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2011年5月22日

大地震は“神のはからい”?

 今日は北海道の音更町文化センターで十勝教区の生長の家講習会が開催され、910人の受講者が参集した。この日の十勝地方は低気圧の北上が予想されていたため、前日の天気情報では雨模様ということだったが、幸いにも朝には高曇りの状態となり、午後は晴天になった。この地での講習会は2年前は夏の開催だったが、今年は会場の都合でこの時期に早まったため、推進活動の大部分は寒さが厳しい冬季に行われた。そんな関係もあり、受講者数は前回よりも減少したが、その代わり新たな会場で行われたことで、初めて参加することができた人も多くいたに違いない。今後の組織のさらなる活性化と、“新人発掘”が期待される。
 
 午前の私の講話に対する質問は3件と少なかったが、その中に今回の震災に関するものがあった。私はそれに答えたのだが、その場の答えが十分意を尽くしていたかと訊かれると、答えに自信がない。そこで本欄を借りて、不足部分を補いたい。質問は、70歳の女性からの次のようなものだった--
 
「神が宇宙を作られたと話されました。それならば今回の東日本大震災は、神のおはからいなのでしょうか。政治家も“神のみぞ知る”と云われましたが、終息はどうなるのでしょう。原発の放射線など人体に悪影響をもたらしています。人類の滅亡とも思われます。もし神がいるならば、宗教的にどのように考えれば良いのでしょう」

 この質問は、前半は大地震のこと、後半は原発のこととして分けて答えるべき性質のものだ。前半の質問は、大地震などの天変地異は神がもたらすものかどうか、という内容として捉えられる。後半の原発の問題は、人間の営みの一部である科学技術の問題だから、前半とは少し性質が異なる。しかし、今回はこの2つがほぼ同時に起こったため、我々の一般的な印象では「2つには同一の原因がある」と感じるのだ。そのことを、この質問者は「もし神がいるならば、宗教的にどのように考えれば良いのでしょう」という形で表現していると思われる。つまり、大地震と原発事故の2つをもたらした共通原因があると考えているのである。
 
 3月11日以降、原発事故の原因についての調査が進んできているので、本欄の読者もこの2つには共通原因はないことがお分かりだろう。すなわち、大地震の原因は地球の地殻変動であり、原発事故の原因は、その地殻変動を予見していながら、可能な限りの事故防止策を講じてこなかった人間の側の怠慢が原因である。より具体的には、福島第一原発で使われていた原子炉の構造上の問題、非常用発電機の位置の問題、津波に対する備えが不十分だったことも指摘されている。さらに、人間の心の問題を指摘すれば、地震後の大津波による被害をこれだけ大きくした原因の1つには、過去の大津波の経験を重視せず、技術力を過信した点も否めない。このように見てくると、原発事故は“人災”の側面がかなり強いと言える。
 
 では、前掲の質問の前半部分は、どう考えるべきだろうか。つまり、「地震などの天変地異は神がもたらすものか?」という質問である。私は、講習会の場では、「大きな天変地異は昔から定期的に起こっている」という話をした。ただし、この「定期的」の意味は、「人間の尺度から見た」定期的ではなく、地質学的な意味での定期的だ。読者はすでにご存知のことだろうが、地震の原因は、地球表面の地殻と最上部マントルが合わさった「プレート」と呼ばれる部分が動くからである。日本列島の真下ではいくつものプレートがぶつかり合っていて、そこに周囲から常に巨大な圧力が加わっている。そこにある程度の力が貯まると、やがてバネが弾けるようにプレートが動いて圧力が発散される。これの大きなものが何百年に1回という“定期的に”起こっている。それは“神の計らい”か? と訊かれれば、普通の意味では「そうではない」と答えるべきだろう。この「普通の意味」とは、辞書にある意味だ。三省堂の『大辞林』によれば、「はからう」とは「考えて、適切な処置をする」ことであり、「都合の良い方法を講ずる」ことである。だから、この場合は「神がそれぞれの地震に、それぞれの目的や意図をもって、都合の良いように起こす」という意味になる。そのように、「神がこの世の艱難を意図的に起こす」という考え方を、生長の家は採らない。
 
 しかし、その一方で、生長の家では「神は法則である」とも「法則の形をもって現れ給う」とも説く。この観点から考えると、地震などの地殻変動は、物理学や化学の法則にもとづいて起こるのであるから、地震の起こる所には「神が現れている」と考えることもできる。そうすると「地震などの天変地異は神がもたらすものか?」という質問には、「そう言うこともできる」と答えても完全な間違いではない。しかし、その場合、自然界の法則によるのは、「100年に1回起こる大地震」だけではなく、「99年間は大地震が起こらない」状態も当然含むのだから、「99年間の地殻の安定は神がもたらす」ということも同時に言わなくてはならない。なぜなら、“法則としての神”は、人間にとって悪いことだけをもたらすのではなく、良いこと、ありがたいことも、常にもたらしているからだ。例えば、飛行機事故が起こるのは、重力の法則なくして考えられない。しかし、その同じ重力の法則は、雨を降らし、川を流し、木々の根に水を含ませ、人間に飲料水を与え、果実や穀物を育て、動物を養っているのである。“法則としての神”は、悪い現象の中にのみ現れるのではなく、常に、あらゆるところに、幸福や繁栄ももたらしている。そのことを思い出せば、神を恐れる前に、まずはその偉大な恵みに感謝しなければならないだろう。
 
 谷口 雅宣

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コメント

この質問に対して、私なりの回答を考えてみました。

まず、神のはからいか?と言われれば、そうです、とも違うとも言えます。地球の命は神の命の現われでありますから、その意味では、そうです、と。意図的に被害を被るような状況を作ったのか?という意味であれば、違う、です。自然に起きた地震が、たまたま、そこで我々人間が生活していたために大きな被害として見えるわけで、天災であるけれど、間接的には、地震も人災なのかもしれない、と思います。そこで人が生活をしていなければ、そもそも被害など、ほとんどないのだから。
原子力発電所の事故は、確かに、この世の終わりかと思うほどの恐ろしいものに見えます。でも、これで、この世の終わりにはならないと思います。原子力の被曝の恐ろしさは、世界中の人の知るものです。でも、原子爆弾で被爆して、病気になった方もいれば、全く健康な方もいます。原子力によるエネルギーの使い方が理にかなったものであれば、問題はなかったでしょうが、おそらく理にかなってない(神の御心でない)使い方であったために、今回のような事故になったと思います。この事故を機会に、理にかなったエネルギーの使い方が見直されてきています。つまり、自然エネルギーですね。
物事、必ず良くなるのが、自然な流れです。これからも、必ずよくなります。この世の終わり、終末のような心配はいらないと思います。

投稿: 水野奈美 | 2011年5月24日 20:34

>神が宇宙を作られたと話されました。
>それならば今回の東日本大震災は、
>神のおはからいなのでしょうか。

神が作った宇宙とは実相世界のことですから、現実の事象については、すべて神の意志の顕れとは言えないと思います。
現象の原因はいろいろなことが組み合わさっていると思いますし、それをすべて突き止めることはできないと思います。
私たちがなすべきことは、実相を見て、それを現象世界(現実世界)に表現することだと思います。

投稿: 近藤静夫 | 2011年5月31日 07:34

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