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2011年9月19日

新ブログはじめました

 9月14日に本欄の“内的事情”のようなものを書き、読者からのフィードバックをお願いしたが、たくさんの貴重なご意見をいただき心から感謝します。その中に本欄、もしくは本欄に近いものを今後も継続してほしいとの意見が多かったことが、大いに励みになっている。しかし、“十年一日”はやはり私の性格に合わないので、新しい名前のもと、新しい考え方で、別のブログをはじめることにした。
 
 新ブログは「唐松模様」である。左のブログ名をクリックしてください。
 
 読者諸賢には、今後はどうか新ブログを本欄と変わらずご愛顧お願い申し上げます。なお、簡単な近況報告や“雑感”“雑談”のたぐいはフェイスブック「生長の家総裁」で継続するつもりである。こちらの方も、よろしく。
 
 谷口 雅宣

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2011年9月15日

フェイスブックへの招待

 本欄で私はこれまで何回か、このアメリカのSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)を読者に紹介してきた。また、英語でよければ、ここに開設している私のページに登録してほしいとのお願いもした。そのおかげで現在、世界中で1200人以上の人が登録してくれている。しかし、英語でのコミュニケーションが苦手の人も多いだろうということで、このほど日本語専用の「生長の家総裁」のページを開設した。ここでは、本欄に書くような難しい議論はできるだけ避けて、私の妻のブログのような気軽な近況報告や、スナップ写真等を主体にした情報交換を行おうと思っている。本欄の継続は、前回書いたように一種の“暗礁”に乗り上げているから、その船が救出されるまででも、こちらの私のページをご愛顧いただけると有り難い。

 ただし、本欄に比べて、フェイスブックへの登録は少しだけ煩雑である点を、お赦しねがいたい。というのは、フェイスブックは“個人”を大切にするアメリカのサービスであり、そのために「実名登録」が原則であるからだ。また、SNSは個人相互のコミュニケーションのためのものだから、単に「他人の情報を読む」だけというのは基本的にできない。フェイスブックへの登録は、まず自分個人のページを作成したあと、そのページを一種の“自己紹介”の情報として示すことで、他人との関係を結ぶ。「私はこういう者ですが、あなたとお話ししたい」という感じである。この要望を「友達申請」とか「友人申請」といい、この申請を相手が承認して初めて、相互の情報交換がフルにできることになる。ただし、例外的に、この手続きを踏まないでも読み書きができるページがある。
 
 それは、有名人とか企業などの名の通った登録者が、コミュニケーションや市場調査目的で開設するページで、このページの情報を読んだり、そこへ何かを書き込みたい場合は、「いいね!」(英語モードでは「Like!」)というボタン(通常、画面の最上段左寄りにある)をクリックするだけでいい。私の「生長の家総裁」というページは、この特別の場合のものとして作ってある。しかし、その場合でも、自分のページは事前にきちんと作成しておかねばならない。その方法をすべてここでは説明できないが、まずは自分の「メールアドレス」と「パスワード」を入力し、次に出てくる画面の要求にしたがって、自分自身の情報を入力していけばいい。また、自分の顔写真をケータイやデジカメで撮り、パソコン内に取り込んでおいてほしい。これを登録することが、フェイスブック(顔の本)の特徴であり、本人確認の有力手段となる。入力情報は、必須のものと任意のものがあるから、すべてを入力する必要はない。メッセージは、ほとんどすべてが日本語で表示されるから心配ない。
 
 このようにして自分のページを作成し終わったら、上記の私のページへ進み、画面上方の「いいね!」をクリックすれば、私とのコミュニケ-ションが可能になる。それだけでなく、私のページに登録したすべての人とのコミュニケーションも可能となる。それでは皆さん、フェイスブックでお会いしましょう。
 
 谷口 雅宣

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2011年9月14日

本欄が抱える問題について

 9月2日に本欄を書いたまま2週間ほど更新していないので、私の健康状態を心配してくださっている人がいるかもしれない。が、私は健康なのでご安心願いたい。11日に函館の生長の家講習会から帰って以来、少し疲れが出たことは告白するが、もう回復している。私の本欄への“筆無精”は、だから健康状態によるよりも、別の理由による。実は最近、本欄のような形式の文章に制約と限界を感じるようになったのである。だから、この形式を今後ずっと続けていくべきか、あるいは別の形式のものに変えるべきかを迷っている。そこで今日は、本欄を愛顧してくださってきた読者諸賢のご意見を聞くためにキーボードを叩いている。
 
 函館の講習会の日は、アメリカの同時多発テロ事件の10周年に当たることは、読者もご存知だろう。本欄は、この9・11に先立つ2001年1月13日からスタートした。ということは、本欄も“満10歳”に達したということだ。世の中には「十年一日」という言葉があって、10年も同じことをしていては評価されないのである。もちろん私が本欄に書く内容は、10年前とは相当異なってきているし、書き方や書くジャンルについても“連載モノ”や“祈りの言葉”“短編小説”など多様なものを盛り込んできた。しかし、それにしてもこの「ブログ」という日記的な表現形式は日々の現象を追っていくことが主になるから、どうしても限界があり、例えば沈思黙考した文章というのは書けない。そんな時間がないからである。すると、読者から不満の声が寄せられる。私にとっても不満が残る文章も多いから、そういう読者の気持もよくわかる。だから、反論はしない。
 
 はっきり言わせていただけば、私は一種の“下書き”のつもりで本欄を書くことが多い。あとから月刊誌に掲載したり、単行本に収録するさいに、内容をもっと吟味しなければ……と考えながらも、ブログだから発表することになるのである。実際、そういうブログの内容を編集、編纂して単行本の『日時計主義とは何か?』(2007年)『日々の祈り』(同年)『太陽はいつも輝いている』(2008年)『衝撃から理解へ』(2008年)『目覚むる心地』(2009年)『“森の中”へ行く』(2010年)などは出版された。しかし、本欄の読者は、そんな事情などに関心がない場合がほとんどだから、自分の求めるレベルの文章がないと、不満を漏らすのである。中には、「生長の家総裁には一分のスキも許されない」と言わんばかりの厳しいご意見を述べる人もいる。現象に完全性を求めるのである。
 
 私はもちろん反論することもできるが、この程度のものにいちいち反論することは本欄の程度を下げるし、私の時間を浪費するし、多くの読者の気分を害することにもなりかねない。だから、黙って次の日のブログを書くのである。初めから悪意をもってするコメントもあるが、そういう低レベルのコメントはブログの機能で自動的にシャットアウトできるから、問題ない。いちばん困るのは、こちらの事情をよく理解しないまま、まったくの善意から忠告をくださる読者である。そういう人には、本当の事情を知ってほしいのだが、それを本欄に書いたり、メールで直接本人に伝えるところまでは、私にはできないのである。それほどの時間的余裕はない。私は本欄を継続するだけで、相当のエネルギーを使ってきた。そういう事情もご本人はまったく知らないだろう。私はそれに文句を言わない。一般の信徒は、生長の家総裁の仕事がどういうレベルで、どの程度多忙であるかを知る必要は、まったくない。だから、これまでの本欄のような表現形式を改める以外に方法はない、と私は考えるのである。
 
 読者からのフィードバックをお願いする。
 
 谷口 雅宣

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2011年9月 2日

台風に先駆けて広島入り

 大型の台風12号が接近しているため、4日に開催される広島市での生長の家講習会へ行けなくなるリスクを考えて、2日前の今日、広島入りをはたした。急遽変更した午前9時45分羽田発のJAL1605便に妻とスタッフ一行が乗り込んだ際、中国地方はすでに暴風に見舞われていたため、同機は「着陸できない場合は羽田に引き返す」という条件づきで離陸した。講習会へ行くための旅では、1年にだいたい1回、こういう“非常事態”に遭遇する。それでも、過去からずっと「行けなかった」という例はなかったから、今回もそれほど心配していなかった。が、搭乗機が広島上空にさしかかると、機体がククッと吊り上がったり、グッと落ちたりするような上下動がひんぱんに起こり、機体が左右に揺れ動く。機長は出発時のアナウンスで「着陸をやり直すこともある」と言っていたから、さすがに緊張した。そして、広島空港に無事着陸したときは、妻と2人で遠慮がちに拍手をしたのだった。
 
 今回の台風は、大型であるだけでなく、進行速度が遅いから、一箇所に大量の雨をもたらす“雨台風”である。大型なのは、風速15m以上の強風域が半径500km以上の広範囲にわたるからだ。また、いわゆる“台風の目”が中心から100km付近まであって、ドーナツ型をしているのが特徴らしい。私たちは昼ごろに広島市内のホテルに到着したが、雨はまだ小降りの状態だった。しかし、熱気のある強風が吹き荒れていて、「なるほど台風が来ている」という実感がした。が、本当はこのときは、台風の大きなドーナツ型の雲の北側の端が広島市に触れている程度の段階で、夜から翌日にかけてが荒天のピークになる、とテレビの天気情報は伝えていた。
 
Hiroshimamuse  昼食後の午後の時間、私たちはホテルのすぐ向かい側にある「ひろしま美術館」へ出かけ、絵画の鑑賞をした。講習会の旅先で美術館へ行くことは珍しくないが、その際は、講習会後、帰途につくまでのわずかな空き時間に、駆け足状態で鑑賞することになる。が、今回は時間の心配をしないで鑑賞できた。「フランスを中心とするヨーロッパ美術」の展覧会をしていて、マネ、モネ、ルノワール、ゴッホ、ロートレック、ピカソ、マティス、ローランサン、シャガールなどの作品を堪能できた。今回の台風では洪水の被害などが多く出ているが、私は台風に感謝したい気持になった。しかし、講習会の推進や準備に取り組んでいる当地の人々は、さぞ大変なことだと思う。皆さんが、無事に講習会当日を迎えられることをお祈りする。

 谷口 雅宣

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2011年9月 1日

人間の“死”の意味

 私は生長の家講習会で「神は悪をつくりたまわず」という話をするとき、「死も悪ではない」ことを例として使うことがある。これはもちろん“肉体の死”のことで、その前提として「人間は肉体ではない」という教えが説かれなければならない。つまり、肉体の死は必ずしも“悪”ではないということだ。すると、驚いたような顔をする人がいる。しかし、私がそう言ったあと、肉体が死ななくなったときの社会を想像してほしいといって、超高齢化社会の到来、人口爆発の問題、社会や企業・団体・家庭における世代交替の必要性、医療費の負担問題などを挙げると、納得してくれたような顔になる。肉体の死は、このように現象世界の秩序維持のためには必要なのである。
 
 が、もちろん、人間が自分や近親者の死を感情的に受け入れることはなかなか難しい。それは、自分が最も大切だと考えかつ信じてきたものが、肉体の死によって永遠に失われると考えるからである。が、ほとんどの宗教が、「肉体の死は人間の終わりではない」と説いている。生長の家の場合、「死はナイ」という端的で強烈な表現によって、多くの人々を死の不安や悩みから救ってきたのである。

 この“肉体の死”は文明にとって必要だと訴える意見が、30日付の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙の論説面に載っていたので、興味深く読んだ。書き手は哲学者であり、外交官でもあったスティーブン・ケイヴ(Stephen Cave)というイギリス人だ。ケイヴ氏は、哲学のみならず心理学、脳科学、宗教の分野の知識を駆使して、人間の文明を動かしている根源を探求した『Immortality(不死)』という本を書き、これが来年春の発売前から話題になっているらしい。この論説は、その著書の主旨をまとめたものという。

 それをひと言で表現すれば、「人間は“死ぬ”という意識を克服するために文明をつくり出してきた」ということだろうか。別の言い方をすれば、もし“肉体の死”がなくなってしまえば、それは“文明の死”でもあるというのだ。イギリスではBBCテレビが『トーチウッド:奇蹟の日』という連続ドラマを夏休みの期間にやっていて、これが9月で終わるらしい。このドラマの中で「奇蹟」と読んでいるのは、死がなくなることだという。ケイヴ氏によると、大方の予想とは異なり、人類は死の消滅による人口過剰の問題を物質的には克服することができるが、心理的にはそれができないという。その理由は、人類の文明は「不死」を実現しようとする情熱によって形成されてきたからだという。

 この“不死への情熱”が宗教を生み出し、詩を書かせ、都市を建設させるなど、我々の行為と信念の方向性を決定している、とケイヴ氏は言う。このことは、昔から哲学者や詩人によって言われてきたが、科学的な検証は、最近の心理学の発達によって初めて可能になってきたらしい。この論説には、その初期の実験の1つが紹介されている。
 
 それは1989年に始まったアメリカの社会心理学者たちの研究で、これによって「自分は死ぬ」という事実を思い出すだけで、人間は政治的、宗教的考え方を大きく変えることが分かったという。この研究は、アメリカのアリゾナ州ツーソン市の裁判官たちの協力のもとに行われた。この裁判官のグループのうち半数には、心理テストを行いながら「自分は死ぬ」ということを思い出させ、残りの半数にはそうしなかった。その後、彼らがよく扱うような売春をめぐる仮想の事件を判断させたという。すると、死について思い出した裁判官たちは、そうでない裁判官たちよりも重い--平均で9倍もの--罰金を科す判断を下したという。

 この結果をどう解釈するかが、興味深い。ケイヴ氏によると、この実験の背後にある仮説は、「我々人間は、死は避けられるとの感覚を得るために文化や世界観をつくり出す」というものだ。しかし、死はいずれやってくるから、それを思い出した人間は、自分の信念に以前より強固にしがみつき、それを脅かすものに対して、より否定的な態度をとる、と考えるのである。だから、これまでにも売春を罪として裁いてきた裁判官は、自分の死を思い出すと、その科料を引き上げることで、裁判官としての信念や世界観を守り通そうとするわけだ。
 
 「恐怖管理理論(Terror Management Theory)」として知られるこの仮説は、シェルドン・ソロモン(Sheldon Solomon)、ジェフ・グリーンバーグ(Jeff Greenberg)、トム・シジンスキー(Tom Pyszczynski)という3人の心理学者によって提唱され、これまで400例を超える検証が行われてきたという。その分野も宗教から愛国心にいたるまで幅広く、検証の結果は一貫して正しいことが認められているという。つまり、我々の考え方のある要素は、死への恐怖を和らげる必要から生まれる--言い換えれば、我々の文化や哲学、宗教などの様々な心理体系は、我々が「死なない」ことを約束するために存在するというのだ。
 
 こういう観点から世の中を見てみると、なるほどとうなずけることが多い。ケイヴ氏は、エジプトのピラミッドやヨーロッパ各地の大聖堂、現代都市にそびえる超高層ビル群などを例として挙げているが、これらの物理的な構築物が“死を超えた世界”を描いているだけでなく、そういう建物の中で説かれる教えや、そこに設置される施設、そこで提唱されるライフスタイルも、「死後も生きる」ことや「死の到来を延期させる」希望によって彩られている、と考えることができるのである。
 
 このように見ていくと、今後、再生医療やアンチエージング医療が急速に進歩し、もし本当に “肉体の死”がなくなる日が来たとしたら、人間は死の恐怖から解放されるから、これらすべての文化的、宗教的、社会的な営みの原因も消滅し、人類の文明は崩壊することになる。だから、人類がこれまで“不死の薬”の開発に成功しなかったことに我々は感謝すべきなのだ--これがケイヴ氏の結論である。
 
 谷口 雅宣

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