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2011年5月18日

宗教運動と“外部性”

 本年5月始め、生長の家の運動組織の全国的会合が行われた時、私は講話の中で「買い物では世界を救えない」ということを訴えた。これは、直接的には2010年5月24日の新聞紙上に載った全面広告の批判であるが、その目的は、この広告主を特定して貶めるためでは決してない。

 私が取り上げた広告は新聞掲載後に、第59回日経広告賞の優秀賞、第40回フジサンケイグループ広告大賞のメディア部門で新聞優秀賞を獲得するなど、広告業界から高い評価を得たものである。ということは、日本の産業界では、この広告の伝えようとしているメッセージが今の日本経済にとって有益であり、かつ正当であると概ね信じられていることを意味する。しかし私は、そのメッセージはむしろ時代に逆行しており、短期的にはともかく、中・長期的には日本経済にも、世界経済にも悪影響を及ぼす可能性があると考えたのである。

 その理由を説明する前に、まずはこの広告の内容を示さなければならない。問題の広告の掲載日に、私はブログに次のように書いたーー

 今日の新聞の1ページ全面を使って、貸金業者の「ジェーシービー(JCB)」が広告を掲載していた。画面の下段に大きく2行に書き分けて「買い物は、世界を救う」とあり、上段には、高橋是清の随想録からの引用として、「貯金よりもお金を使うことが国の経済に貢献する」という意味の古典的議論がズラズラと展開されている。(中略)JCBが引用している高橋の文章を要約すれば、ある人の可処分所得が5万円の場合、3万円を使って2万円を貯金することは、個人にとってはよくても、社会にとってはメリットが少ない。それよりも、もう2千円を消費に回せば、それが社会に還流して20倍、30倍の生産力になる、という論理だ。この2千円の用途としては、芸者を招んだり、贅沢な料理を食べたりすることを暗に勧めているのだ。そうすれば、料理人の給料、食材の代金、その運搬費、商人の利益、農漁業者の収入増などにつながって、社会のためになるというわけだ。(『小閑雑感 Part 18』292~294ページ)

 私はこのように広告の内容を紹介したあと、それに反対する理由をこう書いた。

 これを安政元年(1854年)生まれの高橋が言うのはいいが、21世紀初頭の地球温暖化と人口爆発の時代に、しかも世界的な金融危機を経験した後に、“一流”と目される日本の企業が新聞の全面広告で訴えるのは、PR上も誠にお粗末だと私は思う。(前掲書、294ページ)

 高橋是清が活躍した1910年代から30年代の日本の状況と、グローバル経済下の現在の状況の間には大きな違いがあるのである。にもかかわらず、それに全く触れることなく「消費を盛んにすれば世界の状況は好転する」と主張することは、大企業として不誠実である、と私は感じた。だから、新聞読者にその不誠実さを晒すことは、広告戦略として失敗している、と指摘したのである。

 谷口 雅宣

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コメント

合掌有り難うございます。
雅宣先生のご見解に、心から賛同致します。 このグローバル化がもたらした今の経済の在り方がこれからも同じように続けば、ますます地球温暖化に拍車をかけることになり、持続不可能になるだろうと思います。
地球に負担をかけない生き方をもっと多くの人が望み、エコ経を具体的に形に現していくよう努力しなければ明るい未来はない、と危機感が募ります。

私が思い描く理想の社会は、農業、林業が一番人気のある職業である…長く使える品質の良いものしか売らない店が各地域に点在し、生活必需品は概ね徒歩で移動できる店で手に入れることができる…それに伴う、修理・再生機能のある店も同じくらい存在する…ひと月20万円くらいの収入で四人家族が充分やっていける(家庭菜園をしていて野菜はある程度買わなくてもすむ)…家族皆健康で、医療費が殆んどかからないため、かつて医療費として莫大な額費やされていた国の税金が教育・福祉・地域に充てられ、生涯豊かに暮らせる

まだ考えるといろいろありますが、こういう世の中にするために自分ができることは何でもしていこうと思います。

投稿: 前川 淳子 | 2011年5月19日 01:38

谷口雅宣 先生

上記、前川淳子さんの見解はよく理解出来ます、では生長の家の立場として現在の不景気を打破する最善の方法を具体的にお教え下さい。

失礼致します。

投稿: 舘岡毅 | 2011年5月19日 21:41

合掌ありがとうございます。

舘岡様、横から失礼します。

私は広告関連の仕事をしておりますが、下記の3点を仕事のうえで実行しています。
1.自らの心を見つめ、好景気(陽気)で満たす。
2.環境に優しい行動を自ら実行し、お客様に静かにアピールする。
3.効率ではなく品質を高めるために、社内の作業工程等を見直す。

これにより、環境問題を積極的に考えていらっしゃるお客様が案外多いことがわかりまして、仕事の受発注以上の連帯感も生まれてきました。

インターネット時代ではマスの広告もうまくはいきません。社会全体を力づくて景気良くする時代はもう既に過去のことになっています。

欧州などでは昔からそうですが、広告で購買をあおって消費させるのではなく、本当に必要なものだから品質のよい(環境にも配慮した)ものを買う、という時代が、まさに日本にも近づいていることを肌で感じております。

一人一人の小さな行動の積み重ねが「静かな好景気」を生むのではと思っています。

感謝合掌

投稿: 松本雅幸 | 2011年5月20日 12:56

松本雅幸 様

大変遅れまして申し訳ありません。

アドヴァイス大変ありがとうございます。

合掌

投稿: 舘岡毅 | 2011年6月 5日 08:33

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