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2011年9月14日

本欄が抱える問題について

 9月2日に本欄を書いたまま2週間ほど更新していないので、私の健康状態を心配してくださっている人がいるかもしれない。が、私は健康なのでご安心願いたい。11日に函館の生長の家講習会から帰って以来、少し疲れが出たことは告白するが、もう回復している。私の本欄への“筆無精”は、だから健康状態によるよりも、別の理由による。実は最近、本欄のような形式の文章に制約と限界を感じるようになったのである。だから、この形式を今後ずっと続けていくべきか、あるいは別の形式のものに変えるべきかを迷っている。そこで今日は、本欄を愛顧してくださってきた読者諸賢のご意見を聞くためにキーボードを叩いている。
 
 函館の講習会の日は、アメリカの同時多発テロ事件の10周年に当たることは、読者もご存知だろう。本欄は、この9・11に先立つ2001年1月13日からスタートした。ということは、本欄も“満10歳”に達したということだ。世の中には「十年一日」という言葉があって、10年も同じことをしていては評価されないのである。もちろん私が本欄に書く内容は、10年前とは相当異なってきているし、書き方や書くジャンルについても“連載モノ”や“祈りの言葉”“短編小説”など多様なものを盛り込んできた。しかし、それにしてもこの「ブログ」という日記的な表現形式は日々の現象を追っていくことが主になるから、どうしても限界があり、例えば沈思黙考した文章というのは書けない。そんな時間がないからである。すると、読者から不満の声が寄せられる。私にとっても不満が残る文章も多いから、そういう読者の気持もよくわかる。だから、反論はしない。
 
 はっきり言わせていただけば、私は一種の“下書き”のつもりで本欄を書くことが多い。あとから月刊誌に掲載したり、単行本に収録するさいに、内容をもっと吟味しなければ……と考えながらも、ブログだから発表することになるのである。実際、そういうブログの内容を編集、編纂して単行本の『日時計主義とは何か?』(2007年)『日々の祈り』(同年)『太陽はいつも輝いている』(2008年)『衝撃から理解へ』(2008年)『目覚むる心地』(2009年)『“森の中”へ行く』(2010年)などは出版された。しかし、本欄の読者は、そんな事情などに関心がない場合がほとんどだから、自分の求めるレベルの文章がないと、不満を漏らすのである。中には、「生長の家総裁には一分のスキも許されない」と言わんばかりの厳しいご意見を述べる人もいる。現象に完全性を求めるのである。
 
 私はもちろん反論することもできるが、この程度のものにいちいち反論することは本欄の程度を下げるし、私の時間を浪費するし、多くの読者の気分を害することにもなりかねない。だから、黙って次の日のブログを書くのである。初めから悪意をもってするコメントもあるが、そういう低レベルのコメントはブログの機能で自動的にシャットアウトできるから、問題ない。いちばん困るのは、こちらの事情をよく理解しないまま、まったくの善意から忠告をくださる読者である。そういう人には、本当の事情を知ってほしいのだが、それを本欄に書いたり、メールで直接本人に伝えるところまでは、私にはできないのである。それほどの時間的余裕はない。私は本欄を継続するだけで、相当のエネルギーを使ってきた。そういう事情もご本人はまったく知らないだろう。私はそれに文句を言わない。一般の信徒は、生長の家総裁の仕事がどういうレベルで、どの程度多忙であるかを知る必要は、まったくない。だから、これまでの本欄のような表現形式を改める以外に方法はない、と私は考えるのである。
 
 読者からのフィードバックをお願いする。
 
 谷口 雅宣

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コメント

このブログを読むのは習慣になっているので、最近更新されないことに何となく寂しさを感じていましたが、一信徒として意見を述べさせていただきます。

"完全に"やめてほしくはない、というのが第一感です。年祭や各種式典等での挨拶、教団として大きな動きがあったときの先生のお考えを個人的にも読みたいし、信徒はすぐにでも知るべきだというのがその理由です。

以前、機関誌に掲載された「万年筆で書く」のような形の方が、先生が沈思黙考された文章が読めるのかな、と期待します。

どのような形になるにせよ、ネット上にも光を点燈された先生からの御教示がさらに素晴らしい形で実現されることをお祈りいたします。

投稿: 加藤裕之 | 2011年9月15日 23:41

合掌、ありがとうございます。
私は、総裁先生のブログを毎回、心から楽しみにして参りました。本当に、素晴らしいと思います。先生のお考えが、そのまま即座に届けられるこのブログは、大変な先生の御努力の上に成り立っていること。そのことに思いを馳せず、先生に御迷惑をおかけしていたのかも知れないと思うと、申し訳ない思いになります。私は、最近になってやっと、生長の家をお勧めする時に、一番最初に、総裁先生のブログの紹介をするようになりました。やっと、今、ネット世界が一番、伝道媒体として効果があるという事に気付いたからです。先生のブログをできるだけ、多くの方に見ていただきたい。それも、全く生長の家を知らない方々に。そんな思いになったところなので残念です。今後の新しい展開も、また、楽しみにしております。先生の説かれる真理を心から学びたい、それが私の本音です。今後もよろしくご指導お願い致します。

投稿: 松本康代 | 2011年9月15日 23:50

 ありがとうございます。
 ブログ開始当初からの読者です。小説「秘境」以前の頃から時々コメントを書かせていただきました。
 私としては、あまり肩に力を入れずに、楽しく拝読させていただき、正直、難解と感じた部分は飛ばし読みをしたり、興味のある分野はバックナンバーを読み返したりという具合でした。
 情報量の限られた文字列でのやり取りには、難しい面もあり、コメント欄での人々のやり取りには、(コレはちょっと疲れるなぁ)と感じることもあり、自分自身も書き込んだ文章がまずかった、と反省することもありました。先生が現実の制約の中で、残念な気持ちを解決できないまま・・、ということもあるのだと、今回のご文章を読んで感じました。
 しかし、それでもまたこうして書き込みに挑戦するのは、やっぱりこの場に魅力があるからに他なりません。
 以前、ご自身がお父上の筆の早さにはとても及ばない、というようなことを何処かで書かれていましたが、否、このブログを読み返すにつけ、私には想像もできない途方もないエネルギーを費やしたものに感じられます。
 私の人生の中で、きっと良い影響を与え続けて下さったこの欄が無くなるのであれば、淋しい限りですが、私は続けられることを要求する気はありません。
 また、どのように形を変えれば良いかというアイディアもありません。正直、ずっと続いてほしいですが、物事には始があれば終わりもあると思います。
 只々、感謝の気持ちがあり、またどのような形であれ、今後のご活躍をお祈りするばかりです。
 支離滅裂な文章ですみません。 片山一洋 拝

投稿: 片山 一洋 | 2011年9月15日 23:53

BlogはBlog的な表現だとRSSリーダーなどを活用する世代ならリテラシーとして理解していると思いますが。昨今色々なソーシャルツールが登場していて、その利用者の傾向が分析されています。メディアリテラシー論について今一度考察されてみてはと思います。また、一般からアクセスが出来てGoogleなどからbotが訪れて過去ログをbotに永遠に残される本欄のようなBlog形式で実名必須というのは異常な事です。海外の例に習っても、Blogというメディアではやはり実名表記に慎重な方のほうが多いのです。生長の家はすでにソーシャルを立ち上げているのですから、そのことも考えてみてください。周囲のメディアリテラシーが低ければ検索エンジンによって残される記録には実害がある恐れもあります。海外で一般化している認識で色々とネット利用について発言されていますが、私個人としても、無用心にそこまで明け透けにするのはどうかと思いますので、システムについての考察を今一度どうぞよろしくお願いします。

投稿: 松永 博幸 | 2011年9月16日 00:40

谷口雅宣先生、いつもブログ更新ありがとうございます。いつも楽しみに拝見しています。今回、久しぶりにコメントさせていただきます。

私はこのブログに大変影響を受けた一人です。10年間ぶれることのない先生のご主張は、繰り返し落ちる滴のように、私の心に浸透していきました。
かといって、全部を理解したわけではないのですが、日時計主義の生き方、自然との共生の大切さ、世界で起きている事象を常に冷静に受け止めていく姿勢の大切さ、再生可能エネルギーの重要さと、今のエネルギー政策の危うさと、このままでは地球に未来はないということは、理解できました。そしてすべてが本当にその通りだったと実感したのが3.11の震災と原発の事故でした。

10年間何を読んできたんだろう、とも思いました。頭でわかっているのと実感するのは全く違いましたから。それに先生は、森のオフィスを実現しようとしていて先駆的です。これもこのまま温暖化が進めば、10年後は当たり前の企業の常識になるかもしれませんよね。そういう先を常に見据えるぶれないリーダーの姿勢、というのもこのブログで学ばせていただきました。

私も、まずは足元から!と思い、最近、地元のマンションの会議に参加して、建てかえの時はエネルギーで自立できる再生可能タイプのエコタウンにしてはどうか、という思いを伝えることが出来ました。(区長さんにも同様の内容の投書をしました)

本当にこのブログで、たくさんのことを考えさせられ、新たな視点をたくさんいただけて感謝しています。

ただ、アクセス数の割にコメント数が少ないのが不思議でした。出ていないコメントが沢山あったのですね…。

でもやはり総裁先生のブログということで緊張感があるのは事実ですので、(しかも実名原則ですし)、コメントもかなり緊張します。これでフェイスブックに移行しても、顔写真はちょっと…という方も多いと思われます。そうするとますますコメントなどの敷居が高く感じてしまうかもしれません。

なので、ブログは(リニューアルはしても)更新はゆっくりでも継続していただけたら嬉しいです。森のオフィス計画実現への道のりも、時系列がわかりやすいブログでこれからも記録に残していただき、それを学ばせていただけたら嬉しいです。そう思って楽しみにしておりました。

私の思いは以上です。でもご多忙な先生がご負担があまり大きいようなら、無理はされないで欲しいです。お疲れを溜められてたと知り、少し心配です。くれぐれもご自愛くださいますよう、お祈りしています。ありがとうございました。

投稿: コノハナ | 2011年9月16日 02:00

合掌、ありがとうございます。

パソコンの扱いが不得手な年配の方の中には、何とか総裁先生のブログだけは見られるように努力され、楽しみにしておられる方もいらっしゃいます。
今のように、時流の問題等に対して、信仰的な見地からの示唆を頻繁にいただくことは難しいとしても、一般信徒や信仰に興味を持つ人が、総裁先生の直接のメッセージを賜ることができる場として、本欄を継続していただければと願います。
またもし継続していただける場合、コメント欄は閉鎖を検討されてもよいのではないでしょうか。再拝

投稿: 水島育子 | 2011年9月16日 12:51

合掌ありがとうございます。私は最近、このブログの読者になったのですが。前から人に聞いていましたがアクセスの仕方が分からなかったので、ネットカフェに行ったのをきっかけに時々覗くようになりました。今年初めて全国幹部研鑽会に参加しましたが雅宣先生の昨年の講和の内容を前もって調べておけばよかったと思いました。ブログやめないでほしいです。前年の講和のチェックも出来るから。人に話を聞いての読者も増えると思います。私がそうだったように。先生のブログを通じて勉強させて下さい。続けて下さる事を願っています。再拝

投稿: 横山啓子 | 2011年9月16日 18:07

合掌 ありがとうございます

あらゆる事象に対して総裁先生の直接の御文章をリアルタイムで拝読できるブログという存在は大変ありがたく思っております。今回を機会に、さらなる発展形といたしまして、本部講師先生の皆様が環境や国際問題、食糧問題、生命倫理などをそれぞれご担当されて、そして日々の事象に対しての考察を発表されるというサイトも、良いのではと思いました。また、そのサイトでディスカッションへと発展できれば、とも思います。

それらの記事に対しまして総裁先生のコメントが簡単にあったりいたしますと、それはとても嬉しいものにはなりますけれど。

個人的にはブログを始められた当初の自由な感じも好きでしたので、facebookでまたそのような記事を拝見できることはとても嬉しいです。

ブログもそうでしたが、総裁先生の自由で型にこだわらない情報発信のスタイルを、また楽しみにしております。

感謝合掌

投稿: 松本雅幸 | 2011年9月16日 18:34

総裁先生、

facebookで先生の近況を知ることが出来るのは嬉しいですが、ブログで最近の出来事について先生のお考えの一端を知ることで、考察のきっかけとして個人的にはとても重要なこととなっています。
ぜひブログは続けていただきたいと思います。

水島さんが言っておられるように、場合によってはコメント出来ないようにするのも一つの方法かと思います。

投稿: 近藤 静夫 | 2011年9月17日 23:16

合掌有り難うございます。
 急速にに移り変わる世の中の事象に対し生長の家総裁がどのような考えをもっているのかを生長の家会員は知る必要があると思います。現象世界はいろいろで読む人の心もいろいろですが、総裁の考えをを宇宙に発信しつづけることは重要であると思います。 再拝

投稿: 北島啓輔 | 2011年9月18日 06:44

総裁先生

合掌 ありがとうございます。

 わたしは一時、生長の家の運動方針をよく理解できずに生長の家から離れました。しかし、縁あってこうして戻ってこられたのは、先生の御著書だけではりかいできないことが、本ブログでおぼろげながら理解できたり、私の狭い興味・関心を超えて宗教的な見方で述べていただいてたり、苦手意識を持っていた環境問題をすこしづつ様々な角度から紐解くことができたりと、私にとっては大きな存在です。
 そもそもこのブログは、「ボトムアップ」の意味を持ち合わせていると聞いています。生長の家の組織も現象ですから、私たち下々の意見はなかなか吸い上げられないこともあるかと存じます。総裁先生は本ブログを用いてすこしでも多くの方から忌憚のない意見を傾聴されてきました。私自身も何度かコメントいただき、敬服しました。また一方で、信徒以外にも情報を発信され、このブログを通して生長の家に興味を抱いた方もおられるようです。
 しかしながら、このような形式のブログでは広く意見を求めれれる反面Facebookなどに比べると匿名性があり、「なりすまし」など責任ある発言の場という意味では劣る部分もあります。
 最後に私の稚拙な意見では、Facebookへの移行もありだと思います。きっと、Facebookに日本語の「生長の家総裁」が
できたのも試験的な意味もあるのだと感じました。いずれにせよ総裁先生のご教示を引き続きよろしくお願いします。 
 
 

投稿: 青木繁和 | 2011年9月18日 16:49

合掌 ありがとうございます。

私たち信徒には総裁先生のお仕事の内容は存じ上げませんが、ブログを通してお考えやご指導を直にお聞きできることができております。
時には理解が難しい時もございますが、これはと思った内容は出講の際に使わさせて頂く事もあります。
これまではコメントをしたことはありませんでしたが、今回のお考えをお聞きし、何も言わなくてもブログを拝見し、活用している信徒も居ることをお伝えいたしたく投稿いたしました。

投稿: 森兼敏夫 | 2011年9月18日 18:27

合掌有り難うございます。
雅宣先生のブログを読むときは、それを読む人の感性(かなり高度な)も問われているんだな、と皆さんのコメントを読んでいて思いました。
皆さん、すばらしい方たちばかりだなと‥。人間性の幅と言いますか思いやり深く余裕があり、雅宣先生が意図するところの想いをきちんと正しく受け止められるだけの感性がないと、読解は難しいのかもしれない‥とも思います。

これからは、私自身は気軽に読ませて頂くという姿勢でなく、もっと襟を正して読ませて頂こうと思います。

投稿: yakiko.s | 2011年9月23日 02:14

この記事へのコメントは終了しました。

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