2009年12月20日

古い記録 (10)

 本シリーズはすでに9回にわたって書き継いできたが、補足したいことが出てきたので、いったん私の18歳当時にもどって検証させてほしい。およそ1年前の第6回目では、私が18歳で両親のブラジル講演旅行についていったことに触れた。その際、自分のブラジル行きの動機については不明であると、次のように書いた--
 
「一大学生であった私には、生長の家の公式の役職は何もない。なぜついて行ったか私は憶えていないが、そのとき51歳だった父の方からアクションがなければ、私の同行はあり得なかったに違いない」。

 この父の「アクション」の目的を示すと思われる資料に最近、付き当った。それは当時、父が青年向けの雑誌『理想世界』に連載していた「窓」というコラムの記事で、昭和45(1970)年8月号に載ったものだ。私たちのブラジルへの出発が同じ年の7月20日であるから、原稿はその数カ月前に青年に向けて書いているはずだ。父の息子への思いが投影されていると見ることができるだろう。それは、次のようなものだ--
 
「数多くの動物心理学者の研究によると、全ての動物は、その幼少期に巣や箱や柵の中に閉じこめられていると、成長してからの能力に重大な欠陥が生じて来るのである。幼少期に数多くの体験をつみ、自由に飛びまわることの出来た動物は、非常に力がつき、能力があらわれる。その故、動物は幼少期の『教育』が如何に大切かということが分る訳である。これは人間についても勿論当てはまるのであって、幼少年期に“間違った教育”をされ、『型』にはめられてしまうと、折角の才能が圧殺され、使いものにならなくなってしまうのである。それ故青年諸君は、自分で自分を限定して、自分を小さな『心の柵』の中に閉じ込めるような愚かなことをしてはならない。我々は『自由』の天地で、のびのびと才能をのばそう。それは人間を『神の子・無限力』と認めることであり、思い切って新しい行動に踏み出すことである」。(同誌、p.76)

 人間の18歳が動物の“幼少期”に対応するかどうかは定かでないが、父の気持としては「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という格言にあるように、受験の苦労を知らず、生活にも何の不足も感じずに18歳になった息子に対して、まったく新しい世界を見せ、新しい体験をさせることが必要だとの確信があったに違いない。そういう父の思いを、18歳の私がどのように受け止めたのか……残念ながら今の私には記憶がない。が、ブラジルから帰国して約半年後、同じ『理想世界』誌が行った鼎談で、私がそれに触れている部分がある--
 
谷口 最初行く時は、初めての海外旅行でもあり、写真でも撮ってこようか……と思っていたのです。そういうつもりでいって、いわば一種の利己主義的な気持で行ってみて、向うで誌友の方々と接触しているうちに、それではいかんのじゃないか--と思いました。非常に国全体に活気があって、これからまだまだ発展する可能性が感じられました。それからやっぱり一番大きい感想は、国土が広いということです」。(同誌、p.62)

 最初は、海外旅行気分でブラジルへ行ったが、現地での生長の家の発展ぶりと、ブラジル信徒の真剣さに直接触れて、自分のナマクラな心構えを反省したということだろう。具体的にどんな点に感動したかについては、日伯の青年大会の比較をこう話している--
 
谷口--日本の場合は僕は受講者として受けた訳ですが、ブラジルでは壇上に上がった訳で、全然比較出来ない訳ですが、ブラジルでは会場に入りきれない人達が、窓の外から一所懸命覗き込んでいるんです。父が、『あの人達は何をしているんだ』と聞いたら、日本語が分からない人達が来ていて、会場に入り切れないんだけれども、分からない日本語の講演を一所懸命聴いている……日本では、毎年全国大会があって谷口雅春先生の御話を聴く事が出来るし、遠いといってもブラジルの人達に比べたら知れているわけですね。あちらでは、青年大会に出席する為に、アマゾンの人達など、一週間、車を飛ばし続けて来られているわけですね」。(同誌、p.63)

 それほどの真剣さで、生長の家の教えを学ぼうとしているブラジル人が大勢いることに感動したのである。では、帰国してから、当時の青年会の運動に何を感じたかについて、私は次のようにコメントしている--
 
谷口 僕は、生長の家の青年会員について考えてみた時、青年会というのは誰のことかと言えば、僕のことなんですね。(笑いと頷き)言い辛いことなのですが、その僕自身をじっと振返ってみた時に、生長の家の生活・運動というものと僕自身の生活と二刀流で生きているのですね。僕の知っている方の中にも生長の家の教えを把握しておられて、生長の家の組織のことは全然なさらないで、芸術家としての活動に没頭してられる方もあります。(…中略…)自分が生長の家の信徒である、誌友であるということを胸を張って言える人が、いかに少ないか、という事を痛感します。生長の家の運動と自分の生活とを二つに分けていて、自分の生活に都合の良い時にのみそれを表明し、悪かったらかくしておく--そういうのではいかんのじゃないかと思うのです。そういう点でブラジルの青年会員の人達は見事に一本になっている。そういうところから、本当の情熱が湧いて来ているのだと思いましたね」。(同誌、p.65)

 この発言は、意味が分かりにくい。が、たぶん「信仰と生活が分離している」ということを言いたいのだろう。信仰者であると言いながら、実際の生活は信仰的でない。当時は生長の家でも学生運動が盛んだったから、そういう政治的な言動に信仰者としての疑問を感じるということだろうか。また、生長の家の名前を隠して政治運動をしているグループもあったから、そういう動きを暗に批判しているのかもしれない。また、組織運動が政治に巻き込まれているということを指摘しているのだろうか……とにかく、そういう“二重の生き方”が自分にもある、と認めている点は注目に値する。
 
 谷口 雅宣

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2009年12月10日

グラフィティのこと

Graffiti_bra2  私は今夏、ブラジルのサンパウロ市に行ったとき、その街の真ん中に、道路脇の塀やビルの壁などに、巨大なグラフィティがいくつも描かれているのを見て、驚いた。それを写真に撮って本欄(7月28日)で紹介したこともある。グラフィティが珍しかったからではなく、何か“懐かしい”思いがしたのであり、そんなものを地球の反対側で今ごろ見るなど、予想もしていなかったからだ。私が学生の頃の1970年代には、東京にも、ニューヨークにもグラフィティは多く描かれていた。特に、ニューヨークの地下鉄の車体のグラフィティは、若い私に強烈な印象を与えた。

Nyc0923  私は当時、マンハッタンの西120丁目あたりの学生寮に住んでいて、116丁目にあるコロンビア大学に通っていた。ダウンタウンから地下鉄に乗ってこの寮へ帰るためには、西125丁目の駅で降りるのが一番近いのだが、この駅は地下にはなく、高架橋の上にあった。つまり、地下の路線をアップタウンに向かって北上する地下鉄は、この駅の手前で地下から姿を現し、道路の高さを超えて、さらに地上数メートルの高さにある125丁目の駅ホームに入るのである。この過程で、坂を上ることが得意でない地下鉄は、急にスピードを落とし、キイキイ、ガタガタと苦しげに車体を軋ませながら、ゆっくりと駅に入る。その時、グラフィティが塗りたくられた車体を白日の下に晒すのだった。

 その西125丁目の駅が、ハーレムの入口に当たっていた。そこから東に延びる黒人街は、今はだいぶ安全になったようだが、当時は「あまり行くな」と言われていた。実際、在学中、私は必要がない限り、その駅から東側へ行くことを避けていた。そういう“不気味”な印象と、“秩序への反抗”を思わせる地下鉄のグラフィティのイメージが、青年時代の私の中では重なっていた。手っとり早く言えば、グラフィティは一種の“禁断の芸術”であり、“近づくな!”という警告の印。さらには、“不可解なアメリカ”の象徴のようにも感じられたのである。

Nyc0919  それが今夏、ブラジルへ行って30年ぶりに“再会”を果たし、その帰途にニューヨークに寄った際にも、また出会った。そのときの印象は、若い当時のものとは少し違っていた。それは“禁断の芸術”なんかではなく、何か懐かしい、当たり前のポップアートだと感じた。もちろん、このアートが反社会性を含むときは好ましいとは言えないが、許された場所で、他人の財産を無断で汚したりしない場合は、面白い表現手段だと感じたのである。その時に撮影したグラフィティの写真を何枚か、ここに掲げてある。
 
 谷口 雅宣

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2009年11月24日

絵封筒展へのご協力に感謝!

 10月24日の本欄で告知させていただいたが、11月20~22日には、秋季大祭を機に生長の家総本山の練成道場第2研修室で「谷口雅宣絵封筒展」が開催された。これには多くの幹部・会員の方に訪れていただき、主催した世界聖典普及協会の報告では、出展された絵封筒全64点は完売されたという。「森林資源再生」という本展の趣旨に賛同し、ご協力くださった読者の皆さんに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
 
 実は、私も妻と一緒にこの展覧会へ行ったのである。21日の夕方のことで、こっそり行っEfutoten_2009 たつもりなのに、楠本行孝・総務以下多くの方々に玄関で出迎えを受け、会場まで案内していただいた。自分の作品を見るのは気恥ずかしいが、人さまにお金を出していただくのに、仕上がり具合を見ないわけにはいかない。私が絵封筒の中に入れた手紙文も、額装中にきちんと納まっているのを見て安心した。その時どういうわけか、会場で“偶然に”会った方々と記念写真を撮ることになった。今日、その写真を回していただいたので、ここに掲げる。
 
 売れてしまった絵封筒は、その縮小版が小関隆史氏の運営するサイト「光のギャラリー~アトリエTK」上にまだ掲載されている。また、今後描く絵封筒は、新しい普及誌と連動するサイト「PostingJoy」の「絵手紙・絵封筒」のコーナーに登録される予定である。私もメンバーの1人として、このサイトに時々顔を出している。絵手紙・絵封筒ファンの読者の方々は、また、ウェブ版「日時計日記」の常連さんも、このサイトのメンバーになって大いに運動を盛り上げていきましょう。

 谷口 雅宣

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2009年11月 1日

桜島の火山灰

 今日は鹿児島市で生長の家講習会が開催された。妻と私は前日から鹿児島入りしていて、その日は晴天で夏を思わせる暖かな気温だった。鹿児島県のシンボルである桜島は、普段より多く噴煙を吹き出している、と出迎えの人が教えてくれた。しかも、南風が吹いているため、鹿児島市内に火山灰が降るのだという。そして、そういう日が2~3日続くと、同市内には雨が降って灰を流してくれるのだそうだ。その時はこの話を「へえー」っと思って半信半疑で聞いていたが、翌日になって本当に雨が降ったから、驚いた。そして、講習会が終る頃には再び晴天となった。
 
Haitohana  桜島の火山灰と雨との関係を聞いたとき、ロシアか中国が大きなイベントのある日を晴天にするために、事前に人工雨を降らせるという話を思い出した。ウィキペディアで調べてみると、雨や雪が生じるためには、雲の中に氷の粒ができる必要があり、その氷晶を作るものは空気中に浮かぶ微小な粒子だと書いてある。そして、この微小な粒子とは、「主に海の波飛沫で吹き上げられた塩の核であり、他に陸上から生じた砂塵などの粒子もある」とあった。だから、桜島から吹き上げられた火山灰が、氷の結晶ができる“核”になる可能性はあるのではないか、などと素人考えで想像する。
 
Sunadashi  桜島の火山灰はとても細かいそうだ。だから、桜島に住む人々の家には樋(とい)がないらしい。火山灰が雨で流れずに、樋を詰まらせてしまうのだ。そう言えば昨日、宿舎のホテルの周りを歩いたとき、道路脇に「克灰袋」を置く場所を指定する標識があるのを見つけた。自宅の敷地内に降った火山灰を集めて回収し、建設資材の一部に利用するのだそうだ。そのための袋を「克灰袋」と呼ぶのが、おもしろい。「灰を克服する」という意味だろう。それほど、火山灰はこの地の人々の生活圏に深く侵入してくるのだろう。黒い自動車が灰白色になっていた。植物の葉や花にも灰が積もって、色が変わっていた。戸外を歩いていると、時々目に何か細かいものが入った。そんな中でもジョギングをする人の姿を見かけたから、健康上の問題は深刻でないのかもしれない。
 
Graycar  活火山とともに生きるというのは、なかなか大変なことだと感じた。が、火山があるために、他の地域では味わえないよいこともあるはずだ。講習会の終了後に、鹿児島市の北方にある「仙巌園(せんがんえん)」という所へ寄った。薩摩藩の第19代藩主、島津光久の別邸跡を一般公開しているところで、約5万平方メートルの庭園と立派な平屋の屋敷とは、桜島を正面にして造られている。説明書には「錦江湾を池に、桜島を築山に借景した雄大な庭園」とあるから、昔の人たちがこの山をいかに愛していたかが分かる。噴煙を出しながら刻一刻と表情を変える山が、いつも目の前にあるのとないのとでは、きっと自然に対する考え方や生き方も変わってくるのだと思う。
 
 谷口 雅宣

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2009年10月24日

絵封筒展、開きます

 10月13日の本欄で私の絵封筒について触れたとき、11月に長崎県西海市の生長の家総本山で行われる秋季大祭を機に、これまで描いた作品を集めて絵封筒展を開くことを検討中だと書いた。おかげさまで、総本山と世界聖典普及協会のご協力により、同本山の練成道場第2研修室で「谷口雅宣絵封筒展」を開催することがこのほど決まった。期間は、11月20日の午後から22日の午後3時半までで、約70点の絵封筒が展示即売される予定。昨年夏に宇治別格本山で展覧会を行ったときの絵封筒の出品数は34点だったので、その倍ほどの数がお楽しみいただける。主催者の世界聖典普及協会では、この展覧会に合わせ、私の絵封筒の絵柄をあしらった来年用卓上カレンダーも頒布するという。

 さて、今日は生長の家講習会で群馬県の太田市藪塚町というところに来ている。ここは桐生市の隣町で、講習会は山を一つ越えた桐生市の市民文化会館で行われる。その前日のひと時を、この鄙びた温泉町で過ごすことができた。温泉町とはいうが、温泉宿は私たちが止まったホテルを含めて、3軒ぐらいしかない。かつては栄えた町だったであろうが、今は訪れる人の数が多くないことは、町のあちこちに掲げられた店の看板の古さや、旅館の壁の傷み方、温泉宿近くの神社の庭の荒れ具合などから想像できる。それでも私たちが泊まったホテルには、日帰りで温泉を楽しむ地元の人々が多く集まってきていて、広い駐車場もほぼ満杯状態だった。私たちは夕食前、そんなホテル界隈を散策して、町の様子をゆっくりと味わった。
 
 寂れた町にもいいところはある。特に、“旅人の目”で見る静かな夕暮れ時の田舎道は、Ginnan_gum なぜか心を落ち着かせてくれる。住む人が少なくなっても、その逆に自然の力が諸所に豊かに発揮されているのが分かるからだ。私はそれを地元の産土神社近くにあった廃屋の屋根の上に見た。廃屋の隣には、幹の太さが二抱えもあるイチョウの雌木が立っていて、錆びたトタン屋根の上にびっしりと銀杏の実が落ちていたのである。私はその時、講習会で福岡へ行った際、博多の街のイチョウ並木の下に落ちた銀杏の実を、地元のおばさん達が目を皿のようにして拾っていた姿を思い出した。都会での“貴重品”も、この地では拾う者は誰もいない。その代り、それらは自然の循環の中で、しっかりと役割を果たしながら息づいているのだった。
 
 銀杏を敷きつめてありトタン屋根
 
 谷口 雅宣

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2009年10月12日

グーグルのブック検索 (2)

 グーグル自身は、著作(権)者のこういう心配を意識していて、そうならない方法をいろいろ工夫しているようではある。例えば、現在の日本語のグーグル「ブック検索」では、スキャンした本の全部ではなく、一部が表示される。また、著作(権)者が同意しない本については、検索してもまったく表示されないか、あるいは表示される箇所がきわめて限定的だ。そして、検索ページには、次のような説明文も出る--
 
「図書館プロジェクトでブック検索に登録された書籍の場合は、著作権の状況によって閲覧できる範囲が決められています。Google では、著作権法および著者の多大な努力を尊重しています。著作権が失効しており、著作権保護の対象とならない場合は、書籍全体をブラウズしたり、ダウンロードして読んだりすることができます。著作権で保護されており、出版社または著者がパートナー プログラムに参加していない場合は、図書カード カタログのように、書籍の基本情報と、場合によっては書籍の抜粋、つまり検索キーワードの前後の文章が表示されます。」

 それは確かにその通りなのだが、これは前回の本欄で触れたアメリカでの“和解”が成立する前の、旧バージョンでのサービスのことだ。今後、日本も含めて世界的に実施される新バージョンの「ブック検索」では、1冊の本の全文検索が基本となるだろう。この場合、著作(権)者は、グーグルの新サービスに「登録しない」ことも選べる。が、現在のようにインターネット検索サービスがグーグルによって寡占状態にある場合、そこに登録しないことは、著作物や著作者が世界的に認知されないことになる。だから、著作(権)者は、自分の著作物が事実上、世界的に葬り去られるか、それともグーグルを信頼して全内容の同一性や権利保全の完全性を任せるか、の二者択一を迫られることになるのではないか。
 
 こういうサービスが、国際機関のような公的な機関がやるのであれば、それはむしろ望ましいことだ。が、ご存じのように、グーグルはアメリカの一私企業であり、現に自ら手掛けた検索サービスから莫大な広告収入を得ている。そして、広告の値段は、検索の結果、パソコンの画面に表示される該当書籍の順位と関連させて決まるのである。そういう私企業1社に、全世界の書籍の全文検索と表示順位の決定を任せてしまうリスクは、相当大きいと思う。ここのところが、私にとって最もひっかかる点だ。
 
 グーグルの共同設立者の1人であるセルゲイ・ブリン氏(Sergey Brin)は、10~11日付の『ヘラルド朝日』紙に論説を寄せて、同社のブック検索の目的について述べている。それによると、このサービスの最大の目的は、図書館や古本屋の本棚に埋もれてしまっている絶版本などの古い書籍を、全世界の読書人の前に提供するとともに、それらの書籍の権利者に対して相応の対価を支払うことだという。私は、この目的については異議を差し挟まない。私の心配は、上にも書いたように、この業界で事実上、独占的力をもつ一私企業が、世界中の全書籍の内容を入手し、それを全世界に提供する際に、公平中立の立場からできるとは考えられないという点である。
 
 ブリン氏は、グーグルがこの分野で成功すれば、他社が市場に参入して競争が行われること、また、著作(権)者はグーグルへの書籍の登録をいつでも取り消すことができることなどを挙げて、自らの目的の正当性を訴えている。が、これらの主張は、本質的には「競争によって市場が選択するものが残る」という自由競争の論理であり、公平性への疑問に対する反論になっていない。インターネット検索の市場がグーグルにきわめて有利な方向に“歪んでいる”現状にあっては、公平性を保証するための説得力ある方策を提示してほしい。

 谷口 雅宣

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2009年10月11日

グーグルのブック検索

 インターネット検索最大手のグーグル社(Google)は、その莫大な資金力と斬新な発想を後ろ盾にして次々と“常識”や“前例”を書き換えているが、その業務の中で私が気になっているものがある。それは「グーグル・ブック検索」(Google Books Search)というサービスだ。これは、書籍をスキャンして内容を電子情報化し、それをパソコンレベルで検索/閲覧可能にしようというものである。その規模は“世界的”である。つまり、これまで全世界で出版されたすべての本を対象としてるように見える。「見える」と書いたのは、グーグル自身はそれをハッキリ言わないからだ。が、グーグル・アースやグーグル・ストリートビューなど、これまで彼らが開発してきた新サービスを見ていると、やりだしたことは全世界で徹底してやる会社だから、きっとそれが目標だと思う。
 
 このサービスが実現すれば、昔の絶版本や再販未定本がいつでも手軽に読めるから、利用者にとっては、大変便利になる。が、本の著作者にとってはショッキングな計画だ。私のようなもの書きにとって不安なのは、彼らが著作者や著作権をあまり重視しないように思える点だ。

 言うまでもなく、本には著作権がある。これは、1冊の本を書くのに費やされた著作者の労力や工夫、金銭的負担、学芸的価値などを認め、それを保護するためのものだ。これが保護されず、ある本の一部が、著作者に無断で別の本の一部を構成していたり、小説の主人公の名前が違うだけで、その他の登場人物やプロット、文章表現などのすべてが別の小説と同一であったりしたら、これは著作物の“盗作”であり、盗作者は、著作者よりはるかに楽に、また安価に“著作物”(と言うべきかどうか疑わしいもの)が書ける。盗作者は努力をせずに、著作者の創意や工夫を自分のものとすることができ、本来ならば著作者に行くべき本の印税も、盗作者に行くことになる。これでは、努力して著作物をつくることがバカらしくなるから、優れた著作物をつくろうとする人はいなくなり、つまらないモノマネや、インチキ研究ばかりが社会に氾濫する。文化や学問は衰退するばかりだ。
 
 だから、米国出版社協会(AAP)と米国著作者協会(AG)は2005年、「著作権で保護されている書籍をスキャンしてデータベース化する行為は著作権侵害に当たる」として集団訴訟を起こした。そして昨年、①アメリカにおいて著作権が保護されている書籍、②著作権が失効している書籍、③著作権は保護されているが絶版となり、著作権保有者が見つからない書籍、の3分類に入る書籍を対象に、グーグルの業務を容認する代りに、売り上げを分配するという和解条件(PDF)で合意した。ただし、裁判所でのこの和解内容の審理はまだ終っていない。この和解は、アメリカ国内だけのように見えるが、国外の本も事実上の対象となる。なぜなら、日本やヨーロッパで出版された書籍も、アメリカの図書館などに大量に所蔵されていて、万国著作権条約によって上記3分類のいずれかに含まれると考えられるからだ。

 著作物の盗作の問題は、もちろんグーグル発足以前からある。が、電子情報時代の盗作は、個人のパソコンを使って簡単にできる。昔のように本を見ながら一文字一文字を書き写す必要はなく、数回のキー操作によって何十ページもの複製が数秒でできる場合もある。だから、そういう方法で新聞記事や文学作品が書かれた著作権法違反事件が、日本でも近年増えつつある。グーグルのブック検索が、そういう方向に世界を牽引していかないかどうか、が私の心配である。
 
 谷口 雅宣

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2009年10月 4日

小樽、火点し頃

Beforedark  今日は、北海道の小樽市で生長の家の講習会があった。好天の中、年季が入った小樽市民会館には、前回を40人近く上回る1,464人の受講者が集まってくださり、半日、和やかな雰囲気のもとに会がもてたことは、誠にありがたかった。「年季が入る」という表現は、一つの仕事に長年従事している「人」を表す言葉で、建物に使うことは邪道かもしれない。が、この町には、相当数の歴史的建造物がよく保存されているから、こういう擬人法が何となくしっくり合うのである。

Evening  前日に宿泊したホテルは、中高年の観光客を中心にほぼ満室だった。妻と連れ立って夕暮れの町を歩いたが、風があって「寒い」と思った。10月の北国だから当然だが、今年の夏以降では初めてで、もうそこまで来ている冬の気配を感じた。小樽港には、大型客船の「飛鳥」が停泊中で、その白い船影が町に華やかさを添えていた。しかし、私たちはそういう港や運河近くのダウンタウンではなく、もっと高台にある駅周辺を散歩した。そこは観光地とは趣がやや違い、庶Barbourshop民の生活が感じられる小路がある。そこを通ると、ネパール人が経営するカフェなど、予期しない小さな店が現れ、興味がつきない。本当は、 そういう店に入りたいところだが、限られた時間では“印象”を写真に記録するしかなかった。
 
 谷口 雅宣

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2009年9月 2日

ブラジルを巡講して

 本欄ではすでに何回か報告したことだが、私がこの8月にブラジルを巡講した際の様子を、短いビデオにまとめた。2分ほどの短編で、サンパウロでの国際教修会(8月1~2日)、ベレンでの一般講演会(8月4日)、サンパウロでの生長の家全国大会(8月8日)の様子に加え、いくつかの未公開の映像も組み入れてある。興味のある方は、ご覧あれ。
 
 谷口 雅宣

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2009年8月14日

日本に帰りました

 今日の午後、ニューヨークから成田へもどった。順調な飛行で時差ボケ以外は、特に体調の変化はない。7月26日から3週間の旅だったが、終ってしまえばあっけない感じだ。帰りの航空機の中でニューヨークで買った本を読み、また同市で撮った写真のアルバム作成をした。本については、別の機会に紹介することがあるかもしれない。写真アルバムはこのサイトに公開したので、興味のある方はご覧あれ。
 
 谷口 雅宣

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