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2011年5月31日

人間が生んだ世界

 前回紹介したアレンビー、サレウィッツ両教授の論文中に、「人間が生んだ地球」という言葉があるのを見て、私は一瞬驚いた。原語の英語は「the anthropogenic Earth」である。「the Earth」は我々がよく知っている「地球」に該当する。が、それを形容する「anthropogenic」という語は、あまり見かけない。人類学は英語で「anthropology」であるから、「anthropo-」という語は「人類」を指す。接尾語の「ーgenic」は「~を生み出す」とか「~が発生する」という意味の「-gen」の形容詞形である。すると、「anthropogenic」は、「人類が生み出した」というほどの意味になろう。しかし、我々人類はいつ「地球」や「世界」を生み出したのだろうか?
 
 恐らく普通の日本人の感覚では、「世界」や「地球」は人類発祥以前から存在しているから、「人間が生んだ世界」という表現は何か間違っているように聞こえる。しかし、上記の2人の大学教授はその可能性を知りながら、あえてこの表現を使っているに違いない。アレンビー教授は「土木工学と倫理」を専門としており、サレウィッツ教授は「科学と社会」の関係が研究分野だ。つまり、2人とも科学や工学などの人間の営みが、自然環境を含めた周囲のより大きな広がりにどう影響するかに関心をもっていると思われるからだ。21世紀初頭の世界や地球は、人類が発祥した当時はもちろん、いわゆる“近代化”が始まった18世紀末と比べても、著しく変化してしまった。それはとりもなおさず、人類が造り上げてきた文明のおかげである。だから現在の地球は、そして世界は、人類の創造物だ--そういう考えが背後にあると感じられる。
 
 科学技術から甚大な恩恵を得ている我々は、それが自分の周りで使われることにほとんど何の違和感もない。それどころか、「便利になった」「楽になった」「面白くなった」「刺激的だ」……などと、ほとんど無条件でそれを歓迎してきた。だが、今回の大震災と原発事故の影響でそのごく一部が利用できなくなってみると、自分たちの“当たり前”の生活が、どんなに「自然」や「世界」のもともとの状態とかけ離れてしまったかを痛感しないだろうか。

 私は最近、夜の東京の“暗さ”や、地下鉄や地下街へ行くエスカレーターの“節電のための停止”、高速道路の“見えにくさ”、照明を消されたショウウインドーに気がつくと、自分がこれまで生きてきた“自然”や“世界”が、人間に干渉される前のオリジナルな「自然」や「世界」とは似ても似つかないものだったことを、改めて考える。夜は暗いのが自然な世界だ。地下鉄や地下街など存在しないのが、自然な世界だ。夜道は暗くて見えにくいのが、本当の自然だ。我々は、自分たちの都合でこのような諸々の“不自然”を造り上げてくる過程で、「自然」や「世界」を深く、大きく改変してきたのだ。
 
 これらのことは、しかしアレンビー、サレウィッツ両教授の強い関心事ではないようだ。それよりも両教授は、さらに強力で、新しく、結果の予測が難しい科学技術を“5人の騎兵”に喩えて警鐘を鳴らしている。それらは、ナノテクノロジー、バイオテクノロジー、ロボット工学、情報通信技術、応用認知科学の5つである。“5人の騎兵”とは、聖書の最終の書『ヨハネの黙示録』に登場する「死」「飢饉」「疫病」「戦争」などの“破壊の使い”のことだ。だから両教授は、人類が生み出した最先端科学技術を肯定的に見てはいないのだろう。そして、次のように言う--
 
「原子力についてと同様に、(これらの科学技術をめぐる)現在の論争や政策論は、極端に走りがちだ。一方の陣営はこの“5人の騎兵”の中に人類の救済を見出すが、反対の陣営は、人間から尊厳と自由を吸い取る化け物のように見なす。このような論争は、正直言って単純すぎるだけでなく、もう機能不全に陥っている。我々はすでに、そういう技術社会を造り上げてしまったのだから、今本当に必要なことは、その影響をより深く知り、その中で理性的に、責任をもって、倫理的に生きるにはどうしたらいいかを知ることである」。

 技術社会を放棄せずに、人間の尊厳を保って生きていくにはどうすべきか? この問いかけは、“森の中のオフィス”の活動を通して生長の家が目指すものと共通点があると思う。
 
 谷口 雅宣

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