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2011年5月 7日

「めんどくさい」が世界を救う (3)

 ここに書いた「効率とは別の価値」とは何であり、それと効率とはとはどちらを優先すべきかを考えてみよう。引用文の中で描かれた「効率とは別の価値」とは、クリの木をより深く知るということだ。木の表面を観察し木肌に注意したり、木の香をじっくり味わうことだ。手引きのノコギリを使うという“面倒な方法”を用いることで、小一時間のあいだクリの木との一種のコミュニケーションが生まれる。もっと一般化して言えば、向かう対象から豊富な「フィードバックを受ける」のである。これに比べ、チェーンソーを使えば、薪作りは簡単に、短時間ですんでしまうから、対象からのフィードバックは皆無ではなくても、決して豊富なものではない。では、このような「豊富なフィードバック」は、効率性と比べて“より大きな価値”と言えるだろうか。この問いへの答えは、簡単ではない。そこで、もう一つの私の経験について述べ、この重要な問いへの答えを確かなものにしよう。

 再び私の山荘での経験を書く。私の生活のほとんどは大都会の東京で行われるから、東京での経験の中で、環境から「豊富なフィードバック」を得た例を挙げるべきかもしれないが、東京での生活は効率優先で行われがちだから、良い例があまり多く思い浮かばないのである。
 次に掲げる文章は、2010年6月4日のブログに書いたもので、原稿書きの仕事の合間に、伸び放題になった庭の芝生刈りをした時のことだ--

「 それでも3日の午前中に、庭の草刈りをする時間ができた。標高1200メートルの山荘の環境では、東京より季節回りが1カ月ほど遅く、5月初めの気候である。それでも、西洋芝が20~30センチの高さに不揃いで伸びた様子が、見苦しかったのだ。草刈り鋏で1時間ほどかけて刈っているあいだ、近くの山でカッコウがずっと鳴き続けていた。鳴き声に大小の変化がなかったから、恐らく一羽が一カ所にとどまったまま鳴いていたのだ。その合間に、ホトトギスの声も聞こえた。私は、どちらの鳥の声も耳に心地よく響くことに気づき、楽しみながら聞いていた。が、30分も過ぎてから、ハタと思い当たることがあった。それは、彼らが何のために鳴いているかということだった。普通、鳥が鳴くのは雌鳥を呼ぶためということになっている。一種の“求愛”行動だ。しかし、同じ場所で30分も相手を呼び続けていて、退屈することはないのか、と思った。人間だったら、デートの待ち合わせ場所に相手が30分も来ない場合、怒って帰る人もいるだろう。しかし、カッコウには“待ち合わせ場所”などないだろうに、一カ所で30分以上鳴いていて効果がなければ、別の場所へ行くという選択をしないのか……私はそれが不思議だった。

 私はカッコウにエンパシーを感じていたのだ。つまり、芝刈り中の私は、同じ場所でで同じことをひたすら繰り返すという意味で、カッコウと同じことをしていたから、彼の“心”(そんなものがあるとしたら……)を慮ったのだ。草刈りや芝刈りは単純労働だから、退屈と言えば退屈である。しかし、伸びた芝が鋏で刈られる時の“音”と両腕に伝わる“歯ごたえ”が心地よい。また、見苦しかった芝生の表面がスッキリしていくのを見るのは、一種の快感である。芝刈りのような単純反復運動を人間が継続することができるのは、恐らく、こういう感覚上の“ご褒美”があるからに違いない。それならば、相手がいつまでたっても現れない中で、カッコウが雌鳥目当てに延々と鳴き続ける理由は何だろうか? 私はその時、鳥は“鳴くこと自体”に楽しさや快感を覚えているのだ、と思った。歌手は歌うことに快感を覚え、演奏家は演奏すること自体が喜びである。鳥が鳴くことにも、これと似た動機があっても不思議でない。そう考えたとき、どこか寂しげに聞こえていたカッコウの鳴き声が、急に喜びの歌のように聞こえてくるのだった。」

 谷口 雅宣

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コメント

総裁 谷口雅宣先生 合掌ありがとうございます。先の全国幹部研鑽会で総裁先生が「めんどくさいは世界を救う!」と言われました時は笑ってしまってすみませんでした。ブログにてこのご教示のシリーズを拝読させていただくのが楽しみです。私は島根の田舎に住んでおりますので、昨年、東京に行きました時、皆さんの歩くスピードの速さに驚きました。「眠らない街」だと思いました。私事で申し訳ございませんが、「生命の実相」「叡智の断片」「生長の家の信仰について」や、総裁先生の御講話やご教示が掲載されている機関誌の中で自分なりに、「ここは特に叩き込まなければ・・・」と感じたところには、線を引いたり、付箋をつけるだけではなく、ノートに手書きで写させていただいております。面倒なようですが、私にとりましては大事な作業です。そしてそのノートは宝物です。それから、ここ数日前から、富山を中心とした焼肉店で生肉を食べて集団食中毒が発生し、死者まで出ていることが連日報道されていますが、これも経済を最優先させた結果でしょうか・・・。「奪うものは奪われる」・・・肉食を控えることの重要性を総裁先生は環境問題を含めた宗教心で私達にずっとご教示くださっております。総裁先生のご教示をいただける私達信徒は幸せです。今日ここに改めて感謝申し上げます。         再拝  岡田さおり

投稿: 岡田さおり | 2011年5月 8日 19:10

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