原発を減らし、自然エネルギーへ
菅直人首相の“本心”が分からない。発言の内容はメディアを通して逐次伝えられてくるから、何を言っているのかは分かる。しかし、それが一国の総理大臣として決意と覚悟の上で言っていることなのか、それともいわゆる「フィーラー」(様子探りの発言)なのかが不明だ。これまでの例を見る限りでは、後者の発言が圧倒的に多いと感じられるから、今回の発言も「彼は本気だ」と信じると、またすぐ撤回され、裏切られるのかもしれない。それでは本当に困るのである。
私が菅氏の何の発言を問題にしているか、読者は分かるだろうか? 新聞によってニュース性の扱いがまるで違うのも気になるのだが、今朝の『朝日新聞』によると、次の通りである--
「菅直人首相は10日、首相官邸で記者会見を開き、総電力に占める原子力の割合を将来的に50%に高めるという政府のエネルギー計画について、“いったん白紙に戻し議論する必要があるだろうと考えている”と述べた」。
『朝日』はこれをリード文として、「エネルギー計画白紙に」という4段抜きの見出しを立てて第4面で大きく伝えた。これに対して『日本経済新聞』は、同じ日の朝刊の第1面下段で、一回り小さい3段記事に「首相“国にも責任”」という見出しを付け、副見出しを「原子力利用は継続の姿勢」とした。これでは、首相には原子力の利用を減らす考えはまるでないように聞こえる。そして、地の記事では次のように伝えているのである--
「2030年までに総電力量に占める原発の依存度を50%以上と定めた現行のエネルギー基本計画については“いったん白紙に戻して議論をする必要がある”と表明。一方で“より安全な原子力のあり方をしっかりと求めて実行していきたい”と、原発を継続する考えも強調した」。
2紙の報道の違いは、恐らくそれぞれの新聞の希望や意見を反映しているのだろう。だから、首相の意図は“玉虫色”ということか? しかし、浜岡原発の停止要請を行ったすぐ後の発言である。従来の方針について「白紙に戻して議論を」という意味は、「現状よりも原発への依存度を減らしたい」のだと解釈するのが普通だと考えられる。が、『日経』はそう解釈していないようなのである。単なるフィーラーだと考えたのか……。
一方『朝日』は、会見の「要旨」として次のように書いていて、これを読む限りでは、首相はエネルギー政策の方針転換を表明したように見えるのである--
「今後は、太陽光や風力、バイオマスといった再生可能エネルギーを基幹エネルギーの1つに加えることと、省エネ社会をつくっていくことがエネルギー政策の柱になりうる。原子力は安全性を、化石燃料は二酸化炭素削減をしっかり進めていく」。
もしこれを菅氏が本気で言ったのであれば、私はそれを大震災と原発事故を踏まえた新政策として大いに評価し、大歓迎する。日本はこの方向に進むことが、大震災と原発事故による大勢の人々の死と苦しみを無駄にしない、最も論理的、かつ正しい政策決定であると私は思う。今度こそブレないで、信念をとおしてほしいのである。
ところで、同じ首相の記者会見の場には外国の報道陣も参加していただろう。今の日本の原子力行政をめぐる問題は、多くの原発を抱える海外の先進諸国でも大きな関心事になっている。だから、菅氏の今回の発言も大きく報じられた。例えば、アメリカの『ニューヨーク・タイムズ』の“世界版”である『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙は、第1面で「災害は日本の核計画を転覆する」(Disaster overturns Japan's nuclear program)という見出しを付けて報じている(電子版の記事)。これは、菅氏の発言を『朝日』よりも明確に「政策転換」として捉えたセンセーショナルな表現だ。記事の書き方を見てみよう--
「菅首相は火曜日、日本は原発を新設する計画を廃止すると述べ、新しいエネルギー政策をつくるに当たっては“白紙から始める”必要があると述べた。
この火曜日の決定は、3月の大地震と大津波によって引き起こされた福島第一原発の事故に続くもので、昨年、管政権が発表した計画を破棄するものである。この計画によれば、日本は電力供給に占める原子力の割合を50%に引き上げるため、2030年までに14基の原発を増設することになっていた。日本にはいま54基の原発があり、大震災前の時点ではそれによって電力量の30%をまかなっていた」。
同じ情報にもとづいていても、新聞各社の“思惑”や“読み”が異なることで、見出しや記事の内容はこれほど違ってくるのだ、と改めて思った。
谷口 雅宣