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2011年5月 5日

「めんどくさい」が世界を救う

 C・W・ニコル氏が1989年に出した『TREE』という本を読み始めた。
 1~2年前に買ってあったものだが、東京で読むよりは“山”で読むべきものだと思い、大泉町の山荘に置いてあったのだ。それを4月初めのある日、山荘に来たときに見つけた。そして、
「ああ、ここにあったんだ」
 と、探し物を見つけた時のようなうれしい気持になった。というのは、ちょうどニコル氏のことをもっと知りたいと思っていたからだ。

 3月22日にオークヴィレッジ代表の稲本正氏の案内で、同氏がニコル氏と料理研究家の成澤由浩氏と共に立ち上げた“連携の集い”の記者発表会に行った時、私は初めてニコル氏と会った。ご本人と言葉を交わしていないから、正確には「会った」のではなく、「見た」と言った方がいいかもしれない。「あの東日本大震災が起きてまだ間もない時だった。3人がそれぞれの「日本の自然」への思いの丈を語ったのだが、その中でいちばんエモーショナルだったのがニコル氏で、イギリス人はクールだと勝手に思っていた私は、意外に感じたのである。氏は、大きな体に顔を紅潮させて、自分がいかに日本の自然を愛しているかを語った。その時以来、私はニコル氏がなぜ遠いイギリスのウエールズから日本に来て、あまつさえ日本国籍を取る気になったのか知りたいと思っていた。

 『TREE』という本の口絵に、ニコル氏が窓辺でタイプライターに向かっている写真がある。その機械の形を見て、私は自分が昔使っていたスミス・コロナ社製の手動式のものでは、と思った。違うかもしれないが、同じものだと思うことにした。そして、この文章をパソコンではなく、原稿用紙に手書きすることを決めた。

 これは、「わざわざ面倒な方法で文章を書くことを決めた」と言い直してもいいかもしれない。ニコル氏もパソコンではなく、電動タイプライターでもなく、手動式タイプライターを使っているのだから、自分も手書きで……というわけだ。だから“人マネ”と言われるかもしれない。確かに半分はそうである。しかし、残りの半分は違う。手書き原稿は面倒であるけれども、効率優先のパソコン書き原稿とは異なった文章を生み出す、と私は考えるからである。そして、私がこれから書こうとしていることは、まさにこの「面倒なこと」の価値についてであるからだ。

 金田一京助監修の『新明解国語辞典』第4版(1989年に、三省堂刊)によると、「めんどう」という語は、「使うことが惜しい」という意味の雅語「だうな」の前に「目」の語を付けた「めだうな」が原語で「見るも大儀な(見るだけでも大変な)」が原義であるそうだ。そこから転じて「解決するのに手数がかかる様子」のことをいうという。この「手数がかかる」とか「手間がかかる」こと自体に価値がある、と私は思うのである。

 谷口 雅宣

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