« 持続可能性と気候変動の正義 (2) | トップページ | “緑の教皇”は語る »

2011年6月27日

カトリック教会の原発への姿勢

 前回の本欄では、ドイツのカトリック神学者、マルカス・フォクト氏の環境問題についての考え方を概観した。これはあくまでも「概観」であるから、細部については不明なところがまだ多くあるので、それらの考察は別の機会に譲る。
 
 私が宗教と環境問題との関係で気になっていたことの1つは、原子力利用に関するカトリック教会の見解である。6月14日の本欄でイタリアが国民投票によって“脱原発”を決定したことに触れたとき、私はその決定がローマ教皇の原子力利用に関する見解の変化と関係があり、その教皇の変化は福島第一原発の事故が契機となっているかもしれない、と書いた。これには確たる証拠があるわけではないが、ローマ教皇ほどの立場にある人が長年の見解を変える動機をもつとしたら、東日本大震災と原発事故以外の“大事件”は考えられないと思うからである。
 
 その時の本欄では、「ローマ教皇庁は、これまで原子力エネルギーについて肯定的な態度を示してきた」と書いた。しかし、「肯定的」というのは、抑えた表現なのである。それよりはむしろ「積極的」と書いた方が適当かもしれない。というのは、お膝元であるイタリアが原発に基本的に反対の態度を示していた2007年の夏、ヴァチカンの公式ラジオ局がレナート・マルチーノ枢機卿(Renato Martino)にインタビューして、原子力を“クリーン・エネルギー”の1つとして歓迎すべきだと放送しているのだ。
 
 それによるとマルチーノ枢機卿は、人間と環境に対する最大の安全基準を課し、兵器への利用を禁止すれば、原子力の平和利用に問題はないとして、こう言ったという--「何らかの事前原則や事故災害への恐怖から原子力エネルギーの利用を禁止することは、間違いを招来し、ある場合には逆効果を招くかもしれない」。また、教皇ベネディクト16世は、この年の8月28日に国際原子力機関(IAEA)の設立50周年記念行事に際し、「段階的な合意による核兵器廃止」と「真の開発のための原子力の平和的で確実な利用」を求めたのである。
 
 原子力利用推進のヴァチカンのこの態度は、昨年の秋まで変わっていない。昨年9月27日付のカトリック・ニュース・サービスによると、ヴァチカン特使のエットーレ・バレストレーロ氏(Ettore Balestrero)は、ウィーンで行われたIAEAの総会で発言し、教皇庁は平和と人間の発展のために、すべての国々が安全で確実に原子力エネルギーを利用するというIAEAの仕事を「引き続き支持する」と述べたという。その理由は、原子力エネルギーは、各国の必要に則して利用すれば、貧困や病気との戦いを助け、したがって人類が直面する深刻な問題の平和的解決に寄与するからだという。この後、原子力の利用と関係して何か重大事件が起こったかというと、東日本大震災しか思い浮かばないのだ。

 この世界的大事件に際し、日本人司教の提案がヴァチカンの態度変更の一因になった可能性がある。ヴァチカンのニュースエージェンシー「Agenzia Fides」は、今年3月29日付の大阪発のニュースでこの問題を取り上げ、大阪大司教区補佐司教の松浦悟郎氏が次のように語ったと伝えているーー「我々が直面している問題、つまり原子力発電所の増設の問題は重要です。私が昨年まで長をしていた日本カトリック司教協議会(Catholic Bishop's Conference of Japan)の正義と平和協議会とともに、私たちは日本や世界での原発増設の動きと戦う意識を盛り上げてきました。わたしは、この深刻な事故が、日本と地球全体にとってのレッスンとなり、これらの計画を放棄する契機となるべきだと強く思います。私たちはこの取り組みのために世界のキリスト教徒が団結することを望みます」。

 このように、日本のカトリック司教協議会は原子力の平和利用についても反対の意思が明らかである。また、同協議会のサイトには、原発を“クリーン・エネルギー”とは見なさずに、地球温暖化の原因の1つとしてとらえる姿勢が示されている。
 
 谷口 雅宣

|

« 持続可能性と気候変動の正義 (2) | トップページ | “緑の教皇”は語る »

コメント

総裁先生、ありがとうございます。

昨夜、あるテレビ番組にて、「原子力という技術分野は、あくまで軍用に特化したものであり、原発関連の技術も軍が関与するのが普通である。また、日本においても、兵器に転用するオプションを意図的に保持した上で進められてきた政策であり、アメリカにも了承を得ている…。」などというような話を聞きました。
わが国が将来的に核兵器を保有するか否かは別問題として、キリスト教圏における白人とその他の人種との確執的歴史背景から考えると、少なからずあり得る白人至上主義的な考え方が、キリスト教における原発肯定論を誘引しているように思えるのですが、先生はいかがですか?

私には、宗教間の争いと人種問題とは、相互に深く関係しているような印象があります。

感謝礼拝

投稿: 阿部裕一 | 2011年7月 5日 11:56

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 持続可能性と気候変動の正義 (2) | トップページ | “緑の教皇”は語る »