科学技術は選択すべし
前回の本欄では、“人間が生んだ地球”の上で「技術社会を放棄せずに、人間の尊厳を保って生きていくにはどうすべきか?」という問いかけをした。アメリカの2人の大学教授は、先端技術の「影響をより深く知り、その中で理性的に、責任をもって、倫理的に生きる」べきだと書いていたが、具体的にどうしたらいいかは述べていない。私は、年ごとに強力となり、影響力を増しつつある科学技術について、全部を否定したり、全部を丸ごと肯定するのではなく、それぞれの技術の性格をよく知り、それを使うであろう我々人間の(現象的な)性質を考慮し、理性的に、責任をもって、倫理的に考えれば、ある種の科学技術については、人類として使用を禁じたり、制限するという「取捨選択」が行われるべきだと考える。
このことは、核兵器や生物・化学兵器などの大量破壊兵器に関しては、相当程度の国際合意ができている。また、戦争法規の分野でもかなりの合意があり、“人道に関する罪”という新しい概念もできつつある。大体、「兵器」と呼ばれるものは皆、科学技術の産物である。その中で破壊力が著しいものを選んで、開発や使用を制限することができるのだから、戦争のためでない科学技術の分野でも、同じことができないはずはない、と私は考える。そういう意味で、今日、原子力発電という技術を取り上げ、今後の利用の是非について世界中が検討を進めていることは、好ましいことだと思う。世界的な合意は簡単にはできないだろうが、“人間の作品”を全面的に肯定する段階から、人類は一歩成長したと見ることができるからだ。
ところで、福島第一発電所の事故の調査・検証委員会の委員長になった畑村洋太郎・東大名誉教授が、5月30日の『日本経済新聞』で“人間の性質”について興味ある見解を述べている。それによると、人間には次の3つの習性がある--
①見たくないものは見ない、
②考えたくないことは考えない、
③都合の悪い事柄はなかったことにする
畑村名誉教授によると、これらの習性から生じた“人間万能”の錯覚が、今回の大震災で津波被害や原発事故を拡大させたというのである。簡単に言えば、人間は間違い、失敗するという事実を忘れ、科学技術の力を“過信”したことが悲劇を生んだのだ。その畑村氏が、こう言っている--
「原子力はエネルギーを取り出すのに大切だが、ものすごく危ないものだとの前提で付き合うべきだった。完全に制御することはできないうえ、いったん制御が外れると暴走を止めるのは容易でないことを認識しておくべきだった」。
が、同時に畑村氏は「日本が原子力を使わずに生きていけるとは思わない」と書いている。私はこの点、同氏とは意見が違う。今、日本全体の原発の7割ほどが停止している。しかし、日本人はちゃんと生きているのだ。25日の『朝日新聞』夕刊によると、日本学術会議は目下、原発の即時撤退から段階的な自然エネルギーへの代替、原発推進まで4つの選択肢を検討しているという。すなわち、①原発を即時全面停止して火力などで代替する、②5年程度で原発分の電力を自然エネルギーと省エネで代替する、③20年程度で原発分の電力を自然エネルギーで代替する、④誰もが安全だと認める原子炉をつくり、将来も重要なエネルギーとして位置づける--の4段階だ。
私はこの中では、ぜひ②を選んでほしい。もし、いろいろな理由でそれが無理なら、せめて③の方向へ日本は進むべきだと思う。新しくやることは山積している。菅内閣の不信任案が国会で否決されたが、日本の政治家はこんな政争にうつつを抜かしている暇などないのである。
谷口 雅宣

