“森の中”で太陽と生きる
前回の本欄で、菅首相の“新エネルギー政策”に賛意を表し、ソフトバンクによる「メガソーラー構想」や「自然エネルギー協議会」のことを紹介した上で、「このような動きをさらに前進させるために、生長の家も“地域貢献”を含めた努力を続けていく考えである」と書いた。25日に開かれた生長の家の会議で、実はその方針が決定した。これは、今回の東日本大震災と原発事故の経験を経たうえでの“方針の一部変更”とも言える。
これまでの方針では、“森の中のオフィス”は太陽光発電と太陽熱利用の組み合わせで二酸化炭素の排出量をほぼ“ゼロ”にする予定だった。その場合の“炭素ゼロ”は、東京電力からの供給分を同社への売電によって相殺することを基本的に意味していた。しかし、福島第一原発の事故処理が長引くことが予想され、さらには他の原発も稼働停止や廃炉の可能性も生じていることから、オフィスでの電力自給を視野に入れることにしたのである。
これを別の角度から言えば、生長の家は今回の原発事故の教訓として、次の3点を確認した--
①原子力発電所の危険性
②首都圏の電力が地方の大きな負担で賄われていること
③電力供給の地域独占に多くの弊害があること
この3つの問題を最小限に抑えたエネルギー利用を考えたとき、「電力自給」を目標とすべきとの結論に達したのだ。つまり、原発は縮小していかねばならないのだから、そこから電力供給を受けるのは避けるべきだ。また、中央集中型のエネルギー利用形態を改めるためには、ローカルな発電設備が必要である。さらに、ローカルに作られた電力はローカルに消費されるべきである、ということだ。
これに加え、今回の震災で明らかになったことの1つは、電力の独占が電力インフラの脆弱性を生んでいるということだ。簡単に言えば、電力会社1社が被災したら、その地域の電力はすべて使えなくなるか、使えたとしても“計画停電”によって仕事や生活が振り回されてしまうということである。資金力のある大企業は、この不都合を自家発電によって避けている。我々も、その観点をもつべきだと判断した。
生長の家の“地域貢献”は、我々を受け入れてくださる地域の人々への感謝の気持の表れである。中央集中型の経済の問題を肌身で感じている地域への“恩返し”と言ってもいい。その場合、電力インフラの脆弱性の問題は地域経済に共通しているだろうから、我々の発電能力に余力があれば、周辺地域の人々に使ってもらうのがいい。これは、地球温暖化抑制のための“炭素ゼロ”運動を生長の家内部だけでなく、地域社会にも拡大していくことにつながるはずだ。
もっと具体的に言えば、生長の家の移転先である北杜市は、「人と自然と文化が躍動する環境創造都市」というキャッチフレーズを掲げて「環境日本一の潤いの杜づくり」を目指している。この構想に資するため、生長の家は、オフィスや職員寮で発電した電力を冷暖房のほか交通手段にも利用することで、CO2の排出削減を進め、もし可能であるならば、市と協力して、太陽光発電などの再生可能エネルギーの利用促進と、充電インフラの整備を含めた電気自動車の普及に取り組みたいと考えている。我々はこうして“森の中”へ行き、地域の人々と共に太陽の恵みを最大限に利用して生きたいと思う。
谷口 雅宣
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コメント
総裁先生、
「電力自給」の方向には大賛成です。今の電力供給は、一カ所で大量に発電し、電線で広く分岐させていく方法ですが、これだと電線のないところには電気が届かないことになります。
太陽光発電のメリットの一つは、発電場所と電力消費場所が同じか、近いという点にあると思います。
山の中や、砂漠の中でも電気が使えることで、いろいろな場所に生活の拠点を設けることが可能となります。
太陽光発電の場合には、発電電力と夜でも使える保存方法(蓄電)が課題だとは思いますが。
投稿: 近藤静夫 | 2011年5月28日 00:35
総裁先生ありがとうございます。
今回の震災で被災して,電力供給の問題について身をもって考えさせられました。自治体単位での発電(自然エネルギー)が実現できる体制になっていけばと願っております。
また,水の有り難さについても10日間の断水で痛感しました。特にトイレに流す水は毎日「雪解け水」を使用して過ごしていた体験から,雨水をトイレに使用できないものかと真剣に考えました。実際に市内の小学校では雨水を濾過してトイレに使用しているところもあります。我が家では今でも風呂の残り湯をトイレに使用しています。
再拝
投稿: 佐々木 | 2011年5月28日 12:46