私は生長の家講習会で「神は悪をつくりたまわず」という話をするとき、「死も悪ではない」ことを例として使うことがある。これはもちろん“肉体の死”のことで、その前提として「人間は肉体ではない」という教えが説かれなければならない。つまり、肉体の死は必ずしも“悪”ではないということだ。すると、驚いたような顔をする人がいる。しかし、私がそう言ったあと、肉体が死ななくなったときの社会を想像してほしいといって、超高齢化社会の到来、人口爆発の問題、社会や企業・団体・家庭における世代交替の必要性、医療費の負担問題などを挙げると、納得してくれたような顔になる。肉体の死は、このように現象世界の秩序維持のためには必要なのである。
が、もちろん、人間が自分や近親者の死を感情的に受け入れることはなかなか難しい。それは、自分が最も大切だと考えかつ信じてきたものが、肉体の死によって永遠に失われると考えるからである。が、ほとんどの宗教が、「肉体の死は人間の終わりではない」と説いている。生長の家の場合、「死はナイ」という端的で強烈な表現によって、多くの人々を死の不安や悩みから救ってきたのである。
この“肉体の死”は文明にとって必要だと訴える意見が、30日付の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙の論説面に載っていたので、興味深く読んだ。書き手は哲学者であり、外交官でもあったスティーブン・ケイヴ(Stephen Cave)というイギリス人だ。ケイヴ氏は、哲学のみならず心理学、脳科学、宗教の分野の知識を駆使して、人間の文明を動かしている根源を探求した『Immortality(不死)』という本を書き、これが来年春の発売前から話題になっているらしい。この論説は、その著書の主旨をまとめたものという。
それをひと言で表現すれば、「人間は“死ぬ”という意識を克服するために文明をつくり出してきた」ということだろうか。別の言い方をすれば、もし“肉体の死”がなくなってしまえば、それは“文明の死”でもあるというのだ。イギリスではBBCテレビが『トーチウッド:奇蹟の日』という連続ドラマを夏休みの期間にやっていて、これが9月で終わるらしい。このドラマの中で「奇蹟」と読んでいるのは、死がなくなることだという。ケイヴ氏によると、大方の予想とは異なり、人類は死の消滅による人口過剰の問題を物質的には克服することができるが、心理的にはそれができないという。その理由は、人類の文明は「不死」を実現しようとする情熱によって形成されてきたからだという。
この“不死への情熱”が宗教を生み出し、詩を書かせ、都市を建設させるなど、我々の行為と信念の方向性を決定している、とケイヴ氏は言う。このことは、昔から哲学者や詩人によって言われてきたが、科学的な検証は、最近の心理学の発達によって初めて可能になってきたらしい。この論説には、その初期の実験の1つが紹介されている。
それは1989年に始まったアメリカの社会心理学者たちの研究で、これによって「自分は死ぬ」という事実を思い出すだけで、人間は政治的、宗教的考え方を大きく変えることが分かったという。この研究は、アメリカのアリゾナ州ツーソン市の裁判官たちの協力のもとに行われた。この裁判官のグループのうち半数には、心理テストを行いながら「自分は死ぬ」ということを思い出させ、残りの半数にはそうしなかった。その後、彼らがよく扱うような売春をめぐる仮想の事件を判断させたという。すると、死について思い出した裁判官たちは、そうでない裁判官たちよりも重い--平均で9倍もの--罰金を科す判断を下したという。
この結果をどう解釈するかが、興味深い。ケイヴ氏によると、この実験の背後にある仮説は、「我々人間は、死は避けられるとの感覚を得るために文化や世界観をつくり出す」というものだ。しかし、死はいずれやってくるから、それを思い出した人間は、自分の信念に以前より強固にしがみつき、それを脅かすものに対して、より否定的な態度をとる、と考えるのである。だから、これまでにも売春を罪として裁いてきた裁判官は、自分の死を思い出すと、その科料を引き上げることで、裁判官としての信念や世界観を守り通そうとするわけだ。
「恐怖管理理論(Terror Management Theory)」として知られるこの仮説は、シェルドン・ソロモン(Sheldon Solomon)、ジェフ・グリーンバーグ(Jeff Greenberg)、トム・シジンスキー(Tom Pyszczynski)という3人の心理学者によって提唱され、これまで400例を超える検証が行われてきたという。その分野も宗教から愛国心にいたるまで幅広く、検証の結果は一貫して正しいことが認められているという。つまり、我々の考え方のある要素は、死への恐怖を和らげる必要から生まれる--言い換えれば、我々の文化や哲学、宗教などの様々な心理体系は、我々が「死なない」ことを約束するために存在するというのだ。
こういう観点から世の中を見てみると、なるほどとうなずけることが多い。ケイヴ氏は、エジプトのピラミッドやヨーロッパ各地の大聖堂、現代都市にそびえる超高層ビル群などを例として挙げているが、これらの物理的な構築物が“死を超えた世界”を描いているだけでなく、そういう建物の中で説かれる教えや、そこに設置される施設、そこで提唱されるライフスタイルも、「死後も生きる」ことや「死の到来を延期させる」希望によって彩られている、と考えることができるのである。
このように見ていくと、今後、再生医療やアンチエージング医療が急速に進歩し、もし本当に “肉体の死”がなくなる日が来たとしたら、人間は死の恐怖から解放されるから、これらすべての文化的、宗教的、社会的な営みの原因も消滅し、人類の文明は崩壊することになる。だから、人類がこれまで“不死の薬”の開発に成功しなかったことに我々は感謝すべきなのだ--これがケイヴ氏の結論である。
谷口 雅宣