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2011年6月15日

サダムに電話する

 週末の水曜日の夜、妻と一緒に久しぶりに銀座で映画を見た。イラクのモハメド・アルダラジー監督の『バビロンの陽光』(Son of Babylon)という作品で、ベルリン映画祭でアムネスティ賞と平和賞を同時受賞した。イラク人監督の映画を見るのは2~3回目だろうか。欧米や日本の映画を見慣れていた私は、「何と違うことか」との印象をもった。単調と言えばきわめて単調で、単純と言えば単純そのもののストーリーである。ある老女とその孫が、12年も音信不通である自分の息子(孫の父)の消息をたずねて、イラク北部から南部のナーシリーヤへ1千キロもの旅をする--それだけである。しかし、この旅が行われたのが、イラク戦争でサダム・フセイン政権が倒れてから3週間後であり、この老女がイラク人ではなく、同国で弾圧されていたクルド人であることが分かると、その長い旅程が、老女と子供にとって危険きわまりないものだと了解され、観客の心には“サスペンス映画”を見るような緊張感が生まれるのである。
 
 戦争がまだ完全に終わっていない地を、老女と子供だけで、ほとんどヒッチハイクのような方法で延々と旅をする。その間に、多くの人々に遭い、助けられたり邪魔者扱いされたり……しかし、いわゆる“悪役”のような人間は出てこない。あえて言えば、途中の検問所で人々に銃を突きつけるアメリカ兵が“悪者”のような感じがしないでもない。人々は何か大きな不条理な力が自分たちの大切なものを奪っていくのを、ただひたすら堪え忍んでいる。私が「違う」と感じたのは、こういう“起伏”や“抑揚”や“白黒”がはっきりしない映画を、これまであまり見たことがなかったからだ。その構成上の不鮮明さと、画面に展開される果てしなく広い平坦な砂漠とが相まって、眠気さえ覚えてきた。
 
 イラク戦争については、私は本欄でも国際政治の観点から結構書いてきた。が、その観点から明確であったことが、この映画ではほとんど不明確である。例えば、サダム・フセインは、民族独立を志向するクルド人に対しては血も涙もなく、化学兵器を使って大量虐殺をした。この事件は現地では「アンファル」と呼ばれている。映画の中でも、どこそこで“集団墓地”が発見されたという話が出てくるが、これなどは決して日本人が考える「墓地」ではなく、虐殺後の死体投棄所のことなのだ。で、そういうクルド人虐殺に荷担したというイラク人が、主人公の老女と子供の世話をしようとする。「あんたらを放っておけない」と言うこの元兵士は、「強制されたから仕方がなかった」と弁明する。そして、罪滅ぼしをしたいという意図が明確である。老女は当初、彼の援助を激しく拒否するが、やがて心を許すようになる。皆、何かの犠牲者なのだ、というメッセージがそこにある。
 
 では、そんな巨大な悪であるサダム・フセインが倒れたのだから、それを実行したアメリカ軍が英雄のように描かれるかと言えば、決してそうではない。上に書いたように、米兵は「サダムを倒したからもっと恐ろしい」という感じで描かれる。たぶんイラクの民衆の正直な感覚なのだろう。ところで、今日の本欄の題名である「サダムに電話する」という語だが、これは映画の会話の中に“暗号”のように使われる。が、意味していることは明確である。最初、トラックの運転手はこの言葉を放ってから、用足しに姿を消す。それを見ていた主人公の少年は、映画の終わりのほうでそのマネをして、「サダムに電話する」と言ってから、適当な藪を探して小便をする。しかし、どうしてこの言葉が用足しを意味するのか……私は考え込んでしまった。
 
 読者はどう考えるだろうか? 私の憶測を言おう--この言葉は、日本だったらさしずめ「特高に連絡する」というほどの意味だろう。が、相手の目の前で密告を公言する人はいない。ということは、「人には言えないことをする」という意味ではないだろうか? サダムの治政下では、もちろんこの言葉は口に出せない。が、映画はサダムが倒れた後を描いている。冗談でこう言って、独裁政権崩壊の現実を噛みしめているのではないだろうか。
 
 谷口 雅宣

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コメント

「サダムに電話する」
人に聞かれたくない、人に見られたくない、そんな意味から、用をたすことに使われたのでしょうか?登山用語で、「お花摘みに行く」と言うのが、同じ意味で使われています(笑)

投稿: 水野奈美 | 2011年6月17日 20:25

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