« 人間の“死”の意味 | トップページ | 本欄が抱える問題について »

2011年9月 2日

台風に先駆けて広島入り

 大型の台風12号が接近しているため、4日に開催される広島市での生長の家講習会へ行けなくなるリスクを考えて、2日前の今日、広島入りをはたした。急遽変更した午前9時45分羽田発のJAL1605便に妻とスタッフ一行が乗り込んだ際、中国地方はすでに暴風に見舞われていたため、同機は「着陸できない場合は羽田に引き返す」という条件づきで離陸した。講習会へ行くための旅では、1年にだいたい1回、こういう“非常事態”に遭遇する。それでも、過去からずっと「行けなかった」という例はなかったから、今回もそれほど心配していなかった。が、搭乗機が広島上空にさしかかると、機体がククッと吊り上がったり、グッと落ちたりするような上下動がひんぱんに起こり、機体が左右に揺れ動く。機長は出発時のアナウンスで「着陸をやり直すこともある」と言っていたから、さすがに緊張した。そして、広島空港に無事着陸したときは、妻と2人で遠慮がちに拍手をしたのだった。
 
 今回の台風は、大型であるだけでなく、進行速度が遅いから、一箇所に大量の雨をもたらす“雨台風”である。大型なのは、風速15m以上の強風域が半径500km以上の広範囲にわたるからだ。また、いわゆる“台風の目”が中心から100km付近まであって、ドーナツ型をしているのが特徴らしい。私たちは昼ごろに広島市内のホテルに到着したが、雨はまだ小降りの状態だった。しかし、熱気のある強風が吹き荒れていて、「なるほど台風が来ている」という実感がした。が、本当はこのときは、台風の大きなドーナツ型の雲の北側の端が広島市に触れている程度の段階で、夜から翌日にかけてが荒天のピークになる、とテレビの天気情報は伝えていた。
 
Hiroshimamuse  昼食後の午後の時間、私たちはホテルのすぐ向かい側にある「ひろしま美術館」へ出かけ、絵画の鑑賞をした。講習会の旅先で美術館へ行くことは珍しくないが、その際は、講習会後、帰途につくまでのわずかな空き時間に、駆け足状態で鑑賞することになる。が、今回は時間の心配をしないで鑑賞できた。「フランスを中心とするヨーロッパ美術」の展覧会をしていて、マネ、モネ、ルノワール、ゴッホ、ロートレック、ピカソ、マティス、ローランサン、シャガールなどの作品を堪能できた。今回の台風では洪水の被害などが多く出ているが、私は台風に感謝したい気持になった。しかし、講習会の推進や準備に取り組んでいる当地の人々は、さぞ大変なことだと思う。皆さんが、無事に講習会当日を迎えられることをお祈りする。

 谷口 雅宣

|

« 人間の“死”の意味 | トップページ | 本欄が抱える問題について »

コメント

合掌ありがとうございます。毎日生活するための仕事をしているので、僅かな休憩時間を利用してメールをしています。今回のご文章を読んで意外な感じがしました。私は岐阜県に住んでいますので、来年11月に講習会に見えるのを楽しみにしてます。岐阜県に見えた時は必ず、純子先生と共にスケッチブックを持って写生に出掛けられ、絵手紙の資料にしておられるという話を聞いていたからです。スケジュールの調整とか大変ですね。私の住んでいる地域は台風の被害はなかったようです。昔伊勢湾台風の被害を受けたという事ですが、私はまだ小さかった覚えがありません。台風の規模や発生個数は地球温暖化と関係があるそうですね。講習会でそういう話が聞けたらと思います。先生と同い年ですので、つい意見がましい事を書いてしまいました。またお会い出来るのを楽しみにしています。再拝

投稿: 横山啓子 | 2011年9月 5日 14:51

合掌ありがとうございます。
お尋ね致します。福島県知事の近親者です。
放射能を浴びた樹木を存在させるか、伐採するか議論されています。樹木は広範囲にわたり、高い濃度です。総裁先生のお考えをご教示下さい。

投稿: 渡辺 | 2011年9月 6日 06:24

渡辺さん、

 福島県の事情がよく分からないので、すぐにお答えすることはできません。判断のための情報が不足しているからです。議論されている内容をお聞かせいただければ幸甚です。たとえば、伐採の対象になっているのはどういう種類の樹木なのか、どの場所にあるのか、伐採の理由は、「広範囲」とはどのくらいの範囲か、「高い濃度」とはどのような数値を指すのか……などです。

投稿: 谷口 | 2011年9月 6日 13:04

講習会家族で参加させて頂きました。
丁寧で明るいご講話ありがとうございました。
純子先生の御講話も一生懸命真理を伝えようとされている御姿に感動しました。
会場はとても良い雰囲気でした。

合掌。

投稿: 鈴木雅臣 | 2011年9月 6日 19:46

合掌
伊勢湾台風の時、生高連で伊勢神宮のボランテイアを
思いだします。神の子無限力の鉢巻をして玉砂利の上で神想観から始めるのです。30分もすると脚がボランテイアになった記憶が今でも残っております。
生長の家はボランテイアでも先陣を切っていたのです。生長の家を信じ續けることだけで幸福を寄与してくれる
生長の家は社会はもちろん、個々の信仰が、生においても死においても満たしてくれます。

投稿: 宇都宮 暎 | 2011年9月13日 13:15

福島県の森林汚染の実態と除染について、14日NHK総合の持論公論(23:50〜)で取り上げられていました。
詳しくはオンデマンドで見られるようです。

本当に大変なことです。川俣町での調査の結果、人里に近い山などは除染を徹底するためには、今のうちに伐採し、落ち葉などのリター層を取り除くのが最も効果的だと、調査チームのリーダーの大学教授が述べていましたが、そんな大変なことをしなくても、放射性物質を無害化する方法はないものか、と祈るばかりです。

投稿: 前川 淳子 | 2011年9月15日 00:35

合掌、有難うございます。山林の汚染の事を聞いて、いろいろ思います。私が小学校のころは、町から、のぶきやみずななどを買いに来て、子供たちは、それを山に取りに行きました。父と母と一緒にやまのなかを歩き、たくさん取れたと大喜びして、学校にもって行きました。それを測ってお金に換えて、学校の資金にしたものです。また、蚕を飼いました。山に桑のはを取りに行った思い出があります。今思うと、山で過ごしたいろんな思い出があります。そんな山々が、伐採されると聞くと、何ともいえない気持ちです。再拝

投稿: 有馬真由美 | 2011年9月15日 20:15

この記事へのコメントは終了しました。

« 人間の“死”の意味 | トップページ | 本欄が抱える問題について »