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2011年5月 8日

「めんどくさい」が世界を救う (4)

「伸びすぎた庭の芝生をすっきりと刈り揃えたい」という希望から、私はこの時、芝刈りを始めたのだった。その目的を最も効率よく達成する方法は、たぶん機械を使うことだ。今、近所で入手できる芝刈り機には手動式、電動式、また燃料を使ってエンジンを回す方式のものもある。この中から効率優先で方式を選べば、恐らくエンジン式が最も優れている。しかし、コストも最大だろう。この場合のコストとは、もちろん商店で売っている値段も含むが、それに加えて機械を持ち運ぶ際の重量、メンテナンスの手間や費用、それに(これが重要だと思うが)エンジンを動かすことで発生する騒音や臭気のような「環境へのコスト」もある。しかし、これらのコストを度外視して「効率」のみを考えれば、エンジン式芝刈り機を近くのDIY店で買ってきて使うという方法がいちばん“優れている”ことになる。いや、そういう手続きも省略したい場合、人に頼んでそれらを全部やってもらう方法もある。そうすれば自分はその間、別のことをする余裕が生まれ、時間をもっと“有効に”使える--こう考える人もいるだろう。

 私は今、あえて「有効に」という言葉を使ったが、この言葉をここで使うべきかどうかは、本当は十分吟味する必要があるのである。一般に「有効」という場合、それは何かの目的に対して一定程度の効力や効果があることを指す。では、この場合の目的とは何だろう? それは、前述したように「伸びすぎた庭の芝生を刈りそろえる」ことである。となると、芝生の刈り込みを最も“有効に”行う方法は、人に頼んでやってもらうことだとの結論になる。何かの奇妙な結論ではないだろうか? が、実際にアメリカなどでは、芝生は自分で刈らずに、もっぱら使用人や庭師にさせている人は数多くいるから、この結論は一般的にはそれほど間違っていないと思われる。

 しかし、私は「効率優先」で何かを行った際の問題点が、ここに鮮明に現れていると考える。それは、先に私が指摘した「対象からのフィードバック」が、ほとんど全面的に欠落していることだ。 面倒な仕事を他人に頼んでやってもらうということは、その仕事にまつわる種々の事柄とできるだけ没交渉でいて、しかもその仕事をやり遂げるというのだから、頼んだ人間はその仕事に時間と労力を割かずに目的を達成する。これは究極的に“有効な”方法ではないだろうか。効率化を推し進めていけば、最終的には「時間ゼロ・労力ゼロ」の状態に近づく。技術が進歩した現代では、「人に頼む」過程も効率化しようとして、予め組まれたコンピューター・プログラムに従って一定の仕事を自動化したり、さらにそのプログラム自体をICチップに焼き付けて、実質的になくしてしまうこともできる。すると、ボタンを一つ押すだけで、複雑な仕事が短時間で楽々と達成されてしまう。言い直せば、「対象からのフィードバック」は限りなくゼロに近づいていくのである。

 私はここに、高度技術社会の基本的な問題があると考える。生物は、環境へのアクション(働きかけ)と環境からのリアクション(フィードバック)を、生きるための基本原理として生体内に臓している。動物の感覚器官や筋肉は、その基本原理の表れだと言える。例えば、動物が地上を「歩く」という行動は、重力に抵抗して体を支えながら、自分の望む方向に移動することだ。この時、足は重力という環境からの力と、地面の凸凹や傾き、硬軟の程度などの環境の情報を感覚器官から取り込み、それにもとづいて骨格や筋肉を操って体のバランスを取りつつ、目的の方向に進む--つまり、環境からのリアクションをできるだけ多く取り込んで、次なるアクションを起こすのである。この繰り返しが正しく行われることで、初めて私たちは「歩く」ことが可能となる。動物としてもっとも基本的なこの動きは、私たちにとって必要不可欠のものだ。だから、戦争や事故で足を失った人は、義足や車椅子を使ってでも「動く」ことを求める。これは「効率」の問題が生じる以前の、最も基本的な人間の欲求の一つだと言える。

 谷口 雅宣 

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