旅の空から (3)
ノルウェーのテロ事件のような深刻な問題とブルーベリーの話を同等に扱うつもりはないが、人間の心理には多くの共通点があるから、同事件の背後にある移民問題とそれとを関連させて考えることはできる。一国内に多民族や多文化が存在している状態は、「多様性」の展開である。今、東京都知事をしている石原慎太郎氏が、かつてこのことを“社会の弱点”として批判したため、問題になったことがある。詳しくは憶えていないが、確かこんな論理だった--日本は単一民族による単一国家だから、団結力があり、社会の安定と安全の面で他国より優れている。これに対して、アメリカは多民族国家だから、社会にまとまりがなく、決定が遅く、治安も悪い。こういう単純な考え方も、典型的な“右”の思考パターンの1つである。今回の事件の容疑者もそれを共有していたようだ。
7月27日付の『朝日新聞』(国際版)によると、ブレイヴィク容疑者は自作のマニフェストの中で、日本の移民政策をほめているらしい。同紙の記事を引用する--
「一方、容疑者が文書で絶賛するのが“日本”だ。厳しい移民政策や難民認定の少なさを挙げ、“多文化主義を拒絶して経済発展を成し遂げた”としている。会いたい人物として、ロシアのプーチン首相や旧ユーゴスラビア戦犯のカラジッチ被告と並んで、麻生太郎元首相の名を挙げた」。
麻生氏にとっては、はなはだ迷惑な話だろうが、政治的に“右”と言われるものの考え方がよく分かる。つまり、何かを達成するためには、物事が一つに純化し、一つの方向に向いているのが効率がよく、したがって優れていると考えるのである。これを推し進めれば結局、軍隊のような制度の国が“優れている”ことになるから、北朝鮮の指導者たちは大いに喜ぶだろう。
私はもちろん、こういう考えには反対である。生長の家は、実相の反映としての多様性を重んじる。自然界には多様性が満ちているが、その度合いが高いほど安定し、失われると不安定になる。このことからも、多様な表現が神の御心であることが分かる。しかし、それが分かるためには、1本のブルーベリーの木だけに注目し、その木が生み出す果実のすべてが自分の所有であると考える偏狭な心から、脱却しなければならない。脱却できない人は、自分の妻がその実を採っても、「盗っ人!」と考えて不快に思うだろう。しかし、そう思わない人は、妻と自分との共通点をよく知っている。妻と自分とが、本質的に利害が一致する存在であることを知っているのである。妻が実を採ったということは、自分の楽しみが減ったのではなく、翌朝の2人の食卓にそれが並ぶか、あるいはジャムに加工されて共に食する機会が来ることを、彼は疑わない。
確かに、自分一人がすぐに生食する量は減る。しかし、ブルーベリーの実を生で大量に食べることの価値は、そんなに大きなものだろうか? 私はそれよりも、その半量や3分の1の量でもいい。生食だけでなく、フルーツヨーグルトとして、パンケーキやベルギーワッフルの付け合わせとして、またジャムとして食べること、しかも“孤食”ではなく、気の許せる相手と2人で談笑しながら食べることの方が、より価値が高いと考える。
これに加えてカナブンと果実を共有することは、きっとさらに豊かな生き方を約束してくれるだろう。いや、本当にそうだろうか? このことの真偽については、読者の想像力にお任せしよう。
谷口 雅宣
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コメント
ブルーベリーのこと
カナブンと果実を共有すること
先生のお話は、あたたかいですね。
続けて読ませて頂いて
心があたたかくなりました。
全てのものを
あたたかい眼差しでご覧になっていらっしゃるのですね。
私は、いろんなものを見ているようで
どこかで、やっぱり、人間中心の観方をしていました。
そのことに気づかされた
先生のあたたかいお話でした。
ありがとうございます。
投稿: 大川千衣 | 2011年8月 1日 00:50
総裁先生、ありがとうございます。
「カナブンと果実を共有すること」は、多様性が溢れた世界の中で、人間が他の生物と食物を共有できるところに、人間の食性的な本物の価値観が見出されるように思います。
これをもっと身近な言い方に置き換えると、「虫が食した跡がある野菜や果実は、安全で美味しい」ということなると思います。
別の角度から見て考えれば、「自然界の食物の美味しさを見分ける術は、人間よりも他の生物の方が優れている場合があり、人間はこれらの恩恵を受けて繁栄している」と言えると思います。
感謝礼拝
投稿: 阿部裕一 | 2011年8月 9日 14:18
私も、
「カナブンと果実を共有する」というところに、
ウルッときました。
投稿: 辻井映貴 | 2011年8月10日 11:01
合掌 ありがとうございます。
ドイツは涼しいとはいえ、講演の原稿などの下準備など、私達の計り知れない事が沢山あるのですね。
感謝申し上げます。
今回、初めてブログを拝読致しました。
見方、考え方を認め合うと「談笑」できる。其のことが
多様性であり、神のみ心なのですね。成る程と深くうなずきながら拝読させて頂きました。
コガネムシをかなぶんと呼ぶのを初めてしりました。
投稿: 中寺 雅子 | 2011年8月16日 08:48