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2011年5月 9日

「めんどくさい」が世界を救う (5)

 私は自分の息子がまだ1歳にならない頃、旅先の宿舎の一室で、夜中に初めて立ち上がって伝い歩きをした時のことを今でも覚えている。それまでは這うことしかできなかった小さな人間が、やっと立ち上がり、おぼつかない両脚を力いっぱい踏みしめ、両手を机に突いて体を支えながらバタバタと歩いた。その時の満面の笑みと喜びの叫び声は、環境からの直接的リアクションが、人間にとってどんなに幸福かを如実に語っていた。

 ところが、歩くことに慣れてしまった人間は、次に効率のことを考え出す。長い距離を歩くのは非効率だとか、面倒くさいなどと考えて、自転車や自動車、さらには航空機まで発明した。しかし、これによって先進諸国の人々の間には運動不足よる肥満や、成人病、神経症など、別の問題が深刻化しているのだ。

 環境から直接的なフィードバックが得られなくなることは、人間の判断を誤らせる大きな要因になる。このことは、自動車運転中の携帯電話の使用や歩行中のイヤフォンやヘッドフォンの着用などで、すでに証明済みだろう。それでも、ネット社会の発達と音声・映像技術の進歩によって、そういう情報不足は十分補えるという考え方が時々表明される。が、私はそんなことは不可能だと思う。理由はすでに縷々述べてきたが、以下、簡単にまとめよう。

 庭の芝生を刈る際に最も効率的な方法は「他人に依頼する」ことだった。これによって、依頼人への芝生からのフィードバックはほとんどゼロになる。フィードバックの減少は、「芝生から」だけではない。「芝生を刈る」という行為にともなう大部分の情報--芝生を刈る音、切り揃えられた芝生の感触、土の匂い、芝生から跳びだす昆虫やミミズ、カッコウやホトトギスの鳴き声、林を通り抜ける風の爽やかさ、飛来するチョウの可憐さ、そして、これら自然界との触れ合いによって“刈り手”の心に生まれる様々な想い--が、依頼人の脳や心には伝わらず、また生まれず、実際に芝刈りをした人間のところでストップする。筋肉と感覚と心を動員して行われる全人格的な「芝刈り」という仕事は、こうして依頼人にとっては抽象的で、価値の低い“単純労働”として認識されるようになるだろう。また「芝刈り」の場である自然界も、同じように抽象的で、どこか絵画や写真のような“装飾品”あるいは“デザイン”として感じられるのではないだろうか。

 私は、人間がそのような認識や価値判断にもとづいて下してきた決定によって、これまでどれだけ広大な生物の生息地と、どれだけ多くの生物種が失われてきたか、と心を巡らせるのである。そして,そういう人類の価値判断が正しくなかったことが今、地球規模の気候変動、“人口爆発”と食糧問題、資源の枯渇と奪い合い、生物多様性の後退などとして示されていると考える。

 谷口 雅宣

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コメント

総裁 谷口雅宣先生 
合掌 ありがとうございます。本当に私達は効率性を追い求めておりますね。実はこの前の日曜日に近所の女性と2人で広場の草取りをしていたときのことです。大きな樹の影の木製ベンチで時折腰掛けたりしながら、相手の女性が病身なものですから、スローなペースで草をむしると、スズメや、名前のわからない鳥(灰色で鳩より小さいです)がすぐ近くにきたりして、なんとも言えず癒されておりました。よその子供達も走り回って遊んでいました。と、そこへ近所の男性が来て「もう少し前に除草剤を撒いたので、お2人とも手と身体を早く洗ってください。」と言うのです。私達は何故除草剤なんて撒いたのか、抗議しましたが、町内会長からの命令だと答えるだけです。10人ほどの子供達が薄着で駆け回っているというのにです。すぐそこには、野菜や花を育てているスペースもあります。私は国際平和信仰運動に邁進しますと言いながら、こんな身近で除草剤を撒く人に何も言えない自分自身を恥じています。総裁先生のご教示を頭で理解して、実践が伴わないことを反省しました。
              再拝 岡田さおり

投稿: 岡田さおり | 2011年5月10日 22:47

岡田さん、

 フムムムムム……除草剤ですか。
 公園に撒くのですね。それは、人体に危険なほど撒くのでしょうか? もしそうだとしたら、原発とあまり変わらないですね。

投稿: 谷口 | 2011年5月14日 23:06


前略

文中にあります「人口爆発」について教えてください。

例えば S・ホーキンス博士はあと400年もしないうちに 隣の人の肩と触れ合う距離は僅か40cmとのこと。20年ばかり前世界の人口は48億で、今約68億人。途上国における乳幼児死亡率や様々な飢餓問題が志もて今尽力されている人達の力により将来改善解決してゆくのは大変素晴らしくありがたいことですが、同時に人口爆発を加速させます。

極端な言い方をすれば、私達は「生命至上」の立場で良かれとすることが未来の生命至上を危うくしているという自己矛盾に行き当たります。

私は信仰は持ってはいませんが、すべての生きとし生けるものが 本来の自然のままに互いに優しく調和してこの美しい地球がありますことを願ってやみません。

投稿: 相河 一人 | 2011年6月 3日 07:24

相河さん、
 コメント、ありがとうございます。

 「人口爆発」の件ですが、これはすでに進行していますね。でも、女性の教育が充実することで出生率が下がるので、どの辺でピークを迎えるかという問題があります。教育機会の増進を“自然のままに”と考えれば、あなたの希望は実現するかもしれませんね。

投稿: 谷口 | 2011年6月 3日 17:44

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