出版されている。ブラジルの先住民の文化をフィールドワークによって研究して書いた『悲しき熱帯』(1955年)や『野生の思考(パンセ・ソバージュ)』(1962年)などで、人類が混沌とした秩序のない“未開社会”から、しだいに洗練された文化をもつ社会へと発展してきたという西洋中心主義の考え方を否定し、“未開”と見える社会にも一定の秩序と構造が見出せると主張して、当時の西洋社会にセンセーションを巻き起こした。神話学の分野でも大きな貢献をしている。日本とブラジルの双方に関係があり、神話にも詳しい思想家だから、生長の家とも直接的な接点があってよさそうだが、その形跡は見つかっていない。
 
 私はしかし、生長の家の万教帰一論を深く理解するためには、この人の研究から学ぶことは数多くあると思う。その1つは構造主義的なものの見方である。構造主義とは、物事の表面からは隠された(潜在的な)構造を見出して、その構造によって現象を理解し、ひいては現象に働きかけようとする立場である。宗教とも関係が深い精神分析学の分野では、「エディプス・コンプレックス」とか「元型」などの概念がそこから生まれている。谷口雅春先生の諸著作の中では「男性原理」に対する「女性原理」という考え方や、「東洋文化」と「西洋文明」を対比させる方法は、きわめて構造主義的である。神話の分野にも、そういう隠された構造があると考えるのが神話学の立場である。そのことを、レヴィ=ストロース氏は『神話と意味』の中で次のように語っている:
 
「神話の物語は気まぐれで無意味で不条理です。とにかく見たところはそうです。にもかかわらず神話の物語は、世界的に反復して現われるように思われます。ある地点の人が頭の中でこしらえ上げた“奇想天外”の作り話ならば、1つしかないのがあたりまえ--つまり、まったく別の場所に同じ作り話が見出されるのはおかしいはずです。私の問題は、この外見上の無秩序の背後に、ある種の秩序があるのではないかと探ってみること、ただそれだけでした」
(同書、p.15)

 神話は、宗教の出発点であると言える。日本古来の神道は、『古事記』『日本書紀』などの神話を含む書物を基本としている。聖書の『創世記』は、神話との共通点が多いだけでなく、その一部に神話を含むと言っていいだろう。この教典は、ユダヤ教、キリスト教、イスラームという3大一神教の基礎である。初期仏教の教典やヒンズー教の教典にも、神話が含まれている。そしてこれらの様々な神話は、登場人物の名前や行動などの細部は皆、まちまちで個性的であっても、物語の基本構造は共通しているというのが、神話学が見出したことなのだ。これと同じ考え方が万教帰一論の背後にはある。
 
 こういう研究を続けてきた氏が、同じ本の中で宇宙の秩序について興味あることを言っている:
 
「人類の知的業績を見わたすと、世界中どこでも、記録に残る限り、その共通点は決まってなんらかの秩序を導入することです。もしこれが人間の心には秩序への基本的欲求があることを表わしているとすれば、結局のところ人間の心は宇宙の一部にすぎないのですから、その欲求が存在するのは、多分、宇宙に何か秩序があり、宇宙が混沌ではないからでありましょう。」(同書、p.16)

 レヴィ=ストロース氏は学者であるから、「神」という言葉は使っていない。が、人間の心が求めてやまないものが宇宙にあるという考えが、ここに表明されている。
 
 谷口 雅宣
 
【参考文献】
○レヴィ=ストロース著/大橋保夫訳『神話と意味』(みすず書房、1996年)

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