2011年6月 2日

科学技術は選択すべし

 前回の本欄では、“人間が生んだ地球”の上で「技術社会を放棄せずに、人間の尊厳を保って生きていくにはどうすべきか?」という問いかけをした。アメリカの2人の大学教授は、先端技術の「影響をより深く知り、その中で理性的に、責任をもって、倫理的に生きる」べきだと書いていたが、具体的にどうしたらいいかは述べていない。私は、年ごとに強力となり、影響力を増しつつある科学技術について、全部を否定したり、全部を丸ごと肯定するのではなく、それぞれの技術の性格をよく知り、それを使うであろう我々人間の(現象的な)性質を考慮し、理性的に、責任をもって、倫理的に考えれば、ある種の科学技術については、人類として使用を禁じたり、制限するという「取捨選択」が行われるべきだと考える。
 
 このことは、核兵器や生物・化学兵器などの大量破壊兵器に関しては、相当程度の国際合意ができている。また、戦争法規の分野でもかなりの合意があり、“人道に関する罪”という新しい概念もできつつある。大体、「兵器」と呼ばれるものは皆、科学技術の産物である。その中で破壊力が著しいものを選んで、開発や使用を制限することができるのだから、戦争のためでない科学技術の分野でも、同じことができないはずはない、と私は考える。そういう意味で、今日、原子力発電という技術を取り上げ、今後の利用の是非について世界中が検討を進めていることは、好ましいことだと思う。世界的な合意は簡単にはできないだろうが、“人間の作品”を全面的に肯定する段階から、人類は一歩成長したと見ることができるからだ。

 ところで、福島第一発電所の事故の調査・検証委員会の委員長になった畑村洋太郎・東大名誉教授が、5月30日の『日本経済新聞』で“人間の性質”について興味ある見解を述べている。それによると、人間には次の3つの習性がある--
 
 ①見たくないものは見ない、
 ②考えたくないことは考えない、
 ③都合の悪い事柄はなかったことにする

 畑村名誉教授によると、これらの習性から生じた“人間万能”の錯覚が、今回の大震災で津波被害や原発事故を拡大させたというのである。簡単に言えば、人間は間違い、失敗するという事実を忘れ、科学技術の力を“過信”したことが悲劇を生んだのだ。その畑村氏が、こう言っている--
 
「原子力はエネルギーを取り出すのに大切だが、ものすごく危ないものだとの前提で付き合うべきだった。完全に制御することはできないうえ、いったん制御が外れると暴走を止めるのは容易でないことを認識しておくべきだった」。

 が、同時に畑村氏は「日本が原子力を使わずに生きていけるとは思わない」と書いている。私はこの点、同氏とは意見が違う。今、日本全体の原発の7割ほどが停止している。しかし、日本人はちゃんと生きているのだ。25日の『朝日新聞』夕刊によると、日本学術会議は目下、原発の即時撤退から段階的な自然エネルギーへの代替、原発推進まで4つの選択肢を検討しているという。すなわち、①原発を即時全面停止して火力などで代替する、②5年程度で原発分の電力を自然エネルギーと省エネで代替する、③20年程度で原発分の電力を自然エネルギーで代替する、④誰もが安全だと認める原子炉をつくり、将来も重要なエネルギーとして位置づける--の4段階だ。
 
 私はこの中では、ぜひ②を選んでほしい。もし、いろいろな理由でそれが無理なら、せめて③の方向へ日本は進むべきだと思う。新しくやることは山積している。菅内閣の不信任案が国会で否決されたが、日本の政治家はこんな政争にうつつを抜かしている暇などないのである。

 谷口 雅宣

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2011年5月 9日

「めんどくさい」が世界を救う (5)

 私は自分の息子がまだ1歳にならない頃、旅先の宿舎の一室で、夜中に初めて立ち上がって伝い歩きをした時のことを今でも覚えている。それまでは這うことしかできなかった小さな人間が、やっと立ち上がり、おぼつかない両脚を力いっぱい踏みしめ、両手を机に突いて体を支えながらバタバタと歩いた。その時の満面の笑みと喜びの叫び声は、環境からの直接的リアクションが、人間にとってどんなに幸福かを如実に語っていた。

 ところが、歩くことに慣れてしまった人間は、次に効率のことを考え出す。長い距離を歩くのは非効率だとか、面倒くさいなどと考えて、自転車や自動車、さらには航空機まで発明した。しかし、これによって先進諸国の人々の間には運動不足よる肥満や、成人病、神経症など、別の問題が深刻化しているのだ。

 環境から直接的なフィードバックが得られなくなることは、人間の判断を誤らせる大きな要因になる。このことは、自動車運転中の携帯電話の使用や歩行中のイヤフォンやヘッドフォンの着用などで、すでに証明済みだろう。それでも、ネット社会の発達と音声・映像技術の進歩によって、そういう情報不足は十分補えるという考え方が時々表明される。が、私はそんなことは不可能だと思う。理由はすでに縷々述べてきたが、以下、簡単にまとめよう。

 庭の芝生を刈る際に最も効率的な方法は「他人に依頼する」ことだった。これによって、依頼人への芝生からのフィードバックはほとんどゼロになる。フィードバックの減少は、「芝生から」だけではない。「芝生を刈る」という行為にともなう大部分の情報--芝生を刈る音、切り揃えられた芝生の感触、土の匂い、芝生から跳びだす昆虫やミミズ、カッコウやホトトギスの鳴き声、林を通り抜ける風の爽やかさ、飛来するチョウの可憐さ、そして、これら自然界との触れ合いによって“刈り手”の心に生まれる様々な想い--が、依頼人の脳や心には伝わらず、また生まれず、実際に芝刈りをした人間のところでストップする。筋肉と感覚と心を動員して行われる全人格的な「芝刈り」という仕事は、こうして依頼人にとっては抽象的で、価値の低い“単純労働”として認識されるようになるだろう。また「芝刈り」の場である自然界も、同じように抽象的で、どこか絵画や写真のような“装飾品”あるいは“デザイン”として感じられるのではないだろうか。

 私は、人間がそのような認識や価値判断にもとづいて下してきた決定によって、これまでどれだけ広大な生物の生息地と、どれだけ多くの生物種が失われてきたか、と心を巡らせるのである。そして,そういう人類の価値判断が正しくなかったことが今、地球規模の気候変動、“人口爆発”と食糧問題、資源の枯渇と奪い合い、生物多様性の後退などとして示されていると考える。

 谷口 雅宣

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2011年3月31日

「歓喜への道」

 谷口清超大聖師のご著書に『歓喜への道--21世紀のために』というのがある。平成4年(1992)4月の出版だが、冒頭に掲げられた同名の一文は平成元(1989)年5月号の機関誌に掲載されたものだ。月刊誌はたいてい、5月号は4月に、6月号は5月に発行されるし、原稿を受け取ってから出版までは約2カ月を要する。ということは、このご文章は、時代が昭和から平成に変わってまもなくの頃、清超先生が書かれた一文と考えられる。それを読ませていただくと、「平成」という新時代に向けて信仰者として何を第一にして進むべきかという重要な指針が力強く説かれていて、感動するのである。私たちは今、未曾有の大地震と大津波、原発事故の被害を身の回りに感じ、まるで“世界の終末”の中にあるような印象をもっているかもしれない。しかし、これで戦後日本の“一時代”が終わるとしても、これから私たちが築き上げる新時代が必ず来ることを疑ってはいけないし、この新時代にこそ、神の御心がより顕著に輝き出た“新生日本”を建設しなければならないと思う。ついては、この清超先生の一文からいくつか学ぶことにしよう。
 
 清超先生はまず最初に「正しい情報が大切」だと説かれている。このことは、今回の災害と原発事故に関しても、私たちはいやというほど感じたことではないだろうか。災害の規模がどれほどか。家族や親戚の安否はどうなっているか。津波の大きさを事前に予測できたのか。原発の危険度を知っていたのか。放射線の体への影響を知っているのか。原発事故の現状は、どれほどの地域に、人に、自然界に危険を及ぼすのか。復旧のコストは、期間は、必要な人員は……。これらの情報が正しく入手できないことに、私たちは困惑してきたのである。だから、「正しい情報が大切」であることは、十分に感じているだろう。現代は情報氾濫の時代だから、「情報を得る」ことは簡単にできる。しかし、ニセ情報も巷にあふれているから、「正しい情報」が何であるかの判断は、情報量が膨大なゆえに一層困難になっている。
 
 そこで先生は、こう説かれている--
 
「そこで情報は金銭で取引きされるとは言っても、その“正確度”が問題であり、もしニセ情報であれば、そのために大きな被害を受けるし、そのマイナスの価値は、はかり知ることが出来ないくらい大きいのである。」(p.6)

「原子力は安全なエネルギーである」という情報を信じてきた多くの人々が、海外の人々も含め、今その“マイナスの価値”を肌身に感じ、震え上がっているに違いない。また情報は、「発信人」と「受け手」が直接授受するだけでなく、両者の間に多くの「中継者」が関与してくることが多い。そして、中継者が多ければ多いほど、情報の中身がゆがめられる可能性が大きくなる。いわゆる“伝言ゲーム”のように、発信人の情報とはまったく異なる内容のものが、“真実”とか“事実”とされる危険度が増してくるのである。このことを先生は、次のように書かれているーー

「しかし発信人の真理をそのまま伝えるということは中々難しく、人は往々にして善意の過ちをおかすものである。」(p.9)

 先生がここで「善意の過ち」と書かれているのは、イエスが人間を“罪の子”と説かなかったのに、「神の子」の自覚に満ちたイエスを尊敬するあまり、弟子たちがへりくだって自分と一般人とを“罪の子”と見なしたことを指している。その気持の中には「教えを曲げよう」とするような悪い意図はないから、善意からの過ちだったと説かれているのである。だから、情報の正確な伝達を期す場合は、善意や同情や感情移入があれば、多少の間違いは許されると考えるのは問題である。ましてや、善意や同情や感情移入さえ表明すれば、宗教上の真理を伝えたことになると考えるのは誤りだ。
 
 では、宗教上の真理とは何か? 先生曰く--「要するに現象の肉体は不完全であり、それは仮相であって、実相は全ての人々が完全無欠の神性・仏性である。この真理を自覚し、伝え、行ぜられるからこそ尊いのである」。(p.10)これを、今回の大災害と大事故に関連させて言い直せば、「これらの惨状や死や深刻な被害は仮相であって、実相は全ての人々が完全無欠の神性・仏性である」ということだ。確かに今、テレビやインターネット、新聞・雑誌では、連日のように人々の不幸や災難や、悲しみや、苦痛、嘘、偽装、経済停滞などが報じられている。しかし、それらを見つめて悲しみを深めていくことが、宗教上の真理を伝えることだと考えるのは誤りだ。先生は再び曰く--「これでは実在の真理そのものがどこかに追いやられ、現象の正確さのみがいたずらに一人歩きする結果になるであろう。しかし生長の家では、現象は実在にあらずと否定するのだ。ある人がどんな生涯を歩んだにしても、そこに完全無欠を求めるのは、現象そのものに実相を求めていることになる。」(p.11)

 谷口 雅宣

 

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2011年2月13日

「SNS」という国 (2)

 約1カ月前に本題について書いたとき、チュニジアやエジプトでの“民主革命”に威力を発揮したと言われるソーシャル・ネットワーク(SNS)の利用拡大の状況を報告した。そして、その最大手「フェイスブック」(Facebook)の会員が5億人を超えたことで、中国、インドに次ぐ人口をもった“国”がネット上に生まれていることを紹介した。また、生長の家でのSNS利用の仕方を概観し、私がフェイスブック上に「Seicho-No-Ie President」(生長の家総裁)のページを立ち上げたことにも触れた。これに興味をもった読者が、ファンぺージに70人近くも登録してくださったのはありがたい。
 
 これは英語のページなので、日本人の読者には面白くないかもしれないが、その後、登録者の数は順調に増えてきている。今日(13日)現在で「449人」だが、登録者の国別の構成は次のようになっている:
 
  ブラジル   249
  日 本    69
  アメリカ   23
  コロンビア  18
  イギリス   15
  ポルトガル  15
  ペルー    9
  アルゼンチン 8
  スペイン   7
  香 港    4
  その他    32
 
 このリストの1~3位までは予想していた通りだったが、その下に続く国名は意外だった。教勢の強いブラジルの影響から、隣国のアルゼンチンが含まれるのは納得できるが、同じ隣国でもコロンビアやペルーのような比較的貧しい途上国から参加している人がいる。その数は、英語の“本場”であるアメリカやイギリスからの参加者の数と、あまり差がないのである。また、スペイン、ポルトガルなどのヨーロッパからの人数も意外に多かった。さらに、「その他」の中に含まれる国(参加者が1~2人)の中には、インドやアラブ首長国連邦(UAE)の名前がある。そういう国に生長の家が伝わっているとは、私は知らなかった。
 
Snipdem021311j  フェイスブックでは、ページ参加者の性別、年齢別構成もわかる。今日現在のそれを見ると、女性が男性より多いのにちょっと驚かされる。その差はさほど大きくないが、これはどこ宗教でも、信者は女性が男性より多いことによるのかもしれない。また、年齢構成は、日本の信徒のそれよりずっと若いが、これもインターネット人口の年齢構成に対応しているのだろう。しかし、このことは、ネットを使った若年世代への伝道の可能性を示しているのだから、注目に値する。青年会や白・相両組織の今後の健闘に期待しよう。
 
 さて、フェイスブック上の私のページは、こんなわけでまだ“国”と呼ぶにはほど遠い過疎地帯だが、いろいろな意味で新しい可能性を秘めた“未開拓地域”であることは確かだ。途上国の経済発展とともに、SNSは今後さらに拡大していくだろうが、この分野に興味のある読者は積極的に利用され、またそれぞれの立場から運動への有効な活用を研究し、“開拓伝道”を展開していただきたい。
 
 谷口 雅宣

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2011年2月 4日

天照大御神について (8)

 日本の神話とよく似たストーリーが世界各地に散在していることを、どう考えたらいいだろうか? 本シリーズの6回目で、私はこの問題に関連して石田英一郎氏の考えを紹介した。それを再掲するとーー
 
「これらの神話を構成するいくつかの要素が、多くの異なった民族や地域にわたって、量質ともに、とうていたがいに独立に生じたとは考えられない程度の類似を示すときには、われわれはここに神話の伝播という事実を仮定せざるをえないのである」。

 文化人類学や考古学の分野の研究者は、たいてい石田氏のような考え方をする。つまり、世界各地に似たような話が残っているのは、そういう話をする人たちが、永い年月が経過する中で「移動して伝えた」と考えるのである。そこから“北方民族流入説”とか“南方系渡来説”などを唱える人もいる。しかし、神話学や精神分析学のように「人間の心」の仕組みを研究する分野の人たちは、それとは一風違った考え方をするようである。彼らは、人間の心の深層には共通した部分があると考えるから、その共通部分の表現として生まれる(神話や宗教を含む)文化現象は、必ずしも人によって伝えられなくても世界各地に存在しえる、と考えるのである。
 
 ユング心理学の日本における第一人者、河合隼雄氏は、自らの神話研究の態度について、こう語っている--
 
「宗教学、民族学、文学、文化人類学、歴史学などとそれぞれの立場から研究ができるであろう。神話の伝播の経路を推察できるし、神話の類似性から、何らかの文化圏の存在を仮定することもできる。あるいは、神話そのものの成立の過程を類推することもあろう。これらに対して筆者(河合氏)の立場は相当に異なっていて、深層心理学の立場によっている。つまり、それは既に述べてきたように、人間にとっていかに神話が必要であり、それが人間の心に極めて深くかかわっているか、という観点に立って、神話のなかに心の深層のあり方を探ると共に、神話からわれわれが実際に生きてゆく上でのヒントを得ようとするものである。(中略)日本神話を対象とする場合は、そこから日本人の心のあり方について考える、ということが重要な焦点となるものである」。(『神話と日本人の心』pp.17-18)

 上の文章で注目してもらいたいのは、深層心理学の立場では、現代の人間が生きるうえで、大昔にできた神話から学ぶことが多くあると考える点である。神話とは“過去の遺物”ではなく、あくまでも“現代のテキスト”として読むべきだとするのだ。私もその考えに賛同し、それゆえにこのシリーズを書き継いでいる。
 
 それでは、日本神話にある天照大御神から、現代の私たちは何を学ぶことができるだろうか。河合氏の考えを聞こう。
 
【参考文献】
○河合隼雄著『神話と日本人の心』(岩波書店、2003年)

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2011年2月 3日

天照大御神について (7)

 本シリーズの前回では、日本の「天の岩戸隠れ」に似た神話や伝説が世界各地に伝わっているということを確認した。また、天照大御神が“最高神”であるにもかかわらず、あくまでも「温和」であり、時に「臆病」に振舞うのは、日本神話に特徴的であるのかどうかも問うた。この後者の問題については、まだ解答が見つかっていない。今回はしかし、日本神話に登場する女神すべてが「温和」で「臆病」なのではないということを、読者に思い出してもらいたいのだ。

 有名な伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)の黄泉の国での出来事が、それを有力に語っている。ここには“温和な女神”とは対照的な女神像が描かれている。そのきっかけは、黄泉の国を出る前の準備をするから御殿の中を覗かないでほしいと言ったイザナミの願いに反し、イザナギが中を見て、そこに醜悪な姿のイザナミを発見したことだ。イザナギは恐れおののいてその場から逃げ出すが、イザナミは恥をかかせたと怒り、鬼女や雷神たちに命じてイザナギを徹底的に追わせる。イザナギは様々な方法を使って追っ手から逃れるが、最後にイザナミ自身が追ってきて、黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)という所で夫のイザナギと最後の言葉を交わす。『古事記』の表現では、こうなっている--
 
イザナミ「愛しき我が汝夫の命、かく為せば、汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」。
イザナギ「愛しき我が汝妹の命、汝然為ば、吾一日に千五百の産屋立てむ」。

「愛しきあなた」と呼びかけながら、言っていることは「あなたの国の人を1日に千人殺す」というのだから恐ろしい女神である。これに対してイザナギは「それなら、こちらは1日に千五百人生まれるようにする」と言い返す。イザナミは決して「温和」でも「臆病」でもない。だから、日本神話に登場する女神がみな、天照大御神のようであると考えてはいけないのだ。

 ところで、この有名な夫婦神の物語も、日本独自ということはできない。『記紀』にあるほど詳細で複雑な物語ではないが、似たような話--神話学者の大林太良氏の分類では「言い争う二神と死の起源」というモチーフは、東南アジアだけでなく、北アジアやアメリカ原住民の間にも見出せるという。考古学者の後藤明氏によると、例えば次のような話がニュージーランドのマオリ族の神話にあるという--
 
「創造の神タネは土で女の人形を作った。そしてこれと交わり、娘ヒネ(月の女神ヒナ)を生んだ。タネは成長したヒネを妻にした。ヒネは夫が実の父親であることを知り、恥ずかしさのあまり自殺した。ヒネは地下にある黄泉の国に行って、夜の女神になった。タネは妻を追って冥界に行き、ヒネの家の戸をたたいた。しかしヒネはタネをなかに入れなかった。彼が一緒に地上に戻ってくれと懇願すると、ヒネは断った。そして言った、“あなたは一人で地上に戻り、明るい太陽のもとで子孫を養いなさい。わたしは地下の国に留まり、彼らを暗黒と死の国に引きずり下ろすでしょう”と。」

 日本神話の“縮小版”と言えるのではないだろうか。

 谷口 雅宣

【参考文献】
○後藤明著『南島の神話』(中公文庫、2002年)

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2011年1月31日

天照大御神について (6)

 本シリーズでは前回までに、日本の天皇家の祖神である天照大御神が、古代日本人の女性・母性への肯定的評価にもとづいて誕生し、今日まで崇められてきていることを述べ、この女神が“最高神”の地位にありながら、決して全能ではなく、反逆者に対しても武力を行使せず、平和主義者として描かれてきたことを指摘した。『記紀」などの古典にこのように描かれた“温和な女神”は、それでは日本独特の存在なのだろうか? 日本人だけが古来、このような女神を崇拝し、王家(天皇家)の祖神とするまでに重用してきたのだろうか? その問題について考えよう。
 
 これについては、民族学者の石田英一郎氏の研究が示唆的である。石田氏は、「天の岩戸隠れ」の神話にある「隠れた太陽をおびき出す」という物語は、北太平洋に沿うアジア=アメリカ両大陸各地の伝説や神話の中に基本的モチーフとして存在することを、1948年に発表した論文で指摘した。この分類に入る伝説にはアイヌのものもあり、そこではアイヌラックルという英雄が「日の神を函の中に捕えて世界を暗黒にした大悪魔と戦い、これを殺して太陽を救い出した」という。また、この分類の「光を解放する」説話群の中には、エロティックなものを含む「踊り」や「笑い」を用いることで目的を達成するという、日本の神話に似たものもあるという。
 
 一例を挙げれば、カリフォルニア州西岸に住む原住アメリカ人部族、シンキヨーネに伝わる“火の起源”についての伝説は、次のようなものらしい--
 
「昔は火がなかった。人が火を持つようになったのは、ある子供の生れたためである。この子は四六時中ないて泣いて、どんなに手をつくしても泣きやまない。よくきいていると“火がこわい”と叫ぶ。彼は、他の人びとの目に見えぬ火を見て泣くのだった。それはクモがからだの中にかくしている火で、クモはそのためにからだがあんなにふくれているのである。コヨーテが人びとにその火をうる途を告げ、大ぜいの鳥や獣をあつめてクモのところに行く。クモは夜になると、火を体内からとりだし、日中には再びしまいこむのであった。彼らはできるだけ滑稽なまねをしてクモを笑わせようとする。もし彼が笑えば、火は口からとびだすからだ。しかしいろいろ試みてみるが、クモを笑わすことができない。最後にスカンクが尻尾をたてて踊りながらやってくると一同どっと笑い、クモもまた笑ったので、火は口からとびだす」。(『桃太郎の母』、pp.58-59)

 また、「天の岩戸隠れ」の神話では、「常世の長鳴鳥」が天照大御神を呼び出すのだが、これと似たところのある伝承が東南アジアのアボル族に伝わっているという--

「太陽がいってしまって地の下に隠れたとき、国中は暗闇となり、万人は大きな恐怖に襲われ、人びとは、太陽に再び現れるよう頼みにいった。けれども太陽は腹を立てて、地の下に隠れていた。そのとき一羽の長い尾をもった鳥が、ちょうど地平線の下すれすれに、すねて横たわっている太陽の上にとまっていて、人びとに話しかけていた。太陽はその話し声を聞くと、“誰がしゃべっているのだろうか”と叫んで、好奇心から身をおこして見た。彼は彼に請願に来て地上にすわっている人びとを見た。すると彼らは、彼にふたたび戻って世界にその光をそそいでくれるようにと懇願した。」(同書、pp.66-67)

 石田氏は、世界各地の伝説や説話を調べ、それらの中に「天の岩戸隠れ」の神話との共通点を数多く見出した結果、次のように推論する--
 
「これらの神話を構成するいくつかの要素が、多くの異なった民族や地域にわたって、量質ともに、とうていたがいに独立に生じたとは考えられない程度の類似を示すときには、われわれはここに神話の伝播という事実を仮定せざるをえないのである」。(pp.70-71)

 そして、この論文の結論部分には、こう書いてある--
 
「そして以上すべての分析から、われわれの知りうることは、日本の神話が、その記録された時代までの政治的な諸関係や利害による潤色は一応べつとして、日本民族の基層的な文化そのものとともに、幾重にもかさなりあったきわめて複雑な異系統の諸要素から構成されているという事実なのである」。(pp.71-72)

 さて、これだけの材料で、今回の設問に答えることができるだろうか? 私はまだ時期尚早だと思う。しかし、次のことは言えるだろう--日本の神話は、世界各地の神話や伝説から隔離されたものではない。神話を構成する諸要素は、世界各地に古来伝わる説話と相当程度の重複が見られるが、それらの諸要素を日本人が納得する形で取捨選択し、あるいは一部をオリジナルな要素で補足して、日本独特の形に組み上げているのではないだろうか。この点はさらに検討する価値があると思う。
 
 谷口 雅宣

【参考文献】
○石田英一郎著『新訂版 桃太郎の母』(講談社学術文庫、2007年)

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2011年1月27日

天照大御神について (5)

 前回までの本欄で、私は、古代日本人の女性や母性への肯定的評価が、天皇家の祖神としての天照大御神の登場の契機になったと述べた。もっとも太陽神としては、7世紀末より前の時代には、天照大御神ではなく、男神であるタカミムスヒが皇祖神として認められていたらしいことは、本シリーズの2回目で述べたとおりである。しかし、それ以降は、国の中心として延々と続いていく家系の源が女神であることに、日本人は長い歴史を通じてほとんど違和感を感じなかったのだ。このことは、現在の“女性天皇”の是非をめぐる論争を考えるときに、重要な示唆を与えてくれると私は思う。

 ついでに言えば、7世紀から8世紀にかけての日本で“最高神”の地位が男神から女神に移行したことは、この頃に女性の天皇が輩出したことと関係があると思われる。7世紀代には50年以上が、推古(在位592-628)、皇極(同642-645)、斉明(同655-661)、持統(同697-702)など女性天皇の御代であったし、8世紀代も約3分の1に当たる歳月が、元明(同707-715)、元正(同715-724)、孝謙(同749-758)、称徳(同764-770)という女帝であった。この理由について、溝口氏は、前出の著書の中で次のように述べている--
 
「5世紀から7世紀まで、国家神はタカミムスヒという男性神だったし、支配層の氏を代表していたのも男性である。しかしタカミムスヒは急遽外からもってきた神であるし、氏もまだ実態としては、父系出自集団が形成されていない状態で、社会の内部には、女性の首長や女性の天皇をそれほど不思議としない風習が根強く残っていた。アマテラスの国家神化は、このような時代が終末に近づこうとしているころに起きている、したがって巨視的にみれば、これも弥生以来の女性首長の伝統の残存といえなくはない。当時はまだ、トップの神に女神を置くことへの、後世の人々が感じるような違和感や抵抗はなかったに違いない」。(pp.216-217)

 さて、私は先に天皇家の祖神のことを“最高神”と表現した。しかし、日本神話の中での天照大御神の言動を思い出してもらえば、この女神がギリシャ神話のゼウスや、旧約聖書のヤハウェのような「全能の唯一絶対神」とは相当異なることに気がつくだろう。例えば、前回書いた誓約(うけひ)は、弟神のスサノオに邪心がないかを調べるために行われるのだが、ゼウスやヤハウェならば、全能なのだから、そんなことをしなくても相手の心が分かるだろう。また、スサノオの内心がどうあろうとも、全能の神ならば高天原に誰が来ようとも、びくびくする必要はないのである。さらに言えば、有名な「天の岩戸隠れ」が起こるのは、姉神がスサノオの乱暴狼藉に怒って姿を隠してしまうからである。こんなに臆病で消極的な“最高神”では、全宇宙を治めることなどとてもできないだろう。
 
 しかし、我々日本人は、このような女神を長らく愛し、国家の“最高神”としての地位を与え続けてきたのである。角川書店の『世界神話事典』は、そんな女神が天皇家の祖神であり続けた理由を、次のように推測している--
 
「この女神の特徴の一つは、その徹底的な平和主義である。高天原に上ってくるスサノオに向かうときに武装はしても、実際に戦いはしないし、スサノオの横暴な振る舞いに対しては、自らが岩屋戸に閉じこもるだけである。こうした平和主義的な女神のあり方が天皇という元来は祭祀的・宗教的な支配者の形態と類似していたから、アマテラスは皇祖神とされたのであろう」。(p.174)

 谷口 雅宣

【参考文献】
○大林太良、伊藤清司他編『世界神話事典』(角川学芸出版、2005年)

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2011年1月25日

天照大御神について (4)

 前回の本欄では、「天照大御神」の名が初めて登場する『古事記』という書物の成立について簡単に触れた。その目的は、この神のイメージ形成には女性が関与している可能性があるということを述べたかったからだ。民俗学者の柳田國男氏も、そのことを『古事記』の記述の全体のトーンから推測できると指摘していた:
 
「『古事記』はその体裁や資料の選択から、むしろ伝誦者の聡慧なる一女性であったことを推測せしむるものがあるのである。たとえば美しい歌物語が多く、歌や諺の興味ある由来談を中心にして、しばしば公私の些事が記憶せられ、政治の推移を促したような大事件が、かえって折々は閑却せられていること、従って事蹟が幾分か切れ切れになっており、またわずかな思いの違いの交っていることなどは、すなわち与えて保持せしめられたものでない証拠であった。言わば史実としてよりも、心を動かすべき物語として、久しく昔を愛する者の間に相続せられていた事情を考えさせられる」。

 作家の長谷部日出雄氏は、『古事記の真実』の中で柳田のこの文章を引用して、稗田阿礼女性説に賛意を表している。この説に説得力があるのは、柳田氏が指摘するような『古事記』の全体的特徴だけでなく、そこに描かれた「天照大御神像」そのものに、女性に対する好意的価値判断が織り込まれているからである。次に、この好意的判断の例を眺めてみたいが、その前に、私がこれから書くことは、生長の家の信仰の対象としての“神のイメージ”ではないことを強調しておきたい。それは、聖経『甘露の法雨』や『生命の實相』の中ですでに繰り返し説かれている。私が本欄で描きたいのは、あくまでも古典に描かれた「天照大御神」のイメージである。
 
 すでにご存じの読者もいると思うが、『古事記』と『日本書紀』の間では、この神のイメージに関連して正反対の記述がある。それは、伊弉諾尊(イザナギノミコト)から高天原の支配をゆだねられた天照大御神のところへ、弟神である須佐之男命(スサノオノミコト)がやってきた時、弟が姉に対して自分の心に悪意がないことを証明する誓約(うけひ)を行う場面だ。これは一種の占いで、姉弟の二神は、それぞれ自分が身につけていた剣や玉を相手に渡し、口に含んで噛み砕いたものを霧のように吹き出すことで子供の神を生む。そして、生まれた子神の性別によって心中の悪意の有無を証明するという行事である。

『古事記』本文の記述では、姉神が男子5人を生み、弟神が女子3人を得る。すると、弟神は自分は力の弱い女子を得たのだから、自分の清明心が証明されたとして喜ぶのである。これに対し『日本書紀』の本文では、弟神は男子5人を得て「勝った」と言って喜ぶのである。その理由は、「女を生めば汚れた心があると考え、男を生めば清い心がある考える」からだという。『日本書紀』は、これ以外にも異伝をいくつも併記しているが、その中の「一書に曰く」では、弟神は自分の持ち物を噛み砕いて男子6人を得るところが本文の記述と違っている。しかし、これによって弟神は自分の清い心が証明されたと言うところは同じである。姉神はその理由について、自ら「あなたが邪な心をもっていなければ、あなたは必ず男の子生む」というのだ。

 複雑な比較なのでわかりにくいかもしれないが、ポイントは「男女どちらの子を生めば清い心をもつとされるか」という判断にあると思う。『古事記』はそれを「女」だとし、『日本書紀』は「男」だと解釈している。このことから、『古事記』の作者には女子を得ることにマイナスのイメージをもつ心がなかったと推測できるのである。また、この心的態度は、『古事記』の作者だけでなく、その編纂に深く関わった太安万侶や天智天皇も共有していたと考えられるのである。
 
 このことに関連して、心理学者の河合隼雄氏は、『日本書紀』にいくつもの異伝が併記されているのは、当時、父性と母性のどちらを重視するかに混乱があったか、どちらかを決定的に優位とすることへの迷いがあったと解釈している。そして、『記紀』全般の比較を、次のように述べているのが興味深い:
 
「ただ、どちらかと言えば、『古事記』は母性原理優位で大体一貫しており、おそらくこれが古代日本の姿で、『日本書紀』は中国のことなどを考慮して、父性を正面に立てようとするが、やはりそれによって全体に整合的な物語とするのは難しかったのであろう」。(『神話と日本人の心』p.139)

 このように見てくると、日本の古典の中に天照大御神が登場し、それに天皇家の祖神としての地位が与えられた背後には、男性や父性との比較のうえでも、女性や母性への肯定的評価を古代の日本人が共有していたからだと言えよう。

【参考文献】
○長谷部日出雄著『「古事記」の真実』(文春新書、2008年)
○河合隼雄著『神話と日本人の心』(岩波書店、2003年)

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2011年1月24日

天照大御神について (3)

「天照大御神」という女性太陽神を正面に掲げていることが日本の神話の特徴の1つだと言えることと、『古事記』の“作者”とは関連があるかもしれない。もし“作者”が女性であれば、作品の中に描かれた太陽神も女性的になるか、少なくとも女性蔑視の物語を作品の中には入れにくいと思われるからだ。ただし、この推論は、あくまでも現代人が文学作品を書く状況から考えたものだから、古代人が伝承されてきた神話を文字に表すときの状況には、必ずしも当てはまらない可能性はある。

『古事記』の成り立ちについて、一般の私たちは単純な理解をしてきたのではないだろうか。それはつまり、『古事記』は日本最古の書物で、『日本書紀』はそのあとの国史編纂事業によって生まれた“正史”である、というような理解である。その一例を示せば、早大文学部名誉教授の水野祐氏は『日本神話を見直す』の中で、こう書いている--「『記』は元明天皇の和銅5年(712)正月28日に勅命をうけた太朝臣安万侶(おおのあそんやすまろ)が編纂し献上した現存する最古の史書である。」(p. 36)

 この記述は、しかし、『古事記』の序文に書いてあることをそのまま事実としたものだ。平凡社の『世界大百科事典』(1988年)の「古事記」の項目を書いた倉塚曄子氏は、同書の編纂事情を語るものはこの序文だけだと書いたうえで、序文の内容を、次のように簡潔にまとめている--
 
「天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ)に資料となる<帝紀・旧辞>を誦習させたが、完成せず、三十数年後、元明天皇の詔をうけて太安万侶がこれらを筆録し、712年(和銅5)正月に献上したとある。」

 この稗田阿礼という人物のことだが、倉塚氏は「男性であったとする説もあるが、神の誕生を意味するアレという名や≪古事記≫の内容からして、巫女とみた方がよい」としている。阿礼が巫女であった場合、彼女はどうやってあの大部の『古事記』を誦習したのだろうか。「誦習」とは、紙に書かれた古い記録を見て学習したり、書写するのではない。当時の日本にはまだ文字が十分普及しておらず、教育を受けた一部の高官(すべて男性と思われる)が中国語である漢字を学び、使っていたにすぎない。だから、女性である阿礼は漢字が読めない。すると、人から聴いた伝承を口で唱えて憶えたということだろう。それを三十数年後になってスラスラと暗唱した、というのである。
 
 前回紹介した溝口睦子氏の描写によると、天武天皇の勅命(681年)以降の『古事記』編纂の過程は、次のようになる--
 
「しかし天武天皇は、この仕事が書物として完成しないうちに没し、その後三十年の歳月が経過する。和銅4年(711)9月18日、時の天皇元明は、太安万侶に“稗田阿礼がよんだ、天武天皇の勅語の旧辞を、撰録して献上するように”と勅命を下した。翌年(712)の正月28日、勅命を受けてから僅か4カ月余りで、安万侶が見事に文章化して献上したのが『古事記』3巻である」。(p.194)
 
 そんなことは人間業として不可能だから、この『古事記』の序文の記述は史実でないとする見解は少なくない。溝口氏はこの点について、「記憶力抜群で、古い記録の多種多様な表記や訓(よ)みを一度見たらけっして忘れない、優秀な官人(舎人)である稗田阿礼を選んで“帝紀・旧辞”の勉強をさせた。そして阿礼を相手に、周囲に補助する人は多数いたであろうが、天武はみずから歴史書の骨格を組み立てたのではないか」(p.193)と推測している。
 
『古事記』はだから、女性と思われる稗田阿礼という人物だけを直接のソースとして書き下ろされた、と考えられる。とすると、『古事記』の中に女性の観点がいくばくか混入していたとしても不思議はない。さらに譲って、仮に阿礼がテープレコーダーのような記憶によって、自分の考えなど決して付け加えずに、大部の帝紀・旧辞をそのまま暗唱できたとしても、重要な国家事業である歴史書の編纂に女性を深く関わらせるという当時の支配層の考え方が、『古事記』所収の物語の中に反映している可能性は大いにあると言えるだろう。

 谷口 雅宣

【参考文献】
○水野祐著『日本神話を見直す』(学生社、1996年)

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